チャイコフスキー/バレエ音楽《くるみ割り人形》

概観

 チャイコフスキーの3大バレエでは、《白鳥の湖》や《眠れる森の美女》と比べ、格段に音楽的充実度、凝集度の高い作品。昔は組曲版が親しまれてきましたが、全曲版の方が圧倒的に面白いので、CD時代に入ってからは、むしろ組曲版の方が録音されなくなりました。組曲に入っていない《雪のワルツ》や《パ・ド・ドゥ》、人形とねずみ達の戦闘場面など、随所にチャイコフスキーらしいドラマティックな音楽が展開します。

 組曲盤にも良いディスクはたくさんありますが、お薦めはやはり全曲盤。断トツに刺激的でフレッシュなT・トーマス以下、意外に知られていない隠れた名演のビシュコフ盤、フェドセーエフの86年盤、ヤンソンス盤、新時代のスタンダードたる安定のデュトワ盤、そして若い世代の気概を感じるドゥダメル盤、V・ユロフスキ盤がお薦め。

紹介ディスク一覧

[組曲版]

58年 アンチェル/ウィーン交響楽団  

73年 ストコフスキー/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

74年 小澤征爾/パリ管弦楽団   

79年 メータ/イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団  

80年 コンドラシン/フランス国立管弦楽団

81年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団 

82年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

91年 アバド/シカゴ交響楽団   

92年 レヴァイン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  

不明  大野和士/ブラティスラヴァ放送交響楽団

02年 西本智実/ロシア・ボリショイ交響楽団

[全曲版]

62年 ドラティ/ロンドン交響楽団  

75年 ドラティ/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

79年 A・デイヴィス/トロント交響楽団

85年 T・トーマス/フィルハーモニア管弦楽団

86年 ビシュコフ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

86年 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団 

90年 小澤征爾/ボストン交響楽団  

91年 ヤンソンス/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団  

92年 デュトワ/モントリオール交響楽団  

98年 ゲルギエフ/キーロフ歌劇場管弦楽団 

03年 フェドセーエフ/チャイコフスキー交響楽団  

08年 西本智実/日本フィルハーモニー交響楽団  

09年 ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団   

13年 N・ヤルヴィ/ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団 

13年 ドゥダメル/ロスアンジェルス・フィルハーモニック 

19年 V・ユロフスキ/ロシア国立アカデミー管弦楽団  

[映像ソフト]

99年 バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリン  

16年 アルティノグリュ/パリ国立歌劇場管弦楽団  

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[組曲版]

“演奏内容は良いものの、オケの音色と録音に難あり”

カレル・アンチェル指揮 ウィーン交響楽団

(録音:1958年  レーベル:フィリップス)

 当コンビはフィリップスに4枚のディスクをステレオ録音。うちチャイコフスキーが《白鳥の湖》《眠れる森の美女》のハイライツ、《1812年》《ロメオとジュリエット》、スラヴ行進曲、弦楽セレナードからワルツ、交響曲第4番で、後はスメタナの《モルダウ》、ドヴォルザークの《新世界》、スラヴ舞曲集というラインナップです。

 ムジークフェラインザールの残響も適度に取り入れた鮮明な音質ですが、やや高音域のこもった音。チェコ・フィルとの一連の録音に顕著な、澄み切った美しさやみずみずしい潤いはなく、アンチェルのファンにはもどかしく感じられるかもしれません。

 《小序曲》はてきぱきしたテンポながら、流れるように優美な歌い回しがアンチェルらしい所。合奏も見事に統率されています。《小序曲》のシャープな輪郭と無類の歯切れよさも素晴らしいですが、オケの音彩はややハスキーで、これがチェコ・フィルであったらと思わないでもありません。しかし合奏は緊密でアインザッツもよく揃い、各舞曲の性格を生き生きと表出しています。《花のワルツ》は速めのテンポで勢いがあり、オケも艶っぽく歌ってやっと良さが出る印象。

演出過剰だが生気溢れる、ストコフスキー最後の《くるみ割り人形》

レオポルド・ストコフスキー指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1973年  レーベル:フィリップス

 ストコフスキー晩年のフィリップス録音で、歌劇《エフゲニー・オネーギン》からポロネーズとワルツ、《イタリア奇想曲》とカップリング。彼の得意曲ですが当盤が最後の録音で、ステレオ盤はこれが唯一。

 《小序曲》は生気に溢れ、作為のない正統派の名演かと思っていると、次の《行進曲》で早速予想を覆されます。なにせ、とんでもないスピード。オケもよくこのテンポで演奏できるもので、ほとんどサーカスみたいです。逆に《こんぺい糖の精の踊り》は超スロー・テンポで、段落ごとにいちいち極端なブレーキをかけ、全体もどんどん減速。《花のワルツ》も随所にルバートを盛り込み、弦のサブ・テーマにティンパニを追加。演出過剰はいいとして、少し飽きてくるのも事実です。

“オケのソロイスティックな魅力と華やかな響きを生かした、若き小澤のパリ録音”

小澤征爾指揮 パリ管弦楽団       

(録音:1974年  レーベル:フィリップス)

 《眠れる森の美女》抜粋とカップリング。小澤の同曲は、ボストン響との全曲盤もあります。パリ管とのフィリップス録音は他に《悲愴》があるくらいで、極めて希少。全体にオケの華やかな響きが美しい、優美な演奏。《小序曲》は速めのテンポで小気味良く演奏される事が多いですが、小澤のテンポは際立って遅く、弦の艶やかなサウンドでフレーズをたっぷりと聴かせる、彫りの深い造形です。《行進曲》も、あちこちに強いアクセントを付けた鋭い表現でこれも独特。

 各舞曲はオーソドックスな造型ながら、木管をはじめソロの魅力で聴かせます。《アラビアの踊り》の情感豊かな表現、《こんぺい糖の精の踊り》の明瞭なチェレスタの響き、そして抜群のリズム感と見事な合奏で聴かせる急速テンポの《トレパック》など、鮮烈な印象を与える箇所も多々あります。唯一、速めのイン・テンポで通した《花のワルツ》だけはムードに乏しいのが残念。ここも《小序曲》と同じ調子で行って欲しかったですね。

“意外にも繊細な美しさと優しい手触りを聴かせる、メータとイスラエル・フィル”

