モーツァルト/歌劇《魔笛》(CD)

概観

 童謡のような平易なメロディのイメージがあるが、実は晩年に書かれたモーツァルト最後のオペラで、和声も複雑。最初から最後まで美メロ満載の、すこぶる魅力的な作品である。個人的にはダ・ポンテ三部作よりも好き(ただジングシュピールなので、セリフ部分はCDだと飛ばすし、映像だと倍速にする)。

 シカネーダーによる台本はフリーメイソンの要素が強いが、謎めいた組織だけあって、会員でなければ何がフリーメイソンの要素なのか全ては判読できないそうである。ザラストロ一派の儀式に関しては、まあそうなのだろう。舞台美術にはピラミッドや中東、アフリカ、太陽のイメージもよく使われる。

 モーツァルト作品に共通する男尊女卑と赦しの思想もやっぱり入っている。途中で善悪が入れ替わるように見えたり、ストーリーの辻褄もあちこち合わないが、「歌」を聴くために一応ストーリーがあるというくらいの認識でいいのかも。私は読み替え演出もオペラ映画も嫌いであるが、この台本の問題を唯一解決していると感じるのが、ケネス・ブラナー監督の映画版。時代を移した読み替え演出だが、完璧な解釈だと思う。

 《フィガロ》や《ジョヴァンニ》並みに人気があり、ソフトも豊富。ただ、ダ・ポンテ三部作には積極的だったバレンボイムやメータは録音していないし、ケルテスやムーティもセッション録音は行っていない。

 音源でお薦めはサヴァリッシュ盤、レヴァイン盤、ハイティンク盤、C・デイヴィス盤、ピリオド・スタイルでアーノンクール盤、アバド盤。映像ソフトではレヴァイン/メトの91年盤、ウェルザー=メスト盤があらゆる面でお薦め。C・デイヴィス盤も悪くない。カリーディス盤は演奏が全く素晴らしいが、演出が最悪で台無し。舞台にこだわらなければ、前述ブラナー監督の映画版は理想的な出来映え。

*紹介ディスク一覧  配役は順にタミーノ、パミーナ、パパゲーノ、夜の女王、ザラストロ、弁者

[全曲CD]

59年 セル/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      シモノー、カーザ、ベリー、ケース、ベーム、ホッター

72年 サヴァリッシュ/バイエルン国立歌劇場楽団

      シュライアー、ローテンベルガー、ベリー、モーザー、モル、アダム

80年 レヴァイン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      タピー、コトルバス、ボーシュ、ドナート、タルヴェラ、ダム

80年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      アライザ、マティス、ホーニク、オット、ダム、ニコライ

81年 ハイティンク/バイエルン放送交響楽団

      イェルザレム、ポップ、ブレンデル、グルベローヴァ、ブラハト、ベイリー

84年 C・デイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデン

      シュライアー、プライス、メルビー、セッラ、モル、アダム

87年 アーノンクール/チューリッヒ歌劇場管弦楽団

      ブロホヴィッツ、ボニー、シャリンガー、グルベローヴァ、サルミネン、ハンプソン

05年 アバド/マーラー室内管弦楽団

      ストレール、レシュマン、ミュラー=ブラックマン、ミクローサ、パーペ、ツェッペンフェルト

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[全曲CD]

“セルの独特のテンポと、歌手の演技過剰なパフォーマンスが特徴的なライヴ盤”

ジョージ・セル指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン国立歌劇場合唱団

 レオポルド・シモノー(タミーノ)、リーザ・デラ・カーザ(パミーナ)

 ワルター・ベリー(パパゲーノ)、エリカ・ケース(夜の女王)

 クルト・ベーム(ザラストロ)、ハンス・ホッター(弁者)

(録音:1959年  レーベル:オルフェオ) *モノラル

 セルの珍しいザルツブルグ・ライヴ(祝祭劇場)。オペラをあまり振らない人なので記録としても貴重だが、ライナーによると49年に《ばらの騎士》でザルツブルグ初登場。リーバーマンの2つのオペラを初演した他、同レーベルから発売されている56年の《後宮からの誘拐》も大成功(いずれもオルフェオから発売あり)、この《魔笛》がラストだったとある。

