ベートーヴェン/交響曲第8番

概観

 ベートーヴェンのシンフォニーの中で、7番と並んで舞踏交響曲と呼ばれる曲。小粋で、ユーモアがあり、活気に溢れていて、個人的には7番よりずっと好きです。いわゆる緩徐楽章がこの曲にはないのですが、時計の針を思わせるリズムで始まり、突如終了する第2楽章、どこかしらひなびた感じの第3楽章は、この小さな交響曲にふさわしいと思います。

 スピード感溢れる終楽章の熱狂は、決して第7番のクライマックスに劣るものではなく、よりモダンなセンスが魅力的。そのせいか、老年の巨匠よりも、現代的感性を持った指揮者に良い演奏が多い気がします。

*紹介ディスク一覧

57年 クリュイタンス/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

58年 ミュンシュ/ボストン交響楽団   

60年 モントゥー/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

62年 ケルテス/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

72年 ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団  

75年 ケンペ/バイエルン放送交響楽団 

75年 クーベリック/クリーヴランド管弦楽団

76年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

78年 ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン

78年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団  

79年 メータ/ニューヨーク・フィルハーモニック  

84年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

85年 T・トーマス/イギリス室内管弦楽団

85年 テンシュテット/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団  

87年 アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

87年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

90年 アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団

92年 ジュリーニ/ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団 

93年 サヴァリッシュ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団  

93年 C・デイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデン

99年 バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリン

 → 後半リストへ続く

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巨匠の風格と洒脱なラテン的センスが同居する不思議な音楽世界

アンドレ・クリュイタンス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1957年  レーベル:EMIクラシックス

 ベルリン・フィル初のベートーヴェン交響曲全集中の一枚で、最初期に録音されています。第1楽章のテンポがかなり遅めである事を別にすれば、均整のとれたプロポーションに造形された近代的な演奏。オケの響きにどこかラテン的な明朗さがあるのはクリュイタンスならではですが、彼としては意外に腰の座った様式感と随所に漂う風格に、ドイツ系作品への適性も垣間見えるのが興味深い所です。

 グリューネヴァルト教会で収録されたベルリン・フィルのサウンドは、豊満な肉体こそ持たぬものの誠に流麗な趣があり、硬質な芯(主にティンパニの打音)をふんわりと取り囲むような響きは独特の音世界。クリュイタンスのベートーヴェンが、どこか純ゲルマン風とは違う洒脱さとリアリスティックな感触を持っているのはこの音ゆえかもしれません。フレーズ末に余裕を持たせた結果、どんどんテンポが遅くなる第1楽章が巨匠風というか、柄の大きな表現です。

“鮮烈なメリハリには乏しいものの、当時としてはシャープで機敏な演奏”

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

(録音:1958年  レーベル:RCA)

 当コンビのベートーヴェン録音は第1、3、5〜9番と序曲集、ハイフェッツとのヴァイオリン協奏曲がありますが、第1、7番はモノラル収録です。適度に潤いと距離感があり、このコンビの録音としては聴きやすい部類。

 第1楽章は中庸のテンポで、アインザッツはところどころ怪しいですが、合奏のまとまりは全体に良好。歯切れの良い語調なので、きびきびとしたシャープな造形にも感じられます。ティンパニに張りがあるせいか、トゥッティのアタックもパンチが効いています。第2楽章は、現代的な鋭敏さには欠けますが、この時代のオケとしては凝集度の高い緊密な表現。響きがより芳醇であればと思いますが、この時代は欧州の団体でも似たようなものです。

 第3楽章も適度に推進力のあるテンポで、軽快に進行。トリオのホルン、木管の音色も心地良いです。第4楽章はスピードを追求せず、落ち着いた雰囲気。感興の豊かさはH.I.P.にない魅力で、旋律線を優美に歌わせる余裕も聴かれます。鮮烈なメリハリや刺激的なユーモアは乏しいですが、当時としては小回りの効く機敏な演奏だったのではないでしょうか。

“オケの音楽性を生かし、明快な造形感覚で音楽を躍動させるモントゥー”

