レスピーギ/交響詩《ローマの祭り》

概観

 レスピーギは、ほぼ同曲と《ローマの松》《ローマの噴水》のローマ3部作のみ知られている人。イタリアからはオペラの分野以外で重要な近代作曲家が出ていないので、彼の存在意義は大きいかもしれない。3部作では《ローマの松》が断トツの人気だが、私は面白い曲だとは思わない。

 次に人気の《ローマの噴水》も、ハリウッドの映画音楽そっくりで苦手である。もっとも、真似をしたのはレスピーギではなくハリウッドの方ではあるが、今の耳で聴くので仕方がない。《松》の冒頭部分なんて、モノクロ映画のオープニング・タイトルそのものである。《噴水》の2曲目も、そのままミュージカルか恋愛映画の劇伴だ。という事で、ちゃんと交響詩らしい《ローマの祭り》が、3部作中唯一の傑作だと私は思っている。

 LPには3作全てを収録する事ができなかったので、指揮者の嗜好が選曲に反映されていた。《松》と《噴水》のカップリングが王道だが、マゼールのようなクセ者は《噴水》を外して《祭り》を持ってきたり、T・トーマスのようなひねくれ者に至っては、一番人気の《松》を外して《噴水》と《祭り》を組み合わせるという、レコード会社と一戦を交える覚悟を持った、気骨のある選曲。CD時代になると、3曲収録が全盛となった。

 ディスクはやはりイタリア勢が人気。巨匠トスカニーニの演奏が名盤としてカタログに君臨しているが、何せ音が古すぎて、もはや現実的な選択肢とは言えない。できるだけ新しい録音となると、ムーティやシノーポリ、リッツィ、ガッティ、ルイージ、パッパーノ盤は、どれもお国物の誇りに溢れた素晴らしい演奏。外国人指揮者ではT・トーマス盤とメータ盤、マゼール/クリーヴランド盤、デュトワ盤が超お薦め。

*紹介ディスク一覧

54年 ドラティ/ミネアポリス交響楽団   

65年 メータ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック 

76年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団

77年 小澤征爾/ボストン交響楽団   

78年 T・トーマス/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

78年 秋山和慶/ヴァンクーバー交響楽団

82年 デュトワ/モントリオール交響楽団    

84年 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団  

84年 ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団

91年 シノーポリ/ニューヨーク・フィルハーモニック

92年 リッツィ/ロンドン・フィルハーモニック  

93年 マータ/ダラス交響楽団

96年 マゼール/ピッツバーグ交響楽団

96年 ガッティ/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団 

00年 秋山和慶/広島交響楽団

00年 ルイージ/スイス・ロマンド管弦楽団    

07年 パッパーノ/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団 

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“鋭利でスピーディな合奏を軸に、軽快でスリリングな表現を展開”

アンタル・ドラティ指揮 ミネアポリス交響楽団

(録音:1954年  レーベル:マーキュリー)  *モノラル

 《教会のステンドグラス》とカップリング。当コンビは《ローマの松》《ローマの噴水》を録音している他、ドラティのレスピーギ録音にはロンドン響との《鳥》《ブラジルの印象》、ロイヤル・フィルとの《風変わりな店》もあります。同曲はステレオ録音が残されなかったのが残念ですが、大変に鮮明な音質で、ブラスの抜けもシャープだし、大太鼓の重低音もしっかりキャッチ。

 《チルチェンセス》は早めにクレッシェンドするティンパニやスタッカートを多用したトランペットなど、ユニークな造形。切れ味の鋭いブラスが随所で効果を挙げていて、重々しくならない、軽快なタッチが痛快です。《五十年祭》は速めのテンポで牽引し、緊張感を維持。やはりシャープな金管のアクセントが効果的で、クライマックスの華麗なサウンドも聴き応えがあります。

 《十月祭》も、機動性抜群の合奏と推進力の強いテンポで軽妙に造形。ティンパニもパンチが効いています。ホルンの角笛も鋭利な音色でアグレッシヴですが、弱音部の優美なフレージングは印象的で、ヴァイオリン・ソロをはじめ歌い回しがすこぶるロマンティック。響きも繊細そのものです。《主顕祭》はさすがに合奏がゴタゴタする箇所もありますが、各音の立ち上がりが速く、切っ先が鋭いのが特徴。各場面の描き分けも実に鮮やかです。

