ベートーヴェン/交響曲第5番《運命》

概観

 ポピュラーな名曲はありますが、技術的にも表現的にも、演奏が非常に難しい作品といわれます。モノラル時代から名盤には事欠かないものの、筆者の好みによってステレオ期以降のディスクが中心になっております。トスカニーニもフルトヴェングラーもありません。私は版の問題にも詳しくありませんので、アーティキュレーションなど、指揮者の解釈なのか版の違いなのか、判然としない箇所もありますので悪しからず。

*紹介ディスク一覧

53年 アンチェル/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団  

55年 ミュンシュ/ボストン交響楽団   

58年 マゼール/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

59年 クリュイタンス/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

61年 モントゥー/ロンドン交響楽団   

62年 ドラティ/ロンドン交響楽団   

66年 セル/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

68年 小澤征爾/シカゴ交響楽団

68年 ブーレーズ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団  

71年 ケンペ/チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 

71年 ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

73年 クーベリック/ボストン交響楽団

75年 C・クライバー/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

76年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

77年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団   

77年 ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン

78年 メータ/ニューヨーク・フィルハーモニック  

80年 T・トーマス/イギリス室内管弦楽団

82年 ジュリーニ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

82年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

86年 サイモン/フィルハーモニア管弦楽団

86年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

87年 アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

8年 プレヴィン/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

90年 アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団

91年 サヴァリッシュ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 

92年 C・デイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデン

93年 ジュリーニ/ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団 

96年 ティーレマン指揮 フィルハーモニア管弦楽団  

99年 バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリン

 → 後半リストへ続く

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“このコンビらしい端麗さもあるものの、現代の耳にはやや重厚なスタイル”

カレル・アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1953年  レーベル:スプラフォン)  *モノラル

 当コンビのベートーヴェン録音は、協奏曲を除けば第1番とレオノーレ序曲第3番しかない様子。ホールの美しい残響も取り込んだみずみずしいサウンドで、くっきりと浮き彫りになる直接音は、当コンビのスタイルに合ったイメージ。低音域が豊かな録音ですが、それが返って旧式のスタイルと感じさせる面もあります。

 第1楽章は遅めのテンポで、噛んで含めるような調子。一音一音克明に処理していて響きもやや重厚ですが、フォルムは明快で、澄み切った端麗な音色を紡いでゆく表現は、このコンビの録音に共通するものです。ほぼイン・テンポながら、コーダ前など要所でルバートを導入。第2楽章もゆったりとしたテンポで、各パートを艶やかに歌わせて流麗。H.I.P.全盛の現代で聴くには様式感云々を言っても意味がなく、あくまで滋味豊かな魅力を聴くべき演奏と言えるかもしれません。

 第3楽章も遅めのテンポで、ホルンは一音ずつきっぱりスタッカートで切って語調明瞭。ただ、それがベートーヴェンの厳めしい面を強調していて、このコンビの美点である力みのない自然体の佇まいとは、方向性が違う感じもします。逆に第4楽章はその良さが出て、音楽を拡大しすぎないのが好印象。もっとも、大編成でゆったりと演奏しているのでそれなりの重さは伴いますが、音圧で攻めない良さはあります。リズム感も軽快。

“濃厚なロマンティシズムとラテン的軽妙さが同居する、異色のベートーヴェン”

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

(録音:1955年  レーベル:RCA)

 当コンビのベートーヴェン録音は第1、3、5〜9番と序曲集、ハイフェッツとのヴァイオリン協奏曲がありますが、第1、7番はモノラル収録です。残響はさほど豊かではありませんが、このコンビの録音としては奥行き感もあり、音が荒れない方。

 第1楽章は意外に遅めのテンポで、出だしがもっちゃりとしてあまり威圧感がありません。ただ、フェルマータを異様に長く延ばしたり、語尾のスタッカートを強調したり小技が目立ちます。提示部のリピートをカットしていて、それは当時としても異例かも。アゴーギクは主観的で、コーダに向けて加速する設計ですが、ミュンシュらしい熱っぽさや激情はほぼ感じられません。

 第2楽章は遅めのテンポと艶っぽい音色で、たっぷりと開始。いかにも重厚でロマンティックな表現です。トゥッティも堂々たる歩みで、壮大なスケールを指向。第3楽章はかなり遅いテンポですが、合奏は整然としていて音に隙間が多く、むしろドイツ的な厳めしさとは別物に聴こえます。また、フレーズに感情をあまり乗せない印象。

 第4楽章は気宇こそ大きいですが、意外に肩の力が抜け、全体を俯瞰で見ている感じもあります。合奏も勢いにまかせず、むしろ丹念に造形してゆく趣。軽く音を置いてゆく感触もあり、ある種のラテン的な感性が表れているのかもしれません。バスの動きはトロンボーンでくっきりと縁取られ、リズムは弾むし、響きの色合いも明るいです。

“若い指揮者の意欲とオケの華麗な音色が、目の覚めるような相乗効果を生む”

ロリン・マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1958年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビの初期ステレオ録音群の一枚で、この2年後には6番も収録しています。マゼールは後にクリーヴランド管と全集録音を敢行。この時期の彼にありがちな刺々しさや興奮体質が聴かれないのは、ベルリン・フィルとの録音に共通する傾向です。残響をやや抑制し、直接音をメインに据えたサウンド・コンセプトで、鮮明で聴きやすい音質。

 第1楽章は冒頭のフェルマータを長めに伸ばし、ルバートを強調するなどマゼール印。テンポは落ち着いていて、オケの響きも充実しています。管楽器が明瞭に聴こえるバランスなので色彩的に鮮やか。ホルンを力強く響かせるのも勇壮で、トランペットも鋭く派手に鳴ったりと、金管が目立つ響きは純ドイツ風から距離を置く行き方です。そのため、後半もひどく壮麗に鳴る箇所がありますが、語調が明瞭で合奏が正確なめ、堅固な造形性は維持されます。

 第2楽章は、ゆったりとしたテンポで気宇壮大。特にトランペットが力強く吹奏される強奏部の華麗なサウンドは、後年のカラヤンを思わせる所もあります。旋律線は瑞々しく歌い、細部の彫琢も丹念。オケが上手いのでニュアンスも多彩です。

