ヴェルディ/歌劇《ドン・カルロ》

概観

 ヴェルディの最高傑作と称される後期のオペラ。個人的にも、最も好きなオペラ作品の一つである。音楽的充実度がほとんど神がかり的で、ヴェルディとしてもこれほどの作品は他にないのではないか。とにかく音楽が素晴らしく、旋律には単なる美しさを越えた魔力のようなものが宿っていて、ほぼ全編が聴き所。

 シャイーがDVDの特典映像で言うには、あらゆるフレーズが他に類を見ないほど短く、それが発展せずに次々移ってゆくとの事。私はそこまでとは思わないが、次から次へ魅力的なフレーズが新しく飛び出してくる点で、確かに既存の様式的なオペラと一線を画している。

 ドラマも充実しており、カルロとエリザベッタの許されぬ恋、カルロとロドリーゴの友情、王の深い孤独と人間的弱さ、エボリ公女の嫉妬と復讐など、様々なテーマが渾然一体となり、物悲しくも壮大なドラマへと発展してゆく。登場人物の誰もが一方通行の満たされぬ想いを抱えていて、どれも解決されぬままドラマが別の次元へと移行してしまうので、私などは本作を聴く度に胸を締め付けられる。

 王とロドリーゴのシェーナは平和に関する考え方の対立、王と大審問官のシェーナは政治と宗教の対立を描いていて、オペラとしては異色の場面展開になっているのが凄い。特に後者は、王という立場の孤独と非人間性をあぶりだす、異様な緊張感に支配された出色の名場面。宮中にやっと自分の理解者を探し求めたという王に、審問官は「自分と並びうる者がいるのなら、そなたはなぜ王冠を頂いておるのだ」と言い放つ。思わずこちらまで「おおっ」とのけぞってしまうほど凄まじいやり取りだ。

 エディションの問題が非常に複雑な作品で、指揮者によって選択する版が違うので注意が必要。まず、全5幕のフランス語によるパリ初演オリジナル版があり、それがイタリア語に訳されたナポリ版(ヴェルディ自身は満足していなかったという)があり、今日最もよく演奏される全4幕イタリア語のミラノ版があり、最後にイタリア語のまま全5幕に戻されたモデナ版がある。実際の上演でナポリ版はまずお目にかからないが、後は結構バラバラで、内容を独自に取捨選択する指揮者もいるのでややこしい。

 まずは細かい差異を無視して、4幕か5幕かという大きな括りに着目しよう。5幕版には、フォンテーヌブローの森におけるカルロとエリザベッタの出会いを描いた第1幕がある。この場面はストーリー上、絶対に必要だと私は思うのだが、音楽的には冒頭がインパクトに欠ける上、長尺になるのが難点。

 タイトにまとまった4幕版は、ホルンで始まる前奏が印象的だし、エンディングをはじめ各部の音楽もかなり変更されている。ただ、ヴェルディはモデナ版を作る時に細かく改訂を施しているので、ハイティンクのようにモデナが決定版とする考え方にも説得力がある。メトは独自の折衷版だが、モデナに準じる。

*紹介ディスク一覧  *配役は順にカルロ、エリザベッタ、フィリッポ二世、ロドリーゴ、エボリ公女、大審問官

[CD]

70年 ジュリーニ/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団   

      ドミンゴ、カバリエ、ライモンディ、ミルンズ、ヴァーレット、フォイアーニ

78年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      カレーラス、フレーニ、ギャウロフ、カップチッリ、バルツァ、ライモンディ

84年 アバド/ミラノ・スカラ座管弦楽団

      ドミンゴ、リッチャレッリ、ライモンディ、ヌッチ、テッラーニ、ギャウロフ

96年 ハイティンク/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団

      マージソン、ゴルチャコーワ、スカンディウッツィ、ホロストフスキー

      ボロディナ、ロイド

[DVD]

83年 レヴァイン/メトロポリタン歌劇場管弦楽団

      ドミンゴ、フレーニ、ギャウロフ、キリコ、バンブリー、フルラネット

6年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 

      カレーラス、ダミーコ、フルラネット、カップチッリ、バルツァ、サルミネン

92年 ムーティ/ミラノ・スカラ座管弦楽団

      パヴァロッティ、デッシー、レイミー、コーニ、ディンティーノ、アニシモフ

96年 パッパーノ/パリ管弦楽団

      アラーニャ、マッティラ、ダム、ハンプソン、マイヤー、ハーフヴァーソン

04年 シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

      ヴィラゾン、ルークロフト、ロイド、クロフト、ウルマーナ、リュハネン

04年 ビリー/ウィーン国立歌劇場管弦楽団

      ヴァルガス、タマール、マイルズ、スコウフス、ミヒャエル、ヤン

08年 ガッティ/ミラノ・スカラ座管弦楽団  

      ニール、チェドリンス、フルラネット、イェニス、ツァジック、コチュルガ

13年 ノセダ/トリノ王立歌劇場管弦楽団   

      ヴァルガス、カスヤン、アブドラザコフ、テジエ、バルチェローナ、スポッティ

13年 パッパーノ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団   

      カウフマン、ハルテロス、サルミネン、ハンプソン、セメンチャク、ハーフヴァーソン

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[CD]

“名歌手の競演。指揮はスロー・テンポで優美なタッチ”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団

 アンブロジアン・オペラ合唱団

 プラシド・ドミンゴ(カルロ)、モンセラート・カバリエ(エリザベッタ)

 ルッジェロ・ライモンディ(フィリッポ二世)、シェリル・ミルンズ(ロドリーゴ)

 シャーリー・ヴァーレット(エボリ公女)、ジョヴァンニ・フォイアーニ(大審問官)

(録音:1970年  レーベル:EMIクラシックス)

 ジュリーニ唯一の録音。ドミンゴは同じ役を後年のアバド盤、レヴァイン/メトの映像ソフトでも歌っている。大審問官のライモンディもカラヤン盤と共通キャスト。意外にも5幕版での録音だが、ロイヤル・オペラはハイティンク盤でもモデナ版を採択しているので、その伝統があるのかもしれない。

 演奏はオケ、歌手共にジュリーニの意志が徹底したような趣で、遅めのテンポで優しいタッチを貫徹。リズムの切れなどは悪くないが、アクセントも鋭く叩き付けるより、そっと置きにいく感じ。カルロとロドリーゴの二重唱や、第3幕冒頭のスケルツォ的な場面も随分とスローなテンポで、あらゆる音を丁寧に慰撫するような独特の表現。

