オルフ/世俗カンタータ《カルミナ・ブラーナ》

概観

 オルフは他にもカンタータや歌劇をたくさん書いているのに、この曲だけが断トツに有名。何と言っても冒頭の《おお運命よ》のインパクトが強烈なので、TV番組のBGMにもよく使われている。オルフ特有のオスティナート・リズムというのは、ロックやポップスに繋がってゆく概念だと思うが、クラブのフロアでこの曲を使うDJが出て来る時代になったとは驚きだ。

 私がこの曲を初めて聴いたのは、小学生の時だった。長寿番組《題名のない音楽会》がこの曲の特集をしていたのだが、《怒りに心収まらず》など数曲が演奏され、「なんちゅう面白い曲があるんや!」とびっくり。一緒に見ていた父も同様に感じたらしく、その日の内に父に連れられてレコード屋さんに行った(ちなみに購入したのはムーティ盤)。

 後に宝塚歌劇の本拠地、宝塚大劇場の特別演奏会で大阪フィル(確か外山雄三指揮だったと思う)がこの曲を取りあげた為、これも父に連れられて聴きに行った。

 80年代辺りから様々な指揮者が録音して人気曲になったが、今では学生が吹奏楽版を演奏しているそうな。個人的には、鮮烈なまでにショッキングだったT・トーマス盤を推したいが、他ではシャイー、レヴァイン、ブロムシュテット盤がお薦め。小澤やメータ、ティーレマンといった人気指揮者の各盤がどうも冴えない一方、超マイナーな指揮者デローグがとんでもない名演を残しているのも面白い現象。

*紹介ディスク一覧

58年 ストコフスキー/ヒューストン交響楽団

69年 小澤征爾/ボストン交響楽団

74年 T・トーマス/クリーヴランド管弦楽団

76年 ドラティ/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団  

79年 ムーティ/フィルハーモニア管弦楽団

80年 マータ/ロンドン交響楽団

83年 シャイー/ベルリン放送交響楽団

84年 レヴァイン/シカゴ交響楽団  

88年 小澤征爾/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

90年 ブロムシュテット/サンフランシスコ交響楽団  

92年 メータ/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

93年 プレヴィン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

95年 デローグ/プラハ交響楽団 

96年 デュトワ/モントリオール交響楽団   

98年 ティーレマン/ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団  

04年 ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

10年 ハーディング/バイエルン放送交響楽団  

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“随所に細工は見られるが、意外に淡白で軽妙なストコフスキー”

レオポルド・ストコフスキー指揮 ヒューストン交響楽団

 ヒューストン合唱団・青少年合唱団

 ヴァージニア・バビキアン(S) ガイ・ガードナー(Br) クライド・ヘイガー(T)

(録音:1958年  レーベル:EMIクラシックス)

 この時代は、まだ当曲のレコードも珍しかったのではないかと思いますが、ストコフスキー唯一の、しかも状態の良いステレオ録音が残っているのは幸いです。演奏は、彼にしてはノーマルな部類に入るものですが、3回リピートで構成されているナンバーを全て2回リピートに省略している他、勝手に全休止を挟んだり、アタッカで繋げたり、独自の細工はあちこちに見られます。

 まず、小節ごとに音を短く切った淡白なオープニングが印象的。オケもまるで小編成のように控えめな響きで、主部に入ると、これも速いテンポでリズミカルに進行。この曲には珍しいくらい軽妙な演奏になっています。歯切れが良く、覇気が感じられる一方、スケール感には不足しがちですが、デュナーミク、アゴーギクに関しては、相当自由に細かい表情付けを行っていて、やはりストコ節は健在。概してソリスト達が、濃いめの表情でロマンティックに歌っているのも面白い所です。

“真面目&几帳面を地でゆく若き日のオザワ、ボストン響との初録音盤”

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団

 ニューイングランド音楽院合唱団・少年合唱団

 イヴリン・マンダク(S) シェリル・ミルンズ(Br) スタンリー・コーク(T

(録音:1969年  レーベル:RCA)

 タングルウッド音楽祭の音楽監督に就任する1年前、若き小澤がたった1日のセッションで収録した、ボストン響との記念すべき初録音。若き日のミルンズが独唱に加わっている点も、注目されます。ホールトーンがややデッドで、コーラス、オケ共編成があまり大きくないように聴こえるため、全体にサウンドも軽い印象。