ズービン・メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1979年  レーベル:デッカ)

 《白鳥の湖》抜粋とカップリング。イスラエル・フィルによるチャイコフスキーのバレエ作品録音は珍しいと思いますが、メータは《白鳥の湖》が気に入っているのか、後にテルデックに録音したチャイコフスキーの管弦楽曲集でも再び取り上げています。当盤は意外にも緻密で洗練された演奏で、録音もオケのパフォーマンスも非常に美しく、聴き応えあり。

 《小序曲》は遅めのテンポで、実に丁寧な造形。繊細で艶やかな弦と木管の音彩が美しいです。スタッカートの切れ味も小気味よく、爽快。《行進曲》も落ち着いたテンポで、丹念な描写。あらゆる音を克明に拾い上げてゆくような、優しい手触りが印象的。《こんぺいとうの精の踊り》は逆に速めのテンポであっさり。

 又、歯切れの良いシャープなリズムと活力に溢れる《トレパック》、しっとりとしたリリカルなフレージングの妙で豊かな情感を表出した《アラビアの踊り》、美しいフルートの音色とフレーズごとに色彩の変化を細かく工夫した《中国の踊り》など、聴き所が満載です。《花のワルツ》は、オケの美しい音色が魅力的。メータの棒もデリケートで、決して手を抜かない姿勢が好印象。ブラスを伴うトゥッティも、柔らかなソノリティが美麗です。

“肩の力を抜いて自在な表現を繰り広げる、巨匠最晩年の稀少なディスク”

キリル・コンドラシン指揮 フランス国立管弦楽団

(録音:1980年  レーベル:ピックウィック)

 英国のピックウィック(これがレーベル名なのかどうかも判然としないですが)によるThe Orchid Seriesというシリーズの一枚。ポピュラーな名曲が並んでいるので、ビギナー向けのリファレンス企画かもしれませんが、どれも80年代のデジタル録音で、何せ指揮者の顔ぶれがマルケヴィッチやヨッフムなどその後にすぐ亡くなった巨匠達。コンドラシンの録音はこれ一枚だけなのが残念です。《白鳥の湖》《眠れる森の美女》の抜粋をカップリング。

 オケの色彩感が豊かで、この指揮者としても意外に肩の力が抜けた、フレキシブルな演奏。細かいアーティキュレーションやデュナーミクに工夫があり、テンポの採り方も独特です。《トレパック》《あし笛の踊り》は猛スピードで、ヴィルトオーゾ風の合奏。《アラビアの踊り》も駆け足テンポで躍動感があり、合いの手のタンバリンなど連符ではなくトレモロになっていますが、ソロの歌いっぷりにロシア情緒が濃厚に漂う辺りはコンドラシンらしいです。

 《花のワルツ》では弦の第2テーマで毎回、最初は弱く入って繰り返しの所で音量を戻すパターンを踏襲しているのが独特。ワルツのメロディに、オケの艶めいた音色もうまくマッチしています。録音はドライで、やや混濁や聴きにくい箇所もあります。

“オケのパフォーマンス披露を主眼に置いた、見事なまでに整然たる表現”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団   

(録音:1981年  レーベル:テラーク)

 《ロミオとジュリエット》とカップリング。マゼールの同曲録音は今の所これが唯一だと思います。総じて淡白な表情と速めのテンポを採っていて、作品どうこうというよりも、オケのパフォーマンスのための演奏といった印象。特に元々テンポの速い曲は、こうしなければ超絶技巧の披露にならないといわんばかりに急速なテンポで駆け抜けますが、オケも非の打ち所のない合奏力で応えていてさすが。作品自体にもそういう表現を受入れる余地があるので、これはこれで成立していると言えます。

 どの曲も整然とまとめられていますが、唯一雰囲気が変わるのが《花のワルツ》。デリカシー溢れるホルンのハーモニーや艶やかなチェロのカンタービレなど、旋律線に表情が出てくるのと、マゼールの表現もゆったりと柔らかな前半部から、巧みに速度を上げつつ華やかに盛り上げる後半部、少々芝居がかった間で迎えるエンディングと、なかなかの演出巧者ぶりを発揮。

“時に速めのテンポで流すカラヤン。優美なカンタービレも魅力の4度目再録音盤”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《ロミオとジュリエット》とカップリング。両曲共にカラヤン4度目の録音という事で、3大バレエ組曲アルバム自体もフィルハーモニア管、ウィーン・フィルとの古い録音から既にあります。

繫げるやり方は、カラヤンらしいです。《行進曲》は逆に速めのテンポで、小気味好いパフォーマンス。《トレパック》のきらびやかな派手さも、このコンビならではです。《アラビアの踊り》もかなり速めのテンポ。淡々とした表現でも、オケが優秀だとニュアンスが多彩になります。《花のワルツ》はルバートを多用して華やか。厚みのある響きですが、歯切れの良さもあり、艶やかな音色で優美に歌い込んでいます。締めくくりも見事で、正に名人芸といった所。

“オケの巧さを余すところなく生かし、あくまで聴き応えのある演奏に仕上げるアバド”

クラウディオ・アバド指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1991年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 交響曲全集の一環で、第1番とカップリング。アバド唯一の録音です。やや遠目の距離感で収録されており、この曲の場合は、ソロをもう少しクローズアップしてもよかったのではないかと感じます。オケの音色自体は、艶やかで優美。

 《小序曲》は、緻密なアンサンブルをさりげなく展開。オケが巧いと軽い曲でも聴き応えがあります。アタックには張りがあって、生気が溢れる印象。《行進曲》は速めのテンポで軽快。躍動感を全面に出した表現で、中間部もそのままのスピードで名技性を際立たせます。《こんぺいとうの精の踊り》《トレパック》も速めのテンポ。後者はヴィルトオーゾ風の合奏が見事で、歯切れ良くパワフルなクライマックスはほとんど曲芸。《花のワルツ》は、ちょっとしたルバートも盛り込んだカンタービレが素敵で、ディナーミクの演出も細やか。高揚感もありますが、減速せずストレートに終了。

“オケの魅力と指揮者のモダンなセンスが見事に結実した理想的な組曲盤”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団   

