チャイコフスキー/交響曲第1番《冬の日の幻想》

概観

 チャイコフスキーの初期シンフォニーの中では比較的人気の高い曲。ロシア民謡風の甘美な旋律にも溢れ、交響曲としても形式的にシンプルで、分かり易い構成を取っている。

 後期三大シンフォニーに較べるとディスクの数自体は少ないですが、T・トーマス盤やブロムシュテット盤などユニークなディスクも存在します。筆者のお薦めはマルケヴィッチ盤、メータ盤、ハイティンク盤、アバド盤、デローグ盤、P・ヤルヴィ盤、そして何といってもビシュコフ盤。

*紹介ディスク一覧

64年 マゼール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  

65年 ドラティ/ロンドン交響楽団   

66年 マルケヴィッチ/ロンドン交響楽団  

70年 T・トーマス/ボストン交響楽団

75年 ムーティ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

76年 オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団

77年 メータ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック  

79年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

79年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

84年 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団

85年 シャイー/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

85年 ヤンソンス/オスロ・フィルハーモニー管弦楽団  

90年 秋山和慶/札幌交響楽団

91年 アバド/シカゴ交響楽団   

96年 デローグ/プラハ交響楽団  

02年 ブロムシュテット/バーデン・バーデン南西ドイツ放送交響楽団

15年 エラス=カサド/セント・ルークス管弦楽団   

19年 ビシュコフ/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団   

21年 P・ヤルヴィ/チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団  

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“指揮者のドラマティックな造型感覚と艶やかなオケの音色でひときわ光るディスク”

ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団   

(録音:1964年  レーベル:デッカ)

 マンフレッド交響曲も含めた全集録音中の一枚。マゼールによる同曲録音はこれが唯一で、ウィーン・フィルの同曲ディスクも珍しいです。類を見ないリズム・センスと美しい音彩で颯爽と造型した見事な演奏で、この時期のマゼール特有の誇張癖やエッジの鋭さがうまく緩和され、聴かせ上手な演奏になっています。フレーズ末尾を短く切り上げる独特のイントネーションなど、随所で個性も発揮。

 第1楽章は全てが鮮やかでフレッシュ。よく弾むシャープなリズムと、一点の曖昧さもない、敏感なアーティキュレーションが、目の醒めるような音楽を作り出しています。第2楽章は速めのテンポで熱を加えながら、切々と歌うオーボエ・ソロが聴き所。チェロ、ホルンの甘美な音色とカンタービレも、ウィーン・フィルの面目躍如です。

 第3楽章の時計の針のように律儀なリズムとテンポ、フィナーレのロシア民謡のフレージングなどは正にマゼール流。主部に入る前、弦のスタッカートのリズムが最後の数音だけ急にレガートに変貌するのも彼らしいです。

“透徹した眼差しと柔軟な音色で、作品の美しさをストレートに描出”

アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1965年  レーベル:マーキュリー)

 全集録音の1枚。60年前後のものより音の状態は良く、響きから雑味が減った印象はありますが、オケの音色自体に今一つ魅力が欲しい所。残響も適度で、鮮明な直接音とバランスは取れています。

 第1楽章は速めのテンポで、強弱やアーティキュレーションにすこぶる敏感。アタックに勢いがあり、輝かしい音彩と沸き立つような生命力に溢れるなど、マゼール、T・トーマス盤と共通する美質を備えた演奏です。アゴーギクも微妙に動かしていて、巧みな加速で音楽を引き締める棒さばきも老練。決して無味乾燥ではなく、旋律線も生彩に富んでしなやかです。

 第2楽章は速めで流動性が強いですが、艶やかなカンタービレが美麗。音楽が漫然と流れず、常に覚醒した意識で音を配置している所に、ドラティの透徹した眼差しが注がれています。アゴーギクにも、常に明確な意志が介在。第3楽章は逆にスロー・テンポで、ほとんどワルツに近い雰囲気。鮮やかな音彩が美しく、全ての音符を克明に際立たせるアプローチです。フレージングが実に典雅で、中間部は弱音の効果と優美なタッチを駆使した濃密な表情がユニーク。