 小澤の棒は実に丁寧で、良くも悪くも生真面目。リズムを画然と刻み、ディティールを克明に掘り起こし、合唱に至るまでアーティキュレーションも発音も徹底。解像度の高いリズムには無類の切れ味がありますが、強いアタックや刺激的なアクセントは避けられており、全体にマイルドなタッチです。終始落ち着いた、冷静な風情には、若い指揮者らしからぬ貫禄もあり。

 《春に》の冒頭や《輪舞》など、かなり遅めのテンポを採る曲もある他、弱音部でもコーラスを明瞭な発音でフィーチャーしていて、ダイナミック・レンジはさほど大きくありません。《怒りに心収まらず》も、スローなテンポで細かい音符をきっちり処理。ミルンズの歌唱は冴え冴えとした声で音程も正確ながら、美声で酔わせるタイプではない感じ。ニュアンスが豊かで、叙情的な間の取り方など表現力で聴かせます。テノールも同傾向で、同じ歌手が高音域で歌っているみたいに聴こえますが、ユーモアやデフォルメは一切なし。ソプラノも丹念な歌いぶりですが、一部ピッチが揺れるようでやや不安定です。

“驚異的なサウンドで世界を震撼させた、T・トーマスの名盤”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 クリーヴランド管弦楽団・合唱団・児童合唱団

 ジュディス・ブレゲン(S) ピーター・ビンダー(Br) ケネス・リーゲル(T)

(録音:1974年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 鬼才T・トーマスによるCBSへの最初期のディスクで、クリーヴランド管との唯一の録音。私は大阪のある大型店でこのLPを見つけたのだが、ボッスの『快楽の園』を使ったジャケットに、赤を基調としたド派手な帯、少年みたいな顔をした若い指揮者の写真に度肝を抜かれ、クラシックには珍しい“ジャケ買い”をしてしまった。帯のコピーも、「ビルボード誌クラシック・チャート3ヶ月連続1位。誰もが予想だに出来なかった“新しいカルミナ”が驚異的なサウンドで日本に上陸」と何やら扇情的。

 聴くと、これはもう総天然色のカルミナ・ブラーナというか、今まで二次元のモノクロで見ていた世界が、一気に3Dカラーで立ち現れたような衝撃があった。オーケストレーションの斬新な生かし方や抜群のリズム感、フレーズの表情の豊かさ、アゴーギクの自由度など、全てが現代的で、鮮やかで、その面白さにのめり込んだ私は、本当に溝が擦り切れるくらい何度も聴いたものである。

 オケの演奏力も全く見事なものだが、歌唱陣の充実ぶりも目を見張る。特にピーター・ビンダーは芸達者な人で、《我は大僧正様》などアドリブ風の巧妙な歌唱が素晴らしく、まるで本物の酔っぱらいみたい。ただ、当時CBSが行っていたSQ4チャンネル録音は、CD化の際に全体がブレンドするようにリミックスしているのが不満。ブーレーズのドビュッシーなどもそうだが、LPの時の面白さが半減していて残念。

 プロデューサーのアンドリュー・カズディンによる録音ノートは、初CD化の時にもちゃんと付いていて安心した。その後の再発売も同様である事を祈る。大袈裟な記述が得意な人なので、彼の録音記は大抵面白い。いわく、「疲れを知らぬティルソン・トーマスは、6000フィートに広がっている演奏者達のちょうど中央に置いてある指揮台から、身の毛のよだつような演奏を指揮した」。

 

“オラトリオの趣も感じさせつつ、即興的な間合いで雄弁に演出するドラティの棒”

アンタル・ドラティ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

 ブライトン・フェスティヴァル合唱団、サウスエンド少年合唱団

 ノーマ・バロウズ(S) ジョン・シャーリー=カーク(Br) ルイス・デヴォス(T)

(録音:1976年  レーベル:デッカ)

 ドラティのあまり知られていないオルフ録音で、フェイズ4の技術を適用。ジャケット裏の写真を見ると、やはり大規模なレコーディングだったようだが、一部のアインザッツの乱れを除いては、合唱も含めてアンサンブルの一体感は保たれている。金管は英国の団体らしく壮麗な音色だが、残響が豊かでタッチも柔らかく、刺々しくならないのは美点。

