ベートーヴェン/交響曲第6番《田園》

概観

 各楽章に表題が付いていて描写音楽っぽい上、全部で5つも楽章があるという、ベートーヴェンの交響曲では異色の存在。私もこの曲を聴く時は、交響曲全9曲の一環ではなく、番外篇的な位置づけで聴いている気がする。ただ、どの楽章にも美しい旋律や親しみやすい楽想が盛り込まれていて、キャッチーさでは全9曲中トップクラスかも。

 サイモン・ラトルは「幻想曲のようで設計が難しい」と言っているが、正に当を得た発言。特に第2、5楽章はそれ自体が幻想曲のようで、楽想を即興的に展開してゆく雰囲気がある。交響曲の形式には当てはまらないし、指揮者がうまく構築しないと単調で退屈になってしまう。第1楽章でリピートを実行した上、第2楽章との性格的対比が希薄だと、前半25分が延々と同じ調子になってしまいかねない。

 確かにラトル盤は考え抜かれた名演だが、新旧2種の内では最初のウィーン盤に軍配が上がる。ものすごい名演だと思うのがサヴァリッシュ/チェコ盤、テンシュテット盤、バレンボイム盤、アバド/ベルリン盤、ティーレマン盤。良い演奏には恵まれた作品で、他にもモントゥー盤、ケンペ盤、ブロムシュテット/ドレスデン盤、カラヤンの76年&82年盤、ハイティンク盤、サヴァリッシュ/コンセルトヘボウの91年盤、ヤンソンス盤、ネルソンス盤はいずれもお薦め。

*紹介ディスク一覧

55年 ミュンシュ/ボストン交響楽団

57年 マルケヴィッチ/コンセール・ラムルー管弦楽団  

58年 モントゥー/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

60年 マゼール/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

60年 サヴァリッシュ/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

60年 クリュイタンス/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

62年 ドラティ/ロンドン交響楽団

72年 ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

73年 クーベリック/パリ管弦楽団

75年 サヴァリッシュ/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

76年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

77年 ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン

78年 ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団   

78年 T・トーマス/イギリス室内管弦楽団

78年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団

79年 ジュリーニ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

82年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

83年 クライバー/バイエルン国立管弦楽団

85年 テンシュテット/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

86年 アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

86年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

87年 ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団   

88年 ヴェラー/バーミンガム市交響楽団   

90年 アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団

91年 サヴァリッシュ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

91年 ジュリーニ/ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

92年 C・デイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデン

99年 バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリン

 → 後半リストへ続く

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“熱っぽく、生き生きしているものの、輪郭が甘く、シャープさに欠ける”

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

(録音:1955年  レーベル:RCA)

 当コンビのベートーヴェン録音は第1、3、5〜9番と序曲集、ハイフェッツとのヴァイオリン協奏曲があり、第1、7番はモノラル収録。彼らの録音はドライで音が荒れるものもあるが、収録年と音質は必ずしも比例せず、当盤はステレオ最初期なのに適度な奥行きと残響があって聴きやすいのが不思議。

 第1楽章は推進力のあるテンポで、流れるような調子。合奏も生き生きとしているが、アインザッツはやや緩く、フォーカスが甘い印象を受ける。音圧が高く、熱っぽい感興があるのはミュンシュらしい所。音色がもう少し磨かれて欲しいが、第2楽章では弦の歌の美しさ、管楽器の明朗な色彩感もある程度出てくる。

 第3楽章は速めのテンポで勢いあり。オーボエにさらなる軽妙さがあればと思うが、低弦のパッセージでさらに加速し、この時代の表現にしては疾走感と迫力あり。第4楽章は逆にエッジが丸く、テンポこそスピーディだがシャープな切り口には欠ける感じ。響きも飽和しがち。フィナーレをそのままの勢いで演奏しているのは卓抜な様式感。流れを停滞させず、コーダまでハイ・テンションで一気に聴かせる。

“第1楽章の度を超した重厚さが目立つ、異色のスコア解釈”

イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団

(録音:1957年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)  *モノラル

 マルケヴィッチは自身で楽譜を校了するくらいベートーヴェンにこだわりのある人だが、録音はオケとレーベルがバラバラ。グラモフォンには、ラムルー管との当盤と序曲集、シンフォニー・オブ・ジ・エアとの第3番。フィリップスにはラムルー管と第1、5、8、9番、ピアノ協奏曲第3番(ソロはハスキル)。低域の量感と高音域の抜けの良さがある鮮明な録音。残響も適度だが、奥行き感はやや浅い。

 第1楽章は超スロー・テンポ。時代を考えてもあまりに重々しく、リズムは全く弾まず、フレージングは粘りに粘ってほとんどワーグナー。響きもごってりと分厚い。同時期のモーツァルト録音ではHIPばりの鋭敏軽快な演奏をしているので、あくまで同曲の解釈という事だろう。音色は艶やかで明るいが、内声のピッチが甘いのかハーモニーが多少濁り、時に虚ろに響く。

 第2楽章は逆に、平均か速めのテンポで強い推進力がある。第1楽章はリピートを割愛しているし、それでも速度的には2楽章の方が遅いので、バランス的には悪くないのだろう。旋律線はたっぷりと歌うので、情感は豊か。第3楽章は速めのテンポで、細部まで画然と彫琢。トゥッティのホルンなど、技術的にやや怪しい箇所はある。スタッカートの切れや、合奏のシャープな一体感はさすが。

 第4楽章はそのままの速度で飛び込み、きびきびとして明快な造型。合奏がタイトに引き締められているのが痛快で、ティンパニも力強い。弦のトレモロに、細かく俊敏な強弱を付けているのが耳を惹く。大きく減速し、余情たっぷりに次へ繋ぐ手法はロマン的。第5楽章はテンポこそ軽快だが、歌い回しには第1楽章の粘りと濃厚さが戻ってくる印象。弦の音圧も高い。コーダは早い段階から大きくリタルダンド。

“一見自然体の棒で、随所にベテランの至芸を盛り込む”

ピエール・モントゥー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1958年  レーベル:デッカ)

 モントゥーがデッカに録音したベートーヴェンは2、4、5、7、9番がロンドン響、1、3、6、8番がウィーン・フィルの演奏。左右チャンネル一杯に広がり、分離の良い録音は共通で、明るく爽やかな高音域もこのシリーズの特徴。弦のカンタービレなどは線が細く、小編成に聴こえる点では、現代のリスナーにもフィットするスタイル。

 第1楽章は、当時には珍しくリピート実行。快適なテンポ感で、張りのあるトゥッティに気力が漲り、溌剌と弾むリズムが曲想に合う。一見自然体の素朴な演奏に聴こえるが、アゴーギク、デュナーミク共に随所で巧みな操作が行われており、これぞ経験に培われた至芸と呼ぶべきもの。ちょっとした加速で推進力を増す手法や、コーダに向かって音量を絞り込むデリカシーの表出も効果的。

