シューベルト/交響曲第8番《未完成》

概観

 昔からベートーヴェンの《運命》と並ぶポピュラーな交響曲として、ビギナーによく薦められていた作品だが、私は「どうしてこんなとっつきにくい曲が」と疑問に思っていた。今でこそ大好きな曲だが、振り返って考えても、やはり子供には難しい作品である。シューベルト特有のそこはかとない孤独、内に秘めたさりげない哀しみは、苦みばしった大人にこそしっくりくるものだろう。

 演奏する側にとっても構成が難しい(だって未完だし)ようで、フルトヴェングラーはこの曲を振る前は落ち着かず、ソワソワと歩き回っていたそう。美しい旋律も満載だが、そのほとんどがはかない弱音の中で展開するのも面白い所。最近は第7番とされる事もあるが、当サイトでは昔ながらの第8番で。

 あまり話題に上らないのに物凄い名演だと思うのが、クリュイタンス盤とハイティンク盤。他ではケルテス盤、ガーディナー盤、C・デイヴィス/ドレスデン盤が素晴らしい演奏でお薦めしたい。

*紹介ディスク一覧

55年 ミュンシュ/ボストン交響楽団  

59年 サヴァリッシュ/ウィーン交響楽団  

60年 マゼール/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

60年 クリュイタンス/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

63年 ケルテス/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

63年 ケンペ/バンベルク交響楽団  

63年 モントゥー/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団  

67年 サヴァリッシュ/シュターツカペレ・ドレスデン  

68年 小澤征爾/シカゴ交響楽団  

75年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 

78年 ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン  

78年 ジュリーニ/シカゴ交響楽団

78年 クライバー/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

82年 C・デイヴィス/ボストン交響楽団   

84年 バレンボイム/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

84年 アーノンクール/ウィーン交響楽団

87年 ガーディナー/リヨン歌劇場管弦楽団   

90年 ムーティ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

92年 シノーポリ/シュターツカペレ・ドレスデン

92年 アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

95年 ジュリーニ/バイエルン放送交響楽団

96年 デイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデン

01年 マゼール/バイエルン放送交響楽団  

03年 ヤンソンス/ピッツバーグ交響楽団

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“意外にもしみじみとした情緒を表出するミュンシュ。オケの技術と音質は難あり”

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

(録音:1955年  レーベル:RCA)

 ベートーヴェンの《運命》とカップリング。RCAは小澤盤もこのカップリングで出していますが、LPとしては長尺で音質に難があっただろうと推測されます。当コンビのステレオ最初期の録音で、鮮明で分離も良く、残響も適度ながら、ティンパニを伴うトゥッティは歪みと混濁がやや目立ちます。当コンビのシューベルト録音は、第2番(2種類)と第9番もあり。

 第1楽章冒頭は低弦の音圧が高いのがこのコンビらしいですが、主部はゆったりと構え、細かくテンポを動かしながら自由に歌う印象。予期していたほど剛毅でも無骨でもなく、しなやかなラインを描き出していて、むしろリリカルな性格です。展開部も力みがなく端麗ですが、ぐっとテンポを落として深々と脱力してゆくコーダは印象的。

 第2楽章は、オケの音色美も手伝って滑らかな歌に溢れますが、強音部では管楽器のピッチの甘さが気になります。しかし、全篇にしみじみとした情緒が漂うこの表現にはロマン的な魅力があり、H.I.P.が視野に入らない時代の良さを感じるのも事実。その辺りはベートーヴェンやモーツァルトと、少し事情が違うという事でしょうか。

“触るだけで切れるほど鋭い筆致、嵐のような感情表現。ふくよかな味わいは不足”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ウィーン交響楽団

(録音:1959年  レーベル:フィリップス)

 当コンビは9番も録音している他、サヴァリッシュはこの6年後にシュターツカペレ・ドレスデンとシューベルトのほぼ全ての交響曲を録音しています。私が聴いたのはデッカから出た、サヴァリッシュのフィリップス録音を集成した25枚組ボックスですが、やや高音域に強調感があり、すこぶる爽快で繊細なサウンド。低音が不足する訳ではないですが、中音域のふくらみはもう少し欲しいです。