 オペラ指揮者ではないせいか、テンポが独特。序曲はあまりに遅く重厚な開始に参るが、主部に入るときびきびと機能的。パパゲーノの第1幕のアリアなどとんでもない快速で、合の手に入る笛のドレミファソがほとんどアクロバットになっている。夜の女王のアリアも、歌手に配慮せず勢いよく疾走。

 逆に童子たちの重唱はどれもかなりスローなテンポで、表情の濃淡が非常に細かい。特に極端なのが“パパパの2重唱”で、ほとんど止まりそうな遅いテンポで開始し、最後には平均を超えるスピードにまで上げる。各幕の山場では、合唱入りのトゥッティもシャープに造形しているのがセルらしい。伴奏型のリズム処理は常に鋭敏で、それが今の耳にも通用する現代性に繋がっている。

 歌手は全体に表情過多で、歌い過ぎが鼻につく。幕開けのタミーノは、聴いた事のない高い音程から歌い始め、2度目もそうなので、歌とは捉えずセリフ半分のフレーズという解釈か、あるいは当時の慣習か、楽譜のエディションがそうだったのか、とにかく現代では耳にしない旋律になっている。侍女達も取り乱さんばかりに歌い崩していて、スコア忠誠の意識が強い現代のリスナーには違和感しかないかも。

 カーザは第2幕のアリアでスロー・テンポの中、弱音主体の繊細な歌唱が印象的。ペリーはこの役をよく歌っているが、ここでも安定している。ベームとケースは前述《後宮からの誘拐》にも参加しているので、セルのお気に入りなのかもしれない。後者は第2幕のアリアで快速テンポにも怯まず、むしろ余裕のある優美な歌いっぷりで切り抜けていて見事。

“オケ、歌手、コーラスが完璧なまでに統率された、模範的な演奏”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場楽団・合唱団

 ペーター・シュライアー(タミーノ)、アンネリーゼ・ローテンベルガー(パミーナ)

 ワルター・ベリー(パパゲーノ)、エッダ・モーザー(夜の女王)

 クルト・モル(ザラストロ)、テオ・アダム(弁者)

(録音:1972年  レーベル:EMIクラシックス)

 このコンビの同曲は83年のライヴ映像もあるが、配役はザラストロのモル以外異なっている。歌劇場ではなくミュンヘンのブルガーブラウでの収録で、適度な残響はあるが、たっぷりと豊麗なサウンドではなく、すっきりと端正な響き。細部はクリアで、みずみずしい美しさもある。

 サヴァリッシュ時代のバイエルン国立管は音がやや硬質で、いわゆる柔和で優美なモーツァルトとは違う。ただ響きは細身ながらクリアで、木管ソロも艶やかに浮かび上がる。強弱も細かく段階的に描写されていて、非情に丁寧。リズムは溌剌としていて、整然たる合奏を繰り広げる。シャープな造形だが、みずみずしい歌い口や内的感興の豊かさ、感情の開放感も魅力的。

 歌手やコーラスとの緊密な一体感は当盤の特色で、重唱の場面など、バロック・オペラを聴くような趣。各声部のバランスや強弱のニュアンスも精緻にコントロールされていて、ほぼ完璧と感じられる。HIPに慣れた耳には、よく馴染む表現かもしれない。テンポは概して速めだが、叙情的なナンバーではルバートで重みを加えたり、夜の女王のアリアもコーダで大きな見栄を切ったり、随所に細かい演出あり。

 歌唱陣のクオリティが高く、歌曲のピアノ伴奏を得意とするサヴァリッシュのディレクションの腕を感じる。みな音程が聴きやすいしリズム感が良く、どのナンバーも輪郭が明快に切り出されている。特にセル盤でも好演していたベリーは、テンポが引き締まっている事もあって、溌剌としていながら音楽的に精確な歌唱で見事。

 シュライアー、ローレンベルガー、モーザーらも素晴らしいパフォーマンスで、このオペラとしてはお手本に挙げたいくらいのもの。また、どのナンバーもテンポ設定が絶妙。3人の童子も、フレージングからリズム処理まで、丹念に歌唱指導されている事がよく分かる。合唱も質が高く、第2幕クライマックスの美しいコーラスなど聴き応えがある。