 第2楽章もテンポと強弱がよく練られ、冗長になりがちなこの楽章を見事に設計。弦の艶やかな歌も美しく、そこへ管の名手達がソロで彩りを添える様も幸福感満点。第3楽章は適度な躍動感を持たせ、充分な情感も盛り込んで生き生きとしたパフォーマンス。アゴーギクは適切そのもので、各部ともこれ以外のテンポなど考えられないくらい。画然たるアンサンブルにも強い一体感あり。

 第4楽章は、ティンパニが加わった響きの充実感といったらない。これぞウィーンのベートーヴェンという、有機的な迫力に圧倒される。強奏でも透明な響きを維持し、各声部が明瞭に聴き取れるのも、収録年を考えると驚異的。第5楽章も丹念なフレージング処理と快調なテンポ感が絶妙。自然な呼吸で旋律を歌わせながら、微妙な加速で弛緩を防いで音楽を高揚させるなど、正に熟練の棒さばき。

“一部にエッジを効かせつつも、早熟な音楽性を感じさせる若き日のマゼール”

ロリン・マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1960年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビの初期ステレオ録音群の一枚で、この2年前には5番も収録しています。マゼールは後にクリーヴランド管と全集録音を敢行。この時期の彼にありがちな刺々しさや興奮体質が聴かれないのは、ベルリン・フィルとの録音に共通する傾向です。残響をやや抑制して直接音をメインに据えた、鮮明で聴きやすい音質。

 第1楽章は、停滞しない速めのテンポ。管楽器の発色とバランスが鮮やかで、色彩的な響きを作る一方、弦楽器をみずみずしく歌わせていてフレッシュです。溌剌とした趣ながら、佇まいとしては落ち着いていて、いかにも売り出し中の若手という浮ついた雰囲気は全くありません。小澤征爾の初期録音もそうですが、後に大成する指揮者は若い頃から音楽に奥行きがあるのがさすがです。

 第2楽章はやや腰を落とし、弱音を生かして密やかな語り口で一貫。オケの音彩が美しく、マゼールと聞いて想像する線的にきついタッチは皆無です。柔らかく優しい筆遣いが耳に心地よく、強弱、特にディミヌエンドを細やかに演出しているのは印象的。第3楽章は落ち着いたテンポですが、ホルンのリズムに鋭いアクセントを付けている辺り、マゼールらしい語気の強さが顔を覗かせます。

 第4楽章もティンパニを強調せず、格調を保つかと思いきや、トランペットを強奏させてエッジを効かせる一面もあり。第5楽章はソリッドなホルンの吹奏を含む壮麗な響きが素晴らしく、奥行き感とスケールが雄大。テンポは弛緩せず、適度な推進力を維持しながら、各部に細かくニュアンスを付けています。ベルリン・フィルらしい弦楽セクションの音圧の高さは、当時から健在。

“オケのふくよかな響きを抑え、硬質な筆致で端麗に造形”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1960年  レーベル:フィリップス)

 カップリングはどうだったのか分かりませんが、当コンビは同時に《シュテファン王》《フィデリオ》序曲、2年後に第7番を録音、さらに後年EMIへ全集録音を行っています。サヴァリッシュの同曲には、チェコ・フィルとのライヴ音源もあり。

 第1楽章は、この時代に珍しくリピート実行。非常に端正な造形で、終始すっきりと端麗な上、オケの響きのふくよかさも抑制しているようにさえ聴こえます。音色自体は美しいですが、筆遣いは明快で硬質。ルバートもあまり使わず、印象としてはほぼイン・テンポです。若々しい感性に頼らない一方、深い味わいもないので、表現としては過渡的かも。明快できっぱりとした語調自体は好ましいもの。

 第2楽章は少し優美なタッチが出て、爽やかな叙情性も感じられます。と言っても必要以上に歌心を解放する事はありませんが、しなやかな旋律線には控えめながら情感が漂い、伴奏の弦の刻みも適度なスタッカートで動感を強調して対比。オーボエやフルートのソロでは粘りも効いて、奏者の自発性も生かしているようです。コーダでは、カッコウのクラリネットを小節線に乗せず、速めに下降させて描写的に処理。現代音楽も得意とするサヴァリッシュらしい一面が覗きます。

 第3楽章は遅めのテンポでのんびりした雰囲気。ただスタッカートは鋭利で切れが良く、テンポが上がる箇所では、低弦のアインザッツを軽快なフットワークで切り揃えて、やはりモダンな感性を垣間見せます。第4楽章はこのオケらしい深々とした奥行きのある響きに、ティンパニのパンチを効かせて有機的な迫力あり。

 第5楽章は速めのテンポで勢いがあり、内圧の高い響きで熱っぽく歌います。そんな中、ヴァイオリン群がまろやかな音色ですこぶる美麗。又、伴奏型が多彩な変化に富み、ホルンのアクセントが絶大な効果を上げるなど、細部を丹念に彫琢して一本調子に陥らない譜読みの鋭さはさすがです。

“明朗な音色で華やかながら、柄の大きさに時代を感じさせる”

アンドレ・クリュイタンス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1960年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音から。みずみずしく流麗な歌に溢れた演奏で、録音もソロ楽器まで明瞭にキャッチしたクリアなものです。クリュイタンスのベートーヴェンは、音色の明朗さとリズム感の冴えが特徴となっており、どちらもこの曲にはプラスに働いた印象。

 テンポはもう少し速めでも良かったですが、当時は同曲に叙情的性格を見いだすのが自然な捉え方だったとしたら、様式的にこういう大河の流れのような造形になるのでしょう。編成も大きいので、今の耳にはかなり恰幅の良い演奏に聴こえます。特に第2楽章とフィナーレは、リズム的要素が前面に出ない音楽なので、分厚く重厚なソノリティが良くも悪くも好みを分つ所。響きの透明度は充分保たれています。

 音の感触は硬質透明、誤解を恐れずに言えば、ラテン的で華やかとさえ感じられるサウンド。第3、4楽章も、ゆったりしたテンポで鷹揚な雰囲気。全集の他の曲で時折聴かせる、軽妙でスピーディーな表現は避けられていますが、これも作品全体の様式的把握ゆえでしょうか。

“端正かつみずみずしい音楽性で、作品への適性を示すドラティ”

アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1962年  レーベル:マーキュリー)

 残響は少なめですが、ホルンやティンパニに奥行き感があり、乾燥しすぎず聴きやすい音。鮮やかな直接音と左右チャンネルのセパレート感はマーキュリーらしいです。ドラティの音楽性は古典音楽に向いており、切れの良い棒さばきでタイトにまとめたベートーヴェンはもっと高く評価されていいもの。編成もあまり大きくない印象です。

 第1楽章は提示部をリピート。テンポが速くきびきびとした身振りで、弦の鋭利なアインザッツと相まって、独特の疾走感を醸します。語調がきっぱりしているのはドラティらしく、見事に揃った合奏の一体感も聴き所。音彩が明るく、みずみずしい情感が横溢するのも魅力的ですが、ややデッドな録音のおかげで、細部や対位法が明瞭に聴き取れるのは美点。細やかなデュナーミクと、流麗かつ繊細なフレージングも素晴らしいです。

