ストラヴィンスキー/バレエ音楽《火の鳥》 1910年全曲版

*紹介ディスク一覧

59年 ドラティ/ロンドン交響楽団  

72年 小澤征爾/パリ管弦楽団

75年 ブーレーズ/ニューヨーク・フィルハーモニック

78年 C・デイヴィス/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団  

79年 ドホナーニ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

80年 秋山和慶/トロント交響楽団

82年 ドラティ/デトロイト交響楽団

83年 ドホナーニ/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団  

83年 小澤征爾/ボストン交響楽団  

84年 デュトワ/モントリオール交響楽団   

87年 ラトル/バーミンガム市交響楽団   

88年 マータ/ダラス管弦楽団

88年 サロネン/フィルハーモニア管弦楽団

88年 ハイティンク/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 

89年 インバル/フィルハーモニア管弦楽団  

92年 ナガノ/ロンドン交響楽団   

92年 ブーレーズ/シカゴ交響楽団

93年 ウェルザー=メスト/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 

93年 飯森範親/モスクワ放送交響楽団

97年 デ・ワールト/シドニー交響楽団

98年 T・トーマス/サンフランシスコ交響楽団

09年 ネルソンス/バーミンガム市交響楽団  

10年 ロト/レ・シエクル    

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[1910年全曲版]

 

“引き締まったテンポ、高い演奏能力と作品を知り尽くした棒さばき”

アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1959年  レーベル:マーキュリー)

 ドラティは同時期にミネアポリス響と《春の祭典》《ペトルーシュカ》を録音している他、後年デトロイト響と3大バレエ全曲を再録音しています。このレーベルらしい、すこぶる鮮明な録音。残響が適度で、ドライになりすぎないのは好印象です。

 演奏は語調が明瞭。引き締まったテンポを維持し、高い演奏能力とスコアを知り尽くした棒さばきで、鮮やかなパフォーマンスを繰り広げます。輪郭がぼやけがちな前半部も、細部まで隈無く照射してシャープに造形。発色も良く、音抜けが抜群です。リズム感も鋭敏。各パートが雄弁に語りかける趣で、思わず惹き付けられる語り口です。一方で、艶っぽくしなやかなカンタービレも魅力的。打楽器の腰の強さやブラスの切れも痛快で、《カスチェイの踊り》《フィナーレ》など組曲にも入っている人気曲も秀逸な表現です。

“全編にパリ管の華麗なサウンドが溢れる異色の《火の鳥》”

小澤征爾指揮 パリ管弦楽団

(録音:1972年  レーベル:EMIクラシックス

 70年代初頭にパリ管弦楽団と数点のレコーディングを行っている小澤ですが、当盤はその代表作の一つ。彼はボストン交響楽団ともこの版を再録音している他、過去に組曲版も録音しています。一言で表すと、全曲版きっての個性盤。全編に渡ってパリ管の華麗なサウンドが響き渡る、異色の《火の鳥》と言えます。

 アンサンブルは必ずしも統制がとれておらず、随所でアインザッツが乱れますが、往時のパリ音楽院オケの響きを彷彿させる、明るく艶やかな色彩感が溢れかえる様はまさに圧巻。若き小澤のフレッシュな感性もオケの体質にマッチしているようです。ゆったりしたテンポでテヌート気味のフレージングを徹底させた《カスチェイの踊り》も、面白い表現だと思いました。

“緻密に立体的音響を作り上げるブーレーズ。当曲の代表盤”

ピエール・ブーレーズ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

(録音:1975年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ブーレーズ最初の全曲録音。後にシカゴ響と再録音していますが、こちらは長年に渡って代表盤とされてきたディスクで、私も愛着を持っています。ただ、様々な演奏が出揃った今の耳で聴くと、これはむしろ特殊な演奏かもしれません。組曲盤と同様、冒頭から非常に速いテンポで曲を進めていて、管楽器のフレーズはやはり、おしなべて音価を長めに取って流動性を強調しています。

