ショスタコーヴィチ/交響曲第5番《革命》

概観

 第4楽章の冒頭部分が昔テレビドラマ《部長刑事》に使用されていたせいか、ショスタコーヴィチの交響曲では特に有名な作品。私はどちらかというと、魅力的な楽想が満載の第1楽章や、信じられないほど美しい第3楽章に惹かれる。後者には、ハープのアルペジオに乗ってフルートが不思議な旋律を歌う箇所があり、まるでしんしんと雪の降る午後、白昼夢のような幻影を見るかのよう。ショスタコーヴィチの音楽には、こういう魔法のような瞬間が時々訪れる。

 作曲家の真意をめぐって、特に最終楽章のテンポ設定に解釈の議論があるが、聴く方にそこまでのこだわりが必要かどうかは疑問。純粋に、音楽としての説得力が大事かと思う。全ての楽章が充実した演奏が少ないのは、それだけ演奏が難しい曲だという事か。

 そんな中、ハイティンク盤、ビシュコフ盤、ネルソンス盤、佐渡/ベルリン盤、フェドセーエフの75年盤は、ほとんど奇跡的な名演。フェドセーエフ盤は3種類あり、録音中にクーデターが起きて話題を呼んだ91年盤、キャニオンの97年盤も悪くはないが、最初の録音が圧倒的に濃密で素晴らしい。

 次点ではシルヴェストリ盤、アンチェル盤、ベルグルンド盤、N・ヤルヴィ盤、ムーティ盤も納得の名演。逆にミュンフン、T・トーマス、ノセダといった才人が意外に苦戦していて、どうもこの曲は、特に楽団自主レーベルのライヴ盤でうまく行かない印象がある。

*紹介ディスク一覧

58年 ストコフスキー/ニューヨーク・スタジアム交響楽団

60年 シルヴェストリ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  

61年 アンチェル/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団  

62年 ケルテス/スイス・ロマンド管弦楽団

75年 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団   

75年 ベルグルンド/ボーンマス交響楽団   

75年 テンシュテット/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団  

77年 プレヴィン/シカゴ交響楽団

81年 朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団  

81年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

81年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団

86年 ビシュコフ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 

87年 アシュケナージ/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

88年 N・ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団 

92年 インバル/ウィーン交響楽団    

91年 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団   

92年 リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 

93年 ショルティ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 

95年 大野和士/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

97年 ヤンソンス/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

97年 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団   

03年 西本智実/ロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”

06年 ミュンフン/シカゴ交響楽団

07年 T・トーマス/サンフランシスコ交響楽団  

11年 佐渡裕/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

15年 ネルソンス/ボストン交響楽団   

16年 ノセダ/ロンドン交響楽団   

17年 佐渡裕/トーンキュンストラー管弦楽団  

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“オケの圧倒的パフォーマンスと、弦中心のユニークな音響バランス”

レオポルド・ストコフスキー指揮 ニューヨーク・スタジアム交響楽団

(録音:1958年  レーベル:フィリップス)

 録音当時はショスタコーヴィチもそれほどメジャーではなかったのではと思いますが、そのせいか演奏も、派手なデフォルメやアレンジを控えた正攻法となっています。特に前半はその印象が強いですが、音楽全体がエネルギッシュに躍動している感じは彼ならでは。第3楽章ではクライマックスを速いテンポで煽り、フィナーレでもしばしばアッチェレランドを盛り込んで切迫した調子を強めるなど、濃厚な語り口も聴かれます。

 ニューヨーク・スタジアム響はニューヨーク・フィルの別称という事ですが、技術力、アンサンブルやソロの表現力など、そのパフォーマンスには圧倒されます。基本的にストコフスキーは弦を主体に分厚い響きを作るタイプの指揮者で、第4楽章でも打楽器を抑制し、弦を全面に押し出す事で別種のスリリングな表現を展開しています。特に中間部で大きくうねる、筆圧の高い弦楽群の熱演は聴きもの。録音状態も比較的良好で、意外と万人にお勧めできる演奏だと思います。

“オケの美質を生かしつつ、鮮烈な表現で聴き手を圧倒する、隠れた名盤”

コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1960年  レーベル:EMIクラシックス)

 当コンビは他にドヴォルザークの7番、プロコフィエフの《3つのオレンジへの恋》組曲、ハチャトゥリアンの《ガイーヌ》第1組曲、ラヴェルのスペイン狂詩曲、リムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲、エネスコのルーマニア狂詩曲第1番、リストのハンガリー狂詩曲第4番と、結構多彩でオケの特質に似合わない曲を録音しています。ウィーン・フィルの同曲録音はヤンソンス、ショルティ盤もありますが、私見では段トツで当盤に軍配が上がる印象。とりわけ各楽章の性格の掴み方、描き分けは見事です。

 第1楽章の開始は、スロー・テンポで付点音符を精確に処理。主部は柔らかく艶っぽい弦が魅力的で、旋律線の雄弁な演奏となっています。ディティールを徹底して緻密に描写する趣ながら、オーボエ・ソロなどカンタービレに即興的なフィーリングも付与。中間部はシャープで克明ながら、リズムが軽快で響きも透徹しています。重々しくならない、実に鮮やかなパフォーマンス。クライマックスのドラの一撃は、ほとんど聴こえません。

繫げて対比の妙を強調。リズムが冴え渡ってすこぶる軽妙です。第3楽章は精妙ながら、和声感が豊かで温度を感じさせる音作り。柔らかなタッチが心地よく、オケの美質が良く出ています。フルート・ソロの幻想味とポエジーも特筆もの。オーボエもため息の出るような美しさです。展開部はシルヴェストリらしい、独自のフレージングが個性的。

 第4楽章は、猛スピードで開始。リズムやソノリティが重くならないのは美点で、颯爽とした躍動感と鋭利なエッジが痛快。合奏が緊密なので、切っ先がより尖って聴こえるのが迫力満点です。提示部の後半から、猛烈に加速するのもスリリング。中間部は、短く切れ目を入れるシルヴェストリ特有のフレージングが目立ちますが、弦楽合奏の音に張りがあり、生気と自発性が漲るのに圧倒される思い。クライマックスは逆に遅いテンポでじりじり迫る感じ。太鼓連打はバス・ドラムを極限まで抑え、ティンパニの音程感を全面に出すのがユニークです。

“夾雑物を排し、冴え冴えとした筆致、清冽な響きですべてを明瞭に描写”

カレル・アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1961年  レーベル:スプラフォン)

 当コンビのショスタコーヴィチは第1番、7番、10番、《祝典序曲》もありますが、ステレオ録音で残されたの当盤と第1番のみでした。ホールの美しい残響も取り込んだみずみずしい録音は古さを感じさせず、くっきりと浮き彫りになるソロと共に、当コンビのスタイルに合った録音と言えます。個人的に、LP時代から好きだったディスクの一つで、シリアスな重さが強調されやすいこの曲を、これほど爽やかな清冽さをもって描き切った演奏は希有でしょう。

