シベリウス/交響詩《フィンランディア

概観

 恐らく最も有名なシベリウス作品。私はそれほどシベリウスらしい曲とは思わないですが、中間部の旋律に歌詞が付いてフィンランド第二の国歌みたいになったせいで、代表作のように言われがちです。短い曲なので交響曲の余白によくカップリングされていて、自然と色々なディスクがたまる感じ。昔はシベリウスの管弦楽曲もよく出ていたものですが、最近は大作志向が強く、そういうアルバムはあまり企画されません。

 演奏は出来にかなりムラがあり、初めて聴く人は最初の出会いでかなり印象が変わるかも。お薦めはベルグルンドの3種類の録音で、どれも完璧と言う他ない圧巻の名演。他ではアシュケナージ/フィルハーモニア盤、メータ/ニューヨーク盤、サロネン盤、レヴァイン盤、C・デイヴィス/ロンドン盤、A・デイヴィスのストックホルムとベルゲンの両盤、佐渡盤がそれぞれ作品の魅力をうまく捉えたお薦めディスクです。

*紹介ディスク一覧

58年 ストコフスキー/交響楽団

68年 シルヴェストリ指揮 ボーンマス交響楽団   

72年 オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団

72年 ベルグルンド/ボーンマス交響楽団  

76年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

76年 C・デイヴィス/ボストン交響楽団

79年 アシュケナージ/フィルハーモニア管弦楽団

81年 N・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団

82年 ベルグルンド/フィルハーモニア管弦楽団   

84年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

86年 ベルグルンド/ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団  

89年 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団  

90年 メータ/ニューヨーク・フィルハーモニック

90年 サロネン/スウェーデン放送交響楽団

91年 マゼール/ピッツバーグ交響楽団

91年 レヴァイン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

92年 アシュケナージ/ボストン交響楽団

94年 C・デイヴィス/ロンドン交響楽団   

96年 A・デイヴィス/ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団

97年 ヴァンスカ/ラハティ交響楽団  

03年 西本智実/ロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”  

03年 P・ヤルヴィ/エストニア国立交響楽団  

13年 A・デイヴィス/ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団   

15年 ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団  

15年 メータ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  

16年 佐渡裕/トーンキュンストラー管弦楽団 

●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●

“シベリウスにも炸裂、自由自在のストコフスキー節”

レオポルド・ストコフスキー指揮 交響楽団    

(録音:1958年  レーベル:EMIクラシックス)

 ただ交響楽団とのみ表示された、ストコフスキー特別組織のオケによる小品集から。冒頭からストコ節が炸裂です。フォルテピアノを多用し、フェルマータを追加し、テンポも音価も伸縮自在。彼の演奏は大抵、必要以上に軽いか重いかのどちらかですが、キャピトルに録音しているものは前者の傾向が強いように思います。

 これも、ポップと形容していいくらい軽いタッチの演奏。主部もティンパニの連打を追加したり、やりたい放題ですが、弦を補強した中間部の歌わせ方など、絶妙と感じられる瞬間もあります。自然の響きを音楽にしたシベリウスの思想とは全く相容れない表現ですが、これにはこれで別種の美しさがあると思います。

“意外に正攻法のシルヴェストリながら、オケが非力”

コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 ボーンマス交響楽団

(録音:1968年  レーベル:EMIクラシックス)

 オリジナル・カップリング不明。冒頭のファンファーレや、ティンパニのトレモロに妙な切れ目を作るのは、シルヴェストリらしい所。前者のソリッドなブラスのハーモニーは見事で、壮麗なだけでなく柔らかさも感じさせます。主部も中間部も、この指揮者としては意外に端正な造形で、テンポやフレージング、ダイナミクス共に、独自の解釈は目立たず、むしろオーソドックス。リズム感の良さ、カンタービレの美しさ、構成力の確かさに指揮者のスキルの高さを感じさせますが、オケがやや非力。