 第1曲は冒頭を遅めのテンポで雄大に開始し、主部を速めのテンポで軽快に進行。全体にスケール感が大きい上、フレーズの扱いなど上品で格調が高く、どこかオラトリオのような趣。その後もテンポにあちこち落差を付けている他、見栄を切るようなルバートによるフレーズの強調、スコアにない間やフェルマータの挿入などが随所にあり、かなり恣意的な解釈を適用。ドラティらしい即物的でストレートな表現とは違って、80年代以降のデトロイト時代を予見させる老練な語り口が面白い。

 ソロはバロウズ、シャーリー=カークと、当時の英国が誇る実力派の歌唱陣を動員。シャーリー=カークは遊び心や茶目っ気もある自由なスタイルで、聴いていて新鮮な発見が促される一方、声を張る箇所では気宇の大きさも感じさせるのがさすが。

 ブライトン祝祭合唱団は、同時期にハイドンのオラトリオ・シリーズでも歌っていて、指揮者・オケとは気心が知れた様子。即興的な間合いで進行する指揮者の棒にぴたりと付けていて、サウスエンドの少年コーラス共々、細かなアーティキュレーションまで表現が徹底している印象。

“スケール大きく、鮮烈な迫力が印象的なオープニング”

リッカルド・ムーティ指揮 フィルハーモニア管弦楽団・合唱団

 サウスエンド少年合唱団

 アーリン・オージェ(S) ジョナサン・サマーズ(Br) ヨーン・ファン・ケステレン(T

(録音:1979年  レーベル:EMIクラシックス) 

 私が初めて聴いた当曲のレコードが、このムーティ盤。80年代初頭までは当盤とヨッフム盤、T・トーマス盤がレコード芸術誌の名盤ランキングで上位を占めていた記憶がある。

 色彩的なオーケストレーションよりもマッシヴな響きの峻厳さで聴かせる、ムーティらしい演奏。名歌手オージェの起用も目を惹くが、正統派の歌唱で抜きん出た存在感はない。ティンパニの激烈な打ちこみと遅いテンポでスケール大きく盛り上げる《おお運命よ》は、今きいても新鮮な迫力を感じるが、続く《うつくしき春》は通常考えられないような最弱音の世界に終始するなど、大胆なコントラストもあり。

 猛スピードの《怒りに心収まらず》や、《焙られた白鳥の歌》におけるファゴット・ソロのグリッサンドと、オフビートな即興風のテンポなど、ドラマティックな演出もあり。《世界が我が物になるとも》をはじめ、リズム感の良さも美点。全体にスピーディなテンポできびきびと音楽を運ぶナンバーが多く、表情も隅々まで明快だが、どちらかと言えばオーソドックスな部類に入る演奏。

“マータらしい独自の視点と、実力派歌手の好演がききもの”

エドゥアルド・マータ指揮 ロンドン交響楽団・合唱団

 ロンドン・セントポール寺院少年合唱団

 バーバラ・ヘンドリックス(S) ホーカン・ハーゲゴード(Br) ジョン・アリアー(T)

(録音:1980年  レーベル:RCA)

 マータの人気が少しばかり出はじめた頃の録音で、私は好んでよく聴いていた。ロンドン響は、彼がダラス以外での録音によく使っていたオケだが、いかんせんキャラクター性に欠けるきらいがある。機能的にはロンドンの方が数倍上なのだろうが、当盤にも手兵のダラス響を起用していてくれたらと、残念に思わずにはいられない。

 異様に遅いテンポで開始される冒頭からマータ節炸裂で、テンポの設定やリズムのニュアンスにおいても、平素聴き慣れないようなアプローチを採る箇所が多い。続く《運命は傷付ける》もかなり遅めのテンポを採るかと思えば、《うつくしき春》は速いテンポでぐいぐい音楽を引っ張って予測不能。《踊り》のはつらつとしたリズム、《気高き森》における落差の大きなアゴーギクと考え抜かれたフレージング、変化に富むアーティキュレーションも独特。

 《輪舞》などはかなり切迫したテンポをとっているが、いわゆる“爆演指揮者”とは違って、マータの場合は演奏に粗雑さがないし、随所に見られる個性的な解釈も、あくまで知的に考えられた上での表現という感じがする。特に、リズムと音感に対する研ぎすまされたセンスは、全編に冴え渡る。

 合唱にも手を抜かず、強弱や表情付けにマータ節を徹底。《春の訪れ》の3回目のコーラスをソステヌートで歌う所などはその一例。ヘンドリックス、ハーゲゴードといった実力派歌手も好演。特に後者は、《太陽は全てをいたわる》の柔らかく表情豊かな歌い口、《怒りに心収まらず》のオケ共々オペラ並みにドラマティックな表現など、聴き所が多い。テノールも奇を衒わず、まろやかさと力強さを両立。

