ベートーヴェン/交響曲第9番《合唱》 (続き)

*紹介ディスク一覧

96年 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

99年 バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリン

00年 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

02年 ラトル/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

06年 ヤンソンス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

07年 ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団

08年 P・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

08年 シャイー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

09年 金聖響/オーケストラ・アンサンブル金沢

10年 ティーレマン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

11年 ナガノ/モントリオール交響楽団

12年 T・トーマス/サンフランシスコ交響楽団

15年 ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

18年 ネルソンス/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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“アバドとしては過渡的なスタイルの、ザルツブルグ・ライヴ盤”

クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 スウェーデン放送合唱団、エリック・エリクソン室内合唱団

 ジェーン・イーグレン(S)、ヴァルトラウト・マイヤー(Ms)

 ベン・ヘップナー(T)、ブリン・ターフェル(Br)

(録音:1996年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 当コンビは後にベルリンとローマで全集録音と映像収録を行っていますが、当盤はザルツブルグの大ホールで収録された番外編的な一枚。時期的にも、ウィーン・フィルと完成させた全集との間に位置づけられる録音で、アバドの解釈の変遷に注目したい所です。コーラスの最高峰とも言うべき両合唱団の起用や、ワーグナー歌手を集めたような重量級の歌唱陣も目を惹くポイント。残響音が豊富に取り入れられた録音です。

 第1楽章はたっぷりとした音価で、みずみずしい音響を構築。身振りや足取りは軽快で、響きも透明。気負いがなく、肩を怒らせない自然体の姿勢がアバドらしいです。ニュアンスは細やかながら、アーティキュレーションやエッジの強調がなく、この時点ではとりわけH.I.P.に傾倒しているとは言えません。ただしリズムは明確に打ち出し、印象としては小編成のすっきりした感じに近いかも。

 第2楽章は、中庸のテンポで落ち着いた風情。やはり肩の力が抜けていて、激した表情や音量で圧倒したりはしません。主要動機の付点音符などリズムが軽妙で、音色の変化も多彩、常に風通しが良く、爽やかな佇まいです。

 第3楽章は、南欧の陽光が降り注ぐような明朗な色彩の中、流麗な歌が紡がれる美しい演奏。テンポに推進力があり、表情が豊かです。管弦のバランスは優美にコントロールされ、弦のハイ・ポジションなど鮮やかで艶っぽい響きが魅力的です。フレーズの中に隠れたリズムを弾ませる手法は独特で、金管のソリッドな吹奏は後年のピリオド系スタイルにも通じる雰囲気。

 第4楽章はパンチの効いたトゥッティと、語りかけるように雄弁な低弦の対比が明確で、強弱の描写も徹底されていて、ややH.I.P.に接近。音色の明るさはここでも際立ち、歓喜の主題を歌う管楽器にも朗々とヴィブラートをかける辺り、旧ウィーン盤を彷彿させる表現です。

 ターフェルの歌い出しは圧倒的。表現力も存在感もそこいらの歌手の比ではありません。独唱もコーラスも響きの透明度のみならず、引き出しの多さと精度の高さで他盤を大きく引き離す印象。アバドの棒も、生き生きとした動感を維持して音楽を停滞させず、楽曲の長大さを持て余す事がないのはさすがです。ただこの曲の宿命として、いくら豪華でもソリストの実力を存分に生かし切れないのは残念。

“古風で濃密な語り口ながら、圧倒的な説得力で聴かせる超名演”

ダニエル・バレンボイム指揮 シュターツカペレ・ベルリン

 ベルリン国立歌劇場合唱団

 ソイル・イソコスキ(S)、ローズマリー・ラング(Ct)

 ロバート・ギャンビル(T)、ルネ・パーペ(Bs)

(録音:1999年  レーベル:テルデック)

 全集録音から。敬愛するフルトヴェングラーも得意とした曲ですから、バレンボイムにとっては相当な思い入れがあったであろう録音ですが、濃密と言う他ない、見事な第九です。第1楽章は大きく構えた表情で、ティンパニの強打などやや物々しい雰囲気。響きが充実して力感が漲り、抜けの良いブラスが壮麗に鳴り渡るのは当全集共通の傾向ですが、当盤ではさらにスケールが拡大される印象もあり、展開部の迫力など相当なものです。

 第2楽章は導入部のリズム感が抜群。画然と刻まれるオスティナートは、その厳格さ、アタックの苛烈さがいかにもドイツ的ですが、テンポが速い上に響きが明朗で、クレッシェンド部で熱っぽく音楽を煽るなど、バレンボイムらしいアプローチも随所に聴かれます。トリオは非常にゆったりしたテンポで、主部とのコントラストを大きく付けずスムーズに移行。第3楽章は逆にメリハリが大きく、情感豊かな主部に対してトゥッティ部でテンポを落とし、即興的なフェルマータを挟んで雄大に盛り上げます。

