ベートーヴェン/交響曲第7番 (続き)

*紹介ディスク一覧

01年 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

01年 レヴァイン/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団  

02年 ラトル/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

03年 金聖響/オーケストラ・アンサンブル金沢  

06年 サロネン/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

06年 P・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン 

08年 ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団

08年 シャイー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

09年 ティーレマン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 

09年 西本智実/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

12年 T・トーマス/サンフランシスコ交響楽団 

13年 ナガノ/モントリオール交響楽団   

15年 ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

17年 ネルソンス/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  

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スピーディなテンポと流麗な造型でイメージを一新した、アバドの再録音盤

クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2001年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ライヴ収録によるアバド2度目の全集録音より。当コンビはこの前年にベルリン、フィルハーモニーザールで一旦全集録音を完了していますが、9番以外をローマの聖チェチーリア音楽院で再録音。アバドは最初の方を破棄し、ローマ録音を正式な全集とする意向を表明しています。会場のアコースティックはベルリンでの録音と感触が異なりますが、オケの美質はきちんと出ていて、この方が彼のアプローチに合っているのでしょう。1年の間に、スコアにも新しい発見があったのかもしれません。

 ジョナサン・デル・マーによる新版スコアを採用。ウィーン・フィルとの旧盤とはがらりとアプローチが変わり、強弱の細かな交替と速めのストレートなテンポで通した演奏です。第1楽章は提示部のリピートを実行。冒頭から肩の力が抜け、タイトな造形です。主部は流麗なスタイルでリズムの流れも良く、ゴツゴツといかめしかった旧盤とは対照的。アタックには勢いがあり、金管のアクセントもエッジが効いていますが、フレージングには独特のしなやかさと優雅なタッチが感じられます。

 第2楽章も停滞せず、スピーディにさくさく進む演奏。全体を大きくデッサンした上で細やかなデュナーミクを描く所に、指揮者の見識と構成の見通しが表れており、単に流行に迎合した表現に陥らないのがアバドらしいです。オケも淡々と過ぎてしまいがちなディティールの中に、さすがは豊かなニュアンスを盛り込んでおり、二流三流に堕ちる事がありません。

 後半2つの楽章もウィーン盤よりスピード・アップ。第3楽章は歯切れの良いスタッカートとよく弾むリズムが痛快で、トリオもテンポを落とさずに駆け抜ける感じ。第4楽章も快速調ですが、なめらかな曲線美も同時に追求され、鋭角一辺倒ではありません。熱狂的なクライマックスとまではいかないものの、旧盤には無かった名技性が生むスリルやスピード感、ライヴらしい迫力と高揚感があるのは、この曲のファンにも歓迎される所でしょう。

“ダイナミックで勢いのある演奏ながら、響きが荒れて美感を欠くのは問題”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2001年  レーベル:オームス・クラシックス)

 まとめて発表された、当コンビのライヴ音源集から。レヴァインはベートーヴェン録音に奥手で、わずかにメトロポリタン・オケとの《英雄》、ブレンデル&シカゴ響とのピアノ協奏曲全集、キーシン&フィルハーモニア管との第2、5番、ウィーン・フィルとのミサ・ソレムニス、歌劇《フィデリオ》のメト公演映像があるのみです。

 第1楽章は冒頭から力感が漲り、明快な音楽作り。金管のアクセントが効いていて、ピリオド系の演奏と同様響きが荒れがちです。かなり速めのテンポを採る主部は生気に溢れる一方、オスティナート・リズムがティンパニを伴って連続する箇所など、やはり響きが汚くなる傾向もあり。推進力の強さと音の勢いは充分確保されています。コーダもダイナミックで活力が溢れますが、やや乱暴な指揮ぶり。

 第2楽章は楽想を大きく掴み、ヴァイオリン群の対旋律など思い切りのびやかに歌わせているのが見事な造形。アーティキュレーションやデュナーミクもよく考えられていますが、弱音部の音作りに今一つのデリカシーとコクが欲しい所。かつてのケンペやチェリビダッケのオーケストラですから、精妙な演奏を行う能力はある団体だと思います。