 第2楽章も速めのテンポで端正。無用なルバートを避け、ストレートに歌っていますが、オケのしなやかな響きは意外に曲と相性が良いです。ただ、英国のオケは皆そうですが、クラリネットの音色に今一つ柔らかさが欲しい所。流れを弛緩させず、テンションを保つドラティの棒は見事で、ニュアンスも圧倒的なまでに多彩です。

 第3楽章もかなり速いテンポですが、各パートが健闘し、合奏もぴたりと揃っています。コントラバスに至るまでフットワークが軽く、無類に歯切れが良いのはさすが。第4楽章は意外に遅めのテンポで、ティンパニを抑えた弦中心の音楽作り。第5楽章もゆったりしていて、すうっと伸びるヴァイオリン群のカンタービレから早くも魅力的です。続くトゥッティも柔らかい響き。後半の強奏部でホルンのリズムを強調しているのは効果満点です。

“美しい旋律線と躍動的に弾むリズム。名指揮者の見事な様式感に脱帽”

ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1972年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音から。旋律線の処理とリズム感に卓越したセンスを聴かせるケンペの特質がよく発揮された名演です。第1楽章は落ち着いたテンポではありますが、音楽の内的律動というのか、楽章全体を貫くリズムに弾みがあって、浮き浮きとした調子を絶妙な配分で内包する事で、次の楽章との対比も巧妙に表出。この辺りは、往年の名指揮者らしい様式感です。

 第2楽章は、速めのテンポを採択してダレるのを防いだ上、暖かな歌をスムーズに紡いでゆく表現。木管ソロの素朴な美しさも印象的です。後半3楽章も引き締まった造形で、巧みなアゴーギクと鋭利なリズムが随所で効果を発揮。特に第3楽章の小気味良いフットワークと、速めのテンポでそれとなく音楽を煽りながら、ヒューマンな温もりと豊かな歌に溢れる第5楽章は聴き物。

 この曲は、弦を中心に据えたせいで低音過剰になったり、管楽器が埋没しがちな録音も多々ある中、当盤のサウンドはバランスが良く、木管ソロも明瞭に浮かび上がります。ケンペは又、対位法に留意して立体的な響きを構築し、聴感上もすこぶる風通しが良くて好感触。

“ロマンティックな叙情性を追求し、純ドイツ風の重厚さとは一線を画す独特のスタイル”

ラファエル・クーベリック指揮 パリ管弦楽団

(録音:1973年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 9つのオケを振り分けた全集録音から。当コンビの録音は恐らくこれが唯一です。クーベリックは過去にロイヤル・フィルと同曲を録音。オケの特色が生かされているかは何とも言えませんが、粘性の高いリリカルな語り口はオケの艶やかな響きと相性良し。残響が多く遠めの距離感ながら、奥行き感に不足するのはパリの会場らしい一方、管楽器が加わった時の明朗な色彩はフランスのオケならではです。

 第1楽章はゆったりと緩慢なテンポで、優美なタッチ。導入部から弦の和音が味わいたっぷりに響き、ふんだんにロマンティックな叙情を盛り込んで魅力的です。レガートを多用して躍動感より柔和さを強調する一方、フレーズによってテンポや歌い口に重みを加えたり、ピリオド・スタイルの対極にある造形ですが、古式ゆかしい純ドイツ風や前時代的重厚さとも違うのがクーベリックの個性。

 第2楽章もスロー・テンポで、なんと演奏時間が14分以上あります。ひたすら情感を追求しますが、さほど時代錯誤にも聴こえないのがこの指揮者の不思議な所。巨匠風の気負いや威圧感がなく、スコアに対する姿勢が常に清新だからかもしれません。木管ソロの音色も艶美。

 第3楽章も実に遅いテンポ。あまりに腰が重く、もう舞曲ですらありませんが、独特の風情が出てきてロマンティックではあります。第4楽章は落ち着いた佇まいながら、張りのあるティンパニを軸に力感と風格を表出。充実した響きと土台の安定感で聴かせます。第5楽章もスケールが大きく、衒いのない語り口に誠実な音楽性を反映させた、内実豊かなパフォーマンス。弦楽合奏の柔らかなタッチも美しいです。

“清澄極まる美音で聴き手を悩殺。指揮者もオケも全く素晴らしい、隠れた名盤”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1975年  レーベル:スプラフォン)

 単発のライヴ音源で、当コンビには70年録音の第1番もあり。サヴァリッシュの同曲は60年にコンセルトヘボウ管との旧盤もある他、同じ顔合わせで後年に全集録音も行っています。やや細身ですっきりとしていますが、残響も距離感も適度で、非常に鮮明で聴きやすい音質。

 第1楽章は旧盤同様、提示部をリピート。速めのテンポで音楽を引き締め、みずみずしくも清澄な響きで流麗に造形した魅力的な解釈です。オケの音彩の美しさも生かしていますが、サヴァリッシュの棒はさじ加減(特にわずかな加速)が絶妙で、よく弾むリズムが演奏を生き生きと躍動させています。歯切れの良いスタッカートも効果的で、くっきりと浮き彫りにされる各ソロも清冽そのもの。響きの透明度がすこぶる高いです。

 第2楽章も繊細な筆致で解像度が高く、ヴァイオリン群の旋律線は僅かにポルタメントも効いて艶美。弱音のデリカシーが満点で、ちょっとした節回しや、ふと訪れるピアニッシモに得も言われぬ詩情が漂います。木管ソロを筆頭に、オケの素晴らしさも特筆もの。フレージングには曖昧な所が一切なく、徹底して精緻に描写されています。

 第3楽章も冴え冴えとした筆致で、全てが明快に照射された趣。しかし合奏はタイトにまとまり、明るくチャーミングな音色で各パートが歌い交わす様は魅力的です。第4楽章はティンパニの鋭い打音をはじめ、鮮烈な表現。フォルティッシモを叩き込む瞬間に若干溜めるのは古風ですが、弦楽合奏など精度の高さが驚異的。唯一、トランペットの華やかな高音が目立つソノリティは独特で、部分的にはバランスが悪く聴こえます。

 第5楽章は流麗な造形で、やはりヴァイオリン群を中心に精細なアンサンブルが耳を惹く表現。弱音部では室内オケのように聴こえる箇所もあり、編成は減らしているように感じます。オケの艶やかな音色はすこぶる美しく、張りのあるアタックから繊細なニュアンスまで、その魅力に悩殺されっぱなし。この時期のチェコ・フィルは、一種のピークを迎えていたのではないでしょうか。終演後の気の無い拍手が信じられないくらいです。

“描写的かつ流麗な語り口で、作品との相性も良好”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1976年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 全集中の一枚。何度も全集録音をしているカラヤンですが、この70年代のセットは爆発的に売れたと伝えられます。流麗を持ち味とする芸風ゆえか、カラヤンに合った曲という印象。様式感も卓抜で、楽章の配置構成も見事です。

