ベートーヴェン/交響曲第3番《英雄》

概観

 ベートーヴェンの交響曲において、特に奇数ナンバーが男性的で剛毅な性格と考えられていた時期もあり、この曲はその代表格でした。初期作品から一歩跳躍しつつある曲でもあり、H.I.P.以前にもきびきびと俊敏に演奏する指揮者はいましたが、C・デイヴィスやテンシュテット、サヴァリッシュのように、むしろ柔らかく優美な曲と捉える人もいるのがスコア解釈の面白い所。

 しかしナポレオン関連の表題性を抜きにしても、特に第1楽章の雄渾さ、第2楽章の感情的な葬送行進曲、第3楽章の田舎の舞曲、第4楽章の変奏曲(主題は《12のコントルダンス》や《プロメテウスの創造物》と共通)と楽章ごとのキャラクターが個性的で、さらにそれを越えて、第1、2楽章の展開部や第4楽章の後半で、圧倒的な感興の高まりと立体的な対位法を聴かせる様は、この曲をしてベートーヴェン随一の傑作と言わしめるに十分なものです。

 演奏も名演が目白押しで、全集録音の中でも傑出した仕上がりである事が多いです。下記リストの中でお薦めは、クーベリック盤、T・トーマス/セント・ルークス盤、ブロムシュテット/サンフランシスコ盤、バレンボイム盤、ラトル/ウィーン盤、T・トーマス/サンフランシスコ盤、ミュンフン盤、シャイー盤、ティーレマン盤、ヤンソンス盤、ネルソンス盤。

*紹介ディスク一覧

57年 ドラティ/ミネアポリス交響楽団

57年 モントゥー/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

57年 ミュンシュ/ボストン交響楽団

58年 クリュイタンス/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

59年 ケンペ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

62年 モントゥー/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

71年 クーベリック/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

72年 ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

77年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

77年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団

78年 ジュリーニ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

79年 ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン

79年 コンドラシン/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

80年 メータ/ニューヨーク・フィルハーモニック

82年 テンシュテット/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

84年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

85年 アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

86年 T・トーマス/セント・ルークス管弦楽団

87年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

90年 アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団

91年 C・デイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデン

91年 ブロムシュテット/サンフランシスコ交響楽団

91年 テンシュテット/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

92年 ジュリーニ/ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

93年 サヴァリッシュ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

93年 シノーポリ/イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

99年 バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリン

 → 後半リストへ続く

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“パンチを効かせてタイトに造形しつつ、理知的な語り口を示す”

アンタル・ドラティ指揮 ミネアポリス交響楽団

(録音:1957年  レーベル:マーキュリー)

 当コンビは《ウェリントンの勝利》を録音している他、ドラティにはロンドン響との5、6、7番、ロイヤル・フィルとの全集録音もあります。このオケの録音としては残響が切り詰められている印象を受けますが、音そのものはしなやかで、すこぶる鮮明。管楽器が弦に埋もれる事がないので、非常に明晰なサウンドに感じられます。

 演奏は、筋肉質に引き締まってタイト。張りのあるティンパニを軸にしている所も古典的なサウンドに感じさせます。H.I.P.のようなアグレッシヴな表現では勿論ありませんが、室内楽的なすっきりとした響きとよく統率された緊密な合奏、細やかに描写された強弱や鋭敏なアクセントなどは、90年代以降のスタイルを先取りしたような均整美と言えます。

 第1楽章は落ち着いたテンポながら、シャープな造形でフォルムを肥大させない理知的な演奏。精緻なアンサンブルを展開しながらも、展開部やコーダでは雄渾な力感を示し、ダイナミックな表現を聴かせます。ニュアンスの豊かさも十分。歯切れの良い冒頭の2和音は、そこだけ聴けば完全にピリオド風です。第2楽章も端正ながら味わい深い演奏。欧州オケの音色は望めませんが、技術的には優秀で、各パートも自発的に歌います。起伏にも富んで力強く、感興も豊か。

 第3楽章は速めのテンポできびきびと鋭利に造形。トゥッティの響きはパンチが効いて量感があり、音の立ち上がりの速さがドラティらしい所です。コーダにおけるティンパニの強打も鮮烈。第4楽章も推進力が強く、音そのものにスピード感あり。スケール感や格調の高さは充分に表出され、見事な大団円を迎えます。指揮者とオケの名前を見て敬遠するのは勿体ないディスク。

“明晰かつ爽快、緊密にまとまった合奏と流麗な歌で聴かせる”

ピエール・モントゥー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1957年  レーベル:デッカ)

 モントゥーはデッカとウェストミンスターで全集録音を完結しており、第1、3、6、8番がウィーン・フィルとの録音。録音年が一番早い当盤は残響がややデッドですが、左右チャンネル一杯に広がる分離の良さ、明るく爽やかな高音域はこのシリーズに共通。弦のカンタービレは線が細く、それが小編成に聴こえる点では時代を先取りした演奏とも言えます。両翼配置で、明瞭に聴き取れる掛け合いやパッセージの対比など、随所に音響的効果を発揮。

 第1楽章は、切っ先の鋭いアタックと切れ味抜群のスタッカート、見事に揃ったアインザッツでタイトに造形。テンポは、聴感上はごく自然ながらかなりの落差があり、弱音部はゆったりとして情感も豊か。みずみずしい歌が横溢します。フレーズの処理や間合いにも経験と風格が滲み出るような趣。第2楽章の、停滞を嫌う流れの良いテンポ感、繊細な弦のライン、透徹した立体的な響きも現代風で、明るく爽快なトゥッティの音色など、誤解を恐れずに言えば、ある種の軽みを帯びたサウンドとも言えます。

 第3楽章は、卓抜な合奏力に裏打ちされた格調高いパフォーマンス。リズム感の良さが際立っており、快適な運動性がスコアの内的活力とうまく結びついて、聴き手に幸福感をもたらします。トリオのホルンは舞台袖かどこかで吹いているのか、ややこもった独特の響き。

 第4楽章は、誇張も何もしていないのに何一つ不足のない、充実した表現。あらゆる声部を明瞭に聴かせる録音も手伝って、すこぶる明晰な演奏になっています。しかしそれで小さくまとまる訳ではなく、スケールの大きさも充分。エンディングのさりげなさも、スコアに対する誠実さの証しと言えるでしょう。

“歯切れが良く鋭敏な指揮ぶり。随所に意外なデリカシーも”

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

(録音:1957年  レーベル:RCA)

 当コンビのベートーヴェン録音は第1、3、5〜9番と序曲集、ハイフェッツとのヴァイオリン協奏曲がありますが、第1、7番はモノラル収録です。やや乾いた音ですが、このコンビの録音としては、奥行きと柔らかさもあってあまり荒れない方。ただ、少し抜けが悪く、高域がこもってハスキーなサウンドです。