 これが、火刑の場面など音楽的にも大規模な箇所では、力強い牽引力と緊迫感にやや不足する印象に繋がるが、さすがに最後の所では音楽を煽って盛り上げている。旋律線もよく歌うが、全体としては後年のジュリーニを彷彿させる、流麗でノーブルな性格。こう言っては失礼だが、感情的な表現を嫌い、純音楽的な解釈を持ち味とするジュリーニの資質は、オペラ、特にイタリア物には向かないようにも思う。

 ドミンゴは、細身のヒステリックな声も出せる歌手だが、ここでは甘く艶やかな美声で、感情表現も豊か。カバリエも柔らかく豊麗な声質なので、相性も抜群。逆に、美声を聴かせる事もあるミルンズが、ここではややクールな、乾いた歌唱で好対照を成している。そのため、カルロとエリザベッタの息詰るようなやり取りや、終幕のエリザベッタのアリアなど、力強さが欲しい箇所ではややリリカルに傾きすぎるきらいもある。

 ライモンディのフィリッポはなかなか聴く機会がないので稀少。オーソドックスな路線だが手堅い歌唱。エボリは例によって、癖の強い声質の歌手をキャスティング。長いオペラなのでアクセントが必要なのだろうか、ここではヴァーレットが特有の声で異彩を放つが、そう言えばレヴァイン/メトの映像でも、この役はグレイス・バンブリーが歌っていた。修道士を若き日のサイモン・エステスが歌っている点も注目。

“オケも歌唱も徹底してカラヤン流の表現。豪華歌手陣の華麗なパフォーマンスに脱帽”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団

 ホセ・カレーラス(カルロ)、ミレッラ・フレーニ(エリザベッタ)

 ニコライ・ギャウロフ(フィリッポ二世)、ピエロ・カップチッリ(ロドリーゴ)

 アグネス・バルツァ(エボリ公女)、ルッジェロ・ライモンディ(大審問官)

(録音:1978年  レーベル:EMIクラシックス)

 4幕イタリア語版使用で、正にカラヤン印のゴージャス盤。カレーラス、カップチッリ、バルツァは8年後のザルツブルグ音楽祭ライヴ映像にも参加している。当盤はセッション録音だけあって、それ以外のキャストにもスターを揃えている他、修道士にホセ・ファン・ダム、テバルドにエディタ・グルベローヴァ、天の声にバーバラ・ヘンドリックスという、今から見れば目も眩むような豪華キャスト。

 演奏はカラヤンの意思が隅々まで徹底したもので、どこを取ってもこのオケ特有の響きに染上げられているのが一番の特徴。事態が急変するような局面では、必ずと言っていいほどティンパニの強打が打ち込まれ、あざといまでのドラマティックな強調が聴かれる。終幕コーダの鬼気迫るような迫力など、オペラにはこれくらいの芝居っ気が必要なのかと思わせる強い説得力がある。群衆シーンでも物凄いサウンドが響き渡るが、全体にリズムの腰が重く、仰々しいのは好みを分つ所。

 このスタイルは歌手にまで徹底されていて、イントロから物々しい大仰さで驚かされる《ヴェールの歌》(そういうナンバーは他にもある)なども、自由なルバートを盛り込んで多彩な変化に富む。カルロとロドリーゴの友情の二重唱も、通常は行進曲のように勇壮に歌われる事が多いが、当盤ではレガート気味の流麗なフレージングでテンポも即興的に変動させ、金管を強調した壮絶なオケが全体を隈取る。

 歌唱陣は全く申し分のない仕上がり。やや時代がかったカラヤン流が徹底しているとはいえ、オペラの魅力を堪能できる素晴らしい声の饗宴である。カップチッリだけはややこもった声質ながら、時に激しいがなり声を盛り込むなど演技面も充実。王や大審問官など大物達や、前述の映像でも圧倒的なパフォーマンスを見せるバルツァの底力など、文句の付けようがない。ただただ凄い。出来る事なら、この顔ぶれで上演して映像収録して欲しかった。

フランス語5幕版を用い、資料的価値を追求しながらも、圧倒的名演を展開するアバド

クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

 プラシド・ドミンゴ(カルロ)、カティア・リッチャレッリ(エリザベッタ)

 ルッジェロ・ライモンディ(フィリッポ二世)、レオ・ヌッチ(ロドリーゴ)

 ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ(エボリ公女)、ニコライ・ギャウロフ(大審問官)

(録音:1983/84年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 充実した配役と録音の良さで定評があるヴェルディ・シリーズの一枚。アバドは60年代末にこの曲を集中的に上演しており、ルキノ・ヴィスコンティ演出によるコヴェントガーデン上演、ジャン=ピエール・ポネル演出のスカラ座上演でミラノ版を用いた他、77/78年のスカラ座ではルカ・ロンコーニ演出でモデナ版を元にした改訂版を上演している。

 この4枚組は、そんなアバドの決定版。歌詞にはフランス語を用いながらモデナ版を採用し、補完として最後のディスクに、カットした前奏曲と導入の合唱、第3幕の導入部と合唱、王妃のバレエ、第4幕の情景(エボリ、エリザベート)と長尺版のフィナーレ、第5幕の長尺版フィナーレ(これら全部で46分!)を収録。さらに最高の歌手を揃えた上、テバルドにアン・マレー、天の声にアリーン・オジェーと、脇にまで贅沢なキャストを配置。

 複雑な版の問題をはじめ解説(高崎保男)も丁寧で、長らく日本盤が入手不可能なのは残念至極という他ない。資料的価値のみならず、演奏もイタリア・オペラの悦楽を満喫させてくれる名演。輝かしい響きと艶やかなカンタービレ、オペラティックな興趣、鋭敏なレスポンス、緻密なディティール、生き生きとしたドラマ造形と、惚れ惚れとするほど見事な指揮ぶり。若い頃のアバドに顕著だったストレートなダイナミズムと、後年の美質である優美なタッチがバランスよく同居している。

 ロドリーゴとカルロの友情のテーマは、堂々たる趣を保ちながらもレガート気味のフレージングで柔和な表情を加味し、第2幕冒頭のシェーナでは敏感なリズムで音楽を躍動させながら細かい強弱を設定、木管群を緻密に彫琢するなど、高度な表現を随所に展開。第3幕のフィナーレ、フランドル使節団の合唱に独唱が加わって盛り上がる辺りも、感興の豊かさが至福の時間を作り出す。それでいて、演奏全体が極めて精緻にコントロールされている所もアバドらしい。

