ドビュッシー/交響詩《海》

概観

 ドビュッシーは昔は苦手だったが、今では面白くて仕方ない。聴けば聴くほど、これほど見事に海の印象を音にした作品はないのではないかと思う。個人的には、ドビュッシーもラヴェルも曖昧模糊としたぼかし演奏よりも、デジタル写真的な明晰が好み。もっとも、雰囲気派のディスクってそんなにない気もするけど。

 第3楽章の後半、練習番号60の8小節前で弦の和声の上に、トランペットとコルネットのファンファーレ風パッセージを加えている演奏があるが、これは初版スコアに数カ所あるオプションの最も目立つ一例で、エルネスト・アンセルメが採用して以来、多くの指揮者が復活させている(チェリビダッケやハイティンクなど、ホルンに吹奏させるパターンもあり)。

*紹介ディスク一覧

55年 パレー/デトロイト交響楽団   

56年 ミュンシュ/ボストン交響楽団   

58年 シルヴェストリ/パリ音楽院管弦楽団  

59年 マルケヴィッチ/コンセール・ラムルー管弦楽団

66年 ブーレーズ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

68年 ミュンシュ/フランス国立放送管弦楽団   

68年 バルビローリ/パリ管弦楽団  

69年 ストコフスキー/ロンドン交響楽団

69年 インバル/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 

73年 マルティノン/フランス国立放送管弦楽団

76年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 

77年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団 

78年 バレンボイム/パリ管弦楽団   

79年 ジュリーニ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック  

82年 C・デイヴィス/ボストン交響楽団   

82年 T・トーマス/フィルハーモニア管弦楽団

84年 小澤征爾/フランス国立管弦楽団 

85年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

89年 デュトワ/モントリオール交響楽団   

90年 サイモン/フィルハーモニア管弦楽団

92年 プレートル/フィレンツェ五月祭管弦楽団 

92年 N・ヤルヴィ/デトロイト交響楽団   

93年 ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団

93年 ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団  

94年 ジュリーニ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

96年 サロネン/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

96年 ゲルギエフ/ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団 

99年 マゼール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 

04年 P・ヤルヴィ/シンシナティ交響楽団 

04年 ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

07年 ヤンソンス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団  

11年 ガッティ/フランス国立管弦楽団   

12年 ドゥネーヴ/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団 

12年 ロト/レ・シエクル  

17年 ティチアーティ/ベルリン・ドイツ交響楽団  

18年 エラス=カサド/フィルハーモニア管弦楽団  

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“優秀な合奏で機能性を保持しつつ、艶美で洒脱なセンスも聴かせる”

ポール・パレー指揮 デトロイト交響楽団

(録音:1955年  レーベル:マーキュリー)

 ドビュッシーの主要作品も手掛けた当コンビの一連録音から。生々しい直接音のイメージが強いレーベルですが、意外に残響も取り入れられて聴きやすい録音です。全てが明晰に照射された鮮やかな演奏ながら、音色に潤いと暖かみもあって、タッチが滑らか。音彩がカラフルで美しく、合奏も緊密で技術的に優秀です。

 第1楽章は表情が細やかで、繊細なタッチが効果的。当コンビの他のドビュッシー録音に較べると、筆致の濃淡もやや濃い印象を受けます。旋律線、特に弦の歌い回しには艶っぽい官能性もあり、機能性一辺倒ではありません。夜明けの場面は急速なテンポで、チェロの合奏もアタックが強く躍動的。続く部分も、朝の情景らしく活気のある合奏を繰り広げます。

 第2楽章もテンポが速く、ミュート付きトランペットによる水しぶきなど、細かい音符を尖鋭に研ぎ澄ますのはユニークな解釈。アンサンブルは徹底して精細で、アインザッツも一糸乱れぬ趣。しかもフレージングに洒脱なセンスがあり、無駄のないフォルムの中にも独特の香気が漂います。

 第3楽章は、朗々と歌いつつスタッカートも盛り込んだトランペットの主題提示がユニーク。ティンパニなど打楽器が控えめなのは、優しいタッチを感じさせる要因になっています。ホルンの吹奏はエッジが効いている上に豊麗で、この辺りは、同じ年代のメジャー・レーベルの録音にない魅力。ただ、大太鼓を伴うトゥッティでは混濁と歪みもあります。

“後年の自在さに不足するミュンシュの棒。古臭くドライな録音も問題”

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

(録音:1956年  レーベル:RCA)

 ミュンシュは何度も同曲を録音しているものの、この顔合わせでは唯一のセッション録音。カップリングはイベールの《寄港地》です。ヴィヴィッドな直接音が主体で鮮明な音質ですが、残響はデッド。奥行き感に乏しく乾いた響きは、どこか映画のサントラっぽくもあります。

 第1楽章は自在な指揮ぶりでオケの発色も良いですが、12年後のフランス国立放送管との録音に比べると、テンポの伸縮はまだそこまで大きくありません。コーダでは熱っぽく加速するものの、オケの優秀さを除けば、表現としての面白さはフランス盤に軍配が上がります。録音もマイナス。

 第2楽章も速めのテンポを採ってはいますが、フランス盤ほどの躍動感はなく、テンポの動きも常識的な範囲内。オケの合奏力が非常に高いため、逆に落ち着いた感じに聴こえてしまうのかもしれません。加速で煽るクライマックスは熱っぽく、ミュンシュらしい棒さばきが顔を覗かせます。第3楽章は録音のせいもあるのか、小じんまりとまとまってスケール感に乏しい印象。剛胆な力感もあまり生きてこないようです。金管のファンファーレは復活させて演奏。

“アーティキュレーションをいじりまくったオレ流パフォーマンス”

コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 パリ音楽院管弦楽団

(録音:1958年  レーベル:EMIクラシックス) *モノラル録音

 オリジナル・カップリングは不明ですが、当コンビは同時に《夜想曲》《牧神の午後への前奏曲》も録音。私が購入したICONシリーズのブックレットにはなぜか記載がありませんが、これらの曲は全てモノラル収録です。アーティキュレーションをいじりまくったオレ流の表現ながら、楽譜改変のイメージが強いストコフスキーよりも学究的なアーノンクールに近い感じを受けるのは、シルヴェストリの良さと言えるかもしれません。

 第1楽章は、始まってすぐに千変万化する表情付けと、艶やかで緻密な音色センスに耳を奪われます。アーティキュレーションの描写やアクセントの位置には独自の解釈を適用し、特にスタッカートの盛り込み方は独特。軽快なリズムも随所で効果を発揮します。トランペットの華麗なトップノートをいやがうえにも強調する壮大なコーダはユニーク。

 第2楽章も多彩な音事象を万華鏡のように展開する、すこぶる雄弁な表現。テンポやフレージングの個性的な解釈は、いちいち数え上げたらきりがないほど頻出します。第3楽章も、切れの良いスタッカートを多用し、ドラマティックな語り口で攻めの姿勢。全体に、官能的でしなやかなラインと、ラテン的な煌めきを放つオケの響きが素晴らしい聴きもの。

“意外に濃い表現のマルケヴィッチ。明るく艶やかなオケのサウンドが魅力”

イゴール・マルケヴィッチ指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団

(録音:1959年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 マルケヴィッチの珍しいドビュッシー。同時期に《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》も収録されていますが、オリジナル・カップリングは不明。録音は古いものの、ディティールの彫琢は現代の指揮者に負けぬほど精緻で、リズムは鋭敏そのもの。オケも見事なまでに統率され、一体感のあるアンサンブルで指揮者の棒にぴたりと付けています。強弱の描写も実に細かく、多彩。