 所々アンサンブルは乱れますが、響きの透明性が確保され、各楽器の音が明瞭に立ちあがるという、徹底して分析的なアプローチ。オケの特質もあってか、低音域が豊かでソロもみな達者ですが、作品が持つ幻想味や官能性には接近したくない様子です。特に、チェレスタやシロフォン、木管などが織りなす立体的音響は、新ウィーン学派にも繋がるような響きを作品に聴き取っている例で、比較的穏健な作品だと思っていた《火の鳥》に新たな光を当てられたような驚きがあります。

 カスチェイが登場する辺りなど、ほとんど駆け足のようなテンポでさらっと流していて、一定の音量以上は絶対に鳴らさない冷静さもブーレーズならでは。メリハリや強いコントラストには不足しますが、8割くらいの力で余裕たっぷりに演奏されるフィナーレなどは、やはり相当にユニークな解釈です。もっとも、ぐっとテンポを落としてスケール大きく盛り上げる一面もあり、聴き応えには不足ありません。

“指揮者の並外れた劇的センスが全編に渡って充溢。オケの魅力も満載”

コリン・デイヴィス指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団  

(録音:1978年  レーベル:フィリップス)

 3大バレエ録音の一枚。全曲版は作品自体に冗長な箇所もあるため、オケが一流でないと印象が散漫になる事も多いですが、当盤はコンセルトヘボウ管の滋味豊かな表現力に魅了される一枚。ソロの美しさや豊麗なトゥッティも、素晴らしい聴きものです。

 デイヴィスは、元来シンフォニックな資質を持つ指揮者だと思うのですが、バレエ音楽やオペラに見せる演出巧者ぶりには並外れた劇的センスを窺わせます。当盤も、前半部の変化に富んだニュアンスや、《カスチェイの踊り》に至るまでの手に汗握るスリリングな音楽設計、鋭いリズム感、終曲の雄大なスケールなど、聴き所満載。《カスチェイの踊り》は、手際良い交通整理でうまく山場を形成できている演奏が意外と少ないのですが、デイヴィスの棒さばきは痛快の一言。胸のすくようなアンサンブルに舌を巻きます。

“ウィーン・フィルの抜きん出た魅力と卓越した棒さばき。掛け値なしに同曲最高の名盤の一つ”

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1979年  レーベル:デッカ)

 当コンビが英デッカに継続的なレコーディングを行っていた頃の一枚。《ペトルーシュカ》やバルトーク、ベルク、メンデルスゾーンなども発売されました。ドホナーニには、どうもクールで淡白な指揮者というイメージが付きまといますが、実際には演出巧者で深いコクのある演奏が多く、当盤もその一枚と言えるでしょう。

 オペラが得意な人だけあって演奏設計は確かで、急速なテンポを採った《火の鳥の踊り》や、《子守唄》導入部のねっとりとしたフレージング、幻想味の豊かさなどはとても印象的。テンポはよく動きますが、どの部分もミリ単位の精緻なコントロールで確信に満ち、むしろこれ以外のテンポは考えられないという感じすら抱かせられます。あらゆる音符が意味ありげにメッセージを発してくるのも、ドホナーニのディスクに共通する特色。

 《王女たちのロンド》《カスチェイの踊り》も、独自の音量バランスや大胆なテンポ・チェンジなど、巧みな語り口で進めます。後者から《子守唄》に至るブリッジ部分は、ほとんど白玉音符のロングトーンだけという単純な音楽なのに、なぜこうも雄弁なのか、驚きという他ありません。全曲版は前半部が単調になりがちですが、ウィーン・フィルの弦楽セクションの表現力がそこここに聴き所を作っていて圧巻。掛け値なしに同曲最高のディスクの一つです。

“カラフルな音彩と落ち着いた表情。尖鋭さや現代性は欠如気味”

秋山和慶指揮 トロント交響楽団

(録音:1980年  レーベル:オルフェウム・マスターズ)

 当時の手兵ヴァンクーバー交響楽団とカナダCBCに多くのレコーディングを残している秋山和慶ですが、これは珍しくトロント響を振った録音。アンドルー・デイヴィスが同オケを振った《春の祭典》とのカップリングでCD化されています。

