ベートーヴェン/交響曲第4番

概観

 名作3番と5番の間に挟まれてポピュラー度はやや落ちますが、カルロス・クライバーが得意とした数少ないレパートリーで、私には(そして多くの音楽ファンには)もうほとんどクライバーの曲という感じです。第1楽章の序奏部から主部へ突入する加速の具合なんて、クライバー流でないと気持ちが悪いくらいだし、第2楽章のオスティナート・リズムは、有名なウィーン・フィルとの事件を思い出して「テレーズ、テレーズ」としか聴こえません。

 第1楽章のノリの良さやスピード感、第3楽章の舞曲的性格(3/4拍子ですが6/8に聴こえます)に対し、第2楽章アダージョのたおやかな叙情性もバランスの良い配置。このアダージョは、木管の使い方に《田園》を先取りした雰囲気があり、クラリネットの効果的な使用も印象的です。そしてフィナーレとなるともう、管も弦も超絶技巧の速弾き大会。スピード狂のクライバーが好んだのも分かります。

 そのクライバー盤以外で私のお薦めは、クーベリック盤、ブロムシュテット/コンセルトヘボウ盤、ナガノ盤、ラトル/ベルリン盤が圧倒的な名演。他ではクリュイタンス盤、モントゥー/ロンドン盤、マゼール盤、バレンボイム盤、ラトル/ウィーン盤、P・ヤルヴィ盤、ティーレマン盤、ネルソンス盤も、それぞれに素晴らしい演奏です。

*紹介ディスク一覧

59年 クリュイタンス/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

59年 モントゥー/ロンドン交響楽団

59年 モントゥー/北ドイツ放送交響楽団

60年 ケルテス/バンベルク交響楽団

64年 モントゥー/イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

73年 ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

75年 クーベリック/イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

76年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

77年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団

79年 ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン

80年 T・トーマス/イギリス室内管弦楽団

82年 クライバー/バイエルン国立管弦楽団

83年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

87年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

88年 アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

90年 アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団

91年 サヴァリッシュ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

93年 C・デイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデン

93年 ジュリーニ/ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

99年 バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリン

01年 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

02年 ラトル/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

03年 ブロムシュテット/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

05年 P・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

09年 金聖響/オーケストラ・アンサンブル金沢

09年 シャイー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

09年 ティーレマン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

12年 ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団

14年 ナガノ/モントリオール交響楽団

15年 ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

19年 ネルソンス/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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“洒脱の極み。時代を超越したセンスの良さに驚嘆”

アンドレ・クリュイタンス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1959年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音中の一枚。とにかくセンスの良い演奏です。やや硬質ながら、明朗かつ流麗なオケの響きも独特で、録音も細部までクリア。第1楽章は、悠々たる序奏から主部へ突入する辺りの何とも言えぬ凄味が巨匠風ですが、一転して第1ヴァイオリンによる主題提示は、軽妙を極めたスタッカートの使い方といい、デリケートな歌い回しといい、洒脱の極みという他ありません。弦の音色のみずみずしさが大変に魅力的な一方、木管の艶やかなソロも耳に残ります。

 第2楽章は落ち着いたテンポで、繊細な表現。これも弦と木管を中心に、非常に洗練されたパフォーマンスです。第3楽章はやや腰が重く、柄が大きいですが、様式的なバランスは保たれているのかもしれません。むしろ、フィナーレの今日的な敏感さを評価すべきなのでしょう。オケの見事なアンサンブルもさすがですが、クリュイタンスの棒はリズムの鋭利さと生気に溢れた躍動感が素晴らしく、録音年を考えるとその先進性に驚かされます。

“爽快なサウンドと卓抜なリズム感、老練なスコア解釈が見事に合致”

ピエール・モントゥー指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1959年  レーベル:デッカ)

 モントゥーはデッカへ同オケと第2、4、5、7、9番(ウェストミンスター)、ウィーン・フィルと第1、3、6、8番を録音しています。当盤もウィーン・フィルならさらに良かったと思う人は多いでしょうが、なかなかみずみずしく爽快なサウンドで、残響も適度に取込んで聴きやすい音質です。

 第1楽章は遅めのテンポで、一音ずつ噛んで含めるような語り口。楽想によってはさらにブレーキを踏んで遅くしますが、抜けるように爽やかなヴァイオリン群の音色が前に出て、重厚なドイツ風とは全く違う流麗さがあります。画然たるアンサンブルも見事で、スタッカートやマルカートの強調も効果的。クリアな響きで構造が分かりやすく、発色が鮮やかなため和声感も豊かです。

 第2楽章は伴奏型オスティナートの取り方が独特で、裏拍のアウフタクトを全て遅らせ、次の頭の音符につめて演奏。遅めのテンポを基調に、細かくアゴーギクを操作する指揮ぶりはロマンティックでもあります。音量の増減と共にかなりの部分的加速も行うため、音楽の流れが弛緩しないのは美点。

 第3楽章は語尾を粘っこく引きずる歌い出しがユニーク。続くパッセージではスタッカートも多用するので、あくまでフレージング解釈の範囲という感じです。トリオはぐっと速度を落とし、主部との対比を明瞭に演出。第4楽章はきびきびとしたテンポで、溌剌とした運動性あり。合奏の精度の高さが、スピード感と勢いに繋がっています。弾みの強いリズム感も卓抜で、歯切れの良い語調が痛快。

“丹念でデリカシーも感じられる一方、オケの技術力と音色に難あり”

ピエール・モントゥー指揮 北ドイツ放送交響楽団

(録音:1959年  レーベル:コンサート・ホール)

 モントゥー晩年に数点残された北ドイツ録音の1枚で、第2番とのカップリング。モントゥーの同曲ステレオ録音は、同年にロンドン響とのデッカ盤、64年にイスラエル・フィルとのライヴ盤もあります。直接音は鮮明ながら、やや残響がデッド。

 第1楽章序奏部は弱音主体で、しっとりした情感。主部は遅めのテンポで、丹念に描写します。北ドイツのオケながら低域が軽いサウンド傾向で、ティンパニのアクセントを控えているので、タッチもソフト。リズムを引きずる傾向があり、この楽章はやや腰の重い印象です。

 第2楽章も、デリカシー満点の弱音を駆使。オスティナートのリズムがやや詰まって不正確なのは少々気になります。第3、4楽章はゆったりした佇まい。リズムは歯切れ良く克明に刻まれ、強弱のメリハリも細かく対処されています。旋律線が流麗でみずみずしく、生気も溢れますが、オケの音色的魅力は今一歩。

“徹底して精緻に細部を彫琢する一方、颯爽とした感興にも溢れる”

イシュトヴァン・ケルテス指揮 バンベルク交響楽団

(録音:1960年  レーベル:オイロディスク)

