バルトーク/管弦楽のための協奏曲

概観

 オーケストラの各楽器をソリストに見立てた、コンチェルト的発想の管弦楽曲。タイトルから協奏曲に分類している評論家もいますが、概念的にいわゆるコンチェルトとは異なると思います。こういうのは近代的な発想なのか、似たタイトルの作品も多く、ルトスワフスキの同名曲などは比較的よく演奏されます。

 私も好きだし、決してマイナーとは言えない曲ですが、それでもストラヴィンスキーの三大バレエやマーラーのシンフォニーに較べると、ディスクの数は少ないのではないでしょうか(ウィーン・フィルのディスクが無いくらいですから)。コンサートでもさほど耳にしません。かつて小澤征爾氏はこの曲を、現代のオケなら絶対に演奏できなければならない作品の一つだと力説していました。バルトークは、もっと人気が出ていい作曲家だと思います。

*紹介ディスク一覧

60年 ストコフスキー/ヒューストン交響楽団  

62年 ドラティ/ロンドン交響楽団   

62年 ケルテス/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

63年 アンチェル/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団  

69年 小澤征爾/シカゴ交響楽団   

72年 ブーレーズ/ニューヨーク・フィルハーモニック

73年 クーベリック/ボストン交響楽団   

78年 クーベリック/バイエルン放送交響楽団  

79年 マゼール/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

83年 ドラティ/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団   

87年 メータ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

87年 デュトワ/モントリオール交響楽団 

88年 プレヴィン/ロスアンジェルス・フィルハーモニック   

88年 ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団  

89年 レヴァイン/シカゴ交響楽団  

89年 インバル/スイス・ロマンド管弦楽団

89年 A・フィッシャー/ハンガリー国立交響楽団  

92年 ブーレーズ/シカゴ交響楽団

92年 ラトル/バーミンガム市交響楽団   

93年 ウェラー指揮 バーゼル交響楽団    

93年 ブロムシュテット/サンフランシスコ交響楽団 

94年 小澤征爾/ボストン交響楽団  

95年 シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団   

96年 サロネン/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

96年 A・デイヴィス/ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団

97年 I・フィッシャー/ブダペスト祝祭管弦楽団 

03年 ヤンソンス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団  

04年 ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団

05年 P・ヤルヴィ/シンシナティ交響楽団  

15年 ナガノ/モントリオール交響楽団    

16年 エラス=カサド/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 

17年 フルシャ/ベルリン放送交響楽団  

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“自由闊達な巨匠の棒に必至で食らいつくオケ。録音も優秀”

レオポルド・ストコフスキー指揮 ヒューストン交響楽団

(録音:1960年  レーベル:エヴェレスト・レコーズ)

 エヴェレストによる35ミリ磁気テープ録音は音質の良さに定評がありますが、私が聴いたのはSACD化されたもので、音の鮮度も最新録音と遜色のないほど。残響こそあまり豊富ではありませんが、ティンパニの力強い打音を軸に引き締まったオーケストラ・サウンドで、直接音も生々しく、色彩豊かな録音。強音部でも歪みや混濁がほとんど目立たず、年代の古さをほとんど感じさせません。

 第1楽章序奏部は、木管による上昇音型の応答フレーズを、アッチェレランドで軽く切り上げるのが独特。低弦の動機も妙にフットワークが軽く雄弁で、その身軽さがそのまま主部にも継続します。考えてみれば、ストコフスキーの演奏に顕著なバロック・アンサンブル的な一体感は、後世のピリオド系スタイルに先駆けたものとすれば言い過ぎでしょうか。時代を考えると、オケも奇跡的なまでに優秀な技術を披露しています。スコアの改変は目立たず、この指揮者としては正攻法の表現。

 第2楽章は速めのテンポで、部分的にフレーズを強調したり、落ち着きのない佇まいが完全にストコフスキー流。スネアドラムを太く重い音色で叩かせているのもユニークです。ハープのアルペジオなど、左右一杯に分離するステレオ録音の効果もよく生かされている印象。オケがまた健闘していて、指揮者の強引な棒にぴったりと付けているのに感心します。

 第3楽章も、ソロがみなマスの響きに埋没せず、浮き上がるようにフィーチャーされるので、実に明快で親しみやすく聴こえます。弦を中心とした旋律線の、語りかけてくるような饒舌さもユニーク。コーダ前の木管群のエピソードも微妙なアッチェレランドを盛り込み、まるで鳥が鳴き交わすような表現に仕上げているのが面白いです。第4楽章は、スケール感よりもインティメイトなまとまりを重視する録音、演奏。遠目の距離感で壮大に展開するディスクも多い中、真逆のアプローチで作品の本質を衝いている点は注目に値します。

 第5楽章も、小回りが利いて軽妙。歯切れの良いスタッカートも、シャープな効果を挙げています。ヒューストン響のサウンドは決して派手ではないですが、緊密な合奏力で闊達な棒に食らいついていて、ストコフスキーが録音に重用したのも頷けます。間合いを挟まず一気に突入するコーダでも、指揮、オケ共にスリリングなパフォーマンスを展開、思わず息を呑みます。

 

“すでにスペシャリストの貫禄を示す、シャープで明快ながら味わい深い名演”

アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1962年  レーベル:マーキュリー)

 ドラティの同曲ステレオ盤は、後年にコンセルトヘボウ管との再録音があります。このレーベルらしい、細部まですこぶる鮮明な録音。残響が適度で奥行き感もあり、ドライになりすぎないのは好印象です。

 オケも指揮者も冴え冴えとした語り口で切れが良く、実に明快な表現。この時期のロンドン響は、デッカやフィリップスの録音だと音が荒れたり乾いたりしますが、当盤は潤いのある美しいサウンドで耳に心地良いです。テンポは意外に落ち着いていて、彫りの深い造形。感情的にはドライにならず、控えめながらルバートは活用しているし、強奏部には熱っぽさも感じられます。ただ、ざっくりとした鋭利なアインザッツはドラティらしい所。

 経過的に流さず、集中力の高さでスピード感と緊張度を維持した第2楽章、アーティキュレーションにこだわりも聴かせる第3楽章、遅めのテンポで民俗的な味わいもたっぷり表出した第4楽章、デフォルメ気味の導入部から明晰な響きと設計力で巧みに盛り上げるフィナーレと、スペシャリストの貫禄十分。

“指揮者の美質が良く出た、ケルテスとベルリン・フィルの珍しい共演ライヴ”

イシュトヴァン・ケルテス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1962年  レーベル:オルフェオ) *モノラル

 ケルテスとベルリン・フィルの稀少な共演記録。ザルツブルグ、モーツァルテウムでのライヴ録音で、ベートーヴェンの8番、シュヴァルツコフと共演したR・シュトラウスの《4つの最後の歌》をカップリング。ケルテスの同曲は正規セッション録音がありませんが、来日して新日本フィルを振った古いライヴ映像(モノクロ)が発売されています。モノラルながら鮮明な録音。会場の残響は豊富ではないようですが、さほど気になりません。

 第1楽章は、冒頭から表情が雄弁で、細部が語りかけてくるような調子。低弦もむくむくっと急激にクレッシェンドするのがユニークです。弦のフレージングには粘性があり、序奏部の山場に向かっても、肌にまとわりつくようにうねるカンタービレが独特。主部も遅めのテンポで、細部をねっとりと歌わせます。オケがうまいので表現の密度は高く、熱量の高い演奏になっている所は注目。ソロも総じて達者です。

 第2楽章も、名技性が際立つオケと、スコアを自家薬籠中のものにしている指揮者の相乗効果で、生き生きと躍動する、情報量の多い演奏になっています(ホルンの吹き損ねなど、一部にミスあり)。第3楽章は、素朴な感触と豊かな滋味が同居する、ケルテスらしいリリカルな表現。