“前代未聞、合唱入りフィンランディア”

ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1972年  レーベル:RCA)

 作曲者と親交のあったオーマンディの録音は、何と合唱入りのヴァージョン。しかし聴いてみると、予想していたほど俗悪な企画とは感じられず、むしろ合唱が入る事で作品の祝典的性格がより濃厚に表れるのは興味深い所です。ストコフスキーほどではないにしても、フレージングに自由な点があり、オーケストレーションにも若干手を入れている様子。中庸の美学みたいなイメージで何かと軽く見られる指揮者ですが、お家芸のフィラデルフィア・サウンドを多少犠牲にしてでも、岩のように荒々しい音色を頻出させている所は好感が持てます。

“生き物のように有機的なリズム、自然な歌とスリリングな白熱が圧巻”

パーヴォ・ベルグルンド指揮 ボーンマス交響楽団

(録音:1972年  レーベル:EMIクラシックス)

 数枚に渡る当コンビの管弦楽曲録音から。ベルグルンドは、この10年後にフィルハーモニア管、その4年後にヘルシンキ・フィルと同曲を再録音しています。たっぷりと残響を取込み、空間の広がりを感じさせる録音は、同レーベルがロンドンの各オケと展開している音作りと少しコンセプトが異なります。

 冒頭は深々とした柔らかい響きで、遠くから響いてくるように開始されるのがユニーク。管楽器のアンサンブルが吹き終えるのと入れ替わりに、ふわっと沸き上がるように弦が入ってくるなど、パート間の受け渡し、フレーズの連結に独特の個性がある点は、後に再録音にも受け継がれます。

 主部は空間のイメージが大きな録音とも相まって、スケール雄大。しかしリズムは鋭く細部は緻密で、それらが生き物のように自発性を発揮しながら、あくまでも有機的に配置されてゆく様は圧巻です。中間部の自然な歌い回しやコーダに向かうスリリングな白熱感など、どこをとっても見事という他ない演奏。シルヴェストリ盤からわずか4年後の録音ですが、オケが見違えるほど優秀な合奏を聴かせていて驚きます。

“汚い響きとルーズな合奏を、何となくの名人芸で無理矢理まとめる”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1976年  レーベル:EMIクラシックス)

 《トゥオネラの白鳥》《タピオラ》《伝説》をカップリングたシベリウス・アルバムから。同曲4回目、《タピオラ》3回目、《トゥオネラ》2回目、《伝説》だけが初録音だったとの事です。高音域が華やかで拡散傾向が強いサウンドは、グラモフォンの録音よりさらに派手ですが、フォルティッシモは混濁して響きがかなり荒れます。

 録音のせいもあってか、冒頭の金管から音の汚なさに辟易。美感などお構いなしにがなり立てるブラスとティンパニに、思わず耳をふさぎたくなりますが、弦楽セクションはつやつやに磨き上げられ、大袈裟なルバートを盛り込んで嫋々と歌います。ティンパニのトレモロは、入りがひと呼吸ずれる箇所あり。

 主部は刺々しい響きで元気一杯ですが、アインザッツはぞんざいで、タイミングが揃わない瞬間もしばしば。そういったルーズな合奏を、なんとなく名人芸的に聴こえる間合いと型、ある種の勢いで説得力に変えて聴かせてしまうのは、彼らの演奏に共通の特質です(なので私は昔から好きではありません)。中間部も素朴な清澄さとは程遠く、デフォルメに近い大仰なクライマックスでど派手に締めくくります。

“オケの美しい響き、表現はやや直線的”  

コリン・デイヴィス指揮 ボストン交響楽団

(録音:1976年  レーベル:フィリップス)

 当コンビによる交響曲全集と管弦楽曲集から。冒頭からオケとホールの美しい響きに魅せられます。主部はややストレートに過ぎる感もありますが、作品に内在する生命力を無理なく表出させている点はさすがと言えるでしょう。ただし中間部は明らかに性急で、フレージングにもどことなく落ち着きがありません。コーダにかけてどんどんテンポアップしてゆく設計は効果的。弦は美しい音色で演奏していますが、コーダではオケ全体の音がやや荒れるように思います。