“響きの前衛性に光を当て、野卑なエネルギーをも放出する楽しい演奏”

リッカルド・シャイー指揮 ベルリン放送交響楽団・合唱団

 ベルリン国立大聖堂少年合唱団

 シルヴィア・グリーンバーグ(S) スティーヴン・ロバーツ(Br) ジェイムズ・ボウマン(C-T)

(録音:1983年  レーベル:デッカ)

 まだデビューして間もない頃のシャイーの話題盤。当時の彼はまだ二十代後半の若さで、ベルリン放送響との録音もぼちぼち出はじめた頃だったと思います。

 冒頭の《おお運命よ》から、メリハリの効いたダイナミックな表現が耳を捉えますが、この部分の造形が、同じイタリア人のムーティ盤と酷似しているのは面白い所です。シャイーは、打楽器を中心に、オーケストレーションのアヴァンギャルドさに光を当てていて、作品の野卑なエネルギーをうまく抽出した楽しい演奏だと言えます。又、アーティキュレーションの解釈がユニークで、スタッカートを多用してフレーズの造形を見直している箇所も多々あり。ナンバーによっては、速めのテンポで緊迫感を煽り、スピードと勢いを強調する傾向もあります。

 コーラスにもコントロールが行き届いていて、《ブランツィフロールとヘレナ》の尋常ならざる迫力と、雄大な盛り上げ方には圧倒されます。ソリストは並といった所で強い個性はないですが、バリトンはヴィブラート過剰でやや音程感が不安定。カウンター・テナーによる《焙られた白鳥の歌》は、妙に柔らかい感触があって独特の雰囲気です。

“この生命力、このドラマ性! オペラ指揮者レヴァインの底力を見せつける驚異的名演!”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 シカゴ交響楽団・合唱団

 グレン・エリン児童合唱団

 ジューン・アンダーソン(S) ベルント・ヴァイクル(Br) フィリップ・クリーチ(T)

(録音:1984年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 これは凄い演奏です。オペラの名手レヴァインらしく声楽の扱いが充実していて、まず合唱のレヴェルが高いのに驚かされますし、独唱曲も全てのナンバーに巧妙な演出力が光り、通して聴くとまるでオペラを鑑賞したかのような手応えと充足感が残ります。ドラマティックという事では類をみない“カルミナ”。

 冒頭からスケールが大きく、気迫に満ちたレヴァインの棒は、作品に内在する活力を余す所なく捉えきり、第一部《春に》《草の上で》に横溢する生命力の豊かさは、作品の本質にかつてないほど肉迫した表現。一方、ディティールの彫琢にもこだわり抜き、コーラスの語尾や細かい音符に至るまで、アクセントや強弱、音の長さなどアーティキュレーションの描き分けを徹底して追求しています。

 又、独唱ナンバーではしばしば極端に遅いテンポを採用。歌手の呼吸に合わせて即興的にテンポを揺らしながら、濃密な表現を作り上げてゆく様は圧巻です。ヴァイクルをはじめ、独唱陣もオペラティックな感情表現を盛り込んだ歌唱で、聴き応え満点。シカゴ響ほどの名技集団を起用しながら、声楽の存在感で聴かせるこの贅沢なディスク、まずは当作品の座右に置きたい驚異的名盤と言えるでしょう。色彩感豊かな録音も鮮烈。

“豪華歌手陣、アマチュア合唱団の起用で話題を呼ぶも、指揮者の真面目さが出て地味な仕上がり”

小澤征爾指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽

 晋友会合唱団、ベルリン国立大聖堂少年合唱団

 エディタ・グルベローヴァ(S) トーマス・ハンプソン(Br) ジョン・エイラー(T)

(録音:1988年  レーベル:フィリップス)

 小澤は60年代にボストン響と同曲を録音している他、当盤のライヴ映像も発売されています。アマチュア団体である晋友会合唱団がコーラスを担当し、オケや関係者、聴衆の度肝を抜いたといういわく付きの演奏会。指揮者のアプローチ自体はてらいのない率直なもので、テンポもあまり動かさず、時に武骨な印象すら受けますが、冒頭曲では音量が上がる所で若干テンポを上げるのはユニークな効果。リズムの切れ味は鋭く、オスティナートも丁寧に処理しています。ただ、色彩的派手さはなく、オーケストレーションの面白さがもっと前面に出ると良かったかもしれません。

