チャイコフスキー/幻想序曲《ロメオとジュリエット》

概観

 チャイコフスキーは他にもシェイクスピア物を書いているが、この曲はダントツで人気。幻想序曲というあまり一般的ではない呼び名を付けているが、演奏会用序曲の類いという事だろう。序曲といっても20分前後もあるが、実際にコンサートの最初に演奏される事も多い。

 レコードでも交響曲の余白などにカップリングされ、かなりのディスクが出ている。お薦めはメータ盤、アバド/ボストン盤、ストコフスキー盤、シャイー盤、ビシュコフ盤、P・ヤルヴィ/チューリッヒ盤。

*紹介ディスク一覧

56年 ミュンシュ/ボストン交響楽団  

59年 ドラティ/ロンドン交響楽団    

61年 ミュンシュ/ボストン交響楽団  

64年 モントゥー/北ドイツ放送交響楽団  

65年 朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団  

65年 マゼール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  

68年 ストコフスキー/スイス・ロマンド管弦楽団

69年 メータ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック 

71年 アバド/ボストン交響楽団   

72年 小澤征爾/サンフランシスコ交響楽団  

74年 ドラティ/ワシントン・ナショナル交響楽団

77年 ムーティ/フィルハーモニア管弦楽団  

79年 C・デイヴィス/ボストン交響楽団  

79年 デ・ワールト/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

81年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団 

82年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

84年 シャイー/クリーヴランド管弦楽団

86年 プレヴィン/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

88年 マータ/ダラス交響楽団 

88年 アバド/シカゴ交響楽団  

88年 ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団  

89年 シノーポリ/フィルハーモニア管弦楽団

89年 ジンマン/ボルティモア交響楽団    

90年 小泉和裕/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

95年 バレンボイム/シカゴ交響楽団

96年 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

96年 デローグ/プラハ交響楽団   

97年 ゲルギエフ/キーロフ歌劇場管弦楽団  

00年 西本智実/日本フィルハーモニー交響楽団

04年 ゲルギエフ/ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団  

07年 P・ヤルヴィ/シンシナティ交響楽団  

09年 ネルソンス/バーミンガム市交響楽団   

14年 T・トーマス/サンフランシスコ交響楽団  

15年 ビシュコフ/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団  

21年 P・ヤルヴィ/チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団  

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“急速なテンポで熱っぽくシャープ。音質、音色で魅力に乏しい一面も”

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

(録音:1956年  レーベル:RCA)

 《フランチェスカ・ダ・リミニ》とカップリング。当コンビは同じ曲をわずか5年後に再録音していますが、カップリングは変わっています。ステレオ最初期の録音だけあり、ややざらついて聴こえる傾向はありますが、音自体は鮮明で、残響も適度に収録されているので、思ったほど古臭くはありません。

 演奏時間は当盤の方が約2分近く短く、おそろしく速いテンポで疾走。それだけに味わいには乏しく、ヴィルトオーゾ風の合奏で聴かせるという以外に、特筆すべき点は無いように感じます。熱っぽい勢いはミュンシュらしく、随所で短く音を止めるシンバルもユニーク。リズムの歯切れの良さは、全編で効果を挙げています。

“緊密な合奏力でスリリングに聴かせる、テンションの高い演奏”

アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1959年  レーベル:マーキュリー)

 当コンビは後期3大交響曲や《フランチェスカ・ダ・リミニ》も録音。ドラティは後年、ワシントン・ナショナル響と同曲を再録音しています。

 冒頭のコラールで音を短く切るのは、後年の録音にも通じる解釈。アレグロ部も歯切れが良く、整然たる合奏を軽快に繰り広げますが、ニュアンスは多彩です。さすがに表現力ではワシントンのオケの比ではなく、。ヴィルトオーゾ風のアンサンブルもスリリング。愛の場面もあまりテンポを落とさず、扇情的なルバートも用いませんが、音圧が高く、テンションの高い表現です。終盤では正確で解像度の高い合奏が絶大な効果を上げて、迫力満点。

“オケの音色も録音条件も向上。格段に音響的魅力がアップした再録音盤”

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

(録音:1961年  レーベル:RCA)

 同コンビ5年後の再録音で、《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯》とカップリング。録音もオケの音色も見違えるように改善され、金管の抜けの良さ、ティンパニの質感、弦の光沢、ダイナミックレンジと音域の広さ、スケール感など、全ての音響条件において再録音のアドヴァンテージを感じます。

 演奏はやや落ち着き、尺が旧盤より2分近く延びていますが、それでも一般的なテンポよりは速い方。特にアレグロ部でこのコンビらしいタイトな合奏と鋭いリズムが生かされますが、愛の場面でテンポがぐっと落ち、美しい音色でゆったり歌っているのが旧盤との大きな違いです。後半の追い上げも迫力があり、音の情報量が増えた分、凄絶なパフォーマンスが現前。明快そのもののアーティキュレーションも、指揮者の才覚と経験を示します。

“濃厚でドラマティックな造形ながら、フランス流の華やかさがユニーク”

ピエール・モントゥー指揮 北ドイツ放送交響楽団

(録音:1964年  レーベル:コンサートホール)

 《はげ山の一夜》《スペイン奇想曲》をカップリングしたロシア名曲集より。私が聴いたのは交響曲第5番とカップリングされたタワーレコード復刻のリマスター盤で、音質はまあ良好です。モントゥーはボストン響との一連の録音やロンドン響とのバレエ音楽もあり、チャイコフスキーは得意にしていました。