 ただ、テンポの起伏は激しく、結構濃い表情を付けた演奏。オケの音色がラテン的に明るいのもプラスに働いていて、旋律線の官能的な艶やかさには得も言われぬ魅力があります。マルケヴィッチの資質からするともっと客観的なアプローチを想像しましたが、ラストなどは壮麗極まる音の大伽藍となっていて、非常に聴き応えがあります。

雰囲気重視のスタイルに背を向け、スコアを細部まで徹底再現した記念碑的名盤

ピエール・ブーレーズ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1966年  レーベル:ソニー・クラシカル

 ブーレーズはこの時期、同オケとクリーヴランド管弦楽団でドビュッシーの主要な管弦楽曲をアルバム3枚分録音しています。当盤は、同曲のイメージを覆した記念碑的名盤。ただ、LPの音はスコアをレントゲン解析したように細部を隈無く拾った驚くべきものでしたが、CD化にあたって、より自然なミックスに修正されたようです。

 印象派風のボカシを多用した雰囲気重視の解釈に背を向け、スコアを細部に至るまで一点の曇りもなく再現するブーレーズのスタイルは、後の若い指揮者達にも多大な影響を与えました。ただ、テンポ設定等にも独自のニュアンスがあり、特に第1楽章冒頭部分の遅いテンポと、第3楽章のコーダに聴く急速なテンポは印象的。第3楽章のテーマもぶつ切りに聴こえるほど音を切っていて、フレージングが独特。

“オケの音色的魅力とミュンシュ節全開の自在な棒がマッチした熱演”

シャルル・ミュンシュ指揮 フランス国立放送管弦楽団

(録音:1968年  レーベル:コンサートホール)

 ライヴも含めて10種類以上の録音があると言われるミュンシュの《海》ですが、当盤は最晩年のもので《夜想曲》とカップリング。当コンビは《イベリア》も録音しています。音質は鮮明ですが、強音部に混濁が目立つサウンド。

 ミュンシュの《海》は表現のストロークが大きいのが特徴で、それが一種の芸のようになっていて面白い所。第1楽章は開巻早々から音価やテンポの伸縮が目立ち、各部の表情を恣意的に解釈している事がよく分かります。艶っぽい光沢を放つ各パートの音色は魅力的で、テンションの高いミュンシュの棒に素晴らしい彩りを添えています。夜明けの前に早くもストレートな力感を解放しますが、その後もダイナミクスとアゴーギクの振幅が極端に大きく、ものすごいスピードで疾走する局面もあります。

 第2楽章は、片時も休まず運動し続けるアクティヴな演奏。響きも語り口も多彩な変化に富みます。全ての箇所で速いテンポが採られている訳ではないのですが、発音に非常な勢いがあって、高音域の音色も派手なので、いかにも興奮体質の演奏に聴こえます。

 第3楽章は出だしこそ落ち着いているものの、すぐに不穏な動きが音楽を衝き動かし、熱っぽい運動性が支配しはじめます。一部、管楽器のピッチがやや甘いのは残念な所。後半の主題提示においては、一旦スタティックな沈静と精妙な音彩を取り戻すものの、すぐに無窮動的な運動の渦中へ投げ出されます。正に音がスパークするような、爆発的なコーダもミュンシュ印。

“バルビローリとパリ管、ユニークを極めた唯一の共演ディスクに魅了される”

ジョン・バルビローリ指揮 パリ管弦楽団

(録音:1968年  レーベル:EMIクラシックス)

 《夜想曲》とカップリング。バルビローリが創設まもないパリ管弦楽団を指揮した、唯一の録音です。遅めのテンポでねっとりと粘液質のフレージングを駆使し、細部を彫琢して緻密なサウンドを聴かせるよりも、油絵のように濃厚なマスの響きで聴き手を圧倒する、ユニークな演奏。厚みのある音のタペストリーという感じですが、ストコフスキーのようにおどろおどろしくはならず、ある種のまろやかさと、ビロードのように柔らかな手触りがあるのはバルビローリとパリ管らしい所。暖色系の色彩も、心地良いです。

 第1楽章は、超スロー・テンポで開始。タッチが優美で、全てにおいて丁寧なのは、さすが慈愛の人バルビローリといった所でしょうか。オケもあらゆる音を艶やかに磨きあげんばかりのスタンスで、実に耽美的、官能的な演奏になっています。夜明けの場面も、絡み付くように粘り気のあるチェロ合奏の、足を引きずるようなテンポ運びが独特。エンディングの山場はスケール雄大で、力感も充分です。

 第2楽章も柔らかな感触で、細部まで丹念に描写。リズム感が良く、色彩も豊かだし、豊麗なソノリティが魅力的な上、曲全体の構成も見事。第3楽章は、この曲としては異色だけど名演。ものものしいオープニングに続いて、ディティールを描写しきった濃密な響きで、気宇の大きな演奏を展開。艶っぽいカンタービレや華やかな色彩にも事欠かず、最後には「良い音楽を聴いた」というずっしりした手応えが残ります。

“伸縮自在のアゴーギクと濃厚な表情に彩られた唯一無二のドビュッシー像”

レオポルド・ストコフスキー指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1969年  レーベル:デッカ)

 ストコフスキー唯一の《海》録音。牧神の午後への前奏曲、ラヴェル《ダフニスとクロエ》第2組曲、ベルリオーズ《ファウストの劫罰》〜《妖精の踊り》をカップリングしたフレンチ・アルバムです。フェイズ4録音ではない上、楽譜の改変もそれほど行なわれていないので、ストコフスキーにしては随分と自然な演奏に聞こえますが、伸縮自在のアゴーギクや表情の濃厚さには事欠きません。ロンドン響もみずみずしく、艶やかな響きで好演していて、ソロ楽器のパフォーマンスも魅力的。

 第1楽章は、遅めのテンポでものものしく、陰影の濃い表現。色彩が鮮やかで、明るく爽快な拡散型のサウンドは、曲にも合っています。造形もくっきりとしていて明快。夜明けの場面は、たっぷりと歌うフレージングが粘液質ですが、コーダは倍くらいのテンポに上がるのがユニークです。第2楽章は、艶っぽく潤いのある音色で、発色が良く雄弁。あらゆるフレーズを心行くまで鳴らし切るような豊穣さがあります。アンサンブルは生き生きとして華やいだ雰囲気で、弦の音圧の高さはストコ節といった所。

 第3楽章冒頭は、テンポと強弱の煽り方が過剰なため落ち着きがなく、異様な緊張感があります。今にも嵐がやってきそう。各部をじっくりと掘り下げ、ドラマティックに演出する手腕はさすがで、遅めのテンポを主体にして、細かいフレーズもみな意味ありげに響かせます。コーダはほぼ半分のテンポに落ち、大きく粘って個性的。ラストのフェルマータには、例によって打楽器のトレモロを追加しています。金管パートは復活。フランス風でもモダンでもない、独自のドビュッシー像ですが、曲の性格は巧みに掴んでいます。

“オケの魅力を生かしつつ、熱っぽい勢いで一気呵成に駆け抜ける若きインバル”

エリアフ・インバル指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1969年  レーベル:フィリップス)

 インバル最初期の録音で、《夜想曲》とカップリング。ホールトーンを豊かに取入れた奥行き感の深い録音はこの時期のフィリップス、コンセルトヘボウ・サウンドを見事に体現していますが、ディティールは非常に鮮明です。