 録音があまりディティールを拾わないせいもあり、どちらかというと声楽が主役という演奏ですが、合唱の中から響いてくる底力に満ちたリッチ感のあるサウンドはさすがベルリン・フィル。打楽器のアクセントも迫力満点で、小澤&ベルリン・フィルの美質でもある、剛胆な腰の強さと熱いテンションはここでも健在。特に指揮者のリズム感の良さ、大曲を緊密にまとめる才はよく出ています。

 豪華歌手陣ではグルベローヴァが好印象で、美しい声に思わず聴き惚れます。ラストの短いアリアも驚愕の最弱音を聴かせる圧巻のパフォーマンス。ハンプソンはオペラやミュージカル系作品も得意にしている人ですが、意外に演劇的要素の薄い、手堅い表現で一貫。エイラーの一曲も、デフォルメ一切なしの端正な歌唱です。良く言えばバランスが良いというか、全体のクオリティは高いのですが、特定の要素を強調しない、いわば指揮者の真面目さが表に出た演奏という感じ。

“鋭敏なリズムで造形を明確に打ち出しながら、随所に個性的な解釈を挿入”

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 サンフランシスコ交響楽団・合唱団

 サンフランシスコ少年合唱団・少女合唱団

 リン・ドーソン(S) ケヴィン・マクミリアン(Br) ジョン・ダニエッキ(T)

(録音:1990年  レーベル:デッカ)

 ブロムシュテット唯一のオルフ録音。非常にこの人らしい、リズムを明確に打ち出し、きりりと引き締まった造形を切り出した剛毅な演奏。アンサンブルを完璧に統率し、あらゆるフレーズを明瞭に隈取るその手腕は驚異的と感じられますが、それでも辛口に過ぎないのは、柔らかな弾力と暖かみのあるオケのソノリティゆえでしょうか。

 《おお運命よ》も《運命は傷つける》も、これほどシャープにリズムとアクセントを際立たせ、細部を克明に処理した演奏は稀かもしれません。前者最後のフェルマータはかなり長めに伸ばしますが、ラストにもう一度演奏される際はさらに長く延長して壮大。《うつくしき春》も後奏の木管のフレーズをスタッカートで切って歌わせるため、音楽全体のフォーカスが一切ぼやけません。《春の訪れ》もテンポ変化の演出が巧みで、ソステヌートと切れ味の鋭いリズムを強調気味に対比させて生彩に富む語り口。

 全体に個性的な表情を付けている箇所が目立ち、《輪舞》の前半部でよたよたと千鳥足のようにテンポを揺らしたり、《焙られた白鳥の歌》のファゴットにグリッサンド気味のスラーを適用するなど、ユニークな解釈が随所に聴かれます。《楽しい季節》などの弾むような調子が特徴的なリズム感も、作品にふさわしいもの。合唱曲も得意な指揮者だけあって、コーラスのコントロールにも意志が徹底しています。

 マクミリアンは細身の精悍な声質で、オペラ風のロマンティックなスタイルが持ち味。最初の《太陽は全てをいたわる》から繰り返しの部分でテンポを伸縮させ、即興的に歌っていて驚きます。《怒りに心収まらず》も変化に富んだ表情がオペラティック。ドーソンも美しい声で、やはりたっぷり間合いを取って感情的に歌うタイプ。唯一テノールのダニエッキは、生真面目な感じの歌唱です。

“スマートな表現を指向するメータに物足りなさも…”

ズービン・メータ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団・合唱団

 サウスエンド少年合唱団

 スミ・ジョー(S) ボー・スコウフス(Br) ヨッヘン・コヴァルスキ(C-T)

(録音:1992年  レーベル:テルデック)

 メータとロンドン・フィルによる録音は珍しく、オペラ以外では他にないのではないでしょうか。この指揮者と《カルミナ・ブラーナ》というのも、ちょっと意外というか、私の頭の中ではあまり結びつかなかった組み合わせです。歌唱陣は面白いキャスティングですが、指揮者の表現の方向性もあるのか、今一つインパクト不足。スコウフスはメータのシカゴ交響楽団客演の際にもこの曲を歌ったそうで、そんな話を聞くと、ライヴでもいいからシカゴで録音して欲しかった気がしないでもありません。