 第4楽章は、序奏部の切々とした歌が胸を打ちますが、落ち着いたテンポの主部は全てが明快。アーティキュレーションの描き分けが徹底していて、ある種の厳しささえ感じさせます。しかし演出巧者な棒は変化に富み、ドラマティックな語り口が見事。後半の盛り上がりなど、設計の妙を感じさせます。

“多彩な要素を有機的に結びつける天才指揮者の棒さばき”

イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1966年  レーベル:フィリップス)

 マンフレッドも含む全集録音から。フィリップスのロンドン収録にしては直接音が明瞭で、長めの残響も取り入れて珍しく音響的快感のある録音。この全集に共通して言える事として、シャープな造形とリリカルな歌のバランスが見事で、歯切れの良いリズムとのびやかなカンタービレを両立させた好演です。

 第1楽章はテンポこそ中庸ですが、鋭敏なリズムで音楽を躍動させつつ、情に溺れない瑞々しい歌心を随所に盛り込んでゆきます。また設計力、全体の見通しの良さに指揮者の優秀さが表れていて、最初の山場へ持ってゆく流れや展開部、再現部からコーダへ向けての緩急など、思わずため息がもれるほどの上手さ。正に練達の棒さばきです。

 第2楽章は強い推進力で音楽を停滞させず、流麗に造形。柔らかなタッチを維持しながらも、冴えた音彩で旋律線を浮き彫りにして語調が曖昧になりません。誇張のない、自然なアゴーギクも見事。第3楽章は落ち着いたテンポで、整然たる合奏を展開。スタッカートの切れ味が印象に残りますが、各フレーズは優美な表情で存分に歌っていて、対比の妙が素晴らしいです。

 第4楽章序奏部は、フォルムを崩さないロシア民謡主題の歌わせ方が堂に入っていてさすが。主部への移行もすこぶる巧みですが、テーマの入りは大きくテンポを落としてデフォルメします。空虚で騒々しい演奏も多い楽章ですが、当盤は雄大な広がりと繊細な響き、民謡の柔和な歌い回しと情感、コーダの圧倒的高揚など、多彩な要素が有機的に結びつけられていて思わず舌を巻きます。正に天才指揮者の仕事。

大胆なテンポ変化と鋭敏を極めた表情。若きT・トーマスによるフレッシュな名演

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 ボストン交響楽団

(録音:1970年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 T・トーマスの最初期のレコーディングで、競合盤の中でも屈指の個性的演奏。当コンビの録音は、どれもがレコード史に名を残すディスクなのが凄い所。売り出し中の若手指揮者がこの選曲というのも彼らしい態度だが、演奏は極めてフレッシュで斬新、一聴しただけでなぜこの曲を選んだのかが分かる主張の強い表現。

 第1楽章からほとんど小節ごとに細かくデュナーミクを設定し、敏感な表情と強弱の交代を聴かせるのに耳を奪われるが、それが神経質にならず、生き生きとした躍動感に繋がっているのが魅力。第2楽章も大胆なアゴーギクが特徴で、たっぷり歌い込む部分と駆け足で疾走する部分を明瞭に対比させ、シンフォニックな様式感を強調している。

 フィナーレは、フーガ風の箇所で突如テンポ・ダウンするのも独特だが、コーダで猛烈なアッチェレランドを掛けるなど、即興的なスリルもあり。相性が悪かったと伝えられる当コンビだが、演奏を聴く限り、オケも指揮者の主張に積極的に反応していて好感が持てる。

“力強さと歌心を併せ持つも、オケの響きにさらなる魅力が欲しい”

リッカルド・ムーティ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(録音:195年  レーベル:EMIクラシックス

 マンフレッド交響曲を含む全集録音から。定評のある弦楽セクションが美麗な音色で歌っているし、木管の音彩も美しい一方、トゥッティの響きはややこもっていて、さらなる魅力が欲しい所。録音の問題か、あるいはこの時期のフィルハーモニア管は、組織再編のゴタゴタで状態が悪かったのだろうか。ティンパニの打音などは張りがあって力強いし、トロンボーンも随所に抜けの良いエッジを聴かせる。