 第3楽章は速めのテンポできびきびと造形し、鋭敏なリズムと強弱を適用。トリオも相当なスピードで流してゆきますが、いずれも強奏部に響きの美感が欲しい所。トランペットなど金管は艶やかな音で吹いているので、内声とティンパニの打音に問題があるようです。

 第4楽章も細部の仕上げに捉われず、音圧の高さと勢いで邁進する演奏。アクセントが強く、リズムのエッジが効いていますが、内的な感興を高めてゆくよりも、物理的高揚が先に立つ感じがあります。ここではさほど速いテンポを採らず、骨太な響きと腰の強さを生かす印象。

“意外に柔らかく、繊細な表現を聴かせるラトル。ダイナミクスの効果を全編に展開”

サイモン・ラトル指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2002年  レーベル:EMIクラシックス

 ライヴによる全集録音中の一枚。ダイナミクスのグラデーションが非常に豊かでニュアンスに富んだ、極めてユニークな演奏です。ノン・ヴィブラート気味で管を強調したサウンドは、ウィーン・フィルらしいとは言えないですが、鋭いアクセントやパーカッシヴな音の扱いをまろやかに包み込んでいる点で、このオケを起用した意味はあるのかもしれません。

 第1楽章は提示部をリピート。序奏部に早くも微妙なテンポの動きがあり、最初のトゥッティに向かう弦の刻みに若干アッチェレランドが掛かります。主部では力感を解放せず、モーツァルトのように軽く機敏なタッチで推移しますが、展開部では音量の低下と共にテンポを落とすなど、細かくアゴーギクを動かしています。全体に強弱の交替はすこぶる細かく、そのせいで聴き慣れないイントネーションが頻出。第2楽章も最弱音の効果が印象的です。

 第3楽章は提示部をリピートしながら、かなり速めのイン・テンポで一貫。トリオもそれほどゆったりと落ち着きませんが、アクセントはあまり強調せず、ソフトな感触。これはフィナーレも同様で、リズムこそ鋭敏ですが、フレージングが柔らかく、軽快なフットワークに比してまろやかな語り口が意外です。もっとも、コーダは煽り気味のテンポで熱っぽく終了するのがライヴらしい所。

“明快なコンセプトが好印象ながら、強い存在感には欠けるディスク”

金聖響指揮 オーケストラ・アンサンブル金沢     

(録音:2003年  レーベル:ワーナーミュージック)

 当コンビによる全集録音シリーズ1作目で、2番とカップリング。小編成にピリオド奏法というコンセプトの明確な演奏で、時折痩せて聴こえる事を除けばオケも艶やかな響きで好演しています。第1楽章冒頭はトランペットが突出して聴こえ、音価を短くとっているせいかデッドな響きに感じられますが、後続の部分で潤いを取り戻す印象。リピート実行の主部はリズム感が良く、楽想がスムーズに流れます。ティンパニの鋭い効果も鮮烈。管弦のバランスは、概ね妥当と感じられます。

 第2楽章はやや情感が不足しますが、第3楽章のピアニッシモの使い方などは絶妙。終楽章はいたずらにスピード感を追求せず、落ち着いたテンポの中で颯爽とリズムを弾ませているのが好印象です。フレージングが丁寧でよく練られているし、全体としては悪くない演奏ですが、名門オケやベテラン指揮者の深い味わいはさすがに求められず、さりとて小編成やピリオド奏法においては個性的なディスクが目白押しなので、その中で存在を主張するのは難しいかもしれません。

音量を抑え、細やかなニュアンス変化で音楽を作ってゆく異色のアプローチ

エサ=ペッカ・サロネン指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:2006年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 ネット配信のみで発売されるライヴ録音シリーズ、DGコンサートの一枚。完成して間もないウォルト・ディズニー・コンサート・ホールでの演奏会を丸ごと収めたアルバムで、同じベートーヴェンの8番と、当夜世界初演されたHillborgの《Eleven Gates》を収録。全部で80分を超えるため、ダウンロードしたものをそのままCD1枚に焼く事ができません。

