ロッシーニ/スターバト・マーテル

概観

 《小ミサ・ソレムニス》と並んで、すごく良い曲なのになぜか全然演奏されない作品。ロッシーニ好きのアバドも、何でも屋のカラヤンも録音していない。私は、オペラに関してはロッシーニは少し苦手で、断然ヴェルディの方が好きだが、この2作はヴェルディのレクイエムや聖歌四篇よりずっと魅力的な曲だと思う。

 いずれも歌劇《ウィリアム・テル》で筆を折り、ほぼ引退状態だったロッシーニの長い晩年に、突然思い出したみたいに作曲された作品である。その間は曲を作っていないだけで、時代も移っているし本人も成熟しているわけだから、良い曲であって当然とも言える。

 どちらもオペラのアリアみたいな美メロが満載で、全然宗教曲らしくないのが特徴。不思議なのはロッシーニがこんな甘美なメロディを、オペラでほとんど書いていない事である。もしオペラもこのクオリティだったら私ももっと熱心に聴くのに、アリアも重唱も、主和音と属和音を交互に往復しながらクレッシェンドするばっかだから、第1幕ですぐに飽きてしまうのだ。

 さてこの曲、第2曲や第6曲など軽快なリズムに乗せてオペラティックな旋律を朗々と歌うのがユニーク。全然「嘆きの聖母」じゃないし、歌謡的すぎてほとんど演歌みたいなフレーズまで飛び出す。第4曲なんて珍しいバスのアリアなのに、三拍子のリズムで妙に弾んでいる上、メロがほぼ昭和歌謡である。尚、女声独唱はソプラノ1、2となっているが、後者をメゾに歌わせている録音も多い。また第9曲の無伴奏声楽は、ソロ四重唱の録音と合唱版がある。曲の構成は以下の通り。

 第1曲《哀しみの聖母は佇み》 イントロダクション、第2曲《悲しみに沈むその魂を》 アリア(テノール)、第3曲《誰が涙を流さない者があろうか》 二重唱(ソプラノ1、2)、第4曲《人々の罪のために》 アリア(バス)、第5曲《愛の泉である聖母よ》 無伴奏合唱とレチタティーヴォ(バス)、第6曲《おお聖母よ》 四重唱 、第7曲《キリストの死に思いを巡らし給え》 カヴァティーナ(ソプラノ2)、第8曲《裁きの日に我を守り給え》 アリア(ソプラノ1)と合唱、第9曲《肉体は死んで朽ち果てるとも》 四重唱、第10曲《アーメン、とこしえに渡り》 終曲

 演奏はやっぱり、軽快さと明朗さを前面に出したものが作品に合致すると思う。その意味では、かたくなに曲想に抗い、宗教曲としての重厚さにこだわったジュリーニとムーティの録音はお薦めしない。軽妙派の源流たるケルテス盤は良い演奏だが、トータル・バランスで素晴らしいのはビシュコフ盤、ミュンフン盤、シャイー盤。

*紹介ディスク一覧

71年 ケルテス/ロンドン交響楽団

81年 ムーティ/フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団

82年 ジュリーニ/フィルハーモニア管弦楽団

89年 ビシュコフ/バイエルン放送交響楽団

95年 ミュンフン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

98年 シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

10年 パッパーノ/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団

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“端正な造型の中に、熱い感興と豊かな感興を盛る”

イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団・合唱団

 ピラー・ローレンガー(S)、イヴォンヌ・ミントン(Ms)

 ルチアーノ・パヴァロッティ(T)、ハンス・ゾーティン(Bs)

(録音:1971年  レーベル:デッカ)

 ケルテスの珍しいロッシーニ録音。まだこの曲のディスクは珍しかった時代だと思うが、豪華歌唱陣を揃えてレコーディングを敢行したケルテスとデッカの慧眼には感服する。

 どのナンバーも淡々とした速めのテンポで、感情的な溜めや誇張は排してすっきりと造形。端正なフォルムに豊かな音楽性を盛る、この指揮者の特質が余す所なく発揮されている。オケも声楽もやや硬質の筆致で描写され、冴え冴えと覚醒した音楽世界が現出。