 ドミンゴ、リッチャレッリ、ライモンディ、ヌッチという、歌唱陣のアンサンブルは鉄壁。特にドミンゴの声質がカルロのイメージに合っているのと、リッチャレッリの美しい歌唱は絶品。アレンベルク伯爵夫人に歌うアリアでは、比類なきデリカシーの世界に圧倒される。全体に、歌手の表現もピアニッシモを基調に設計されていて、吐息のような弱音にはっとさせられる場面が多い。

 テッラーニは現代最高のロッシーニ歌手として好評を博し、この頃には《アイーダ》のアムネリスなども歌っていたとの事。《ヴェールの歌》における、緩急のコントラストを明瞭に付けた軽快な歌唱は、ロッシーニ歌手としての美点が生かされた好例か。フィリッポ二世を当たり役に持つ名歌手ギャウロフが大審問官を歌うのは珍しいそう。唯一残念なのは合唱で、残響過多な録音のせいか、もやの向こうで歌っているように遠く不明瞭な音像。細かい表情がほとんど聴き取れない。

ロシア系の歌手をメインにユニークなキャスティングが目を惹くも、指揮の鈍重さに不満多し

ベルナルト・ハイティンク指揮 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団・合唱団

 リチャード・マージソン(カルロ)、ガリーナ・ゴルチャコーワ(エリザベッタ)

 ロベルト・スカンディウッツィ(フィリッポ二世)、ディミトリ・ホロストフスキー(ロドリーゴ)

 オリガ・ボロディナ(エボリ公女)、ロバート・ロイド(大審問官)

(録音:1996年  レーベル:フィリップス

 モデナ版による初のレコーディングとの事。ハイティンクは平素あまりヴェルディを取り上げないようだが、こういったこだわりを見せるのは面白い所。当盤のもう一つの特色は、ゴルチャコーワ、ボロディナ、ホロストフスキーと、キーロフ歌劇場の人気歌手達がメインどころに起用されている事。又、修道士にイルデブランド・ダルカンジェロ、天の声にシルヴィア・マクネアーという豪華な配役も、セッション収録ならではの楽しさ。

 ハイティンクの棒の特徴として、テンポが遅い上に、その速度を緩める事はあっても、加速で音楽を煽る事をほとんどしない点が挙げられる。それが良くも悪くも温厚で落ち着いた印象を与える訳だが、時に鈍重に感じられる事も否めない。特にオペラでは音楽がドラマに寄り添っているだけに、弱点として顕著に表れてしまう。後半はやや持ち直すものの、やはり緊迫した場面が続くと、間延びした調子に不満が残る。

 旋律線も、弦を中心に豊かに歌わせているものの、ヴェルディ演奏としては血の気の薄い、パッションと活力を欠く表現と言わざるを得ないだろう。例えば第2幕第2場冒頭のスケルツォ風の楽想など、あまりに足取りが重く、軽妙さに欠けるし、オケの音色が暗くくぐもっている上に、アインザッツが不揃いで切れも悪いため下手くそに聴こえてしまうのは問題。

 録音も、ホールトーンをふんだんに取り入れるのはいいが、細部が不明瞭で、合唱を伴うトゥッティともなると、響きが飽和してしまって美しくない。木管の動きなども、マスの響きに埋没する傾向あり(当盤の録音会場、ウォルサムストウのアセンブリー・ホールは、どのレーベルがどのオケを録音してもこういうサウンドになるので、私は好まない)。

 マージソンは大健闘。声が艶やかで表現力も豊か、《カルメン》のホセなど主役を張る事が多いのは実力の表れだろう。ゴルチャコーワも、イタリア・オペラを得意にしているだけあって堂々たる歌唱。声も美しい。 キーロフ出身者でいうと、ボロディナも好演。聴かせ所の“ヴェールの歌”では、品格を保った素晴らしい歌唱を聴かせる。

 同じくキーロフ勢のホロストフスキーは、生の舞台で聴いた時も感じたが、筋肉質で線的に鋭い、いわば辛口の声質なので、二重唱、三重唱では一緒に歌う歌手にかなり相性の良し悪しがある。マージソンもゴルチャコーワも柔らかめの声なので、ハモった時の和声感などどうかと思っていたが、録音で聴く限りはうまく行っているようである。

 スカンディウッツィはイタリア的な艶のあるしなやかな美声が印象的で、アクの強い性格ではなく、品の良いスタイル。当盤の雰囲気には合っている。ロイドはフィリッポを歌う事もあるベテランだが、こちらも抑制された表現で、フィリッポとの対決場面もいわゆる火花が散るというような、スリリングなやり取りにはしていない。天の声を担当したマクネアーの清澄な美声が、短いパートながら非常に強い印象を残す。

[DVD]

レヴァインの卓越した棒さばきに圧倒されるメト・ライヴ。演出は無難ながら、歌唱陣が充実

ジェイムズ・レヴァイン指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団

 プラシド・ドミンゴ(カルロ)、ミレッラ・フレーニ(エリザベッタ)

 ニコライ・ギャウロフ(フィリッポ二世)、ルイ・キリコ(ロドリーゴ)

 グレイス・バンブリー(エボリ公女)、フェルッチョ・フルラネット(大審問官)

演出:ジョン・デクスター   (収録:1983年)

 メトは独自のイタリア語5幕版を作っていて、これはモデナ版とも少し違っている。基本的にノーカットだが、冒頭もモデナ版の狩人の合唱ではなく、民衆による長い合唱ナンバーを挿入。これにより、民衆の懇願を受けてエリザベッタが王の求婚に応じる経緯に説得力が増す。メトでは後に新演出が出たが、11年の来日公演ではこのデクスターのプロダクションが採用されていた。

 若きレヴァインの指揮ぶりが素晴らしい。合唱を伴う大規模なシーンでの明晰を極めた音楽作りは特筆もので、彼が70年代のマーラー録音で示した、複雑なスコアを腑分けして分かりやすく再構築する能力が遺憾なく発揮されている。フランドルの使節団と王のやりとりにおいても、フレーズごとに細かく変化するテンポを、精確かつ強靭なリズムを基軸に完璧にコントロールし、他の演奏では聴けないほど明快な音楽展開を聴かせてくれる。

 テンポは全篇ほとんど快速調といっていいが、決して性急な感じはなく、劇的な感情の盛り上がりと流れのスムーズさが印象的。強弱のコントラストが明確で、総じてアクセントに勢いがある上、スタッカートの切れが無類に鋭く、それが音楽に生き生きとした活力と躍動感を与えている。オケも、弦のみずみずしいカンタービレや管楽器の卓越したリズム感など好演。左右チャンネルのセパレート感が強く、細部まで見通しの良い録音も好印象。