 第1楽章はものものしさがなく、鮮やかな音色でスコアを明快に再現。ファゴットやホルンなど各パートが、短いフレーズでもヴィブラートで艶やかに歌うのが素敵です。テンポは停滞せずスピード感がありますが、弦の第2主題でぐっとテンポを上げるのは、この時代のトレンドでしょうか。展開部も軽妙なリズムを軸に肩の力が抜け、細部が隈無く照射された、胸のすくようなパフォーマンス。金管の抜けとティンパニの粒立ちが良いのも、合奏の一体感を強めています。

 第2楽章は主題提示のクラリネットが極端なスタッカートで、ジャズ風の音色と共に独特。無類に歯切れの良いリズム感はあらゆるパートに徹底されますが、サウンド全体が明るく軽いために、どぎつい印象を全く与えません。同じ社会主義の国でも、支配関係にあった旧ソ連のオケとは、演奏のベクトルがまるで違う感じです。それとも、むしろこれがシニックなのでしょうか。

 第3楽章は意外に粘性のある歌と、細部までグラデーション豊かに表現された濃密な演奏。繊細かつ艶やかな弦の響きや、鮮烈な印象を与える木管ソロも凄いですが、それにも関わらず情感面ではさっぱりと淡白に感じられるのがこのコンビの不思議な所です。しかしその清澄な叙情は、凛々しく美しいもの。

 第4楽章は遅めのテンポで、きっぱりと明瞭な語調を駆使しながらも、フットワークの軽快さは失いません。その意味では、全く古さを感じさせないモダンな演奏と言えます。切れ味が良い一方で、充分な潤いを含んだ響きはすこぶる魅力的。整然たる合奏も作品にふさわしく、夾雑物を排したクリアな音響で作品の輪郭をくっきりと浮かび上がらせます。大袈裟にならず、シャープにまとめたコーダも見事。

独自の表情に彩られた、すっきりと瑞々しいショスタコーヴィチ

イシュトヴァン・ケルテス指揮 スイス・ロマンド管弦楽団

(録音:1962年  レーベル:デッカ

 ケルテスがスイス・ロマンド管を振った唯一の録音で、ショスタコーヴィチも他に録音していないと思います。すっきりとした瑞々しい音彩に溢れた演奏には、大音響で聴き手を圧倒する感じが全くありません。特に弦楽群が素晴らしく、アンサンブルの息が合っているから少人数にきこえるのか、本当に少人数で演奏しているのかちょっと分かりませんが、明瞭で繊細な弦のラインが交錯する様子が格別の魅力を放っています。

 力点の置き方は今の感覚とかなり違っていて、表情の付与も小節単位の頻繁さ。第1楽章展開部の行進曲風の部分など、八分目どころか五分、六分くらいの力で軽妙に演奏していて意表を衝かれます。その一方、経過的な部分で表情をたっぷり付けたり、情熱的に山場を作ったりするのも聴き慣れない雰囲気。第2楽章は非常に速く、めまぐるしく強弱を変化させてスケルツォの性格を強く打ち出しているのが特徴。低弦のリズムもすこぶる軽やかです。

 第3楽章の息の長い旋律線の処理は、ケルテスの豊かな才能を示す好例。清澄な木管ソロやしなやかにうねる弦など、叙情の美しさが印象に残ります。第4楽章主部も、テンポを切り替えて徐々に速めてゆくそのポイントが、他の演奏と少々異なる印象。スタッカートを多用して、音価を短く処理する箇所が目立つのも特徴ですが、猛スピードで中間部に突入し、切迫したテンポをキープしたまま、高いテンションを漲らせて興奮気味にカンタービレを展開。

“力強く峻厳な合奏と朦朧たる幻想美。本場が誇る極めつけの名盤”

ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団

(録音:1975年  レーベル:メロディア)

 当コンビは私の知る限り3度この曲を録音していて、当盤は最初のもの。次が91年のビクター盤、その次が97年のキャニオン盤でいずれも日本のチームによる録音なので、現地レーベルによる録音は当盤だけとなります。やや人工的ながら長い残響音が取り入れられ、朦朧たる幻想的な趣がある一方、アタックの圧力と鋭利さはさすがロシアのオケ。

 第1楽章は遅めのテンポながら、鋭いエッジを効かせて威圧的に開始。ぎしぎしと軋む弦楽群が迫力満点です。提示部は濃密そのもので、各パートがねっとりと歌う情緒豊かな表現。ヴァイオリンの歌の美しくも神秘的なムードなど、聴く者を震撼させるに十分です。展開部はトロンボーンとピアノの音色的効果が峻烈で、鮮やかに描写されたアーティキュレーションとリズムが見事。全篇に異様な緊張感が漂い、集中力の強い合奏はヴィルトオーゾ性も感じさせます。

 第2楽章は冒頭の低弦の威力が凄まじく、スタッカートの切れ味も抜群。発色が極めて鮮やかで、主題提示が重くならず、強弱を敏感に描き分けてシニカルなユーモアを打ち出している辺り、作品の本質を衝く表現と言えます。オケも覇気に富んだパフォーマンスを生き生きと展開。

 第3楽章も造形の彫りが深く、切れば血の出る有機的な響きで構築された、味の濃い演奏。耽美的と言えるほど艶やかな音色が、聴き手を白昼夢のような不思議な世界へと誘います。元々スローなテンポは後半に至ってほとんど止まりそうになりますが、その極度に繊細なピアニッシモの表現にも、思わず息を呑むような雄弁さがあるのが凄い所。

 第4楽章は安定しなテンポ感で開始し、中間部前の山場に向かってスリリングに加速。アーティキュレーションに独特の解釈がある点を除けば、機能的でモダンな演奏とも言えます。中間部はテンションを落とさず、速めのテンポに興奮気味の熱っぽいカンタービレを乗せるという、かなりの前傾姿勢。コーダは速すぎも遅すぎもせず、オケの底力を生かしてパワフルに造形しますが、最後はあまり減速せず終了。

“細部を几帳面に引き締めつつ、軽妙な味わいや高揚感まで見事に表現”

パーヴォ・ベルグルンド指揮 ボーンマス交響楽団

(録音:1975年  レーベル:EMIクラシックス)

 当コンビは第6、7、10、11番も録音している他、ベルグルンドにはベルリン・フィル、ロシア・ナショナル管との第8番もあります。シリーズ中、当盤のみがロンドンのアビーロード・スタジオでの収録で、適度な残響を伴う鮮明な直接音、奥行きとスケール感も理想的なEMI録音。フォルテでも硬直せず、響きに若干の柔らかさがあるのは。ロンドンの各団体にない美点です。