(録音:1992年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 他に《白鳥の湖》と《眠れる森の美女》の抜粋をカップリング。こういう三大バレエのハイライト盤というのは、もう滅多に発売されなくなりましたね。この時期のグラモフォンなら恐らくレヴァインを起用するだろうという、大方の予想通りのキャスティングかもしれませんが、ウィーン・フィルの演奏でこういう曲を聴けるというのはやはり贅沢で、それだけでも聴く価値のあるディスクです。

 演奏は、配慮に富んだ見事なもの。速めのテンポで引き締まった造形を施すレヴァインの棒の下、ウィーン・フィルが美音を駆使して素晴らしいパフォーマンスを繰り広げます。特に、弦の響きは聴いてすぐにこのオケと分かる艶やかなものですが、抑制の効いた表現によって華美になりすぎる事はありません。

 又、リズムのセンスが良く、《あし笛の踊り》や《花のワルツ》など、相当に速いテンポが採られているナンバーもあるものの、オケのまろやかな響きに中和されてか、鋭利に尖った印象も与えません。カラヤンの次の世代の表現としては、理想的なものかと思われます。《花のワルツ》では、同じ旋律をリピートする時にアーティキュレーションを変化させるなど、細かい演出も。

オケと録音に疵があるが、個性的な解釈は一聴の価値あり

大野和士指揮 ブラティスラヴァ放送交響楽団

(録音:不明  レーベル:オーパス

 当盤には録音データの記載がなく、解説ブックレットなども封入されていません。チャイコフスキー作品集的な2枚組で、《白鳥の湖》抜粋の他、他の指揮者によるピアノ協奏曲と《イタリア奇想曲》がカップリングされています。大野のチャイコフスキー録音は、バーデン・シュターツカペレとの4番、ザグレブ・フィルとの《悲愴》もあり。

 放送録音なのか音質が劣悪で、強音部では歪みも目立つのが残念。オケの音色もかなりハスキーで、バランスやピッチ、アインザッツなど技術面の不備のせいで、特異な表現に聴こえてしまう場面もあります。《小序曲》《アラビアの踊り》の極端に遅いテンポは印象に残りますが、《あし笛の踊り》中間部のアーティキュレーションも独特。《花のワルツ》は、ゆったりとロマンティックな演奏で素敵です。

 驚いたのは、《こんぺい糖の精の踊り》でチェレスタのパートをピアノで演奏している事。意図的に代用したのか、ブラティスラヴァにはチェレスタがない(失礼)のか分かりませんが、カデンツァを思い切り即興的に演奏してコンチェルトみたいな雰囲気を醸している所、ピアノでの代用を逆手に取った演出で楽しめました。

独自の選曲とロマンティックな表現。アナログ的魅力のオケ

西本智実指揮 ロシア・ボリショイ交響楽団

(録音:2002年  レーベル:キングレコード

 当コンビ誕生初期にリリースされたディスクの一つで、《白鳥の湖》とカップリング。組曲版ではなく、独自の選曲によるミニ抜粋版で、《小序曲》をカットし、《雪のワルツ》や《パ・ド・ドゥ》を加えている他、第1景《クリスマス・ツリー》なども収録しています。作曲家でもある西本らしい視点とも言えますが、彼女は後に日本フィルと全曲盤を録音しています。

 ボリショイのオケは、無骨ながらアナログ的な温もりのあるサウンドで、大阪フィルの響きに驚くほど似ている瞬間も多々あります。欧米の演奏スタイルと違う部分も多く、耳慣れないイントネーションも続出。演奏全体としては、耽美的で粘性の高いロマンティシズムをたっぷりときかせる《花のワルツ》と《パ・ド・ドゥ》が圧巻です。どちらも、作為が鼻につく一歩手前までゆく個性的な解釈。ディヴェルティスマンの各曲では、オケの音色にもう少し華やいだものが欲しい気もします。

[全曲版]

“悪くない演奏内容ながら、オケの魅力と録音の美しさで後年の再録音に軍配”

アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1962年  レーベル:マーキュリー) 

 ドラティ最初の全曲ステレオ録音ですが、オケのコンセルトヘボウ管、フィリップス・レーベルの音質ともに再録音盤に軍配が上がり、当盤はかなり不利。マーキュリーの録音は鮮明で、直接音の生々しさは当盤に利がありますが、豊かな残響とホールトーンの美しさなら再録音盤でしょう。

 演奏は充実しており、引き締まった棒で各部をきりりと引き締めた表現は鮮烈。イン・テンポの箇所も多いものの、各場面を繋ぐアゴーギクや上品なルバートは効果的で、バレエの舞台をよく知るドラティならではのセンスが光ります。テンポは概して速く、音に勢いとスピード感があって、強弱の付け方も敏感。《行進曲》《トレパック》や戦闘場面の、切れ味鋭く俊敏なパフォーマンスは聴き物です。逆に遅めのテンポを採った《道化師の踊り》は格式高いようなユーモラスなような、独特のリズム感。

 旋律線の爽快でしなやかな歌わせ方も魅力的ですが、句読点は極めて明瞭で、フレーズをサクサク切り上げて、輪郭がくっきりと浮かび上がります。オケの音色には魅力が欲しい所。アンサンブルは緊密に統率され、各パートも生き生きとしています。

バレエの神様ドラティと名門コンセルトヘボウの幸福なコラボ

アンタル・ドラティ指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1975年  レーベル:フィリップス

 ドラティの同曲ステレオ盤は、ロンドン響との旧盤もあり。名門コンセルトヘボウと録音はモノラル時代から最晩年まで続きましたが、70年代は空白期で、当盤は珍しいと思います。しかし発売当時から評価が高く、抜粋版や組曲版に編集されて発売されてきた定番ディスク。当コンビは80年代に《眠れる森の美女》の全曲盤も録音しています。

 メロディ・ラインを嫋々と歌わせる事がなく、むしろ、音を明瞭に切ってさっぱりとした語調。しかし、それで音楽が無味乾燥に陥る事はなく、例えば《パ・ド・ドゥ》でも、あまりテンポを動かさないながらも、直情的に、激しくクライマックスに突っ走る様は胸を熱くさせます。曲想の変化が多い第1幕でもイン・テンポを通しているのは、バレエ演奏の経験からきたテンポ設定かもしれません。《トレパック》の、微妙なアッチェレランド効果による激した表情は見事。

