ストラヴィンスキー/バレエ《春の祭典》

概観

 “ハルサイ”の愛称で親しまれる、言わずと知れた20世紀を代表する名曲。多くのクラシック・ファンの例に洩れず、私も昔からこの曲の魅力の虜だった。クラシック音楽を聴き始めた当初からという、最もつきあいの長い曲の一つだが、未だに聴いても飽きない。生まれて初めて海外メジャー・オケの生演奏を聴いたのもこの曲だった(メータ/イスラエル・フィルの83年来日公演)。

 1913年初演時の大混乱は有名だが、ジンマン盤のライナーにはモントゥーや作曲家、ココ・シャネルら、多くの関係者の回想が引用されていて、彼らが何を見て何か感じたかがよく分かる。特にこの曲を「1音符たりとも理解できなかった」「この気違いロシア人の曲なんか音楽とは呼ぶまい」と言いながら、初演以後何度も完璧に指揮したモントゥーの図抜けた才能には頭が下がる。

 この曲は、カラヤンの新盤、マータのロンドン盤、デイヴィスのコンセルトヘボウ盤、マゼールのウィーン盤、メータの新旧両盤、フェドセーエフ盤、N・ヤルヴィ&スイス・ロマンド盤など、すぐ思い浮かぶだけでもすこぶる付きの個性盤揃いで、逆に、なぜ味も素っ気もないアバド盤やブーレーズの91年盤がもてはやされるのか、首を傾げたくなる。

 それにしても、こんなに多くディスクを聴いたとは自分でもびっくり(全てが自分のディスクではないが)。この企画のために全て聴き直したが、永久に終わらないんじゃないかと思った。それでも、この曲がある意味このコーナーの肝というか基準になるような気がして、ちょっと品揃えが過剰に見えても、聴く機会があれば新しいディスクを追加するようにしている。

*紹介ディスク一覧

56年 モントゥー/パリ音楽院管弦楽団

57年 アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団  

59年 ドラティ/ミネアポリス交響楽団  

59年 マルケヴィッチ/フィルハーモニア管弦楽団

63年 アンチェル/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団  

63年 C・デイヴィス/ロンドン交響楽団   

63年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

68年 小澤征爾/シカゴ交響楽団

69年 メータ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

69年 ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団

72年 T・トーマス/ボストン交響楽団

73年 ハイティンク/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 

73年 ラインスドルフ/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 

74年 マゼール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

74年 ショルティ/シカゴ交響楽団  

75年 アバド/ロンドン交響楽団

76年 C・デイヴィス/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

77年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

77年 チェクナヴォリアン/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

77年 メータ/ニューヨーク・フィルハーモニック  

78年 マータ/ロンドン交響楽団

78年 ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団

79年 小澤征爾/ボストン交響楽団  

80年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団

81年 ドラティ/デトロイト交響楽団

81年 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団

82年 バーンスタイン/イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団 

82年 A・デイヴィス/トロント交響楽団

84年 デュトワ/モントリオール交響楽団   

85年 シャイー/クリーヴランド管弦楽団

86年 バレンボイム/パリ管弦楽団

88年 ラトル/バーミンガム市交響楽団

89年 サロネン/フィルハーモニア管弦楽団

89年 インバル/フィルハーモニア管弦楽団  

 → 後半リストへ続く

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“パリ音楽院の名手達が織り成す、近年聴かれなくなったフランス流ハルサイ”

ピエール・モントゥー指揮 パリ音楽院管弦楽団

(録音:1956年頃  レーベル:デッカ)

 初演者、モントゥーによるステレオ録音。この時点で、例のスキャンダラスな初演から既に43年も経っていた事になります。何度かこの曲を録音している彼ですが、これは恐らくもっともこなれた状態の演奏なのでしょう。

 当コンビの3大バレエ全てに言える事ですが、ティンパニや大太鼓、シンバル、ゴングなどの打楽器群が皆一様に弱々しく、くぐもった響きで演奏されているので、迫力を求める向きには物足りないかもしれません。ティンパニもところどころ音が抜けて、叩いていない音がかなりあります。アンサンブル自体かなり乱れ気味ですが、明るく華やかなサウンドには何とも言えない魅力があり、金管の鋭いアクセントや木管のソロなどは、これぞ名門コンセルヴァトワールといった名調子。最近あまり聴かれなくなったフランス流のハルサイとして、ユニークなポジションを占めるディスクだと思います。

“ルバートや間の挿入など、意外にアグレッシヴな表現も聴かせるアンセルメ”

エルネスト・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団

(録音:1957年  レーベル:デッカ)

 当コンビによるステレオ再録音盤。有名なディスクですが、比較的軽視されてきた印象もある盤です。録音は少々古めかしいものの、ブラスの鋭利なエッジなど抜けは良く、いかにも「太鼓」という感じのティンパニ、大太鼓の打音にもデッカらしさあり。

 第1部《序奏》は音色が美しく、色彩の鮮やかさで聴かせる辺りがいかにもアンセルメ。音価を粘る箇所があるのも独特です。《春のきざし》はテンポが遅く丹念な表現で、ブラスは鋭利に切り込むし、リズム処理も健闘。

 《誘拐の遊戯》も、技術力を疑問視されていたスイス・ロマンド管としてはなかなか頑張っていて、少なくともモントゥー盤のパリ音楽院管よりはずっと緊密な合奏を繰り広げています。《春のロンド》も不協和音の烈しさをきっちり表出。《敵対する町の人々の戯れ》や《賢者の行列》では、金管や弦のトリルなどが聴き慣れないバランスで鳴らされ、ユニークな音響を聴かせる場面もあります。

 第2部も、前半部の精妙な音色にこのコンビの魅力を発揮。アンサンブルも緻密です。《いけにえの賛美》は、一瞬の間を置いて歯切れ良く打ち込まれる直前の11連打が独特で、突入後も大胆なルバートを用いたり意外にアグレッシヴ。《いけにえの踊り》はさすがに合奏の乱れが目立ち、テンポも不安定。オケの技術のみならず、アンセルメの指揮にも問題はありそうです。それでもエンディングに大きな間を挿入し、シンバルの一撃を追加するなど自己主張あり。

“超高速で一糸乱れぬ合奏を繰り広げる、激烈を極めた演奏”

アンタル・ドラティ指揮 ミネアポリス交響楽団

(録音:1959年  レーベル:マーキュリー)

 当コンビによるステレオ再録音。モノラルからステレオへの移行期には、同じ曲を同じアーティストが録音し直すケースも多々あり、当コンビも例外でなかったようです。音質の良さで知られるマーキュリーの録音だけあって、今の耳で聴いても目の覚めるように鮮烈な音質。

 第1部《序奏》はテンポが速く、音の立ち上がりもスピーディ。全てのネジがきっちり締められたような、独特の緊張感があります。《春のきざし》は超高速テンポで、聴いていて恐ろしくなるほど。ティンパニが初めて入ってくる箇所のシャープさと大太鼓の低音、続くテューバ、バス・トロンボーンの強奏も凄味を帯びています。速いテンポでもほとんど乱れない合奏に、卓抜なドライブ能力を発揮。トロンボーンの低音は、あちこちでバリバリと強調されています。切れ味鋭いリズムも迫力満点。

 《敵対する町の人々の戯れ》も相当に速いテンポながら、躍動的でダンサブルなグルーヴを見事に打ち出し、ぐっと引き延ばしたホルンのファンファーレと効果的に対照させるなど、語り口が巧み。鋭利でスピーディな演奏ながら、無機的な表現には陥りません。《大地の踊り》の無謀な暴走テンポにも、ただただ驚くばかり。

