ベートーヴェン/交響曲第6番《田園》 (続き)

*紹介ディスク一覧

01年 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

02年 ラトル/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

04年 ノリントン/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

06年 金聖響/オーケストラ・アンサンブル金沢

09年 シャイー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

10年 ティーレマン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

11年 ナガノ/モントリオール交響楽団

12年 ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団

15年 ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

17年 ネルソンス/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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“旧盤とは全く異なるH.I.P.路線で、この曲の理想型と言える完成度に到達”

クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2001年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ライヴ収録によるアバド2度目の全集録音より。当コンビはこの前年に本拠地のフィルハーモニーで全集録音を完了、発売していますが、9番以外をローマの聖チェチーリア音楽院で再録音。アバドは最初の方を破棄し、ローマ録音を正式な全集とする意向を表明しています。ベルリン録音と較べると残響がややデッドですが、オケの特質はきちんと出ていて、この方が彼のアプローチに合った音なのでしょう。1年の間に、スコアにも新しい発見があったのかもしれません(ジョナサン・デル・マーによる新版を採用)。

 旧盤とは別の指揮者が振っているように感じるほど解釈が変化した演奏。テンポがぐっと速くなり、響きも造形もタイトに引き締まった他、フレージングもニュアンスが抑制され、全体として客観性が増しています。ピリオド奏法とまでは行きませんが、弦の人数も少し減らし、ヴィブラートも抑制。音色に艶やかな明朗さがあるのは、指揮者のイタリア的特性でしょうか。

 第1楽章は提示部をリピート。リズムがよく弾み、旋律線もよく流れて、旧盤とは路線ががらっと変わりました。テンポが速いのでアタックにも張りと勢いがあり、推進力が強いのも好印象。フォルテの音圧が高いのはこのオケらしいですが、響きは柔らかく艶やかで、音色的な魅力は充分味わえます。発色が良く、明るく輝くような鮮やかさがあるのは独特。

 第2楽章も停滞しない速めのテンポで、全体を一筆書きのように流麗に造形。雰囲気で流さず、木管ソロやマスの響きの変化を際立たせて、緻密に設計している点が成功要因と思われます。オケが名手を揃えているのも有利ですが、だからと言って惰性で演奏しては、一本調子で退屈な仕上がりになったでしょう。その辺り、アバドの視点は鋭いです。コーダの弱音もデリケート。

 第3楽章はやや大柄ですが、鋭敏なリズム処理が効果的。各パートの音色美も聴き所で、響きが多彩でカラフルな変化に富んでいるのは、この曲では珍しいアプローチです。第4楽章も速めのテンポで疾走感があり、精度の高い合奏がヴィルトオーゾ風。集中力が高く、凝集された表現がこのコンビらしいです。ソリッドな金管が音圧を高めるクライマックスも、シンフォニックな迫力を感じさせます。

 第5楽章もテンポが速く、テンションの高い表現。前のめりの推進力や熱っぽい高揚感は、ライヴ・パフォーマンスに伴う内的燃焼のみならず、当初から解釈として織り込まれたものなのでしょう。デュナーミクやフレージングもすこぶる周到。空間に大きく拡散されるような、開放感溢れるトゥッティには独特の魅力があります。ウィーン情緒溢れる旧盤とは全く事なるベクトルを示すものの、この曲としてはある種の理想型とも言える完成度に達した演奏。

“指揮者の聡明さが功を奏した、知情意ともに類をみない素晴らしい演奏”

サイモン・ラトル指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2002年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集ライヴ録音から。ラトルは後に、ベルリン・フィルともライヴで全集録音を行っています。残響を豊富に取り込みながらも、全体にスリムな音像はこのレーベルらしい傾向。響きがクリアで、副次的な音の動きも透けて聴こえるのはラトルらしく、解像度の高さは群を抜く印象。一方、音色美や艶っぽい歌い回しにオケの美質が生かされています。

 第1楽章は提示部をリピート。小編成でも快速調でもないですが、高精細な響きとアンサンブルがモダンな印象です。音色は艶やかですが、ヴィブラートは控えめ。ゆったりとしたテンポながら間延びせず、引き締まった造形と高い集中力で細部まで精緻に描写しています。随所に新鮮な発見があり、ベートーヴェンは漫然と演奏してはいけないと、改めて教えられる思い。しなやかな歌心も特筆もので、豊かな感興も魅力的です。

