チャイコフスキー/交響曲第5番

概観

 個人的にはこの曲も《悲愴》と同様、たくさんディスクが出ている割に、気に入った演奏に出会う確率は低い。そんな中、私がこれは名演だと感じる演奏は、シルヴェストリ盤、ケンペのベルリン&バイエルン両盤、プレートル盤、カラヤンの75年盤、メータ/ロスアンジェルス盤、小澤のボストン&ベルリン両盤、ムーティ/フィルハーモニア盤、シャイー盤、佐渡盤、ビシュコフ盤。

 ちなみにチャイコフスキーに関しては私の場合、世間の好みと乖離しているようで、音楽雑誌で評論家諸氏が選ぶ名演ディスクなどはことごとく肌に合わず、びっくりする事が多い。ムーティ盤などは最上の演奏の一つだと思うのだが、このディスクを褒める文章にはまだ出会った事がないような…。

*紹介ディスク一覧

57年 シルヴェストリ/フィルハーモニア管弦楽団 

58年 モントゥー/ボストン交響楽団  

59年 ケンペ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

61年 ドラティ/ロンドン交響楽団  

62年 サヴァリッシュ/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 

64年 プレートル/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団  

64年 モントゥー/北ドイツ放送交響楽団   

66年 マルケヴィッチ/ロンドン交響楽団  

66年 ストコフスキー/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団  

68年 小澤征爾/シカゴ交響楽団

74年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

75年 ケンペ/バイエルン放送交響楽団

75年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

77年 メータ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック  

77年 小澤征爾/ボストン交響楽団   

78年 ムーティ/フィルハーモニア管弦楽団

80年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団

80年 シャイー/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

81年 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団

82年 朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団

84年 カラヤン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

85年 アバド/シカゴ交響楽団

86年 ヤンソンス/オスロ・フィルハーモニー管弦楽団  

88年 小泉和裕/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

89年 小澤征爾/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

91年 ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団   

92年 シノーポリ/フィルハーモニア管弦楽団

93年 小泉和裕/九州交響楽団

94年 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

96年 メータ/イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団  

98年 ゲルギエフ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 → 後半リストへ続く

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“個性的な解釈ながらシルヴェストリの真価を示す、全く見事という他ない超名演”

コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1957年  レーベル:EMIクラシックス)

 後期三大交響曲録音の一枚。シルヴェストリは同年、フランス国立放送管とマンフレッド交響曲も録音していますが、そちらはモノラル収録でした。無類に切れの良いリズムと巧緻を極めたカンタービレで造形した、見事という他ない名演で、シルヴェストリをキワモノ指揮者だと思って敬遠しているリスナーには、是非聴いてみて欲しい所です。

 第1楽章はまず、一音一音区切って発音させるような序奏がユニーク。主部はスロー・テンポながらリズム感が卓抜で、流れが良く、フォルティッシモで速度が上がる基本設計など、アゴーギクも巧み。管弦のバランスがよく練られ、弦の主旋律を全面に出しつつも、ブラスの迫力を十二分に表現しています。艶っぽくみずみずしい弦の音色を生かし切り、第2主題なども、ちょっとしたルバートやポルタメントを使って実にロマンティックに歌わせます。

 第2楽章は、ホルンに続く弦の主題提示が、即興的かつ情感豊かで素晴らしい聴きもの。第2主題も、旋律の表情付けとテンポの増減が、感情的、力学的に密接に結びついています。中間部の、切なくも甘美なカンタービレは秀逸。第3楽章は冒頭、アウフタクトの一音を長く延ばしてスタート。続く各パートも、自由な間合いで即興的に歌わせた個性的な表現です。遅めのテンポ設定ながら、曲想の多彩な変化と内的躍動感を余す所なく捉えた指揮はさすが。アーティキュレーションにも、独自のこだわりを示します。

 第4楽章は、スタッカートを多用した独特の主題提示。発音が明瞭で切れが良く、しかも音に張りと弾みがあって、溌剌たる生気に溢れます。主部は速めのテンポで、勢いがあってスリリング。オケも巧く、シルヴェストリの棒にぴたりと付けています。どんどん加速してゆく即興曲風の構成で、コーダではスコアにないクレッシェンドなども盛り込んで熱っぽく展開。さらにテンポを煽って、猛スピードで突進するラストは圧巻です。

“鋭敏なリズムを盛り込みつつ、自在なアゴーギクで歌う”

ピエール・モントゥー指揮 ボストン交響楽団

(録音:1958年  レーベル:RCA)

 3大交響曲録音の一枚。モントゥーの同曲ステレオ録音には、北ドイツ放送響とのディスクもあります。第1楽章はテンポを恣意的に設定。主部はゆっくりと開始し、デュナーミクの変転と共に大きく加速します。終始切れ味の鋭いスタッカートが盛り込まれ、よく弾むリズムと相まって音楽が激しく躍動。かなり角の立ったサウンドですが、旋律線は柔和な表情でしなやかに歌います。オケは北ドイツ放送響よりもカラフルでフレキシブルですが、録音にもう少し潤いが欲しい所。

 第2楽章は、くっきりと隈取られたホルン・ソロと伴奏の色彩感がモントゥー印。続くチェロも、つやつやとした音色で歌い上げます。第2主題や展開部も感傷的な表情こそ付けませんが、明朗な響きで伸びやかに歌わせていて爽快。第3楽章はムードで流す所がなく、全てが明快。アーティキュレーションにも、曖昧な箇所が全くありません。

 第4楽章もフットワークが軽く、小気味良いリズムを駆使。冒頭の主題提示から語調がきっぱりと歯切れ良く、粘性や湿り気を感じさせません。ただ、大きく音を割って朗々と歌うトランペットは、フランス風ともロシア風とも取れます。後半の盛り上げ方もパワフルで、エッジが効いてシャープ。アゴーギクはかなり自由ですが、オケの統率も見事です。

 

“みずみずしい生気に溢れた濃密な表現。ケンペ&ベルリン・フィル随一の名盤”

ルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1959年  レーベル:EMIクラシックス)

 この時期のケンペ/ベルリン・フィルの録音はかつてEMIやセラフィムから出ていましたが、今はテスタメントが権利を持っているようで、ボックス・セットにもまとめられています。当盤はその中でも名盤として名高い一枚。ケンペの同曲は後年のバイエルン放送響とのライヴ盤も名演ですが、こちらも素晴らしい内容です。録音も鮮明で美しく、50年代とは思えないほど良好。恐らくグリューネヴァルト教会での収録ですが、クリュイタンス指揮のベートーヴェンのような硬質さは感じられず、潤いと柔らかさを保持。

 第1楽章は全編スロー・テンポを採択しながら、効果的なアゴーギクで音楽を停滞させない、巧妙極まる棒さばき。旋律線がなべて流麗で、表情たっぷりに歌われる一方、よく弾んで切れの良いリズムが、音楽を生き生きと躍動させています。細部に至るまで、聴くほどに味わい深い表現。第2楽章はホルン・ソロのピッチがやや怪しいですが、展開部は微妙なルバートを盛り込み、旋律を甘美に歌わせて秀逸。宿命動機は大袈裟に盛り上げすぎず、その後のピツィカートから第1主題再現に移る呼吸も、惚れ惚れするほど見事なアゴーギク。