 第1楽章はアーティキュレーション描写が鋭敏で、生彩と若々しい活力に溢れる。スケルツォ中間部の、ぐっとテンポを落とした甘美なカンタービレも絶品。フィナーレもムーティらしい快速調に勢いがある。一方、第2楽章のホルンは音色、音程共にがっかりで、こういうのを聴くと、せめてフィラデルフィア時代に再録音して欲しかったと惜しまれる。

美麗なフィラデルフィア・サウンドを堪能するディスク。指揮者はあくまで中庸路線

ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1976年  レーベル:RCA

 マンフレッド交響曲も含めた全集録音から。木管ソロや弦の歌、ティンパニを伴ったトゥッティの明快な響きなど、華麗でソフィスティケートされたサウンドが印象的な一枚。指揮者は至って中庸の姿勢で、特に表現意欲に溢れているわけではないが、初めて曲を聴く人にはこういうまろやかな口当たりも良いかも。歌心にも躍動感にも欠けていないし、フィナーレの盛り上げ方も堂に入っている。音色が明るく、ロシア的情緒は皆無。

“鮮烈で雄弁極まる表現。この曲をこれほど面白く聴かせる演奏は希有”

ズービン・メータ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1977年  レーベル:デッカ)

 メータ唯一の全集録音から。チャイコフスキーのシンフォニーは滅多に取り上げないメータですが、意外や意外、隠れた名盤とも言える全集です。シンフォニックな様式感で明快な造形を打ち出している点では、ジュリーニやアバドを遥かに越える成功を収めているのではないでしょうか。ロシア情緒こそありませんが、若々しい勢いに溢れ、あくまでシンフォニーとして生き生きと造形した好演です。録音も鮮烈。

 第1楽章はきびきびとしたテンポで、明快そのもの。音色が明るく、スポーティで健康的。ティンパニのアクセントなどパンチが効き、リズムがよく弾みます。カンタービレはみずみずしくしなやかですが、感傷性はゼロ。強弱のニュアンスが多彩で敏感、アーティキュレーションの描写も細かく、切れの良いスタッカートとテヌートの交替などメリハリが効いています。

 第2楽章はオーボエを始め、くっきりと鮮やかな音彩で歌う木管群が魅力的。チェロも艶やかな光沢が美しく、細かくデュナーミクを付けた歌い回しも雄弁。普通は挿入しないような所でスタッカートを多用するのもユニークです。ホルンも然り。旋律線がとにかく美麗に彫琢された演奏。第3楽章は克明に刻まれるシャープなリズムと、しなやかなカンタービレの対比が見事。中間部の表情も優美で、ラスト2音もダイナミックにバシッと決まります。

 第4楽章は、適度なテンポの序奏部が親しみやすい性格。主部は第1主題に入る前に大きくルバートし、アウフタクトをアクセントで強調。ロシア民謡のエピソードもリズミカルな弾みが強く、歌謡的な節回しが楽しいです。リズムの取り方が独特な箇所も多く、ポップな愉悦感に溢れるのはユニーク。この曲をこれほど面白く聴かせる演奏は稀かもしれません。

“くすんだ響きで、流麗さにも乏しい黄金コンビ。作品への共感度に問題あり?”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

(録音:1979年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 全集録音中の一枚。後期3大シンフォニーは何度も録音しているカラヤンですが、前期3曲の録音は一度きり。レコード作りのための録音という感じで、ステージでも取り上げた記録がないそうです。ベルリン・フィルの同曲録音も稀少。録音のせいもあるのか、色彩が抑制されて意外にくすんだ印象で、カラヤンの棒もいつもの流麗さを欠いてぶっきらぼう。作品に強い共感はなかったのかもしれません。

 それでもこのコンビですから、造型的には様になっているというか、第2楽章のホルンの箇所に入る呼吸などもケレン味たっぷりで聴き応えがありますが、同曲のディスク中で特に傑出した演奏とは言えないと思います。少なくとも、後期シンフォニーで際立っている巧妙な演出力は聴かれません。フィナーレだけは、カラヤンらしい派手な響きが充溢。