ピエール・モントゥー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1960年  レーベル:デッカ

 モントゥーはデッカに多くのベートーヴェンを録音しており、その内1、3、6、8番がウィーン・フィルとの録音。まず聴いて驚くのは、オケの豊かな響きをたっぷり収録した録音が非常に美しい事です。57年録音の《英雄》、58年録音の《田園》が分解傾向の音だったのと比較すると、残響が増してブレンド重視、タッチも柔らかくなった印象です。左右の広がり感と、明るく爽快な高音域は維持。

 モントゥーの造形はすこぶる明快で、適度な緊張感で全体を引き締めつつも、終始生き生きと音楽を躍動させています。斬新ではありませんが、今の耳にも古さを感じさせないフレッシュな演奏と言えるでしょう。真ん中の2つの楽章など、幾分速めのテンポと小気味良いリズムで曲を運んでいますが、この辺り、現代の指揮者と並べても遜色のないモダンさ加減。

 特に第2楽章はかなり速く感じますが、次の楽章に入った所でその繋がりの自然さに納得させられます。第3楽章はアクセントの鋭さ、弾みの強いリズムと無類に切れの良いスタッカートが出色。終楽章の快適な運動性も聴きものですが、それでいて特別な気負いを感じさせません。指揮者の卓越した音楽性と豊かな経験、ウィーン・フィルの素晴らしいアンサンブルによって、自然に名演となった演奏。

“やや腰が重いものの、指揮者とオケ双方の美点が認められる稀少な共演記録”

イシュトヴァン・ケルテス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1962年  レーベル:オルフェオ) *モノラル

 ケルテスとベルリン・フィルの稀少な共演記録。ザルツブルグ、モーツァルテウムでのライヴで、シュヴァルツコフと共演したR・シュトラウスの《4つの最後の歌》、バルトークの《管弦楽のための協奏曲》とカップリング。モノラルながら鮮明な録音です。会場の残響は豊富ではないですが、さほど気にはなりません。ケルテスの同曲も、セッション録音が存在しないので貴重。

 第1楽章は、遅めのテンポでやや重厚。アインザッツは少々乱れますが、弦の艶やかな音色を筆頭にベルリン・フィルらしい響きが聴かれます。木管のソロもリズムが溌剌としてみな達者。全体に、軽快に足を運ぶというよりも、旋律をたっぷりと歌わせる様式感です。第2楽章も落ち着いたテンポながら情感が豊かで、フレーズの処理や寛いだムードに音楽性の高さを感じさせます。細部のニュアンスも細やか。弦の音圧の高さは、このオケらしいです。

 第3楽章も、ゆったりとしたテンポで恰幅の良い造形。トリオをはじめ各パートの好演も光りますが、ケルテスであればこそ、さらに強固なフォルムへのこだわりも聴きたい所。第4楽章も急がず慌てず、細部を克明に描写してゆく趣ですが、やや腰が重く、オケに多くを委ねすぎた印象もあります。リズムの歯切れ良さは痛快。カップリング曲のバルトークの好演を考えると、リハーサル時間の配分に偏りがあったのかもしれません。

“オケのみずみずしい響きを生かし、明るい音色で描き出すベートーヴェン”

ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団  

(録音:1972年  レーベル:EMIクラシックス

 全集録音中の一枚。中庸のテンポで音楽を運びつつ、その器の中に豊かな音楽性を盛る、ケンペならではの滋味豊かな演奏。ミュンヘン・フィルの弦はみずみずしく歌い、ソロ楽器も美しいパフォーマンスを繰り広げますが、録音会場の響きは最高とまではいかず、オケと録音のクオリティではバイエルン放送響との75年盤に軍配が上がります。しかし、同オケの響きには独自の明るさがあり、混濁したり重々しくなりすぎないのは美点。

 第2楽章でぐっとテンポを落とし、第1楽章との対比を明確に打ち出している所などは、ケンペらしい堅実な様式感がよく表れています。フィナーレなども、あまり速いテンポこそ採りませんが、歯切れの良いスタッカートを駆使して充分なスピード感を獲得。全集の中の一曲として、十二分に聴き応えのある演奏です。ケンペは、もっともっと人気が出てしかるべき指揮者だと思います。

“重厚でまろやかな響きと美しいフレージング。より魅力を増した、ライヴによる再録音盤”

ルドルフ・ケンペ指揮 バイエルン放送交響楽団   

(録音:1973年  レーベル:オルフェオ)

