マーラー/交響曲第1番《巨人》

概観

 マーラーのシンフォニーでは最も短い作品の一つで、人気の高い曲。最終的に割愛された《花の章》という楽章を含めて演奏しているディスクもあるが、やはり完成版が構成として安定している。形式に関しては次の第2番から早くも大きく逸脱しはじめるので、まだ古典的交響曲の枠組みを保っている本作は貴重。私も好きな曲だったが、来日オケの公演などコンサートで余りにも演奏されすぎて、最近はプログラムに入っているとうんざりするようになってしまった。

 私のお薦めは、T・トーマス盤の身の毛もよだつ凄絶なパフォーマンスと、ドラマティックな語り口が興奮を呼ぶレヴァイン盤。他にも、造形美とパッションが見事に融合したムーティ盤、予想を超える精緻さに震撼させられるドホナーニ盤、濃密な一体感で圧倒するラトル盤、室内楽的な発想にライヴの白熱を加えたデ・ワールト/オランダ盤、全方向における理想型を示すシャイー盤、熟練のマーラー解釈が花開いたインバル/チェコ盤など、名演が目白押し。

*紹介ディスク一覧

64年 アンチェル/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 

67年 クーベリック/バイエルン放送交響楽団  

71年 ジュリーニ/シカゴ交響楽団    

74年 レヴァイン/ロンドン交響楽団

77年 小澤征爾/ボストン交響楽団  

79年 マゼール/フランス国立管弦楽団

80年 メータ/ニューヨーク・フィルハーモニック

81年 アバド/シカゴ交響楽団

81年 コンドラシン/北ドイツ放送交響楽団 

82年 マルケヴィッチ/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 

84年 ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団

85年 マゼール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

87年 小澤征爾/ボストン交響楽団

87年 ハイティンク/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

88年 C・デイヴィス/バイエルン放送交響楽団

89年 ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団

89年 デ・ワールト/ミネソタ管弦楽団

89年 シノーポリ/フィルハーモニア管弦楽団

89年 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

90年 テンシュテット/シカゴ交響楽団  

91年 ラトル/バーミンガム市交響楽団

93年 デ・ワールト/オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

95年 シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

98年 ブーレーズ/シカゴ交響楽団

01年 T・トーマス/サンフランシスコ交響楽団

06年 ヤンソンス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

08年 ホーネック/ピッツバーグ交響楽団

11年 インバル/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

17年 ガッティ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団  

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“端麗な音楽性に指揮者とオケの魅力が溢れる、滋味豊かな名演”

カレル・アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1964年  レーベル:スプラフォン)

 当コンビには第9番、アンチェルにはトロント響と第5番の録音もあります。直接音の鮮明さと美しいホールトーンを両立させたこのコンビならではの素敵なサウンドで、録音年を考えるとダイナミックレンジの広さも、歪みや混濁を抑えている点も優秀。

 第1楽章は序奏から音彩が独特で、くっきりと軽妙なクラリネット、おもちゃのラッパみたいなミュート付きトランペット、ヴィブラートたっぷりでふくよかなホルンと、いずれもユニークさが際立ちます。主部は清澄な音響空間に各パートが明瞭に浮き上がる、目の覚めるように鮮烈で美しい表現。端麗な歌い回しですが、響きにも語り口にも深いコクがあるのがこのコンビです。感情面に耽溺はしませんが、イン・テンポではなく、展開部のクライマックスも大きく速度を落とす箇所あり。

 第2楽章は遅めのテンポで楷書体ですが、なにせ音色にも歌い回しにも味わいがあり、堅苦しく真面目な表現には決して陥りません。シャープで抜けのよいブラスの響き、弦のみずみずしいカンタービレも魅力的。

 第3楽章は停滞感のない速めのテンポで流麗に歌いますが、誇張がないため、普通に美しい音楽として聴けるのが驚きです。カリカチュアとして描いたマーラーの意図には反するかもしれませんが、豊かな音楽性で聴かせる純粋に凄い演奏。響きが透徹しているため楽器法が際立ち、中間部も色彩の変転が実に鮮やかに描写されます。どこまでも気持ちのよい和声感にも、得難い魅力あり。

 第4楽章は、冒頭の弦のパッセージの歌うように自由な身振りが個性的。情動に流されず、明晰な判断力で歯切れの良いスタッカートや強靭なアタック、しなやかな歌い回しを、きっちりと描き分けてゆく指揮ぶりに圧倒されます。また、彫りの深い各部の表現やその有機的な連結、時に大胆なルバートで気宇の大きさも示す設計力は見事。ライヴ的な高揚感を伴って盛り上げるコーダも白熱します。時代を感じさせない、屈指の名演ではないでしょうか。

“古典音楽の延長線上で解釈し、自然体の率直な姿勢を貫くクーベリック”

ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:1967年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 全集録音より。クーベリックのマーラーは総じてテンポが速く、淡々とした調子でまとめられているのが特色で、端正な造形の中に豊かな音楽的ニュアンスを盛るのが彼らしい所。人工的な味付けや大仰な身振りがなく、古典音楽の延長として自然体でマーラーを捉えている辺り、小澤やブーレーズの姿勢と重なります。ただ、この時期のバイエルン録音は響きがやや薄手で、低域も軽く感じられるのが難点。

 第1楽章は提示部リピートを実行しているにも関わらず演奏時間14分半。主部はさほど速く聴こえないですが、楽想の変わり目に溜めがないのと、展開部であまりテンポ落とさないので、フォルムが端正に仕上がっています。アタックは鋭利で、明瞭な語調が支配的。みずみずしいオケの音色と溌剌たるリズムを駆使し、スコアに対する明朗率直な姿勢を表しつつ爽快に歌います。展開部やコーダも加速が巧みで、自然に高揚。

 第2楽章もメリハリが強く、硬質なタッチの演奏。オケはやや洗練に欠ける所もあり、ローカルな野暮ったさも残すものの、音色は美しいし、合奏も生彩に富みます。第3楽章は平均的なテンポ設定。ユダヤ音楽のエピソードでは、トランペットやクラリネットに安っぽい音色を付与した上、音量の上でも強調しているのは作品の本質を衝く表現でしょう。

 第4楽章はさっぱりとした感触で切り口がシャープ。金管の短いクレッシェンドの繰り返しは、デフォルメ気味に強調されて迫力があります。峻厳な辛口の演奏にも聴こえますが、柔和な表情やリリカルな情感も頻出するのはクーベリックの個性。第2主題は艶っぽい音色で、ロマンティックに歌い上げます。短いパッセージにも“歌”の感覚があるのがユニークで、現代のマーラー解釈とは異質な箇所もあり。テンポの推移もすこぶる自然で、さほど速くは感じさせません。フォルムが肥大しないのは美点。

“極端な表情や神経質な表現を排し、ひたすら穏やかに描かれるユニークなマーラー”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1971年  レーベル:EMIクラシックス)