優美なフレージング、繊細なポエジー、ハイティンク最良の部分が出た素晴らしい演奏

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1979年  レーベル:フィリップス

 交響曲全集中の一枚。繊細なデリカシーとポエジーに溢れた素晴らしい演奏です。全編に渡って展開する精妙な音作りも聴きものですが、クセがなく、完璧に仕上げられたフレージングも優美そのもの。歯切れの良いリズム感も卓抜です。

 コンセルトヘボウ管はこの時期が一番良かったのではないかと思いますが、安定感のある落ち着いたテンポの中、明るく柔らかい音色と克明なディティール処理で音楽を構築してゆくハイティンクの手腕は第一級。これほどの演奏をする指揮者を、「地味」「堅実」の一言で片付けられる筈などありません。第2楽章やフィナーレ冒頭の、ぐっと腰を落として切々と歌いあげるカンタービレも絶品。

ロシアの大地に根を下ろした悠々たる演奏。レガート多用のフレージングも独特

ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団

(録音:1984年  レーベル:メロディア

 交響曲全集中の一枚。日本ビクターのスタッフがロシアに乗り込んで制作した後期シンフォニーと違い、メロディア・レーベル単独の録音。サウンドのコンセプトも違っていて、こちらは間接音をたっぷりと取り入れた遠目の距離感。ディティールが聴き取りにくい傾向はありますが、耳当たりは柔らかです。

 第1楽章の、いかにもロシアの大地に根をおろしたような悠々たる足取りを聴いた途端、ああ、これはフェドセーエフの演奏だ、と何だか嬉しくなってしまいました。このコンビはいつもこういう、逞しくて自信たっぷりの、落ち着いた貫禄を感じさせますね。旋律も共感たっぷりに歌っています。

 フェドセーエフはレガートを多用する指揮者でもありますが、スケルツォ主部などはレガート気味のフレージングが独特の表情を形成していますし、フィナーレも金管を中心に、テヌートでベタっとしたフレージングを聴かせる箇所があってユニークです。純ロシア勢によるチャイコフスキー前期交響曲の演奏は意外に少ないので、こういうディスクも一枚は持っていると楽しいと思います。

若々しい活力と落ち着いた表情を兼ね備える、若きシャイーによる放送録音

リッカルド・シャイー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1985年  レーベル:ラジオ・ネザーランド・ミュージック

 オランダ放送のレーベルによる、当コンビの放送録音をまとめたボックス・セットの中の音源。録音がオフ気味で、ソロ楽器の動きがマスの響きにマスキングされる傾向はありますが、コンセルトヘボウの豊かな響きがたっぷり収録された録音です。もっとも、聴衆の咳があちこちで入るので、ライヴ録音が嫌いな人には向かないディスク。

 シャイーは早くも成熟した音楽性を備えており、第1楽章から非常に落ち着いた音楽作り。情熱をたぎらせて自分を見失う様子は見られません。細部の処理やリズムに対する感性が極めて鋭敏で、表情も実に若々しいもの。第2楽章での、弱音を生かした演出もよく考えられています。スケルツォの精緻な音作りや中間部の歌心、フィナーレのエネルギッシュな推進力も鮮烈。

“どこまでも優しいタッチで軽妙さと浮遊感を表出するヤンソンス”

マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1985年  レーベル:シャンドス)

 マンフレッド交響曲を含む全集録音より。第1楽章は遅めのテンポで、落ち着いた中に細やかなニュアンスを込めた表現。旋律線の優しい風合いが美しいです。強弱やアーティキュレーションが細かく描写され、常に意識的。ティンパニなどはソフトですが、リズムが画然と刻まれ、モダンな造形センスを感じさせます。第2主題は実に柔和で優美。終始軽いタッチを失わないのは美点で、七割くらいに抑えたダイナミクスの設計も、浮遊感のある曲調にうまくマッチしています。展開部もイマジネーション豊か。