 第1楽章は、かなり速めのテンポ。ルバートもあまり使わず、流れが停滞しません。弦は音圧が高く、音色が艶やか。遠くから響いてくるような木管の遠近感も奥行きがあって素敵です。レガートをうまく使ったフレージングはエレガント。

 第2楽章は、流れの良い快調なテンポ感。爽やかな音色で瑞々しく描写しますが、リズムの動感も出て緩急は巧みで、一本調子に陥らないのさすが。弱音主体にして、音量を抑制しているのも聴きやすさの一因です。木管は残響を伴って、遠めの距離感に定位。

 第3楽章は、遅めのテンポでやや大柄ですが、落ち着いた雰囲気で悪くありません。コントラバスのスタッカートに至るまで、合奏も緊密かつ強力。流麗なサウンドのおかげで、重々しくなりすぎません。第4楽章は弦のトレモロを、意図的にささくれだった音色で弾かせているらしく、いかにも嵐らしい騒々しさです。ティンパニの打ち込みも鮮烈で、ピッコロの色彩的効果を生かす点にも抜かりはありません。

 第5楽章は感興豊かでなめらかに流れる表現。速めのテンポを記帳としますが、クレッシェンドに僅かな加速が伴うなど、微細なアゴーギク操作を盛り込んでいます。楽章全体に動的な熱っぽさがあるのは独特の様式感覚で、コーダの向かって高揚感も高まります。

“滋味豊かな音色と圧倒的な合奏力を誇るオケ、弛緩を許さぬ指揮者の棒”

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1977年  レーベル:ドイツ・シャルプラッテン)

 全集録音から。ブロムシュテットは後にゲヴァントハウス管とも全集録音を敢行している。このオケは生演奏で聴いてもそうだが、弦楽セクションの牽引力が半端じゃなく、弦が編成の中心となるこの曲では、同団体の持ち味が特に良く出る印象。東独シャルプラッテンの録音もはっきりと弦にフォーカスを当てているようで、木管ソロなど、バランス的には完全に弦に押される格好。バス声部の音圧も高い。

 第1楽章は中庸のテンポだが、アゴーギクを巧みに操作し、物理的な高揚に伴い僅かな加速で音楽を引き締める傾向もある。充実した厚みのある響きながら、意外にフットワークが軽く、室内楽的な集中力を維持して音楽を弛緩させない。内声の動きなど、スコアが孕む緊張力や動感をきっちり捉えた棒もさすがで、デュナーミクもよく練られ、惰性で漫然と演奏させない厳しさがある。オケの音色美も魅力。

 第2楽章も遅くしすぎず、古典的なプロポーションを保てる範囲で、緩徐楽章として位置づけている。オケが上手い事もあるが、響きの作り方が堂に入っていて、ベートーヴェンを聴く愉悦感を十分に味わせてくれる。奇を衒った所は全くないのに、何の物足りなさも感じさせない。木管の各ソロも控えめで飾り気がないのに、なぜか聴き手の耳を惹き付ける深い滋味があるのがこのオケの凄い所。

 第3楽章はスロー・テンポで優美。アタックが柔らかく、丁寧な語り口だが、バスのバランスが強いせいか、弦の切り込み鋭いフォルテには迫力がある。ホルンと木管のやり取りは、音色も歌い口もはっとさせられるほどの美しさ。第4楽章は中庸のテンポで落ち着いた風情だが、ティンパニのパンチが効いている上にリズムの切れが良く、場面転換の効果は充分担保。トランペットやピッコロの音色も、うまくスパイスに生かされている。

 第5楽章も流れの良いテンポを採り、微細な表情の変化で一本調子を防いだ好演。管弦のバランスは、完全にピラミッド型だが、和声に金管も加わるため、弦楽セクション一辺倒にはなっていない。必要以上にオケを煽る事はないものの、リズムの律動と感情的なテンションはきっちり保持されていて、内的感興の高まりも感じられる。艶やかな光沢を放つ、高弦の美しさも聴きもの。

“明快なフォルムを切り出しつつ、艶っぽい音色でみずみずしく歌う”

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:EMIクラシックス)

 第7番と同時収録。当コンビは後に同じレーベルへ全集録音も行っているが、会場はオールド・メトから、フェアマウント・パークのメモリアル・ホールに変わっている。この会場での録音は極端に響きがデッドなものも多いが、当盤は適度な残響と奥行き感があって聴きやすい音。

 第1楽章は提示部をリピート。量感のある響きながら、暖かみのある明朗な音色と引き締まったテンポで、明快なフォルムを切り出す。余裕のある優美な佇まいは、再録音盤を先取りしたアプローチ。ただオン気味の録音コンセプトと指揮者の若さゆえか、当盤の方が語気は強い。

 第2楽章も推進力が強く、古典音楽的な均整を保持。生気溢れる躍動感を表出しつつ、各パートをみずみずしく歌わせているのも見事。弛緩しがちなこの楽章をうまく設計できる指揮者は才能があると思う。鮮やかな色彩感も魅力的。第3楽章はゆったりとしたテンポで、一音一音のアタックを強めに置く。弦の音圧が高いので、アクセントやスタッカートが少し強調されるだけでも威力がある。

 第4楽章は、この時期のムーティなら力ずくかと思いきや、テンポも落ち着いていて肩の力が抜けている印象。とはいえティンパニと金管は剛毅で、ダイナミックな迫力はさすが。発色がひときわカラフルなのはユニーク。第5楽章は弦の艶っぽい音色が際立ち、感覚美が前に出てくる印象。爽快で伸びやかな歌心は若々しく、作品が求める内的感興にも合致している。

“爽快かつクリアな響き。室内オケ初の全集録音となった第1弾アルバム”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 イギリス室内管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音から。第3番以外は全てイギリス室内管との録音で、第1弾だった当盤は唯一のアナログ収録。会場も当盤のみヘンリー・ウッド・ホール(他は全てアビー・ロード・スタジオ)で、やや残響が多い一方、若干こもった暗めの音色になっているのは、演奏のコンセプトと逆効果。日本では長らくCD化されず、09年にやっとタワーレコードが発売したが、全集セットなのでLPの印象的なジャケット(森の中で椅子に座ってスコアを読むT・トーマス)が復刻されなかったのは残念。

 第1楽章は提示部をリピート。響きがすっきりとクリアで見通しが良く、弦、木管、ホルンと、各セクションのレイヤーが透けて見えるよう。H.I.P.全盛の昨今では、骨格を見せるこういうサウンドも時折聴かれるが、当時は斬新だった。リズムに対するセンスと、各パートのバランスに留意した音楽の組み立て方、しなやかなフレージングに指揮者の特徴がよく出ている。