 当コンビの数少ない録音の一つ。ベートーヴェンは他に第2番、《コリオラン》《エグモント》《レオノーレ》序曲第3番、ピアノ協奏曲第3番(ソロはコンラート・ハンゼン)を録音しています。ステレオ初期の収録ですが、ディティールが鮮明で高音域が華やか。やや硬質で細身ながら、間接音も適度に取り入れられて大変聴きやすい音です。

 第1楽章序奏部は、自然体ながら繊細な味わい。主部への移行も自然な呼吸で、颯爽とした勢いを感じさせます。テンポはさほど速くありませんが、みずみずしく明朗な響きと、よく弾むシャープなリズムが音楽を生き生きと躍動させています。アーティキュレーション描写は律儀なまでに徹底されていて、スコアに対する真摯な姿勢が好印象。オケも艶っぽく爽快な音色と、一体感の強い合奏で応えています。強弱のニュアンスは豊かで、第2主題で若干テンポを落とすなど、アゴーギクも巧妙。

 第2楽章はゆったりとしたテンポで、虚飾のない素直な表現ながら、内的感興が豊かで情緒面での充実感が十分にもたらされる演奏。オケの音彩も美しく、室内楽的な愉悦に満ちたアンサンブルを展開します。強奏部もスケールが大きく、雄渾。

 第3楽章は、主部もトリオも落ち着いたテンポで、豊かな情感が横溢する辺りに旧スタイルの美質を示す一方、端正な造形感覚はモダン。旋律線も総じて開放的に、たっぷりと歌われます。第4楽章も遅めのテンポで、細かい音符を克明に処理してゆくような趣。それでも不思議とドイツ的な厳めしさがなく、爽やかな風通しの良さが際立っているのがケルテスらしいです。粗暴な所はありませんが、内から沸き起こるようなエネルギー感が強く、軽快ながら力強さには欠けていません。

“端正なフォルムに豊かな内容を盛った、珍しい顔合わせのステレオ・ライヴ”

ピエール・モントゥー指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1964年  レーベル:ヘリコン・クラシックス)

 オケ自主レーベルのライヴ録音ボックス・セットに収録。エルガーの《エニグマ変奏曲》、ラヴェルの《ダフニスとクロエ》第2組曲とカップリングで、同日の演奏会をそのまま収録していると思われます。モントゥーの同曲録音は他にロンドン響、北ドイツ放送響との59年盤あり。この顔合わせは非常に珍しく、メジャー・レーベルの録音は存在しないと思います。音像が中央に集まって、左右の拡がり感はあまりないですが、一応鮮明なステレオ録音(一部、音切れあり)。

 第1楽章は、遅めのテンポでのんびりした風情。フォルムは明晰に打ち出されていますが、ティンパニを抑え、アタックをソフトに丸めたアインザッツはモントゥーらしいです。フレーズにゆったりとした間合いがあり、響きも明朗で、北ドイツ盤よりは音色的魅力にも恵まれた演奏。やや腰は重いものの、合奏はよくまとまっていて、生彩も感じられます。

 第2楽章は、弦の美しい響きを生かしたまろやかな歌が魅力的。推進力のあるテンポで、流れが停滞しません。リズムが前に出る局面では躍動感が充分に表されますが、付点音符は精度が甘い感じもあります。曲想に合わせてかなり加速するのもユニークな解釈。響きに華やかな艶と光沢があるのは、フランス的感性でしょうか。

 第3楽章は、端正な造形に豊かな内容を盛っていて秀逸。トリオでテンポを落とし、淡く清明な抒情を表出するのも美しいスタイルです。第4楽章は合奏の乱れも目立つものの、意志的な棒さばきに切っ先の鋭さも出て来て、覇気の漲るパフォーマンスを展開。それでいて、フットワークにある種の軽さを確保しているのも好感が持てます。ポイントは、ダウンビートに重みを加えすぎていない所でしょうか。コーダの締めくくり方にも味わいあり。

“器の大きさと滋味豊かな表現がさすが。録音とトランペット・パートにやや問題あり”

ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1973年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音から。録音はややハスキーで奥行き感に不足しますが、ケンペらしい滋味豊かな演奏です。第1楽章序奏部は、スローテンポでじっくりと表現されて雄大。器の大きさを感じさせます。主部も落ち着いたテンポ運びですが、ディティールを入念に処理して色彩の変化を克明に表現。第2楽章も、味わい深い歌が溢れる含蓄に富んだ演奏ですが、強奏部におけるトランペットの強調はやや気になります。

 第3楽章以降も、内声のハーモニーでトランペットのピッチがやや不安定に聴こえる傾向あり。フィナーレはリズム感の良さが出て、きびきびとしたテンポで鮮やかなパフォーマンスを展開。オケも安定した低音部と抜けの良い高音域を両立しており、南ドイツの団体らしい明朗な響きとフレキシブルな機能性に好感が持てます。

“落ち着いた風情を基調に、隅々まで有機的な表現を構築した稀にみる名演”

ラファエル・クーベリック指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1975年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 9つのオケを振り分けた全集録音から。珍しい顔合わせで、他にはドヴォルザーク/弦楽セレナードの録音があるだけのようです。クーベリックはどのオケを振っても奇を衒うことなく、中欧由来のロマンティシズムを遺憾なく発揮して、見事に充実した音楽を作り上げるのが凄い所。このオケは指揮者によって響きがささくれ立ったり、痩せてドライに聴こえる事もありますが、ここでは暖かくて豊麗なソノリティが素敵で、ドイツ伝統のサウンドに近い雰囲気に驚かされます。

 第1楽章序奏部はデリカシーに溢れた出だしから、最高のバランスで鳴り響く最初のフォルティッシモまで、素晴らしい設計。主部はいたずらに先鋭化せず、ニュアンス豊かに生き生きと音楽を躍動させた稀にみる名演です。細部の処理が緻密な一方、全体のホットな感興は秀逸。力こぶを作らず、中庸のテンポながら軽妙さと推進力をキープしているのも爽快です。

 第2楽章はロマン派寄りのスタイルながら、たっぷりと情感を盛り込んで内面充実。どこをとっても無機的に響く箇所がないのは、この指揮者の長所です。殊に管弦の優美なバランスと、アゴーギクの自然さは天性のセンス。第3楽章も作品のリズム特性をうまく掴み、遅めのテンポながら愉悦感満点。定評のある弦の響きのみならず、管楽器の音色と表情も美しいです。トリオの恰幅の良さ、アタックの上品さや演奏全体に漂う風格も特筆したい所。

 第4楽章も落ち着いた風情ながら、鋭敏さやみずみずしく溌剌とした動感が十分表され、その上で土台の安定感、内的感動の高まりを加えてゆく指揮は絶品。何もクライバーのような方向性ばかりが、この曲の魅力ではないようです。

“スケールが大きく、ダイナミックに鳴らすものの、重々しくて大柄”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1976年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 爆発的に売れた70年代の全集録音から。第1楽章は、序奏部からややものものしいムード。主部は輝かしく力強いトゥッティで開始しますが、テンポが遅く、例によってソステヌートのフレージングと重々しい足取りが気になります。響きは流麗で充実していますが、良くも悪くも旧世代のアプローチという印象。

