シベリウス/交響曲第2番

概観

 シベリウスの交響曲の中で最も人気のある作品。3番から作風が内向的になるので、1番と2番は大衆的で低俗、3番以降が芸術的に優れていると主張する人も多いが、私はそうは思わない。交響曲としての構成は初期2作の方が良くまとまっているし、北欧情緒と詩情の豊かさも類を見ない。一つ一つのフレーズが、これは水面を渡る風、これは道端のお花、湖に浮かぶ白鳥、岩場を流れる清水、森のささやきと、正に自然そのものが音になったような、霊感溢れる音楽。

 下記リストからも分かる通り、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルを除けば独墺系のオケによる録音はほとんどなし。ザンデルリンク/ベルリン響、ヤンソンス/バイエルン放送響、佐渡裕/トーンキュンストラー管辺りが例外といった所。なんでもドイツの音楽家はシベリウスへの共感が薄く、中には「気持ち悪い」とまで言う人がいるそう。そう考えると、カラヤンはこの作曲家をよく取り上げた方だと言える。

 シベリウスは、昔から英国の指揮者が得意としてきた伝統があるが、私の世代だとあまり古い録音はしっくり来ない。それでも、C・デイヴィスのボストン、ロンドン両盤、入手困難だがA・デイヴィス盤はお薦め。この他では、マゼール/ウィーン盤、ベルグルンドのヘルシンキ、ヨーロッパ両盤、マータ盤、アシュケナージ/ボストン盤、ブロムシュテット盤、サロネン盤、ドゥダメル盤、ラトル/ベルリン盤、マケラ盤はいずれも相当な名演。

*紹介ディスク一覧

59年 モントゥー/ロンドン交響楽団   

59年 パレー/デトロイト交響楽団   

64年 マゼール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

64年 ストコフスキー/BBC交響楽団  

64年 セル/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

67年 ドラティ/ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団

67年 プレートル/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 

70年 セル/クリーヴランド管弦楽団

74年 コンドラシン/フランス国立放送管弦楽団  

76年 C・デイヴィス/ボストン交響楽団

78年 朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団

79年 コンドラシン/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

79年 アシュケナージ/フィルハーモニア管弦楽団

80年 A・デイヴィス/トロント交響楽団

80年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

82年 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団  

83年 N・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団

84年 ラトル/バーミンガム市交響楽団

85年 マータ/ダラス交響楽団

86年 ベルグルンド/ヘルシンキ・・フィルハーモニー管弦楽団 

88年 C・デイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデン

90年 メータ/ニューヨーク・フィルハーモニック

90年 秋山和慶/札幌交響楽団

90年 マゼール/ピッツバーグ交響楽団

91年 レヴァイン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

91年 ブロムシュテット/サンフランシスコ交響楽団

92年 アシュケナージ/ボストン交響楽団

94年 C・デイヴィス/ロンドン交響楽団  

96年 ヴァンスカ/ラハティ交響楽団   

97年 ベルグルンド/ヨーロッパ室内管弦楽団   

 → 後半リストへ続く

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“よく動くテンポ、明るい音色と熱っぽい表現が独特のシベリウス解釈。オケは難あり”

ピエール・モントゥー指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1959年  レーベル:デッカ)

 モントゥーの珍しいシベリウス録音。フランス人指揮者やオケによるシベリウス自体が稀少です。オケはシベリウス作品への造詣も深いロンドン響ですが、高音域の華やかな、明るいサウンドは、指揮者のラテン的感性のあらわれ。ただ、録音のせいもあるのか響きがやや粗く、さらに洗練を望みたい面もあり。モントゥーの棒は生き生きと躍動し、カンタービレも情感たっぷりでみずみずしい一方、全てのラインがくっきりと浮き彫りになるような鮮やかさもあります。

 第1楽章はテンポがよく動きますが、適切なアゴーギク処理は説得力の強いもの。ティンパニのアクセントを抑制し、高弦や木管、ブラスの華麗な音色を際立たせた音作りはモントゥーらしいです。総じて旋律がよく歌うのも爽快。第2楽章は、冒頭のピツィカートから細かいテンポ変化を加えるものの、全体としては余裕のあるテンポでゆったりと推移。トゥッティはオケのソノリティに今一つのまろやかさや美感を求めたくなりますが、録音年代を考えれば、他のオケでもこんなものかもしれません。

 第3楽章は落ち着いたテンポながら、合奏に乱れあり。第4楽章はスケールが大きく、力感を解放。思い切りの良いカンタービレは胸のすくようですが、前3楽章と較べるとイン・テンポ気味で、実直な性格。コーダへ向かう長いクレッシェンドの所ではむしろアッチェレランドを加え、どんどん速くなる前のめりの熱っぽい表現を展開。北欧のリリシズムとは又、違ったタイプの演奏として存在感を示します。

“速めのテンポで正確無比。テンションの高さと躍動感も独特”

ポール・パレー指揮 デトロイト交響楽団

(録音:1959年  レーベル:マーキュリー)

 モントゥー盤、プレートル盤と同様、フランス人指揮者による数少ない同曲録音。このレーベルらしい、直接音の鮮明なサウンドですが、ある程度の潤いと柔らかさもあって、この時代としては非常に聴きやすい音質です。ただ当コンビのディスクは、後年のものほど演奏も録音も洗練されてくるので、当盤はやや響きが粗い部類かも。

 速めのテンポで明快無比に仕上げた演奏ですが、無愛想だったり、無機的だったりはせず、ニュアンスは豊かだし、各パートが明朗な音色で歌っています。ただアタックの勢いが強く、かなりテンションの高い、切迫した調子に聴こえるのが特徴。ルバートはちゃんと使っていて、シベリウスらしさはきっちり捉えています。スケールの大きさも確保。

 躍動し続けるリズムを基調に熱っぽく盛り上げる第1楽章、張りのあるアタックとエネルギッシュな合奏で聴かせる第3楽章に対し、楷書風のくっきりとしたフレージングを駆使しているとはいえ、第2、第4楽章はオーソドックスな王道の表現と感じます。