 第4楽章も、ともすれば現代性が表に出がちな曲調ですが、同郷の指揮者が振ると情緒的な部分がクローズアップされるのが面白いです。ちょっとした間の取り方やテンポの操作、楽器のバランスに、外国の指揮者にはない味わいがプラスされるせいでしょうか(途中、客席から派手なくしゃみが入ります)。

 第5楽章は、冒頭こそやや腰が弱く感じられますが、オケが強靭なアンサンブルを展開。ケルテスのドライヴ能力と切れ味鋭いリズムも相まって、迫力のクライマックスを形成します。民族舞曲のエピソードも、独特の味わいあり。

 

“あらゆるディティールが雄弁に語りかけてくる、全てにおいて驚くべき名演”

カレル・アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1963年  レーベル:スプラフォン)

 強奏部でわずかに歪みと混濁はあるものの、鮮明な録音。すっきりと明快なサウンドですが、ホールトーンは豊かで、音像がくっきりしているのに潤いと柔らかさもあるという、このコンビ、このレーベルらしい音になっています。

 第1楽章序奏部は、弦のトレモロや木管のソロの解像度の高さ、目の覚めるように清冽な鮮やかさが圧倒的。強奏部の明晰さ、巧みに加速するアゴーギクの自然さも耳を惹きます。遅めのテンポで克明に描写された主部も見事。全ての音符を完璧に音にしながら、力みのない棒でオケをみずみずしく歌わせてゆくスタイルは、一つの理想と感じられます。刺々しい所が一切なく、柔らかいタッチも感じさせながら、造形をこれ以上ないほど明快に切り出しているのは驚き。

 第2楽章もスロー・テンポで、一語一語を明瞭に発音する趣。スタッカートも、一音ずつ丹念に切ってゆく手触りがあります。それでいてフレーズがみな味わい深く、豊麗に歌われるのはアンチェルならでは。第3楽章も、一切の虚飾を排したストイックな態度にも関わらず、濃密に描写された細部が雄弁に語りかけてくるもの凄い演奏。オケの艶やかな音色と歌心も素晴らしく、精緻で立体的ながら、血の通った暖かみを失わない響きに圧倒されます。

 第4楽章は民族情緒が豊かで、独特の和声感が聴き所。バルトークのスコアは、音型の出自や意味合いを理解しない指揮者だと無機的に処理されてしまう傾向がありますが、当盤ではあらゆる音が常に意味深く響きます。第5楽章はスタッカートを多用した冒頭ホルンのイントネーションと、続くトゥッティの軽さ、歯切れ良さが斬新。テンポやフレージングに留まらず、あれ、こんな曲だったっけ?と耳を疑うほど全てが有機的に構築された、驚くべき名演です。

“スーパー・オケの名技性を生かし、多彩な表現を自信たっぷりに展開”

小澤征爾指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1969年  レーベル:EMIクラシックス)

 コダーイの《ガランタ舞曲》とカップリング。小澤は後にボストン響とも同曲を再録音しています。第1楽章は速めのテンポで音楽を弛緩させず、緊張度の高い表現。さらに加速してゆくアゴーギクのせいもあり、全体に熱っぽく、勢いがあります。強弱が細かく付けられ、雄弁な表情を付与しているのも個性的。合奏の精度が高く、各パートの自発的なパフォーマンスは生気に溢れます。ミシミシと音を立てる低弦の唸りも迫力満点。金管は力任せに吹かせず、ある程度抑制を効かせていますが、パワフルな圧力は充分感じられます。

 第2楽章は、オケが上手いのでそれだけでも成立している感じですが、アーティキュレーションもよく練られ、ダイナミクスが精緻にコントロールされた印象。パート間と和音のバランスがまったく見事で、ほぼ完璧という感じ。第3楽章は緻密なディティール描写とたっぷりしたカンタービレが好対照。音色の配合、色彩のセンスも冴えています。叙情性も豊か。

 第4楽章はやはり合奏力で聴かせますが、デリカシーと歌心が横溢する様も聴き所。若さゆえの未成熟さは微塵もなく、スコアを完全に掌握し、自信に満ちた音楽を展開する所に大器の予感を窺わせます。第5楽章は、テンポを落として芝居掛かった冒頭のファンファーレがユニーク。主部はスピード感を追求してスリリング。音圧の高い弦の超絶技巧アンサンブルは圧巻です。楽器間の受け渡しは寸分の隙もなく、スーパー・オケの面目躍如といった所。ラストへ向かう盛り上げ方も一級です。

“透徹したアプローチながらフィジカルな興奮も内在する歴史的名盤”

ピエール・ブーレーズ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

(録音:1972年  レーベル:ソニー・クラシカル

 当コンビのまとまったバルトーク録音の一つ。ブーレーズはその多くを後年シカゴ響と再録音しています。元はSQ4チャンネル録音で、楽器の配置をグラフィックに表示したジャケットも新鮮でした。私は勿論、通常の2チャンネルでしか聴いた事はありませんが、それでもこの時期にブーレーズとソニーの録音クルーが実現した、スピーカーの前で明瞭に分離した音が飛び交う感じは独特だったと思います。少し遅れて同レーベルに登場したティルソン・トーマスの録音群にもそのエコーが感じ取れるものが幾つかありましたが、彼らも、そしてクラシック業界のトレンドも、後年この傾向からは離れてゆきました。

 当盤の魅力的は、透明かつ正確な演奏でありながら、それでも烈しいエネルギーの放出や、フィジカルな興奮を抑えきれていない所でしょう。90年代以降、そういった部分までも全て冷静にコントロールできるようになったブーレーズの演奏は、これとは別種の価値を持つものとなってしまいました。従って、私はシカゴ響との新録音よりも、当盤の方が遥かに斬新でユニークなディスクだと思います。特に、第5楽章の猛スピードで突っ走るスリリングなパフォーマンスは、ヒリヒリするような都会の刺激的空気感を感じさせて圧巻。ぐっとテンポを落として大団円を迎えるコーダにも、どこかライヴ的な興趣があります。

 当時のニューヨーク・フィルは一匹狼の集まりという言われ方をしていて、アンサンブルこそ乱れる箇所はあるものの、スタンド・プレー気味のソロの名技性において、他では聴けない華やかさがあります。《火の鳥》や《中国の不思議な役人》、当曲には特に顕著にその傾向が出ていますね。オケのためのコンチェルトである同曲に、その資質がプラスに表れる事は言うまでもありません。隅々までクリアで立体的な録音共々、スコアが透けて見えるような表現は正に唯一無二。

“フレーズを旋律として解釈し、あくまでもメロディアスに歌わせるリリカルな表現”

ラファエル・クーベリック指揮 ボストン交響楽団

(録音:1973年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 クーベリックにはロイヤル・フィルとの旧盤やバイエルン放送響とのライヴもありますが、これは初演オケであるボストン響とのスタジオ録音。当コンビの録音は非常に少なく、他にスメタナの《我が祖国》、ベートーヴェンの《運命》しかないようです。

 第1楽章はたっぷりとした豊かな響きで開始。フルート・ソロも即興的な節回しで表情が豊かです。主部は落ち着いたテンポで、流れを大事にした造形。分析的な傾向がなく、あくまでフレーズを歌わせる事を重視しています。リズムの角が立たず、柔らかなタッチが支配的で、その分メリハリに欠ける印象あり。オケのまろやかな音色をよく生かしています。後半の木管ソロやアンサンブルなど、歌謡的な調子が雄弁そのもの。

