モーツァルト/歌劇《魔笛》(映像ソフト) |
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*紹介ディスク一覧 *配役は順にタミーノ、パミーナ、パパゲーノ、夜の女王、ザラストロ、弁者 |
[映像ソフト] |
64年 ケルテス/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 |
クメント、ローレンガー、ベリー、ペータース、クレッペル、シェッフラー |
78年 ハイティンク/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 |
ゲーク、ロット、ラクソン、サンド、トマシュケ、ホワイト |
82年 レヴァイン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 |
シュライアー、コトルバス、ボーシュ、グルベローヴァ、タルヴェラ、ベリー |
83年 サヴァリッシュ/バイエルン国立歌劇場楽団 |
アライザ、ポップ、ブレンデル、グルベローヴァ、モル、ローテリング |
91年 レヴァイン/メトロポリタン歌劇場管弦楽団 |
アライザ、バトル、ヘム、セッラ、モル、シュミット |
00年 ウェルザー=メスト/チューリッヒ歌劇場管弦楽団 |
ベチャワ、ハルテリウス、シャリンガー、モシュク、サルミネン、ウィル |
01年 I・フィッシャー/パリ国立歌劇場管弦楽団 |
ベチャワ、レシュマン、ロート、ランカトーレ、サルミネン、シェーネ |
03年 C・デイヴィス/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団 |
ハルトマン、レシュマン、キーンリーサイド、ダムラウ、ゼーリヒ、アレン |
06年 ムーティ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 |
グローヴス、キューマイアー、ゲルハーヘル、ダムラウ、パーペ、グルントヘーバー |
06年 コンロン/ヨーロッパ室内管弦楽団 |
カイザー、カーソン、デイヴィス、ペトロヴァ、パーペ、パーペ |
07年 アーノンクール/チューリッヒ歌劇場管弦楽団 |
ストレール、クライター、ルドロール、モシュク、サルミネン、ベルムデス |
12年 アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス |
リヒター、クライター、ウェルバ、フレデリック、ツェッペンフェルト、ガントナー |
13年 ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 |
ブレリスク、ロイヤル、ノッジ、ドゥルロフスキ、イヴァシュチェンコ、ダム |
16年 A・フィッシャー/ミラノ・スカラ座音楽院管弦楽団 |
ピスコルスキ、サイド、オルロフスキー、オズカン、サマー、イェカル |
18年 カリーディス/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 |
ペーター、カーグ、プラチェトカ、シャギムラトヴァ、ゲルネ、ナズミ |
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[映像ソフト] |
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“ケルテスの指揮がとにかく素晴らしい稀少な映像。歌手は熱唱型で派手” |
イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 |
ウィーン国立歌劇場合唱団 |
ワルデマール・クメント(タミーノ)、ピラー・ローレンガー(パミーナ) |
ワルター・ベリー(パパゲーノ)、ロベルタ・ペータース(夜の女王) |
ワルター・クレッペル(ザラストロ)、ポール・シェッフラー(弁者) |
演出:オットー・シェンク (収録:1964年) |
ORF収録、米VAIレーベルからDVD発売されているザルツブルグ音楽祭の公演映像シリーズ。他にマゼールの《フィガロの結婚》、メータの《後宮からの誘拐》も出ている。ケルテスは同曲をセッション録音しておらず、モーツァルトの歌劇録音は同じオケとの《皇帝ティトゥスの慈悲》があるだけ。ケルテスの指揮ぶりが見られる映像ソフトも日本フィルを振った来日公演の2種しかなく、貴重な記録と言える。 |
当然モノクロ映像、モノラル音声(国内盤が出ていないので日本語字幕も無し)だが、古いビデオ映像はカラーの方がかえって輪郭がぼやける傾向もあり、むしろモノクロゆえに鮮明な映像で楽しめる。残響が豊かなせいか音質もクリアで聴きやすく、混濁、歪み、こもりはあまり目立たない。欠点は高音偏重の帯域バランスで、響きがかなり軽く感じられる事くらい。 |
指揮がとにかく素晴らしく、オルフェオがこの音源をCD化していないのが悔しい。芝居がかった身振りは一つもなく、端正で機能的な指揮ぶりではあるが、随所に聴かれる滋味豊かな表現に胸を打たれる。やや硬質で、輪郭を明瞭に打ち出そうとするのは、このコンビのモーツァルト録音に共通する音作り。 |
ヴィブラートを控えめにした、すっきりと清澄な弦の響きはHIPにも通じるもので、アタックの立ち上がりが速く、音楽のフォルムを決して崩さない点も今の耳に違和感がない。引き締まったテンポ感を基調に、強弱やアクセントを相当細かく付けていて、《俺は鳥刺し》や、侍女達とタミーノ、パパゲーノの5重唱など、かなり速いテンポを採る箇所もある。 |
歌手にも歯切れの良いスタッカートを徹底していて、パミーナとタミーノが初めて顔を合わせる群衆場面では、烈しいアタックでテンポも畳み掛けて合奏の密度を一気に上げるのも優れた演奏効果。第2幕のパパゲーノのアリアでは、伴奏のすこぶる軽妙でチャーミングな音彩とフレージングに思わず頬が緩む。 |
又、タミーノとパミーナが再会する瞬間に向けて、音が薄く、高くなって転調するに至るまでの、その和声とダイナミクスの積み上げ方、デリカシーと節度。そして試練の場面でのスロー・テンポの荘重さ、格調高さ、深々とした情感と豊かな響きなど、全くどの箇所を取っても理想的という他ない表現で、真に偉大な指揮者というのは凄いものだと圧倒される思いである。 |