 旋律線で粘らず、シャープなリズムで軽快に描いた演奏。とにかくタッチが軽く、音色もドイツ的というよりはフランス流に華やかなのがモントゥーらしい所。序奏部は山場に向けてかなり加速するなど、ドラマティックな語り口も聴かれますし、愛の主題も意外と濃厚に歌いますが、それでいて情緒過多にはならないのがセンスの良さという事でしょうか。弦のカンタービレもみずみずしく、音色が美麗。ティンパニのアクセントも効いており、腰の強さも充分です。

“ローカル・オケの気概と情熱に溢れた、東京公演のライヴ音源”

朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団

(録音:1965年  レーベル:KOJIMA RECORDINGS)  *モノラル

 東京文化会館での、第4回東京定期演奏会(そんなものがあったとは!)から。大フィル創立50周年記念CDに収録されたライヴ音源集で、カップリングはスイス、チューリッヒでの大栗裕/大阪俗謡による幻想曲、ジュネーヴでの《ローマの噴水》、フェニーチェ歌劇場でのブラームス/ハンガリー舞曲第1番、ニューヨークでの《ローマの謝肉祭》序曲、大阪ザ・シンフォニーホールでのグラナドス/歌劇《ゴイェスカス》間奏曲(この曲のみ外山雄三指揮、朝比奈隆編曲)。

 海外ライヴの音源がメインの上、レスピーギやベルリオーズなど、朝比奈隆には珍しい作品が並んでいるアルバムですが、同曲も珍しい録音。強音部では響きがやや飽和しますが、直接音は鮮明。残響こそ豊かではないものの、奥行き感もさほど浅く感じられませんし、打楽器の低音は腰が強く、高音域も抜けがよく爽快です。

 冒頭の管楽器のハーモニーなど、ピッチやバランスに若干不安はあるものの、意外に整って一体感のある合奏。この指揮者には珍しく速めのテンポで全体をきりりと引き締めた上、随所に効果的なルバートを盛り込んでドラマティックな語り口を聴かせます。むしろ聴かせ上手で、いわゆる無骨な演奏ではありません。オケも集中力が高い熱演で、当時の関西ローカル・オケの気概を感じさせる勢いと前傾姿勢が好ましいです。艶っぽくロマンティックな歌心も横溢。

“速めのテンポできりりと引き締めた辛口の表現。マゼールらしいデフォルメもあり”

ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  

(録音:1965年  レーベル:デッカ)

 マンフレッド交響曲を含むチャイコフスキーの全シンフォニーを録音している当コンビの、幾つかある管弦楽録音の一つ。クリーヴランド管との再録音盤にも共通する、速めのテンポとこれ以上ないほど明瞭なデッサンで造形した辛口の演奏です。左右チャンネルの極端な定位などマルチ・ミックス的な所はありますが、録音もすこぶるクリア。

 特にトゥッティ部の、小回りが利いて歯切れの良い表現や、ティンパニの強打などアクの強いデフォルメは若きマゼールの面目躍如たる所。シャープなリズム処理と一点の曖昧さも残さないアーティキュレーション描写も彼ならではです。オケの豊麗なソノリティは十二分に生かされ、弦楽セクションを中心に艶やかで開放的なカンタービレも爽快。ウィーン・フィルによる同曲ディスクもあまり多くはなく、もしかするとカラヤンとクーベリックの古い録音があるきりかもしれません。

“全く自由なスタイルながら、作品内在のドラマを見事に抽出”

レオポルド・ストコフスキー指揮 スイス・ロマンド管弦楽団

(録音:1968年  レーベル:デッカ)

 異端の巨匠ストコフスキーが、正統派の巨匠エルネスト・アンセルメのオーケストラを振った、珍しい録音。当コンビはムソルグスキーの歌劇《ボリス・ゴドゥノフ》からの管弦楽曲も録音しており、そちらがオリジナルのカップリングと思われます。

 ストコフスキー流の、楽譜を恣意的に解釈した奇抜な演奏。冒頭のコラールからデュナーミク、アゴーギク共、やたらと起伏に富んでいます。オーケストレーションも勝手にいじったりして、全く自由な演奏スタイルには違いありませんが、凡庸な演奏に比べれば、作品に内在するドラマを遥かに巧妙に掴んでいると言えます。主部に入る前、ティンパニの強打が悲劇の予感を伝える所は異様な熱気に満ち、思わず息を呑みます。

 合奏には傷もありますが、全体的に生き生きしていますし、愛のテーマも極めてロマンティック。クライマックスのティンパニの一撃には銅鑼まで加えられ、続く葬送行進曲でも大胆なカットを敢行。トゥッティで大きく盛り上がるコーダは何とバッサリ切ってしまい、静かに消えてゆく独自のエンディングに度肝を抜かれます。ただ、ここはオリジナルの方もチャイコフスキーの悪い面が出た大仰な音楽で、個人的にはストコフスキーのアレンジを支持する気持ちもないわけではありません。

“ドラマティックな語り口で雄弁な熱演を繰り広げる若きメータ”

ズービン・メータ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1969年  レーベル:デッカ)

 大序曲《1812年》とカップリング。当コンビのチャイコフスキーは交響曲全集もある他、小品集でスラヴ行進曲も録音していますが、メータという人は基本的に、チャイコフスキー作品は一度きりしか録音しません。それでいて名演揃いなのは面白い所。