 第1楽章は意外に肩の力が抜け、冒頭の2和音も短く切って軽快。スタッカートは随所で効果的に用いられ、テンポも合奏もきびきびとしていて、H.I.P.に繋がる感覚もあります。いわゆる純ドイツ流の構築性の強い表現ではなく、優美な歌と鋭敏なリズム感が優先。ただし緩急は恣意的で、曲想に合わせてアゴーギクの伸縮がある点はロマンティックとも言えます。

 第2楽章は、この時代としては速めのテンポで、流れるように進行。情緒に溺れないのは彼らのベートーヴェンに共通する特色ですが、細かなアゴーギクの変動はあり、コーダに至る道筋も、極度に速度が落ちてゆきます。第3楽章は速めのテンポで機敏。この時代にももちろんスピーディな演奏は他にありますが、巨匠風の重厚なスタイルとはかなり距離を置いています。トリオのホルンは、この時期の流行なのか舞台裏で吹いている様子。

 第4楽章も歯切れが良く、語尾にスタッカートを多用。前半の変奏など、非常に細かく強弱を付ける一面もあり、ミュンシュを大味な熱血漢と考えるのは誤りと分かります。テンポの加減も繊細。特に弱音部のアンサンブルには、このコンビのイメージを覆す緻密なニュアンスと表現力が聴かれます。締めくくりがあっさりしているのも、彼らのベートーヴェンの特徴。録音にもう少し鮮やかさが欲しいですが、後半に至ってやっと明るい輝きも出てきます。

“指揮者とオケの持ち味プラス、H.I.P.に匹敵する先進性”

アンドレ・クリュイタンス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1958年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音から。引き締まった細身のシェイプ、硬質な芯としなやかな手触りを持った、華麗なオケの響きに耳を奪われる演奏。いわば、オケの持ち味が指揮者のラテン的感性と化学反応を起こした形ですが、鮮明な録音とも相まって実に魅力的に響きます。一方で、ティンパニの強打を軸とした力感の漲るトゥッティが、雄渾さを十二分に表出。クリュイタンスの棒も、ゆったりとした間合いで旋律を歌わせながら、切れ味の鋭いリズムや繊細な描写を散りばめ、すこぶる現代的です。

 第1楽章は、速めのテンポをキープしている事もあり、弦を中心に合奏のレスポンスの敏感さ、音の立ち上がりやパッセージのスピード感、緊密な合奏など、H.I.P.に匹敵する表現に驚かされます。木管ソロのクリアな音響も艶やかそのもの。終結部手前の長いクレッシェンドで、様々な楽器で繰り返される第1主題の背後、高音部へ上がったり下がったりするヴァイオリン群の速いパッセージに、やや極端な強弱を付けているのもユニーク。

 第2楽章は淡々と歩を進める端正な造形で、スケールの大きさは十分ながら、プロポーションの均衡美に留意。内的充実度も高く、気宇の大きな表現です。第3楽章やフィナーレの両端部分などはテンポの速さが際立ち、一糸乱れぬアンサンブルと共に、H.I.Pの快速調に比肩しうるアプローチ。全体に、サウンドの透徹したリアリズムというか、対象からやや距離を置いたクールな肌触りがあって、暖かみのある響きやロマン派的なカンタービレとは無縁の演奏です。

“後年の再録音盤とは異なり、オケの圧倒的能力と巨匠風の佇まいも残す”

ルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1959年  レーベル:テスタメント)

 同時期に多く行われた、当コンビのレコーディングの一つ。ケンペは後にミュンヘン・フィルと全集録音も行っていますが、スコアの解釈はかなり異なっています。前年のクリュイタンス盤と同じオケ、同じ会場(グリューネヴァルト教会)で、残響をたっぷり取り入れた高音偏重気味で爽快な響きは、かなり似通ってもいます。

 第1楽章はしかし、クリュイタンス盤ともケンペのミュンヘン盤とも対照的に、相当なスロー・テンポ。特に冒頭二和音は過剰なほど間を取って鳴らしますが、主部は遅いながらも非常に流れが良く、みずみずしく爽やかなカンタービレと共に、しなやかな歌心に溢れます。金管も抜けがよく、ミュンヘン盤の軽快さこそありませんが、低音域が濁って重々しくならないのも、風通しの良さに繋がっています。

 展開部もソステヌートで優美な一方、ブラスが力強いフォルティッシモをソリッドに吹奏するなど、聴き所多し。再現部も雄弁かつ柔らかな語り口で、スケールが大きく迫力のあるトゥッティなど、魅力的な瞬間に満ち溢れています。

 第2楽章も旧世代を地で行く重いテンポですが、音色が華麗で明るいのはクリュイタンス盤と同傾向。オケはこの当時から図抜けて表現のクオリティが高く、木管も弦楽群も、思わず聴き惚れるほどに味わい深いパフォーマンスを繰り広げます。強奏部をはじめ、和声感の豊かさも本場ドイツの団体のアドバンテージ。展開部は、金管を筆頭に音圧の高いロングトーンでぐいぐいと押してきて、凄いほどの迫力があります。

 第3楽章はきびきびとしたテンポで、ケンペらしい鋭敏なリズムも生きていますが、長い残響がその効果を阻害している印象もあり。冒頭など、最弱音というより音自体がかなり遠くで鳴っていて、ほとんど残響音のみを聴く趣。中間部のホルンは、意図的に凹凸を作った間の取り方や方言を思わせるひなびたイントネーションが情緒たっぷりで、その滋味と味わい深さに圧倒されます。正に至芸というべきこんな表現、並のセンスじゃできません。

 第4楽章は、序奏部で大見得を切るように減速するのが巨匠風。変奏曲の主題提示も、随所にルバートを盛り込んで叙情的な性格。管楽器は総じて伸びやかに歌っていますが、オーボエの白玉音符に恣意的なトリル(?)あり。弦楽セクションの音圧が高くて切っ先が鋭いのは、このオケらしい所。ホルンを擁する後半の山場は、教会の残響がプラスに働いて壮大なスケール感です。ただし常に明晰な響きを維持しているのは、ケンペの美点。

“旧盤の解釈を踏襲しつつ、過剰なまでに響きの華麗さを増した再録音”

ピエール・モントゥー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1962年  レーベル:フィリップス)

 当コンビのフィリップス録音は、他にシューベルトの《未完成》あり。モントゥーは同時期にウィーン・フィル、ロンドン響とデッカに全曲録音しており、同曲も57年のウィーン盤があります。非常に鮮明な音質ですが、高音域が華やかで少々トゲもあり、後年のこのオケとは違って、ややざらつきや雑味も感じられます。直接音がメインながら残響は豊かで、のびやかなスケール感もあり。

 第1楽章冒頭は、長めの間合いを取って強調感のある出だし。ゆったりしたテンポで細部を克明に積み上げてゆく趣ですが、抜けるように爽快かつ華麗な響きで、いかにもフランス流の拡散型で明朗な表現です。ただ、旧盤もこの傾向だったので、オケの個性より指揮者の好みが強く出ているのかも。旋律線は艶やかに歌い、細やかなニュアンスも豊富。アゴーギクは恣意的で、楽想に応じて自在にテンポを調整しています。合奏は完璧に統率されている印象。