クメントは熱唱型で、華やかなながらやや歌い崩す傾向あり。ペータースも派手で雄弁、声を張り上げるタイプだが、リズムも音程も正確で美声。第2幕のアリアも、テンポがやや走り気味な他は安定した見事な歌唱。ベリーはあまり強い印象は残さないが、問題はローレンガーで、波長の短いヴィブラートが一様に掛かっていて、ほとんど小刻みに震えながら歌っているような感じ。童子達は大人が歌っているが、クオリティは確か。 |
後年、ウィーン国立歌劇場の皇帝と称されたシェンクの演出は、伝統的な巨大書き割りを多用したセット美術で、今の目には学芸会みたい。まあ古いオペラ映像では、誰のプロダクションでも大体こんなものである。その分、衣装には凝っていて、モノスタトスの一味は本格的にアフリカの民族衣装のイメージを踏襲している(どこまでリアルかは私には判断できかねるが)。 |
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“画質も音質もクオリティが低く、演奏も旧弊でメリットに乏しいソフト” |
ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 |
グラインドボーン音楽祭合唱団 |
レオ・ゲーク(タミーノ)、フェリシティ・ロット(パミーナ) |
ベンジャミン・ラクソン(パパゲーノ)、マイ・サンド(夜の女王) |
トーマス・トマシュケ(ザラストロ)、ウィラード・ホワイト(弁者) |
演出:ジョン・コックス (収録:1978年) |
グラインドボーンの映像シリーズから。ハイティンクは後に、バイエルン放送響と同曲をセッション録音している。映像、音質共にあまり芳しくなく、演奏と演出もかなり古臭いと来れば、競合盤が多い中での当盤の優位性はかなり厳しい。疑似ステレオのような拡がりのない音も聴き辛く、低域も奥行き感も浅いし、レンジが狭く混濁感もある。残響は元々デッドな会場のようだが、オケの響きもややざらつく。 |
序曲ではバックステージの写真がコラージュされて楽しい演出だが、ハイティンクとオケが映るのは最後の数分になってからで残念。演奏は彼らしく、無理のない遅めのテンポで安定感抜群だが、重厚なグランド・スタイルではないものの、HIPを聴き慣れた耳には俊敏さが乏しく感じられる。リズムに弾みがあるので重々しさからは救われているが、もう少しシャープな輪郭は欲しい。 |
パパゲーノの“恋人か花嫁のどちらかが”をこんなにのんびりと演奏するのは、今ではもう聴けないスタイルかもしれない。フィナーレの山場も一切加速する気配がなく、興奮を示さない。こうなると逆に個性的なパフォーマンスという事になるのか。いずれにしろ、この音質ではモーツァルトらしい愉悦感も味わえない。 |
ゲークは、青春映画の垢抜けない主人公みたいなキャラクター。経歴に各地の歌劇場で活躍とあるが、その後もあまり名前を聞かない。歌唱はみな安定しているが、ラクソンが笛の音階を口笛で吹くのは、音程が怪しい上にいちいち流れが止まって音楽的に問題あり。きっと本人がやりたいと言い張ったに違いない。夜の女王は風貌が独特で一部ピッチが気になるが、力も抜けていて見事なパフォーマンス。 |
演出は伝統的なスタイルでユーモアもあるものの、特に印象に残る点はない。唯一、侍女達がスキンヘッドに見えるほど額を広く見せるカツラで登場し、異様な雰囲気が漂う。 |
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“演奏は良質だが、会場の響きが良くない上、歌手の年齢層が高く視覚的に苦しい” |
ジェイムズ・レヴァイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 |
ウィーン国立歌劇場合唱団 |
ペーター・シュライアー(タミーノ)、イレアナ・コトルバス(パミーナ) |
クリスティアン・ボーシュ(パパゲーノ)、エディタ・グルベローヴァ(夜の女王) |
マルッティ・タルヴェラ(ザラストロ)、ワルター・ベリー(弁者) |
演出:ジャン=ピエール・ポネル (収録:1982年) |
ザルツブルグ音楽祭のライヴ映像で、フェルゼンライトシューレでの公演。当コンビはこの2年前に楽友協会ホールでセッション録音も行っているが、コトルバス、ボーシュ、タルヴェラ以外のメイン・キャストは入れ替わっている。元々音響の良い会場ではないし、古い放送録音なので、マイク・セッティングやミックスなど一部不自然な箇所もある。 |
指揮はセッション盤と同様にきびきびとして軽快だが、序曲の前奏部や、タミーノと弁者の最初のやり取りなど、ぐっとテンポを落として深い陰影を付ける箇所もあり、前時代的なロマンティシズムが顔を出す。それでも軽みを失わないのは、各幕のクライマックスなど盛り上がりの箇所で力こぶを作らず、音量を抑えてさりげなくまとめるせいか。 |
アリアも含め、舞台の効果を熟知したテンポ設定は全く見事で、ドラマの進行が弛緩しないのはさすが。オケも木管ソロや弦の合奏など、随所に艶っぽい音色を聴かせる。合唱はオフ気味で、あまりクリアに録音されていない。 |
歌唱陣は、今の感覚からすると年齢層が高すぎて、視覚的にかなり違和感がある。特にシュライアーは発声にも癖があり、歌曲の録音では気にならないのに、ここでは坂上二郎みたいな田舎のおっちゃん風の歌い方に聴こえて残念。その点、同じくらいの年齢とおぼしきボーシュは、フットワークの軽い小器用な演技力でルックスと歌唱のフレッシュ不足をカヴァーしている。 |
グルベローヴァは、お得意の役柄だけあってここでも見事。コトルバスも、持ち前の美声と端正な歌唱スタイルで好印象。タルヴェラはめちゃめちゃ悪人面だが、歌唱は立派。 |
演出は案外オーソドックスだが、東南アジアの廃墟みたいなセットに、大蛇や獣たちも民芸品の仮面を思わせ、何かしら裏コンセプトがある様子。パパゲーノが小さな芝居舞台を伴って登場するのも、意味がよく分からない。彼がピットの奥から逃げてきて指揮者とやり取りをする所は、ポネルらしいメタフィクション的な枠組み。美術や衣裳もポネルによるデザインだが、フリーメイソンのイメージは取り入れない傾向。 |
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“演奏は充実しているし演出もオーソドックスで良いが、映像としては古さが気になる” |
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場楽団・合唱団 |
フランシスコ・アライザ(タミーノ)、ルチア・ポップ(パミーナ) |
ヴォルフガング・ブレンデル(パパゲーノ)、エディタ・グルベローヴァ(夜の女王) |