 第2楽章は淡々とした進行ですが、弦が入ってくる辺りからテンポを速め、アクティヴな推進力が加わります。チェロの合奏も艶やかで美しく、スコアにないピアニッシモの導入を行うのもヤンソンス流。音色の作り方と配合が見事で、オケの寒色系の響きは作品と相性抜群。常にウェットな潤いのあるソノリティが心地良いです。

 第3楽章は速めのテンポで動感に溢れる一方、アタックはあくまでソフト。シャープかつデリケートな主部然り、しなやかな歌心を聴かせる中間部然り、80年代の録音とはいえ後年のヤンソンスを彷彿させます。小気味好いスタッカートも随所に盛り込み、コーダの2連打も歯切れ良く軽快。

 第4楽章序奏部は、情緒たっぷりに切々と歌われるロシア民謡主題が素敵です。主部はかなりの快速テンポで疾走し、鋭利な切れ味も爽快。オケが細部までよく統率され、緊密なアンサンブルを展開します。アダージョ部からコーダに向けてのアッチェレランドはかなり強調され、コーダ突入後にまた加速するのもライヴ風の熱っぽさ。それでも大仰さがなく、趣味が良いのはヤンソンスらしい所です。唯一、バスドラムの低音域が浅いのが残念。

“ニュアンス豊かで活力と生気に溢れるも、録音が今一つ”

秋山和慶指揮 札幌交響楽団

(録音:1990年  レーベル:ノースウィンド

 札響レーベルの比較的初期の頃のディスク。東京・渋谷オーチャードホール1周年記念のライヴ録音で、10組のオケが10人の作曲家の第1交響曲を演奏する企画だったそうです。音源提供はNHKとなっていますが、録音はややこもりがちで、距離感も遠く感じられます。

 第1楽章は引き締まったテンポで勢いがあり、歯切れの良いリズムとストレートな力感が好印象。オケも生き生きとして、北国のオケらしい清澄でみずみずしい弦の響きが魅力的です。木管ソロも好演。第2楽章も弱音を効果的に使い、指揮者の豊かなセンスが充溢。ただ、ホルンをはじめ技術的に不安定な場面は散見されます。

 後半2楽章も、雄弁なニュアンスとがっちりとした構成感に秋山の能力が生かされますが、フィナーレには今一つの自在な表情とフットワークの軽さが欲しい所。活力と動感は十分で、オケも集中力が高く、前のめりの姿勢が素晴らしいです。今一つ印象が突き抜けないのは録音のせいもあるようで、生演奏で聴いたら素直に拍手を贈れる名演だったかもしれません。

“オケの機能性とアバド特有の造形感覚が高次元で結びついた、生彩溢れる名演”

クラウディオ・アバド指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1991年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音の一環で、《くるみ割り人形》組曲とカップリング。アバドは若い頃にもチャイコフスキーに取組んだ時期がありますが、1番と3番だけはシカゴ響とのソニー録音が唯一となります。直接音をきっちり拾いながら、残響を豊富に取り込んだ録音は好印象。

 第1楽章は遅めのテンポで開始し、少しずつ加速。繊細な歌い口が印象的ですが、主部はリズムが鋭敏で、強弱の交替を細かく表現。ブラスの切り込みはシャープながら、時にリズムが平面的になる傾向もあります。躍動感は充分確保する一方、ぐっとテンポを落としたクラリネット、チェロの第2主題も魅力的。スコアにないルバートなど、テンポの変化はかなりあります。

 第2楽章はデリケートなピアニッシモを駆使して、優美な歌に溢れた表現。艶やかな弦のカンタービレも美しく、豊麗な音色でたっぷりと間をとって歌うホルン・セクションも素敵です。アゴーギク、ダイナミクスはやはり独自の増減を加えて描写。特にテンポはかなり落差が大きいです。第3楽章は、さりげない中に細やかなニュアンスを加え、中間部も繊細なセンスを生かして歌謡的。オケが優秀なので、アンサンブルの妙で聴かせる側面もあります。