 ジュリーニの数少ないマーラー録音の一つ。同響とは9番がある他、ベルリン・フィルと《大地の歌》の録音もあります。クレッシェンドやアッチェレランドなど、極端な表情付けをことごとく排除した表現で、マーラー特有の神経質さがありません。控えめながらポルタメントも用いていますが、典型的なマーラー演奏とはコンセプトが根本的に異なります。録音は鮮明ですが、強音部でやや歪みあり。

 第1楽章は、序奏部で導入される音事象が全てスローで丁寧。トランペットのファンファーレは弱音器付きの上、舞台裏の距離感も遠く、本当にかすかにしか聴こえません。主部も遅く、最初の全強奏に至ってもあまり加速しないのは独特。あらゆる音が艶やかに磨かれているのは、このオケらしいサウンド傾向。展開部もテンポや音量の大きな変化を避けているため、マーラーの音楽がいつになく穏やかで、柔和に聴こえます。細部まで徹底して緻密に彫琢するスタイルは曲に合っていますが、コーダも上品で、決して興奮の色を見せません。

 第2楽章は、冒頭の低弦がリズムも音色も軽いタッチ。スタッカートの切れも良く、レントラー風かどうかはともかくとして舞曲らしい軽やかさは出ますが、金管など幾分ストレートに過ぎ、生真面目すぎて柔軟性に欠けます。音色は明朗。コーダも克明で、律儀そのものです。

 第3楽章は、標準的なテンポ。オケが上手な事もあってか、全ての音があるべき場所にきちんと収まっているようなイメージです。テンポが変転する所は、一応シフト・チェンジしているものの、基調が遅めなのでさほど変化に富むようには聴こえません。トランペットの重奏や弦のポルタメントなど、カリカチュア風の楽想はなべて抑制が効き、品格を守って演奏されるので、マーラー的なアイロニーも回避されます。

 第4楽章冒頭は、激した調子こそありませんが、硬質なタッチで明晰。緊密な合奏できっちり聴かせる迫力がある一方、テンポが遅い上に主題提示でもう一段速度が落ちるので、全体にのんびりした、鷹揚な性格に聴こえます。行進曲風のエピソードに続く部分は、テンポが妙に間延びしたり、フレーズが粘性を帯びたり、独特の造形感覚。色々と工夫は凝らしている様子です。第2主題は美しく、艶やかに歌いますが、陶酔感はゼロ。

“見事な構成力、ライヴのごとき興奮。若きレヴァインのただならぬ才気に驚嘆!”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 ロンドン交響楽団 

(録音:1974年  レーベル:RCA)

 レヴァインは同オケやシカゴ響、フィラデルフィア管とマーラーのシリーズを録音(未完)しており、当盤はシカゴでの第4と並んで最初に取り組まれたもの。レヴァインのディスコグラフィでも最初期の一枚です。情念の覆いを取り払い、明晰な音響と客観性を保ったスタイルにおいて、レヴァインは先駆者といっていいと思います。今、当盤を聴いても全く見事な演奏で、当時、彼と同世代の指揮者でこれだけマーラーを振れる人はほとんどいなかったのではないでしょうか。

 まず、構成力に並々ならぬ才気を感じさせます。曲全体のデッサンを設計してから細部に取り組んでゆくような行き方は、オペラで培ったものと思われますが、そういうアプローチがマーラーの大曲にふさわしい事は言うまでもありません。タメを作らずに快速調で飛ばす場面もあちこちにあるし、第1楽章など展開部に至ってもやや淡白に感じられるかもしれませんが、最後まで聴くとそれも周到かつ的確な様式感覚に基づいている事が分かります。フレージングはクセがなく、強い濃淡は付けられていませんが、旋律線は流麗で伸びやか。

 第2楽章は若々しい覇気に溢れ、弦のリズムも切っ先が実に鋭利ですが、中間部ではゆったりとしたテンポをとって豊かな歌心を聴かせ、その足取りと間合いは若手指揮者のそれと思えぬほど堂に入っていて驚かされます。この楽章に限らず、自分はこれだという明確なコンセプトを貫いている所に、早熟な才能が現れています。

 凄いのが第4楽章。複雑な構成を巧妙にまとめあげ、コーダに至ってどんどんテンポを煽り、まるでライヴのように音楽を白熱させてリスナーを興奮のるつぼに導くその手腕といったら! オケの響きはくすみがちでホールの音響も冴えず、シカゴやフィラデルフィアの録音と較べると艶や彩度、透明感において一段落ちるのが残念。

“ひたすら真面目で清潔な表現に、さすがにこれでは何かが足りないと不満”

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団

(録音:1977年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 小澤初のマーラー録音。当コンビは80年代にフィリップスへ全集録音も行っています。《花の章》を加えた録音としても話題を呼びましたが、後の再録音では通常の4楽章構成に戻しています。再録音盤と同じ会場での収録ですが、こちらはやや引きの距離感でホールトーンも豊かに取り入れており、壮麗さやスケール感では当盤に軍配が上がります。

 第1楽章は当コンビらしい柔らかく流麗な表現で、尖った部分がほとんどありませんが、透徹した響きはメリット。明るい音色も曲想にふさわしいですが、特定要素のデフォルメが全くないため、あまりに穏健すぎるきらいもないではありません。艶やかに磨かれたサウンドはひたすら美しく、フレージングも丁寧で優美そのものです。展開部以降もデモーニッシュな凄味には近付かない清潔な表現ですが、颯爽とした勢いは好ましい感じ。

 《花の章》も精緻なアンサンブルで丹念に仕上げられ、いい加減な仕事はしない指揮者の真面目さを窺わせます。資料的価値を求めるリスナーには役に立つサンプルかも。第2楽章はゆったりしたテンポで、温厚な性格。合奏の精度は高く、シャープな輪郭は切り出されているものの、ぱりっとしているという以上の峻厳さには欠けます。一方、旋律線のしなやかさ、滑らかさはさすが。

 第3楽章も、遅めのテンポと克明な譜読みで実に上品。しかしこういう戯画的な音楽においては、小澤の純音楽的で端正なアプローチが功を奏さず、スコアの異形性や諧謔味がほとんど出ない憾みもあります(プロコフィエフの《キージェ中尉》などもそうでした)。大御所俳優がお笑い芸人のコントに出演しているような感じでしょうか。中間部も淡々とした足取りで、普通に美しいエピソードとして演奏されています。

 第4楽章はテンポこそ中庸ですが、表現自体はどこまでも無駄がなく清澄。過剰な情念を盛り込まないため、客観的に聴ける良さはあるものの、バーンスタインの濃厚なマーラーが苦手な私でさえ、これでは何かが足りないと感じてしまいます。随所に仕掛けられたケレン味たっぷりの聴かせ所も、全て淡々と素通り。小澤は再録音盤でもこの態度に徹していますが、当盤にはまだ若々しい活力や熱量の高さがあり、その点がアドバンテージになっています。