若きマゼールの鋭敏な感性とオケの美しい音色が見事にマッチングした名演

ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1964年  レーベル:デッカ)

 全集録音より。マゼールはピッツバーグ響と再度全集を完成しています。同曲の代表的名盤に数えたい名演で、当コンビのデッカ録音は時に刺々しい演奏もありますが、当盤は指揮者の見事な造型感覚とオケの美しい音色がバランス良く合わさって好感が持てます。

 第1楽章はゆったりと遅いテンポで一貫しながら、画然たるリズム処理と明瞭なフレージングできりりと造型。間合いや旋律の表情は極めて雄弁で、むしろロマンティック。クライマックスの雄大な盛り上げ方には、後年のマゼールを予感させる雰囲気もあります。第2楽章は非常に速いテンポで開始しながら、主部ではたっぷりと旋律を歌わせ、劇的な起伏を形成。第3楽章以降はウィーン・フィルの艶やかな響きを生かしつつも、鋭敏なリズム感と巧妙な構成力でドラマティックに山場を作り上げて感動的です。

“モノラルながら鮮明な音質が希少な、60年代のライヴ盤”

レオポルド・ストコフスキー指揮 BBC交響楽団

(録音:1964年  レーベル:IMG Artists) *モノラル

 作曲者とも親交があったストコフスキーですが、交響曲のステレオ録音は第1番しかなく、2番はNBC響との古い録音しか残っていないのが残念でした。当盤もモノラルですが、64年のロイヤル・アルバート・ホールでのライヴで、鮮明で聴きやすい音質。BBCレジェンドのシリーズで、チャイコフスキーの《眠れる森の美女》組曲、ベートーヴェンの《エグモント》序曲(これだけニュー・フィルハーモニア管とのステレオ録音)とのカップリングです。

 演奏は第1番と同様、スコアの改変は避けた正攻法のスタイルながら、テンポを自在な呼吸で変化させて、多彩な表情を付与しているのが特色です。第1楽章は遅めのテンポでロマンティック。ルバートで濃厚に表情を付け、たっぷりと旋律を歌わせますが、サウンドにデッカ録音のような不自然な強調感がないので、この指揮者としてはオーソドックスな表現に聴こえます。北欧系の演奏とはベクトルが違いますが、作品を聴衆に近づけようというコンセプトには合致。

 第2楽章は元々が幻想曲風の構成なので、テンポ変化の多い指揮も大袈裟には感じません。合奏がグダグダの箇所はあるものの、作品の魅力を直截に伝える好演です。ティンパニの強打も、随所で鮮烈な高価を発揮。

 第3楽章から第4楽章はテンポの振幅が大きく、ヴィルトオーゾ風の猛スピードから超スロー・テンポまで大胆なアゴーギクを駆使しますが、作品のロマン性とは相性が良く、素直に魅力を感じられます。堂々たる歩みで熱っぽく盛り上げる最後のクライマックスも感動的で、聴衆も間髪入れず熱狂的なブラヴォーを贈っています。聴くほどに、ステレオのセッション録音が残されなかったのが悔やまれる曲。

“セルらしい彫琢が徹底せず、表現そのものも内的感動にうまく繋がらない印象”

ジョージ・セル指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1964年  レーベル:フィリップス)

 セルとコンセルトヘボウの組み合わせによる数少ない録音。CDでは同じコンビによる《運命》とよくカップリングされています。彼は後年、クリーヴランド管と来日した際に当曲を演奏していて、そのライヴ録音も発売されていますが、スタジオ盤はこれが唯一。このオケの録音としても後年と較べると響きがややデッドで、細部がオン気味。左右チャンネルの分離がよく、自然なプレゼンスというよりも人工的にミックスされた音に聴こえるのも、フィリップスのイメージと異なります。

 金管を中心に一部アンサンブルの粗い箇所もあり、セルとしてはそれほど磨き抜かれた印象は与えませんが、全ての音符を克明に処理した、リアルな感触。響きが整理されていて、常に明晰さを保っているため、もやもやした空気感や幻想性は一掃された印象を受けます。フレーズも、ラインの描き方と締めくくり方がすこぶる明瞭。そのせいか、雑然とした音の塊がそのままぐわっと盛り上がるようなスケールの雄大さはなく、小じんまりとまとまって聴こえます。

 テンポは速めで、リズムも歯切れが良い一方、意外に息の長いフレージングや気宇の大きな表現もあって、シベリウスらしさは確保されています。それが散発的で、どうも持続して内的感興の高まりに繋がっていかないのは、この指揮者に対する私の先入観ゆえでしょうか。旋律線の表情が総じてストレートで淡白なせいかもしれません。物理的には大いに盛り上がっているのですが。

“豊麗な響きと深い情感。晩年のドラティにも通ずる、滋味豊かな好演”

アンタル・ドラティ指揮 ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1967年  レーベル:RCA)

 ドラティによる珍しい同曲録音。当コンビのレコーディング自体も希少だと思います。様々なメジャー・レーベルと組んで、埋もれた音源をどんどん掘り起こしているタワーレコードの企画力に拍手! ドラティとシベリウスはあまりイメージが結びつかない人も多いかもしれませんが、彼はかつてロンドン響と管弦楽曲集を残しており、名盤として知られていました。

 ドラティの事だからさぞ即物的で淡白な演奏だろうと思って聴くと、深い音色と豊かな叙情性に驚きます。音の立ち上がりが早いとか、ルバートを控えて間を詰めているとか、ドラティらしい部分は勿論あるものの、作品への共感の強さ、ゆったりとしたテンポ感、豊麗な響きなどは、むしろ晩年の彼を思い起こさせるもの。

 後半二楽章は速めのイン・テンポがドラティらしいですが、あっさりしているようで実は情感が細やかな所、マーキュリー時代の彼とは一線を画します。録音が又、60年代のものとは思えないほど鮮明で、深々とした残響音を伴ったリッチな響きは魅力的。優秀なオーケストラ・トレーナーとしても名を馳せたドラティの棒の下、ストックホルムのオケも好演しています。