 演奏は彼らしく、ゆったりと落ち着いたテンポで、抜群の安定感を持った音楽を展開。流線型の滑らかな造形ながら、打楽器のアクセントが要所を引き締めています。オケの瑞々しくカラフルな音彩は素晴らしい効果を上げていて、各部の表情も豊か。スケールも大きく、立派な演奏ではありますが、表現としては最大公約数的で、作品が持つラディカルな現代性や尖鋭さ、響きの官能性みたいなものは、ほとんど出てこない憾みもあり。何度聴いても不思議と印象に残らないのは、その辺りに原因があるのかも。

“スコアを深く読み込み、氾濫する音符に意味を与えてゆく、ドラティ最後の再録音盤”

アンタル・ドラティ指揮 デトロイト交響楽団

(録音:1982年  レーベル:デッカ)

 三大バレエ録音の一枚。ドラティは過去に何度もこの曲を録音しています。さすがはバレエ音楽を得意とする彼だけあって、実に鮮やかな棒さばき。単にシャープで切り口が鋭いだけでなく、フレーズの歌わせ方が堂に入っていて、音が目詰まりする事がないのが爽快です。又、音の動きの意味深さがよく吟味されているようで、前半部分など、これほど面白く聴ける演奏も稀ではないでしょうか。

 《カスチェイの踊り》がスローなテンポでやや重厚に過ぎる一方、フィナーレ直前の弦のトレモロ部分は通常の倍以上のスピードで早々に次の和音に移ってゆくなど、聞き慣れたテンポ設定とは異なる箇所もありますが、全体的な安定感とスコアの読みの深さには脱帽です。後半部も間合いがたっぷりとして情感豊かで、色彩的にもカラフル。フレージングのしなやかさにも事欠きません。デトロイト響よりもずっと優れたオケを起用している他盤がなぜこのような演奏を実現できないのか、不思議なくらい。

“旧ウィーン盤に匹敵する美音の応酬。細部の明晰さも驚異的”

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1983年  レーベル:PRAGA)

 79年にウィーン・フィルと名盤を残しているドホナーニですが、これは珍しくチェコ・フィルと共演した国営放送のライヴ盤。なぜかハルモニア・ムンディ傘下で、フランス製作されています。カップリングはガエターノ・デローグが同じオケを指揮した、《カルタ遊び》。文化宮殿での収録ですが、残響はたっぷりとしていて直接音も鮮明。潤いがあって非常に美しいサウンドで、スプラフォンがドヴォルザーク・ホールで録音したものと比べても全く遜色がありません。

 演奏はウィーン盤を踏襲した解釈ですが、こちらもオケの魅力が全面に出た素晴らしい仕上がり。水もしたたるような美音に彩られた、どこまでも美しい《火の鳥》です。ただ、造形が徹底して明快で、細部まで音楽の輪郭がくっきりと切り出されるのは正にドホナーニ。あらゆるフレーズが雄弁に語り、ドラマが生き生きと語られるのもウィーン盤と共通の美点です。弱音やディティールをすこぶる精緻に彫琢しているので、全体がまるで細密画のような解像度に達しているのは驚異的。

 各パートが艶っぽく、しなやかに歌うのはアンチェル時代から続く同オケの美質。前半の弱音部や《王女たちのロンド》で非常に速いテンポを採り、音楽を間延びさせずにぐいぐい牽引してゆく棒さばきもさすがです。《カスチェイの踊り》は明晰そのもので、どこまでもクール。合奏の乱れもありますが、描写の精度は極めて高いです。

“音の優先順位をきっちり付け、明快なアウトラインを描き出す鮮烈な名演”

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団

(録音:1983年  レーベル:EMIクラシックス)

 パリ管との72年盤から11年後の再録音。同じ指揮者が同じレーベルに再録音するような曲とは思えませんが、我がレーベルのデジタル録音最初の《火の鳥》は小澤征爾でという、それだけ信望が厚かったという事でしょう。ボストン響のEMI録音自体が非常に珍しく、その点も異例の企画という感じがします。カラフルな色彩は共通ですが、直接音をヴィヴィッドに拾ったマルチミックス的録音のせいもあって、旧盤とは全く異なるサウンド・イメージ。ボストン響の音も、グラモフォンやフィリップスのそれとはかなり印象が違い、発色が良くて、潤いのあるみずみずしい響きに録られています。