 ケンペ、死の前年のライヴ録音で、チャイコフスキーの5番とカップリング。ケンペとしてはミュンヘン・フィルとの全集録音もありますが、当盤はオケの響きがより重厚でまろやかで、オーボエ&フルートのユニゾンなど、木管のフレージングにも得難い味わいがあります。

 ケンペの表現自体は、テンポやデュナーミクなど、ミュンヘン盤ほぼそのまま。終楽章に至るまで、よくこなれた円熟の演奏で、リズム的な要素も金管やティンパニのアクセントでうまく際立たせてあります。バイエルン放送響は、指揮者によってはエッジの効いたシャープなサウンも出すオケですが、ケンペが振ると、やはり弦のアンサンブルをメインにした、柔らかい響きが出て来て魅力的です。

オケの機能美、生き生きと弾むリズム、熱く溢れ出る感興。同曲屈指の名演、ここに在り!

ラファエル・クーベリック指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1975年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 9つのオーケストラを振り分けた全集中の一枚。クーベリックがクリーヴランド管を振った録音は他にないようですが、軽妙なリズム感と自在なフットワークが必要なこの曲に、機能性に秀でた同オケを起用したのは、作品とオケの性格をうまく掴んだ絶妙のマッチングだと思います。とにかく、冒頭からラストへと一心不乱に走り抜ける熱っぽい演奏で、こんな素晴らしい指揮があったものかと、ひたすら感動。

 パンチの効いた冒頭の一音、続いて溢れ出す感興豊かな弦の歌からいきなり白熱している事も凄いのですが、全編に渡って展開する、胸のすくように鋭敏なスタッカート奏法と生き生き弾むリズムは、正に作品の核心を衝いた表現で、聴いているだけでこちらの体が動き出してしまうほどのグルーヴ感に満ちています。

 リズムの切れ味は、古楽系アーティストや若手指揮者も真っ青なほど鋭く、時に前衛的にすら聴こえる瞬間もある一方、クーベリックが魅力的なのは、それでいて無味乾燥とは無縁な点で、ヨーロッパの伝統を今に伝えるような、馥郁としたロマン的情緒をフレーズに染み渡らせています。一糸乱れぬアンサンブルを展開しながら、サウンドに柔らかい感触も兼ね備えるオケのパフォーマンスも極上。ここで取り上げた同曲ディスクの中では、ダントツの名盤だと思います

指揮者と作品の相性に問題ありか? ベルリン・フィルもどこか生硬な印象

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1976年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 70年代の全集録音から。この指揮者とは相性が悪い曲なのか、他の交響曲と較べると少々生気に乏しい印象で、アンサンブルにも乱れが散見されます。やはり同曲は、ベートーヴェンの交響曲の中でも特に現代的な鋭敏さとユーモア・センスを問われる作品なのでしょう。

 オケの響きにも今一つ立ち上がりの速さとクリアネスが欲しい所。ハイテンポで駆け抜ける終楽章は作品の核心にかなり迫っているように思われますが、他の楽章では、例えばウィーン・フィルやシュターツカペレ・ドレスデンによる、ソロ奏者が円熟の妙技で競演するような演奏と較べると、表現としてどこか生硬な印象を拭えないのも事実です。

これぞ経験と伝統。オケの至芸に圧倒される演奏。ブロムシュテットの鋭敏なセンスも美点

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1978年  レーベル:ドイツ・シャルプラッテン

 全集中の一枚。とにもかくにも、オケのパフォーマンスに圧倒される演奏。木管のカンタービレや、メヌエット中間部のホルンのフレージングなどは、これを聴いただけでもプレイヤーの経験と豊かな音楽性、そこに息づく伝統の重みを感じさせる至芸の域。ウィーン・フィルやベルリン・フィルではなく、ドレスデンこそ世界一のオーケストラという人が少なからず存在するのもうなずける話です。

 マスの響きは豊麗ですが、固いバチを使用しているティンパニの粒立ち明瞭な打音がリズムをはっきりさせ、サウンド全体がシェイプされて聴こえるのは美点。ブロムシュテットの表現は素直で堅実な性格ですが、ゆったりとしたテンポにも関わらず、音の立ち上がりやリズムに対する反応が鋭敏なので、快適な運動性と現代的センスを感じさせるのが特徴です。