 第1楽章は速めのテンポで動感が強く、トゥッティも音圧が高くて激しいアタックを多用。第1主題から興奮体質でテンションの高い性格なのはユニークですが、第2主題の柔和な表情とはきっちり対比を付けています。金管が入るとやや荒れるものの、各パートの艶やかな音色美は生かされる印象。リズムはよく弾みますが、切っ先がすこぶる鋭利で、ロマン派よりむしろ現代音楽のそれを想起させます。さらにテンポを煽って疾走する展開部はまるで嵐のようで、コーダも緩急の振幅が大きく、感情的な表現。

 第2楽章は逆に遅めのテンポで、ゆったりとした佇まいにほっとします。強奏部も広がりを感じさせますが、中低音にもう少しふくよかさがあれば味わいが増したかもしれません。第2主題はピアニッシモの繊細さを維持しつつも木管ソロは朗々と歌い、トゥッティではみずみずしい弦のカンタービレがくっきりと浮かび上がります。

“この時期のマゼールとしては力みがなく、流麗な棒でオケの美質を生かす”

ロリン・マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1959年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 第2番から8番までの選集録音から。マゼールは後年バイエルン放送響と全集ライヴ録音を発表している他、同曲にはウィーン・フィルとの来日公演ライヴも存在します。鮮明な音像ですが、残響を豊富に取り入れていて聴き易いサウンド。マゼールの初期録音群に顕著な、刺々しい角の立つ感じはさほどありません。

 第1楽章は速めのテンポで流動性が強い一方、この時期のマゼールにしては極端なメリハリに走らず、むしろ力みを抑えて淡白に流してゆく雰囲気。強弱のコントラストもあまり大きく付けず、旋律線を流麗に歌わせています。リズムはよく弾みますが、エッジを効かせる傾向はあまり無し。展開部も推進力と動感が強く、若々しい熱情がストレートに示されるのが好印象です。オケもしなやかなカンタービレで好演。コーダの溜めにやや強調感がある所は、後年のマゼールを思わせます。

 第2楽章も弦楽セクションの柔らかな歌が素晴らしく、指揮もゆったりとした佇まいで、肩の力を抜いてオケの美質を生かす傾向。第2主題の伴奏を解像度の高い合奏で構築しているのはマゼールらしいですが、木管のソロはみな伸びやかで美しく、楽想の対比も無理なく自然に表されています。

“すこぶる魅力的なシューベルト解釈が展開する、隠れた超名盤”

アンドレ・クリュイタンス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1960年  レーベル:EMIクラシックス)

 当コンビはベートーヴェンの交響曲全集やリストの前奏曲も録音しています。ベートーヴェンはやや硬質で、高音域の華やかなラテン的なサウンドでしたが、当盤はむしろ柔らかい感触で、潤いのある豊麗な響き。演奏も絶品で、超一級の名盤だと思います。

 第1楽章は悠々たるテンポを採りながら、明るい音色で風通しの良さが爽快。山場に持ってゆくアゴーギクも、全く見事という他ありません。第2主題の呼び込み方も間合いが素晴らしく、たおやかな情感に溢れます。遅めのテンポで丁寧にフレーズを追い、じっくりと表情を掘り下げる濃密な語り口で、展開部の感興の高まりもドラマティック。

 第2楽章もスロー・テンポで叙情性豊か。みずみずしい響きでリリカルに歌い上げた、すこぶる魅力的なシューベルトです。第2主題の強奏部はあまり大きくコントラストを付けず、柔らかなアタックで優しい感触。間合いがたっぷりしている事もあってスケールは大きく、巨匠風の佇まいもあります。オケも上手く、オーボエやクラリネットなど、木管ソロの味わい深さは格別。

“躍動的な第1楽章と、音を引きずる第2楽章の巧妙な対比。流麗な歌心も”

イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1963年  レーベル:デッカ)

 全集録音の一枚。同曲と《ザ・グレイト》は録音が一番古く、後の曲が70年、71年にまとめて録音されているのが残念ですが、やや硬質ながら歪みも少ないし、鮮度が高く艶もあってダイナミック・レンジも広いので、デッカの録音チームの優秀さに頭が下がります。