 第3楽章はゆっくりとしたテンポで丹念に音を拾う表現。中間部では細かい音符のパッセージが次々に繋がってゆきますが、楽器間の受け渡しが完璧といえるほどに自然で、オケの実力の高さを示します。フィナーレは序奏部を優しいタッチで開始。主部はテンポこそ遅めながら、すこぶる切れ味の鋭いスタッカートで峻烈に造形し、アーティキュレーションも適切そのもの。派手ではないですが、艶やかな管楽器やしなやかな弦などオケも美しく、質実を取るというのか、中身が充実したみずみずしい表現に、物足りなさは微塵も感じません。コーダもリズム感が卓抜。

“シャープな切り口ながら、意外にロマンティックな資質を垣間見せる”

アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1961年  レーベル:マーキュリー)

 当コンビは後期3大交響曲や《ロメオとジュリエット》等も録音。鮮明で奥行き感もあり、弦や木管はみずみずしいサウンドですが、強奏部でやや金管が荒れます。ドラティらしい鋭利な輪郭は聴かれる一方、彼には珍しい恣意的なアゴーギクや、熱いパッションの表出も顔を覗かせる興味深い1枚。

 第1楽章序奏部はスロー・テンポで情感豊か。主部も落ち着いたテンポでリズムをよく弾ませ、歯切れの良いスタッカートを盛り込みます。フォルムを明快に打ち出すスタイルながら、ルバートを自在に盛り込んでよく歌い、情動の熱っぽさもあり。第2楽章も細やかなニュアンスを駆使した意外にロマンティックな表現で、言われなければドラティの演奏だと分からないかもしれません。

 第3楽章は優美なタッチで繊細。フレージングや音色がくっきりと明瞭で、フォーカスが甘くならないのは美点です。第4楽章も落ち着いたテンポで安定感がありますが、主部はスタッカートを強調して切れが良く、やはり造形面のシャープさが際立つ印象。合奏の処理も、律儀と言えるほどに克明です。唯一、最後に急な加速を行うのだけは、個性的な解釈。

“鋭利な切り口とリアリスティックな感触。ドイツ的感性で構築されたチャイコフスキー”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1962年  レーベル:フィリップス)

 サヴァリッシュの珍しいチャイコフスキー録音。他にはフィラ管との《白鳥の湖》があるだけのようです。コンセルトヘボウ管との録音も珍しく、後年のベートーヴェン交響曲全集と、オルフェオ・レーベルにグルダとのモーツァルト・ライヴがあるくらい。残響は豊富ですが、直接音が明瞭で低域が浅く、高音域の華やかなさが目立つ録音。スタッカートを多用した無類に鋭利なサヴァリッシュの演奏は、後年で言えばハイティンクよりもコリン・デイヴィスのモダンなサウンドに近いかもしれません。

 第1楽章は、序奏部の表情がきっぱりと明快。主部も語調がシャープそのもので、竹を割ったように率直な性格です。リズムの切れ味が良く、造形に曖昧な所が全くない一方、情緒的に無味乾燥という訳ではなく、単にドイツ的な感性で構築するとこうなるのかなという感じ。旋律線も優美で、しなやかに歌っていますが、テンポの振幅はあまり大きく付けません。展開部も、空気を切り裂くような鋭いスタッカートがザクザクと切り込んでくる烈しい表現。

 第2楽章は、後のコンセルトヘボウ管ならもう少し典雅に磨かれた響きになったでしょうが、独特のキャラクターのある音色で、艶やかに歌う演奏です。しかしサヴァリッシュは陰影を強調するより、全てを鮮やかに表出する方向。あくまでシンフォニックに、純音楽的な構築を心掛けているようです。その分、強弱や楽想の対比が大袈裟にならないのは美点。

 第3楽章は速めのテンポながら、あらゆる音符を鮮明に描写。鋭敏なリズムが、音楽を生き生きと躍動させています。フレージングも優美。第4楽章も覇気に溢れ、張りのあるアタックで元気一杯の演奏を繰り広げますが、アーティキュレーションを徹底して明瞭に描写しているのはさすがサヴァリッシュ。ダイナミックな活力やコーダへの高揚感もあります。最後の最後にテンポ・アップするのも効果的。

“シャープなエッジと優美なラインを使い分け、卓越したスキルを全編に発揮”

ジョルジュ・プレートル指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1964年  レーベル:EMIクラシックス)

 フランスの指揮者によるチャイコフスキーは珍しいですが、プレートルは指揮のスキルや表現力が図抜けた人で、事前の心配が全く杞憂に終る名演となっています。昔からフランスとロシアは文化的に相性が良く、モントゥーの各盤やマルティノンの《悲愴》も名演の誉れが高いですから、フランス人のチャイコフスキー解釈も異端とは言えないのかもしれません。キングズウェイ・ホールでの収録ですが、残響はあまり取り入れられず、ヴィヴィッドな直接音で聴かせる録音。

 第1楽章は、遅めのテンポに自由な間合いを挟んで盛り上げ、山場では鋭敏なリズム感を駆使してすこぶるシャープな棒さばき。エッジの効いたブラスも迫力満点です。旋律の歌わせ方が非常にうまく、恣意的なアゴーギクで優美なカンタービレを展開。それでいて感情に流される事はなく、展開部も明晰を極めた語調で峻厳に造形している所が凄いです。コーダの歯切れ良さも格別。

 第2楽章は、速めのテンポでさらっと切り上げる序奏がセンス良し。主部もそこはかとないテンポ操作で情感や揺らぎを演出しつつ、全体を明快な造形感覚できりりとまとめていて、どこまでも信頼に足る演奏となっています。展開部など、時に独特のスタッカートを盛り込む箇所もありますが、しなやかな歌心が魅力的。オケを的確にコントロールして、メリハリの効いたダイナミックな表現を繰り広げます。

 第3楽章は、オケの音色にもう少しコクが欲しいですが、美しいフレージングと鮮やかな隈取りで聴かせる精緻な表現。細部も徹底して彫琢されています。中間部は鋭利なリズム感で運動性も十分。みずみずしい歌心が情緒過多にならない点も好感が持てます。

 第4楽章は全楽章中で最もオーソドックスな解釈ですが、基本的な演奏能力が非常に高いため、物足りなさは皆無。各部の表情に強い説得力がある上、切れ味の鋭さとパンチの効いた力感も迫力を増大させるため、いやがうえにも音楽が激しく高揚してゆきます。

 

“モントゥー最晩年の北ドイツ録音、洒脱なセンスと軽快なリズムが持ち味の異色盤”

ピエール・モントゥー指揮 北ドイツ放送交響楽団

(録音:1964年  レーベル:コンサートホール)

