ヴェルディ/歌劇《ドン・カルロ》

概観

 ヴェルディの最高傑作と称される後期のオペラ。個人的にも、最も好きなオペラ作品の一つです。音楽的充実度がほとんど神がかり的で、ヴェルディとしてもこれほどの作品は他にないのではないでしょうか。とにかく音楽が素晴らしく、旋律には単なる美しさを越えた魔力のようなものが宿っていて、ほぼ全編が聴き所。シャイーがDVDの特典映像で言うには、あらゆるフレーズが他に類を見ないほど短く、それが発展せずに次々移ってゆくとの事。私はそこまでとは思わないですが、次から次へ魅力的なフレーズが新しく飛び出してくる点で、確かに既存の様式的オペラと一線を画しています。

 ドラマも充実しており、カルロとエリザベッタの許されぬ恋、カルロとロドリーゴの友情、王の深い孤独と人間的弱さ、エボリ公女の嫉妬と復讐など、様々なテーマが渾然一体となり、物悲しくも壮大なドラマへと発展してゆきます。とにかく切ないオペラで、登場人物の誰もが一方通行の満たされぬ想いを抱えていて、どれも解決されぬままドラマが別の次元へと移行してしまうので、私などは本作を聴く度に胸を締め付けられる思いがします。

 王とロドリーゴのシェーナは平和に関する考え方の対立、王と大審問官のシェーナは政治と宗教の対立を描いていて、オペラとしては異色の場面展開になっているのが凄い所。後者の場面などは、王という立場の孤独さ、非人間性をあぶりだす側面もあり、異様な緊張感に支配された出色の名場面と言えるでしょう。宮中にやっと自分の理解者を探し求めたという王に、審問官が「自分と並びうる者がいるのなら、そなたはなぜ王の名を頂いておるのだ」と一蹴する箇所は、思わずこちらまで「おおっ」とのけぞってしまうほどの凄みがあります。

 よく知られているように、これはエディションの問題が複雑な作品で、指揮者によって選択する版が違うので注意が必要です。まず、全5幕のフランス語によるパリ初演オリジナル版があり、これがイタリア語に訳されたナポリ版(ヴェルディ自身は満足していなかったという)があり、今日最もよく演奏される全4幕イタリア語のミラノ版があり、最後にイタリア語のまま全5幕に戻されたモデナ版となります。実際の上演ではナポリ版というのはまずお目にかかりませんが、後は結構バラバラで、内容を独自に取捨選択したりという事もあるので、実にややこしい現状となっております。

 まずは細かい差異を無視して、4幕か5幕かという大きな括りに着目しましょう。5幕版には、フォンテーヌブローの森におけるカルロとエリザベッタの出会いを描いた第1幕があります。この場面はドラマに絶対に必要だと思うのですが、イントロがインパクトに欠ける上、長尺になってしまうのが難点。タイトにまとまった構成に感じられる4幕版は、ホルンのソリで始まる前奏が印象的だし、エンディングをはじめ各部の音楽もかなり変更されています。ただ、ヴェルディはモデナ版を作る時にも細かく改訂を施しているので、ハイティンクのようにこれを決定版とする考え方にも説得力があります。メトロポリタンの折衷版もこれに準じる形。

*紹介ディスク一覧  *配役は順にカルロ、エリザベッタ、フィリッポ二世、ロドリーゴ、エボリ公女、大審問官

[CD]

70年 ジュリーニ/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団   

      ドミンゴ、カバリエ、ライモンディ、ミルンズ、ヴァーレット、フォイアーニ

78年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      カレーラス、フレーニ、ギャウロフ、カップチッリ、バルツァ、ライモンディ

84年 アバド/ミラノ・スカラ座管弦楽団

      ドミンゴ、リッチャレッリ、ライモンディ、ヌッチ、テッラーニ、ギャウロフ

96年 ハイティンク/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団

      マージソン、ゴルチャコーワ、スカンディウッツィ、ホロストフスキー

      ボロディナ、ロイド

96年 パッパーノ/パリ管弦楽団

      アラーニャ、マッティラ、ダム、ハンプソン、マイヤー、ハーフヴァーソン

[DVD]

83年 レヴァイン/メトロポリタン歌劇場管弦楽団

      ドミンゴ、フレーニ、ギャウロフ、キリコ、バンブリー、フルラネット

6年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 

      カレーラス、ダミーコ、フルラネット、カップチッリ、バルツァ、サルミネン

92年 ムーティ/ミラノ・スカラ座管弦楽団

      パヴァロッティ、デッシー、レイミー、コーニ、ディンティーノ、アニシモフ

96年 パッパーノ/パリ管弦楽団

      アラーニャ、マッティラ、ダム、ハンプソン、マイヤー、ハーフヴァーソン

04年 シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

      ヴィラゾン、ルークロフト、ロイド、クロフト、ウルマーナ、リュハネン

04年 ビリー/ウィーン国立歌劇場管弦楽団

      ヴァルガス、タマール、マイルズ、スコウフス、ミヒャエル、ヤン

08年 ガッティ/ミラノ・スカラ座管弦楽団  

      ニール、チェドリンス、フルラネット、イェニス、ツァジック、コチュルガ

13年 ノセダ/トリノ王立歌劇場管弦楽団   

      ヴァルガス、カスヤン、アブドラザコフ、テジエ、バルチェローナ、スポッティ

13年 パッパーノ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団   

      カウフマン、ハルテロス、サルミネン、ハンプソン、セメンチャク、ハーフヴァーソン

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[CD]

“名歌手の競演。指揮はスロー・テンポで優美なタッチ”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団

 アンブロジアン・オペラ合唱団

 プラシド・ドミンゴ、モンセラート・カバリエ、ルッジェロ・ライモンディ

 シェリル・ミルンズ、シャーリー・ヴァーレット、ジョヴァンニ・フォイアーニ

(録音:1970年  レーベル:EMIクラシックス)

 ジュリーニ唯一の録音。ドミンゴは同じ役を後年のアバド盤でも歌っている他、レヴァイン/メトの映像ソフトでも歌う姿が観られます。大審問官のライモンディも同じレーベルのカラヤン盤と共通キャスト。意外にも5幕版での録音ですが、ロイヤル・オペラは後年のハイティンク盤でもモデナ版を採択しているので、その伝統があるのかもしれません。

 演奏はオケ、歌手共にジュリーニの意志が徹底したような趣で、遅めのテンポで優しいタッチを貫徹。リズムの切れなどは悪くないのですが、アクセントなども鋭く叩き付けるより、そっと置きにいく感じがあります。カルロとロドリーゴの友情の二重唱や、第3幕冒頭のエボリ登場のスケルツォ的な場面なども、随分とスローなテンポで、あらゆる音を丁寧に慰撫するような、独特の表現。