 第1楽章はゆったりとしたテンポで悠々と開始。厳しい緊張感で聴かせるタイプではありませんが、響きも表情も引き締まっていて精悍で、集中力の高いパフォーマンスです。冴え冴えとした音彩が、音楽のフォルムをくっきりと切り出し、展開部ではそれが鮮烈な効果を発揮します。フォルティッシモが持続する局面では一歩も引かない気迫があり、ソリッドなブラスの吹奏もスケール雄大。ティンパニのアクセントも効いていて、提示部回帰前のカタストロフィもアゴーギクがセンス満点です。

 第2楽章も遅めのテンポで、構えた所のない端正な造形。至って真面目な語り口なのに生硬さが全くなく、常に音楽がみずみずしく響くのが不思議です。アゴーギクのデフォルメがないので、シニカルな調子はないものの、スコアが求める軽妙な味わいは充分に表出。描写がすこぶる丁寧なのが秘訣かもしれません。第3楽章は旋律線をのびやかかつ気宇壮大に歌わせながら、流れを弛緩させず、凛とした姿勢で一貫。繊細な弱音や管の重音の扱いには、シベリウスにも通ずる清冽な詩情が漂います。

 第4楽章は自然体で力みがなく、流れるように開始しながら、造形面の彫りの深さが充分に追求されているのが見事。克明な合奏を展開しながらも風通しがよく、どこか「音楽する事」の愉悦感が滲み出るのがこの指揮者の美点です。フレーズの解釈に曖昧な点が一切なく、全てのアーティキュレーションを完璧に描写。終結部がごく自然に高揚するのも、全く当然の帰結です。

“鮮明なセッション録音で残された、テンシュテットとミュンヘン・フィル唯一の共演盤”

クラウス・テンシュテット指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1975年  レーベル:ヴァイトブリック)

 テンシュテットとミュンヘン・フィルの珍しい共演盤(唯一の顔合わせとの事)で、ヤナーチェクのラシュスコ舞曲集というこれまた珍曲とカップリング。なんとライヴではなく、バイエルン放送局によるセッション録音です。放送局スタジオで収録されているので、豊富な残響や深い奥行き感はありませんが、直接音が鮮明でオケの音色自体も艶やかなので、非常に聴きやすい音に仕上がっています。

 第1楽章は、スロー・テンポで一音一音克明に刻み込むような開始。続く主部でやや速度を上げ、明晰な音響をキープしながら、鮮やかな音色で流麗に造形していきます。弦の第2主題でさらにテンポを上げ、艶っぽいサウンドで流れるような表現。展開部はさらに速度を加え、前のめりの足取りで緊迫したムードのまま、クライマックスへ向かって突き進みます。ピアノや木管もクリアにキャッチされていて、ケンペ時代の明るくて高域寄りの響きは健在。

 行進曲の箇所は、打楽器や伴奏型のリズム的克明さを敢えて減退させ、トランペットの主旋律をソステヌートで処理して横の流れを重視。管も弦もヴィブラートをかけて艶っぽく歌うため、よりその印象が強められています。常に前へ前へと前傾姿勢を強める熱っぽさは、テンシュテットらしい所。再現部に入る前、打楽器を伴ってカタストロフを迎える箇所でやっと間を挟んでブレーキがかかりますが、再現部のフルート・ソロは快速調。

 第2楽章は淡々としたテンポで、意外にデフォルメのない造形。合奏は整然とまとまっていますが、ソロはみな雄弁です。強弱は細かく演出され、各パートのレスポンスも鋭敏、演奏全体の集中力の高さを窺わせます。トランペットの主題が艶っぽく歌うように吹奏されるのはユニーク。それなりにアゴーギクは動きますが、極端なアイロニーやユーモアは追求しない様子。

 第3楽章は録音のせいもあってか響きの層が分離し、ロマン派的なブレンドとは対極の表現。分析型でもないのですが、全体で一つのソノリティを作り上げようという意識が感じられないという事でしょうか。しなやかにうねるヴァイオリン群のカンタービレは魅力的。ケンペとのブラームス全集と同時期の録音だけに音色が共通していて、これは録音のせいでなくミュンヘン・フィル固有の響きなのだとよく分かります。展開部で、弦のトレモロへ突入する前に長めの間を挟むのはテンシュテットらしい解釈。

 第4楽章はティンパニを強打させるかと思いきや、くぐもった腰の弱い打音が意外。遅めのテンポで律儀にリズムを刻みながら着実な合奏を構築する一方、鋭利なリズムを効かせつつ徐々に加速。軽妙さも感じさせます。最初のカタストロフに向かっては異常なまでにスピードを上げ、やっと後年のテンシュテットを彷彿させる表現が立ち現れる印象。中間部もエスプレッシーヴォでテンションが高く、リリカルな表現ではありません。最後のクライマックスへは速めのテンポでスタッカートを多用し、軽快に上り詰める個性的な解釈。最後はその勢いを保持したまま突入します。

“プレヴィン&シカゴ双方の魅力が発揮されたハイセンスな名盤”

アンドレ・プレヴィン指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1977年  レーベル:EMIクラシックス

 第4番と共に当コンビの稀少な録音。80年代前半までは、この曲の最もモダンな演奏の一つとして聴かれていました。この指揮者の微温的な表現には首を傾げたくなる事もしばしばですが、当盤はオケのパワフルな性質も反映してか、プレヴィンにしては珍しく燃焼度の高い、勢いのある演奏です。

 冒頭から、弦のアンサンブルがすごい威力。鋼のような強さとしなやかな柔軟性を兼ね備えたサウンドと、各声部が織りなす精緻な美しさにため息が漏れます。プレヴィンの棒も、彼には意外なほど強靭な意志を感じさせますが、展開部では適度な力感を保ったまま管弦のバランスを崩さず、金管群を野放しで咆哮させない所に温厚な性格が出ています。ギャロップのリズムも実に軽快に、鋭い弾力性をもって処理。

 テンポがシフト・ダウンする箇所では、常に大見得を切るようなルバートが用いられ、ちょっと誇張気味にも聴こえますが、こういう所こそが聴かせ上手と評されるゆえんかもしれません。第2楽章冒頭の、ギシギシときしむ低弦も凄まじいパフォーマンス。ソロが皆、惚れ惚れするようなパフォーマンスを展開する所も名技集団の名に恥じませんが、音の捉え方はあくまでリアリスティックな次元に留まります。

 さすがに第3楽章では、はかなげな調子や奥行きを求めたくなりますが、ここでも弦の美しい音色が耳に残ります。フィナーレはこのオケの売りでもある、空気を切り裂くようなブラスの咆哮を満喫できるエネルギッシュな演奏。シカゴ響のパワーに期待してこの盤を入手された方には、満足をもたらす事でしょう。全体しては力強くてセンスも良く、優れた演奏だと思います。