 第4楽章は冒頭から、たっぷりとした間合いでニュアンス濃厚。歓喜の主題提示は、低弦をスローテンポで開始し、徐々に加速しつつ感興を高めてゆく手腕はさすが。H.I.P.の対極に位置しながら、古臭い感じは全然ありません。

 パーペの歌い出しは力感が漲り、抜群の安定感。コーラスとの掛け合いには、即興的な間合いを挿入しています。重唱や合唱にも細かく強弱のニュアンスを付けている辺りは、声楽曲やオペラを得意にしてきたバレンボイムならでは。充実しきった有機的なオーケストラ・サウンドに声楽を加え、祝祭的クライマックスへ音楽を導いてゆく練達の棒は聴き応え充分。ものすごい名演だと思います。

“大きくH.I.P.に踏み切った、アバド二度目の全集録音から”

クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 スウェーデン放送合唱団、エリック・エリクソン室内合唱団

 カリタ・マッティラ(S)、ヴィオレッタ・ウルマーナ(Ms)

 トーマス・モーザー(T)、トーマス・クヴァストフ(Bs)

(録音:2000年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ライヴによる全集録音から。まず本拠地フィルハーモニーで収録を行った全集が発売され、翌年にローマ聖チェチーリア音楽院で再録音。アバドはローマ録音を正式な全集としていますが、その際に同曲だけはベルリンの音源が採用されました。当コンビにはこの4年前にザルツブルグでのライヴ盤もありますが、演奏スタイルは当盤で完全にH.I.P.へと変貌した感があります。

 第1楽章は特にその傾向が強く、遅めだった過去2回の録音とは打って変わり、速めのテンポと叩き付けるようなアタックで躍動感を前面に出しています。リズムやフレーズの扱いがバロック的でその点からもう違いますが、弦もほぼノン・ヴィブラートで、エッジの効いた管楽器が露呈するソリッドな響きもピリオド風。オケの艶やかな音色は僅かに残しながらも、雑音性が加わった響きと言えます。フットワークが軽快で、熱っぽい動感があるのは美点。

 第2楽章も一転して速めのテンポになり、音量を抑えて軽妙なタッチを生かしています。スケルツォ的な性格はよく出ていて、本来こういう音楽だったんだという説得力もあり。特に、強弱のグラデーションやフレーズの表情が敏感に変化する辺りは見事です。トリオがすこぶる速いのもユニークな解釈ですが、歯切れの良いスタッカートも痛快で。聴いているとこの方がしっくりくるくらい。

 第3楽章も推進力のあるテンポで、色彩感が豊か。特に木管群の好演が光り、作品に新しい魅力を付与している印象も受けます。音色がどこまでも明朗で、室内楽的な緻密さを徹底させたアンサンブルも当盤全体の美点。

 第4楽章は控えめな音量で開始し、あらゆるフレーズを軽くデリケートなタッチで舞わせる感じ。過去の2録音もこの楽章は速めのテンポで雄弁に描写したアバドですが、当盤を聴くとそれらはまだ過渡的な表現だったと分かります。歓喜の主題も徹底して流麗、優美で、細やかな強弱を受けてしなやかに歌われる様はただただ見事。

 声楽陣は一新していますが、やはり歌劇場級の豪華キャスト。オケと歌手の対話に自在な呼吸感があり、重唱のまとまりも良好。合唱は旧盤と同じ2団体で、技術も表現も最高のクオリティ。後半もスピーディでリズムが弾み、カラヤン流の壮麗さを捨てて軽妙さに振り切った表現は清新です。極端な刺々しさもなく、モダンとH.I.P.の良いとこ取り。和声感が鮮やかで響きはどこまでも澄み切り、高揚感もあって言うことなしです。

“オケの良さを生かしつつ、H.I.P.のトレンドも意識して取り入れるラトル”

サイモン・ラトル指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 バーミンガム市交響楽団・合唱団

 バーバラ・ボニー(S)、ブリギット・レンメルト(Ct)

 クルト・ストライト(T)、トーマス・ハンプソン(Br)

(録音:2002年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集ライヴ録音から。ラトルは後に、ベルリン・フィルともライヴで全集録音を行っています。残響を豊富に取り込みながらも、全体にスリムな音像がこのレーベルらしい傾向。響きがクリアで、副次的な音の動きも透けて聴こえるのはラトルらしく、解像度の高さは群を抜く印象。一方、音色美や艶っぽい歌い回しにオケの美質が生かされています。

 第1楽章は随所に溜めもあるし、テンポもゆったりしていて、H.I.P.とは少し違う感じ。しかしティンパニを中心に、リズム的な要素と音楽の輪郭をすこぶる明瞭に切り出し、パーカッシヴなアタックを駆使する辺りはいかにもラトルです。艶やかに歌う旋律線は魅力的で、みずみずしくフレッシュな感覚も魅力。鮮烈な力感が漲る展開部は迫力があり、コーダに向かって徐々にテンポを煽るのも効果的です。

