プッチーニ/歌劇《トスカ》

概観

 感情面の激しさで人気のヴェリズモ・オペラ。プッチーニの作品ではよくあるように2時間前後の尺で、展開も多彩でスピーディなので、オペラ・ビギナーには比較的向く曲。登場人物の関係もシンプルに整理されていて、ストーリーも分かりやすい。

 音楽も、現代センスと精緻なオーケストレーション、旋律美が同居していて聴き所に事欠かないが、プッチーニ作品の常として、映画音楽的な響きも随所にあるので、私などは繰り返し鑑賞すると少し飽きてくる(ヴェルディの後期オペラではそういう事はない)。タイトル・ロールである以上、歌姫トスカが主役なのだろうが、実際にはカヴァラドッシとスカルピアの配役が上演の成否を握っているように思う。

 ちなみにカラヤンは、「指揮者はガス抜きをするために定期的に《トスカ》を振るべきだ」と発言している。意図は不明だが、感情表現の激しさゆえだろうか。第1幕の、裏拍を強調したシンコペーションとテンポ変化の多い構成は棒さばきの難所で、シャイーは映像ソフト(コンセルトヘボウ盤)のリハーサルで、オケに向かって「第1幕はいったん始まったらもう一発勝負だ」と言っている。

 録音は、そうそうたる名歌手達による歴史的名盤の類いが目白押しだが、ここで紹介している物はやや異色というか、コアなオペラ・ファンには物足りないかも。お薦めはカラヤン/ウィーン盤、メータ盤、T・トーマス盤。映像ソフトはシノーポリ盤が圧倒的だが、コンロン盤、ムーティ盤、シャイー/スカラ座盤もお薦め。

*紹介ディスク一覧  *配役は順にトスカ、カヴァラドッシ、スカルピア。

[抜粋盤CD]

97年 小澤征爾/フィレンツェ五月祭管弦楽団

      ゴルチャコーワ、シコフ

[CD]

62年 カラヤン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  

      プライス、ディ・ステファーノ、タデイ

66年 マゼール/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団

      ニルソン、コレッリ、フィッシャー=ディースカウ

72年 メータ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団  

      プライス、ドミンゴ、ミルンズ

76年 C・デイヴィス/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団  

      カバリエ、カレーラス、ヴィクセル

79年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

      リッチャレッリ、カレーラス、ライモンディ

88年 T・トーマス/ハンガリー国立交響楽団

      マルトン、カレーラス、ポンス

92年 ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団

      ヴェイニス、ジャコミーニ、ザンカナロ

[DVD]

78年 コンロン/メトロポリタン歌劇場管弦楽団  

      ヴァーレット、パヴァロッティ、マクニール

82年 小澤征爾/パリ・オペラ座管弦楽団

      テ・カナワ、ヴェロネッリ、ヴィクセル

85年 シノーポリ/メトロポリタン歌劇場管弦楽団

      ベーレンス、ドミンゴ、マクニール

92年 メータ/ローマ・イタリア放送交響楽団  

      マルフィターノ、ドミンゴ、ライモンディ

98年 シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

      マルフィターノ、マージソン、ターフェル

00年 ムーティ/ミラノ・スカラ座管弦楽団

      グレギーナ、リチートラ、ヌッチ

17年 ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

      オポライス、アルヴァレス、ヴラトーニャ

18年 ティーレマン/シュターツカペレ・ドレスデン  2/23 追加!

      ハルテロス、アントネンコ、テジエ

19年 シャイー/ミラノ・スカラ座管弦楽団   2/23 追加!

      ネトレプコ、メーリ、サルシ

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[抜粋盤CD]

“男女二人の場面に焦点を当て、人気アリアと第3幕全てを収録したユニークな抜粋企画盤”

小澤征爾指揮 フィレンツェ五月祭管弦楽団・合唱団    

 ガリーナ・ゴルチャコーワ(トスカ)、ニール・シコフ(カヴァラドッシ)

(録音:1997年  レーベル:フィリップス)

 フィリップス・レーベルお抱えのゴルチャコーワとシコフをフィーチャーし、《トスカ》と《マノン・レスコー》の終幕を収録したプッチーニ・アルバムより。《マノン》は有名な間奏曲も入れている他、《トスカ》のアリア“妙なる調和”“歌に生き、恋に生き”と第1幕から3曲も収録。小澤とフィレンツェ五月祭管の共演は珍しく、当盤以外にはヤナーチェクの《利口な女狐の物語》の映像ソフトくらいしかない様子。

 叙情的な場面が中心で、緊迫した音楽は全て省かれているため、あくまでオケは伴奏、主役は歌手という体裁。せっかく稀少なセッションを組んだのだから、全曲盤を録音すれば良かったのにと思わないでもない。少なくともオケ中心に聴くなら、カップリングの《マノン》の方が聴き応えがある。

 ゴルチャコーワはキーロフ歌劇場出身でドラマティックな役は得意な筈だが、ここではやや平板。全体に上品で、扇情的な歌唱を避ける傾向がある(指揮がそうだから、それも当然か)。一方のシコフは熱っぽいパフォーマンスで大健闘だが、この人はいつもどこか、主役らしい華が乏しく感じるのは私だけだろうか。感情のこもった素晴らしい歌いっぷりではあり、無意識に3大テノールらと比べてしまうのが良くないのかも。しかし彼の歌唱も、《マノン》の方が優れているように感じる。

[全曲盤CD]

“歌手、合唱、オケ、録音スタッフがチーム一丸となってドラマに肉迫してゆく緊張感”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン国立歌劇場合唱団

 レオンティン・プライス(トスカ)、ジュゼッペ・ディ・ステファーノ(カヴァラドッシ)

 ジュゼッペ・タデイ(スカルピア)

(録音:1962年  レーベル:デッカ)

 カラヤンの《トスカ》は後年、ベルリン・フィルとの再録音もあり。ブラスなどやや音が荒れる感じもあるが、歌手の美声とダイナミックなオケを鮮明に捉えた優秀録音は、この時代のデッカの技術力の高さを窺わせる。