 第2楽章は端正な造形の中にも、艶やかに磨かれた感覚美が表されるユニークな表現。ほとんど派手とも言える華麗な音色で一貫していますが、情感面は抑制が効き、決して濃厚な表情を付与する事はありません。ただ、展開部以降に顕著ですが、このどこまでも開放的な響きが壮大なスケール感に結びつくのが面白い現象。音を割って朗々と吹きまくるトランペットなど、他ではあまり聴かないものです。

 第3楽章は速めのテンポできびきびとまとめる一方、やはり金管が入るトゥッティで、高域偏重の派手なサウンドが鳴り響くのが独特。それを考えると、トリオのホルンが抜けの悪いこもった音色なのは意外です(旧盤もそうでしたが)。第4楽章は落ち着いたテンポで、アーティキュレーションを精緻に描き分けた解像度の高い表現。トランペットが入る箇所が全て過剰に華やかなのは気になりますが、鮮烈なまでに徹底した怜悧な描写力は、ベートーヴェン演奏を突き詰める上で有効なものです。

“オケの実力を生かし、誠実な棒で有機的な音楽を構築した名演”

ラファエル・クーベリック指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1971年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 異なるオケを振り分けた、全集録音から。この曲にベルリン・フィルはぴったりのチョイスで、過去にセッションも多く行っていて両者の相性も抜群です。冒頭から、一聴してこのオケと分かるサウンド。旧世代のスタイルが全面に出たスタイルですが、この曲に関してはそれなりに説得力があります。

 第1楽章は遅めのテンポで、恣意的な間合いやルバートも挟むロマンティックな造形。冒頭2和音も、長めに伸ばしています。ゆったりと構えながらも細部は克明に処理され、実に精緻で情報量の多い演奏。常に生彩に富んでいて、情感が豊かです。やや硬質で雄渾なティンパニのアクセント、内圧の高い金管のロングトーンもこのオケらしい所。合奏力を誇示せず、無理なく爽やかに鳴らす辺りはクーベリック流ですが、コーダの響きは凄絶。ディミヌエンドの力の抜き方など、得も言われぬ優美なタッチが絶品です。

 第2楽章はかなり遅めで、指揮者のロマンティシズムとオケの性能が相まって、味の濃い表現。トゥッティの力強い響きには、やはりオケの個性が刻印されます。第3楽章も落ち着いたテンポで、細部まで精緻に描き込んだ印象。佇まいがゆったりとしていて、豊かな感興と風通しの良さがあるのはこの全集共通の特徴です。

 第4楽章は彫りが深く、力強い力感を示す一方、細部を生き生きと描写するのがクーベリックらしい所。ホルンが壮麗で、気宇壮大なトゥッティは響きが素晴らしいですが、カラヤンのように派手に音響を拡大しない節度も好ましく感じられます。気力も音も充実し、有機的に構築された名演。

“明るく開放的な響きを軸に、鋭敏さと素朴さが複雑に交錯する多面的な語り口”

ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1972年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音から。第1楽章冒頭の二和音は、ティンパニを極限まで抑えて、柔らかいタッチとくすんだ音色で鳴らすのに驚かされますが、主部は意外に鋭い筆致。テンポこそ中庸ですが、サクサクと歯切れの良いリズムを刻む弦楽群がオケ全体の運動神経を高めていて、非常に軽快なパフォーマンスを展開します。しかし、木管群がヴィブラートを抑えた素朴なソロを聴かせる一方で、展開部ではトランペットの鋭い高音域が強調され、エッジの効いたアタックが頻出するなど、なかなか複雑な様相を呈する多面的な演奏。

 第2楽章は淡々とした調子で、古典的な造形。フーガ風のクライマックスも必要以上に壮麗に盛り上げる事がなく、あくまで交響曲の一楽章という枠組みに納めます。トランペットを伴うトゥッティは、やはり抜けの良い響きで開放的。第3楽章も中庸のテンポで朴訥とした手触りですが、トリオのホルンなど滋味豊かな味わいがあります。フィナーレもフットワークが軽く生気に溢れていて、いわゆる純ドイツ風の重厚なベートーヴェン像とは一線を画す行き方。ソノリティもみずみずしく明るいです。

“このコンビの美点が吉と出た、エネルギッシュで激しいエロイカ”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1977年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 爆発的に売れたという70年代の全集から。第1楽章は速めのテンポで、高域寄りの華やかな響き。リズムはやや重いですが、全体に推進力が強く勢いがあります。一方、木管の経過句などではレガートも多用され、細部がマスの響きに埋没する傾向も。展開部は音圧が高くエネルギッシュで、金管もよく鳴って壮絶なサウンドが響き渡ります。再現部からコーダにかけてのエネルギーの蓄え方と放出力はさすが。弦のオブリガート(上昇・下降の走句)に施された細かい強弱など、演出も効いています。

 第2楽章は適度な速度で推移。ニュアンスは豊かで、第1楽章とは違ってフォルティッシモに余裕を持たせ、充実した響きをたっぷりと鳴らしています。展開部も気宇が大きく雄渾。第3楽章は中庸のテンポでやや大柄なですが、ダイナミック・レンジが広く、メリハリの強い造形。トリオのホルンも見事なアンサンブルで、大変聴き応えがあります。

 第4楽章は変化に富み、カラヤンらしい聴かせ上手な設計。音楽の高揚に伴って熱っぽい感興を帯び、僅かに加速するのも効果的です。70年代の当コンビらしいソノリティも魅力全開で、クライマックスの壮麗なスケール感など、正に気力の漲った演奏という感じ。火を吹くように激しいコーダも迫力満点です。

“コンパクトな響き、軽快なリズムと鋭敏な合奏で、時代に一歩先んじる”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1977年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音から。これは当全集に共通ですが、左右の広がりに乏しく残響のデッドな録音と、ティンパニを控えて弦を前面に出した音響バランスは何とも古風で、モノラル時代の音を思わせる雰囲気が特徴です。マゼールの事ですから、当然意図したものでしょう。

 第1楽章は、提示部リピートを実行。今の基準ではさほど速めとは言えないかもしれませんが、音楽の流れが良く、強い推進力があります。メリハリが強く、リズムが小気味よく刻まれる上、響きが軽いので室内楽的に聴こえます。大編成のロマンティックなベートーヴェン像に背を向けた点では、同じレーベルのT・トーマス盤に一歩先んじたアプローチと言えるでしょう。造形的にシェイプがこじんまりしている為、スケールの大きさはあまり出ません。

 第2楽章もくっきりと切り出された輪郭に明るい音色、柔らかなタッチで一貫。冴え冴えと浮き上がるオーボエ・ソロも美しいです。この全集は、ハスキーなトランペットの音色に対し、ホルンが入るとまろやかにまとまる傾向で、ここでもホルンを伴うクライマックス部がとりわけ豊麗で魅力的。