 派手さは皆無ながら、雅な美しさに溢れた音彩も魅力的で、戦闘場面と《雪のワルツ》の間を繋ぐ柔和なメロディにホルンが加わる所などは、豊麗でコクのあるコンセルトヘボウ・サウンドの真骨頂。録音も素晴らしく、ブラスを伴うトゥッティでも、深々とした奥行きのある音空間が広がります。

“ポップな色彩と慈愛に満ちたフレージングの個性盤”

アンドルー・デイヴィス指揮 トロント交響楽団

(録音:1979年  レーベル:ソニー・クラシカル

 A・デイヴィスの珍しいチャイコフスキー録音。彼は、グラインドボーン音楽祭で振った歌劇《エフゲニ・オネーギン》が高く評価され、映像ソフトも出ていますが、交響曲の録音などは1枚もありません。このコンビのCBS録音は響きがデッドなものが多く、当盤も、音像は鮮明で隈取りがはっきりしている一方、ステレオ初期の頃のマルチ録音的な雰囲気が無きにしもあらず。

 中庸のテンポでさりげなくまとめたスタイルで、《花のワルツ》やラストの大団円も、イン・テンポであっさり終わってしまいますが、この演奏の最大の魅力は、フレージングの扱い方。下世話な表現かもしれませんが、A・デイヴィスの演奏には、彼が敬愛するバルビローリの美学にも通ずる“愛”があるのです。彼はしばしば、旋律を普通よりも弱く、はかなげに歌わせ、その旋律を慈しむような、デリケートな表情を加えます。

 その意味では、幽玄の世界に遊んだ《雪のワルツ》と、切なくも暖かい《パ・ド・ドゥ》辺りが会心の出来映えで、殊に、前者における少年合唱の扱いは絶品。オケの音色はまるでポップ・アートのようにカラフルですが、タッチがソフトで、どぎつくならないのが美点です。生彩に富んだみずみずしい音感は優美。室内楽的とも言える精緻な合奏、《トレパック》の見事なリズム感などは、思わず快哉を叫びたくなります。

アイデア満載、音の飛沫が散るようなフレッシュ極まりない名演

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1985年  レーベル:ソニー・クラシカル

 CD時代に入り、T・トーマスの新譜がCBSから続々と発売されはじめた頃のディスクの一つ。彼の資質は意外にチャイコフスキーと相性が良く、優れた録音が多々ありますが、これはその中の最高傑作。彼は、作品全体を交響詩のように捉えて一気呵成に演奏しながら、ディティールの繊細なニュアンスに図抜けた表現力を発揮しています。彼自身の言葉を借りれば、正に「たった今、作曲されたばかりのように演奏」されているといって過言ではないでしょう。

 《行進曲》の、音の飛沫が弾け散るような、生命力に溢れた表現に、この演奏の特色がよく表れています。金管の下降音型は隅々までシャープに造形され、鋭利なリズムと刺激的なアクセントが、目の覚めるような効果を生んでいます。生き生きとした愉悦感に満ちている所も魅力。オケも胸のすくように鮮やかなサウンドで好演していて、《スペインの踊り》のトランペット・ソロでは、アドリブ風のパフォーマンスまで飛び出します。

 第1幕のドラマティックな起伏に富んだ音楽作りも出色ですが、所々でやりすぎと思える演出も施しています。例えば、子供達が遊ぶ玩具の擬音のデフォルメと、信じられないほど速いテンポ。それから、午前零時を示す時計の音に段々と低音のエコーが加わり、不気味な衝撃音に変わってゆく所。戦闘場面の主旋律に重ねられた、カズーのような滑稽な音色(おもちゃの戦闘である事を表現しているのでしょうか)。これらは皆、悪く言えばハリウッド映画風にも感じられますが、作品世界の楽しさはよく伝えています。

“指揮者の繊細な感性が生かされた、ベルリン・フィル唯一の全曲録音”

セミヨン・ビシュコフ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

(録音:1986年  レーベル:フィリップス)

 ベルリン・フィルによる当曲全曲盤は長らくこれが唯一の録音でした。歌劇《エフゲニー・オネーギン》から間奏曲、ワルツ、ポロネーズがカップリングされています。フィリップスは当時、ベルリンでの録音を開始してまだ間もなかったと記憶しますが、アムステルダムの場合ほど残響を多く取り入れてはいないものの、耳当たりの柔かい、滑らかなサウンドでレーベルの個性を発揮。ちなみに当コンビはフィリップスにショスタコーヴィチの交響曲を三曲も録音している他、ラベック姉妹と組んだモーツァルトのコンチェルト録音もあります。

 オケのパフォーマンスはニュアンス豊かで素晴らしく、全曲版のファンとしてはベルリン・フィルの録音が実現して良かった!と快哉を叫びたくなりますが、ビシュコフの、隅々まで配慮の行き届いた細やかな指揮も絶品。トゥッティは時に荒々しく感じられる時もある代わり、弱音部の表現はデリカシーに富んで繊細。リズムに対するセンスもたいそう敏感で、軽妙さが際立っています。ただ、全体を速めのテンポで大掴みにしたような表現はシンフォニックな傾向のもので、バレエ的、舞曲的な味わいには乏しいかもしれません。

“聴き所が目白押し。何度聴いても色々と教えられる事が多い、超絶的な名演”

ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団

(録音:1986年  レーベル:メロディア)

 当コンビは《白鳥の湖》の全曲盤、3大バレエの抜粋アルバムも録音している他、チャイコフスキー響に改名後にも同曲を再録音しています。当盤はビクターから日本盤も出た音源で、これも先に国内発売された《白鳥の湖》と共にものすごい名演。

 音色や合奏に多少きめの粗い所もなくはないですが、細部まで生彩に富んだ表現で、オケが鋭敏に反応していて鮮烈。フェドセーエフの棒は格調が高く緩急巧み、耳を惹き付ける名人芸の連続で、ポピュラーな名曲であってもまだまだ教えられる事が多いです。