クルト・モル(ザラストロ)、ヤン=ヘンドリック・ローテリング(弁者) |
演出:アウグスト・エヴァーディング (収録:1983年) |
サヴァリッシュの同曲は、同じオケで11年前のセッション録音もあるが、クルト・モル以外の主要キャストは一新されている。歌劇場でのライヴ収録で、セッション盤よりずっと豊麗なサウンド。ただ映像は今の目で観るとかなり古臭く感じるかもしれない。 |
録音のせいだけでなく、演奏もセッション盤より恰幅が良くなった印象。引き締まったテンポできびきびと進行する姿勢は維持しつつ、全体的には遅くなったというか、一般的なテンポに近づいたように感じる。その分、峻厳な造型性よりもしなやかな歌が目立つ。決して重々しくはなく、例えば第2幕の冒頭など荘重になりがちな箇所も停滞せず、速めのテンポでメヌエットのように生き生きとリズムを弾ませる。極端な所はなく、ドイツ正統派の端正な演奏。聴衆からは喝采を浴びている。 |
キャストは重量級の名歌手ばかりに見えるが、当時はまだ中堅だったかもしれない。メインどころはみな美声で朗々と歌い上げる傾向で、スタイルの問題を気にしなければ聴いていて楽しい。ただ、情緒過多で身振りも重いアライザを筆頭に、リズムの正確さよりフレーズ重視な所は時代を感じさせる。ポップも、一般的なパミーナ像からするとかなりパワフルで堂々としている。 |
侍女や童子達、モノスタトス一派など、脇役陣までみな歌唱が充実しているのはさすがサヴァリッシュ。突出した名唱というのではないが、近年の新進中心の公演とは違って抜群の安定感。特に重唱やアンサンブルのまとまりが良い点は、セッション盤の美質を継承している。 |
演出はオーソドックスで、台本のイメージに忠実。セット美術も豪華でスケール感がある。とはいえモノスタトス周りにアフリカのイメージを取り入れる一方、フリーメイソンの要素が希薄な事を考えると、正統的というより絵本のような分かりやすさを目指したファンタジーと形容した方が正確かもしれない。歌手たちのルックスが今風ではないのと、照明が暗くて映像も古いので、ビギナーにお薦めの映像ソフトとは今や言えないのが残念。 |
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“指揮も歌手も完璧、演出も分かりやすく、万人にお勧めできる映像ソフト” |
ジェイムズ・レヴァイン指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団 |
フランシスコ・アライザ(タミーノ)、キャスリーン・バトル(パミーナ) |
マンフレート・ヘム(パパゲーノ) 、ルチアーナ・セッラ(夜の女王) |
クルト・モル(ザラストロ)、アンドレアス・シュミット(弁者) |
演出:グース・モスタート(オリジナル演出:ジョン・コックス) (収録:1991年) |
当コンビの《魔笛》映像は、後にジュリー・テイモアが演出した新ヴァージョンも発売されたが、そちらはファミリー向けを意識したのか短縮版。レヴァインの同曲は80年のセッション録音、82年のザルツブルグ音楽祭での映像もあり、いずれもウィーン・フィルを振ったもの。 |
指揮が秀逸で、モダンとしては限りなくHIPに近付いた表現。テンポが速く身振りが俊敏、アーティキュレーションの変化に全身を耳にして集中している感じもある。それでいて窮屈な所がなく、常に音楽が生き生きと躍動している。目の覚めるようにフレッシュで、鮮烈なモーツァルト像。しかもこの指揮者の美質として、舞台上の歌手との絶妙な呼吸の一体感がある。 |
劇的な構成力も傑出していて、レチタティーヴォ的にテンポが細かく変化するような箇所は流れるようにスピーディな音楽運びが素晴らしい。杓子定規な交通整理ではなく、スコアとドラマが求めるテンポと現実的な舞台上の効果を熟知した采配。夜の女王のアリアなど、締めくくりにルバートをかけてティンパニを強打させたりと実にドラマティック。 |
アライザはやや古風な歌唱スタイルだが、美声だし表情付けが雄弁。この時期以降あまり見かけなくなったのは、加齢と役柄がうまく一致しなかったのか。バトルはやはり図抜けている。パワフルで健全な性格で、死に取り付かれたようなパミーナの暗い側面に合うかどうかは微妙だが、純音楽的に見事。ヘムは地味な佇まいだが、朗々とした声で音程も悪くない。 |
セッラはC・デイヴィス/ドレスデン盤でも夜の女王を歌っているが、最高音域でやや発音が遅れる以外はリズミカルで完璧。声もパワフルで美しく、どちらのアリアも大喝采を受けている。ハインツ・ツェドニクがモノスタトスを歌っているのも、メトの観客が喜びそうな配役。第2幕のアリアなど快速テンポで、ロッシーニみたいなアクロバット性もある。モルもそうだが、本場の名歌手が聴けるのもメトの良さだろう。 |
歌曲も得意とするシュミットが弁者を歌っているが、無個性だったり重々しくなりがちなこのパートを、生きた歌、演技でしなやかに表現していて強い存在感を放つ。また童子や従者など脇役のクオリティが高く、重唱のまとまりが非常に良いのもメトらしい。唯一、ここの合唱団は評価が未だによく分からない。下手ではないのだが、特に感心した記憶も無い気がする。 |
演出はメトらしく分かりやすい、親しみやすいもの。特にコミカルさを強調している訳ではないが、メトの観客はよく笑っている。書き割りを多用して絵本のような世界観で、カラフルな色彩もファンタジックだが、エジプトの壁画など中東・アフリカのイメージはきちんと盛り込む。ほとんど主役とも言えるステージ・デザインはデヴィッド・ホックニー。 |
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“全編を一気呵成に聴かせるウェルザー=メスト一流のセンス。演出も好印象” |
フランツ・ウェルザー=メスト指揮 チューリッヒ歌劇場管弦楽団・合唱団 |
ピョートル・ベチャワ(タミーノ)、マリン・ハルテリウス(パミーナ) |
アントン・シャリンガー(パパゲーノ)、エレーナ・モシュク(夜の女王) |
マッティ・サルミネン(ザラストロ)、ジェイコブ・ウィル(弁者) |
演出:ジョナサン・ミラー (収録:2000年) |
ウェルザー=メストのチューリッヒ時代の意外に少ない映像ソフトの1つ。彼がオペラ指揮者として優秀なのは、速めのテンポで颯爽と駆け抜けるのみならず、次のナンバー、次の場面へ流れるように移行してゆく連結の手法。曲ごとのテンポの連関や幕全体の設計にも目配せが行き届いていて、それぞれのフレーズと場面が、これほど有機的に美しく結びつけられた《魔笛》は稀少。全体を一筆書きのように、一気呵成に聴かせてしまう。 |