“当コンビ最初期の録音ながら、既に一流のオーラを放つ圧倒的パフォーマンス”

ズービン・メータ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1965年  レーベル:RCA)

 当コンビの稀少なRCA録音で、カップリングの《ドン・ファン》と共にメータが再録音していないレパートリー。古い録音にも関わらず音質は生々しく、やや低音域が軽く感じられる他は文句なしの優秀録音です。長らくXRCDのみで発売されてきたアルバムで、19年発売のメータ/ソニー、コロムビア・コンプリート・ボックスにやっと収録されましたが。単発では依然入手しにくい状況は残念。

 《チルチェンセス》は、低域が軽いサウンドのせいで最初こそ軽量級に感じられますが、そこはグラマラスで売ったこのコンビの事、ダイナミックかつ雄弁な語り口でほどなく圧倒的なボルテージへと達します。デッカの録音が開始されるのは数年後ですが、オケも既にカラフルな音色と生彩に富んだ合奏が全開。《五十年祭》も速めのテンポでぐいぐい牽引するメータの棒がエネルギッシュで、迫力満点のクライマックスまで熱っぽく一気呵成に聴かせます。

 《十月祭》はぐっと腰を落としたホルンの導入部がユニークですが、続くカンツォーネはスピード感たっぷりにリズムを躍動させ、伸びやかな歌を思い切り展開。マンドリンのセレナーデはスロー・テンポでリリカルに表現し、さらに段階的に速度を落としてゆくなど彫りの深い造形が聴かれます。色彩はどこまでも鮮やかで、弱音部でも発色の良さと響きの解像度を維持しているのもさすが。

 《主顕祭》は冒頭のクラリネットを弱音で始め、最初のトゥッティをダウンビートの癖が強いリズムで響かせるなど個性的な解釈。描写力の巧みさはメータ一流のもので、どの箇所も引きの強さが圧巻です。ポリフォニックなスコアの捌き方や処理、音色の描き分け、テンポのコントロールも見事という他なく、この時点でメータはもう一流の指揮者であったと言わざるをえません。

“若き日のマゼールを彷彿させる攻撃的な演奏”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1976年  レーベル:デッカ)

 《ローマの松》とカップリング。この時期のマゼールは、クリーヴランド管の音楽監督に就任してしばらく経ち、かつての誇張癖を抑えて、落ち着いた音楽作りを志向しはじめた頃に当たりますが、冒頭の《チルチェンセス》をきいてびっくり、60年代初期の彼が帰ってきたかのような、激しく攻撃的な演奏になっています。

 しかし、きついアクセントを多用した、鋭く刺激的な音を繰り出してくる一方、極端なスタッカートを盛り込んだり、弾力性を持たせたリズム感など、その後のマゼールを予見させる表現も、そこここに発芽しています。楽章終結部に連打されるフル・オーケストラの和音は、短く、鋭く、異様な熱気のこもった強烈なパンチとなっていて、すごい表現。続く《五十年祭》の多様な音彩は、マゼールの面目躍如。緩急もよく計算されていて、程よい緊張感があります。

 《十月祭》は、軽やかで洒落た導入部が印象的。途中で挿入されるトランペット群のファンファーレが、とりわけ見事です。弦による愛の歌も朗々と歌われますが、最後のリタルダンドを異様なほどデフォルメする所はマゼール流。マンドリンのセレナーデは普通トレモロで演奏するものですが、彼はフレーズの頭をいちいち単音で弾かせ、マンドリンらしさを一層強調しています。最後は、最弱音による弦のハーモニーが驚くべき解像度の高さ。

 《主顕祭》はクリーヴランドらしいカラっと乾いたサウンドで、軽やかなパフォーマンス。回転木馬の音楽の所、シロフォンや木管の駆け回るようなオブリガートは、はっきりと耳に入るよう処理されています。サルタレロの箇所は、音が入り乱れてぐちゃぐちゃになってしまいがちですが、マゼールはそれほどテンポを上げず、全体を貫く祭りのリズムを明瞭に浮き立たせる事で、あくまで舞曲としての性格を保持しています。どことなく日本の「え〜らいやっちゃ、え〜らいやっちゃ」というリズムにも似通って聴こえるのも面白い所。