“意外にも好演? 作品の魅力をほぼ完備”

ウラディーミル・アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1979年  レーベル:デッカ)

 ピアニストだったアシュケナージが指揮者としての活動をはじめた、最初期の録音。冒頭からラストまで一気に聴かせる熱気に溢れた演奏です。かなり速めのテンポで開始していますが、フィルハーモニアの金管群は実にブリリアントで、英デッカが昔から使ってきたキングズウェイ・ホールの響きが、大変美しく収録されています。

 序奏から主部への移行もすこぶる巧みで、指揮者アシュケナージの特徴の一つである、歯切れの良い快活な表現は、早くもここに表れています。中間部の清冽な美しさも、作品の性格を適切に表出。とかく緊張感に乏しい演奏をしがちな指揮者ですが、この時期のシベリウス演奏には並々ならぬ意欲を感じます。コーダの豪放なダイナミズムも鮮烈で、一聴に値する名演と言えるかもしれません。

“民芸品を思わせる素朴な感触”

ネーメ・ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団

(録音:1981年  レーベル:BIS)

 BISレーベルから発表したシベリウスの交響曲全集で一躍その名を知らしめたヤルヴィとエーテボリ響ですが、その皮切りとなったのが同曲と第1交響曲だったと記憶します。当時は指揮者もオケもローカルそのものの印象でしたが、その民芸品のような素朴な感触はとても新鮮でした。

 ゆったりとしたテンポを貫く序奏部は、一流オケの演奏をきいた後でも十分鑑賞に耐えうる美しさ。いささかも力まずして、分厚い響きで曲の本質を浮き彫りにしています。オーケストラ(特に金管)が今一つ洗練されればと思わなくもありませんが、むき出しになるテューバをはじめ、全てが自然素材で出来ているような無骨さは魅力。中間部のピッチも万全ではありませんが、内声の感覚は北欧のオケならではで、ゆっくりとした時間の中で音楽が滔々と流れます。悠然たるコーダの起伏も見事。

“個性的な解釈が続出ながら、全てにおいて一級の名演を展開”

パーヴォ・ベルグルンド指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:EMIクラシックス)

 《タピオラ》《トゥオネラの白鳥》《レミンカイネンの帰郷》《悲しきワルツ》と組み合わせた管弦楽曲集から。ベルグルンドは、この4年後にもヘルシンキ・フィルと同曲を再録音しています。

 冒頭、ブラスのファンファーレをメゾ・フォルテくらいの音量で、しかも柔らかいタッチで吹かせているのが、いきなり個性的。序奏部は淡々としていながら情感に溢れますが、行進曲に入る少し前の、金管の特徴的なリズムは、一音ずつ区切ってかなり遅いテンポで吹かせています。

 主部は適度なテンポながら、独特のソフトな手触りと、それと相反するかのようなオケの壮麗なフォルティッシモのロングトーンが耳に心地よく、滋養の豊かな演奏という感じ。スタッカートの切れの良さ、リズムの正確さ、スケールの大きさ、雄渾な力強さなど、どれをとっても一級の表現力。名演です。

“カラヤン節全開、祝祭感満点の華やかなフィンランディア”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤン最後のシベリウス管弦楽曲集から。他に《トゥオネラの白鳥》《悲しきワルツ》《タピオラ》をカップリングしています。高音域が華やかで拡散型の傾向が強いサウンドは、北欧風ではないものの、祝祭的な曲調にはマッチしています。