 第2部前半も叙情的な箇所だからといって手加減せず、テンポを速く出来る箇所は極力突っ走ろうという、アスリートのようにストイックな姿勢。演奏時間の最短記録が目的だったのでしょうか。《いけにえの賛美》も直前の11連打が異常に速く、アンセルメとは逆に連打が終った所へ間を挿入。そのまま凄まじいスピードで駆け抜けます。アンサンブルはタイトで熱気に溢れ、モントゥー盤やアンセルメ盤と同じ時代に録音したオーケストラとはとても思えない合奏力。

 《いけにえの踊り》も相当に速いですが、さらにテンポを煽る箇所も多く、演奏に必死でそれ以外の事はできませんというような録音とは一線を画す表現力です。尖鋭を極めたリズムと音感を武器に、凄まじいスピードで繰り広げられるクライマックスは手に汗握るほどの緊張とスリル。ドラティはデトロイト盤が有名だからそっちだけ聴けば十分、と思っている人に一度は聴いて欲しい強烈なディスク。

急速なテンポと鋭い切り口、冴え渡るマルケヴィッチの技に驚嘆

イゴール・マルケヴィッチ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1959年  レーベル:EMIクラシックス

 こちらもステレオ初期の古い録音ですが、長らく高い評価を受け続けてきた名盤です。音の状態が良好で、強奏での混濁や歪みがあまり目立たないのが驚き。残響音が多めで、細部の解像度がもどかしい箇所はありますが、高音域の抜けも良く爽快なサウンド。

 序奏こそ粘液質のフレージング、たっぷりとした間や豊かな表情付けが特徴的ですが、全体にかなり速いテンポで鋭利な音を刻んでゆく、マルケヴィッチらしい冴えた演奏。特に第1部ラストや、第2部《祖先の儀式》から《いけにえの踊り》と続くクライマックスは、一貫して急速なテンポと切迫した調子を採り、手に汗握るスリリングなパフォーマンスを展開します。往時のフィルハーモニア管も非常に優秀なアンサンブルを聴かせ、間然とした所がありません。当時のリスナーには、さぞ斬新な演奏と感じられたのではないでしょうか。

“軽妙さと流麗な歌が際立つ、個性的なハルサイ像。オケも超優秀”

カレル・アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1963年  レーベル:スプラフォン)

 当コンビは《詩編交響曲》《ペトルーシュカ》《エディプス王》《結婚》《カンタータ》《ミサ曲》と、ストラヴィンスキー録音多数あり。ステレオ初期にありがちなように、このコンビも同時期に同じ曲をよく録音していますが、彼らが特殊なのは再録音の方がモノラルだったりする点。アンチェル自身がモノラル支持者だったのかもしれませんが、リスナーにとっては少々ややこしいです。

 この曲も、翌年に行われた再録音はなぜかモノラル。当盤はこのコンビの他のステレオ盤と同様、非常に分離が良く、ディティールが目の覚めるように鮮明な録音です。ただしホールトーンもちゃんと取り入れられていて、それが得も言われぬ美しいオーケストラ・サウンドを形成するのが彼らのディスクの魅力。

 その美点は第1部《序奏》のクライマックスに早くも表れ、明瞭ながら潤いたっぷりの木管群に、耽美的なトランペットのソロが重なって陶然とさせられます。《春のきざし》以降はこのコンビらしい切っ先の鋭さと流麗な歌が一体となり、個性的な《ハルサイ》像を展開。合奏は緊密で、この曲がまだ演奏至難だったこの当時、すでに彼らが一級のオケ、指揮者であったことがよく分かります。打楽器も粒立ちが良く、腰の強さあり。

 《春のロンド》も急速なテンポで果敢に攻めるアグレッシヴさの一方、リリカルな歌や豊かな和声感も確保しています。トゥッティが重くならず、軽快な立ち回りを聴かせるのも驚異的。このコンビならさぞたっぷり歌いそうな第2部前半は、意外にブツ切りのフレージング。音色の多彩さは彼らの美点です。後半はまた軽妙さが戻りますが、《祖先の呼び出し》では極端なスロー・テンポを採択。ラストまで、力みのない整然たる合奏を繰り広げていて圧巻です。

“凛々しくもモダンな棒さばき。凝集度の高い表現が素晴らしいデイヴィス旧盤”

コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1963年  レーベル:フィリップス)

 デイヴィス1回目のハルサイ録音。彼は後に、コンセルトヘボウ管と再録音をしていますが、それまでは当盤も優れた演奏として定評を得ていたと聞きます。ややドライながらウォルサムストウ、アッセンブリー・タウンホール収録の音は生々しく、古い録音ながら大きな不満は感じません。これを聴くと、同じレーベルが同じホールで収録しているのに、10年後のハイティンク盤がなぜ全く冴えない音質なのか、首を傾げたくなります。

 第1部は《序奏》から鮮やかなアンサンブル。各パートの発色が良く、リズムもサウンドも明晰そのものです。《春のきざし》は軽快なタッチと平均以上の切れ味が、さすがデイヴィス。音響の構築も惚れ惚れするほどに見事で、モダンな感性が耳を惹き付けて離しません。その後もタイトに引き締まった棒で緊張感を保つ一方、《賢者の行列》直前で聴かれる烈しい金管トリルのクレッシェンド、《大地の踊り》での解像度の高い弦のトレモロなど、鮮烈な表現が続出。

 第2部も《序奏》における高解像度のトレモロ、官能的なまでに妖しいヴァイオリン・ソロの超高音など、非凡なセンスで聴き手を飽きさせません。凝集度の高い表現は後のデイヴィスを彷彿とさせますが、より筋肉質でストイックな音楽作りに邁進する凛々しさも感じます。《いけにえの賛美》以降も俊敏でパンチが効いており、音色美と奥行き感を生かしたアムステルダム盤とはベクトルの異なる魅力あり。《祖先の儀式》《いけにえの踊り》も実に剛毅で、片時も緊張の糸を緩めない棒さばきに思わず息を呑みます。

 この演奏を聴くにつけ、ロンドン響の同曲録音には当盤やマータ盤のように飛び抜けて非凡なディスクがあったというのに、なぜアバド盤が長年に渡ってあんなにもてはやされたのか、レコード界の七不思議という他ありません。

“再録音盤よりも精悍でダイナミックな表現が際立つ、カラヤン最初の「ハルサイ」”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1963年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤン1回目のハルサイ録音。作曲者自身から「弦があまりにソステヌートで演奏されているので私は採らない」と批判されたというディスクです。カラヤンの多くの録音がそうであるように、旧盤はイエス・キリスト教会の録音で、残響が多く、音の印象が異なります。直接音は意外に明瞭ですが、強音部でやや歪みがあるのと、低音域は軽め。

 こちらはしかし、個人的には非常に鋭い演奏と感じます。《序奏》こそオフ気味の録音で生々しさが欲しいですが、《春のきざし》は弦のエッジが効いてシャープ。歯切れの良さも抜群で、他の演奏と較べてもさほどレガートの表現とは思えません。落ち着いたテンポにも凄味がありますが、一転して猛スピードで駆け抜ける《誘拐の遊戯》は圧巻。オケも巧く、《春のロンド》の後半部で不協和音の狂気より華麗さが前に出るのは独特です。《敵対する町の人々の戯れ》《大地の踊り》も、案外スポーティで躍動的。