 モントゥー最晩年の、北ドイツ放送響との一連のディスクで、チャイコフスキーでは同時期に《ロオとジュリエット》も録音。同曲は他に、ボストン響との録音もあります。音質は概ね鮮明。第1楽章は速めのテンポで開始し、フレーズを短く切るのが特徴的。主部はゆっくり始めますが、音量を増すに従って速度も上げてゆきます。全体的にも音量と連動して速度が増減する、デュナーミクとアゴーギクを結びつけた音楽設計。強奏部は相当な速さですが、ブラスの歯切れ良いリズムを中心に、オケのフットワークが身軽で、すこぶるリズミカルで軽快な演奏になっています。コーダもものすごいスピード。

 第2楽章は情感面であっさりしている一方、流れが良く、メロディをみずみずしい感覚で歌わせていて、音楽が停滞しません。宿命の動機も威圧的というよりシャープかつ軽快で、センスの良さを伺わせます。第3楽章はさりげない中にも色彩感豊か。北ドイツのオケを起用しながらもフランス風の洒脱さがあって、バレエ音楽みたいに聴こえる瞬間もあります。

 第4楽章も感情過多にならず、切れの良いリズムと明瞭なフレージングですっきりまとめた、プロポーション重視の造形。概してトゥッティに圧迫感がなく、後半の山場も大言壮語しない表現なので、全体としてコンパクトに収まった演奏という印象を残します。宿命の動機が回帰する箇所は、ルバートでブレーキをかけています。

“精度の高いシャープな棒でディティールを照射する一方、ロシア的情感も横溢”

イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1966年  レーベル:フィリップス)

 マンフレッドも含む全集録音から。フィリップスのロンドン収録にしては直接音が明瞭で、長めの残響も取り入れて珍しく音響的快感のある録音。ブラスの強奏などかなりの音圧ですが、録音の柔らかさがうまく刺々しさを緩和しています。

 第1楽章は冒頭から輪郭が明瞭で、茫漠としたぼかしは一切入れません。主部はテンポが速く、エッジの効いたよく弾むリズムを駆使してサクサクと進んでゆきます。旋律が流麗に歌われるので辛口には聴こえないものの、スコアを隈無く照射して全てを白日の下に晒す趣。異色の表現ですが、チャイコフスキーのセンチメンタルな側面が苦手な人には歓迎されるかもしれません。コーダもスリリングな加速で造形が引き締まり、最後までひたむきな推進力と緊張度の高さを維持。

 第2楽章は情緒過多にこそなりませんが、録音のおかげでこのオケには珍しく音色美と柔らかさが出て、しっとりとした歌に溢れます。もっとも、棒の明快さは一級レヴェル。ソロに限らず、ディティールがマスに埋もれる事がまずありません。金管を含むトゥッティをソリッドに鳴らしつつも、音量を解放せず、有機的にバランス良く響かせてうるさくならないのはさすがです。

 第3楽章は中庸のテンポながら合奏の精度が高く、あらゆる声部がくっきりと彫琢される印象。それでいて優美なタッチも用いています。第4楽章はイン・テンポ気味の剛毅な性格の一方、随所にスケールの大きな歌心が感じられるのはいかにもロシアの指揮者。一方リズムやアーティキュレーションの精確さはさすがの徹底ぶりで、切れ味鋭いスタッカートも多用してフォルムがすこぶるシャープです。コーダの響きは凄絶ですが、コントロールが行き届いていて安定感抜群。

“発色の良い響きで雄弁に歌いまくる行き方が、意外にも曲の魅力を的確に表出”

レオポルド・ストコフスキー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1966年  レーベル:デッカ)

 ストコフスキー唯一の、ステレオ録音によるチャイ5。意外にスコアの改変は少なく(そうはいっても随所にありますけど)、情緒たっぷりの棒さばきで作品の旋律美を最大限に生かした表現です。

 第1楽章は序奏部から音がよく鳴り、スロー・テンポでたっぷりと旋律を歌わせた演奏。主部も相当に遅いテンポで地を這うように開始し、次第に速度を上げて生気を増す設計。常に音がよく鳴っていて、ピアニッシモのはかなさよりも、表情付けの濃厚さを優先させたパフォーマンスです。録音のせいもありますが、内声や特定のパートの浮かび上がらせ方が独特。ルバートを多用して雄弁な語り口ですが、素直に良い曲だなと感じさせます。オケも艶やかな音色で、カラフル。

 第2楽章はその傾向がより徹底され、旋律線を嫋々と歌わせるロマンティックなスタイルは、チャイコ・ファンに受けるかもしれません。冒頭のホルンが、ふくよかな音色とリリカルな表情で見事なパフォーマンス。続く木管群も実に美しいです。中間部は、驚くほどのスロー・テンポに落として、切々と歌い上げる所が琴線に触れる表現。第2主題のクライマックスにティンパニのクレッシェンドを加えるのは、この指揮者らしい演出です。

 第3楽章も、随所でテンポを揺らす歌謡的なスタイル。一方で、細かい音符や速いパッセージは小気味よく処理されます。第4楽章もオケがよく鳴っており、演出巧者でスケールも大きいですが、コーダ前後で繰り返しの音型を中心にスコアを端折る箇所が多々あります。こういう、普通に聴いてしつこいと感じられるパッセージをばっさりカットしてしまう所は、ストコフスキーの面目躍如たる態度です。第1楽章第1主題がブラスに回帰する箇所も、独特のフレージング。

作品の様式を完全に掌握している若き日の小澤。オケと録音にはマイナス点も

小澤征爾指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1968年  レーベル:RCA

 小澤は後にボストン響、ベルリン・フィルとグラモフォンに同曲を再録音しています。当時の彼らしいきびきびとした棒さばきは随所にフレッシュな表現をきかせますが、驚くのは、彼が巧妙にアゴーギクを動かし、若手指揮者とは思えぬほど落ち着いた音楽作りを指向している所。ぐっと腰を落として旋律を歌い込む場面もあれば、豪放な力感を解放してドラマティックに盛り上げたりと、早くもチャイコフスキーの様式を把握しているように聴こえます。

 いささか几帳面なリズム処理も鮮やかながら、流麗なカンタービレを盛り込んだ表現はいかにも小澤流。第4楽章など、楽想ごとに細かくテンポを動かしながら全体のフォルムもきちんと維持した、したたかな音楽設計です。一方第3楽章は、優美なワルツというには鋭いエッジが効いて、肩にも力が入りすぎている印象ですが、ザクザクと刻まれるリズムと高カロリーの響きには、なかなか迫力があります。全体として、エネルギッシュな演奏である事は確かでです。

 それでも私が当盤にあまり惹かれないのは、シカゴ響の体質ゆえでしょうか。パワフルな金管セクションで人気の高いオケですが、シカゴ・オーケストラホールで収録されたディスクには音場の奥行きが浅いものが多く、どこか虚ろな響きがして私はあまり好きではありません。又、音圧の高いブラスのパフォーマンスは、リズムが平面的で弾力に乏しく、これも感心しません。わざわざクレジットされている第2楽章のホルン・ソロは、同響の名物奏者デイル・クレヴェンジャー。

“これ以上ないほど安定したテンポ、ひたすら優しいカンタービレと切れの良いリズム”

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1974年  レーベル:フィリップス)