 これが、火刑の場面など音楽的にも大規模な箇所では、力強い牽引力と緊迫感にやや不足する印象に繋がりますが、さすがに最後の所では音楽を煽って盛り上げています。旋律線もよく歌いますが、全体としては後年のジュリーニを彷彿させる、流麗でノーブルな性格。こう言っては失礼ですが、感情的な表現を嫌い、純音楽的なスコア解釈を持ち味とするジュリーニの資質は、オペラ、特にイタリア物には向かないようにも思います。

 ドミンゴは、細身のヒステリックな声も出せる歌手ですが、ここでは甘く、艶やかな美声で魅力的。感情表現も豊かで、聴き応え十分です。相手役のカバリエも、柔らかく豊麗な声質なので、相性も抜群。逆に、美声を聴かせる事もあるミルンズが、ここではややクールな、乾いた歌唱で好対照を成しています。なので、カルロとエリザベッタの息詰るようなやり取りや、終幕のエリザベッタのアリアなど、力強さが欲しい箇所ではややリリカルに傾きすぎる印象もあります。

 又、ライモンディのフィリッポはなかなか聴く機会がないので稀少と言えるでしょうか。オーソドックスな路線ですが、手堅い歌唱です。エボリは例によって、癖の強い声質の歌手をキャスティング。長いオペラなのでアクセントが必要なのでしょうか、ここではヴァーレットが黒人歌手特有の声で異彩を放ちますが、そう言えばレヴァイン/メトの映像でも、この役はグレイス・バンブリーが歌っていましたね。その流れでいうと、当盤では修道士を若き日のサイモン・エステスが歌っている点も注目。

“オケも歌唱も徹底してカラヤン流の表現。豪華歌手陣の華麗なパフォーマンスに脱帽”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団

 ホセ・カレーラス、ミレッラ・フレーニ、ニコライ・ギャウロフ

 ピエロ・カップチッリ、アグネス・バルツァ、ルッジェロ・ライモンディ

(録音:1978年  レーベル:EMIクラシックス)

 4幕イタリア語版使用で、正にカラヤン印のゴージャス盤。カレーラス、カップチッリ、バルツァは8年後のザルツブルグ音楽祭ライヴ映像にも参加しています。当盤はスタジオ録音だけあって、それ以外のキャストにもスターを揃えている他、修道士にヨセ・ファン・ダム、テバルドにエディタ・グルベローヴァ、天の声にバーバラ・ヘンドリックスという、今から見れば目も眩むような豪華キャスティング。

 演奏はカラヤンの意思が隅々まで徹底したもので、オケの響きがどこを取ってもこのコンビ特有の色彩に染上げられているのが一番の特徴と言えます。事態が急変するような局面では、必ずと言っていいほどティンパニの強打が打ち込まれるなど、独特の音楽世界と言えますが、終幕コーダの鬼気迫るような迫力などを聴くと、オペラの伴奏にはこれくらいの芝居っ気が必要なのかもと思わせる強い説得力があります。群衆シーンでも物凄いサウンドが響き渡りますが、全体にリズムの腰が重く、仰々しいのは好みを分つ所。事態が急変するような箇所では常に、あざといまでのドラマティックな強調が聴かれます。

 このスタイルは歌手にまで徹底されていて、イントロから物々しい大仰さで驚かされる《ヴェールの歌》(そういうナンバーは他にもあります)なども、自由なルバートを盛り込んで多彩な変化に富む表現。カルロとロドリーゴの友情の二重唱も、通常は行進曲のように勇壮に歌われる事が多いですが、当盤ではレガート気味の流麗なフレージングを用い、テンポも即興的に変動させた上、金管を強調したベルリン・フィルの壮絶なサウンドが全体を隈取るというもの。

 歌唱陣は全く申し分のない仕上がり。やや時代がかったカラヤン流が徹底しているとはいえ、オペラの魅力を堪能できる素晴らしい声の饗宴です。カップチッリだけはややこもった声質ながら、時に激しいがなり声を盛り込むなど演技面も充実。王や審問官など大物達や、前述の映像でも圧倒的なパフォーマンスを見せるバルツァの底力など、文句の付けようがありません。ただただ凄いです。出来る事なら、この顔ぶれで上演して映像収録して欲しかったですね。

フランス語5幕版を用い、資料的価値を追求しながらも、圧倒的名演を展開するアバド

クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

 プラシド・ドミンゴ、カティア・リッチャレッリ、ルッジェロ・ライモンディ

 レオ・ヌッチ、ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ、ニコライ・ギャウロフ

(録音:1983/84年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 充実した配役と録音の良さで定評があるヴェルディ・シリーズの一枚。アバドは60年代末にこの曲を集中的に上演しており、ルキノ・ヴィスコンティ演出によるコヴェントガーデン上演、ジャン=ピエール・ポネル演出(見てみたかった!)のスカラ座上演でミラノ版を用いた他、77/78年のスカラ座ではルカ・ロンコーニ演出でモデナ版を元にした改訂版を上演しています。

 この4枚組ディスクは、そんなアバドの決定版。歌詞にはフランス語を用いながらモデナ版のスコアを採用し、補完として最後のディスクにカットした前奏曲と導入の合唱、第3幕の導入部と合唱、王妃のバレエ、第4幕の情景(エボリ、エリザベート)と長尺版のフィナーレ、第5幕の長尺版フィナーレ(これら全部で46分!)を収録しています。さらに配役も最高の歌手を揃えた上、テバルドにアン・マレー、天の声にアリーン・オジェーと、脇にまで贅沢なキャストを配置。版の問題をはじめ解説(高崎保男)も丁寧で、長らく日本盤が入手不可能なのは残念至極という他ありません。

 資料的価値のみならず、演奏の方もイタリア・オペラの悦楽を満喫させてくれる名演。輝かしい響きと艶やかなカンタービレ、オペラティックな興趣、鋭敏な反応、緻密なディティール表現、生き生きとしたドラマ造形と、もう惚れ惚れとするほどの見事な指揮ぶり。若い頃のアバドに顕著だったストレートなダイナミズムと、後年の美質である優美なタッチがバランスよく同居しています。

 ロドリーゴとカルロの友情のテーマは、堂々たる趣を保ちながらもレガート気味のフレージングで柔和な表情を加味し、第2幕冒頭のシェーナでは敏感なリズムで音楽を躍動させながら細かい強弱を設定、木管のアンサンブルを緻密に彫琢するなど、高度な音楽表現を随所に展開。第3幕のフィナーレ、フランドル使節団の合唱に独唱が加わって盛り上がる辺りも、感興の豊かさが至福の時間を作り出します。それでいて、演奏全体が極めて精緻にコントロールされている所はアバドらしい所。

 ドミンゴ、リッチャレッリ、ライモンディ、ヌッチという、歌唱陣のアンサンブルは鉄壁。特にドミンゴの声質がカルロのイメージに合っているのと、リッチャレッリの美しい歌唱は絶品です。アレンベルク伯爵夫人に歌うアリアでは、比類なきデリカシーの世界に圧倒されてしまいました。全体に、歌手の表現もピアニッシモを基調に設計されていて、吐息のような弱音にはっとさせられる場面がたくさんあります。