 第2部前半は、オケの優秀な合奏力と美しい音色を駆使し、他盤と較べてアドバンテージを確保。《いけにえの賛美》以降は録音のせいもあって重量感に不足しがちですが、カラヤンの精悍な棒が見事で、ダイナミックな表現を繰り広げます。《いけにえの踊り》も切れ味が鋭く、腰の強いリズムに迫力あり。

シカゴ鉄壁のアンサンブルを得てひたすらストレートに突っ走る小澤征爾

小澤征爾指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1968年  レーベル:RCA

 小澤は後年、ボストン交響楽団とフィリップスに同曲を再録音しています。カップリングは幻想曲《花火》。若き日の小澤の鮮烈な棒さばき、手際の良さも聴きものですが、やはりシカゴ響のパフォーマンス、特にブラス・セクションの響きにはひたすら圧倒されます。個人的にはさすがに力み過ぎというか、うるさく感じたりもしますが、好きな人にはたまらない刺激かも。

 基本テンポが速く、第1部、第2部共に後半などは普通ら空中分解しそうなテンポで疾走しますが、指揮者はオケを信頼してかあまり速度に配慮せず、むしろ軽やかなタッチで飄々とした棒さばき。舞曲の性格をリズミカルに表現したいからオケはちゃんと付いてきてね、とあっさり言われるような雰囲気です。スタッカートの切れ味も無類で、常に音符を短めに刈り上げる印象。

 特に、鉄壁のアンサンブルを駆使して猛スピードで突っ走る《いけにえの踊り》は実にスリリングですが、途中一箇所、編集のミスなのか、特殊な版を使用しているのか、オケ全体が間違えたように聴こえる部分があります(《いけにえの賛美》にも怪しい箇所あり)。若々しく、ストレートな表現の一方で、意外に弱音部の表情が多彩な点も印象に残りました。第2部前半など、和声や旋律線をじっくりと描き込む所に、ただの若い指揮者にはない才気が漂います。ややドライながら、録音も優秀。

東洋的ムード+現代センス+ダイナミックな活力。メータ節全開!

ズービン・メータ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1969年  レーベル:デッカ

 当コンビ代表盤の一つ。カップリングの《15人の器楽奏者のための8つのミニチュア》もマイナーながら面白い曲です。メータはニューヨーク・フィルとも当曲を二度再録音していますが、77年録音のCBS盤は私もLP時代によく聴きました。

 冒頭、ファゴット・ソロの東洋的・呪術的ムードからしてメータ節全開。トランペットが入るクライマックスでは、低音リズムの高揚が心拍音の上昇に聴こえるなど、想像力を使ってドラマを組み立てるようなアプローチ。速めのテンポで緊迫感溢れる《春のきざし》以降の前傾姿勢、《賢者の行列》に聴く土俗的なリズム感、《春のロンド》での肌にまとわりつくような粘液質の音楽作りやアンニュイな和声感にも才気を漲らせますが、全体的にダイナミックでグラマラスな、英デッカ時代のメータの魅力が十二分に発揮された名演と言えるでしょう。

 オケの好演も印象的で、音符が軒並み鮮やかに発音される様は胸のすくよう。低音部の豊かな表情もメータ流です。《いけにえの踊り》などではアンサンブルの乱れも散見されますが、そこで足踏みせず、指揮者の強力な牽引力を頼みにクライマックスに向けてひた走るこの演奏には、やはり独特のパワーを感じます。精緻な分析を経ずとも、感覚的に曲を捉えるやり方で凄い演奏が出来るという見本のようなディスク。録音も60年代とは思えないほど優秀です。

あらゆる音を明瞭に響かせるブーレーズ。誰もが一度は聴くべき記念碑的名盤

ピエール・ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1969年  レーベル:ソニー・クラシカル

 この作品の演奏史に輝かしい一歩を記したモニュメンタルな録音。フランス国立管弦楽団との旧盤も記念碑的名盤として知られていますが、私は聴いていません。彼は後年、同じオケと3度目の録音を行っています。音質はやや不満で、セヴェランス・ホール特有の冷たい響きは演奏のコンセプトには合っていますが、バスドラムなど低音域が薄く、奥行き感も浅く聴こえます。トゥッティで音が割れるのも残念。

 この時期のブーレーズ特有の、スコアをレントゲン解析してみせたような、全ての音を明瞭に拾う録音・演奏で、序奏の木管群のアンサンブルなどは、それがてきめんに効果を示していて圧倒的。指揮者が常に覚醒していて、感情的にのめり込まない反面、個々のサウンドが鋭利な前衛性を孕んでいるため、結果的にすこぶるアグレッシヴな演奏に聴こえるのが面白い所です。

 逆に、硬質な冷たさから木質の暖さへ、分離型からブレンド型へとサウンド作りを修正し、個々の響きが持つ攻撃性を取っ払って極度の洗練へ向かってみせたのが、91年の再録音盤と言えるでしょうか。私としては、こんなにも冷たい肌触りをキープしながら聴き手を激しく興奮させる当盤の不思議さに、より音楽的な魅力を感じますが。

鋭敏でフレッシュな魅力。若干オーソドックスに過ぎるきらいも‥‥

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 ボストン交響楽団

(録音:1972年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 T・トーマス若き日の代表盤。彼は後年、サンフランシスコ響とこの曲を再録音しています。オリジナルのカップリングはカンタータ《星の王》で、これも素晴らしい曲。発売当初から評価の高かったディスクで、何より私はこの指揮者の大ファンなのですが、どうもこの演奏、何度聴いてもあまり面白いとは思いません。

 勿論、鋭敏なリズムやオーケストラ・ドライヴの腕前、若々しいダイナミズムはそれだけで魅力ですが、メータやマゼール、ブーレーズ、フェドセーエフといった錚々たる個性盤の中に置くと、いかにもオーソドックスにまとまった感じがしてしまいます。立派な演奏ではありますが、個人的には再録盤の方が、この指揮者のユニークな感性を反映していると思います。

“録音会場の響きがお粗末で、完全に損をしているハイティンクの旧盤”

ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1973年  レーベル:フィリップス)

 録音の悪さでかなり損をしているディスク。フィリップスはロンドンでのレコーディングによくウォルサムストウ、アッセンブリー・タウンホールを使っていますが、響きが浅い上にホールトーン自体も魅力がなく、なぜこんな会場を常用するのか理解に苦しみます。当盤も、この曲の要であるティンパニや大太鼓が飽和して妙な響き方をしており、低音域も浅いために全く魅力が出ません。

 第1部《序奏》はハイティンクらしく、落ち着いた西欧風洗練を示す演奏。《春のきざし》以降も安定していて全てのバランスが良く、技術的には申し分のないパフォーマンスですが、特定の要素の突出を許さないまとめ方は、果たしてこの曲にふさわしいアプローチかどうか疑問です。細部に拘泥せず、音楽全体としての盛り上がりに突き進む《賢者の行列》辺りは、それが有効な迫力を生んだ例。いずれにしても、録音の不備が印象を台無しにしている事には変わりありません。

 第2部も折り目の正しい、真面目な表現。ぎこちなさとか、下手に聴こえるような箇所は皆無ですが、この作品の場合、演奏の立派さがそのまま聴き応えには繋がらない傾向もあります。アゴーギクや強弱の呼吸も自然で、リズムも鋭く、表現のクオリティは決して低くありません。《いけにえの踊り》もゆったりとしたテンポで、全ての音符を丹念に描写。

“雑音性の高いアクセントと、旋律線の叙情性。旧世代の体質が濃厚な表現

エーリッヒ・ラインスドルフ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1973年  レーベル:デッカ)