 後半2楽章も、誠に手際の良いきびきびとした表現。マゼール一流の卓抜なリズム・センスが生きており、終楽章コーダの切れ味など見事なものです。端正なフォルムではありますが、終盤近くのゆったりとした変奏ではルバートで表情を付ける箇所もあり。

“スロー・テンポで巨大に造形しつつ、緻密さと鋭敏さも徹底して追求”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1978年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビのレコーディング第一作。ベートーヴェンはこの後、第5、6番が録音されました。オケの響きが、まるで全てのパーツをブラッシュアップしたかのように一新されていて、恐らく発売当時は、これがメータが振ってきたロス・フィルと同じ団体だとは信じられない人もいたかもしれません。同時期に録音されたT・トーマスとのレスピーギやプロコフィエフが、メータ時代のカラフルでグラマラスな響きを受け継いでいるのとは全く好対照。

 スロー・テンポでディティールを彫啄した壮麗な演奏で、提示部をリピートした第1楽章がゆうに演奏時間20分を越えるのみならず、全曲で57分半という、同曲ディスクでもトップクラスの長尺に達した驚きのパフォーマンスです。とは言え流れはスムーズで、スタッカートの歯切れも良く、むしろ敏感と言っていい演奏なのが面白い所。

 響きも透徹して風通しが良く、ラテン的な明朗さもあって、重苦しくはありません。特にリズムは、律儀なほど克明に刻まれる一方、独特の弾むような調子もあって、その辺りはC・デイヴィスのリズム感とも共通します。フレージングは艶やかで気品に溢れ、アーティキュレーションも丹念に描写。遅いテンポのおかげで、弦のトレモロや同音連符が明瞭に分割されて聴こえるのも興味深い効果です。

 第2楽章は感情過多にならず、均整のとれた造形感覚でシンフォニックに音楽を構築。あくまで純音楽的というのか、解釈にドラマ性を持ち込むのを嫌う指揮者です。ただし音圧が高く、厚みのあるトゥッティには有機的な迫力あり。第3楽章も急がず慌てず、のんびりと構えた佇まいで、トリオの角笛も驚くほど牧歌的に響きます。

 フィナーレも悠々たるもので、大きなスケールと然るべき威厳がしっかり打ち出された格調高い表現。雄渾な力感は充分ですが、コーダなどは古典的感覚が徹底していて、あっさりと終了してしまいます。長時間に渡って精密な演奏を展開してきたにも関わらず、必要以上に派手に盛り上げるような真似はせず、安手のサービス精神には見向きもしません。

“すっきりと明晰な響きに古典的造形を構築する、ドレスデン時代のブロムシュテット”

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1979年  レーベル:ドイツ・シャルプラッテン)

 全集録音から。ブロムシュテットは後年ゲヴァントハウス管とも全集録音を行っている他、同曲はサンフランシスコでも録音しています。第1楽章は遅めのテンポで、丹念な描写。細身のすっきりとした響きで、このオケらしいふくよかさはあまり出ませんが、各パートの音彩が美しく、味わい深いです。ブロムシュテットの棒は気負いがなく自然体ですが、細部の入念な処理と鋭いリズム感、合奏の統率力に手腕を発揮。旋律線のニュアンスも豊かです。

 H.I.P.に接近した後年のゲヴァントハウス盤と較べると、極端なメリハリやアクセントはなく、今のトレンドからするとおっとりした性格に感じられるのは好みを分つ所。一方、透明度の高いソノリティで音響の立体感を確保しているのは、現代的な感性と言えます。展開部の劇性と緊張感の高め方も堂に入っていて、エッジの効かせ方も巧み。アーティキュレーション描写も精密で、実直にスコアを当たった跡が窺える真摯な表現です。後半部は、さらに伸びやかな精神の飛翔や気分の高まりが欲しい所。

 第2楽章は、テンポこそ遅めですが情感が淡白。古典的なフォルムを重視した印象です。旋律線を艶っぽく歌わせる一方、フレージングや和声は明晰そのもので、音楽の隈取りを常にくっきりと打ち出すスタイル。ロマン的情緒を醸成する方向には近寄りません。展開部ではややテンポを上げ、感情面の昂揚も聴かせますが、あくまで抑制が効いている感じ。オケの音色美は特筆もので、コーダにおける沈静と内省の深さにも聴くべきものがあります。

 第3楽章は、速めのテンポで軽快。ドレスデンのようなオケの運動神経をここまで高めるのは容易でないと推察されます。編成も小さくはないようですが、一体感のある合奏を整然と展開する指揮者の才覚は非凡と言う他ありません。トゥッティの張りとエネルギー感もさすが。第4楽章は力強く開始。主部は中庸のテンポながら、デュナーミクの演出が細やかで、隅々まで主張の行き届いた演奏です。後半部の感興の高め方、コーダの鋭利なリズムも好印象。

“意外にも、きびきびとしたテンポでデリケートに音楽を作るコンドラシン”

キリル・コンドラシン指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1979年  レーベル:フィリップス) 

 80年代に一挙発表された、当コンビのライヴ音源の一つ。ベートーヴェンはこれ1曲でしたが、コンドラシンは同時期にウィーン・フィル、チョン・キョンファとヴァイオリン協奏曲を録音しています。音質は良好ですが、同オケの録音としては残響が控えめで、高音域も少しこもって聴こえる感じ。

 第1楽章は、冒頭2和音をスタッカートで歯切れ良く開始。テンポは中庸ですが、一拍一拍を克明に刻んでゆく趣で、独特のきびきびとした躍動感があります。スラーを抑えてスタッカートを多用しているのもその印象を強めますが、第2主題は逆に優美なソステヌートでコントラストは充分。スフォルツァンドが鋭敏で響きが非常に軽く、全体としてもレスポンスの敏感な演奏と感じられます。造形を重視し、末端を肥大させない引き締まった棒さばきがこの指揮者らしく、合奏のまとまりも見事。

 第2楽章は、スロー・テンポで艶やかに旋律を歌わせるリリカルなスタイルがオケの資質と合致。すっきりと軽い響き、細かく強弱のニュアンスを付けてゆく姿勢は前楽章から継続し、豪腕の熱演指揮者というイメージを一新するデリカシーに溢れた演奏です。とりわけ響きのバランスは見事に統制されていて、弱音を基調にしたダイナミクスの設計も理想的。唯一、全強奏の箇所でフレーズの末尾をいちいちスタッカートで短く切り上げるのは、少々滑稽に感じられます。

 第3楽章は遅めのテンポながら、切っ先の鋭い音を着実に刻み付け、輪郭がくっきりと隈取られた印象。トリオも繊細な弱音で描写していて耳に残ります。第4楽章は肩の力が抜けていて、優美な手触り。とかく力こぶを作りがちな曲ですが、パワフル系とみなされている指揮者が、軽妙な響きで小気味の良いアンサンブルを展開するのは逆説的で面白いです。機敏でよく弾むリズム処理も効果的。オケの響きが明朗で透徹しているのも美点です。エッジは効いていて力感は充分ですが、コーダは少々淡白。