 全集録音中の一枚。第一楽章主部は、これ以上安定したテンポなんてあるのかというくらい安定した足取り。ここまで落ち着いて演奏ができるなんて何たる自信かとも思いますが、同時に洗練された優美な佇まいもあり、西欧風とはこの事を言うのかというほどロシアを感じさせない表現です。ただ、テンポは遅めでも音の切れが良く、アクセントに勢いがあるので、常にフレッシュで若々しい印象を保持します。

 コンセルトヘボウの響きが格別深く美しいのも聴き所。アゴーギクは自然に動かしていますが、感情表現に耽溺するタイプではなく、客観性は維持。展開部ではごく自然にクライマックスを形成します。リズム感の良さも好印象。第2楽章は、典雅な美音が織りなすファンタジーの世界。特に第2主題は、心のひだをそっとなでるかのような優しいカンタービレに癒されます。造形的なコントラストは強くありませんが、シンフォニーとしての体裁はうまく構築されています。

 第3楽章も、ポエジー溢れる理想的な表現。この曲の中ではやや弱い楽章だと思いますが、こう艶やかに演奏されるとバレエ音楽のようで聴き惚れてしまいます。フィナーレも、実に安定したテンポ。他の演奏に較べるとちょっと遅すぎるかもしれませんが、リズムの切れ味が良く、オケのアンサンブルも画然と整っているので、ちゃんと壮麗な大団円に盛り上がります。

“同コンビの数少ない正規盤。ロマンティックを極めた熟練の棒さばきに聴き惚れる”

ルドルフ・ケンペ指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:1975年  レーベル:オルフェオ)

 ケンペの同曲ディスクはベルリン・フィルとの名盤に定評がありますが、こちらはバイエルン放送響との珍しいライヴ盤。ちなみに同コンビはスタジオ録音は一枚も残していないと思います。カップリングは同じ日のプログラム、ベートーヴェンの8番。

 演奏は、時に恣意的なテンポ変化を導入したロマンティックなもの。ケンペが作り出す響きは、ミュンヘン・フィルを振った時もそうですが、みずみずしく明るい音彩が特徴で、リズムの鋭敏さも演奏に軽やかな動感を与えています。第1楽章序奏部は、強弱を大きく付け、ドラマティックな濃淡を描いた表現。主部に入ると、よく弾む、無類に切れ味の鋭いリズムが溌剌とした足取りを演出しますが、時折フレーズ単位でテンポを落としたり、旋律の美しさを生かした歌心のある演出が目立ちます。

 第2楽章以降も、やはり旋律線に注意を払い、自在なアゴーギクを駆使した表現ですが、フィナーレのダイナミックで切れ味鋭い演奏は出色。ライヴらしい白熱と共に、フットワークの軽さを保った見事なオーケストラ・ドライヴは、正に熟練の棒さばきと言えるでしょう。これは、同曲屈指の名演と思われます。

およそ作品が求める演奏効果を知り尽くした、スター・カラヤン全盛期の名人芸

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1975年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 カラヤンはチャイコフスキーと相性が良いようで、同時期に録音された4番や6番と同様、すこぶるつきの名演になっていると思います。第1楽章コーダや第2楽章に端的に表れているように、音量が減衰する局面では必ずテンポが落ちてゆく音楽設計で、ここでもカラヤンのアゴーギクとデュナーミクはやはり切っても切り離せない関係にあります。

 第1楽章は、自由ながらも確信に満ちたアゴーギクで巧妙に設計した演奏で、タクトさばきがものの見事にきまっている提示部のトゥッティや展開部の描写力、ティンパニの鮮烈な効果と切れの良いブラスのリズム、叙情的な部分の甘美なカンタービレなど、およそ作品が求める演奏効果を知り尽くしたような表現。第2楽章は、これはもう耽美の極致という他ない世界で、ベルリン・フィルの艶やかな響きを最大限に生かした旋律の歌わせ方など、魅惑的な事といったらありません。それでいて宿命動機の峻烈な響きで音楽を断ち切り、プロポーションを引き締めているのも全盛期のカラヤンならではです。

 第3楽章は遅めを基調にしつつも、テンポをロマンティックに揺らした個性的な表現。スケルツォ風の楽想に入る直前で、菅楽器のアクセントを強調しているのも独特です。終楽章だけはいかにも当コンビらしい壮麗無比な音楽作りで、私にはちょっとしんどい派手な印象もありますが、こういうのが大向こうを唸らせる締めくくりなのでしょうね。

“純音楽的アプローチでは最も成功している、隠れた名盤”

ズービン・メータ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1977年  レーベル:デッカ)

 メータ唯一の全集録音から。チャイコフスキーのシンフォニーは滅多に取り上げないメータですが、意外や意外、隠れた名盤とも言える全集です。シンフォニックな様式感で明快な造形を打ち出している点では、ジュリーニやアバドを遥かに越える成功を収めているのではないでしょうか。録音も鮮烈。

 第1楽章は速めのテンポで推進力があり、主部も颯爽としていますが、旋律のニュアンスは多彩。弦が第1主題を受け継ぐ所はリズミカルな調子で、テンポを上げてスピード感満点の山場も、よく弾むリズムと切れ味の鋭いスタッカートで軽快そのもの。そのまま弦の叙情的なカンタービレに勢い良く飛び込む造形は個性的で、第2主題から経過部、展開部の熱っぽく雄弁な表現にもメータの良さが出ています。コーダまで勢力とエネルギーを保持し、高い集中力を発揮。

 第2楽章は、間延びせずに全体を大きく掴んだ序奏と、表情豊かな語り口のホルン・ソロが殊のほか見事。起伏が大きくて散漫になりがちな楽章ですが、一本芯の通ったメータの構成力は卓越しており、全体を一気呵成に聴かせてしまうテンションの高さが凄いです。第3楽章は、明快な造形でフレージングも優美。生き生きとした躍動感に溢れます。色彩も鮮やか。

 第4楽章は、さりげなく開始。ダイナミックな音楽作りながら大仰な所がなく、チャイコフスキー特有の大袈裟な感情表現はむしろ抑制されて聴こえます。淡白な性格ではないので、充実感と手応えは充分。金管のアインザッツなど一部に乱れもあるものの、切っ先の鋭い弦などは相当な迫力です。コーダは速めのテンポと軽妙なタッチで押し付けがましさがなく、肩の力が抜けているのが好印象。

“これ以上ないほど優美でフレッシュ。演奏内容の深さにも注目”

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団

(録音:1977年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 小澤の同曲はシカゴ響との旧盤がある他、ベルリン・フィルとの再録音もあります。個人的には小澤盤ならフレッシュなボストン盤か、内容の深さと力強さを増したベルリン盤がお薦め。当コンビは第6番も録音していますが、なぜかずっと後年、それもエラートへの録音となったのが悔やまれます。当盤と同時期に録音していれば、もっと素晴らしい演奏になっていた筈と思わないでもありません。