“弦楽中心の室内楽的アンサンブルで、マゼール流アーティキュレーションを全面展開”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:ソニー・クラシカル

 全集録音中の一枚。残響のデッドな録音で、演奏もフレーズを伸びやかに解放するタイプではない感じ。ティンパニを抑制し、弦楽中心のアンサンブルというか、室内楽的な小じんまりした造形を行っている点で、編成の小さいT・トーマス盤と近似した響きに聴こえます。

 第1楽章は、スラーとスタッカート巧みに使ってモダンに味付けした第1主題がマゼール流。背後でリズムを刻む第2ヴァイオリンの、メカニカルな精度の高さも驚異的です。アタックは角が立っていて、チェロやコントラバスの機動力が高いため、やはり小編成オケのような音像。第2楽章はかなり速いテンポで、コーダに入ってからも僅かに加速する印象。正確なリズムとメリハリの効いた強弱で、鮮やかなコントラストを描き出します。

 第3楽章は、管とティンパニの掛け合いの所でトランペットの高音を強調した上、アウフタクトのスタッカートをやたら短く切るなど、マゼールの面目躍如たるパフォーマンス。トリオも、伴奏の弦のアルペジオ的な動きをせわしなく強調し(これもT・トーマス盤と近い表現)、絶え間ない動感を表出。

 フィナーレも、第1主題後半フレーズの特徴的な付点音符に強いアクセントとスタッカートを付けて跳躍感を出すなど、極めてスポーティな躍動感に富んだ演奏。内声部の動きの強調も、耳慣れない響きを生みます。異常な鋭さで彩られたコーダは聴き所。

“ゆったりした佇まいで鷹揚な性格ながら、合奏の緩さは明らかに問題”

ズービン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

(録音:1979年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 当コンビは78年に5番、80年に3番、83年に9番(RCA)を録音しています。残響は豊かに取り込んでいますが、響きがややざらついて、雑味が感じられるのはオケ側の問題でしょうか。補助マイクを使っていると思しきヴィヴィッドな直接音が、要所で耳に入るのはこの時代らしい録音スタイル。

 第1楽章は遅めのテンポで、鷹揚な性格。ただ合奏はフォーカスが甘く、アインザッツが崩れる箇所が目立ちます。付点音符のリズムもネジが緩く、ティンパニはタイミングが常にひと呼吸遅い感じ。旋律線はたっぷりとした呼吸で、大らかに歌わせています。コーダのソリッドな金管群はユニーク。第2楽章は、スタッカートの切れ味や強弱のコントラストに鋭さが出てきますが、峻厳な造形性には不足します。

 第3楽章は、恰幅の良いテンポとが曲想にマッチ。アタックにも張りと艶がありますが、アーティキュレーションの描き分けを徹底しようという意志の強さが感じられないため、どこかぞんざいな態度に聴こえてしまうのは彼らのベートーヴェンに共通する傾向です。第4楽章はテンポこそ遅めながら、急速な連打音にスピード感を打ち出しているのはヴィルトオーゾ・オケらしい所。しかし合奏は精度が低く、しばしば一体感の弱さを露呈する所は弱点と言えます。コーダは僅かな加速で高揚し、持ち直す印象。

“カラヤン80年代の再録音には珍しく、合奏の精度も軽快さも旧盤より遥かに向上”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤン最後の全集録音から。初にして唯一のデジタル録音ですが、響きの透明度が増して聴きやすくなった印象も受けます。合奏の精度が旧盤より上がっていて、大方のカラヤンの80年代再録音とは、逆の傾向を示した格好。旧盤はものすごく売れた全集ではありましたが、仕上げの粗さを鑑みると、もしや急ごしらえで製作されたのではないでしょうか。

 第1楽章はタイトに引き締まったテンポが好印象で、トゥッティの勢いとエネルギー感も作品にふさわしいもの。オケもニュアンス豊かな音彩で好演していて、集中力が高いです。展開部も艶やかながら澄んだ響きが美しく、緊密なアンサンブルで凝集された表現を聴かせて迫力あり。ライヴのような熱っぽさと、胸のすくように開放的なスケールの大きさがあるのも素晴らしいです。