“古風な指揮ぶりがユニークながら、刺々しく派手なサウンドが全てを台無しに”

ズービン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

(録音:1980年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 当コンビは第5、8番の他、RCAに第9番も録音しています。想像は付く事ですが、とにかく音の派手な演奏と録音。高音域が爽快に抜けるのはいいですが、金管や弦のアタックは角が立ってヒステリックに響きます。鮮明な直接音と豊かな残響を両立した録音バランスはメリット。

 第1楽章は遅めのテンポで、提示部をリピート。冒頭の2和音から金管が刺々しく、荒れた響きに思わず眉をしかめてしまいます。ティンパニが古風なタイミングで打ち込んでいて、弦と合わさると巨匠風のゆったりとした間合いに感じられるのですが、ヴァイオリンのハイ・ポジションがざらついた音色で、お世辞にも美しいとは言えません。フレーズの区切りにルバートを用いる語り口は、いかにも旧世代のグランド・スタイル。レガート、テヌートも多用しています。

 第2楽章は、曲調のせいか前楽章ほど欠点が目立たず、落ち着いて聴ける感じ。停滞しないテンポ感や、中間部でやや加速するアゴーギクも好感が持てますが、ホルンの壮麗な吹奏の後、トランペットが加わる辺りからまた派手な響きに戻ってしまいます。第3楽章は中庸のテンポながら適度な推進力もある一方、H.I.P.の機敏さはありません。トリオのホルンは美感に欠け、後半に向けてまた音が荒れます。

 第4楽章は恰幅の良い響きで開始。鮮明な録音のおかげで、木管の色彩感が鮮やかに出るのは美点です。緩急は自然で、基調となる音楽性やスコアの読みにこそ問題はありませんが、スタイルが旧式なのと、オケの音色が典型的にアメリカ仕様である点で、競合盤の多いこの曲で優位を主張するには苦しい一枚。

“旧スタイルの弊害もある一方、集中力と熱気で聴かせる稀少なライヴ盤”

クラウス・テンシュテット指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:アルトゥス)

 ザルツブルク祝祭劇場でのライヴ録音で、マーラーの第10番アダージョとカップリング。ベルリン・フィルとは関係の深かったテンシュテットですが、この顔合わせは珍しく、公式な録音はこれが唯一との事。テンシュテットの同曲は、後にロンドン・フィルとの録音もあります。

 第1楽章は、冒頭のアインザッツが若干緩いですが、全体に集中力が高く、内圧の高い合奏を展開。後年のロンドン盤と比べると雄渾な力感が目立ち、アタックの激烈さが勢いと熱っぽさに繋がっています。ロンドン盤で支配的な柔らかい歌い口や優美なフレージングはここにも聴かれ、随所にオケの美点も発揮していて魅力的。節目節目に溜めを作る指揮は旧スタイルですが、細部の多彩なニュアンスのおかげで無骨な演奏には陥りません。

 第2楽章は流麗な歌に溢れ、情感たっぷり。H.I.P.の背中すら見えないスタイルですが、ベートーヴェンのスコアにロマン的情緒が内在している事も確か、と感じさせる強固な説得力もあります。オケのまろやかな音色もその印象を増強。指揮者が響きを磨き上げる事に主眼を置かない一方、オケが自然に本来の美音を発している図式でしょうか。決して荒削りではなく、描写は細部まで丹念です。気宇壮大なトゥッティも、ドイツの大指揮者らしい芸風。

 第3楽章は遅めのテンポで重厚。こういう楽章はさすがにH.I.P.に軍配が上がり、迫力はあるものの機動性は全く求められません。ほぼアタッカで突入する第4楽章も、フットワークは重いですが、随所に艶美な歌を聴かせて表情は雄弁。ライヴらしい高揚感も強く、スケールの拡大が正に壮観です。オケも熱演。

“伝統芸としてのパフォーマンス、ほとんど時代錯誤の大音響”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤン最後の全集録音から。デジタル機器で響きの透明度が増し、音色の艶やかさや柔らかな手触りが際立って感じられる印象。個別にスコアの解釈がどうこうというより、あくまで芸として聴くべき全集です。合奏は伝統と経験で成立しているようなもので、カラヤン・ブランドの大枠の中で、楽員が大まかな合意の下に取組んでいるという演奏。カラヤンのセッションでは、取り上げる曲目さえ楽員や録音スタッフに直前まで知らされていなかったと言われています(当然リハーサルは短時間になります)。

 第1楽章冒頭は金管がやや骨張り、これぞこのコンビという響き。良く言えば精悍な音です。テンポに適度な推進力があり、同じ全集でも第1、2番と較べると、作品との様式的な齟齬は少ない印象。ソロやユニゾンの音彩も美しく、音色面の魅力をふんだんに盛り込む一方、ティンパニと金管のフォルテは刺々しく、威圧的に感じられます。アタックに勢いがあり、音のエネルギー感ときびきびした音楽進行は作品にマッチ。

 第2楽章は弱音の中にもチェロやコントラバスの音圧が独特で、いかにも剛胆でアグレッシヴなベートーヴェン像。ティンパニと金管を伴うトゥッティは嵐のように凄絶で、現代の耳には場違いなほど大袈裟に響きます。そもそも指向している表現のベクトルが、ゼロ年代以降の演奏家とは全く異質。ここでは壮大で威風堂々としている事が至上命題で、旋律線も嫋々と歌われます。

 第3楽章は落ち着いたテンポながら、アインザッツの乱れあり。力みはないものの、編成が大きいのでそれなりのヴォリューム感はどうしても出ます。第4楽章は合奏のグラデーションが豊かで、オケの表現力と機能性を十二分に発揮。フォルティッシモの壮麗な響きも美しく、作品の雄渾なイメージは余す所なく描写されます。コーダの活力と動感も充分。

“オケの個性を尊重し、ゆったりとした優美な音楽を紡ぐアバド”

クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1985年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 アバド最初の全集録音から。後は86年〜88年の収録で、当曲がレコーディングの皮切りという事になります。ロマン派以降の作品では余情を排し、透徹した表現を採択する事が多い指揮者ですが、この全集は全くその逆なのが面白い所。オケの響きが美しく、各パートのパフォーマンスも滋味豊かで、味わい深いもの。逆に見れば、巨匠風の濃い表情付けは、この時点でのアバドの円熟を表してもいます。

 第1楽章は提示部をリピート。遅めのテンポと柔和な表情が特徴で、オケの個性を立てた感じ。アタックの角が取れて温和な性格で、叙情的な経過句でふわっとテンポを落とすような間合いは、旧スタイルの延長線上にあります。リズムは生き生きとしていますが、ピリオド系の極度に鋭敏な筆致とは無縁。ちょっとしたアクセントの効果や、楽章全体が優美に弧を描くようなラインの紡ぎ方は、彼ならではです。