 第4楽章は、スロー・テンポで心ゆくまで歌い上げる序奏から、かなり加速して主部を疾走させるのが痛快。ヴィルトオーゾ風のスリリングな合奏を展開する一方、レガートのフレージングがベタっとした感じに聴こえるのは当オケ特有。強奏はパワフルで輝かしく、各パートの強靭な表現力もさすがです。音圧の高さがそのまま勢いと迫力に繋がっている印象ですが、強弱が細かいので表情は豊かに感じられます。

 いわば、オケの機能性とアバド特有の造形感覚が高次元で結びついた、いかにもこのコンビらしい演奏と言えます。アゴーギクの動きは大きく、どんどんテンポを上げてゆく後半部からコーダにかけてもライヴ風に加熱。当全集は後期シンフォニーの演奏がやや平板に感じられるので、前期3曲の生彩溢れる表現は歓迎されます。

“音質に問題があるものの、才人デローグの傑出した音楽性が爆発する超名演”

ガエタノ・デローグ指揮 プラハ交響楽団

(録音:1996年  レーベル:スプラフォン)

 《ロメオとジュリエット》とカップリングされたライヴ盤。デローグはなぜかほとんど評価されていない不遇の指揮者ですが、私は非常に高く買っています。ただ、ほとんどが名盤と言える彼のディスクの中で、こちらはどうも音がこもって抜けが悪く、演奏の良さをヴィヴィッドに伝えていないのは残念。ライヴ収録ゆえかもしれませんが、同じレーベル、同じオケでも、仕上がりにムラがあるのは不思議です。

 第1楽章は冒頭の主題提示から真情がこもり、思わず耳を奪われます。木管の弾むような合いの手にも、卓抜なリズム感を反映。勢いで流さず、見事に解釈されたアーティキュレーションで、瞬間瞬間を優美に演出してゆきます。アゴーギクがまた見事で、加速はもとより減速の呼吸も音楽的センスが満点。オケの音色がまた魅力的で、暖かみのある有機的な響きはチェコ・フィルのそれとも共通します。

 第2楽章も、艶やかな音色で嫋々と紡がれる歌が素敵。それが聴き手の耳に素直に入ってくるのは、ひとえに指揮者の確かな統率力、設計力ゆえです。フレーズは全てが自然に聴こえるほど完璧に解釈され、引き締まった造形感覚で流れを弛緩させません。しかも各部のニュアンスには、しみじみとした情感と滋味豊かな味わいがある。こんな演奏はなかなか聴けるものではないです。ホルンのユニゾンの後、減速、減音してゆく弦楽群の素晴らしさといったら!

 第3楽章は遅めのテンポで、弦による主題提示が作品の本質を衝く解釈。ああ、そういう音楽だったのかと、思わずはっとさせられます。木管群の合いの手も、理想的なフィーリングで造形。中間部の性格の掴み方、特に優美なワルツの中に不安感がよぎり、緊張度が高まる様子の巧妙極まりない表出力には舌を巻きます。そして、さりげない経過部の最中に生かされる、鋭いアクセントの効果。

 第4楽章は序奏部から主部へ、決して勢いで突入せず、ある種の重みを加えながら表現しているのがユニーク。トゥッティから弦のフーガに入った所で減速するのではなく、むしろわずかに加速して緊張度を高めているのも巧みな手法という他ありません。楽章全体のフレージングは決然とした口調で統一され、アンサンブルの密度が緩む瞬間は皆無。コーダに向かってのテンポの詰め方、煽り方も惚れ惚れするほどで、こんな凄い指揮者がなぜ高く評価されないのか、不思議でなりません。

“録音とオケのソノリティがややハスキーながら、指揮者の美点で演奏充実”

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 バーデン・バーデン南西ドイツ放送交響楽団

(録音:2002年  レーベル:アレグリア

 ブロムシュテットのチャイコフスキーは珍しく、交響曲も他には録音していないようです。同じオケをデヴィッド・ジンマンが指揮した第2交響曲とのカップリング。このドイツのレーベルは南西ドイツ放送の音源なのか、他にもサロネンなどのユニークなディスクが出ていますが、録音データが全く記載されておらず、何も分かりません。2015年にメンブランというレーベルのチャイコフスキー10枚組ボックスに収録され、2002年録音と表記が出ました。