 テッラーニは私はよく知らない人ですが、現在最高のロッシーニ歌手として好評を博し、この頃には《アイーダ》のアムネリスなども歌っていたとの事。《ヴェールの歌》における、緩急のコントラストを明瞭に付けた軽快な歌唱は、ロッシーニ歌手としての美点が生かされた好例ではないかと思います。又、フィリッポ二世を当たり役に持つ名歌手ギャウロフが審問官を歌うのは珍しいそうです。声楽パートで唯一残念なのは合唱で、残響過多な録音のせいか、もやの向こうで歌っているように遠く不明瞭な音像。細かい表情がほとんど聴き取れません。

ロシア系の歌手をメインにユニークなキャスティングが目を惹くも、指揮の鈍重さに不満多し

ベルナルト・ハイティンク指揮 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団・合唱団

 リチャード・マージソン、ガリーナ・ゴルチャコーワ、ロベルト・スカンディウッツィ

 ディミトリ・ホロストフスキー、オリガ・ボロディナ、ロバート・ロイド

(録音:1996年  レーベル:フィリップス

 モデナ版による初のレコーディングとの事。ハイティンクは平素あまりヴェルディを取り上げていないようですが、こういったこだわりを見せるのは面白い所です。当盤のもう一つの特色は、ゴルチャコーワ、ボロディナ、ホロストフスキーと、キーロフ歌劇場の人気歌手達がメインどころに起用されている事。又、修道士にイルデブランド・ダルカンジェロ、天の声にシルヴィア・マクネアーという豪華な配役も、スタジオ収録ならではの楽しさです。

 ハイティンクの棒の特徴として、テンポ設定が遅い上に、その速度を緩める事はあっても、速めて音楽を煽る事をほとんどしない点が挙げられます。それが良くも悪くも温厚で落ち着いた印象を与える訳ですが、時に鈍重に感じられる事も否めません。特にオペラでは音楽がドラマに寄り添っているだけに、弱点として顕著に表れてしまいます。後半はやや持ち直しますが、やはり緊迫した場面が続くと、間延びした調子に不満が残ります。旋律線も、弦を中心に豊かに歌わせているものの、ヴェルディ演奏としては血の気の薄い、パッションと活力を欠く表現と言わざるを得ないでしょう。

 例えば第2幕第2場冒頭のスケルツォ風の楽想など、あまりに足取りが重く、軽妙さがありません。しかもオケの音色が暗く、くぐもっている上に、アインザッツが不揃いで切れも悪いため、何だか下手くそに聴こえてしまうのは問題。録音も、ホールトーンをふんだんに取り入れるのはいいのですが、細部が不明瞭で、合唱を伴うトゥッティともなると、響きが飽和してしまって美しくありません。木管の動きなども、マスの響きに埋没する傾向があります(当盤の録音会場、ウォルサムストウのアセンブリー・ホールの響きは、どのレーベルがどのオケを録音してもこういうサウンド傾向になるので、私はあまり好きじゃありません)。

 タイトル・ロールのマージソンは大健闘。シャイー指揮《トスカ》の映像で見る彼は、丸々とした体格に薄毛と、ルックス的にはカルロ王子として厳しいものがありますが、声が艶やかで表現力も豊か、音だけのCDでならとても聴きごたえのあるパフォーマンスです。《カルメン》のホセなど主役を張る事が多いのは、彼の実力の表れでしょう。対するエリザベッタのゴルチャコーワも、イタリア・オペラを得意にしているだけあって堂々たる歌唱。声も美しいです。

 キーロフ出身者でいうと、エボリ公女のボロディナも好演。聴かせ所の“ヴェールの歌”では、品格を保った素晴らしい歌唱を聴かせてくれます。同じくロシア人キャストのホロストフスキーは、生の舞台で聴いた時も感じましたが、筋肉質で線的に鋭い、いわば辛口の声質なので、二重唱、三重唱というのは一緒に歌う歌手にかなり相性があると思います。ここでは、マージソンもゴルチャコーワも柔らかめの声なので、ハモった時の和声感などどうかと思っていましたが、録音で聴く限りはうまく行っているようです。

 フィリッポのスカンディウッツィは、プロフィールを調べても分からなかったのですが(デッカの復活盤には歌手のプロフィールが載っていません)、人気のあるバスとの事。イタリア的な艶のあるしなやかな美声が印象的で、アクの強い性格ではなく、品の良い歌唱スタイル。当盤の雰囲気には合っていると思います。審問官のロイドは、フィリッポを歌う事もあるベテランですが、こちらも抑制された表現で、フィリッポとの対決場面もいわゆる火花が散るというような、スリリングなやり取りにはしていません。又、天の声を担当したマクネアーの清澄な美声が、短いパートながら非常に強い印象を残します。

“フランス語の5幕オリジナル版を用いたシャトレ座ライヴ。主要キャストは正に美声の饗宴”

アントニオ・パッパーノ指揮 パリ管弦楽団

 シャトレ座合唱団

 ロベルト・アラーニャ、カリタ・マッティラ、ヨセ・ファン・ダム

 トーマス・ハンプソン、ヴァルトラウト・マイヤー、エリック・ハーフヴァーソン

(録音:1996年  レーベル:EMIクラシックス)

 パッパーノとパリ管、目下唯一の共演盤。フランス語の5幕オリジナル版を用いたシャトレ座でのライヴで、映像ディスクと同じ音源です。初演版による録音は珍しいですが、単に5幕でフランス語というだけでなく、ディティールがあちこち違っていて、中には王とロドリーゴのシェーナなど、ほぼ丸ごと違うやり取りになっている箇所もあります(歌詞だけでなく、音楽そのものが違います)。ラストも、ドラマティックに盛り上がる他の版と違って静かにエンディングを迎えるので、唐突な展開を何となく消化しきれないまま終了。これはカタルシスの点で、多くの人が物足りないと感じるかもしれません。

 第3幕も前奏から違う音楽になっていて、カルロが登場する前に、王妃とエボリのやり取りと、エボリのモノローグが入ります。これによって、エボリがなぜヴェールを被ってカルロの所へ現れたのかが分かり、その後の彼女の行動にも説得力が増す印象。又、追放か尼寺行きを言い渡されたエボリが再び王妃と顔を合わせる場面もあり、王宮に押し寄せる民衆はカルロを救うためにエボリが煽動したものと分かります。ロドリーゴの死の場面も、カルロの哀しみと怒り、王の後悔が伝わる劇的な展開(旋律は作曲者自身が《レクイエム》の中で《ラクリモサ》に転用したもの)。

 全体として、このオリジナル版は物語の流れが自然で、他の版では唐突に感じられる様々な展開が分かりやすく動機付けされている一方、音楽的には幾分冗長という感じでしょうか。ヴェルディ自身がより良い仕上がりを求めて改訂した事もあり、やはり後年のナポリ版、モデナ版の方が濃密で、ドラマティックな作品に感じられます。