 歌手によっては音程が聴き取りにくくなりがちなバスが活躍する曲だが、ゾーティンが歌う第4曲のアリアや第5曲のレチタティーヴォは、正確な音程で旋律線がくっきりと隈取られていて素晴らしい。パヴァロッティの華やかな歌唱がオペラティックな興趣を呼ぶ第2曲のアリア、第6曲の四重唱も聴き所。オペラ歌手の印象が強いローレンガー、ミントンの歌唱も美しく、充実している。

 合唱もソロもリズムがきっちりと打ち出され、感傷的な歌い崩しがないのも指揮者のコンセプトと一致。コーラスは輪郭が明瞭で立体感があり、アーティキュレーションの描写が精緻。引き締まったタイトな響きの内に、熱い感興と雄渾な力感を高めてゆく第10曲の表現はケルテスらしい。

“遅めのテンポで構えが大きく、あくまで大真面目なムーティ”

リッカルド・ムーティ指揮 フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団・合唱団

 キャサリン・マルフィターノ(S)、アグネス・バルツァ(S)

 ロバート・ギャンビル(T)、グウィン・ハウエル(Bs)

(録音:1981年  レーベル:EMIクラシックス) 

 ムーティは映像ソフトも含めてロッシーニのオペラをたくさん録音しているが、宗教曲はこれが唯一。器楽作品も、序曲集を除けば録音していない。ムーティは若い頃からこのオケと関係が深いが、メジャー・レーベルの商業録音は非常に少なく、当盤の他にはベルリーニの《ノルマ》全曲盤があるくらい。

 オペラやコンサートの録音は残響のデッドな会場で収録される事が多いオケだが、当盤はヴェッキオ宮殿でたっぷりとホールトーンを収録し、広大な空間を感じさせる。それでいて直接音もクリアだし、硬質にはならず柔らかさもある。

 宗教曲を演奏する時のムーティの流儀なのか、遅めのテンポで造形の彫りが深く、やや厳めしさも感じさせる。ただ、それが格調の高さに繋がっていて、これだけ濃厚な表情を付けてもマゼールやカラヤンのように大袈裟にならないのは、持って生まれた音楽性と言うべきか。彼はモーツァルトのレクイエムや(宗教曲ではないが)オルフでさえこの重厚スタイルで演奏するから、もはや筋金入りの信念である。

 第1曲冒頭の弦楽群から音色が磨き抜かれ、艶やかな光沢を放つ。合唱の透明感と美しいハーモニー、オケとのバランスも素晴らしい。オペラ歌手を揃えたソリスト陣も、やや距離を置いて収録されているが、そのせいかオケとよくブレンドし、重唱でも個人が突出しない。ただソロとなると、特に女声陣の表現力は凄まじく、深い呼吸で情感たっぷりなバルツァの第7曲、パワフルな激情型歌唱のマルフィターノによる第8曲は圧巻。

 緩急を峻烈に対比するのもムーティならでは。全体にスケール大きく構えた表現だが、音色が明るいので重々しく沈み込まない。第2曲や第4曲でもリズムの弾みを抑え、オペラ・アリア風にはしない一方、テンポをあちこちで極端に落としたり、振幅はかなり大きく付けている。第8曲や終曲の盛り上げ方もドラマティックだが、羽目は外さない。第9曲はソロ四重唱でパフォーマンス(美しい!)。

“別の曲かと勘違いするほどのスロー・テンポと、宗教曲にふさわしい重厚さ”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団・合唱団

 カティア・リッチャレッリ(S)、ルチア・ヴァレンティーニ・テラーニ(S)

 ダルマチオ・ゴンザレス(T)、ルッジェーロ・ライモンディ(Bs)

(録音:1981/82年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ジュリーニの珍しいロッシーニ録音。同オケとの序曲集を除けば、古いライヴ音源でスカラ座での《アルジェのイタリア人》、ロイヤル・オペラでの《セビリヤの理髪師》が出ているくらいかも。この時期のジュリーニは、テンポこそ目立って遅くなりはじめたものの、まだ強固な造形性は維持していて、シャープなリズムや冴え冴えとした筆致が明快な輪郭を切り出していて安心できる。

 この中では第2、4曲のアリアや第6曲など、元々軽快な性格のナンバーは、何か別の曲でも始まったのかと思うほどのスロー・テンポと、それに伴う重々しい表情で演奏されている。もっとも、宗教曲である事を考えるとこれくらいの重みは必要で、むしろ他がオペラティックに演奏されすぎていると解釈できるかもしれない。