 第2楽章は、溌剌としてダイナミック。巨匠風の大きさを目指さない点は好感が持てます。エッジの効いた合奏にシャープなリズム感を駆使しながらも、さほど速いテンポは採らず、間合いも大袈裟なくらいたっぷりと挿入。第3楽章はオケの良さが出て、各パートが艶美に歌います。アゴーギクも自在ですが、フレーズの作り方は常に明晰で、冴え冴えとした筆致が印象的。

 第4楽章は序奏部が小気味よく、小回りが効いて一体感のある合奏、鋭利なアタック、絶妙な脱力感、雄弁な語り口と、ここに来てH.I.P.の要素が前に出てきます。ハンプソンの歌い出しは力みがなく滑らかで、合唱も強弱のニュアンスを明瞭に付けていて敏感。管弦楽のパートに戻る前に大きく加速し、ライヴらしい興奮を煽るのもスリリングです。

 合唱の身振りにぴったりと合わせたオケの振る舞い方と自在な呼吸感は、往年の大指揮者たちにはない美点。響きの透明度も驚異的です。コーダ前後をイン・テンポに固定し、克明なリズム処理を行った上で、ピッコロを極端なほど強調する解釈はユニーク。

“暖かな歌に軽妙な動感。素直に「感動的」と形容したい素晴らしい演奏”

マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 オランダ放送合唱団

 クラッシマ・ストヤノヴァ(S)、マリアンネ・コーネッティ(A)

 ロバート・ディーン・スミス(T)、フランツ=ジョセフ・セリグ(Bs)

(録音:2006年  レーベル:Radio Nederland Wereldomroep)

 同楽団の2000年代のライヴ音源を集めたアンソロジー・ボックスから。バイエルン放送響との全集録音の前年の収録です。当コンビのベートーヴェンは第2、5番もライヴ盤もあり。バイエルン盤も相当な名演ですが、この曲はヤンソンスと相性が良いのか、こちらも内容の充実しきった凄い名演です。

 第1楽章はテンポこそ中庸ながら、溌剌と弾むリズムが素晴らしく、明朗な音色と共にどこか華やいだムードが漂うのは、当日がクリスマスだったからでしょうか。とにかく合奏がタイトに引き締まっている上、生き生きとした躍動感があり、大作として構えがちなこの曲を、音楽の原点たる愉悦感と共にすこぶる親密に聴かせてくれます。それでいて流れが弛緩せず、凝集された表現で熱く高揚してゆく設計も見事。締めくくりのティンパニと管楽器のアクセントも鮮烈です。

 第2楽章はバイエルン盤と同様、冒頭の動機に間合いを挟み、ティンパニを峻厳に打ち込むという、痛快極まる語り口。付点音符のオスティナート・リズムを徹底して精確に描写しているのは、第7番でC・クライバーがウィーン・フィルと対決した同型リズムの敵討ちの様相。すっきりとした響きの中に、管楽器のソロが艶やかに浮かび上がるトリオも魅力的。各フレーズの処理も、これ以上は考えられないほどの理想的仕上がりです。

 第3楽章は、端正な造形ながらフレーズに膨らみとしなやかな弾力があり、独特の艶っぽい歌い回しがH.I.P.の視点と一線を画します。こういうアプローチなら、一流奏者を揃えた名門オケを起用するメリットもあるというもの。響きが明るく、透徹しているのも当盤の魅力で、暖かな歌が泉のようにこんこんと湧き出るヒューマンな表現に、指揮者の人柄が忍ばれます。ここにはマンネリズムの欠片も見当たりません。

 第4楽章冒頭は、立ち上がりの速いアタックで鋭利に造形。物々しさはないですが、常にきりりと引き締まった緊張感があり、聴き手の耳を惹き付けて離しません。尖鋭で歯切れの良いティンパニのアクセントも峻烈。続く歓喜の主題は優美かつしなやかで、ニュアンスの細やかさは類を見ません。熱い感興を伴って高揚するトゥッティも素晴らしく、率直に「感動的」という形容詞を使いたくなる演奏です。

 バスの歌い出しは柔らかい声質で、リラックスした語り口。続く歓喜の主題も、スタッカートを多用して軽快に歌っています。重唱もバランスが良く、強弱を細かく付けたコーラスと共に、ライヴながら上手く収録されています。ゆったりとしたテンポながら、響きとフォルムの明晰さを失わない後半も見事で、軽妙に弾むリズムがクライマックスの歓喜を巧みに盛り上げます。

“オケの表現力と指揮者の名人芸の相乗効果。近年稀にみる名演”

マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団・合唱団

 クラッシミラ・ストヤノヴァ(S)、リオバ・ブラウン(A)

 ミヒャエル・シャーデ(T)、ミヒャエル・ヴォレ(Br)

(録音:2007年  レーベル:BRクラシック)

 楽団自主レーベルによる全集ライヴ録音より。同曲だけ本拠地ではなく、何かのイベントかヴァチカンで収録されていますが、豊麗な残響をはじめ音響条件は良く、個人的にはガスタイク・ホール収録の7、8番よりずっと好み。強奏でも木管群の内声が明瞭に聴こえるマスの捉え方は独特で、オケが優秀だけに非常に響きが美しく、聴き応えがあります。