透明度が高く、さっぱりと明るいサウンドで奏でられる個性的マーラー像

ロリン・マゼール指揮 フランス国立管弦楽団

(録音:1979年  レーベル:ソニー・クラシカル

 後に交響曲全集を完成させるマゼールですが、当盤が出た時点では昔の4番の録音があっただけでした。なかなかCD化されず、2011年にやっと30枚組のロリン・マゼール・グレート・レコーディングスBOXでやっとCD化。

 第1楽章から透明度の高い、冴え冴えとした表現。最初のトゥッティで鋭く鳴るホルンなど、独自の魅力があります。提示部のリピートは割愛。弱音の効果が素晴らしいのも当盤の特徴で、チェロの第1主題も非常に弱く演奏されています。金管が入ったトゥッティは乾燥してさっぱりとした音ですが、響きがデッドで低域が浅いのは問題。第2楽章もぱりっと明るい音色で描かれた、鮮烈で楽しい演奏です。

 第3楽章はユニークな表現で、コーダ近くで転調と同時にテンポが上がる所、トランペットの二重奏を極端なほど強調しているのもマゼールらしいデフォルメ。第4楽章はさすがに淡白すぎて、人によっては物足りないかもしれませんが、自在な呼吸を駆使したフレージングが魅力的です。クライマックスなど、パリのスタジオが音響的魅力に乏しく、この辺りは再録音盤に軍配が上がりますが、フランスのオケらしいサウンドが充溢する当盤も唯一無二のキャラクター。

磨き抜かれた美しいサウンドを展開しながらも、淡白な棒で情熱を欠くメータ

ズービン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

(録音:1980年  レーベル:ソニー・クラシカル

 メータはイスラエル・フィルと同曲74年(デッカ)と86年(EMI)に録音しており、後者は《花の章》入りでしたが、間に位置する当盤は通常の構成。発売当時は録音の良さで話題を呼んだディスクで、演奏もディティールまで精緻に聴かせるアプローチ。響きは美しく磨き抜かれ、柔らかな肌触りを持っています。ニューヨークに移ってからのメータらしい、抑制の効いた洗練度の高い表現で、指揮者もオケもかつてとは変わったという印象を当時強く受けました。

 第1楽章は提示部リピートを割愛。冒頭からテンポが速く、流れるような進行の中、滑らかな音色のクラリネットが入ってきます。トゥッティの響きは、さすがに欧州オケの深みには欠けますが、かつてのこのオケのサウンドと較べると遥かにリファインされています。ただ、メータの棒は客観性が強く、クライマックスも凄みに乏しい印象。

 第2楽章はやや腰が重く、妙なアクセントの強調が聴かれますが、中間部の艶やかな歌は情感たっぷり。第3楽章は非常にスローなテンポで開始した後、細かいアゴーギクの変化を付与。こちらも中間部がゆったりと演奏されています。フィナーレもよくまとまっていますが、情緒的には淡白な性格で、威圧感や激しいパッションは聴かれません。又、テューバやバス・トロンボーン、ティンパニなど、時折クセのあるアクセントが気になります。

生硬で不器用に感じられる場面が頻出、好印象が持続しない残念な録音

クラウディオ・アバド指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1981年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 複数オケによるマーラー・ツィクルスの一枚。アバドは後にベルリン・フィルと同曲を再録音しています。第5番などアナログ録音にあった響きの硬直はなくなり、全強奏でも潤いと柔らかさを維持しているのは、デジタル機器の導入でやっとシカゴ響のダイナミック・レンジに追いついたという事でしょうか。

 オケの緻密なアンサンブルが素晴らしく、第1楽章冒頭などで絶大な効果を上げていますが、アバドの棒は流麗自在な箇所とギクシャクして生硬な箇所が数小節おきに入れ替わる感じで、案外と不器用。カッコウの動機など、木管の音色がひときわ美しく捉えられているのも当盤の特徴で、弦もポルタメントを多用してよく歌っています。レガートが頻発するのもアバドらしい所。

 弱音の領域が多い第3楽章が一番成功していますが、終楽章は耳を傾けるべき瞬間こそ多いものの、決まってその直後にがっかりさせられるので、どうも好印象が持続しません。コーダはその典型で、やっと熱っぽく盛り上がってきたと思ったら、最後の最後であっさりと終了。残響の少ない録音と相まって、整然と腑分けされた響きは見事で、透明度ではブーレーズ盤以上かも。嵐のような冒頭のトゥッティでも、一糸乱れぬ弦楽セクションの合奏がはっきりと浮かび上がるのに驚かされます。

コンドラシン、死の数時間前のライヴ録音。豪胆で直情的な力演を展開

キリル・コンドラシン指揮 北ドイツ放送交響楽団 

(録音:1981年  レーベル:EMIクラシックス) 

 コンドラシン、死の当日のライヴという話題盤。アムステルダム、コンセルトヘボウにおけるNDR響のツアー・ライヴで、彼は演奏終了後の夕方に心臓発作で亡くなりました。EMIから発売されていますが、NDRのロゴも入った放送録音シリーズの一枚。コンドラシンは、モスクワ・フィルと全集録音も完成させています。録音はクリアで聴きやすいですが、打楽器を伴うトゥッティでは若干の歪みとこもりがあります。

 コンドラシンの演奏が豪胆に聴こえるのは、猛々しく骨太な造型、推進力に満ちたテンポ設定などが要因と思われますが、当盤にもそういった特徴が如実に表れています。第2楽章を除けばテンポはおしなべて速く、第1楽章や第3楽章の主部など、聴き慣れないほどの速さで進行する場面も頻出します。もっとも、旋律を歌わせる場面ではテンポを動かし、ロマンティックな表情も付けてはいます。

 テンポ以外に奇を衒った所はなく、ストレートな力感を直截に打ち込んでくるパワフルな表現。トランペットのハイトーンでミスが数カ所ある他は、オケも技術的にレヴェルが高いようです。第1楽章は提示部のリピートを割愛。

“自然体の爽やかな棒ながら、スコアが孕む劇性を白熱した山場へ有機的に連結”

イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:ターラ)

 2種類発売された、当コンビのライヴ音源の1枚。マルケヴィッチのマーラー録音は大変に珍しい。当コンビの正規セッション録音は、ドイツ・シャルプラッテンへのムソルグスキーの《展覧会の絵》《禿げ山の一夜》があるのみ。残響が豊富で奥行き感も深く、みずみずしい高音域など聴きやすい音質。強音部も響きこそ飽和するものの、歪みや混濁は目立たず、なかなか優秀な放送録音。

 第1楽章は提示部のリピートなし。テンポが速く、流れの良い演奏。オケの音色には独特の雰囲気があるが、マルケヴィッチはシャープな造形感覚で全体をタイトにまとめている。管楽器にミスもあるものの、フレージングは優美で、弦の艶やかな音色も魅力的。アゴーギクは自在で、意外に柔らかいラインを描く美しい演奏。クライマックスの盛り上げ方も無理がなく、自然な力感の開放が好印象。