 ロス・フィルの明るいサウンドは曲に合っているようで、サロネンの棒も、8番より生気に富む印象を受けました。ベートーヴェンらしい雄渾さは追求しない代わり、音量を抑え、細やかなニュアンスで表情を刻々と変化させてゆく所に特色があります。特に第1楽章は、全編を通じてすこぶる解像度が高く、無類に小気味良いリズムが刻まれていて、これが素晴らしい効果を上げています。推進力の強いテンポも効果的で、終盤に向けてのアッチェレランドも高揚感あり。ソノリティはまろやかで、よく磨かれた印象です。

 オケの響きは透明度が高く、第1ヴァイオリンのみずみずしいラインも魅力的。対旋律や伴奏形のフレーズにも緻密な処理が施されているため、独特の立体的なサウンドが構築されています。弦のプルト数は若干減らされているようにも聴こえるのですが、ピリオド奏法を意識した解釈ではなく、ノンヴィブラートや刺々しいアクセントは聴かれません。一方、両翼配置のおかげで、第4楽章のヴァイオリン群の掛け合いなどが清新。凄味のある急激なクレッシェンドも盛り込んで、迫力にも欠けていません。ロスの聴衆の熱狂的な反応が痛快。

“あらゆるフレーズに意味を与え、目の覚めるように新鮮なパフォーマンスを展開”

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

(録音:2006年  レーベル:RCA)

 全集録音中の一枚。2004年〜06年と長期間に渡るセッションからテイクが採られています。演奏は当全集に共通する、実にユニークなもの。モダン楽器の小編成オケでピリオド系アプローチを指向したものですが、同傾向の他の演奏とは響きの質自体が全く違っているというか、少なくとも、旧来の大編成オケと比較してソノリティの美しさがどうという感覚にはならないのが不思議といえば不思議です。クリアな響きの中に、多種多様な色彩を見出したアプローチ。

 第1楽章は序奏部からノン・ヴィブラートの清澄な響きが印象的。提示部をリピートした主部共々、常に前のめりのテンポを採っており、前傾姿勢から生まれるスピード感がただならぬ勢いを表現します。アーティキュレーションが多彩で強弱の諧調が豊富なのも、聴き手を飽きさせません。リズムは小気味良く、肩の力が抜けた軽快さが持ち味。それでいてアインザッツの切っ先には、独特の鋭利さがあります。

 アタッカで突入する第2楽章も速めのテンポ。あらゆる音符、あらゆるフレーズが何かしら意味深く演奏されるのが、このコンビの特徴です。第3楽章は細かい強弱の交替を素早く行い、表情の豊かさと生命力溢れる躍動感を表出。オケのレスポンスも鋭敏そのものです。トリオはかなり速めのテンポ。フィナーレは、細分化された音符の分解能の高さ、はっとさせる弱音の効果、力みのない軽妙なリズム、鋭いスフォルツァンドなど、どこをとっても目の覚めるように新鮮な表現に満ちた演奏です。

“工夫を凝らして楽想にドラマ性を付与するヤンソンス。ホールの音響が残念”

マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団   

(録音:2008年  レーベル:BRクラシック)

 楽団自主レーベルによるライヴ盤全集より。1〜6番までが伝統的なシューボックス型のヘルクレス・ザールで録音されているのに対し、7&8番だけは近代的なガスタイク・ホールでの収録で、音響的特性や魅力があらゆる点で一歩劣るのは残念。演奏はヤンソンスらしく、あまり奇を衒わずに内的昂揚感で迫るもの。

 第1楽章は、提示部リピートを実行。主部に入った所で主題を吹く木管のフレージングが素晴らしく、絶妙な味わいがあります。必要充分な敏感さは備えつつも、抑制の効いた表現という印象ですが、大きな単位でスコアにないディミヌエンド、クレッシェンドの波を組み入れる手法は、ヤンソンスのお家芸。一つの楽章の中にもドラマを構築し、コーダに向かって音楽を白熱させるのもこの指揮者の得意とする所です。

 第2楽章は得てして淡白な表情になりがちな音楽ですが、ヤンソンスはうまく感情を乗せている様子。カラー・パレットが豊富で音楽が起伏に富み、旋律線のニュアンスも優美かつ多彩です。楽想を繋ぐ弦の下降音型にアクセントを付けて、殊更に意味深く強調しているのもユニーク。第3楽章はゆったりとしたテンポで、リズムに独特の重心と安定感があるのがドイツ的。トリオでは、雄渾さと張りのあるパンチ力も感じられます。