“力強くドラマティックな棒さばきでオケを牽引する、熱血漢プレートル”

ジョルジュ・プレートル指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1967年  レーベル:RCA)

 プレートルによる北欧音楽は珍しいですが、当コンビは同時に第5番と交響詩《夜の騎行と日の出》をも録音しています。このオケの特質がよく出た鮮明な録音ですが、強奏部でやや音荒れと歪みあり。

 第1楽章は落ち着いたテンポで、細部を丹念に掘り下げた演奏。アーティキュレーションのこだわりが強く、描写が徹底されている上、アゴーギクも自在な呼吸感で巧みに操作されています。そのため味わいが濃厚で、ディティールが雄弁に語りかけてくるような趣。フレージングには粘性があり、潤いを帯びた旋律線がねっとりとうねる様も独特。スリリングにテンポを煽って中間部を盛り上げた後、頂点でぐっとテンポを落とす演出も見事です。スケールが大きく、神秘的なムードも漂います。

 第2楽章は、聴き手の想像力を喚起するドラマティックな語り口が秀逸。特に強音部では、金管群が剥き出しになる箇所でふっと音量を落として柔らかく歌わせた後、凄味を帯びたクレッシェンドで音楽を高揚させるのが壮観です。その後の弱音部で、ふわりと叙情的な空気に変わるのも幻想的。千変万化する曲想を力強く誘導するプレートルの棒さばきに、思わず舌を巻きます。

 第3楽章は、躍動感を十二分に表出しつつも、幾分ソフトなタッチで丁寧に造形。第2主題も艶めいたフレージングで、しなやかに歌い上げます。一方再現部への回帰では、ティンパニの強打と鋭利な金管のリズムでメリハリを強調。第4楽章は全楽章中、最もオーソドックスな解釈。遅めのイン・テンポを基調にスケール大きく旋律を歌わせながら、パワフルな棒で壮大なクライマックスを牽引。唯一、オケのソノリティにさらなる豊麗さがあれば、なお良かったかもしれません。

“コンセルトヘボウとの旧盤よりずっとセルらしい美点が表れた、伝説の来日公演ライヴ”

ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1970年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 東京文化会館での来日公演ライヴで、ウェーバーの《オベロン》序曲、モーツァルトの40番と、当日のプログラムが丸ごと収録された2枚組。セルはコンセルトヘボウ管と同曲を録音していますが、クリーヴランドでのスタジオ録音は存在しません。音場が浅く、残響もデッドで潤いに乏しいのが難点ですが、直接音をオン気味に生々しく捉えた鮮明なサウンドです。

 ここはコンセルトヘボウのオケ、ここはセルの個性と、つぎはぎな印象で盛り上がりを欠く旧盤と比較すると、クリーヴランド管のクールなサウンドはセルのアプローチやシベリウスの音楽に適しており、ライヴともあって凄まじい高揚感を示す名演。第3楽章の一糸乱れぬアンサンブルを始め、両端楽章クライマックスの輝かしいサウンドや、胸のすくようにみずみずしい弦のカンタービレなど、聴き所も満載です。

 セルのテンポ設定はさらに柔軟性を加え、第4楽章への突入直前やコーダに向かう音楽の運び方においても、巧みなアゴーギクによって壮麗を極めた表現を展開、聴衆の熱狂ぶりもうなずける素晴らしい演奏となっています。

“やや合奏は粗いものの、指揮者の非凡なセンスを垣間見せる熱演”

キリル・コンドラシン指揮 フランス国立放送管弦楽団

(録音:1974年  レーベル:アルトゥス)

 シャンゼリゼ劇場ライヴ・シリーズの1枚で、ラヴェルの《マ・メール・ロワ》組曲とカップリング。オケの改名を間近に控えた時期の演奏でもあります。会場の響きはややデッドですが、直接音は鮮明で歪みや混濁も目立たず、聴きやすい録音。

 第1楽章は颯爽と速めのテンポで開始するも、合奏も響きもやや粗く、さらに練れて欲しい所。明朗な音色は独特で、管のハーモニーの鮮やかな発色や、爽快で優美な弦のカンタービレは、シベリウスのスコアに新鮮な魅力を付与しています。コンドラシンの造形は楽想の掴み方が大きく、流れるように勢いよく全体を描写してユニークですが、起承転結が周到に構成されていて説得力が強いです。

 第2楽章も造形の巧みさが際立つ印象。冒頭から最初のクライマックスの収束まで、息も付かせぬ展開で一気呵成に聴かせる辺りは、非凡なセンスという他ありません。特にアゴーギクの演出は見事で、かなりテンポを煽る箇所がある一方で、息の長いフレージングを用いて自然な起伏を作り上げる一面もあります。剛毅な力感の表出はこの指揮者らしく、エネルギッシュな演奏を展開。合奏がさらに緻密であればとも思いますが、輝かしいフォルティッシモの響きは印象的です。

 第3楽章は強弱のニュアンスが多彩で、各パートの表現も雄弁。やはりテンポは速いですが、勢いにまかせて過ぎ去ってゆくような手抜きの演奏ではありません。拍節感の捉え方や速いパッセージの処理にも、独自の工夫が聴かれます。

 第4楽章は力みのない開始。コンドラシンの棒は、どの楽章も全て一筆書きのような趣。途中で筆を置く事なく一気に描き切る事ができるよう、あらかじめ設計されている感じでしょうか。それでいて細部の彫琢が克明なのは、この指揮者の凄さと言えます。再現部に向かうテンポの煽り方などは実に豪放で、コンドラシンらしい熱気が充満。コーダでも、僅かに加速しながらエネルギーと内的感興を高めてゆく手法が、ものすごい効果を挙げています。

目を見張る音楽的充実。スコアの彫琢と熱い共感を両立させた不朽の名盤

コリン・デイヴィス指揮 ボストン交響楽団

(録音:1976年  レーベル:フィリップス

 当コンビは交響曲全集と管弦楽曲集を録音しており、当盤もその一環。発売当初から名盤として評価が高く、彼らの代表盤としても広く親しまれてきたディスクです。当コンビのディスクは意外に少なく、協奏曲の伴奏を除けば他にドビュッシーの《海》《夜想曲》、メンデルスゾーンの《イタリア》《真夏の夜の夢》、シューベルトの《未完成》《グレイト》《ロザムンデ》、チャイコフスキーの《1812年》《ロメオとジュリエット》があるのみ。

