グリーグ/劇音楽《ペール・ギュント》

概観

 本作のスコアには複雑な成立過程がある。詳しい事情はN・ヤルヴィ/エーテボリ管による原典版初録音の解説書で説明されているが、ざっくり言えば、グリーグの本来の音楽的意図は1876年オスロ初演のための全曲版26曲にあるという事。この劇は1886年にコペンハーゲン、1892年と1902年にオスロで再演されるが、前者では数曲カットされた上に別作品からの曲も採択され、グリーグ自身も公演に深く関われず不満だったようだ。

 彼は出版にも消極的で、CFペータース社の交渉で二つの組曲を出版したが、23曲からなる全曲スコアは作曲者の死後に編纂された不完全なものだった。しかし同社は後に『エドヴァルド・グリーグ』全集第18巻として出版する際、コペンハーゲン王立図書館とベルゲン公立図書館の研究で初演時の自筆スコアを発見。これを基に、グリーグがその後何年にも渡って加えた音楽的改訂を反映させたのがこの原典版。ヤルヴィ父の全曲盤はこのヴァージョンの初録音で、全曲録音自体も珍しいので貴重。

 組曲盤も私が幼少の頃はポピュラー名曲として人気が高く、多くの指揮者が録音していた。80年代辺りからは独唱入りの抜粋盤も増え、ヤルヴィ父の全曲盤で原典主義のピークを迎えるが、その後は新録音がほとんど出ておらず残念。独唱と合唱を伴う全曲録音がコスト的に難しいのは分かるとして、組曲の録音まで行われなくなったのは解せない。皆が同じような曲ばかり録音したがる昨今、こういう作品こそぜひ取り上げて欲しい。

 ベルグルンド盤、マルケヴィッチ盤のように組曲盤でも良い演奏はあるものの、お薦めはやはり抜粋盤。ここで取り上げたディスクはどれも甲乙付け難い名演ばかりだが、頭一つ抜きん出ているのは、やはり名盤の誉れ高いブロムシュテット/サンフランシスコ盤。これはもう、熱い涙なしでは聴けない。そして、出来ればヤルヴィ父による目下唯一の全曲盤を聴いて欲しい。同曲がいかに魅力的な作品か、その全貌が分かる。

*紹介ディスク一覧

[組曲版]

58年 ドラティ/ウィーン交響楽団   

71年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団   

73年 ベルグルンド/ボーンマス交響楽団   

76年 A・デイヴィス/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

80年 マルケヴィッチ/フランス国立管弦楽団 

82年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団   

15年 メータ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  

[抜粋版]

77年 ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン

78年 ウェラー/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

82年 デ・ワールト/サンフランシスコ交響楽団

87年 サロネン/オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

88年 ブロムシュテット/サンフランシスコ交響楽団  

90年 テイト/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

04年 P・ヤルヴィ/エストニア国立交響楽団

[全曲版]

87年 N・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団

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[組曲版]

 

“後年の円熟したドラティを想起させる、ウィーン響との珍しい共演盤”

アンタル・ドラティ指揮 ウィーン交響楽団

(録音:1958年  レーベル:フィリップス)

 ドラティとウィーン響の珍しい組合わせで、オリジナル・カップリング不明。これも珍しいラムルー管との《アルルの女》《カルメン》組曲とカップリングで2014年にタワーレコードが復刻してくれたが、収録時間のせいかマスタの関係か、残念ながら第2組曲は《ソルヴェイグの歌》1曲だけの収録で、全5曲のみの特別収録扱い。

 《朝》《オーセの死》は遅めのテンポを採り、たっぷりと情感豊かに旋律を歌わせている。スケールも大きく、晩年の彼を彷彿させる懐の深さもある。《山の魔王の宮殿にて》も遅めのテンポを基調にダイナミックに盛り上げるが、重しを付けたようなリズムの引きずり方はこの時期のドラティらしからぬもの。むしろ後年のデトロイト時代の、円熟したスタイルという感じ。オケもしなやかなカンタービレと緊密な合奏力で応えていて、《ソルヴェイグの歌》の弦の美しさは耳に残る。