 第1楽章は前半から緻密な音作り。オケの音彩の美しさも映えていますが、細部まで生気に溢れ、若々しい覇気があるのは、新進気鋭の指揮者らしい所。夜明け部分のチェロの合奏も、リズムの弾みが強く、軽妙なタッチです。強奏の響きも充実し、中身が十分に詰まった印象。第2楽章でも、抜群の描写力を発揮。アンサンブルは完璧に統率され、微塵の乱れもありません。ダイナミクスやテンポもコントロールが行き届き、音色のセンスはデリカシー満点。

 第3楽章は勢いのあるテンポで、一筆書きのように一気呵成に駆け抜ける演奏。オケの滋味豊かな音色ゆえか、決して華美な方向へは傾きませんが、山場の形成がダイナミックで、独特の熱っぽさのある表現。後年のインバルならもう少しクールで、粘性の強い表現に徹したかもしれませんが、ここでは彼の若さが魅力にもなっているように思います。

純フランス・コンビによる数少ない《海》。流麗かつスケール雄大な個性的演奏

ジャン・マルティノン指揮 フランス国立放送管弦楽団

(録音:1973年  レーベル:EMIクラシックス

 ドビュッシーの管弦楽曲全集の一枚。ラヴェルの場合と違って、フランスの指揮者&オケによるドビュッシーは案外少ないので、これは貴重な企画でした。オケのサウンドは作品にこれ以上ないくらいマッチしていますが、マルティノンが面白いのは、構えというか、曲の掴み方のスケールが破格に大きい所。

 テンポは遅く、縦の線はアバウトな箇所も多いですが、大波小波の緩急のつけ方は雄大そのものです。第2楽章はそれでも、デリカシーに満ちた音の遊戯を展開しますが、残響の多い録音と相まって、全体が水しぶきの霧の中に包まれたよう。リズムが不明瞭な分、旋律線はトランペットの高音に至るまで実によく歌い、極めて流麗な演奏を繰り広げます。艶々とした、明るくラテン的な響きにすっかり魅了されてしまうディスク。

“作品のあらゆる要素を過不足なく抽出するも、今一つの個性に欠けるハイティンク”

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 

(録音:1976年  レーベル:フィリップス)

 かねてからフランス音楽好きを公言しているハイティンク。当コンビはこの時期、ドビュッシーの管弦楽作品をかなり録音していて、高く評価する人もいます。柔らかくふくよかなコンセルトヘボウの響きは、いわゆる近代フランス音楽に典型的なサウンドとはかなり違っていますが、そのギャップを補って余りあるほどに魅力的。陰影が濃く、フランドル絵画風といった感じでしょうか。

 ハイティンクは意外に器用な音楽作りをする人で、どんな作品でもスタイルに応じた造形をしてみせます。当盤も音色のセンスは良いし、フレージングも自然、リズム感も良い。ただ、それ以上にはならないというか、独自の斬新な視点を提供するタイプではないので、その点を了解した上で接するのが彼の演奏の聴き方という気がします。作品とオケに誠実に向き合った結果、内側から湧き出てくるヒューマンな音楽性が持ち味で、その意味では70年代の彼はまだ熟成途上かもしれません。

 第1楽章は、冒頭の混沌とした響きからふわっと光が射してきて、木管楽器にラテン的な旋律が現れる所、実に優美。夜明けの場面も、チェロ合奏のリズム感が軽快です。強奏部は響きが有機的で中身が詰まっており、聴き応えあり。第3楽章の金管パートは復活させているものの、ホルンのみで吹奏させていて、マスの響きにまろやかに馴染んでいるのがコンセルトヘボウ風です。

“ブーレーズに匹敵する緻密さを見せながら、遥かに動的でダイナミックな演奏を展開”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団 

(録音:1977年  レーベル:デッカ)

 当コンビはこの時期、集中的にフランス物に取り組んでいて、《イベリア》《夜想曲》の他、ラヴェル、ビゼー、ベルリオーズを録音。私はものすごい名演ではないかと思うのですが、案外話題に上る事の少ないディスクです。全ての音を聴かさんばかりに生々しいデッカの録音も鮮烈ですが、マゼールの音作りもブーレーズ盤に匹敵する解像度の高さ。

 旋律線は弦のポルタメントを随所に盛り込んだ官能的なもので、その意味ではドビュッシー色の薄い演奏とも言えます。ただ、ちょっとしたリズムやフレージングに独特の跳ねがあり、カラフルで軽みのあるソノリティもフランス物にあっています。一方、パンチの効いたティンパニの打音を軸に、トゥッティの響きは筋肉質。噛んで含めるように遅いテンポの第1楽章は、コーダでマゼール印の見栄を切った後、短いフェルマータであっさり終了。

 一転して急速なテンポを採り、作品に内在する活発な運動性を前景化した第2楽章もスリリングで、精妙を極めたサウンドを展開しつつも、ブーレーズより遥かに動的でダイナミックな演奏を展開。第3楽章もスピーディな疾走感が強く、明るい音色でダイナミックに造形。冒頭の低弦に応える木管群のフレーズなど、スタッカートを盛り込んだ弾みの強いリズム感がいかにもマゼールです。オケの高度な技術力にも、ただただ圧倒されるディスク。

“ロマンティックで情感豊か、ひたすら個性的な解釈を貫くパリ時代のバレンボイム”

ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《夜想曲》とカップリング。当コンビのドビュッシー録音は他に《牧神の午後》《映像》、《春》《聖セバスチャンの殉教》、《選ばれた乙女》他の歌曲集があり、バレンボイムはシカゴ響と同曲を再録音しています。個々の音に厚みがあり、その上で艶っぽく磨かれている感じは独特。さらに旋律線にねっとりとした粘性があるので、実にユニークな音世界が拡がります。バルビローリ盤にも似た特性がある事を考えると、これはパリ管の個性が強いのかも。

 第1楽章は、太い筆を使ってこってりと描いた趣。あらゆる線が鮮やかに発色しているので、ある意味では耳に快く、親しみやすい表現とも言えます。ただどのラインも音圧が高いのが、フランス音楽としては好みを分つ所かもしれません。フォルテでも響きの分離が良く、濁らないのは美点。クライマックスは壮麗そのもので、変に抑制せずスカッと盛り上げる所が若々しくて良いです。

 第2楽章も動的でテンションが高く、各パートが発する音が熱っぽい。強音部はやはり内圧が高く、人によってはややどぎつく感じるかもしれません。仕上げは丁寧で、細部までよく統率されたアンサンブルを聴かせます。

 第3楽章も旋律線を情感豊かに歌い上げるスタイルで、テンポも大きく揺らしてロマンティック。時にポルタメントも盛り込んで官能的にうねり、指揮者が一緒に歌う声も耳に入ってきます。まるでドビュッシー演奏の新たな面を聴く思いですが、振り切った解釈には説得力もあり、ワーグナーばりに壮大なコーダもユニーク。

“意外にフランス音楽と相性の良いジュリーニ。明朗な色彩の内にユニークな表現が頻出”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1979年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ラヴェルのスペイン狂詩曲、《マ・メール・ロワ》組曲とカップリング。ジュリーニは後年、コンセルトヘボウ管と同曲を再録音しています。ジュリーニとフランス音楽がイメージ的に結び付かない人も多いでしょうが、ディティールの徹底的彫啄や流麗なフレージング、ラテン的な明るい色彩感を特色とする彼の音楽性は、意外にラヴェルやドビュッシーと相性の良いものです。