 第2楽章はゆったりしたテンポで中身が濃く、音楽性豊か。アーティキュレーションやダイナミクスが細部までよく練られ、多彩なニュアンスに富みます。全体が生気に溢れ、ルバートの用い方も堂に入ったもの。恣意的な間合いを取りますが、作為や演出というよりも、歌う感覚を優先させている印象を受けます。オケの自発的な表現力が見事で、反応も機敏。

 第3楽章は暖かみのある音色で、ソフトな表現。滑らかなフレージングで流麗なラインを描く所、ハンガリー系指揮者の即物的な鋭利さとも異なる、独特の味わい深さがあります。情感も豊かで、ソノリティと歌い回しに特有のふくらみがあるのもボストン響の美質。ティンパニを伴う全強奏のアクセントも響きがふわりと軽く、それでいてスタッカートで歯切れ良く処理されているのが痛快。

 第4楽章は、しっとりとした歌心が印象的。各フレーズがちゃんと、メロディとして解釈されている点が素晴らしいです。どのパッセージも意味深く、含蓄を含んで聴こえてくるのはさすが。テンポの切り替えと場面転換にも、老練な語り口を聴かせます。

 第5楽章は、大きく間合いを採って芝居がかった開始。リズム感が良く、シャープなエッジが効いているし、底力もあります。民俗舞曲のエピソードも味わいに富む表現。スピード感はあるものの、急がず慌てず、不要に煽らないのは美点。ディティールの処理は緻密で、色彩感も鮮やか。

“自然体の指揮ぶりながら、鋭敏なセンスで細やかな味わいを表出”

ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:1978年  レーベル:オルフェオ)

 弦チェレとカップリングされたライヴ盤。クーベリックの同曲にはロイヤル・フィルやボストン響との旧盤もあります。第1楽章は力みのない棒さばきで、中庸のテンポ。無理なく自然体の音楽を紡ぎつつ、明快な造形性を感じさせるのがクーベリックらしい所です。強音部もアタックが柔らかく、威圧感のないフォルテを駆使しますが、後半部の金管アンサンブルなどは鋭利なエッジが効いて、音の抜けも良好。激しい緊張感こそありませんが、ゆったりとした余裕のある佇まいは、全楽章に共通する傾向です。

 第2楽章もさりげない調子で、淡々と進行。音色は多彩で、オーケストレーションの微細な効果は生かされています。フレーズの扱いが優美で、旧盤と同様に旋律を歌わせる事に傾倒した表現と言えます。オフ気味の録音のせいであまりクローズ・アップされませんが、鋭敏なリズム処理が細部に生彩を与えているのは美点。

 第3楽章は、各パートの音色美が聴き所で、ソロの歌いっぷりが魅力的です。ソノリティは細身で透明度が高く、トゥッティもヴィブラートで艶やかに歌うトランペット以下、立体的に鳴らしています。第4楽章も、ソロや各セクションの味わい深いパフォーマンスが素晴らしく、オケの優秀さを伝えます。尖鋭な音感とリズム感が駆使され、表情が常にくっきりとしているため、ネジの緩い演奏にはなりません。

 第5楽章は軽快なテンポで、スピード感と運動性を見事に表出。きびきびとした棒さばきでオケを自在にドライヴし、ライヴ的な高揚も加えて山場へと導きます。透徹した響きとシャープなリズム処理も効果的。色彩も鮮やかで、ダイナミックな迫力にも不足しません。

“細部に光を当て、カラフルかつエネルギッシュに音楽を作り上げるマゼール”

ロリン・マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1979年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《2つの映像》をカップリング。長らくCD化されていませんでしたが、ベルリオーズ/イタリアのハロルド、ラフマニノフの交響的舞曲等と併せ、同コンビの名演集という3枚組でタワーレコードが復刻してくれました。内容からしてマゼールが得意にしそうな作品ですが、意外にもこれが唯一の録音。

 演奏は、濃密でテンションの高いもの。オケの技術力も相当なものですが、録音もディティールを明瞭に拾ったカラフルな傾向で、細部にフォーカスする事も多いマゼールの指揮と相性抜群です。テンポはしばしば速めで、熱っぽい推進力があり、サウンドもダイナミック。両端楽章での振幅の大きな表現、トゥッティのエネルギー感なども作品にふさわしいものです。

 全体にリズムのエッジが鋭く、強めのアタックが躍動感を生んでいるのが特徴ですが、フレージングはしなやかで、このオケらしい艶やかさは魅力的。第1楽章など、独特の粘り気のあるカンタービレが妖しい光を放つ瞬間もあったりします。又、内声部の動き、特に木管の細かいパッセージなどを浮き出させ、立体感のある響きを作り出しているのも耳を惹きます。第2、第4楽章での室内楽的アンサンブル、第3楽章の深い奥行きもさすが。

“円熟の境地に達したドラティの至芸。鋭さと活力、味わいと高揚に溢れた超名盤”

アンタル・ドラティ指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1983年  レーベル:フィリップス)

 レコード芸術誌のレコード・アカデミー賞を受賞するなど、発売当初から評価の高い録音で、カップリングは《2つの映像》。ロンドン響との62年盤以来の最録音ですが、晩年のドラティ特有の、円熟味や余裕を感じさせながらナイフの様に切れ味鋭いリズムと若々しい活力を漲らせた演奏です。デトロイト響とデッカに残した一連のディスクとはまた風情が違って、こちらは豊かなホールトーンを取り入れた録音と、滋味溢れるヨーロッパ的な音色が特徴。緻密な合奏を得意とするコンセルトヘボウ管の特質は、欧州の名門オケの中でもこの曲に向いているように思います

 第1楽章は、どことなくまだ暖まっていないというか、冷静で淡々とした感じにも聴こえますが、第2楽章のアンサンブルの妙、第3楽章の共感に満ちた歌心はさすがのパフォーマンス。凄いのが後半二つの楽章で、第4楽章の味わい豊かなフレージング(エンディングなんて絶妙です!)の美しさ、そして第5楽章の祝祭的といっていい程の愉悦感はただ事ではありません。まるでライヴのような昂揚感があるのも素晴らしい所。作品を完全に手の内に入れたドラティの棒さばきは、至芸と呼ぶにふさわしいものです。

 残念なのは録音。デジタル技術を導入して間もない頃のフィリップスの録音は、アナログ時代のコンセルトヘボウの音と較べて響きが薄手で、金管の強奏など音が荒れる傾向もあります。それと、第1楽章の後半で編集のつなぎ目が雑な箇所があり、全強奏の残響をばっさり断ち切る形で次のパートが始まるのに強い違和感を覚えます。

“トゥッティの迫力に比し、あっさりしすぎて生気を欠く弱音部。オケはさすがの合奏力”

ズービン・メータ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団      

(録音:1987年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 当コンビのソニー録音第2弾(第1弾はR・シュトラウスの家庭交響曲とブルレスケ)で、《中国の不思議な役人》とカップリング。当コンビのバルトークは、五嶋みどりをソリストにした2つのヴァイオリン協奏曲も続いて発売されました。ちなみにメータの同曲録音は、イスラエル・フィルとの75年デッカ盤もあります。

 強音部が、メータらしいパワフルな牽引力と、ダイナミックで豊麗なサウンドを堪能させるのに対し、弱音部がなぜか生気を欠くのは残念。テンポが速めで、足取りが淡々としている事もありますが、フレーズにもあまり濃い表情を付与する事は避けられている印象で、全体にあっさりした性格です。しかし、両端楽章をはじめトゥッティ部の迫力は凄味があり、カップリングの《中国の不思議な役人》で聴かせる熱気を彷彿させます。

 オケの技術レヴェルは一級で、パフォーマンスとしてはさすがのもの。アンサンブルは完璧だし、メータの棒もシャープで切れ味の鋭さに不足はないのですが、何度聴いてもあまり印象に残らない、不思議なディスクです。ブーレーズくらい緻密さにこだわるか、逆にレヴァインくらい名技性を前面に出せば良かったのかもしれません。