 第2楽章もスピーディなテンポで軽快。聴いていて気持ちが良いので、これが最適なテンポなんじゃないかとさえ感じる。みずみずしいヴァイオリン群を筆頭に、各パートが無類にシャープなアタックでサクサクと切り込んでくるのも胸のすくよう。トリオも私の知る限り、最速テンポを採択。ただ、どのパートも表情豊かによく歌うので、無味乾燥にはならない。

 第3楽章も速めのテンポで快適。大きなルバートは用いないので濃厚な味わいが軽減される一方、表情は繊細で、マーラー嫌いの人にも純音楽的に受け入れられそうな表現になっている。中間部のしなやかな美しさは印象的。

 第4楽章は冒頭から渾身の一撃。派手な表現は一切ないのに、スコアが孕む劇性を有機的な迫力に結びつけられる手腕が、マルヴィッチの凄さ。粘っこくうねりながらも、爽やかな音色を維持する第2主題の歌い回しも最高。展開部も推進力の強い棒でぐいぐいと牽引してゆき、やはり大袈裟なルバートは避けている。後半部の白熱した盛り上げ方は凄絶。最後は大きくデフォルメするが、残響が消えるのを待ってから拍手を送るライプツィヒの聴衆はさすが。

かつての意欲的で激しい感情表現に、豊麗な響きと艶やかさも加わったマーラー”

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:EMIクラシックス

 ムーティ唯一のマーラー録音。実演でもマーラーはあまり取り上げていないようである。当コンビのレコーディングが、旧メトロポリタン歌劇場老朽化のため、フェアマウント公園のメモリアル・ホールに移って収録された最初の一枚。

 EMIスタッフによる調査の過程で関係者から絶賛され、ここを使うよう強く推されたというだけあって、オールド・メトでの録音で顕著だった荒々しい金管の咆哮や腰の強さは継承しつつ、オーマンディ時代から失われつつあった響きの暖かみや豊麗さ、艶やかさが戻ってきたようなサウンド。

 ムーティ一流の峻厳な造型感覚を枠組みに設定しながらも、意欲的な感情表現を盛り込んだ雄弁な演奏。特にテンポの設計が素晴らしく、両端楽章のクライマックスの形成や、第2楽章中間部、第4楽章第2主題など、巧妙なアゴーギクを駆使した歌い回しに天賦の才を発揮する。

 ただ、力みのないイン・テンポで淡々と進行する第2楽章の主部は個性的。第3楽章も、一般的な演奏とは表情付けが大きく異なる。剛胆な棒は健在で、強音部での猛々しいアタックや鋭いスタッカート、エネルギーの爆発には凄みすら漂う。

 フィナーレは感興が沸き立つような白熱ぶりで、スタミナの持続力も尋常ではない。粘性はあまり無く、マーラーとしては情緒的にさっぱりしているが、ムーティという音楽家には古典的な資質があり、それを考えると彼がマーラーやワーグナー、新ウィーン学派をほぼ振らないのも分かる気がする(チャイコフスキーやスクリャービンは振るが)。

旧盤から一転、響きをブレンドし、オケの柔らかなタッチを生かした再録音盤

ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1985年  レーベル:ソニー・クラシカル

 全集録音中の1枚で、フランス国立管との旧盤から6年振りの再録音。ウィーン・フィルによる同曲録音は意外に少なく、クーベリックやクレツキの古い録音まで遡らないと無い様子。

 この全集はとにかくテンポが遅いのが特徴で、当曲も旧盤より遥かにスロー。マゼールはスコアのポリフォニックな要素を逃さずキャッチし、巧みな棒さばきで配置しているが、近接した距離感でクローズアップされる各楽器の音色も、常に柔らかく溶け合っているのがユニーク。旧盤とはオケのキャラクターが真逆と言える。

 第1楽章は旧盤と異なり、提示部をリピート。各パートの響きがすこぶる美しく、耳を奪われるが、指揮は冴え冴えとしてシャープ。テンポの伸縮も厳格にコントロールされている。再現部直前のクライマックスに至っても超スロー・テンポは崩さず、再現部に入った所で初めてテンポを上げるなど、巧妙な演出もあり。リズムの克明さは終始際立ち、旋律線も明瞭に隈取られる。展開部のホルンの重奏の直前で一瞬音が途切れるが、再発売盤も同じなので、マスターに存在する瑕疵と思われる。

 第2楽章も異例の遅さ。アゴーギクは個性的で、停滞寸前のリタルダンドも挿入する他、感覚的にかなり揺らす。ポルタメントを多用した中間部のワルツなど、優雅と悪趣味を分けるきわどいラインの上に立った表現がいかにもマゼール的。スタッカートを律儀に処理し続けるのも、彼らしいイントネーション。

 第3楽章は旧盤に聴かれたデフォルメが姿を消した一方、弱音のニュアンスに腐心している点は変わっていない。オケの音色がとにかく美しく、クラリネットの柔らかなタッチも絶妙だが、高弦のアクセントなど鋭敏なレスポンスも充分。テンポもよく動き、曲調の変化を鮮やかに捉えているのはさすが。

 フィナーレは全てを白日の下に晒し、輪郭をシャープに切り出した演奏。落ち着いたテンポを取りながらも、各フレーズを歯切れよく刻み付ける所がマゼール的な音楽語法と言える。テンポや音量が大きく変化する局面でも客観性が勝り、扇情的にはならない。粘液質の第2主題もこのコンビらしい。強奏部の金管のハーモニーが突出せず、豊麗な音色で和声感を明瞭に出すのは美点。コーダも加速せず、悠々たる歩みで終了。

清潔かつ淡白。一切の夾雑物を排した、雑味無しのマーラー演奏

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団

(録音:1987年  レーベル:フィリップス

 マーラー・ツィクルスの一枚。同曲は再録音に当たりますが、グラモフォンの旧盤にあった《花の章》は演奏されていません。それと第2楽章と第4楽章の終わり近くで、ティンパニがスコアにないオブリガートやトレモロを入れて来る箇所があり、かなり違和感を覚えます。昔の指揮者の指示がボストン響のスコアに残っているのか、そういうエディションがあるのでしょうか。フィリップスのボストン録音は響きが硬直気味のディスクも多いですが、当盤は残響豊かで奥行き感も深く、このレーベルのヨーロッパ的センスが発揮された仕上がり。

 ひたすら清潔で淡白な表現。響きがクリアに透き通り、旋律が潤いに満ちて歌われるのは美点ですが、マーラー演奏としては抜きん出て優等生的な性格です。速めを基調としたテンポはあまり動かさず、印象としてはほぼイン・テンポ。通常大きくルバートするような箇所もあっさり通過し、ダイナミクスの極端な落差も避けられています。

 第2楽章の弦のリズムもスコアには正確なのでしょうが、レントラーの味わいを出そうとは夢にも考えていない様子。一方で軽さと歯切れ良さは、親しみやすさにも繋がっています。色彩が明朗で、和声感が豊かなのは指揮者の美点。フィリップスの録音らしく、アタックの柔らかさと響きの艶やっぽさも魅力です。フィナーレ冒頭の弦などは見事に統率されたアンサンブルが聴きものになっている一方、響きの整理整頓が行き過ぎてすきま風が吹いている感も無きにしもあらずです。