 冒頭動機の長く引き延ばした音価から、芝居がかったデフォルメが効いてカラヤン節全開。ブラスのスタッカートは歯切れが良く、若々しい活力が漲る。華麗なサウンドや緩急巧みな語り口のみならず、オケと歌手の強い一体感は聴きもの。その分、オケの個性は背景に回った感じか。特に、各幕のオープニングとエンディングで派手な演出を施す指揮ぶりは、カラヤン(そして皮肉な事にマゼールも)特有の様式感。目立てる所では必ず目立つ、という強い意志を感じる。

 この時期のウィーン・フィルの録音は、カラヤンもマゼールも鋭いエッジを効かせてオケの性質の逆を行っているのが面白い所が、第3幕終盤の三拍子の箇所をはじめ、リリカルな箇所ではオケが味わい深いニュアンスを聴かせているのに注目。歌手や合唱、そして録音スタッフも含めた指揮者の統率力は、既にして一級で、チーム一丸となってドラマに肉迫してゆく、その緊張感と迫力は凄まじいものがある。

 歌手はプライスに合わせたのか、総じて柔らかく、深い声質で統一されている。キンキンした甲高い高音に悩まされる事のない、聴きやすいオペラ録音。そのせいか、ドラマにも深みが感じられるのは不思議な所。典型的なベルカントともヴェリズモとも違う方向なのだろうが、私は好ましく聴いた。

 第2幕のクライマックスなど、演劇的な激しいやり取りもあり、ヴェリズモの本質は十分捉えている。往年の名歌手達による輝かしい声の饗宴は、特にオペラ・ファンではない私が聴いても素直に凄いと感じられるもの。各アリアも正に名調子で、何より嬉しい事に、声が美しくて華があるだけでなく、音程が正確(本来なら当たり前だが)。

“ややアクが強いながら、落ち着いた表現を聴かせるマゼール。豪華歌手陣も充実”

ロリン・マゼール指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団・合唱団

 ビルギッテ・ニルソン(トスカ)、フランコ・コレッリ (カヴァラドッシ)

 ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(スカルピア)

(録音:1966年  レーベル:デッカ)

 マゼールは70年代からCBSにプッチーニのシリーズ録音を開始しているが、《トスカ》だけは既に当盤があるせいかラインナップされなかった。《妖精ヴィルリ》や《つばめ》など珍しい作品も録音しているだけに、出来れば当曲も再録音して欲しかった所(そのおかげでT・トーマス盤が誕生したが)。マゼールとサンタ・チェチーリア管の顔合わせも珍しい。

 この頃のマゼールは、初期の刃物のように鋭利なタッチから、後年の落ち着いた表現に至る過渡期のようで、刺々しいブラスの咆哮を別にすれば、全体にゆったりとした佇まい。むやみに扇情的な表現に走ったりもしないし、各部のテンポ設定も意外にまとも。オペラ指揮者としてのチームの統率力にも危うげな所は全くない。

 ただ、弦のカンタービレに一部、グリッサンドに近いくらいの濃厚なポルタメントが掛けられていて、少々アクの強さはある。デッカの録音は鮮明で、残響音もたっぷり収録して音場感豊か。多少の歪みや混濁を除けば、録音の古さをさほど感じさせない。鐘や大砲の他、鍵など小道具の効果音もミックス。

 歌唱陣は、ワーグナーのイメージが強いドラマティック・ソプラノのニルソン、往年の名歌手コレッリと、実力派揃いで充実。私があまり聴かない時代の大御所達だが、気力の漲った力強い歌唱で聴き応えがある。特にF・ディースカウのスカルピアは、知的なスタイルでユニーク。発売当時も話題を呼んだようだが、「スカルピアは知的な悪漢」が持論の私としては、理想的なキャスティングに思える。

“歌手が主役の豪華な録音ながら、メータもダイナミックな指揮ぶりで健闘”

ズービン・メータ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

 ジョン・オールディス合唱団、ワンズワース・スクール少年合唱団

 レオンティン・プライス(トスカ)、プラシド・ドミンゴ(カヴァラドッシ)

 シェリル・ミルンズ(スカルピア)

(録音:1972年  レーベル:RCA)

 メータは後に同曲を、現地野外ロケの生放送で映像収録している他、彼のプッチーニ録音にはロンドン・フィルとの《トゥーランドット》、コヴェント・ガーデン王立歌劇場との《西部の娘》、イスラエル・フィルとの《ボエーム》もあり。メータのRCA録音は稀少な上、同オケとの録音も珍しく、他にはこの3年前に同じレーベルで、同じ歌手3人と収録された《トロヴァトーレ》だけのよう。

 メータの指揮は、同時期の《トゥーランドット》と較べてやや雄弁さを欠く印象。スコアが込み入っているせいで、コントロールを保つには安全運転が必要なのかもしれない。しかし整然たるシャープな合奏は見事で、引き締まったテンポと響き、鋭敏なリズムと剛胆な力感を武器に、随所で若々しくダイナミックなパフォーマンスを繰り広げているのはさすが。

 表現の精度もすこぶる高く、オケが好演している上、各幕の山場を設計する棒さばきは卓抜。第3幕の最後のクライマックスなど、歌手の声のパワーや迫真の演技力とも相まって、息を飲むようなスリリングな音楽作りを聴かせる。そもそも、豪華歌唱陣を生き生きと歌わせている点で、すでに優秀なオペラ指揮者と言える。

 メータの精悍な音楽作りに最も合致しているのは、端正な歌いぶりのミルンズ。もっとも、第2幕のクライマックスなど演劇的表出力は十分にあって、端正一辺倒でもない。カラヤンの旧盤でも歌っていたプライスは、ここでも柔らかめの声質で、演技力もスター性もあって華やか。特に、果てしなく伸びてゆくようなパワフルな高音は圧巻。絶頂期のドミンゴと共に、歌手がメインのオペラ録音の凄みを感じさせる。

“落ち着いたテンポで有機的に鳴らし切る、シンフォニックなアプローチ”

コリン・デイヴィス指揮 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団・合唱団

 モンセラ・カバリエ(トスカ)、ホセ・カレーラス(カヴァラドッシ)

 イングヴァル・ヴィクセル(スカルピア)

(録音:1976年  レーベル:フィリップス)