 演奏は、2つの楽章を見事に対比させた素晴らしいもの。第1楽章は、ほとんど聴こえないくらいのピアニッシモから、パンチの強いティンパニがアクセントを効かせた押し出しの強い全強奏まで、ダイナミクスの幅が非常に大きく取られています。主部は躍動的でテンションが高く、金管も力強く咆哮しますが、横の線が流麗に流れ、響きの風通しが良いのは美点です。

 一方第2楽章は、音の出だしを意識的に遅らせ、アーティキュレーションと力点に重さを加えた表現。やはりオケの艶やかな音色と、ケルテスらしい流れるような歌心に魅せられます。

“みずみずしい響き、よく弾むリズム。流麗爽快な異色のシューベルト解釈”

ルドルフ・ケンペ指揮 バンベルク交響楽団 

(録音:1963年  レーベル:オイロディスク)

 当コンビがオイロディスクに残した数少ない音源の一つ。ケンペのシューベルトは、ミュンヘン・フィルとの《ザ・グレイト》も名盤として知られますが、当盤もみずみずしいサウンドが横溢する爽やかな演奏。高音偏重気味の、いわゆるドンシャリ感の強い音質で、トランペットの高域が目立つソノリティはシューベルトとしても異色です。

 弦が明るい響きでよく歌い、第1楽章の付点リズムをはじめ弾むような調子もあるので、全体的に明朗で爽快な演奏となっています。アクセントも強く、強弱の対比は鮮烈ですが、フレージングは極めて流麗で、ゴツゴツした無骨な造型にはなっていません。重厚で寂寥感の漂うタイプとは対極に位置する、どこまでも颯爽とした演奏。

“勢い良く熱っぽい第1楽章と、叙情的な第2楽章を、見事に対比”

ピエール・モントゥー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1963年  レーベル:フィリップス)

 当コンビの正規スタジオ録音は、他に前年録音のエロイカしかなく、カップリング曲なしで発売されたもののようです。同時期にはロンドン響との録音が多いですが、非常に鮮明な音質で、できればもっとコンセルトヘボウ管を起用していてくれたらと残念に思います。

 第1楽章は、テンポの速さが随一。アレグロの指示通りのスピード感で、まなじりを決して凛々しく突進してゆくような勢いがあります。第2主題でテンポが落ちる他は、ほぼイン・テンポ。展開部も前へ前へ突き進むような迫力があり、聴き手は固唾を飲んで聴き入るしかありません。スタッカートも切れ味が鋭く、付点音符のリズムもかなり短く切っています。オケのソノリティは美しく、弦のみずみずしいカンタービレも胸のすくよう。

 逆に第2楽章は遅めで、様式の対比が明確。クラリネットをはじめ木管ソロの美しい音色と歌い回しや、弦のハーモニーに漂う叙情の豊かさはさすがモントゥー。強奏部のアタックも第1楽章とは違って柔らかく処理していて、曲の性格に寄り添った丁寧な表現が採られています。弦楽合奏のフレージングも優雅で、滋味豊かな歌が溢れます。少し上げたテンポを、ゆったりとした主部に戻す呼吸も見事。

“旧盤より落ち着いて角が取れ、オケの美質を存分に生かした再録音盤”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1967年  レーベル:フィリップス)

 選集録音から。サヴァリッシュは同曲と9番を、やはりフィリップスにウィーン響と録音しています。この選集はまずオケの響きが素晴らしく、くっきりとした輪郭ながら、古雅な美音をうまく収録しています。みずみずしい高音域のおかげで響きが重くならず、ティンパニの粒立ちが良いのも好印象。

 第1楽章は、旧盤と較べるとずっと落ち着いた演奏。テンポもゆったりしているし、表情も角が取れて余裕が感じられます。もっともアタックはパンチが効いているし、フォルテには力感が漲り、造形的にも精悍に引き締まった印象。展開部など、ソリッドなブラスの吹奏が凄絶です。ただ、オケが各フレーズを魅力たっぷりに歌い上げるので、旧盤のように即物的な傾向には陥りません。

 第2楽章は遅いテンポで悠々と展開。主題提示後の強奏部では若干テンポを速めますが、音量の減少と共に速度も緩めて元に戻します。間合いや溜めの感覚など、壮年期ながら巨匠風の味わいを表現している辺りは、指揮者の度量でしょうか。第2主題のエネルギー感と、熱っぽい感情の乗せ方も素晴らしいです。やはり各パートのパフォーマンスが素晴らしく、オケの自発性はよく生かされている印象。