“決然たる調子と息の長いエネルギーに圧倒される、名コンビのライヴ盤”

朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団

(録音:1981年  レーベル:ビクター)

 朝比奈の珍しいショスタコーヴィチ録音として昔から知られていた録音ですが、タワー・レコードがビクターと組んで音源を復刻しました(マーラーの8番とカップリング)。大阪フェスティバルホールでのライヴ録音で、奥行き感、低音域はやや浅く感じられるものの、直接音は非常に鮮明。残響がややデッドなため、細部は明瞭に聴き取れます。

 第1楽章は決然とした調子で開始し、スタッカートを力強く切り上げる所に口調の厳しさを感じさせます。主部はスロー・テンポで情感豊かに歌い、各パート共ソロが好演。展開部はべたっとしたテヌートを多用したフレージングが、このコンビらしく関西風イントネーションの趣。しかしアタックの腰は強く、重戦車が突進するようなソリッドな迫力は作品にマッチしています。力感の漲るトゥッティの響きも凄絶。

 第2楽章は遅めのテンポで真面目な性格。律儀に揃えられたアインザッツが、どこか社会主義的な杓子定規さをイメージさせるのは面白い所です。それでもフレージングに自在さが欲しくはなりますが、ルバートは控えめに挿入。第3楽章はもう少しドラマティックな起伏や緊張度の高さがあってもいいとは思いますが、指揮者の誠実さを表した表現。

 第4楽章は実直に造形しながらも、真剣勝負の気合いを感じさせるパフォーマンス。その意味ではオケが好演していて、多少のミスは気にさせない集中力の高さに圧倒されます。テンポの変化も多彩で説得力があるし、巧みなデュナーミクも表情の雄弁さに直結。最後のクライマックスは重低音(バスドラム)の不足がやや残念ですが、息の長いエネルギーの蓄積で尋常ならざる山場を形成し、会場を熱狂させています。

“瞠目すべき演奏内容。全ての音符が意味深く響き渡る、同曲屈指の超名演”

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1981年  レーベル:デッカ

 コンセルトヘボウとロンドン・フィルと振り分けた全集録音の一枚。ハイティンクには、真面目すぎて面白みに欠けるディスクが時々あるのですが、この全集は激しい音響が炸裂する気迫のこもった名演揃いで、彼の代表作と言える録音だと思います。ロンドンで始まったプロジェクトは、デジタル時代にコンセルトヘボウと交代しますが、陰影の濃い音色はそのままに鮮烈でシャープな合奏を展開。第3楽章のフルートなど、ソロの美しさも格別です。

 末端まで養分が行き渡り、全ての音符が意味深く響くこの演奏は、ショスタコーヴィチらしさ云々を越えた普遍的な感動をもたらし、同曲ディスクの最右翼に置きたい素晴らしさ。テンポは常にゆったりと落ち着いていて、時には遅すぎるくらいですが、各部の表情を吟味しつくし、アーティキュレーションとフレージングに最大限の注意を払う行き方は、どこかジュリーニのそれを想起もさせます。

 第3楽章ではそのアプローチが絶大な効果を発揮し、雄弁に語りかけてくる旋律線と起伏のアーチの描き方に圧倒される名演。第2楽章の目の覚めるように鋭いリズムや、鮮やかな音彩と解像度の高いディティールの描き分けも、全くもって見事です。フィナーレも表面的な効果に走らず、有機的な迫力を追求。

洗練された感覚とシャープな音響。徹底して機能的な快演

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1981年  レーベル:テラーク

 マゼール唯一のショスタコーヴィチの交響曲録音。クリーヴランド管のショスタコ演奏もなかなか貴重です。録音が優秀で、テラーク・レーベルのトレードマークだったワンポイント・マイクが、伸びやかな残響をものの見事に捉えています。特に、強奏でも艶やかな輝きと柔らかい肌触りを保つブラス群のサウンドは、今の耳で聴いても十分にエキサイティング。

 第1楽章は弦のフレージングが大いに意識的で、付点音符の正確さにこだわり、アウフタクトの音符に軒並みスタッカートを付けるなど、早くもマゼール節が顔を覗かせます。展開部は、この時期の当コンビ特有の、小気味良いスタッカートを駆使した徹底的に軽いアプローチ。マゼールの長いキャリアの中で、このスタイルに傾いた時期はほんの数年間しかないので、なかなか貴重です。再現部からコーダにかけてどんどんテンポを落とし、木管ソロに沈鬱な表情を付与している所もすごく綺麗。

 第2楽章も音符を短く刈り込み、速めのテンポでスケルツォ的性格を露にしていますが、これによってショスタコーヴィチに特徴的な重戦車のごとき威圧感が後退し、むしろチャイコフスキーのバレエ音楽を思わせるロシア的色彩が前景化しているのは興味深い所です。洒落たセンスを聴かせるヴァイオリン・ソロや、フルートの表情豊かなアドリブ風パフォーマンスにも脱帽。

 第3楽章も、弦の緩やかな動きに埋もれがちな主要動機を強調気味に弾かせるなど、覚醒した意識が感じられますが、このコンビらしさが一番出ているのがフィナーレ。指揮者のシャープな感覚とオケの機動性が相まって、胸のすくような快演になっています。颯爽とした軽さはここでも支配的ですが、中間部のしなやかな歌とデュナーミクの効果はさすがだし、終結部に向かって突然テンポ・アップするのもユニークな解釈。唯一、ほぼ減速せずにあっさり終わるコーダは、さすがに素っ気なさすぎたかも。

“既にして大器の片鱗を窺わせる鬼才ビシュコフの本格デビュー盤”

セミヨン・ビシュコフ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団   

(録音:1986年  レーベル:フィリップス)

 鬼才ビシュコフのデビュー盤。85年、ベルリン・フィルのドイツ国内演奏旅行で20分を超えるスタンディング・オベーションを巻き起こし、カラヤンから後継者のお墨付きをもらった上、即座にフィリップスと長期契約を結んで鳴り物入りのデビューとなったものです。当コンビのショスタコーヴィチは、後に8番と11番も録音されました。

 彼のディスクはどれも印象的ですが、この演奏も素晴らしいです。第1楽章の冒頭は敏感で歯切れがよく、軽いタッチで開始されるのが意外ですが、ビシュコフ独自の解釈が随所に効果を発揮していて、すでにただ者ではない雰囲気。天下の名門オケ相手にコントロールが行き届き、むしろ自在な呼吸感すら感じさせる所は、その非凡さが空恐ろしいです。