既にHIPを実践している点は注目に値するが、合唱を含む大規模なナンバーでも軽快極まりない表現を貫く他、新鮮な発見に満ち溢れ、生き生きとしたディティールと覇気、躍動感が漲る。またレチタティーヴォ的な箇所も、部分的にテンポを煽ったり特定の音型を強調したり、ドラマティックな語り口に息を飲む。パパゲーノのアリアでは、飲み食いを始めた歌手から引き継いで指揮者が横笛を吹くというユーモアもある。 |
歌唱陣はベテランのサルミネンや劇場の歌手ハルテリウスもいるが、当時はまだ新進だったであろうベチャワの歌唱力、表現力が図抜けている。後の大成もよく分かる歌いぶりである。他の盤にも参加しているシャリンガー、モシュクは、時に意図的ではあるにせよ、リズム感より歌い崩しを優先する歌唱が好みを分つ。とはいえ合唱、侍女や童子達も含め、声楽はよくまとまっている。 |
演出は一見オーソドックスだが、フランス革命期に時代を設定し、夜の女王はマリア・テレジアとしてアンシャン・レジーム(旧体制)を象徴。ザラストロはフリーメイソンだが、会員たちはいかにも貴族。パパゲーノたちは一般民衆で、鳥の格好もしていない。ラストの大団円にはトリコロールのタスキをかけた知識階級の人々が中央に登場し、フランス革命の勝利と啓蒙主義がほのめかされる。知的な企みだが、音楽を邪魔しないので嫌味がなく、自然に受け入れられる。 |
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“入手しにくいのが難点だが、内容自体は大いにお薦めの映像ソフト” |
イヴァン・フィッシャー指揮 パリ国立歌劇場管弦楽団・合唱団 |
ピョートル・ベチャワ(タミーノ)、ドロテア・レシュマン(パミーナ) |
デトレフ・ロート(パパゲーノ)、デジレ・ランカトーレ(夜の女王) |
マッティ・サルミネン(ザラストロ)、ヴォルフガング・シェーネ(弁者) |
演出:ベンノ・ベッソン (収録:2001年) |
パリ・オペラ座の珍しい《魔笛》。フィッシャー弟がブダペスト祝祭管以外のオケを振った音源もなかなか少ないので、その意味でも貴重。海外盤は入手困難で中古は高値のようだが、世界文化社「珠玉の名作オペラ」というDVD付き書籍シリーズで出ていたので、こちらなら日本語字幕入りの中古品を入手しやすいかもしれない。やや歪みのある録音。 |
イヴァンの指揮は機敏でしなやかなスタイルだが、テンポをロマンティックに揺らして濃密なニュアンスを盛り込むのが彼らしい。オケの明朗な色彩を生かしつつも、柔らかさのある美しい響きで、ブダペスト祝祭管をはじめ彼の録音に共通するサウンド傾向でもある。 |
基本的には軽妙なタッチで演奏しているナンバーが多いが、フリーメイソンのファンファーレとされる3音はかなり溜めるし、リリカルな場面で相当にテンポを落としたりもする。一方《俺は鳥刺し》はかなり速めのテンポで、夜の女王の最初のアリアも曲調の変転を鋭いアタックとスタッカートで強調。 |
歌手は他と重複している人が多いが、珍しい所ではデジレ・ランカトーレ。童顔で、パミーナの母というよりは姉妹に見える。歌唱は華やかながら、ややヒステリック。波長の短いヴィブラートがずっと掛かっていて、アクセントも勢いが強い。第2幕のアリアはテンポ・キープがちょっと怪しいが、技術的な問題なのか、敢えて即興的にテンポを揺らしているのかは分からない。 |
まだ初々しい姿が見られるレシュマン、ベチャワ、ベテランのサルミネンと、実力派たちは安定したパフォーマンス。ベチャワはウェルザー=メスト盤、レシュマンはC・デイヴィス盤、サルミネンはウェルザー=メスト盤、アーノンクール/チューリッヒ盤で同じ役を歌っている。又、ロートがハンサムで若々しく、大学生のようなパパゲーノでユニーク。 |
ベッソンは、ブレヒトからベルリン・アンサンブルに招かれ、70年代まで東ドイツで活躍していたスイスの演出家。メルヘンチックで分かりやすい演出は好印象だが、ザラストロの一派たちは黒いスーツにネクタイで現実世界を思わせる。笛に集まる動物たちは擬人化というか、貴族の衣装に動物の被り物をしている。また、夜の女王は紅白歌合戦の小林幸子みたいに、巨大なドレスの頂上に顔がある(メイクや髪型も幸子っぽい)。 |
カラフルなセット美術も親しみやすいが、背景に書き割りを多用しているのは旧世代の演出家という雰囲気か。パパゲーノの鳥かごに外から鳥が飛んで来て入るのは、マジックのようでどういう仕掛けか分からない。ブックレットの解説によれば、ザラストロの椅子など典型的なフリーメイソンのイメージを多く用いている演出らしいが、とにかく謎の多い組織なので会員でない限り全ては分からないだろうとの事である。 |
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“遅めのテンポで徹底して克明な演奏。歌手は優秀で、演出も好ましい” |
コリン・デイヴィス指揮 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団・合唱団 |
ヴィル・ハルトマン(タミーノ)、ドロテア・レシュマン(パミーナ) |
サイモン・キーンリーサイド(パパゲーノ)、ディアナ・ダムラウ(夜の女王) |
フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ(ザラストロ)、トーマス・アレン(弁者) |
演出:デヴィッド・マクヴィカー (収録:2003年) |
ドレスデンでのセッション録音以来、19年ぶりのC・デイヴィス盤。ただし、同曲の上演は15年前にもしていると特典映像で語っている。 |
遅めのテンポで、細部を徹底して克明に掘り下げた演奏。とはいえ重厚さよりも清廉さが勝る。開幕早々の侍女達のくだりなど、恣意的なルバートを避ける所に淡々として剛毅な性格が垣間見える一方、ニュアンスがすこぶる多彩。そういえばサー・コリンは、「アーティキュレーションの鬼」たる資質でモーツァルト指揮者として台頭した人であった事を思い出す。 |
各場面クライマックスのティンパニを剛胆に強打させるトゥッティなど、ストレートな力感はこの指揮者らしい。インタビューは老人っぽい語り口で「年を取ったなあ」と感じるが、指揮ぶりはきびきびとして相変わらず激しい。また、歌手にもフレージングのディレクションを徹底している感じはさすがオペラ指揮者である。テンポは最後まで遅く、恰幅の良い音楽作り。 |