 序奏部は速めのテンポで、淡々とした佇まいながら、明朗で艶やかな響きが美麗。アレグロ部はきびきびとしたテンポと造形で推進力が強く、劇的な緊張感に溢れます。一方で細かなダイナミクス描写とアゴーギクの操作が巧みで、語り口も冴え渡っている印象。アーティキュレーションがよく練られ、リズムも切れ味が良くシャープ。オケは緊密なアンサンブルで一体感が強く、熱っぽい勢いがあって手に汗握るような迫力です。愛の主題は、ポルタメントを盛り込んだ情熱的で濃厚な歌い回しがさすが。

“シンフォニックで清潔な表現ながら、若々しい活力が吉と出た快演”

クラウディオ・アバド指揮 ボストン交響楽団

(録音:1971年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビの数少ないレコーディングの一つで、スクリャービンの《法悦の詩》をカップリング。当コンビのディスクは他に、ラヴェルの《ダフニスとクロエ》第2組曲と亡き王女のためのパヴァーヌ、ドビュッシーの《夜想曲》をカップリングしたアルバムがあるだけだと思います。

 若い頃のアバドの良さが出たダイナミックな演奏で、序奏部から弦のラインを繊細に彫琢。ドラマティックな演出力にも事欠きませんし、アレグロ部の鋭利なエッジと切れの良さも若々しく、迫力がありますが、感情的に粘り気がなく、旋律線に甘ったるい感傷が乗らないのはアバドらしい所です。起承転結も見事に構成され、整然としたアンサンブルを展開。あくまでシンフォニックというか、清潔な演奏ですが、シカゴ響との再録音盤にはない、爽やかな躍動感とストレートな熱情の表出が魅力。

“指揮者の早熟な才能を感じさせる一方、オケの機能と音色に不満あり”

小澤征爾指揮 サンフランシスコ交響楽団

(録音:1972年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 プロコフィエフ、ベルリオーズの同名曲抜粋と組み合わせた、当コンビのDG初録音。チャイコフスキーを得意にしている指揮者ですが、この曲に関してはこれが唯一のディスクだと思います。この時期はまだデイヴィス・コンサートホールでの収録ではなく、奥行き感と低音域が浅いのは残念。残響もややデッドですが、高音域はさっぱりとして抜けが良いし、直接音は鮮明です。

 序奏部から明るくしなやかな響きがこのコンビらしい所。てきぱきと音楽を運ぶ主部は、録音のせいでやや物足りないものの、若々しい活力が感じられます。愛の場面も含め、感情的に耽溺するような所は全くなく、清潔な表現。テンポや強弱にもあまり落差がなく、終始淡々と進行しますが、タイトな合奏で緊迫感を高めてゆく後半のクライマックスには、若き指揮者の才気が示されます。ティンパニの強打も鮮烈で、弦の艶やかなカンタービレにも早熟なセンスが窺われます。

 オケは技術面がやや不安定で、和声のピッチが甘かったり、ロングトーンが妙に途切れる箇所も散見されます。指揮者の成熟という点でも、オケのチョイスの点でも、後年に再録音して欲しかった曲目と言えるでしょう。

“各部をイン・テンポで通した異色のアプローチ”

アンタル・ドラティ指揮 ワシントン・ナショナル交響楽団

(録音:1974年  レーベル:デッカ)

 ドラティは、三流のオーケストラを徹底的に鍛え上げ、レコーディング契約を取ってきて財政的な再建を図る手腕でも有名な指揮者だった。このワシントンDCのオケも、彼が手がけた数多くの団体の例に漏れず、誠に優秀なアンサンブルをきかせる。当コンビは同曲を含め、フランチェスカ・ダ・リミニ、運命、地方長官、ハムレット、テンペストを録音。音質は鮮明だが、もう少し奥行き感や潤いがあればデトロイト響との優秀録音に匹敵したかもしれない。

 ドラティは冒頭のコラールから音を一つ一つ明瞭に区切り、速いテンポで主情を排した表現を採るが、意外にもオケがニュアンス豊かに対応していて、音色も美しいので、無味乾燥には陥らない。ただ、チャイコフスキー特有のウェットな部分は完全に排除され、後期ロマン派的な幻想性はどこかへ吹っ飛んでいった印象。

 反面、曲のプロポーションはくっきりと彫琢され、エッジの効いたアクセントの強調もあって、アレグロ部はなかなかの迫力。ラヴシーンはほぼイン・テンポで歌わせていて、フレーズの作り方にも扇情的な所が全くない。しかし、当時も今もメジャーとは言い難いワシントンのオケをこれほどのレヴェルにまで引き上げたとは、オーケストラ・ビルダーとして名を轟かせたドラティの偉大さに、改めて頭が下がる。

“ヴェルディのオペラをも思わせる熱いドラマ。熱血漢ムーティの真骨頂発揮”

リッカルド・ムーティ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1977年  レーベル:EMIクラシックス

 交響曲全集録音からの音源で、第2番とカップリング。ムーティは後年、フィラデルフィア管と同曲を再録音している。彼の劇的資質は作品にこれ以上ないほどマッチしており、まるでヴェルディのオペラでも聴いているかのような、熱くドラマティックな演奏を展開。流麗を極めた歌謡的なフレージングと、ティンパニの強靭な打音を核とする筋骨逞しいトゥッティの響きもこのコンビの録音らしい。