 第2楽章もみずみずしい響き。小編成の方が管と弦のバランスがうまく均衡するのか、オーケストレーションの色彩の変化が明瞭に出る印象で、フルートが前面に出てくる所など、非常に清澄なサウンド。伴奏型が変化に富んでいるのも新鮮。オケのソノリティにはさらなる艶やかさとコクが欲しく、ヴィブラートを効かせた英国流のクラリネットも気に入らない。

 第3楽章はもう少しリズム面を強調するかと思いきや、意外に正攻法で、テンポも中庸。アッチェレランドの箇所では、合奏の乱れも散見される。第4楽章は、クリアな響きでスコアを明晰に音にするコンセプトがうまく生きたパフォーマンス。弦楽セクションの動きがよく聴こえるのも、金管やティンパニを刺々しく強調するピリオド・アプローチとは一線を画す。

 第5楽章は過剰な思い入れを排し、快適なテンポで生き生きと歌う清潔な表現。分厚い音で朗々と歌い上げる往年のスタイルとは対照的だが、動感の強い爽やかな音楽作りは、聴いていて気持ちが良い。

“室内楽的な合奏を軸に、ユニークなアイデアを盛り込んだマゼール流《田園》”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音から。残響がデッドな録音で、奇しくも同時期・同レーベルに小編成オケで録音されたT・トーマス盤のサウンドと、近似性を感じさせる音傾向。そう考えるとこのマゼールの全集も、コンセプトとしては小編成のスタイルを意識しているように聴こえなくもありません。そもそもクリーヴランド管は、それが実践できる室内楽的な能力を誇ってきたオケです。マゼールの同曲録音は、すでにベルリン・フィルとのDG盤あり。

 第1楽章は提示部リピートを実施。弾みの強いリズムと鮮やかな色彩、張りのあるアタックがマゼール流です。展開部のオスティナートで、低弦のアクセントを強調してエッジを効かせるのも彼らしい表現。弦の見事なアンサンブルやデリカシー溢れる木管のピアニッシモも、オケの機能性を如実に表すもの。快適なテンポ感は作品にふさわしく、この曲はやっぱり爽快に演奏して欲しいものだと感じます。ダイナミクスは微細にコントロールされ、コーダを強弱の対比ではなく、終始弱音で設計しているのもユニーク。

 第2楽章はどのパートも柔らかなアタックを用い、優しいタッチで一貫。クラリネットなど、木管ソロもピアニッシモで繊細に演奏されています。第3楽章は、細かなパッセージをメカニカルな正確さで処理しているため、鮮やかではあっても、田舎風の味わいは皆無。いわゆる古典的造形の最たるものと言えます。

 第4楽章は軽快というか、ティンパニのバランスを控えめにして、弦中心の動感を強調。標題音楽的な激しさは極力排除したようなアプローチで、これもシンフォニックな古典的造形というより他にありません。又、第3楽章もそうですが、トランペットのロング・トーンはスポットライトが当たったように明朗な音色で際立たせています。

 第5楽章はゆったりとした間合いで、相当に遅いテンポを採択。豊かなソノリティ、朗々たる歌、滑らかなフレージングが今度は往年の大編成スタイルで、作品全体の力点をこの楽章に置いた印象を受けます。こういう所がマゼールという指揮者は油断できません。曲の途中でも平気でスタイルを変えてきます。コーダに向かってテンポはどんどん遅くなり、デリケートな弱音によってしみじみとした叙情が醸し出されます。

暖かいハーモニー、克明なディティール。オケのクオリティはあと一歩”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1979年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビのベートーヴェン録音第2作で、他に3番と5番もあり。ジュリーニは後にスカラ座フィルと、過去にはニュー・フィルハーモニア管と同曲を録音しています。弦中心の重厚なバランスの録音で、木管ソロなどはやや線が細く、残響もデッド。この曲には、なぜかこういう傾向の録音が多いように思います。ロス・フィルは、ジュリーニ時代に格段の技術的・音楽的向上を遂げましたが、ここでのソノリティには今一つの洗練と深みが欲しい所。

 第1楽章は、冒頭の数小節から慈愛に満ちた暖かいハーモニーの鳴り響く演奏。足取りがゆったりしているだけでなく、フレーズの間合いにもゆとりが感じられます。第2楽章も、この指揮者としてはさほど遅いテンポを採っている訳ではないのですが、構えが大きいためか、いかにも悠々たる大河の流れのごとき風情。

 第3楽章は、決して速いテンポではないものの、音の切っ先が鋭く、張りのあるトゥッティが勢いを感じさせます。続く第4楽章は、物々しいティンパニの強打、ルバートで重しを付けてゆく音楽運びと、前時代のロマンティックなスタイルを継承。雄渾な力感には迫力がありますが、オケはやや粗い印象です。第5楽章は平均的なテンポで、横の流れより拍節感が目立つ表現。明確に区切られた伴奏の三連符リズムも特徴的です。

“旧盤とほぼ同じスコア解釈ながら、デジタル機器導入で響きの透明度アップ”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤン最後の全集録音から。デジタル機器の利点か、70年代の全集と較べると響きの透明度が増し、音色の艶やかさや柔らかな手触りが際立っている印象。スコアの解釈にほぼ変化はなく、やはりこのコンビの資質に合った作品と感じられます。

 第1楽章は速めのテンポで流麗ですが、編成が大きく、響きが分厚いのが好みを分つ所。細部はデリケートに描写され、木管のバランスも美しいです。語り口に独特の王道感がありますが、変化には乏しい印象。色彩は豊かです。第2楽章も流れの良いテンポで快調。オケも上手いので、音色面も含めてリスナーの耳を飽きさせません。弱音の効果を前面に生かしているのは、晩年のカラヤンらしい所。

 第3楽章は響きがやや重いですが、スタッカートの切れは確保しています。中庸のテンポながら、合奏に愉悦感もあり。第4楽章はティンパニの強打など雄渾な力感を前面に押し出したダイナミックな表現で、凄絶なフォルティッシモを響かせます。第5楽章も旧盤同様、速めのテンポで音圧のエネルギー感が強く、テンションの高い表現。アゴーギクは僅かに動くものの、聴いた感じはほぼイン・テンポです。

“美点と弱点が相半ばする、クライバーただ一度の《田園》演奏を記録した公式ライヴ盤”

カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立管弦楽団

(録音:1983年  レーベル:オルフェオ)

 クライバーが生涯に一度だけ振った《田園》で、珍しく過去のライヴ録音から正式発売の許可が降りたもの。オケが保管していたマスターは一部状態が悪く、息子に渡されていたコピーのカセットテープも音源として使用されたとの事です。オルフェオ・レーベルからの正規盤ですし、レンジも広く、鮮明なステレオ録音。さすがに海賊盤とは比較になりませんが、ノイズや音切れなど音質に問題はあり、残響もやや人工的なリバーブ処理に聴こえます。一般的な商業録音と同列には語れないかもしれません。

