ベートーヴェン/交響曲第9番《合唱》

概観

 我が国では年末に風物イベントとしてよく演奏される一方、海外ではそう簡単に取り上げられない大作。声楽が入って大規模で、第4楽章の構成が複雑だったりと、本来演奏は難しいようです。私が敬愛する故・吉田秀和氏は、この曲を人間存在に対する全肯定と捉え、バッハのマタイ受難曲と並んで人類が作曲しえた音楽の最高峰の一つに数えています。

 ちなみにベートーヴェンの交響曲のスコアは、長年に渡って使用されてきたブライトコフ版に対し、年に出たベーレンライター版が解釈刷新の旋風を巻き起こしますが、その後に新版を出したブライトコフ社が旧版を廃止したため、より状況は混迷。ブルックナーやストラヴィンスキーの作品と同様、指揮者によって各版の折衷を行うケースもありますから、リスナーはむしろ細部の相違にこだわらない方がいいかもしれません。

 私がこれは凄い演奏だと思うのは、カラヤンの76年&83年両盤、ヤンソンスのアムステルダム&バイエルン両盤、アーノンクール盤、バレンボイム盤、ネルソンス盤。次点では、ケンペ盤、クーベリック盤、ブロムシュテット/ドレスデン盤、メータ盤、ハイティンクの87年盤、ラトル/ウィーン盤、P・ヤルヴィ盤、ティーレマン盤も、それぞれに素晴らしい内容です。

*紹介ディスク一覧

57年 クリュイタンス/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

58年 ミュンシュ/ボストン交響楽団

62年 モントゥー/ロンドン交響楽団

67年 ストコフスキー/ロンドン交響楽団

73年 ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

74年 小澤征爾/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

75年 クーベリック/バイエルン放送交響楽団

76年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

78年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団

80年 ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン

83年 T・トーマス/イギリス室内管弦楽団

83年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

83年 メータ/ニューヨーク・フィルハーモニック

85年 C・デイヴィス/バイエルン放送交響楽団

85年 ドラティ/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

86年 アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

87年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

88年 ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団

89年 ジュリーニ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

91年 アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団

92年 サヴァリッシュ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

93年 C・デイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデン

96年 シノーポリ/シュターツカペレ・ドレスデン

 → 後半リストへ

●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●

“合奏の乱れもあるものの、声楽を前に出して丁寧な仕上がり”

アンドレ・クリュイタンス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ベルリン聖ヘドウィグ大聖堂合唱団

 グレ・ブロンウェンスティン(S)、カースティン・マイヤー(Ct)

 ニコライ・ゲッダ(T)、フレデリック・グースリー(Bs)

(録音:1957年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音の一枚。共通してクリアで明るいサウンドに録音された全集で、生々しい直接音とリッチなホールトーンのバランスも良好、細身で硬質ながら肌触りのなめらかなサウンドも爽快です。コーラスも美しく収録されていて、オケとのトゥッティでも混濁が目立たないのは、録音年代を考えると驚異的です。第1楽章は相当遅いテンポで、往年の指揮者らしいゆったりとした間合いで進行。アインザッツのズレがやや気になるのと、鷹揚なたたずまいで強い緊張感や迫力に欠けるのは好みを分つ所でしょうか。

 第2楽章は一転して速めのテンポで引き締まったプロポーションですが、こちらも合奏に乱れがあり、歯切れの良いスタッカートも長い残響に阻害されてしまって残念。トリオは逆に遅めのテンポで、主部との落差をあまり付けない表現。緩徐楽章で感情的な歌い回しを避け、淡々と音楽を進める清廉な風情は他の交響曲と共通ながら、トゥッティでは豊麗な響きを作り出して魅力的です。

 フィナーレも劇的な方向には行かず、古典的造形に終始。ただ、声楽が入ってくる前のトゥッティはさすがベルリン・フィルという輝かしい響きで、導入部再現に向けてのアッチェレランドも効果的です。バリトンの歌い出しは落ち着いた柔らかい表現で、熱く語りかけるような姿勢は皆無。コーラスは編成が少なめなのか音響がクリアで、オケと同様、各声部が明瞭に録音されています。

 行進曲のパートからは、オケとテノールがリズム感の良さを発揮。ピッコロが入ってくる辺りは同じ指揮者の《アルルの女》を彷彿させる明朗な色彩感が顕著な上、弦の細かい音符にも切れ味の鋭さが出てきます。エキサイティングに盛り上がるタイプではありませんが、声楽をきちんと前面に押し出した、丁寧で美しい演奏。

“烈しいアタックと猛烈なテンポで熱っぽく切り込むミュンシュ”

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

 ニューイングランド音楽院合唱団

 レオンティン・プライス(S)、モーリーン・フォレスター(A)

 デヴィッド・ポレリ(T)、ジョルジオ・トッツィ(Bs)

(録音:1958年  レーベル:RCA)

 当コンビのベートーヴェン録音は第1、3、5〜9番と序曲集、ハイフェッツとのヴァイオリン協奏曲がありますが、第1、7番はモノラル収録です。彼らの録音は収録の古い新しいに関係なく音響条件がまちまちですが、当盤は残響を豊富に取り入れている一方で、強音部で歪みと混濁が目立ちます。ティンパニの粒立ちが良く、力強い張りがあるのは好印象。

 第1楽章はテンポが速く、間を詰めて前のめりに音楽を煽るミュンシュの棒がいかにも熱っぽいです。音圧が高くて各パートの発色が鮮やかなのと、ティンパニのパンチが効いて動感が強いのも特色。弦の艶っぽい響きも印象的です。大作を一気呵成に聴かせる点で、第1楽章をこういう激しい勢いで演奏するのは様式的にも筋が通った解釈。コーダ前後も猛烈なテンポで疾走しています。

 第2楽章も、ヴィルトオーゾ風の合奏と急速なテンポで聴き手を圧倒。ただフットワークは軽く、無類に切れ味の鋭いスタッカートと俊敏なリズム感を駆使して鮮烈に造形している辺り、さすが近代音楽も得意にしているミュンシュです。それにしても、モントゥー盤の田園的ムードとは対極の表現。第3楽章はかなりロマンティックなスタイルながら、ゆったりと濃厚に歌い込む方向。前2楽章の嵐のような烈しさとは好対照を成しています。各パートの艶やかな音色も魅力的。

 第4楽章も歯切れの良いアーティキュレーションで、きびきびと開始。合奏もコンパクトにまとまり、ある意味ではH.I.P.を予見する造形センスとも言えます。歓喜の主題も、駆け足テンポで流れるように提示。物量が増すとかならず加速する興奮体質も健在です。バスの歌い出しの音程がやや怪しいのと、テノールの発声が独特ですが、女声二人のキャスティングが豪華。最後まで明快かつタイトなフォルムに引き締めているので、合唱も含め、全体のまとまりは良好です。

“どこまでも温厚で柔和な音楽世界。声楽入りの田園交響曲という趣”

ピエール・モントゥー指揮 ロンドン交響楽団

 ロンドン・バッハ合唱団

 エリザベート・ゼーダーシュトレム(S)、レジーナ・レズニク(Ct)

 ジョン・ヴィッカーズ(T)、デヴィッド・ワード(Bs)

(録音:1962年  レーベル:ウェストミンスター)

 当コンビのベートーヴェンはデッカに第2、4、5、7番の録音がある他、モントゥーはウィーン・フィルと1、3、6、8番、フィリップスにコンセルトヘボウ管と3番を録音しています。当コンビの録音はデッカ、フィリップスにも数点ありますが、当盤は適度に残響と奥行き感があり、デッカのドライな音よりは聴きやすい感じ。