 第1楽章はやや遅めのテンポで、どっしりと構えた表現。オケの響きと自発的な歌謡性がとにかく素晴らしく、その意味ではまずこのオケあっての演奏。特に、弦楽セクションの緊密な合奏は圧倒的です。もっとも、オケが優秀というだけでは必ずしも名演にはならないものですが。

 リズム感が良く、そのおかげで腰が重くならないのと、響きが濁らないのは美点。さらに秀逸なのがフレージングで、艶っぽくしなやかな旋律線は耳のごちそうです。特に木管群は名手揃いで、ベートーヴェンでよくある、同じフレーズを複数のパートが連携してゆくような箇所では、ことさら味わい深いパフォーマンスが耳に入ってきます。楽章全体の構成も緊密で、よくこなれた名人芸を聴く印象。

 第2楽章はアムステルダム盤と同様、弦の動機の合間に長めの間を挿入。テンポは遅めですが、リズムの弾力が逆に躍動感を増しています。こちらも各パートの滋味豊かな表現が、音楽を格段に深くしている名演奏。どんな短いフレーズにも艶やかな歌心が感じられる点は、ティーレマン盤とも通底します。第3楽章がまた美しく、流動性の強い速めのテンポに明朗で潤いに満ちた歌が溢れる、すこぶる感興の豊かな表現。強奏部でのスタッカートも効果的です。

 アタッカで突入する終楽章も優れた表現。導入部こそやや抑制が効いていますが、トゥッティで歓喜の主題が歌われる箇所では、金管群を筆頭に流麗なフレージングが秀逸です。独唱陣が入ってくるとオケも負けじと生彩が増し、弦の緻密を極めたアンサンブルや、合唱入りでも楽々と音彩を放つ木管群など、オケの存在感が後退しません。合唱も優秀で表情豊か。コーダはさらに白熱しても良かった気がしますが、全体としては稀にみる充実度の名演です。

“H.I.P.を踏襲しながら、その先の地平へ越えてゆく才人パーヴォ”

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

 ドイツ・カンマー合唱団

 クリスティアーネ・エルツェ(S)、ペトラ・ラング(A)

 クラウス・フローリアン・フォークト(T)、マティアス・ゲルネ(Br)

(録音:2008年  レーベル:RCA)

 全集録音から。小編成、固いバチのティンパニ、ノン・ヴィブラートの弦と条件こそ揃えていますが、モダン楽器のオケで多彩を極めた響きと表情を追求したこの演奏、H.I.P.の一言で片付けられる内容を越えています。残響のデッドな録音もかえって色彩感を際立たせ、内声までクリアな響きが、各パートの生き生きとしたパフォーマンスをヴィヴィッドに伝えます。

 第1楽章は、フットワークの軽い鋭利なリズムとパンチの効いたアタック、アーティキュレーションを過敏に描き分けたフレージングで、斬新に造形。ヤルヴィの棒は確信に満ちて思い切りが良く、速めのテンポでぐいぐいと牽引します。弱音から盛り上げてゆく局面でも、通常挟まれるような溜めは排し、直截に頂点のフォルティッシモへ飛び込むのがスリリング。展開部におけるティンパニの鮮烈な打ち込みも効果的です。

 第2楽章もリズムの角が立ち、ザクザクと刻まれるスタッカートが鋭利。全ての音符がくっきりと分離している印象を与えるのは、当コンビに顕著な特徴です。全編を貫くオスティナート・リズムは、頭の音をかなり短めに処理。トリオはあまりテンポを落としません。第3楽章は、速めのテンポでスムーズに進行。ノン・ヴィブラートの清澄な響きは透明で立体感があり、対旋律の副次的な動きも明瞭に聴こえます。旋律線の緩急やトゥッティの打ち込みにも、溜めのないストレートな発音を徹底。

 第4楽章はアタッカで突入する上、ティンパニの強打とブラスの強奏を烈しい調子で叩き付けるのがショッキング。低弦のレチタティーヴォは軽快かつ雄弁で、チェンバロのオブリガートが付いてもおかしくないバロック的な雰囲気です。歓喜の主題は、ものすごく弱いピアニッシモで開始。行進曲風のパートも、間を置かずすぐに開始します。テンポが速く、アンサンブルも軽快で、実にきびきびとした動的な表現。

 合唱は編成が小さく、やはりバロック的な機動性がある上、オペラ歌手を揃えた豪華独唱陣共々、強弱が徹底して細かく描写されています。重唱はソプラノがやや突出。強奏部でもオケと合唱の各パートがそれぞれ分離して聴こえるのは、小編成の利点です。シャープで敏感なレスポンスとリズムは、最後まで一貫して追求されています。

“H.I.P.とモダンの美点を融合しつつ、猛スピードで熱く疾走する個性盤”

リッカルド・シャイー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団・合唱団・児童合唱団

 MDR放送合唱団

 カテリーナ・ベラノヴァ(S)、リリ・パーシキヴィ(Ms)