“聴かせ上手で見事な演奏ながら、録音の冴えが今一つ”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1971年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《十字軍王シグール》をカップリング。声楽は入っていない。この時期のイエス・キリスト教会での録音は音質が冴えず、高音域の抜けと爽快感がさらに欲しい。当コンビは、80年代にデジタルで同曲を再録音している。

 《朝》は全体がもやっとしていて、演奏に問題はないが響きが曲に合っていない。《オーセの死》は弦のフォルテの音圧に威力がある一方、このオケらしい艶やかさはあまり出ていない。《山の魔王の宮殿にて》は加速もドラマティックで聴かせ上手だが、合奏は乱れがち。峻烈なアクセントにも欠けている。一方で、《イングリッドの嘆き》で嫋々と歌う弦楽合奏や強調されたティンパニの連打、随所に細かな演出が効いた《アラビアの踊り》は聴いていて楽しい。オケも見事。

“北国そのもの音色。濃密なニュアンス溢れる、同曲屈指の名演”

パーヴォ・ベルグルンド指揮 ボーンマス交響楽団

(録音:1973年  レーベル:EMIクラシックス)

 アルヴェーンのスウェーデン狂詩曲第1番と《グスタフ・アドルフ王2世》組曲〜エレジー、ヤルネフェルトの小品とカップリング。彼らのグリーグ録音は81年の交響的舞曲、《古いノルウェーのロマンスと変奏曲》もある。たっぷりと残響を取り込んだ雰囲気豊かな録音は作品と相性が良く、オケもシルヴェストリの時代と較べると飛躍的に上手くなっている。

 《朝》は冒頭のフルート、オーボエから即興的と言えるほど自在な歌い回しで、続く弦もたっぷりと潤いを含んで叙情的。この短い曲で個性を出すのは難しいと思うので、改めてベルグルンドの懐の深さに感じ入る。《オーセの死》は音が分厚いのに清冽で、雨雪に濡れたような弦の音色がもう北国そのもの。それだけで1曲聴かせてしまう。

 《アニトラの踊り》は遅めのテンポで情緒が濃く、対旋律の艶っぽさと対位法の立体感が素晴らしい。《山の魔王の宮殿にて》は、あまり早くに加速しない誠実さがベルグルンドらしく、それでいてコーダの加速で緊迫感を煽り、ティンパニを鮮烈に強打させて物足りなさを残さない。《イングリッドの嘆き》はこの指揮者の面目躍如たる表現で、フレージングといいダイナミクスといい和声感といい、文句の付けようのない名演。ふとしたオーボエのフレーズにさえ、豊かな情感が漂う。逞しい力感も印象的。

 《アラビアの踊り》は奇を衒った所こそないとはいえ、落ち着いたテンポで丹念に描かれる情景はすこぶる魅力的。中間部の巧妙を極めたアゴーギク、ひたすら耳を惹き付ける優美でしなやかな歌に唸らされる。《ペール・ギュントの帰郷》は響きの薄さが少し気になるが、ダイナミックな表現。《ソルヴェイグの歌》には指揮者の北欧魂が溢れる。

鮮烈かつフレッシュな性格ながら、オーソドックスな表現内容に物足りなさも

アンドルー・デイヴィス指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

 エリザベス・ゼーダーシュトレム(S)

(録音:196年  レーベル:ソニー・クラシカル

 第1、第2組曲に《ソルヴェイグの子守唄》を加え、《ソルヴェイグの歌》もゼーダーシュトレムのソプラノ歌唱版に変更したイレギュラーな組曲盤。LP初出時はアルバム全体で彼女をフィーチャーし、オーケストラ伴奏版の5つの歌曲をカップリングしていた。北欧の人らしいほの暗い声質は、グリーグの和声によく合っている。

 速めのテンポで引き締まった造型を志向していて、振幅こそ大きくはないが、リズムや色彩感が鋭敏で、若々しさが好ましい。旋律は流麗に歌わせつつも抑制が効き、《ペール・ギュントの帰郷》などは落ち着き払った音楽作りが逆に物足りない。低域が飽和状態になりがちな録音で、弦のアンサンブルが活躍するこの曲では今ひとつの透明感を求めたい。アビーロード・スタジオでの収録だが、残響がやや過剰。