“民俗性を異国情緒に変換し、管弦楽の魅力で押し切ったユニークな名盤”

シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団

(録音:1987年  レーベル:デッカ)

 弦チェレをカップリング。第1楽章は、序奏部から音彩の美しさが特徴的で、ヴァイオリン群がフォルティッシモで主題提示する箇所も、その艶やかな響きに耳を奪われます。主部も落ち着いたテンポながら、峻厳な切り口で明快に造形する一方、潤いのあるしなやかなサウンドが支配的。それがプレヴィン盤のように微温的な甘口に傾かないのは、タイトに引き締まったフォルムへの指向性と、音響そのものに力強い緊張感があるからでしょう。交響曲だと、それだけなら解釈面で失敗する可能性もありますが、この曲では有効なアプローチと言えます。

 第2楽章も、強めの音量で開始される冒頭のスネアドラムから語り口が雄弁で、音色のセンスも抜群。鋭敏で鮮やかなパフォーマンスを繰り広げます。コラールの柔らかなタッチ、豊麗なソノリティも秀逸。管弦楽の機能を根幹した作品なので、発色の良さがそのままメリットとなっている印象です。手兵のオケだけに、合奏の緊密さや一体感も魅力。

 第3楽章は、みずみずしい響きで爽やかに歌い上げたユニークな解釈。旋律美を備えた曲ではなくても、美音で共感を込めて歌われると聴き手は陶酔してしまう事が、この演奏から分かります。全強奏で繰り返し打ち込まれるアクセントは、指揮者によってはくさびのように激烈に表現する所ですが、当盤は抑制が効き、ソフィスティケイトされた造形。

 第4楽章も生彩に富み、生き生きと躍動するアンサンブルが見事。カラフルな色彩感も、新鮮な魅力に繋がっています。バルトークがこのように楽しく演奏される事は少ないですが、当盤を聴く限り、相当に有効なスタイルと思われます。まあ民俗性をそのまま異国情緒に置換してみれば、レスピーギやファリャ、リムスキー=コルサコフと同列に並べても違和感はないという事でしょうか。

 第5楽章も、音を割ったブラスや切っ先の鋭い弦楽合奏をはじめ、ダイナミックで発色の良い演奏。思い切った表現を盛り込みながらも、全体をウェル・バランスでまとめているのが美点です。美麗なサウンドに耳が行きがちですが、実際にはかなりシャープで烈しい演奏。特殊奏法もデフォルメ気味に際立たせる一方、民族舞曲の箇所は土俗性よりリズムの小気味好さが前に出ます。後半部の高揚感も物凄く、オケをパワフルに牽引する熱っぽい棒さばきが迫力満点。

 

“楽天的でおっとりした性格。緊張感はないものの、甘口で親しみやすい演奏”

アンドレ・プレヴィン指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1988年  レーベル:テラーク)

 ヤナーチェクの《シンフォニエッタ》とカップリング。第1楽章は、強弱のニュアンスを細かく付けて表情豊か。ティンパニの強打など力感が漲りますが、楽天的な性格で、強い緊張感などはありません。金管のアンサンブルもゴージャスな響きで、聴き応えあり。第2楽章は遅めのテンポで、細部をじっくり描写。音色のセンスも敏感ですが、ややおっとりした雰囲気で、ある種の鋭さは欲しくなります。メリハリも弱く、甘口が好きな人向けという感じ。

 第3楽章は、強奏部の豊麗なソノリティが魅力的。オケの機能性がよく発揮され、音色の美しさにも欠けていません。第4楽章は落ち着いたテンポで、開始早々のオーボエ・ソロが実に味わい深いパフォーマンス。続く木管群も好演しています。第5楽章は、特にスピードを追求しないものの、ダイナミックな描写力で、起伏に富んだ音楽作りを聴かせます。場面転換や各部のムードの表出もうまく、高い技術力を誇るオケと共に、エンタメ精神に溢れたパフォーマンス。良くも悪くも映画音楽的な演奏、というひと言に尽きます。

“驚きの連続! 全編が聴き所の、聴けば聴くほどため息が出る圧倒的名演”

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:デッカ)

 ルトスワフスキの同名曲とカップリング。当コンビは弦チェレも録音している他、ドホナーニにはウィーン・フィルとの《中国の不思議な役人》全曲、《2つの肖像》の録音もあります。クリーヴランド管の同曲録音は珍しく、他にはセルの古い音源があるだけかもしれません。それにしても凄い演奏で、デッカの優秀録音も手伝って、このコンビの多くのディスクと同様、正に驚きの連続。

 第1楽章から、とにかく音色の多彩さに驚かされる演奏。ニュアンスが不足して無表情になりがちな曲ですが、これほど表情豊かに演奏された例も稀少かもしれません。音色のみならず、フレージングやアゴーギクも実に雄弁で柔軟性に富み、スコアから新鮮な魅力を引き出している所、当コンビの数ある非凡なディスクの中でも随一の名盤という印象。ダイナミックな活力を保持しながら、響きが整然としていて、肩の力が抜けた軽妙さが感じられるのも凄いです。無類に歯切れの良いスタッカートも魅力的で、全編が聴き所の連続。

 第2楽章も、たっぷりとした音響を展開して余裕に溢れ、こんなに情感の豊かな曲だったっけ?と他のディスクを聴き直さずにはいられなくなるほど。メインのやり取りの背後で、弦が超高音域のロングトーンを発したり、トリルでそっと入ってきたり、こんなに色々な事をやっていたかと、スコアの再確認を促すような清新さもあります。

 第3楽章も音色のパレットが圧倒的に豊富で、色彩が鮮やかに冴え渡る一方、柔かな肌触りやまろやかさもあって、その魅力は一筋縄ではいきません。トゥッティのアクセントもパンチが効いていると共に弾力性があり、常に相反する要素を持ち合わせる二面性の凄味。第4楽章も暖かみのあるソノリティで、これだけ精確緻密に細部を処理しながら、冷たい感触が一切ありません。アゴーギク、デュナーミクも自在で音楽が生気に溢れ、情感もたっぷり注入。

 第5楽章は、冒頭のホルンが軽妙なイントネーションですこぶるユニーク。皮の質感も生々しいティンパニのアタックや、テューバ、バス・トロンボーンの唸りも、デッカ・レーベルの音質的伝統を如実に表します。大音響で押す所はなく、テンポも落ち着いていてリラックスした雰囲気ですが、合奏の密度や技術力は圧巻のひと事。細部が濃密なため、音色や語り口の味わいやコクが尋常ではありません。

“オケの機能を全開にしながらも、粘性を帯びた歌と卓抜な構成力で聴かせるレヴァイン”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1989年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 弦チェレとカップリング。レヴァインのバルトークは、後にミュンヘン・フィルとのライヴ盤で《中国の不思議な役人》組曲、ピアノ協奏曲第、歌劇《青ひげ公の城》の録音があります。

 第1楽章は、冒頭の弦の動きから起伏が大きく、表情が雄弁。テンポも速めで、内面に熱っぽさを秘めています。主部も音圧が高く、エネルギー感が強いですが、旋律線は意外に粘液質。湿り気のある音色と肌にまとわりつくような歌い回しで妖しくうねる様は独特です。一方、鮮烈に打ち込まれるティンパニがアクセントとなり、メリハリは明瞭。金管のアンサンブルもパワフルですが、角を立たせず、ソステヌートで吹かせる傾向もあります。

 第2楽章は、尖鋭な音感とリズム感で細密に描写。シカゴ響の同曲録音は数点ありますが、こういう作品にはうってつけの高機能オケだと改めて感じます。第3楽章も発色が鮮やかで、全てをクリアに描き出す趣。ダイナミクスの振幅が大きく、出力に余裕を感じさせます。響きはドライになりすぎず、明朗で艶やかな音色によって潤いを維持しているのが好感触。和声のバランスや各部の表情も、精妙に表現されています。