 パッパーノの指揮は、後年の円熟を思わせる箇所もあるものの、オケや合唱のドライヴが徹底していない印象もあり、両者のタイミングのズレが気になる箇所も多々あり。特にトゥッティでリズムを強く打ち出すような場面では、アンサンブルの統率に甘さが感じられ、さらにパリっとした表現が欲しくなります。ただ、これはパリ管とシャトレ座合唱団に本質的な問題があるのかもしれません(歌劇場という複雑な場においてアインザッツをきっちり合わせる事に向いた団体ではない、という事でしょうか)。もっとも、旋律線の深い呼吸や鋭敏なリズム感、歌手達への見事という他ない寄り添い方など、さすがオペラ指揮者という瞬間も数多く聴かれます。

 歌唱陣は素晴らしく、アラーニャ、マッティラ、ハンプソンと、正に美声の饗宴。この3人は和声感が敏感なのかピッチが正確なのか、私には専門的な事は分かりませんが、とにかく旋律の美しさがヴィヴィッドに伝わってくる情感豊かな歌唱です。マッティラは、柔らかい声質と清潔な歌唱がフレーズの美しさをストレートに伝える好演。特筆したいのはハンプソンで、これほど豊麗な声で表情豊かに歌われたロドリーゴは稀ではないかと思います。声の美しさもさる事ながら、芸達者と言ってもいいくらい豊富な表現が満載。

 マイヤーは、声は美しいのですが、《ヴェールの歌》はヴィブラートがきつく音程もやや揺れる印象。オリジナル版のスコアがそうなっているのか、前半部の特徴的なトリルは入りません。しかし中盤以降はやや持ち直し、《むごい運命よ》ではさすがの歌唱を聴かせます。ベテランのファン・ダムも、堅実ながら安定したパフォーマンス。ちなみにこのディスク、ロドリーゴ暗殺場面の銃声が凄まじい音量で、油断していると心臓に悪いのでご注意下さい。

[DVD]

レヴァインの卓越した棒さばきに圧倒されるメト・ライヴ。演出は無難ながら、歌唱陣が充実

ジェイムズ・レヴァイン指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団

 プラシド・ドミンゴ、ミレッラ・フレーニ、ニコライ・ギャウロフ

 ルイ・キリコ、グレイス・バンブリー、フェルッチョ・フルラネット

演出:ジョン・デクスター   (収録:1983年)

 数多いメトの映像シリーズの一つ。メト独自のイタリア語5幕版で、モデナ版とも少し違っています。基本的にノーカットですが、冒頭もモデナ版の狩人の合唱ではなく、民衆による長い合唱ナンバーを挿入。これにより、民衆の懇願を受けてエリザベッタが王の求婚に応じる経緯に説得力が増します。メトでは後に新演出が出ていますが、11年の来日公演ではこのデクスターのプロダクションが採用されていました。

 まず、若きレヴァインの指揮ぶりが素晴らしい。合唱を伴う大規模なシーンでの明晰を極めた音楽作りは特筆もので、彼が70年代のマーラー録音で示した、複雑なスコアを腑分けして分かりやすく再構築する能力が遺憾なく発揮されています。フランドルの使節団と王のやりとりにおいても、フレーズごとに細かく変化するテンポを、精確かつ強靭なリズムを基軸に完璧にコントロールし、他の演奏では聴けないほど明快な音楽展開を聴かせてくれます。

 テンポは全体がほとんど快速調といっていいほどですが、決して性急な感じはなく、劇的な感情の盛り上がりと流れのスムーズさが印象的。強弱のコントラストが明確で、総じてアクセントに勢いがある上、スタッカートの切れが無類に鋭く、それが音楽に生き生きとした躍動感を与えています。これほどの活力と覇気は、ムーティやシャイーのディスクにも聴かれないもので、正にレヴァインという指揮者のオペラへの適性を如実に示す名演と言えるでしょう。オケも、弦のみずみずしいカンタービレや管楽器の卓越したリズム感など好演で、左右チャンネルのセパレート感が強く、細部まで見通しの良い録音も好印象。

 ドミンゴは数年後にアバドと当曲をスタジオ録音していますが、ここでのパフォーマンスもお見事。さすがは演技派というべきか、とにかくフレーズごとのニュアンスの豊富さは他盤と較べても頭一つ抜きん出ている感じです。表情や所作による表現も実に上手いので、映像としても見応えあり。フレーニとギャウロフはカラヤン盤(CD)のキャストそのまま。二人とも、その役を最も得意にしている歌手として、文句の付けようのない立派な歌唱を展開しています。

 バンブリーは、この役の伝統として眼帯をして登場(モデルとなった実在の人物に倣った慣習だそうです)。《ヴェールの歌》では独特の声質と歌唱スタイルが気になりますが(どちらかというとカルメンとか、その向きの声です)、そのパワフルな歌唱には人を惹き付ける魅力があり、大いに客席を湧かせています。大審問官のフルラネットは王フィリッポも歌う実力派ですが、ギャウロフと対峙するとやや声が軽く感じられます。又、テバルド役にボーイソプラノ風の発声と容姿を持つ歌手を配しているのが、メトらしい層の厚さを感じさせてユニーク。

 演出は、奇を衒わず、視覚的に分かりやすいゴージャスさを追求したもの。フォンテーヌブローの森や火刑の場など、絵画的なセンスも優れていますが、この方向で勝負するとゼフィレッリにはかないません。上記来日公演を観た人は、ラストでカルロが柵の中(欧米の古いエレベーターみたいです)へ入っていったのを確認したと思いますが、ブライアン・ラージの映像演出は王や王妃のアップばかり映していて、何が起っているのか全然分かりません。オペラ映像においてラージの編集に不満を言う人が多いのは、こういう所に由来するのでしょうか。

“カラヤン流が徹底したザルツブルグ音楽祭ライヴ。歌手陣のパフォーマンスも見事”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ソフィア国立歌劇場合唱団、ウィーン国立歌劇場合唱団、ザルツブルグ・コンサート合唱団

 ホセ・カレーラス、フィアンマ・イッツォ・ダミーコ、フェルッチョ・フルラネット

 ピエロ・カップチッリ、アグネス・バルツァ、マッティ・サルミネン

演出:ヘルベルト・フォン・カラヤン  (収録:1986年)

 ザルツブルグ音楽祭でのライヴ収録で、8年前録音のレコードからはカレーラス、カップチッリ、バルツァが再び登板しています。祝祭劇場でベルリン・フィルを聴くのは珍しい感じもしたのですが、実際に流れてくる音はもうベルリン・フィルそのもの(何せ、録音をギュンター・ヘルマンスが担当していますし)。

 カラヤンの指揮も、遅めのテンポで重厚に造形しながら、オケの華麗な響きを心行くまで生かしたもので、レガート気味の流麗なフレージングも随所に効果を発揮しています。硬質なティンパニの打撃が打ち込まれ、凄絶なブラスの咆哮が響き渡ると、まさにこのコンビの世界が現前。ヴェルディの作品、特に後期オペラには、やや大袈裟なこういうアプローチもよく合うと思います。ただし、各アリアのリピート部分を始め、スコアのカットが多いのは問題。