“若さに似合わぬ熟達した表現を随所に聴かせつつ、フレッシュな魅力も同居”

小澤征爾指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1968年  レーベル:RCA)

 ベートーヴェンの《運命》とカップリング。小澤はシューベルトに消極的な指揮者で、これ以外には後年サイトウ・キネンと第8、9番を録音しているだけです。シカゴ・オーケストラ・ホールでの収録で、もう少し響きの透明度や柔軟性、奥行きが欲しい所ですが、直接音は鮮明で、オケの出力の大きさもよく伝えています。

 第1楽章は、落ち着いた出だしから木管の旋律のニュアンスが素晴らしく、デュナーミクやテンポの運びにも成熟したセンスを聴かせるのに驚かされます。ただ、音色や歌い口のフレッシュなみずみずしさ、よく弾むリズムは魅力的で、そこは若さのメリット。ルバートも巧みに盛り込み、展開部へ向かう際の、何とも凄味のある粘りの効いた盛り上げ方などは、若手指揮者の域を越えた表現です。再現部のフルートの表情は比類なき美しさ。ぐっとテンポを落として、しなやかにうねるエンディングの解釈は個性的です。

 第2楽章は、流れの良いテンポで爽快。トゥッティのソノリティにさらなる透明感があればいいのですが、内声(特に木管)はやや濁る印象です。ソロがみな好演で、自発的に歌う雄弁な表情が耳を惹きます。強奏部でのパッションの発露も好ましく、爽やかな弦楽セクションの音色や、たっぷりと情感を膨らませるカンタービレも素晴らしい聴き所。

“柔らかなタッチで優美に描く、胸に沁み入るような切ないシューベルト”

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1975年  レーベル:フィリップス)

 第5番とカップリング。当コンビは第9番、《ロザムンデ》も録音していますが、ハイティンクのシューベルト録音は非常に少なく、これら以外にはないようです。しかし当盤を聴く限り彼はシューベルトに最適な資質を持った指揮者と言え、これぞ隠れた名盤として推したい一枚。

 第1楽章は、ほとんど聴こえないくらいの最弱音で開始。ゆったりしたテンポで優美な造形ですが、強弱の落差は大きく取っています。付点リズムのモティーフを弦が引き継ぐ箇所は、スタッカートをかなり短く切って、きっぱりとしたイントネーション。分厚くなりすぎない、ふわっとした響きはこのオケ特有のものです。展開部もタッチが柔らかく、何ともいえない優しさと温もりを感じさせる表現。アクセントの打ち込み方に無理がなく、フレーズの連結が流麗なのがハイティンク流です。

 第2楽章も、自然体の棒でふっくらと起伏を作りながら、ほのぼのと暖かい叙情を漂わせる演奏。わけてもトゥッティの柔らかな鳴らし方は絶妙という他ありません。オケの音彩も美しく、深々とした奥行きとコクのある響きや、ソロの典雅なパフォーマンスなど、全編が聴き所です。第2主題とのメリハリをあまり付けず、全体の流れの中でそっと色合いを変える感じはたまらなく切なく、胸に沁み入ります。響きの透明度が高く、内声の動きを克明に彫琢しているのはさすが。そしてもはや絶美という他ない、コーダの音世界!

“厳めしさや威圧感を排し、自然のままに熱い感情を乗せて歌う”

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1978年  レーベル:ドイツ・シャルプラッテン)

 全集録音から。プロジェクトはこの第3、8番からスタートして、81年録音の第9、2番で締めくくられています。同レーベルの録音に共通するサウンド傾向で、粒立ちの良いティンパニを軸に、明瞭な直接音とどっしりとした低音を土台にしたピラミッド型の音響バランス。ルカ教会の豊かな残響も取り込んだ好録音です。