 第2楽章も叙情性豊かで、繊細な歌が横溢する表現。強奏部もエッジを効かせすぎず、ピアニッシモで着地するやり方も上品。中間部においても悲劇性や峻厳さが突出する事なく、対位法のバランスを取りながらスコアを明瞭に照射する姿勢が、いかにもシンフォニックです。ただしアゴーギクの操作は恣意的で、むしろロマンティックな感触。

 第3楽章はゆったりと落ち着いたテンポで、これも情感たっぷり。ウィーン・フィルの音色美と伝統を心ゆくまで聴かせるスタイルは、ティーレマンの全集にも通ずるものです。中間部のホルンも柔らかくまろやかな音色で、ウィーン情緒たっぷり。

 第4楽章は導入の弦に張りがあり、ブラスのアクセントを強調するなど、急にアバドらしい鋭利さが顔を覗かせます。しかし各変奏は熟練の棒で連結され、フレーズの締めくくり方や、次の変奏に入った所でのテンポの動かし方など、たとえ旧式だとは感じても、その素晴らしさに感嘆せずにはいられません。コーダもライヴ風に熱くなったりはせず、客観性を保持。

“鮮烈なアンサンブルの中、暖かく湧き出す感興に指揮者の成熟を表す”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 セント・ルークス管弦楽団

(録音:1986年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音から。終楽章の変奏曲主題の元となった、《12のコントルダンス》という小品をカップリングしているのがこの指揮者らしいアイデア。全集を完成させたディスクですが、スケジュールの都合で当盤だけアメリカ録音で、オケも唯一イギリス室内管ではありません。T・トーマスは後にサンフランシスコ響と同曲を再録音。セント・ルークス管との録音は他に、ガーシュウィンのミュージカル2作品のセットがあります。

 同オケは79年に創設、当時まだあまり知られていなかった室内オケで、発売当初はセント・ルカ管と表記されていました。残響が比較的豊かに収録されているため、デッドだった英国録音より潤いのある音になっているのと、イギリス室内管と較べると温度感があってカラフルなサウンドと言えます。指揮者自身が全集録音の始まった78年当時より成長している事もありますが、演奏も感興が豊かで、最初から全てこのオケと録音して欲しかったくらい。

 第1楽章は提示部をリピート。きびきびとして生気に溢れ、敏感なレスポンスと鋭いリズムはこの指揮者の美点を端的に表します。H.I.P.のようにフレージングを解釈し直したり、先鋭的な響きでベートーヴェン革命を起こそうというタイプではなく、あくまでも小編成のメリット、機動性と響きの透明度を確保する事によって、スコアのディティールや骨格を浮き彫りにする事に主眼が置かれています。

 第2楽章は速めのテンポですっきりと造形。清澄な歌が流れる中、大仰な感情の衣を纏う事なく、作品本来の姿が立ち現れるような印象があります。スケール感に乏しい訳ではなく、トゥッティは力強く盛り上げていますが、当全集に共通して言える事として、T・トーマスの指揮は(本能的にか)大編成のスケールを指向する場面もあり、時に表現の齟齬が生まれていなくもありません。

 第3楽章は、小編成ならではのフットワークが生きた表現。トリオと主部の性格的描き分けも、T・トーマスの得意とする所です。特にユニークなのはフィナーレで、楽想の変化を巧みに描写する指揮者の棒は、弦のプルト数をさらに減らして室内楽のように聴かせる変奏もあったり、随所に才気を発揮しています。一方、終盤に向かってホットな感興を高めてゆく所など、これ以前のT・トーマスには聴かれなかった要素も加わり、当時は指揮者の円熟を感じた一枚でした。

“古典的なフォルムの中に、鋭敏な感性とオケの古雅な音色を盛り込む”

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1987年  レーベル:フィリップス) 

 全集録音から。古典的造形の中に現代的な鋭さと古雅な響きを同居させた、美しい演奏です。第1楽章は、筋骨隆々の逞しい表現ではありませんが、歯切れの良いリズムと緊密なアンサンブルが適度な緊張感を産み、しなやかな歌が全体を彩ります。自然体で過不足がなく、繰り返し聴くには飽きがこなくて良いかもしれません。タッチが実に優雅かつ柔らかで、コクと深み、そこはかとない明朗さが漂うコンセルトヘボウ・サウンドも健在。最後の和音連打も、さりげないほど軽く処理しています。

 第2楽章も大仰にならず、客観性を保った表現。響きがよく整理されているせいもありますが、小編成のような機動力を備えていて、必要以上にスケールを拡大しない所が良いです。厳粛な悲劇性は皆無で、ほの明るいソノリティと雅致に富んだ上品な語調がハイティンク流。第3楽章は遅めのテンポで落ち着いた佇まい。リズムの刻み方はやや杓子定規で、トリオもイン・テンポで突入します。ホルンも慎ましやかで、控えめなパフォーマンス。

 フィナーレもゆったりとした足取りながら、画然たるアンサンブルに感覚的な鋭さが表れており、前時代的なベートーヴェン像とは一線を画します。柔らかな響きをまといながらもインナー・マッスルがぴしっと引き締まっている感じが、当コンビの強みといえるでしょう。弱音部での豊かな叙情性や温もりを感じさせる音色も秀逸で、エンディングも誠に優美。奇をてらった所はありませんが、古臭い表現に陥らず、常にフレッシュな生気に溢れているのがこの指揮者の美点です。

“勢いのある快速テンポで、強い意志を持って前に突き進む凛々しい演奏”

ニコラウス・アーノンクール指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

(録音:1990年  レーベル:テルデック)

 ライヴによる全集録音から。モダン楽器H.I.P.の全集ですが、残響が豊富である種の柔らかさも感じさせる録音です。唯一難を言えば、低音域の軽さがやや気になる感じでしょうか。

 第1楽章は提示部をリピート。快速テンポで非常な勢いがあります。鋭く、やや音の汚いアタックを随所に盛り込む一方、テヌートを多用するので流線型のフォルムにも聴こえるのがユニーク。切れの良いスタッカートとねっとり粘る歌い口を対比させるのは、この全集に共通の傾向です。険しい展開部を果敢に乗り越えようとする推進力が実に凛々しく、その勢いを保ってコーダまで疾走。

 第2楽章も速めのテンポで、前へ前へと歩を進める意志の強い演奏。ディティールが鮮やかで、解像度の高さも耳を惹きます。管のクレッシェンドに弱音器を用いるのは独特で、雰囲気で流さず、常に覚醒した意識でスコアを隈無く解釈しきっているのもアーノンクール流。またストレートな力感と語り口が、あちこちで鮮烈な効果を生んでいます。

 第3楽章は、今の耳にはむしろ穏当な表現ですが、雑味のある響きと軋みを上げる合奏に幾分かの野趣が感じられます。第4楽章は冴え冴えとした硬質な筆致で描写され、ラインが錯綜する局面ではそれが効果を発揮する一方、刺々しさも耳につきます。しなやかな歌はあちこちに聴かれ、高揚感もありますが、表現の面白味が内的感動にうまく繋がらないのは、アーノンクールの演奏に共通する特質と言えるでしょうか。