 言ってみれば夾雑物を取り除いた、雑味なしのクリア・タイプですが、情念たっぷりのマーラー像は苦手な私でも、さすがにこれは物足りなく感じました。最後の山場はダイナミックで、若々しい活力は充分。すこぶる綺麗なブラス群や艶やかなポルタメントを盛り込んでみずみずしく歌うヴァイオリン群など、オケの美しい響きは印象的です。特に強奏部でも朗々と歌うトランペットは、このオケのトレードマーク。

官能性やロマンに目を向けず、ひたすらヒューマンな暖かさを求めた感動的な演奏

ベルナルト・ハイティンク指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1987年  レーベル:フィリップス

 当コンビはまとまったマーラー録音を行いましたが、全集は完成しませんでした。当盤はその口火を切ったもので、コンサートの大成功を受けた直後に録音されたという事です(ベルリン・フィルにはこのパターンが時々あります)。終始柔らかく、潤いのある響きで満たされ、末端まで養分が行き届き、よく熟した演奏。極端な音量の落差や鋭い音は避けられており、安定したテンポを基調として、速度のコントラストも控えめに処理されています。

 第3楽章のオーボエの動機など、通常と違ってマスの響きに溶け込むように演奏されているのも一例。第4楽章冒頭は響きこそ深いものの、ハイティンクの棒はかなり淡白。弦の刻みなどリズム処理は入念に行われていて、弾むようなグルーヴ感と切れ味の良さが際立っています。第2主題は感興豊かに歌われますが、テンポの伸縮があまりないせいか極めて清潔に聴こえ、官能性やロマンティシズムよりひたすらヒューマンな温もりを求めた感じ。

 クライマックスも暖かみのある有機的な響きが素晴らしく、聴き終わった後に大きな充実感が残ります。ここがどう、あそこがどうという解釈の独自性ではなく、全体的な感銘度で迫る指揮者なので、うまく行った場合は当盤のようにとても感動的な演奏になります。

耽美的陶酔に傾かず、あくまで硬派にシンフォニックな表現を貫くデイヴィス

コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:1988年  レーベル:ノヴァリス

 デイヴィスのマーラーは珍しい感じがしますが、同オケと4番、8番がある他、ロンドン響と《大地の歌》もレコーディングしています。もっとも、彼の表現は決して耽美的陶酔に傾かない硬派なもので、トゥッティもいかにもデイヴィスらしいシンフォニックな鳴らし方を貫いています。メジャー・レーベルではないものの録音は良好で、細部を適度にクローズアップしていて響きに潤いがあり、オフ気味で細部がもどかしいRCAの録音より聴きやすいくらい。

 テンポが遅めで安定感があるのはデイヴィスらしいですが、アゴーギクには柔軟性があり、彼としてはテンポをよく動かしている印象。第2楽章はリズムの刻み方も几帳面で、舞曲的な性格はあまり出ない一方、アクセントに優しいタッチを加えて美しく仕上げています。終楽章は金管による行進曲風のパッセージなどかなり速いテンポを採っていて、コーダでさらにアッチェレランドを加えて一気に燃え上がるという、デイヴィスには珍しいライヴ風の興奮も。

 表題的な発想や、マーラー特有のスコアに書き込まれた細かい指示よりも、アーティキュレーションの徹底に意識を集中した純音楽的アプローチです。オケは自在なパフォーマンスと充実した響きで好演。大音量で圧倒しがちな部分も意外に抑制が効いていたり、スコアを深く読みこんだ知的な一面も見せますが、マーラーらしい感情の爆発を求める人にはお勧めできないディスクです。

“予想を遥かに凌駕する精緻な音響世界。最高級の工業製品のように美しい演奏”

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:デッカ)

 まとまった数のマーラー録音を残している当コンビの一枚。彼らの醍醐味は、きっとこういう演奏をするだろうという予想を、その数倍の緻密さで上回ってくる所にあります。このマーラーで言えば、透徹した響きでクールな演奏を繰り広げる事は想像が付くのですが、その精緻さたるや、かつてそのスタイルの最高峰と目されていたブーレーズやティルソン・トーマスを遥かに凌駕する徹底ぶりで、その表現の土台となる演奏技術には舌を巻く他ありません。

 第1楽章は、序奏部のデリカシー溢れる音世界に驚嘆させられます。通常、近接したパースペクティヴがとられるカッコウの動機も、舞台裏のファンファーレとさほど違わないくらいの弱音で吹奏され、それでいて舞台裏と舞台上というオン、オフの描き分けはきちんと表現されています。チェロによる第1主題も実に弱く、はかなげに提示。クリアな音響を維持したクライマックスも、信じられないほど肩の力が抜けており、ブラス群のスタッカートが無類の歯切れよさで刻まれます。

 主部も中間部もかなり速めのテンポを採択した第2楽章以外は、総じて落ち着いたペースで進められていて、そういう意味では奇をてらった所は微塵もないのですが、それでいてここまで音楽がフレッシュに鳴り響くというのは、正にこのコンビのディスクに共通する驚きだと言えるでしょう。感情過多ではありませんが、旋律も実に優美に歌われています。

 特にマーラーにおいて、こういう演奏を好まない人が多い事も理解できますが、誰だって常にバーンスタインばかり聴いていたい訳ではないでしょうし、こういう徹底して精妙な表現も折に触れて楽しめるのではないでしょうか。フィナーレも最後まで透明な響きは損なわれませんが、この見事なスコアの再現を聴いていると、音同士の距離感にギリギリの緊張関係が構築されているようで、クールな佇まいに反して、手に汗握るような興奮が呼び起こされます。

柔らかい音色でのびのびと描いたマーラー。コントラストが弱く、物足りない面も

エド・デ・ワールト指揮 ミネソタ管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:ヴァージン・クラシックス

 当コンビ最初期のレコーディング。デ・ワールトは後に、オランダ放送フィルと全集録音を完成させています。ゆったりとしたテンポで伸び伸びと描いたマーラー像で、明朗な性格と暖かみのある柔らかい音色が印象的。ただ、金管が入らない時のマスの響きが若干こもりがちで地味なのと、テンポや強弱のコントラストをあまり大きく付けないなど、少し物足りない感じも残ります。

 第2楽章などリズム処理も明確で、旋律を流麗に歌わせる一方、フィナーレのような大曲でも、溌剌としたリズムとなめらかな歌を対比させてフォルムを明快に打ち出し、好印象。アンサンブルに室内楽的な性格を与えているのも、この指揮者らしい所です。色々と聴き所はあるのですが、この指揮者としては再録音盤に美点が出ている為、当盤の存在意義が薄くなってしまった感は否めません。