“晩年のマルケヴィッチとフランス国立管による、美しくも精緻な、瞠目すべき超名演”

イゴール・マルケヴィッチ指揮 フランス国立管弦楽団

(録音:1980年  レーベル:ピックウィック)

 英国のピックウィック(これがレーベル名かどうかも判然としないが)によるThe Orchid Seriesというシリーズの1枚。ポピュラーな名曲が並んでいるので、ビギナー向けのリファレンスかもしれないが、どれも80年代のデジタル録音で、指揮者陣がコンドラシンやヨッフムなどその後にすぐ亡くなった巨匠達だから、音楽ファンが注目するのも頷ける。マルケヴィッチの録音はフランス物からこんな珍しい北欧物まで数点ラインナップされていて嬉しい所。

 《ホルベルク》組曲、《十字軍王シグール》〜行進曲をカップリング。マルケヴィッチの北欧物は珍しいが、デンマーク立管とはニールセンの《不滅》と《サガの夢》を米ヴォックスに録音している。ロシアの指揮者だし録音歴も長いので、探せば色々あるのかもしれない。フランス国立管によるグリーグもまた珍しいが、言われなければフランスのオケとは分からない感じで、合奏にも緩さは全くない。

 各曲の描き分けも見事という他なく、どれも瞠目すべき名演になっているのが凄い。透明感溢れる弦楽合奏が素晴らしい《オーセの死》、精緻に組み立てられた弦のフレージングが聴きものの《アニトラの踊り》、最初から速いテンポで疾走する《山の魔王の宮殿にて》、スピーディな足取りできびきびと緊密な合奏を繰り広げる《アラビアの踊り》《ペール・ギュントの帰郷》など。《ソルヴェイグの歌》導入部の弦も、思わず息を飲む美しさ。

“音質が大幅に改善され、表現の雄弁さも格段に増したデジタル再録音盤”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 シベリウスの《ペレアスとメリザンド》をカップリング。当コンビとしては71年盤以来の再録音だが、今回はデジタル収録で会場もフィルハーモニーに代わり、音質が飛躍的に向上した。演奏も、さらに雄弁さを増したように感じられる。

 《朝》は名手揃いのオケを生かし、美しい響きで艶やか。細部の表現が雄弁で、素朴なグリーグのスコアを、技術力と語り口で補うようなアプローチである。ちょっとしたフォルテも、実に豊麗に響かせるのが当コンビ。《オーセの死》は、弦の美しさ全開。ポルタメントも盛り込んだりして、切々と旋律を歌い上げる。フォルテの威力とピアニッシモのデリカシーも、確信犯的なまでに大きく対比。

 《アニトラの踊り》は推進力の強いテンポでスピード感を感じさせる中、主旋律は微妙にテンポを揺らして老練な語り口を披露。デュナーミクの演出も変化に富んでいる。《山の魔王の宮殿にて》は加速の仕方など、聴かせ上手な旧盤の解釈を踏襲しながら、より緊密なアンサンブルで名人芸的パフォーマンスを展開。

 強弱の起伏が大きく、過剰な身振りで嫋々と歌う《イングリッドの嘆き》は正にカラヤン美学。ティンパニも激烈に打ち込む。《アラビアの踊り》も下手な演奏だとさらっと流して終りだが、当盤はオケが巧いせいもあって細部に至るまで生気に溢れ、聴き手の耳を惹き付けて離さない。《ペール・ギュントの帰郷》における打楽器の強打、《ソルヴェイグの歌》に聴く弦のポルタメントや中間部の濃厚な表情付けは演出過剰とも言えるが、プログラム音楽はこれくらいの方が楽しいかも。

“北欧風にこだわらず、濃密な異国情緒を盛り込んで芝居っ気たっぷりの野外ライヴ”

ズービン・メータ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2015年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 毎年夏にシェーンブルン宮殿で行われる、サマーナイト・コンサートのライヴ盤から(映像ソフトもあり)。メータのグリーグ録音は非常に珍しいが、この年は北欧プログラムで、同時にピアノ協奏曲も演奏された(ソロはブッフビンダー)。せっかくのチョイスなのに、第1組曲のみの演奏とは残念。野外コンサートだが、音響処理でエコーを加えているのか意外に豊かな響きで、鑑賞に大きな不満はない。