 第1楽章は超駆け足テンポ。このスピードで流麗に歌わせ、伴奏の音型を高解像度で処理してゆくとクライバー流の《田園》になるわけですが、それが自己模倣の芸でなく感動的な音楽として客席に伝わるのは難しいのか、彼の演奏としても霊感を欠くように聴こえます。他の指揮者なら私もそんな事は言わないのでしょうが、それだけ彼には期待してしまうという事でしょう。

 第2楽章はテンポが落ち着き、第1楽章との様式的な対比は確保。音質が十全ではないせいもあり、発色の鮮やかさはあと一歩ですが、細部は丁寧に処理され、やや粘性を帯びた、艶っぽくのびやかな歌も充溢。平素は硬質な筆致が目立つクライバーには珍しく、柔らかなタッチが感じられるのは好印象です。木管をはじめ各ソロの扱いにも、優しい情感が漂って素敵。

 第3楽章は速めのテンポですが、自然体で緊密な合奏を構築しているのはさすが。ただ、先に発売されている第4番のライヴ盤に聴かれるような、爆発的な生命力は期待できません。第4楽章も推進力に溢れ、パンチの効いた力強いティンパニとも相まって、ダイナミックな表現を展開。造形的にはスマートで、刺々しさや腰の重さがない点ではモダンな性格と言えます。響きも洗練されている印象。

 第5楽章も快速テンポでぐいぐいと進み、艶やかな光沢を放つ弦がみずみずしく歌う表現。合奏は精緻に処理され、伴奏のリズムもかなり克明に彫琢されていて、動感の強い演奏です。あくまで立体的に音楽が組み立てられているため、全てを曖昧模糊に流してしまう事がないのはクライバーらしいですが、特別なオーラを放つ演奏とは言えないのも事実。だからこそ、彼はこの曲をレパートリーに入れなかったのでしょう。

“見事な設計力で作品全体を有機的に聴かせる、同曲名演の中でも傑出した1枚”

クラウス・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1985年  レーベル:EMIクラシックス)

 第8番とのカップリング。当コンビのベートーヴェン録音は他に第3番と序曲集もあります。聴き手にまとまりを感じさせ、感銘を与えるのが難しいこの作品において、当盤は数少ない名演の一つとしてお薦めしたいディスクです。

 第1楽章は、テンシュテットには珍しく提示部をリピート。かなり速めのテンポで流れるような表現を採り、軽快なフットワークで躍動感を表出した様式感覚は的確という他ありません。ニュアンスが多彩で変化に富み、のびやかで開放的なカンタービレも曲調にふさわしいもの。柔らかくふくよかなマスの響きと、木管ソロの鮮やかな音彩が好対照をなします。

 第2楽章は平均より少し速めのテンポですが、第1楽章をスピーディに演奏したおかげで楽章間の性格にきちんと対比が出ていて、非常に賢明な様式把握です。旋律線の表情もすこぶる柔和で優美。弱音の効果の見事さに、高い集中力を示します。オケも各セクションが達者。ソフトで艶のある弦の音色も実に魅力的です。

 第3楽章は遅めのテンポで、各部をじっくり描写。旋律線に味わい深い情感がある一方、意図的と思われる腰の重さを演出しているのがユニーク。加速する箇所の合奏の呼吸も卓抜です。第4楽章は柔らかくも充実した響き。ティンパニのアクセントも、パンチと重量感があって力強いです。後半にブラスの強調がありますが、ピリオド系の演奏のように突出しないので、マスのソノリティに馴染んでいるのが好印象。

 第5楽章は推進力の強いテンポで、流れを弛緩させず高いテンションを維持。そこに潤いに満ちた、思い切りの良いカンタービレが展開し、しなやかで滋味豊かなフレーズを丹念に紡いでゆきます。内的感動の高揚を自然に導いてゆく手腕もさすがで、こういうのを聴くと、いかにもライヴで力を発揮する指揮者と感じます(当盤はスタジオ収録)。最後のソフト・ランディングも絶妙。

“オケの耽美的スタイルを前面に出しながら、指揮者のこだわりを控えめに付加”

クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1986年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 全集録音から。アバドは後にベルリン・フィルとも全集録音を行っています。オケの伝統と音色美の中に、自身がこだわるスコアの読みを無理なく生かそうというアプローチ。その点では全集中もっとも成功している曲とも思えますが、80年代半ばの時点でも、この方向性にどれだけの価値があったかは不明です。耽美的と言えるほどに美しい演奏ですし、各パートのパフォーマンスも味わい豊かですから、耳のごちそうとして楽しむ分には最高のディスク。

 第1楽章は提示部をリピートした上、非常に遅いテンポで、ゆうに13分を越える演奏時間。リズム感は悪くないので、内的律動もきっちり表現されてはいますが、基本的にオケのスタイルが前面に出た演奏です。音色美や伝統的な味わいを堪能するには、デジタル時代最後の世代と言えるかもしれません。コーダへ向かう際の明朗で艶やかな弦のカンタービレなど、すこぶる美麗で魅惑的。アーティキュレーションはよく練られていて、造形やフレージングにアバドなりのこだわりがあるのでしょう。

 第2楽章もゆったりと構えますが、響きが透明で軽いのはアバドの美点で、木管群の柔らかさも特筆もの。第3楽章は編成の大きさが音に出て、金管のソリッドな吹奏も音圧の高さに繋がっています。リズムや音像にシェイプ感が欲しい所ですが、低弦のアインザッツなど機動性は確保され、アタックの鋭さやスタッカートの切れ味も十分。テンポの変化もよくコントロールされています。

 第4楽章の物量とスケールの大きさは、大編成ならではの迫力。ティンパニのパンチも効いているし、合奏も緊密に統率されていて、腰の重さは気になりません。第5楽章はしなやかな歌心に溢れ、輝かしい光彩を放つソノリティが、作品にふさわしい明るさと内的感興の高まりをよく表しています。ここはアバドも緩く流さず、テンポを引き締めてリズムの動感の強調した上、バス声部を強靭な彫琢。熱っぽいテンションを維持し、終楽章にふさわしい様式的な説得力も獲得しています。強弱のグラデーションも多彩。

“ふくよかで透明な響きの中、緊張度と集中力をきっちり維持した意外な名演”

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1986年  レーベル:フィリップス)

 全集録音から。作品と指揮者の性質が一致しているのか、全集中でも屈指の名演と感じられます。響きの透明度が高く、内声の動きもよく聴き取れる上、低音の過剰な強調もなく、帯域バランス良好。聴き手を陶酔的感動の領域へ連れてゆくような並外れた棒ではありませんが、人柄というか、人間性で聴かせる、爽快かつ暖かな演奏です。

 第1楽章は、提示部をリピート。オケの明朗で柔らかなソノリティが魅力的で、木管のソロなど、落ち着いた風情の中にも弾むようなリズム感があって心が浮き立ちます。第2楽章もそうですが、奇をてらった所が全くないにも関わらず、冗長さを感じさせる事がありません。それだけ、実は雄弁に音楽が語られているという事でしょうか、オケも滋味豊かな味わい深いパフォーマンスで雄弁。