 歌手陣は、アップの映像が多いせいか、かなり表情の豊かな演劇的パフォーマンスと感じられます。フレーズをセリフのように叫ばせている箇所も多く、異端審問官に「他に言いたい事は?」と問われた王が、間髪入れず「ノー!」と吐き捨てるなど、独特の表現も聴かれます。カレーラスは、王子らしいスマートなマスクと美声で存在感抜群。イタリアの実力派達もさすがのパフォーマンスを繰り広げる中、王のフルラネットは演技面も含めて卓越したセンスで群を抜く印象。カップチッリもイタリア・オペラの伝統を体現するような貴族的風貌でムード満点、これで王妃のダミーコに今一つ強い個性と表現力があればと思うのは私だけでしょうか(ミレッラ・フレーニの代役だったそうですが…)。

 それというのも、バルツァが凄まじいのです。最初は独特の発声が気になる彼女ですが、“呪いの三重唱”におけるパワフルな歌唱で客席を圧倒した後、“宿命的な贈り物”の絶唱に至っては主役陣を食わんばかり。最後の一音を歌い終え、床に崩れ落ちるやいなや、オケがコーダを演奏している内にも嵐のようなブラヴォーが飛んできます。他では、大審問官のサルミネンも実力者らしい立派な歌唱。高齢で盲目の老人らしくよたよたと登場する演出も多い中、格調の高い人物造形で他と一線を画しています。

 カラヤン自身による演出はゼフィレッリ型の伝統的スタイルで、舞台装置もカラヤンのお気に入りギュンター・シュナイダー=ジームセンによるもの。光と影のコントラストを効果的に使ったほの暗い舞台は、読み替え演出全盛の無法地帯たる現在のオペラ上演を見慣れた目にことさら美しく、ノスタルジックに映ります。ただ、映像演出に関しては、歌手の表情をクローズアップで追い、感情の変化をカットの切り返しで表現するなど、やや時代掛かった雰囲気もないではありません。火刑の場面で煙が激しく明滅し、女声の甲高い悲鳴が上がるのも、本職の演出家にはあまりない映画的な発想のように思えました。

“歌手には注文が付くものの、絵画のように美しい演出と格調高くドラマティックな演奏に脱帽”

リッカルド・ムーティ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

 ルチアーノ・パヴァロッティ、ダニエラ・デッシー、サミュエル・レイミー

 パオロ・コーニ、ルチアーナ・ディンティーノ、アレクサンドル・アニシモフ 

演出:フランコ・ゼフィレッリ  (収録:1992年)

 イタリア語4幕版。スカラ座のライヴを収録したディスクで、ピットや客席の映像も適度にインサートされています。私が所有しているのはEMIから2005年に発売されたDVD ですが、この素晴らしい内容で、しかも2枚組にも関わらず3500円というのは、非常にコスト・パフォーマンスが高い商品と思います。

 かつてはムーティのヴェルディというと、頑固なまでのイン・テンポと、歌手に伝統的装飾音を禁じたストイックなスタイル(リゴリズムと呼ばれていました)が特徴でしたが、当盤は必ずしもそういった禁欲的な演奏ではなく、適度な緊張感の中でテンポも微妙に動かして熱いドラマを繰り広げています。映像は、各幕ごとにピットの指揮者を真正面から捉えていて、第1幕第2場の冒頭など、80年代のムーティを彷彿させる激しい指揮ぶりが嬉しい所。オケのサウンドも乾燥しすぎず、聴きやすい音質に収録されています。

 ムーティのお気に入りが揃った歌手陣は、声質が明るくて丸々と大きな体躯のパヴァロッティが、どうにも悩めるカルロ王子に見えないのが難点。初日ではミスも連発してブーイングが飛んだとの事ですが、この映像では不調の様子はなく、さすがのパフォーマンスを展開しています。パオロ・コーニのロドリーゴとディンティーノのエボリ公女も、ルックス的にどうもイメージが違う感じがしてしまうのですが、歌唱は立派ですから、オペラにそこまでの視覚性を追求するのは高望みなのでしょうか。

 素晴らしいのがフィリッポと王妃。ムーティの信望厚いダニエラ・デッシーは、うっすらと哀しみを帯びた美貌がエリザベッタにふさわしいし、人間味豊かな役作りに定評のあるレイミーも、王の人間的弱さを見事に掘り下げていて共感を呼びます。デッシーは公演期間中の出来不出来が激しかったそうで、急遽降板した日もあったと聞きますが、この映像には素晴らしいパフォーマンスが記録されています。他の配役では、大審問官のアニシモフが不気味な存在感で舞台と客席を圧倒。

 ゼッフィレッリの演出は、正に決定版としたいほどの素晴らしさ。例によって王道のアプローチですが、単に分かりやすいというだけでなく、全ての場面が絵画のように美しいのが目を惹きます。セット美術や衣装のディティールなども凝りに凝っていて、思わずため息が出るほど。火刑の場面では、様々な立場・役職の人々が、多種多様かつリアルな衣装を身にまとって次から次へと舞台に登場、全編中の白眉となっています。唯一、カメラの切り返しのせいか、ラストの場面処理が分かりにくいのは難点でしょうか。酷評する人も多い映像なので好みを分つ面はあるのでしょうが、私は4幕版ではトップクラスに推したいディスクです。

“視覚的に際立った歌唱陣と演出に感銘を受ける反面、オリジナル版の音楽には問題も”

アントニオ・パッパーノ指揮 パリ管弦楽団

 シャトレ座合唱団

 ロベルト・アラーニャ、カリタ・マッティラ、ヨセ・ファン・ダム

 トーマス・ハンプソン、ヴァルトラウト・マイヤー、エリック・ハーフヴァーソン

演出:リュック・ボンディ   (収録:1996年)

 フランス語5幕オリジナル版の珍しい映像で、シャトレ座でのライヴを収録したもの。CDも出ていますが、キャスティングも適役が揃って視覚的に素晴らしい舞台なので、出来れば映像で観て欲しい所です。ただ、あくまで舞台上のドラマに集中させるコンセプトのようで、指揮者の登場や最初の拍手、客席の様子はカットされているし、ピットのオケも明瞭に映り込む事を避けています。

 演奏に関しては上記CDの欄に書いた通り。映像で見て面白いのはボンディの演出で、何とか王妃の手紙を覗き込もうとするエボリを、ロドリーゴが牽制して気を逸らさせるという、ユーモラスなセンスもみられます。エボリが告白の後、自分の顔を引っ掻き、頬に血の跡を付けて歌うのも効果的。ロドリーゴ暗殺の場面で、カルロの白いシャツがロドリーゴの血に染まるのも、二人の関係と状況を視覚的に表現した素晴らしい演出です。