 剛毅な芸風からプッチーニとはイメージが結びつかないデイヴィスだが、同じオケと《ボエーム》の録音もあり。イタリア・オペラでは他に、ヴェルディの《仮面舞踏会》《トロヴァトーレ》を録音している。アンジェロッティをサミュエル・レイミー、スポレッタをピエロ・デ・パルマ、羊飼いをアン・マレイが歌うという、贅沢なキャスティングもオペラ録音の黄金時代を偲ばせる。残響をたっぷりと収録したスケール感のある録音も、デッドな音響が多い歌劇場のライヴ盤と違って聴きやすい。

 オケのパートは完全にデイヴィス流で、落ち着いた安定感のあるテンポにシャープなエッジ、解像度の高い指揮で細部を几帳面に彫琢しながら、フレーズの末尾にわずかな香気と艶っぽさを加えるなど、管弦楽の演奏にも顕著な個性が随所に聴かれる。一方イン・テンポではなくルバートを随所に用いる上、時にポルタメントでしなを作ったりもする辺り、この指揮者のイメージからすると意外に聴こえる箇所も多々あり。

 各幕のオープニングやエンディングなどの山場を、ゆったりとした間合いとソリッドなブラスの強奏で壮大に盛り上げているのは、シンフォニックなアプローチとも言える。緊迫した場面の煽り方も正攻法で、イタリア・オペラらしい扇情的なスタイルとはベクトルが異なる印象。人物の感情に寄り添って、情動が先行する棒ではなく、各音を純音楽的かつ有機的に、たっぷりと鳴らし切る意識が強い。

 歌手はカバリエとカレーラスで文句無し。旧弊な歌い崩しはそれほどないが、張りのあるパワフルな声といい、ハイトーンの派手な延ばし方といい、名技性の発露がいかにもベルカント・オペラ。カバリエの歌い口や佇まいなんて、これぞディーヴァという感じ。ヴィクセルは、小澤盤の映像ソフトでは端正に聴こえるのだが、ここではかなり癖のある声質と歌回しで、やや耳に付く。

“決定盤との世評も高いながら、誇張が目立つカラヤン節は好みを分つ面も”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団、シェーネベルク少年合唱団

 カティア・リッチャレッリ(トスカ)、ホセ・カレーラス(カヴァラドッシ)

 ルッジェロ・ライモンディ(スカルピア)

(録音:1979年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤン17年振りの再録音盤。オケも歌手も全て入替え、レーベルも一新。相変わらず派手な指揮ぶりで、この曲の決定盤に推す人も多いディスク。テンポがずっと遅くなり、長い残響を伴った録音も旧盤と対照的。ただ、強弱の演出はやや極端で、凄絶なフォルティッシモを抑えようとヴォリュームを下げると弱音部が聴き取りにくいのが難点。第1幕終結部の大砲をはじめ、効果音も過剰演出。

 第1幕の冒頭は、旧盤に輪を掛けてフェルマータを引き延ばし、大きくデフォルメ。とはいえ全体としては精緻な音響を構築し、管弦楽のパートを徹底してカラヤン流に磨き上げた印象。流麗な旋律線、息の長いカンタービレ、ティンパニの強打やブラスの強奏、振幅の大きなダイナミズムもカラヤンらしいが、弱音部の表現にはっとさせられる事が多いのはさすが。細部まで豊かなニュアンスや鮮やかな色彩感、室内楽的で緊密な合奏にオケの能力も示される。

 カラヤンお気に入りのリッチャレッリは、清澄な美声が素晴らしい。歌手が突出せず、オケとの一体感を重視した録音のせいもあって、器楽的とも言える艶美な歌唱はプッチーニの音楽と相性抜群。この役を得意とするカレーラスも好調で、同曲決定盤に推す人が多いのもうなずける。ただ、指揮者のディレクションゆえ両者共にリリカルな性格で、ヴェリズモ的な激しさには向かわない。スポレッタをハインツ・ツェドニクが歌っているのも贅沢。

指揮者も歌手も端正な表現で一貫する中、カレーラスがさすがの歌唱で聴き手を圧倒

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 ハンガリー国立交響楽団・放送合唱団

 エヴァ・マルトン(トスカ)、ホセ・カレーラス(カヴァラドッシ)

 ファン・ポンス(スカルピア)

(録音:1988年  レーベル:ソニー・クラシカル

 T・トーマス初にして、唯一のオペラ録音。マゼールのプッチーニ歌劇シリーズを補完するアルバムだったのではないかと思われる。なぜかハンガリーでセッションが組まれ、カレーラスとポンスを除けば、マルトン以下、キャストもほぼハンガリーの歌手で占められている様子。T・トーマスと同オケの顔合わせも当盤が唯一。マルトンとの録音は、ベートーヴェンのコンサート・アリア《ああ、不実な人よ》がある。

 録音が独特で、歌手がオン気味に近接して捉えられている一方、オケが背後に遠めの距離感で広がるバランス。残響が豊かに収録されているのは良いが、エコーが中央に集まるモノラル的なサウンド傾向と、オケの音像が歌手に比して小さく、細部の解像度がもどかしいのは問題。

 この指揮者は、適性としてはオペラにとても向いていて、冒頭から落ち着いたテンポで確信に満ちた音楽作りを展開。エッジの効いたリズムとメリハリのある造形でドラマを盛り上げていて、ニュアンス豊かな弱音部の叙情も美しい。シャープに引き締まった筋肉質の響きも彼らしいが、扇情的な要素はあまりなく、歌手共々、イタリア・オペラらしい情熱的な感情表現はあまり聴かれない。

 この時期ソニーが重宝していたマルトンは、他にも《サロメ》など幾つかの録音に起用されている。稀少なドラマティック・ソプラノの一人で、ワーグナーやR・シュトラウスの他、実はプッチーニも得意(メトで歌った《トゥーランドット》の映像も出ている)。彼女もポンスも、芝居っ気が全くない訳ではないのだが、基本的には美しい声で端正に歌い上げる真面目なスタイルで、強い個性やインパクトに欠ける。

 カレーラスはデイヴィス盤、カラヤン盤に続く3度目のレコーディング。大病から復帰した直後の録音で、全盛期ほどではないと言われながらも、さすがの美声と表現力で大健闘。個人的には全く不満はなく、結局当盤はカレーラスで聴かせる《トスカ》だと思う。