“複雑なスコアをきびきびと処理した優秀な演奏。手際が鮮やかすぎて迫力に欠ける傾向も”

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団    

(録音:1977年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 3部作録音から。鋭いリズム処理できびきびと表現した若々しい表現で、テンポ運びもスムーズ、力強さにも事欠きませんが、重量感や凄みよりスポーティな躍動感が勝ります。《チルチェンセス》《主顕祭》の輻輳したテクスチュアへの対応はこの指揮者の得意とする所で、細部に拘泥しすぎず、ダイナミックな活力を放出するのもさすが。スケールの大きさもあります。ただ、全てをあまりに鮮やかに処理しすぎて迫力が失われている感も否めません。

 オケは激しいパフォーマンスで圧倒的ですが、しなやかなうねりや弾力もあり、強音部でも爽快な風通しの良さがあるのは好感の持てる所。柔らかくて硬直しない響きも魅力的です。色彩感が明朗なのは曲調にマッチしていますが、濃厚な原色ではなく、パステル調の淡彩を思わせるカラー・パレット。残響を多めに取り入れた録音も、その印象を助長します。繊細な歌心が横溢し、どこかフランス音楽風の味わいがあるのは、確信犯的に狙った表現かもしれません。

 《五十年祭》《十月祭》はやや淡々としていて、さらに彫りの深い音楽作りを望みたいですが、ホルンの最後のフェルマータを思い切り引き延ばし、静寂の余韻をたっぷりと取ってから《十月祭》に飛び込む辺りは面白いアイデア。真面目すぎるのが玉に瑕という彼こそ、こういう演出はどんどんやって欲しいと思います。

“鋭いリズムと音感、豊かな色彩で群を抜く好演”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1978年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 《ローマの噴水》とカップリング。T・トーマスは一時期ロス・フィルの首席客演指揮者をしていたが、録音はそんなに多くはない。ガーシュウィンが2枚、バーンスタイン、プロコフィエフ、チャイコフスキーが各1枚、それとこのレスピーギ。当盤は、個人的に同曲ディスクの中で最も高く評価しているもので、バス・トロンボーンやテューバが唸るメータ時代のサウンドを生かしながら、よりシャープに引き締めてモダンな造形を志向している点が聴き所。

 音の鋭さ、響きの明晰さ、リズムの弾力性などは、少し前に出たマゼール盤と近似しているが、決定的に違うのは、重量感とスケール感、叙情性の豊かさ。彼の場合は、軽い車を乗り回すのではなく、大型トラックを軽々と乗りこなしているようなイメージ。カラー・パレットも、他盤の数割増しに感じられる。両端楽章における正確無比なリズム、鮮やかなポリフォニー処理、見事なオーケストラ・ドライヴをきくだけでも、作品への適正は明白。

 T・トーマスが体質的に持っているテンポと発音タイミングの感覚が、ここでもはっきりと聴き取れるのが面白い所。この曲の強音部は大抵、団子状の音の塊として鳴らされきたものだが、彼は全てのフレーズを正確に、生き生きと演奏させる事で、明晰を極めた解像度の高い響きを作り出す。《十月祭》の後半、静寂を突き破る狩りの角笛を、スタッカートでアクロバティックに吹かせているのも痛快。

“意外に柔軟なオケ、格幅の良い秋山サウンド”

秋山和慶指揮 ヴァンクーバー交響楽団

(録音:1978年  レーベル:オルフェウム・マスターズ)

 《ローマの松》とカップリング。72年から13年間も同響の音楽監督を務め、桂冠指揮者の称号を送られた秋山は、カナダの国営放送局CBCのレーベルにかなりの数の録音を残している。CDは、当地で絶大な人気を誇った当コンビの音源を集めた4枚組のセットに収録。秋山は後に広島響と、三部作をライヴ録音している。

 余裕のあるテンポでオケをたっぷりと鳴らした、格幅の良い演奏。若干の乱れはあるものの、ふっくらと柔らかい豊麗なサウンドに驚く。《チルチェンセス》は、特に激烈というわけではないが、音響がよく整理されていて足取りも安定しているので、それだけで迫力がある。地方のマイナー・オケとしては、驚異的な合奏とも言える。《五十年祭》も演出巧者でスケール感があり、細やかな工夫を凝らして淡白には流さない。