 ロバート・ディーン・スミス(T)、ハンノ・ミュラー=ブラッハマン(Bs)

(録音:2008年  レーベル:デッカ)

 全集録音から。デッカ・レーベルのベートーヴェン交響曲全集はショルティ/シカゴ響のセット以来途絶えていて、他のレーベルに出遅れた印象がありました。正に満を持しての当全集は、書籍風の豪華な造りで(これが面倒臭い)、いかにも力が入っています。H.I.P.ではあるものの、あくまでモダン・オケの音色的魅力を保持した全集で、残響の長さも確保されていて雑音性はさほど高くありません。

 第1楽章は相当なスピードで、しかもイン・テンポ。フレーズの掴み方がバロック的に大きい一方、ニュアンスは細やかで、神経質に音を尖らせるよりも、優美なタッチが支配的です。この曲でありがちな物々しい威圧感は払拭されていて、この演奏を聴くと、スコアのあちこちにバロック風のリズムやパッセージが隠れている事がよく分かります。

 軽快な律動感も新鮮で、聴き手の身体が動き出さずにはいられないようなダンサンブルなグルーヴはユニーク。アタックこそ柔らかいですが、ティンパニをはじめアクセントは効いているし、思わぬ所に金管のリズムの強調もあります。きびきびとして緊張度の高いオケの合奏力も卓抜。

 第2楽章も音の立ち上がりが速く、俊敏なリズム・センスを生かしてスピード感溢れる表現。それでも各パートの雄弁さゆえか情感は豊かで、過激一辺倒のドライなスタイルとは一線を画します。緩急も巧みで、コーダを弱く終えるのもユニークです。第3楽章も速めのテンポで流麗。響きが透徹して対位法の絡みも明瞭ですが、フレーズの隈取りは滑らかです。集中力が高く、アンサンブルも精緻。音の扱いが優美で、繊細な感性が垣間見えます。オケの音色も艶やかで、和声感豊か。

 第4楽章冒頭は鋭敏で鮮烈。緊張度の高い、ぱりっとした表現で、劇的な描写力はオペラ指揮者ならではです。速めのテンポながら、弦による歓喜の主題に、たおやかな叙情が横溢。ブラスが入って盛り上がる箇所も、アーティキュレーションの描写が明確です。冒頭に回帰する際の呼吸も見事で、バリトンに呼応するオケの合いの手も強弱の表現が多彩。合唱にも細かく表情が付けられています。

 合唱はさほど大編成には聴こえませんが、録音のせいかこもりがち。行進曲から山場にかけては猛スピードで駆け抜け、緊密で音圧の高いアンサンブルと相まって実に熱っぽく、スリリング。特に、ぎしぎしと音がきしむ弦楽合奏も迫力満点です。コーダ前の弱音部は、合唱も含め和声感が見事。ラストの山場を導入するソプラノ声部は、児童合唱が効果を発揮して天上的な響きに達し、鋭いリズムを駆使しつつ金属打楽器をきらめかせたコーダもユニークです。

“一部で響きの美感を欠くものの、意欲的にH.I.P.のメリットを取り入れる”

金聖響指揮 オーケストラ・アンサンブル金沢

 大阪フィルハーモニー合唱団

 森麻季(S)、押見朋子(Ms)、吉田浩之(T)、黒田博(Br)

(録音:2009年  レーベル:エイベックス・クラシックス)

 全集録音から。日本のオケとしてはいち早くH.I.P.に取り組んだ全集ながら、指揮者の不祥事とキャリア凋落によってケチが付いた格好なのは残念。小編成のコンパクトな音像に、適度な残響を伴うサウンドは聴きやすいです。この全集はセッションのみの録音もありますが、第1番とカップリングされた当盤はライヴとセッションの混合。

 第1楽章は軽快な速めのテンポで、冒頭の下降音型から短く切った音価が特徴的です。大きく構えず、機敏な合奏できびきびと造形していて自然体ですが、作品に内在する熱っぽいパッションはきっちり捉えています。細部がよく練られ、あらゆるアーティキュレーションが徹底的に解釈されているのはさすが。ティンパニの強打は鮮烈ですが、金管の内声ゆえか、強奏が混濁して一部で美感を損なっているのは、優美な響きを基調にしているだけに残念。

 第2楽章も力みのない点は好ましいですが、合奏がやや崩れ気味で、このコンビにしては覇気に乏しく聴こえるのが不思議。高域も少し抜けが悪く聴こえます。トリオと主部でテンポの落差はあまり付けない解釈。第3楽章は、清澄な響きで内声の動きもクリアに描写。ノン・ヴィブラートのすうっと伸びる音が、独特の透明な美しさを醸しす。弦の編成が小さいために、対旋律の効果や管楽器の色彩感が鮮やかに出てくるのはメリット。

 第4楽章冒頭は抑制した音量とコンパクトな響き、軽快なフットワーク、短い音価など、全曲中でもとりわけピリオド・スタイルが意識されている印象です。歓喜の主題も実にさりげなく導入し、速めのテンポで流れるように推移。メリハリは明瞭に付けられており、声楽部がいったん終わった後のフーガも、凛々しく切り込んでゆくタイトな合奏が素晴らしいです。

