ヴァイル/七つの大罪 |
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概観 |
ガーシュウィンと並び称されるブロードウェイ・ミュージカル創成期の大物、クルト・ヴァイルは劇作家のブレヒトと共作した数々の作品で知られるが、これはヴァイル&ブレヒトによる最後の舞台作品。バレエでありながら歌が入るという奇怪な形式で、ディスクで音楽だけをきく分には、全部で35分くらいの小オペラという感じ。 |
内容は、ルイジアナの田舎に住む若い女性アンナが、故郷に家を建てるためにアメリカの大都市を渡り歩き、キャバレーの踊り子になったり、金持ちの男と付き合ったりしながら目的を成し遂げるという、資本主義批判等の毒を盛り込んだ、いかにもヴァイルらしい逆説的サクセス・ストーリー。 |
各都市での歌には聖書にある七つの大罪のタイトルが付けられているが、これも逆説的な意味が強いようである。主人公のアンナは二つの人格を持ち、理性的なアンナ1がメインのストーリーを歌い、感情的なアンナ2がパントマイムなどを踊るという、主役の歌手にかなりの表現力が求められる作品。 |
音楽自体もジャズやワルツ、マーチなど、千変万化する曲調にヴァイル一流のひねった異化効果を加えたもの。田舎でアンナの身を心配しながら待っている家族は男性四重唱で歌われるが、母親のパートにバスの音域を当ててグロテスクな感じを出している所、いかにもヴァイル的なアイロニーである。 |
実をいうと私はガーシュウィンは苦手なのだが、陽のガーシュウィンに対して陰のヴァイルというか、人間のダークな面を描いたヴァイルの音楽は大好きである。ノスタルジックなメロディとそれを変形してゆく不協和音の絶妙な取り合わせは、甘い蜜と毒を両方ひそませて得難い魅力に満ちている。 |
作曲者の妻であったロッテ・レーニャによる古い録音が、名盤として誰もが認める所のようだが、私は聴いた事がない。80年代にラトルが取り上げたのを機に、個性的な面々が次々とレコーディングに乗り出した。傾向としては、ウテ・レンパーのようなジャズ/ポピュラー畑の歌手をフィーチャーした盤と、オペラ歌手が歌っている盤に分かれるが、曲の性格からいって前者の方が聴き応えがあるように思う。 |
ちなみに後者の場合は主人公だけが登場するナンバーを4度上げて歌っているが、この場合、当然オーケストラの伴奏も移調する事になる。下記に取り上げたディスクも、前者と後者の割合が半々なのだが、そもそもどちらが本当のキーなのだろう? |
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*紹介ディスク一覧 |
83年 ロス、ラトル/バーミンガム市交響楽団 |
88年 ミゲネス、T・トーマス/ロンドン交響楽団 |
89年 レンパー、モーセリ/RIASベルリン・シンフォニエッタ |
93年 フォン・オッター、ガーディナー/北ドイツ放送交響楽団 |
93年 ストラータス、ナガノ/リヨン国立歌劇場管弦楽団 |
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“大人しいソプラノ、オケも劇的表現に不足” |
エリーズ・ロス(S) |
サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団 |
(録音:1983年 レーベル:EMIクラシックス) |
楽壇期待のホープとして颯爽とデビューしたラトルは、当初から独創的なレコード作りをしていたが、これもその一つ。当盤が発売された当初は私自身ヴァイルなんて名前はきいた事もなかったし、知っている人にとっても恐らくクラシック界では、「久々にヴァイルのレコードが出た」という程度の感触だったのではないか。 |
歌っているエリーズ・ロスはラトルの奥さんでもあるが、前衛的な作品を得意とする知的な歌手として有名だった。しかし、ここでが完全にオペラ型の演奏で、他と並べるとオッター盤ほどの図抜けた歌唱力も期待できず、時に単調にすら感じられるのは誠に残念。《激怒》のような、激しい表現が求められるナンバーでは、特に不満が残る。 |
《姦淫》の前半部などは、同じ音で長い音符が続くフレーズが多く、何かしらの演劇的表現をプラスしない事には間延びしてしまうように思うが、オペラティックな歌唱法というのはこういう場面では無力なようだ。 |
一方、男声の四重奏はねっとりとしていて、なかなかの聴き物。従って、ほとんど男声だけのアカペラで歌われる《飽食》が、一番の聴き所という事になるだろうか。ラトルは、決してルバートを使わないわけではないが、フレージングに粘り気がないので響きがカラっとしていて毒気がなく、ともすればただのジャズっぽいクラシックに聴こえてしまうのは問題。響きもかなり軽い。 |
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“T・トーマス&ミゲネスの芝居っ気に圧倒される決定盤” |
ジュリア・ミゲネス(S) |
マイケル・ティルソン・トーマス指揮 ロンドン交響楽団 |
(録音:1988年 レーベル:ソニー・クラシカル) |
ここでアンナを歌っているジュリア・ミゲネスは、バーンスタインに見いだされて各国のオペラハウスに出演し、ベルクの歌劇《ルル》なども得意とするクラシック畑の歌手だが、ポップ・アルバムを出したり、《カルメン》や《三文オペラ》の映画で強烈な個性を放つなど、それ以外の分野への適性も如実に示している才人。 |
冒頭から、彼女の演劇的な表現力に圧倒される。歌手としての基本的な技術に並々ならぬ力を発揮しながら、さらに作品の核心を衝く自在なパフォーマンスが加わるわけだから、私などが聴くと、これはもうこの曲の決定盤ではないかという気さえする。 |