 ラインスドルフの珍しいストラヴィンスキー録音。ロンドン・フィルは同年、ハイティンクともこの曲を録音していますが、当盤はデッカの優秀録音のおかげで、ずっと優れた演奏に聴こえます。強奏部でも色々な音が耳に入ってくる分離の良さと、直接音自体の生々しさは鮮烈。

 第1部《序奏》は全てが明晰で、画然とコントロールされたアンサンブルが見事。速めのテンポで開始される《春のきざし》はエッジが効いて鋭く、特に管楽器が雑音性の高いアクセントを添えていて異様な雰囲気を醸します。《誘拐の遊戯》前後の棒さばきはかなり危うく、合奏が崩壊しそうな瞬間もありますが、後半のリズムを克明に刻んで持ち直します。ホルンのトリルを強調したり、金管のロングトーンを壮烈に強奏させたり、アグレッシヴな表現も多々あり。

 《春のロンド》は相当に速いテンポながら、旋律線に漂うロマンティックな情緒が独特。打楽器で迫力を出そうというタイプではなく、切っ先の鋭いアインザッツとブラスの咆哮を駆使して猛々しさを演出しています。《敵対する町の人々の戯れ》《大地の踊り》は逆にスロー・テンポで、細部をクローズアップ。《賢者の行列》のパワフルな盛り上げ方も迫力があります。

 第2部前半は叙情性に溢れ、テンポも色々と工夫して雰囲気を豊かに盛ろうとする辺り、やはり前世紀の指揮者なのだなあと実感。《いけにえの賛美》は意外に軽快なフットワークで、続く《祖先の呼び出し》でも切れ味を大事にしている様子が窺えます。《祖先の儀式》は多少アインザッツの乱れもあり、仕上げはやや粗いですが、前のめりのテンポにスリリングな効果あり。《いけにえの踊り》でも歯切れの良いリズムを駆使しています。私はあまり好きな指揮者ではありませんが、偏見を捨てて聴けば面白い演奏かも。

マゼールやりたい放題。数あるディスクの中でひときわ異彩を放つ超個性盤

ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1974年  レーベル:デッカ

 ウィーン・フィル初のハルサイ録音として大いに話題を呼んだディスクですが、その後もこの団体はストラヴィンスキーと縁が薄く、ほとんど録音していません。当曲の正規盤はいまだにこのマゼール盤だけではないでしょうか。マゼール自身は、後にクリーヴランド管と同曲を再録音しています。

 発売当時、黒魔術的とも形容されたこの演奏ですが、序奏からねっとりとしたフレージングが徹底され、弱音器付きトランペットも、まるでコルネットのような丸みを帯びた音とレガート奏法。いやはやマゼール、噂に違わぬ策士のようで、見事にこのイベントを演出しています。恐ろしく頭の良い人ですね。

 当盤で有名なのが、《春のロンド》の不安定に揺れる千鳥足と、グロテスクにデフォルメされたグリッサンド、そして《いけにえの賛美》直前11連打の異常に遅いテンポ。ハルサイ・ファンの方ならとっくにご存知かもしれませんが、正にマゼール、大自在の妙境に至るといった所でしょうか。

 聴き所はこれに留まりません。《春のきざし》の弦の刻みの、何と力が漲り、響きが充実している事でしょう。《賢者の行列》で不気味な旋律を吹く小テューバも、デュナーミクが異様なほど強調され、強音部では音も割れよと激しく吹きまくります。《大地の踊り》の土俗的なリズム感も独特。当曲のファンなら絶対に聴き逃せないディスクと言えるでしょう。

“録音と合奏の凄さで聴かせてしまう、70年代に一つの規範を示した名盤”

ゲオルグ・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1974年  レーベル:デッカ)

 デッカはこの年、同曲の録音史に残る2つのハルサイ・レコーディングを行っています。ヨーロッパ感覚で黒魔術調のウィーン・フィル盤をアメリカ出身のマゼールが振り、現代ヴィルトオーゾ風のシカゴ盤をハンガリーの指揮者が振るとは逆説的で面白い所。当コンビのストラヴィンスキー録音は他に、《ペトルーシュカ》《カルタ遊び》、交響曲集がある他、ショルティにはコンセルトヘボウ管との同曲再録音と、ロンドン・フィルとの《エディプス王》もあります。

 第1部は《序奏》からあらゆる音が鮮やかで発色が良く、オケと録音の優秀さを際立たせます。《春のロンド》における極端な駆け足とハイ・テンションのせいで、全編急速なテンポが採られている印象が強いですが、《春のきざし》や《誘拐の遊戯》などは案外落ち着いたテンポ。ティンパニはともかく、大太鼓のパンチもさほどではありません。

 金管群をはじめ、アンサンブルの強力さと音圧の高さは圧巻。臆面もなく展開する名技性の披露には、聴いていて思わず唖然としてしまいます。ファンの間では有名な、トランペットが入り損ねるミスも、あれっ?と思う内にさっさと過ぎてゆく感じ。《賢者の行進》もユーフォニウムやホルンの張り、カロリーの高さは尋常じゃありません。それでも、例えば翌年のアバド盤やブーレーズ91年盤などと較べると、さほど即物的でも機能主義的でもなく、案外ニュアンスが多彩で情感豊かです。

 第2部も鉄壁の合奏能力を生かし、鮮やかな色彩で明快に造形。儀式のムードや神秘性はありませんが、現代オーケストラの魅力を拡張するかのように、力強く音楽を進めてゆきます。テンポや強弱も強い確信をもって選択されている趣で、一点の曖昧さも残さない解釈。後半部もとにかく強靭で迫力満点。一つ贅沢を言えば、ショルティの演奏はどれも根が真面目すぎて、メータやマゼールのような個性の突出が欲しくなる傾向もなくはありません。

 ショルティの棒さばきに難があるのか、《いけにえの賛美》や《いけにえの踊り》にも合奏が崩れる箇所はあるのですが、それでも下手な演奏とは思わせず、それと真逆の印象で圧倒する所が凄いです。プロデューサーも、「何度録り直したってどこかは崩れる。それでも凄さは伝わる」という強気の姿勢なのかもしれません。

“平均点の高い優等生的表現。祭儀的興奮や熱狂とは無縁”

クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1975年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 3大バレエ全てを録音しているこのコンビの代表的ディスク。発売当時から世評の高かった演奏ですが、何度聴いても私にはぴんと来ません。アバドは控えめなカラーパレットを用い、独特の不器用な感じが漂う、ザックリとした切り口の演奏をしていて、前者が色彩的な地味さ、後者が無骨なイメージに繋がります。ロンドン響を振った場合は特にその傾向が強く、当盤は幾分デッドな響きに録音されていて、それが整然とした雰囲気をより強調する結果ともなっています。

 第1部の序奏は木管のフレーズの捉え方、特に装飾音符の節回しが独特。《春のきざし》は速めのテンポでエッジが効いており、弦や木管など副次的な動きがすこぶる明瞭に分離して聴こえます。リズム感やアンサンブルの統率は見事で、ヴィルトオーゾ風の合奏や音の立ち上がりの速さはショルティや小澤が振った時のシカゴ響にも通ずる雰囲気。特に第2部前半が出色で、弱音部の処理は凡百の演奏と一線を画します。《いけにえの踊り》の鋭い切れ味もさすがですが、ある種の興奮や熱狂とは無縁。