 序奏がまずカラヤン節。壮麗な音色と自由な間合いを取ったファンファーレに始まり、たっぷりしたテンポで濃厚に聴かせるカンタービレも雄弁そのものです。かなり芝居がかった経過部を経て、主部は華麗な響きで晴れやかに展開。ダイナミックな活力や、腰の強いパンチも効いています。中間部はやや味付けが濃いめながら、美麗な響きでよく歌い込んでいて魅力的。コーダがひたすらパワフルで壮麗なのは、言うまでもありません。

“全くスコア解釈の異なる4年後の再録音盤。他の追随を許さぬ本物の演奏”

パーヴォ・ベルグルンド指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1986年  レーベル:EMIクラシックス)

 《大洋の女神》と共に第2交響曲とカップリングされたもの。ベルグルンドはこの4年前にフィルハーモニア管とシベリウスの管弦楽曲集を録音しており、その際に同曲も録音していますが、テンポやディティールの表情など、たった4年の間でもスコアの解釈が異なっています。

 柔らかさや暖かみを備えながら、高音域に独特の清涼感があるオケの響きは独特で、深々とした奥行き感も作品との相性抜群。特に、弦も管もハーモニーを鳴らす際、クレッシェンドでふわっと入って来るケースが多いのが特徴で、各部の連結にも即興的というか、幻想曲風の趣があります。シャープなリズムと豊麗なソノリティを両立させている所も魅力で、テンポは速めですが、中間部をはじめ爽やかな抒情にも事欠きません。肩の力は抜けているものの、自然体のまま他の追随を許さぬ本物の演奏という感じ。

“前半が淡白で後半が重々しい、北欧・西欧とは対照的なロシア側の視点”

ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団

(録音:1989年  レーベル:ビクターエンタテインメント)

 ムソルグスキーの《展覧会の絵》、ハチャトゥリアンの組曲《仮面舞踏会》、《スパルタカス》〜《フリーギアとスパルタカスのアダージョ》とカップリング。このロシア音楽の並びでなぜシベリウスかと思いますが、最後に置かれているのでアンコール的な扱いなのでしょうか。このコンビのシベリウス録音は珍しいですが、後にライヴ音源で交響曲第2番、ヴァイオリン協奏曲(2種)、悲しきワルツ、エン・サガ、カレリア組曲も出ています。

 冒頭ファンファーレは語尾をスタッカートで切り、あまり粘らない行き方。続くエレジー的部分も、ロシア音楽の時の彼らと違ってあまり切々と歌い込まないのは、単なるスコアの解釈なのか、侵略国側の物の見方なのか。抑制が効いている分、響きは豊麗で美しく聴こえます。行進曲は超スロー・テンポで重々しく、フレージングも粘りが強くて、これも北欧や西欧の演奏とまるで対照的な性格。やはりロシア側の視点なのでしょうか。

“久々に復活、「濃い」メータ”

ズービン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

(録音:1990年  レーベル:テルデック)

 これは、メータがニューヨークを離れる前年の録音で、第2交響曲とカップリングされているもの。大体、メータがシベリウスを振る事自体がかなり珍しいですが、演奏も非常に個性的なものになっています。まず、冒頭のコラールが異様に遅いテンポでたっぷり間を取って演奏され、さらには最後の和音にティンパニのトレモロを加えています。平素のメータは楽譜を勝手に改変するような人ではないですが、彼の東洋的様式感がシベリウスの語法と噛み合わなかったのでしょうか。

 続く序奏部も、音楽が止まってしまうのではないかと思えるほどの超スローテンポ。音価を限界まで引き延ばした感じで、主部に入ってやっと普通のテンポに戻り、肩の力も抜けて、無類に歯切れの良い演奏が繰り広げられます。

 ある時期からのメータは。こういうスマートで淡白な演奏を目指してきたイメージがありますが、冒頭から前半部にかけての粘性の強い表現をきくと、俄然メータらしいというか、70年代の「濃い」メータが帰ってきた印象も受けます。中間部では再びテンポを落とし、旋律の表情を歌謡的に処理する等、主部とは明確に対比させています。