 デイヴィスの造型感覚は非の打ち所がなく、テンポの設定とアゴーギク、デュナーミク共、どれをとっても実に音楽的で充実したもの。アーティキュレーションにこだわり抜き、各部の表情は練り上げられていますが、それでいて頭で音楽を作ったような所は皆無で、全編に渡って楽想が豊かに息づき、自然な感興の発露が満ち溢れます。

 旋律の歌わせ方にしても、ムードに溺れるような箇所は全くないのに、それでいて、熱い共感を感じさせる美しいカンタービレが横溢。一体、こういった二律背反の矛盾をこの指揮者はどうやって解決しているのか、彼が楽員や関係者から天才として尊敬される所以はそこにあるのだと思います。

 クライマックスも、最低限のテンポ変動で壮麗な山場を築き上げますが、最後の三和音は一段階ずつ音量を上げて、いやが上にも熱い感動が加わるように設計されており、その巧みな表現には舌を巻きます。オケも、この団体としては最上クラスの充実した有機的な響き。何度聴いても凄い演奏だと思います。唯一、第1楽章6分50秒辺りのトランペットは半音吹き損ねているように聴こえるのですが、私の耳がおかしいのでしょうか。

“ロマンティックで豪快。朝比奈隆と大フィルによる珍しいシベリウス録音”

朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団

(録音:1978年  レーベル:ビクター・エンタテインメント)

 朝比奈隆の珍しいシベリウス。同曲録音はこれ一種しかないと思います。長らくCD未発売だったライヴ音源ですが、ブルックナーのアダージョ第2番をカップリングに03年、やっとCD化されました。どうしてずっとCD化されなかったのか不思議に思えるほどの熱演です。

 第1楽章冒頭、弦の刻みからして、レガート気味に伸ばした音とルバートによる濃厚な表情が早くも朝比奈印。その後も、たっぷり間を取ったロマンティックなフレージング、荒々しい金管やティンパニの強打によって豪快な音楽を造型。通常の演奏とはかなり趣が異なりますが、弦のみずみずしいカンタービレは一貫して印象的で、第2楽章以降も、概して弦が情熱的にぐんぐんと弾いており、活躍が目立ちます。

 終楽章は熱く感動的に盛り上がるのがこの指揮者らしく、最後の長大なクレッシェンドなど、速めのテンポをさらに煽ってアッチェレランド気味にコーダへ突入するなど、もともと旋律が持っている性格とも相まって、なにわ節的な雰囲気すら漂います。コーダも、弦のトレモロをいったんピアニッシモに落とすなど、デュナーミクの効果が絶妙。気宇の大きな音楽を聴かせます。終演後の拍手はフライング気味。

余情を排し、剛毅で骨太な音楽を繰り広げるコンドラシンのライヴ盤

キリル・コンドラシン指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:199年  レーベル:TAHRA) 

 キリル・コンドラシン・イン・アムステルダムという、2枚組のライヴ音源集に収録。他にシューベルトの《ロザムンデ》、ベルリオーズの《ロメオとジュリエット》からそれぞれ数曲と、フランクの交響曲が収録されています。当コンビのライヴ録音はフィリップスからまとまって発売された事があり、シベリウスでは5番もラインナップに入っていました。コンドラシンの同曲は、フランス国立管とのライヴ盤もあり。

 演奏は、いかにもこの指揮者らしい剛毅なもの。第2楽章主部や第3楽章、フィナーレ再現部直前のクレッシェンドなど、時に滑稽に聴こえるほど速いテンポを採用していて、オケが空中分解しそうになる場面もあります。トゥッティでは金管の咆哮など、猛々しい表現にコンドラシンならではの迫力があって、ファンには嬉しい所かも。ゆったりと旋律を歌わせる場面もない訳ではありませんが、やはり直情的でストレートなタイプだと思います。

 ラストも、感動的なクライマックスというよりは、純音楽的にシンフォニックな山場を築いた印象。最後の三和音は、区切って演奏しています。クリアで残響音も多く、聴きやすい録音ですが、第2楽章前半で客席から咳払いが続くのは、ライヴに付き物のノイズとしてもかなり気になる部類。

自由なアゴーギクを用い、雰囲気豊かに音楽を仕上げるアシュケナージ

ウラディーミル・アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:199年  レーベル:デッカ

 アシュケナージが指揮に転向してまだ数年、デッカへ本格的に録音をはじめた頃の話題盤です。指揮者の彼としては、個人的に特に優れていると思うディスク。まず、ゆったりとしたテンポを即興的に動かし、随所にたっぷりとした間を盛り込んで、フレーズを隅々まで丁寧に歌わせた造型がユニーク。この曲の壮大なスケールと、神秘的なニュアンスが特によく出た演奏になっています。

 前半2楽章は特に個性的で、古典的なプロポーションを作り上げる事も多いこの指揮者のイメージからすると意外な印象も。トゥッティの豪放な力感も、シベリウスらしい荒々しい迫力を感じさせます。キングズウェイ・ホールの豊かな残響をたっぷり収録した録音も、演奏のコンセプトに合致。唯一、アインザッツの不揃いが散見されるのが惜しいですが、指揮者としての経験不足が原因かと思いきや、どうもアシュケナージ自身が細部にあまりこだわらないタイプみたいですね。

“豊かな和声感、慈愛に満ちたカンタービレ。当コンビ屈指の名演奏を展開”

アンドルー・デイヴィス指揮 トロント交響楽団

(録音:1980年頃  レーベル:ソニー・クラシカル)