 序奏は音色もタッチも柔らかく、音の連結がスムーズ。色彩面も明るさを感じさせます。合奏やバランスがなし崩し的にゴダゴタしがちなこの曲において、音の優先順位をきっちり付け、ディティールからマスまでアウトラインを鮮やかに切り出す手法は見事という他ありません。この曲にありがちな管楽器の音抜けがなく、胸のすくように明快な造形感覚を聴かせます。あらゆる音が耳に入ってくる点では、ブーレーズ盤以上かもしれません。

 旋律線の歌わせ方も、艶やかで優美。各フレーズはたっぷりとした調子で朗々と歌われ、語り口が雄弁。リズムも冴え渡っており、カスチェイの宮殿に入って以降の、エッジの効いたシャープなリズム処理やダイナミックな盛り上げ方はさすが。《カスチェイの踊り》のスポーティな躍動感やフットワークの軽さにも、統率力の妙が出ています。フィナーレは、ブリリアントな響きでスケール大きく展開。アメリカ・オケの良さを生かした格好です。

“艶っぽく、鮮明な音で描き出された、正に極彩色の音絵巻”

シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団

(録音:1984年  レーベル:デッカ)

 三大バレエ録音の一枚で、幻想的スケルツォと《花火》をカップリング。デュトワの指揮は手際が良く、色彩も鮮やか。響きには潤いも鋭さも華やかさもあり、洗練されたセンスで美麗に造形されているのがこのコンビらしい所。デュトワはアンセルメの再来のように言われた時期がありましたが、オケの音色傾向も全く正反対だし、フォルムを重視する精密さや、パワフルな腰の強さと感情の起爆力など、デュトワならではの美質は枚挙に暇がありません。

 あらゆる音符が艶っぽく、鮮明に発音されているのは痛快で、極彩色の音絵巻を見るような趣。予定調和的で面白くないという意見もあるでしょうが、これほど明晰に、美しくスコアを再現した例はまれかもしれません。又、デュトワの棒は語り口が雄弁で、情景が目に浮かぶような描写力に卓越したセンスを発揮。大胆な力感の開放や、ダイナミックに音楽を描き出す気宇の大きさと呼吸の見事さも特筆大書したい点です。艶っぽく歌うカンタービレも魅力的。

“多彩な音響表現とシャープな造形センス。演出巧者な棒さばきも見事”

サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

(録音:1987年  レーベル:EMIクラシックス)

 当コンビによる三大バレエ録音の一つで、ロシア風スケルツォ2種(ジャズ・バンドとオケ・ヴァージョン)、4つのエテュードをカップリング。ラトルの三大バレエ録音では最も成功している印象ですが、《春の祭典》以外は後に再録音をしていません。低音域の浅い録音がやや残念で、バスドラムのアクセントはその効果がほとんど生かされない格好。

 冒頭からピアニッシモでも音がやせる事なく、サウンド全体の見通しや粒立ちがすこぶる良好。音色が多彩で、弱音器付きストリングスのトレモロなど、聴いているこちらの心がざわつくくらい。木管のソロも抜けが良く、末端まで養分が行き渡る感じが心地よいです。《火の鳥の踊り》は遅めのテンポでふうわりと舞うようですが、鈍重さは微塵もありません。べとつかない程度に情感も豊かでムードの表出がうまく、旋律線が伸びやかに歌います。

 《王女たちのロンド》も発色が良く、全ての音符がたっぷりと鮮やかに発音されるのが爽快。《カスチェイの踊り》はブラスのアクセントが効いて、シャープな音作り。音量で圧倒したり物量攻勢に頼らず、よく整理された響きで色彩の面白さを前面に出しています。フィナーレは、加速しながら音の頭を突っ込んでゆく感じがスリリングで、ラストの大きなリタルダンド共々、実に演出巧者な表現。

“テンポ設定や遠近法に細やかな配慮を徹底させた意欲的演奏。オケも好演”

エドゥアルド・マータ指揮 ダラス交響楽団

(録音:1988年  レーベル:プロ・アルテ)