 第2楽章は落ち着いたテンポで、本場の風格あり。合奏はよく統率され、旧盤より遥かにアインザッツが揃っている上、表情も雄弁で味わいが豊かです。第3楽章はスロー・テンポでクレッシェンドしながら、地を這うように入ってくる冒頭が個性的。続く主題提示も粘りが強く、独特の悠々たる語り口で一貫します。メヌエットの性格は微塵もありませんが、実にユニークな表現。まるでロマン派音楽のようなトリオも含め、タッチが柔らかく優美なのも逆説的で面白いです。

 第4楽章は旧盤を踏襲して平均的な様式感に回帰し、スピーディなテンポで疾走。オケの強靭な合奏力を生かし、ヴィルトオーゾ風のパフォーマンスを堂々と展開します。デジタル録音に変わったせいか、響きが透徹して軽く感じられるのもプラスに働いています。各パートにも溌剌として弾むような調子があって、ブレイクの挟み方もユーモラスなのは意外。カラヤンには珍しく、どこか小粋で楽しい演奏です。

スコアが雄弁に語りかけてくるような、情報量の多い異色の演奏。指揮者も円熟味を増す

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 イギリス室内管弦楽団

(録音:1985年  レーベル:ソニー・クラシカル

 全集録音中の一枚で、イギリス室内管を振ったものはこれが最後の録音(残る3番はセント・ルカ管弦楽団と録音)。足掛け8年もの歳月を要した全集録音とあって、さすがに指揮者の円熟が聴かれる演奏です。情感はやや淡白ですが、初期の頃と較べると内的感興の高まりは格段に増していて、オケの響きも柔らかさを加えてきた様子。

 もっとも、スコアが透けて見えるようなアプローチは変わる事がなく、オケの編成が小さいにも関わらず、音の情報量の多さに驚かされます。響きをクリアにし、あらゆる音を鮮明に浮き彫りにする行き方は、ベートーヴェン演奏としては異色ですが、スコアが雄弁に語りかけてくるようなこの演奏には教えられる事が多いのも事実。聴き慣れない伴奏形の動きも、あちこちから耳に入ってきます。

 一段階テンポを落として最弱音で演奏される、第3楽章トリオの柔らかくのどかな表現や、フィナーレ冒頭の精緻を極めた弦楽群の囁くようなやりとりも新鮮。全体に力みのない、ゆったりと落ち着いた佇まいで、ピリオド系のスピーディでアグレッシヴな表現とは根本的にベクトルが異なりますが、総じてリズム感が良く、生気に溢れて明るいのは美点です。

“意外にも温かく穏やかな性格で、滋味豊かな表現が魅力”

クラウス・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1985年  レーベル:EMIクラシックス)

 《田園》とカップリング。当コンビのベートーヴェンは他に《英雄》と序曲集がある他、テンシュテットはコンセルトヘボウ管、チョン・キョンファとヴァイオリン協奏曲も録音しています。

 第1楽章は、ゆったりとしたテンポとソフトなアタックで柔和な性格。管弦の柔らかく、艶やかな響きが印象的です。第2主題の提示も優美で、たっぷりとしたカンタービレ。リズムの角をあまり立たせないので、シャープな切れ味はありませんが、暖かみのある音色と歌が魅力。細部の表情も生き生きとしていて、感興が豊か。ピリオドやH.I.P.も全盛の中、たまにはこういうベートーヴェンが聴きたくなるという人も多いのではないでしょうか。

 第2楽章は、一転してかなり速めのテンポで軽快。隅々までニュアンスが多彩なのも美点。第3楽章は逆に超スロー・テンポで、スケール大。構えの大きな表現ですが、強引さはなく、情緒面では鷹揚なのがユニークです。ホットな共感を内に秘めている点は、テンシュテットらしい所でしょうか。

 第4楽章はまたまた快速調で、スピード感あり。しかしせかせかした所はなく、フレーズはなべてたっぷりと歌われていて、ぶつ切りにしてゆくタイプではありません。オケもみずみずしく、鮮やかな音色で好演。近年の演奏では失われがちな、滋味の豊かさと暖かな情感が随所に聴かれるのは嬉しい所です。