 フィナーレは、一転して速めのテンポでエネルギッシュ。所々でリズムに強いアクセントを付けて鋭さを表出しており、オケも充実した純ドイツ風の響きで鳴りっぷりが良いです。やはり設計が見事で、後半へ向けてのボルテージの上げ方はさすがヤンソンス。これもヘルクレス・ザールで録音していてくれたら、とそれだけが悔やまれます。

“鋭利でスピーディなモダン・スタイルながら、マイルドな響きと柔らかなタッチを追求”

リッカルド・シャイー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

(録音:2008年  レーベル:デッカ

 英国の老舗デッカ・レーベルのベートーヴェン交響曲全集は、イッセルシュテット盤かショルティ/シカゴ響の新旧2種の録音しかありませんでしたが、当コンビを擁した満を持しての全集セットは、書籍風の豪華な装丁で(ちょっと面倒臭い)、力が入っています。しかし演奏の方は逆に肩の力が抜けた、軽快なもの。速めのイン・テンポ、切れの良いリズムとノン・ヴィブラート奏法は、ピリオド奏法云々という実験ではなく、もっと血肉として身に付いた表現にしているようです。

 第1楽章冒頭はどの和音も短く切って演奏。主部も、鋭利なリズムが演奏全体に溌剌とした生気を与えている一方、肩を怒らせたり、力づくで音楽を盛り上げる事がありません。刺々しいアクセントや骨張った響きを排除している所は、ナガノ盤とも共通します。この曲の場合は、クライバーのような先駆者がいて後続は不利ですが、シャイーは内声の突出を許さず、マイルドな響きでこのスタイルを貫徹しているのが美点。提示部のリピートは実施しています。

 第2楽章はすこぶる速いテンポで、やや淡々と進みすぎる傾向。第3楽章は強弱の対比にメリハリが効いていて、トリオも猛スピードで演奏。まるで違う曲に聴こえる感じです。これらの楽章に限らず、弦を中心にアンサンブルが緊密で、ソロも達者。

 フィナーレは、意外に落ち着いたテンポ設定。リズムとフレージングがスムーズで、裏拍のビートが生きている他、ピアニッシモを効果的に使って強弱のコントラストを印象的に演出しています。音量を解放せず、圧力を抑えて軽快さを確保する一方、鋭いアクセントが音楽をぴりっと引き締めていますが、響きに艶があり、汚くならないのは当盤のメリットと言えるでしょう。オケの反応も鋭敏そのものながら、タッチにある種の柔らかさも感じさせるのがユニーク。

“オケの特質を前面に出し、テンポを自在に動かして「歌」に傾倒したアプローチ”

クリスティアン・ティーレマン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2009年  レーベル:ソニー・クラシカル

 ライヴによる全集録音から。映像ソフトで先行発売された全集と同じ音源です(筆者はブルーレイで試聴)。ティーレマンは暗譜で振っており、弦を両翼配置にした上、コントラバスを最後列に並べています。演奏は、意外にも流れの良さと柔らかなタッチを優先させたもの。恣意的なアゴーギクの他、フレーズを存分に歌わせる事を重視している点ではピリオド系アプローチの対極ですが、固いバチを使ったティンパニや明晰で立体的なソノリティなど、古色蒼然とした旧時代風の演奏とも全然違います。

 第1楽章は、速めのテンポで開始。随所に溜めを作っているので、時にアインザッツが乱れますが、優美なアンサンブルは聴きものです。柔らかいアタックを用いながら、リズムの弾みは十分確保。ちょっとした強弱の対比が、音楽を生き生きと躍動させています。木管ソロをはじめ、あらゆるパッセージが味わい深く、魅力的に歌われるのは素晴らしいの一言。テンポがよく動き、コーダ前など相当にテンポが落ちる箇所もあります。リピートを割愛し、コーダを盛り上げすぎない所に、指揮者の様式感が出ています。