 冒頭の鮮烈なティンパニの打ち込みはその後を期待させますが、全体にスマートで客観的なアプローチ。引き締まった筋肉質の響きこそメータらしいものお、この作品としてはかつての彼のような雄弁さが欲しい気もします。冒頭の二曲で、フレーズとフレーズ、小節と小節の間にある(’)の指示を実際の音には反映させず、インテンポで演奏している所などもその一例です。遅いテンポの曲で旋律をたっぷりと歌わせたり、リズム的な要素に活力と躍動感を与えているのはさすがで、各曲の性格の描き分けも巧妙。ただ、この曲の場合は個性的な解釈も出揃っているので、多少のアクの強さがないと印象に残りません。

 コヴァルスキは声こそユニークですが、ヴィブラートが強くて音程が聴き取り辛いのがマイナス。スコウフスも一応生き生きと歌ってはいるものの、真面目な歌唱スタイルで案外印象に残らいのが残念。スミ・ジョーが最も個性的な歌唱で、最後のアリアにおけるコロラトゥーラ風の小粋な歌い回しは斬新な解釈。コーラスは編成がさほど大きくないのか、細かい動きや発音もよく聴き取れて、小回りが利くのが行為sん用です。

“ねっとりとしたフレージングを多用し、独特の語り口で迫るウィーン・ライヴ”

アンドレ・プレヴィン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 アーノルト・シェーンベルク合唱団、ウィーン少年合唱団         

 バーバラ・ボニー(S) アンソニー・マイケルズ=ムーア(Br) フランク・ロパード(T)

(録音:1993年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 プレヴィンは過去にロンドン響と同曲を録音しており、そちらも評判が良かったですが、当盤はウィーン・フィルによる“カルミナ”とあって、購入しました。しかし演奏は、良くも悪くもプレヴィン流。この人はどんなオケを振っても、どこか中身が詰まりきらないような空虚な響きを作りますが、当盤は冒頭からうつろなサウンドが鳴り響いて思わずげんなり。ライヴのせいか、最初の二曲は管楽器の細かい音符でアインザッツが全く合わないのも気になります。

 一方、合唱に粘液質のレガートを掛けているのは面白い所です。どういう訳かプレヴィンの演奏は「口当たりが良い」と評論家諸氏の間でも評価が高いですが、これはこの粘りの強いフレージングによるものでしょうか。全体に、刺激的なアクセントを排して、ねっとりと肌にまとわりつくような歌い回しを多用する所が、プレヴィンのマイルドさの秘訣なのでしょう。男声合唱などは、そのせいでいかにも中世風に聴こえるのも面白いです。

 しかし、テンポ設定やダイナミクス、アーティキュレーションにおいては、他の演奏には聴かれないユニークな表情もあちこちに付けられており、声楽陣の優秀なパフォーマンスと相まってなかなか聴き応えがあります。普通ではやらない所でディミヌエンドしたり、間を挟んだり、テンポが動いたり、確かに語り口は巧みと言えるかもしれません。曲想のコントラストも明確で、特にリズムの処理に独特のセンスを発揮。《居酒屋にて》などに顕著ですが、何というか、ビートの刻み方に不思議なグルーヴ感があります。

 テノール1曲にフランク・ロパードとは手堅いキャスティングですが、伴奏の巧みさも功を奏して存在感抜群。バリトンのムーアは、もう少し遊び心というか芝居っ気が欲しいものの、深く柔らかい声質はプレヴィンのコンセプトに合っています。独唱陣でいっとう光っているのがバーバラ・ボニー。さすがの美声で、抑制の効いた知的な歌唱を聴かせます。

“すっきり端麗ながらすこぶる味わい深い、強力にお薦めしたい超名演”

ガエタノ・デローグ指揮 プラハ交響楽団

 バンビーニ・ディ・プラハ、クーン合唱団

 ズデニ・クロウボヴァ(S) イヴァン・クスニャー(Br) ウラディーミル・ドレツァル(T)

(録音:1995年  レーベル:スプラフォン)

 デローグはなぜかほとんど評価されていない不遇の指揮者ですが、私は非常に高く買っています。同郷の名匠カレル・アンチェルの系譜に連なる、すっきりと端麗な輪郭をシャープに切り出し、みずみずしい音感と細やかな情感を付与するスタイル。やや歪みのあるライヴ録音ながら、ドヴォルザーク・ホールの美しい残響を豊富に取り入れたサウンドも魅力的です。