 平均点は高いのかもしれませんが、作品にとって重要な何か、例えば野性的な躍動感や、祭儀に特有の原始的な高揚感が欠落しているという事でしょうか。それならそれで割り切ってオーケストラ演奏の魅力を追求したり、ブーレーズのように徹底して分析的なアプローチをとる事もできるわけですが、どちらの方向にも行かない所がアバドの実直さなのでしょうね。

 スコア再現の精度は驚異的で、その純音楽的な態度を評価されたのかもしれません。全体にティンパニを抑制しているせいか、和声感と叙情性が全面に出ているのも特徴。《春のロンド》前半が、舞曲風にシャレて聴こえるのも面白いです。

“芳醇なコンセルトヘボウ・サウンドとデイヴィスの才気、凄まじい相乗効果”

コリン・デイヴィス指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1976年  レーベル:フィリップス)

 ベルリオーズ/幻想に続く当コンビのレコーディング第2弾で、三大バレエの一枚。名門コンセルトヘボウによる初のハルサイ録音という事でも話題を呼びました。長らく同曲トップクラスの名盤として称賛されてきましたが、今聴いてもすごい演奏だと思います。まず、オケのキャラクターが最大限に生かされているという事ですね。全編、芳醇で滋味に溢れたコンセルトヘボウ・サウンドに彩られたハルサイで、そういう意味では異色盤とも言えそうですが、堅固かつ有機的な音楽を構築してゆくデイヴィスの手腕も相当なものです。

 テンポは総じて遅めで、物腰もゆったりとしていますが、音に対する反応が機敏でリズムの切れも良いので、鈍重な感じは全くありません。第1部を盛り上げすぎず、あっさりと締めて後半に繋げる所、いかにもシンフォニックな構成感覚を見せますが、第2部後半、急がず慌てず、内面から湧き起こるようにクライマックスを形成してゆく様は、正に大地に根を下ろした、骨太な迫力を感じさせます。残響が長く、奥行き感の深いフィリップスの録音も効果的で、重心の低いオケの響きを曲の凄味にうまく結びつけた印象。

“濃密でスリリング、目の覚めるような音世界。カラヤン壮年期の見事な再録音盤”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1975、76、77年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビは60年代に一度この曲を録音していますが、その際、作曲者自身から「弦があまりにソステヌートで演奏されているので私は採らない」と批判されたそうです。再録音のセッションに3年間も費やしているのはそのせいかどうか分かりませんが、個人的にはものすごい名演だと思います。ただ、バレエ音楽というよりは交響詩的な捉え方で、オケも「ミスかな?」という箇所もあったりする演奏。

 第1部は、冒頭の軽やかなファゴットが見事。序奏部自体も目の覚めるような音世界で、オケのうまさと音彩の鮮やかさに早くも圧倒されます。《春のきざし》は落ち着いたテンポで重量感がありますが、リズムは十分に鋭利。アンサンブルにも瑕がない訳ではありませんが、全体に余裕があり、表情豊か。モダンな切り口よりも、ストーリー・テラー系のアプローチがユニークです。

 《誘拐の遊び》後半の猛スピードもスリリングで、《敵対する町の人々の戯れ》から《賢者の行列》にかけても、粘性を帯びたフレージングと密度の高い合奏で迫力満点。《大地の踊り》はリズムが不明瞭で、ただのトレモロのクレッシェンドに聴こえるのは、意図的なのかどうか。他とは違う解釈が随所で聴けるのは、当盤の面白い所です。

 第2部は前半が実に精妙。フルートとヴァイオリン・ソロの高音域や弱音器付きトランペットなど、重奏の効果も絶大です。《いけにえの賛美》は中庸のテンポで余裕を持って進行し、パンチの効いたアクセントを生かして有機的な迫力を追求。旋律線と和声感を大事にするアナログ的感覚と、このスコアにおいてそれを可能にするベルリン・フィルの技術力が、高次の音楽的表現で結び付いているのが圧巻です。《いけにえの踊り》後半からコーダにかけても、手に汗握る緊張感あり。

“今一歩緊張感に不足する、大味な演奏。爆演というキャッチ・コピーも疑問”

ロリス・チェクナヴォリアン指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1977年  レーベル:RCA)

 国内初CD化の際には、マータ盤とのカップリングで“二大爆演指揮者によるハルサイ競演”というような売り方をされましたが、少なくともマータはそういう指揮者ではありませんし、当盤も果たして“爆演”と呼べるほど常軌を逸した演奏かどうか、疑問の残る所です。

 アルメニアの指揮者チェクナヴォリアンは昔、ベートーヴェンの《運命》が鳴り物入りで発売された事があり、他にチャイコフスキーなども聴いた事がありますが、「仕上げが粗雑」という以外に強い印象は持ちませんでした。オーケストラの掌握に詰めの甘い所があるのか、全体に緊張感が不足しています。

 当盤単独ならそれなりに面白く聴けるのかもしれませんが、マータ盤と併録されているので、どうしても比べてしまいます(そういう企画のディスクですし)。緊張感、スケールの大きさ、リズムの鋭さ、音色センス、精緻なニュアンスなど、どの点を取ってもマータの方が役者が上で、聴き劣りがする印象は否めず。打楽器が弱腰な割に金管が突出するバランスも、有利に働いているとは言えないようです。

“雄弁なメータの棒と名技集団たるオケの見事な化学反応”

ズービン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

(録音:1977年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 当コンビのレコーディング第1弾。メータの同曲録音は過去にロス・フィルとの名盤がある他、ニューヨーク・フィルともテルデックに再録音、イスラエル・フィルとのライヴも楽団自主レーベルから出ている。

 当盤は、後の録音で主流となるエイヴリー・フィッシャー・ホール(音響に関しては悪名高い会場)ではなく旧来通りマンハッタン・センターでの収録で、バーンスタイン時代の華やかさを引き継ぐオケの響きと、ロス時代のメータに顕著だったグラマラスな雄弁さが見事に相乗効果を発揮した名演。この後の当コンビはスマートな洗練を指向し、指揮者、オケ双方共に最大の魅力とされてきた特色を封印した事で、結果的に世間的評価を下げてしまった。

 ここでの彼はアグレッシヴで野性的、エネルギッシュな力感と濃密な表情に満ちあふれ、やはりメータはこうでなくっちゃと感じる。志鳥栄八郎氏のライナーによると、メータは来日時に「今度の録音は旧盤を大きく上回る自信作だ、期待して欲しい」と語ったそうだが、それもうなずける熱演。テンポは遅くなった印象だが、フレージングにねっとりとした粘りがある一方、木管ソロなどには鼻歌のような、上機嫌に弾むリズミカルな調子があって面白い。

 一方ブラスは刺激的でアタックが鋭く、不協和音を激烈に表現。とにかくオケが上手い。唯一、バスドラムの輪郭が甘いのは残念だが、ティンパニは張りがあって鋭利。《誘拐の遊び》では微妙な加速で切迫感を増す一方、《春のロンド》の悠々たるテンポも迫力がある。第1部ラストは凄まじい山場を形成。第2部前半のミステリアスな音色の作り方も絶品で、途中でテンポを煽る《いけにえの踊り》もスリリング。音楽のスケールが格段に大きいのもメータ流。

“卓越したリズム感とアグレッシヴな音処理に秀でる隠れた名盤”

エドゥアルド・マータ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1978年  レーベル:RCA)

 LP時代に一部で高い評価を受けていて、個人的にも長らくCD化を待ち望んでいたもの。マータは後年、ダラス交響楽団とも当曲を再録音している。彼のストラヴィンスキー録音は、ダラス響との《火の鳥》全曲と組曲、《3楽章の交響曲》《小オーケストラのための組曲》《花火》《ペトルーシュカ》《ディヴェルティメント》もあり。