“オケの良さをうまく生かした、小気味好く素敵な演奏。歌唱陣も美声で好演”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン国立歌劇場合唱団

 エリック・タピー(タミーノ)、イレアナ・コトルバス(パミーナ)

 クリスティアン・ボーシュ(パパゲーノ)、ズディスラヴァ・ドナート(夜の女王)

 マルッティ・タルヴェラ(ザラストロ)、ホセ・ファン・ダム(弁者)

(録音:1980年  レーベル:RCA)

 同コンビの《魔笛》は、この2年後のザルツブルグ・ライヴ映像の他、レヴァインにはメトでの映像ソフトも2種類ある。当コンビはこの後、交響曲とヴァイオリン協奏曲の全集録音を行っている他、セレナードや大ミサ曲、《コジ》も録音。彼は78年からザルツブルグで同作の公演に大抜擢されていて、それがウィーン・フィルや欧州楽壇に認められるきっかけにもなった。

 当盤はライヴではなく、ムジークフェラインザールでのセッション収録。RCAのウィーン録音は珍しいが、残響を豊富に取り込みながらディティールもマスの音像も明瞭で、ずっと聴いていたいほど美しいサウンド。長いホールトーンに包まれて冴え冴えと浮かび上がる歌手の声も、やや細身ながら艶っぽく魅力的。

 指揮はきびきびとして端正。オケや曲目によっては時に力みも目立つ指揮者だが、ここではオケの個性を生かしつつ、すっきりとした清潔な響きで小気味良い合奏を構築。適度な力感とメリハリを保持しつつも刺々しくはならず、アゴーギクにも細かい工夫があって語り口が雄弁。音色の美感や柔らかさも保たれている。

 合奏に一体感があり、無用な誇張や壮大さに走ったり、フットワークが重々しくならないのは美点。それでいて、木管のハーモニーや重唱が弱音でそっと入ってくるような箇所は少し間合いを取って、得も言われぬデリカシーを付与しているのが素晴らしい。ピアニッシモの扱いが精妙で、弱音部ではぐっとテンポを落とすし、フルートのソロもすこぶる優美。

 歌唱陣はスター級とはいかないが、録音の効果もあってかみな抜けの良い美声で、聴いていてとても心地の良い録音。コトルバス、ボーシュ、タルヴェラはザルツブルグの公演にも参加。タピーはやや押し出しが強いものの、明るく華のある声、コトルバスも素直で伸びやかな美声と陰影豊かな表現力で聴かせる。

 ドナートがユニーク。特に第2幕のアリアは、レヴァインが流れるように速いテンポで振っている事もあるが、まるで管楽器のように歯切れ良く軽快な歌唱は見事。難しいコロラトゥーラも機械的なほど軽々とクリアしていて、正に超絶技巧の部類。この曲ではちょっと珍しい、個性的なスタイルと言える。ボーシュは溌剌としているし、タルヴェラも輪郭の明快な歌唱。ラシェル・ヤカール率いる侍女達も、整然とした美しい重唱。

“オケも歌手も随所に大袈裟な身振りを盛り込む。スター達による華やかなショー”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団

 フランシスコ・アライザ(タミーノ)、エディット・マティス(パミーナ)

 ゴットフリート・ホーニク(パパゲーノ)、カリン・オット(夜の女王)

 ホセ・ヴァン・ダム(ザラストロ)、クラウディオ・ニコライ(弁者)

(録音:1980年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤンの同曲はこの30年前にウィーン・フィルとのモノラル盤があり、当盤は再録音となる。お気に入りの歌手が多数起用されているが、凄いのが侍女達で、アンナ・トモワ・シントウ、アグネス・バルツァ、ハンナ・シュヴァルツと、いくら出番が多いとはいえ、いい加減にしろと言いたくなる贅沢さ。ベルリン・フィルの同曲録音はこの後ラトルの映像ソフトまで無いが、そちらも侍女達のキャスティングはなぜか規格外。