 第4楽章は、各パートが達者なソロを聴かせながら、前に出過ぎないさじ加減が絶妙。こういう多様な音響要素を含み、急激な場面転換を伴う音楽はレヴァインの得意とする所で、ドラマティックな語り口でスコアを有機的に組み立ています。第5楽章は指揮もオケも腕の見せ所ですが、そこは心得たもの。凄絶なフォルティッシモを響かせる一方、細部の解像度が高く、構成力も卓抜で派手なお祭り騒ぎには終りません。もっとも、突き抜けるような力感の放出と、スポーティーな躍動感は胸のすくように爽快。

“スローなテンポと重心の低い表現、磨き抜かれた緻密な響き”

エリアフ・インバル指揮 スイス・ロマンド管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:デンオン)

 弦チェレとカップリング。当コンビの録音は、他にR・シュトラウスのアルバムが4枚あるのみ。インバルのバルトーク録音は、フランクフルト放送響との歌劇《青ひげ公の城》もあります。インバルとスイス・ロマンド管はユニークな組み合わせですが、録音の傾向もあって、アンセルメ時代の同オケとは別団体のような印象。豊麗で艶やかなソノリティと繊細なアンサンブルに、優れたオーケストラ・ビルダーとして知られるインバルの手腕が十二分に発揮されています。

 演奏は、遅めのテンポを基調に、濃密な表情付けを施したもの。第1楽章は序奏部から強弱の多彩なニュアンスに耳を惹かれますが、主部は重心が低く、悠々と迫り来るような表現。アタックを強調せず、しなやかなフレージングで柔らかい響きを作り出す一方、やや角の立ったリズムの正確な処理はマゼールに通じる雰囲気もあります。

 第2楽章は、異様なほどのスロー・テンポが通常と別種のグルーヴを醸し出す独特のアプローチ。大抵は強拍と弱拍の交代による音響的コントラストと運動性が前面に押し出される曲ですが、インバルの演奏で聴くと、ひなびた民族舞曲のように聴こえます。金管のコラールも、残響の多い録音と相まって、より一層コラール的な性格を強めています。

 第3楽章は、透明でありながらリッチなトーンが魅力で、トランペットを伴うトゥッティ部の柔らかく豊麗なサウンドは聴きもの。第4楽章においても、インバルらしいアーティキュレーションとデュナーミクの克明な処理が効果を挙げていて、途中に現れるおどけた調子のエピソードなど、図抜けた描写力を感じさせます。フィナーレも、徹底的に磨き抜かれた精緻な音響が鳴り響く、聴き応えのあるパフォーマンス。ティンパニのクレッシェンドの迫力など、後年のインバルを彷彿させる凄味を帯びた表現も聴かれます。ぐっと腰を落としたコーダの締めくくり方も堂に入った表現。オケの好演も光ります。

“独自の論理を貫き、あくまで本物の凄みで聴かせる圧巻のパフォーマンス”

アダム・フィッシャー指揮 ハンガリー国立交響楽団

(録音:1989年  レーベル:ニンバス)

 同コンビによるバルトーク・シリーズから。ブリリアント・レーベルから5枚組のセットでも出ています。残響を豊富に取り入れた録音で、そこに抜けの良いシャープなブラスが入るイメージは、シャンドス辺りと共通するサウンド傾向。全体に言える事ですが、彼らのバルトークは欧米諸国の一般的なそれと全く違う視座から解釈されています。ウィーン国立歌劇場をはじめ各地のオペラハウスで国際的に活躍しているフィッシャー兄も、ここでは平素の器用な指揮ぶりとは異なる側面を見せる印象。

 第1楽章は、たっぷり時間をかけて濃密に描写。旋律線は粘りが強く、そもそも音楽のメリハリの付け方自体が独特の論理に基づいています。それが例えばクルレンツィス辺りの、音楽界に激震を走らせてやろうという野心みたいなものには立脚せず、ひとえにこれが母国語の音楽である事に起因するのが面白い所。それでこそ、ハンガリーの国立オケを振る意味があります。リズムは鋭敏でアクセントもシャープですが、音楽全体の流れが一つの大きなうねりを成す感じがユニーク。

 第2楽章も遅めのテンポで、情感と味の濃さが持ち味。こういう表現を聴くと、さらさらと機能的に流れてゆく多くの演奏はディティールが印象に残らず、淡白に過ぎるように思います。第3楽章は湿度の高い響きでしっとりと描写。彼らのピアニッシモは単に弱いというだけでなく、深々とした奥行きを伴うのが面白い所です。私のような外国人には、情景が浮かぶという訳にはいきませんが、何か自分の知らない景色がそこにあるという、気配のようなものが漂う感じ。音色と和声感も独特です。

 第4楽章はコントラストが極端で、商業音楽による中断のエピソードではブラスのアクセントをはじめデフォルメが目立ちます。第5楽章は遅めのテンポでスピード感に走らず、細部を濃密に描写してゆく趣。民族舞曲の箇所など何とものんびりした調子ながら、正にこれだという本物の手応えを感じさせて情感たっぷりです。しかし大人しい演奏ではなく、後半部のエネルギー感は凄絶。パワフルなブラス・セクションを中心に、底力を見せます。コーダ近くのルバートなど、アゴーギクも巧妙。

“角が取れて丸くまとまったブーレーズ再録音。オケも至って自然体”

ピエール・ブーレーズ指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1992年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 同コンビによるバルトーク・シリーズの一枚で《4つの小品》をカップリング。ヴィルトオーゾ・オケを起用した再録音という事で大いに期待しましたが、第1楽章序奏部からして、旧盤の張りつめた緊張感はどこかへ消し飛び、すっかり角が取れてまろやかになった印象。全体にアタックが丸くなり、アグレッシヴな推進力が後退する一方、旋律線のニュアンスは増しています。

 アンサンブルも、ニューヨーク・フィルの良くも悪くもギスギスとした感じからすると、ここでのシカゴ響は遥かにまとまりが良く、自然体の合奏。しかし、オーケストラのための協奏曲という作品のコンセプトに即した旧盤と較べるとシンフォニックにまとめすぎた感もあり、曲の意図する方向とは逆に行ってしまった恨みもあります。

 第5楽章も、何かに憑かれたかのように暴走する旧盤と較べると、基調となるテンポこそ速めではありますが、緩急がはっきりして弱音部で落ち着いてしまう、割と普通の構成になっています。コーダでテンポを落とす表現も健在ですが、楽章全体のテンポ設計が比較的まともなので、さほどの即興的興奮はありません。

 

“ライヴ収録ながら、オーケストレーションの妙を余す所なく伝える名演”

サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

(録音:1992年  レーベル:EMIクラシックス)

 翌年録音の《中国の不思議な役人》とカップリング。ラトルのバルトークは他にピアノ、ヴァイオリン協奏曲の録音もあり、まとめてボックス化されています。ボックスには表記がありませんが、最後に拍手が入るのでライヴ録音。全体にゆったりしたテンポを採りつつも、オケの優秀な技術を余す所なく発揮させた、極めて端正で機能的な演奏。その意味では作品の目的を真面目に遂行した表現ですが、情感の面では民族色がきれいさっぱり洗い流された印象です。

 ただしこれは無味乾燥という意味ではなく、同コンビの特色として、旋律線(特に弦楽セクション)に独特のなまめかしい艶があるのはユニークです。アゴーギクも自在で、第2楽章における楽想の移り目や、第4楽章後半で主部に復帰する箇所では、即興的なブレーキがあちこちに聴かれます。前者では、中間部の金管コラールが素晴らしく、フレーズの切り方と呼吸、響きなど、どれも絶品。後者では、弦の叙情的な主題をすこぶるデリケートに、柔らかく演奏しているのが耳に残ります。