 例えば《小序曲》は速めのテンポできりりと引き締めながら、終始緊張度の高いアンサンブルを構築しているし、この速度が幕開けにうまく繋がっているのも、作品を知り尽くした効果。《行進曲》もタイトなテンポでてきぱきと進行しながら、随所にメルヘンチックな音の飛沫を散りばめていて見事という他ありません。それでいて、ゆったりとした場面ではスロー・テンポで大らかに各パートを歌わせていて、ロシアの大地に根付いたスケールの大きさも感じられます。

 フェドセーエフはオペラやバレエのピットでも指揮する人で、舞台を彷彿させる呼吸感も豊か。特にテンポのさじ加減は巧妙で、通常より遅めか速めの設定も多いのに、それらがことごとく強い説得力を伴う所が凄いです。地を這うようなテンポに幻想的なコーラスの効果が素晴らしい《雪のワルツ》、彫りの深い筆致で各曲の性格を描き分けたディヴェルティスマン、優美なタッチに本物の風格と香気が漂う《花のワルツ》儚くも切ない叙情が溢れる《パ・ド・ドゥ》など、聴きどころは目白押し。

“良く言えばソフィスティケイトされて上品。「超」が付くほど真面目一徹を貫く小澤”

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団

(録音:1990年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《眠れる森の美女》組曲とカップリング。当コンビは70年代に《白鳥の湖》全曲盤も録音している他、小澤はパリ管と、同曲及び《眠れる森の美女》の組曲をフィリップスに録音しています。過剰に突出した所のない上品な語り口で、ソフィスティケイトされた良さはあるのですが、その方向で徹底しているデュトワ盤と較べて当盤は不利。

 オケの音彩は滑らかで美しく、フランス音楽でメリットになっているパステル調の色彩感も素敵です。雪の森を行く辺りの、まろやかでソフトな響きなどはすこぶる魅力的。純音楽面での充実はさすがで、合奏は細部まで完璧に統率されているし、細かい音符まできっちりアインザッツを揃えています。時にパリっとしたアクセントを加える、シャープなリズム処理も小澤らしいもの。

 各場面を丁寧に描写している点も指揮者の几帳面さを表していて、テンポもこれくらい中庸で安全運転の方がバレエは踊りやすいのでしょうか。少なくとも音だけの観賞にはT・トーマスやゲルギエフのような、ショーアップした演出が出来る人の方が向いているのかもしれません。ディヴェルティスマンも舞曲の性格や民族性が強調される事はないし、ドラマティックな場面で大胆なアゴーギクが採られる事もなく、あくまで優等生的で穏便です。

 又、おもちゃの効果音などは一切使われず、ねずみとの戦闘でも開始の銃声はなく、ただのゲネラルパウゼで処理。全曲盤もいまや数多く発売され、上手いものも下手なものも、はっちゃけたものも端正なものも色々ありますが、こういう、「超」の付くほど真面目一徹の演奏は稀なように思います。

“スコアを洗い直し、作品を初々しくフレッシュに甦らせる、ヤンソンス一流の名演”

マリス・ヤンソンス指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:EMIクラシックス)

 ヤンソンス唯一の全曲盤。彼はオスロ・フィルとのアンコール集アルバムで《パ・ド・ドゥ》を取り上げていて、それも素晴らしい演奏でした。ロンドン・フィルとの共演盤は少ないですが、他にはショスタコーヴィチの15番とピアノ協奏曲第2番、組曲《馬あぶ》を組み合わせたアルバムが出ています。残響音の豊かな録音ながら、カラフルで華やいだムード。スケールも大きく、オケが好演しています。

 《小序曲》は遅めのテンポで、すこぶる優美なフレージング。特に弦の旋律線は、ニュアンスが多彩で美しいです。幕が開いても、ゆったりとした佇まいで、実に丁寧な造形。一方ではティンパニやブラスなど、鋭利なアクセントにも欠けていません。《行進曲》も、冒頭のファンファーレのデリケートな表現が独特。

 各場面の描写は生き生きとして変化に富み、アイデア満載。リズム感と音感に、卓越した感性を聴かせ、優れた洞察力のおかげで、初めて聴くかのような新鮮な音楽に生まれ変わっています。テンポは振幅が大きく、大胆なルバートやアーノンクールばりに音楽上の対話を行う場面もあり。部分的には極端に速いテンポで煽るなど、間延びを防いでいる箇所もあります。

“華やいだムード、抜群のリズム感と美麗そのものの響き。デュトワ美学、ここに極まれり”

シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団          

(録音:1992年  レーベル:デッカ)

 バレエ《オーロラ姫の結婚》(ディアギレフ版)をカップリングした二枚組。とにかくセンスが良い! このコンビのロシア音楽は、時に淡白すぎて味気ない事もありますが、当盤はニュアンス豊かな名演となっています。音色が美麗である事はもとより、まったくもって魅力的なのが旋律の歌わせ方で、ちょっとしたフレーズにもはっとさせられる瞬間が多々あります。《パ・ド・ドゥ》の甘く悲しいカンタービレなんて心をとろかすような歌い口で、聴いた瞬間にコロリとやられてしまうほど。

 一方で、ブラス・セクションの響きが案外ソリッドで刺激的なのは、アンセルメの世代と違う現代性でしょうか。第一部やディヴェルティスマンの各曲など、舞曲の造形は他の追随を許さぬ仕上がりで、弾むようなリズム感や華やいだ雰囲気、洗練された佇まいなど、80年代以降におけるバレエ音楽の第一人者たる矜持を感じさせる堂々たる名演だと言えるでしょう。語り口も巧みそのもの。

“劇場の雰囲気を身にまとった指揮者とオケによる、独特のドラマティックな表現”

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 キーロフ歌劇場管弦楽団

(録音:1998年  レーベル:フィリップス)

 フィリップスは同曲全曲盤のレコーディングに積極的で、70年代のドラティ盤、80年代のビシュコフ盤、90年代の当盤と、10年周期で水準の高いディスクを制作して気を吐いています。ドイツのバーデンバーデンで収録された当盤は、ディスク一枚に全曲が収められている事からも分かる通り、極めて速いテンポで勢い良く駆け抜ける、躍動感溢れる演奏。