 演奏はブロムシュテットらしい、細部まで配慮を行き届かせながらも、ふくよかな響きとたっぷりしたフレージングで仕上げた恰幅の良いものですが、オケは幾分ハスキーなサウンドで、ピッチも甘く、必ずしも一流とは行きません。高音域もどことなく冴えず、くぐもった響きにブラームスでも聞いている気分になりますが、リズム感の良さとアーティキュレーションの克明な処理には指揮者のセンスが表れています。

 第1楽章はリズムも弾んで溌剌としていますが、第2主題のフレージングは横に流さず、感傷に陥らない理知的な面もあり。アゴーギクがとりわけ見事で、微妙な加速でテンポを引き締めて緊張度を維持する場面も多いです。真ん中の二つの楽章も冴えた感覚でモダンに描写して好演ですが、冬の曇天を吹き飛ばすかのように輝かしい第4楽章が痛快。シャープなブラスの響きを筆頭に、鮮やかなサウンドと速めのテンポで一気呵成にラストまで突き進んでゆきます。

“この時点ではまだ先鋭に走らず、むしろ保守的なエラス=カサド”

パブロ・エラス=カサド指揮 セント・ルークス管弦楽団

(録音:2014/15年  レーベル:ハルモニア・ムンディ)

 エラス=カサドが第4代首席指揮者を務めた同管との恐らく唯一のレコーディングで、《テンペスト》とカップリング。彼は後にN響の定期に登場した時もこの曲を取り上げましたが、あの誰が振っても腰の重いN響が、見違えたようにフットワークの軽い機敏な演奏をしていて、それだけでもこの人は凄まじい才能の持ち主だと感じました。

 当盤は、N響を振った時ほどHIPへ特化しておらず、むしろ伝統的なスタイルが意外。編成が小さいために響きが透明で、合奏に機動力はありますが、フレーズをたっぷりと歌わせていて、響きの柔かさ、しなやかさも目立ちます。後の彼ほどエッジを強調していないのは、古楽系指揮者に師事してきた自分の出自を踏まえ、敢えて多様性をという事なのでしょうか。HIPに多い、烈しいアタックで短く減衰する発音ではなく、基本的に優美なフレージングです。

 第1楽章はややくすんだ音色で、抑制を効かせて知的に構成。若々しい躍動感が突出する事もなく、さりとて室内オケの美質を無視する訳でもありません。その意味でウェル・バランスな表現と言えますが、数年後の彼ならもっと吹っ切れた、シャープな造形に猛進したのではないかと、少々残念でもあります。第2楽章も、非凡と言えるほどの新鮮さは乏しいですが、主題提示の木管群の繊細な扱い方は聴き所。続く弦も艶やかに歌う一方、ホルンの吹奏はややくすんだ音色で、豊麗さに不足します。

 第3楽章も中庸のテンポ先鋭的な方向へは行かず、むしろ保守的。各声部がよく磨かれ、アンサンブルが精緻に組み立てられている点に、耳の良さを窺わせます。コーダでティンパニの連打に乗って歌う弦の主題を、非常に弱く歌わせるのは独特。第4楽章も勢いで疾走せず、細部の彫琢を優先。さすがにリズム処理はシャープですが、聴いた感じはいわゆるHIPではありません。個人的には、N響との演奏の方が遥かに個性的で面白かったと思います。

“慈しむように丹念な手仕事に溢れた、近年屈指のチャイコフスキー解釈”

セミヨン・ビシュコフ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団  

(録音:2019年  レーベル:デッカ)

 マンフレッドや管弦楽曲、3曲のピアノ協奏曲も含めた全集録音から。ビシュコフはかつてコンセルトヘボウ管と《悲愴》、ベルリン・フィルと弦楽セレナード及び《くるみ割り人形》全曲、パリ管と《エフゲニー・オネーギン》全曲をフィリップスに録音しています。残響を豊富に取り込みながら、直接音を鮮明に捉えた録音が素晴らしく、デッカの録音技術の健在ぶりに脱帽。