 第1楽章は、主部のチェロ合奏にルバートで重しを加えて、不思議なイントネーション。内声の動きにも随所に強調があり、ピッコロの高域を始め、聴き慣れない響きが耳に飛び込んでくる箇所が幾つかあります。強弱やフレージングに独特のムードがあるために、時に重々しく、時に優美に感じられるのがユニークな表現。

 第2楽章は速めのテンポで、躍動感と推進力を存分に盛り込んだアプローチ。木管の動きなど細部がよく描写されるものの、分析型の演奏とは物の見方が根本的に違います。コーダはスロー・テンポですが、構成的にスケルツォの性格を付与しているのかもしれず、そうなると第3楽章の雄大な造形も腑に落ちます。やはりピッコロが耳に付く音響はクリアで明朗ですが、低域の浅い録音で、バスドラムの効果はあまり出ていません。クライマックスでは強い牽引力を示し、ラストはブレーキをかけてじっくり終了。

“精妙を極めたサウンドと骨太な音楽表現。デイヴィス唯一のドビュッシー録音”

コリン・デイヴィス指揮 ボストン交響楽団

(録音:1982年  レーベル:フィリップス)

 デイヴィスによるドビュッシーは珍しく、恐らくこれが唯一のレコーディング。《夜想曲》とカップリングされています。当コンビのディスクは意外に少なく、協奏曲の伴奏を除けば他にシベリウスの交響曲全集と管弦楽曲集、チャイコフスキーの《1812年》《ロメオとジュリエット》、メンデルスゾーンの《イタリア》《真夏の夜の夢》、シューベルトの《未完成》《グレイト》《ロザムンデ》があるのみ。

 ラヴェルも含めてフランス近代音楽を振るイメージがほとんどないデイヴィスですが、精妙なサウンド作りにラテン系作品への適性も垣間見せます。シンバルやトライアングル、グロッケンシュピールなどの金属打楽器や高弦がひときわ繊細に捉えられている録音で、実に緻密で魅惑的な響きが横溢。

 デイヴィスが面白いのは、それでいてフランス流のスタイルには傾かず、さりながらブーレーズの分析型アプローチからも距離を置いている所で、独自の拍節感とレガート気味のフレージングでドラマティックに構成していてなかなかユニーク。朗々と響き渡るトランペットやティンパニの効果にも、このコンビらしい骨太な音楽性が反映されています。第3楽章は金管のファンファーレを復活させた版を使用。

新鮮な感性と卓越したリズムセンスが際立つ名演。少々演出過剰の一面も

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:ソニー・クラシカル

 ボストン響、ロンドン響ともドビュッシーを録音しているT・トーマスですが、こちらは《夜想曲》との王道カップリング。このコンビの録音は意外に少なく、他に《ペトルーシュカ》とチャイコフスキーの組曲集、《くるみ割り人形》、協奏曲の伴奏があるくらいです。同オケの硬質でクールなサウンドはラテン系の音楽に合うのか、ドビュッシーのオーケストレーションが生き生きと再現された素晴らしいディスク。

 ブーレーズの場合は分析自体が目的に感じられたりもするのですが、T・トーマスはあくまで音楽的愉悦に主眼を置いていて、フレッシュな響きやアクティヴな躍動感に欠ける事がありません。特に色彩とリズムのセンスは卓越していますが、夜明けの部分のチェロ合奏など、これほどリズミカルかつ軽妙に演奏された事は稀でしょう。T・トーマスには珍しく、旋律線に官能性が漂うのもオケの特性が吉と出た部分でしょうか。

 第1楽章ラストでは、シンバルとドラを派手に打ち鳴らし、正に大波の水沫が飛び散るような凄まじいクライマックスを形成しますが、この辺りは演出過剰で好みをわかつ所かもしれません。第3楽章の終結部前は、金管のパートを復活させた版で演奏しています。

“全編が聴き所。商業録音がない小澤の《海》は、なんと超ド級の名演!”

小澤征爾指揮 フランス国立管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:ラジオ・フランス/ina)

 ラヴェルに較べるとずっと消極的だった小澤の珍しいドビュッシー録音。楽団自主製作のオムニバス・ボックスに、メシアンの《7つの俳諧》初演音源と一緒に収録されています。これがまた、全編聴き所だらけの素晴らしい演奏で、なぜどのオケも商業録音を行わなかったのか首を傾げたくなります。録音もすこぶる鮮明。

 第1楽章は冒頭から陰影が濃く、木管が入って来る所など明るい色彩感が素晴らしいです。ソロ楽器がくっきりと隈取られ、木管やヴァイオリン・ソロ、弦のユニゾンなど、妖しい光沢を放つ艶っぽい音色も魅力です。夜明けの場面への移行も、ティンパニに明快なアクセントを付けて語調が明瞭。この例からも、音楽の印象派的な側面にはあまり共感を寄せていない様子が窺えます。後半もフォルムが明快で、点描的な手法は用いません。又、動感が強い上にテンポの変動幅が狭いので、テンションが高く感じられます。

 第2楽章は、和声がはっきりと構築されるために発色が鮮やかで、ヴィブラートを効かせた各パートの艶っぽい音色と相まって、カラフルで多彩な音響空間が現前します。オケはとにかく好演。テンポは引き締まっていて、微妙に間合いを詰めて緊張感を高める雰囲気もあり、扇情を駆り立てるエンジンの存在を感じます。

 第3楽章もドラマティックで緊張度が高く、密度の濃い表現。この楽章に限らず、常に運動性を確保してアイドリング状態を作り、いつでも発火できる準備を継続させています。上下に駆け回る弦のパッセージなど、音圧が高い上に切り口が鋭く、訴えかけてくるような雄弁さがユニーク。フレーズの解釈が常に明快で、分析的な演奏とはまた違い、独自の視点で噛み砕いた親しみやすさがあります。こういう演奏なら、ドビュッシーの人気ももっと上がるかもしれません。パリの聴衆も、熱狂的な喝采を送っています。

“意外に抑制の効いた表現を採りつつ、和声と旋律を追う傾向のカラヤン”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1985年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《牧神の午後への前奏曲》、ラヴェルの《亡き王女のためのパヴァーヌ》、《ダフニスとクロエ》第2組曲とカップリング。カラヤンとしては三度目、最後の録音です。

 第1楽章は、精妙な弱音の表現こそカラヤンらしいですが、派手な色彩の拡散は意外に追求せず、むしろ抑制の効いた表現と感じます。高音域がみずみずしく華やかなオケの音色はフランス音楽にもマッチしますが、カラヤンのアプローチ自体は、色彩の移ろいや精緻な音響の構築より、和声と旋律を追う傾向。艶やなトランペットをトップに輝かせた壮麗なクライマックスは聴きものですが、過剰な大風呂敷は広げません。

 第2楽章はテンポが速く、各パートの緻密な技術力を生かしてめくるめくアンサンブルを展開。オケの超絶的な上手さと室内楽的な合奏力、スリリングなまでのスピード感に圧倒されます。ここでは高音偏重のきらびやかな音作りが、作品にうまくマッチしている印象。

 第3楽章も芝居がかったメリハリは付けない代わり、細部の雄弁な語り口で緊張感を保ちながら、巧みな棒さばきで山場を形成しています。内から光彩と感興が沸き起こってくるような、コーダへの盛り上げ方も見事で、強奏部の有機的な響きもさすが。ファンファーレは、トランペットのパートだけ復活させています。

“ソフィスティケイトされた音色美と精緻な描写力を両立させた、いいとこ取りの演奏”

シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団

(録音:1989年  レーベル:デッカ)

 《牧神の午後への前奏曲》《遊戯》《聖セバスティアンの殉教》とカップリング。当コンビは歌劇《ペレアスとメリザンド》も含め、ドビュッシーの主要管弦楽作品を全て録音しています。

 第1楽章は、音色もフレージングも独特の香気を漂わせますが、潤いのある響きが妖しいムードを醸し出して素敵。ドビュッシー自身はもしかするともっとブーレーズ寄りの、透徹した表現を志向していたかもしれませんが、当盤は分析型の精緻さとフランス的な香り高さを併せ持つ、いいとこ取りの演奏と言えます。テンポも引き締まっていて、適度な推進力と熱っぽさもあり。最後の山場も、筋肉質にシェイプされながら柔らかな手触りもある響きで、派手に拡散しすぎない所に趣味の良さを感じさせます。

 第2楽章も速め。細部を丹念に描きながらも部分部分に拘泥せず、流れを大切にした見通しの良い表現です。もう少し直接音をオンに捉える録音もあると思いますが、内声やソロもマスの響きに埋没せず、残響の中にきちんと聴き取る事が可能です。弦や管楽器の艶やかな音色は相変わらずで、リズム感も卓抜。豊麗なソノリティも魅力です。デッカのアーティストでいうと、このコンビは鮮やかな発色というより、パステル・カラーの柔らかさを感じさせるのが特色。

 第3楽章は、冒頭から造形センスに優れ、雄弁な語り口で聴かせます。末端まで養分の行き渡った、しっとりと潤う響きは魅力的。いわばリアリズムでも印象派でもなく、過去のフランス系指揮者とは、管弦楽のポストモダン的な鳴らし方において一線を画する印象です。緊張感の強いテンポの煽り方や鋭利なブラスのアクセント、ダイナミックな力感は、デジタル時代の表現にふさわしい一方、ソフィスティケイトされた音色美にも欠けていません。金管パートは復活させたヴァージョンで演奏。

鮮烈な表現に才覚を発揮するサイモン。速すぎるテンポと残響過多の録音は一長一短

ジェフリー・サイモン指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1990年  レーベル:CALA

 サイモン自身のレーベルから出ている2枚のドビュッシー・アルバムから。オリジナルは当曲と《夜想曲》、第1ラプソディのみで、後はピアノ曲を他の作曲家やアレンジャーが編曲したものばかりという、サイモンらしい企画です。

 残響音をたっぷり取り入れた深い音場感は、ボカシの効果となってプラスに働いている部分もある反面、シンバルや金属打楽器の音がマスキングされ、第2楽章のような細かい音符の多い部分では細部の解像度がもどかしいなど、一長一短があります。トゥッティの豊麗な響きは魅力的で、音色やリズムのセンスにも非凡な才覚を見せる好演ですが、第1楽章の前半を除いてすこぶる速いテンポ。特に第2楽章は明らかに速すぎると感じます。第3楽章は、金管パートの入る版で演奏。

“オケの明るい音彩を生かしながらも、濃密で熱っぽい表現は異色”

ジョルジュ・プレートル指揮 フィレンツェ五月祭管弦楽団

(録音:1992年  レーベル:Maggio Live)

 楽団自主レーベルから出たライヴ盤で、2004年録音の《夜想曲》と《ボレロ》をカップリング。直接音が鮮明でヴァイオリンなど高音域もみずみずしいですが、会場の残響はかなりデッド。このトラックのみテアトロ・ヴェルディでの収録で、テアトロ・コムナーレで収録されたカップリング曲より奥行き感が浅いのが残念です。

 第1楽章は遅めのテンポで、オケの艶やかな音彩も生かして、濃密な表情を付けた演奏。夜明けの場面のチェロ合奏など、まるでシェーンベルクかというほどねっとりと粘り、強弱とテンポ変化も大きく付けた、濃厚な歌いっぷりです。ホルンのハーモニーなどもそうですが、急激で感情的なクレッシェンドを多用。後半のクライマックスも実に壮麗な表現で、オケがよく鳴っています。

 第2楽章も細部が生き生きと躍動し、指揮者の統率力とスキルの高さが窺えるパフォーマンス。ダイナミクスや遠近法、アゴーギクの操作も堂に入っていて見事。ドライな音質を除けば、演奏自体はライヴ盤とは思えないほどよくこなれています。ミスや不揃いは、ほぼ聴かれません。

 第3楽章は、木管やトランペットがヴィブラートで朗々と歌うのがユニーク。フランス音楽の繊細な味わいとは少し違うのでしょうが、明るい光彩を放つオケの音色は作品にマッチしています。遅めのテンポでたっぷり歌わせ、ホルンのクレッシェンドを強調するスタイルは、他のフランス人指揮者と方向性を異にする感じ。カラー・パレットも原色主体で、淡彩は用いない印象があります。最後の山場もやや重みを加えて、独特の荘厳な造形。

“卓越したスコア・リーディングとオケの音楽的センスが光る、隠れた名盤”

ネーメ・ヤルヴィ指揮 デトロイト交響楽団

(録音:1992年  レーベル:シャンドス)

 ラヴェルのボレロ、ラ・ヴァルス、ミヨーのプロヴァンス組曲とカップリングされた、《フレンチ・フェイヴァリッツ》というアルバムから。オケが非常に優秀で、ドラティ時代に飛躍的向上を見せた機能性と、ポール・パレーの黄金時代で得たフランス音楽の伝統が吉と出た印象です。残響の多い録音はシャンドスの常ですが、ダイナミック・レンジが広すぎて音量設定が難しいのは問題。

 第1楽章は、ディティールを丹念に処理した緻密な表現。夜明けの部分は、スロー・テンポでじっくりと歌い上げる一方、最後の山場は牽引力の強いテンポでぐいぐいと音楽を引っ張ります。トゥッティのソノリティは内的充実度、艶と輝きなど全く素晴らしく、聴き応え十分。第2楽章は、速めのテンポでスケルツォ的性格を前景化。細部の処理も丁寧で、ソロがみな好演しています。随時テンポを動かしながら、あくまで自然に聴こえるアゴーギクも秀逸。

 第3楽章は、各部の表情に強い説得力があり、聴いていて思わず「なるほど」と感心させられる箇所も多いです。遅めのテンポで彫りの深い造形を見せる一方、音感、リズム感に非凡なセンスを発揮。卓越したスコア・リーディング力と、デトロイト響のクオリティの高さに驚かされるディスク。

“オケの見事な合奏力を得て、より高い完成度に達したブーレーズの再録音盤”

ピエール・ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1993年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 旧盤から実に27年ぶりの再録音。オケがクリーヴランド管弦楽団なのも嬉しい所です。カップリングは《夜想曲》《遊戯》と第1ラプソディ。作品は完全に手の内に入った感があり、よくこなれた解釈ながらも、細部のそこかしこが新鮮な発見に満ちている所、さすがブーレーズです。

 クリーヴランド管の合奏力には目を見張るものがあり、改めてこのオケの室内楽的特質に感嘆させられます。潤いたっぷりの録音とも相まって、所々で妖しい色香を放つサウンドも魅力的。クライマックスで打楽器やトランペットの高音を抑え、和声感を失わずに起伏を盛り上げるのはこのコンビらしい表現です。素っ気ない印象を受ける箇所もありますが、見事と言えばあまりにも見事な、《海》の完全再現パフォーマンス。