アバドはスコアのエディションにこだわるも、やはりオケの個性が全面に

クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1987年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 全集中の一枚。アバドは後に2度もベルリン・フィルと全集を完成している他、60年代にも同曲をウィーン・フィルと録音しています(デッカ)。彼はベートーヴェンに関しては一家言ある人で、この全集録音時にもスコアのエディションにこだわったと言っていますが、ディスクで聴く限りではむしろオケの個性が前面に出た演奏です。

 特に最初の3つの楽章はテンポ、表情ともに中庸で、弦や木管の高雅な音色とフレージングに傾聴すべき瞬間が多々あり。金管を伴うトゥッティのソリッドな響きと力感には、確かにアバドらしさが聴き取れる他、前のめりのテンポで勢い良く駆け抜けるフィナーレのスピード感は、後に彼が追求してゆく古楽風アプローチの予兆を孕んでいて、興味をそそります。

“柔らかさと爽快な躍動感、ヒューマンな暖かみを兼ね備える円熟のハイティンク”

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1987年  レーベル:フィリップス)

 全集録音中の一枚。80年代に入って格段に円熟味を増したハイティンクの同全集中でも第9と並んで一番最後に録音されているだけあって、目を見張るほどに充実した内容。特にコンセルトヘボウ管の柔らかく爽快な響きが素晴らしく、鋭角的になりがちなこの曲に豊かなアトモスフェアと暖かみを加えています。

 アンサンブルやソロのパフォーマンスも、喜びに溢れた生気に富むもので、第3楽章の牧歌的でふくよかな表現などにメリットを発揮しています。ホールトーンをたっぷり収録した録音も魅力ですが、フィナーレなどは、懸命に追求されているスタッカートの鋭い切れ味が阻害されている感も否めません。

 ハイティンクの棒は良くも悪くも安定志向でテンポも中庸ですが、第3楽章中間部の低弦のオスティナートに施された細やかな表情など、ディティールの丹念な処理が全体を生き生きと躍動させていて、スコアがフレッシュに蘇ったような感動があります。このような正攻法で作品に新鮮な魅力を付与する事は、決して容易ではないでしょう。ハイティンクのリズムに対する敏感なセンスも、うまく発揮されるタイプの作品だと思います。

“刺々しい金管、コントラストの強調と大仰な身振り。あざとさの気になる90年代のアーノンクール”

ニコラウス・アーノンクール指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

(録音:1990年  レーベル:テルデック)

 全集中の一枚。比較的残響の多い録音のおかげで、弦や木管は柔らかみもあって聴きやすいですが、金管の刺々しいサウンドが気になる演奏です。アーノンクールの表現は、強弱やアーティキュレーションのコントラストを明瞭に付け、オリジナル楽器風の奏法で挑んだアグレッシヴなもの。

 しかし発売当時はまだ珍しかったこのアプローチも既に主流の一つとなり、今の耳で聴くと少々誇張気味であざとい印象も受けます。特に、トゥッティ部における金管の派手な強調はかなりうるさくて、最後まで聴くとちょっと疲れます。リズムも鋭敏なのですが、アーノンクールの場合は切り口があまり綺麗ではないというか、ギザギザの刃物で力任せに切ったような仕上がりで、スマートさに欠けるのが特徴。身振りも大仰で演劇的、軽妙なユーモアが不足しがちです。

“温和な性格で、旋律の美しさを強調する独自のスタイル”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1992年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 9番以外全て揃った、同コンビによる交響曲選集の一枚で、2番とカップリング。音響がデッドなスカラ座の劇場で収録されていますが、ソニーのスタッフは幾分か残響音を確保して聴きやすい音質に仕上げています。左右の広がりや分離は良く、直接音も明瞭。

 第1楽章は余裕のあるテンポと音量、軽いタッチで開始。ヴァイオリン群の繊細で艶っぽい響きが特徴的です。ジュリーニはちょっとしたルバートを随所に入れ、旋律線の美しさを強調するユニークな行き方。リズムはあまり弾みませんが、パンチ力や切れ味は悪くないです。展開部も克明を極めたアンサンブルで、緻密に構成。