 第2楽章は明朗で鮮やかな色彩、立体感のあるクリアなサウンドを貫徹。弱音を生かしたデュナーミクの設計と、それに連動した微妙なアゴーギク操作など、よく練られた聡明なスコア解釈です。第3楽章は遅めのテンポながら、全ての音に強靭な意志が漲り、隅々まで徹底して解釈された知的な表現。それでいて音楽的な流れの美しさ、情感の豊かさは類をみません。場面転換を、凄まじいアッチェレランドで引き締めるのも効果満点。

 第4楽章はテヌートを駆使し、意図的に重厚さを加えたような格調高いスタイル。同じ団体を振っても、アバドのようにオケには引っ張られず、指揮者側の確固たる意識とリーダーシップが行き渡っています。第5楽章は推進力が強く、熱っぽい語り口。内側から音楽が溢れ出してくる趣で音圧が高い一方、感度が高く、繊細な弱音でそっと歌ってみたり、雄弁なニュアンスが耳を惹きます。この曲は難しいと発言していたラトルですが、結果はものすごい名演。

“古楽出身らしいユニークな視座の一方、やや忙しく落ち着きのない一面も”

ロジャー・ノリントン指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:2004年  レーベル:RCO)

 楽団自主レーベルによる、曲ごとに指揮者の違う全集ライヴ・セットから。ちなみに他の曲は、第1番がジンマン、第2番がバーンスタイン、第3番がアーノンクール、第4番がブロムシュテット、第5番がヤンソンス、第7番がクライバー、第8番がヘレヴェッヘ、第9番がドラティとなっており、独自に全集録音のあるハイティンクは入っていません。

 第1楽章は提示部をリピート。すこぶる速いテンポでテンションが高い一方、開始直後のリタルダンドやリズムの弾み、スタッカートの切り方など、表現の振幅を大きく取るのが特色です。このテンポで聴くと、《田園》というより、あくまで交響曲の第1楽章という動感が前に立つ印象。逆に前者の方、標題音楽として捉えると、あまりにも腰が浮いていて落ち着きがないです。

 第2楽章もかなり速めですが、曲調ゆえかそれほど駆け足には聴こえません。様式的な対比としては当然ですが、こちらは佇まいに余裕があり、各パートの美しいパフォーマンスもゆっくり味わえます。むしろ、木管ソロなどこのオケらしい音色的魅力も堪能できる印象。

 第3楽章は逆に平均的なテンポで、強弱の濃淡を細かく付けた表現。タッチが羽毛のように軽いのはさすがで、合奏のフットワークも軽快そのものです。フレーズの受け渡しがことごとくスムーズなのも、表現がよく咀嚼されている証左。次の楽章への経過部は極端なほど加速し、低弦のクレッシェンドも誇張するなど、表現主義的な解釈が盛り込まれます。

 第4楽章はティンパニに細かい抑揚を付け、随所に峻烈なアクセントを付けるなど、雷鳴の描写にフォーカスした印象。ただ合奏に関しては、あちこちでアインザッツが乱れるのが気になります。第5楽章はノン・ヴィブラートによるヴァイオリンの主題提示が、いつになく清澄に聴こえて美麗。しかしテンポが速く内圧も高いため、穏やかな叙情性はありません。伴奏のリズムなど、副次的な動きに意識を通わせているのはさすがです。楽章全体として、頂点の置き方など構成も見事。

“音色美では一歩劣るものの、日本のH.I.P.では早くに成功を収めた名演”

金聖響指揮 オーケストラ・アンサンブル金沢

(録音:2006年  レーベル:エイベックス・クラシックス)

 全集録音から。日本のオケとしては、いち早くH.I.P.に取り組んだ全集ながら、その後の指揮者の不祥事とキャリア凋落によってケチが付いた格好なのは残念。小編成のコンパクトな音像に、適度な残響を伴うサウンドは聴きやすいものです。この全集はセッションのみの録音もありますが、《プロメテウスの創造物》序曲とカップリングされた当盤はライヴとセッションの混合収録。

 意外に速いテンポは採らない全集ですが、この曲に関しては指揮者の様式感なのか、かなり速めのテンポで一貫。そのため流れが停滞せず、全体をタイトな造形にシェイプしている点は好印象です。この曲でテンポを落としすぎるのはかなりリスキーだと、私も思います。弦の編成がコンパクトなおかげで管楽器が埋没せず、色彩感や立体感が増すのもメリット。これくらいが作曲家の意図した本来のバランスかなと感じます。