 とは言っても全ての曲が一律に速いわけではなく、組曲に入っている有名な舞曲などはむしろ遅めのテンポで演奏されているものもあります。そういったテンポや強弱の落差を大きく付けて、実にドラマティックに音楽をドライヴしている他、弦のトレモロや特定の音型を部分的にを強調して鮮烈な効果を上げたり、刻みリズムに鋭いアクセントを付けて音楽を煽ったりと、とにかく変化に富む表現。《雪のワルツ》クライマックスの追い込みなど、凄まじいものがあります。

 冒頭の小序曲をはじめ、レガート気味のフレージングが目立つ弦楽群は柔らかな響きが印象的で、やや近接気味にクローズアップされている木管のソロもまろやかな耳当たりが心地よいものです。《アラビアの踊り》のような、表情を付けるのが難しい静かな曲でも、強弱を細かくコントロールして豊かなニュアンスを生み出しているのはさすが。同じロシア人でも、ビシュコフとは少し違って劇場的なムードを強く打ち出しているのは、オペラやバレエの舞台に長年携わってきたこの指揮者とオケの長所といえるでしょうか。チャイコフスキーらしい甘く悲しいメロディをたっぷりと歌わせる箇所では、ゲルギエフの手腕に唸らされます。

“旧盤とはがらりと解釈が変わり、スロー・テンポで濃密に歌い込む再録音盤”

ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 チャイコフスキー交響楽団

(録音:2003年  レーベル:レリーフ)

 同コンビは《白鳥の湖》の全曲盤、三大バレエの抜粋アルバムも録音している他、改名前のモスクワ放送響時代にも同曲の全曲録音があります。フェドセーエフ自身が編曲した《眠れる森の美女》の組曲をカップリング。

 17年ぶりの再録音となりますが、解釈ががらりと変わっているのが驚き。旧盤は速めのテンポで造形をタイトに引き締める場面も目立ちましたが、今回は1曲目からスローなテンポで、語り口が老練です。例えば《ドロッセルマイヤーの贈り物》の三拍子のエピソードや《アラビアの踊り》は極度に遅いテンポで演奏していますが、それによって他の演奏にはない豊かな情緒を醸成するのに成功。

 全体を遅くしているため、緩急やメリハリは消失したし、腰が重く感じられる箇所もあちこちありますが、その分、ディティールの雄弁さと恰幅の良さが増しました。聴いていて「あれ?」っと思うほど、アーティキュレーションやフレージングのイメージが変わっている箇所もあります。旋律線を濃密に歌い込む傾向はより徹底している印象。《花のワルツ》などは舞曲の性格よりも、ほとんど歌の粘りで押してゆく表現になっています。

“邦人演奏家のみによる初の全曲録音。聴き所多い佳演ながら、オケの音程に問題残す”

西本智実指揮 日本フィルハーモニー交響楽団  

(録音:2008年  レーベル:キングレコード)

 邦人演奏家のみによる初の全曲録音。大手レーベルが長引く不況のため、費用のかかるスタジオ録音を控えているこのご時世、キングレコードの英断に拍手です。それもこれも、宝塚歌劇のスターみたく女性ファンの層が厚いこの指揮者の新譜ならではという事でしょうが、彼女ほどの実力派であれば、それで新譜がどんどん出るのならタカラヅカ型人気も歓迎です。

 オケは弦も管もピッチの甘い箇所が多々あり、特にトロンボーンの音程など耐え難い部分もありますが、各部の表情は生き生きとしていて、滑らかな響きも聴かせます。指揮者の表現も細部まで神経の通ったもの。敏感なリズムやスケールの大きな起伏、柔らかなニュアンスなど聴き所も満載です。すでに彼女はボリショイのオケと組曲版を録音していますが、旧盤と同様《花のワルツ》《パ・ド・ドゥ》は全曲を通じての白眉。旋律線が美しく、大胆な表情付けで熱く盛り上げます。録音会場は演奏会用ホールなのかどうか、若干低域と奥行きが浅い印象ですが、トゥッティは音の延びもよくて聴きやすいです。

“強弱の交替を頻繁に盛り込みながらも、感情的起伏には少々乏しい話題盤”

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団    

(録音:2009年  レーベル:EMIクラシックス)

 ラトルはチャイコフスキーにあまり熱心ではなく、本格的に取り組むのは当盤が初めて。近年はコンサートでもこの曲を取り上げ、ラン・ランをソリストにピアノ協奏曲も演奏した映像ソフトが出ています。ちなみに国内盤はHQCD仕様の上、インタビューと演奏風景収録のDVD付き3枚組で3200円と超お買い得盤で、こういう趣向は大歓迎。

 どのナンバーでも強弱の交替を頻繁に盛り込み、ニュアンスは非常に豊かですが、感情的に激するような場面はダイナミクスも表情も抑制気味。テンポも極端に動かす事のない、アンチ・チャイコフスキー的なアプローチですが、流麗にメロディを歌わせる部分は、オケの資質を生かして十二分に美しいカンタービレを聴かせます。クライマックスの大団円も演出が上手く、実に立派な音の大伽藍を築き上げますが、ベルリン・フィルの録音としてはビシュコフ盤に軍配が上がります。

“スピーディなテンポで一気呵成に駆け抜けつつ、随所に新鮮な解釈を適用”

ネーメ・ヤルヴィ指揮 ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2013年  レーベル:シャンドス)

 3大バレエ全曲録音から。残響を豊富に取り込んだ録音ですが、細部のフォーカスが甘く、もう少し直接音をクローズアップして欲しい所。CD1枚に全曲を収録している事からもテンポの速さが窺え、冒頭の《小序曲》からそのスピードに驚かされます。ただしニュアンスは非常に豊かで、実はテンポもかなり緩急を付けて、細かく間合いを挟んだりしています。

 幕開きも快速調で、大きな変化に乏しい第1幕前半部を、タイトな棒できりりと引き締めているのがヤルヴィ父らしい所。《行進曲》もそうですが、一旦ピアニッシモに落としてクレッシェンドするという、スコアにないデュナーミクが目立ちます(故マリス・ヤンソンスの得意技でもありました)。強弱に限らず、フレーズの扱いも独特で、随所に新鮮な発見が聴けるのは魅力。新録音はこうでなくてはと思います。