 ドミンゴは数年後にアバドと当曲をセッション録音しているが、ここでのパフォーマンスもお見事。さすがは演技派というべきか、フレーズごとのニュアンスの豊富さは他盤と較べても頭一つ抜きん出ている。表情や所作による表現も実に上手いので、映像としても見応えあり。フレーニとギャウロフはカラヤン盤(CD)のキャストそのまま。二人ともこの役を最も得意にしている歌手で、文句の付けようのない立派な歌唱を展開している。

 バンブリーは、この役の伝統として眼帯をして登場(モデルとなった実在の人物に倣った慣習だそう)。《ヴェールの歌》では独特の声質と歌唱スタイルが気になるが、パワフルな歌唱には人を惹き付ける魅力があり、大いに客席を湧かせている。フルラネットは王フィリッポも歌う実力派だが、ギャウロフと対峙するとやや声が軽く感じられる。テバルド役にボーイソプラノ風の発声と容姿を持つ歌手を配しているのは、メトらしい層の厚さを感じさせてユニーク。

 演出は奇を衒わず、視覚的に分かりやすいゴージャスさを追求。フォンテーヌブローの森や火刑の場など、絵画的なセンスも優れているが、この方向で勝負するとゼフィレッリにはかなわない。上記来日公演を観た人は、ラストでカルロが柵の中(欧米の古いエレベーターみたい)へ入っていったのを確認したと思うが、ブライアン・ラージの映像演出は王や王妃のアップばかりで、何が起っているのか全然分からない。ラージの映像編集に不満を言う人が多いのは、こういう所に由来するのだろう。

“カラヤン流が徹底したザルツブルグ音楽祭ライヴ。歌手陣のパフォーマンスも見事”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ソフィア国立歌劇場合唱団、ウィーン国立歌劇場合唱団、ザルツブルグ・コンサート合唱団

 ホセ・カレーラス(カルロ)、フィアンマ・イッツォ・ダミーコ(エリザベッタ)

 フェルッチョ・フルラネット(フィリッポ二世)、ピエロ・カップチッリ(ロドリーゴ)

 アグネス・バルツァ(エボリ公女)、マッティ・サルミネン(大審問官)

演出:ヘルベルト・フォン・カラヤン  (収録:1986年)

 ザルツブルグ音楽祭でのライヴ収録で、8年前録音の音源からはカレーラス、カップチッリ、バルツァが再び登板。祝祭劇場でベルリン・フィルを聴くのは珍しい感じだが、実際に流れてくる音はもうこのオケそのもの(何せギュンター・ヘルマンスが録音を担当しているし)。

 カラヤンの指揮も、遅めのテンポで重厚に造形しながら、オケの華麗な響きを心行くまで生かしたもので、ソステヌートの流麗なフレージングも随所に効果を発揮。硬質なティンパニの打撃が打ち込まれ、凄絶なブラスの咆哮が響き渡ると、まさにこのコンビの世界が現出する。ヴェルディの作品には、こういうやや大袈裟なアプローチも合うと思うが、アリアのリピート部分を始め、スコアのカットが多いのは問題。

 歌手陣は、アップの映像が多いせいか、かなり表情の豊かな演劇的パフォーマンス。フレーズをセリフのように叫ばせている箇所も多く、大審問官に「他に言いたい事は?」と問われた王が、間髪入れず「ノー!」と吐き捨てるなど、独特の表現も聴かれる。

 カレーラスは、王子らしいスマートなマスクと美声で存在感抜群。イタリアの実力派達もさすがのパフォーマンスを繰り広げる中、フルラネットが演技面も含めて卓越したセンスで群を抜く印象。カップチッリもイタリア・オペラの伝統を体現するような貴族的風貌でムード満点、これでダミーコに今一つ強い個性と表現力があればと思うのは私だけか(ミレッラ・フレーニの代役だったそう)。

 それというのも、バルツァが凄まじいのである。最初は独特の発声が気になるが、“呪いの三重唱”におけるパワフルな歌唱で客席を圧倒した後、“宿命的な贈り物”の絶唱に至っては主役陣を食わんばかり。最後の一音を歌い終え、床に崩れ落ちるやいなや、オケが演奏している内にも嵐のようなブラヴォーが飛んでくる。他では、サルミネンも実力者らしい立派な歌唱。高齢で盲目の老人としてよたよた登場する演出も多い中、かくしゃくとした人物像で他と一線を画す。

 カラヤン自身による演出はゼ伝統的スタイルで、舞台装置もお気に入りのギュンター・シュナイダー=ジームセンによる。光と影のコントラストを強調したほの暗い舞台は、読み替え全盛の無法地帯たる現在のオペラ上演を見慣れた目にことさら美しく、ノスタルジックに映る。火刑の場面で煙が激しく明滅し、女声の甲高い悲鳴が上がるのも、本職の演出家にはあまりない映画的な発想という感じ。ただ映像演出は、歌手の表情をクローズアップで追い、感情の変化をカットの切り返しで表現するなど、センスが古臭い。

“歌手には注文が付くものの、絵画のように美しい演出と格調高くドラマティックな演奏に脱帽”

リッカルド・ムーティ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

 ルチアーノ・パヴァロッティ(カルロ)、ダニエラ・デッシー(エリザベッタ)

 サミュエル・レイミー(フィリッポ二世)、パオロ・コーニ(ロドリーゴ)

 ルチアーナ・ディンティーノ(エボリ公女)、アレクサンドル・アニシモフ(大審問官)

演出:フランコ・ゼフィレッリ  (収録:1992年)

 イタリア語4幕版で、スカラ座のライヴ収録。オケのサウンドは乾燥しすぎず、聴きやすい音質に収録されている。なぜか酷評する人も多いので好みを分つ面はあるのだろうが、私としては、4幕版ではトップクラスに推したいソフト。

 かつてはムーティのヴェルディというと、頑固なまでのイン・テンポと、歌手に伝統的装飾音を禁じたストイックなスタイル(リゴリズムと呼ばれた)が特徴だったが、当盤は必ずしも禁欲的ではなく、適度な緊張感の中でテンポも微妙に動かして熱いドラマを繰り広げている。映像は、各幕ごとにピットの指揮者を真正面から捉え、第1幕第2場の冒頭など、80年代のムーティを彷彿させる激しい指揮ぶりも嬉しい。