 テンポは比較的自由で、アレグロ・ジュスト突入直前の数小節を突然倍くらいの速さにとるなど、ストコフスキーもびっくりの解釈あり。その後も急速なテンポで激しいパッションを迸らせるが、構成は見事に設計されていて、ティンパニが爆発するクライマックス、優美なラストに至るまで、息も付かせぬドラマを展開する。

“細部の克明な処理を積み上げてゆく、非ロマン的でシンフォニックな演奏”

コリン・デイヴィス指揮 ボストン交響楽団

(録音:1979年  レーベル:フィリップス)

 カップリングの《1812年》が大砲、鐘、合唱をフル動員したケレン味たっぷりの録音で、当時は鳴り物入りで宣伝されたディスク。当コンビのディスクは意外に少なく、協奏曲の伴奏を除けば他にシベリウスの交響曲全集と管弦楽曲集、ドビュッシーの《海》《夜想曲》、メンデルスゾーンの《イタリア》《真夏の夜の夢》、シューベルトの《未完成》《グレイト》《ロザムンデ》があるのみ。

 デイヴィスのアプローチは、彼が得意とするアーティキュレーションの克明な処理を入念に行なうという正攻法。もともとチャイコフスキーはあまり録音せず、交響曲のディスクなど一枚もないくらいだが、当盤を聴くと、彼がこの作曲家の情緒的な側面に同調しない人である事がよく分かる。切れの良いリズムとシンフォニックな動機処理で音楽を作る一方、そこにドラマ性を与えようという意識は希薄。ロマンティックな歌心はほとんど感じられない。

 オケは金管が活躍する場面で時に響きが粗くなる事があるが、当盤ではそれが前面に出て幾分刺々しく、アンサンブルも雑に聴こえる。デイヴィスにしては派手なサウンドに向かうのもその印象を強めるが、これはカップリング作品とのバランスをとったためか、それともこれが彼のチャイコフスキー観なのだろうか。

“豊かな歌心とフレッシュな棒さばき、録音にやや不満”

エド・デ・ワールト指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1979年  レーベル:フィリップス)

 《フランチェスカ・ダ・リミニ》とカップリング。何と言ってもオーケストラの素晴らしさに尽きます。当コンビの録音はそれほど多くないですが、やはり彼はオランダ人ですし、かつてこのオケでオーボエ奏者をしていましたから、相性は抜群と言えるでしょう。

 彼の楽譜の読みの深さと設計の巧さが如実に反映された演奏。序奏部をかなり遅いテンポで開始し、悲劇の前兆が現れる所では、弦に決然とした調子を与えて、徐々に力を溜めてゆきます。そうして強奏部で情熱を解放するわけですが、ダイナミックな中にも木管の響きなどがちゃんと聴き取れるよう配慮されていて、威圧感こそありませんが、充分な力感をもってクライマックスを形成します。

 リズムにも生気が漲り、歯切れの良い、フレッシュな棒さばきは大変印象的。旋律もロマンティックな情感を込めてたっぷりと歌わせていますが、フレージングに癖がないのでどろどろした情念とは無縁、常に清潔感を保っています。コーダの充実した響きはとりわけ見事ですが、強音部で歪みがちな録音が、演奏の迫力を十分に伝え切っていないのが残念。

“八分くらいの音量に抑え、きびきびと音楽を運ぶマゼール。やや整然としすぎた感も”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団  

(録音:1981年  レーベル:テラーク)

 《くるみ割り人形》組曲とカップリング。マゼールは同曲を、ウィーン・フィルと英デッカに録音しています。演奏は、同時期にCBSに録音している後期三大シンフォニーと同様のアプローチで、オケの優れた合奏力を生かし、きびきびとしたテンポと歯切れの良い音処理で一貫したもの。音量を抑え、全体を八分くらいのパワーにセーヴしておきながら、要所にティンパニのアクセントを打ち込んでスパイスを効かせている点も共通です。

 全体があまりに整然と表現されるので、感情的に淡白すぎて物足りなく感じる部分もなくはないですが、これほどの演奏はなかなか出来るものではありません。クリアネスと柔らかさを両立させたテラークの録音も優秀ですが、同オケの演奏では熱いパッションの迸るシャイーの名盤があるので、どうしてもそちらに軍配が上がるように思います。

“スロー・テンポで峻厳かつ耽美的に造形。録音には不満あり”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《くるみ割り人形》組曲とカップリング。両曲共にカラヤン4度目の録音という事で、古くはウィーン・フィルとのデッカ録音からあります。デジタル初期にありがちですが、バスドラムの強打など低域がやや浅い帯域バランスで、響き全体もアナログ時代より薄く感じられるのが残念。ブラスの強奏を伴うトゥッティなどは、このオケ特有のエネルギー感を伝えます。

 カラヤンらしく、峻厳で彫りの深い造形と耽美的な表現が際立つ演奏。どの箇所もテンポが遅いので、全体の演奏時間も22分を越えていますが、特に弱音部は、ひそやかなピアニッシモが支配するはかない音世界。アレグロ部も、エッジを立たせるより流麗なラインを優先させた印象で、そこに硬質な打楽器のアクセントが打ち込まれる辺りは、当コンビのトレードマークと言えるスタイルです。

 愛の場面も音量を開放しすぎず、抑制されたダイナミクスの中で綿々と息の長い歌を紡いでゆく所、正にカラヤン印。若々しい情熱を爆発させる演奏ではありませんが、悠々と迫り来るような感情の高まり方にも、それなりの説得力があります。オケが上手いのはメリットで、終始充実した響きと有機的な合奏を聴かせます。