 《朝》はさりげない調子の中に濃密なニュアンスを盛り込んだ、メータらしい表現。さらっとした手触りではなく、弦のカンタービレも管楽器のソロもねっとりとした粘性を帯びているのがユニーク。音色もクールではなく、温度感がある。《オーセの死》は情感が濃く、ルバートこそ大きくは用いないものの、デュナーミクやアクセントがシェーンベルクばりに雄弁。

 《アニトラの踊り》は遅めのテンポで、やはり細部をたっぷりと聴かせる。《朝》もそうだが、中東の異国情緒を描写した音楽ゆえか、メータにとって感覚的にさほど遠い曲想ではないのかもしれない。オケはさすがに上手く、艶っぽい歌い回しで聴かせる。《山の魔王の宮殿にて》は、野外イベントの演奏という事も意識してか、ダイナミックな語り口で芝居っ気たっぷり。会場も大いに湧いている。

[抜粋版]

名門オケと、熱く、うねるような表現を繰り広げる、北欧人ブロムシュテットの旧録音

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

 ライプツィヒ放送合唱団

 タル・ヴァルヤッカ(S)、エディット・タラウグ(Ms)

(録音:1977年  レーベル:EMIクラシックス

 当コンビの数少ないEMI録音の一枚。旧東独・シャルプラッテンとの共同製作で、プロデューサーもエンジニアも東独側が担当。ただ録音機材はEMIのものなのか、素朴なシャルプラッテンの音とは違って、抜けの良い爽快なサウンド。ブロムシュテットとしてはサンフランシスコ響との再録音が大変な評価を得たので霞んでしまいがちだが、かつては当盤も高評価を得ていた。

 抜粋は12曲で、作曲者の死後に出版スコアを編集したヨハン・ハルヴォルセンがオーケストレーションを行った《花嫁の行進》(原曲はピアノ曲で、グリーグの意志とは無関係に挿入)も収録。ブロムシュテットは熱い思いを秘めつつ、ドラマティックな緩急で音楽を造形。叙情的に歌う場面でのうねるような分厚い響き、山場のダイナミックな盛り上げ方、鋭利なリズムを駆使した歯切れの良い音楽進行など申し分がない。旋律の歌わせ方もうまく、《ソルヴェイグの子守唄》のエンディングなど儚い余情が魅力的。

 同オケのグリーグは大変珍しいが、マスの響きから滋味溢れるソロまで素晴らしい。張りのあるティンパニの強打が随所で鮮烈な効果を挙げているし、ブラスのアクセントもエッジが効いていて、むしろモダンな印象。合唱もアインザッツが揃っていて切れが良く、完璧に統率されている。独唱はあまり名前を聴かない人(ノルウェー人?)だが、清涼感のある美しい歌唱。ただヤルヴァッカの方はあまり抑制をきかせず朗々と歌い上げるタイプで、さらに繊細さも欲しい。

“引き締まった造形と艶美極まる歌。指揮者の並外れた才気を示す隠れた名盤”

ヴァルター・ヴェラー指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:デッカ)

 この顔合わせの録音は他にブラームスのハンガリー舞曲集、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集(ソロは藤川真弓)がある。当時としては一般的な12曲の抜粋盤だが、声楽が一切入っておらず残念。元ウィーン・フィルのコンマスなのになぜか人気がないヴェラーだが、非常に才能のある指揮者で、私は高く買っている。デッカの録音も優秀。

 旋律線の歌わせ方がすこぶる巧い点はさすが弦の名手で、流麗なだけでなく、流れの中でアクセントを付ける手法が見事。管弦のバランスもよく練られていて、ハルヴォルセンが編曲した《花嫁の行列の通過》など壮麗なブラスが魅力的。《イングリッドの嘆き》の切々とした抒情も胸に沁み入る。弦だけでなく管楽器の歌い回しも艶美そのもので、鮮烈なアクセントやダイナミックな力感にも欠けていない。