 LP時代に国内盤が発売されず、外盤も含めCD化もまだと認識していたので、中古屋でこの国内盤CDを見つけた時は自分の目が信じられませんでした。91年製作で46と通し番号が入っているので、クラシック100選といった類いの通販企画セットと思われます。正規盤が出ていない音源が、こんな形で商品化されるとは想像もしていませんでした。ヒコックス指揮ロンドン響の《フィンランディア》がカップリングされています。録音データは不詳で、上記録音年はLP発売時の海外盤情報を参照。デジタル収録。

 演奏は予想以上に素晴らしく、当コンビの録音で特に傑出しているヤナーチェクの《タラス・ブーリバ》と双璧を成す出来映えです。大きな特徴は二つ。正確な音程によって醸し出される豊かな和声感と、慈しむように歌われる滑らかな旋律線。後者はバルビローリの影響を強く感じさせるものです。横の線をひたすら美しく紡いでゆく事、内声に注意を払い、ハーモニーを美しく保つ事、それだけでこんなに新鮮なシベリウスになるという見本のような演奏。

 第2楽章のトゥッティや第3楽章主部など、通常は北欧的な荒々しい音塊が頻出する箇所も、優しく、繊細に演奏されているのは独特の表現です。それでいて、フィナーレはクリアな音響で壮麗なクライマックスを形成。最後の三和音は、完全に分離して演奏しています。個人的にも特にお気に入りのディスクなので、正規盤の発売を強く希望。

流麗で甘口。トゥッティの凄絶な響きもカラヤン印の、正に壮麗無比なシベリウス演奏

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1980年  レーベル:EMIクラシックス

 カラヤンは同曲を、フィルハーモニア管とこの20年前に録音しています。どこまでも甘美流麗なカラヤン流のシベリウス。遅めのテンポを基調に、あちこちで少々芝居がかった間合いを取りながら、旋律を心行くまで歌わせています。若干ロマンティックに過ぎるきらいはあるにせよ、私はこの耽美的な表現も嫌いではありませんが、朗々たるトランペットをはじめ、壮絶なブラス・セクションが他を圧倒するトゥッティの響きには抵抗があり、最後まで聴き終わらない内に疲れてしまうのも事実。

 第1楽章は歯切れが良く、軽快に開始。しかし弦が入って途端にテンポが落ち、リズムを引きずるカラヤン調に。第1主題は全編に渡ってスタッカートで短く切られています。テンポや音量が落ちる筈の箇所で落ちないとか、間をあけないとか、そういう積み重ねで北欧らしさを払拭。第2楽章では裏拍のアウフタクトが厳密さを欠く場面もあります。第3楽章も遅いですが、さらに超スロー・テンポの終楽章には独特の風情あり。粘りの強いレガートや、クライマックスに向けて悠々と登り詰めてゆく表現は、ほとんどブルックナー。

“意外に正攻法ながら、オケがロシア風の個性を存分に発揮”

ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団

(録音:1982年  レーベル:Vista Vera)

 原盤不明(恐らくはメロディア?)のライヴ音源で、79年収録のヴァイオリン協奏曲(ソロはアンドレイ・コルサコフ)、88年収録の《悲しきワルツ》をカップリング。オケの団体名がチャイコフスキー響となっていますが、録音当時はまだ改名前なので、ここでは旧称で記載しました。

 第1楽章は、ヨタヨタと揺れるテンポとレガートで粘るフレージングで開始。全体的な造形はオーソドックスで、遅めのテンポと、ややくすんだ暖かみのある響きは作品にマッチしています。展開部も拡散型の壮大さに向かわず、ヴィブラートの効いたトランペットを生かしてインティメイトな趣。第2楽章もスロー・テンポで開始し、急激なテンポ・アップも盛り込みつつ、ソステヌートで柔らかく歌わせた演奏。やはりヴィブラートで朗々と歌う金管群や、ティンパニの強打がロシア風です。

 第3楽章も意外に正攻法で、暖色系のカラー・パレットとソフトな歌い回し、豪快な力感を駆使して造形。第4楽章は快速調で、滑らかなカンタービレを展開しつつ、停滞せずに颯爽と疾走。管楽器のピッチが悪く和声が濁るなど、技術的には一級と言えませんが、いつも独特の魅力を放つオケです。クライマックスに向かう長いクレッシェンドも、弦とトランペットのまろやかで分厚い音色が聴き所。

ルバートを排し、急速なテンポで荒っぽく造型するヤルヴィ。美感を損ねる場面も頻出

ネーメ・ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団

(録音:1983年  レーベル:BIS

 スウェーデンのレーベルによる、網羅的シベリウス・ツィクルスの一枚。弦楽オーケストラによるロマンスがカップリングされています。エストニアの指揮者&スウェーデンのオケという事で、シベリウスには一家言持つコンビですが、同曲の解釈に関しては、個人的に共感できない部分も多いです。

 テンポは極めて速く、特にルバートを排除したイン・テンポの第1楽章には違和感を覚えます。それが作品本来の姿という事なのでしょうが、オケの響きも、荒削りな金管のフォルティッシモが美感を損ねる場面も多く、音楽としていかがなものかと思われます。その粗野な武骨さ、素朴さこそが北欧の自然なのだと言われればそれまでですが。弦は清澄な響きで好演。録音もややデッドで、世界屈指との声も高いエーテボリ・コンサートホールの響きをもっと取り入れて欲しかった所。先に発売された第1番が、録音・演奏共に素晴らしかったので残念。

“内声の動きやテンポ、ダイナミクスのコントラストを重視。ポリフォニックな音処理も”

サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

(録音:1984年  レーベル:EMIクラシックス

 全集録音の一枚。ラトルは当時フィルハーモニア管と来日した際も、同曲と《鶴のいる風景》を取り上げていました。オーソドックスな枠組みの中に清新な表現が盛り込まれた、若々しい演奏。弦のスフォルツァンドや内声部の動きの強調、テンポやダイナミクスのコントラスト、輻輳したテクスチュアのポリフォニックな処理など、ラトルらしいアプローチが随所に聴かれます。特に弦のしなやかなパフォーマンスは魅力的で、第2楽章の管弦一体となったソステヌートなど、独自のうねりを感じさせます。