 第3楽章は、白玉音符のクレッシェンドとリズミカルなスタッカートを組み合わせたホルンのフレージングがいかにもマゼール流。トリオは減速せず、低弦セクションの合奏力を聴かせます。第4楽章は明晰な響き、エッジの効いたアタック、鋭敏なリズムと思い切りのよいカンタービレなど、生彩に富む表現。若い指揮者の意欲と勢いを感じさせます。トロンボーンも音を割って、目の覚めるように鮮烈な吹奏。音色が明るい上、ブラスが強調されて、力強くも華麗な大団円を迎えます。

指揮者のラテン的感性が横溢した、華やかで個性的なベートーヴェン像

アンドレ・クリュイタンス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1959年  レーベル:EMIクラシックス

 全集録音中の一枚。ベルリン・フィルの演奏とはいえ、指揮者のラテン的感性が大いに勝った個性的表現で、やや硬質ながら、明るく爽快感溢れる響きが明晰な音楽を作り出しています。テンポは遅めながら、リズムの切っ先は鋭く、フレージングも極めて明快。

 第1楽章は提示部でアインザッツの乱れが目立ちますが、リピート後からは改善されます。大家のようなフレーズの溜めや、運命の動機をテンポ・ルバートで強調する所など、若干時代掛かった部分もあるものの、基本的には、録音の鮮明さと相まって今の耳にも通用するモダンさを持った演奏です。

 第2楽章はチェロの艶やかさ、トゥッティのスケール感、トレモロ末尾を必ずアクセントで強打するティンパニなど、聴き所多し。ティンパニは、スケルツォから終楽章に突入する所で激しく連打するなど、総じてベルリン・フィルらしいサウンド作りに一役買っています。フィナーレも重厚になりすぎず、華やかなサウンドを駆使してセンス良く造型。深刻なベートーヴェンに疲れた人にはしっくりくるかも。

“伝統とは距離を置き、独自のユニークな至芸を展開するモントゥー”

ピエール・モントゥー指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1961年  レーベル:デッカ)

 モントゥーはデッカへ同オケと2、4、5、7、9番、ウィーン・フィルと1、3、6、8番を録音しています。当盤もウィーン・フィルならさらに良かったと思う人は多いでしょうが、これはこれで独特の爽快感と熱っぽさあり。当コンビの録音は初期のものほど残響がデッドで音が粗いですが、当盤は響きに潤いもあってみずみずしく、聴きやすくて鮮明です。

 第1楽章は、やや遅めのテンポと明瞭なスタッカートで切った運命動機と、流れるようなテンポで勢いの強い主部の対比がユニーク。恣意的なルバートも多く、運命動機をはじめ、特定のフレーズに重みを加えて強調する箇所も多いですが、全体に前傾姿勢のスピーディな進行で、テンションの高い表現です。オケも意欲的なパフォーマンスで、音色もみずみずしく魅力的。切れ味鋭いスタッカートを多用した後半部も、峻厳な迫力あり。

 第2楽章も流麗な表現。いわゆるドイツ系指揮者のオールド・スタイルとは違い、明るい音色で爽やかに歌う、魅力的な演奏です。表情は決して淡白ではなく、細やかなニュアンスが付与されているために、一本調子には陥りません。弱音部をはじめ、情感の豊かさも素敵です。

 第3楽章は推進力が強く、拡散型の音響傾向が独墺系オケとは一線を画します。特にホルンの抜けの良さは、英国の団体らしい壮麗さを感じさせて痛快。トリオでテンポを落とし、低弦のフレーズに重みと力を加える演出や、弱音部での肩の力が抜けた豊かな感興の表出は、正にベテランの至芸という印象です。第4楽章は冒頭こそシャープなエッジの効いていますが、全体に無理のない力感で柔らかく造形。旋律線にもしなやかなうねりが感じられます。

“シャープに冴え渡るモダンな筆致で、古典作品への適性を示す”

アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1962年  レーベル:マーキュリー)

 残響は少なめですが、ホルンやティンパニに奥行き感があり、乾燥しすぎず聴きやすい音質。鮮やかな直接音はマーキュリーのトレードマークです。切れの良い棒さばきでタイトにまとめたモダンなベートーヴェン。ドラティの音楽性も古典音楽に向いており、もっと高く評価されていい録音です。編成もあまり大きくないようで、弦楽合奏をシャープに構築しつつ、金管やティンパニをソフトに抑えているのが特徴。

 第1楽章は、中庸のテンポながら歯切れが良く、エッジの効いた弦のアインザッツもミシミシと音を立てて迫力があります。ホルンや木管は柔らかなタッチと音色で、対比が明瞭。緊密を極めた合奏で古典的に造形した緊張度の高い表現ですが、フェルマータは適度に延ばし、間合いも自然。スタッカートの強調は随所で効果を挙げています。

 第2楽章は速めのテンポで流動性が強く、ハイドン寄りの解釈と言えるほど端正な造形。木管のアンサンブルやコーダでぐっと加速するアゴーギクは、新鮮な解釈で素晴らしいです。音色にはさらに味わいが欲しいですが、みずみずしく率直な歌心も魅力的。

 第3楽章は、ホルンが狩りの角笛のように豊麗なのが素敵。弦の合奏も室内楽風で一体感が強く、切っ先の鋭さや立ち上がりのスピード感もさすがドラティです。第4楽章は大仰な所が全くなく、画然たるリズム処理や冴え冴えとした筆致で明晰に描写。弦のトレモロも、解像度の高さに驚かされます。それでいてホットな感興や、情感の豊かさを備えているのが凄い所。トランペットやトロンボーンを、軒並みふっくらと響かせるのも独特です。

“理知的でモダンなセルのスタイルと、典雅なコンセルトヘボウ・サウンドの融合”

ジョージ・セル指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1966年  レーベル:フィリップス)

 セルはこの3年前、クリーヴランド管とも同曲を録音しています。少々古い音源ですが、残響が多く肌触りの柔らかな録音と相まって、フィリップス・レーベルのコンセルトヘボウ・サウンドは既に確立されている印象。クリアで歪みも少なく、とても聴きやすい録音です。