 バリトンはヴィブラート過剰。歌い出しから音程の安定感を欠きます。テノールも音程が気になる所。テンポが速いのせいか、合唱もソロもフォルム厳守を求められ、重唱もまとまりが良いです。合唱も編成が大きくないようで、響きの透明度と機動力の良さが美点。壮大に規模を広げようという演奏が多い中、凝集型の表現を心がける姿勢は評価したい所です。ディティールの扱いも最後まで丁寧。

“旧スタイルとH.I.P.、意外にもそれぞれのメリットに順応しているティーレマン”

クリスティアン・ティーレマン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン楽友協会合唱団

 アネッテ・ダッシュ(S)、藤村実穂子(Ms)

 ピョートル・ベチャワ(T)、ゲオルク・ツェッペンフェルト(Bs)

(録音:2010年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ライヴによる全集録音で、映像ソフトと同音源(筆者はブルーレイで試聴)。ティーレマンは暗譜で振っており、弦を両翼配置にしてコントラバスを最後列に並べています。オペラ界のスターを擁した独唱のキャスティングも豪華で、往年の名盤群を彷彿させるスタイル。

 しかし演奏は、意外にもドイツ風のいかつさより、流れの良さと柔らかなタッチを優先させたもの。イッセルシュテット盤以来、最もウィーン・フィルらしい全集だと思います。恣意的なテンポ変動の他、フレーズを存分に歌わせる事を重視している点はH.I.P.の対極ですが、固いバチを使ったティンパニや明晰で立体的なソノリティなど、古色蒼然とした旧時代風の演奏とも全然違います。

 第1楽章は、ものすごく遅くなる箇所もあるかと思えば、スピードアップして展開部に突入するなど、かなり自由なアゴーギク。ティンパニのバランスを控えめにした柔和なタッチが、ゆったりした佇まいを演出しています。全てのフレーズに、必要な尺を十分与えているのはこの全集の特徴。コーダ前の弱音部は極端にテンポが落ち、凄いほどのスケール感が出てきます。

 第2楽章はティンパニを中心にリズムの弾みが強く、現代の指揮者らしいビート・センスを感じさせます。トゥッティで重しを付けたようにテンポが落ちるのは独特。大見得を切るようなリタルダンドやパウゼもあちこちに挟みますが、それがマゼール辺りのように人工的に聴こえないのは、生来の音楽的特性でしょうか。トリオはゆったりとした足取りで、牧歌的なムード。

 第3楽章は暖かな歌と柔らかいニュアンスに溢れ、情緒たっぷり。管弦のバランスがとりわけ見事で、オケの美質を最大限に生かした表現です。控えめに使われるポルタメントも艶っぽく、明朗で立体感のある響き、高い集中力、流れの良さと共に大きな美点。

 アタッカで突入するフィナーレも正に名演で、各部の表情に強力な説得力があり、断片的なフレーズが有機的にリンクしてゆく確かな手応えがあります。やはりあらゆる音が磨き上げられ、たっぷりと鳴らされていて、随所に豊かな情感を醸成。歓喜の主題の提示前には、すこぶる長い空白を置きます。さらにトゥッティで同主題が展開される際は、歯切れの良いリズムと推進力の強い棒で牽引。フーガの箇所に向かってかなりの加速で音楽を煽りますが、それが人工的に響かないのは驚きです。

 声楽陣は概して好演で、コーラスもさほど大編成ではなく、まとまりのよいアンサンブル。ツェッペンフェルトが素晴らしく、歌い出しからその深みのある豊かな声と表現力に圧倒されます。ベチャワはソロの箇所でやや前のめり気味。オケのテンポとズレて、リズムが不正確に聴こえます。

“H.I.P.の手法を全面的に展開しつつ、むしろ柔和な美しさを志向”

ケント・ナガノ指揮 モントリオール交響楽団・合唱団

 ターフェルムジーク室内合唱団

 エリン・ウォール(S)、藤村実穂子(Ms)

 サイモン・オニール(T)、ミハイル・ペトレンコ(Bs)

(録音:2011年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音の一環で、念願のコンサート・ホール、メゾン・サンフォニーク・ド・モントリオールのこけら落としライヴ。短いですが、映画化された『パイの物語』の原作者ヤン・マーテルの作・朗読が前後に収録されています。新しいホールで期待しましたが、録音としては残響が多くて解像度が甘く、腰も弱い印象。遠めのマイク・セッティングは、透明な響きでスコアの骨格を見せようというナガノのコンセプトと相反するように思います。弦はノン・ヴィブラートですが、柔らかい響きを指向しているのが当全集の特徴。