 合奏がきりりと引き締まり、アゴーギクが弛緩しないのは優れた指揮者の証左。とにかくテンポ感が見事で、各曲の性格を巧みに描き分けている。スロー・テンポで情感たっぷりに歌わせた《朝》や《オーセの死》、鋭敏なリズムで軽妙に造形した《アラビアの踊り》《アニトラの踊り》、スリリングに切迫した《ペール・ギュントの帰郷》はその好例。色彩感は豊かだが響きは豊麗で艶っぽく、柔らかさと量感も保たれている。

みずみずしい感覚に溢れるも、圧倒的に素晴らしいアメリングの歌唱が主役のディスク

エド・デ・ワールト指揮 サンフランシスコ交響楽団・合唱団

 エリー・アメリング(S)

(録音:1982年  レーベル:フィリップス

 名歌手アメリングをソロに迎えた、レコードならではの贅沢な企画。デ・ワールトとアメリングの共演盤は意外に多く、ロッテルダム・フィルとシューベルト、モーツァルトのアリア集を録音している他、当盤の前年にもサンフランシスコ響とフランス歌曲集を録音している。抜粋は12曲で、《花嫁の行進》を割愛した代わり、無伴奏合唱の《教会詣での人達の歌》を収録。

 デ・ワールトらしいみずみずしい感覚で一貫し、強い個性こそないが旋律の歌わせ方がうまく、《朝》《オーセの死》《イングリッドの嘆き》など叙情的な場面に適性を示す。リズムのセンスも良く、どの曲も生き生きと造形されていて若々しさが充溢。《山の魔王の娘の踊り》や《アラビアの踊り》など、かなり速いテンポを採るナンバーもある。オケの響きもヨーロッパ感覚で、柔らかな風合いと透明感が印象的。

 何といっても素晴らしいのがアメリング。3曲しか歌っていないにも関わらず、当盤の主役のような貫禄すらある。《アラビアの踊り》の溌剌とした生気溢れる歌唱、美しい声と余裕の表現力でリートのように歌いこなすソルヴェイグの2曲と、どれも一聴の価値がある名唱。

“稀少なナンバーも収録。北欧の響きとモダンな音楽性で劇のムードを伝える名演”

エサ・ペッカ・サロネン指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団・合唱団

 バーバラ・ヘンドリックス(S)

(録音:1987年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ソニー時代のサロネンは、メシアンやルトスワフスキ、ニールセンなど、とんがったレコーディングで目立っていたが、レーベル側の希望かこんなディスクも残しているのが面白い。彼はオスロ・フィルに時々客演しているが、レコーディングは当盤が唯一。サロネンのグリーグ録音は、スウェーデン放送響との《十字軍王シーグル》もある。

 選曲は全18曲で、通常あまり取り上げられない《花嫁の行進》やヴァイオリン・ソロの《ハリング舞曲》《跳躍舞曲》、合唱曲《教会詣での人達の歌》、第3幕の前奏曲《針葉樹林の奥深く》、《ソルヴェイグの歌》はインスト版とソプラノ版のみならず、ア・カペラで歌われる短いヴァージョンまで収録。CD時代の録音らしく、トータルタイム63分という充実の内容である。

 サロネンはテンポを速めにとり、透明な響きと緻密な音楽作りで作品を新鮮に甦らせている。合唱共々、オケの好演も聴きもの。ヤンソンスの下で飛躍を遂げる前から、優秀な団体であった事が分かる。《山の魔王の宮殿にて》の終結部には急激なアッチェレランドがかけられているが、一糸乱れぬ合奏を展開。やや素朴ながら、清涼感のある澄んだ響きも素敵。深く美しい声で歌うヘンドリックスは、さすがの存在感。短いナンバーも卓越した表現力で聴かせる(ノルウェー語歌唱)。

“最後には感動で胸が熱くなる、文句の付けようのない超名盤”

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 サンフランシスコ交響楽団・合唱団

 マリアンネ・ハッガンダー(S)、ウルバン・マルムベルイ(Br)、他

(録音:1988年  レーベル:デッカ)

 ブロムシュテットとしては、シュターツカペレ・ドレスデンとの抜粋盤以来11年ぶりの再録音となるが、当盤は役者のセリフも収録した19曲80分の長尺で、ほぼ全曲盤に準じる形となっている。デッカらしく、鮮烈で生々しい臨場感に溢れた優秀録音にも注目。