 第2楽章は落ち着いたテンポで、肩の力の抜けた表現。温和な性格で鋭利さはないものの、細部は丹念に描写されています。第3楽章はスロー・テンポでゆったりと造形。メヌエットとしてはやや立派に過ぎる感触もあります。粒立ちの良いティンパニは好感触。第4楽章も遅いテンポで、疾走感なし。合奏はよく揃っていて、切っ先は鋭さをキープしています。終始穏やかで白熱して盛り上がるタイプではありませんが、当選集の中ではまだ活力のある演奏に分類されます。

“余裕のある佇まいの中、ベテランの至芸を随所に盛り込む”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1993年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音中の一枚。ライヴとセッションが混在した全集で、当盤は前者。この全集は初期の作品を力強く雄渾に表現し、後の作品に向かってどんどん柔和なタッチになってゆくのが、普通と逆のユニークな解釈です。

 第1楽章は中庸のテンポで、リラックスした余裕のある佇まい。個々のアタックは鋭いし、合奏も緊密に産み立てられていますが、ライヴとセッションで音の採り方が違うせいもあるのか、初期交響曲の時ほどエッジの鋭さや音圧の高さがありません。第2主題の艶美な歌い回しも個性的で、オケの持ち味を生かした印象。ただしスタッカートは鋭く、造形はシャープに切り出されています。瞬発力、活力も十分。

 第2楽章は生き生きと表情豊かな表現で、出だしの所などオペラの幕が開いて歌手が歌い出しそうな雰囲気。随所にそういうベテランの至芸が聴けるのは、サヴァリッシュのような巨匠の演奏における一番の楽しみでもあります。デリケートな筆致にユーモラスな味わいもある、弱音部の描写も雄弁。

 第3楽章は最初の数音を重めに始めて、すぐに基本設定のテンポへ持ってゆくという、感覚的な棒さばきが名人芸。H.I.P.とまではいきませんが、軽快なタッチでさらっと描いているのも気持ちがよいです。トリオのホルンも、入りの所で一瞬テンポを落とす即興的な溜めが素敵。第4楽章は落ち着いたテンポの中で、細部を緻密に彫琢。基本音型の処理などリズム感が抜群で、かつ正確なので、スコアが狙っている効果が巧まずして自然に表される感じがあります。

“敢えて重厚な表現を追求するデイヴィス。風格漂うも軽妙さは欠如か”

コリン・デイヴィス指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1993年  レーベル:フィリップス)

 全集中の一枚。デイヴィスはBBC響とも同曲をフィリップスに録音しています。端的に言って、重厚な演奏。テンポの枠内でフレーズを作るのではなく、フレーズを最後までたっぷりと歌わせる事を重視し、それに速度を合わせてゆくので、しばしばテンポが伸縮し、ゆったりとした間合いが生まれます。

 第1楽章終結部前のフェルマータと、それに続くティンパニの一撃など、ルバートをかけてやや大袈裟に句読点を打った感じですが、マゼールなどがやると人工的になるこうした見栄も、デイヴィスだとさじ加減が絶妙で風格が漂うのは人徳でしょうか。最後の楽章までテンポが遅く、オケのサウンドも極めて重心の低いもの。流行に迎合しない大柄な表現は、重厚なベートーヴェンが当たり前だった時代を思い出させて懐かしくもあります。ただ、この曲の場合はもう少し軽快さが欲しくなるのも事実。

“古風ながら艶やかに響くシュターツカペレ・ベルリン。バレンボイムの丹念な表現も好印象”

ダニエル・バレンボイム指揮 シュターツカペレ・ベルリン

(録音:1999年  レーベル:テルデック)

 全集録音中の一枚。ベルリン・シュターツカペレの、古風ながら艶やかな響きに惹かれる演奏。ティンパニのアクセントを伴う力強いトゥッティの響き、特に金管が加わる場合の壮麗なソノリティは、古楽アンサンブルにはないオーケストラ・サウンドの醍醐味を感じさせてくれます。

 バレンボイムの表現はさりげなく、強い自己主張を持つものではないですが、例えば第2ヴァイオリンの生気に満ちた刻みなどを聴いても、彼とシュターツカペレがいかに丁寧な仕事をしているかがよく分かります。偶数楽章のテンポを速めに設定しているのも楽章間の緩急を明確に対比させる結果となっていて、特にフィナーレの、何かに突き動かされるような躍動感は印象に残ります。これで録音に、さらなる奥行き感とクリアネスがあれば言う事ないのですが。

 → 後半リストへ続く

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