 第1楽章は、スロー・テンポで提示部を開始しながら、さりげなく平均以上の速さに持ってゆくアゴーギクが見事。オケのみずみずしいサウンドも爽快ですが、最高級に歯切れの良いスタッカートを全編に適用したシャープな指揮が素晴らしいです。この切れ味は、旧盤にも再録音盤にも無いから不思議。テンポ設定の卓抜さは旧盤を踏襲していて、ぐっと腰を落として歌い込む箇所もあるので、ストレートな無味乾燥には陥りません。とにかく元気一杯なのに、味の濃さにも不足しないのは、このアゴーギクに秘訣がありそうです。

 第2楽章は、前の楽章でも所々で耳に入ってきたふくよかなホルンが、美しいソロを披露。艶っぽく、柔らかな手触りのあるオケのソノリティが、この楽章ではプラスに働いている印象です。前楽章に聴かれた活発さを抑制し、雄弁な表情でリリカルに歌い込む辺りは、並の指揮者にはない才覚。中間部で宿命動機に持って行くアッチェレランドも抜群の呼吸で、フォルティッシモも威圧的に爆発させず、軽快な響きときびきびしたリズムでスポーティに造形しているのが好感触です。チャイコフスキー特有の大袈裟な振幅を、巧妙に美点へと変換した感じでしょうか。

 第3楽章は、旋律線の優美さが驚異的。一体どういう風にオケに指示すればこんな演奏になるのか想像もつきませんが、メロディとテンポのラインの描き方など、これ以上優美に造形するのは不可能ではないかとすら思えます。イン・テンポでだらだら流さず、巧みにアゴーギクを操作して各フレーズを印象付ける手法も秀逸。

 第4楽章は序奏部の流麗さに指揮者の美点が出ていますが、やはり切れ味抜群でフットワークの軽快な主部に本領を発揮。サクサクと快適に進行する間にも、しなやかなカンタービレを縦横無尽に盛り込む、実に魅力的なパフォーマンスです。ロシア情緒もメランコリーも全然ありませんが、そんな要素とは関係なくチャイコフスキーは十分素敵なんだという、見本のような演奏です。終結部に入る前の全休止を長めに取るのはユニークな解釈。鋭敏なリズムで軽妙に弾み、僅かな加速で演奏効果を上げるコーダも見事。

輪郭明瞭、メリハリくっきり。明るい響きで甘美なメロディを存分に歌わせるムーティ

リッカルド・ムーティ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:EMIクラシックス

 マンフレッドを含む全集録音から。ムーティはフィラデルフィア管と後期三大交響曲を再録音している。同じコンビの《悲愴》と同様、希代の名演。極めてドラマティックでありながら、テンポとダイナミクスの力学を熟知したムーティの音楽設計の才は、チャイコフスキーにこの上なくマッチするようである。世間の評価はさほど芳しくないもの、個人的にはカラヤンの75年盤に比肩しうるディスクと思う。

 オケはやや淡彩で響きが硬質だが、ベルリン・フィルの艶やかな音彩と較べるのは少々酷か。良く言えばモダンでスタイリッシュなサウンド。造形の彫りが深く、輪郭が明瞭で、ティンパニや金管の豪放で鋭利なアクセント、木管のリズム、弦の旋律線など、どれもくっきりと鮮やかな筆致でメリハリが効いている。テンポは遅めを基調によく動かし、アゴーギクが感情の劇的緩急と連結しているのはこの指揮者らしい。

 華麗な高音域に艶やかなカンタービレ、咆哮するブラス群とくればロシア風の演奏スタイルになってもおかしくないが、明るく、からっと乾いた響きゆえ別の方向性へ向かう。第2楽章の振幅の大きな表現は特筆ものだし、第4楽章の主部をこれだけ軽快に疾走できるのは凄い事だ。ムーティの演奏は何を聴いても、リズム感の良さ、対位法の立体的な掴み方、アーティキュレーションの統一において、常に一級のレヴェルにあるのが素晴らしい。

弦のアンサンブルを中心に据え、室内楽的側面を打ち出した異色のチャイコフスキー像

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1980年  レーベル:ソニー・クラシカル

 後期三大交響曲録音から。マゼールは、ウィーン・フィルと60年代に交響曲全集を完成させている。数ある同曲ディスクの中でも特にユニークな一枚で、ティンパニや低音部を抑制し、弦を中心に室内楽的アンサンブルで構築した異色のスタイル。チャイコフスキーはモーツァルトに多大な敬意を抱いていたから、あながち的外れでもない解釈と言える。

 第1楽章は、主部からリズムがよく弾み、決して咆哮しない金管群に顕著なように、軽いタッチで一貫。録音がデッドなせいもあるが、響きがクリアで解像度が高く、旋律線も室内楽を聴くように明瞭なラインで織りなされている。総じて音価を短く取っているのも特徴。

 第2楽章も、通常とはかなり肌触りの異なる響きで、妙に艶やかなヴィブラートを用いた弦のアンサンブルなど、スタイルとしてはウィーン・フィルのそれを想起させる箇所もある。展開部など、極端にテンポを落とす部分もあり、宿命動機の爆発も音圧を抑え、いかにもさりげない感じに描写している。

 後半2楽章は、特に個性的な造型。第3楽章はだらだらと流れてしまう演奏も多い中、マゼールはラインの重なり合いに着目し、透徹したリアリスティックな響きを作り上げている。又、旋律線を幾分粘液質のフレージングで処理していて、歌い回しの表情も他の演奏と若干異なる。

 フィナーレは、これもモーツァルト的としかいいようのない表現。軽妙なフットワーク、鋭敏なリズム感はこの時期のマゼールのトレードマークだが、通常はブラスやティンパニが暴れ回る場面でも、弦のアンサンブルを前景に据える事で古典的交響曲としてのフォルムが打ち出され、ヴィルトオジティすら感じさせる。加えて、曲想に合わせてよく動くテンポの設定が絶妙。アゴーギク次第でここまで印象が変わるものかと、大いに驚かされる。壮年期マゼールの才気が躍る個性盤。

“名門オケを自在にドライヴし、熱っぽくも爽やかな表現を繰り広げるシャイーのデビュー盤”

リッカルド・シャイー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1980年  レーベル:デッカ)

 実際には既にフィリップス等に録音もありましたが、シャイーの本格デビュー盤として大いに話題を呼んだディスク。当時、天下のウィーン・フィルを自在にドライヴした演奏内容が評判となった事を私もよく覚えていますが、今聴いても、フレッシュな若々しさと沸き立つような熱気、艶やかなカンタービレに溢れたこの演奏はやはり魅力的です。

 テンポは速く、溌剌たる表現ながら、ディナーミクの表情がかなり細かく付けられていて、急激な音量・テンポの変化も聴かれます。ただし、響きの作り方においては、金管や打楽器に敢えて激烈な効果を求めず、むしろソフトな語り口。第1楽章主部や第2楽章などは実にロマンティックな歌い回しで、詩情も豊かです。第4楽章終結部の行進曲も、華美に陥らない所に趣味の良さを感じます。

 オケ、特に弦楽セクションが、若手指揮者の棒にぴたりと付けて一糸乱れぬアンサンブルを繰り広げる様は圧巻。まるで、シャイーがオケを魅了してしまったように聴こえる、若手とは思えないほど見事な統率ぶりです。テンションの高い名演。