 第1楽章はみずみずしい響きと流麗なタッチで、重さや厳めしさがないのが好感触。美しい音色で伸びやかに歌う表現はすこぶる魅力的ですが、肩に力が入る箇所は全くなく、自然のままに熱い感情を乗せてゆく手法は斬新でもあります。展開部の力強さも充分で、起伏の作り方も巧み。オケの自発性もよく生かされています。整然とまとまったアンサンブルは一体感が強く、この団体の室内楽的な性質がよく表れている印象。

 第2楽章も平易な語り口で親しみやすく、それでいて造形的な明晰さやきっぱりとした語調も持ち合わせた演奏。オケの柔和な響きを生かしつつも筆致は明瞭で、ロマン的情緒で輪郭がぼやける事はありません。フォルテの響きも色彩的で透明度が高く、レイヤー各層をはっきりと聴かせる傾向。情感は豊かで、第2主題の悲劇性も逃さず捉えられています。

重厚な性格ながら明晰な造形美と流麗さも兼ね備えた、ジュリーニ円熟期の名演

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1978年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 当コンビのシューベルトは、この他に《ザ・グレイト》と第4交響曲の録音あり。ジュリーニが目立って遅いテンポを志向しはじめた頃の演奏ですが、緊張感は持続されていて音楽が弛緩せず、特に遅すぎる印象は受けません。第1楽章もリズムに弾みがあり、躍動感が阻害される事はないし、骨太でシンフォニックな響き、気力の漲ったフォルテの迫力に圧倒されます。

 第2楽章は磨き上げられた光沢を放つサウンドが見事。第1主題がリタルダンドで失速してゆく表現に独特の哀感がありますが、中身の詰まった有機的な響きは、気宇の大きさと剛毅な力感を表します。オケも、金管のソリッドな内声が目立つものの、この団体としては柔和な、深い響きを保持しています。重厚な性格ですが、どこかラテン的な明晰さと造形美を保っているのはジュリーニならでは。流麗に歌う旋律線と心のこもった丁寧な仕上げも美しい名盤です。

颯爽たるテンポと千変万化する表情。ユニーク極まりないシューベルト

カルロス・クライバー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 第3交響曲とのカップリングで、クライバー唯一のシューベルト録音。ウィーン・フィルの艶やかな響きにも耳を奪われますが、やはり聴きものは全編に渡って徹底されたクライバリズム。他の誰でもない、正にクライバー印のシューベルトです。

 テンポが颯爽と速いのも特徴ですが、ダイナミクスとそれに直結したテンポが実に巧妙に(そして恐らく直感的に)設計されているのに驚きます。アクセントは鋭く、音の立ち上がりはスピーディで、弦の刻みが克明に処理されるため、音楽が常に生き生きと躍動。

 第1楽章など、提示部最後のアクセントがまるで弾丸のようです。造形は明快そのもの。どんどん加速してゆくような嵐のごとき展開部にも圧倒されます。第2楽章も表情こそ落ち着いてきますが、相当に速いテンポを採択。時に仕上げが粗く感じられるクライバーの録音の中では、時間を掛けて丁寧に作られた印象を受けるディスクです。

“克明を極めたディティールと構えの大きさ。どこまでもデイヴィス流を徹底”

コリン・デイヴィス指揮 ボストン交響楽団

(録音:1982年  レーベル:フィリップス)

 9番に続く当コンビのシューベルト録音で、カップリングは《ロザムンデ》の4曲。デイヴィスはシュターツカペレ・ドレスデンと全集録音もしています。当コンビのディスクは意外に少なく、協奏曲の伴奏を除けば他にシベリウスの交響曲全集と管弦楽曲集、ドビュッシーの《海》《夜想曲》、メンデルスゾーンの《イタリア》《真夏の夜の夢》、チャイコフスキーの《1812年》《ロメオとジュリエット》があるのみ。ボストン響は時に角が立ち過ぎる傾向もありますが、当盤は各パートがよくブレンドしてマイルドなソノリティです。

 第1楽章は句読点が明確で、ディティールまで克明に彫琢したアーティキュレーションと、画然たるリズムの刻みに抑制の効いた歌が乗るという、完全にデイヴィス流のスタイル。落ち着いたテンポ感、スタッカートの鋭さ、直截な熱情の表出、ティンパニを伴うトゥッティを打ち込む際のタイミングなど、どこをとってもこの指揮者らしい個性が出た演奏です。