 第1楽章は遅めのテンポで、肩を怒らせない柔和な性格。音の佇まいも優雅で、社交界の顔でもあったモントゥーらしい表現とも言えます。厳しい造形性よりも、流麗な歌が優先するような演奏。展開部のクライマックスも力で押す事がなく、フレーズがぶつ切りになるくらい各部を丹念に描写しています。その分、継続の力が凄みを帯びる設計にはなっていないのが好みを分つ所。すこぶる丁寧ですが、冷静な指揮。

 第2楽章も中庸のテンポ。アタックはやや鋭さを増し、多少の勢いや語気の強さが出てきますが、ティンパニのソロなどはくぐもった弱々しい打撃で、いかにものんびりとした古臭さを感じさせます。トリオも牧歌的なムードで、田園交響曲ののどかな世界に近接。

 第3楽章は、陶酔型のロマンティックな語り口を嫌うモントゥーの理知的な資質が、逆に今の流行と合致。ただ、柔らかく美しい音色を指向し、典雅な音楽を展開するのは彼らしいです。ピツィカートを伴奏に、木管のハーモニーとホルンがアンサンブルを繰り広げる辺りの秀逸なバランス、続くヴァイオリン群のカンタービレに聴かれる弾力性を帯びたリズム処理などは、単なる職人仕事を越えた見事な芸術性と言わねばなりません。

 第4楽章は悠々たる開始。気負いのない所に、逆に大物の風格が漂います。しかし各フレーズの表情の練り上げに間然とした所がなく、そういう意味では正にベテランの芸。歓喜の主題も堂々たる足取りで、豊かな情感を湛えつつ、一歩一歩進んでゆきます。

 声楽部は、まずバスと合唱のやり取りがこれ以上ないほど鷹揚で、そのたっぷりとした間合いは、やはり声楽入りの《田園》という雰囲気。ちょっと聴いた事のないほど、温厚で平和な音楽世界です。後半に至っても、声楽、オケ共にセクション同士の分離の良さと描写の丹念さが失われず、ほのかな暖かみと祝祭感を伴ったヒューマンな演奏が展開してゆきます。ある意味で相当に個性的な、唯一無二の第9。

“部分的にデフォルメはあるものの、ベートーヴェン演奏に必要な熱いパッションを発露”

レオポルド・ストコフスキー指揮 ロンドン交響楽団・合唱団

 ヘザー・ハーパー(S)、ヘレン・ワッツ(Ct)

 アレクサンダー・ヤング(T)、ドナルド・マッキンタイア(Bs)

(録音:1967年  レーベル:デッカ)

 当コンビは、RCAに第3番と《コリオラン》も録音。ストコフスキーによるベートーヴェンのステレオ録音は他に、ロンドン・フィルとの第5番、ニュー・フィルハーモニア管との7番と《エグモント》、ナショナル・フィルとの《レオノーレ》序曲第3番、アメリカ響&グールドとの《皇帝》、ロンドン新響との《自然における神の栄光》があります。

 第1楽章は速めのテンポで間を空けずにたたみかけ、意外にも緊張度の高い正攻法のアプローチ。編成は大きいですが、各パートが生き物のように自在に動く趣はこの指揮者ならではです。その合奏の一体感が、どこかバロック系団体のそれに通じる雰囲気もあるのが面白い所。沸き立つような感興の高まりもベートーヴェン演奏に不可欠なもので、一心不乱に突き進んでゆくようなひたむきさと迫力に、思わず引き込まれてしまいます。

 スコアの改変は目立ちませんが、悲鳴のようなヴァイオリンの高音域や心をざわつかせる弦のトレモロには、やや強調感もあり。しかし大きなルバートは避けられ、音圧もさほど高すぎないので、往年の巨匠達の演奏と較べると、むしろ端正な造形。

 第2楽章は、冒頭の音型をフレーズごとに区切るのが独特。遅めのテンポ設定ですが、ホルンのパッセージに含まれる上昇音型にはやはり強調感があります。全編に鋭利なスタッカートを展開し、あらゆる音をザクザクと切ってゆく語法はユニーク。トリオではふわりとした浮遊感と軽快さも表出しますが、全体として、オケの音色にはさらなる魅力を求めたい所です。

 第3楽章は明るい響きで発色が良く、爽快。音色の深みやコクはありませんが、くっきりと鮮やかに彩られた旋律線は、それなりに美しいです。内声もまろやかにブレンドするというより、みずみずしく磨き上げられた感じ。繊細なデリカシーよりも、朗々と歌い上げる気持ち良さを取りますが、対位法の効果は明確に表され、バス声部も豊か。ルバートは自然で、無用に濃厚な味付けはしていません。金管とティンパニが入るトゥッティも、速めのテンポでタイトに造形。

 第4楽章はエッジの効いた荒々しいトゥッティに始まり、やたら雄弁な表情と内圧の高い低弦のレチタティーヴォがこの指揮者らしい所。歓喜の主題の導入前に至っても轟々と唸りながら自在に歌う弦楽合奏は、ストコフスキー印のバッハを彷彿させます。テンポとダイナミクスの振幅も大きく、独唱導入前などは相当に対比を強調しています。オペラ歌手マッキンタイアの歌い出しは力強くヒロイックで、やや芝居がかったオケの合いの手と共に聴き応えあり。

 独唱陣は総じて押し出しが強く、重唱も朗々たる迫力。合唱もよくコントロールされて、強弱が巧みに付けられています。後半は、落ち着いたテンポでスケール大きく盛り上げるオラトリオのようなスタイルで、歓喜の合唱の箇所をはじめ、ところどころでテンポに重みを加える傾向も見られます。コーダは、トランペットやホルンのトリルにストコ節炸裂。

“速めのテンポで造形を引き締めながら、声楽も見事に統率するケンペ”

ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団・合唱団

 ミュンヘン・モテット合唱団

 ウルスラ・コシュト(S)、ブリギッテ・ファスベンダー(Ct)

 ニコライ・ゲッダ(T)、ドナルド・マッキンタイア(Bs)

(録音:1973年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音中の一枚。力みのない自然体の姿勢ながら言うべき事は言い尽くすような、ケンペらしい滋味溢れる演奏。巨匠風のいかめしさは皆無で、第1楽章は引き締まったテンポと風通しのよい響きでシャープな造形。激しい音響で圧倒する箇所はなく、肩の力は抜けていますが、終盤からコーダに向けて緊張感を高めてゆく構成は秀逸です。

 第2楽章も速めのテンポでスピード感を表出し、エッジの効いた鋭いリズムをザクザクと刻んでゆくモダンな表現。特にオスティナートの扱いで、トランペットの高音域を執拗に強調しているのが独特です。オケの反応も機敏そのもの。第3楽章は、暖かな歌が泉のように湧き出る感興の豊かさがケンペの真骨頂。大きく構えず、穏やかな心でニュアンスを込めて歌い込む所に好感が持てます。

 終楽章はさりげない調子、整然とまとまったアンサンブルで開始。低弦のパッセージも意味深く雄弁でありながら、小編成オケのような機動性とすっきりした響きが特徴的です。テンポは終始速めで、コーラスも実にフットワークの軽い、明晰なパフォーマンス。無用にスケールの大きさを追求せず、交響曲としての様式感を重視した感じでしょうか。