 圧巻はフィナーレ。一転して切迫したスピーディなテンポを採り、見事に統率されたアンサンブルでスリリングに山場を形成するパフォーマンスには圧倒されます。オケが大変に巧く、特に弦の磨き抜かれた美しい音色と、急速なパッセージでも一糸乱れぬ緊密な合奏能力はヴィルトオーゾ風。全編に渡り、バルトークのオーケストレーションの妙を余す所なく伝える名演だと思います。ライヴながら、高解像度で分離の良い録音もメリット。

“スロー・テンポで濃密な細部と熱っぽい身体的興奮の絶妙なバランス”

ワルター・ウェラー指揮 バーゼル交響楽団

(録音:1993年  レーベル:ARS MUSICI)

 ヤナーチェクのラシュスコ舞曲集とカップリング。東欧の作品に特別な共感を覚えるというウェラーですが、出自がそちらの方なのかもしれません。元ウィーン・フィルのコンマスらしく、彼が作るサウンドはどれも弦の艶やかなカンタービレが魅力的ですが、当盤も例外ではありません。オケ全体としてもレヴェルの高い合奏を繰り広げているし、適度な残響を取り込んで奥行き感のある録音も聴きやすいです。

 演奏は素晴らしく、遅めのテンポで凄味を帯びた第1楽章から求心力満点。最初のトゥッティにおける、後へ後へと重しを付けるティンパニのタイミングも最高ですが、ねっとりとした粘性を伴う弦のフレージング、熱っぽい後半の盛り上がりもさすがです。潤いのある美しい音色も魅力。 

 第2楽章もスロー・テンポでディティールが雄弁に表現されて味が濃いですが、大きく力点が置かれた第3楽章は圧巻。悠々たる足取りで濃密に描写される弱音部と、熱量が内圧に漲るカンタービレの対比に思わず引き込まれます。第4楽章では推進力が強調されますが、ニュアンスは相変わらず多彩で、どこをとっても有機的な表現。一転して前傾姿勢で、沸き立つような躍動感に溢れた第5楽章も、身体的な興奮が作品の本質を衝く解釈と言えます。

“誠実なアプローチながら、作品本来の魅力と味わいを最大限に抽出”

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 サンフランシスコ交響楽団

(録音:1993年  レーベル:デッカ)

 交響詩《コッシュート》をカップリング。第1楽章は序奏部から句読点が明確で、金管のパッセージも一音ずつ明瞭に区切っているのがブロムシュテットらしい所。ティンパニの強打も峻烈で、しなやかな旋律線と好対照を成しているのもこの指揮者らしい造形です。アクセントが鋭く、リズムをきっちり打ち出すのは彼の常ですが、即物的な演奏にならないのは、歌謡的なフレージングと響きの温度感ゆえでしょうか。強奏部でも柔軟性と弾力があり、響きが硬直しないのは美点。金管のフーガも、深々と響き渡るサウンドが魅力的です。

 第2楽章は、微妙に煽りの入る速めのテンポが絶妙。常に少しだけ腰が浮いているようなパフォーマンスですが、それが独特の緊張感を生んでいます。鋭敏なリズム処理もスピード感を倍増。技巧の誇示を禁じた自然体の佇まいながら、各パートの好演も光ります。第3楽章も一切の虚飾を排した表現ですが、起伏の作り方とと情感の濃さは聴き所。潤いを帯びた響きと、流麗なカンタービレも美しいです。

 第4楽章も中庸のテンポで落ち着いた佇まいながら、細部まで鮮やかに照射され、一点の曖昧さも残しません。精妙な音色センスも非凡。どのような作品であっても、こういうディティールの味わいで聴かせる演奏は本物だなと感じます。第5楽章は活力に溢れ、鮮烈な音響で勢い良く切り込んでゆく凛々しさがありますが、色彩的にどぎつくなる所は全くなく、常に暖かみと柔らかな手触りを残しています。フレーズの出し入れも巧妙な手付きで采配され、クライマックスは迫力満点。

“自信に溢れた演奏ながら、指揮者の真面目さが評価の分かれ目。初演版エンディング使用”

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団

(録音:1994年  レーベル:フィリップス)

 《中国の不思議な役人》とカップリングされたライヴ盤で、冒頭にも拍手が入ります。シカゴ響との69年盤以来の再録音。終楽章のコーダ(603小節から)は通常の23小節版ではなく、クーセヴィツキーが初演に用いたという5小節のヴァージョンで演奏されていますが、終り方としてはいささか唐突で、現行版のエンディングの方がやはり聴き応えがある感じ。

 これは本場物というか、元々ボストン響のために書かれた曲なので、さすがに自信に満ちあふれた演奏となっています。特に、アンサンブルの構築はこの指揮者の得意とする所で、第2楽章の、対の楽器の組み合わせで音楽が進んでゆく箇所など、いかにも緻密に練習された感触があります。ただ、このコンビの常として民族色や感情的側面にはあまり深入りしないのが好みを分つ所。

 速めのテンポでまとめた第2楽章、逆にゆったりと構えた第4楽章、途中の叙情的な旋律をぐっと腰を落として聴かせる第3楽章など、各曲の性格は丹念に描き分けられています。フィナーレもライヴらしい興奮を煽るものではなく、全体としては指揮者の生真面目が出た、良くも悪くも折目正しい演奏。

 

“ソフトで親しみやすい性格ながら、細部を徹底して精緻に仕上げた鮮やかな名演”

リッカルド・シャイー指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1995年  レーベル:デッカ)

 97年録音の《中国の不思議な役人》とカップリング。落ち着いたテンポで、細部を緻密に仕上げた美しい演奏です。第1楽章は気負いがなく、磨き上げられた音色が艶やかですが、技巧的に完璧でリズムも正確。さすがは現代音楽を得意にしているシャイーだけあって、全てが鮮やかで明晰。ただ、どぎついアクセントや強い緊張感は避けられていて、その意味では柔らかく、親しみやすい表現と言えます。第2楽章はリズムと音色に鋭敏なセンスを発揮し、精緻で繊細。アゴーギクも巧妙で、アッチェレランド、リタルダンドを効果的に盛り込んでいます。

 第3楽章は光沢を放つ弦の音色が魅力的。作品のイメージとは少し肌合いが違いますが、そういう時代に突入しているのかもしれません。柔らかな叙情がある一方、スコア再現の徹底した精密さは特筆ものです。透明度の高い、立体的な響きもさすが。第4楽章はかなり遅めのテンポで、フレーズを丹念に歌わせてゆく行き方。第5楽章もスロー・テンポで、たっぷりした出だし。潤いや暖かみと克明さを両立している所が凄いです。コーダも余裕たっぷりで、ゴージャス&リッチな響きが独特。

“鋭い読譜能力でスコアを音化し、楽章の性格も見事に描き分ける鬼才サロネン”

エサ=ペッカ・サロネン指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1996年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 弦チェレとカップリング。当コンビのバルトーク録音は他に《中国の不思議な役人》組曲、ピアノ協奏曲全曲(ブロンフマン)、ヴァイオリン協奏曲第2番(ムローヴァ)があります。オケを自在にコントロールし、スコアを精密に再現しながら、各楽章の性格を巧妙に描き分けた、サロネンらしい視点が光る好演。