 既に組曲版も録音しているマータが、プロ・アルテから発表した待望の全曲版。若干遠目の距離感で捉えられた録音のせいもあり、旧版に較べると大人しくなった印象も受けますが、オケの能力も高く、魅力的な一枚です。幻想曲《花火》をカップリング。

 ダイナミクスはそれほど大きく付けず、打楽器やブラスが活躍する場面もさらりと流したりしますが、部分ごとのテンポ設定に細かい配慮を行き届かせ、遠近法にこだわるのはマータらしい所。《夜明け》以降のじっくり腰を据えた取り組みにも、持ち前の鋭いセンスを大いに発揮しています。ラストの大団円は、旧盤の歯切れの良いスタッカート奏法をさらに徹底させた表現で、ほぼシャイーのアプローチに近い感じ。コーダにおけるリッチでブリリアントなサウンドも素晴らしい聴きものです。

“透明な響きと大胆なダイナミクス。早いテンポで一気呵成に演奏した全曲版”

エサ=ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ストラヴィンスキーツィクルスの最初に発表されたもので、《カルタ遊び》とカップリング。サロネンのストラヴィンスキー録音はかなり多く、他に同オケとの《春の祭典》《3楽章の交響曲》、《ペトルーシュカ》《オルフェウス》、ロンドン・シンフォニエッタとの《プルチネッラ》他、ピアノ協奏曲集(クロスリー)、ストックホルム室内管との《アポロ》他、スウェーデン放送響との《エディプス王》、歌劇《放蕩者のなりゆき》(映像)、ロス・フィルとの同曲再録音とヴァイオリン協奏曲(ムローヴァ、リン)、フィンランド国立歌劇場管との《ペルセフォーヌ》があります。

 速いテンポで一気呵成に演奏した個性盤で、各場面で聴かれる繊細な響きには、現代音楽にそのまま通じる視線が感じられます。それでいて分析的になりすぎたりドライになりすぎたりせず、作品の持つ幻想味もしっかり捉えている所は、さすがサロネン。彼は丁度この時期に来日してN響を振った時も当曲を取り上げましたが、それを聴いた武満徹がしきりに感心していた事を思い出します。

 弱音主体に設計されている割にはトゥッティの響きが苛烈で、ダイナミクスの幅が大きく取られているのもこのコンビのディスクに共通する特徴ですが、透明度の高いサウンドはさすが。イワン王子がカスチェイの館に入る辺りからはかなり速いテンポが採られていますが、《カスチェイの踊り》を特にクローズアップせず、全体の一部分としていかにもさりげなく演奏しているのは作曲家的な視点でしょうか。とても面白いと思いました。

“良くも悪くも西欧的洗練が支配する、ベルリン・フィル唯一の《火の鳥》全曲録音”

ベルナルト・ハイティンク指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 

(録音:1988年  レーベル:フィリップス)

 三大バレエ録音の一環で、《ロシア風スケルツォ》をカップリング。目下ベルリン・フィル唯一の全曲版ディスクという事で、自発性の強いアンサンブルがとにかく見事。ディティールの隅々にまで命が吹き込まれたような、室内楽的で意志の強いパフォーマンスは凄いのひと事です。

 ハイティンクは抜群の安定感で各場面を丹念に描写し、遅めのテンポで叙情性を掬い上げたアプローチ。序奏部からして音価を長めにとり、フレーズをたっぷりと聴かせる事でしっとりした情感を醸成。オケの性能を生かし、各パートの音色的魅力を前面に出して、豊かな色彩的ニュアンスを表現しています。殊に、弦や木管ソロの艶やかなカンタービレは絶品。

 一方で、粗野なエネルギーや雑音性の高い音響表現は抑制しようとする姿勢も垣間見えます。特に《カスチェイの踊り》やフィナーレはフレーズ重視で、パーカッシヴなリズムの強調はありません。不協和な響きを調整して和声感を出そうとしたり、アクセントを弱めて音を引き延ばしたりと、あくまで柔和な音楽を志向する所に西欧的性格が表れた印象。鋭さや力感は充分備えているものの、西欧的洗練という観点でいえば、個人的にはドホナーニ&ウィーン・フィル盤により豊かな音楽的可能性を聴きます。