 作品自体が傑作ですから、徹底してスコアに語らせるケンペの誠実な姿勢こそ王道なのでしょう。各部の表情も間が抜けたりギクシャクしたりする所が一切なく(この曲、この楽章では難しい事です)、全体を有機的に構成。ややオペラティックなマッキンタイアの歌い出しを除けば、独唱もみな素直で美しく、重唱のまとまりも良好です。オペラを得意とするケンペらしく、オケと声楽の統率は見事という他ありません。

“自然体の指揮ぶりながら、随所に大物の風格と高度な音楽性を垣間見せる”

小澤征爾指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

 アンブロジアン合唱団

 マリタ・ネイピア(S)、アンナ・レイノルズ(Ms)

 ヘルゲ・ブリリオート(T)、カール・リッダーブッシュ(Bs)

(録音:1974年  レーベル:フィリップス)

 当コンビの数少ない録音の一つ。小澤は同時期にサンフランシスコ響と第3番も録音していますが、後のキャリアにおいてもベートーヴェンのまとまった録音はありません(ブラームスやチャイコフスキーも散発的な録音ばかりで、全集への発展はなし)。

 第1楽章は、遅めのテンポで情感豊か。みずみずしくまろやかな響きと、若々しいリズム感に指揮者の美質が出ています。一方、堂々とした音楽的感興の発露には若手らしからぬ佇まいもあり、色彩感も豊か。アグレッジヴな威圧感はありませんが、必要充分な力強さを備えます。展開部は構えた所がなく、あくまで自然体。コーダへの推移も、溌剌としてフレッシュです。

 第2楽章はアクセントが力強く、スピード感があって切っ先もシャープ。同じオケでも、同時期のムーティの録音とは色彩も肌触りも全く異なります。ティンパニのアタックにパンチが効いている一方、トリオはゆったりとしたテンポで主部とのコントラストを強調。

 第3楽章は艶やかで暖かみのあるカラー・パレットを用い、息の長いフレージングでリリカルに歌う表現。木管の彩りも際立ち、音色面の魅力にも事欠きません。同オケ特有の弦の美しさも生かし、マイルドに整えられた管弦のバランスは、後のボストン響のスタイルも彷彿させます。集中力が非常に高く、デュナーミクとアゴーギクを周到に設計して音楽を弛緩させないのはさすが。

 第4楽章はさりげなく自然に開始しながら、その指揮ぶりは確信に満ち溢れ、ためらいなどは微塵も感じさせません。率直な感情の表出に多彩なニュアンスを加える手法は極めて好ましく、歓喜の主題の歌い口と展開も、実に音楽的で素晴らしいです。行進曲に移る前のフェルマータはかなり引き延ばし、豪放な迫力を示すのが見事。後半は感興の高め方と加速の具合が絶妙で、弦を中心に熱っぽくスリリングな合奏を展開します。声楽陣はやや印象薄。

“巧まずして滲み出る香り高い音楽性。正にクーベリック・マジック”

ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団・合唱団

 ヘレン・ドナート(S)、テレサ・ベルガンサ(A)

 ヴィエスワフ・オフマン(T)、トーマス・スチュワート(Bs)

(録音:1975年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 全集録音中の一枚。異なる9つのオケを振り分けた全集ですが、第九で手兵のバイエルン放送響を起用するのは納得の選択と言えます。しかし企画の特異性は別として、演奏自体は真情に溢れた誠実なもの。当盤も大袈裟に構えた所は一つもないのに、確かな充実感を与えてくれる非凡な演奏です。

 第1楽章は威圧感や緊張感がなく、ゆったりと構えた表現。優美な指揮ぶりにはある種の風格が漂い、柔らかなタッチと落ち着いた風情がむしろ新鮮です。オケも美しい音色と味わい深いフレージングで応えていて素敵。もっとも展開部では、自然な呼吸を維持しながらも鋭利なアクセントでメリハリを効かせ、巧みなデュナーミクでぐっと高揚させています。

 第2楽章はリズム感に優れ、前傾姿勢で動感を表出しながらも、管楽器の隠れたアクセントを強調して、個性的なバランスを聴かせたりします。歯切れの良いスタッカートも効果的で、荒々しい金管やティンパニが鮮烈。トリオは遅めのテンポで情感に溢れますが、主部からの移行では大きなルバートの用い方が堂に入り、旧来の演奏様式の最良の一例を聴く思いがします。

 第3楽章は、みずみずしい上に深いコクのある音色が素晴らしく、音楽性満点。内面から溢れ出る感興と歌心が聴き手を魅了します。巧まずして滲み出るこういった美点は、クーベリック晩年の録音に顕著なものですが、リハーサルの映像を見ても特別な事をやっているようには見えず、まったくマジックとしか形容のしようがありません。それにしても管弦のバランス、フレーズの扱いの優美な事といったら!

 第4楽章は句読点が明瞭で、力強く確信に満ちた棒さばき。各部の盛り上げ方も巧く、構成力の確かさも窺わせます。独唱陣は、私の好みではもう少しストレートな歌唱を求めたいですが、良く言えば意欲的なパフォーマンス。合唱はよく統率され、響きも明晰で和声感が豊かです。後半部はアゴーギクと音響の構築が見事。

“聴かせ上手な指揮、優秀なオケ、声楽と三拍子揃った、非の打ち所のない第九”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン楽友協会合唱団

 アンナ・トモワ・シントウ(S)、アグネス・バルツァ(Ct)

 ペーター・シュライアー(T)、ホセ・ヴァン・ダム(Bs)

(録音:1976年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 爆発的に売れた70年代の全集録音から。第1楽章のトゥッティから意外に響きが軽く、付点リズムも流れがち。高域寄りの録音のせいもありますが、思ったより肩の力が抜けてものものしさのない表現です。テンポも遅くはなく、むしろ推進力が強い印象。大きなルバートは用いず、イン・テンポ気味に押すのが淡々とした感触に繋がっています。オケがすこぶる上手く、合奏の威力とソロの味わいは格別。

 第2楽章はかなり速めのテンポで、スタッカートの切れ味も抜群。アタックに覇気があり、スケルツォの性格もよく打ち出していますが、トリオは遅めのテンポでじっくり描写。沈静したムードが主部と好対照を成します。第3楽章は遅めで情感豊か。清澄なヴァイオリン群の音色は印象的で、弱音部のデリケートな響きの作り込みなど、誠に繊細に組み立てられた演奏です。強奏部も雄渾で、後半の音楽の運びも呼吸が見事。

 第4楽章は堂に入った造形で、聴き応えあり。歓喜の主題は流れるようなフレージングとテンポでぐいぐい進む一方、聴かせ上手というか、親しみやすい性格を感じさせるのはカラヤンらしいです。導入部や、バリトンの合いの手ではティンパニのアクセントを強調。オケと独唱のやりとりが、まるでオペラのようにドラマティックです。合唱にも細かい強弱とニュアンスを付与していて、豪華独唱陣と共にオケ、合唱も万全。正に三拍子揃った、非の打ち所のない第九です。

“機動力の高い合奏と透明な響きを貫きながら、卓抜な設計力で山場を構築”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団・合唱団

 ルチア・ポップ(S)、エレーナ・オブラスツォワ(Ms)

 ジョン・ヴィッカース(T)、マルッティ・タルヴェラ(Bs)

(録音:1978年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音中の一枚。編成もさほど大きくないようですが、超優秀なオケが小気味の良いフットワークを達成しており、近接した距離感で残響のデッドな録音と、ティンパニを徹底的に抑制したアタックの軽さがその印象を増強します。