 ムーティのお気に入りが揃った歌手陣は、声質が明るくて丸々と大きな体躯のパヴァロッティが、どうにも悩めるカルロ王子に見えないのが難点。初日ではミスも連発してブーイングが飛んだとの事だが、映像では不調の様子はなく、さすがのパフォーマンス。コーニとディンティーノも、ルックス的にどうも役柄とイメージが違う感じがしてしまうが、歌唱は立派で、オペラにそこまで視覚性を追求するのは高望みなのだろう。

 素晴らしいのがフィリッポと王妃。ムーティの信望厚いデッシーは、うっすらと哀しみを帯びた美貌が役にふさわしいし、人間味豊かな役作りに定評のあるレイミーも、王の人間的弱さを見事に掘り下げていて共感を呼ぶ。デッシーは公演期間中の出来不出来が激しかったそうで、急遽降板した日もあったと聞くが、映像には素晴らしいパフォーマンスが記録されている。他では、アニシモフが不気味な存在感で舞台と客席を圧倒。

 演出は、正に決定版としたいほどの素晴らしさ。例によって王道のアプローチだが、単に分かりやすいだけでなく、全ての場面が絵画のように美しい。セット美術や衣装のディティールが凝りに凝っていて、思わずため息が出るほどである。火刑の場面では、様々な立場の人々が多種多様かつリアルな衣装をまとって次から次へと登場。全編中の白眉となっている。唯一、編集のせいでラストの場面処理が分かりにくいのは難点。

“視覚的に際立った歌唱陣と演出に感銘を受ける反面、オリジナル版の音楽には問題も”

アントニオ・パッパーノ指揮 パリ管弦楽団

 シャトレ座合唱団

 ロベルト・アラーニャ(カルロ)、カリタ・マッティラ(エリザベッタ)

 ホセ・ファン・ダム(フィリッポ二世)、トーマス・ハンプソン(ロドリーゴ)

 ヴァルトラウト・マイヤー(エボリ公女)、エリック・ハーフヴァーソン(大審問官)

演出:リュック・ボンディ   (収録:1996年)

 フランス語5幕オリジナル版の珍しい映像で、シャトレ座でのライヴを収録したもの。EMIからCDも出ているが、キャスティングも適役が揃って視覚的に素晴らしい舞台なので、出来れば映像で観て欲しい。ただ、あくまで舞台上のドラマに集中させるコンセプトのようで、指揮者の登場や最初の拍手、客席の様子はカットされているし、ピットのオケも明瞭に映り込む事を避けている。ちなみにこのディスク、ロドリーゴ暗殺場面の銃声が凄まじい音量で、油断していると心臓に悪いので要注意。

 パッパーノとパリ管、目下唯一の共演盤。初演版による録音は珍しいが、単に5幕でフランス語というだけでなく細部があちこち違っていて、王とロドリーゴのシェーナなど、ほぼ丸ごと違う箇所もある(歌詞だけでなく、音楽そのものが違う)。又、ドラマティックに盛り上がる他の版と違って静かにエンディングを迎えるので、唐突な展開が消化されきらず、カタルシスを感じられない人も多いかもしれない。

 第3幕も前奏から違う音楽になっていて、カルロが登場する前に、王妃とエボリのやり取りと、エボリのモノローグが入る。これによって、エボリがなぜヴェールを被ってカルロの前へ現れたのかが分かり、その後の彼女の行動にも説得力が増す。又、追放か尼寺行きを言い渡されたエボリが再び王妃と顔を合わせる場面もあり、王宮に押し寄せる民衆はカルロを救うためにエボリが煽動したものと分かる。

 ロドリーゴの死の場面は、カルロの哀しみと怒り、王の後悔が伝わる劇的な展開(旋律は《レクイエム》の《ラクリモサ》に転用されたもの)。全体としてオリジナル版は物語の流れが自然で、他の版では唐突に感じられる様々な展開が分かりやすく動機付けされている一方、音楽的には幾分冗長という感じ。ヴェルディ自身がより良い仕上がりを求めて改訂した事もあり、やはり後年のナポリ版、モデナ版の方が濃密で、ドラマティックに感じられる。

 指揮は後年の円熟を思わせる箇所もあるが、オケや合唱のドライヴが徹底せず、両者のタイミングがズレる箇所も多い。特にトゥッティでリズムを強く打ち出すような場面では合奏の統率が甘く、さらにパリっとした表現が欲しくなる。もっとも、これはオケと合唱団が本質的にオペラに向いた団体ではないという事かも。旋律線の深い呼吸や鋭敏なリズム感、歌手達への見事な寄り添い方など、さすがオペラ指揮者という瞬間も数多く聴かれる。

 歌唱陣は素晴らしく、アラーニャ、マッティラ、ハンプソンと、正に美声の饗宴。この3人は和声感が敏感なのかピッチが正確なのか、とにかく旋律の美しさがヴィヴィッドに伝わってくる情感豊かな歌唱である。マッティラは、柔らかい声質と清潔な歌唱がフレーズの美しさをストレートに伝える。特筆したいのはハンプソンで、これほど豊麗な声で表情豊かに歌われたロドリーゴは稀かも。声の美しさもさる事ながら、芸達者と言ってもいいくらい豊富な表現が満載。

 アラーニャとハンプソンの若々しい風貌は際立っており、その友情の美しさに胸を打たれる。特にロドリーゴは人を得るのが難しい役で、聴かせどころのアリアが幾つかある上、二重唱、三重唱も多いし、王からもカルロからも信頼される人物なので、視覚的にも説得力のある風貌でなければならない。その点ハンプソンは理想的で、長身を生かした身のこなしに華があるし、凛々しい風貌も魅力的。

 マイヤーは見た目に存在感があり、声も美しいが、《ヴェールの歌》はヴィブラートがきつく音程もやや揺れる。オリジナル版のスコアがそうなのか、前半部の特徴的なトリル(装飾音?)はなし。中盤以降はやや持ち直し、《むごい運命よ》ではさすがの熱唱で客席を大きく湧かせている。ベテランのダムも、堅実ながら安定したパフォーマンス。

 映像で見て面白いのはボンディの演出で、何とか王妃の手紙を覗き込もうとするエボリを、ロドリーゴが牽制して気を逸らさせるという、ユーモラスなセンスもみられる。エボリが告白の後、自分の顔を引っ掻き、頬に血の跡を付けて歌うのも効果的。ロドリーゴ暗殺の場面で、カルロの白いシャツがロドリーゴの血に染まる所は、二人の関係と状況を視覚的にうまく表現している。