 第3楽章はかなりのスロー・テンポ。モダンな造形ではないものの、田舎の舞曲というひなびた雰囲気は良く出ています。鋭さに欠ける訳ではなく、リズムの処理には鋭敏な感性も聴かれる印象。続く嵐も、節度のある表現の中に、ティンパニのアクセントで鮮烈な効果も盛り込みます。オケの響きもコクがあって有機的。フレージングにクセがないのも、柔和なイメージにひと役買っています。

 残響の豊かな録音ではありますが、ディティールは明瞭に浮かび上がりますし、サウンドが常に潤いを保っているのは最大の美点です。フィナーレも、情感を解放しすぎて大味な造形になったりせず、ある種の緊張感を保ちながらオケをコントロール下に置いている点は、指揮者の才気を感じさせます。それでいてヒューマンな温もりに溢れているのはさすが。

“優美さこそ増したが、音圧や鋭敏さが後退して覇気に乏しい再録音盤”

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1987年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音から。当コンビは78年にも同曲と第7番を録音している。たった9年での再録音だが、第1、2、5楽章の演奏時間がそれぞれ約1分ずつ延びている事からも明らかなように、旧盤にわずかにあった語気の強さも取れ、さらに穏やかに叙情的な表現へ変遷している。スコアの解釈も随分変わっていて、ムーティが、短期間にどんどん変わってゆくタイプのアーティストである事がよく分かる。

 第1楽章は旧盤同様、提示部リピート。語調の明快さは残っているが、録音のせいもあってか弦の音圧は下がり、テンポが落ちて動感も減少した。フレージングがぐっと丁寧になった他、レガートで語尾を伸ばす箇所が増え、優美なタッチが目立つ。

 第2楽章は旧盤の推進力が消失した代わり、大家を思わせる風格と味わいがあって独特。響きの立体感や明朗な色彩感は、このオケならでは。個人的には旧盤のテンポと、カラフルな発色を採りたい所。第3楽章はテンポの遅さはそのままだが、アタックの鋭さが無くなって穏便な性格。合奏の手綱さばきも緩く、アインザッツが乱れ気味。

 第4楽章も旧盤と較べて輪郭が甘くなり、パンチの効いたティンパニを除けば、弦も金管も覇気に乏しく感じられる。第5楽章もテンポが落ち、テンションや動感は減少。ソステヌートでしなやかに歌う傾向で、すこぶる柔和な性格に変わっている。艶美ではあるが、解釈としては旧盤に軍配が上がる。

“艶美なタッチと豊かな情感にウィーン・スタイルが垣間見える、隠れた名演”

ヴァルター・ヴェラー指揮 バーミンガム市交響楽団

(録音:1988年  レーベル:シャンドス)

 交響曲第10番の断章という珍品も収録した全集録音から。当コンビはジョン・リルとピアノ協奏曲の全集も録音している。このレーベルらしく残響たっぷりだが、直接音も比較的明瞭で、音像が遠くぼやけすぎない。旧スタイルではあるものの、名門オケの元コンマスらしく統率力にすぐれ、一体感のある合奏で鋭敏に聴かせる。経験値ゆえか音楽性もすこぶる豊か。ほとんど世間に知られていないセットだが、相当な名演

 第1楽章は適度なテンポながら、スタッカートの用い方が絶妙。歯切れの良い語調が全体をきりりと引き締めている。アタックも推進力も強く、かなり筆圧の高い表現。ただし旋律線は巧みなフレージングで流麗に歌われる。ラトル時代からの美質である、オケの暖かみのある音色も魅力。

 第2楽章はぐっと雰囲気が落ち着き、第1楽章との対比が明瞭。テンポは遅くしすぎないが、弱音主体のダイナミクスで描写も非常に緻密。この楽章でダレる演奏は皆、音量を絞らず漫然と音を流しすぎなのかもしれない。ルバートの扱いも優美でデリケート。馥郁とした香気の漂う各パートのニュアンスと艶美を極めた歌い回しに、これが本当にバーミンガムのオケかと驚かされる。

 第3楽章は落ち着いたテンポ。これがウィーン・スタイルか。加速もそれほど煽らないが、弦と木管の繰り返しフレーズが流れるようにスムーズに歌われるのはユニークで、こんな解釈もあるかと耳を惹かれる。第4楽章もゆったりとした佇まいで柔和な表現だが、金管のピッチが甘いのは残念。第5楽章は無理なく鳴らされた柔らかなソノリティと、内から湧き起こるような感興とみずみずしい歌が素晴らしい。繊細な弱音にも詩情が溢れる。

“スロー・テンポでハスキーな音色、田舎風の野趣を感じさせる個性盤”

ニコラウス・アーノンクール指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

(録音:1990年  レーベル:テルデック)

 H.I.P.の走りとも言える、ライヴによる全集録音から。他の曲ほど音圧が高くないせいもあるのか、会場の音響がややデッドで奥行き感に乏しく、それでいて音像の距離感が遠く細部の解像度がもどかしいのが気になる。そのせいで鮮やかさに欠けるのは残念だが、逆に野趣というか、ひなびた素朴さが前に出ているのはむしろユニーク。それはそれで、作品の本質が垣間見える気もする。

 第1楽章はスロー・テンポで、テヌート気味のイントネーション。リズムが重く、生気を欠く印象も受けるが、スタティックで独特の叙情的な性格。弦はノン・ヴィブラートだが、楽想の転換にはルバートを大きく用いていて、むしろロマンティックな語り口。コーダもスタッカートを用いず、粘性が強い。第2楽章も遅めのテンポだが、この楽章はスローな演奏も多いので違和感はない。録音のせいか、やはりハスキーに霞んで聴こえ、コーダなどいかにも愛想がない。

 第3楽章はアーノンクールらしい攻撃性が生きてきて、中庸のテンポながらパリっとしたリズムが生彩に富む。トリオは加速し、エッジの効いたアタックでシャープに造形。第4楽章は遅めのテンポで、ブラスやティンパニのアクセントを強調するのが予想通り。ソステヌートで語尾を押し付けるように延ばすので、フレージングに特有の重さがある。

 第5楽章も、意図的に平板なフレージングを徹底しているのか、いわゆる棒読みのような歌い回し。それが無機質、無表情というより、むしろ素朴な土臭さみたいなものに結びつくのはユニーク。アーノンクールの事だから、田舎の民謡みたいな方向が念頭にあるのかもしれない。管楽器のフォルテもべたっと野暮に発音。アイデアとしては面白くても、それらの枝葉が全体の感動に繋がらないのは、彼の演奏の宿命か。

“旧盤よりオケの魅力がよく出る一方、鋭利でタイトな棒さばきは健在”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音から。ライヴも混在する全集ですが、当盤はセッション録音です。サヴァリッシュは60年代初頭に、同曲と第7番を同じオケとフィリップスに録音している他、同曲にはチェコ・フィルとのライヴ盤もあります。当然ながら通常編成のモダン・オケですが、指揮も合奏も緊密で精度が高く、古めかしい感じはしません。