 演奏は克明そのもの。セルの徹底したディティール彫啄と、オランダのオケ特有の律儀な職人気質が相乗効果を上げた模様です。テンポは遅めでほとんど動かさず、フィナーレのみやや速めの設定。耳をすませば細部のニュアンスは豊かで生彩に富んでいますが、全体としては実に理知的な、客観性の勝った印象です。当時のリスナーの耳にはさぞモダンに響いたのではないでしょうか。

“音圧が高く、武骨な縦ノリの演奏。今の耳にはやや時代遅れに聴こえるかも”

小澤征爾指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1968年  レーベル:RCA)

 当コンビ初期の録音。当盤とシューベルトの《未完成》、ムソルグスキーの《はげ山の一夜》は、なんと同じ日のセッションで一気に録音されています。このコンビのディスクは当時から評判が良く、当盤はアメリカでトスカニーニ盤に次ぐ利益を上げたそうです。

 しかし、勢いに溢れた若々しい表現ながら、フル編成の響きはやや重く、アインザッツの不揃いも散見されます。これは、ピリオド奏法の登場を経た耳には、少々時代がかって聴こえるのも事実。クライバー盤くらいの優雅な身のこなしに達すればまた別なのでしょうが、音圧が高く、やや武骨な造型の当盤はその点、少々不利ではあります。

 オーケストラホールで収録された同響のサウンドは、残響がデッドで奥行きが浅く、美麗とは言い難いもの。ゆったりとしたテンポで展開する第2楽章は、若手指揮者らしからぬ貫禄を感じさせる一方、第3楽章のトリオやフィナーレはいわゆる「縦ノリ」一辺倒の生硬な表現で、もう少しスマートな感覚が欲しい所。

“極端なスロー・テンポと全リピートの実行で話題を呼んだ異色の録音”

ピエール・ブーレーズ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1968年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ブーレーズ唯一のベートーヴェン録音で、カンタータ《静かな海と楽しい航海》をカップリング。超スロー・テンポと、スケルツォを含めた全リピートを実行している事で、発売当初から大きな話題となったディスクです。

 第1楽章は、冒頭から異様なスロー・テンポと一音一音明確に区切ったアーティキュレーションで、ほとんど冗談かと思うようなものものしい開始。主部も牛歩のごときテンポで、スコアを冷徹に音にしてゆくような趣ですが、それでも慣習的なルバートはきちんと踏襲しているのが面白い所。即興的な間合いで全休止も盛り込んでいます。ただ、ブーレーズのまるで感情を込めない指揮は、ベートーヴェンの構築的な作曲技法と意外に相性が良いかもしれません。

 第2楽章は常識的なテンポ設定で、トゥッティも音の立ち上がりが決して速くなく、そのせいか古風なスタイルの演奏に聴こえます。そうなると、オケの響きの浅さ(録音のせいもあります)と音色的魅力の乏しさが気になってしまうのが残念。アーティキュレーションが明瞭に描写されるのは、ブーレーズらしい所です。

 第3楽章は又スローなテンポで、あらゆる音符を克明に鳴らした独特のアプローチ。トリオも実に重々しい足取りで、スタッカートを多用した明瞭極まるアーティキュレーションが特徴です。フィナーレもゆったりしたテンポで、歯切れの良いリズムがシャープな輪郭を形成しますが、造形としてはオーソドックス。恰幅の良さもあったりして、言われなければブーレーズの演奏とは分からないかもしれません。普通の演奏として聴けば、感興の豊かさやソノリティの魅力に不足するのは否めない所。

ケンペらしい充実した演奏内容ながら、歪みの大きい録音が残念

ルドルフ・ケンペ指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 

(録音:1971年  レーベル:SCRIBENDUM

 ケンペは同時期にミュンヘン・フィルと交響曲全集を完成させています。ライヴではありませんが、ティンパニを伴うトゥッティでやや音がこもる、歪みのある録音。ただ、2014年にTHE ARTというボックス・セットで出た際にはリマスタリングで音質が改善した印象で、どのヴァージョンを聴くかによって音質の印象は異なるかもしれません。

 第1楽章は冒頭のフェルマータを長めにとり、随所にルバートを盛り込んだロマンティックな表現。テンポも遅めです。感興の豊かさは類を見ず、気宇の大きさも感じさせます。第2楽章も悠々たるテンポでスケールが大きく、ブラームスでは古典的な造形で聴かせるケンペの意外な一面を見る思いがします。暖かみのあるソノリティも魅力的。

 スケルツォは、テンポこそ遅めながらリズムの歯切れがよく、一転して速いテンポで颯爽と駆け抜ける終楽章に至って、きりりと引き締まったケンペらしい造形感覚が顔を覗かせます。ホルンの豊麗な吹奏も素晴らしく、サウンドの広がりが感情の開放や高揚感に繋がるのも音楽的。柔らかくみずみずしい弦のアンサンブルはミュンヘン・フィルにも通じる魅力がありますが、管楽セクションには今一つの技術的洗練を求めたい所。

“指揮者、オケ共に気力充実。演奏も録音もみずみずしく味わい深い名盤”

ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1971年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音中の一枚。前述のチューリッヒ盤と同時期の録音だけあって、テンポの設定や造型などはほぼ同じ。オケはミュンヘン・フィルの方が格上のようで、録音もみずみずしくて聴きやすいです。特に、金管が奥まった位置にセッティングされているためか、トランペットが入ってくると間接音の豊かさと奥行きが格段に増し、スケール感と爽快さがアップするのが当全集の美点。逆に、弦楽合奏が中心の第1楽章はどこか響きがデッドで、渋い印象を与えるのが不思議です。第3楽章のホルンもくすんだ音色。

 第1楽章は冒頭の長いフェルマータに始まり、あちこちにルバートでブレーキを掛けながら無骨さと流麗さを共存させたロマンティックな表現。ゆったりと構えて気宇の大きさで聴かせる第2楽章、堅実な足取りながらスタッカートの切れ味が鋭い第3楽章もチューリッヒ盤と共通です。