 第1曲のような重厚なナンバーは聴いていて違和感がなく、むしろ鋭いエッジが痛快。第3曲の深々と清らかな叙情(特に前奏、後奏)はこの指揮者らしい。第8曲や第10曲は平均的なテンポで進行する一方、オケの特質が出て、高域寄りの刺々しいブラスが目立つ。独唱はみなストレートな発声で音程もよく、そのためか重唱がよくまとまっていて聴き易い。合唱も最初は可も無く不可も無くだが、第9曲のアカペラなどピッチと表現力はなかなかのもの。

“柔らかな叙情やシャープなエッジもある、全方向的にバランスの良いお薦め盤”

セミヨン・ビシュコフ指揮 バイエルン放送交響楽団・合唱団

 キャロル・ヴァネス(S)、チェチーリア・バルトリ(Ms)

 フランシスコ・アライザ(T)、フェルッチョ・フルラネット(Bs)

 この顔合わせ唯一のセッション録音。ビシュコフのロッシーニ録音も、恐らくこれが唯一である。このオケのフィリップス録音は音像がよくまとまっていて聴き易く、豊かな残響と明瞭な直接音のバランスも良好。鋭いエッジが出てくる局面も、柔らかみのある録音がまろやかに緩和してくれる。 

 フォルムの明快な指揮はさすが。第1曲のような深遠な曲調でも、ムードで茫漠と流してしまう事がない。第2曲や第6曲は落ち着いたテンポで抑制を効かせ、歌手も柔らかく歌わせている。あくまで宗教曲寄りに表現したのかもしれないが、第2曲のコーダは超スロー・テンポで、深々とロマンティックな余情を残す。

 また、第3曲の心に沁み入るようなリリカルな世界も印象的だし、第10曲で弱音部に移る際のフェルマータを長く引き延ばす呼吸も実にドラマティック。第8、10曲はリズム感に優れ、シャープな語り口で力感を漲らせながら刺々しくならないのが見事。 

 スター級の豪華歌唱陣は、随所に美声を響かせながらも突出しないのが好印象。録音のまとまりが良いのと、オペラ指揮者でもあるビシュコフが手綱を引き締めているのと両方かもしれない。この合唱団はどの録音を聴いても超優秀と感じるが、その実力もよく出ていて、アカペラの場面は聴き所。全体としてオケ、独唱、合唱とあらゆる要素が理想的と言える、お薦めの一枚。  

“オケの美質を生かしつつ、鋭敏なリズム感で緻密な描写を徹底した名演”

チョン・ミュンフン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン国立歌劇場合唱団

 リューバ・オルゴナゾーヴァ(S)、チェチーリア・バルトリ(S)

 ラウル・ヒメネス(T)、ロベルト・スカンディウッツィ(Bs)

(録音:1995年  レーベル:ドイツ・グラモフォン) 

 このコンビの数少ないレコーディングから。ミュンフンは同年2月、クライバーの代役でドヴォルザークの第3、7番を録音したのが同オケとの初顔合わせ。当盤と同じ6月にも、病気で定期演奏会を降板したマゼールの代役でドボ7と《展覧会の絵》を振っている。またこのコンビは数年後、ドヴォルザークの第6、8番、弦楽&管楽セレナードも録音。 

 残響の豊富な録音だが直接音は鮮明で、演奏も音楽の輪郭がシャープ。第1曲の最初のトゥッティで、金管の付点音符と弦のトレモロの解像度をこれほど精確に追求している演奏は珍しい。動感を優先する傾向が強く、第2、6曲などスピーディなテンポですこぶる軽快。第4曲のイントロも、低弦のリズムと管楽群のスフォルツァンドが醸し出す立体的な動きが独特で、加速するコーダも含めて楽曲全体もリズミカルに構成されている。

 第3曲は全体の筆致こそ柔らかだが、ソプラノ2人の雄弁で力強い歌唱が圧倒的。テンポの落差がかなり大きく、ドラマティックな語り口が目立つ第7曲はミュンフンらしい。オケの艶っぽい音色はイタリア音楽との相性も良く、随所に耳を惹く瞬間を作り出す。第8曲のファンファーレもまろやかだが、続く弦のオスティナートは胸のざわつきのような興奮体質で、心なしかオルゴナソーヴァのソロも煽られて、ヴェルディのオペラすら彷彿させる。