“明晰さと潤いを両立させた魅力的な響き。緻密さ情感の豊かさも聴きどころ”

エリアフ・インバル指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:テルデック)

 3大バレエ録音の一枚で、幻想的スケルツォをカップリング。当コンビの録音は、ドヴォルザークの後期三大交響曲と管弦楽曲、ヴァイオリン協奏曲(ツェートマイアー)、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ベレゾフスキー)、ブラームスのピアノ協奏曲第1番(レオンスカヤ)、第2番(カツァリス)、ベートーヴェンの三重協奏曲(トリオ・フォントネ)、ニュー・フィルハーモニア時代のフィリップス録音でシューマンの交響曲全集があります。

 しっとりと潤いのある音色を用いながら、驚くほどに明晰な音響を構築した名演で、語り口の多彩さもさすが。ダイナミックな腰の強さ、エッジの効いたリズムの処理、情感豊かなカンタービレも素晴らしく、同時期のリリースで言えば、評価の高いブーレーズ盤や同じオケを振ったサロネン盤を凌駕する出来映えではないかと思います。トロンボーンのグリッサンド一つとっても、これ以上ないほど効果的な表現という感じ。アンサンブルの統率も見事という他ありません。

 細部の緻密さには傾聴すべきものがありますが、どのフレーズも生き生きとしているのが何よりで、《子守唄》の濃密な情緒なども他ではなかなか聴けないもの。気宇の大きさも破格で、フィナーレのティンパニの強打、スタッカートの効果も鮮烈な印象を与えます。唯一、《カスチェイの踊り》は腰の重さが気になる所。

 

“やや不明瞭な筆致で、目の覚めるような鮮やかさや個性にはあと一歩”

ケント・ナガノ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1991/92年  レーベル:ヴァージン・クラシックス)

 当コンビは《ペトルーシュカ》《管楽器のシンフォニー》《兵士の物語》を録音している他、ナガノのストラヴィンスキーにはロンドン・フィルとの《春の祭典》《ペルセフォーヌ》、リヨン歌劇場管との歌劇《放蕩者の道行き》があります。3大バレエの他の2曲が傑出した出来映えだったので期待しましたが、オケが音色的魅力に乏しいのと、弱音を基調にしたダイナミクス設定もあってか、やや鮮やかさに乏しい演奏。

 特に前半部は生彩に欠ける印象で、柔らかなタッチや艶っぽいカンタービレ、斬新な音響構築など美点も多々ありますが、競合盤の多い中では個性が埋没しがちなディスクです。力感やパンチの強さも充分あるものの、目の覚めるような鮮烈さにはあと一歩といった所。《カスチェイの踊り》は、現代音楽で培ったセンスを生かして随所にユニークな響きを作る一方、全体のデッサンはやや不明瞭で、大味な聴後感を残します。

“旧盤より余裕を感じさせながらも、相変わらずクールなブーレーズ”

ピエール・ブーレーズ指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1992年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 グラモフォンへの再録音の一環。シカゴ響はCBS時代には登場しなかったので、ここでの起用は音楽ファンにとっても嬉しい所です。冒頭部分、速めのテンポで音を全て長めに演奏させる点は過去の録音と同じ解釈ですが、旧盤に較べると全体的に余裕があり、カスチェイ登場のくだりも以前よりゆったりと演奏されています。

 クリーヴランド管との《春の祭典》《ペトルーシュカ》の新盤もそうでしたが、演奏・録音共に“拡散・分離”から“凝縮・融合”へというコンセプトの変化が如実に現れたもの。ただ、いささかも熱くならないクールな姿勢は相変わらずで、最初から全くと言っていいほど力まない《カスチェイの踊り》には頭が下がります。もっともシカゴ響の演奏能力は超絶的で、フィナーレなんてもの凄いサウンド。

“語り口が上手く、旋律線もよく歌う一方、冷静でスマートな表現が好みを分つ”

フランツ・ウェルザー=メスト指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1993年  レーベル:EMIクラシックス)

 《管楽器のための交響曲》とカップリング。当コンビは、《エディプス王》も録音しています。この指揮者はスマートな指揮ぶりの割に、出て来る音には意外とゴツゴツとした手触りがあるのと、音響を整理する手際の良さ、フレーズを滑らかに歌わせる才に長けている印象。常に冷静で感情的にならないのはメリットでもデメリットでもありますが、音色に暖かみがあるのは美点です。