 第1楽章冒頭から、その響きの圧倒的な軽さに驚かされます。テンポは中庸かやや遅めですが、整然たる合奏で淡々と音楽を進める当コンビの姿勢は、ビジネスライクなまでにクール。展開部からコーダにかけても、緊張感や内的感興を高める方向にはいかず、あくまで曲のプロポーションをスマートに再現しようという感じです。

 第2楽章は、マゼール流の正確で鋭角的なリズムが音楽を峻烈に切り出し、画然たるアンサンブルを構築。情緒面で白熱する感じはありませんが、バネの効いたリズムは音楽を心地よく躍動させています。それに、オケがとにかく上手い。第3楽章も、弦のピッチとアインザッツがすこぶる精緻に揃えられているため、各声部一人の室内楽を聴くかのようです。響きもドライで透徹していますが、豊麗なブレンド感にクラシックの醍醐味を求めるリスナーにはそっぽを向かれても仕方ないかも。

 第4楽章は、ティンパニのアクセントにやや鋭いアタックが加わる印象。内圧やスケール感は相変わらずありませんが、メリハリが出てフォルムが引き締まります。レチタティーヴォ部は機動力に優れ、バロック的とまではいかないまでも、やはり室内楽的な合奏の一体感が雄弁そのもの。声楽が加わっても管楽器が明瞭に浮かび上がるクリアな響きは美点です。歓喜の歌の強奏部は、金管の合いの手をいちいち強調し、付点音符を鋭角的に処理するのがマゼール節。

 独唱はスター級の豪華キャストが名を連ねますが、知名度では一段劣るタルヴェラが力強い歌声で抜群の歌い出し。合唱が入ってくるとスケール感が増し、ドライな録音が気にならなくなるのと、後半に進むほど各部に遅めのテンポを設定する卓抜な演奏設計によって、見事な大団円を迎えます。コーラスも、アグレッシヴで表情豊かなパフォーマンスで聴き応えあり。

“峻厳な棒さばきで音楽の輪郭を切り出す一方、自然な呼吸と高揚感も見事”

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

 ライプツィヒ放送合唱団、ドレスデン国立歌劇場合唱団

 ヘレナ・ドーセ(S)、マルガ・シムル(A)

 ペーター・シュライアー(T)、テオ・アダム(B)

(録音:1980年  レーベル:ドイツ・シャルプラッテン)

 全集録音中の一枚。同じオケ、同じ会場でも、デンオンの録音は長い残響音が特色ですが、シャルプラッテン単独の収録だと直接音がメインで、低音域も重厚。サウンド・アプローチは真逆の印象。ブロムシュテットは後年、ゲヴァントハウス管と映像付き全集録音を敢行しています。

 第1楽章は中庸のテンポ、やや細身のソノリティで雄渾な力感を示し、音楽の輪郭が極めて明瞭。ブロムシュテットの演奏は語調がきっぱりしているのが特色で、いかなる局面でもアーティキュレーションの解釈を曖昧に残す事がありません。合奏も整然と切り揃えられ、見通しの良いクリアな響きでスコアを克明に構築。展開部でも、ティンパニの激烈な打撃が音響を明瞭に隈取ります。後半部も音の立ち上がりが速く、峻厳なパフォーマンスを展開。

 第2楽章も鋭利な切り口で厳しい造形性を示しますが、テンポが速くリズムもよく弾むので、軽快さには欠けていません。即物的でドライな表現にもなりかねない所、オケの美しい響きが魅力を加味していて救われます。もっとも、情感や感興の豊かさは控えめ。

 第3楽章はゆったりしたテンポ。ふくよかとまではいきませんが、音色美が前に出て、しなやかで流麗なカンタービレを聴かせます。感興の高まりもあり、情緒的にも潤いが感じられるのは何より。起伏の作り方はうまく、自然なアゴーギク操作が見事。

 第4楽章は、ティンパニの鮮烈なアタックで開始。ブロムシュテットの棒はテンポの呼吸、わけても各部を連結する手腕に、理想的と言えるほどの構築センスを発揮。スコア探求の跡と経験の豊かさを、如実に窺わせる至芸です。歓喜の主題は、柔らかな弾力を感じさせる優美な筆遣いで、前半2楽章の硬質なタッチと大きく対比させていて見事。オケの響きも、有機的な密度と典雅な美しさが魅力的。

 独唱は、アダムの歌い出しが実に力強く、頼もしいほどに堂々たる歌唱。第九はこうでなくては、と納得させられます。コーラスと重唱は発音と音程の精度が高く、特に合唱は、和声感の美しさが当盤のハイライトとなっています。後半は共感の豊かさと熱い高揚感も出てきて、物理的、情緒的に大いに盛り上がります。ただし、緊密な合奏と丹念なリズム処理が徹底されているのはブロムシュテット流。

“小編成を売りにしながら、フルオケの表現を志向する指揮がやや中途半端”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 イギリス室内管弦楽団

 タリス室内合唱団

 スザンヌ・マーフィ(S)、キャロライン・ワトキンソン(Ms)

 デニス・オニール(T)、グウェイン・ハウエル(Bs)

(録音:1983年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 室内オケ初の全集録音から。オケもコーラスも小編成で、内声がよく聴き取れる整然としたアプローチは共通ですが、どうもT・トーマスの棒が大編成オケのそれを志向しているように感じられる面もあり、当全集でも他の曲ほどは成功していないように感じます。私は発売時の87年に購入し、何度も当盤を再生していますが、どういう訳かいつまでも印象に残らない、不思議な演奏。彼は後年、サンフランシスコ響とフル編成で同曲を再録音しています。

 第1楽章は特に座りが悪く、スコアが求める広がりや巨大さと室内楽的なアプローチの間に、どこか乖離が見られる印象。H.I.P.のそれと違い、編成の規模を除けば、解釈が旧来のスタイルの延長線上にある所が弱点になっているという事でしょうか。主部もどこか中途半端で生彩を欠きますが、展開部は特に出力不足で、弱腰に聴こえます。ピリオド系団体の過激さや瞬発力があれば良かったのかもしれません。

 第2楽章も中庸のテンポを採択し、画然たるリズムを刻みつつ至って生真面目に進行。当盤全体として表現そのものは清新で、ひたすら端正な造形を基調にしています。この指揮者ならもっと斬新なアイデアや面白味があってと、期待してしまうのも良くないのでしょう。しかし演奏は後半に行くほど良く、第3楽章は美しく磨かれたしなやかな旋律線と、小編成の利点を生かした自在な緩急が好感触。

 第4楽章は冒頭の低弦がよく練られ、表情の説得力が強い上、声楽が入ると愉悦感も加わってきます。独唱陣は際立ったスタンド・プレーこそないものの、まとまりが良いパフォーマンス。細かい緩急が付けられたコーラスの響きも美しく、豊かに彩られた和声感が、今一つ音色的魅力に欠けるオケをうまく補完しています。行進曲の辺りか

“旧盤そのままの解釈ながら、音質向上と共にほとんど伝統芸能の域に達した名人芸”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン楽友協会合唱団

 ジャネット・ペリー(S)、アグネス・バルツァ(A)

 ヴィンソン・コール(T)、ホセ・ファン・ダム(Br)

(録音:1983年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤン最後の全集録音中の一枚。第1楽章は旧盤と同様に速めのテンポで、語尾を伸ばすソステヌートも踏襲。意外に高音偏重で軽い響きに聴こえるのも旧盤と同じですが、デジタル初期の当盤はより響きが薄い傾向もあります。ルバートを排したイン・テンポ気味の進行もそのままで、細部に拘泥せず勢いを重視。スコアの解釈が変化したというより、音質の向上とパフォーマンスの深化が再録音の主要な目的と思われます。