 序曲から超スロー・テンポの開始に思わず腰が引ける。主部に入ると平均的なテンポできびきびと音楽を運ぶのでほっとするが、所々に派手さや大仰さが顔を出すのはやはり芸風か。独唱・合唱も含めアインザッツが合わない箇所も多いし、アーティキュレーションも緻密に解釈されているとは言い難い。コーダもザ・カラヤンという感じで、やたらと力こぶの多いマッチョな響き。

 幕開け以降もこの傾向は続き、テンポは概してゆったりとしているが、響きは意外に引き締まっていて、重厚すぎるという事はない。ただ、特にレチタティーヴォ的なテンポや曲想の変化が多い場面では、間合いがかなり芝居がかっている。強弱の落差も極端に付けられているが、それはピリオド系の演奏の特色でもあり、共通したスタイルに聴こえないのは不思議でもある。

 むしろ、歌手に往年のグランド・スタイルを感じさせる箇所が多い。第1幕冒頭のタミーノと侍女達からしていかにもスター歌手による華やかなショーで、凹凸が目立ってまとまりや統一感に乏しい。全体的に、音程やリズムの精度よりも名人芸の味わいで聴かせようというコンセプト。そもそもカラヤンの伴奏が随所で過剰な抑揚を要求してくるので、歌手の呼吸も自然にそうなるのだろう。

 ドラマティックなアリアでは、やや大袈裟とはいえ各歌手の振幅の大きな表現が聴かれ、様式のズレを別にすれば聴き応えのあるパフォーマンスの連続。声の音圧をカヴァーするためかマイク・セッティングもやや距離があり、ダイナミック・レンジが大きく取られている。オットという人は私は全然知らないが、圧倒的にパワフルな歌唱でいかにもカラヤン好み。

“柔らかな気品と暖かみに溢れ、旧スタイルの美しさを存分に味わせる”

ベルナルト・ハイティンク指揮 バイエルン放送交響楽団・合唱団

 ジークフリート・イェルザレム(タミーノ)、ルチア・ポップ(パミーナ)

 ヴォルフガング・ブレンデル(パパゲーノ)、エディタ・グルベローヴァ(夜の女王)

 ローラント・ブラハト(ザラストロ)、ノーマン・ベイリー(弁者)

(録音:1981年  レーベル:EMIクラシックス)

 ハイティンクの同作には、この3年前にグラインドボーン音楽祭で上演されたライヴの映像ソフトもある。バイエルン放送響とのセッション録音は当時珍しく、恐らく当盤が初顔合わせだったかも(同じレーベルに、R・シュトラウスの《ダフネ》やワーグナーの《タンホイザー》《リング》録音もあり)。

 序曲の最初の和音から、暖かみのある充実した響きが柔らかく鳴っていて思わず安心。これを聴くと、HIPのアクセントの鳴らし方は随分力みが目立つなと、改めて認識される。テンポは概して遅めで、どのフレーズも真心を込めて、末尾まで丁寧に歌い込まれる。幕開けも実に落ち着いた開始で、決して旧弊な鈍重さはないものの、クラシック音楽にまつわるイメージにまだ貴族主義的な高級感があった時代の気品が漂う。音の着地がとにかく優美。

 曲調が変化する局面でもさほどメリハリを付けないのはハイティンクの棒の特徴で、あくまで和声と旋律が重視され、リズムやアクセントはその中での調和を目指す。各幕の終結部など、力むことも煽る事もなく、堂々たる余裕をもって雄大に盛り上げる辺り、旧スタイルならではの魅力と言えるだろう。ただし響きは冴え冴えと透徹し、立体感と明朗さをキープしていて見事。オケの艶やかな音彩も美点。

 指揮が抜群に安定しているせいか、歌唱陣も実力を存分に発揮。特に女性2人が素晴らしく、ポップの美しく可憐な歌唱が素敵。グルベローヴァはやはり圧倒的で、声のパワーが並々ではなく、第2幕のアリアではハイティンクも珍しくテンポを引き締めて緊迫感を与えている。イェルザレムとブレンデルはあまり若々しくはないが、美声で手堅い安心感がある。ザラストロや弁者はちょっと地味な配役だが、実力で聴かせる。