フィラデルフィア管を起用し、ムーティ特有のスタイルを貫いた辛口の《トスカ》

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団・少年合唱団

 ウェストミンスター交響合唱団

 キャロル・ヴェイニス(トスカ)、ジュゼッペ・ジャコミーニ(カヴァラドッシ)

 ジョルジオ・ザンカナロ(スカルピア)

(録音:1991/92年  レーベル:フィリップス

 フィラデルフィア管がオペラの伴奏に参加した珍しいディスクで、他にレオンカヴァッロの《道化師》も録音。ムーティの《トスカ》はスカラ座との録音・映像もあり。プッチーニにはさほど食指を伸ばさぬムーティながら、スカラ座では他に《マノン・レスコー》も振っている。

 ムーティのプッチーニは、イン・テンポ気味で直球すぎると評される事も多いが、私はそうは思わない。どの時代の流行と較べるかによって違うのかもしれないが、直情的な傾向は示すものの、旋律は艶っぽく流麗に歌わせているし、テンポの緩急も決して小さくはない。

 ただ、フィラ管を起用しながら豊麗な響きを作らず、筋肉質のタイトなシェイプを貫くのはムーティらしい所。特に金管のソリッドな響きは特徴的だが、弦のカンタービレは艶やかに歌い、木管などアンサンブルのディティールもニュアンス豊か。あまりホールトーンを取り入れない録音は、劇場の音響をイメージしたものか。

 ヴェイニスとジャコミーニは、甘さ控えめの端正な声と歌い方がムーティのスタイルによく合っており、アベレージの高い安定した歌唱。発売当初から批評家筋の評価も高いが、さらにプラス・アルファの魅力が欲しい点で、好みの分かれる所。特にヴェイニスは、激情型のトスカとは一線を画していて、スカルピア殺害の場面でも、芸達者な歌手によくある、声を荒げて猛々しい一面を出すような表現はしない。

 ザンカナロのスカルピアは、短気で感情豊かな性格。音程が跳躍するフレーズではアクセントで抑揚を強調する傾向があり、テンションの高い歌唱。写真を見る限りでは、甘いマスクのザンカナロ、悪人面のジャコミーニが、逆のイメージの役柄に思えるが、これも録音ならではのキャスティングと言えるだろうか。脇役では、スポレッタのピエロ・デ・パルマが歯切れの良いリズム・センスで好印象。

[DVD]

“貴重なパヴァロッティによるカヴァラドッシ。才人コンロンの鮮烈な指揮も見事”

ジェイムズ・コンロン指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団

 シャーリー・ヴァーレット(トスカ)、ルチアーノ・パヴァロッティ(カヴァラドッシ)

 コーネル・マクニール(スカルピア)

演出:ティト・ゴッビ   (収録:1978年)

 メトの《トスカ》映像にはこの7年後のシノーポリ盤があり、そちらはゴージャスなゼフィレッリ演出なので当盤の存在があまり知られていないのも仕方のない所。日本語字幕付きの国内盤ソフトも、出た事がない様子。フランス国立管と《ボエーム》、パリ管と《蝶々夫人》も録音しているコンロンの才気は際立っていて、同じアメリカ人で音楽監督として派手に君臨するレヴァインの影に隠れてしまったのは残念。

 古い映像なので音質もややデッド、分離は良いが歪みもあって、弱音部では時に室内オケのように聴こえたりもするが、オケ・パートは充実。シャープな明晰さ、ストレートな力感はレヴァインと共通する資質だが、コンロンの持ち味である、解像度が高い上に爽快かつ柔らかなサウンドは、ここでも聴かれる。繊細で艶っぽい高弦も、随所で素晴らしい効果を発揮。

 見事なのがドラマ・メイキングのセンスで、歌唱陣の前時代的なスタイルにぴったりと合わせながらも、ロマンティックなアゴーギクで全篇を巧みに構築。緊迫した状況が続く第2幕も惚れ惚れするような棒さばきで、殺害場面で思い切り加速し、スカルピアが合いの手に入れる「アイウート(死ぬ)!」の音楽的陳腐さをうまくカヴァーして、自然な流れで聴かせる手腕には舌を巻く。カーテンコールで大喝采を浴びているのも納得の才能。

 歌唱陣はヴァーレット、パヴァロッティと大スターで、登場しただけで拍手が起きるほど。立ち振る舞いや歌唱の華やかさも圧倒的で、技術的には文句無しの一方、ちょっとでも高音のロングトーンがあると必ずデフォルメして引き延ばすスタイルは、ムーティほどの原理主義者でなくとも今の感覚には違和感があるかも。ただ、特典映像のピアノ・リハーサルを見ると、若きコンロンが大歌手2人に対しても、あちこちではっきり「ノー」とダメ出しをしていて頼もしい。

 マクニールは、シノーポリ盤でも並ならぬ存在感があるが、当盤はその7年前にも関わらず、すでにして恐るべき存在感。頭の回る狡猾さと粘液質の変態性を高次元でミックスした役作りは個性的という他なく、歌唱も正確で堂々たるもの。トスカが脱いだコートの残り香を吸うことも忘れない(笑)。これほど傑出したスカルピア歌いがさほど有名でないのは、実に不思議である。

 演出は派手ではないが、ゼフィレッリ系の伝統的スタイル。名前からしてイタリア人のようで、聖堂で行われるテ・デウムの場面では、背景の群衆や教会関係者の衣装や佇まいなど、当地の風俗を知るものでなければ描けないようなリアリティがあるのはさすが。世界観をきちんと伝えてくれるし、何といってもこの時代、特にアメリカの劇場がいいのは、演出家のエゴや妙な読み替えがほとんどない所。

スムーズ&鋭敏の小澤スタイルが横溢。カナワ初のトスカが話題を呼んだパリ公演

小澤征爾指揮 パリ・オペラ座管弦楽団・合唱団

 キリ・テ・カナワ(トスカ)、エルネスト・ヴェロネッリ(カヴァラドッシ)

 イングヴァル・ヴィクセル(スカルピア)