 第2楽章はさらに悠々たるテンポを採り、構えの大きな佇まいにただならぬ風格を感じさせます。トゥッティをスケール大きく、たっぷりと鳴らす手腕は冴え渡り、堂々たる間合いが見事。フレーズも息が長く、ふくらみを持たせていますが、情に溺れる所は一切ありません。何よりも、第1楽章との性格的対比をこれほど強く打ち出した演奏は稀少です。

スケールの大きな表現ながら、感興の豊かさが不足がち

ダニエル・バレンボイム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:ソニー・クラシカル

 幻想交響曲と共に当コンビのレコーディングの口火を切ったディスクで、第2番とカップリング。ベルリン・フィルも、この時期からCBSレーベルに頻繁に登場しはじめました。ライナーノーツでは宇野功芳が「フルトヴェングラーの演奏を最新デジタル録音で聴く趣き」と書いていますが、私はフルトヴェングラーの録音を聴いた事がないので、その点はよく分かりません。

 テンポは遅めで、悠々と歩むスケールの大きさはありますが、感興豊かというタイプではないように思います。カラヤン時代は華麗なサウンドで知られたベルリン・フィルを率いながら、敢えて艶消ししたような渋い響きを作っている所には好感が持てます。第2楽章のトゥッティも、堂々としていながら柔らかく深い響きで、なかなかの演奏ではありますが、個人的には何度聴いても強い印象を受けないディスクです。

激しいアクセントと押し殺す弱音部。アーノンクール・ショック炸裂!

ニコラウス・アーノンクール指揮 ウィーン交響楽団

(録音:194年  レーベル:テルデック

 コンセルトヘボウ管との全集に先立つアーノンクール初のシューベルト録音で、カップリングは《ロザムンデ》の序曲とバレエ音楽第1、第2番。ウィーン響はかつて彼がチェリストとして在籍したオケですが、当コンビの録音はハイドンのオラトリオなど数点があるのみで意外に希少。ムジークフェラインザールでの収録で、柔らかなタッチもない訳ではないですが、指揮者の語調も反映してオケの響きにはやや刺々しさも感じられます。

 両楽章共に噛んで含めるようなスロー・テンポを採り、強弱を激しく対比させた表現。特に第1楽章トゥッティのひときわ鋭いフォルツァンドは耳を刺します。鑑賞時の音量調整は難しいものですが、当盤は強音部に基準を合わせると他がほぼ聴こえません。弱音部がそれほど弱く演奏されているという事でしょうが、フレージングの息が短く、朗々と旋律を歌い上げる場面が皆無という点でも、特に異彩を放つ一枚。

“爽快無比! 若々しい情熱と開放感溢れる、ガーディナー快心の録音”

ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 リヨン歌劇場管弦楽団

(録音:1987年  レーベル:エラート)

 9番とカップリング。当コンビの録音は案外少なく、他にベルリオーズの歌曲集と《ファウストの劫罰》、ビゼーの作品集、グルックの歌劇があるくらい。オケのソノリティにさらなる洗練を望みたいが、実に表情豊かでダイナミックな演奏で、同じ古楽出身でもガチガチに骨張ったアーノンクールとは対照的。無闇にピリオド・スタイルを持ち込む事もなく、モダン・オケの良さを生かして新鮮な感覚でスコアを再構築。

 第1楽章は、軽快なテンポで若々しい情熱に溢れた快演。敏感なリズム、金管の刺激的なアクセントやストレートな力感は古楽系アーティストらしいが、流麗な造形感覚やしなやかなフレージングを盛り込む柔軟性もある。テンポはよく動き、楽想の変化に細かく対応。アゴーギクは優美とさえ感じられ、自然な開放感や感情の発露が爽快。

 第2楽章も流れがスムーズで、旋律線が艶やかに歌われる。特に展開部の和声感や音の流れは美しく、爽やかな叙情性が魅力的。全体にアクティヴでテンションが高く、この曲としてはやや変化に富みすぎるが、私はこういうシューベルトも高く買いたい。基本的には小品の作曲家であった、シューベルトらしさが良く出た演奏。

巨匠然とした佇まいと鋭い現代性が共存する不思議な演奏。録音は不満

リッカルド・ムーティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1990年  レーベル:EMIクラシックス