“旋律美をたっぷりと味わせながら、音楽の造形をくっきりと精緻に切り出した名演”

コリン・デイヴィス指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

 ライプツィヒ放送合唱団

 ペーター・シュライアー(タミーノ)、マーガレット・プライス(パミーナ)

 ミカエル・メルビー(パパゲーノ)、ルチアーナ・セッラ(夜の女王)

 クルト・モル(ザラストロ)、テオ・アダム(弁者)

(録音:1984年  レーベル:フィリップス)

 当コンビは同時期にモーツァルトの交響曲を相当数シリーズ録音しているが、オペラはこれが唯一。デイヴィスの同曲は、後に英国ロイヤル・オペラの映像ソフトもある。交響曲ではオケがかなり大柄で重々しく感じられたが、当盤は引き締まったサウンドで鋭敏さや躍動感もあり、モダン・オケのモーツァルトとしては理想的な音像。このオケらしい滋味豊かな音色の魅力もきっちり捉えられている。

 落ち着いた足取りと安定感、徹底して端正に整えられたアーティキュレーション、シャープで折目正しいリズム処理は、正にデイヴィス印。そこには英国流の気品も漂うが、それがドレスデンの素晴らしい響きに適用されると、これはもう極上の音楽。逞しく雄渾な力感も示されるが、弱音部や減速を伴うディミヌエンドにも、はっとさせられるような詩情とデリカシーがある。

 アリアや重唱の伴奏においても、リズムをきっちりと刻んでいて少しも勇み足がないのと、歌も楽器も末尾までたっぷりと伸ばし切るフレージングは、独特の優美な趣。コミカルな動きがある場面でも、急がず慌てずじっくりとディティールの描写を掘り下げている。概して、旋律美をたっぷりと味わせながら、音楽の造形をくっきりと精緻に切り出した名演と言える。

 歌手は豪華配役だが、歌唱自体は独特。シュライヤーは、リートはともかくオペラで聴くとハスキーな声質で渋みが強い。若々しい美声で朗々と歌うタミーノではない。プライスは芯の強さとパワーを秘めつつも、抑制を効かせた弱音主体の設計でユニーク。メルビーは初めて名前を聞く歌手だが、ヴィブラートが強く恰幅の良い歌唱で、この役としては大物感が強い。

 セッラはレヴァイン/メトの映像でも歌っているが、可憐な声でリズム感が卓抜。とかくダークな面が強調されがちなこの役柄で、コロラトゥーラらしい軽妙さを前面に出して好印象。コーラスは強弱の幅を大きく採り、ダイナミズムを強調した濃淡の強いスタイル。第2の侍女にアン・マレイ、第3の侍女にハンナ・シュヴァルツとは、レコードならではの贅沢なキャスティング。

“意外にきびきびとスピーディながら、ロマンティックな身振りで雄弁に表現”

ニコラウス・アーノンクール指揮 チューリッヒ歌劇場管弦楽団・合唱団

 ハンス=ペーター・ブロホヴィッツ(タミーノ)、バーバラ・ボニー(パミーナ)

 アントン・シャリンガー(パパゲーノ)、エディタ・グルベローヴァ(夜の女王)

 マッティ・サルミネン(ザラストロ)、トーマス・ハンプソン(弁者)

(録音:1987年  レーベル:テルデック)

 当コンビは《後宮からの誘拐》も録音している他、同曲とダ・ポンテ三部作、《偽の女庭師》のライヴ映像も出ている。アーノンクールの同曲はチューリッヒ、コンツェントゥス・ムジクスと映像ソフトも2種あり。劇場ではなく教会で収録されているが、残響は適度で、管楽器のソロなども鮮明。すっきりとした細身のサウンドで、あまり豊麗さはない。

 序曲は、金管の刺々しいアクセントやノン・ヴィブラートの清澄な響きの一方、きびきびとスピーディな足取りで進行。この指揮者に多い、スロー・テンポでドラマをえぐり出すような表現ではない。勢いがあるし、造形もスマートでごつごつしていないのは意外。幕開き以降は曲想に応じてテンポや表情を雄弁に描き分けて、むしろロマン的表現。特にアリアは遅めか中庸のテンポで、歌い出しの前に恣意的な間やルバートを置いたりもする。