 第2楽章も、木質の暖かみを持ちながら、混濁してダマになったりしないクリアなサウンドが好印象。第2主題でぐっとテンポを落とすのが特徴です。対位法に配慮しつつも、やはり歌に傾倒したアプローチ。第3楽章は速めのテンポでエネルギッシュ。アッチェレランドを盛り込んで音楽を煽りながらも、トリオには自然に移行し、主部回帰の前には大胆に減速するなど、考え抜かれた設計が光ります。

 フィナーレにはアタッカで突入。こちらもリピートなしで、細かいテンポ変動があります。リズムは鋭利で、激しく棒を振り回してテンポを煽る箇所もありますが、演奏全体としては無用な力みがなく、あくまで優美な造形。オケのパフォーマンスが素晴らしく、各部の表情に強い説得力があります。終演後は、オケからも指揮者に拍手が送られています(ウィーン・フィルでは稀な事かもしれません)。

“明確な方向性を打ち出せず、やや中途半端な印象を与えるライヴ盤”

西本智実指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2009年  レーベル:キング・レコーズ

 来日公演のライヴ盤。プログラム冒頭のモーツァルト/《後宮からの逃走》序曲をアンコールのようにカップリングしており、同ツアーの別プロだったマーラーの5番も同時発売されています。演奏はしかし、マーラーの名演ぶりと較べると、どことなく中途半端。大阪センチュリー響との生演奏で《英雄》を聴いた時にも感じましたが、この指揮者は古典作品を演奏するとやや生彩を欠くように思います。

 全体に強靭なアタックを避け、柔らなタッチで音を繋ぐ表現。第1楽章も、明快なコントラストを作らない印象ですが、そのせいか楽章全体を貫くオスティナートを始め、リズムの輪郭がぼやけ気味で、アインザッツもうまく揃わない箇所が散見されます。ソフィスティケイトされた表現を狙ったのかもしれませんが、ソノリティもほの暗く、金管など音の抜けも悪く聴こえます。

 第2楽章以降も平均的なテンポで、大型オケの最大公約数的な表現。ひと昔前まではこういうベートーヴェンもよく聴きましたが、今はコンセプトを明確にしないと半端に見えてしまうという、ベートーヴェン演奏の困難期に入っていると思います。フィナーレも、ディティールの克明な処理が効果を挙げている箇所はありますが、リズムの蓄積や内的感興の高まりで熱狂を生む訳でもなく、どうも感心しません。終演後の会場のブラヴォーも、マーラーに較べるとかなり控えめ。

“フル・オケの豊麗なソノリティを得て、旧盤の表現をさらに進化させるT・トーマス”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団

(録音:2011/12年  レーベル:サンフランシスコ交響楽団)

 T・トーマスはイギリス室内管弦楽団と全集録音をしています。レオノーレ序曲第3番とのカップリングで、サンフランシスコ響とは既に2、3、5、9番を再録音済み。同響のソノリティには独特の温度感があり、それがある種の柔らかさと豊麗さに繋がっていますが、同時に、張りのあるティンパニの打音がサウンドの軸ともなっており、それで響きが一気に筋肉質に傾きます。これはデッカやフィリップスの録音でもそうなので、同団体の個性と言って良いのでしょう。

 T・トーマスの解釈は旧盤とさほど変わっていないように聴こえますが、管弦のバランスがずっと良く、音楽の佇まいが遥かに落ち着いていて、余裕があります。演奏が自然に聴こえるというか、どこか人工的と言えなくもなかった旧盤からすると、指揮者が本来求めていたスケール感がやっと達成された感じ。してみると最初から、室内オケによる初の全集などという話題性に走らなければ良かったのかもしれません。

 第1楽章は提示部リピートを実行。遅めのテンポで、リズムやディティールを克明に処理する行き方は旧盤と同じです。展開部のリズムの弾みは殊に痛快で、パンチの効いたティンパニが演奏の動力を支えています。続く2つの楽章も、しなやかなフレージングとスポーティな躍動感を兼ね備えた、爽快な表現。やはりティンパニが要でしょうか。テンポは若干遅くなった印象です。