演出:ジャン・クロード・オーヴレー   (収録:1982年)

 パリで絶大な人気を誇った小澤だが、オペラ座の指揮台にはどの程度立っていたのか、映像ソフトは恐らくこれ一作だけ。テ・カナワがトスカを歌うのはこれが初だったが、残念ながら相手役のカレーラスが降板。前年にドミンゴの代役で《トゥーランドット》に出演した、新進ヴェロネッリがカヴァラドッシを歌っている。

 まだ若々しい小澤の登場、幕が開いても無音の状態が続き、しばらく後に開始される序奏部は爽快そのもの。これぞフランスのオケという明るく華やかな響きと、鋭いリズムで画然と拍子を刻みながら、驚くほどスムーズに音が流れる無類の心地よさ。正に全盛期の小澤スタイルである。さらに特筆大書したいのは、アゴーギクの見事さ。確信に満ちた音楽運びは、オペラに対する彼の優れた資質を顕著に示している。

 第1幕でアンジェロッティとカヴァラドッシが退場し、堂守と少年合唱隊が入場、大騒ぎのピークでスカルピア登場という一連のシークエンスは、テンポがかなり細かく動く箇所だが、時に大きなルバートでブレーキを掛け、じっくり腰を落として音楽を進める小澤の棒は安定感抜群。彼の音楽が常に呼吸と連動している事を、如実に感じさせる。

 ヴェロネッリはこれが唯一の録音だそうで、ドミンゴに少し似た容姿。イタリア出身、79年に《トロヴァトーレ》のマンリーコで注目され、数少ないリリコ・スピントの若手として高い評価を受けながらも、86年以降は突然国際的なキャリアから姿を消した由。映像で観る限りは声も太く、高音域も押し出しがあって、アリアやカーテンコールでは盛大な拍手が贈られている。中低音部はややざらついた声質に聴こえるが、録音のせいかもしれない。カナワの声にも一部混濁感がある。

 カナワは、こういう激情的な作品を歌うイメージがあまりないが(シノーポリ指揮の《マノン・レスコー》の映像ではタイトルロールを歌っている)、感情の起伏も大きく、激しいがなり声も交えて役に説得力を持たせている。客席からも熱狂的な声援を贈られている。ヴィクセルは、スカルピアを何十年と歌ってきたベテランで、演技力もあって様にはなっているが、強い個性はあまりない。おかしな言い方だが、正統派のスカルピアという印象。

 問題は演出。とにかく暗い。クローズアップの映像でも歌手の表情が全然分からない。セットにも何が置いてあるのかよく見えない上、映像も古くて解像度が悪く、ぼんやりしている。妙な読み替えはなく、オーソドックスなスタイルのようだが、それも暗すぎてよく分からない。唯一、投身するトスカの影がスクリーンに写り、スローモーションで落ちてゆく所は良いアイデアかも。

“シノーポリ節全開! ピットの強力な存在感、豪華歌手陣、名演出と三拍子揃った映像決定版”

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団

 ヒルデガルド・ベーレンス(トスカ)、プラシド・ドミンゴ(カヴァラドッシ)

 コーネル・マクニール(スカルピア)

演出:フランコ・ゼッフィレッリ   (収録:1985年)

 シノーポリのメト・デビュー公演で、当代望みうる最高のキャストを揃え、名匠ゼフィレッリの新演出も話題を呼んだライヴ映像。人気のあるコンテンツらしく、VHS、LD時代から何度も再発売されている。指揮者にカリスマ的な存在感があると、ディレクターもピットを映さずにはいられないらしく、クライバーと同様の現象が起こっている(オケの間奏部などになると、ここぞとばかりに指揮者の姿が映る)。

 《マノン・レスコー》の映像でもそうだったが、シノーポリの指揮の激しさ、熱さ、その没入ぶりの凄まじさといったらない。こういう姿を見ると、彼を評してよく言われた「冷たい」「分析的」というイメージには首をかしげたくなるし、吉田秀和氏が世評に反し、「私はシノーポリほど魂の音楽をやる人を知らない」と書いたのを思い出す。

 作品もシノーポリの資質に合っていて、ブラスを鋭く咆哮させ、ティンパニやバスドラムを強打、焦燥感溢れる加速で音楽を煽る一方、極端に遅いテンポで緩急を付けたり、トゥッティで弦にポルタメントをかけて艶やかに歌わせるなど、シノーポリ節全開。烈しい表現の連続で、ピットの存在感が尋常ではない。細部にも生気が漲り、オケのパートに関してはこの曲の理想的表現と言えるだろう。カーテンコールでも盛大なブラヴォーが飛んでいる。

 ドミンゴは見事な歌唱で、第1幕から早くも客席を魅了。マクニールが登場するまでは、ほぼ彼の独壇場といっていいくらい。もっとも、ベーレンスに華が無いという訳ではなく、《サロメ》でセンセーションを巻き起こし、ワーグナーを歌ってきた彼女も、オケの大音響と張り合うこのオペラで素晴らしい歌唱を聴かせる。スカルピア殺害場面でのがなり声も迫力満点。

 しかし、舞台上の存在感という点ではベテラン、マクニールに軍配が上がる。故フェリーニ監督に似た風貌だが、ねっとりと好色さを出しながら、知的で頭の切れる一面も垣間見せ、歌がどうこうというよりも、醸し出す佇まいに凄みがある。堂守のイタロ・ターヨ、アンジェロッティのジェイムズ・コートニーを始め、脇役のアンサンブルが手堅いのもメトらしい所。

 ゼフィレッリの演出は、いつもながら上方向の空間を効果的に使ったセットでスケールが大きく、ゴージャスな美術と衣装も見もの。あくまでリアリズムを貫き、演劇的な緊迫感が持続するアプローチ。メトでの彼の演出は、幕が開く度に拍手が起こる。カヴァラドッシの拷問場面も、直接は見せず、床板を開けたりするなど職人的な工夫あり。こういう演出だと、一つの幕が終っても、すぐに次の幕が見たくなる。

“現地ロケで生演奏、生中継という破格にリスキーな企画ながら、演奏は安定充実”