“のんびりとして柔和な外面と、冷静で客観的な内面のモダンな同居”

コリン・デイヴィス指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1991年  レーベル:フィリップス)

 全集録音から。《エグモント》序曲と共に最初に録音されて単発で国内盤も出た音源で、モーツァルトの交響曲集に続くプロジェクトとしても注目を集めました。演奏はモーツァルトのそれに輪をかけて重厚なスタイルですが、純ドイツ風ではなく、ジュリーニの流儀とも違い、あくまで音符の克明な処理から来るモダンな音楽性に基づくのがこの指揮者のユニークな点です。 

 第1楽章は提示部をリピート。テンポが遅く、ゆったりとした間合いに柔和なアタックを用いるのが特徴で、ともすればこの曲の雄渾な性格とは相反する表現です。特に音の着地には意図的な重みがあり、良く言えば丁寧に描写されていますが、情緒面は淡白で、冷静に響きを整えてゆく趣。正確無比のリズムを着実に刻む一方、オケが豊かなニュアンスを盛り込んでいて無味乾燥には陥らないのはさすがです。デイヴィスはむしろ、そこまで計算に入れているのかもしれません。

 第2楽章は、もともとテンポの遅い演奏が多いのでさほどとは感じませんが、発音のタイミングにも随所に溜めを作っています。ただ、音圧がさほど高くないのと、感情面が常に一定の客観性を保つ点はやはりユニーク。デイヴィスの演奏であればこそ、もう少し剛毅な力感と内的燃焼が欲しくなりますが、これが彼のベートーヴェン像なのでしょう。各パートの歌い回しは実に優美。

 第3楽章ものんびりとしていて、鮮烈なメリハリや覇気には欠けますが、感興豊かに歌う管楽セクションは魅力的。トリオのホルンなど、深々とした響きと小気味好いリズム感が素晴らしいです。第4楽章はこのスタイルの魅力がやっと前面に出てきて、たっぷりとした呼吸で歌われる各フレーズに、しみじみとした味わいが漂います。ただし、いかなる瞬間も徹底して緻密なアーティキュレーション描写と緊密な合奏、てこでも動かない精確なテンポ・キープはデイヴィス流。

“単発のアメリカ録音ながら、旧ドレスデン盤を遥かに凌駕する超名演”

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 サンフランシスコ交響楽団

(録音:1991年  レーベル:デッカ)

 第1番とカップリング。ブロムシュテットは、過去にシュターツカペレ・ドレスデンと、後にゲヴァントハウス管と全集録音を行っています。要するに彼は世界最古の二大名門オケと全集を完成させた訳ですが、アメリカのセカンド・クラスのオケを振った当盤は、カップリング曲と共に旧ドレスデン盤を軽く凌駕する超名演。柔らな手触りと暖かみのある明朗なサウンドが魅力で、各パートの表現力も素晴らしいです。

 第1楽章は必要以上に壮大さを目指したり、無理して力こぶを作ったりせず、パンチの効いた俊敏な合奏で造形をタイトに引き締めた好演。表情が豊かで、響きにコクと味わいがある一方、アタックが鋭利で勢いが良く、アーティキュレーションやダイナミクスの精度も徹底されています。一音も聴き逃さない集中力も窺わせる一方、決して神経質にはならず、自然な感興の発露と愉悦感が横溢しているのが素晴らしいです。

 第2楽章も描写が極めて精細で、解像度の高さが圧倒的。中間部の木管の旋律など、しみじみとした叙情の表出には得も言われぬ味わいがあり、律儀一辺倒の演奏ではないのも瞠目すべき点です。フーガ部における響きの立体感、情感の濃さ、気宇の大きさも聴き所。第3楽章は合奏がよく統率されてフットワークが軽く、歯切れの良いスタッカートと共に、整然とした佇まいです。それでいて含蓄が豊富で、トリオのホルンが入って来る呼吸も絶妙。

 第4楽章も序奏から変奏曲に移る間合いが素晴らしく、豊かな音楽性を窺わせます。変奏曲のデュナーミク、アゴーギクはまるで室内楽のような一体感で、ごく自然に表出されていて全く見事。テンポはかなり揺らしていて、そこはロマンティックなスタイルではありますが、覚醒した意識で輪郭が明瞭に保たれているため、情に溺れる箇所がないのがブロムシュテットらしい所。後半の高揚感も充分です。

“意外に正攻法で柔和。落ち着いた佇まいながら、充実した手応えあり”

クラウス・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:EMIクラシックス)

 ライヴ収録。当コンビのベートーヴェンは他に第6、8番、序曲集と、テンシュテットにはウィーン・フィルと同曲を演奏したザルツブルグ・ライヴ、コンセルトヘボウ管&チョンとのヴァイオリン協奏曲の録音もあります。

 第1楽章は中庸のテンポながら、間合いがゆったりしていてアタックもソフト。ふくらみがあって優美な気品も漂うフレージングは、いわゆる純ドイツ風の男性的な表現と対局です。ホルンが入るトゥッティは英国風のソノリティですが、弦や木管は柔らかい感触。時折ルバートで句読点を打つ傾向はありますが、無理のないテンポ運びで、力みも感じられません。音価を長めにとったアーティキュレーションも、スムーズで流麗な印象です。展開部では、力強さとスケール感を十分に表出。

 第2楽章は適度な推進力を維持し、流れを停滞させません。各パートが多彩なニュアンスでよく歌う一方、大きく構えた所がなく、さりげない佇まい。経過句でテヌートを強調する箇所があり、感興豊かに盛り上げる中間部も、やはりソステヌートの語調が効果を上げています。第3楽章は遅めのテンポで、舞曲の性格を表出。情感が豊かで、どの音符もたっぷりと鳴り切っているのは、ピリオド系の演奏にない良さだと思います。

 第4楽章は無理のないゆったりとしたテンポで、正攻法の堂々たるパフォーマンス。雑な箇所がなく、多様なニュアンスに富む他、デュナーミク、アゴーギクも堂に入り、フレージングの呼吸も自然。ライヴらしい感興の高まりも見事で、大きく盛り上げています。意外性やハッタリはないものの、充実した手応えを感じさせる好演。

“さらにテンポが遅くなった再録音。鷹揚な魅力の一方、さすがに弛緩しすぎの感も”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1992年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 交響曲選集の一枚。ロス・フィルとの旧盤から14年後の再録音ですが、テンポはさらに遅くなり、第1楽章の演奏タイムはゆうに21分以上に達しています。音響がデッドなスカラ座の劇場で収録されていますが、ソニーのスタッフは幾分か残響音を確保し、聴きやすい音質に仕上げています。左右の広がり、分離も良く、直接音も明瞭。