 フィナーレは、旧盤で特徴的だった大きなテンポ変化は影を潜めましたが、リズムの切っ先は相変わらず鋭利そのもの。あまりに冷静すぎた旧盤からすると、ライヴだけあってさすがに高揚感がありますが、演奏のコンセプトゆえか、やはり熱狂的なクライマックスとまでは行きません。

“一体感の強い合奏でアグレッシヴに攻めた、ナガノ会心のライヴ盤”

ケント・ナガノ指揮 モントリオール交響楽団

(録音:2013年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音の一貫で、カップリングの1番と共に同じプログラムのライヴ収録。テーマ性を持たせた全集録音シリーズで、当盤は「旅立ちー理想郷」というサブ・タイトルが付けられています。響きは柔らかくたっぷりとしていますが、対向配置の弦はノン・ヴィブラートのようで、強弱の交替もすこぶる敏感に描写しています。

 第1楽章序奏部はゆったりとした佇まいで恰幅が良く、弦の音色を除けば通常寄りの表現。しかし主部は攻勢に転じ、すこぶる速いテンポと機敏なアーティキュレーション描写で、勢いよく疾走。内面から迸るようなエネルギー感や展開部で噴出する荒々しさも、作品にふさわしいものです。ナガノのフレージングは息が長く優美で、全体の流れが非常に滑らかなラインを描くのも見事。詳細に描写されたダイナミクスも効果的です。提示部のリピート実行。

 第2楽章は落ち着いたテンポで、オスティナート動機の頭にある長い音符に重みを加える一方、語尾をスタッカートでさりげなく切るのもユニークです。旋律線には雄弁と言えるほど細かくニュアンスが付与されますが、アーノンクールのような神経質さがないのは指揮者の性質でしょうか。オケのソノリティも美麗さを維持。響きの透明度が高いため、対向配置の立体感もよく生かされます。

 第3楽章はかなりのスピードですが、タイトな合奏を維持していて、全集初期の頃に気になったフォーカスの甘さは完全に消えた印象です。冴え冴えとした筆致は実に鮮烈で、ティンパニのアクセントも効果的。トリオも、活力としなやかさが巧みに対比されています。

 第4楽章も速めのテンポでテンションが高く、その上に小気味の良い軽快なフットワークを軸にしている所が痛快です。エッジの効いたアインザッツは一体感の強い緊密な合奏から生まれていて、そこに漲る覇気も迫力満点。ライヴらしい白熱も凄まじく、圧巻の盛り上がりで会場を熱狂させています。

“細部に新鮮な発見を散りばめつつ、自然体で圧倒的高揚に至る凄絶な名演”

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2015年  レーベル:ベルリン・フィルハーモニー・レコーディングス)

 ラトル二度目となる全集ライヴ録音から。自主レーベルから発売されたセットには、ブルーレイ・オーディオと全曲の映像、ドキュメンタリーも収録されています。音声はライヴのものに、セッション収録での修正をミックスしたもの(その様子も撮影されています)。作品の様式に合わせて編成を変えた全集で、初期の交響曲ほど小編成に、第九のみは通常編成で演奏しています。

 ラトル自身が語るように、演奏するたびに自分の間違いを発見するのがベートーヴェンの音楽で、解釈は常に変わってゆくもの。当盤ではH.I.P.からむしろ遠ざかった印象です。しかし細部は新鮮な発見に溢れ、オケの表現力を生かしてすこぶる精度の高い描写を徹底。私が凄いと思うのは、ここまで緻密で雄弁な演奏でありながら、聴衆がこの作曲家に求める深い精神性や、演奏行為に求める内的燃焼に関し、高い目標を設定しながらそれを見事に達成している所です。

 80年代以降、ほとんどの全集録音(ラトル自身の旧盤も含め)は作品の偉大さを意識しすぎ、録音を行う意義や、H.I.P.か否かというスタイルの問題に足をすくわれていたように思います。しかしラトルとベルリン・フィルは、ただただ全身全霊で音楽に没入し、良い演奏とは、頭でっかちになる事なく、ただ生き生きとして真摯な演奏なのだと教えてくれます。曲によって仕上げにばらつきもあるものの、私は全体として、この35年間でバレンボイム盤と並んで最も成功した全集だと思っています。