 まずオケのソノリティが素晴らしく、《前奏曲》のみずみずしいトゥッティや、柔らかくも透明感溢れるクラリネット・ソロが開巻早々すこぶる魅力的。パンチの効いたティンパニも音楽の輪郭を明瞭に隈取る。グリーグのオーケストレーションには問題もあり、内声が濁って野暮ったく聴こえる演奏もあるが、当盤はそのような不備も全く感じさせないのが凄い。同じオケを振ったデ・ワールト盤とも、響きの肌合いが異なる。

 ブロムシュテットの棒は演出巧者を極め、演劇的な箇所のスリリングな緊迫感から激烈なダイナミズム、艶っぽく優美なカンタービレ、民俗舞曲でのローカルな味わいや野趣の表出まで、どこまでも見事。なぜ彼がオペラ指揮者として活躍しなかったのか、不思議なくらいである。奇を衒った表現は行わないにも関わらず音楽の彫りが深く、老練な語り口を感じさせるのが特徴で、それらは旧盤になかった指揮者の円熟と言える。

 又、役者達の迫真の演技もさる事ながら、オケと一体化して隅々まで統率された合唱や、美声で音程も良い独唱者達と、歌唱陣が軒並み好演。ちなみにバリトンのマルムベルイは、ヤルヴィ父の全曲盤でも同じ役を歌っている。最後の曲では、ニュアンス豊かで荘厳な合唱とソプラノ独唱が心に沁み入り、思わず目頭が熱くなる。正に文句の付けようのない、各国で賞賛されたのも頷ける1枚。

“原典版から抜粋し、セリフ入りで劇場的雰囲気を強く打ち出すテイト”

ジェフリー・テイト指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 エルンスト・ゼンフ合唱団

 シルヴィア・マクネアー(S)、ペッテリ・サロマー(Br)、他

(録音:1990年  レーベル:EMIクラシックス)

 この顔合わせ唯一の共演盤。EMIは昔からどういう訳か同曲抜粋盤に並々ならぬ力を注いでいて、古くはビーチャム盤から、バルビローリ盤、ブロムシュテット盤、マリナー盤、当盤と、各年代に1枚はレコーディングを企画している。こんな頻度で製作しているレーベルは他にないかもしれない。

 原典版からの抜粋で17曲、68分の収録。セリフ入りで、《山の魔王の洞窟にて》ではクライマックスで派手にセリフの応酬が被さるなど、演劇的なコンセプトで一貫。第5幕のソルヴェイグの歌のリフレインも、ア・カペラではなくオーケストラ伴奏が付く2分ほどのヴァージョンだし、ソルヴェイグの子守唄もハルヴォルセンが歌曲集から採ってきた短縮版ではない。

 又、《ペールギュントと山羊追いの女達》や、劇の上ではクライマックスとも言える《夜の情景》など極めて動的でドラマティックな曲も収録しているし、バリトンの独唱曲《ペール・ギュントのセレナーデ》や間奏曲《メムノン像の前のペール・ギュント》といったナンバーも、抜粋盤や組曲では味わえない劇のムードをよく伝えている。セリフはアビーロード・スタジオでの収録。セリフ、歌唱共に全てノルウェー語で、ここまで来ればいっそ全曲レコーディングを敢行して欲しかったくらい。

 このテイトという指揮者には、時々言われるようにどこか劇場的な雰囲気があって、彼が駆け出しの頃、バイロイトでブーレーズのアシスタントをしていた事を思い出す。内田光子によれば、テイトはワーグナーの長大なオペラも全て暗譜しているそうだ。当盤も劇場のライヴ感を彷彿させる演奏で、快速調のテンポと勢い込んだ表情で前奏曲が始まった瞬間、今にも幕が上がって劇が始まりそうな高揚感が楽しい。

 そのまま間髪入れずに続けられる《イングリッドの嘆き》は、ポルタメントも盛り込んだ嫋々たるカンタービレで酔わせる名演。概して緩急の付け方が巧みで、旋律をたっぷり歌わせる箇所と躍動感溢れるリズムで音楽を煽ってゆく箇所のコントラストが見事。各場面を生き生きと造形している。ティンパニの峻烈な打撃は随所で効果を発揮し、《朝》をはじめトレモロでクレッシェンドするような局面はかなり急激で、熱っぽい盛り上げ方。旋律美だけではない、作品の荒々しい側面もあぶり出す。