ドラマティックな起伏に鋭敏なリズム、極端なルバート。全編シノーポリ節全開

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 全集録音の一枚。テンポが概して遅く、細部を掘り起こしてゆくような感覚がありますが、フレーズの終え方、次のフレーズへの移り変わりにゆったりとした間合いがあって、かつてこの指揮者の演奏に顕著だった神経質さは感じられません。もっとも、テンポと強弱の変化には極端な部分もあり、急激なクレッシェンドや聴き慣れないテンポの揺れも随所に盛り込まれています。旋律線がオペラティックと言えるほど表情豊かなのも、シノーポリらしい所。

 ティンパニの強打やソリッドなブラスなど、オケも鮮烈な響きで好演していて、弦の洗練されたアンサンブルは聴き応えがあります。教会で収録された間接音の多いサウンドも爽快。第1楽章は再現部直前のクライマックスへ集中的に力点を持ってきた構成で、前半はやや大人しく感じられますが、山場の盛り上げ方はお見事。第2楽章は切っ先の鋭いリズムが冴え、再現部直前のホルンにクレッシェンドを掛けるなど、個性的な表現も聴かれます。

 第3楽章は元々テンポがスローな上に大胆なルバートを多用しますが、リズムを鋭敏に際立たせてコントラストも鮮明。最も劇的なのは第4楽章で、嵐のような冒頭部分から叙情的な箇所に移る際、さっそく極端なルバートを導入。以降も情感の濃いアゴーギクで激しい起伏を描き出しますが、テンポを煽って熱っぽく感情を昂らせるコーダに、シノーポリらしいパッションの迸りがよく出ています。

“旧盤とは180度スタイルを変えてきた、アバドの確信犯的再録音盤”

クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ライヴによる8年ぶりの再録音盤。本拠地フィルハーモニーでの公演ですが残響が長く感じられ、いつもとは印象が異なります。演奏も旧盤とは別人のような表現で、音楽の呼吸、例えばフレージングにしろテンポの伸縮にしろ、格段に自由度と柔軟性が増した感じです。これは成長というよりも表現のコンセプトをがらっと変えた、確信犯的な演出かもしれません。旧盤の醒めた客観的アプローチと真逆の恣意的な解釈で、音楽が生き生きと躍動しています。

 パッセージの途中で即興的なテンポ・ルバートを盛り込み、部分的にブレーキが掛かるような箇所があるのは独特。第2楽章は非常にスローなテンポで開始し、主題が入るまでに速めのテンポへ持ってゆくなど、独自の解釈。全般的にテンポのコントラストが大きく、速めを主としながら、静かな部分では地を這うようにゆっくりとした足取りで旋律を歌わせます。各楽章のコーダもアッチェレランドで煽るのがライヴらしい所。

 オケがまた超絶的なパフォーマンスで、緊密を極めた弦のアンサンブルは迫力満点。切っ先が鋭く音圧も高いので、精力的で勢いのある演奏に聴こえます。加えて、木管を始めソロの表現力が卓抜で、第3楽章のオーボエなんて正に名人芸。アーティキュレーションが細部まで徹底して描き込まれているため、常に意識的に音楽をコントロールしている雰囲気がありますが、この辺り、当コンビが追求してゆく事になるベートーヴェンやモーツァルトの奏法探求に繋がっているようにも思えます。

シカゴ客演ライヴをパッケージ化した、テンシュテットのマーラー番外編”

クラウス・テンシュテット指揮 シカゴ交響楽団 

(録音:1990年  レーベル:EMIクラシックス)

 テンシュテットはロンドン・フィルとマーラーの全集録音を行っているが、こちらはシカゴ響に客演した際のライヴ録音。突発的に発売されている所をみると、演奏の評判が良かったために世に出た放送録音かと思われる。当コンビ唯一の正規盤だが、オケの磨き上げられた美しい音色は印象的。

 第1楽章は、緻密な序奏部からしてテンポ設定も自在。主部は超スロー・テンポで、繊細なタッチの主題提示。チェロの合奏など、ディミヌエンドで消えてゆくよう。随所にルバートを盛り込み、展開部も非常に遅いテンポで開始。ダイナミクスの設計は弱音主体で抑制が効いていて、旋律線もあまり朗々と歌い上げない。

 第2楽章は標準的なテンポで、オケの合奏力と明朗な音色が生かされ、メリハリも効いてダイナミック。細部まで丹念で、仕上げの粗さがないのは好印象。客演とはいえ、入念なリハーサルが行われた事が窺われる。中間部もデリケートなタッチでしっとりと歌い上げる。第3楽章はオーボエ・ソロをはじめ、オケのうまさに惚れ惚れとさせられる。各場面のテンポ変化をあまり大きく付けない代わり、所々でルバートを強調する。

 第4楽章は、嵐のような演奏になるかと思いきや、意外に冷静で大人しめ。第2主題はこれまた極端なスロー・テンポで、細かく抑揚を付けてニュアンス豊か。テンポも細かく揺らす。展開部は大胆なルバートや、粘りの強い歌い口など、アクの強い表現も頻出するが、オケのパワーをうまく利用し、ソステヌートを多用して粘っこく盛り上げるクライマックスは見事。加速して一気に締めるコーダも、ライヴらしい熱気を煽る。

緩急自在なラトルの棒にぴったりと付いてうねるオケ。聴き所満載のライヴ盤

サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

(録音:1991年  レーベル:EMIクラシックス

 全集中の一枚で、ライヴ収録。《花の章》も録音しているが、曲中に配置せず、冒頭で別の曲のように演奏しているのは賢明な措置。これなら現行版の印象を損なう事なく、補完的に《花の章》も聴ける。ラトルはデビュー直後からレコーディング契約に恵まれ、同世代の指揮者でもかなり録音の多いアーティストだったが、私が最初に面白いと思ったのはこのマーラー・シリーズだった。

 ラトルはフレージングに濃厚な表情を付ける指揮者で、表現自体は決して淡白ではなかった。その典型がこのマーラーで、全曲に渡って細かく設定されたダイナミクスにも驚かされるが、繊細であると同時にある種の官能性を伴って歌う弦や木管は魅力的。

 第1楽章は強弱の落差、特にピアニッシモが大変弱く表現されていて、テンポにおいても主部をゆっくりと始め、ブロックごとに速度を加えてゆくなど、周到な設計が光る。コーダはさらに加速するが、ティンパニ・ソロの合間のゲネラル・パウゼを長く取るのはユニーク。第2、第3楽章は木管を中心にアーティキュレーションを洗い直した結果、新たな景色を描いてみせる場面があちこちにある。

 第4楽章もアンサンブル、特に弦はよく統率されていて、第2主題のロマンティックなカンタービレは競合ディスクの中でも随一。テンポ・ルバートも激しく、急ブレーキに近いリタルダンドも随所に挿入する。コーダのアッチェレランドなどライヴらしい熱気も十分で、オケ全体がラトルの棒にぴったりと付いてうねる様は圧巻。難を言えば、響きにさらなる透明度と芳醇さが欲しいが、かつては無名の地方オケに過ぎなかった事を思えば驚異的なパフォーマンスと言える。