 《十月祭》冒頭のホルンなど、いかにもこれから祭りが始まりますよと言わんばかりに大見得を切る様子で、オーソドックス一辺倒ではない所も面白い。後半のセレナードも、非常に緻密で繊細な音処理が耳を惹く。《主顕祭》は打楽器をはじめ低域に締まりがなくパンチに欠けるが、サルタレロのリズムの取り方など、グルーヴ感が軽快。トロンボーン・ソロも秀逸で、各場面を流れるように移行してゆく棒さばきは見事。

“圧倒的な熱量と精度の高さ。アンセルメとは全く違う地平を切り開く凄絶な名演”

シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団

(録音:1982年  レーベル:デッカ)

 3部作アルバムから。当コンビのレスピーギには、《風変わりな店》と《ブラジルの印象》を組み合わせたアルバムもある。アンセルメ/スイス・ロマンド管の再来のように言われた当コンビだが、それはレパートリー面だけの事。この圧倒的な熱量と精度を誇る演奏を聴けば、彼らがアンセルメとは全くベクトルを異にするアーティストだと分かる。

 《チルチェンセス》は、すこぶる切れ味の鋭い演奏。ブラスや打楽器などエッジが効いているが、長い残響で直接音を柔らかに包んだ録音のおかげで、爽快な音のシャワーに様変わり。音響の前衛性を見事に捉えた演奏なのに、ぱりっとスマートな佇まいもあるのがユニーク。ある種の重厚さが全くないせいで、足取りも軽い。オケは敏感に反応していて、一体感は十分。弦の賛美歌も実に美麗。

 《五十年祭》も速めのテンポで緊張感を保ち、音楽を弛緩させない。勢いを維持したまま、加速して熱っぽく山場を築く辺り、思わず引き込まれるような迫力がある。《十月祭》はホルンの柔らかいアタックが意外だが、ティンパニが激烈で、鋭角的かつ精確な金管群のリズムも独特。続くカンツォーネも、弦の走句を精緻に描き込んだ伴奏型と、流麗なカンタービレの対比が見事。印象派風の後半部分もこのコンビの得意とする所で、音色の配合にセンスを発揮している。

 《主顕祭》は遅めのテンポで、勢いよりも細部の克明な処理を優先。緊迫感が張りつめた《チルチェンセス》とは対照的に、くつろいだ楽しい雰囲気で、各場面の性格的対比をきちんと打ち出している。残響豊かな録音ながらディティールがよく聴き取れる点が、響きの透明度の高さを物語る。タランテラも驚異的な解像度で、強弱や音色の変化に多彩なニュアンスを付与している所、凡百の演奏とはステージが異なる。

“異様な熱気とハイ・テンションが作品との親和性を示す、珍しいライヴ音源”

ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団

(録音:1984年  レーベル:Vista Vera)

 当コンビの珍しいイタリア音楽で、他に《ローマの噴水》、ドビュッシーの《牧神の午後への前奏曲》をカップリング。ライヴ録音との表記があるが、詳しい録音データの記載がなく、トラック・ナンバーとデータの対照もずれていたりしてよく分からない。データの順番から言えば、ドビュッシーが76年、《ローマの噴水》が82年と来て、《祭り》は84年の収録で間違いなさそう。発売元も謎のレーベルで、メロディア辺りの原盤をライセンスで再発売しているのか、そこも不明。

 強音部で混濁、歪みがあるが、音自体は鮮明。残響が過剰に入る事もない(咳など聴衆のノイズはあり)。演奏は独特のスタイルで、《チルチェンセス》からテンションが高く、腰が浮いた表現を採る上に、フレーズをレガート、テヌートで連結したりして個性的なイントネーション。合奏全体が異様な熱気を放ち、妙な迫力と凄味を帯びるのはこのコンビらしく、曲想にもふさわしい。

 《五十年祭》は落ち着きも深い叙情もあるが、常にカロリーの高さが背景にあるのは個性的。クライマックスで極端にテンポを落とし、弦や金管の旋律を思い切りねちっこく歌わせるのも極めてユニークな解釈。しかし、眩い輝きを放つトゥッティの華麗な響きと逞しい底力には、思わず圧倒される。

 逆に《十月祭》はスピーディなテンポと歯切れの良いスタッカートで、すこぶる軽快に開始。カンツォーネのエピソードも、オスティナート・リズムの語気が荒く、アタックの筆圧が高いため、いやが応にも熱血漢の性格が前面に出てくる。