 茫漠とした雰囲気になりがちな無伴奏合唱と独唱による第5曲も、リズムとフレージングをきっちり明確に打ち出している。ソロも指揮者のコンセプトに沿っていて、柔らかい声質のヒメネスやオルゴナソーヴァから、重唱や合唱の中にあってもくっきりとラインを描くスカンディウッツィまで、みな動的で明晰な歌唱。

“近現代作品を思わせる精緻なアプローチで、歌手をオペラ並に朗々と歌わせる”

リッカルド・シャイー指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 オランダ放送合唱団

 バルバラ・フリットリ(S)、ソニア・ガナッシ(Ms)

 ジュゼッペ・サッバティーニ(T)、ミケーレ・ペルトゥージ(Bs)

(録音:1998年  レーベル:デッカ)

 ロッシーニを得意とするシャイーはオペラ、声楽曲、器楽作品を数多く録音しているが、コンセルトヘボウ管とは恐らくこれが唯一。デッカのコンセルトヘボウ録音は当盤に限らずどれも残響がたっぷりだが、当盤は曲調と相まって、ほとんど教会での録音に聴こえる。独唱は直接音も明瞭だが、非常に長いエコーを伴っているのが特色でもある。

 テンポこそ落ち着いているが、ムーティやジュリーニのような重々しさに傾かない点ではビシュコフやミュンフンと同じグループ。造型がシャープでリズムの動感が確保され、近現代作品に顕著なこの指揮者の明晰な描写力が利点となっている。また独唱を朗々と歌わせていて、オペラ的な側面を強く打ち出した演奏でもある。オケの響きの密度が軽く、音色が流麗で明るいのもその印象を補強する。

 各ナンバーの性格を巧みに掴んだ、誠に演出巧者な語り口で、無伴奏合唱と独唱の第5曲などは精緻な音響を立体的に構築していて、これも近現代作品に通じる怜悧なアプローチ。「最新技術と伝統の融合」的なコピーが頭に浮かぶ。イタリア人を揃えた豪華歌唱陣もそのイメージだが、やや距離を置きながら直接音を鮮明に捉えたデッカの優秀録音は、重唱も繊細なラインの重なりとして非常に美しく描写している。第9曲はソロ四重唱のヴァージョン。

“やや極端で表現主義的な身振りが、HIPの発想にも繋がる次世代系アプローチ”

アントニオ・パッパーノ指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団・合唱団

 アンナ・ネトレプコ(S)、ジョイス・ディドナート(Ms)

 ローレンス・ブラウニー(T)、イルデブランド・ダルカンジェロ(Bs)

(録音:2010年  レーベル:EMIクラシックス)

 このコンビはロッシーニの序曲集の他、小ミサ・ソレムニス、グロリア・ミサ、歌劇《ウィリアム・テル》全曲も録音している他、パッパーノにはロイヤル・オペラでの《セビリアの理髪師》《ウィリアム・テル》の映像ソフトもある。第9曲は独唱4人でパフォーマンス。

 当盤はミュンフンやシャイーの次元を越えた所で、幾分表現主義的というか、HIPの発想に近い雰囲気がある。それがイタリアのアーティストから出た録音である所は面白い(もっともルネッサンス運動もイアリア発だった)。第1曲のストレートで荒々しいトゥッティや、第2曲冒頭の物々しいほど芝居がかったユニゾン、各ナンバーのかなり極端なテンポ、強弱のコントラストなどは、そのままピリオド団体のモーツァルトやベートーヴェンにも通じるもの。オケの響きがやや素朴でハスキーなのも、その印象を強くする。

 第3曲も、ソロ2人のかなり自由な振る舞いや伴奏のいちいち過敏な反応が、一種バロック的な身振りに感じられる。第4曲もイントロが大袈裟な上、アリアもブロックごとにテンポが変わる。あまりに豪華な歌手のキャスティングも、まとまりより個性の発露を志向する演奏のコンセプトに沿っている。第8曲のフットワークの軽さ、第10曲の語気の強さもそう。ただHIPっぽい佇まいの一方、もしこれがモノラルだったらすごく古いタイプの演奏に聴こえそうなのも面白い。

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