 再録音盤の悠々たるアプローチもユニークだが、当盤はよりストレートに作品に迫った真摯な表現で、独特の凄みと迫力がある。冒頭の木管アンサンブルからして細部まで精緻に照射し、鮮やかな色彩感が氾濫していかにもマータらしい。同じオケの録音なら、同時期のアバド盤より遥かに優れたパフォーマンスだと思う。

 無類に切れの良いリズムと自信に溢れた棒は卓抜。特に不協和音の扱いには目を見張るものがあり、硬質な音塊をパーカッシヴにぶつける前衛的手法が、実にアグレッシヴで猛々しい。リズムの鋭敏さも拍車をかけるが、構成に隙がなく、各場面を有機的に配置しながら全体を明快に造形してゆくセンスは並外れている。バレエ団で仕事をしていたマータらしく、舞踏的な間合いも独特。“ハルサイ”ファンなら外せない一枚。

“流麗な歌に溢れ、格調高い造形を見せるムーティのイタリア的感性”

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:EMIクラシックス)

 3大バレエ録音の一枚。その内《ペトルーシュカ》だけがデジタル録音で音が薄く、当盤はアナログらしい厚みのある響きに分がある。響きがデッドなイメージのあるオールド・メトでの収録だが、当盤は人工的に調整されているのか、適度な残響と奥行き感がある。ムーティのストラヴィンスキー録音は、スカラ座管との《妖精の口づけ》(しかも全曲盤!)もあり。

 ムーティらしく格調の高い造形感覚はこの曲としてユニークだが、当盤の特色は、フレーズをみんな歌と捉え、横の線のつながりを重視している事。そのため、全体が実に流麗に仕上がっている。特に《序奏》ではそれが顕著。第1部は総じてテンポが速く、《春のロンド》もハイテンションで進行するが、その後からラストまでの怒濤のスピード感は圧巻。

 流麗とは言っても、アクセントは激烈だしリズムも躍動的だが、明るく開放的なサウンド(《大地の踊り》のブラスの響きなんてまるでラテンの祭典)など、イタリア的感性は強く出ている。第2部は《いけにえの賛美》に向けて、弱音部から微妙に加速して切迫した調子を演出。打楽器を幾分抑制した第1部と対比させ、《いけにえの踊り》に凄まじいパワーの解放を持ってくるなど、テンポ設定も含め、ドラマティックな構成力を十全に発揮。ボクサーの重いパンチみたいな、大太鼓の破裂音はユニーク。

“現代オケの機能性と古代儀式のイメージ、舞曲の要素を高次元で結びつける鬼才小澤”

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団

(録音:1979年  レーベル:フィリップス)

 小澤はこの11年前、シカゴ交響楽団と同曲を録音している他、バイエルン放送響との83年ライヴ映像も出ている。旧盤や同じオケを振ったT・トーマス盤よりずっと聴き応えのある名演。

 第1部は緻密を極めた小澤一流の表現で、あらゆる音が耳に飛び込んでくるよう。柔らかなタッチを感じさせる一方、きびきびとしたトランペットのフレージングは小澤らしい。《春のきざし》は旧盤より落ち着いたテンポだが、シャープで精確なリズムは躍動感が強く、打楽器もパンチが効いている。名手揃いのオケの良さも出て刺々しさはなく、スポーティでダイナミックな性格。

 《春のロンド》は旧盤より若干遅くなったものの、やはり速めのテンポ設定。マイルドな語り口ながら、有機的な迫力が圧倒的。《賢者の行列》は、原始的なビートが高揚してトランス状態へと至る様が、手に汗握るほどスリリング。《大地の踊り》も然りで、リアルな肉体的興奮を呼び起こす演奏である。

 第2部は前半から発色が良く、様々な音が明瞭に聴こえてくる、にぎやかな表現。和声感が鮮やかで、艶っぽくもソフトな弦や木管、ホルンの音色も魅力。《いけにえの賛美》は11連音符とその後の展開にリズム的、速度的な連続性があり、それによって土俗的な舞踏、儀式の要素を強めている。現代オケのモダンな機能性と、古代儀式のイメージを高次元で結びつけた、瞠目すべきアプローチ。

 《先祖の儀式》《いけにえの踊り》は前のめりのテンポで、常に腰が浮いている感じ。常に聴き手を挑発して、落ち着かせない表現ともいえる。しかし肝心な事として、全てがちゃんと舞曲に聴こえるのはさすがで、オケの手綱さばきに関しても、その完璧という他ない鮮やかさに唖然とさせられる。細部まで明快に照射した、明るい響きの録音も好印象だが、アナログのせいかやや歪みあり。

“旧盤の表現を踏襲しながらも、より鋭利に、機能的になったデジタル再録音盤”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1980年  レーベル:テラーク)

 マゼール2度目のハルサイは、手兵クリーヴランド管弦楽団との録音。非常に生々しい音に録られたテラークらしいサウンドのせいもありますが、ウィーン・フィルのまろやかな響きが特殊な効果を生んでいた旧盤と違って、鋭角的な刺激の感じられる演奏。鋭いアクセントやスタッカートの強調、短いインターバルで繰り返される極端なクレッシェンドなど、マゼール節が随所に散りばめられています。《祖先の呼び出し》の徹底したテヌート奏法も面白い表現。

 《春のロンド》での極端にデフォルメされたグリッサンド&ルバートや、《いけにえの賛美》直前の異様にスローな11連符など、世間を賑わした旧盤の解釈は継承されていますが、オケのキャラクターがフレキシブルな分、特異性は半減した印象です。切迫したテンポで開始される《いけにえの踊り》もほぼ旧盤通りの解釈。この部分は、指揮者もオケも演奏するだけで大変なせいか、個性を出すのが難しい箇所だと思いますが、当盤ほど余裕を持って表情豊かに演奏している例は少ないのではないでしょうか。

“バレエの経験豊富なドラティ最晩年の、若々しい活力あふれる決定盤”

アンタル・ドラティ指揮 デトロイト交響楽団

(録音:1981年  レーベル:デッカ)

 ドラティ最晩年の3大バレエ録音から。ミネアポリス響との旧盤も凄絶でしたが、当盤も発売当初から大きな話題を呼びました。今の耳で聴いても、素晴らしく新鮮な魅力のある演奏です。特にテンポや間の採り方が独特で、こういうのはやはり、バレエの現場経験を積んだ人にしか出せない味わいかもしれません(最近の若い指揮者はバレエ演奏の経験に乏しいのが難点)。

 既にかなりの高齢だったドラティですが、リズムの切れ味が実に鋭く、サウンドも精緻に磨かれていて、若々しく骨太な活力が漲っているのが凄い所。オケが驚くほど好演しているのも聴きものですが、難を言えば、余裕たっぷりの安定感と抜群の機能性が前に立ちすぎて、常軌を逸した危うい迫力や狂気のようなものを一切感じさせないのが、人によっては物足りなく思えるかもしれません。

“ロシアの大地の匂いただよう、凄みを帯びた本場の名演奏”

ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団

(録音:1981年  レーベル:メロディア)

 日本ビクターと旧ソ連のメロディア・レーベルによる共同製作第1弾。最新のデジタル機材によって知らざれるロシア管弦楽の凄さを伝えたこのシリーズは、録音面でも演奏面でも不思議なイラストのジャケットも多大なインパクトがありました。特に私は、初めて聴いたハルサイが当盤だったので、今でもこの演奏には畏怖の念を覚えますし、特別な愛着があります。