 ただし語り口には淡白な面もあり、ネズミとの戦闘場面などは、この指揮者にしては意外に淡々として事務的。《雪のワルツ》も快速調ですが、細部が鮮やかに主張してくる感じはありません。ディヴェルティスマンの各曲は、シンフォニックな性格ながら明快な描写力が光り、輪郭をくっきり切り出しているのが好印象。《花のワルツ》も急スピードで流しつつ、細かなデュナーミクの演出を付与しています。唯一、どんどん加速して煽りつつ、中途に大きなルバートを挟む大団円は、ヤルヴィ父らしい斬新な棒さばき。

“真面目な態度ながら、フレッシュな感性と感動に溢れたすこぶる美しい演奏”

グスターヴォ・ドゥダメル指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:2013年  レーベル:ドイツ・グラモフォン) 

 ライヴ収録による珍しい全集盤。ドゥダメルは同時に映画《くるみ割り人形と秘密の王国》のサントラも担当し、こちらはフィルハーモニア管の演奏ですが、あくまでも原曲の抜粋を基にジェイムズ・ニュートン・ハワードが作曲した映画音楽です(ただしラン・ランとジェイムズ・エーネスも参加していて、クラシック・ファンにも聴き応えあり)。

 まずもって正攻法の棒ながら、これほど格調高く、隅々まで丁寧に演奏されている事に驚き。ライヴといいながら、こんなにも美しく磨き上げられた響きで、細部まで緻密な描写を徹底させた演奏はなかなか無いのではないでしょうか? しかもそこには、この指揮者らしいスコアに対する真摯な対峙、初々しい驚きと音楽への喜びが感じられます。それがオケにも伝染して、フレッシュなライヴ・パフォーマンスになっているのでしょう。

 あくまで真面目に克明な処理を貫くものの、その几帳面さが小澤盤のような生硬さに繋がる事はありません。アーティキュレーションやダイナミクスにすこぶる敏感に反応しているせいか、全篇に目の醒めるような生気が横溢。例えば《あし笛の踊り》のフルート二重奏は、日本のオケを始め、細かい音がぞんざいに素通りされていると感じる事が多いですが、末端まで血の通った当盤の細やかなニュアンスは見事。

 特異な解釈こそないものの、《アラビアの踊り》のようにぐっとテンポを落として濃厚な情感を表出する場面もありますし、概して緊張と緩和の呼吸が上手く、戦闘場面でのシリアスな緊張度の上げ方も迫力満点です。正に全力投球といった調子で、随所にシンフォニックな充実感あり。《花のワルツ》の堂々たる恰幅と優美なタッチ、《パ・ド・ドゥ》の真情の込められた感興の高まりも感動的です。ユロフスキ盤の図抜けた才気にこそ及ばないものの、新世代の名演として推したい一枚。

“伝統的なロシアン・スタイルとモダンなセンスが融合した、新世代を代表する名盤”

ウラディーミル・ユロフスキ指揮 ロシア国立アカデミー管弦楽団

(録音:2019年  レーベル:ペンタトーン)

 3大バレエ全曲録音から。ただし形態はバラバラで、ライヴ収録の当盤と違って《白鳥の湖》はセッション録音、また《眠れる森の美女》はライヴですが別のレーベル(ica)から出ています。オケは、長年に渡って名匠スヴェトラーノフの手兵だった旧・ソビエト国立響。

 このコンビの3大バレエ録音はどれもすこぶる付きの名演で、強くお薦めしたい所。特に同曲以外の2作は作品自体がやや冗長なので、そのデメリットを忘れさせる演奏の力を特筆大書したいです。一方当盤は作品が魅力的な分、演奏としてオーソドックスに感じられるかもしれませんが、オケの個性、端正ながら濃密でニュアンスに富む表情、しなやかな歌心、鋭敏なリズム、生き生きとしたディティールなど、美点はいくらでも挙げられるほど。

 通常は力で押すような強音部で敢えて脱力し、優美に歌わせる傾向があるのと、管楽器のバランスに独特の配慮があって、聴くほどに新鮮な発見のある演奏です。颯爽としたテンポで流麗に造形しながら、驚くほど色彩と歌い回しの変化がある《花のワルツ》、信じられないほどまろやかな音で入ってくる《パ・ド・ドゥ》のチェロなどは、ぜひ注目して欲しい聴き所。

 オケがとにかく素晴らしく、深みと温かみと若干の野性味がある音色、レガート気味の情緒濃厚なフレージングなど、典型的なロシアン・スタイルを維持しつつも、響きは現代的に磨き抜かれていて美麗。しかも、各部の語り口に滋味豊かな味わいがあります。全曲がCD1枚に収録されていますが、快速テンポではなく、音楽全体に落ち着いた大人の佇まいがあるのは、ユロフスキの並外れた才能のみならず、オケの性質も大きいのではないでしょうか?

[映像ソフト]

“重厚な独自路線を行くオケ。バレエはハイ・レヴェルながら演出に問題あり”

ダニエル・バレンボイム指揮 シュターツカペレ・ベルリン

演出:パトリス・バート (収録:1999年)

 当コンビには《白鳥の湖》の映像ソフトもありますが、バレンボイムは音源のみのメディアではチャイコフスキーの3大バレエを録音していません。録音にやや問題があり、オケが近接したバランスで収録されている割に高音域がややこもりがちで、残響もデッド。少年合唱の距離感が異様に近く、演奏も含めて粗が目立つ印象です。

 バレンボイムは概して遅めのテンポで各部を丹念に描いていますが、強弱の設定やフレーズの捉え方など、一般的な解釈とはかなり異なる部分の多い演奏。スコアにない弱音や、突発的なアクセント、強調的なフレーズの隈取りなども頻出します。旋律はたっぷりと歌わせていますが、ロシア風とも西欧風とも違うのが、バレンボイムが指揮するロシア音楽の特色。

 総じて《小序曲》や《行進曲》など、メルヘンチックで軽妙さや敏感さが欲しいナンバーには違和感あり。逆に、《アラビアの踊り》や《花のワルツ》《パ・ド・ドゥ》《金平糖の精の踊り》などは超スロー・テンポで濃厚な情緒を表出していて、他ではあまり聴けない斬新な魅力もあります。重厚で、瞬発力には欠けますが、バレエのピットにこんな顔合わせは豪華なせいか、オケの楽員も全員舞台に上げたカーテンコールでは凄まじい歓声。 