“劇的緊張感とオペラティックな歌に溢れた熱演”

リッカルド・シャイー指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:デッカ)

 《フランチェスカ・ダ・リミニ》とカップリング。この時期に共演が多かった当コンビは他にストラヴィンスキーの《春の祭典》《4つのノルウェーの情緒》、プロコフィエフの《アレクサンドル・ネフスキー》、ガーシュウィン・アルバムを録音しています。

 ヴィブラートをふんだんに効かせた冒頭の木管からして、オペラティックと言えるほど各楽器がよく歌う演奏。静と動のコントラストが明確で劇的緊張感に溢れ、艶々とした美音を聴かせる辺りは、若きシャイーの真骨頂と言えるでしょう。アレグロ部では、性急なテンポが尋常ならざる熱気を生み出し、弦楽セクションが切っ先を揃えてざくざく切り込んでくる様は、凄まじいものがあります。

 一方、愛の場面では歌謡的なアゴーギクを使った甘美なカンタービレで、リスナーを陶酔の境地へ。隅々まで精緻にコントロールするオーケストラ・ドライヴも見事ですが、ラストの葬送行進曲にまで歌を溢れさせるシャイーの美学は技あり。思わず唸らされます。

“優美で安定した甘口の演奏、切実さは完全に欠如”

アンドレ・プレヴィン指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1986年  レーベル:フィリップス)

 プレヴィンのロス・フィル音楽監督就任後、初のディスクとして注目を集めたスラヴ系名曲集から。フィリップスのロスアンジェルス録音も、確かこれが初めてだったと記憶します。フィリップスは、典型的なヨーロッパ風のサウンド・ポリシーで知られるオランダのレーベルですが、ここでもそのノウハウを生かし、しっとりと落ち着いた美しいサウンド・メイキングを行っています。

 演奏はプレヴィンらしく、テンポも表情も終始安定したもので、旋律もたっぷり歌わせていますが、ある種の切実さが決定的に欠如しているのはいかんともしがたい所。要は、背景にあるドラマや悲劇製への共感、それに伴うパッションのほとばしりが全く聴かれないという事でしょう。彼は基本的に、作品の感情的側面にのめりこまない人だと思います。

 フレージングは優美で、愛の場面におけるホルンのオブリガートなど、表情が大変豊か。良く言えばムード音楽的な親しみやすさを獲得しているのでしょうが、例えば、中庸タイプと目され易いエド・デ・ワールトやアンドルー・デイヴィスなどと較べると、音楽的内容の深さに格段の差があるように思われます。こういう演奏がビギナーに向いているとは、私には思えません。

“旋律線を美しく際立たせ、端正な造形で作品の美点をストレートに伝えるマータ”

エドゥアルド・マータ指揮 ダラス交響楽団

(録音:1988年  レーベル:プロ・アルテ)

 《1812年》《スラヴ行進曲》《戴冠行進曲》、歌劇《マゼッパ》から《コサック・ダンス》を収録したチャイコフスキー管弦楽アルバムから。当コンビのチャイコフスキー録音は他に《イタリア奇想曲》もあります。録音によっては弦のサウンドが薄く感じられるダラス響ですが、当盤にはみずみずしい弦のカンタービレがたっぷり収録されていて、メロディ・ラインを美しく際立たせたマータのアプローチにマッチしています。ただし残響音が多すぎて、細部をマスキングする傾向もあり。

 主部はソステヌートの表現を随所に盛り込み、個性的なイントネーションを箇所も多々あり。テンポは遅めですが、リズムの切れが良く、腰の重さは全くありません。最強音部でも8割くらいの力で演奏する事で、細かい強弱のニュアンスを加える所はマータの真骨頂。豊麗で柔らかなソノリティも耳に心地良く、そこへ無類に鋭利なリズムを切り込む様は痛快です。端正な造形を施しながら、部分的にルバートを用いるアゴーギクも雄弁。スポーティな運動性と雄大なスケール感の対比もユニークです。

“磨きあげたサウンドとオケの技術力で安定感示すも、感情移入は極めて困難”

クラウディオ・アバド指揮 シカゴ交響楽団  

(録音:1988年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 第4交響曲とカップリング。アバドはボストン響とグラモフォンに同曲を録音しているが、若き情熱がダイナミックに昇華された旧盤から一転、こちらはゆったりと落ち着いたテンポで余裕の表現。時に暴走するシカゴ響のブラス・セクションを敢えて抑え、横の線に留意したなめらかな音作りをしている点からしてコンセプトが異なる。ただ、彼の演奏でしばしば客観性が勝りすぎるように聴こえるのは、強弱やテンポの伸縮に無理や誇張がない為と思われる。

 磨き上げられたサウンドと見事な技術力で聴かせる演奏ではあるが、聴き手が感情移入するのは極めて困難かも。愛の主題も表情豊かに歌うものの、指揮者自身はコントロールに徹し、熱くのめり込まない。最後のクライマックスに至ってやっとテンポと表情に焦燥感が加わり、切迫した調子が音楽を盛り上げるが、時すでに遅し。旧盤のストレートな魅力には及ばない。

“旧盤の美質を継承し、オケの魅力も加味したムーティ再録音盤”

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:EMIクラシックス)