“真打ち登場、自信溢れるシベリウス解釈”

エサ=ペッカ・サロネン指揮 スウェーデン放送交響楽団

(録音:1990年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 「白夜の音楽祭」という、北欧の小品を集めたオムニバス・アルバムから。さすがはお国物というべきか、イントロのブラスからアーティキュレーションといい、テンポといい、完全に堂に入っている印象を受けます。序奏部の木管が加わってくる所からテンポが速くなりますが、そういったアゴーギクも、旋律の歌わせ方も見事としか言いようがなく、彼がこの作品を既に百パーセント自家薬籠中の物としている様子が伺えます。

 主部は非常にスピーディーなテンポ。アグレッシヴではありますが、余裕と自信に溢れた表現で、他の演奏で時折聴かれる人工的なぎこちなさは皆無。惜しむらくは、当時の手兵スウェーデン放送響の音色がややハスキーで、とりわけ、柔らかさのある弦に比して管楽器の粗削りなのが少し気になります。

“現代のストコフスキー? やりたい放題のマゼール”

ロリン・マゼール指揮 ピッツバーグ交響楽団

(録音:1991年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 マゼールは、若い頃にウィーン・フィルとシベリウスを多く録音していますが、この曲はこれが初録音。、正にやりたい放題といった様子で、冒頭からラストまで相当に遅いテンポを採りながら、コーダではさらに遅くなります。アクセントの置き方や間の取り方も独特で、現代の指揮者にあっては、ストコフスキー並みにアクの強い表現と言えるかもれません。

 序奏部では、ブラスの柔らかいタッチと、さりげなくも噛みしめるような表情が、どこかワーグナーを思わせる造形。主部の要所要所で誇張されるティンパニやホルンは独特の表情で、リズムのエッジを鋭利に尖らせて句読点を明確に立てる行き方は正にマゼール節。

 弦にも細やかな指示が徹底されているようで、中間部のトレモロにまで正確無比なリズム処理を施しているのも、いかにもマゼール的です。さらに、コーダの讃歌の部分は、他の演奏と和声感が違って聞こえ、スコアに手を加えるまではいかないまでも、ベース音と内声のバランスに人工的な演出がなされているのではないでしょうか。

“明快かつダイナミック、聞かせ上手なアプローチ”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 第2交響曲にカップリングされている音源。当コンビは4、5番も録音しています。冒頭から、ダイナミックで明快そのものの、いかにもレヴァインらしい演奏。ベルリン・フィルのブラス・セクションは壮麗で輝きに満ち、早くもリスナーの耳を魅了します。

 続く序奏部も、情に溺れないメリハリの利いたアーティキュレーションが特徴的ですが、ベルリン・フィルの弦は慈愛に溢れ、改めて実力の高さを痛感します。この作品は、演奏した事のある人はよくご存知でしょうが、明確なコンセプトで全体を統一しないと、演奏する上でも捉えどころのない音楽になってしまいがちです。その点レヴァインは、どうすれば聴衆に分かりやすく音楽を伝えられるか熟知しているようです。

 中間部の歌わせ方も、スタッカートをうまく使ってフレーズを明快に切り、なかなか見事な音楽作り。これがシベリウスの意図した本来の姿かどうかはともかく、聴き手に何がしかの充実感を与えられるという意味では、類い稀な才能と思われます。作品の欠点も長所もありのまま、赤裸々に突きつけてくるシノーポリのような指揮者とは、ちょうど対極に位置している人と言えるでしょう。

“旧盤の美点が消失してしまった、残念な仕上がり”

ウラディーミル・アシュケナージ指揮 ボストン交響楽団

(録音:1992年  レーベル:デッカ)

 既にフィルハーモニア管とこの曲を録音しているアシュケナージですが、当盤はボストン響との珍しい顔合わせで、メインの第2交響曲だけがライヴ、カップリングのこちらはセッション収録となっています。当コンビのディスクも今の所これ一枚だけですが、英デッカ・レーベルがボストン響を起用するのも珍しい事です。