西欧の解釈とは一線を画しながらも、ロシア情緒とモダンなセンスでユニークな存在感

ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団

(録音:1981年  レーベル:メロディア

 ビクターとメロディア共同製作による一連のレコーディングの一枚。ビクターのスタッフが最新のデジタル機器をモスクワに持ち込み、優秀な録音も当時話題を呼びました。当コンビは同時に《悲愴》を録音している他、メロディアが単独で1〜4番も収録して全集を完成させています。

 演奏は独自の解釈で一貫した個性的なもの。テンポが速いせいもありますが、冒頭からフィナーレまで、一心不乱に突き進むような勢いがあります。第1楽章は冒頭から淡々と進行し、西欧の感覚とは異なるアプローチ。主部も推進力が強く、金管やティンパニを控えめなバランスでブレンドする所、ロシアのコンビと聞いて想像する粗野な表現とも一線を画します。対照的に、ヴィブラートで艶やかに歌われる第2主題は、ゆったりしたテンポながら速い箇所との整合性が見事に取れており、作品を知り尽くした趣を感じさせます。木管のイントネーションも独特。

 第2楽章だけは遅めのテンポで通していますが、強音部をあっさりと、弱音部をニュアンス豊かに造型する傾向は継続し、旋律が総じてねっとりと情緒豊かに歌われます。それでいて、センチメンタルな甘さはほとんどないので、意外にアンチ・チャイコフスキーの人にしっくり来る表現と言えるかもしれません。第3楽章もきびきびと進行する気持ちの良い演奏。短く音を切ったエンディングに、指揮者の様式感がよく出ています。

 フィナーレは、駆け足気味のコーダに至るまですこぶる快調。スタッカートの切れ味も無類ですが、旋律線の処理に顕著なように、終始横の流れに重きを置いた解釈で、曲全体の流れがすこぶるスムーズです。非常にユニークなアプローチですが、それが強い説得力を持っているのは本場の音楽家ゆえでしょうか。

“意外にもロマンティックな歌い回し。ソロの弱さと金管の音荒れが気になるライヴ盤”

朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団

(録音:1982年  レーベル:キングレコード)

 尼崎アルカイックホールのこけら落とし公演のライヴで、三種出た当コンビの同曲録音の内、最初のもの。実は私、この演奏会を現場で聴いていて(小学生でしたけど)、思い入れもありましたので、26年も経ってやっと実現したCD化は感無量です。音は意外に奥行きがあって、大阪フェスティバルホールでの録音よりも聴きやすいのではないかと思います。

 朝比奈隆は既に作品を手中に収めており、音楽の運びに自信が満ち溢れて堂々たる風格。第1楽章は主部こそ慎重ですが、叙情的な箇所の歌い回しにかなりロマンティックな感覚があり、ドイツ音楽を指揮している時の武骨な印象とは随分異なります。ルバートも自由に盛り込んでいて、第2楽章の各主題も途中でかなりテンポが変動します。

 残念なのはホルン・ソロ。一応ヴィブラートを効かせたパフォーマンスで特に大きなミスは認められませんが、緊張のあまり恐る恐る音を出している雰囲気だし、テンポがやたらと走る上、間を詰めてどんどん次の音に飛び込んでゆくので、他の楽器や伴奏と入りがズレていたりします(できるだけ早く吹き終えてしまいたいみたい)。

 終楽章はこの指揮者らしい造型感覚が前面に出た好演。冒頭部分を速めのテンポで快調に進めた後、主部に入る前の一段落で思い切りテンポを落とし、ティンパニのトレモロに激しい一撃を加えるなど、朝比奈節が全開。コーダも白熱しますが、全体にトゥッティの金管の響きが荒れ気味で、ロングトーンも安定しないのが残念です。

“やや演出過剰でアンサンブルの乱れも目立つ、カラヤン最後のチャイ5録音”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤン最後の、そして唯一のデジタル収録による三大交響曲録音より。ベルリン・フィルとの関係に亀裂が入った時期で、ウィーン・フィルとのセッションとなりました。三曲の中では造型の崩れが最も大きく、時にデフォルメともとれるアクセントやテンポ変化の強調が聴かれます。アンサンブルも乱れ気味でリズム処理が甘く、何かドタバタとしてスマートさを欠く造形。個人的にはベルリン・フィルとの旧盤の方が遥かに説得力のある演奏だと思います。

 特に第1楽章は、テンポがさらに遅くなり、アゴーギクも極端に感じられる場面があります。コーダで急にテンポを上げ、颯爽と山場を盛り上げた後、ほとんど音楽がストップしてしまいそうなほどにテンポを遅めてゆく所、かつてのカラヤンならもっと巧妙に聴かせる事が出来たのでは、と思ってしまいました。第2楽章のロマンティックな演出は相変わらずですが、フィナーレは推進力がやや減退し、アンサンブルの緊密さを欠きます。全曲に渡って聴き手を魅了するウィーン・フィルの音色美はさすがで、終楽章コーダに入ってもけばけばしくならないのは当オケの長所。

“軽さと柔らかな美しさを追求しながら、どこか覇気と共感に乏しいアバドの棒”

クラウディオ・アバド指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1985年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音中の一枚で、交響的バラード《地方長官》とカップリング。彼はロンドン響、ベルリン・フィルとも同曲を録音しています。アバドのスタイルである、肩の力を抜いてさらりとした美しさと軽みを追求したものですが、この全集は音の録り方にもその傾向があって、悪く言えば響きに覇気が漲りません。終始素っ気なく聴こえるのは、大きなテンポ・ルバートや極端なダイナミクスが抑制されているせいもあります。

 アバドは恐らく、感情に流されがちなスタイルを見直し、様式を守ってシンフォニックに造型したいのでしょうが、そもそもチャイコフスキーのような、感情の発露が表現の大部分を占める音楽で、そのアプローチがどれだけ有効なのか疑わしい所です。別にロシア音楽はロシア風に演奏すべきだとまでは思いませんが、作品に内在するドラマ性や情緒的側面に共鳴できないのだとしたら、アバドはこの曲のどこに反応しているのでしょう。

 一方では、よく弾むリズムと息の短いフレージング、フォルテに重心を置かないダイナミクス設計が、爽やかな軽さを醸してもいます。必ずしもニュアンスに乏しい訳ではなく、旋律線は伸びやかに歌っているし、シカゴ響の音彩も美しいもの。テンポの変動も自然で、推進力が強いのは美点です。第3楽章終結部の独特のスケール感、アバドには珍しく白熱する第4楽章コーダ前の山場も耳を惹きますが、全体として訴えかける力が弱いのは、根源的な問題に由来するように思います。アインザッツも揃わない箇所が散見。

“誇張のない端正な造形の中に、ヤンソンス流の小ワザを導入”

マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団  

(録音:1986年  レーベル:シャンドス)