 当コンビは同曲と後期三大シンフォニーを再録音しているが、当盤はスクリャービンの交響曲第3番とカップリング。同コンビはこのシリーズで《フランチェスカ・ダ・リミニ》《ハムレット》も録音している他、《1812年》と弦楽セレナード、《白鳥の湖》《眠れる森の美女》抜粋アルバムもあり。録音会場をメモリアル・ホールに移した後の録音で、残響音も豊富。

 序奏部は抑制が効き、情感の広がりが美しい。主部に入る箇所で間合いを詰めて加速し、性急なテンポで熱っぽく盛り上げる辺りは、旧盤の解釈を踏襲しつつ力感も衰えていない。愛の場面では、余裕のある合奏と温度感のある音色がプラスに働いた印象。カンタービレのしなやかさも増し、集中力と緊張度の高さ、音圧とアタックの強靭さと、当コンビの特色が生かされる。弦や木管の自発的な表現力も豊か。

“弦中心のサウンド・バランスと思い切ったテンポ設定で悲劇を演出”

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《悲愴》とカップリング。当コンビは第5番、ヴァイオリン協奏曲(ソロはシャハム)、ロココの主題による変奏曲(ソロはマイスキー)も録音している。

 両翼配置のヴァイオリン・セクションが、左右からぶつ切れのフレーズを掛け合いにしたり、弦主体の分厚いサウンド・イメージで空間を満たしたりと、まるでストコフスキーを思わせる場面も多い、個性的な演奏。他のディスクではあまり聴こえない弦の細かい動きが、かなり鮮明に聴きとれるのも特徴。

 アレグロ・ジュストでは、部分的にアッチェレランドを掛けて切迫感を煽ったり、愛の場面で弦の不安なざわめきが常に耳に入ってくるなど、シノーポリらしい心理的解釈は随所に聴かれるが、ラスト、高弦に現れる慈愛に満ちた旋律を、おそろしく遅いテンポで、それも、まるで遥か彼方から響いてくるように演奏しているのには、思わず虚を衝かれ、胸が熱くなる。

“遅めのテンポで細部を着実に拾うものの、おっとりとしてやや微温的”

デヴィッド・ジンマン指揮 ボルティモア管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:テラーク)

 交響曲第4番とカップリング。当コンビは《フランチェスカ・ダ・リミニ》も録音していますが、ジンマンのチャイコフスキー録音自体は、非常に少ないです。録音のせいか、恰幅の良さとは裏腹にパンチ力やダイナミズムには欠ける印象。解釈としてはやや微温的というか、おっとりした性格にも感じられます。

 テンポは遅めで、あらゆる音を克明に拾うようなアプローチ。アーティキュレーションへのこだわりは随所に聴かれ、細部を丁寧に描写しています。リズム感も卓抜。オケはやや非力ですが、リッチな響きはアメリカのオケらしく、弦の旋律線など美しく、魅力的です。伴奏型にクレッシェンドの効果を盛り込むのはユニークな趣向。

“数々の美点を持ちつつも、全体に端正な印象”

小泉和裕指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1990年  レーベル:RPOレコーズ)

 小泉はロイヤル・フィルの定期公演でチャイコフスキーの第5番を振って大成功を収め、楽団の要望で後期3大交響曲とマンフレッドをレコーディングしていますが、これは《悲愴》とのカップリング。アビーロード・スタジオで収録されています。

 ロイヤル・フィルはパワフルだけど腰の重いオケという印象がありますが、ここではリズム感に定評のある小泉の指揮の下、推進力に溢れた爽快な演奏を展開。抑制を効かせながらもロマンティックな歌心を加えたカンタービレや、配慮の行き届いた細部の処理、端正な造形、ドラマティックな起伏、コーダの鮮烈な表現など、数々の美点を持つ演奏です。リズムが時々前のめりに詰まるのは、指揮者の棒とオケのフットワークの間に僅かなタイムラグが生じているという事でしょうか。

“テヌート多用により表情に立体感が不足”

ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1995年  レーベル:テルデック)

 第4番とカップリングされたライヴ盤。当コンビとしては再録音に当たります。序奏のコラールはかなり速めのイン・テンポで、レガート奏法のフレージング。アレグロ・ジュストもソステヌートが目立ちますが、シカゴ響のような、とりわけブラス・セクションがパワフルなオケでそういう表現を採ると、フレーズに表情が無くなって平面的に聴こえるのが難点です。もっとも、シカゴ響は他の人が振ってもそういう傾向があり、オケの体質なのかリズムがあまり弾みません。

 バレンボイムが志向する響きは艶やかで輝かしく、ブラームスではそれが成功していましたが、ここでは金管を中心に、無機的でうるさく聴こえるきらいがあります。アインザッツもかなり乱れ、緊張感が不足。弦が濃密な表情でうねるのはバレンボイムらしいですが、録音のせいか低域が浅く、残響がデッドなのもデメリットです。

“過去盤の特色を継承しながらも、あらゆる点で深みと自在さを増した再録音盤”

クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1996年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《テンペスト》《1812年》《スラヴ行進曲》とカップリング。ボストン響、シカゴ響に続いて3度目の再録音です。カップリング曲も全てシカゴ盤からの再録音。

 演奏はいかにもアバドらしく内面が充実し、有機的な迫力に溢れますが、オケの流麗な響きに柔らかさと潤い、陰影があり、過去盤とは趣が異なります。造形的には精悍に引き締まったボストン盤に近く、速めのテンポを採るものの、愛の場面の艶っぽいカンタービレや叙情の豊かさは格段に深まった印象。指揮者の円熟とオケのグレード・アップが相乗効果を発揮しています。音楽の身振りや呼吸感もずっと自在さを増していて好印象。