 《おお運命よ》《運命は傷つける》は、遅めのテンポながら随所できりりと引き締めるアゴーギクが見事。パンチの効いた打楽器でリズムのアウトラインをくっきりと出しつつ、旋律線は情緒を込めて聴かせる辺りにアンチェルとの共通点を感じさせます。即物的なイン・テンポではなく、随所に風通しの良い間合いや、趣味の良い溜めを挿入するのも好印象。優しく、コクのある音色で、常に滋味豊かな音楽を聴かせる各パートの表現も素敵です。

 《怒りに心収まらず》は相当な駆け足テンポですが、気性の荒さや激情よりも、旋律の流麗さや和声の陰影が前に出るのがユニーク。《焙られた白鳥の歌》は冒頭のファゴットが実にユーモラスで、歌手に合いの手を入れるブラスのフラッター・タンギングを異様にデフォルメしています(歌手の怪演にも注目!)。さらに、ダイナミックな力感と切れ味鋭いリズムが絶大な効果を挙げる《われら居酒屋にあっては》が圧巻のパフォーマンス。

 ちなみに私が入手した盤はチェコ語以外の表記が全くなく、上記の合唱団、歌手の表記は全く適当なものです。そんな扱いをしておいて何ですが、演奏はコーラスもソロも全く素晴らしいもの。共通して言えるのは、いずれも力みがなく、柔らかなタッチで和声感豊かに聴かせる事で、トップバッターのバリトンも合唱も、歌い出しと共にすぐ耳を持っていかれます。

 これはオケにも言える事で、《踊り》のフルート・ソロなど、軽妙でチャーミングそのもの。最後にかけてのスケール大きな盛り上がりや豪放な力感も素晴らしく、プラハの聴衆も熱狂的なブラヴォーを送っています。こういう、味わい深い《カルミナ》は本当に珍しいので、特筆大書して推薦したいディスク。

“軽快さと優美さで一頭抜きん出る、ユニークなディスク”

シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団・合唱団

 FACEトレブル・コラール

 ビヴァリー・ホック(S) マーク・オズワルド(Br) スタンフォード・オルセン(T)

(録音:1996年  レーベル:デッカ)

 デュトワの珍しいドイツ物。当コンビの長いレコーディング・キャリアの最後期に当たる録音ですが、予想以上に軽快さと優美さを重んじたアプローチで、数ある同曲ディスクの中でもユニークな位置を占めるものといえます。

 まずフレーズの作り方が独特で、旋律として優美なラインを描くよう、ルバートを強調したりソステヌートで連結される箇所も多い代わり、スコア通りに間を置かずイン・テンポ気味に続けられる箇所もあるなど、解釈にこだわりあり。丁度アバド辺りが振ったらこうなるんじゃないかという造形ですが、デュトワならもっとさらりと流すイメージがあるので、意外に濃い表情付けに感じます。

 合唱や大編成オケのトゥッティでも響きが透明で、スケールを拡大しすぎないのも好感触。そのせいか、足取りも軽快な印象があり、この曲の特徴であるオスティナート・リズムのしつこさをあまり強調しません。打楽器も激烈に打ち込まず、ソフトなアタックを用いてラインの美しさを重視。《居酒屋にて》をはじめ、かなり速めのテンポを採るナンバーが多いのも特徴です。豊麗なホルンや爽快なブラスなど、オケも美しい響きで好演。《輪舞》中間部のフルート・ソロなど、思わず拍手したくなるほどのパフォーマンスです。

 コーラスはあまり大編成には聴こえませんが、オケとの一体感あり。小回りがきいて響きの見通しが良い反面、子音のアタックがまろやかなので語気が柔らかく、言葉より旋律重視という感じです。独唱者もあまり聞いた事のない人ばかりですが、みんなヴィブラートの癖が少なく歌い崩しもない、素直な発声。メロディ・ラインを明快に打ち出すのが合唱、独唱を通じて最優先されるようなアプローチです。和声感豊かで親しみやすい性格ですが、この曲の場合、多少の荒々しさや迫力は必要かもしれません。

“艶消ししたような響きと弾まないリズム。芝居っ気ゼロの地味系カルミナ”

クリスティアン・ティーレマン指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団・合唱団

 ベルリン児童合唱団

 クリスティアーネ・オルツェ(S) サイモン・キーンリーサイド(Br) デヴィッド・キューブラー(T)