 快調なテンポで生き生きと小気味良く盛り上げるフィナーレは、音楽性も豊かで聴き応えがあり、ティンパニを加えたトゥッティも筋肉質で力感十分。終盤のピッコロの上昇フレーズは、スラーでなめらかに演奏されています。弦の刻みなど歯切れの良さもケンペの特徴で、彼の同曲ディスクなら当盤に軍配が上がると思われます。

整然たる造型と豊かな風格で聴かせるクーベリック。劇的興奮はやや不足する傾向も

ラファエル・クーベリック指揮 ボストン交響楽団

(録音:1973年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 9つのオケを振り分けた全集録音より。当コンビの録音は他に、スメタナの《わが祖国》とバルトークのオケコンがあります。第1楽章は遅めのテンポで、落ち着いた趣。音を歯切れ良く刻み、フェルマータを短めに切った冒頭は爽快です。克明なアーティキュレーション処理で着実に動機を積み上げてゆく提示部は、冷静なスタンスながら内的感興が充実。ボストン響もしっとりと美しい響きで好演しています。ティンパニを伴うトゥッティなど、このオケ特有のマイルドなサウンド。

 第2楽章もゆったりと遅い足の運びで、潤いやニュアンスも豊かですが、ロマンティックな方向へ傾倒しすぎず、明快なプロポーションを維持しているのがクーベリックらしい所。響きも明晰で、フル編成の弊害を感じさせません。表現に一切誇張がないので、常にすっきりとして聴こえるのも特徴。

 スケルツォ以降も腰の座った遅いテンポで進行。安定感のある足取りで、トリオもあまり加速しません。響きに適度な透明性と立体感があり、デュナーミクもよく考えられています。フィナーレは提示部をリピート。もう少し劇的興奮があってもいい気がしますが、整然たる造型感覚と独特の風格を持つ表現で、強い説得力があります。ボストン響特有の、暖かみのあるまろやかな音色の中にモダンなエッジを効かせたソノリティも魅力。

張りつめたテンションと集中力。隅々までクライバリズムが徹底した歴史的名盤

カルロス・クライバー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1975年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 第7番と並んで、当コンビの名盤とされる1枚。ウィーン・フィル特有の響きを最大限に生かしつつも、クライバーらしい生命力と勢いが全編に漲る、今の耳にも新鮮な演奏です。第1楽章冒頭は、気迫に満ちたテンションの高い滑り出しから、緊密なアンサンブルを展開。木管の内声に少々極端なクレッシェンドを掛けたり、何かと意識的なアーティキュレーションが徹底され、緊張の糸を切らせません。

 第2楽章もやや速めのテンポで一貫。冒頭チェロの艶やかな響きは、同オケならではです。常に聞き耳を立てているような集中力の高さもクライバー流。第3楽章はやはり、内から突き動かされるような勢いで進行する表現で、トリオの弦楽合奏などもスリリングな趣があります。

 フィナーレは提示部をリピート。ディティールまで克明に処理しながら、ライヴ・パフォーマンスのような熱い感興を伴ってコーダへと突き進む所、この指揮者の面目躍如と言えるでしょう。ピリオド奏法だとかモダン・オケだとかいう議論とは全く無関係に成立している、歴史的名盤。

芝居がかったポーズと壮麗無比なサウンド。カラヤン節全開の聴かせ上手な名演

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1976年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 全集録音中の一枚。劇的な身振りに共感を寄せた演奏で、作品の性格もカラヤンの体質に合っているようです。第1楽章提示部の、ホルンを伴った運命の動機など、これでもかとばかり芝居がかった強調感がありますが、不思議と説得力があって、むしろ初めてこの曲に接するリスナーには分かりやすい表現かもしれません。第2楽章のトゥッティも実に壮麗で、自信に満ちあふれた表現。フィナーレのティンパニの打ち込みも鮮烈です。

 全4楽章の構成が巧みに演出されていて、聴かせ上手な演奏ですが、ピッコロやトロンボーンの効果が最小限に抑えられているので、欲を言えばこういう所はもっと際立たせても良かったかもしれません。派手好きなイメージのあるカラヤンですが、彼の演奏には時々こういう、色彩的な効果を抑制するような音響バランスを聴く事があります。

 

“抑えた音量と軽快なフットワークによる室内楽的表現。マゼール特有のクセもあり”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1977年  レーベル:ソニー・クラシカル

 全集録音中の一枚。マゼールの同曲録音は、58年のベルリン・フィル盤、80年のウィーン・フィル東京公演ライヴ盤があります。生々しい直接音を近接した距離感で収録し、残響をあまり取り入れない録音コンセプトは当全集に一貫したもの。音量を8割くらいに抑え、クリアな響きと軽いフットワークで室内楽的アンサンブルを展開するスタイルは、同じレーベルのT・トーマス盤に先駆けたものと言えるでしょう。それをフル・オケで実現している辺り、マゼールの慧眼とオケの能力に舌を巻かざるを得ません。

 第1楽章は、アインザッツをきっちり揃えた整然たる表現。マゼールがいつも独特なのは、トスカニーニ的なイン・テンポではなく、直線的な進行の中にふとルバートを盛り込む点です。ここでも、トゥッティや曲の変わり目に飛び込む直前のアウフタクトで溜めを作るのが彼らしい所。アゴーギクの変転が少なくないため、必ずしも機械的な無味乾燥には陥りませんが、唐突なルバートが人工味を帯びる点が好みを分つのでしょう。正確無比なリズム処理、後半部でのブラスの強調もマゼールらしいもの。

 第2楽章はゆったりとしたテンポでじっくり造形。といっても叙情的な性格ではなく、カラフルな響きで覚醒したリアリズムの世界を展開します。ロボットのように精確な足取りながら、レガートの旋律線にはそこはかとなく情感もあり。トゥッティには張りと輝きがあるものの。響きが外へ拡散しないのでスケール感はあまり出てきません。

 スケルツォも機能的で、対旋律をくっきりと彫啄しているのが印象的。第4楽章は提示部をリピート。鋭角的なリズムと明朗で輝かしいソノリティに彩られ、スコアにないフォルテピアノ&クレッシェンドなど、自由なディナーミクも随所で展開。才気が迸ります。