 第2楽章は豊麗な響きと落ち着いたテンポでスケールが大きく、旧来のベートーヴェン像を裏切らない造形。ニュアンスは細やかで、強奏は雄渾そのものです。第3楽章は遅めのテンポで、メヌエットとしては大柄な性格。ティンパニのトレモロを伴うトゥッティは、少々鳴らしすぎに聴こえますが、がっちりとした手応えは感じられます。フィナーレは。落ち着いたテンポで律儀にリズムを刻んでゆく表現。力で押さない所は好感が持てますが、コーダはルバートを強調していかにも人工的です。

“微分積分的に精密なリズム、マゼール流と呼ぶ他ないユニークなフレージング”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1977年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音から。クリアながら響きのデッドな録音、整然としたアンサンブルでモーツァルト風の小気味良さを打ち出したアプローチはこの全集に共通です。第1楽章は、主部に入る際の何とも言えぬ軽さと機動性が独特。H.I.P.ではなく正にマゼール流と呼ぶ他ないスタイルで、随所に極端なスタッカートを挟み、スラーを駆使して癖のあるフレージングを形成してゆく様はユニークそのもの。リズム、特に弦の刻みの解像度も尋常ではありません。

 第2楽章もかなりテンポが速く、機能的な表現。リズムの鋭角的処理もマゼールらしいです。第3楽章は落ち着いたテンポながら、やはりリズムを画然と刻んでおり、アーティキュレーションを自己流で描き分ける個性的な演奏。人工的ではありますが、面白いのも事実です。フィナーレも無類に軽快で切れ味が良く、目の覚めるように鮮やかなパフォーマンスを展開。16分音符を機械のように精密に刻む、いわば微分積分的なリズム処理は圧巻です。これを実現できるオケも、そうそうないでしょう。

“穏健な性格で感情は優先しないものの、豊かな音楽性で聴かせる”

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1979年  レーベル:ドイツ・シャルプラッテン)

 全集録音から。ブロムシュテットは後にゲヴァントハウス管とも全集録音を行っている他、同曲にはコンセルトヘボウ管とのライヴ盤もあります。

 第1楽章は中庸のテンポながら、克明なリズム処理で律儀に造形。同じオケ、同じ会場でもデンオンの録音と違って残響が控えめで、やや細身の響きですが、古色蒼然としたオケの音色美はよく出ています。パンチの効いたティンパニのアタックも効果的。しかしメリハリの強調や斬新なアーティキュレーション描写はなく、現在のトレンドからすると穏健な性格ですが、機動力が高く、整然とした合奏を繰り広げます。旋律線も明快に隈取られ、フォルテのエネルギー感も充溢。

 第2楽章も落ち着いたテンポで、ゆったりとした佇まいの中に雄渾な力感を漲らせた立派な演奏。スコアに対する緻密で誠実な態度はブロムシュテットらしいですが、強い主張には乏しい印象も受けます。強音部における伸びやかな感興の開放は魅力的で、弱音の叙情性も美しいもの。

 第3楽章は、やはり遅めのテンポ。この全集も初期の頃の録音はやや堅苦しさが感じられましたが、ここではだいぶ自在な呼吸感が出ています。トリオと主部の切り替えなど、アゴーギクも表情の付け方も見事。情感や愉悦感が増している点にも、指揮者の円熟を感じさせます。第4楽章もスピード感や名技性で聴かせず、細部を徹底して丹念に処理する行き方。時にブレーキも用いて、勢いにはまかせません。リズム感は良いですが、自然体で気負いがなく、感情優先の白熱に向かわないのが特徴。

“オケは力量不足、指揮者も小編成の利点と齟齬をきたすものの、第2楽章以降持ち直す”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 イギリス室内管弦楽団

(録音:1980年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音から。エヴァ・マルトンをソロに迎えたコンサート・アリア《ああ、不実な人よ》を併録し、日本では《田園》に続く第2弾として発売されましたが、LPからCDへの移行期に当たったせいか、ずっとCD化されませんでした(後にタワーレコードの全集セットに収録)。この全集は82年録音の第7番辺りから指揮者の円熟が如実に反映されてくる印象で、当盤の時期はまだ指揮もオケも幾分生硬さが感じられます。

 第1楽章は序奏、主部共にテンポが遅く、あまりに冷静で落ち着き払っているために、フィジカルな興奮に乏しいのが難点。すっきりとクリアな響きを生かし、クールな視点で一音一音律儀にスコアを音化しているのはいいですが、あまりに杓子定規で、時には情感の発露も欲しくなります。ヴァイオリン群のみずみずしいカンタービレは爽快で、低弦の合いの手をアクセントで強調するなど小編成の利点も生かしますが、T・トーマスの音楽作りは、どちらかというと大編成のスケール感を指向したもの。

 第2楽章は、弦のリズム音型が明瞭に彫琢されていますが、金管が入ってくるとややガチャガチャして、美感を欠きます。アインザッツが合わない箇所も多く、オケも力量不足。リズムの詰めも甘いです。T・トーマスの棒は、やはりたっぷりとした響きを求める傾向が強いようで、元来の音楽嗜好と演奏のコンセプトに微妙なズレがある様子。後半はソノリティが洗練されてきて、弱音のデリカシーも秀逸です。金管を含むロングトーンにもまろやかさと開放感が出てきて、コーダのティンパニは鮮烈。

 第3楽章はテンポこそ遅いですが、スタッカートの歯切れがよく、リズムが冴えています。響きにも立体感あり。第4楽章ではきびきびとしたスポーティな躍動感が出てきて、響きも澄んでくる印象。ブラスの鋭いアクセントは効果的で、アンサンブルにも生気が漲ります。全体としてみれば、第2楽章の後半から俄然良くなってくる演奏と言えるでしょう。第1楽章の座りが悪く、エンジンの掛かりが遅い感じがするのは、なぜかこの全集の多くの曲に共通する特徴です。

“NG魔のクライバーが、珍しく自信を持って発表した伝説のライヴ盤”

カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:オルフェオ)

 クライバー自身のコメント付きで発売された、伝説のライヴ録音。通常、録音テイクにオーケーを出す事は自分にとって恐怖でしかないが、これは自信をもって発表できる音源である旨、述べられています。また、ウィーン・フィルとのリハーサル逃避事件は有名。第2楽章のオスティナートを「マリー、マリー、ではなく、テレーズ、テレーズだ」と主張し、どうしても直らないので窓から飛び出していって、そのまま戻らなかったというのです。