ズービン・メータ指揮 ローマ・イタリア放送交響楽団・合唱団

 キャサリン・マルフィターノ(トスカ)、プラシド・ドミンゴ(カヴァラドッシ)

 ルッジェロ・ライモンディ(スカルピア)

演出:ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ  (収録:1992年)

 プロデューサーのアンドレア・アンダーマンと名撮影監督ヴィットリオ・ストラーロ、メータ/イタリア国立放送響による、革新的ロケーション・オペラ・ライヴ衛星同時中継3部作の第1弾。次は2000年の『椿姫』で、最後が10年の『リゴレット』だった。とても正気とは思えない企画だが、アンダーマンは「私のボキャブラリーに不可能という文字はない」とナポレオン気取り。ちなみに彼は、フランコ・ゼフィレッリのアシスタントとして幾つかの撮影に参加してきた人。

 物語の通り7月11日の午後から翌朝6時までの出来事を、第1幕の聖アンドレア・デラ・ヴァレ教会、第2幕のファルネーゼ宮殿、第3幕のサンタンジェロ城で実際にロケーション撮影を行い、世界108ヶ国に生中継。日本では放映されなかったが、サントラは発売。2016年、ナクソスから3作を収めたDVD、ブルーレイのボックス・セットが出て、豪華なブックレットと、各作品1時間ほどのメイキング映像を収録した充実の内容(日本語解説、字幕なし)。

 オケはRAIのスタジオで演奏し、歌手は各ロケ地で指揮者のモニターを見ながら歌唱。こんなので本当に合うのかと不思議だが、演奏はちゃんとしているし、歌手もあちこち動き回って演技しながら、オケと絶妙に息を合わせていて驚き。メータも、「始まったら誰も止まるわけにいかないのはメトでもスカラ座でも同じだ」と言っている。

 録音も細部まで明瞭。10年後の《椿姫》に顕著な、歌手の声の異質なアコースティックと、過剰な残響に包まれたオケの音との不調和はなく、20年後の《リゴレット》では再び違和感がなくなっているので、技術の進歩とはまた別の問題のようである。

 メータの指揮は実に恰幅が良く、安定したもの。実演でも充実した演奏がそうそう聴ける曲ではないから、こういうハイリスクの企画で、これだけアグレッシヴで燃焼度が高く、しかも安定した演奏ができるとは驚きである。自在なアゴーギクを用いながらも、極端に大きなテンポ変化がないのは、企画のせいなのか元々のスコア解釈なのか。合奏も精緻で、RAIのオケがこんなに上手いとは失礼ながら知らなかった。

 歌手はみなパワフルで、ルックス面でマルフィターノが少々厳しい以外は、最高のキャスティング。劇場の外でもドミンゴの声の威力は凄まじく、《星は光りぬ》でピッチに違和感がある他は万全の歌唱。ライモンディも存在感があり、スパラフチーレのような小悪党からファルスタッフのようなコミカルな役まで、悪党なら何でもこいの器用さとテクニックに頭が下がる。スポレッタに、金属的な声で容姿の癖も強い歌手を起用しているのはユニーク(マウロ・ブッフォーリ)。

 監督は、映画『悦楽の闇』『スキャンダル/愛の罠』『さらば美しき人』のジュゼッペ・パトローネ・グリッフィ。《椿姫》ほど妙な癖もなく、オーソドックスな映画的手法で一貫した演出。撮影監督を、ベルトルッチやコッポラの作品で知られる名匠ヴィットリオ・ストラーロが手掛けていて、ヴィデオ撮影ではあるが巧みな照明設計でフィルムっぽく見える。

 ただ、TV演出をブライアン・ラージが担当しており、彼の悪癖であるクローズアップの多さは、ここでも問題が多い。現場に映画監督がいて、世界最高のシネマトグラファーが撮影して、果たしてTVディレクターが画面サイズやアングルまで決定できるものなのかよく知らないが、結果はそうなっていて残念。

“精緻なこだわりが行き届くも、温厚な性格の演奏。現代感覚を取り込んだ演出は疑問”

リッカルド・シャイー指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 ネーデルランド・オペラ合唱団

 キャサリン・マルフィターノ(トスカ)、リチャード・マージソン(カヴァラドッシ)

 ブリン・ターフェル(スカルピア)

演出:ニコラウス・レーンホフ   (収録:1998年)

 ネーデルラント・オペラで、コンセルトヘボウ管がピットに入った公演。途中まで拍手や客席ノイズが全く入らないので、ビデオ用の収録かと思っていたが、幕切れで急に拍手とカーテンコールが入る。ライヴ映像との混合かもしれない。シャイーの同曲はスカラ座での公演もソフト化された他、プッチーニ録音は、デッカに管弦楽曲集と《マノン・レスコー》《ボエーム》、映像ソフトで三部作(日本盤なし)、《トゥーランドット》《蝶々夫人》が出ている。

 オケのパートが精緻にコントロールされ、音色が魅力的。特に音量の変化やアーティキュレーションの細かいこだわりはシャイーらしい所。ただ、いささか円満な性格で、落ち着いた大人の音楽作り。歌手を激しく煽ったり、感情を爆発させるような面は聴かれない。若い頃のシャイーなら違ったのかもしれないが、当盤の8年後に映像収録された《アイーダ》は熱気溢れるドラマティックな演奏なので、一概にはそうとも言えなさそう。

 歌手も柔らかい声質の人が集められた感じで、刺々しい歌唱は避けられている印象。3人とも、まろやかで美麗な歌い口。問題は視覚面で、マルフィターノは歌姫トスカというイメージがあまり湧かないし、マージソンは丸々とした体格に薄毛という、どちらかというとスカルピアにふさわしい容姿(失礼!)。ターフェルは期待の配役だが、皮ジャケットにノースリーブのワイルドな衣装で警視総監には見えない。第2幕冒頭で、ベッドに横たわって猫を撫でている姿など、まるでギャングの首領みたい。

 演出は巨大な換気扇をモティーフにして、それが運命の歯車を表す訳だが、「そういうのはいらん」という気になる。この巨大ファンは第3幕で天井に取り付けられ、床に影を落としてこれみよがしにテーマを強調。第1幕では、これも巨大なロウソクが柱のように並び、最後に火を灯されてゆく。モダンアートらしく抽象化されたシンプルなセットは、やや安っぽいタッチ。カヴァラドッシが描くマリアは、顔だけが巨大に描かれているのが面白い。