 5幕版にしかないフォンテーヌブローの森の場面は、白く降り積もった雪の中、真っ赤な衣装を着たカルロと王妃が出会うという、すこぶる美しい演出。又、暗い部屋の中で、扉の向こうから射す逆光を背にして椅子にうなだれる王の姿は、彼が背負った恐ろしい程の孤独を見事に表現している。

 残念なのは日本語字幕スーパー。フランス語の歌詞から訳しているせいか、他のディスクとは違うニュアンスに感じられる箇所も多いが、王がロドリーゴを「君」と呼ぶのはあり得ないし、王と大審問官、カルロと王の間にも、両者の社会的立場や関係性を考えるとかなり礼を失した言葉遣いに訳されていて違和感を覚える。フランス語版なので、カルロス、エリザベート、フィリップ、ロドリーグと、名前にも違いあり。

“シャイーとコンセルトヘボウ管の素晴らしさに比し、演出に不満が残る映像ディスク”

リッカルド・シャイー指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 ネーデルランド・オペラ合唱団

 ロランド・ヴィラゾン(カルロ)、アマンダ・ルークロフト(エリザベッタ)

 ロバート・ロイド(フィリッポ二世)、ドゥウェイン・クロフト(ロドリーゴ)

 ヴィオレッタ・ウルマーナ(エボリ公女)、ヤッコ・リュハネン(大審問官)

演出:ヴィリー・デッカー   (収録:2004年)

 ドイツの演出家、デッカーによるネーデルランド・オペラのプロダクションで、コンセルトヘボウ管がピットに入った公演。ヴェルディを得意とするシャイーだが、レコーディングが意外に少ない代わり、ライヴ公演や映画のディスクがたくさん出ているのは喜ばしい。

 一番は指揮の素晴らしさ。速めのテンポを基調に、引き締まった造形でぐいぐいとドラマを牽引するシャイーの棒は、イタリア歌劇の伝統のみならず、モダンさも感じさせる。躍動的でソフィスティケイトされたタッチはムーティやアバドにないもので、冒頭のホルンからして、張りつめた緊張感よりは朗々とした大らかさが勝る。火刑の場面でも、巧妙なテンポ設定と見事な合奏統率を聴かせる中、緻密なディティール処理と鋭敏なリズム感が光る。

 ただし繰り返し部を始めカットが随所にあり、原典主義のムーティらとスタンスを異にする。テンポの緩急はドラマティックに設計されていて、王と大審問官の場面なども山場に向けてかなりテンポを煽る(ここでは鋭敏な音色センスも発揮)。ドキュメンタリー映像でルークロフトが、シャイーは歌手にだけ都合の良い慣習的表現を全て取り除き、音楽的な流れを重視していると言っている。ヴィラゾンも、シャイーはテンポや拍の取り方にやたらと厳しく、勝手に音を伸ばすような事は許されなかったと言う。

 オケの深い響きが美しく、金管が激しく咆哮する場面でもしなやかな弦が全体を柔らかく包み込んでいるのと、ほのかに明るいその響きが、暗く閉塞的になりがちな本作に風通しの良さをもたらしていて爽やか。彼ら特有の響きが、アムステルダム音楽劇場でも保持されている事にも驚かされる。合唱が明瞭に収録されているのも好印象。残響が豊かなオケと違ってなぜかドライな音で収録されているせいもあるが、舞台裏で歌う小音量の箇所でもディティールまでクリアで、とても聴きやすい。

 ヴィラゾンは大変な熱演。いかにもラテン系な風貌、身振りの大きな身体表現とテンションの高い歌唱が持ち味。クロフト、ロイドも演出のコンセプトに合わせてよく動きながら、歌手としての個性も器用に出して好演。ウルマーナもパワフルな歌唱で存在感があるが、エボリはこういう肉食系の猛女みたいなじゃない方が個人的には好きである。ルークロフトも力強い歌唱スタイルで、会場では喝采を浴びているが、私にはヴィブラートが強く音程が不安定に聴こえた。

 演出の軸は、墓所の巨大な壁で舞台を狭く囲った、白一色のセット美術。この壁は移動して場面転換の任を担うが、基本的にはそれだけの仕掛け。時折上からキリストを思わせる巨大な足の彫像が降りてきたり、女官達が持つ赤い花が彩りを添えたりするが、登場人物の衣装を始め基本的に白で統一された、シンプルで抽象的な舞台である。

 巨大な壁が動くというと装置の騒音が心配だが、映像で観る限りは音を立てず静かに動いている様子。前衛的な演出ではないものの、スケールが小さくまとまるのは難点。又、カルロによる冒頭のモノローグで、フィリッポ王の幻影がカルロの周りをうろついたり、エボリと女官達の場面にカルロが闖入したり、本来その場にいない人物を登場させてパントマイムで心理的表現を視覚化するのもありがちなアイデア。

 歌手の身振りや表情が過剰なまでに大きいのも特徴で、いわば激情型のドラマ演出。どっしりと構えている筈の王でさえ、ロドリーゴが歌っている間、落ち着きなくイライラしたり、近付いて指を突きつけようとしたり、とにかくせわしく動き回る。「王が!」というテバルドの一言を王妃に歌わせるなど、スコアまで改変する箇所もある。ラストは、カルロの自決という現実的解釈で解決。

“あまりに冗長な超・初演版の4時間強。安っぽくて面倒臭い演出も疑問”

ベルトラン・ド・ビリー指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団・合唱団

 ラモン・ヴァルガス(カルロ)、イアノ・タマール(エリザベッタ)

 アラステア・マイルズ(フィリッポ二世)、ボー・スコウフス(ロドリーゴ)

 ナディア・ミヒャエル(エボリ公女)、サイモン・ヤン(大審問官)

演出:ペーター・コンヴィチニー   (収録:2004年)

 コンヴィチニーの演出が話題となった公演。ウィーン国立歌劇場における同曲の映像ソフトは、他に出ていないのではないかと思う。ビリーの指揮や、ヴァルガスやミヒャエル、スコウフスなど、若手実力派を揃えた座組は興味深いものの、わずらわしい演出のせいで音楽に集中できず残念。

 エディションはフランス語5幕版のオリジナルでは飽きたらず、初演前にヴェルディが(パリの聴衆を最終列車に間に合わせるため)切り詰めたカット箇所まで復活させた「超・初演版」なるもので、全編4時間強と恐ろしく長い。今まで耳にした事のない場面ややりとりが入ってくるのは興味深いものの、音楽全体としてはすこぶる冗長で、途中で飽きて鑑賞意欲が続かなくなった。改訂版が無性に恋しくなってくる。