 マンフレッド交響曲を含む全集録音より。ヤンソンスの同曲録音は、バイエルン放送響とのライヴ盤も出ています。第1楽章序奏部は速めのテンポで停滞せず、そのまま主部に接続。主題提示は颯爽として躍動的で、造形的には流麗で滑らかです。経過部もイン・テンポでサクサク進みますが、ピツィカートの伴奏にクレッシェンドのような抑揚を付けるなど、ニュアンスは豊富。第2主題にも、スコアにない強弱の演出があります。展開部は過剰にならず、堅実にシンフォニックな構造美を追求。

 第2楽章は旋律を淡々と歌わせ、オーソドックスな造形。メリハリはあまり大きく付けず、宿命の動機もさほど刺々しく響きません。感情過多にならずバランスが良いですが、激しいパッションや感動を求める人には物足りないかも。第3楽章は快適なテンポ感で、さりげない表情ながら緻密な表現。弱音主体のダイナミクス設計で、優美な性格です。

 第4楽章は冒頭からさっぱりしたフレージングで、カンタービレに粘性がないのはヤンソンスらしい所。主部も軽快で小気味好く、音量もセーヴされています。派手派手しさや大仰な音響的誇張がなく、純音楽的な品の良さが持ち味です。あくまで誇張のない表現ながら、やはりスコアにないフォルテピアノ等は導入。

“オケを魅了して自主制作盤が誕生。豊かな情感と決然たる足取りにサムライ魂を聴け!”

小泉和裕指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:RPOレコーズ)

 定期演奏会での大成功を受け、楽団の要望によって自主制作録音されたいわく付きのディスク。このコンサートのニュースは、私も当時新聞記事で読んだ事をよく覚えています。国内では日本クラウンからディスクが発売され、当コンビのチャイコフスキーは同レーベルから4番、6番、マンフレッド交響曲も出た他、ソニーから小山実稚恵をソリストに迎えたピアノ協奏曲(カップリングはリストの協奏曲)も発売されました。

 演奏は、鋭いリズムと豊かな歌心で一貫したもので、第1楽章主部からして、木管による主題のリズムがよく弾むのにこの指揮者らしさを強く感じます。テンポはどの楽章も遅めですが、音楽がクライマックスに向かう場面での決然たる足取りと、やや前のめり気味に音楽を引っ張ってゆく凛々しい表情には、どこかサムライ魂を感じさせる格好良さがあって素敵。

 第2楽章も小泉印のロマンティックな情感が横溢する好演ですが、残念なのはやや平板な後半二楽章。特にフィナーレは、パワフルな牽引力と切れの良いリズムで何とかクライマックスに持ち込むものの、腰の重いロイヤル・フィルの体質が裏目に出て、なかなかエンジンが掛からない印象。全体としては、非凡な構成力が光る好演だと思います。

“指揮者の円熟を示す、流麗かつドラマティックな熱演。オケのパフォーマンスも魅力的”

小澤征爾指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 小澤と同オケによるグラモフォン・レーベルへのチャイコフスキー録音は他に4番があるものの、《悲愴》は録音されませんでした。小澤の同曲は他にシカゴ盤、ボストン盤がありますが、デジタル時代に入っての再録音は進境著しい円熟の名演。正攻法で真摯に取り組みつつ、感興の自然な発露で音楽を白熱させてゆく小澤のアプローチは、うまく行けば感動的熱演に昇華する訳で、当盤はその成功例の一つだと思います。

 演奏全体に豊かな感情表現と熱っぽい勢いがあって、どこかライヴ録音のような趣もあり。造型は極めてオーソドックスなものですが、ドラマティックな緩急と流麗な歌が横溢する表現に、物足りなさは全く感じません。オケの響きが常に有機的で充実しているのも美点。この指揮者は、特にベルリン・フィル、ウィーン・フィルと組んだ時に、こういう化学反応を起こす事が多いように感じます。潤いのある豊麗なサウンドながら、力強い芯のある録音も魅力的。

“峻烈さが大きく後退した一方、豊麗さと自在な振幅が増した再録音盤”

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:EMIクラシックス)

 ロンドンでの全集録音から13年後、後期三大交響曲の再録音から。《フランチェスカ・ダ・リミニ》とカップリングされています。オケもホールも異なりますが、旧盤ほど極端なダイナミック・レンジを採っておらず、より柔らかく自然な響きで聴ける演奏。

 第1楽章は、細部の濃密さと自在なアゴーギクがさすがムーティ。主部も凛々しい推進力に溢れ、豪放な力感と熱っぽい勢いで盛り上げますが、録音とオケの個性もあって、鋭利なリズムは幾分緩和され、旧盤で際立っていた峻烈なメリハリは後退しました。その分、艶やかなカンタービレと柔軟性が前に出た印象です。アクセントが弱く感じる箇所もあるのは、細部より勢いを重視するようになった結果かもしれませんが、弱音部での弦や木管の雄弁な表情は旧盤にはなかったユニークな解釈。

 第2楽章は、テンポの恣意的な収縮と艶っぽいカンタービレをより強調。一方、旧盤はフォルティッシモの刺々しさが目立って音楽的には諸刃の剣でしたが、当盤ではすっかり角が取れて、豊麗さとしなやかさが増しました。旧盤の若獅子のような烈しさを愛していた人には、ちょっと物足りなく感じるかもしれませんが、テンポの振り幅はより大きくなっています。

 第3楽章は優しいタッチが魅力的ですが、フォルテのアクセントが続く所でテンポに重みを加えてゆくなど、アゴーギクに工夫あり。第4楽章も刺激が弱められて聴きやすくなりましたが、響きがふくよかになった一方、合奏には若干の緩さも出ている印象。ある種の峻厳さこそ後退しましたが、豊かなニュアンスや音色美など、やはりオケのレヴェルは上と感じます。

“駆り立てられるような切迫感と千変万化する音風景。シノーポリ一流のドラマメイキング”

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1992年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 後期三大シンフォニー録音の一枚。カップリングはR・コルサコフの《ロシアの復活祭》です。かつてのシノーポリは、フレーズや音型に過剰なドラマ性を見いだすがゆえ、細部が肥大化して音楽の風通しが悪くなる傾向もありましたが、90年代以降は自然な流れも重視するようになりました。当盤もそのスタイルで、教会で録音された爽快なオーケストラ・サウンド(シャンドス・レーベルみたいな音)もその印象を助長しますが、だからといってごくノーマルな演奏かと思ったら大間違いです(笑)。

 第1楽章は、何かに憑かれたかのような性急なテンポで一貫。単にスピード的に速いだけでなく、常に前へ前へと駆り立てられるような切迫感を伴っており、明らかに何らかのドラマを演出しているものと思われます。この熱っぽい焦燥感は、真ん中二つの楽章で一旦小休止。何と言うか、楽章ごとに千変万化する音風景が立ち現れる印象です。

 第2楽章は優しいタッチの表現で、中間部の切々とした旋律など、ぐっと腰を落として歌いこんでいますが、トゥッティ部とのダイナミクスの落差は意外にもあまり大きくは取っていません。第3楽章はテンポこそ速めできびきびとしていますが、ニュアンスに詩情が溢れ、木管を中心とした華やかな色彩感はバレエ音楽を想起させます。きっと作劇上、ここにファンタジーを表出させる必要性があったのでしょう。フィナーレは再び疾走する演奏。歯切れの良い鮮烈な表現ですが、コーダにおいても随所に急激なアッチェレランドを盛り込んで音楽を煽り、アクの強さを伺わせます。