 第2楽章も速めのテンポで気性が荒く、やはり勢いを優先。オケが上手いので成立していますが、リハーサルで緻密に作り上げたようには聴こえません。トリオでテンポを落として緩急を付けているのも旧盤同様。第3楽章も旧盤のスタイルを踏襲しながら、音色を磨き上げる事で耽美性を増し、正にカラヤン・アダージョの世界です。強奏部は金管を始めやたらと音圧が高く、張りがあって壮麗そのもの。

 第4楽章は速めのテンポできびきびと開始。各部の演出は見事に決まり、ほとんど伝統芸能の域に達しています。歓喜の主題もスピーディかつ流麗で、全体が流れるようにスムーズに進行するのはさすが。豪華独唱陣も細やかな表現ながら突出せず、まとまりの良さを感じさせますが、合唱は遠目のバランスで収録され、細部がやや不明瞭。後半からコーダにかけての華やかな祝祭的高揚感も、カラヤン一流の語り口です。

“本気モードのメータは絶好調。当コンビのベートーヴェン録音で最も傑出した内容”

ズービン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

 ニューヨーク・コラール・アーティスツ

 マーガレット・プライス(S)、マリリン・ホーン(Ms)

 ジョン・ヴィッカーズ(T)、マッティ・サルミネン(Br)

(録音:1983年  レーベル:RCA)

 メータが久しぶりにRCAから発売したアルバムで、合唱幻想曲(ソロはアックス)との2枚組ライヴ盤。オペラ歌手を揃えた独唱陣の顔ぶれも華やかです。当コンビのベートーヴェンはCBSに第3、5、8番が録音済みですが、当盤は音に力強い芯があって、CBSのサウンドよりアメリカンな派手さも抑制されている感じ。ただ、残響が人工的に処理されて聴こえる傾向があります。

 第1楽章は冒頭から意志力が強く、弦の動機も入りがアクセントで強調されて、このコンビのベートーヴェン録音としては特に気合いが入っている印象。合奏も引き締まって密度が高く、オケの強い集中力も感じられます。美麗な弦をはじめ響きが艶やかに磨かれ、木管の内声も発色が良く明朗。ティンパニの強打など腰が強く、剛毅な性格ですが、部分的な溜めを除けば造形は端正とも言えます。

 第2楽章は速めのテンポできびきびと展開。やはり生気に溢れ、やる気を出した時のメータらしいエネルギッシュな活力が感じられます。アインザッツにもスピード感とエッジがあって好印象。弱音部にも緊張感が維持されていて、プロなら常にこうあってほしいものです。第3楽章は冒頭からロマンの香りが漂い、終始ヴィブラートで艶っぽく歌う木管や弦は、どことなくブラームスの世界を想起させます。響きが透明ですっきりとしている上、各フレーズが生き生きと歌われるのも魅力的。

 第4楽章導入部は、造形をタイトに引き締めながらも各部を雄弁に描写して卓抜な棒さばき。こういうのを聴くと、やはりメータは一流の音楽家だなと感じます。歓喜の主題も淡々とさりげなく導入しながら、ヒューマンな温もりとたおやかな叙情を盛り込む辺り、秀逸という他ありません。ティンパニと金管が入ってくる箇所の流麗なレガートと華やかな祝祭感も、メータらしい豊かな音楽性が盛られた表現です。

 重量級の独唱陣ながら声楽は小気味よく扱われていて、これもお祭りイベントの経験が豊富なメータらしい態度。随所に明快なメリハリを効かせながら、大局を見失う事なく、パワフルな棒で全体をまとめあげています。それでいて大味になる事がなく、合奏の精度が失われないのはさすが。コーダに至るテンポの設計、ライヴらしい高揚感の表出も見事。

“純ドイツ風の充実した響きに、指揮者のモダンな性格がうまく合致”

コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団・合唱団

 ヘレン・ドナート(S)、トルデリーゼ・シュミット(Ms)

 クラウス・ケーニヒ(T)、サイモン・エステス(Bs)

(録音:1985年  レーベル:フィリップス)

 デイヴィスは後に、シュターツカペレ・ドレスデンと全集録音を行っています。ヘルクレスザールで録音された同響の音は有機的で密度が高く、「これぞベートーヴェン」というどっしりしたドイツ的な響き。ヤンソンスの全集も、このホールで収録された1〜6番はそうでした。デイヴィスはそこに、適度にシャープなエッジと力強いティンパニの核を加え、内声の透明度を上げて幾分かのモダンさを加えています。

 第1楽章は急がず慌てずゆったりと構え、鋭利かつ精確なリズム処理をベースに、克明な合奏を構築してゆくシンフォニックなスタイルがデイヴィス流。冷静着実にビートを刻んでゆく冷静さは異色とも言えますが、情緒過多にならない程度にオケの側が豊富なニュアンスを盛り込んでいるので、無味乾燥には陥りません。ほぼイン・テンポを貫きつつも、トゥッティが渾身の力で打ち込まれるので、音響面から激しく高揚するように聴こえるのもこの指揮者の特質です。

 第2楽章も落ち着いたテンポで、ティンパニがソロになる場合はやや抑えるのもデイヴィスの演奏に共通。リズムの精度を常に徹底させる彼には、性格的に向いた曲想と言えます。ただ、トリオでも一切テンポは変えません。オケが優秀で、解像度の高い合奏を維持する一方で、ディティールに豊かな味わいも感じさせます。

 第3楽章はテンポこそスローながらロマン的陶酔に傾かず、響きを磨き上げて対位法と和声の美しさを追求した純音楽的表現。第4楽章冒頭は無愛想なほど力みがなく、淡々と開始。その軽快さにH.I.P.との共通性が無くもありません。歓喜の主題は虚飾を排した清廉な語り口にも関わらず、しみじみとした情感と暖かみが横溢。そこはオケの自発性を引き出す人徳でしょうか。ティンパニとトランペットが加わる山場の、なんとも流麗で滑らかな歌い回しも素晴らしいです。

 デイヴィスは声楽にもリズムと音程の正確さを徹底しているようで、どこを取ってもテンポが走ったり、感情的になったりする箇所がありません。管弦楽も含め、切れの良いスタッカートを駆使して整然たる合奏を展開。どんな曲でも剛毅な性格を貫徹する、ある意味では非常に個性的な指揮者だと思いますが、後半はちゃんと作品が必要とする祝祭感に達していてさすがです。辛口のようで、実は器用な人。

“遠めの音像ゆえか、ドラティにしては峻烈さやメリハリを欠いて聴こえるライヴ盤”

アンタル・ドラティ指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団・合唱団

 ロベルタ・アレクサンダー(S)、ヤルド・ファン・ネス(Ms)

 ホルスト・ラウベンタール(T)、レオナルド・ムロス(Bs)

(録音:1985年  レーベル:RCO)

 楽団自主レーベルによる、曲ごとに指揮者の違う全集ライヴ・セットから。ちなみに他は、第1番がジンマン、第2番がバーンスタイン、第3番がアーノンクール、第4番がブロムシュテット、第5番がヤンソンス、第6番がノリントン、第7番がクライバー、第8番がヘレヴェッヘで、既に全集録音のあるハイティンク、サヴァリッシュ、I・フィッシャーはラインナップされず。ちなみにドラティのベートーヴェンは、マーキュリー時代を最後に録音されていません。