 冒頭、ファゴットに始まる木管群のねっとりとコクのある音色と、ゆるやかな装飾音処理。演奏のコンセプトはここに全て表現されていると思います。このフレージングは一貫してあらゆる楽器(打楽器にまで!)に徹底されますが、これが音楽におけるロシア語のイントネーションなのだとしたら、当盤は徹頭徹尾ロシア語によって演奏されたストラヴィンスキーだと言えるでしょう。

 ゆったりしたテンポで余裕を持ってフレーズの間合いを取り、装飾音符を普通の音符のようにゆるゆると処理するこの演奏、時折挿入される空白の長さも、背後に広がる巨大な空間を際立たせ、そこに、ある凄みのようなものが生まれています。このコンビは何度か生演奏も聴きましたが、後の活動を考えるとこの時点がピークというか、この後どんどんローカルな地方オケの雰囲気を増していった気もします。正直な話、こんなに巧い団体だったっけ?と思うほど、当盤のモスクワ放送響は尖鋭的で精緻です。

 フェドセーエフも土俗的な迫力と野性味を全面に押し出し、エネルギッシュで骨太な棒で聴き手を圧倒。一方では知的なコントロールもよく効き、モダンなセンスや西欧的洗練も垣間見せます。しかし、暴れ回る打楽器と地の底から咆哮するようなブラスの響きは、(もしかすると作曲家の意図以上に)原始的な祭儀の光景を現出させ、ほとんど殺気すら感じさせて何度聴いても凄まじいです。

“インスピレーションと響きの魅力に乏しく、最後まで生彩を欠くディスク”

レナード・バーンスタイン指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 バーンスタイン最後のハルサイ録音。当コンビは3大バレエと《プルチネルラ》、《バレエの情景》、交響曲集も録音している他、バーンスタインはニューヨーク・フィル、ロンドン響とも当曲を録音しています。イスラエル・フィルのストラヴィンスキー録音は珍しく、他にはマゼールとの《ペトルーシュカ》しかないようですが、メータは同オケとの来日時にこの曲をよく取り上げていてます。

 第1部は、粘り気の強いフレージングを多用した《序奏》が独特。しかし《春のきざし》以降はインスピレーションに乏しく、残響がデッドで低域の浅い録音のせいもあって生彩を欠きます。テンポは遅めで、ダイナミズムも十分あるのですが、解釈がオーソドックスに過ぎるのも一因でしょうか。少なくとも、相当に過激だと伝えられるロンドン響とのCBS盤(私は聴いていません)とは別物と思われます。バーンスタインのDG録音はどれもそうですが、ティンパニの強打がバランス的に過剰な上、粗野で無機的に響くのは問題。

 第2部前半は、極端なスロー・テンポがバーンスタイン晩年のスタイル。しかし音色が冴えず、全てが貧相に聴こえます。録音の問題なのかもしれませんが、指揮者が発売を承諾している以上、この音を彼の意志と考えるべきでしょう。後半部も遅めのテンポで、各部を克明に描写。リズムはシャープだし、腰も強くて迫力はありますが、何かと細部の面白味に乏しく、興味を惹かれません。

“カラフルなサウンドと鋭敏なリズム感で鮮やかに整えられた春の祭典”

アンドルー・デイヴィス指揮 トロント交響楽団

(録音:1982年  レーベル:オルフェウム・マスターズ)

 この録音は、あまり知られていないかもしれません。当コンビはカナダの国営放送局CBCのレーベルにかなりのレコーディングを残していますが、後にCD化されたのはその一部のみです。当盤は、同じくトロント響を秋山和慶が振った《火の鳥》全曲とのカップリングで、オルフェウム・マスターズからCD化されました。

 当盤は昔、大阪の某店でLPを見かけた事がありましたが、当時小学生だった私は、日本盤が出ない新譜も存在するという認識が全くなく、輸入盤を聴く習慣もなかったものですから、いずれ国内盤が出ると思い続けてCD時代へ突入してしまいました。結局、CBCの音源(秋山和慶や小泉和裕の録音も含む)は後々までCD化されず、A・デイヴィスの録音も未だに数点が埋もれたままです。

 演奏内容は意外に素晴らしく、若干響きが薄いのは残念ですが、トロント響のシックでカラフルなサウンドが魅力的。技術的にも一級と感じられます。A・デイヴィスは、このような作品でも内声の突出を許さず、持ち前の耳の良さで音楽を美しく造形。聴き手を威圧するような所は無く、親しみ易い性格ですが、《いけにえの賛美》の切迫した激しい調子など、力感・緊張感は十分に保たれています。

 《大地の踊り》をはじめ、尖鋭なリズム感と音感で胸のすくような演奏を繰り広げている箇所も少なくありません。ここまで鮮やかに整った演奏をされると私などは魅せられてしまう訳ですが、人によってはもっと雑然として、とっちらかった演奏の方が気に入るのかもしれません。私がこの曲で聴きたい要素はほぼ完全に音化されているので、個人的には最も好きなディスクの一つです。

“セレブのモダン趣味? オネエ言葉の音楽的応用? 軽妙極まる唯一無二のオシャレ盤”

シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団

(録音:1984年  レーベル:デッカ)

 三大バレエ録音の一環で、管楽器のシンフォニーをカップリング。英デッカはこの曲をやたらと積極的に録音してきたレーベルですが、80年代は前半の5年間だけでドラティ、デュトワ、シャイーと3枚ものアルバムを製作しており、ほとんどハルサイ・ラッシュと呼びたい活況を呈しています。

 第1部はまず、序奏の木管アンサンブルに独特の明るさと艶があり、さすがモントリオール響という美しさ。《春のきざし》は切れ味が鋭く、音の佇まいがさっぱりとしていてモダン。響き自体も洗練されているせいか、どこかロック的な乗りの良さが出るのが面白いです。夾雑物を一掃したような音空間のせいか、フレーズが皆くっきりと浮き彫りにされる様も鮮やか。《誘拐の遊戯》も、颯爽と軽いスポーティな表現。

 《春のロンド》は、徐々にテンポに重みを加えてゆく演出で同レーベルのマゼール盤を踏襲しますが、こちらはハッタリや、ある種の烈しさといったものとは無縁の性格です。後半部も軽量級で、力強さや迫力はちゃんと表出されるにも関わらず、なぜか腹に応える底力を感じさせないのが、ドラティ盤などと一線を画する所です。

 第2部の前半部は、ミステリアスな儀式性を完全に払拭し、趣味の良いドビュッシー的な印象派のスタイルで上品に造形。《いけにえの賛美》は特に個性が濃厚で、金管をはじめとして、要所要所でのアクセントの付け方やリズムのはねあげ方が妙に艶っぽくシャレていて(どこかオネエ・タレントの口調を彷彿させます)、気取った調子に聴こえるのがユニーク。

 後半部もリズムが歯切れ良く、響きが軽いので、エグゼクティヴの気晴らしスポーツみたいなスマートさがあります。土俗性を云々されてきたこの曲が、かくも中性的にシャレて響くというのは新鮮な驚きで、その意味ではかなり個性的なディスクといえるかもしれません。《いけにえの踊り》で、終始強調気味に打ち込まれるティンパニのアクセントはなかなかパンチが効いていますが、粗野な暴力性は皆無。

“明朗活発。鮮烈なサウンド感覚とヴィヴィッドな色彩感による、モダンアートのようなハルサイ”