“颯爽とした推進力が後退し、叙情的性格を増した再録音。奥行きと低音の浅い録音が残念”

小泉和裕指揮 九州交響楽団

(録音:1993年  レーベル:ライヴノーツ)

 小泉が89年から96年まで首席指揮者を務め、古くは77年から定期公演の指揮台に立っているという九響とのスタジオ録音。イタリア奇想曲をカップリングしています。録音会場の末永文化センターというのが、いわゆるコンサートホールなのかどうか私はよく知らないのですが、日本のオケ録音にありがちな、低音域及び奥行きの浅い響きで損をしているディスクだと思います。弦が近接したバランスで、しなやかなブラスや生々しいティンパニなど、サウンド傾向自体は瑞々しく、聴きやすいものです。

 九響は、技術面においては東京の団体と比べても遜色がないか、もしくはそれ以上のもので、ソロも軒並み好演。弦の情感豊かなカンタービレにも魅力があります。小泉のアプローチは、ロイヤル・フィルとの旧盤と比べると、両端楽章のテンポがずっと遅くなり、その分アゴーギクの細かい変化がなくなった印象。

 颯爽と前進してゆく凛々しさが後退したのは残念ですが、第2楽章をはじめ、ロマンティックな歌心と叙情的表現に図抜けたセンスを見せていて、日本人好みの演奏といえそうです。ただ、第4楽章主部は、音の切れこそ良いですが、テンポの遅さがそのまま腰の重さに直結していて感心しません。もっと音響効果の良いホールで録音していたら、かなりの名演として歓迎されたかも。

“シカゴ盤とはまるで別人のように、生き生きとした表現意欲をたぎらせるアバド”

クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1994年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ムソルグスキーの歌曲《死の歌と踊り》をカップリングしたライヴ盤で、アバド三度目の録音。ライヴのせいもあるのか、シカゴ盤と較べるとずっと自然で自在な呼吸感があり、アゴーギクも変化に富んでいるし、何よりも、旧盤の徹底した無表情は一体何のためだったのかというくらい、豊かなニュアンスと情感に溢れています。

 第1楽章は、スコアにないダイナミクスの演出もあり、全編に渡って生き生きとした表現意欲が充溢。シンフォニックな造形美の追求は継承しつつも、雄渾な力感とロマンティックな歌心が加えられ、弦のカンタービレにもポルタメントが盛り込まれたりします。コーダのリタルダンドも効果的。第2楽章は、感情に耽溺しないのがアバドらしいですが、艶っぽいカンタービレも聴かれます。第1主題のデリカシーも素晴らしく、ひそやかに囁きかけてくるような第2主題の歌い口は絶品。

 第3楽章は、細部まで丹念にブラッシュ・アップした緻密な演奏。オケも大変にうまく、両者のしなやかな表現力のおかげで、実際以上に立派な曲に聴こえる印象も受けます。第4楽章は、レガート気味のフレージングを多用し、格調高い表現と深みのあるシンフォニックな響きで一貫。無用な虚飾は排する一方、内面は充実し、有機的な迫力を感じさせて物足りなさは皆無です。

“好調時のメータらしい、雄弁でスリリングな熱気に溢れるライヴ盤”

ズービン・メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1996年  レーベル:ヘリコン・クラシックス)

 オケ自主レーベルから出た記念ボックス・セット収録のライヴ音源。メータは70年代にロス・フィルと全集録音を行っていますが、チャイコフスキーには消極的な指揮者で、当盤は稀少な記録と言えそうです。やや残響がデッドながら、高音域の抜けが良く、爽快な録音。

 第1楽章は序奏部こそ淡々としているものの、主部は超スロー・テンポで重々しくスタート。旧盤とは全く対照的なスコア解釈です。しかし山場に向けて加速するアゴーギクは踏襲しで、シャープなリズム感で颯爽と駆け抜けるスタイルも健在。テンポや表情の振幅を大きく取った雄弁な語り口はメータらしいです。スピード感の強い展開部やコーダも、緊張度の強い表現。ティンパニのアクセントも鮮烈です。

 第2楽章も表情こそ濃厚な割に、感傷性が希薄なのがメータの特質。情感たっぷりに歌う割に、どこか爽やかで客観的な風情もあるのが不思議です。展開部ではファゴットに大きなミスあり。再現部もドラマティックな語り口が光り、ソリッドなバス・トロンボーンが効果を発揮するクライマックスも、見事な棒さばきで迫力満点。彫りの深い熱演を展開します。第3楽章は遅めのテンポながら、集中力の高い合奏と軽快さを維持。ルバートも自然で、旋律線が優美な弧を描きます。

 フィナーレも楽想がよく咀嚼され、自分の解釈を明快に差し示す指揮ぶりはメータの真骨頂。主部への経過部に入る際のルバートも、ティンパニの強打で峻烈な句読点を打っています。強力な棒でパワフルにオケを牽引し、流れるようなスムーズさで各場面を繋いでゆく主部も見事。弱音でもアタックに張りと勢いがあり、それが表現の凝集度とスリリングな緊迫感に直結しています。

 それにしても、ロス時代のスピーディで強靭な表現を彷彿させる熱演は圧巻。コーダ前の全休止でティンパニのトレモロを除去し、気の早い拍手が入りかけるのは残念ですが、終演後の拍手はカットされています。

“ザルツブルグ音楽祭での熱狂的ライヴ。激しい表現の一方、アンサンブルには瑕多し”

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1998年  レーベル:フィリップス)

 同コンビは後期三大交響曲を録音。ウィーンでは珍しいというスタンディング・オベーションを巻き起こしたザルツブルグ祝祭大劇場での公演をORFが録音したもので、熱狂的なブラヴォーの歓声も収録されています。ライヴとはいえ会場の音響が良く、潤いと奥行きのある聴きやすい音ですが、アンサンブルに乱れが多く、フィナーレの終盤辺りになると金管が全体のアインザッツを無視して飛び出す場面も多々聴かれます。そういうライヴ特有の瑕を気にしない人にとっては、熱気溢れる凄絶な演奏として歓迎されるディスクでしょう。

 強弱とテンポ変動の指示は非常に細かく、フレーズ単位で表情を付けてゆくものといって差し支えないくらいですが、作品が求める感情の起伏に沿っているため、例えばマゼールの恣意的な誇張と較べると、遥かに違和感のない、説得力の強い表現です。特にテンポの速い場面での激しい煽り方は印象的。第1楽章などは、提示部の終盤辺りから異常なまでにテンポアップするので、思わずプレーヤーが故障したのかと機器の状態を確認してしまいました。

 第3楽章中間部での、スケルツォ的性格を前面に押し出した躍動感溢れる表情も見事で、実際以上に速いテンポに聴こえるスピード感があります。やはり凄まじいのはフィナーレですが、ウィーン・フィルのような我の強いオケを意のままにドライヴしてしまうゲルギエフの才能には脱帽しました。

 → 後半リストへ続く

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