 《主顕祭》も音を整理して明晰に聴かせるより、トーン・クラスターみたいな喧噪をそのまま現出させるような趣。トランペットやトロンボーンのソロも、ソステヌートで粘りのある歌い回しが目立つ。それでいて華やかさや熱っぽさは凄まじく、意外にレスピーギの作風と親和性が高い。エネルギッシュな合奏を維持しながら恐いほど白熱し、会場を熱狂させている。

“俗っぽさの全くない、純音楽的でクラシカルな演奏”

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:EMIクラシックス)

 3部作アルバムから。EMIはこの時期、フィラデルフィアの録音会場を旧メトロポリタン歌劇場からメモリアル・ホールに移し、残響音が豊かで聴きやすい音に変わった。当盤はその最初期の録音で、前任者オーマンディ時代のフィラデルフィア・サウンドが甦ったような、豊麗な音になっているのが嬉しい所。

 《チルチェンセス》を聴けばすぐに、ムーティがいかに作品を掌中に収め、自国の優れた音楽として誇りを持って演奏しているかがよく分かる。音価を長めにとった流麗なフレーズ作りは、ポリフォニックな音の重なりを際立たせる分析的な演奏と一線を画す。前衛性を後退させ、歌謡性を前に出す事で、作品の古風な面が浮き上がる。中間部の途中でテンポがふっと速くなるのも、感情面からのドラマティックな流れという事だろう。

 《五十年祭》もテンポやデュナーミクのコントラストをあまり付けず、古風で自然な演奏を志向。まるで、これがレスピーギが書いた作品本来の姿だと言われているようである。要するに、普通ゆっくりと演奏される部分を速めに、速く演奏される部分を少しテンポ・ダウンして、スピードの落差を小さくしているわけだが、これが意外に説得力があり、むしろ他の演奏が変化に富みすぎて聴こえるくらい。

 《十月祭》の愛の歌は堂に入っていて、まったくお見事。イタリア人だからといって、殊更に大袈裟に歌わせているわけではないのに、この弦の歌いっぷりには、バロック期からニーノ・ロータに至るまで脈々と受け継がれてきたカンタービレの伝統が、最良の形で反映されているように思う。

 《主顕祭》も、全ての音事象を並列的に扱う現代的な指揮者達とは違って、ムーティの場合、各部で強調すべき要素が明確に決まっているようである。サルタレロから大幅に加速して、クライマックスでさらに細かく変化するテンポも独特のセンスだが、これも彼なりのロジックに基づいているらしく、自信たっぷりで迷いがない。お国物にこだわるつもりはないが、イタリア人のレスピーギ演奏には一種の節度と風格があり、観光絵葉書的な俗っぽさが全く無い。

“心理的ドラマを投影する斬新な解釈”

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

(録音:1991年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 3部作アルバムから。シノーポリもイタリアの指揮者だが、異様なテンポ設定やいびつなデッサンなど、エキセントリックな表現で有名になったせいか、出自が忘れられがちである。ニューヨーク・フィルでは特定のポストに就かなかったが、毎年のように客演に呼ばれ、録音も数点残された。当盤は、濱田滋郎氏による国内盤のライナーノートに「瑞々しく格調高い演奏」とあるのを見て、指揮者のイメージから掛け離れた修辞句に、最初は「えっ?」とびっくりした。

 しかし演奏をきくと、これがムーティ盤と同様、まさに「格調高い」演奏である事がわかる。派手なサウンドが売り物のオケを振りながら、その華麗さを艶消しして、むしろ地味なほどくすんだ響きを作っているのもシノーポリらしい所。ここで同曲は、あくまでイタリアの歴史と精神を幻想的に投影した音詩として演奏されていて、どこを取っても通俗に堕ちる事がない。

 《チルチェンセス》冒頭の切迫した弦の表情、冷静そのもののラッパのファンファーレと不安を煽る楽隊の対比、大胆に音を割ったトロンボーンのアクセント、神経質にせわしなく揺れるテンポ。こうやって聴くと、シノーポリが、そしてレスピーギが何を描こうとしたのかがはっきりと分かる。暴君ネロが催した祭りは映画の一場面ではなく、イタリア史の一部なのだ。