歌唱陣は、ダムラウが圧巻。ムーティ盤の映像でも歌っているが、怒気に溢れた眼力と気迫が圧倒的で、まずはその演技力に驚く。さらに、見事にコントロールされた歌唱が凄い。力で押さず、弱音の効果を随所に挟むので、一本調子に陥らないのも優れた音楽家の証。詰め寄られる側のレシュマンも、バレンボイムのお気に入りだけあって美声かつ安定した歌唱。 |
ハルトマンはシャープで硬派な声質で、最初は平坦で力みもみられるが、徐々に柔らかさも出てくる。ただしどことなく悪人顔で、ルックスはタミーノらしくないかも。ソファに飛び込んだり床にスライディングしたり身体能力に優れたキーンリーサイドも、音程の聴き取りやすいバリトンで好印象。 |
特典映像のバックステージ映像を観ると、指揮者と演出家は正に相思相愛の幸せな例。デイヴィスは、「ショックを狙わず、ストーリーを物語る演出。音楽に全てを語らせているのが素晴らしい」。マクヴィカーは、「モーツァルトのオペラは全てデイヴィスの録音で勉強した。一緒に仕事できると聞いて、光栄で思わず驚喜した。テンポやスコア解釈でも意気投合した」と語る。 |
分かりやすい演出と美しいデザインは確かに素晴らしい。舞台を18世紀に設定していて、ザラストロ側も夜の女王側もデフォルメされた貴族(ザラストロはナポレオンのようである)として描かれる一方、タミーノやパパゲーノは庶民の服装。パパゲーナは網タイツにサングラスの現代人で、タミーノらが子供達と去ってゆくラストと合わせると、未来に希望を託した演出なのかもしれない。 |
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“シリアスで丹念、劇的な溜めも多い指揮。歌手も演出も良好なザルツブルグ・ライヴ” |
リッカルド・ムーティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 |
ウィーン国立歌劇場合唱団 |
ポール・グローヴス(タミーノ)、ゲニア・キューマイアー(パミーナ) |
クリスティアン・ゲルハーヘル(パパゲーノ)、ディアナ・ダムラウ(夜の女王) |
ルネ・パーペ(ザラストロ)、フランツ・グルントヘーバー(弁者) |
演出:ピエール・オーディ (収録:2006年) |
録音、映像を含めムーティ唯一の《魔笛》。そもそもムーティが、ダ・ポンテ三部作以外でモーツァルトのオペラを振るのは珍しい。ザルツブルグ祝祭劇場でのライヴ。ブルーレイは日本語字幕入りの国内盤が出ていないのが残念。 |
演奏はムーティらしく、適度な推進力と彫りの深い造形で一貫。スフォルツァンドやチェロの合いの手のアクセントなど、アーティキュレーションを徹底して丹念に描写する辺り、ベームの衣鉢を継ぐ雰囲気もある。決然とした調子、集中力の高さやひたすら真剣な姿勢は最後まで崩れず、速いテンポではない箇所でも音の立ち上がりにスピーディな勢いがある。逆に、瞬間瞬間に重みをかけすぎてブレーキになり、速いパッセージで歌手が先走る場面も多々あり。 |
アリアによってはかなり劇的な溜めも加えていて、細部は雄弁。HIPとは逆のベクトルを示しながらもスタイリッシュな端正さはあって、往年のグランド・スタイルとは全く異なる。ただ、ムーティは小規模の作品を振る際(例えば《ファルスタッフ》など)、様式を意識してあまりスケールを拡大せず、熱っぽく盛り上げないきらいもある。歌手へのディレクションは徹底していて、会場も大いに湧いている。 |
グローヴスは演劇的で身振りが大きく、表情も豊か。常にとはいかないものの、音程が聴き取りやすく声も美しい。キューマイアーはオケの演奏会にもよく起用される実力派で、端正な歌唱が好ましい。ゲルハーヘルもオーケストラ作品や歌曲のディスクも多数出している人気歌手だが、美声で闊達、リズム感も卓抜ながら、音程に影響するヴィブラートがやや気になる。 |
ダムラウは当たり役でさすがのパフォーマンス。いずれのアリアもドラマティックな溜めが多いが、第2幕のアリアは怒りのパワーが凄まじく、遅めのテンポでオケもソロも流れこそ良くはないものの、ワーグナーばりにディティールを掘り下げる。片目を半分つむって娘に詰め寄る迫力も凄く、セリフ部分の演技力も相当なもの。 |
相変わらず力強いパーペ、ベテランで芸達者なグルントヘーバーらが充実した脇を固める他、エカテリーナ・グバノヴァが第3の侍女を歌う重唱、ウィーン少年合唱団による童子達と、聴き所の多い演奏。 |
演出は原色のポップな色彩を基調に、子供のお絵描きを拡大したような美術デザインがユニーク。巨大な玩具のような動物たちや、切り絵で作った模型のような童子達の飛行機も楽しい。たいまつの火や噴水などスペクタルもある。ザラストロ側はフリーメイソンのイメージではなく、衣裳もメイクもアフリカンなデザインで、部下たちも白塗りに目を黒く隈取ったパンダのようなメイク。モノスタトスらは黒塗りで、ほとんど民族衣裳の感じ。粘土人形を巨大化させたようなオブジェも、土俗的な祭儀感を演出する。 |
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“ブラナー監督の意向も濃厚だが、演奏も台本も群を抜いて素晴らしい映画版” |
ジェイムズ・コンロン指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団 |
アポロ・ヴォイセズ合唱団 |
ジョセフ・カイザー(タミーノ)、エイミー・カーソン(パミーナ) |
ベンジャミン・ジェイ・デイヴィス(パパゲーノ)、リューボフ・ペトロヴァ(夜の女王) |
ルネ・パーペ(ザラストロ、弁者) |
監督:ケネス・ブラナー (公開:2006年) |
英国の俳優・監督ケネス・ブラナーによる映画版。キャストは全て本職の歌手で、実際に歌っている(同録ではなく、アビーロード・スタジオで事前収録)。歌詞は英語で、逐語訳を現代的な言い回しに修正したというが、実際には歌詞の内容自体も演出に合わせてかなり変更されている。サントラ音源は発売されているが、抜粋盤のため取り上げなかった。 |
なぜ全曲盤を発売しなかったのか不思議なほど素晴らしい演奏。コンロンはキャリア初期に、スコットランド室内管とモーツァルトの交響曲第25、31、40、41番を録音しているが、モダン楽器ではあるにしろ70年代に既にHIPの思想に傾いていた人だと分かる。シャープで俊敏なリズムに軽快なフットワーク、固いバチを使ったティンパニ、速めのテンポによる生き生きとした動感。重唱や合唱にも、常にこの軽妙なスタイルは保たれている。 |