 指揮はシャープかつ丁寧で、細部の表現も配慮が行き届いているが、強い個性は示さない傾向。オケの音色は美しく、第2幕冒頭のホルンの深い響きには耳を奪われる。問題は録音で、まず舞台上の足音が非常に近接した距離感で、重低音を伴って収録されているのはバランスが悪いし、オケの音が細部までキャッチされているにも関わらず、トゥッティがこもりがちで響きが飽和するのは残念。歌手とオケ、合唱のバランスもかなりちぐはぐで、鑑賞に支障がある。

 歌手は、ヴァルガスが抜群の安定感。舞台上でのオーラもある。タマールはルックス的にアクが強く、ポップな雰囲気でヴァルガスとは相性が良いものの、役としては陰の部分が吹き飛んでしまった印象。マイルズも歌唱はいいが、外見や芝居に迫力を欠く。スコウフスのモダンなルックスと演技力も見ものだが、音程が上ずる箇所もあって不調の様子。《サロメ》で注目されたミヒャエルも、視覚面は申し分ないものの、パワフルながらヴィブラートのきつい歌唱で、旋律線が明瞭に出ない憾みあり。

 演出は最悪。まず、歌手の動作にいちいち解釈を上乗せするのが面倒。第1幕は、エリザベッタとカルロがテバルドを邪険に扱ったり、王の申し出を受けたエリザベッタが後悔してカルロのもとに走り寄り、テバルドと群衆が二人を無理矢理引き離すなど大騒ぎ。そのテバルドは二人のキスを目撃して全てを悟り、王から婚約の申し出があった事を告げてその場に崩れ落ちる、エリザベッタとカルロは何かの間違いだと笑い飛ばすなど、万事この調子で忙しい事この上ない。エボリが殺されてしまうのも勝手な解釈。

 つまり、歌手の感情表現に台本にはない解釈を加えていて、それが一挙手一投足に及ぶ。次第に面倒臭くなってきて画面を見るのに疲れ、耳慣れない長い長い音楽に耳も疲れ、最後まで観る気力が失われそうになる。別に前衛的でも難解でもないが、いちいち独自のアイデアを次々投入し、とにかくどの場面も普通には済ませたくないという、演出家が主役みたいなうるさい舞台である。

 特に安っぽいのが、バレエと火刑の場面。前者は「エボリの夢」と題されたパントマイムで、カルロとの幸福な結婚生活(の幻想)を他の出演者も動員して演じさせるが、衣装もセットも現代のそれに置き換えられているのが陳腐で興ざめ。

 後者は、休憩中のロビーにアナウンサーとカメラマンが登場し、王族一行の入場を実況。オケが演奏を始め、一行は報道陣に付きまとわれながら客席から舞台へ入場し、火刑をテレビ中継する。我が国でも蜷川幸雄から地方の小劇団まで、演劇界で既に使い古された手法で、斬新でも何でもない。会場でも、音楽が一段落ついた所で早々にブーイングの嵐が起っている。

 アイデアというものは、誰も思い付かなかった斬新さ、ユニークさに価値があるものである。コンヴィチニーがやっている事は、誰でもまず最初に思い付く事ばかりだ。しかもこの「誰でも」とは、「演出家なら誰でも」ではなく、「アマチュアでも誰でも」という意味である。やる価値が無いから誰もやらないだけである。

“優れた公演内容でお薦めしたいソフトながら、字幕入り国内盤はなし”

ダニエレ・ガッティ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

 スチュアート・ニール(カルロ)、フィオレンツァ・チェドリンス(エリザベッタ)

 フェルッチョ・フルラネット(フィリッポ二世)、ダリボール・イェニス(ロドリーゴ)

 ドローラ・ツァジック(エボリ公女)、アナトーリ・コチュルガ(大審問官)

演出:ステファン・ブロンシュウェイグ  (収録:2008年)

 イタリア語4幕版。スカラ座のシーズン初日ライヴで、日本語字幕入りの国内盤は出ていない様子。ガッティがスカラ座を振った録音はこれが唯一。次期音楽監督にも目されていた人としては、記録が少なすぎる。スカラ座は、翌年の来日公演でもこのプロダクションを採用。4幕版だが、ロドリーゴの死の場面には、5幕版にある王の嘆きのアリア(レクイエムに転用された音楽)を挿入している。

 録音が優秀なせいもあるのか、響きが精緻に透き通り、細かなディティールが手に取るように聴こえる。オブリガートや合いの手の管楽器など、こんな音鳴っていたっけ?と他の演奏を確認したくなる箇所も多々ある。残響もドライになりすぎず、ある程度の潤いがあって美しいサウンド。

 ガッティの表現は、指揮ぶりを見ても分かる通り流麗なフレーズ作りを心掛けていて、音を優美に着地させる傾向が目立つ一方、感情が高まる場面やスペクタクルな山場では、アグレッシヴにテンポを煽って熱っぽく盛り上げる。繊細さと豪胆さを併せ持った、作品にふさわしい指揮。長丁場をタイトにまとめ、一気に聴かせる集中力の高さもあり、卓越した構成力とアゴーギクのセンスを如実に示す。

 これも録音の傾向なのか、歌手はみなアタックの柔らかい、まろやかな声質の歌手が集められた印象。ニールは直前に降板したジュゼッペ・フィリアノーティの代役だそうだが、豊かな声量と演技力でなかなかの好演。見た目こそ巨体がやや気になるものの、表現は繊細かつ多彩。

 この時期に人気を上げていたヴェルディ・ソプラノのチェドリンスとスロヴァキア出身のイェニスは、弱音部こそ安定しているが強音部に力みがあり、強いヴィブラートで音程が聞き取りにくくなるのが残念。声質自体は深みがあって美しく、同じ傾向のニールとも重唱のマッチングが良い。

 素晴らしいのはベテラン勢。何といってもフルラネットが容姿、演技、歌唱共に人間味に溢れて魅力的だし、声も深々として豊か。カラヤン盤でも群を抜く存在感だったが、22年後の本公演でも全く衰えを感じさせない。ツァジックも安定した歌唱力で会場を沸かせている。他ではベテランのコチュルガが好演。

 演出は基本的に奇を衒わず、シンプルなセットに好感が持てるが、主要人物の子供時代のドゥーブルを背後に登場させるのは既視感のあるアイデア。ただ、カルロが王に向けた剣を子供のロドリーゴが取り上げる所など、彼らが育んできた友情が背景に透けて見えて、何とも切ない気持ちになる。衣装などはゼフィレッリの系列に連なる伝統的なリアリズムで、無駄な振付もなく、安心して観られる。