やや客観的ながら快調に滑り出すものの、抜けの良さと力感の充実を欠く演奏

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1977年  レーベル:ドイツ・シャルプラッテン

 全集録音中の一枚で、ギュルケ版による演奏。ブロムシュテットの同曲は、後にゲヴァントハウス管とのライヴ盤も出ています。第1楽章は冒頭からアインザッツが整然と揃い、提示部も淡々とした調子で客観性の勝る印象。このオケ特有の低弦のヴォリューム感や木管ソロの美しさなども魅力的で、中庸のイン・テンポで進めておいてコーダで大胆にルバートを用い、ティンパニを鮮烈に強打させるなど僅かな音楽的強調が効果を上げています。

 第2楽章は非常に遅いテンポを採用、こちらもコーダでぐっと腰を落として句読点を強めた造型ですが、トゥッティ部にはさらなる押し出しの強さとスケール感が欲しい所。スケルツォもホルンのバランスが弱く、力感の充実を欠きます。

 フィナーレ冒頭は通常、輝かしい響きで雄渾に演奏されるものですが、当盤はどうした事か、著しくくすんだ地味な響きで感心しません。同じ全集でも他の曲が全てこういうサウンドになっているわけではないので、ここは残念です。特にこの楽章は、生気に乏しい感じを受けました。通常あまり実行されない第3楽章の提示部リピートを行う一方、第4楽章はリピートなしという不思議なスタンス。

“アインザッツが揃わないオケ、楽天的で鷹揚な指揮者”

ズービン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

(録音:1978年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 当コンビは第3、8、9番を録音している他、メータの同曲録音はベルリン・フィル、イスラエル・フィルの合同ライヴ、6番と組み合わせたイスラエル・フィルのライヴ盤もあり。やや遠目の距離感で捉えられ、このコンビの録音としては残響を豊富に取り込んでいる方に入ります。ただし、ホルンや木管のアタックやピッコロの高音、弦楽セクションの弓の当たりや軋みなど、生々しい直接音が耳に入る箇所もあり。高音偏重気味で、響きが派手で薄いのはこのコンビの録音に共通の傾向です。

 第1楽章は、冒頭のアインザッツが不揃いとまではいかないまでも、やや緩いのが難点。厳しい造形性に不足するのはロス時代のメータと異なる点で、その後も合奏に関してはフォーカスの甘さが継続します。ただ、ホルンや木管に独特の密やかなデリカシーが漂うのは、80年代に当コンビが向かう洗練を予期させるもの。後半は悲劇的な情緒が高まる方向には行かず、純音楽的、楽天的な性格がメータらしいです。

 第2楽章もヒューマンな感興が横溢するというより、客観性を保って流麗な造形を施してゆく感じ。美しいパフォーマンスではありますが、ベートーヴェンに深い精神性を求める向きからは相手にされなくても仕方のない所です。トゥッティの響きが薄手で、ややざらつくのも問題。第3楽章は、落ち着いたテンポで温和な性格。トリオもテンポを上げずのんびりしていますが、弦の切っ先には鋭さがあります。主部に張りつめた緊張感がないのは好みを分つ所かも。

 第4楽章は流麗な語り口で、柔らかさもあるみずみずしい音色は魅力的です。たっぷりとした響きは恰幅が良いですが、作品の性質からすると、音に凝集度の高さがないのは、締まりのない鳴らし方に聴こえてしまいます。後半も熱量を高める事なく、最後まで鷹揚な表現で一貫。

正確で純音楽的。小編成の美点を聴かせる一方、感情の高まりは不足する傾向も

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 イギリス室内管弦楽団

(録音:1980年  レーベル:ソニー・クラシカル

 室内オケによる史上初全集録音中の一枚。シリーズ初のデジタル収録で、カップリングは《エグモント》序曲でした。ロマン主義的な身振りを排し、純音楽的にスコアに迫ろうという姿勢は、この曲で特に顕著に表れています。ただ、残響のデッドな録音、柔らかな味わいに乏しいオケと共に、やや不満の残るディスク。

 第1楽章は、正確なリズムで画然と音を区切り、遅めのイン・テンポをほとんど崩す事なく、淡々と進行。終結部のみルバートしますが、それがどこかバロック的な雰囲気も想起させます。アタックは角が立って鋭く、力感は充分で勢いもあり。第2楽章は逆に速めですが、やはりテンポを一定に保ち、古典的なプロポーションをキープ。編成が小さいので響きは明晰なものの、トゥッティのスケール感は確保されています。

 小編成の美点は第3楽章以降により一層発揮された印象で、小回りのきくアンサンブルを生かしてフットワークの軽い、アクティヴな演奏を展開。フィナーレは提示部リピートを実行。ピッコロが入ってくるくだりなど、やはりバロック的な表現が聴かれますが、古楽器系指揮者の過激さは皆無。あくまで落ち着いた、清潔な表現で、もう少し内的感興の高まりがあっていいようにも思います。

“何という気品の美しさ! 麗しくも明晰な、奇跡のごときベートーヴェン”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1982年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビのグラモフォン録音は数点ありますが、英デッカが録音に使っていたロイス・ホールで収録されたものは当盤とブラームスの1番だけです。ジュリーニのベートーヴェンは既にロス・フィルと3番、6番があり、後にベルリン・フィルと9番を録音。90年代は、スカラ座フィルと新たにベートーヴェン・ツィクルスを開始しています。当盤は発売当初から話題を呼び、評価の高かったもの。

 第1楽章は、意外にきびきびとしたテンポ運び。運命の動機は最初の3音をあまり短く切らず、テヌート気味に処理していますが、これは冒頭だけで主部では徹底されていません。響きは明晰そのもので、木管の内声がはっきりと聴き取れる、極めて見通しの良いもの。音色もみずみずしく、美しい瞬間が頻出します。勢いもあり、均整美もあり、あらゆる点において音楽的な表現。