“明朗で精緻な響き、彫りの深い造形とドラマティックな語り口で我が道を行くムーティ”

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1993年  レーベル:EMIクラシックス)

 ラヴェルの《海原の小舟》、ショーソンの《愛と海の詩》とカップリングした、海づくしのアルバムより。当コンビはラヴェルの他、シャブリエやベルリオーズなどフランス音楽も積極的に録音しているが、ドビュッシーはこれが唯一。

 音色の作り込みが素晴らしく、響きも明晰で立体感がある。ディティールも緻密を極めており、フィラ管がここまで精緻な演奏を行えるとは、失礼ながら考えた事もなかった。第1楽章は、冒頭部分も夜明けのチェロ合奏も非常に遅いテンポで、粘液質のねっとりとしたフレージングが独特。強音部はアクセントの打ち方、強弱の波の描き方が音楽的という他なく、いつも思う事だが、なぜムーティの演奏がしばしば生硬と形容されるのか、理解に苦しむ。

 第2楽章も響きが明朗で、内声までクリアに彫琢。リズム面では軽快さに不足するものの、特有の重厚な趣があり、造形的な彫りの深さで群を抜く。第3楽章はさらにその感が強く、ドラマティックな演出力が光る熱演。色彩は豊かだが、ムーティは何を振っても格調が高く、軽くなりすぎない指揮者。テンポはやはり遅く、タランテラ風のリズムも舞曲的な躍動感はあまり出ない。コーダにかけては随所にルバートを挟み、即興的な間合いが目立つ。

“柔らかなタッチでひたすら美を追求する異色の表現”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1994年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ジュリーニ15年ぶりの再録音。《牧神の午後への前奏曲》、ラヴェルの《亡き王女のためのパヴァーヌ》《マ・メール・ロワ》組曲をカップリング。オケの典雅な音彩は非常に魅力的で、旧盤のロスアンジェルス・フィルよりもフランス物に向いている感じ。録音も美麗だが、強奏では響きがやや飽和してこもる印象。

 第1楽章はテンポが遅く、妙な所で音を切るなど(コーダのトランペットはその代表例)、フレーズのイントネーションが通常とは異なる箇所も散見される。ジュリーニ一流の緻密なディティール描写は作品と相性良し。角が立たず、ソフトなタッチで一貫しているのは旧盤と相違。第2楽章も充分な躍動感を表出し、リズム的要素の扱いも巧妙。音色が艶やかかつカラフルで、弱音部のデリカシーにも事欠かない。ユニゾンのカンタービレも、ふるいつきたくなるような美しさ。

 第3楽章は再び超スロー・テンポ。打楽器のアクセントなどメリハリが弱く、あくまでもリスナーを刺激しないスタンス。ジュリーニのディスクにはよくある事だが、マイクが指揮者の唸り声をかなり拾っている箇所あり。幾分無骨に造形されたクライマックスは、テンポこそやや煽るものの、スリリングな性格ではない。

“覚醒した意識を感じさせつつも、柔らかな色彩と透明な響きで描かれた《海》”

エサ=ペッカ・サロネン指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1996年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 当コンビは《夜想曲》を中心としたドビュッシー・アルバムも録音していて、当盤は2枚目に当たります。少々マニアックな選曲だった前作と違い、《映像》《牧神の午後》とメジャー作品をカップリング。サロネンらしいクリアな響きをベースに、テンポとダイナミクスの幅を大きく取った表現で、テンポが部分的に速くなるような箇所は、少々煽り気味にアッチェレランドして鋭くコントラストを付けています。

 そのため、全体に覚醒しているというか、常に冴え冴えとした意識が働く印象を受けますが、色彩自体は柔らかく、どぎつい演奏ではありません。ロス・フィルの音彩は洗練されていて、多めの残響がボカシの効果も加えますが、演奏のコンセプトから行くともう少し直接音のバランスを増やした方が良かったかもしれません。第3楽章は細部の動きを強調するあまり、音楽の流れが少し停滞する箇所があります。

“繊細で明るい音色、よく歌うフレーズ。フランス音楽への優れた適性を示すゲルギエフ”

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1996年  レーベル:ラジオ・ネザーランド・ミュージック)

 ゲルギエフ・フェスティヴァルの4枚組ライヴ録音セットに収録。この指揮者らしい、暖かみと粘性、黒光りするような艶のある音色は、特にキーロフのオケとロッテルダム・フィルに顕著に出るようです。録音は鮮明ですが、打楽器を伴う強奏部ではやや歪みもあり。

 第1楽章は繊細で明るい音色が素晴らしく、フランス音楽への意外な適性を示します。フレーズがみずみずしく、たっぷりと歌われるのも美点。夜明けの場面のチェロも、アインザッツが崩れるほど粘り気があり、遅めのテンポで粘っこく歌います。張りのあるティンパニによって強奏部のパンチが効き、対比が明瞭で痛快。後半部からコーダはブルックナーばりの雄大な造形ですが、意外に後味がしつこくないのは、響きが整理されているせいでしょうか。

 第2楽章も遅めのテンポながら、ディティールの表現が繊細。ライヴ収録なので偶然かもしれませんが、グロッケンシュピールのバランスは絶妙と感じます。ホルンのハーモニーも、膨らませ方とアゴーギクが秀逸。細部が雄弁に語りかけてくる、濃密な表現です。第3楽章もソステヌートの傾向が強く、フレーズはみな歌わせる事を優先させる印象。それが粘液質のタッチに繋がっているようです。超スロー・テンポでデフォルメしたコーダはユニーク。

“旧盤の真逆を行くウィーン・フィルとの再録音。ライヴ収録の音質に難あり”

ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 

(録音:1999年  レーベル:RCA)

 マゼール22年ぶりの再録音は、名門ウィーン・フィルを率いて《夜想曲》《遊戯》をカップリングしたライヴ盤。ウィーン・フィルによる同曲録音は大変に珍しいと思います。音像が生々しく近接していた旧盤とは違い、間接音をたっぷり含んだ録音コンセプトからして対照的ですが、この印象はそのままオケの性質の差異にも当てはまります。マゼールほどの才人ですから、勿論オケの特性を生かしているというか、単に年月を経たというだけの変化ではないでしょう。

 元々遅かった第1楽章のみならず、後続楽章のテンポも旧盤より落ちていて、スポーティな躍動感が際立っていた旧盤とは全く違っています。どこまでも艶やかなウィーン・フィルの妙技を楽しむ演奏。リズムやアクセントもマゼールにしては随分角が取れ、非常にまろやかな演奏に聴こえます。ただ、ライヴ収録のせいかトゥッティ部を中心に響きが飽和してしまって、細部が消し飛んでしまう傾向があるのと、打楽器を伴うクライマックスで幾分音に歪みが出るのが残念です。

 第1楽章は、ゆったりしたテンポであらゆるフレーズを心ゆくまで歌わせた演奏。各パートの音色に艶やかな光沢がある一方、色彩的にはカラフルというよりモノトーン、響きも分離よりブレンドを指向。第2楽章は卓抜なリズム感で快適な運動性を表出。旧盤ほどではないにしてもテンポが速く、細かい音符に至るまで解像度の高さが目立ちます。第3楽章はテンポの伸縮が大きく、部分的な加速も随所に聴かれる表現。一方で耽美的なカンタービレ、柔らかく豊麗なソノリティは魅力的です。

“じっくりと構えて精妙な表現を目指すも、オケが非力”

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 シンシナティ交響楽団

(録音:2004年  レーベル:テラーク)