“指揮、歌手、演出と三拍子揃った、4幕版では特にお薦めの一枚”

ジャナンドレア・ノセダ指揮 トリノ王立歌劇場管弦楽団・合唱団

 ラモン・ヴァルガス(カルロ)、スヴェトラーナ・カスヤン(エリザベッタ)

 イルダール・アブドラザコフ(フィリッポ二世)、ルドヴィク・テジエ(ロドリーゴ)

 ダニエラ・バルチェローナ(エボリ公女)、マルコ・スポッティ(大審問官)

演出:ウーゴ・デ・アーナ   (収録:2013年)

 ノセダとトリノ王立歌劇場の映像シリーズから。演奏も演出も良く、4幕版ではムーティ盤と並んで特にお薦めしたいソフト。唯一の難点は、マルチ・チャンネル音声も収録している関係か、ステレオ音声で左右のチャンネルに極端に定位が偏る場面が多々あること。ライヴ盤では時々ある事とはいえ、何とか調整できないものかと思う。ちなみにパッケージにはランニング・タイム210分とあるが、実際は30分ほど短い。

 指揮は素晴らしく、速めのテンポで各シーンをきりりと引き締めるのは、長丁場の大作に有効なアプローチ。第2幕第2場のスケルツォ風の開始や、第3幕後半の大規模なスペクタクルは勿論、王と大審問官のやりとりも畳み掛けるようなテンポで煽り、双方が相手のフレーズを食い気味に入ってくるのがスリリング。息詰るような迫力満点の掛け合いになっている。

 細部の処理も丹念で、精緻なアンサンブルを聴かせる一方、のびやかなカンタービレも魅力的。カルロとロドリーゴの友情の主題をレガートで滑らかに表現するなど、巧妙な棒さばきが冴え渡る。

 歌手も美声で安定したヴァルガス以下、独特なルックスながらまろやかな声質で好演しているカスヤン、これも美声で演技力もあるアブドラザコフ、相当な実力派とおぼしきバルチェローナと、概して好調。唯一テジエは、力みが目立ってくるとヴィブラート過剰に感じられるが、そういう歌手ばかりの公演もあるので、まだ良い方だろう。凄いのがスポッティ。猛禽類のような外見も恐ろしいが、全ての相手役を食ってしまいそうなパワフルな歌唱と演技に圧倒される。

 演出は奇を衒わず、リアリティと絵画的な美しさを追求したものだが、そのクオリティがここまで高いと思わず感動してしまう。ゼフィレッリ以降、伝統的なスタイルで成功している人は少ないので、この演出家には頑張って欲しい所。衣装やセット美術にも並々ならぬ迫真力があり、歌手に妙な振付を行わない点も好感が持てる。

“日本語字幕さえ入っていれば5幕版のトップに推したい、素晴らしい内容のソフト”

アントニオ・パッパーノ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 

 ウィーン国立歌劇場合唱団

 ヨナス・カウフマン(カルロ)、アニャ・ハルテロス(エリザベッタ)

 マッティ・サルミネン(フィリッポ二世)、トーマス・ハンプソン(ロドリーゴ)

 エカテリーナ・セメンチャク(エボリ公女)、エリック・ハーフヴァーソン(大審問官)

演出:ペーター・スタイン  (収録:2013年)

 ザルツブルグ音楽祭でのライヴ収録。例によってNHKが放送ネットに加わっているため、映像ソフトに日本語字幕が入っていない。パッパーノはウィーン・フィルもよく振っているが、正規録音はこれが唯一の様子。彼は96年にシャトレ座でフランス語5幕版を上演しているが、本公演は同じ5幕ながらイタリア語版。パッケージにはランニング・タイム280分とあるが、実際には45分ほど短い。日本語字幕がない事を除けば、5幕版では最も推したい素晴らしい内容。

 オケの美音を生かしつつ、ドラマの緩急や歌手の呼吸を熟知したパッパーノの采配が卓抜。歌手が即興的な間合いでたっぷりとフレーズを採る局面が多いように感じるが、指揮も自在にテンポを伸縮させて、歌手にぴたりと寄り添う。構成力も巧みで、4時間近くの長丁場でも飽きさせない辺り、母体のオケを振ったビリーの指揮とは雲泥の差。パッパーノとしてもパリ管との旧盤より、合奏の緊密さと音色美、豊かな歌心と余裕が増した印象。

 豪華な歌唱陣も聴き所。カウフマンとハルテロスは容姿、歌唱共に万全の出来で、若い世代の《ドン・カルロ》として盤石の布陣という印象。前者のスター性は言うまでもないが、演技力も俳優並みに持ち合わせ、火刑の場面でフランドルの使節団が歌っている間も、細かい仕草で心理描写を表したり、寄ってきたロドリーゴに何か呟いてみたり、とにかくアイデアが豊富。

 ハルテロスもエモーショナルな表現を持ち味としながら、声は精緻にコントロールされている所が凄い。他では名歌手サルミネンが見事。声質も音程も素晴らしいが、演劇的ながなり声なども歌唱に盛り込むのと、演技面の表現力があるのには脱帽である。

 これに較べるとハンプソンとセメンチャク、ハーフヴァーソンはやや分が悪いが、決してクオリティの低いパフォーマンスではなく、シャトレ座でも歌っていたハンプソンなど、容姿や演技も役に合っていてさすが。又、王や大審問官を歌う事もあるロバート・ロイドが、先王カルロ五世役で出演しているのも贅沢なキャスティング(可哀想に、顔にまで金粉メイクされている)。

 そんな中、脇役で大きく目を惹くのが、テバルドを歌うマリア・セレング。女優を思わせる美貌もよく目立つが、声も美しく安定している上、身軽で優美な身のこなしがまるでバレリーナのよう。「王が」という彼女の一声を、直前のエリザベッタの歌い終わりに被せるように飛び込ませているのは、指揮者の指示なのかユニークな解釈。

 演出は、シックで格調の高い美術と、巧緻なドラマ構築が見所。《ヴェールの歌》で女官達も群舞したり、火刑の場面では鐘の音に慌てて群衆が走り集まってくるなど、合唱団の扱いも上手い。バンダも舞台上で吹奏楽に演奏させる。この場面では、背後のスクリーンに広がる青空がだんだんと曇り、火刑に至って真っ暗な中に炎が燃え上がるなど、もの凄い視覚効果。

 エボリ、ロドリーゴ、カルロの三重唱では、提灯を使って幻想的な背景を作り上げている。歌手への芝居の付け方も細やかで、ドラマを分かりやすくする助けになっていて好印象。

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