 旧盤より遅いテンポでじっくり聴かせる表現に変わっているのはいいものの、各部の移り変わりが幾分粗雑に処理されるきらいがあり、アンサンブルにも乱れがみられます。中間部も、旧盤で際立っていた透明な叙情性は消え失せ、全体として大味な印象を与えるのは残念。コーダの表情も美しく壮麗にはなりましたが、旧盤の激烈さが後退した感じは否めません。

“格段の余裕と恰幅の良さを示す、サー・コリン再録音盤”

コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1994年  レーベル:RCA)

 当コンビはこの時期、クレルヴォも含めたシベリウスの全交響曲と、レミンカイネン組曲を含めた多数の管弦楽作品を録音しており、当録音もその中の一つです。ボストン響の旧盤はやや粗い部分があったりもしましたが、当盤は豊麗なソノリティを土台に、恰幅の良い表現を展開していて、シベリウスを得意としてきた指揮者の矜持を感じさせます。

 テンポが遅くなっていて、音の佇まいに余裕があるのは、オケを無理に駆り立てなくても、自然体で表現を成立させられるという指揮者の円熟ゆえでしょうか。奇を衒った所はなく、アゴーギクやダイナミクスもごく自然ですが、気宇が大きく、膨らみのあるフレージングで共感豊かに歌いつつ、着実に白熱してゆくスケールの大きな演奏です。リズムも軽快で歯切れが良く、ブラスの咆哮は刺々しくならず、豊かなホールトーンが壮麗さを加えているのは美点。

“バルビローリを思わせる、慈愛の美学”

アンドルー・デイヴィス指揮 ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニ管弦楽団

(録音:1996年  レーベル:フィンランディア・レコーズ)

 管弦楽曲集から。冒頭の金管コラールは、最初の音から二番目の音にかけてクレッシェンドするのが普通ですが、A・デイヴィスは逆にディミヌエンド気味に、柔らかく演奏させるという斬新な表現を展開しています。序奏部全体はほぼイン・テンポで通しており、これはやや淡白に過ぎるかなと思っていると、主部でかなり速めのテンポを採用するのを聴いて、そのバランスの良さに納得。よく考えられた設計です。

 主部は、尖鋭なリズム感のおかげで生命力に満ちていますが、中間部の表情がやや生硬。音色自体は清澄で、弦も優しさに溢れて美しく、さすがはバルビローリの影響を受けているA・デイヴィスだけのことはあります。冒頭はやや地味だったブラス・セクションも、コーダでは激烈に打ちこまれるティンパニと共に、ブリリアントなサウンドをきかせてくれます。

“意外にオーソドックスながら、儚げな歌と有機的なフレージングで聴かせる”

オスモ・ヴァンスカ指揮 ラハティ交響楽団

(録音:1997年  レーベル:BIS)

 未発表スコアや異稿も含めたシベリウス作品全集から。響きの傾向は同じレーベルのエーテボリ録音と似ていますが、残響はさらに豊富です。オケの音色も柔らかく、豊麗なのが特色。

 このコンビは作品によってかなり個性的な解釈も聴かせますが、同曲はオーソドックスな造形。シャープなリズムを小気味好く盛り込みながらも、全体を美しくリッチなソノリティで包んだ格調高い表現です。ただ、中間部で聴かれる繊細な弱音と慈愛に溢れた儚げな歌い回しにははっと胸を衝かれ、思わず落涙を誘われそうに。あらゆるフレーズが有機的に連結されてゆく感覚も、ヴァンスカのシベリウスに共通の傾向です。

“センスの良い指揮ながら、合奏自体のフォーカスの甘さが露呈”

西本智実指揮 ロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”

(録音:2003年  レーベル:キングレコード)