 半ば大袈裟に誇張されたお話かと思っていましたが、実は音声が記録されていて、後にドキュメンタリー映画で使用されました。聞いていると、むしろクライバーは「なぜこんな簡単な事ができないんだ」という風情で、「いい加減にしてくれ、もう一時間もこんな事をやってる」なんて言ってます。おかしいのはむしろオケの方という感じ。類推するに、フレーズの語尾を流すのではなく、区切りの感覚が欲しいという事なのだと思うのですが(テレーズの「ズ」が肝要という事)。

 クライバーの同曲は、コンセルトヘボウ管とのライヴ映像もあり。彼特有の骨張ったシャープな響きで、高域偏重の傾向。会場の響きがややデッドで、奥行き感も低音域も浅いので、それは録音のせいとも言えますが、オケを問わずセッション収録でもクライバーのサウンドは大体共通している感じがします。

 第1楽章は序奏部は、非常に弱い音で開始。緊張感のあるピアニッシモの世界で推移しますが、弦のアクセントは艶っぽく目覚ましいフォルテで強調するなど、コントラストの効いた表現です。主部への移行は見事な呼吸。さほど速いテンポではないですが、切っ先の鋭い合奏としなやかなソステヌート、生き生きと躍動するはち切れんばかりの生命力は正にクライバー印です。アーティキュレーションが徹底して描き込まれている点は、これがライヴである事を考えると驚異的。

 第2楽章は遅めのテンポで、沁み入るような叙情と優美な歌が溢れる名演。この美しいカンタービレを支えるために、伴奏部の緻密さが必要だったのでしょう。集中力がすこぶる高く、室内楽的な合奏の一体感、緩急の描き方は全く素晴らしいものです。ただ、ティンパニが入ってくるとやはり音場の浅さが気になる所。

 第3楽章は予期したほど過激ではなく、リラックスした佇まい。テンポは精緻にコントロールされていますが、極端な表現はありません。第4楽章は快速テンポで勢いが強く、メヌエット楽章でひと息入れた効果がよく表れています。実際のスピードよりも、音の立ち上がりの速さが際立つ感じ。特に弦楽セクションは鋭利なアタックで切り込んでゆくストロング・スタイルで、クライバーらしいエキサイティングな演奏設計と相乗まって、火花の散るようなクライマックスを形成します。

“カラヤン最後の全集ながら、あまりに重い棒と縦の線が揃わない合奏が残念”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1983年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤン最後の全集録音から。第1楽章は旧盤同様テンポが遅く、腰の重さが気になる所。アインザッツが合わない箇所も多く、コーダの呼吸もぎこちない印象を受けます。オケは音圧が高く、トゥッティに力感が漲りますが、老大家が指揮台に立った時に特有の、オケの方で細かい部分を調整してマエストロに合わせようという、反応のタイムラグが僅かに感じられるのは残念です。

 第2楽章はゆったりとした間合いで大柄。良くも悪くも旧式のグランド・スタイルですが、テンポの速い楽章ほど棒の弊害は表面化しません。叙情の深さも印象的です。第3楽章もたっぷりとして恰幅が良い造形ながら、オケが豊麗によく鳴っていて、伸びやかなトゥッティはなかなか気持ちが良いです。気力も漲って、響きのエネルギー感もベートーヴェンらしく雄渾。

 第4楽章はテンポこそ遅いものの、パンチの効いたアタックが作品に相応しく、聴き応えがあります。もう少しオケが機敏だといいのですが、コーダもユーモラスというよりベテランの話芸を聴く趣。全集としては、必ずしも全ての曲で鈍重さが気になる訳ではないので、カラヤンの棒自体に初期シンフォニーのスタイルと齟齬があるのかもしれません。

“イン・テンポできびきびと軽快な表現を展開。さらに熱っぽい感興が欲しい所”

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1987年  レーベル:フィリップス)

 全集録音から。ハイティンクは、特に初期の交響曲において古典的造形を心掛けているようで、ティンパニを抑えた軽い響きを指向している様子。弦も通常より編成を減らしているのか、フットワークの軽快さが目立っています。第1楽章は序奏部こそ淡々としていますが、主部への突入はなかなか緊迫感があって好印象。主部もきびきびとしたスピーディな音楽運びと緊密なアンサンブル、美しく柔らかな音色で聴かせます。

 第2楽章は余計な思い入れを排した過不足のない表現ながら、木管ソロのフレージングに典雅な趣を漂わせて、なかなかの風格。弱音のデリカシーも印象的です。どの楽章もドイツ風のがっちりした構成を作らず、コーダを淡白に処理しているのが独特。唯一、第3楽章のコーダは僅かながらリタルダンドが絶妙な味わいを醸しますが、フィナーレは特に感興を盛り上げてゆく訳ではないし、最後の和音を句読点として強調する訳でもなく、イン・テンポ気味にすっと終結してしまいます。

 ディティールの克明な処理は当コンビの美点で、響きに潤いがあるしリズム感も鋭く、生き生きとした運動性にも事欠きません。良く言えば癖のない清潔な表現ですが、もう少しベートーヴェンらしい迫力があってもいい気はします。彼のようなタイプの指揮者は、スタジオ録音で真価が発揮されにくいのであれば、もっと早くライヴ収録主体に切り替えても良かったかもしれません。

“勢いや推進力はいったん脇に置き、オケの個性をじっくりと聴かせる”

クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 全集録音から。アバドは後にベルリン・フィルとも全集を完成させています。過剰な力感を付与しないリラックスした態度は、同じレーベル、同じオケによるバーンスタインの全集と対照的。

 第1楽章序奏部は、最弱音でデリケートに推移するのがアバドらしい語り口。主部は中庸の落ち着いたテンポで、ウィーン・フィルらしいまろやかなソノリティを生かします。スタッカートを強調するリズム的敏感さはありますが、フレーズの移り変わりに併せてテンポを設定するアゴーギクは、旧スタイルのベートーヴェンと通底する雰囲気もあり。推進力をいったん脇に置いて、音楽の進行をじっくり聴かせる行き方に見識が窺われます。勢いこそ削がれますが、情感が豊かに感じられるのは美点。 

 第2楽章も、無理のないテンポで情緒の醸成に重点を置くイメージ。ピアニッシモの効果を十全に生かし、オケも本領を発揮して実に美しいパフォーマンスです。コーダの雄渾さと間合いも見事。第3楽章も余裕のあるテンポとたっぷりした響きで旧様式の感じですが、細部が精緻に彫琢されている所はアバドの個性と言えるでしょうか。音色も明朗です。

 第4楽章はきびきびとして生気に溢れますが、無用にスピード感を煽る所は皆無。各パートが生き生きとしていて、この楽章に限らず、指揮者よりオケの個性が前に出た演奏と言えそうです。コーダへの推移においても熱っぽく煽るような事はしませんが、エッジの鋭さ、スフォルツァンドの俊敏さは特筆もの。

“アーノンクール節が徹底されるものの、今の耳にもはや過激とまでは言えず”

ニコラウス・アーノンクール指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

(録音:1990年  レーベル:テルデック)