 《夜想曲》《牧神の午後》《英雄の子守唄》をカップリング。第1楽章はスロー・テンポで地を這うような表現。粘性を帯びた音色はややくすんで聴こえ、響きもあまり分離せず、ブレンドする傾向。オケの能力もあるのでしょうが、もう少し色彩の華やかさや解像度の高さが欲しい所。ただ、持っている物の中で何とか磨き上げたような艶や光沢は、慎ましやかで繊細な魅力もあります。パーヴォの棒も鮮烈なコントラストや起伏の大きさに目もくれず、ひたすらゆったりと構えて、細部を鍛錬してゆくような趣。

 第2楽章は速めのテンポで動感もありますが、ディティールがマスの響きに埋没してしまって、色彩の多様さやグラデーションが表に出てきません。演奏技術に瑕がある訳ではなく、各パートはミスもなくきっちり演奏しているのですが、それらが集積されるとモノトーンの地味なソノリティになるのが不思議です。トランペットが活躍する中間以降も、音響のバランスやテンポやダイナミクスの演出など、表現としてのクオリティは一級という印象。

 第3楽章も彩度が低く、フォーカスが甘い感じを受けます。指揮もおっとりした性格で、緩急やメリハリを付けないので、どうしても鮮やかさに不足しますが、それがパーヴォが指向したスタイルなのか、オケの技術力で実現できていないだけなのかが分かりません。彼の他の演奏を聴く限り、後者だと考えざるを得ないのですが。アンプのヴォリュームを思い切り上げて、響きの海の中へ入ってしまえば、それなりにシャープな演奏として聴けそうです。

“粘液質の妖しい響きの中にルバート気味のソロが明滅するユニークな表現”

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2004年  レーベル:EMIクラシックス)

 当コンビ初のドビュッシー。《牧神の午後》と《おもちゃ箱》、コリン・マシューズがアレンジした前奏曲集3曲がカップリングされています。ラトルはバーミンガム響と《映像》他の録音がある他、ロンドン響の自主レーベルで歌劇《ペレアスとメリザンド》全曲も録音。ライヴでもないのにこもり気味の録音が気になりますが、ベルリン・フィルの官能的とさえ言える艶やかな響きに彩られた、個性的な演奏ではあります。

 表情の付け方もフレーズ単位の濃厚なもので、黒光りするような粘性を帯びた海の中に、ルバートのかかったソロ楽器が妖しく明滅する様は、ラテン的明朗さというより、新ウィーン学派に近い感じ。まるで暗い深海の映像を観る趣です。もっとも、第3楽章に顕著なアーティキュレーションの明瞭な交代は、古典作品でのピリオド・スタイルの応用にも聴こえます(『惑星』もそんな演奏でした)。オケの響きが暖色系なのもドビュッシーとしては独特ですが、透明度が保たれているのはラトルらしい所。ユニークな解釈です。

“多彩なアイデアを盛り込み、濃厚な味付けでたっぷりと歌う異色のドビュッシー”

マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:2007年  レーベル:RCO LIVE)

 楽団自主制作レーベルのライヴ盤で、ラヴェルの《ラ・ヴァルス》、デュティユーの《夢の樹》をカップリング。ヤンソンスのフランス音楽は珍しく、当コンビで他にベルリオーズ、プーランク、メシアン、バイエルン放送響とラヴェルの録音が少しあるくらいで、ドビュッシーは他にないようです。

 第1楽章は、粘性の強い語り口で一貫。遅めのテンポと柔らかく艶めいた音色で、各フレーズをねっとりと歌わせてゆくスタイルです。フランス的かどうかはともかく、濃い味付けで表現の彫りが深く、聴き応えがあるのは確か。最後のクライマックスも、豊麗かつ有機的な響きに圧倒されます。

 第2楽章も、リズムより横の流れに留意する印象で、身体的な動感が強くない代わり、波の満ち引きのような、ゆるやかな動きが見えてきます。各パートの音色が実にまろやかで美しく、正にこのオケでなければ出せないサウンド。感覚美を前面に押し出した感もありますが、ドビュッシーのスコアにもそれを受け入れる余地があり、アプローチとしては一つの正解なのかもしれません。

 第3楽章は、ディティールが訴えかけてくる力が強く、とかく細かいアイデアを盛り込みがちなヤンソンスの姿勢もプラスに働いた印象。合奏の一体感も好印象で、集中力が高く、潤いに満ちた響きで好演しているオケが素晴らしいです。最後のトゥッティで、輝かしい音彩を放つトランペットの重奏も効果的。金管パートのファンファーレは復活させています。

“ソフトな語り口の中に、非凡な劇的センスを垣間見せるガッティ。オケも好調”

ダニエレ・ガッティ指揮 フランス国立管弦楽団

(録音:2011年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ガッティ久々の商業録音で、同オケとのレコーディング第1作。カップリングは《牧神の午後への前奏曲》と《映像》。ソニーが使用してきたラジオ・フランスの104スタジオではなく、バスティーユ・オペラのサル・リーバーマンで収録されています。残響の多い、雰囲気豊かなサウンドですが、高音のきらめきはやはり、典型的なフランス・オケという感じ。

 第1楽章はテンポが遅く、ゆったりと情感を乗せたフレージング。各パートは分離より融合する傾向ですが、音色は明朗で多彩、潤いと柔らかさも兼ね備えます。クライマックスも優しいタッチながら底力があり、充実した有機的なソノリティは聴きもの。

 第2楽章は木管やヴァイオリンなど、ソロのパフォーマンスがセンス抜群。絶妙のバランス感覚とテンポ運びを聴かせるガッティの棒は、ニュアンス豊かで生き生きとして、ドビュッシーへの適性を窺わせます。旋律の歌わせ方も巧く、ディティールの扱いも繊細。後半部は、内から沸き起こるような動感の表出に才気を感じさせます。

 第3楽章は、冒頭から強弱の交替に敏感で、ドラマティックな表情付けが印象的。バスドラムやシンバル、ティンパニなど、打楽器のアクセントを概してソフトに処理しているのがガッティらしいですが、山場の盛り上げ方にもスリリングな緊迫感があり、オペラ指揮者らしい演出力を垣間見せます。敢えて強調はしないものの、リズムの鋭さも効果的。ブラスのフレージングなどは独特で、復活させたファンファーレにも緊張感あり。

“ブーレーズの手法をより高次元で達成し、さらにエスプリまで加えた最強の演奏”

ステファヌ・ドゥネーヴ指揮 ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

(録音:2011/12年  レーベル:シャンドス)

 2枚組の管弦楽曲集から。豊富な残響がトレードマークのレーベルですが、当盤は直接音も鮮明で、バランスは良好です。艶めいた音色センスに才気を発揮するドゥネーヴらしく、録音・演奏とも、サウンド面での魅力には事欠きません。常に柔かな潤いを帯びた精妙な響きも彼らの美点で、ルーセルの全集録音の頃と比べると、このコンビも飛躍的に技術的レヴェルが上がった印象です。

 第1楽章は過剰な起伏を形成する指揮者も多いですが、当盤は余裕のなせる業か、ハイスペックを所持しながらも抑制を効かせる感じが素晴らしいです。特に弱音部の精妙な音響で勝負している印象が強く、夜明けの場面のチェロ合奏、続くフルートの鳴き交わしも、ピアニッシモでささやくような調子、柔らかで軽妙洒脱なタッチに、思わずノックアウトされます。最後の山場も速めのテンポであっさりと造形しながら、ダイナミックな底力を十二分に発揮。

 第2楽章は、千変万化する色彩とフレーズの魅力を、余す所なく表現しえていて痛快。ダイナミクス、アゴーギク、音響バランスからアーティキュレーションに至るまで、精度の高い合奏で完璧に描写し尽くしています。いわば、ブーレーズがやろうとした事をより高い次元で達成し、さらにエスプリまで加えた最強の演奏という感じでしょうか。そしてコーダの、ものすごいピアニッシモ!