 全集録音から。ムーティは同レーベルに多くの録音を行っているが、ウィーン・フィルとはモーツァルトのオペラ・シリーズとハイドンの《十字架上のキリスト》しかない様子。音質が悪い訳ではないが、他のレーベルに較べると、ウィーン・フィルらしい音の厚みや柔らかさが充分に捉えられていない点は残念。

 ムーティは明晰なフォルムやリズム感に現代的な感覚を聴かせる一方、前時代の巨匠然とした佇まいもあるのが不思議。第1楽章は、主部の付点リズムをくどいほど強調して、造型への厳しい意志を感じさせる。展開部も克明に処理しつつ烈しい感情を込めるが、コーダでは深々と叙情を吐露。第2楽章も情感たっぷりで格調が高く、柔らかな手触りもある。イン・テンポ気味で淡々とした調子ながら、タッチが流麗なのはこの指揮者らしい。

濃厚な表情と畳み掛ける様なトゥッティ。シノーポリが描くドラマティックな未完成

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1992年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 第9番とのカップリング。シノーポリはフィルハーモニア管とも同曲を録音している。ドレスデンの一連の録音はどれも、指揮者のやや神経質なタッチを、オケの落ち着いた響きが美しく緩和していて魅力的。

 金管の内声が荒々しく突出して全くブレンドしないソノリティ、勢い良く駆け上がる弦の上昇音型は、正にシノーポリ以外の何者でもない。特に第1楽章は鮮明なコントラストを用い、力学的にも起伏の大きい、ドラマティックな設計を意図。大きな溜めを作ったり、クレッシェンドを強調したり、表情付けの濃厚な展開部も圧巻で、両楽章共に、トゥッティ部の熱く畳み掛けるような表現も心を揺さぶる。

オケの響きは美しいものの、鋭いアクセントとノン・ビブラートが健在の再録音

ニコラウス・アーノンクール指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1992年  レーベル:ワーナー・クラシックス

 交響曲全集の一枚で、当曲だけがライヴ録音。アーノンクールは過去にウィーン響と同曲をレコーディングしています。さすがにコンセルトヘボウの響きは美しく、旧盤よりは遥かに聴きやすい演奏になっていますが、トゥッティで強調されるトランペットの鋭いアクセントや、ピリオド楽器を思わせる弦のノン・ヴィブラート奏法は健在。

 第1楽章を中心にテンポが若干速くなっていて、重厚でものものしい趣だった旧盤とは対照的に、軽妙で躍動感溢れる表現です。特に付点リズムはよく弾んで、独特の軽快なグルーヴ感がありますが、弱音主体のアプローチは旧盤を踏襲。相変わらず旋律は、実に儚い歌いっぷりです。まあこれもシューベルトらしいといえば、シューベルトらしいですが。

ひたすら美の世界を追求してゆくジュリーニ晩年のライヴ録音

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:1995年  レーベル:ソニー・クラシカル

 ジュリーニ最晩年のライヴ録音。過去にあまり共演ディスクのなかったバイエルン放送響との組み合わせで、当コンビの録音は当盤カップリングの第4番《悲劇的》と《ザ・グレイト》、ミサ曲第6番の他、バッハのロ短調ミサ曲もあります。この内、交響曲3曲はシカゴ響との旧盤あり。

 旧盤よりもテンポはさらに遅くなっていますが、ジュリーニの演奏がしばしばそうであるように、聴感上は極端に遅いという印象を受けないのに驚きます。細部を克明に処理するがために、自然と遅くなる感じでしょうか。カップリングの第4番はあまりの遅さと重さに付いてゆけないというか、作品様式との間に大きな齟齬を感じさせますが、こちらは曲がジュリーニのスタイルを許容するのか、さほど違和感は覚えません。

 解釈は旧盤を継承、深化した雰囲気ですが、オケが陰影に富んで魅力的。第1楽章だと、ホルンの壮烈な響きを伴うトゥッティが素晴らしいです。提示部の後半がどんどん遅くなってゆくのももの悲しく、はかなげなムードが作品に合っています。粘りの強いヴァイオリン群を先頭に、流麗なラインを描きながらゆっくり入ってゆく展開部も独特。より寂寥の度合いを増し、黄昏の哀愁が漂うコーダも凄いです。