 ライヴによる全集録音から。ノン・ヴィブラート、固いバチのティンパニと管楽器の刺々しいアクセントは、そもそもアーノンクールのトレードマークでもあります。ただ、シャープなエッジとしなやかなラインの対比は効いているものの、その後H.I.P.の各盤を聴き慣れた耳には、もはや過激とまでは言えません。

 第1楽章序奏部は、スロー・テンポでたっぷりとした間合い。主部は適度に推進力があり、リズムの歯切れも良くて意外に軽妙です。アクセントの角が立つ一方、旋律には粘性を加えて歌わせているのが独特。同音連打のクレッシェンドは、テンポにどんどん重みを加えてゆくのがユニークな解釈です。エネルギー感は十分保持される印象。

 第2楽章は速めのテンポ。要所で管とティンパニを強調する辺り、アーノンクールらしい野趣が感じられます。パンチの効いたトゥッティと、清澄な弱音のコントラストは見事。第3楽章は中庸のテンポで、雑音性の高い強奏やひなびた味わいのロングトーンがアーノンクール流。第4楽章はアタックに溌剌とした張りがあって、生彩に富む表現。歯切れの良いスタッカートを駆使し、推進力と勢いがありますが、フォルテは雑味が多く、汚い音に感じられます。

“柔和でリラックスしたムードの中、オケの魅力が充溢。スリルや燃焼度は不足”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音から。ライヴとセッション収録が混在した全集で、当盤は後者。第1楽章は柔らかいアタックと力みのない合奏で、抑制の効いたベテランらしい表現。テンポも中庸で、加速で煽るような事はしませんが、木管の第2主題では足取りに重みが加わります。ゆったりとリラックスした雰囲気はオケの個性に合っていますが、クライバー流のスリルを好む聴き手には物足りないかも。スタッカートの扱いも切れが良く、鋭敏さに不足するわけではありません。細部の処理も緻密。

 第2楽章は幾分ロマンティックな色合いを帯びるものの、造形は極めて端正で、主情的に歌わないのが特色。しかし抑えた語り口の中に独特の柔和な叙情がにじみ出てくるのは、このオケの魅力と言えるでしょう。弱音の表現も極めてチャーミング。

 第3楽章はH.I.P.に慣れた耳にはもう少し覇気が欲しいですが、古典音楽らしい愉悦感は様式的にこれで十分なのかも。アゴーゴクは堂に入り、主部とトリオの往復も巧みに構成されています。第4楽章は小気味好く開始し、あくまで力まず丹念に各部を彫琢。中庸のイン・テンポを貫徹する一方、合奏の精度はなかなかのものです。指揮者が大言壮語するわけでないですが、そこでオケの魅力が生きてくる仕掛け。ただしコーダはさすがに燃焼不足かも。

“恰幅の良い響きや柔らかな気品と、近代音楽的な精密さが同居するユニークさ”

コリン・デイヴィス指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1993年  レーベル:フィリップス)

 全集録音から。第1楽章は落ちついたテンポで、着実さと安定感が前に出た表現。しかしニュアンスの細やかさはオケの、細部まで緻密な描写力は指揮者の個性を如実に表しています。純粋にシンフォニックなスタイルで、アゴーギクやフレージングが感情と連結しているクライバーの流派とは全くベクトルの異なる演奏。ただ、徹底して精度の高い描写が随所で斬新な表情を生むのは、彼のベルリオーズと共通する手法です。

 第2楽章もスロー・テンポで恰幅が良く、スケールも大きいですが、タッチや響きは柔らかく、情感面には気品が漂います。細部の几帳面な処理が、ドイツの職人指揮者のそれでなく、近代音楽を扱うようなモダンな感覚から出ているのもデイヴィスらしい所。それをオケの伝統が補う図式です。第3楽章は中庸のテンポできびきびと造形してはいるものの、響きは大型。H.I.P.とは全く異なる行き方です。独特の味わいはありますが、スケルツォ楽章はやはりピリオド系にメリットがあるでしょうか。

 第4楽章もやはり落ちついた足取りで、合奏をどこまでも精密に構築。ベートーヴェンのオーケストレーションにおいては、その面白さを表出するのに効果的な表現手法ではありますが、全体のどっしりとした構えとは対照的な性質とも言えます。その意味でサー・コリンは唯一無二のユニークな指揮者でした。緻密さの徹底はエネルギーの蓄積を生み、腰は重いものの躍動感と高揚に繋がっています。

“オケの響きが魅力的ながら、ジュリーニ晩年の大柄な表現が好みを分つ”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1993年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 9番以外全て揃った同コンビの交響曲選集から、第5番とカップリング。音響がデッドなスカラ座の劇場で収録されていますが、ソニーのスタッフは幾分の残響を確保して聴きやすい音に仕上げています。左右の広がりや分離は良く、直接音も明瞭。

 第1楽章は序奏部から悠々たる歩み。主部もかなり遅いテンポで、細部まで克明に処理しながら、あらゆるフレーズをのびのびと歌わせるスタイル。オケもみずみずしい響きと暖かみのある音色で応え、木管ソロなども美しいパフォーマンスですが、かつてのジュリーニらしい緊密な造形感覚やリズムの切れ味も欲しい所。良くも悪くも大柄で、音が丸みを帯びすぎた印象です。

 第2楽章はこのコンビの良さが出て、伸びやかな歌が横溢する明朗な表現。弱音部のデリカシーも魅力的です。第3楽章はテンポが遅い上、音価をテヌートで長めに採るので、いやが上にも大味に聴こえます。どっしりと安定したリズムは独特ですが、オケは我が道を行くように艶やかで、相乗効果がユニーク。第4楽章も遅いテンポで、律儀にリズムを刻みつつ進行。スピード感はありませんが、画然たる趣で力感が込められます。編成が大きく、厚みのあるサウンドながら、木管や弦の大らかな歌心が美しいです。

“立派な風格とエネルギッシュな躍動感、随所に名人芸を聴かせるバレンボイム”

ダニエル・バレンボイム指揮 シュターツカペレ・ベルリン

(録音:1999年  レーベル:テルデック)

 全集録音から。この全集は第3、5、7番など傑出した超名演が多く、それに比べるとさすがにインパクトを欠きますが、当盤も充実した演奏内容を持つ素晴らしい演奏です。

 第1楽章はゆったりと構えて気宇が大きく、落ち着いた風情と躍動感を両立させた表現。どっしりとした低域に支えられたソノリティは安定感がありますが、響きがクリアで混濁せず、明るい輝きを持っているのが魅力的です。バレンボイムの棒はスタッカートとテヌートの対比を独自に盛り込んでいて、一部に癖の強いイントネーションも聴かれるものの、リズムが軽妙で、快適な運動性を感じさせます。

 特に風格が漂うのが第2楽章で、たおやかな情感も素晴らしい一方、テンポが緩む箇所でのティンパニのタイミングやリタルダンドの掛け方など、名人芸と呼びたい表現が頻出します。オケも艶やかな響きで滋味溢れるパフォーマンス。