 第1楽章は颯爽とした調子が快く、弾みの効いたリズムと小編成の軽い響きも効果的。音色的な味わいでは一歩劣りますが、いかな美音でも蝸牛のような足取りで延々と聴かされては辟易してしまうでしょう。提示部はリピートしていますが、溌剌とした合奏で音楽をダレさせません。第2楽章は流れの良いテンポが効果を挙げ、ノン・ヴィブラートの清澄な弦がみずみずしい歌を繰り広げます。透明度の高い響きゆえ、木管の彩りが鮮やかに感じられるのも魅力。

 第3楽章も軽快で、冴え冴えとした筆致が効果的。この楽章は大編成だと、よほど精密に合奏を揃えないとフォーカスがぼけてしまうように思います。加速の呼吸と緊張度の高まりも見事。第4楽章は鮮烈な表現で、尖鋭なアタックと漲る力感が痛快です。密度の高い合奏もさすがで、フォルティッシモは迫力満点。

 第5楽章は快速調ながら、清新でしなやかな歌が魅力的。特にヴァイオリン群の繊細な高音域は美しいです。フレーズの語尾をすうっと伸びやかに処理するのも優美。もちろん、立体的に組み立てられた響きが効果的な事は言うまでもありません。

“驚くほどの快速スピード。普通の速度なら相当な名演と思われる、周到な譜読みに注目”

リッカルド・シャイー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

(録音:2009年  レーベル:デッカ)

 全集録音から。英国の老舗デッカ・レーベルは80年代のデジタル期以降、ベートーヴェンの全集セットがほとんどなく、欧州の名門オケや人気指揮者を起用している他のレーベルと比べて出遅れた印象がありました。ここでシャイーとゲヴァントハウス管を擁した満を持しての全集は、書籍風の豪華な造りで(これがやや面倒臭い)、いかにも力が入っています。

 とにかくテンポの速さが特徴的な全集ですが、第1楽章から驚く程のスピード。生き生きとした躍動感は様式的に第1楽章らしいとも言える一方、せわしくて落ち着かないし、少なくとも牧歌的ではありません。音圧が高く、音色は明朗で、トゥッティの響きもまろやかで美しい光沢あり。アーティキュレーションも細やかに描写していて、普通のテンポであれば相当な名演であったかと思われます。

 第2楽章も速めながら、まだ受け入れられるテンポ。明るく艶やかに彩られた線で、繊細に描いた絵画を思わせる表現。ゆったりと佇む瞬間はほぼなく、決して流れを停滞させませんが、弱音部の扱いはデリケートで、響きがクリアに澄んでいるため、木管ソロもくっきりとよく聴こえます。第3楽章はきびきびとしたリズムとよく通る音で、鮮やかに造形。ホルンのアクセントやトランペットの強奏などは痛快ですが、バランスはよく考えられ、うるさくなりません。

 第4楽章も透明なソノリティで、アクセントこそ鋭利でも、どこか柔らかな手触りを感じさせます。アンサンブルも緊密。第5楽章は、しなやかな歌とリズミカルな動感に溢れるユニークな解釈。速めのテンポが推進力を生み、この楽章に限らず、随所に僅かなアッチェレッランドを盛り込むのも特徴です。オケがよく鳴っていて、思い切りの良いサウンドが爽快。

“スタイルの問題を無意味な次元へと追いやる、現代オーケストラ芸術の極致”

クリスティアン・ティーレマン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2010年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 映像ソフトと同音源(筆者はブルーレイで試聴)の、ライヴによる全集録音から。暗譜で振っており、弦を両翼配置にした上、コントラバスを最後列に並べています。意外にもドイツ風のいかつさより、流れの良さと柔らかなタッチを優先させた演奏で、いかにもウィーン・フィルらしい全集だと思います。恣意的なテンポ変動の他、フレーズを存分に歌わせる事を重視している点はH.I.P.の対極ですが、鋭敏なリズム感や明晰で立体的なソノリティなど、古色蒼然とした旧時代風とも全然違います。

 第1楽章は提示部リピートを実行。曲調のせいか、当全集の中では最もルバートが少ない演奏ですが、各フレーズにニュアンスをたっぷり盛り込んだティーレマンの表現は、この曲を冗長に聴かせないための最高にして唯一の方法であるようにすら感じられます。弱音のデリカシーと暖かみのある響き、たおやかな情感も素晴らしい聴きもの。

 第2楽章も集中力が高く、ゆったりと構えた佇まいの中に繊細かつ優美な歌が溢れます。コーダの小鳥のさえずりからエンディングに至る呼吸も見事で、ピアニッシモの効果が際立つパフォーマンス。