 特に凄いと思ったのが第2楽章。非常に遅いテンポを採用しながら、大胆なアゴーギク、デュナーミクを駆使してスコアに内在するアイロニーを浮き彫りにしています。コーダのオーボエ・ソロも、極端なルバートでデフォルメ。弱音部ではオケの合奏力が光ります。第4楽章クライマックスの豪放な力感も堂に入っていて、悠々たるテンポで気宇壮大に盛り上げる大団円には、大器の片鱗すら感じさせます。

生真面目だが、統率力の徹底を欠くアシュケナージ

ウラディーミル・アシュケナージ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1987年  レーベル:デッカ

 複数オケを起用した交響曲シリーズから。当盤はその最初の録音で、《5つの断章》をカップリング。指揮者としてのアシュケナージは特にロシア的な体質を強調せず、むしろ西欧的洗練を志向しているようですが、英国のオケを振っているにも関わらず、当盤の演奏スタイルは他と較べるとかなりロシア風に聴こえます。

 それはストレートに力技でクライマックスを築くという、いささか不器用な構成センスと、トゥッティで咆哮するパワフルな金管群に顕著。ロイヤル・フィルのブラスの凄さは相変わらずですが、シカゴ響と同様、バリバリと吹きまくる場面では、リズムとサウンドから立体感が失われて平面的になる傾向もあります。

 ところどころに独自の工夫を凝らしてはいるものの、全体的には至って実直で生真面目な表現。第1楽章の展開部などは、加速して緊迫感を高めてゆくアゴーギク操作も巧みで、なかなか堂に入っています。ただオーケストラのドライヴが十全でなく、アンサンブルが随所で乱れる他、ディティールの処置やコンセプトを徹底させる気迫があまり感じられず、どこかネジがゆるんだ家具みたいで、私にはしっくり来ません。

“シンフォニックな造形性と感覚美。理想的な解釈でファースト・チョイスに向く”

ネーメ・ヤルヴィ指揮 スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:シャンドス)

 同コンビは第1、4、6、7、8、9、10番とバレエ組曲他の管弦楽作品、ヴァイオリン協奏曲を録音している他、ヤルヴィ父はエーテボリ響と第2、3、11、12、13、14、15番、管弦楽・声楽作品も録音。オケとレーベルをまたぐものの、一応交響曲全集は完成しています。このレーベルらしく長い残響を取り込み、豊麗で鮮烈なサウンドになっていて好録音。

 第1楽章はフレーズが冴え冴えと彫琢され、しなやかな歌心も加わって実に美麗な演奏。木管も弦楽セクションも繊細な表情で艶やかに歌います。展開部は抜けの良いシャープなブラス、峻烈な打楽器が効果的で、随所で加速して音楽に緊張感を与えるネーメの棒も見事。彼が振ると、演奏がダレるという事がありません。鋭敏なリズム処理もさすが。各部のテンポ設定にも理想的な解釈が与えられています。

 第2楽章は無用な誇張がなく、テンポも中庸ですが、引き締まった合奏と生彩に富む語り口で、鮮やかなパフォーマンス。第3楽章はデリカシーを確保しながらも発色がよく、艶っぽい音色で解像度の高い響きを構築します。速めのテンポで淡々と進行するものの、濃淡はしっかり付けられていて薄味にはなりません。

 第4楽章はメリハリをきっちり付けて、アーティキュレーションを克明に処理。西欧風に洗練されたシンフォニックな表現ですが、エッジの鋭さと歯切れ良さがあって、モダンな造形性で聴かせます。スロー・テンポのコーダも、凄みで迫るよりどっしりと安定したパワフルな棒で盛り上げる趣。スコアの魅力を余す所なく描き切っていて、ファースト・チョイスに向くディスクでもあります。

“派手なサービス精神はないものの、知的なアプローチで作品に迫るインバル”

エリアフ・インバル指揮 ウィーン交響楽団

(録音:1990年  レーベル:デンオン)

 同コンビは全集録音を完成している他、インバルはフランクフルト放送響とも同曲を録音しています。インバルはどのオケを振ってもクールな肌触りが現れてきますが、ウィーン響との録音だけは柔らかさと温もりがあって、耳に大変心地良いです。

 決して愛想の良いサービス精神は振りまきませんが、着実に楽想を捉えてゆく緻密なアプローチ。響きの透明感と繊細さ、知的な音楽作りもインバルらしいです。音色が艶やかで暖かみもあり、トゥッティの豊麗でまろやかなサウンドも魅力的。両端楽章は凄みこそありませんが、中身の詰まった有機的な迫力を感じさせるし、第2楽章の歯切れの良いリズムも爽快。終始遅いテンポのフィナーレも、地に足を着けて、低い姿勢から音楽を構築してゆくような造形が個性的です。

“話題を呼んだ有事の際のセッション。客観性が増して薄味になった再録音盤”

ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団

(録音:1991年  レーベル:ビクターエンタテインメント)

 当コンビは75年にメロディア、97年にキャニオンにも同曲を録音している。野島ディレクターのライナーノートにあるように、レコーディング期間にクーデターが発生、残されていた第4楽章の録音が一応行われますが演奏はバラバラ。それでもテイクを重ねる内、突然奇跡的に一糸乱れぬ入魂の演奏が行われたとの事。しかし75年、97年の見事な演奏と較べると、全体的に覇気を欠く感は否めない。

 第1楽章は、過去の録音が気迫に満ちた弦の軋みで開始されるのに対し、当盤は西欧アーティストの各盤とさほど変わらない、スタンダードな解釈。部分的には、アインザッツも緩く感じる。展開部は冴え冴えとした筆致で剛毅な力感もあり、鋭敏なリズム感を駆使しているが、旧盤の凄みと較べると視点が一歩引いた感じもある。このコンビらしい味の濃さや有機的な合奏もあまり聴こえてこない。

 第2楽章はエッジの効いた鋭いスタッカートを踏襲する一方、テンポが引き締まって、造形的にぐっとモダンに寄った印象。洗練と引き換えに、野趣や個性は後退した感じ。第3楽章は旧盤の粘性を残しつつも、メロディア盤ほど残響を取り込まない録音ゆえか、耽美性や幻想的な朦朧調はほとんど消失。しかし音色は艶っぽく、精緻な合奏や気合いの入ったアインザッツもそこここに聴かれるので、新旧両盤と比較さえしなければ良い演奏と言えるかも。

 第4楽章は冒頭のクレッシェンドでブラスの低音がうなりを上げる他は、むしろ整然としたアンサンブルを展開。旧盤にも機能性は充分あったが、より客観性が勝ったようにも感じる。提示部終結への加速はむしろ抑制され、中間部もぐっとテンポが遅くなって熱っぽさが無くなった。唯一、速いテンポで疾走するコーダには独特の迫力と逞しさがあって、楽団を取り巻く尋常ならざる状況に思いが馳せられる。