 曲の配置と繋ぎ方もステージを想起させるもので、最後の教会の合唱からソルヴェイグの子守唄に自然な流れで入る辺りの呼吸は、オペラ指揮者の面目躍如。合唱も好演しているが、マクネアーの美しく端正な歌唱は印象に残る。技巧もさりげなく駆使しながら、ヴィブラートなどは抑制されていて、決して前に出過ぎないのが素敵。

“清澄な響きと豊かな歌心。モダンな感性が光る近年屈指の名演ディスク”

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 エストニア国立交響楽団・男声合唱団

 エレルハイン少女合唱団

 カミラ・ティリング(S)、ペーター・マッティ(Br

 シャーロッテ・ヘレカント(Ms)

(録音:2004年  レーベル:EMIクラシックス)

 近年は滅多に出なくなった同曲新譜。昔からこの曲のレコーディングには力を入れてきたEMIから、名盤ベスト100の企画で廉価盤として発売されたが、実はヴァージン・クラシックスの音源で、ジャケットにはヴァージンのロゴが印刷されている。父ネーメが原典版全曲ディスクを出している影響か、こちらもこだわりの選曲で20トラックを収録。《ペール・ギュントと緑衣の女》《難破》など、通常は余り抜粋盤に収録されない曲も取り上げていて雰囲気満点。

 オケはマイナーな団体だが、サウンド作りに定評のある同郷のパーヴォに鍛えられただけあって、パフォーマンスに物足りなさはない。残響をたっぷり収録した録音ながら、ディティールの細やかな表現も心に残る。パーヴォの棒は、聴き慣れたこの曲から新鮮な魅力を引き出していてさすが。厚ぼったくなりがちなグリーグのスコアから透明な響きを抽出している所も特筆ものだし、歌心も豊かで、流麗かつ起伏の大きいカンタービレに思わず聴き惚れてしまう。

 スピーディなテンポで引き締めた《第1幕への前奏曲》や《ペール・ギュントの帰郷》など、モダンなセンスと若々しい才気も横溢。《イングリッドの嘆き》で緩急のコントラストや全休止の間をドラマティックに造形する所も演出巧者ぶりが伺える。《山の魔王の宮殿にて》のクライマックスも、バス・トロンボーンを効かせた響きと合奏の統率が見事。合唱も好演で、独唱陣もオペラ寄りのドラマティックな歌唱が印象に残るが、オケのバランスに比してヴォーカルの距離感が近接しすぎなのは違和感がある。

[全曲版]

“記念すべき原典版全曲録音。演奏は並レヴェルながら、作品全体の面白さで圧倒”

ネーメ・ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団

 エスタ・オーリン・ヴォーカル・アンサンブル、プロ・ムジカ室内合唱団

 バーバラ・ボニー(S)、ウルバン・マルムベルイ(Br)

 マリエンヌ・エクレーヴ(Ms)、カール・グスタヴ・ホルムグレン(Br)、他

(録音:1987年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 前述した通り、原典版全曲の初録音として重要なディスク。上記の他に3人のソプラノ歌手と3人の語り手、さらにハルディング・フェーレという民族楽器の奏者も加えた大規模なレコーディングで、カップリングの《十字軍王シーグル》(これも原典版!)には別のテノール歌手も参加。録音は、現地法人でもあるヴォルヴォ社の援助を得ている。

 演奏は意外にダイナミックで、器用な一面も見せるフレッシュなものだが、やはり曲の面白さが大きい。オペラに近いほどドラマティックな音楽で、劇世界に引き込まれてしまう迫力がある。26曲というと、抜粋盤からそれほど増えた感じはしないが、聴いた印象は全然違う。独唱陣も充実していて、ソルヴェイグ役のボニーは北欧物が得意な人でさすがの歌唱力、北欧出身の他の歌手達も端役に至るまで声、表現力共に素晴らしく、聴き応えがある。作品のみならず、作曲家の再評価も促される名盤。

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