 第1楽章は軽快なテンポで、スポーティな躍動感が特色。リズム感が独特で、機動性の高い合奏を展開する一方、スタッカートとスラーを敏感に描き分けて新しいフレージングを追求する辺りは近年の流れに合致しています。アゴーギクには伸縮性があり、肩の力を抜きながらも力強さには事欠きません。展開部からコーダにかけての緊密な合奏、音の立ち上がりのスピード感もさすがです。

 第2楽章は速めのテンポでリズミカル。自然体で、凄味には欠けますが、バネの効いたリズムは長所と言えます。ティンパニのリズムは、一回めだけ強く叩き、二回め以降を弱くするパターンを採用。コーダでは、最後にアッチェレランドでたたみ掛けます。第3楽章は快適なテンポで流れるように進行。美しい音色としなやかな歌心が印象的です。ホルンのソロも好演。よくブレンドしてみずみずしさのあるソノリティは悪くないですが、合奏に今一つの覇気があればと思います。

 第4楽章はアタッカで突入。ほとんど小編成に聴こえるほどすっきりとした響きで、パンチも効いてアクティヴな性格です。レチタティーヴォ部は、勢いがあって雄弁。各フレーズが有機的に呼応して意味深く、素晴らしいパフォーマンスです。弦楽セクションの歌うようなカンタービレも独特。歓喜の主題はテンポが速く、熱っぽさが出て好印象す。声楽が入るとさらに速くなりますが、合唱にも細かい抑揚が付けられ、勢いと一体感もプラス。行進曲もすこぶる躍動的で、コーダの熱狂にライヴらしい白熱もあります。

“旧盤より肉付きが良く、力みも取れる一方、優等生的で迫力を欠く面も”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団・合唱団

 エリン・ウォール(S)、ケンドール・グラーデン(Ms)

 ウィリアム・バーデン(T)、ネイサン・バーグ(Bs)

(録音:2012年  レーベル:サンフランシスコ交響楽団)

 楽団自主レーベルによるライヴ・シリーズの一枚。マーラーの全集もそうですが、独唱陣に英米系の名前が並び(プロフィールは掲載されていません)、徹底して英米(アメリカ?)のアーティストによる全集にしようという意図のようです(旧盤もそうでした)。旧全集と較べると、フルオケだけに響きははるかに豊麗で、無用な力みも取れている反面、あまりに穏やかすぎて、ベートーヴェンという作曲家のデモーニッシュな側面はほとんど表現されません。

 弦はほぼノン・ヴィブラートですが、ピリオド系の刺々しいアクセントや骨格剥き出しの響きはなく、アタックに張りのあるティンパニもそれほど固いバチで叩いている訳ではないようです。編成は少し減らしているようで、内声までよく聴き取れるクリアなサウンドは、旧盤の延長線にある音作り。H.I.P.の美点と豊麗な響きを両立させるスタイルとしてはナガノやシャイーと同系列ですが、テンポがゆったりしている分、むしろ旧来のアーティストに近い感じもあります。

 第1楽章は、正確なリズム処理と適度な力感、暖かみと潤いを保ちつつも無駄のないスリムなサウンドで、均整の取れたプロポーションに造形。緊張感のある凛々しい音楽運びですが、内から突き上げるようなパッションや迫力には欠けます。第2楽章もリズム感が良く、快適な運動性と生気に溢れますが、旧盤同様にエネルギー感が低く、作品に内在する神秘的で特別な霊感に共鳴している様子はあまり感じられません。

 もっとも成功していると感じられるのは第3楽章で、ここは各声部を浮き彫りにするT・トーマスの表現と、温度感があってソフトなオケの音色が相乗効果を上げています。旋律線もみずみずしく歌い、強奏部の豊麗かつシンフォニックな響きに充実した手応えあり。内的感興の高まりも感じられます。

 第4楽章は導入部から雄弁で、歌い回しに説得力があります。リズムが鋭敏で、音楽を躍動させる活力には事欠きませんが、佇まいが優等生的でもあり、既存の枠をはみだすような迫力を求めたい所。コーダに入るとかなり白熱しますが、元よりそれだけではない作品だという事でしょうか。声楽は優秀で、そこそこ大編成と思われる合唱も、よく統制されたパフォーマンスを生き生きと展開します。

“H.I.P.から遠ざかってオケに主導権を持たせる一方、合奏の緩さも気になるライヴ盤”

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ベルリン放送合唱団

 アネッテ・ダッシュ(S)、エヴァ・ヴォーゲル(Ms)

 クリスティアン・アイスナー(T)、ディミトリー・イヴァシュチェンコ(Bs)

(録音:2015年  レーベル:ベルリン・フィルハーモニー・レコーディングス)

 ラトル二度目となる全集ライヴ録音から。自主レーベルから発売された豪華セットには、ブルーレイ・オーディオと全曲の映像、ドキュメンタリーも収録されています。音声はライヴを基調に、セッションでの修正をミックスしたもの(その様子も撮影されています)。ラトル自身が語るように、演奏するたびに自分の間違いを発見するのがベートーヴェンの音楽で、解釈は常に変わってゆくもの。当盤はH.I.P.からむしろ遠ざかった印象です。初期の交響曲は小編成にして曲目ごとに増やし、同曲のみ通常編成で演奏。