 第2楽章も大河のように悠々と流れ、スケールの大きな表現。しかし、やはり悲しみの影を感じるのは気のせいでしょうか。表情が抑制されているので派手な色彩はないものの、ひたすら美の世界を追求してゆく穏やかな演奏です。オーボエを筆頭に木管ソロが絶品で、弦も柔らかく艶やかなカンタービレで聴き手を魅了。このコンビの録音はもっと聴きたかったので、あまり残されなかったのは残念です。

正確無比なリズムと粘らないフレーズに、深い叙情の味わいを滲ませる至芸

コリン・デイヴィス指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1996年  レーベル:RCA

 交響曲全集の一枚で、第1、3番とカップリング。デイヴィスはボストン響と同曲を録音しています。サー・コリンの演奏が絶対にロマンティックに聴こえないのはなぜか、ずっと疑問に思っていたのですが、その理由の一つが何となく分かりました。彼は常に正確無比なインナー・ビートを胸の内に刻んでいて、あらゆるフレーズをそこから絶対にはみ出さないように配置しているのです。だから旋律が全く粘らない。

 それと、遅めのイン・テンポで刻まれるリズムが実に安定していて、なおかつ無類に歯切れが良いので、いかにも折り目正しい英国紳士の佇まいに感じられる訳です。そうは言っても感情的に無味乾燥ではなく、第1楽章コーダの格調高い表現や第2楽章提示部のしみじみとした叙情の味わいなどは、そこいらの若手に到底出せない風情。ロマンの名を悪用した曖昧な表現を拒絶し、全てを明快かつシンフォニックに構成しつつ、豊かな感興を盛り込む所がデイヴィスの妙味。深く柔らかい、オケの芳醇な響きも特筆もの。

“小編成、コンパクト会場による、マゼールには珍しい等身大のシューベルト”

ロリン・マゼール指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:2001年  レーベル:BRクラシック)

 ライヴによる全集録音の1枚。マゼールのシューベルト録音は珍しく、キャリア初期のベルリン・フィルとのシリーズと、ウィーン・フィルとの同曲来日ライヴ盤があるだけです。この全集は、編成を小さくしてコンパクトな会場で演奏されているそうですが、これもマゼールには珍しいアプローチ。正に異例づくめの全集で、これまで積極的に演奏してこなかった事も含め、マゼールのシューベルト観を端的に表していると言えそうです。

 演奏は速めのイン・テンポを採択し、柔らかなタッチと身軽なフットワークを持ち味としたもの。強弱やアゴーギクに極端なメリハリを付けず、むしろモーツァルト寄りの表現を指向しています。見通しの良い、マイルドな響きで対位法の立体感も生かされ、旋律線の流れも実にスムーズ。オケの上手さは際立っていて、木管ソロなど、ちょっとしたフレーズにも豊かな味わいが盛られます。重厚長大なシューベルト演奏へのアンチテーゼというか、元来は小品作家だったこの作曲家の等身大を意識した演奏。

旋律をたっぷり歌わせ、アーティキュレーションにこだわった表情豊かな演奏。録音は不備

マリス・ヤンソンス指揮 ピッツバーグ交響楽団

(録音:2003年  レーベル:ピッツバーグ交響楽団

 楽団自主レーベルによる、ヤンソンス・イヤーズという3枚組セットの音源。ヤンソンスが音楽監督を務めた期間のライヴ音源を集めたセットですが、どういう訳か全曲丸ごと収録されているのは、同曲以外にチャイコフスキーの第4番とベートーヴェンの8番、ラヴェルのラ・ヴァルスのみです。録音が不満で、低域は軽く奥行きは浅く、残響は極めてデッドで、時にモノラル時代の録音を思わせます。

 ヤンソンスの指揮は旋律を豊かに歌わせたもので、トゥッティでも弦が瑞々しく歌っているのが印象的。アーティキュレーションにも細かいこだわりが徹底され、特に第1楽章で効果が発揮されています。軽快なリズムも爽やかな風を吹き込んでいて、シューベルトらしいかどうかはともかく、親しみやすい性格で好感が持てます。ただ、オケの響きには洗練とコクを望みたい所。

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