室内楽的発想を基に、豊かな感興を溢れさせた名演

エド・デ・ワールト指揮 オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1993年  レーベル:RCA

 ライヴ収録による全集録音から。デ・ワールトはミネソタ管と同曲を録音しているが、旧盤の地味な響きと較べると、オランダ放送フィルのサウンドはたっぷりと潤いを含んでみずみずしく、演奏全体の印象が全く異なる。名ホール、コンセルトヘボウの美しい響きを豊かに採り入れた録音も大変に心地良い。

 デ・ワールトの表現も、第1楽章クライマックスで僅かにテンポを上げ、金管のファンファーレをすこぶる軽快に演出したり、第2楽章の弦のリズムを鋭く切ってフレッシュな勢いを加えるなど、室内楽的な発想が個性的。フレージングが常に明快で、弦を中心にリズムが克明に処理されているのも特徴。この全集に共通する事だが、清冽な泉がこんこんと湧き出るごとく感興が溢れ出てくる感じは素晴らしい。終楽章も見事な構成で、巧みなアゴーギクで白熱したクライマックスを形成する。

精密を極めたスコアの再現。様々な美点を兼ね備えた、理想的マーラー表現

リッカルド・シャイー指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1995年  レーベル:デッカ

 全集録音の一枚で、ベリオのピアノ・ソナタ(管弦楽版)とカップリング。シャイーのデッカ録音の中で、特に瞠目すべき成果を挙げているのがマーラー。ブーレーズの緻密さとデ・ワールトのみずみずしさ、T・トーマスのシャープで多彩な表現力を兼ね備えていて、個人的には理想のマーラー演奏の一つに挙げたい。広々と見通しのよい空間にこだまする各パートの響きを見事に捉えた、デッカの録音も最高の仕上がり。シャイーのマーラーは、ゲヴァントハウス管との全曲映像収録もある。

 彼のマーラー演奏に顕著なのは、とにもかくにも精密を極めたスコアの再現。微細なダイナミクスの変化から遠近法、色彩の混合と拍節単位のテンポの動き、アーティキュレーションの描き分け、それら全てをここまで完璧に音にした演奏は、ブーレーズ盤も含めて他にないのではないか。加えて、オケの響きの浮世離れした美しさ! 柔らかくて立体感があり、最高の手触りを感じさせる典雅なサウンド。

 テンポは総体的に遅めだが、若々しい活力と豊かな表情が溢れ、緊張の糸は最後まで途切れない。第2楽章中間部やフィナーレの第2主題は腰を落としてじっくりと歌わせているが、フレージングの清潔さゆえ、粘液質の官能性より優しい風合いが勝る。一方、クライマックスを形成する手腕の確かさに、オペラ指揮者としての才覚も発揮。

“弱音を基調に音楽を設計した、重心の低い貫禄のパフォーマンス”

ピエール・ブーレーズ指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1998年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 様々なオケを使った全集録音から。シカゴ響は他に9番で起用している。全編に渡ってクリアな音響を達成した、ブーレーズらしいアプローチ。ダイナミクスに余裕があってヒステリックに絶叫しないせいか、終始聴きやすいのが特徴。音色に関しては昔のブーレーズとかなり肌合いが違って、暖色系の柔らかなサウンド。グラモフォン時代のブーレーズは、私にはピンと来ない物も多いのだが、マーラーはとても良いように思う。

 第1楽章は弱音を主体に設計し、精妙な美しさに溢れた演奏。再現部突入前のクライマックスなど、慌てず騒がず余裕たっぷりのファンファーレを筆頭に、重心の低いパフォーマンスには貫禄すら感じる。第2楽章はテンポが異常に速く、舞曲の性格は全く出ないが、コーダにおける金管のトリルなど、特殊なオーケストレーションも見事に決まるのはブーレーズならでは。中間部ではちゃんとポルタメントを用いる。

 第3楽章もドラマティックな演出を一切行わない、極めて禁欲的な表現。現代音楽のスコアに対峙するのと同じ姿勢である。特に感心したのが終楽章。曲のフォルムが目に見えるように明瞭に出ていて、ああ、こういう構成の曲だったのかとよく分かる。第2主題も扇情的表現には決して傾かないものの、快調なテンポで進めつつ旋律線を流麗に歌わせていて、アバドや小澤の演奏よりよほど歌心があるくらい。

“身の毛のよだつ白熱のクライマックス! 作品を完全掌握した超弩級名演”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団

(録音:2001年  レーベル:サンフランシスコ交響楽団)

 楽団自主レーベル、ライヴによる全集録音から。これは、ものすごい演奏である。私は90年代、ロンドン響の来日公演でT・トーマスが振る同曲を聴いた事があるが、その時は残念ながら大した感銘を受けなかった。しかし当盤での彼は進境著しく、確固たる自分のマーラー像を構築していて自信に満ち溢れる。

 ラトル盤にも言える事だが、オケが指揮者の棒と一体になって動く迫力があり、伸縮自在で時に極端なテンポとデュナーミクも、マーラーの音楽自体が極端なためか不思議と違和感を覚えない。加えてフレージングのセンスが素晴らしく、各フレーズが生き生きと自発的なパフォーマンスを展開する上に、都会的に洗練されたタッチもスタイリッシュ。

 第1楽章はオーソドックスだが、第2楽章は上品なポルタメントとスタッカートを絶妙に駆使し、速めのテンポできりりと締めた中間部の表情が魅力的。第3楽章もテンポ変化が多く、パースペクティヴと色彩感が実に鮮やか。ジャズ風、ポピュラー風のパッセージを際立たせる手腕も、この指揮者の得意とする所。

 圧巻は終楽章。第2主題など旋律線の処理も見事だが、スケールが大きく、豪放な力感の表出に凄みがある。アゴーギクも細かく設定され、感覚的にテンポを動かす場面もある。コーダは異様に白熱し、大胆なルバートを盛り込んで柄の大きな表現を展開、身の毛のよだつようなクライマックスを形成する。唯一、当シリーズは響きが細身なのが残念で、RCAの録音のようにもう少し豊麗さがあればと思う。

“豊麗なサウンドが充溢する美演ながら、個性の点で物足りなさも”

マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:2006年  レーベル:RCO LIVE)

 マーラー録音の一枚。あくまで正攻法のアプローチで一貫しており、やや物足りなさも感じます。聴きものはコンセルトヘボウの美麗なサウンドで、クライマックスに至るまで柔らかく典雅な響きを維持していますが、それだけではお腹いっぱいにならないという事でしょうか。SACDプレーヤーとマルチ・チャンネル・サラウンドのシステムをお持ちの方なら、黄金の響きに浸るだけで耳のごちそうかもしれません。

 第1楽章は、精妙で立体感のある響きを保ちつつ美演を繰り広げますが、さらなる緊張感も求めたい所。第2楽章はテンポが遅く、豊麗さと引き換えに自在なフットワークを犠牲にした印象です。第3楽章に至ってテンポのコントラストを大きく付け、ポリフォニックな楽想の面白さを際立たせたり、軽音楽的な素材を軽妙に聴かせたりと、やっと個性が出てきますが、遅きに失した感じでしょうか。