 襲いかかる猛獣達(金管)の前で、敬虔なキリスト教徒の歌声(弦楽群)は、恐怖に耐えつつ不安定な調子で高まってゆく。こういう、ドラマの背後にある心理と密接に結びついた表現を採る指揮者は、シノーポリをおいて他に存在しなかった。

 情感に満ちた弱音部とパッション溢れる強音部が素晴らしい《五十年祭》、異様に遅いテンポで歌われる《十月祭》も個性的だが、不器用とも取れるほどゴツゴツとした手触りのある《主顕祭》がシノーポリらしい仕上がり。随所に扇情的なアッチェレランドを盛り込みながら、特有のテンポの動かし方がどこかムーティ盤と共通しているのは興味深い所。

“卓抜なセンスで見事にまとめるも、フィナーレに演奏の乱れがあって残念”

カルロ・リッツィ指揮 ロンドン・フィルハーモニック

(録音:1992年  レーベル:テルデック)

 ローマ三部作アルバムから。リッツィは傑出した才能を持つ指揮者だと思うのですが、ほとんどオペラ指揮者として認識されていて、管弦楽作品のディスクは非常に少ないです。当盤は彼がキャリアの初期、ビゼーの《アルルの女》《カルメン》組曲と共にロンドン・フィルと録音した、稀少な管弦楽曲アルバム。イタリア人指揮者の伝統として、やはりローマ三部作はマストという事でしょうか。ロンドンのオケらしい、豊かな残響と広大な音空間、鮮明な直接音を両立させた好録音。

 《チルチェンセス》は見通しの良い構成でスマートに造形しつつも、細部に雄弁な表情やしなやかな歌を盛り込んでさすが。鮮烈な音色センスやダイナミックな棒さばき、シャープな合奏に、若い世代の瑞々しさを感じさせます。リッツィは低音部を生かすのが得意な指揮者で、バス・トロンボーンや唸りを上げるテューバなどの扱いが見事。

 《五十年祭》は語り口がドラマティックで、いかにも聴かせ上手。推進力の強いテンポと流麗なカンタービレはさすがですが、ここでもトゥッティを支えるテューバやティンパニの効果が、若手時代のメータを彷彿させます。《十月祭》も全体の流れを重視し、各部をバランス良く配置してゆく手段は正に優秀なオペラ指揮者。しかしディティールはニュアンス豊かで、磨き上げられた響きと軽妙なリズム感など、鋭いセンスが随所に感じられます。

 《主顕祭》も鋭利ながらしっとりと潤った音が魅力的で、ポリフォニックなスコアをごく自然に、音楽的に聴かせる趣。重量感や華やかさも十分ですが、なぜかこの曲ではアインザッツが大きく乱れる箇所が幾つかあって残念です。リッツィは、大規模な合唱を伴うオペラでも合奏を整然と統率できる人だと思うのですが、過密スケジュールか組合の規則でリテイクの時間が取れなかったのでしょうか。カップリングの2曲にも特に問題はないので不思議です。

“個性的な解釈に彩られた軽快な表現”

エドゥアルド・マータ指揮 ダラス交響楽団

(録音:1993年  レーベル:ドリアン・レコーディングス)

 《ブラジルの印象》《ローマの松》とカップリング。当コンビの演奏は色彩感が独特です。アメリカ、テキサスのオケながら、音の傾向はマータの故国メキシコの系列。豊麗ではあるものの、重量感がなく、音が乾いていて、金管がポリフォニックに重なってくるとまるでカルロス・チャベスの曲みたい。なおかつマータの指揮はどのディスクをきいてもそうですが、ある種の激烈さ、凄絶さを、意図的に避けているようなふしがあります。

 《チルチェンセス》冒頭、繰り返されるラッパのファンファーレを急速なテンポで一気に吹かせ、それに呼応するオケに短いスパンのクレッシェンドを波状攻撃のように仕掛ける所、どこか健全でスポーティな音楽にも聴こえます。中間部ではトロンボーンの合いの手に粘性を加え、クライマックスで弦の細かい動きを羽音のように軽く浮き立たせるなど、あくまでも威圧感を排除。

 《五十年祭》の響きのバランスも独特。山場で朗々と歌うトランペットに付けられた内声のハーモニーを、主旋律とほぼ同等のバランスで聴かせるので、ペンタトニックの音の動きがより一層強調されて、普通以上にラテン的な音楽にきこえます。