 第3楽章は、鋭敏な主部と、ぐっとテンポを落として旋律を歌い上げる中間部の対比を大きく付けた表現。フィナーレも、主部は速いテンポで情熱的に歌う一方、後半部はじっくりと盛り上げます。速いパッセージでも乱れない弦のアンサンブルを始め、オケの好演が目立ちますが、間接音をカットしたデッドな録音は左右の広がり感も狭く、モノラルのようなイメージに聴こえるのが残念。

“パッションに溢れ、ロマンティックな表情で旋律を歌い上げる、マータの意外な名演”

エドゥアルド・マータ指揮 ダラス交響楽団

(録音:1985年  レーベル:プロ・アルテ)

 このコンビとシベリウスはイメージが掛け離れている感じもありますが、彼らはロシア音楽を多く録音していますし、実はグリーグの録音もあります。実際、演奏も自信に満ちあふれた、素晴らしい出来映え。この曲の場合、北欧や英国の指揮者が淡白にさらっと演奏する事が多いのに対し、マータの演奏はロマンティックなパッションに溢れ、表情もすこぶる豊か。全編を通じてゆったりと余裕のあるテンポの中で、旋律線を心ゆくまで甘美に歌い上げていて、初めてこの曲を聴く人に敢えてお薦めしたいくらいです。

 終楽章の弦のフレージングにも、時に恣意的なルバートや間合いを加えていますが、旋律の感情的な流れにうまく乗っているので説得力があります。ダラス響のサウンドは、いつもながらゴージャス感溢れるリッチなもので、北欧風のクールな響きの代わりに、独特の柔らかな肌触りと暖かな温度を感じさせます。これで、マイクが木管などの細かい動きをもう少し鮮明に拾ってくれると良かったかも。

“清涼感溢れる音色と、幻想曲風のユニークな解釈が随所に冴え渡る”

パーヴォ・ベルグルンド指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1986年  レーベル:EMIクラシックス)

 ベルグルンド二度目の全集から。彼はこの前にボーンマス響と、この後にヨーロッパ室内管と全集を完成させています。《大洋の女神》《フィンランディア》をカップリング。ベルグルンドの解釈は、メリハリを付けて対比を作るよりも、フレーズとフレーズ、各部と各部を連結させて、その起伏でドラマティックな音楽を作ってゆく幻想曲風のもので、極めてユニークな位置を占めるディスクと言えます。柔らかさや暖かみを備えながら、高音域に独特の清涼感があるオケの響きも特色の一つ。

 第1楽章はスピーディなテンポで、堅固な様式感を保持。瑞々しく新鮮な音で構成され、アゴーギクもデュナーミクも、自然のラインで出来ているかのようなフォルムが美しいです。分けても展開部の造形は秀逸。ブラスを中心に、深々と森の奥からわき上がってくるかのようなクレッシェンドです。第2楽章は、クレッシェンドでそうっと入ってくる冒頭のティンパニが独特。速めのテンポながら、自在な呼吸で即興的にデッサンし、フレーズ同士の繋がりが有機的。オケの独特なソノリティも、威圧感のない柔らかく優しいタッチを実現します。

 第3楽章は、速いのに性急な感じがしないのが不思議。染み渡るような叙情の表現も、感傷には陥らないけれど情感豊かなのが素晴らしい所です。第4楽章も速めですが、刺々しい箇所が全くなく、起伏はあっても凹凸の滑らかな造形。しっとりと潤いのある弦も、爽快なカンタービレで歌います。再現部への長いクレッシェンドに入る所で、チェロのオスティナート・リズムが加速しつつクレッシェンド、ディミヌエンドの弧を描く様は、まるで生き物のような動きで、その見事な呼吸に脱帽。

“ドレスデン・シュターツカペレによる稀少なシベリウス録音。旧盤から解釈の変化も”

コリン・デイヴィス指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1988年  レーベル:プロフィル)

 ボストン響、ロンドン響とも同曲を録音しているデイヴィスの、ドレスデンでのライヴ。同オケによるシベリウスは非常に珍しいと思われます。カップリングされている《エン・サガ》と《ルオノンタール》は03年、シンフォニーの方は88年と、収録年月にかなりの開きがあります。さすがにシュターツカペレは柔らかく豊麗なサウンドを聴かせますが、トロンボーンが強奏に入ってくると響きが荒れて角が立ち、美感が損なわれるのが残念です。もっとも、このオケとしては意外なほど透明度の高い、清澄な響きを達成していて、作品にふさわしい音作り。

 デイヴィスは、虚飾を排したアプローチが相変わらずですが、偶数楽章のテンポが旧盤と較べるとかなり速くなっていて、第4楽章の主部など、スタッカートを多用した歯切れの良いフレージングと軽いフットワークで駆け抜けるという、どこか北欧の指揮者を思わせる表現も聴かれます。第2楽章も、熱い演奏ながらアインザッツに乱れが散見。フィナーレのコーダでは、最後の三つの和音を完全に分けて鳴らしています。

“濃い色彩、唸る低音と粘液質のカンタービレで、温度の高いシベリウス演奏を展開”

ズービン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

(録音:1990年  レーベル:テルデック)

 同コンビ唯一のシベリウス録音で、フィンランディアとカップリング。メータのシベリウス自体珍しく、他にはイスラエル・フィルとのヴァイオリン協奏曲、組曲《ペレアスとメリザンド》くらいしかないと思います。彼もまた、おおよそ北欧のイメージとは結びつかない指揮者ですが、当盤はなかなかの熱演で、シベリウスはかくあるべしという固定観念に縛られない人なら面白く聴ける演奏ではないでしょうか。

 当コンビの響きは厚ぼったくて色彩も濃く、まるで油絵のようで全く透明感がありません。特に、唸りをあげるテューバを核とした低音部の扱いには、70年代のメータに顕著だったグラマラスな音楽作りの残滓が聴き取れて、興味深いものがあります。激しく強打されるティンパニ、ブラスの強奏、弦による粘液質のカンタービレなども、総じてダイナミックなメータの棒と密接に結びついたもの。