 やや遠目の距離感で収録されていて、そのせいか柔らかく、まろやかに聴こえる演奏。第1楽章は、ドラティならもっと厳しくタイトなシェイプを追求するかと思いましたが、肩の力が抜けてゆったりした佇まいで、むしろ柔和な性格。無用な溜めや恣意的なアゴーギクのない清廉な表現はこの指揮者らしい一方、鋭いエッジや緊張感はあまりありません。唯一、コーダ前後の力強さに覇気が漲ります。

 第2楽章は落ち着いたテンポで克明な表現。精確で歯切れの良いリズムも聴かれますが、アタックは鋭いというほどでもなく、むしろそこそこ緩さが目立ちます。雄渾な力感も、録音のせいで前には出ない印象。逆に第3楽章は清澄な響きが美しく、全曲中で最も美点が出ているように感じます。誇張こそないものの、明快なフレージングでくっきりと旋律線を際立たせるドラティの棒がプラスに働いて好印象。管弦のバランスも美麗です。

 第4楽章は冒頭のティンパニにパンチの効いた一撃があり、やっとドラティらしい峻烈さが聴かれます。合奏はやや乱れますが、声楽入りの巨大な作品もよく振る彼らしく、全体を手堅くまとめているのはさすが。歓喜の主題以降もタイトなテンポで堅固に構成する一方、あまりドラマティックな対比は作らない傾向です。声楽導入後の管弦楽パートには鋭敏なタッチもあり。遅いテンポで悠々と盛り上げるクライマックスは、熱っぽい高揚より恰幅の良さが先行します。

 メジャー・レーベルがスター級の歌手を起用する事を考えるにつけ、当盤の顔ぶれはむしろこれくらいでいいじゃないかと思いますが、バスの歌い出しはさすがに非力。もっとも、アンサンブルではさほど気にならなくなり、テノールのソロはリズム感も良いし、悪くないパフォーマンス。合唱はマイクから遠すぎて、発音やアインザッツなどあまり聴き取れないですが、編成は大きめのようです。

“オケの個性に合わせ、良くも悪くも優美な音楽世界で一貫”

クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン国立歌劇場合唱団

 ガブリエラ・ベナチェコヴァ(S)、マリアナ・リポヴシェク(Ms)

 ゲスタ・ウィンベルグ(T)、ヘルマン・プライ(Br)

(録音:1986年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 アバド最初の全集録音から。彼は後にベルリン・フィルと二度の全集録音を行っていますが、同曲に関しては別にソニーへの単独録音もあり、こだわりを見せています。

 第1楽章はテンポが遅く、ゆったりとした間合い。鋭角的に造形せず、オケの自発性に合わせて無理なくまとめたような体裁です。そのためタッチが優美で、感興や情緒も豊かですが、厳しい緊張感や尖った問題意識は全く感じられません。アゴーギクも旧スタイルで、音量の増減に合わせてテンポも変動。唯一、リズムがシャープで画然たるアンサンブルを構築するのと、展開部やコーダで金管をソリッドに吹奏させるのがアバドらしい個性でしょうか。

 第2楽章は中庸の速度。イン・テンポで通さずに恣意的な間を挟む上、曲調に合わせてテンポに重みを加えたり、コーダをはじめアッチェレランドで煽る箇所もあります。必要以上に鋭利なエッジは効かさず、オケのまろやかなソノリティに合わせた格好。緩急の付け方は巨匠風ですが、弦の刻みなどアインザッツを克明に揃えてゆく律儀さにモダンな性格も表します。ただティンパニのリズムには、今一つの峻厳さが欲しい所。

 第3楽章はやはりスロー・テンポで、豊かな叙情性と柔らかなカンタービレを堪能させる方向。弱音主体の設計で、デリカシーは感じられますが、響きを透徹させて対位法を浮き彫りにするタイプではありません。色彩が明朗なのはアバドの美点。オケの特質が生きて実に典雅な世界観ですが、瞬間の美しさに耽溺して音楽が停滞気味にも感じます。艶やかな旋律線や、ユニゾンやトゥッティの豊麗さはウィーン・フィルならでは。

 第4楽章は、後の全集録音を彷彿させる速めのテンポと表現主義的な身振りで開始。急にスタイルが変わるので驚きますが、アバドの録音にはこういう不器用さが時折聴かれます。彼に言わせれば、これもスコアに即してという事なのかもしれません。弦のレチタティーヴォも声楽的と言えるほど雄弁な語り口。低弦による歓喜の主題を、ほとんど聴こえないくらいのピアニッシモで始めるのもアバドらしいです。

 冒頭部分への回帰は急速なテンポに戻して駆け込み、名歌手プライのさすがの歌唱にうまくバトン・タッチ。行進曲に入るとテノールも溌剌とした歌いっぷりで、弦の刻みに鋭さや切れ味も出てきます。僅かに加速するアゴーギクも効果的。後半は大作をまとめる手腕を発揮し、祝祭的な高揚感も加味して、見事な大団円を盛り上げます。曲によって色々と難もある全集ですが、最後にこれを聴かされると「終り良ければ全て良し」という気になるかも。

“凄みのある迫力や颯爽たる疾走感も盛り込んだ、満を持しての録音”

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

 オランダ放送合唱団

 ルチア・ポップ(S)、キャロリン・ウィルキンソン(A)

 ペーター・シュライアー(T)、ロベルト・ホル(Bs)

(録音:1987年  レーベル:フィリップス)

 全集録音から。作品と指揮者の相性に適合・不適合がかなり出ている全集と感じますが、同曲に関しては完成度の高い名演だと思います。第1楽章はゆったりとしたテンポで開始。フレージングの間合いなどに、独特の落ち着いた味わいがあります。ティンパニなど力感には事欠かず、展開部の迫力もなかなかのもの。響きはクリアで立体感があり、木管の細かい動きが明瞭に耳に入るなど、見通しの良さが好印象です。

 第2楽章はかなり速めのテンポで、颯爽とした疾走感あり。アタックが強く、切れ味の鋭いリズムをさらに詰めてくる辺り、この指揮者には珍しくオケを煽る様子が見られます。殊にティンパニを伴うクレッシェンドには、迫り来るような凄味があって迫力満点。逆にトリオはゆっくりしていて、主部との対比をあまり付けない方向ですが、楽章全体が第1楽章と明確に差異化されたテンポ設定なので、逆算で設計しているのかもしれません。

 第3楽章は、情感的にはやや淡白ながら、音彩の美しさで聴かせる表現。過剰な表情を付けずとも豊かな味わいを出せるコンセルトヘボウ管ならではといった所でしょうか。明朗で柔らかなソノリティも曲調にふさわしいもの。トゥッティ部の堂々たる力感とスケールにも、かつてのハイティンクにはなかった風格を感じさせます。

 第4楽章は、歌唱陣の好演とオケの充実したパフォーマンスで、全集を締めくくるにふさわしい名演。冒頭こそやや慎重なものの、続く楽想の変転やテンポ推移のコントロールが実に音楽的で意味深く、指揮者の円熟が如実に表れています。リズム感が良く、行進曲から器楽部のクライマックスに達する部分でも、よく弾む鋭利なリズムが軽快なフットワークを産んでいます。

 オケも合唱も雄大なスケールや分厚い響きを指向せず、透明感を保ちながら表情豊かな演奏を繰り広げる辺り、モダン・オケながらH.I.P.に一歩踏み出した表現と言えるかもしれません。過剰な演出こそありませんが、コーダに至るクライマックスも燃焼度が高く、ライヴ的な感興があります。独唱陣も抑制のきいた端正な表現ながら、美しい声でまとまりのよいアンサンブルを展開。