全てがコンロンのディレクションかというと、メイキング映像で分かる通り、ブラナーの意志もかなり徹底されている。監督はコンロンを「寛大な人だ」と評しているが、実際に指揮や演奏に注文を出している姿も窺えるし、歌手への指示も節回しや演技、発音までかなり細かい。演奏全体のコンセプトは、コンロンのバックアップを得たブラナー監督によるものという方が正しいかもしれない。 |
歌唱陣は、特に第1幕の侍女たちやパパゲーノのアリアでリズムがもたれてオケとズレる箇所もある。それが英語訳詞のせいなのか、歌手のスキルの問題なのか、指揮者のディレクションなのか何だろうと思っていたが、メイキングを観て監督の演技(歌唱)指導が原因と判明。英語の発音をうるさく指摘されてイライラしたパーペが、外に出て煙草を吸い、キャメラに愚痴をこぼす一幕もある。 |
同一人物という設定のザラストロと弁者を歌うパーペ以外は、新顔中心のキャスティング。カーソンは「これがチャンスだった」と語るくらいの大抜擢。デイヴィスはミュージカル畑の人である。ペトロヴァも夜の女王としてはあまりにストレートで、一本調子に感じるほどだが、指揮者や歌手の意向より監督のイメージが優先しているようなので、ここで取り上げるのは不当なのかもしれない。 |
意外だったのは、人気オペラ歌手パーペの演技力。目の芝居の情報量が実に豊かで、ただ黙って演技だけをしている場面でも、顔の表情だけで実に多くの背景を物語る。映画俳優よりもスクリーンでの存在感が強いオペラ歌手なんて、なかなかいないのではないか。 |
演出が素晴らしい。私は読み替えが嫌いだし、オペラ映画は輪をかけて嫌いだが、本作は自分が今まで観た中で、珍しくオリジナルを読み替え演出が越えた例である。ブラナーは舞台を第一次大戦時に設定し、特殊効果を駆使した映画的マジックによって時空を超え、ファンタジーの世界を現出。フリーメイソンの要素を一掃し、テーマを太陽と夜の争いから、戦争と平和の問題に移行させた。 |
ここでザラストロは、モーツァルトのオペラに共通する主題である“赦し”を体現する存在である。彼が子供達と手を取り合って訪れる共同墓地には、様々な国の兵士の名前(日本語もたくさんある)が刻まれている。ドラマが破綻しがちな各部の展開はいずれも見事に再解釈されている。タミーノが写真1枚で自分に恋に落ちたと聞いたパミーナが「バカみたい」と呟くリアルな反応などは、本作の説得力の象徴的な表れだ。 |
シカネーダーの台本が全く整合性を欠くがゆえ、読み替えは問題を解決できる可能性が大いにあるわけだが、実際にそれを達成した演出が他にほぼ無い事を考えると、演出家たちの才能など所詮窺い知れる。他のオペラ映画と違って音楽が大事に尊重されており、効果音や遠近法で音楽を台無しにする事がないのが好ましい。砲弾や銃声の背景になってしまう序曲も、エンド・クレジットで再度きちんと聴かせてくれる。 |
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“野趣のある響きで、ユニークな解釈の多いオケ。歌手にやや問題があり、演出は最悪” |
ニコラウス・アーノンクール指揮 チューリッヒ歌劇場管弦楽団・合唱団 |
クリストフ・ストレール(タミーノ)、ユリア・クライター(パミーナ) |
ルーベン・ドロール(パパゲーノ)、エレーナ・モシュク(夜の女王) |
マッティ・サルミネン(ザラストロ)、ガブリエル・ベルムデス(弁者) |
演出:マルティン・クシェイ (収録:2007年) |
同コンビはこの20年前に同作をセッション録音しているが、当公演ではサルミネン以外、メイン・キャストを一新。チューリッヒ歌劇場管は、アーノンクール指揮の公演では妻アリス(VCMのメンバーでもある)が参加する事を認めているそうで、ヴァイオリン・セクションに彼女の姿がある。劇場での収録だが非常に残響がデッドな録音で、奥行き感も平板。ピットの深さを変えているのかもしれない。 |
そのせいかオケが雑然としたくすんだ響きで、それが独特の野趣を生んでもいる。序曲こそてきぱきとしたセッション録音のテンポを継承するが、全体に発音のタイミングを微妙に遅らせて進行にブレーキをかける傾向があり、フレーズに挟まれる間合いはさらに拡大。これはオケだけでなく歌手にも顕著で、ほとんど歌手のブレスに合わせてアゴーギクが伸縮し、テンポがどんどん重くなってゆく印象すら受ける。 |
また、侍女達のやりとりをラップのように半ば喋らせたり、タミーノ達が試練を乗り越えた後の山場で、合唱を弱音で歌わせるのもユニークな解釈。夜の女王のアリア等では鋭いアクセントとスタッカートを多用し、敏感なアーティキュレーションとダイナミクスを適用している。パパパの二重唱で、後半がロッシーニのように高揚するのも痛快。 |
ストレールは、前半を中心に音程が不安定。声質は悪くない。キャストの中ではクライターが好印象で、声、音程、歌い回し、ルックスとどれも清新で素晴らしい。モシュクも実力派だが、ここでは演出や衣装のせいもあるのか、歌唱以前に女王らしい存在感が欲しい。彼女は同じ劇場でのウェルザー=メスト盤でも歌っているが、そちらは歌唱にも難があった。 |
ドロールはソフトな歌い口で、歌唱としてはあまり印象に残らないものの、キャラクターや芝居が受けたのか、カーテンコールでは客席から大きな喝采を得ている。逆に、ベテランのサルミネンがさほど賞賛されていないのは不思議。 |
最悪なのが演出。面倒くさい読み替えの連続で、偉大な作品を利用して自分の発表会をやるのはエゴ以外の何者でもない。幕開けから、タミーノとエキストラが黒い蛇に巻き付かれてのたうち回り、侍女達は盲目、パパゲーノは動物園の檻にいて、童子たちは鳥の羽をむしり、笛の音に集まるのは泥まみれの採掘人と血まみれの屠殺人達。こうやって説明するのも、演出家に加担しているようで腹立たしい。 |
いちいち意味も知りたくないし、知った所で毒にも薬にもならない。歌詞にも台本にも無い事をやるので、当然ながら辻褄の合わない所も出てくる。これなら映像付きではなく、音源だけを発売した方が良かっただろう。日本語字幕の入ったソフトは出ていないが、大体の雰囲気だけ見て、あとは音だけ追っていれば良いと思う。 |
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“VCMによるピリオド楽器の魔笛。歌手も演出も、チューリッヒ公演よりはずっとマシ” |
ニコラウス・アーノンクール指揮 ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス |
ウィーン国立歌劇場合唱団 |