 前半二楽章はゆったりとしたテンポでドラマティックに仕上げたもので、フレージングこそ至極明快で神秘性は皆無ですが、ドラマティックな造型でストーリー性あり。ワーグナー辺りの感じに近いかもしれません。後半二楽章は一転してぐいぐい押してゆくようなテンポ設定で、熱っぽい表現。要するに、北国のクールな肌触りとは対極にあるような温度の高い演奏なのですが、これはこれで迫力満点、聴きごたえがあります。最後の山場に向かう長いクレッシェンド部は、付点リズムに弾みを加えたノリの良い三拍子オスティナートが独特。

“恰幅の良い秋山の棒と、北国のオケらしい清澄な響きがマッチングした大阪ライヴ”

秋山和慶指揮 札幌交響楽団

(録音:1990年  レーベル:ノース・ウィンド)

 大阪ザ・シンフォニーホールにおけるライヴ録音。間接音をたっぷりと収録していて雰囲気は良いですが、距離感があまりに遠く、ディティールの解像度がもどかしい録音。金管群の強奏が硬質で、響きがささくれ立つのも残念です。会場のどの席で聴いてもこんな風には聴こえない筈だし、舞台裏か、ほとんど天井近くにワンポイント・マイクを吊るしているのではないでしょうか。

 演奏はなかなか恰幅が良く、悠々たる足取りで壮大。第1楽章は相当遅いテンポが採られますが、この指揮者はテンポを極端に動かす事があまりないので、いかにも穏健で余裕のある感じを受けます。みずみずしく透明感のある弦は北国のオケらしく、木管の彩りも含めて清澄なサウンドが魅力的です。第2楽章も安定感があり、着実な音楽作りを聴かせますが、ドラマティックな起伏は指揮者の才覚を感じさせます。ブラスとティンパニはやや刺々しくなりますが、弦と木管は柔らかい響きが美しいです。

 速いテンポできびきびと造型した第3楽章を経て、フィナーレでは旋律を流麗に歌わせて表情も豊か。ピアニッシモには、独特の詩情が漂います。弦の響きにさらさらとした冷感があるのも、その印象を強めますが金管、特にトロンボーンは硬直気味。最後のクライマックスは構えが大きく、ティンパニの鮮烈な強打も加えて、巧みなアゴーギクで盛り上げています。コーダも、凄いほどの高揚感を表した熱っぽい表現。

極端なスロー・テンポでディティールを掘り起こすマゼール。旧盤の魅力は減退

ロリン・マゼール指揮 ピッツバーグ交響楽団

(録音:1990年  レーベル:ソニー・クラシカル

 全集録音中の一枚で6番とカップリング。マゼールはウィーン・フィルとも60年代に全集を完成させています。旧盤の多彩な表現とは打って変わり、極端に遅いテンポで細部を掘り起こしてゆく、独特のアプローチ。特に第1楽章は異様なほど遅いテンポで進められますが、あらゆる音を克明に刻んでゆくような表現には新鮮な発見もあります。

 オケの響きにはさらなる洗練を求めたい所ですが、まろやかにブレンドする暖色系のサウンド傾向で、マゼールの演奏によくある、角の立った鋭いアクセントはほとんど聴かれません。第2楽章以降も、芝居がかったポーズを時折盛り込みつつ、ゆったりとしたテンポで旋律を歌わせてゆく巨匠風の造型。フィナーレなど、いかにもマゼール流にスケール大きく盛り上がりますが、みずみずしいカンタービレと若々しい感情の発露が魅力だった旧盤と較べると、どことなく色褪せて聴こえるのも事実。ダイナミズムもかなり後退してしまった印象です。

ニュアンスの豊かさ、艶やかで有機的な響き、ブロムシュテットの職人芸が冴え渡る名演

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 サンフランシスコ交響楽団

(録音:1991年  レーベル:デッカ

 全集録音の一環。当全集はどれも素晴らしい仕上がりですが、最もポピュラーな同曲でも、ブロムシュテットは霊感に溢れた、フレッシュな演奏を展開しています。聴きはじめてすぐ気付くのは、細部にまで徹底された驚くべきニュアンスの豊さと、あくまでも艶やかな響き。落ち着いたテンポを基調としていますが、第2楽章の激しく燃える情熱や、第4楽章冒頭のスピーディな音楽運びと歯切れの良い軽妙なリズムなど、通俗に堕ちない個性的なアプローチも生きています。

 サンフランシスコ響の演奏にも感心しきり。明るい音色ながら、柔らかく、潤いのあるサウンド、特にトゥッティの充実しきった有機的なソノリティは、かつての当オケに聴かれなかったもので、改めてブロムシュテットの指揮者としての能力にも感嘆します。

“ドラマティックで演出巧者、作品のミニマリスティックな本質も捉えるレヴァイン”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 レヴァインのシベリウス第1弾。シャウシュピールハウスでのライヴ録音で、スタジオ収録の《フィンランディア》《悲しきワルツ》がカップリングされています。当コンビのシベリウスは続いて4番&5番のディスクが発表されましたが、続編はレコーディングされませんでした。

 一言で表すと、劇場的感性でドラマティックに仕上げた演奏。レヴァインとシベリウスもどこかイメージが結びつかない感じがしますが、意外に相性は悪くないようです。速めのテンポで曲想を大掴みにして、大波小波の起伏を付けてゆくアプローチには北欧の演奏家と通底する部分もありますし、ミニマルな音型の繰り返しに焦点を当てている点では、シベリウス作品の本質も見事に据えています。豊麗な残響を伴った深い音場感も曲調に合ったもの。

 ただ、トゥッティで力感を解放するレヴァインの行き方は、ベルリン・フィルのようなラウドな響きを持つオケでは、時に粗さも露呈します。華のある輝かしい響きではありますし、弦もポルタメントを盛り込んで艶やかに歌っているので、まあ聴き手の好み次第でしょうか。最後の三つの和音は完全に分けて鳴らしています。

“大胆なアゴーギクで劇的なクライマックスを形成する感動的熱演”

ウラディーミル・アシュケナージ指揮 ボストン交響楽団

(録音:1992年  レーベル:デッカ)