オーケストラの表情の雄弁さも、他のディスクを大きく引き離している。T・トーマスという指揮者の良い所は、響きを軽くするのではなく、あくまで重心の低いサウンド・バランスを作っておきながら、その透明度を保ち、リズムに鋭く反応して弾ませる事でフットワークの軽さを得ている点だと言える。 |
だから、オーケストラの編成を縮小して軽さを出そうとする他の指揮者とは違い、ほとんどオペラ並みの重厚な響きがするし、語り口も非常にドラマティック。場面によってはオケの方が歌手を煽っている様子すらある。この曲としては一番にお薦めしたいディスク。 |
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“レンパーの表現力に舌を巻くも、オケに不満” |
ウテ・レンパー(歌) |
ジョン・モーセリ指揮 RIASベルリン・シンフォニエッタ |
(録音:1989年 レーベル:デッカ) |
ロッテ・レーニャの再来と言われ、ヴァイル歌いとしても定評のあるウテ・レンパーは、『キャッツ』のウィーン公演でデビューという経歴からも分かる通り、オペラ歌手ではなくポピュラー畑の人。又、映画『プレタポルテ』などにも出演している女優でもある。当盤は完全にレンパーの魅力がメインで、彼女の芸達者なパフォーマンスにはまったく惚れ惚れしてしまう。 |
当然ながらドイツ語の発音も自然だし、何よりもヴァイルの語法をよく研究しているようである。ちなみに普通、ジャケットには歌手の場合「ソプラノ」とか「アルト」などと表記されるものだが、オペラ歌手ではない彼女の場合は単に「歌」とのみ表記されている。 |
モーセリもヴァイルを得意にしている指揮者で、デッカ・レーベルにたくさんのヴァイル作品をレコーディングしているが、他の指揮者と較べると、やはり表現力の点でどうにも物足りない。全体にテンポは遅めで、《姦淫》のように異常なスロー・テンポで演奏しているナンバーもあるが、各曲の内部ではあまりテンポを動かさないので、いかにもポピュラー的な単調な伴奏に聴こえる。又、編成が小さめで響きが軽い割には、リズムのフットワークが重いのも気になる。 |
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“意表を衝く組み合わせだが作品への適性に疑問” |
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(Ms) |
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 北ドイツ放送交響楽団 |
(録音:1993年 レーベル:ドイツ・グラモフォン) |
「スウェーデンの奇跡の声」と絶賛されるオッターは、勿論クラシック・ファンなら誰でも知っているスター歌手だが、純クラシック系の彼女がヴァイルを歌うというのは意外性のある企画と言える。又、古楽器アンサンブルの世界で名を馳せたガーディナーが、フル編成のモダン・オケを振るようになったとはいえ、いくら何でもヴァイルというのはちょっとびっくりするような選曲。 |
しかしここでのガーディナーは案外大人しく、速めのテンポで新鮮な響きを引き出したり、《嫉妬》などで相当遅いテンポを採ったりして個性をみせる部分もあるにはあるが、全体的には折り目正しい真面目な演奏。オケの編成も小さめなのか、迫力に欠ける。 |
オッターも生き生きしてはいるが、オペラ型の歌唱法では限界がある感じ。レンパーやミゲネス、メーリングが歌っているのと同じ曲とはとても思えない。さらに、男声の四重唱が軽快すぎて作品のシニックをほとんど伝えず、存在感が無いのはいただけない。オッターやガーディナーのファンには面白い一枚だが、この曲を初めて聴く人にはお薦めできないディスク。 |
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“ややオペラ調に傾くストラータスの歌唱。ナガノの指揮も軽量級” |
テレサ・ストラータス(S) |
ケント・ナガノ指揮 リヨン国立歌劇場管弦楽団 |
(録音:1993年 レーベル:エラート) |
アルバム《知らざれるクルト・ワイル》など、ヴァイル作品の録音に力を入れていたストラータスがナガノと組んだ注目盤。ナガノとリヨン歌劇場管は交響曲第2番も録音しており、ストラータスのヴァイル・アルバム2枚と合わせた3枚組セットとして、2012年にタワー・レコードから復刻発売もされた。 |
ただ、当盤も移調の問題があり、オケが小編成っぽい軽い響きに聴こえるのは残念。同曲はこういうスタイルの方が主流なのかもしれないが、ナガノならもっとドラマティックなアプローチも可能だっただろう。《プロローグ》は異様に遅いテンポで、地を這うような独特の表現。もっとも、オケの音色が明るいせいか、それが退廃的なムードに繋がっている感じはあまりない。ストラータスは演技力には定評のある歌手だが、ここではオペラ歌手らしい端正な歌唱スタイルで、キーも高く聴こえる。 |
逆に《怠惰》は速すぎてアンサンブルが付いてゆけるか心配になるくらいだが、ナガノの統率力は優秀。合いの手の家族たちも、軽快に弾んで歌う。ただ、オケの音が薄くて軽いのは問題。ヴァイルだからと軽いタッチを求める指揮者が多いが、T・トーマス盤を聴けばそうじゃないアプローチの方が有効である事は明らかである。 |
《高慢》は、テンポ変化とダイナミクスのコントロールが見事。一方で、オケがテンポを上げてワルツを始める箇所は抑制が効き過ぎ、大きなメリハリに繋がらない。急速なテンポによる《激怒》は、オケ、歌唱陣共に歯切れの良い合奏を展開。《姦淫》の朗々たるメロディなどは完全にオペラ調のストラータスで、歌手、指揮者と才人が揃っても、解釈の方向性いかんでは作品の魅力を伝えきれないという事か。そういう意味では、演奏が難しい作品と言えるかも。 |
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