“艶やかカンタービレと彫りの深い造型感覚。ムーティ美学全開のショスタコ”

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団   

(録音:1992年  レーベル:EMIクラシックス)

 当コンビ唯一のショスタコーヴィチ録音。カップリングは《祝典序曲》で、この作曲家にしてはメロディアスで明朗な作品を持ってきた所がムーティらしい。彼はロシア音楽を得意としており、プロコフィエフの珍しい曲も幾つか録音している。ショスタコーヴィッチの録音は、シカゴ響との《バビ・ヤール》《ミケランジェロの詩による組曲》もあり。ちなみに当盤は、フィラ管の音楽監督最後の年に録音されている。

 当コンビらしい艶やかでダイナミックな響きと、流麗なフレージングが魅力的で、第1楽章は流れのスムーズさ、スコアの明晰な読みと再現力が見事。展開部におけるトランペットのオスティナートなど、弾力のある鋭敏なリズム感もこの指揮者らしい。第2楽章で各所に溜めを作って楽想を際立たせる造型、第3楽章の清澄な歌とメリハリの効いた起伏、第4楽章の輝かしさと開放感、中間部における弦楽セクションの並々ならぬ表現力、コーダの豪放な力感も秀逸。

 正にムーティならではの彫りの深い造型感覚で描いた格調高い名演。音像から適度に距離があり、奥行き感の深い録音のせいか、この指揮者にしては豪腕が目立たない印象。プロポーションや音色の感覚美が前に出るショスタコーヴィチ演奏は少ないので、分かりやすい、親しみやすいという点でファースト・チョイスにもお薦め。

“やや無骨で地味な色彩ながら、剛毅な表現を貫くショルティ晩年のライヴ”

ゲオルグ・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 

(録音:1993年  レーベル:デッカ

 複数オケとのショスタコーヴィチ・ツィクルスの一枚。第1楽章はテンポが速く、ライヴゆえのキズか、指揮者の統率力の衰えか、弦のアインザッツなど不揃いも散見される。前に向かって突き進む強靭な推進力はこの指揮者らしい。展開部はさすがにアンサンブルが見事だが、無骨な性格で、色彩的にも華やかさを欠く。フレーズの捉え方が即物的で、曖昧なニュアンスを付与しないのも特徴。

 第2楽章はほぼイン・テンポの変化に乏しい縦ノリで、腰が重い上に仕上げが粗雑。一転、相当な駆け足テンポの第3楽章は、くっきりと明快なフレージングで清澄な美しさを表出。艶やかに歌う弦楽セクションの、細やかな表現力は圧倒的。

 フィナーレも一切のケレン味を排した硬派な演奏で、タイトに締まった造形はさすが。スピード感と剛毅さはよく出ていて、終結部で大きくテンポが落ちる演奏が多い中、逆に快速調にギアチェンジし、最後の最後で唐突ににリタルダンド。

“随所に才気が光る、ドラマ性に溢れた熱演”

大野和士指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1995年  レーベル:キャニオン・クラシックス)

 当コンビ唯一の録音。バレエ組曲《ボルト》がカップリングされていますが、オペラを得意とする大野らしく、いずれもドラマ性溢れる設計の妙が光る熱演です。残念なのは録音。音像が遠くて残響過多で、演奏が目指しているシャープな感覚を阻害している上、ディティールの解像度がもどかしく、細かいニュアンスが聴き取れません。優れたディスクを数多く制作している江崎友淑のプロデュース、エンジニアリングですが、これはちょっと頂けません。

 第1楽章は特に見事で、決然とした表情で開始される冒頭から、厳しい造形感覚と速めのテンポでグイグイと音楽を引っ張ってゆきます。弦と木管の清冽な響きも大変に美しく、巧みなアゴーギクで音楽を引き締め、ドラマティックに盛り上げているのはこの指揮者らしい所。

 これに較べると第2楽章は、強弱のバランスに工夫は見られるものの、腰の重さが少し気になりますし、第3楽章はオフ過ぎる録音のせいで細部がよく分かりません。フィナーレでは、ラストをひたと見据えながら着実に音楽を構成していて、同時に内的燃焼度も高めてゆく辺りに並外れた才能を感じます。

“オケの持ち味を捉えきれていないライヴ録音。演奏自体は好調”

マリス・ヤンソンス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1997年  レーベル:EMIクラシックス)

 複数オケを振った交響曲全集から。オスロ・フィルとの旧盤もあって、再録音に当たります。カップリングはバルシャイが編曲した室内交響曲。ライヴ収録のせいか音が痩せ気味で、オケの良さが十二分に発揮されているとは言い難いですが、奇数楽章に聴かれる弦楽合奏の細やかなニュアンスや、スケルツォ冒頭の低弦の威力、ソロ楽器のパフォーマンスなど、ウィーン・フィルならではという箇所もたくさんあります。

 ヤンソンスは繊細なフレージングに冴えを見せ、第1楽章主部のメロディ・ラインには個性が良く出ているし、激しい音響が続く箇所でもフットワークの軽さを失わず、ロシア風の重々しい演奏とは一線を画しています。造形もオーソドックスな感覚をベースにしていますが、第4楽章のラストなど、金管のロングトーンにデュナーミクの増減を加え、一本調子になるのを回避しているのも彼らしい工夫。

“有機的な濃密さが戻ってきた3度の録音。それでも圧倒的な75年盤には及ばず”

ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団

(録音:1997年  レーベル:キャニオン・クラシックス)

 当コンビは75年にメロディア、91年にビクターにも同曲を録音しています。全て同じモスクワ放送の大ホールで録音されていますが、ビクター盤が過剰な残響をカットした精悍なサウンドだったのに対し、当盤は適度に残響を取込んだ印象。そのせいかどうか、演奏にも75年盤の有機的な濃密さが戻ってきています。第6番とカップリングされた当盤は全集録音プロジェクトと予告されていましたが、結局4枚(あとは第1、7、9、15番)で中断してしまったのは残念。

 第1楽章は冒頭から音圧が高く、合奏の充実ぶりに期待が高まります。75年盤の耽美的な美しさこそないですが、温度感のある密度の高い響きで、各部を緻密に描写した名演。展開部も無用な力みがなく、凄みは後退していますが、集中力は高く、醒めた演奏にはなっていません。剛毅な力感も健在。第2楽章は冒頭の弦の威力が、過去2録音から衰えず凄絶。ルバートの強調はなく、エッジの効いた合奏を整然と展開する解釈は変わりませんが、コクのある響きと意味深い語り口がさすがです。