 第2楽章は一転して、ゆとりのあるスロー・テンポ。全体に溢れる気品の美しさは例えようもなく、一体どうやったらこんな典雅な演奏になるのかと不思議です。響きは相変わらずクリアで、クラリネットのオブリガートも明瞭に浮かび上がります。トランペットが主題を奏するトゥッティは、えも言われぬ麗しいフレージングがほとんど奇跡。この楽章に限らず、固めのバチを使用したティンパニの鋭い打ち込みも効果を上げています。

 第3楽章はホルンの鮮烈な音色が耳に残り、テンポの遅いトリオは推進力を犠牲にしても細部の克明さにこだわった模様。提示部をリピートしたフィナーレは、遅いテンポで重々しい表現。足を引きずるようなフレージングも特徴的ですが、響きは明るく、内声までクリアに聴こえます。とにかくタッチが優美で、木管の経過的なパッセージまで艶やか、かつニュアンスたっぷりに演奏されています。トゥッティには渾身の力が込められて迫力があり、コーダでは壮麗なクライマックスを形成。

“どこまでもブランド・イメージが優先し、曲目は別に何でもいい気にさせられる録音”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤン最後の全集録音から。デジタル機器のせいか響きの透明度が増し、音色の艶やかさや柔らかな手触りが際立つ印象。スコア解釈の成果を世に問うタイプの指揮者ではないし、合奏はそれ自体の伝統で成立しているようなものです。曲目に関係なくカラヤン・ブランドの大枠を設定した中で、楽員が大まかな合意をもって取組んでいる感じで、あくまでレコード産業の一商品と割り切られても仕方がないかもしれません。

 第1楽章冒頭は、音圧の高さや響きそのものに王道感があり、有無を言わせぬ雰囲気が漂います。フェルマータを長めに伸ばしたり、ホルンの運命動機がややレガートだったりと細かい強調はありますが、全体としてはオケの合奏力と指揮者のブランド・イメージを聴くような印象。相変わらず物々しいフォルティッシモもその一貫です。テンポは速めできびきびとしており、解釈に変化はない模様。

 第2楽章も合奏の乱れはありますが、このコンビならではの響きと堂々たる音の佇まいで聴かせてしまう演奏。作品よりも演奏者が主役という感じを受けるのは、彼らの演奏に共通の傾向です。トゥッティの響きも壮麗そのもの。第3楽章は適度なテンポで。意外に推進力あり。ただしトリオの低弦は、レガート奏法で締まりがないのが残念。第4楽章も過剰なソステヌートで大仰な語り口ですが、妙な迫力があって説き伏せられてしまいます。音響も凄絶。

“音圧を落とし、軽妙なタッチを生かした異色の演奏。過剰なほどの残響音も独特”

ジェフリー・サイモン指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1986年  レーベル:CALA)

 サイモンが自身のレーベルから出た5枚組名曲集から。教会で録音されていて、過剰なほど豊かに取り入れられた残響音が、一種独特の雰囲気を醸し出します。ベートーヴェンとしては異色のサウンドという感じですが、ホルンやトランペットが壮麗に鳴り渡る派手な響きは、純粋に音響として快いです。ただ、トゥッティの響きがピッコロなど木管の細かい動きをマスキングする傾向があるのは気になる所。

 サイモンの表現は、第1楽章冒頭こそルバートを多用してロマンティックな様相を呈しますが、楽章後半は中庸のイン・テンポで一貫。アンサンブルに一部乱れや大味な箇所もあるものの、全体としては好演です。第2楽章はトゥッティ部など肩の力が抜けた軽妙なタッチで、その点では後のピリオド・スタイルを予見しているとも言えます。

 その割にスケルツォのトリオは腰が重い印象も残りますが、フィナーレは又もや音圧を落とし、フットワークの軽い表現。最後まで八分くらいの力で演奏していて、モーツァルト寄りの《運命》という感じでしょうか。もっとも、彼らの演奏で他のベートーヴェンも聴いてみたいかと問われると、ちょっと返答に窮します。

常に穏やかさを崩さず、緊張感や雄渾さには見向きもしないハイティンク

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1986年  レーベル:フィリップス)

 全集録音中の一枚で、ハイティンク2度目の録音。この指揮者らしい安定感はあるものの、全体にあまりに穏やかで、張りつめた緊張感や高揚感に不足するのは、作品と指揮者の相性の問題でしょうか。第1楽章はイン・テンポで淡々と進めますが、強いアクセントや裏拍のスピード感などは全て排除され、古典的枠組みを一歩も出まいという姿勢。ホルンも非常に抑制されています。弦楽群は画然と統率されている印象で、編成もやや減らしているかもしれません。

 第2楽章も優雅ですが、雄渾な力感には不足。オケの美しい音彩は常に保たれるものの、内的感興の点で、後年のハイティンクにはまだ至っていない印象。後半2楽章も衒いのない表現だけに、ライヴ的な感動がなければ主張の弱いディスクとならざるを得ません。スケルツォの低弦などフットワークが良く、リズムの鋭敏さは十分。「普通」に聴こえるというのは立派な事なのですが(ダメな指揮者が振ると「普通」には聴こえません)、こういう比較の場では競争力の点で弱い事が多いです。

前時代的ロマンティシズムを盛り込みつつ、モダンな均整美も兼ね備えた快演

クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1987年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 全集中の一枚。この全集は曲によって演奏の良し悪しが大きく分かれるように思いますが、当曲は素晴らしい出来映えです。オケの良さを存分に生かし、ある種の重々しさを保持したシンフォニックな表現は、ピリオド・スタイルの流行によって失われつつある“何か”の魅力を如実に感じさせます。

 第1楽章は、決然たる佇まいをキープしつつ、随所にちょっとしたタメを盛り込んで、貫禄たっぷりの表現を志向。コーダに向かって徐々に白熱する所や、大見得を切った締めくくりなど、非常に聴きごたえがあります。第2楽章もロマンティックと言えるほど歌心に溢れた演奏。すこぶる伸びやかなフレーズ処理や、ニュアンス豊かな旋律線、壮麗で気宇の大きなトゥッティと、前時代的な表現も頻出しますが、決して古臭くはなく、むしろ音楽に内在する強靭な力感と美しさを見事に表出しています。