 フィナーレも悪くはないのですが、さらに引き締まった様式感、造形にタイトな雰囲気があると違ったかもしれません。会場で生演奏を聴くと印象が変わるのでしょうか。最後のクライマックスは急がず慌てず、堂々たる足取りでリッチな響きを充溢させ、会場からフライング気味のブラヴォーが飛んでいます。

“濃厚な表情を施し、自在に音楽を牽引するホーネック。オケはやや不満”

マンフレート・ホーネック指揮 ピッツバーグ交響楽団

(録音:2008年  レーベル:エクストン)

 好評価を得ているマーラー・シリーズ第1作で、ライヴ収録。残響がデッドな分、近接した距離感で鮮やかな色彩を展開する録音がユニークです。演奏はテンポや強弱の振幅が大きく、フレーズにたっぷりと濃厚な表情を付けた個性的なもの。特にダイナミクスは弱音を基調に設計されていて、マーラーの音楽にふさわしいデリカシーに溢れます。ただしトゥッティでは、このオケ特有の乾いた響きが気になる傾向で、奥行き感と音色のコクが欲しい所。

 第1楽章は、序奏部も主題提示も非常に弱く演奏。スコアの指示に忠実とも言えますが、第1主題のチェロなど、なかなかここまで弱々しく弾けるものではありません。木管など主要動機のフレージングはこぶしを効かせるような即興的フィーリングもあって、自在な呼吸が印象的。テンポの伸縮は大きく、展開部から再現部にかけてのテンポ、疾走感溢れるコーダへのアゴーギクも見事。

 第2楽章はゆっくりと始めてすぐにテンポを上げるパターンですが、妙に几帳面でリズムの角が立った主部に対し、中間部はしなやかに、艶っぽく旋律を歌わせているのは鮮やかな対比です。第3楽章も徹底して弱音の効果を追求。頻出するテンポ・チェンジや、断片的に現れる様々な曲想への対応も巧みな棒さばきで演出しています。

 ホーネックはオケをドライヴする能力に長けている様子ですが、そうであればこそ能力の高いオケを求めたくなる感も否めません。しかしフィナーレの冒頭は、見事に整理整頓されたクリアな響きの中、即興的な間合いで一糸乱れぬアンサンブルを繰り広げるヴァイオリン群が驚異的。弦楽器出身の指揮者だけあって、弦楽セクションの統率は完璧です。叙情的な箇所でのウィーン情緒漂う艶めいたカンタービレもさすがですが、打楽器とブラスを加えたトゥッティには抜けの良さが欲しい所。自由な感覚のフレージングも新鮮。

“オケの伝統と個性を生かし、熟練の棒でマーラー独自の世界を描き出すインバルの至芸”

エリアフ・インバル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽

(録音:2011年  レーベル:エクストン)

 5番、7番に続くのマーラー・シリーズ第3弾で、セッション録音とライヴの音源を編集で繋いでいます。当盤では、マイクに真空管のプリアンプを導入したとの事。インバルは、フランクフルト放送響とデンオンに全集録音を行っています。当盤はかなり速めのテンポを採っているのが特徴で、タイトに引き締まった造形感覚を聴かせる一方、オケの音色に芳醇なコクと暖かみがあり、両者の美点がよく出た演奏。

 第1楽章は、冒頭の緻密なディティール処理がインバル印。響きは澄んでいますがタッチが柔らかく、暖色系の音色。かつてのインバルに特徴的だった、クールな肌触りの音響とは雰囲気が異なります。第2主題でぐっとテンポを落とし、濃密な表情でじっくり歌い上げるなど、ブーレーズに顕著な超客観的アプローチとも違い、表情豊かで躍動的。アタッカで間を置かず突入する第2楽章だけが平均的なテンポですが、ルバートも含め、テンポの変動は細かくコントロールされています。

 第3楽章も非常に速いテンポ。葬送行進曲というよりマーチングに近いです。淡々としてはいますが、オーボエを始め各パートのフレージングは味わいに富み、マーラーゆかりのオケでもあるチェコ・フィルの伝統が今でも息づいている印象。終楽章も、引き締まったテンポできりりとした造形。考え抜かれたアーティキュレーションがこれぞマーラーという呼吸を作り出し、インバルの老練な棒がいよいよ至芸の域に入った事を窺わせます。指揮者のうなり声をマイクがかなり拾っているようで、人によっては気になるかもしれません。

“激烈さや迫力を追求せず、感覚美とドラマティックな雄弁さに個性を発揮”

ダニエレ・ガッティ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:2017年  レーベル:RCO LIVE)

 #MeToo運動によるセクハラ疑惑で短期解任されたガッティとコンセルトヘボウ管の、稀少となってしまったライヴ記録。第4番とカップリングされ、当コンビには前年の第2番のライヴもあっていずれも映像ソフトが発売されている他、複数の指揮者による全集映像ボックスにガッティは第5番で登場しています。ガッティのマーラー録音には、ロイヤル・フィルとの第4、5番もあり。

 ちなみに音源の方は映像ソフトの公演だけでなく、翌2018年の公演も併せて編集しています。当コンビのマーラーの特色は、近年主流となっている客観性が勝った分析型の真逆を行く、柔らかな感覚美とドラマティックなストーリー性を追求するもの。そのため、細部の雄弁さは図抜けています。

 第1楽章は遅いテンポを採り、スケール感で群を抜く表現。ニュアンスたっぷりに歌う反面、リズムやフォルムの輪郭はあまり明瞭に切り出しません。抑制されたソフトなタッチで弱音のデリカシーを生かす一方、常に余裕をもって、粘性の強い艶美なフレーズを紡いでゆきます。展開部もルバートを多用して悠々と盛り上げますが、峻烈さやダイナミズムはそもそも追求しない方向。

 第2楽章はスムーズなテンポ感で軽妙。スタッカートの歯切れが良く、アタックにも切っ先の鋭さが出てきます。明朗な性格で、トリオの雄弁な語り口と優美を極めた筆致も素晴らしい聴きもの。第3楽章もロマンティックなスタイルで甘口。あらゆるフレーズが嫋々と歌われ、テンポも恣意的に揺らします。音色は磨き抜かれていて感覚的な鋭さがあるので、グランド・デザインがぼやけて大味になる事はありません。

 第4楽章は当然構えの大きな表現になりますが、ある種の激烈さには欠けるのも事実。情感が豊かで、甘美なカンタービレが横溢する辺りは聴き手を魅了すること請け合いです。表面的な美感に終始せず、真情は込もっていますが、メリハリはやや不明瞭。アゴーギクの設計が巧妙なのはさすがオペラ指揮者です。コーダに至っても緻密さを維持し、あまり白熱に向かわずに音楽のコントロールを徹底しているのは好みをわかつ所でしょうか。

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