 第1幕のラストはシャープなアタックと速めのテンポで締めくくりながら、第2幕のそれはむしろ恰幅の良い表現。そうかと思えば第2幕のパパゲーノのアリアなんて、遅めのテンポながらオケがすこぶる美しくチャーミングで、正にメルヘンの世界。ワルツや舞曲など、各場面の音楽的性格やルーツが明瞭に浮き上がってくるのもアーノンクールらしい趣向。

 セリフを排し、簡潔なナレーションで各ナンバーを繋いでいるが、長老の会議やタミーノの試練の場面が無い事で、作品の背景をなすフリーメイソンの色彩がぐっと希薄になっているのは、意図的な解釈か。

 アーノンクール・ファミリーを集めた声楽陣は見事。ブロホヴィッツは音程も声の美しさも申し分なく、ニュアンスが豊かで素晴らしい。ボニーの表現力も圧巻で、第1幕の2重唱などスロー・テンポで濃厚艶美に歌っているのはハイライトの一つ。グルベローヴァはやりすぎず趣味の良い歌唱だが、それでいて華やかさが漂うのはさすが。第2幕のアリアで逆にドラマティックな身振りを強調するのも見事な設計。

“徹底してタイトかつ軽妙なオケと、即興的で表情豊かな歌手達”

クラウディオ・アバド指揮 マーラー室内管弦楽団

 アーノルト・シェーンベルク合唱団

 クリストフ・ストレール(タミーノ)、ドロテア・レシュマン(パミーナ)

 ハンノ・ミュラー=ブラックマン(パパゲーノ)、エリカ・ミクローサ(夜の女王)

 ルネ・パーペ(ザラストロ)、ゲオルグ・ツェッペンフェルト(弁者)

(録音:2005年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 アバドはモーツァルトのオペラには消極的で、録音は他にヨーロッパ室内管との《ドン・ジョヴァンニ》、ウィーン・フィルとの《フィガロの結婚》しかない。オケが小編成な事もあるが、指揮者のコンセプトとも相まって、音が伸びやかに広がっていかない録音。残響は適度だが、拡散よりは凝集に向う演奏の性格がそのまま録音にも反映されている。

 この時期のアバドはHIPに寄った解釈。最初から最後まで冴え冴えと新鮮な解釈が聴ける点で、目論見は成功していると言える。序曲から急速なテンポで小気味よい合奏を展開し、強弱のニュアンスを鋭敏に付けてゆく。幕開けも序奏部からダイナミクスのメリハリを明瞭に付け、シャープに造形。表情豊かな歌手の表現に比して、オケは徹底してタイトかつ軽妙に音楽を進める。

 どのナンバーもテンポは速く、パパゲーノの最初のアリアなど、ほとんど駆け足。全体にスタッカートで短く切り上げる語尾も目立つ。ニュアンスは非常に雄弁で、伴奏のちょっとした音型や合いの手にも細かく表情が付けられていて耳を惹く。特に、弱音の敏感な表現は随所で効果を上げている。

 レチタティーヴォ的な箇所で即興的にテンポを伸縮させるのも、アグレッシヴな表現で聴き応えあり。魔笛の場面での、まるで協奏曲のように軽快なフルート・ソロもユニーク。ラストの大団円も快速テンポで一気に疾走。

 アーノンクール/チューリッヒの映像でもタミーノを歌っているストレールは、私はよく知らない歌手。ここでも最初の内、オケと息が揃わない印象も受けるが、だんだんと調子が出て、伸びやかな甘い声が心地よくなってくる。ミクローサも出自を知らないが、かなり実力のある人のよう。いずれのアリアも超絶技巧のみならず、コロラトゥーラらしい軽妙さと推進力をきちんと表現している所は素晴らしい。

 一方、レシュマンやパーペ、ツェペンフェルトら人気歌手陣はさすがに安定していて、ドラマティックな歌唱が見事。童子達も好演で、コーラスに存在感があるのも合唱へのこだわりが強いアバドらしい。

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