 第1楽章はスロー・テンポで、全てのフレーズを慈しむかのように、優しく丁寧に歌い上げて秀逸。アーティキュレーションは徹底的に描き込まれ、あらゆる音符が磨き上げられたこの演奏は、絶美のデリカシーで曲の装いを一変させてしまった趣です。勢いで押すストロング・スタイルが多い中、異色ながらあまりにも美しい名演。オケも緻密を極めた合奏と表現力で、ビシュコフ入魂の棒に応えています。こういうのが正に、真情のこもった音楽表現というもの。

 第2楽章はしっとりと潤った音で、嫋々たる歌を丹念に紡いでゆく素敵な表現。当盤を聴くと、多くの演奏がいかに惰性と習慣で、漫然と音を垂れ流しているかがよく分かります。一音一音の克明な処理はそれ自体、あくまでも職人芸なのでしょうが、結果その筆致で表現された世界は、詩とファンタジーの飛翔そのもの。ふっくらとした響きながら、輪郭が明瞭に隈取られたホルンのユニゾンも見事です。

 第3楽章もゆったりとしたテンポと間合いで、ディティールを深く掘り下げた演奏。鋭利なエッジには欠けますが、格調の高さが前に出た感じもあります。まろやかなソノリティで統一感を出しながらも、鮮やかな色彩と透明度、及び立体感を確保したサウンドも魅力的。カラフルなオーケストレーションの効果を、マスの響きに埋没させてしまう事がありません。

 第4楽章は悠々たる大きな構えで、それでいて厳めしさがなく柔軟。やはり遅めのテンポで、ダイナミクスを細かく付け、細部の表情を入念に描写していくスタイルは変わりません。恰幅の良い造形ではあっても、歯切れが良く、弾力のあるリズム感で、重々しくならないのは美点。力みこそないものの、雄渾な力感を充分に表出しているのも素晴らしいです。コーダにおけるピッコロの鋭い音色も効果満点。

“精度の高い合奏で細部を入念に彫琢しつつ、旋律をたっぷりと歌わせる”

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団

(録音:2021年  レーベル:アルファ・クラシックス)

 管弦楽曲作品もカップリングした全集録音から。同オケによるチャイコフスキーの交響曲全集はこれが初で、19年から21年にかけて長いスパンで録音されています。P・ヤルヴィによるチャイコフスキー録音は、シンシナティ響との《悲愴》《ロメオとジュリエット》もあり。音響効果の良いホールらしいですが、アナログな温もりや柔らかさがある一方、やや響きのこもりや飽和もある印象。直接音はクリアですが、いわゆる鮮烈な印象のサウンドではありません。

 第1楽章はスロー・テンポで開始。ただしスコアの起伏に合わせてテンポはかなり変動し、トゥッティ部ではむしろ速めのテンポに達します。細部を入念に彫琢する趣で、フレーズの隈取りやアクセント、デュナーミクの強調など、アーティキュレーションは相当に鋭敏。旋律を艶っぽく、たっぷりと歌わせる割には、不思議と感傷性が感じられないのもこの全集の特色です。張りのあるティンパニを軸にした、力感漲る雄渾な強奏も好印象。

 第2楽章も、各パートが濃密な表情を付けて切々と旋律を歌いますが、情に溺れる所はなく、一歩引いた客観的視点の存在を感じさせます。デュナーミクも、それだけ取ってみればロマンティックそのもの。第3楽章も落ち着いたテンポで、細部までシャープに造形。コーダ前のティンパニなど、粒立ちの良さと音色センスが印象的です。

 第4楽章は悠々たる構えで序奏部を構成しつつも、猛烈な加速で主部に突入。ヴィルトオーゾ風のスピード感溢れるフィナーレを演出します。アーティキュレーションが明瞭に描き分けられているので、語調がはっきりしていてダイナミック。音楽が、常に緊張感を持ってタイトに引き締められています。非常な勢いのある熱演で、コーダも迫力満点。

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