 第1楽章はテヌートが目立つ造形で、木管ソロの受け渡しや経過句のソフトなタッチなど、何ともいえず優美。スケール雄大で落ち着いていますが、流れは悪くありません。展開部も骨太で、細部まで克明。無用な力みがなく、やや鷹揚な性格ですが、かつてジュリーニの美点だった、もう少しぴりっとした峻烈さは失われてしまいました。フレーズはなべてたっぷりと歌われます。

 第2楽章は優しい手触りで、葬送行進曲の暗さより明朗さが勝る印象。ティンパニを伴うトゥッティも穏やかで、弱音部との対比をさほど強調しません。第3楽章もスロー・ペースでのんびり。トリオのホルンも、ひたすら柔らかなタッチです。第4楽章はどの変奏もゆったりと無理なく歌われ、フレージングが伸びやか。叙情性たっぷりで、全編に得も言われぬ気品が漂いますが、演奏全体としてはやや弛緩した印象もあり、名演の多いこの曲の中で太鼓判を押すには苦しいかも。

“柔和なタッチで優美に造形する一方、さりげなく熟練の技を盛り込む”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1993年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音から。ライヴとセッションが混在する全集で、当盤は後者です。残響をたっぷりと取り入れ、このオケ、このホールらしい豊麗さ、柔らかさが存分に表現された録音。演奏のコンセプトは作品によって異なり、剛毅で鋭敏なものもあれば、柔和で優美なものもあって、一概には括れません。当曲は意外にも後者の方。

 第1楽章は遅めのテンポでオケをたっぷりと響かせ、かなりロマンティック。全集中でも特にアタックが柔らかく、語尾をすうっと引き延ばす傾向があり、サヴァリッシュは優美で抒情的な音楽と捉えているようです。輪郭はくっきりと切り出され、細部を丹念に彫琢するのもこの指揮者のスタイル。みずみずしくふっくらとした響き、ニュアンス豊富な各パートの歌い回しは、オケの美質と言えます。コーダに向かって自然に高揚しつつも、力感を強調しない、気宇の大きな表現。

 第2楽章もスローなテンポの中に、ダイナミクス、アーティキュレーションの緻密な描き分けを施してゆく、実に丹念な指揮ぶり。展開部も含めて力で押す所がなく、無用にスケールを拡大しない造形センスは好感が持てます。また各部の連結、全体の見通しと流れの良さに職人的な手腕が表れていて、私のような一般リスナーにはなかなか分からない練達のテクニックも隠されていそうです。情感も豊か。

 第3楽章は非常に速いテンポですが、編成が大きい事もあってか、H.I.P.の敏捷さはない感じ。それでも合奏の一体感は強く、緊密なまとまりは維持されます。リズムの鋭さ、立ち上がりのスピード感も十分。トリオのホルンは深々と響きますが、俊敏なリズム感が痛快です。第4楽章もきびきびと開始。変奏曲も、アタックの瞬発力や歯切れの良さが耳を惹きます。設計が見事で、高い集中力と疾走感をキープしますが、コーダではまた前半2楽章の柔和なタッチが戻ってきます。

“正攻法のアプローチながら、ディティールとテンポの振幅を拡大”

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1993年  レーベル:ヘリコン・クラシックス)

 オケの自主レーベルから出たライヴ録音で、ラヴェルの《高雅で感傷的なワルツ》とカップリング。シノーポリはベートーヴェンの録音に消極的で、交響曲はシュターツカペレ・ドレスデンとの第9しかありませんでした。イスラエル・フィルとの共演も珍しく、商業録音はありませんが、映像ではブラームスの第2交響曲他のライヴがDVDで発売されています。デッドな残響ながら鮮明な録音は、このレーベルに共通。

 シノーポリと聞いて想像する個性的な演奏ではなく、旧来の大編成スタイルを踏襲した、ひたすら正攻法のアプローチ。テンポは遅めでスケールが大きく、アゴーギクも振幅が大きく取られています。ピリオド奏法など聞いた事もないといった風情ですが、どこか自身のベートーヴェン像を明確に掴みきれていない感触もあり、本格的にレコーディングしてこなかった理由が分かるような気がします(ドレスデンでの第9も、祝祭イベントのライヴ録音でした)。

 第1楽章はリピートなしですが、テンポがゆったりしている上にアタックが柔らかく、全体にのんびりした雰囲気。弱音部では特にテンポが落ち、優美なフレージングが支配的です。シノーポリらしい熱っぽさや部分的なデフォルメ、奇抜なテンポ設定は一切なし。第2楽章も重厚ながら流れが良く、アーティキュレーションのなぞり方が実に丁寧。ディティールを丹念に掘り起こすという点では、シノーポリらしい演奏と言えるかもしれません。演奏のクオリティも高いです。

 第3楽章は軽快なテンポながら、必要以上にスタッカートを用いず、流れの良さが前に出た印象。トゥッティに体当たり的な勢いがあるのはシノーポリ流と言えるでしょうか。フィナーレも冒頭からたっぷりとした響き。主部も、悠々と盛り上げてゆく巨匠風の表現です。コーダは一転して速めのテンポで駆け抜けますが、デッサンがあまりスマートでなく、造形的にゴツゴツするのはこの指揮者らしい所。こういう部分では逆に流れの良さを追求しないというのも、ある意味ユニークです。

“スコアを完全に掌握し、素晴らしいオケを得て、独自の境地に達するバレンボイム”

ダニエル・バレンボイム指揮 シュターツカペレ・ベルリン

(録音:1999年  レーベル:テルデック)

 全集録音から。この全集はどの曲もクオリティの高い名演ばかりで、オケの響きの素晴らしさにも驚かされます。どっしりとした低音を基礎とするサウンドはドイツ的と言えなくもありませんが、その響きは明るく透明で、しなやかなカンタービレと艶めいた光沢感はむしろラテン的。大変耳に心地良いものです。

 第1楽章は落ち着いた遅めのテンポで、提示部をリピートしているので演奏時間が19分台に達しています。ただ、アゴーギクに自在な呼吸感があり、リズムも鋭敏で溌剌と弾むので、大家風の重厚な演奏ではありません。弦や木管の鮮やかな音彩も魅力的ですが、トゥッティのシンフォニックな響きは骨太で充実しきっていて、ある種の理想的なオーケストラ・サウンドが朗々と鳴り響く快感があります。

 第2楽章も、ディティールに至るまでスコアを完全に掌中に収めた表現。ホルンの壮麗な響きを前面に押し出した有機的なソノリティ、対位法に留意した立体的音響、気宇の大きな起伏の作り方と、どれをとっても円熟の技という他ありません。

 スピーディなテンポできびきびと音楽を運ぶ第3楽章、適切な様式感覚を元に見事なクライマックスを築きあげるフィナーレも、やはり隅々まで手の内に入った表現という印象を受けます。前時代風のロマンティックなアプローチでもなく、H.I.P.でもなく、そういったスタイルの問題を超越した独自の境地にバレンボイムという人はいるかもしれません。正に至芸。

 → 後半リストへ続く

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