 第3楽章はピアニッシモに神秘的な奥行きがあり、精妙な和声感も見事。抑制を効かせながらも、深々とした情感を漂わせる各ソロのパフォーマンス、精度の高い弦の弱音トレモロなどは聴き所です。展開部はこれぞロシアという響きが圧巻。第4楽章も自然体ながら覇気が漲ってダイナミック。テンポの振幅に強調感がなく、コーダも含め91年盤のアゴーギクを踏襲しますが、中間部の弦のうねりなどディティールの味の濃さは格別です。91年盤よりは生彩に富みますが、どれか1枚なら75年盤が圧倒的にお薦め。

“力強く、堂々たる演奏。若干主張に乏しい印象も”

西本智実指揮 ロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”

(録音:2003年  レーベル:キング・レコード)

 ロシア物を連発している当コンビ、当盤はチャイコフスキーの大序曲《1812年》とのカップリングで、ファンにとっては期待の真打ち登場といった所でしょうか。このコンビの演奏に時々ある事ですが、新味に欠けるというのか、これという決定的な要素に乏しい感じがして、今ひとつ私にはどういう指揮者、どういうオケなのかうまく掴めない気がします。

 とは言っても演奏は力強く立派で、作品全体は堅固に構成。若々しい覇気も感じさせつつ、両端楽章の悠々たる足取りには大物の風格も漂います。ただ、細部に至るまで強靭な意志を徹底させた数々の演奏の中に置くと、主張の弱い感じがしてしまうという事でしょうか。オケもアナログ的な感覚と柔らかい肌触りがあり、ロシアの団体特有の響きを保持しているのは、国際化・没個性化が進むこの業界においては好ましい事です。

“随所に個性を発揮しながらも、どこか総合的感銘の薄いミュンフンのシカゴ・ライヴ”

チョン・ミュンフン指揮 シカゴ交響楽団   

(録音:2006年  レーベル:CSO・RESOUND)

 楽団自主レーベルによるインターネット配信のみで販売されているライヴ音源で、当コンビによる録音はこれが唯一。ミュンフンのショスタコーヴィチは、フィラデルフィア管との4番、ザールブリュッケン放送響との6番、14番も出ています。それらがどれも優れた演奏だっただけに、打楽器を伴う強音部で若干音がこもる録音のせいもあってか、当盤は随分と大人しい印象を受けます。

 演奏のレヴェルは決して低いものではなく、第1楽章展開部で切れ味の鋭いリズムを小気味良くザクザクと刻む所や、弱音部の深々とした叙情ではミュンフンらしさを発揮。速めのテンポで軽妙に運んだ第2楽章、透明感溢れる音色で静謐な世界を作り上げた第3楽章も好演です。後者の、最弱音によるオーボエ・ソロも比類なき美しさも聴き所。

 第4楽章は遅めで開始し、超スローテンポで噛んで含めるような終結部において力感を爆発させるのも効果的です。それにも関わらず総合的な感銘が薄いのは、オケの体質なのか、はたまた強音部以外が痩せて聴こえる録音のせいでしょうか。シカゴの聴衆は熱狂的な反応を示していますけれど。

“スマートな表現と真面目な姿勢が美点ながら、斬新な面白さには欠ける演奏”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団  

(録音:2007年  レーベル:サンフランシスコ交響楽団)

 楽団自主レーベルから出ている、楽曲レクチャーと演奏で構成された映像ソフト・シリーズ「キーピング・スコア」の1枚。この企画は好評だったのか、後にCDも発売された。映像の方はロンドンにおけるプロムスのパフォーマンスだったが、CDは本拠地シスコでのライヴ録音。T・トーマスのショスタコーヴィチ録音は珍しく、他にミシャ・マイスキーとのチェロ協奏曲集があるだけ。

 演奏は、この指揮者らしく端正でスタイリッシュ。スケルツォの性格の掴み方や、フィナーレにおける弦の素晴らしい合奏、豪放な力感の開放と大胆なデッサンなど、このコンビらしい美点は随所にあるが、どうも性格的に真面目で面白味がない。T・トーマスは自分がこれと思った作品しか録音しない指揮者で、主張は明確な筈だが、演奏に強いインスピレーションが感じられないディスクが時々出てくるのは不思議。

“話題性や同国人びいきを差し引いても、明らかに図抜けたクオリティの演奏内容”

佐渡裕指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2011年  レーベル:エイベックス・クラシックス)

 武満徹の《フロム・ミー・ホワット・ユー・コール・タイム》をカップリングしたライヴ盤。佐渡の同曲録音は後に、トーンキュンストラー管とのライヴ盤も出ている。念願のベルリン・フィル定期デビューという事で、各テレビ局が密着するなど広く話題を呼び、映像ソフトも発売された。会場は大いに湧いているし、公演は大成功と報じられたが、残念ながら再招致されていないのも事実。

 もしかすると実力云々ではなく、メディアの撮影が入るのが迷惑なのかもしれないし、CDと映像ソフトの収録を行うにあたって契約上の不自由や、組合規定外の業務も生じるのだろう。アバドやラトルでさえ手を焼いたオケだから、万事が一筋縄ではいかないのは分かるが、これほど素晴らしい演奏をする客演指揮者が大勢いるとも思えず、佐渡氏が再び招かれないのは同国人びいきを差し引いても納得できない。

 第1楽章は冒頭から気力が漲って、なかなかの好スタート。主部も表情がよく練られ、各パートが適切かつ優美なニュアンスで歌う他、第2主題の繊細なピアニッシモも精妙な効果を挙げている。展開部は加速の具合が絶妙で、合奏も緊密。金管や打楽器の音響的バランスも良好だし、造形が明快かつ鮮烈に切り出されている上、鋭敏なリズム感も生きている。オケの個性を生かしつつ、透明度を上げた響きも卓抜。清冽な叙情も聴かれる。

 第2楽章は遅めのテンポながら、歯切れの良さを維持しつつ随所に重みを加えるという、作品の本質を衝く表現。ポルタメントとルバートを盛り込み、自在な間合いで歌う樫本大進のヴァイオリン・ソロも秀逸。ティンパニの強打も峻烈。

 第3楽章は深々とした叙情が印象的で、響きの作り方や音彩にも傑出したセンスを示す。展開部の起伏の作り方も、緊張度の高まりを上手く表出。やはり、精緻を極めた弱音部のアンサンブルに耳を惹き付けられる。

 第4楽章は引き締まった合奏で、タイトに造形。オケの没入ぶりも、指揮者への賛同と取れる。管弦のバランスが見事に設計されていて、三流の演奏に多い内声の突出がない。巧みな加速、中間部のふっくらとしたカンタービレ、実演らしい熱っぽい高揚と豪放な力感の開放、見栄を切るようなラストのリタルダンドと、演奏効果は抜群。この音源はエイベックスではなく、オケの自主レーベルから発売した方が、国際的な評価が得られたのではないか。

“指揮者の才気が徹底。文句なしに推せる、新時代のスタンダードたる名盤”