 前半部分など、管楽器のソロをはじめ柔らかみのある暖色系のサウンドが魅力で、ディティールの発色が鮮やかなのは統率力を示す好例。オペラを得意にしている人だけあって、ストーリーを感じさせる語り口に好感が持てます。旋律がよく歌っていて、楽想をタイトに掴んだフィナーレの造形も見事です。ダイナミックな迫力は充分ですが、整然とした端正な音楽作りは面白味に欠けるのが難点。

“実直でパワフルな演奏。さらに厳しい表現と自由闊達さを期待”

飯森範親指揮 モスクワ放送交響楽団

(録音:1993年  レーベル:キャニオン・クラシックス)

 3大バレエ録音の一枚。オケが意外に瑞々しくフレッシュな音彩で好演しているのが聴きものですが、指揮者の棒はどこまでも几帳面で実直。あまりに楷書的な音楽の進め方に、なんだか息苦しくなります。

 パワフルでリズムの切れも良く、旋律もきちんと歌わせていますが、更なる自由闊達さが必要という事でしょうか。フレーズに自在な呼吸感が不足し、硬直した印象を受ける箇所が多く、聴いていて、より凝集された緻密な表現や厳しさ、緊張感が欲しくなります。《火の鳥》全曲版は3大バレエの他の2作と較べても特に、よほど強い主張を持った演奏でないと聴き劣りしてしまう傾向があると思います。

“豊麗な響きと明朗な音楽性。巧みなアゴーギクで激しい表現も盛り込む”

エド・デ・ワールト指揮 シドニー交響楽団

(録音:1997年  レーベル:ABCクラシックス)

 当コンビはオーストラリア放送局のレーベル、ABCクラシックスに数点のレコーディングを行っていますが、これもその一枚。《幻想的スケルツォ》と《ロシア俗謡によるカノン》がカップリングされています。シドニー響の演奏を聴くのはほとんど初めてでしたが、オペラハウスの豊かな残響音も相まって、たっぷりとした豊麗な響きが印象的で、技術的にもかなり高いレヴェルにある印象。

 指揮者も、末端まで養分を行き渡らせたふくよかな響きで、生彩に富む演奏を展開しますが、カスチェイの庭の門をくぐって曲調が激変する箇所など、切迫した調子と急速なテンポで激しく音楽を煽っていてエキサイティングです。《火の鳥の嘆願》など、ホルン・ソロでミュートを使っているのも独特。《カスチェイの踊り》のコーダではものすごいアッチェレランドが聴かれ、フィナーレは朗々たる響きで盛り上げるなど、指揮者・オケ双方の実力が示された好演です。

“あらゆるフレーズに生命が吹き込まれた素晴らしい演奏”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団

(録音:1998年  レーベル:RCA)

 《春の祭典》《ペルセフォーヌ》をそれぞれ1枚のディスクに収録し、3枚組セットとして発売されました。ストラヴィンスキーを得意にしているイメージがある指揮者ですが、その割に録音は少なく、他にボストン響との《春の祭典》旧盤とカンタータ《星の王》、フィルハーモニア管との《ペトルーシュカ》《ロシア風スケルツォ》、ロンドン響との交響曲集、ストラヴィンスキー・イン・アメリカという小品集があるくらいです。

 あらゆるフレーズに生命が吹きこまれた、聴いて面白い事では最右翼に挙げられる演奏。テンポやフレージングに自信が満ち溢れ、細部に至るまで解釈がよく練られています。特に、散漫な印象を与えがちな前半部で、これだけ起伏に富んだ、生き生きとした表情を見せる演奏は稀かもしれません。

 リズムはあくまでシャープで、音響も含めて分析的な傾向はありますが、ブーレーズなどと違うのは、身体感覚に基づく躍動感と、歌うように柔軟なフレージング。水のしたたるようにフレッシュなオケの響きも印象的です。

“フレーズを有機的に結びつけ、雄弁なドラマに集約してゆく希代の逸材ネルソンス”