“演奏内容は素晴らしいものの、こもった録音で損をしている一枚”

ガエタノ・デローグ指揮 プラハ交響楽団

(録音:1996年  レーベル:スプラフォン)

 《冬の日の幻想》とカップリングされたライヴ盤。デローグはなぜかほとんど評価をされていない不遇の指揮者ですが、私は高く買っています。しかし、いつもは素晴らしい彼のディスクの中で、こちらはどうも音がこもって抜けが悪く、演奏の良さをヴィヴィッドに伝えていないのは残念。ライヴ収録ゆえかもしれませんが、同じレーベル、同じオケでも、仕上がりにムラがあるのは不思議です。

 演奏自体は充実しており、整然とオケを統率して明晰なフォルムをキープしながら、小気味好いリズム感できびきびと盛り上げたもの。それでいて、旋律は情感を込めてたっぷり歌わせています。響きが有機的で、柔軟性があるのはいつも通りですが、目の前に一枚カーテンがかかっているような録音のせいで、手応えが失われているのがもどかしいです。打楽器の強打やソリッドなブラスなど、ダイナミックな力感も見事。クライマックスでわずかに加速するアゴーギクも上手いです。

“切れ味抜群のリズムと流麗なカンタービレで熱っぽく造形。録音に難あり”

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 キーロフ歌劇場管弦楽団

(録音:1997年  レーベル:フィリップス)

 悲愴交響曲とのカップリングで、フィンランドでの収録。ライヴの表示はありませんが、ライヴ録音のような音質で、打楽器の強打を伴うトゥッティは音がこもり、和声感が欠如するのが難点。演奏も、アインザッツ(特に打楽器)のズレや、内声の突出(トランペットの内声がヴィブラート付きで浮かび上がったり)など仕上げの粗さが気になる部分が多々あり。ゲルギエフ自身が細部にこだわらず、ライヴっぽい一発収録を好む人なのかもしれません。

 胸のすくように歯切れの良いリズムと流麗なカンタービレで熱っぽく展開する表現は、いかにも彼らしくドラマティック。雷鳴のようなティンパニのトレモロに導かれるコーダも凄絶そのもの。私には過剰に感じられもしますが、ハイティンクのような指揮者が「感情の爆発に乏しい」として職人扱いされる傾向のある昨今の風潮では、こういう表現が歓迎されるのもうなずける話です。

“早くも指揮者の個性とオペラへの適性を明らかにした力演”

西本智実指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

(録音:2000年  レーベル:キングレコード)

 ロシアで活躍した西本智実が、ボリショイの首席指揮者就任前に発表していた国内製作のアルバムに収録。プロコフィエフの同名作品とのカップリングで、ドラマに焦点を当てたアルバムでした。日本フィルの音色にはまだまだ多くを望みたいですが、彼女がシェフを務めるロシア・ボリショイ交響楽団も粗い演奏をする事が多いので、当盤はディティールにも細心の注意が行き届いている分、好演と言えるのかもしれません。

 序奏部は、ただテンポが遅いだけでなく、何かただ事ではない緊張感をはらみ、早くもオペラティックな劇性をあらわにしています。一旦流れを断ち切るティンパニの強打も、深い意味合いを持って処理され、主部に入ると、一転して切迫したテンポで音の動きに勢いを付与。燃え上がるような激しい調子とは対照的に、愛の主題をゆっくりと丹念に追う事で大きなコントラストを付けるのは、ドラマの流れから当然と言える処置ですが、全体に、若さに似合わず個性をはっきりと刻印した力演と言えるでしょう。

“オーソドックスな造形ながら、キーロフ盤よりクオリティの高い合奏にメリット”

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2004年  レーベル:ラジオ・ネザーランド・ミュージック)

 ゲルギエフ・フェスティヴァルの4枚組ライヴ録音セットに収録。ゲルギエフにはこの7年前に、キーロフ劇場のオケとのメジャー盤もあります。長い残響を伴いますが、細部も聴き取りやすい録音。歪みは少なく、バスドラムの重低音など音域も広くカヴァーしています。

 表現はキーロフ盤より落ち着いた印象で、ロシア風に語尾を伸ばすフレージングを除けばオーソドックスな造形。愛のテーマをねっとりと雄弁に歌わせる辺りは旧盤を踏襲しています。オケの響きが充実し、甘く切ない旋律美もよく出ているので、同曲が好きな人にはアピールしそう。どの箇所もテンポが遅いのが特色ですが、歯切れの良いスタッカートはシャープな効果を挙げています。キーロフ盤は合奏が粗く、録音も冴えなかったので、単発で購入はできないものの演奏内容は当盤に軍配が上がります。

“モダンなセンスできびきびと造形しながらも、緻密に音楽を設計するパーヴォ”

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 シンシナティ交響楽団

(録音:2007年  レーベル:テラーク)

 《悲愴》とカップリング。パーヴォの数少ないチャイコフスキー録音です。序奏部は超スロー・テンポで開始し、彫りの深い造形。ロングトーンの入りを全てアクセントで強調しているのは、ユニークな解釈です。逆に賛美歌風のテーマは、ソステヌートで流れるように歌わせて明瞭に対比。主部に入る前の演出もテンポや表情の変化がドラマティックで、全体に静と動の対照を大きく付けた表現です。