 第1楽章は、序奏部から非常にテンポが遅く、彫りの深い造形。じっくりと時間を掛けて、低弦のユニゾンに様々な強弱の濃淡を付けてゆくのに息を飲みます。主部も落ち着いたテンポを採り、ディティールまで入念に処理。続く3つの楽章も緻密な表現で、オケも好演していますが、録音はややオフ気味で、腰の強さとぱりっとした色彩感が不足しがちです。第3楽章の後半、オケの全強奏アクセントが連続する箇所で、ヴァイオリン群の上昇グリッサンドを浮かび上がらせているのはユニークな効果。

 フィナーレは猛烈なテンポと弾みの強いリズムがスリリング。卓越したリズム・センス、錯綜したテクスチュアに対する音処理の鮮やかさなど、指揮者の才気を感じさせる聴き所が目白押しの一方、弦のハンガリー民謡風のテーマにおけるグリッサンドを盛り込んだ奏法なども、見事に生かされています。コーダのエネルギー放出の凄さも迫力十分。

“リズム、音感、フレージングと申し分ない出来映えながら、強い個性には欠ける印象”

アンドルー・デイヴィス指揮 ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニ管弦楽団

(録音:1996年  レーベル:フィンランディア・レコーズ

 ルトスワフスキの同名作品をカップリング。残響の豊かな録音は魅力で、美しい響きとシャープな感覚で聴かせる演奏もなかなかのものですが、指揮者、オケ共に、ここで挙げたラインナップの中では個性が乏しく、不利と言わざるを得ないディスクです。いつも思うのですが、A・デイヴィスの録音は大概オケで損をしているような。図抜けた才能のある指揮者なのに、どうして一流オケとのレコーディングが少ないんでしょうね

 第1楽章は冒頭からしなやかな表情が耳を惹きますが、主部は小さくまとまった印象で、アグレッシヴなメリハリには不足します。リズムや音感のセンスが良く、名盤の多いこの作品でなければ好演として挙げられたかも。偶数楽章は特に弱く、第2楽章などは遅めのテンポを採択したせいか、どこか微温的な印象。第3楽章は弱音部、強音部共に、響きの作り方の巧さとフレージングの美しさがよく出ていて、トゥッティ部の歌うようなトランペットなども印象的です。フィナーレは、アンサンブルの緻密な処理、カラフルな色彩感やシャープなリズムが生きた好演ですが、残念ながらやはり、強いインパクトを欠く感は否めません。

 

“オーソドックスな造形ながら、濃密な表現と熱い気迫を聴かせる本場の凄み”

イヴァン・フィッシャー指揮 ブダペスト祝祭管弦楽団

(録音:1997年  レーベル:フィリップス)

 バルトーク・シリーズの1枚で、《村の情景》《コシュート》とカップリング。彼らは他に2枚、同レーベルへ管弦楽アルバムを録音している他、協奏曲の録音もあります。。このレーベルらしい好録音で、鮮明に直接音を捉えながら、適度な残響で潤いと柔らかさを加えた、魅力的なサウンドになっています。

 全体にオーソドックスな造形を貫きながら、その中に濃密な表現を繰り広げてゆく演奏。第1楽章は引き締まったテンポで緊張感を維持し、凝集された合奏で細部まで緻密に描写しています。極度に尖鋭なエッジや無用な力こぶを作る事はありませんが、筆致は冴え冴えとシャープで、常に覇気と勢いがあって、前傾姿勢の熱いパフォーマンスと言えます。

 第2楽章も前のめりの快速テンポが非常に効果的で、こうやって聴くとバルトークが本来意図したテンポとしては、これ以外に考えられなくなります。イン・テンポではなく、楽想に合わせて自在にアゴーギクを操作する手腕も見事。第3楽章も速度を落としすぎず、常にアタックのスピード感とタイトなフォルムを心がけている様子。オケの艶めいた音色も表面的でなく、合奏ともども有機的に構築された印象を与えます。

 第4楽章は落ち着いたテンポを採択。この楽章に限らず、一流の指揮者、オケでも空虚に響く事のある作品ですが、当盤ではあらゆる音が意味深く鳴るのが凄い所。弦の悲歌の再現を再弱音で弾かせている所は、聴いていてはっとさせられます。第5楽章も平均的な速度ですが、細かい音符まで鮮やかに処理しているので、音に気迫が漲っていて圧倒されます。大地に根を張ったような、独特の凄みのあるフォルティッシモも見事。

 

“細部の明瞭さ、パワフルな凄味において、翌年収録のバイエルン盤には及ばず”

マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:2003年  レーベル:RCO LIVE)

 当コンビのライヴ音源集成ボックスから。ヤンソンスの同曲録音はこの翌年、バイエルン放送響とのライヴ盤もあります。例によって残響の豊富な、オフ気味の録音なので、細部のクローズアップも欲しい作品の性質を考えると、録音のコンセプトはバイエルン盤の方がふさわしいかも。

 演奏の度に解釈を変える指揮者ではないし、録音時期も近いので、アプローチにさほど相違はなく、オケの個性と録音の方向性で選ぶ感じです。そうなると当盤は単発で購入できない分、不利でしょう。オケは技術的に一流で美音だし、細部まで表情付けが徹底していますが、パワフルな凄味ではバイエルン放送響に軍配が上がります。奇を衒った解釈はなく、遅めのテンポで細部まで丹念にニュアンスを施し、ライヴ的な感興を高めてゆく行き方はヤンソンス印。第5楽章の鮮やかな音彩はさすがです。

“唖然とするほど巧いオケを自在にコントロールし、有機的に音楽を作り上げた名演”

マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:2004年  レーベル:ソニー・クラシカル

 《中国の不思議な役人》組曲、《ダフニスとクロエ》第2組曲とカップリングされたライヴ盤。ヤンソンスは90年にもオスロ・フィルと同曲を録音しています。音質こそ放送録音的にやや歪みますが、演奏自体はライヴとは思えないほど完璧なパフォーマンス。バイエルン放送響は今や当代随一のオケといってよく、コンディション次第ではウィーン・フィル、ベルリン・フィルを凌駕すると感じさせる凄さがあります。

 落ち着いたテンポの第1楽章は、音色の鮮やかさとディティールの表情が素晴らしく、最初の山場ではティンパニのリズム感、ダイナミクスが共に秀逸。弦も雄弁で、ソロ楽器は軒並み好演しています。後半のブラスのアンサンブルも圧倒的で、オケの能力を最大限に引き出しつつ、全体を有機的にまとめあげる能力に長けたヤンソンスには最適の作品と感じられます。第2楽章もリズム・センスが良く、細部にまでじっくりと生気を吹き込んだ印象。それにしても、オケがとにかく巧いです。

 第3楽章はカンタービレの一体感が見事で、ルバートの連続でも乱れない合奏力はさすが。弦の艶やかな音色は魅力的で、トゥッティの豊麗な響きにはコクと輝きが感じられます。細部までよく練り上げられた第4楽章も、入念なリハーサルが行われた事を窺わせるパフォーマンス。第5楽章は、オケの機能の高さが如実に反映された、極めて集中力の強い熱演。切れ味の良いダイナミックな表現もさることながら、中間部において、民族的旋律を歌い上げる弦楽セクションのニュアンスの多彩さも特筆もの。

“随所に指揮者の才気を感じさせるものの、オケが非力”

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 シンシナティ交響楽団

(録音:2005年  レーベル:テラーク)

 ルトスワフスキの同名曲をカップリング。テラーク特有のコンサート・プレゼンスを優先した録音で、距離感が遠目なので、細部の解像度がもどかしい印象もあります。

 第1楽章はかなり遅めのテンポを設定し、粘性を持たせたフレージングでねっとりと歌わせる表現が個性的。ティンパニなどは抑制されたバランスですが、リズム感は鋭敏で、躍動感も確保されています。録音のせいか、オケの実力か、色彩の鮮やかさが今一つなのが残念。金管のアンサンブルは、リッチな響きがいかにもアメリカの団体らしいです。