“ムーティとスカラ座が満を持して贈るトスカ。歌手、演出共々、王道を行く安定した仕上がり”

リッカルド・ムーティ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

 マリア・グレギーナ(トスカ)、サルヴァトーレ・リチートラ(カヴァラドッシ)

 レオ・ヌッチ(スカルピア)

演出:ルカ・ロンコーニ  (収録:2000年)

 スカラ座でのライヴ映像で、ソニーから音源も発売。ムーティとしてはフィラ管とのセッション盤に続く再録音となる。ダブルのスーツにネクタイ姿の彼の演奏は、指揮者主導で歌手の影が薄い、ストレート過ぎると批判されたが、旧盤と同様、私はそうでもないと思う。歌手主導の黄金時代を私が知らないせいもあるが、指揮者のイニシアティヴでオペラが上演されるのは自然な事だし、特に溜めの少ないフレージングにも聴こえない。

 ただ、足取りが性急な箇所は確かにあって、開幕早々の堂守の登場シーンも、テンポが速すぎてコミカルな味わいは吹き飛んでいる。しかしエッジが効いた旧盤と比較すると、肉付きが豊かな録音のせいもあり、随分と落ち着いて、丸みを帯びた音楽作り。旋律もたっぷりと歌わせていて、オケも細部まで表情豊か。《星は光りぬ》のピアニッシモが効いたクラリネットなど、惚れ惚れとさせられる。拷問や銃殺場面の前後の盛り上げ方も劇的。スカラ座の聴衆も、盛大な声援を送っている。

 リチートラの歌唱は大変に評判が高く、美声で立派な歌唱だが、ぽっちゃりした体型はヴィジュアル面で好みを分つ所。グレギーナも当たり役だけあってパワフルなパフォーマンスだが、映像では肉感的な趣が強く、プリマドンナのイメージではない。演技は控えめで、スカルピア殺害やラストの投身も淡々と表現。ただ、ナイフで刺す直前に十字を切る仕草は効果的で、遺体の枕元にろうそくを立てる動作と関連して、トスカの二面性がよく出ている。声質や音楽性も、リチートラと相性が良いように感じる。

 ヌッチは見た目が小役人風で、悪役としてはやや小粒だが、歌唱はさすがで演技力が抜群。映像だと顔の表情もアップで捉えられるので、見応えがある。硬質なタイプなので、好色な一面はあまり出ない一方、トスカとのやり取りではサディスティックな性向がよく表現されている。

 ロンコーニのプロダクションは、96/97年のシーズンに新演出としてビシュコフ指揮でプレミエを迎えたもので、再演となる当舞台ではロレンツァ・カンティーニが改訂を加えたとの事。ゼフィレッリ系の豪奢で伝統的なスタイルに見えるが、よく見ると背景の遠近感がデフォルメされていたり、第2幕のセットが斜めにかしいでいたりと、細かい仕掛けがある。銃殺の場面は、激しい閃光とその後に漂う煙の効果が印象的。

“ルックはラテン系の《トスカ》ながら、演奏は粘精が強く緻密”

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン・フィルハーモニー合唱団

 クリスティーネ・オポライス(トスカ)、マルセロ・アルヴァレス(カヴァラドッシ)

 マルコ・ヴラトーニャ(スカルピア)

演出:フィリップ・ヒンメルマン   (収録:2017年)

 バーデン・バーデンのイースター音楽祭ライヴから。ラトルがイタリア音楽を振るのは非常に珍しく、プッチーニの録音もこれが初。演奏はイタリア・オペラの特質をなぞらず、むしろこのコンビの過去の録音の延長線にあるもの。黒光りするように艶っぽい、よく練られた響きを駆使し、粘性を帯びた優美なカンタービレと隅々まで精細な描写を徹底した、異色のプッチーニ。

 シックで、ダークな色合いも感じさせる凝集度の高いサウンドは、カラヤン盤の拡散傾向の響きとは対極。それでも流麗一辺倒にならないのは、ラトルらしいくさび型のアクセントが随所に打ち込まれるからであろう。解像度の高さも独特で、ダイナミクスやアゴーギクの緻密さに、指揮者の才覚がよく出ている。

 歌手は優秀。見た目はラテン系の《トスカ》という感じだが、歌唱自体はラトルの表現を踏襲した緻密なスタイル。オポライスもアルヴァレスも美声で音程が良く、音だけ聴けば(つまり肉食系のルックスが無ければ)、知的な歌唱に引き込まれる。ヴラトーニャは最初こそヴィブラートがやや耳に付くが、ドラマティックな表現に迫力あり。冷ややかな目つきや、死に際しての迫力満点の歌唱など、演技力にも秀でた人。

 現代に舞台を移した演出で、カヴァラドッシは写真も撮る。聖堂の壁にプロジェクターで投影される聖女も、アンディ・ウォーホールのモダンアートみたい。トスカは赤のパンツにピンクのブラウスで登場し、まるでセレブかファッション・モデル。スカルピアも黒服に眼鏡、金髪のポニーテールで企業のエグゼクティヴのようだが、部下がみな同じ風貌という設定がシュール(合唱団が全員スカルピアなのはグロテスク)。

 第2幕も、オフィス風のメタリックな空間。スカルピアのデスクには監視カメラのモニターが並び、部下とマイクでやり取りし、拷問の様子をノートPCで見せるなど、徹底して現代ツールに置き換えられている。こういう読み替えは小賢しさが鼻につく事が多いが(シャイー盤のレーンホフ演出がそう)、こちらはそれなりに説得力がある。殺人を犯したトスカが慟哭するのも感情表現として自然だが、“行けトスカ”の前にスポレッタが突然高笑いするのは、日本の小劇団みたいで陳腐。

 2/23 追加!