 第3楽章は堅牢な造形ですが、リズムが重たい訳ではなく、トリオのテンポ設定、ニュアンスの豊かさなどもさすが。フィナーレもさほど速いテンポは採らず、スケール感を失わない程度に響きのボリュームを出しながら、鋭利なリズムで音楽を生き生きと盛り上げます。エネルギッシュな力感も充溢。

“全集の中では穏健な性格で、旧ウィーン盤と共通点の多い表現”

クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2001年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ライヴ収録によるアバド2度目の全集録音より。当コンビはこの前年に本拠地のフィルハーモニーで全集録音を完了、発売していますが、9番以外をローマの聖チェチーリア音楽院で再録音。アバドは最初の方を破棄し、ローマ録音を正式な全集とする意向を表明しています。ベルリン録音と較べると残響がややデッドですが、オケの特質はきちんと出ていて、この方が彼のアプローチに合った音なのでしょう。1年の間に、スコアにも新しい発見があったのかもしれません(ジョナサン・デル・マーによる新版を採用)。

 第1楽章は序奏部をさりげなく淡々と進めた上、主部も肩の力が抜けて穏健な表現。ピリオド系の影響を受けて、スピーディで軽快なスタイルが多いこの全集の中では、特に旧ウィーン盤からの解釈の差が少なく感じられる演奏です。アーティキュレーションは緻密に描写され、よく統率された合奏をすっきりと明晰に響かせている点は全集共通の特徴。優美さは継承しつつ、引き締まったタイトな造形を目指した感じです。

 第2楽章も中庸のテンポ。明るく柔和なソノリティで、フレーズを優美に歌わせています。ヴィブラートを抑えた弦と強奏部でやや突出するトランペットが、若干H.I.P.寄りと言えるでしょうか。第3楽章も、響きとラインが明瞭な他は旧スタイルに属する印象。第4楽章は速めのテンポで、オケの緊密な合奏力と相まって、推進力に乏しかった旧盤との差をやっと感じさせます。鋭敏な棒さばきも好ましいですが、上品な筆遣いと艶っぽい歌い回しはあくまで維持。

“H.I.P.とは距離を置きつつも、モーツァルト的性格やハイドン的愉悦感を随所に発見”

サイモン・ラトル指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2002年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集ライヴ録音から。ラトルは後にベルリン・フィルともライヴで全集録音を行っています。残響を豊富に取り込みながらも、全体にスリムな音像はこのレーベルらしい傾向。響きがクリアで副次的な音の動きが透けて聴こえるなど、解像度の高さは群を抜く印象です。一方、音色美や艶っぽい歌い回しはオケの美質。

 第1楽章は、序奏部から主部への推移に主観的な溜めがあり、H.I.P.とは少し距離を置くような解釈。主部はきびきびと進行する一方、弦楽主体で金管やティンパニの角を立てず、オケの性質を生かした優美な音作りと言えます。それによって、むしろ作品のモーツァルト風の性格が前面に出るのはユニーク。合奏はよく整理され、小編成とは言わないまでも、中程度の規模に聴こえるのはラトルらしさでしょうか。

 第2楽章はロマン派的な身振りに傾かず、あくまでも古典的なフォルムを維持。オケの自発性は生かされ、情感も豊かです。第3楽章は速めのテンポで緊密な合奏を構築。この辺りは当時の楽譜研究の流れに乗ったスタイルと感じられます。強弱のリアクションは非常に鋭敏ですが、過度にエッジの効いた表現は聴かれません。

 第4楽章も、スピーディなテンポながら細部が緻密で、オケが生き生きと精緻なアンサンブルを展開している所、ハイドン的な愉悦感もあったりします。短いフレーズや速いパッセージにも艶やかな音色美が徹底されているのはさすが。コーダにも鮮烈な力感が聴かれます。

“思わずため息が漏れる、至芸と楽興の時を散りばめた、極めつきの名演”

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:2003年  レーベル:RCO)

 楽団自主レーベルによる、曲ごとに指揮者の違う全集ライヴ・セットから。ちなみに他は第1番がジンマン、第2番がバーンスタイン、第3番がアーノンクール、第5番がヤンソンス、第6番がノリントン、第7番がクライバー、第8番がヘレヴェッヘ、第9番がドラティとなっており、独自に全集録音のあるハイティンク、I・フィッシャーは入っていません。

 ブロムシュテットはシュターツカペレ・ドレスデン、ゲヴァントハウス管とも全集録音を行っています。この顔合わせは珍しいですが、コンセルトヘボウ管のアンソロジー・ボックス(2000ー2010)にブラームスの第4番が収録されています。

 第1楽章は、序奏部から主部への移行が見事。加速しながら先行する音をスムーズに滑り込ませてゆく棒さばきには、この箇所でありがちなギクシャクする感じが全くありません。弛緩しないテンポと鋭敏なリズム感で音楽をきりりと引き締めるブロムシュテットの棒は、オケを問わず常に冴え渡っていてさすが。ここでは各パートの滋味豊かなパフォーマンスも加わって、素晴らしい楽興の時が繰り広げられます。

 第2楽章は、繊細を極めた筆致が息を呑むほど見事。こうなるともう、H.I.P.だろうがグランド・スタイルだろうが音楽的な美の境地を極めた者の勝ち、みたいになってきます(もっともブロムシュテットはこの数年後から、H.I.P.にも意欲的に食指をのばしはじめます)。フレーズの語尾のまとめ方一つ取っても、至芸と呼ぶ他ない瞬間があり、思わずため息が漏れるほど。

 第3楽章は、フル・オケとしては機敏なフットワーク。造形がタイトで、細部まで緻密に描写される一方、主部とトリオの往復、特にアゴーギクの扱いが音楽性抜群で、やはり老練な味わいが聴かれます。第4楽章も細部の処理が緻密そのもので、単なる勢いではなく、合奏の精度によってスピード感が出る感じ。弱音部に至るまで常に集中力が高く、一音一音の冴え冴えとした粒立ちが全体の緊張感に繋がっています。

“図抜けた分解能によって、響きの各レイヤーに音色的多様さを見いだす斬新さ”

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

(録音:2005年  レーベル:RCA)

 全集録音から。単に小編成で響きがクリアというに留まらず、マスの響きを構成する各レイヤーに音色の多様さを見いだした、実にモダンで斬新な演奏。

 第1楽章は、序奏の低音部で管楽器の鋭い響きを強調し、主部へ突入する際の和音連打も、いったんフォルテピアノで音量を落としてクレッシェンドするなど、独特の表現。分解能の高いリズム処理に、スタッカートとテヌートを極端に対比したフレージングなど、とにかく新鮮な発見が多い演奏です。リズムとフレーズの捉え方は、全編に渡って新たな視点で見直されていて見事。