 第2楽章は速めのテンポ。強弱を敏感にコントロールしている上、細かいルバートやアクセントなどニュアンスも豊かで、集中力の高い演奏です。響きは精妙で、音色に磨き抜かれた美しさがあるものの、ややフォーカスが甘く、さらにきりっとした輪郭が欲しい所。

 第3楽章はさらにメリハリがあればと思いますが、語調をはっきりと打ち出したフレーズもあったりして、凡庸には陥りません。深々とした叙情の表出にも才気を示します。第4楽章はかなり速めのテンポ。ここではシャープなエッジが際立ち、楽想の対比やデフォルメ、明敏なリズムなど、生彩に溢れた音楽作りが聴かれます。音を割ったトロンボーンのグリッサンドもユーモラス。

 第5楽章は勢いのあるアタックで動感を強調し、エネルギッシュな推進力で突き進む演奏。各部の表情付けは意外に濃厚で、細部が雄弁に語りかける趣もあります。ちょっとしたアゴーギクやデュナーミクの演出も、気が利いていて小粋。機能性ばかりを追求せず、歌の感覚や情感を逃さずキャッチするセンスに、パーヴォの才覚が表れています。鋭利な棒さばきで緊迫感を高めながら、グリッサンドを強調して終えるコーダもスリリング。

“リズムよりもフレーズ重視。楽章と楽想のコントラストが弱まるのはデメリット”

ケント・ナガノ指揮 モントリオール交響楽団

(録音:2015年  レーベル:オニックス)

 デュメイをソリストに迎えたヴァイオリン協奏曲第2番との2枚組で、ライヴ収録。全体にゆったりしたテンポを採択し、音価も長く取った、余裕のある流線型のプロポーションが特徴です。

 第1楽章は低弦がしなやかでスムーズ。木管の彩りも含め、柔らな手触りのサウンドです。旋律線に独特の粘りがあり、最初の山場も、艶めく弦の歌いっぷりが非常に印象的。リズムの交錯より、フレーズの繋がりに重きを置いたアプローチで、これは弦から金管に至るまで徹底されています。トロンボーンのパッセージも角を丸め、レガートで歌うのが独特。全てをソステヌートで統一しているというか、少なくともスタッカートは極力排除しているようです。それでもコーダに向かう辺りの、ずれた拍節感の面白さはきっちり表出。

 第2楽章はしなやかに歌う表現ながら、軽快さもきちんと確保。ただ、管楽器群の二重奏に特有の粘りやクレッシェンドを盛り込む辺り、やはりフレーズ作りに重点を置く行き方が顕著です。個人的には、もう少し鋭敏さが欲しい感じ。第3楽章は、冒頭からしっとりした情感と湿り気、妖しい色合いが魅力満開。まろやかにブレンドした、ソフトな弦の響きがとにかく美しいです。旋律線を心行くまで歌わせる充実感がありますが、アゴーギクの操作も巧みで構成はしっかりしています。

 第4楽章はテンポが遅く、軽快さより叙情的な歌い口が勝る表現。ユニークな解釈ですが、楽章間及び楽想間の対比や、性格の描き分けが明瞭でないのはデメリットかも。第5楽章はソフトに開始。テンポも落ち着いています。艶やかなサウンドには緻密さもあり、個性的ではあるものの、音楽の運びはやや腰が重く、血の気も薄い印象。エネルギッシュとはいかないまでも、今一つ活力があればと思います。中間部の弦による民俗舞曲風のエピソードは、アクセントやグリッサンドの効果が面白い味付け。コーダは熱っぽさこそないですが、骨太な迫力で聴かせます。ラストで大きくテンポを落とすのも効果的。

 

“おそろしく精度の高い描写と目の覚めるような色彩感で、楽曲のイメージを刷新”

パブロ・エラス=カサド指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2016年  レーベル:ハルモニア・ムンディ)

 同じくスペイン人のピアニスト、ハヴィエル・ペリアネスをソロに迎えたピアノ協奏曲第3番とカップリング。エラス=カサドはバイエルン放送響と複数の録音がありますが、ミュンヘン・フィルとは恐らくこれが唯一のレコーディング。残響を抑え、直接音を生々しく聴かせる録音ですが、サウンド自体にしなやかな弾力性があり、ドライになりすぎたり硬直したりしないのは美点。

 第1楽章は、序奏部から弦のトレモロの解像度が高く、早くも精緻な音作りに圧倒されます。奇を衒う事はなく、正攻法の表現ではありますが、合奏の精度とすこぶる丁寧なフレージングゆえ、作品が目の覚めるように刷新されて聴こえるのが凄いです。自在に呼吸するアンサンブルはHIPの系統とも言えそうですが、透徹した響きで、スコアのあらゆるレイヤーを鮮やかに照射する辺り、もうブーレーズの方法論が当たり前に身に付いた世代という感じがします。

 第2楽章はテンポが速く、機敏なレスポンスで動感を強調。というより、そもそもそういう性格の曲なのだという事でしょう。高弦のロングトーンや弱音器を付けた弦楽群のトレモロなど、普段はあまり意識しない音がすうっと耳に入って来る感覚は実に新鮮。第3楽章は端正な造形ながら細部に生気が漲り、わずかに粘性を帯びた艶かしい旋律線が妖しげ。常に輝きを放射する響き、カラフルな管弦楽法を余す所なく生かし切る色彩センスも、バルトークにおいてはかなり個性的です。

 第4楽章は変拍子のリズム感をそこはかとなく打ち出し、民族舞曲の性格を逃さず掴んでいるのが非凡。第5楽章はさほど速いテンポを採っている訳ではありませんが、シンコペーションのリズムをスポーティに演出しているので、非常に勢いのある演奏に感じられます。又、合奏の精度が驚異的に高いため、ディティールの物量が増して聴こえるのも凄い所。民俗舞曲のエピソードも独特の雄弁な語り口で、表現の密度が濃いのも特色です。

“柔らかなタッチの中に、有機的で密度の高い表現を盛り込む才人フルシャ”

ヤクブ・フルシャ指揮 ベルリン放送交響楽団

(録音:2017年  レーベル:ペンタトーン)

 珍しい顔合わせによるSACDハイブリッド盤で、コダーイの同名曲をカップリング。距離感が遠目で余裕を持って収録しているのはいいですが、ある程度音量を上げないと、細部の解像度がもどかしい印象もあります。

 第1楽章は遅めのテンポで、彫りの深い丁寧な表現。旋律線に粘性を加えてしっとり歌わせ、細部の味わいもきっちり打ち出しています。アタックはソフトで、エッジはあまり際立ちませんが、力感は十分。雄弁なニュアンスと充実した響きで聴かせる辺りはさすが才人のフルシャです。第2楽章もフレーズが生彩に富んで意味深く、共感に乏しい指揮者が振った時の無機的な味気なさはありません。アゴーギクのさじ加減もすこぶる音楽的。

 第3楽章は表層だけなぞって薄味になってしまう事がなく、常に密度の濃い表現で一貫しているのが凄いです。第4楽章は楽想の対比を大きく付けず、全体の流れの中に各情景を配置するにも関わらず、部分部分が有機的に関連しているという印象を強く与えます。戯画的なエピソードも、デフォルメ気味にテンポを落とす割にはアクの強さが全く出ません。

 第5楽章は柔らかく開始し、力みのない語り口。テンポも落ち着いています。しかし音響面は極めて精緻に扱われ、必要な鋭敏さと鮮やかな感覚美を確保。いわゆる、おっとりした素朴な演奏ではありませんが、スタッカートの切れ味より和声の色合いとフレーズの情感を優先する傾向はあります。後半も勢いで押さず、悠々たる歩みを聴かせてほとんど貫禄すらあり。

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