 映像で見ると、アラーニャとハンプソンの若々しい風貌は際立っており、その友情の美しさに胸を打たれます。特にロドリーゴは、人を得るのが難しい役というか、聴かせどころのアリアが幾つかある上、二重唱、三重唱も多いし、王からもカルロからも信頼される人物なので、視覚的にも説得力のある風貌でなければなりません。その点、ハンプソンは理想的な歌手で、長身を生かした身のこなしに華があるし、凛々しい風貌も魅力的、何よりニュアンス豊かで芸達者な歌唱が素晴らしい。マイヤーも見た目に存在感があり、CDの所で書いたように最初は不調と感じられますが、後半持ち直して、《むごい運命よ》では客席を大きく湧かせています。

 5幕版にしかないフォンテーヌブローの森の場面は、白く降り積もった雪の中、真っ赤な衣装を着たカルロと王妃が出会うという、すこぶる美しい演出。又、暗い部屋の中で、扉の向こうから射す逆光を背にして椅子にうなだれる王の姿は、彼が背負った恐ろしい程の孤独を見事に表現していて、これは凄い演出だと思いました。このヴァージョンは物語の流れが実に自然で、映像で観るとドラマとしても見応えがある反面、何か食い足りないラストを始め、ボンディの優れた演出をもってしても、音楽的な問題は残ってしまう印象を受けました。

 日本語字幕はやや問題あり。フランス語の歌詞から訳しているせいか、他のディスクとは違うニュアンスに感じられる箇所も多いですが、王がロドリーゴを「君」と呼ぶのはあり得ないし、王と大審問官、カルロと王の間にも、両者の社会的立場や関係性を考えるとかなり礼を失した言葉遣いに訳されている箇所も多く、違和感を覚えます。ちなみにフランス語版という事で、カルロス、エリザベート、フィリップ、ロドリーグと、名前の訳し方にも違いあり。

“シャイーとコンセルトヘボウ管の素晴らしさに比し、演出に不満が残る映像ディスク”

リッカルド・シャイー指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 ネーデルランド・オペラ合唱団

 ロランド・ヴィラゾン、アマンダ・ルークロフト、ロバート・ロイド

 ドゥウェイン・クロフト、ヴィオレッタ・ウルマーナ、ヤッコ・リュハネン

演出:ヴィリー・デッカー   (収録:2004年)

 ドイツの演出家、デッカーによるネーデルランド・オペラのプロダクションで、コンセルトヘボウ管がピットに入った注目の公演。ヴェルディを得意とするシャイーですが、レコーディングが意外に少ない代わり、ライヴ公演や映画のディスクがたくさん出ているのは喜ばしい事です。

 一番に讃えたいのは指揮の素晴らしさ。速めのテンポを基調に、引き締まった造形でぐいぐいとドラマを牽引するシャイーの棒は、イタリア歌劇の伝統のみならず、ある種のモダンさも感じさせるもの。躍動的でソフィスティケイトされたタッチはムーティやアバドにないもので、冒頭のホルンからして、張りつめた緊張感よりは朗々とした大らかさが勝った雰囲気。火刑の場面でも、巧妙なテンポ設定とアンサンブルの見事な統率を聴かせる中、緻密なディティール処理と鋭敏なリズム感が光ります。

 ただし繰り返し部分を始めカットが随所にあり、この辺りは原典主義のムーティらとスタンスを異にします。テンポの緩急はドラマティックに設計されていて、王と異端審問官の場面などもクライマックスに向けてかなりテンポを煽る印象(ここでは鋭敏な音色センスも発揮)。ドキュメンタリー映像でルークロフトが言っていますが、シャイーは歌手にだけ都合の良い慣習的表現を全て取り除き、音楽的な流れを重視しているとの事。ヴィラゾンも、シャイーはテンポや拍の取り方にやたらと厳しく、勝手に音を伸ばすような事は許されなかった、と語っています。

 加えて、オケの深い響きが美しく、金管が激しく咆哮する場面でもしなやかな弦が全体を柔らかく包み込んでいるのと、ほのかに明るいその響きが、暗く閉塞的になりがちな本作のスコアに風通しの良さをもたらしているのが爽やか。それにしても、彼ら特有のサウンド・スタイルが、名ホールと言われるコンセルトヘボウ以外の会場(アムステルダム音楽劇場)でも保持されている事に驚かされます。合唱が明瞭に収録されているのも好印象。残響が豊かなオケと違ってなぜかドライな音で収録されているせいもありますが、舞台裏で歌う小音量の箇所でもディティールまでクリアにマイクが拾っていて、とても聴きやすいです。

 歌手では、主役のヴィラゾンが大変な熱演で見応えあり。いかにもラテン系な風貌、身振りの大きな身体表現とテンションの高い歌唱が持ち味。クロフト、ロバート・ロイドも演出のコンセプトに合わせてよく動きながら、歌手としての個性も器用に出して好演。《アイーダ》等で人気の高いウルマーナもパワフルな歌唱で存在感がありますが、エボリの役はこういう肉食系の猛女みたいな人じゃない方が個人的には好きです。王妃を歌ったルークロフトも力強い歌唱スタイルで、会場では喝采を浴びていますが、私にはヴィブラートの掛けすぎで音程が不安定なように聴こえました。

 演出の軸は、まず、墓所の巨大な壁で舞台を狭く囲った、白一色のセット美術。この壁は移動して場面転換の任を担いますが、基本的にはそれだけの仕掛け。時折上からキリストを思わせる巨大な彫像の足が降りてきたり、女官達が持つ赤い花が彩りを添えたりしますが、登場人物の衣装を始め基本的に白で統一された、シンプルで抽象的な舞台です。巨大な壁が動くというと、装置の騒音が心配ですが、映像で観る限りは音を立てず静かに動いている様子。前衛的な演出ではないものの、スケールが小さくまとまるのは難点。

 又、カルロによる冒頭のモノローグで、既にフィリッポ王の幻影がカルロの周りをうろついたり、エボリと女官達の場面にカルロが闖入したりと、本来その場にいない人物を登場させてパントマイムで心理的表現を視覚化しているのも目を惹きます。歌手の身振りや表情が過剰なまでに大きいのも特徴で、いわば激情型のドラマ演出。どっしりと構えている事の多い王でさえ、ロドリーゴが歌っている間、落ち着きなくイライラしたり、近付いて指を突きつけようとしたり、とにかくせわしく動き回る印象。フィリッポが登場する際、「王が!」というテバルドの一言を王妃に歌わせるなど、スコア改変にまで関与する箇所も見られます。ラストは、カルロの自決という現実的解釈で解決。

“あまりに冗長な超・初演版の4時間強。安っぽくて面倒臭い演出も疑問”

ベルトラン・ド・ビリー指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団・合唱団

 ラモン・ヴァルガス、イアノ・タマール、アラステア・マイルズ

 ボー・スコウフス、ナディア・ミヒャエル、サイモン・ヤン

演出:ペーター・コンヴィチニー   (収録:2004年)

 コンヴィチニーの演出が話題となった公演。ウィーン国立歌劇場における同曲の映像ソフトは、他に出ていないのではないかと思います。ビリーの指揮や、ヴァルガスやミヒャエル、スコウフスなど、若手実力派を揃えた布陣は興味深いものの、わずらわしい演出のせいで音楽に集中できず、残念。