 モスクワ音楽院大ホールにおける、ニューイヤー・コンサートのライヴ録音。他にヴェルディの《アイーダ》から凱旋行進曲、ブラームスのハンガリー舞曲第5番、ハチャトゥリアンの《ガイーヌ》から《レズギンカ》、スメタナの《モルダウ》、ボロディンの《ダッタン人の踊り》、チャイコフスキーの《1812年》を収録。残響は適度ですが、直接音はクローズアップせず、マスの響きを全体で捉える印象。正にワンポイント・マイクで録った感じですが、高音域はこもりがちで、演奏にメリハリと色彩感が乏しく感じられるデメリットもあります。

 冒頭のファンファーレは、下がった方の音をスタッカートで短く刈り込むスタイル。語調が明瞭なのは指揮者の意志力の表れで、それはメリットと感じられます。しかし続く足取りは安定しない感もあり、管弦のバランスも未整理な箇所が目立ちます。行進曲へ入る所で、ティンパニのトレモロをクレッシェンドさせるのは効果的。

 行進曲のパートは、遅いテンポで腰が重くなってしまう演奏も多い中(特に日本の指揮者)、オケを巧みに統率して動感と推進力を確保しているのは見事です。歯切れの良いリズム感も駆使しているし、トロンボーンやテューバなど、低音域の扱いもセンス満点。コーダにかけての雄大な盛り上げ方も上手いですが、どうも合奏のフォーカスが甘いのは、視覚面に無視できないウェイトを置く彼女の棒の振り方に、実効性の点で問題があるようです。

“意外にも柔らかなタッチで、自然体の語り口を目指すパーヴォ”

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 エストニア国立交響楽団

 エレルハイン少女合唱団、エストニア国立男声合唱団

(録音:2003年  レーベル:ヴァージン・クラシックス)

 シベリウスのカンタータ集より。当コンビは《塔の乙女》《ペレアスとメリザンド》《悲しきワルツ》をカップリングしたアルバムを録音している他、パーヴォはロイヤル・ストックホルム・フィルとクレルヴォ交響曲、《レミンカイネン》組曲、《夜の騎行と日の出》、《ルオノンタール》、シンシナティ響と第2交響曲、パリ管と交響曲全集を録音しています。

 パーヴォならもっとスタイリッシュに造形するかとも思いましたが、意外に王道の表現で、父ネーメの演奏をリフレッシュさせたような趣。冒頭のファンファーレはさりげなく、柔らかなタッチ。続く序奏部も一切の虚飾を排した語り口ですが、音響を美しく磨き上げている辺りにはパーヴォらしい洗練を感じさせます。

 主部は遅めのテンポで、細かい音符も克明に処理。シャープなエッジは影を潜め、案外と素朴な味わいを抽出した印象も受けます。無用な力みも一切なし。中間部は合唱入りですが、誇張はなく、どこまでも自然体の風情。コーダもレガート奏法を徹底してタッチが柔らかく、野趣や無骨なエネルギーを封印している所がパーヴォ流なのかもしれません。

“旧盤から細部の解釈が大きく変化した、気力充実の再録音”

アンドルー・デイヴィス指揮 ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2013年  レーベル:シャンドス)

 ジェニファー・パイクとのヴァイオリン協奏曲をメインに、トゥオネラの白鳥、抒情的なワルツ、悲しきワルツ、アンダンテ・フェスティーヴォ、フィンランディアをカップリングしたシベリウス・アルバムから。A・デイヴィスはストックホルム・フィルとも過去に管弦楽曲集の録音がありますが、曲目はトゥオネラの白鳥と当曲しか重複しません。

 冒頭のコラールは、旧盤と違って一般的なダイナミクスを適用。ティンパニの迫力や金管のエッジなど、力強さを増した印象がありますが、よくブレンドする豊麗なトーンはこの指揮者らしい所。弦のカンタービレなど、アーティキュレーションの描写が細密で、表情に意志の強さを感じさせるのは、旧盤から17年を経た円熟ゆえでしょうか。