ベルナルト・リヒター(タミーノ)、ユリア・クライター(パミーナ) |
マルクス・ウェルバ(パパゲーノ)、マンディ・フレデリック(夜の女王) |
ゲオルク・ツェッペンフェルト(ザラストロ)、マルティン・ガントナー(弁者) |
演出:イェンス=ダニエル・ヘルツォーク (収録:2012年) |
アーノンクールの同曲映像は、この7年前にチューリッヒ歌劇場の公演があるが、こちらはザルツブルグ音楽祭ライヴ。前者がドイツ・グラモフォン、こちらはソニー・クラシカルと大手レーベルの発売なのに、なぜか入手困難(日本語字幕入りの国内盤も無し)。演出は別プロダクションで、メイン・キャストで共通しているのはクライター、モノスタトスのルドルフ・シャシング、第1の侍女サンドラ・トラットニクくらい。 |
演奏は手兵のVCMで、当欄で取り上げた中では唯一のピリオド楽器。テンポも表情もスピーディで過敏、陰影が濃く、伴奏も低弦のアクセントを強調したり雄弁。完全にHIPのスタイルだが、表現がこなれているせいかアーノンクールにしてははずっと自然で、余裕がある佇まいに聴こえる。他の活動を見る限り、別に丸くなったわけではないのだろうが。残響豊富で潤いのある録音も、合奏の刺々しさを緩和している。 |
チューリッヒ盤にあった、歌手の呼吸に合わせた発音タイミングの遅延はさらに拡大されていて、ほとんどフレーズごとにフェルマータやルバートが入るし、不安定なほどテンポが変動する。素朴な音色のフルートなど、ピリオド楽器の効果は随所にあり。タミーノとパミーナが試練を終えた後の合唱は、ここでも弱音で歌われている。 |
歌手はチューリッヒ盤よりもクオリティが高く、リヒターはハンサムな風貌と、のびやかで音程が気持ちよく当たる美声も心地よい。続投のクライターがまた素晴らしく、フレーズをまるでリートのように丁寧に造形し、美しい声と正確なピッチ感で歌っていて見事。フレデリックは、やや小粒ながら手堅くまとめた感じ。ツェッペンフェルトが参加しているのは聴き所で、低音まで抜けの良い美声と正確な音程が嬉しい。 |
ウェルバは、チューリッヒ盤のドロールとは対照的に、音の頭に全て語気の強いアクセントを付けるストロング・スタイル。時に音程を取り払って、セリフ口調も交える。歌い出しを全てルバートで粘るのも独特。テルツ少年合唱団員による童子達や、パパゲーナのエリザベス・シュヴァルツなど、脇役がすこぶる巧いのも公演の質を高めている。 |
演出は現代への読み替えで、台本にない寸劇などは余計だが、チューリッヒ盤よりはずっとまし。ザラストロは大病院の院長らしく、合唱団はみな白衣を着ている。パパパの二重唱で、ベビーカーがどんどん出てくるのは素敵。見苦しい大人達を横目に、2組の若いカップルがベビーカーを押してゆく幕切れも、未来への希望が感じられる。フェルゼンライトシューレでの公演だが、セット美術が中心で、舞台背後の岩盤はほぼ使っていない。 |
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“アグレッシヴに攻めるオケと、脇役が豪華な歌唱陣。読み替え演出も珍しく成功” |
サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 |
ベルリン放送合唱団 |
パヴォル・ブレリスク(タミーノ)、ケイト・ロイヤル(パミーナ) |
ミヒャエル・ノッジ(パパゲーノ)、アナ・ドゥルロフスキ(夜の女王) |
ディミトリ・イヴァシュチェンコ(ザラストロ)、ホセ・ファン・ダム(弁者) |
演出:ロバート・カーセン (収録:2013年) |
ベルリン・フィルのイースター音楽祭が、ザルツブルグからバーデン=バーデンに会場が移って第1回目の公演。なぜかラトル時代は評判が悪く、数年後にはレジデント・オケがティーレマン率いるシュターツカペレ・ドレスデンに取って代わるという屈辱的な交代劇が起きてしまう(カラヤンが始めた音楽祭なのに)。 |
序曲は落ち着いたテンポで、響きもたっぷりしていて造型が旧弊。むしろテヌートも多用してカラヤンの語法も想起させ、一時期はHIPに近づいたラトルには意外な表現である。ただディティールには斬新なアイデアを盛り込み、スコアにない弱音やルバートをあちこちに挟んでなかなかアグレッシヴ。開幕後の侍女達の重唱も、誰が場を離れるか揉めるくだりでぐっと加速したり、最後に即興的なカデンツァを派手に挿入するなど奔放な表現意欲を示す。 |
続くパパゲーノのアリアは笛をピアニカで代用し、急な弱音や減速を恣意的に用いる。テンポの解釈は独特で、相当に速いナンバーもあるが、概して自由にテンポを揺らすロマンティックな語り口。時にそのテンポ変化が、今まで意識していなかった何気ないフレーズに強い存在感をもたらす瞬間もあり、単なる思いつきではなく熟慮されたものなのだろう。 |
ベテランのダムを除けば新進中心という感じの歌唱陣は、非常にクオリティが高い。アンサンブルの統一感も、歌唱力も演技力もある。注目は第2の侍女にマグダレーナ・コジェナー、第3の侍女にナタリー・シュトゥッツマンという超豪華キャスティング。単なるお遊びのサービスに終わらず、少しセクシュアルな演技が付けられたアクの強い重唱を、3人ともノリノリで歌い演じていて楽しい。 |
演出は死のイメージ(もしくは死と生の対立)をモティーフとし、舞台は墓地。背景のスクリーンに鬱蒼たる森を投影し、床に芝を敷き詰めている。タミーノは白のタキシード、パミーナも白服だが、パパゲーノはテントを背負った浮浪者、侍女達は喪服で、モノスタトスは墓堀人だ。大きな特色はザラストロも夜の女王も黒い服を来た同じグループで、若者に通過儀礼を施すために対立を演じているという解釈。台本の矛盾をうまく解決していて、数少ない成功した読み替え演出と言える。 |
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“スカラ座本体と較べても遜色がないほどクオリティの高い、音楽院生たちの公演” |
アダム・フィッシャー指揮 ミラノ・スカラ座音楽院管弦楽団・合唱団 |
マルティン・ピスコルスキ(タミーノ)、ファトマ・サイド(パミーナ) |
ティル・フォン・オルロフスキー、ヤスミン・オズカン(夜の女王) |
マーティン・サマー(ザラストロ)、フィリップ・イェカル(弁者) |
演出:ペーター・スタイン (収録:2016年) |