 それからエディションですが、フランス語5幕版のオリジナルでは飽きたらず、初演前にヴェルディが切り詰めた(パリの聴衆を最終列車に間に合わせるため)カット箇所まで復活させた「超・初演版」なるもので、全編4時間強という恐ろしく長いヴァージョン。今まで耳にした事のない場面ややりとりが入ってくるのは興味深いものの、音楽全体としてはすこぶる冗長で、途中で飽き飽きして鑑賞意欲が続かなくなりました。何というか、後年の改訂版が無性に恋しくなってくる感じ。

 ビリーの指揮はシャープかつ丁寧で、細部の表現も配慮が行き届いていますが、あまり強い個性は示さない傾向。オケの音色は美しく、第2幕冒頭のホルンの深い響きには耳を奪われます。問題は録音で、まず、舞台上の足音が非常に近接した距離感で、重低音を伴って収録されているのはバランスが悪いし、オケの音が細部までキャッチされているにも関わらず、トゥッティがこもりがちで響きが飽和してしまうのは残念。歌手とオケ、合唱のバランスもかなりちぐはぐで、鑑賞に支障があります。

 歌手は、主役のヴァルガスが抜群の安定感。舞台上でのオーラもあるようです。しかし相手役のタマールがルックス的にアクが強く、ヴァルガスとはポップな雰囲気で相性が良いものの、役としては陰の部分が吹き飛んでしまった印象。王のマイルズも、歌唱はいいですが外見や芝居に迫力を欠きます。若手では、スコウフスのモダンなルックスと演技力は見ものですが、音程がうわずる箇所もあったりして不調の様子。《サロメ》で注目されたミヒャエルも、視覚面は申し分ないものの、パワフルながらヴィブラートのきつい歌唱で、旋律線が明瞭に出ない憾みあり。

 演出は大いに疑問。まず、歌手の動作にいちいち独自の解釈が反映されるのが面倒です。第一幕は、エリザベッタとカルロが小性テバルドを邪険に扱ったり、フィリッポ王の申し出を受けたエリザベッタが後悔してカルロのもとに走り寄り、テバルドと群衆が二人を無理矢理引き離すなど大騒ぎ。そのテバルドは、戻ってきた瞬間に二人のキスを目撃して全てを悟り、フィリッポから婚約の申し出があった事を告げてその場に崩れ落ちる、エリザベッタとカルロは何かの間違いだと笑い飛ばすなどなど、万事がこの調子で忙しい事この上なし。エボリが殺されてしまう演出もどうかと思います。

 要するに、歌手の感情表現に台本にはない解釈を加えていて、それが一挙一動に及ぶ感じ。次第に面倒臭くなってきて画面を見るのに疲れ、耳慣れないヴァージョンの長い長い音楽に耳も疲れ、最後まで観る気力が失われそうでした。別に前衛的でも難解でもないのですが、細かいアイデアを次々に投入して、とにかくどの場面も普通には済ませたくないという、演出家が主役みたいなうるさい舞台です。

 特に安っぽいのが、バレエと火刑の場面。前者は、エボリの夢と題されたパントマイムで、エボリがカルロと幸福な結婚生活を送る様子を他の出演者も動員して演じさせますが、衣装もセットも現代のそれに置き換えられているのが陳腐で興ざめ。後者は、休憩中のロビーにマイクを持ったアナウンサーとカメラマンが登場し、王族一行の入場を実況。ピットのオケは演奏を始め、一行は報道陣に付きまとわれながら客席から舞台へ入場し、火刑をテレビ中継するという演出。こういうのは、我が国でも蜷川幸雄の演出を始め、演劇の分野で既に使い古された手法で、特に斬新でもありません。むしろオペラでこれを見ると、実に安っぽい感じです。会場でも、音楽が一段落ついた所で早々にブーイングの嵐が起っています。

“優れた公演内容でお薦めしたいソフトながら、字幕入り国内盤はなし”

ダニエレ・ガッティ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

 スチュアート・ニール、フィオレンツァ・チェドリンス、フェルッチョ・フルラネット

 ダリボール・イェニス、ドローラ・ツァジック、アナトーリ・コチュルガ

演出:ステファン・ブロンシュウェイグ  (収録:2008年)

 イタリア語4幕版。スカラ座のシーズン初日ライヴで、日本語字幕入りの国内盤は出ていないようです。ガッティがスカラ座を振ったディスクは、CD、映像ソフトを通じてこれが唯一。時期音楽監督にも目されていた人としては、録音が少なすぎるように感じます。スカラ座は、翌年の来日公演でもこのプロダクションを使用。4幕版ですが、ロドリーゴの死の場面には、5幕版にある王の嘆きのアリア(レクイエムに転用された音楽)を挿入しています。

 録音が優秀なせいもあるのか、響きが精緻に透き通り、細かなディティールが手に取るように聴こえる演奏。オブリガートや合いの手の管楽器など、こんな音、今まで聴こえていたっけ?と他を確認したくなる箇所も多々あります。残響もドライになりすぎず、ある程度の潤いが感じられる、美しいサウンドになっているのは嬉しい所。

 ガッティの表現は、指揮姿を見ても分かる通り流麗なフレーズ作りを心掛けていて、音を優美に着地させる傾向が目立つ一方、感情が高まる場面やスペクタクルな山場では、アグレッシヴにテンポを煽って熱っぽく盛り上げています。繊細さと豪胆さを併せ持った、作品にふさわしい指揮だと言えるでしょう。又、長丁場をタイトにまとめ、一気に聴かせる高い集中力もあり、卓越した構成力とアゴーギクのセンスを如実に示します。

 これも録音の傾向なのか、歌手はみな、アタックの柔らかい、まろやかな声質の歌手が集められたような印象。カルロ役のスチュアート・ニールは、第1キャストのジュゼッペ・フィリアノーティが直前に降板したために出演したそうですが、豊かな声量と演技力でなかなかの好演です。見た目こそ巨体がやや気になるものの、表現は繊細かつ多彩という感じ。

 この時期に人気を上げていたヴェルディ・ソプラノのチェドリンスとスロヴァキア出身のダリボール・イェニスは、弱音部こそ安定していますが強音部で力みが感じられ、強いヴィブラートで音程が聞き取りにくくなるのが残念。声質自体は深みがあって美しいもので、同じ音色傾向のニールとも、重唱のマッチングがいいです。

 このキャスト陣で素晴らしいのはベテラン勢。何といってもフルラネットが容姿、演技、歌唱共に人間味に溢れて魅力的だし、声も深々として豊かです。彼はカラヤン盤でも群を抜く存在感でしたが、22年後の本公演でも全く衰えを感じさせません。ツァジックも安定した歌唱力で会場を沸かせています。他ではベテランのアナトーリ・コチュルガが好演。