 第3楽章も極端なメリハリは排除し、自然体の振り幅で臨みながら、作品に必要な要素をきっちり揃えたドゥネーヴらしい表現。スコアを隈無く解釈しきっているため、あらゆる音符が有機的に切り出され、音が無為に垂れ流される瞬間が全くありません。衝撃的なバスドラムの強打も演出臭くないのが美点ですが、最後のクライマックスではシャープなエッジ、ダイナミックな迫力が十分に確保されています。

“楽器も奏法も初演時のものを再現。鮮烈な響きが弾ける、華やかな話題盤”

フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮 レ・シエクル

(録音:2012年  レーベル:ハルモニア・ムンディ)

 草稿が発見されて話題になった管弦楽組曲第1番の世界初録音とカップリングされたライヴ盤。ローマの聖チェチーリア音楽院で収録されています。1905年、コンセール・ラムルー管が初演した際の響きを再現し、弦はガット弦、金管は細管、木管やハープは当時のフランス製で、パリ音楽院直伝の奏法を遵守しているそうです。当コンビは、オムニバス・アルバムの中で《イベリア》も録音。

 第1楽章は、艶っぽく華やかな響きで、聴き手を一瞬にして魅了。この団体の場合は、ピリオド楽器と聞いて想像するくすんだ音色ではなく、拡散型の華麗なサウンドがユニークです。弦楽セクションはノン・ヴィブラート奏法がユニークですが、雑音性はさほどなく、音色自体はむしろ明朗で艶やか。

 スコアの解釈は正攻法を基調とするのがこのコンビのスタイルのようですが、それでいて細部は生き生きと躍動し、目の醒めるように新鮮な感覚が横溢。一体感の強い合奏も見事で、彼らの武器が決して楽器だけではない事を痛感させられます。クライマックスの鮮烈な響きも圧倒的。

 第2楽章も明るく弾けるような音彩が耳を惹き、しなやかにうねるフランスの団体らしいカンタービレも妖しい魅力を振りまきます。それでいてローカルな野趣も内在する辺りがピリオド楽器らしいですが、そういった素朴さとフランス音楽らしいエスプリの融合は、返って生々しくドビュッシーの時代のリアルを想起させます。フレーズ作りのセンスも卓抜で、踊るようにリズミカルなクライマックスの作り方に、譜読みの個性も感じさせます。

 第3楽章も、音色が独特。短いスパンで表情を施してゆく音楽の掴み方も面白いですが、最初の全強奏なんて、シンバルの使い方が正に水しぶきという感じ。金管も華麗かつシャープで音抜けが良く、各パートの発色の良さに拍車を掛けます。特定の音型などに若干の強調はありますが、全体としては奇を衒わない造形で、いわゆる異色盤ではないと思います。初めてこの曲を聴く人にもお薦め。

“オケのドイツ的性格を生かし、多彩な要素をアンビヴァレントに組み合わせる”

ロビン・ティチアーティ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団

(録音:2017年  レーベル:リン・レコーズ)

 《忘れられたアリエッタ》の管弦楽伴奏版(元ベルリン・フィルのヴィオラ奏者ブレット・ディーンが編曲、ソロはマグダレーナ・コジェナー)、フォーレの歌劇《ペネロープ》前奏曲、《ペレアスとメリザンド》組曲をカップリング。イエス・キリスト教会で残響をたっぷり収録しながら、艶っぽい直接音も印象的で、柔らかなタッチが耳に快い好録音です。

 第1楽章はスロー・テンポで、終始落ち着いた雰囲気。細部を緻密に描写し、旋律線を艶やかに歌わせる異色のドビュッシーです。色彩もどちらかというと沈んだトーンに聴こえますが、金管を伴うフォルティッシモではフランス音楽らしい軽さと明るさも表現されていて、様式への配慮も十分。クライマックス直前の弱音部など、ポルタメント気味の歌い回しに独特のなまめかしさが漂います。

 第2楽章もフレージングに特有の粘性があり、そこへディティールの動きを絡ませるバランス感覚と相まって、実にユニークな音世界が展開します。常にたっぷりと水分を含んだ、潤いのある響きも魅力的。落ち着いたテンポを採択しつつも、動感は充分確保されています。分析的な性格ではないにも関わらず、細部が驚くほど明晰に彫琢されている所が斬新。色彩も制限されているのに、美麗で精妙な響きの美しさが聴き手の耳を魅了するなど、とかくアンビヴァレントな要素の多い演奏です。

 第3楽章も自然体でさらっと開始しながら、ねっとりとした語り口で聴く者を絡めとるような趣。緩急や山場の形成もムードで流さず、弦の強靭な合奏を土台にして構築してゆく辺りはさすがドイツのオケ。指揮者も若さに似合わず興奮体質で盛り上げる事がなく、密度の高い響きで着実にクライマックスへ導きます。金管のファンファーレは復活。

“精緻な極めた描写の一方、爽やかな叙情の発露によって、生きた音楽を形成”

パブロ・エラス=カサド指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:2018年  レーベル:ハルモニア・ムンディ)

 《牧神の午後》《聖セバスティアンの殉教》とカップリング。ライヴ収録ではありませんが、データにはロイヤル・フェスティヴァル・ホール、ヘンリー・ウッド・ホールの2会場が併記されていて、複数会場の録音をミックスしています。やや残響を抑え、直接音をくっきりと捉えた録音のバランスも理想的。エラス=カサドはN響客演時の驚異的なパフォーマンス(特にオケの体質改造)を聴いた時から注目していますが、当盤にも傑出した才気が迸っています。

 第1楽章は、前半部から合奏の精度がすこぶる高く、音色に艶っぽさがあるのもラテン的。夜明けの場面も、洒脱に語尾を跳ね上げるチェロ・セクションが印象的です。鮮やかな発色で細部を照射しながら、響きが散らかってしまわない所にセンスの良さあり。しかも随所に爽やかな叙情の発露が聴かれ、全体が生きた音楽になっているのも素晴らしいです。コーダも過剰に盛り上げず、明晰なフォルムを維持しながら、シャープな棒で凛々しく締めくくるのが見事。

 第2楽章もディティールが緻密で生彩に富み、奇抜な表現はないのに、終始耳を惹き付ける演奏。オケも卓越した表現力で応えます。高音域が弾ける箇所など、明朗で華やかな響きが素晴らしく、アゴーギクのさじ加減も絶妙。音量を増しながら加速する局面では、かなりテンポを煽るにも関わらず、リズムの軽妙さが前面に出て実に躍動的。コーダに漂うチャーミングな情感にも、心を奪われます。

 第3楽章は、冒頭で大太鼓の轟きを強調しているのがムード満点。概してこの指揮者は、背景のトレモロや刻みなどに高い解像度を要求していて、それだけで音楽全体が新鮮にリフレッシュされる傾向があります。さらに彼は図抜けて耳が良いのか、和声感が常に明瞭に打ち出されていて、響きのバランスがおそろしく巧みに構築されているのが驚き。その上、フレージングには魅力的な色気があるという、正に天才的な指揮という他ありません。

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