アンドリス・ネルソンス指揮 ボストン交響楽団  

(録音:2015年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 第10番に続く同コンビのツィクルス第2弾で、ライヴ収録。カップリングは第8、9番、劇付随音楽《ハムレット》組曲。鮮明でバランスの良い音質は、熱狂的な拍手が入らなければスタジオ録音かと思ってしまうほど。残響は適度に取り込みながら直接音は生々しく、音域も広くて、小澤時代とはサウンド・イメージを一新した印象も受ける。

 第1楽章は、冒頭の弦から長い音符にそれぞれクレシェンドをかけて、最後にひと押しして止める表現に、確固たる意志を感じさせる。音色は磨き抜かれてみずみずしく、発色が鮮やかでポップ。アーティキュレーションが隅々まで意識的なのは、指揮者のこだわりをよく表している。木管のロング・トーンとフルートの掛け合いで大きくテンポを落とし、深々とした叙情を滲ませる演出も見事。

 展開部はぐっと腰を落として遅めのテンポで始め、小気味好いリズムを駆使した行進曲から、見事な呼吸で一体感の強い合奏を繰り広げるクライマックスまで、とにかく雄弁。語り口の上手いネルソンスの棒に、オケもぴたりと付けて熱演。木管やヴァイオリンをはじめ、ニュアンス豊かなソロのパフォーマンスも聴きもの。

 第2楽章は遅めのテンポで、意外にもダウン・ビートで重しを付けて刻み付ける感じ。アゴーギクの操作も堂に入っていて、シニカルな調子をよく生かしている。ティンパニを伴うトゥッティも雄渾で、鋭利なアクセントが効果的。第3楽章もよく練られた構成で、繊細な弱音部と気繫げていてさすが。音色と和声に対する感性も鋭く、音楽性とスキルの高さを窺わせる。

 第4楽章は落ち着いたテンポで着実に開始し、豊麗なソノリティと精確なリズム処理でリアリスティックに造形。緊密なアンサンブルでシンフォニックに音楽を構築してゆく様には、若さや勢いにまかせない並々ならぬ才気が窺える。トランペットの旋律を極端なほどのソステヌートで朗々と吹かせるセンスもユニーク。ソリッドなブラスの吹奏には凄味がある一方、音色に柔らかさもあって、刺々しくはならない。

 中間部のヴァイオリン群は、しなやかであると同時に音圧が高く、思い切りのよいカンタービレに熱っぽさが加わる。クライマックスは、粘りの強いテンポとソステヌートのフレージングで重心の低い表現を繰り広げ、そのダイナミックで有機的な迫力は圧倒的。なかなか良いディスクに恵まれない感のある作品だが、当盤は文句なしに新時代のスタンダードとして推せる名演。

“デッドな録音のせいもあり、才人ノセダに似合わず鮮やかさと味わいを欠く仕上がり”

ジャナンドレア・ノセダ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:2016年  レーベル:LSO LIVE)

 ライヴによる全曲シリーズの一環で、第1番とカップリング。収録日が並記されていてどちらか判別できないが、恐らくは先にネット配信された第5番が16年、初出しの第1番が19年の収録と思われる。DSD録音を謳っているものの、会場が音響のデッドなバービカンセンターなので、響きの美しさまでは望めない。

 第1楽章はきびきびと開始する一方、くすんだ響きで鮮やかさに欠ける。展開部は、低音楽器のリズムを応答しあうみたいに区切る事で面白い効果を上げていて、遅めのテンポと共に個性的な造形。激しい凹凸は避けている様子で、金管と打楽器を伴うクライマックスも、あくまで流麗なタッチ。ティンパニの強打など、アクセントは峻烈に打ち込まれるが、音楽全体が凄絶に荒れ狂う事がない。

 第2楽章は、遅めのテンポとテヌートの長い音価が独特で、鋭いアタックを排してフレーズをダラダラと歌わせているのがユニーク。どういう意図かは不明だが、ロシアでキャリアを積んだノセダならではの見識があるのだろう。ヴァイオリン・ソロを引き継ぐ弦楽合奏にも、締まりのないソステヌートの語調を徹底。

 第3楽章は流れが良く、デリケートな木管ソロなど聴き所もあるが、オケのソノリティにあまり魅力がない。またこういうホール、こういうオケだと、細部のニュアンスに味わいが出ないのは残念。とかく音が無機的に響きがちである。

 第4楽章は落ち着いた佇まいで、着実に開始。音量も抑え気味で、合奏をあくまでも整然と、丁寧に処理している。やはりテヌートで語尾を延ばす箇所が多く、歯切れの良さよりも横の流れに留意する印象。息の長いフレーズ作りを志向する点には、カラヤン・チルドレンの雰囲気がある。その意味では、粘性を帯びたカンタービレが魅力的な中間部が聴き所。後半部も正攻法で、力強さと輝きは増すものの、強く印象に残る箇所がなく、才人ノセダらしくない仕上がりと言わざるを得ない。

“ユニークな解釈も随所に聴かれるが、オケのせいもあるのかベルリン盤には及ばず”

佐渡裕指揮 トーンキュンストラー管弦楽団

(録音:2017年  レーベル:エイベックス・クラシックス)

 楽団自主レーベルによる、ジャズ組曲第2番をカップリングしたライヴ盤。佐渡の同曲録音は、ベルリン・フィルとのライヴ盤も出ている。グラフェネクでの収録で、空間がやや小さい感じに聴こえるが、奥行き感はあり、音自体も美しい。

 第1楽章は冒頭からアインザッツが整然と揃い、冴え冴えとした弦のラインが随所で鮮烈な効果を挙げる。展開部は一段階テンポが上がるのが効果的で、これも明晰な音響の立体感が圧倒的。行進曲のリズムは鋭敏かつ軽妙だが、音楽の呼吸が大きく、クライマックスのユニゾンの旋律などは歌謡的なまでに自由。目新しいアーティキュレーションも随所に聴かれ、研究の跡も窺える。

 第2楽章は旧盤と同様に遅めのテンポだが、切れ味は十分ではない。それゆえ腰の重さが勝った印象はあるが、ルバートを駆使した自在な間合いは継承。オケの能力が、新旧両盤の差異に繋がった例かも。しかし第3楽章は弦の響きが美しく、しなやかな歌に魅了される。佐渡裕は、こういう弱音部の幻想性とイマジネーションの表出が巧い。緩急の振幅も自然だし、音響の構築が精緻。

 第4楽章は会場の音響のせいもあるのか、妙に小さくまとまって聴こえるが、その分合奏はタイトに仕上がっている。中間部は大胆なデュナーミクで、表情豊かに歌う。コーダは気宇の大きさやスケール感も出てくるが、ティンパニや打楽器は控えめなバランス。旧盤がものすごい名演なので、どうしてもそちらに軍配が上がる。

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