 主部はティンパニをはじめパンチが効いてダイナミック。金管や弦に繰り返される執拗なリズム動機も、必要以上に尖らせない一方、歯切れが良く、鋭敏なセンスを感じさせます。中間部は、抑制の効いた弱音の効果が、はかなげな叙情を美しくも彩るリリカルな好演。再現部からコーダも、無理なく余裕を持って、力強く盛り上げていてさすが。テンポやダイナミクスの設計から、アーティキュレーションの解釈まで、旧盤から大きく変化しているのが面白い所です。

“充実した指揮ぶりながら、斬新な感覚には不足”

マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:2015年  レーベル:BRクラシック)

 楽団自主レーベルによるライヴ・シリーズの一枚。カップリングの第2交響曲はヘルクレスザール、カレリア組曲とこの《フィンランディア》がガスタイク・ホールでの収録です。

 まずは冒頭部分の造形が見事。ファンファーレのアーティキュレーションといい、ティンパニのアクセントといい、アゴーギクの操作といい、さすがはヤンソンスという演出力。続く箇所は情緒とフォルムのバランスが良く、流麗でもありますが、行進曲のパートはオーソドックスな解釈で、奇を衒わない方向です。中間部も含め、全編に渡って充実した力強いパフォーマンスを繰り広げますが、斬新さを期待していると肩すかしを食らうかも。

“恒例の野外コンサートで、旧盤に輪を掛けて芝居っ気を発揮する策士メータ”

ズービン・メータ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2015年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 毎年夏にシェーンブルン宮殿で行われる、サマーナイト・コンサートのライヴ盤から(映像ソフトもあり)。メータの同曲はニューヨーク・フィルとのセッション録音がありますが、この年は北欧プログラムで、同時にグリーグやシンディング、ニールセンも演奏されました。野外コンサートですが、音響処理で残響を加えているのか意外に豊かな響きで、鑑賞に大きな不満はありません。

 旧盤も濃い演奏でしたが、当盤も野外を意識してか芝居っ気たっぷり。冒頭からティンパニを強打させてダイナミックに開始した上、序奏部の悲劇的な旋律をスロー・テンポで情感たっぷりに歌い上げています。旧盤でコラールの最後に追加したティンパニは省き、スコア通りに演奏。

 主部もティンパニを効かせて力こぶを作りますが、そのせいでアインザッツが乱れるのはご愛嬌。オケの流麗な歌心が、無骨さをうまく補っています。さすがの雄弁な語り口で、中間部も呼吸感が良く、曲全体がうまく設計されている印象。コーダの造形と高揚感も実に巧みに演出され、会場が大きく湧いています。

“雄弁な迫力と鋭敏なタッチを両立させた、佐渡裕らしい好演”

佐渡裕指揮 トーンキュンストラー管弦楽団

(録音:2016年  レーベル:エイベックス・クラシックス)

 楽団自主レーベルによるライヴ・シリーズの一枚。カップリングの第2交響曲はムジークフェラインザールでのライヴ収録ですが、こちらはグラフェネックでセッション録音されています。佐渡裕のシベリウス録音は珍しく、これが初かもしれません(実演でも聴いた事がないです)。

 冒頭のファンファーレで、それぞれ2音目をスタッカートで切っているのが独特。序奏部の雄大なスケールと柔らかい響き、たっぷりとした情感の豊かさも魅力的ですが、歯切れの良いリズム感を生かした主部も好調。シャープなエッジや軽快さを保ちつつも、響きの重量感や恰幅の良さもあるのがこの指揮者らしいです。

 中間部は、管楽器の主題提示が幾分即物的に響くのが気になりますが、引き継ぐ弦の表情が豊かで、優美な歌い回しが素敵。後半部はパンチの効いたティンパニや、力感が増しても柔らかさを失わない豊麗なサウンドで、雄弁に聴かせます。

Home  Top