スカラ座音楽院の学生たちによる公演。オケや合唱だけでなくソリストも学生だが、2001年の創立以来、チケットがソールド・アウトになるほど好評との事。映像ソフトとして発売されるくらいだから、そのクオリティは折り紙付きと言える。ただスカラ座の《魔笛》は非常に珍しく、A・フィッシャーとスカラ座の共演も他にない事を考えると、できれば本体のオケで聴きたかった残念さはある。 |
演奏は素晴らしく、序曲からニュアンスの豊かさに耳を奪われる。HIPの過激さはないが、編成は小さめでヴィブラートも抑制。機動性の高い合奏とフレーズごとに徹底して描写されたアーティキュレーションは、新時代のモーツァルト演奏を展開してきたフィッシャー兄らしい解釈。幕開けも緊張度が高く、全体にかなり速めのテンポを採るナンバーが多い。一方、金管のアクセントなど雑音性は排除していて、トゥッティの響きは柔らかく豊麗。 |
侍女の三重唱の途中でぐっとテンポを煽るなどオペラを知り尽くした指揮だが、この指揮者の常として、終幕に向かって高揚してゆく熱っぽさがないのは物足りない。ただ、要所でキャメラに映る指揮ぶりは雄弁で、短いスパンで聴けば勢力的と言える。特定のパッセージの強調など、表現も意欲的。オケも自発性豊かでスキルも高く、事前に言われなければスカラ座本体の演奏だと思ってしまうかもしれない。 |
歌唱陣は、オケとのタイミングのズレが頻発するのは経験不足か。巧いのはサイドで、現役プロの歌手と比較しても遜色のないパフォーマンス。ピスコルスキは、ピッチが上ずり気味なのとオケとのズレが多少気になるが、ルックス的にも歌唱自体も堂々としていて、さすが主役に抜擢されただけはある。夜の女王は華奢すぎる外見ながら歌唱は立派でパワフルだが、コロラトゥーラの所で大きくテンポが遅れるなどテクニックには注釈も付く。 |
演出はスタインらしくシンメトリーのデザインを多用し、シンプルなタッチとカラフルな色使いで台本の要素をポップに抽出。分かりやすいし、無用な読み替えや自己主張が無いのは好印象。学生が主役だし、演出家がしゃしゃり出ては具合が悪いのだろう。この公演は演技部分のヴォリュームがかなりあるが、セリフのカットをほぼしていないのか演出家が補足したのか、唐突で荒唐無稽に見えがちな展開にもきちんと説明があり、劇としての説得力が強い。 |
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“カリーディスの図抜けた才気が躍動! 声楽も良質ながら、クズ演出が全てを台無しに” |
コンスタンティノス・カリーディス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 |
ウィーン国立歌劇場合唱団 |
マウロ・ペーター(タミーノ)、クリスティアーネ・カーグ(パミーナ) |
アダム・プラチェトカ(パパゲーノ)、アルビナ・シャギムラトヴァ(夜の女王) |
マティアス・ゲルネ(ザラストロ)、タレク・ナズミ(弁者) |
演出:リディア・シュタイアー (収録:2018年) |
ザルツブルク音楽祭での同曲ライヴ映像は他にも色々出ているが、オケにも決して馴染みとは言いがたい鬼才カリーディスの起用が嬉しい。個人的に彼の才能は高く買っているが、未だにオペラの映像ソフトしか出ていないのが大いに不満である。 |
演奏は完全にHIPで、アーノンクールを若返らせてさらに先鋭的にした感じ。序曲の3和音から音価が短く、主部をとんでもない快速テンポで飛ばす。幕が開くとそこまでのスピードは出さないが、そもそもテンポの概念が普通と違っていて、フレーズごとに音価は伸縮する。それが違和感や不快感に繋がらないのは、音そのものが正にその場で、生き生きと呼吸をしているからだろう。 |
叙情的なナンバーではぐっと腰を落として歌い込むし、リズミカルな箇所はあくまで軽快だが、アーノンクールが時折聴かせる重々しさはほぼない。フレーズの概念が違う感じ。夜の女王のアリアなど、コロラトゥーラの箇所は超絶技巧より、テンポを落としてきっちり歌わせる。速いテンポを採る箇所も多いが、スピードを追求するのではなく、拍節の解釈が根本的に異なる事に起因。とにかく発見の多い、とびきり新鮮な演奏である。 |
オケの響きは、コンセルトヘボウ管がアーノンクールを迎えた頃のような独特の軋みを挙げている。それでも長い音符に艶っぽさを乗せてくる所にプライドを感じさせるが、ウィーン・フィルがここまでHIPに歩み寄っているのは驚きだ。通奏低音なのか、ピアノフォルテのような鍵盤楽器やチェンバロの音もちらちら耳に入る。フルートによる魔笛の旋律も、独特の軽妙なフレージング。 |
歌手はゲルネ以外ほぼ無名に見えるが、声も美しく、指揮者の特異なディレクションに応えて生彩に富む。時に装飾音を加えたり、フレーズや間合いを伸縮させたり、自在な呼吸で歌っていてどこか演劇的な雰囲気もある。勢いだけでなく繊細なデリカシーも随所に示し、試練を乗り越えたタミーノがパミーナと再会する箇所など、たっぷりと採ったパウゼや優しさ溢れるピアニッシモが実に素敵。 |
シャギムラトヴァは優美さとパワフルを兼ね備えて圧倒的だし、脇役陣も声、リズム感、演技共になかなかの好演。ウィーン少年合唱団の3人は童子の歌唱だけでなく、全篇に渡って演技でも大活躍(個別の名前はクレジットされていないが、1人はアジア人である)。 |
演出は、祖父が3人の孫にお話を語って聞かせるという枠組みは悪くないだが、信じ難い事に、曲が始まってもナレーションやセリフを続け、ちょっとした間奏にさえナレーションを被せてくる。音楽をBGM程度に考えていて、スコアに対する敬意なんて全くない。とにもかくにも演奏が台無しだが、歌手のセリフはあまりないので全体の尺は短縮されている。 |
物語の登場人物はこの家の住人や関係者が扮している設定で、語り手や子供達と同じ空間をタミーノやパパゲーノたちが動き回る。なぜかピエロの格好をしている出演者が多いのは意図が不明だが、セットも衣装もポップでカラフル。モノスタトスがお仕置きをされるくだりや夜の女王とパミーナのやり取りなど、一部カットもある。演出の都合で音楽を割愛するなど言語道断である。 |
子供向けの演出というわけではなく、最後はモノスタトスや侍女達が銃殺され、夜の女王にも銃が向けられるショッキングな幕切れで後味が悪い。舞台上でショッキングな出来事が起こると、聴衆はそちらに全意識が行ってしまい、音楽なんてまるで耳に入ってこない。この舞台では爆音で銃声が鳴り、視覚と聴覚の両面から音楽のかき消してしまう。音楽の邪魔をする演出なんて、一体何の価値があるのだろうか? |
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