“非イタリア流ながら、スコアの特性を丹念に抽出するティーレマン”

クリスティアン・ティーレマン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

 ザルツブルグ・バッハ合唱団、ザルツブルグ祝祭劇場児童合唱団

 アニヤ・ハルテロス(トスカ)、アレクサンドルス・アントネンコ(カヴァラドッシ)

 リュドヴィク・テジエ(スカルピア)

演出:ミヒャエル・シュトゥルミンガー   (収録:2018年)

 ザルツブルグ・イースター音楽祭で、13年以降ラトルとベルリン・フィルからピット・オケの座を奪い取ったティーレマン。ほぼドイツ音楽しか指揮しないイメージだが、この音楽祭ではずっとイタリア・オペラに挑戦している。ただ、《オテロ》《道化師》《カヴァレリア・ルスティカーナ》《アイーダ》と、どうも私にはピンと来ないのだが、回を重ねて柔軟になってきたのか、あるいは作品との相性か、当盤はなかなか優れた演奏。

 オケの艶っぽい音色は随所に聴かれ、弦のカンタービレにはポルタメントも盛り込まれるが、全体に細部の丹念な処理を優先した演奏。和声が前に出る感じがあり、このスコアは意外に半音階進行が多いという発見もある。ディティールのニュアンスが豊かで、オーケストレーションの巧みさもよく出ている印象。

 各幕のクライマックスなどトゥッティでクレッシェンドするような箇所は壮大に盛り上げ、迫り来るような凄みがあって独特。全体に重心が低く、打楽器を激烈に打ち込ませて骨太な力感も示すが、鈍重ではなく、リズムの鋭さも十分。拷問の場面でテンポを煽らないのは非イタリア流。“星は光りぬ”の後も拍手待ちの間を挟まず、音楽の流れを優先する。

 これも非イタリア系の主要キャストは、ベルカントで朗々と歌い上げないのがユニーク。ラトヴィアの中堅アントネンコは、歌い出しからまろやかな声質とソフトな発声で耳を惹く。容姿はややいかついが、丁寧な歌唱。ハルテロスも安定した歌いぶりで、アリアや重唱でも拡散型の華麗な表現を採らず、弱音主体で凝集力の高い表現を行っているのが新鮮。

 テジエは歌唱こそ正攻法だが、演技のセンスが抜群で、目線や手の動きだけでどれほどの事が表現できるかよく知っている様子。この役には不利とも思える小柄な体躯を、演技力でカバーした格好。羊飼いの少年は、大抵どの公演でも歌唱が不安定なものだが、当盤は聴いていてヒヤヒヤするほど。ただ、カーテンコールでは彼にも喝采が来ているので、現場で聴くのとまた違うのかもしれない。

 演出は現代への移し替えで、前衛的でないのは良いものの、余計な読み替えが面倒臭い。冒頭、地下駐車場での銃撃戦から始まるのは蛇足だし、寄宿舎の子供達がカヴァラドッシの銃殺に駆り出されるのも、背後に頭でっかちなメッセージ性を感じさせて鬱陶しい。最後に重傷のスカルピアが現れ、トスカと銃撃で相打ちになるのも、トスカの歌詞を考えれば「まあ、それもありかな」と思うが、賛辞を贈るほどのアイデアではない。

 傾向としてはラトル盤の演出と同じコンセプトで、いずれも一長一短ありという感じ。スーツ姿のスカルピアは企業のCEOにもギャングのボスにも見えるが、部下がみな黒スーツにサングラス、冒頭にアンジェロッティへの銃撃があるので、どちらかといえば後者なのだろう。トスカもサングラスに現代ファッションで登場するが、聖堂に入ってくるなりカヴァラドッシに見向きもせず、先客の痕跡を嗅ぎ回るのは、極端に嫉妬深い性格を表現していて面白い。

 2/23 追加!

“およそ理想的な指揮と魅力的なオーケストラ。歌唱陣と演出も充実”

リッカルド・シャイー指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

 アンナ・ネトレプコ (トスカ)、フランチェスコ・メーリ (カヴァラドッシ)

 ルカ・サルシ (スカルピア)

演出:ダヴィデ・リーヴェルモル  (収録:2019年)

 スカラ座新シーズンの幕開け公演で、マッタレッラ大統領臨席の元、冒頭にイタリア国家を演奏。シャイーの同曲はネーデルラント・オペラの映像もあるが、今回は彼らしく、1900年ミラノ初稿版を上演。全体に現行版とほぼ変わらないものの、聴き慣れない流れもあり、エンディングは“星は光りぬ”の旋律がもっと長く演奏されて全然違うヴァージョン。

 演奏はコンセルトヘボウ盤よりも燃焼度が高く、極端に煽る事はないものの、大きくえぐるようなルバートや、ぐっと腰を落として音楽を掘り下げる箇所もある。恰幅の良い造型ながら、シャープなエッジや機敏なフットワークを失わず、粘性のある歌い回しで各パートを艶美に歌わせているのも素晴らしい。オケがとにかく巧く、音色がすこぶる魅力的。奇を衒った所はないが、ほぼ完璧と言いたい理想的な演奏。

 ネトレプコは、ロシアというよりラテン系みたいなエキゾチックなルックスで、歌唱も押し出しが強く肉食系。トスカは感情の起伏が烈しいだけで、本来は清らかな女性のキャラクターらしいので、その意味では役にふさわしいかどうかは分からないが、迫力のあるパフォーマンスではある。相手役のメーリはその点、華やかさはないが、丁寧で美麗な歌唱。ただ、発声にはやや癖がある。

 サルシは、見た目はいかがわしい悪党みたいだが、歌唱や演技は立派。殺される芝居があまりに生々しく、見ていて恐ろしくなるほど。ネトレプコもそれに感化されたのか、狂気に駆られたような迫真の演技をしている。この3人は2年後、同じ指揮者、演出家と《マクベス》で再びスカラ座のシーズン開幕を飾っているが、ネトレプコはウクライナ問題のせいで、恐らくそれが最後の出演となっている。

 演出は、現代版のゼフィレッリといった所。格調が高く、荘厳な美術や衣裳が素晴らしいが、時代設定は現代に移されている。要は、ドラマを現代に移したとしても、ローマという背景には当時の建物や風俗があちこちに残っているという事である。それが演出の意図なのだとしたら、なかなかしたたかなアイデアである。エキストラの効果もゼフィレッリ譲りで、舞台上方の空間を活用したセットもスケール感がある。

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