 ボストン・シンフォニー・ホールでのライヴ収録。フィンランディア、悲しきワルツ。弦楽のためのロマンスがカップリングされていますが、そちらはスタジオ録音です。アシュケナージとボストン響の共演ディスクは当盤が唯一で、同オケのデッカへの登場も非常に珍しいです。もっとも、録音はすこぶる優秀。音場感の豊かさ、直接音の明瞭さ、響きの艶など、どれをとってもフィリップスやグラモフォンの上を行くような仕上がりとなっていて、ライヴ収録のハンディもあまり感じさせません。

 アシュケナージは旧盤に顕著だった幽玄の趣を減退させ、テンポの変化を細かく設定してドラマティックな起伏を作る事に成功。気宇が大きく、ライヴらしい白熱のクライマックスを形成しています。テンポはやはり遅めですが、旧盤ほど極端ではなく、ぐいぐいと音楽を引っ張ってゆく場面も多々あり。第1楽章の展開部も、大胆なアゴーギクで劇的に造型していて聴きごたえがあります。フィナーレは感動的な盛り上がり。弱音部の美しさも特筆もので、名手も多い一流オケの性質がプラスに働いた印象です。

“旧盤よりずっと恰幅がよくなったデイヴィス。名人芸と呼ぶべき棒さばきを披露”

コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1994年  レーベル:RCA)

 2度目の全集録音より。第1楽章から間合いも佇まいも旧盤よりたっぷりしていて、情感豊か。無骨な所はほぼ消失し、響きも豊麗で柔らかいし、フレージングにふくらみがあります。自然で優美な表現ですが、力強さにも欠けていません。第2楽章は落ち着いた足取り。主部もアゴーギクとオーケストラ・ドライヴが見事で、作品を掌中に収めた表現。奥行きの深い壮麗な響きも円熟を示し、ヴィブラートのきいたトランペットなど、フォルティッシモでも余裕を感じさせます。弱音部のちょっとした木管のパッセージに漂うたおやかな風情も、旧盤にはなかった味わい。

 第3楽章も遅めのテンポで細部を丹念に描写。フィナーレはスロー・テンポの、噛んで含めるようなタッチで開始。各部の推移や緩急の付け方がセンス抜群で、旋律の歌わせ方、卓越したリズム感の適用など、どの箇所にも名人芸と呼びたくなる巧みな棒さばきが光ります。スケールも大きく、英国が排出したシベリウス指揮者の系譜の一人として、格別の矜持を示した格好。

“オーソドックスな造型の中にも、モダンな音響と前衛的なセンスがのぞく”

オスモ・ヴァンスカ指揮 ラハティ交響楽団

(録音:1996年  レーベル:BIS)

 ヴァンスカ最初の全集録音から。彼は後にミネソタ管とも、クレルヴォも含めた全集を完成させている。響きの傾向は同じレーベルのエーテボリ録音と似ているが、残響はさらに豊富。当盤は、この全集の中ではむしろオーソドックスな造形だが、磨き上げられたモダンな音響に前衛的なセンスが投影されている点は、彼らの演奏ならでは。

 第1楽章は、速めのテンポで流麗に描くこの全集のコンセプトを踏襲していて、アーティキュレーションも洗い直されて新鮮に聴こえる。粘性と切れ味を同居させたオケの響きも独特で、トゥッティにも底力あり。第2楽章は落ち着いた雰囲気で、やはり正攻法の表現。実演でも顕著だったピアニッシモの雄弁な表現力はここでも聴かれ、振幅の大きなアゴーギクにオケが一体感の強い合奏で応える。

 第3楽章も勢いがあり、高い集中力で凝集された表現を展開。中間部の息の長いカンタービレも、本場オケの強みを感じさせる。第4楽章も意外なほど王道を行く表現。フレージングにはあちこち細かいこだわりが聴かれるが、それよりも気宇の大きさやのびやかな叙情、内面から湧き出るような暖かな感興と、みずみずしい歌をこそ聴くべきなのかも。透明度が高く、鮮烈なのに柔らかい響きも素敵。

“透徹した響きとスリムな造形で、さらにユニークな解釈を聴かせるベルグルンド三度目の録音”

パーヴォ・ベルグルンド指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

(録音:1997年  レーベル:フィンランディア・レコーズ)

 3度目の全集録音より。録音会場とエンジニアがばらばらで、1〜3番と5番はオランダ収録でエンジニアがオノ・スコルツェ、4、6、7番はイギリス収録でエンジニアがトニー・フォークナーと、いずれもメジャー・レーベルでも活躍する技師を起用しています。

 第1楽章は速めのテンポで、普通は流麗につなぐフレーズをぶつ切りにしたりと、見直されたアーティキュレーションが独特。小回りがきいて起動性の高い小編成を生かし、引き締まったシェイプと解像度に優れたリズム処理を実現しています。弦の刻みなども雰囲気で流さず、精確そのもの。旧全集譲りの澄んだ響きは編成が縮小された事でさらに徹底され、スコアの構造が透けて見えるようなユニークな表現へと繋がっています。

 第2楽章はスケールを拡大しすぎず、凝集された緻密な表現で鮮やかに造形。スリムなプロポーションに仕上げ、あらゆるフレーズを明快に抽出しながらも、それらをしなやかに連結するのがまた個性的。隅々までクリアで無駄は一切ないけれど、味わいが深く、物足りなさもありません。響きが乾燥せず、常にみずみずしく潤っているのも好印象です。

 第3楽章は主部、中間部ともに落ち着いたテンポ設定。細かい音符に至るまで、克明に処理しています。フィナーレは、細かく付けられた強弱やよく弾むリズムなど、オケが鋭敏に反応。強奏でも柔らかさを維持した、豊麗なソノリティも耳に快いもの。ベルグルンドの棒はスペシャリストのルーティンに甘んじる事なく、常に向上を目指す探究心の発露に頭が下がります。タイトに締まった造形ながら感興豊かな歌が横溢する、素晴らしい解釈。

 

 → 後半リストへ続く

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