 後半2楽章も、重厚と言っていいほどにがっしりと強固ですが、リズムの切っ先は鋭く、均整の取れたプロポーションなど造形美も感じさせるのがアバドらしいです。フィナーレのホルンを始め、フレーズに溜めを作る箇所は相変わらず多く、それが堂に入っているのはさすが。彼もその後はピリオド奏法に傾きましたが、伝統的なスタイルを勉強してきた人である事も強く感じさせます。

プレヴィンにしてはアクセントの強い、男性的な表現。感興の豊かさに欠けるのが難点

アンドレ・プレヴィン指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:RCA

 当コンビはベートーヴェンのまとまった録音を行いましたが、全集は完成しませんでした。このオケ、この指揮者でベートーヴェンを聴きたいと積極的に思う人がどれくらいいるのか、私には何とも言えませんが、そういう私がディスクを所有しているくらいですから需要はあるのでしょう。響きは、当たり前ですが、あくまでロイヤル・フィルです。

 第1楽章はなかなか歯切れが良く、推進力にも事欠きませんが、内から沸き起こる感興を求めたい所。この指揮者としてはアクセントが強く、覇気が漲る一方、時折盛り込まれるルバートは少々芝居がかって聴こえます。第2楽章になると、やはりオケの音彩や表現力に不満が出て来ますが、このディスクに興味を持った人にすれば、むしろそのニュートラルさが魅力という事かもしれません。

 第3楽章はトリオを中心に腰が重く、編成も小さくはないので、旧来のドイツ的重厚さからも、モダンなスタイルからも距離を置いた、正に中庸といった趣。フィナーレは提示部をリピート。やはり、プレヴィンには珍しく金管とティンパニを強調した男性的な表現で、リズムも生き生きとしてきますが、後半はやや無骨な仕上がりで、むしろお得意のノーブルなタッチで仕上げた方が、個性が出て良かったのではないでしょうか。

特異なイントネーションと激しい音楽表現に溢れるものの、作品との相性は良好

ニコラウス・アーノンクール指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

(録音:1990年  レーベル:テルデック)

 ライヴによる全集録音中の一枚。ピリオド奏法を徹底している事よりも、表現自体の激しさが際立つ全集です。特に管楽器のバランスが突出し、マスの響きも骨張っていて複雑な色彩感を備えますが、音楽としては、非常に美しく感じられる部分と雑音性が高く粗雑に聴こえる部分が相半ばする印象。ノン・ヴィブラートによる弦は清澄感があって、意外に聴きやすいです。ブラスを伴うトゥッティも、うまくいっている箇所は壮麗なサウンドが魅力的。

 第1楽章はフェルマータをことさらに減衰させる個性的な解釈。冒頭の2つだけでなく、途中の第1ヴァイオリンのみによるフェルマータも、はっきりそれと分かるほどディミヌエンドさせています。テンポも速く、冒頭からコーダに向かって一心不乱に突き進んでゆく激しい演奏で、アーティキュレーションが常に意識的なのもアーノンクールらしいです。

 第2楽章も速めのテンポで、変化に富む構成。レガートを強調する箇所もある一方、通常より音を短く刈り込んだり、音価の取り方が独特です。コーダはすこぶる優しいタッチ。速めのテンポで進める第3楽章はリピート実施。随所に特異なイントネーションが施されていますが、スケルツォ的性格はよく掴んでいて、決して重厚長大に陥らない軽妙さがあります。この楽章に限らず、木管の受け渡しなどアンサンブルも見事です。

 終楽章も提示部のリピートを実施。どんな作品であれ、意地でもリピートを割愛しない指揮者です。アタックが強く、コントラストを強調した演奏ですが、元々感情的に激しい作品であるため、それほどアクの強さは感じません。ホルンとトランペットのシンコペーションなど、これはバロック的なのか、ポップス的なのか、実に不思議なリズムの強調が聴かれます。最後のフェルマータは、ティンパニのトレモロだけすぐにストップ。

“剛毅で几帳面な指揮者と、柔らかく典雅なオケの個性が奇跡的に融合”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音中の一枚。ライヴも混在する全集ですが、当盤はセッション録音。当コンビは、60年代初頭に第6、7番も録音しています。オケとホールの特性をよく捉えた、フィリップスにも匹敵する豊麗な音質。フル編成のモダン・オケですが、ふくよかな響きで威圧感がありません。

 第1楽章は遅めのテンポながら、画然たる合奏と美しい響きで清々しく流れる演奏。アインザッツの筆圧が強く、ティンパニや金管が力強いアクセントを打ち込む剛毅な表現で、オケの個性はそれを良い意味で緩和しているかもしれません。ドイツ風の厳格さが全体を支配するのに、流麗さや透明感、凛々しい推進力が感じられるのが不思議です。

 第2楽章もゆったりとした足取りでたっぷりと叙情を含みつつ、明晰なフォルムに造形。豪放な力感があるのにタッチが柔らかいというのは矛盾するようですが、この指揮者とオケなら当然という感じでしょうか。往年のスタイルなのに全てがみずみずしくフレッシュで、重々しさや古臭さを感じさせないのは凄い所。木管群のハーモニーが上昇、下降フレーズを折り返す箇所、軽やかな身振りと色彩感が素晴らしいです。

 第3楽章は細部を疎かにしないながらも、やはり無類にスムーズに推進する爽快さが魅力。どうしたらこんな演奏になるのか、正に至芸という他ありません。第4楽章も華美な盛り上げ方は一切しないにも関わらず、スコアが求める雄渾さと有機的な迫力、内から放射する明るい輝きと内的高揚に加え、ソノリティの感覚美もふんだんに味わせてくれる、理想的な名演です。ファースト・チョイスにもお薦め。

“重心の低い響き、ゆったりとした間合い。重厚ながら内的燃焼度の低い、クールな演奏”

コリン・デイヴィス指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1992年  レーベル:フィリップス)