“迫力や高揚感よりも、艶っぽい歌謡性と流線型のプロポーションを追求”

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

 ウェストミンスター合唱団

 チェリル・ステューダー(S)、ドロレス・ツィーグラー(Ms)

 ペーター・ザイフェルト(T)、ジェイムズ・モリス(Bs)

(録音:1988年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音から。当コンビは78年に第6、7番を同じレーベルに録音していますが、収録会場は新本拠地のメモリアル・ホールではなく、当時EMIがレコーディングに使っていた旧メトロポリタン歌劇場でした。満を持してのレコーディングだとは思うのですが、ウィーン・フィルとのシューベルトと同様、ムーティの棒は実にさりげなく、ほとんど気負いが感じられません。明朗ながら、柔らかく透明感のある響きを作っているのも意外。

 第1楽章は、拍子抜けするほど力みのない表現。もうちょっと意志の力が漲らないとベートーヴェンではないと思ってしまいますが、展開部では底から突き上げるような力感と凄みを示してみたり、コーダもうまく決まっていますので、あくまで設計の範囲なのでしょう。

 第2楽章は非常に速いテンポで疾走しますが、中途に力こぶを作らず、流れるようにフレーズを紡いでゆくので、あくまで流線型の優美なプロポーションに仕上がっています。トリオではゆったりと弛緩。第3楽章は、全曲中で最もこのコンビの良さが出ている印象で、艶っぽく美麗な音色とやや粘性を帯びた耽美的なカンタービレが聴きもの。ムーティはこういう、対位法と和声の処理には一級の手腕を持っています。

 第4楽章は淡々と開始し、予期される劇性を拒否。歓喜の主題も、ティンパニが入るトゥッティ部を速めのテンポで駆け抜け、スポーティな感覚が前に出ます。バスの歌い出しは。ソステヌートでたっぷり間を取ってメロディアスな表現。行進曲のパートは生き生きと弾む快活なリズム感がムーティ流ですが、やはりアクセントが突出せず、フォルムの滑らかさが優先されます。コーダも熱狂や高揚感よりまず“歌”の感覚が強く、旋律線を第一に考えて造形された表現。

“正統派の名演を志向する前半3楽章と、完全にジュリーニ流のフィナーレ”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 エルンスト・ゼルフ合唱団

 ユリア・ヴァラディ(S)、ヤルド・ファン・ネス(Ms)

 キース・ルイス(T)、サイモン・エステス(Bs)

(録音:1989年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ジュリーニは90年代にスカラ座フィルとベートーヴェンのツィクルス録音を行っていますが、なぜか同曲だけは録音されず、当盤がそれを補完すれば一応の全集と見なす事ができます。ただDGレーベルには、過去にロス・フィルとの第3、5、6番の録音もあり。

 第1楽章は、やや遅めというくらいのテンポ。付点音符にスピード感があり、リズムがよく弾むのと、弦の速いパッセージもレガートで流麗に聴かせる所はジュリーニ流です。トゥッティには雄渾な力が漲り、ドイツ的色彩も申し分なく表出されたオケの響きが充実。管弦のバランスも見事で、展開部の気宇の大きさ、コーダに至るまでの堅固で揺るぎのない構成も立派です。

 第2楽章はリズムが正確そのもの。シャープさと安定感を両立させ、すこぶる峻烈なスタッカートを駆使して、緊密なアンサンブルを聴かせます。テンポは落ち着いていて優雅ですが、決して遅すぎず、作品の規模に見合ったスケルツォという様式感。こういう、クラシック音楽を聴く愉悦や醍醐味を十分に提供してくれる演奏は、この時代辺りから少なくなりました。第3楽章は冒頭から陰影が濃く、弦の主題提示も柔らかく典雅な歌い口が魅力的。強奏部の艶やかで有機的な響きも聴き所です。

 第4楽章は気負いがなく、軽めのタッチで開始。弦のレチタティーヴォは堂に入っていて、さすがの棒さばきです。歌唱陣では、フェルマータ気味の間合いをとったエステスの歌い出しが、独特の声質と共に表情豊かでユニーク。それでも伴奏が入ってくると、木管のオブリガートと相まってなかなか感じの良いアンサンブルになります。

 合唱は中規模で、さほど奥行き感のない収録。後半は、女性合唱のパート辺りから目立って遅いテンポが採られ、正統派の名演だった前半3楽章と較べて、個性の強い表現が聴き手の好みを分つかもしれません。コーダも熱狂にまかせず、遅いテンポで細部を克明に処理してゆくのがジュリーニらしい所。

“独自の語法と熱っぽい指揮で作品への適性示す。後半はコーラスの独壇場”

ニコラウス・アーノンクール指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

 アーノルト・シェーンベルク合唱団

 シャルロッテ・マルジョーノ(S)、ブリギッテ・レンメルト(A)

 ルドルフ・シャシング(T)、ロベルト・ホル(Bs)

(録音:1991年  レーベル:テルデック)

 ライヴによる全集録音中の一枚。全曲中でも特に成功した演奏だと思います。すっきりとした見通しの良い響き、エッジの効いたアタックと明快を極めた輪郭、フットワークの軽い合奏は、規模の大きいこの作品で最大限の利点を発揮。当盤では、作品の持つ祝祭感が他の演奏よりずっと強く引き出されているのも不思議です。最後までずっと、疾走してゆく勢いと熱っぽさがあるからでしょうか。

 第1楽章は非常にクリアな響きで、機敏な足取り。フォルムが実によく分かる、目の覚めるように鮮やかな表現です。前傾姿勢のスリリングな緊張感があり、シャープなリズムを駆使していてすこぶる躍動的。随所でわずかにテンポを煽るのも効果的で、気性の激しさというか、内面から突き上げるような熱っぽさがあるのが素晴らしいです。

 第2楽章もリズムの動力と弾力が強靭で、力強く、生命力に溢れたグルーヴが支配する演奏。ティンパニの打音も鮮明でパンチが効いていて、オケの運動神経を向上させています。この楽章に限らず、合奏の一体感は目覚ましく、鋭利なアクセントの一方で随所に優美な曲線を描いてゆくのも、後に全盛を迎えるH.I.P.のスタイルそのまま。敏捷という他ないトリオへ移行する呼吸も驚くほど巧妙です。

 第3楽章も、音楽を弛緩させないハイ・テンションな指揮。常に腰が浮いている感じで、落ち着きがないと言えばそれまでですが、これほどの大作を一気に聴かせるには、中途で落ち着かない方がいいとも言えます。響きが澄んでいて明晰で、内声の動きまでよく聴こえるのは美点。色彩感も数割増しで鮮やかに感じられます。

 第4楽章導入部は、ノン・ヴィブラートのストレートで峻烈な発音を駆使した、演劇的、バロック的な身振りで、アーノンクールにとっては十分咀嚼された表現という感じ。ただ歓喜の主題の、細やかな表情を加えた艶っぽい歌はロマン派風で意外です。声楽が入っても重くならず、軽やかな一体感を維持するのはさすが。とりわけコーラスのスキルと表現力は圧倒的で、後半はもうほとんど合唱の独壇場です。終始動感を保ちながら、物理的な高揚と内面の白熱を達成するのは見事。

“爽やかで明朗なオケ、精緻な描写力を貫徹するベテラン指揮者”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 デュッセルドルフ州立楽友協会合唱団

 マーガレット・プライス(S)、マリアナ・リポヴシェク(Ms)

 ペーター・ザイフェルト(T)、ヤン=ヘンドリク・ロータリング(Bs)