リッカルド・シャイー指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1985年  レーベル:デッカ)

 当コンビによる数少ないディスクの一枚で、《4つのノルウェーの情緒》という、珍しくも楽しい曲をカップリング。デッカの生々しい録音コンセプトと相まって、実にカラフルな、まるでモダンアートを思わせるハルサイです。シャイーの演奏は健全かつ明朗な性格で、音の切り方がなべて短く、音量も8割くらいにセーブした感じで、威圧的な所がありません。

 それだけに、獰猛な迫力やヒリヒリするような緊張感は求められませんが、ティンパニや大太鼓の力強いビートを核に、スポーティで元気一杯の演奏を繰り広げる様はなかなか爽快です。オケの色彩もくっきりと鮮やかで、各パートもよく歌うので、流麗で風通しの良い印象もあり。造形は全般にオーソドックスですが、ダンサブルと形容してもいいほど軽妙な《いけにえの踊り》は独特の表現。

 シャイーのストラヴィンスキー録音はかなり多く、コンセルトヘボウ管と《火の鳥》《アポロ》《幻想的スケルツォ》、《ペトルーシュカ》《プルチネッラ》、《カルタ遊び》、さらにオケの自主制作ボックスに《アゴン》《ペトルーシュカ》、《春の祭典》《火の鳥》《プルチネッラ》の映像、《うぐいすの歌》《エディプス王》、ヴァイオリン協奏曲を収録、さらにベルリン放送響との詩篇交響曲、《花火》《星の王》《うぐいすの歌》、ロンドン・シンフォニエッタとの《兵士の物語》《ディヴェルティメント》他の小品集、歌劇《放蕩者のなりゆき》、ゲヴァントハウス管との《タンゴ》、ルツェルン祝祭管との同曲再録音他の小品集もあります。

“録音の問題点を差し引いても、大人しく生気に乏しい演奏”

ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

(録音:1986年  レーベル:エラート)

 当コンビによる数点のエラート録音の一つ。バレンボイムのストラヴィンスキー録音は珍しく、他にパリ管との詩編交響曲、シカゴ響との同曲再録音、ヴァイオリン協奏曲の伴奏(パールマン)くらいしかありません。オリジナルのカップリングはスクリャービンの《法悦の詩》。

 まず、録音が不備かと思われ、序奏の音量レヴェルが異常に低く、何とか聴こえるようにヴォリュームを調整すると、《春のきざし》で極端に大きくなって慌ててしまいます。又、弦や金管がかなり近い距離感にミックスされているかと思えば、同じトランペットでもパートによって遠くエコーのようにしか収録されていなかったり、楽器ごとの距離感にもばらつきがあります。全体は遠めの音像で捉えられていて、録音会場サル・プレイエルの響きも決して豊麗ではないので、演奏自体もどことなく生気を欠くように感じられます。

 バレンボイムの棒は、管弦楽法の色彩感や奇抜さを強調せず、オケのキャラクターも十分に活かすつもりがないようで、シンフォニックで底力はあるものの、地味に聴こえざるをえません。サウンドとしては中音域がこもりがちな反面、低音に土俗的なパワーがあり、第1部ラストの地の底から沸き上がるような迫力は独特。軽いタッチでリズミカルな《いけにえの賛美》、よく聴くと結構アグレッシヴな《いけにえの踊り》なども悪くないですが、演奏全体の印象となると弱いのが残念。

“俊英ラトルにしてはどうも新味に乏しい、大人しめのハルサイ演奏”

サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

(録音:1988年  レーベル:EMIクラシックス)

 3大バレエ録音の一つ。現代音楽は得意中の得意としているラトルですが、この演奏に関しては私はあまり高く買いません。ユース・オーケストラやベルリン、ロンドンでの映像収録も含め、この曲を何度も録音しているラトルですが、その中では、ドキュメンタリー映画のサントラ用に録音されたベルリン・フィルとの再録音が面白いと思います。

 まず、録音のせいかオケの色彩が地味で、モノトーンに近い感じに聴こえます。それからラトルの表現が意外に常套的で、彼らしい型破りな視点を期待すると肩すかしを食らいます。打楽器を控えめに扱っているのも、大人しく聴こえる一因でしょうか。特に第1部は冴えない感じがしますが、第2部前半の濃密でミステリアスな表現と、落ち着いたテンポであらゆる音符を克明に処理した《いけにえの踊り》は、ラトルらしいユニークな解釈。

“斬新なアイデア満載、スポーティなリズム感を見せるサロネン”

エサ=ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ストラヴィンスキー・ツィクルスの一枚で、3楽章の交響曲とカップリング。サロネンのストラヴィンスキー録音はかなり多く、他に同オケとの《火の鳥》《カルタ遊び》、《ペトルーシュカ》《オルフェウス》、ロンドン・シンフォニエッタとの《プルチネッラ》他、ピアノ協奏曲集(クロスリー)、ストックホルム室内管との《アポロ》他、スウェーデン放送響との《エディプス王》、歌劇《放蕩者のなりゆき》(映像)、ロス・フィルとの同曲再録音とヴァイオリン協奏曲(ムローヴァ、リン)、フィンランド国立歌劇場管との《ペルセフォーヌ》があります。

 サロネンらしい斬新なアイデアに溢れた演奏で、《春のきざし》の超高速テンポには唖然としてしまいますが、これはこれで新しい拍節感があって、なるほどと感心。《敵対する町の人々の戯れ》や《いけにえの踊り》における、見事にコントロールされたスポーティなグルーヴをはじめ、独特のリズム感を垣間見せる箇所も多し。音が目詰まりしないので、胸のすくような爽快感があります。オケのアクセントで最高音にピッコロが来ている場合、常に尾を引くようにピッコロを残すのが印象的です。

“透徹した響きの中、圧倒的な描写力で聴かせる驚異的な名演”

エリアフ・インバル指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:テルデック)

 3大バレエ録音の一枚で、4つのエチュード、ロシア風スケルツォ(シンフォニック・ヴァージョン)をカップリング。当コンビの録音は、ドヴォルザークの後期3大交響曲と管弦楽曲、ヴァイオリン協奏曲(ツェートマイアー)、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ベレゾフスキー)、ブラームスのピアノ協奏曲第1番(レオンスカヤ)、第2番(カツァリス)、ベートーヴェンの三重協奏曲(トリオ・フォントネ)、ニュー・フィルハーモニア時代のフィリップス録音でシューマンの交響曲全集があります。

 この3大バレエ録音はどれも物凄い名演ですが、共通しているのは遅めのテンポと落ち着き払った佇まい、緻密を極めた表情付けの濃さ、腰の強い力感、そして驚くほど明晰な音響です。透徹したサウンド作りを得意とする才人指揮者たちの録音と比しても、ここまで徹底した演奏は稀かもしれません。ただ、収録会場は全て異なり、当盤はロンドン4大オケには珍しい、スネイプのモールティングスで収録。

 びっくりするほど見事な演奏で、各部の表出力が圧倒的。大編成のこの曲でこれほど透明度の高い響きを達成しているのも凄いですが、それでいて雄弁を極めた各フレーズの味わい、激烈なアタックを打ち込んでくる打楽器の迫力、精確で切れ味の鋭いリズム、整然と統率された合奏、華麗な色彩感、悠々たるスロー・テンポの凄味、各部の表情付けの強靭な説得力と、どこをとっても超一流のパフォーマンス。《いけにえの踊り》後半でテンポを煽るのも実に効果的です。

 → 後半へ続く

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