(録音:1998年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ティーレマンのグラモフォン初期の頃の録音。遅めのテンポでたっぷり間を取っているのは彼らしいですが、打楽器のアクセントやオーケストレーションの特異性は押さえ込まれ、面白味は追求しない方向です。リズムもマスの響きに埋もれがちで、エッジを立たせて強調したり、軽妙に弾ませたりという意図はほとんどなし。音色も艶消ししたように地味で、もしかしたら敢えてヨッフム盤の流れを汲んだのかもしれません。

 イエス・キリスト教会でのセッション録音で、コーラスはオフ気味の距離感で細部が曖昧。ソリストは艶やかな美声で朗々と歌うスタイルで一致していますが、見事なまでに芝居っ気がありません。最後まで一生懸命聴いてもピックアップできるナンバーがなくて残念ですが、間合いを大袈裟に取った《ブランツィフロールとヘレナ》が、唯一印象的と言えば印象的でしょうか。

“ラトルらしいアイデアの豊富な演奏、録音は不備か”

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ベルリン放送合唱団、ベルリン国立大聖堂少年合唱団

 サリー・マシューズ(S) クリスティアン・ゲルハーヘル(Br) ローレンス・ブラウンリー(T)

(録音:2004年  レーベル:EMIクラシックス)

 ジルヴェスター・コンサートのライヴ録音。TVでも放映されました。ラトルなら真っ先に録音しそうな曲にも思えますが、意外にも初録音です。国内盤ライナーではベルリン・フィルと本作の関係の稀薄さが指摘されていますが、実は数年前に小澤征爾もこの曲を取り上げています。

 全曲に渡って細かいデュナーミクを付けた演奏で、合唱にも強弱の交代が徹底されるため、聴いていてハッとさせられる箇所がたくさんあります。テンポもよく動きますが、それが顕著に現れているのは冒頭の《おお、運命よ》。強音部に移った瞬間にテンポが速くなるのは、面白い効果だと思いました(前記の小澤盤もこれに近い傾向があります)。歌唱陣では人気歌手ゲルハーヘルが印象的で、《我は大僧正様》のパワフルながなり声は私好み。

 唯一、いくらライヴ収録とは言え、音質には問題があります。低音部がこもるだけでなく、サウンド全体が痩せ気味で、オーケストラが奥に引っ込んで聴こえるイメージ。当コンビの録音には他にもこの傾向のものがあり、私の再生装置に原因があるのではないと思います。

“丁寧ながらやや堅実なハーディングの棒さばき。響きがデッドな録音はマイナス点”

ダニエル・ハーディング指揮 バイエルン放送交響楽団・合唱団

 テルツ少年合唱団 

 パトリシア・プティボン(S) クリスティアン・ゲルハーヘル(Br) ハンス=ヴェルナー・ブンツ(T)

(録音:2010年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ウィーン・フィルを振ったマーラーの10番に続く、ハーディングのDG録音第2弾。とはいっても、内実はヤンソンスとバイエルン放送局が仕掛けた新レーベル、BRクラシックスによるライヴ録音で、エンジニアやプロデューサーなどほぼ全スタッフがBR側の人材となっています。

 ガスタイクホールでのライヴ収録は、過去のこのホールでの録音と較べても明らかに響きがデッドで、大編成オケと合唱によるスペクタクルの効果は減退しています。ハーディングのアプローチも、俳優ばりにキメキメなジャケット写真とは対照的に、華やかな表現とは無縁のもの。冒頭から堅実と言えるほど地味な響きが鳴っていて、思わず驚かされます。まあ、彼が古典作品で追求しているピリオド・アプローチの事を考えると、古色蒼然としたドイツ型オルフを指向してもおかしくないのかもしれません。

 勿論、切れ味の鋭いリズムやユニークなスコア解釈は聴けない訳ではありませんが、全体としては大人しい演奏だと感じられる事でしょう。特に、テンポの遅いナンバーを速めの足取りで演奏している場合が多いせいか、曲間のコントラストも弱められた印象です。打楽器のアクセントもソフトなため、幾分弱腰に感じられる箇所もあり。

 独唱は、ラトル盤でも生彩を放っていたゲルハーヘルが闊達な表現力で抜きん出ており、話題のソプラノ歌手プティボンは意外に正攻法の歌唱。テノールのブンツは、ぶつ切りのアクセントを盛り込んだぎくしゃくとした歌い口がやや人工的。たった1曲しかないテノールの聴かせ所なのに、ハーディングが速めのテンポでさっと終らせてしまうのはこれいかに。

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