 問題なのは、指揮者の意図なのか演出家の意図なのか分かりませんが、スコアを勝手に切り貼りして構成を改変している点。冒頭に戦争の場面を持ってきて、主人公に不穏な背景を与えているのも余計な演出ですが、後のネズミとおもちゃの戦争の(正当な)箇所はすっ飛ばしていて、同じ音楽を二度繰り返す訳でもなく、移動させて無理に接続しただけです。第2幕の最初の箇所も、振付に合わせるためかスコアをいじった妙な継ぎはぎがあり、ディヴェルティスマンには原曲に無い謎の曲を付加。

 私はバレエに全く不案内なので、ベルリン国立歌劇場のバレエ団がどれほどのレヴェルなのかよく分からないのですが、素人目には個々のダンサーのレヴェルが非常に高く、会場の反応も熱狂的。《アラビアの踊り》《パ・ド・ドゥ》《金平糖の精の踊り》辺りには聴衆から盛大なブラヴォーが来ています。振付・演出はマリウス・プティパのオリジナルを元にした一見伝統的なもので、人物の動きやフォーメーションも見応えがあります。

 ただ、やはりドラマの設定に演出家の自意識が前に出て、踊りに集中しにくいです。全体を仕切っているらしいドロッセルマイヤーの役回りも判然としません。これも素人意見ですが、各ナンバーの締めくくりなど音楽との関連で言えば今一つぴしっと決まらない、切れの悪い感じもあります。衣装は華やかですが、セット美術は簡素。

“演出と振付に問題あるも、歌劇《イオランタ》との同時上演で秀逸な演奏内容”

アラン・アルティノグリュ指揮 パリ・オペラ座管弦楽団

演出:ドミトリ・チェルニアコフ (収録:2016年)

 このパリ・オペラ座、ガルニエ宮の公演は珍しい歌劇《イオランタ》との同時上演で、俊英アルティノグリュの演奏。近年あらゆる歌劇場を席巻していると言えるほど人気を独占しているチェルニアコフは、音楽に詳しく、スコアも見ずにテノールのパートを歌いながら歌手に演技を付けるほどの才人。手放しで絶賛できる演出ではないものの、音楽を大切に扱い、歌手にエモーショナルな表現を付けるやり方は納得の行くものです。

 1幕物の素敵な歌劇《イオランタ》(こちらは素晴らしい演出!)が、バレエ《くるみ割り人形》の居間で行われる劇中劇という設定で、オペラの出演者が帰ってゆくと、そのままバレエが始まる秀逸な演出です。又、《イオランタ》のヴォデモン伯爵が《くるみ割り人形》のマリーに心を寄せるなど、2つの世界をリンク。演出家も語っていますが、マリー役ダンサーとイオランタ役の歌手が手を繋いでカーテンコールに登場する所は、見ていて胸が熱くなります。

 ただ、バレエ自体は問題おおあり。伝統的なプティパの振付を使用せず、コンテンポラリー・ダンスの3人の振付師を起用したのはいいですが、その振付自体が問題です。主に前半の居間のパートを担当しているアーサー・ピタは、ミュージカル風のリズミカルな動きはいいものの、やたらと掛け声や笑い声、拍手などを盛り込んで騒々しく、音楽もかき消してしまいます。

 真夜中の鐘が鳴るとエドゥアール・ロックの振付に代わり、ダークなムードへ転換しますが、これが両手を機械的に高速で動かす滑稽な振りで、Perfumeのダンスを倍速でやっている感じ。曲の拍節感とも全く合っていないし、全員がひたすらこれをやり続けるので変化に乏しく、すぐに飽きてきます。振付師はきっと象徴的な意味合いを主張するでしょうが、それも怪しいものです。

 演出も問題で、曲の序奏部をしばしば蓄音機の録音に置き換えていますが、正に演奏者への冒涜。戦闘場面は設定が無視され、居間の客人達がエキセントリックに踊り狂い、最後に背後のスクリーンが爆発して、SEの長い爆音でオケの音をかき消します。巨大な現代玩具に囲まれて踊るディヴェルティスマン以降が最も無難ですが、《花のワルツ》の主題をハーモニカでリフレインさせるのは、全く陳腐で無駄な演出。セット美術が美しく、古典的なのだけが救いです。

 俳優のようなルックスも目を惹くアルティノグリュはもう中堅ですが、メディアはオペラの映像ソフトがほとんどで、音楽誌でもほぼ取り上げらていません。歌曲伴奏の録音が数点あるピアニストでもあり、各地の歌劇場で活躍している点は、レヴァイン、サヴァリッシュ、パッパーノの系譜。ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールにも、客演時の映像が配信リストに入っています。

 何といっても発売ソフトがR・コルサコフの《金鶏》、オネゲルの《火刑台上のジャンヌ・ダルク》、マスネの《テレーズ》、ラロの《フィエスク》、バーナード・ハーマンの《嵐が丘》など、心憎いほどマニアック。メジャー曲でさえ、チューリッヒ歌劇場での《ペレアスとメリザンド》《さまよえるオランダ人》と、意外に映像ソフトが少ない作品をチョイスしている辺り、かつてのT・トーマスやラトル、サロネンのメディア展開を思い出させます。

 演奏はフレッシュな感性が生き生きと充溢した、素晴らしいもの。バレエの伴奏ゆえか、あまり大胆なアゴーギクや極端なメリハリは付けませんが、オケの明朗な音色を生かし、優美で気品のある音楽を作り上げています。劇的な抑揚、鋭敏なリズム、溌剌とした躍動感、ロマンティックな歌心、鮮やかな色彩、ソフィスティケイトされた語り口と、およそ全方向の美点を持ち合わせた名演と言えるでしょう。

 音楽単体のソフトでも、ここまでハイ・クオリティの演奏はなかなかないですから、ぜひ音盤化を求めたい所。効果音や出演者の声で音楽がかき消される場面も多いので、なおさらです。ベル・エア・クラシックスが発売し、ナクソス・ジャパンが輸入販売する映像ソフトも、入手困難なのが残念。ブルーレイも出ているし、日本語字幕付きなので、心を揺さぶるロマンティックなオペラ《イオランタ》を観るためにも、入手する価値はあると思います。

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