 第3楽章はさほど速いテンポは採択しませんが、腰の重さはなく、爽快なリズム感が素敵。ウィーンフィルのアンサンブルの魅力を存分に生かしたこの演奏を聴いていると、奏法やアーティキュレーション云々という問題はほとんど二次的なものにさえ思えてきます。第4楽章もオーソドックスながら彫りの深い造形で、音の立ち上がりのスピード感や反射神経の良さに現代的な感性も冴え渡ります。

 フィナーレは、豊麗を極めたホルンの響きを筆頭に、美音の海に泳ぐような至福のパフォーマンス。管弦のバランスの妙は現代オーケストラ芸術の一つの極を成す印象で、思わず自分の中に、かつてクラシック音楽を聴き始めた頃の原初的愉悦感が甦るのを感じました。オケも最高ですが、ティーレマンのフレージング感覚、あらゆるパッセージに盛り込まれる含蓄の豊かさといったら!

“録音のせいで生彩を欠く一方、伝統から離れたポスト・モダン的な視点も”

ケント・ナガノ指揮 モントリオール交響楽団

(録音:2011年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 第8番、弦楽合奏版の大フーガをカップリングした2枚組から。当コンビのベートーヴェン・シリーズは、作品が21世紀に持つ意味合いを探るというコンセプトを掲げていて、当盤にもカナダの生物学者/環境運動家デヴィッド・スズキによる「相互依存宣言」の朗読が収録されていますが、私にはこういった演出はちんぷんかんぷんです。テーマとしては関連性があるものの、それでベートーヴェンの音楽、ひいてはナガノのスコア解釈が、何か違った風に聴こえるというものでもなく、どうも頭でっかちな印象。

 演奏は、ノン・ヴィブラートと小編成アンサンブル的なフットワークの軽さをモダン・オケに持ち込んだH.I.P.。ピリオド系の雑音性はなく、あくまで柔らかにブレンドするまろやかなソノリティを指向しています。ただ録音は、距離感が遠いオフ気味のマイク・セッティングで、細部が残響にマスキングされて不明瞭なのと、演奏全体に覇気が不足して聴こえるのは問題。その割に奥行き感が浅いのと、低音が過剰に膨らむのもどうかと思います。

 第1、2楽章は速めのテンポでさらさらと流れてゆく表現。タッチが柔和でフレージングもしなやかながら、録音のせいか生彩を欠きます。音色は明朗で、随所にクレッシェンドの効果も加えてはいますが、造形はあくまでオーソドックス。ただ、ポスト・モダン的に再構築されているというか、何かしら決定的に旧来の演奏と違う視点を感じさせるのは、ナガノの不思議な持ち味です。指揮者もオケも、本場ドイツの音楽的伝統とは切り離された出自を持つせいでしょうか。提示部のリピートは実施。

 第3楽章は急速なテンポで、オケが付いてゆけず合奏が乱れがちな箇所もあり。加速する部分は繰り返しの時に音量を絞るなど、強弱を交替させてユニークな効果を挙げています。第4楽章も細かくクレッシェンドを盛り込んで、デュナーミクを独自に演出。ティンパニは要所でアクセントを付けてはいますが、全体としては強いアタックを避けた優しい造形です。フィナーレも速めのテンポでぐいぐいと牽引する、活気と高揚感のある好演。旋律線の表情が雄弁で、音楽が起伏に富むのも美点です。

“ドイツ音楽の醍醐味を感じさせるオケの響き。指揮者の様式感も秀逸”

マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:2012年  レーベル:BRクラシック)

 楽団自主レーベルによる全集ライヴ録音より。第1楽章は速めのテンポで流れが良く、動感に溢れるのが何より。弦の美しい響きが印象的で、フォルテの爽快な開放感に繋がっています。木管も達者で、コーダの最弱音など、さすが一流オケというパフォーマンス。

 第2楽章は弱音基調で、第1楽章との対比を明確に打ち出して、緩徐楽章の性格がよく出ています。速めのテンポで流れを引き締めつつ小さなルバートを盛り込むなど、様式感が秀逸で、決して単調に陥りません。第3楽章も弱音主体でデリケート。やはり速めのテンポで合奏もリズミカルですが、ダイナミクスのグラデーションを細かく付けています。