アンドリス・ネルソンス指揮 バーミンガム市交響楽団

(録音:2009年  レーベル:オルフェオ)

 詩編交響曲とカップリング。ラトル時代に躍進を遂げたバーミンガムのオケと、ドイツのオルフェオ・レーベルというのは意外な取り合わせに思えましたが、当コンビは結局、チャイコフスキーやR・シュトラウスの人気曲からショスタコーヴィチなど、かなりの数の録音を決行。ゼロ年代以降、しばらく新録音に恵まれぬ印象のあった全曲版ですが、カップリング曲共々、これは相当な快演です。

 ネルソンスはカラフルな色彩感覚とフレーズを際立たせる能力に長け、各フレーズが孕む前衛性や烈しさを十二分に表出して、保守的にまとまる事がありません。時に鋭く、時に歌うように表現される各パッセージは雄弁そのもの。全曲版は演奏次第で冗長に陥りがちで、こういう演奏は稀少なので、聴いていて胸のすくような痛快さを覚えます。長所はたくさんあり、カンタービレのしなやかさは特筆ものだし、立体感のある響きは細部をクリアに照射し、スコアが透けて見えるよう。

 各部の性格やムードの掴み方も非凡で、断片的なフレーズが有機的に結び付けられてドラマを語り始める面白さは無類です。一方、大音量で圧倒しない抑制力もあり、フィナーレでも音量を解放せず、聴き疲れしない気持ちの良いフォルティッシモを鳴らしつつ、強弱のニュアンスを調整して和声感をきっちり表出。うるさ方はさらに味わい云々を言うのでしょうが、若手指揮者としては凡百のライバルを大きく引き離す逸材ではないかと思います。

“楽器の再現以上に、演奏そのもののフレッシュさが眩しい、新世代の名盤”

フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮 レ・シエクル

(録音:2010年  レーベル:Musicale Actes Sud)

 ライヴ収録によるオムニバスから。カップリングはグラズノフのバレエ《ライモンダ》より《サラセン人の入場》《東洋の踊り》、バレエ《四季》より《秋のバッカナール》、シンディングの《東洋舞曲》、アレンスキーのバレエ《エジプトの夜》より《エジプト女の踊り》《蛇のシャルムーズ》《ガジーの踊り》、グリーグの抒情小品集より《小妖精》(マントヴァーニ編)。基本的に、ロシア/北欧の作曲家による異国の舞曲がコンセプトのようです。

当時の楽器の再現云々よりも、演奏が実に鮮やか。艶やかな光沢を放つ色彩、細部まで生気に溢れて解像度の高い表現、軽快なフットワークと抜群の一体感を保つ合奏など、過去の名盤が全て霞んでしまうのはというほどです。《ダフニスとクロエ》もそうでしたが、新興団体にこういうパフォーマンスが可能なら、世界の名門オケとは何なのだろうと、思わず考え込んでしまう衝撃があります。

 スコアの解釈自体に奇を衒った所はないですが、とにかく各パートの発色が良く、機動力に優れているため、ともすれば編成の大きなオリジナル版を聴いている事すら忘れてしまうほど。ブラームスやシベリウスを初めて室内オケで聴いた時の印象とも似ていますが、このスコアでこの明晰さを確保するには、指揮者、オケの図抜けたセンスと耳の良さがなければ成立しません。

 ここに聴くピリオド楽器の音色は、ハスキーでもドライでもなく、むしろ潤いがあって艶っぽいですが、独特の古風な倍音や雑音が微妙に混ざってもいるようで、美しいけれども野趣も感じさせるといった所でしょうか。ソロなど、節回しが実に洒脱でウィットに富んでいて、そういった音の佇まいが逆説的にピリオド団体っぽいと言えます。スタッカートを多用した《カスチェイの踊り》も、実に軽くて華やかな表現。

 カスチェイの登場以降がカラフルでにぎやかなのは予想が付く事ですが、前半の各場面もテンションが高く、多彩な表情で面白く聴かせるのは当盤の美点。ガット弦、ノン・ヴィブラートの弦楽セクションも高音部の清澄さが耳を惹き、特に《子守唄》では斬新な効果を上げています。

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