 演出は、基本的に奇を衒わず、シンプルなセットで好感が持てますが、主要人物の子供時代の分身を背後に登場させるのはやや既視感のあるアイデア。ただ、カルロが王に向けた剣を、子供時代のロドリーゴが取り上げる所など、彼らが育んできた友情が背景に透けて見えて、何とも切ない気持ちになります。衣装などはゼッフィレッリの系列に連なる、伝統的なリアリズムを追求したもので、無駄な振付けもなく、安心して観られる舞台です。

“指揮、歌手、演出と三拍子揃った、4幕版では特にお薦めの一枚”

ジャナンドレア・ノセダ指揮 トリノ王立歌劇場管弦楽団・合唱団

 ラモン・ヴァルガス、スヴェトラーナ・カスヤン、イルダール・アブドラザコフ

 ルドヴィク・テジエ、ダニエラ・バルチェローナ、マルコ・スポッティ

演出:ウーゴ・デ・アーナ   (収録:2013年)

 才人ノセダ率いるトリノ王立歌劇場の映像シリーズから。演奏も演出も良く、4幕版ではムーティ/スカラ座盤と並んで特にお薦めしたいソフトです。唯一の難点は、マルチ・チャンネル音声も収録している関係か、ステレオ音声で左右のチャンネルに極端に定位が偏る場面が多々あること。ライヴ盤では時々ある事とはいえ、何とか調整できないものかと思ってしまいます。パッケージの記載にはランニング・タイム210分とありますが、実際には30分ほど短いです。

 ノセダの指揮は素晴らしく、速めのテンポで各シーンをきりりと引き締めるのは、こういった長丁場の大作に有効なアプローチです。第2幕第2場のスケルツォ風の開始や、第3幕後半の大規模なスペクタクルは勿論、王と大審問官のやりとりも畳み掛けるようなテンポで煽り、双方が相手のフレーズを食い気味に入ってくるのがスリリング。息詰るような迫力満点の掛け合いになっています。細部の処理も丹念で、精緻なアンサンブルを聴かせる一方、のびやかなカンタービレも魅力的。カルロとロドリーゴの友情の主題をレガートで滑らかに表現するなど、巧妙な棒さばきが冴え渡ります。

 歌手も美声で安定したヴァルガス以下、独特なルックスながらまろやかな声質で好演しているカスヤン、これも美声で演技力もあるアブドラザコフ、相当な実力派とおぼしきバルチェローナと、概して好調。唯一、力みが目立ってくるとヴィブラート過剰に感じられるのテジエですが、こういう歌手ばかりの公演もあるので、まだ良い方でしょう。凄いのがマルコ・スポッティ。猛禽類のような外見も恐ろしいですが、相手役をすべからく食ってしまいそうなパワフルな歌唱と演技に圧倒されます。

 演出は奇を衒わず、リアリティと絵画的な美しさを追求したものですが、そのクオリティがここまで高いと思わず感動してしまいます。ゼッフィレッリ以降、伝統的なスタイルで成功している人は少ないので、この演出家には頑張って欲しい所。衣装やセット美術にも並々ならぬ迫真力があり、歌手に妙な振付けを行わない点も好感が持てます。

“日本語字幕さえ入っていれば5幕版のトップに推したい、素晴らしい内容のソフト”

アントニオ・パッパーノ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 

 ウィーン国立歌劇場合唱団

 ヨナス・カウフマン、アーニャ・ハルテロス、マッティ・サルミネン

 トーマス・ハンプソン、エカテリーナ・セメンチャク、エリック・ハーフヴァーソン

演出:ペーター・スタイン  (収録:2013年)

 ザルツブルグ音楽祭でのライヴ収録。例によってNHKが放送ネットに加わっているため、映像ソフトに日本語字幕が入っていません。パッパーノはウィーン・フィルもよく振っていますが、正規録音は本ソフトのみのようです。彼は96年のシャトレ座ライヴでフランス語の5幕版を上演していますが、本公演は同じ5幕ながらイタリア語版を採択。パッケージの記載にはランニング・タイム280分とありますが、実際には45分ほど短いです。日本語字幕がない事を除けば、5幕版では最も推したい素晴らしい内容。

 管弦楽のパートは見事なもので、オケの美音を生かしつつも、ドラマの緩急や歌手の呼吸を熟知したパッパーノの采配が卓抜。今回の公演では歌手が即興的な間合いでたっぷりとフレーズを採るケースが多いように感じますが、指揮も自在にテンポを伸縮させて、歌手にぴたりと寄り添う、絶妙な表現が聴かれます。それでいて構成力も巧みで、4時間近くの長丁場でも飽きさせません。その辺り、母体のオケを振ったビリー指揮の5幕版とは雲泥の差です。パッパーノとしても、旧盤より合奏の緊密さと音色美、豊かな歌心と余裕が増した印象。

 豪華な歌唱陣も聴き所。カウフマンとハルテロスは容姿、歌唱共に万全の出来で、若い世代の《ドン・カルロ》として盤石の布陣という印象すら与えます。前者のスター性は言うまでもないですが、彼は演技力も俳優並みに持ち合わせ、例えば火刑の場面でフランドルの使節団が歌っている間、細かい仕草で心理描写を表したり、寄ってきたロドリーゴに何か呟いてみたり、とにかくアイデアが豊富。

 ハルテロスも、エモーショナルな感情表現を持ち味としながら、声は精緻にコントロールされている所が凄いです。他では、常に絶好調という印象があるサルミネンの王が見事。声質も音程も素晴らしいですが、演劇的ながなり声なども歌唱に盛り込むのと、演技面の表現力があるのには脱帽です。

 彼らに較べるとハンプソンとセメンチャク、ハーフヴァーソンはやや分が悪いですが、決してクオリティの低いパフォーマンスではなく、パッパーノのパリ公演でも歌っていたハンプソンなど、容姿や演技も役に合っていてさすがです。又、王や大審問官を歌う事もあるロバート・ロイドが、先王カルロ五世役で出演しているのも贅沢なキャスティング(可哀想に、顔にまで金粉をメイクされています)。

 そんな中、脇役で大きく目を惹くのが、テバルドを歌うマリア・セレング。女優を思わせる美貌もよく目立ちますが、声も美しく安定している上、身軽で優美な身のこなしがまるでバレリーナのよう。「王が」という彼女の一声を、直前のエリザベッタの歌い終わりに被せるタイミングで飛び込ませているのは、指揮者の指示なのかユニークな解釈です。

 スタインの演出は、いつもながらシックで格調の高い美術と、巧緻なドラマ構築が見事。《ヴェールの歌》で女官達も群舞したり、火刑の場面では鐘の音に慌てて群衆が舞台上に走り集まってくるなど、合唱団の扱いも上手いし、バンダも舞台上で吹奏楽に演奏させています。この場面では、背後のスクリーンに広がる青空がだんだんと曇り、火刑に至っては真っ暗な中に炎が燃え上がるなど、もの凄い視覚効果。エボリ、ロドリーゴ、カルロの三重唱の場面で、提灯を使って幻想的な背景を作り上げているのも魅力的です。歌手への芝居の付け方も非常に細やかで、ドラマを分かりやすくする助けになっていて好印象。

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