 第1楽章は、ゆったりとしたテンポながら休符や同音連打を詰めて弾かせるため、不安定に前のめりになる印象。縦の線もあちこちでズレますが、ラトルは元々、リスクを取ってでも果敢に攻める棒を振る人ではあります。アゴーギクは自由で、かなり速度が落ちる箇所があるし、これも自身が言うように、様式感としてはマーラーやブルックナーに繋がる音楽と捉えている印象。メリハリが効いてディティールも鮮やかですが、このアプローチならもっと凄みや迫力が欲しい所です。情感もやや淡白。

 第2楽章もオケの自発性に任せすぎたのか、合奏が緩く、緊張感不足。リズムに生き生きとした弾力があるのはラトルらしいものの、切迫した調子や峻烈さには欠けます。オケが上手いのはいいですが、余裕がありすぎるという事でしょうか。第3楽章もまろやかな語り口ですが、管を中心に音の入りを強調していて、響きの輪郭は明快に切り出されています。特にホルン(サラ・ウィリスがソロを吹いています)は、冴え冴えと浮き上がってきて印象的。

 第4楽章はアタッカで突入し、メリハリこそ鮮烈に付けつつも軽やかに描写。ただ表情は濃密で、休符も大きく取って劇性を強調する面があります。歓喜の主題と声楽の導入以降は、軽快かつ流麗な語り口が自然体で好ましいですが、行進曲のリズムにコントラファゴットを加えているのはユニークで、導入の箇所ではぎょっとします。後半はスリリングな加速や豪放な力感もプラスされ、やっと熱っぽく高揚。強奏部にも細かく濃淡を付けているのはさすがで、独唱・合唱のレヴェルも一級です。

“卓抜な音楽センスを武器に、潔く正攻法で切り込んでゆく指揮が感動を呼ぶ”

アンドリス・ネルソンス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン楽友協会合唱団

 カミラ・ニールンド(S)、ゲルヒルト・ロンベルガー(A)

 クラウス・フロリアン・フォークト(T)、ゲオルク・ツェッペンフェルト(Bs)

(録音:2018年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 珍しくもセッション録音による全集から。残響がたっぷりしているのは、ライヴではない利点です。やや骨張った、雑味のある響きで、パンチの効いた機動性を追求するタイプではなく、往年の名指揮者達に近いアプローチ。ネルソンスが良いのは、若い世代らしい高精細の描写力や感覚美を備えながらも、感情表現を大事にしている所です。DGと契約してからの彼は、丹念ながら慎重な仕上がりが目立ちますが、当全集はバーミンガム時代の熱血ぶりを窺わせて好感触。

 第1楽章は気迫に溢れ、エッジが効いてダイナミック。テンポは落ち着いていますが、精悍な棒で推進力が強いです。鮮やかな色彩とみずみずしい感覚、内的感興の高揚、適度な粘性もあり、それらを武器に正攻法で正面突破しようという潔さは今や貴重。アインザッツは必ずしも精確ではありませんが、合奏自体は整然と統率されているし、細かいズレの集積がマスの響きとしては巨匠風に聴こえる側面もあります。

 第2楽章も緻密に縦の線を揃えてゆく演奏ではなく、それよりも大きな何かをつかみ取ろうという姿勢が、昔ながらのクラシック・ファンには懐かしくもあります。ラトルとベルリン・フィルのスタイルもそれに近いのですが、さらにネルソンスには相応のエネルギーと熱量があるという事でしょうか。フレッシュな息吹も横溢しているし、リズムの解像度も非常に高いです。

 第3楽章はスロー・テンポでマーラーばりに粘るものの、例えば主題提示の歌い出しなど、そのリリカルな叙情に胸を打たれない訳にはいきません。楽器法への留意にはモダンなセンスがあり、特に木管のデリケートな扱いは、やはりマーラーのそれを知る指揮者にも感じます。その点もラトル/ベルリン盤と共通なのですが、成否に関しては実行力の差と言えるでしょうか。強奏部のスケール感も壮大。

 第4楽章は、オペラ指揮者でもあるネルソンスらしくドラマティックな語り口で、様式的にも座りが良いです。オケの艶やかな音色も、前面に出てくる印象。歓喜の主題をほとんど聴こえないくらいのピアニッシモで始めるのは、ゼロ年代前後からの流行のようですが、当盤は極端に弱く開始します。管が加わっても、繊細な弱音の世界は継続。ここまでの、管弦楽のパートだけでも、相当に濃密な表現と言えます。

 声楽部はツェッペンフェルトの端正な歌い出しが力強く、テンポの加減と共に、まるでオラトリオのような雰囲気。ネルソンスの棒も雄弁で変化に富み、表情がころころと変わります。行進曲は逆に速いテンポで軽快。最後まで細部の明晰さと強靭な活力を失わず、見事な設計力とコントロールで白熱するこの演奏は、新時代を代表する全集セットを締めくくるにふさわしい名演として推したいです。

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