(録音:1992年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音から。セッション、ライヴが混在する全集ですが、同曲はライヴ収録。フィリップスの録音とは違い、高音域の爽快感と抜けが際立つサウンドで、このオケ、このホール特有の、中低音の膨らみや柔らかさはやや抑えられています。音色自体は艶やかで、みずみずしく明朗な色彩感も魅力。

 第1楽章は安定感抜群のテンポで、堂々たる開始。ただし厳めしさや物々しさはなく、細身のシャープな響きとエッジの効いたリズム処理がサヴァリッシュらしいです。筆致は冴え冴えとしていて、内声も明晰そのもの、伝統的な純ドイツ風というよりモダンなタッチが際立つ表現で、合奏に感情が自然に乗るのはベテランの棒らしいです。

 第2楽章も丹念というより律儀な指揮ぶりで、アインザッツをきっちり合わせた合奏が造形の鋭さに直結しています。テンポは落ち着いていて、オスティナート・リズムがくどくなく、時に流れるように優美に聴こえるのはさすが。第3楽章は速めのテンポで停滞せず、透明度の高い響きで各レイヤーを照射。ふくよかな肉体性を欠く代わり、細部は非常に精緻で、艶っぽい音色と豊かなニュアンスで各声部を歌わせているのが魅力的です。

 第4楽章は意外にもリズムを強調しつつ、力まず軽快なタッチで開始。しかし各部の表情は的確そのもので、どのパッセージも確信を持って扱われます。弦が歌う歓喜の主題に、何とも言えない暖かい感興が乗るのはベテランの人徳でしょうか。一方、金管が加わった後もフレージングが見事に解釈されていて思わず感心させられます。

 後半は棒がやや慎重になり、噛んで含めるような調子も出てきますが、スター級の歌手を揃えながらまとまりの良い独唱陣、マイナーな団体ながらよく揃った合唱と、声楽の扱いはさすがオペラ指揮者。楽章全体の構成力も傑出しています。歓喜の主題は、器楽も声楽もソステヌートで優しく歌わせるのが独特。コーダに向けての加速を回避していて、むしろどんどんブレーキがかかる感じです。

“旧バイエルン盤とほぼ同じ解釈ながら、細部の自由度が増した全集盤”

コリン・デイヴィス指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

 ドレスデン国立歌劇場合唱団

 シャロン・スウィート(S)、ヤドウィガ・ラッペ(Ms)

 ポール・フレイ(T)、フランツ・グルントヘーバー(Br)

(録音:1993年  レーベル:フィリップス)

 全集録音中の一枚。デイヴィスはこの8年前に、同曲をバイエルン放送響と録音しています。時期が近いせいもあり、演奏の傾向はバイエルン盤とほとんど同じですが、当盤の方が若干オケの腰が重いのと、シャープなエッジや、それが産む猛々しさは後退したように感じます。堅固な造形を構築する指揮者に対して、オケが滋味豊かな音色とニュアンスで応えている点も共通で、そこはドイツの名門と共演した利点と言えるでしょう。

 第1楽章は、落ち着いたテンポで細部を着実に音化してゆく趣。表現自体はバイエルン盤からそれほど変わっていないのですが、オケの個性かアタックや語り口がよりまろやかで、気性の烈しさが抑制された印象です。統率もやや緩くなり、アインザッツが乱れる箇所も散見。緊張度は少し下がり、弱音部ではのどかなムードさえ漂います。

 第2楽章はややテンポが引き締まる一方、細部の描写はより濃密になった感じ。トリオでテンポが変わらない解釈は踏襲していますが、オケの味わい豊かな表現は素晴らしいです。リズムの精確さの徹底も健在。第3楽章も遅めのテンポ、対位法及び音色美の追求を踏襲していて、各パートの自発性に溢れた歌いっぷりがすこぶる魅力的です。特に管楽群の彩りの美しさは絶品。

 第4楽章は旧盤より重みが増し、ずっしりと手応えのある序奏部に変貌。この全集に共通する、恰幅の良い溜めも加わります。歓喜の主題でトランペットに目立つヴィブラートを掛け、ソステヌートで流麗に歌わせる解釈は継承していますが、かっちりと構築された全体の枠組みとの対比は弱まりました。

 歌手へのディレクションは旧盤よりずっと自由になっていて、グルントヘーバーの歌い出しもどこか即興的。重唱やコーラスも、リズムや音程が最優先されていた旧盤と較べると、ソリストやコーラスの表情が前に出ています。特にスウィートの張り切りぶりが耳に付きますが、ソリストに関してはマイク・セッティングの影響もあるかもしれません。行進曲以降もぐっとテンポを落とし、腰を据えて細部を濃厚に描写。コーダへ向けて加速し、ひときわ熱っぽく盛り上げるのは旧盤同様です。

“H.I.P.の真逆を行く、ものものしいドラマ性と濃淡が付与された異色の第九”

ジュゼッぺ・シノーポリ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

 ドレスデン国立歌劇場合唱団

 ソルヴェイグ・クリンゲルボーン(S)、フェリシティ・パーマー(Ms)

 トーマス・モーザー(T)、アラン・タイタス(Bs) 

(録音:1996年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 シノーポリのベートーヴェン録音は少なく、他にイスラエル・フィルとの第3番、フィルハーモニア管とのピアノ協奏曲第1、2番(ソロはアルゲリッチ)、ヴァイオリン協奏曲(ソロはミンツ)があるくらいです。ルカ教会ではなく歌劇場での収録で、残響がデッドなためこのオケらしい豊麗な音色はあまり味わえません。

 第1楽章は造形こそオーソドックスながら、強弱や色彩面の濃淡をかなり細かく付ける印象。テンポは中庸で、合奏に決然とした調子があって、弦楽主体の鋭い切っ先と音圧でぐいぐい押してくる感じは、いかにもドレスデンのオケと感じます。リズムの刻み方も克明そのもので、ドイツ的性格が前面に出て、イタリアのオペラ指揮者の棒だとは意識しません。構成が練られているのはさすがで、緩急は論理的に構築されますが、コーダに向けて烈しいパッションを露にしてゆく所にシノーポリらしも出てきます。

 第2楽章は速めのテンポでやはり筆圧が高く、力こぶを作って一心に没入するのは良くも悪くもこの指揮者の特質。真剣勝負ゆえに力み返る所もなくはないですが、たおやかな歌心や効果的にテンポを煽る演出センスも垣間見せます。オケも集中力が高く、一体感の強い合奏で応えていて見事。第3楽章はスロー・テンポで、マーラーのようなロマン的表現。H.I.P.の観点からすれば、かなり時代錯誤のスタイルと言えます。粘りが強く、恣意的な溜めと間合いを挟む強奏部も異色。

 第4楽章は無骨な力感をむき出しにした開始と、ものものしく意味ありげな弦のレチタティーヴォが正にシノーポリ節。ベートーヴェンの魂をストレートに感じたいリスナーには、指揮者の自意識が邪魔という人もいるかもしれません。こう聴くと、目的は違っても結果がストコフスキーと近い所に行ってしまって、その意味では誤解されやすい不幸な指揮者だったという気もします。

 歓喜の主題も情感たっぷり。トランペットなどヴィブラートで朗々と吹いていて、こうなるともうH.I.P.も何もあったものじゃありません。ソリストが入ってくると、ほとんどオペラかオラトリオの世界で、指揮者もオケもこの様式感覚に納得している様子(マリナーやアーノンクールも振っている団体なのですが)。ただ、後半はエンジンのかかりが遅く、完全燃焼とはいかないのが残念です。

 → 後半リストへ

Home  Top