 第2楽章はすこぶる速いテンポを採択しますが、ディティールの処理が丁寧で、粗雑に感じられる箇所はありません。はっとするような弱音も詩情豊か。第3楽章は標準的なテンポですが、トリオの木管など優美な味わいがあって、意外に古風な一面も見せます。凄いのはフィナーレ。細かい音符まで驚異的な精度でスコアを音にした演奏で、オケの優秀さ、指揮者の棒の鮮やかさに舌を巻きます。とりわけ、リズムの解像度の高さは特筆もの。

“問題もあるものの、鮮烈な表現の数々で我が国のH.I.P.を牽引”

金聖響指揮 オーケストラ・アンサンブル金沢

(録音:2009年  レーベル:エイベックス)

 全集録音から。第8番とカップリングして最後に発売されたディスクで、演奏内容も最も円熟したものと感じられます。特に両端楽章での小編成オケの利点を生かした機動性と、強弱やアーティキュレーションの細かな交替、生き生きとしたリズムとスピード感は魅力的。ティンパニの鮮烈なアクセントも、オケの運動神経を高めるのにひと役買っています。

 一方、ソノリティにはさらなる洗練やコクがあればとも思いますが、ホールの響きの良さとも相まって、あらは目立ちません。ピリオド系アプローチながら粗雑な演奏には陥らず、ディティールを丹念に扱っているのは好感が持てます。第2楽章もかなり速いテンポですが、弱音のデリカシーは充分に表現。木管ソロも好演しています。ただ、第3楽章ではやや強調されたティンパニのトレモロが、舞曲の軽快なムードを弱めてしまった印象。

“時に驚くほどの快速テンポ。優美なフォルムと精緻なディティールを両立させる”

リッカルド・シャイー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

(録音:2009年  レーベル:デッカ)

 全集録音から。英国の老舗デッカ・レーベルは、80年代のデジタル時代以降、ベートーヴェンの交響曲全集セットがショルティの再録音盤しかなく、欧州の名門オケや人気指揮者を起用している他のレーベルと比べて出遅れた印象がありました。ここでシャイーとゲヴァントハウス管を擁した満を持しての全集は、書籍風の豪華な造りで(これがやや面倒臭い)、いかにも力が入っています。

 第1楽章は透明度の高い、すっきりして柔らかな響きで開始。主部への以降は自然で、ティンパニを抑えているせいか、足取りが非常に軽いです。主部もきびきびとした速めのテンポで、アクセントでフレーズを断ち切らない優美なフレージングで、軽妙かつ流麗に造形。この曲は縦乗りの鋭角的な演奏が多いので、こういう滑らかな造形は斬新に聴こえます。勿論、鋭利なリズムや雄渾な力感も随所に挿入。生き生きと躍動する合奏の一体感は、作品にふさわしいです。

 第2楽章は、びっくりするほどの速度。特徴的なオスティナート・リズムがトゥッティで奏される箇所など、いくら何でも速すぎるのではと感じますが、レガートでアルペジオが行われる部分を聴くと、対比の妙に唸らされたりもします。いずれにしろ、ロマン的な情緒を横溢させてたっぷり歌い上げるタイプではありません。オケの音色は透明で美しく、柔らか。古風な香りとモダンな光沢が同居していて心を奪われます。クラリネット・ソロの辺りなど、弱音の扱いも繊細。

 第3楽章は響きがたっぷりとしているため、神経質にささくれ立たず、佇まいにゆとりがあるのが好印象。編成は大きいけれど運動神経が良いというのか、リズムは常に鋭敏なのに、せこせこした感じがありません。

 第4楽章もスピード感を維持しながら、細部まで丁寧に描写していて、勢いにまかせた粗雑さがないのは何よりです。オケも卓抜な合奏力で応え、きびきびと緻密なパフォーマンスを展開。音の立ち上がりが速いのもスピーディに聴こえる一因ですが、急激なクレッシェンドやフォルティッシモなど、音量変化の俊敏さも目の覚めるような鮮やかさに直結。

“見事な棒と合奏力で、作品に正当な品格を付与した素晴らしい演奏”

クリスティアン・ティーレマン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2009年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ライヴによる全集録音から。映像ソフトで先行発売された全集と同じ音源です(筆者はブルーレイで試聴)。ティーレマンは暗譜で振っており、弦を両翼配置にした上、コントラバスを最後列に配置。意外にもドイツ風のいかつさより、流れの良さと柔らかなタッチを優先させた演奏です。恣意的なテンポ変動の他、フレーズを存分に歌わせる事を重視している点ではH.I.P.の対極ですが、固いバチを使ったティンパニや明晰で立体的なソノリティなど、古色蒼然とした旧時代スタイルとも全然違います。

 ゆったりと構えた第1楽章からして、彫りの深い造形と滋味豊かなフレージングが横溢する、気力の充実した表現。再現部前のテンポの落とし方など、極めて音楽的です。冷却が尊ばれる昨今の流行に反して、ティーレマンが作る響きには独特の暖かみと柔らかさがあり、それが内的感興と結びついてクラシック音楽特有の愉悦感が横溢。オケがまた生彩に富んだ素晴らしいパフォーマンスで、いわばこの全集はウィーン・フィルの凄さも再認識させるセットとも言えます。

 第2楽章も弱音のデリカシーと優美な歌に溢れた表現。この指揮者らしく、テンポが落ちる局面では音量もぐっと抑え込んでいて、アゴーギクとデュナーミクを力学的、感覚的に関連させている事が窺えます。特にアッチェレランド/リタルダンドが、そのままクレッシェンド/ディミヌエンドに結びついている箇所では、独特の音楽的起伏を形成。

 かなり速めのテンポを採る第3楽章と、遅めながら無類に歯切れが良い第4楽章は対比が明瞭で、コーダにおける強弱のコントラスト表現も見事という他ありません。山場に向かって白熱するタイプの演奏ではありませんが、指揮者のドライヴ能力とオケの合奏力の相乗効果が有機的迫力を醸造します。小型の交響曲に位置づけられがちなこの作品に、改めて正当な品格を付与したような格調高い演奏。

“オケの充実した響きに、柔らかく繊細なディティールを描き込むヤンソンス”

マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:2012年  レーベル:BRクラシック)

 楽団自主レーベルによる全集録音より。ピラミッド型の音響バランスとたっぷり収録されたホールトーンが、純ドイツ風の堂々たるサウンドを味わせてくれる全集ですが、響きに柔らかさと明るさがプラスされているのはヤンソンスらしい所。

 第1楽章はリズムを中心に構成がよく練られ、音楽の流れが実にスムーズ。艶やかな響きは風通しもよく、さほど速いテンポではないにも関わらず、生命力に溢れているのは何よりです。ヤンソンスの棒は落ち着いていて、口当たりの良い表現とも言えますが、弱音の効果が最大限に意識され、コントラストが大きく取られています。当節流行の刺激性の強いアクセントは排除。