 全集録音中の一枚。デイヴィスは20年前にもBBC響と同曲をレコーディングしています。終始落ち着いたテンポ設定で重厚な演奏を展開。リズムこそ克明に処理されていますが、第1楽章やスケルツォでホルンに運命の動機が現れる所など、一瞬テンポが落ちるような感じで印象的に強調されていて、必ずしもイン・テンポの客観的な表現ではありません。重厚に聴こえるのは、響きの重心の低さによる所が大きいものの、デイヴィスの棒もその傾向を助長するように、敢えてオケの特質を生かそうという様子が窺えます。

 第2楽章のトゥッティなどは、いかにもひなびた味わいを重視した響き。スケルツォもゆったりとした間合いで丹念にディティールを造型しています。終楽章は提示部をリピート。持ち前の堅固な構成力を生かして骨太な音楽を展開する一方、コーダに至っても内的燃焼度はあまり上がらず、少々クールな視点に徹しすぎた感は残ります。

“温厚な良さもあるものの、緊密さや感銘度において旧盤から著しく後退”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1993年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 同コンビによる交響曲選集の一枚で、4番とカップリング。音響がデッドなスカラ座の劇場で収録されていますが、ソニーのスタッフは幾分か残響音を確保して聴きやすい音質に仕上げています。左右の広がりや分離は良く、直接音も明瞭。ロス・フィルとの82年盤は非凡な名演でしたが、こちらはやや苦しい内容。

 第1楽章はテヌートによる運命の動機で開始。強いアタックを避け、柔らかな手触りで旧盤とかなり違う方向性を示しますが、それが曲調に相応しいかどうかは疑問です。テンポも遅くなっている一方、いささかねじの締め具合がゆるく、ある種の厳しさが欲しくなってきます。第2楽章は叙情性豊かで、このコンビのスタイルには合った暖かみのある表現ですが、不思議とスケール感はあまり出ていません。

 第3楽章はテンポが遅く重厚。響きは光沢があって美しいですが、鋭利さや峻烈さには乏しく、鷹揚な性格。第4楽章もスローで重々しく、躍動感に不足する一方、ピッコロの効果もよく出ているし、ベートーヴェンらしい堂々たる力感は確保しています。ただ、全体的な感銘度は、残念ながら旧盤から著しく後退したと言わざるを得ません。

“宣伝通りに純ドイツ巨匠風の音楽を聴かせる、ティーレマンのDGデビュー盤”

クリスティアン・ティーレマン指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1996年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ティーレマンのデビュー盤で第7番とカップリング。彼は後にウィーン・フィルと、ライヴによる全集録音を行っています。DGはドイツ音楽の正当的な継承者というイメージで売り出していた記憶がありますが、その後の彼の活動を見ていると、本人も筋金入りでその路線を突っ走っている印象です。当盤の2曲も、ウィーンでの再録音にそのまま繋がるスコア解釈を既に打ち立てていて、堂々たる演奏ぶりが圧巻。

 第1楽章は、遅めのテンポで滑舌良く開始。語調に曖昧さが一切なく、その克明さが正に純ドイツ風と感じられます。しかし随所に自由な間合いやルバートを挟むスタイルは、むしろロマンティック。それが小手先の芸とも、旧式の古めかしさとも感じられない点は、正に本物の才能という事なのでしょう。第2楽章も演奏時間12分に近い悠々たるテンポで、安定感抜群。若手指揮者とはとても思えない気宇の大きさと風格があります。末尾までたっぷり伸ばしきる歌い回しも、後年と同様。

 第3楽章も呼吸の深さが印象的。トリオに入る際に大きく溜めるのもティーレマンらしいです。第4楽章は提示部をリピート。テンポは細かく操作していますが、後年の第1主題デフォルメはありません。英国のオケながら重心の低い豊かな響きで、ドイツ系の団体を起用しなかったデメリットも特に無い様子。決して無骨な性格ではなく、自在な呼吸感やフレキシブルな面もあり、メジャー・レーベルへのデビュー録音としては、驚嘆すべき内容と言えるでしょう。

バレンボイム快調! 先人の芸を自家薬籠中の物とした、まったく見事という他ない名演

ダニエル・バレンボイム指揮 シュターツカペレ・ベルリン

(録音:1999年  レーベル:テルデック)

 全集録音中の一枚。シカゴ響とのブラームスもそうですが、満を持して敢行したレコーディングだけあって、バレンボイム以外の誰にも真似できぬ境地に達しています。共通して言えるのは、磨き抜かれた響きの美しさ。透明で、きめが細かく、柔らかくて明朗。ホルンをはじめとする金管やティンパニが入ってきても全く混濁せず、壮麗な音色が深々と響き渡る快感に、この団体の実力を今まで知らずに来た不覚を恥じずにはいられません。

 冒頭は、遅いテンポで一音ずつ画然と区切った独特の表現。感情移入は激しくありませんが、随所にルバートを盛り込んだ恣意的なアゴーギクは、やはりフルトヴェングラーの現代版と聴く人がいても不思議ではありません。しかし、バレンボイムほどの音楽家ともなれば、先人の芸風も学んだ上で、あくまで自分の音楽をやっているのに違いないです。コーダに向かってわずかに加速し、トゥッティの運命動機でブレーキを掛ける所、彼の様式感が如実に表れています。オーボエ・ソロへの柔らかな着地も優美。

 第2楽章は、悠々たる足取り。ティンパニのトレモロが連続する箇所では、いったん音量を落としてからクレッシェンドのパターンを繰り返しています。ドイツ風のどっしりした低音は昔気質ですが、クリアに澄んだ音響はむしろモダンなセンス。ブラスの色彩は鮮やかで抜けが良く、輝かしくも潤いを帯びたソノリティを構築する一方、粘っこく、しなやかなフレージングが独特の味わいを醸します。

 第3楽章は、スケルツォと呼びたくないほど恰幅の良い造型。ホルンの滑らかなフレージングも印象的です。テンポを落として突入するフィナーレは、提示部をリピート。最後まで明るく、見通しの良い響きをキープし、トゥッティでも弦の急速なパッセージが明瞭に聴こえるのは痛快。思わず聴き惚れてしまうほど艶やかな音が飛び交う中、前時代と現代を同居しながら音楽が展開する様は、実に個性的です。まったく、見事という他ない演奏。

 → 後半リストへ続く

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