 アレグロ・ジュストは非常にテンポが速く、抑制した音量と軽快なフットワークできびきびと造形した、モダンな演奏。激した調子で聴き手を圧倒する事なく、スポーティな感覚が支配的です。予想される通り、愛の場面は緻密な音響設計と柔和なフレージングで、優美に演出。後半も鋭利で小気味好いリズムで軽妙に進めつつ、ちゃんと音楽を激しく高揚させてゆく所に、設計の妙を感じさせます。

“ゆったりとした佇まいの中に、細かいアイデアを続々と投入”

アンドリス・ネルソンス指揮 バーミンガム市交響楽団

(録音:2009年  レーベル:オルフェオ)

 《悲愴》とカップリング。当コンビは後期三大交響曲を録音していて、そこに《フランチェスカ・ダ・リミニ》《ハムレット》も併録されています。ネルソンスの棒は、音量の上昇と共に加速するタイプで、スコアにない強弱なども盛り込んで、そこここに表現意欲と積極性が感じられます。ただ、音の佇まいはゆったりとしていて、全体に余裕がある音楽作り。

 厳しい緊張感などはないのですが、合奏の一体感は非常に強く、一糸乱れぬアンサンブルを高い集中力で繰り広げる様は迫力があります。アレグロ部では、トランペットのユニゾン・フレーズを大きく掴んで、強音のさなかでもひとつながりの旋律として表現するセンスは非凡。コーダの弦の旋律をはかなげに弱ってゆくように演奏している所も、オペラが得意な指揮者らしい語り口を感じます。

“柔らかさと暖かみで恰幅良く聴かせる一方、感情移入を徹底して排除”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団

(録音:2014年  レーベル:サンフランシスコ交響楽団)

 第5番とカップリングされたライヴ録音。主部からゆったりと落ち着いたテンポで。余裕をもって旋律を歌わせる表現。過度のメリハリや激烈な感情表現は、注意深く外されています。ティンパニもほとんどピアニッシモくらいの感じ。主部も冷静な調子で、リズムを精確に処理し、アンサンブルを有機的に構築、ドラマへの感情移入はしない方向です。

 アーティキュレーションは描写が徹底していて、フレーズの解釈や音価の取り方に新鮮さを感じさせる箇所も多々あり。全体に恰幅が良く、神経質な所がないのは当コンビの美点です。愛の場面ではぐっとテンポを落とし、深々とした叙情性も漂わせますが、感情に身を任せて陶酔するような身振りは全くありません。クライマックスからエンディングにかけては構成がよく練られ、設計の巧みさを感じさせます。オケは機能性としなやかさを兼ね備え、柔らかく暖かみのある響きで好演。

“鋭敏なリズムと優美なフレージングを駆使し、スリリングにカタルシスへ向かう熱演”

セミヨン・ビシュコフ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2015年  レーベル:デッカ)

 《悲愴》をカップリングされた、チャイコフスキー・プロジェクトの第1弾。ビシュコフとチェコ・フィルの顔合わせは珍しく、録音はこれが初です。ホール・トーンをたっぷり取り入れながら、細部も明瞭な録音が魅力的。オケの音彩がすこぶる美しく、豊麗かつ爽やかなサウンドが素晴らしいです。

 序奏部から表情が明快で、弦の入りをスフォルツァンドで強調しているのは、《悲愴》第1楽章の序奏部と共通の解釈です。テンポの推進力が強く、音楽が停滞しないのも美点。主部もテンポが速く、歯切れの良いシャープなリズムを駆使して、きびきびと展開。あまり重厚に造形せず、フットワークの軽さを維持している所が爽快です。

 愛の場面も、あまり濃厚にニュアンスを与えすぎず、優しいタッチで流麗に描写。再現部も、緊密な合奏が生み出す有機的な迫力に、固唾を飲んで耳を傾ける他ありません。愛のテーマの再現にも豊かな共感と熱い真情が込められ、ほとばしるパッションが胸を打つ迫真のパフォーマンス。カタルシスへと向かうクライマックスでは、手に汗握るドラマティックな表現が繰り広げられます。

“解像度の高い描写力を維持しつつ、烈しい勢いで一気呵成に疾走”

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団

(録音:2021年  レーベル:アルファ・クラシックス)

 管弦楽曲作品もカップリングした全集録音から。同オケによるチャイコフスキーの交響曲全集はこれが初で、19年から21年にかけて長いスパンで録音されています。P・ヤルヴィによるチャイコフスキー録音は、シンシナティ響との同曲と《悲愴》もあり。音響効果の良いホールらしいですが、アナログな温もりや柔らかさがある一方、やや響きのこもりや飽和もある印象。直接音はクリアですが、いわゆる鮮烈な印象のサウンドではありません。

 序奏部は速めのテンポで、流れるように進行。途中かなりテンポを煽る箇所もあって、ドラマティックな語り口です。アレグロ部もスピーディなテンポで推進力が強く、きびきびとした合奏でスリリングに展開。強弱の演出など、独自の解釈も盛り込みます。愛の場面もテンションを落とさず、熱っぽさをキープしたままたっぷりと歌い上げて魅力的。

 各部を有機的に連結し、全体を一筆書きのようにスムーズに描き切ろうとする姿勢が、そのまま演奏の勢いに繋がっています。烈しい表現が連続するアプローチは作品にふさわしい一方、解像度の高い描写力がディティールを鮮烈に照射してゆく様は圧巻。

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