 第2楽章は潤いのある響きと、なめらかなラインを描くソフトなデッサンで一貫。抑制の効いたクラリネットなど、やはりピアニッシモの表現が印象的で、明朗で爽やかな叙情性が際立ちます。第3楽章はやや大柄で穏やかな性格ですが、テンポを落として情緒的に歌うトリオなど、独特の味わい。

 フィナーレも中庸の速度で角の取れた造形ながら、弦のきびきびとしたアンサンブルや突然クレッシェンドするティンパニのトレモロなど、躍動感は十分に表出。オケの魅力は相当に大きく、精度の高い合奏力と多彩な表現力には目を見張るものがあります。

“H.I.P.の手法を取り入れつつ、一体感の強い合奏で熱っぽく高揚するライヴ盤”

ケント・ナガノ指揮 モントリオール交響楽団

(録音:2014年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音の完結編で、第2番とカップリングされたライヴ盤。解釈のコンセプトにドラマ性を持たせてきたシリーズで、当盤には「自由を求める詩」というテーマが掲げられています。こういった姿勢はむしろ前時代的ですが、演奏は弦の対向配置、ノン・ヴィブラートを導入したH.I.P.の系統。オケの響きが柔らかくたっぷりとしているため、刺々しい雑音性はありませんが、全集初期の頃にあったフォーカスの甘さは完全に消え、終始鮮烈な筆致で一貫しています。

 第1楽章は序奏部から落ち着いた佇まいで、速めのテンポでタイトに引き締めた主部も、第1、2番の演奏と較べるとやや角が取れて大人しく感じられます。しかしフレージングやアーテュキュレーションの描写は徹底され、各部の表情は清新。合奏にも溌剌とした生気とスピード感が漲ります。歯切れの良いスタッカートと弾力性の強いリズムも効果的。明朗な色彩感と艶やかな歌心も、このオケの美質です。

 第2楽章も意識が冴え渡って覚醒し、惰性で漫然と流れてゆく箇所はありません。木管の首席に名手を揃えたオケらしく、ソロが随所に彩りを添えるのも魅力的。楽員想いのナガノらしく、この全集のライナーには演奏メンバー表が載っていますが、フルートのティモシー・ハッチンスなどデュトワ時代からの名物奏者が残っているのは嬉しい所です。

 第3楽章も速いテンポで、きっぱりと明瞭な語調を貫徹。一体感の強いアンサンブルで、鮮やかに聴かせます。しかも内面にはホットな感興が充溢し、強靭な集中力でじりじりと内圧を高めてゆく様子は圧巻。自然かつ巧みなアゴーギクも、見事な緩急を演出します。第4楽章もエネルギッシュな疾走感に溢れ、鋭利なアインザッツと研ぎ澄まされた緊密な合奏を保持しながらも、ライヴらしく高揚してゆくのがスリリング。

“スコアに内在するドラマと運動性を見事に捉えた、理想的な超名演”

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2015年  レーベル:ベルリン・フィルハーモニー・レコーディングス)

 ラトル二度目となる全集ライヴ録音から。楽団自主レーベルから発売されたセットには、ブルーレイ・オーディオと全曲の映像、ドキュメンタリーも収録されています。音声はライヴのものに、セッション収録での修正をミックス(その様子も撮影されています)。

 ラトル自身が語るように、演奏するたびに自分の間違いを発見するのがベートーヴェンの音楽で、解釈は常に変わってゆくもの。当盤ではH.I.P.からむしろ遠ざかった印象です。初期の交響曲は小編成にして曲目ごとに増やし、第九のみ通常編成で演奏。この全集は奇数番号の曲に超絶的な名演が並ぶのに比べ、偶数番号は出来にムラがある印象ですが、この第4番はクライバー盤以降、理想的と言える造形の名演だと思います。

 第1楽章は序奏から陰影が濃く、最初のトゥッティもパンチが効いています。この曲をそんな風に聴いた事は無かったですが、何かが起こりそうな予兆を孕んでいて、実にドラマティック。見事な加速で主部へ入るものの、着地はむしろ優美です。リズムの軽さがよく出る一方、経過句の音型にも深い意味が見いだされてさすが。

 第2楽章は遅めのテンポで、緻密かつしなやか。それでいて豊かな感興が充溢します。ディティールの精度の高さ、輪郭の明瞭さは特筆もので、コーダのティンパニが猛烈にクレッシェンドするのもユニーク。第3楽章はスピーディで軽快。かなり細かく表情を描きこんでいるのに、全体としては自然に聴こえるのがこの全集に共通する美質です。トリオはゆったりとテンポを落とし、主部に戻る際にスリリングな急加速を行うなどギア・チェンジが巧み。緊張と緩和はうまく表現されています。

 第4楽章はさほど速いテンポとも言えませんが、解像度の高い合奏と勢いの強いアタックによって、すこぶるエネルギッシュでスピード感があるように聴こえます。スコアに内在する運動性を、ものの見事に捉えた表現という他ありません。ハイドン風にデフォルメしたコーダもチャーミング。

“旧式のスタイルを最新のセンスでアップデートしたような鮮烈さ”

アンドリス・ネルソンス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2019年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 珍しくもセッション録音による全集から。残響がたっぷりしているのは、ライヴではない利点です。やや骨張った、雑味のある響きで、パンチの効いた機動性を追求するタイプではなく、往年の名指揮者達に近い歌謡的なアプローチ。いわば旧スタイルを、モダンなセンスで高精細にアップデートした演奏と言えば分かりやすいでしょうか。

 第1楽章は落ちついた風情で、勢いにまかせず丁寧に描写。テンポもさほど速くなく、瞬間瞬間の細部の味わいを大切にしています。メリハリは効いていてエッジも鋭いですが、どちらかというとオケの美しい響きやインティメイトな合奏感覚、優美な歌い回しが勝る印象。弱音部でぐっと速度が落ち、しみじみと叙情性がにじみ出てくる辺りはユニークな表現です。アタックには若々しい張りがあり、雄渾な力感も十分。

 第2楽章は、ウィーン・フィルにとってはクライバー逃避事件の因縁の曲ですが、さすがは隅々まで血の通った艶美極まりない演奏で、全曲中の白眉と言える聴き所になっています。もしかするとネルソンスの方がクライバーのエピソードを意識していて、この好演はオケに対する敬意の表れなのかもしれません。第3楽章も音価が長めで恰幅が良く、H.I.P.とは真逆の語調。ただし、リズム感や音感の鋭敏さや鮮やかな和声感、描写の解像度に現代性を感じさせます。コーダは引き延ばしてデフォルメ。

 第4楽章はフォルテのエネルギー感が強く、テンポこそ中庸ですがダイナミックな表現に聴こえます。いたずらにスピード感を追求せず、各部の表情を美しく描き分けてゆく行き方は、H.I.P.が主流の演奏傾向に慣れた耳にすこぶる新鮮。誇張気味のコーダも、実に味の濃い語り口です。

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