 第1楽章は序奏からエネルギーが充溢し、すみずみまで明晰。濃淡のきめが細かく、ダイナミクスのグラデーションも豊富です。主部はかなり速いテンポで、溌剌とした生気が漲り、レスポンスが敏感そのもの。それがH.I.P.かどうかという、わずらわしい問題意識も全くありません。細部は新鮮な発見に溢れ、それこそが新しい録音を行う意味だと痛感します。

 フットワークが軽く、ばねの強いリズムを駆使しますが、ダイナミックな力感を示しつつ、絶妙な脱力感もあるのが不思議。コーダに向かって激しく加速し、躊躇せずに白熱のクライマックスを築きますが、聴き手はもうここで拍手を贈りたくなります。第1楽章のコーダに大きな山場を設定し、その勢いによってフィナーレまで集中力と緊張感を保持させるのはこの全集で目立つパターン。提示部リピート実行。

 第2楽章は、オスティナート・リズムの頭に置かれた長い音符に、重さと深さを与えるイントネーション。オケの表現力は超人的で、そこから切実な感情すら立ち上ってきます。アーティキュレーションを詳細に描き分けていて、全てが明快。第3楽章はかなり速めのテンポで、内在するエネルギー量が圧倒的です。トリオも勢いを落とさず、テンションを保って流れるように推移。

 第4楽章はさほどスピードを求めませんが、リズムの鋭利さ、音の立ち上がりの瞬発力で、すこぶる機敏に聴かせます(部分的には加速しているように聴こえるほど)。H.I.P.ではないのですが、旧世代的な腰の重さは皆無。力技で持っていかず、凄味を帯びたディティールの集積として、ごく当たり前のように白熱するのが凄いです。傑出したこの全集中でも、第5番と共に特筆大書したい名演。

“豊かな音楽性の集積で総体をオーソドックスに聴かせる、真摯かつ非凡な演奏”

アンドリス・ネルソンス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2017年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 珍しくもセッション録音による全集から。残響がたっぷりしているのは、ライヴではない利点です。やや骨張った響きで、パンチの効いた機動性を追求するタイプではなく、往年の名指揮者達に近い流麗なアプローチ。いわば旧スタイルを、モダンなセンスで高精細にアップデートした演奏と言えば分かりやすいでしょうか。

 とにかく仕上げが丁寧で、経験や雰囲気で漫然と流してしまう所がありません。王道ながら、新規な解釈はなくともいかに多くの美質を取り揃えた全集か、アバドが同じオケを振った80年代のセットと聴き較べるとよく分かります。むしろ、見事な成功を収めたラトルとベルリン・フィルの録音を継承する雰囲気もあり、音楽そのものへの真摯な没入感が素晴らしい全集です。

 第1楽章は、近年には珍しく提示部のリピートなし。序奏部はフォルテにアクセントの張りを持たせず、横の流れに留意。肩の力を抜いて先へ先へと進むイメージですが、要所で充実した力感は示されます。序奏部の起承転結の中にも、熱っぽい感情の高まりが描き出される造形は印象的。

 主部へはごく自然な呼吸で推移するものの、そこに豊かな音楽性が表されるのはさすが。鋭敏なリズム感を駆使し、オーソドックスながら活力の漲った表現をハイ・クオリティで展開します。展開部の、詩情溢れる木管群のソロは素晴らしい聴き所。ダイナミクス、アーティキュレーションに関しては、すこぶる解像度の高いパフォーマンスでもあります。

 第2楽章は、丹念に錬成されたしなやかな響きで歌い上げる名演。強音部はソリッドで力強く、気力が漲ります。第2主題も、深い呼吸とデリケートな味わいが魅力的。第3楽章はH.I.P.並の超快速テンポ。トリオは平均的な速度に落ち着き、強音部の充実した響きと輝きが素晴らしいです。第4楽章はアタッカで突入しながら、ごく自然に繋げた印象。躍動感はあるものの、アクセントの強度よりもフレーズの滑らかな連結を重視します。勢いで押し切らず、弱音のデリカシーも際立つなど、すこぶる音楽的な表現。

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