 第1楽章は提示部をリピート。速めのテンポとよく弾むリズムがこの指揮者らしいですが、コンセルトヘボウ特有のサウンドが、時に角の立つサヴァリッシュのタッチを和らげていて絶妙。引き締まった造形と典雅な語り口が相まって魅力的です。第2楽章はゆったりとした佇まいで、やや奥まったバランスに定位する残響たっぷりの木管が、得も言われぬ音彩を響きに添えています。慎ましやかながら、細かい芸の盛り込まれた歌い回しも魅力的。

 第3楽章はきびきびとしたアンサンブルで、アインザッツも勢いがあって鮮烈。オケの響きがソフトなので緩和されて聴こえますが、かなり筆圧の高い、輪郭のシャープな表現と言えます。第4楽章もその緊張度を保ち、ティンパニを烈しく強打させるのも峻厳な印象。第5楽章も一体として構成されているのか、速めのテンポで非常に推進力が強く、ドイツ音楽らしい画然たるアンサンブルを展開。アタックも鋭く、勢いがあってテンションの高い表現です。タイトなフォルム形成も見事。

“大切な物にそっと触れるような優しい手つき。テンポが遅すぎて独特の節回しが生成”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 交響曲選集の一枚。ジュリーニは80年代にロス・フィルと当曲を録音しています。音響がデッドなスカラ座の劇場で収録されていますが、ソニーのスタッフは幾分か残響音を確保して聴きやすい音質に仕上げています。左右の広がりや分離は良く、直接音も明瞭。冒頭に《コリオラン》序曲を置き、最後に《エグモント》序曲を加えたカップリングが秀逸で、まるで交響曲と合わせて一つの作品のような繋がりが感じられる所、決して偶然ではなく、確信犯的な配置ではないかと思います。

 第1楽章は旧盤を上回るスロー・テンポ。リズムは弾みませんが、大切なものにそっと触れるような、丁寧な発音が耳に心地よいです。響きは厚みこそありますが、色彩的に明朗で、高音域もみずみずしいもの。第2楽章はアタッカで突入。テンポが遅いために、装飾音符に独特の節回しが生まれているのがユニーク。穏やかで平和な情景が広がる、正に田園の音楽。分けても木管ソロは見事で、お互いの受け渡しの呼吸が実に音楽的で優美。最後の、鳥の鳴き声も格調の高い表現です。

 第3楽章は超スロー・テンポで、細かな強弱の変化と緻密な表情を付与した濃密な表現。テンポが上がる箇所も響きに量感と厚みがありながら、ソフトなタッチでまろやか。第4楽章は角が取れて、温和な性格。意図的なのか、アインザッツが大きくずれるほど音の立ち上がりが遅く、殊更に重々しく聴こえます。スケールが大きく、弦は細かい音符さえテヌートで弾いています。

 減速、減衰してそうっと第5楽章に繋ぐ間合いは、何とも言えぬ風情あり。他の楽章に較べるとまだ平均的なテンポで推移しますが、たっぷりと音を鳴らし切り、朗々と歌うのは、やはり往年のスタイルという感じ。明るく艶やかな音色と、丹念を極めたフレージングは、作品との相性も抜群です。

“意図的に用いられた重々しい発音が、逆にポスト・モダンの感覚を想起させる”

コリン・デイヴィス指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1992年  レーベル:フィリップス)

 全集録音から。当コンビはアラウのソロでピアノ協奏曲全集も録音しています。デイヴィスは、ドレスデンのような古色蒼然としたオケに対しても精度の高い透明な響きを求め、各レイヤーを明瞭に彫琢して、スコアの隅々まで鮮やかな発色で照射しているのがさすが。どれほど美しくとも、情には溺れない演奏です。

 第1楽章は提示部をリピート。ゆったりしたテンポで中庸を行くようにも聴こえますが、どこまでも細密で冴え冴えとした棒、滋味豊かな音色と表現は、それ自体が個性と言わねばなりません。アタックは柔らかく、音の立ち上がりに独特のノーブルな趣があるのはこの全集に共通する特色。元々遅めなので目立ちませんが、フレーズ末尾のルバートも呼吸感が実に優美です。

 第2楽章は当然ながらさらにテンポが遅く、悠々たる佇まいで進んでゆきますが、重みのある音の着地、特有の遅れを伴った発音の感覚は、時代に逆行するというより、むしろポスト・モダンに感じられるのがデイヴィスの面白い所です。このオケらしい音色の魅力は、フィリップスの録音ポリシーとも相性が良く、最高の聴き物。この響きの愉悦という観点は、H.I.P.が欠きがちなものでもあります。静謐と言えるほど温和でひそやかな語り口もユニーク。

 第3楽章は明らかに遅すぎますが、全体のバランスから逆算すればこうなるのでしょう。収まりは悪くないですし、デイヴィス特有のひたすら克明な描写力が、いわゆる重厚さとは別の性格を演奏にもたらしています。

 逆に第4楽章にははっきりと重みが加わり、意図的に鈍重なタイム感が用いられている印象。かつてのデイヴィスならもっと鋭利なアタックを効かせたと思うのですが、これは円熟か、もしかするとオケの個性を尊重したのかもしれません。第5楽章は豊麗な音響と典雅な歌に溢れますが、それをロマンティックとは形容したくない清廉さが常にあるのも、デイヴィスの演奏の特徴。

“澄んだ響きと卓抜な音楽運びで、全体を有機的、立体的に構築しえた超名演”

ダニエル・バレンボイム指揮 シュターツカペレ・ベルリン

(録音:1999年  レーベル:テルデック)

 全集録音から。この曲は低音過剰で重々しい演奏・録音も少なくない中、当コンビは見通しの良い澄んだ響きで颯爽と音楽を展開しています。提示部をリピートした第1楽章は、弦のしなやかなラインが繊細な模様を描き出すような開始。リズムがよく弾む木管のソロも、鮮やかに耳に飛び込んできます。ダイナミクスもよく考えられていて、細部まで音楽が手中に収められた印象を受けます。トゥッティはホルンをためらわずに強奏させて、抜けの良い壮麗な響きを構築する所、非常に好感が持てます。

 第2楽章も音楽の流れを弛緩させず、細部まで立体的に描写した好演。後半3楽章の連結は見事な音楽運びで、この辺りはバレンボイム熟練の棒を堪能できるパフォーマンスといえます。第3楽章は機敏なリズム処理で音楽を生き生きと運動させ、第4楽章は遠近感や強弱の段階的変化のを丹念に描写。思わず惹き付けられるような、演出巧者な棒さばきに舌を巻きます。

 第5楽章の開放的な歌心と内的充実度の高さ、リズム的要素の躍動感もさすがという他ありません。マスの響きは低音が安定したピラミッド型バランスですが、透明度が高く、音色が明るいので、いわゆる純ドイツ風とは性格の異なる爽快さが持ち味。この全集セットは、内容が本当に素晴らしいです。

 → 後半リストへ続く

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