 第4楽章は響きが充実しきっており、純ドイツ風ソノリティの奥行きと深み、厚みが大きな魅力。第5楽章はさらに響きが練れてきて、トランペット、ホルンを伴うトゥッティのサウンドも、その柔らかさとコクに耳を奪われます。ヤンソンスの棒は決して斬新さを求めたものではないですが、オケの美点を前面に出して正統派のベートーヴェンを聴かせる手腕はさすが。

“名手揃いのオケを率いた聴き応えのある再録音ながら、合奏の精度にやや問題あり”

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2015年  レーベル:ベルリン・フィルハーモニー・レコーディングス)

 ラトル二度目となる全集ライヴ録音から。自主レーベルから発売されたセットには、ブルーレイ・オーディオと全曲の映像、ドキュメンタリーも収録されています。音声はライヴのものに、セッション収録での修正をミックスしたもの(その様子も撮影されています)。

 ラトル自身が語るように、演奏するたびに自分の間違いを発見するのがベートーヴェンの音楽で、解釈は常に変わってゆくもの。当盤はH.I.P.からむしろ遠ざかった印象です。初期の交響曲は小編成にして曲目ごとに増やし、第九のみ通常編成で演奏。

 第1楽章は提示部をリピート。速めのテンポで流動性が強く、弾むような動感も快適です。フレーズに細かく表情を付けて音楽が平板に陥るのを防ぎ、ダイナミクスも表現主義と言えるほど濃密に描写しますが、強奏部では合奏のズレも気になる所。第2楽章は平均的なテンポながら、表情の彫りが深く、歌い口が艶美。各パートのパフォーマンスも味が濃く、やはり名手揃いのオケだと聴き応えがあります。パユのフルート、オッテンザマーのクラリネット、マイヤーのオーボエなど、ほとんどコンチェルトの趣。

 第3楽章は一筆書きのような勢いがあり、流れるようにフレーズを紡いでゆく語り口はユニークですが、アインザッツは揃わず、さらに修正セッションが必要だったのではないでしょうか。低弦のユニゾンから急加速するアゴーギクはスリリングで、木管の第1主題を再現部で不安定にスロー・ダウンさせるのも効果的。第4楽章はH.I.P.の真逆を行く、どっしりと重厚な伝統的スタイル。ただダイナミクスの精度は高く、次の楽章への経過的推移も、表情の付け方が濃厚そのものです。

 第5楽章は語調が明瞭で、場面ごとにきっちりメリハリを描き分けながら、カラフルで立体的な響きを構築。それでいて旋律線は優美に歌わせています。繊細なダイナミクス、多彩なアーティキュレーション描写もさすが。この全集は総体的に大成功と言え、特に奇数ナンバーの作品にものすごい名演が多いですが、偶数ナンバーでは合奏の緩さなどやや問題が目立つのが残念です。

“奇を衒わず王道を行きつつ、高精細な描写力で次のフェイズにアップデート”

アンドリス・ネルソンス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2017年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 珍しくもセッション録音による全集から。残響がたっぷりしているのは、ライヴではない利点です。やや骨張った雑味のある響きで、パンチの効いた機動性を追求するよりも、往年の名指揮者達に近いアプローチ。巨匠風の佇まいの一方で、高解像度の描写力と洗練された感覚美を備えていて、旧来のスタイルを次のフェイズにアップデートしたような、存在意義の高い全集だと思います。

 第1楽章は、昨今には珍しく提示部リピートなし。落ちついたテンポで細部を丹念に歌わせた演奏です。表情は豊かで、ちょっとしたディティールの変化も敏感に表出する趣。音圧は高いものの、合奏に室内楽的な一体感があり、機動力は十分です。

 第2楽章は、間合いや歌い回しに往年の演奏を彷彿させながらも、描写の精度が非常に高く、高精細のデジタル画像を見る思い。冗長になりがちなこの楽章を見事な設計でまとめている辺りは、さすが優秀なオペラ指揮者です。オケの自発性もよく生かされ、各パートの滋味溢れる表現は聴き所。コーダの木管もたっぷりと即興的な間を取っていて、音楽性がすこぶる豊かです。

 第3楽章は颯爽とした速めのテンポで、溌剌とした張りがある演奏。前半2楽章とのコントラストも生きています。トリオもきりりと引き締まった合奏で、緊張感があって見事。第4楽章へ突入する呼吸がまた絶妙で、やはりオペラ指揮者としてのセンスが垣間見えます。密度の高い響きと緊張度を保ったアゴーギクで、シャープに造形しているのも好印象。第5楽章は、奇を衒った所こそありませんが、感興豊かなみずみずしいカンタービレと、有機的に充実した響きが素晴らしいです。

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