 弦のバランスが弱く、ほんの数人で弾いているように聴こえる箇所もありますが、《十月祭》の細かな動きは克明。狩りのホルンは、1回目は近くで、2回目は遠くから聴こえてくるのが通常の解釈ですが、マータは1回目から遠く、2回目は遥か遠くで吹かせているのがユニーク。ラストの最弱音はほとんど聴こえません。《主顕祭》は、回転木馬の音楽を超スローテンポで演奏し、トロンボーンのグリッサンドをやたらと強調するなど、面白い表現を散りばめる一方、無類に歯切れの良いコーダに至るまで、徹底して軽さを追求。

“遅いテンポで新たなグルーヴ感を創出”

ロリン・マゼール指揮 ピッツバーグ交響楽団

(録音:1996年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 3部作アルバムから。《松》と《祭り》が再録音に当たります。この時期のソニーは新機軸として、かつてテラーク・レーベルが掲げていた録音スタイルと似た手法を採択。プロデューサー、スティーヴン・エプスタインのノートによると、ワンポイント・マイクが指揮者の背後8フィート、床から15フィートの高さに設置され、アンプを通して20ビットの最新式デジタル・レコーダーにダイレクトに入力される由。

 演奏会を特等席できくような最高のプレゼンスを再現するという事でしょうが、オケのせいか、ホールのせいか、もしくはこの録音方式自体の問題か、音像が遠く、低域の腰が弱い割に、金管群の刺激的な音圧がオケ全体の響きをマスクしてしまい、個人的にはあまり好きになれないサウンドです。

 演奏は、《チルチェンセス》から旧盤とかなり異なったアプローチ。相当に遅いテンポを設定し、他の演奏ではあまり聴かれないスウィング感、グルーヴ感を生み出しています。ピッツバーグ響はアメリカで最もドイツ的な音がする団体と言われますが、私はそれを実感した事が一度もありません。ここでもブラス群がパワフルに咆哮しており、いかにもアメリカ的なサウンドという印象。一方、弦と木管だけのパートでは柔らかい響きも聴かれます。

 旧盤と違って目立った誇張はないですが、《チルチェンセス》の中間部で粘液質のフレージングを多用し、途中から猛烈なアッチェレランドを掛けたり、《十月祭》のヴァイオリン・ソロで繋ぎの部分を猛スピードで突っ走るなど、独自の解釈は聴かれます。マンドリンのトレモロ奏法はフレーズ末尾の白玉音符だけにして、後は全て単音で弾かせたりと、旧盤の解釈をさらに発展させた箇所もあり。

 《主顕祭》も、余裕のあるテンポで細部を精緻に磨き込む行き方。サルタレロをゆっくりと演奏し、祭りのリズムと拍節感を全面に押し出している所は旧盤と共通します。ただ、オケの技術的、音楽的レヴェルはクリーヴランド管の比ではありません。

“繊細なディティール、卓越したリズム・センスと豊かな歌心。並々ならぬ力量を示すガッティ”

ダニエレ・ガッティ指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団

(録音:1996年  レーベル:RCA)

 3部作アルバムから。指揮者もオケもイタリア人というレスピーギ録音は久しく登場しておらず、稀少なアルバムでした(後にパッパーノ盤が登場)。当オケのデジタル録音もこれが初との事。パッパーノとの一連の録音と違い、音場感が広く、潤いのあるサウンドで、タッチの柔らかさも心地良いです。

 録音活動は控えめながら、どこへ行っても高い評価を得ているガッティ。当盤も彼の卓越した音楽センスが垣間見える、優れた演奏です。《チルチェンセス》のトランペットや《十月祭》のホルンなど、金管が活躍する場面はなぜかオフ・ステージ気味のくぐもった響きで収録されていて、それが独特の柔らかな効果を生んでいます。レスピーギ作品は、ハリウッドの映画音楽的な響きがする事もありますが、ガッティの表現はむしろドビュッシーを想起させるもの。

 その意味で、《五十年祭》をはじめ弱音部の繊細な表現が聴きものですが、テンポの速い箇所でもリズムの軽快さや鋭敏さが際立っており、あらゆるフレーズに音楽的な歌のセンスが横溢しているのは驚異的。《十月祭》の弦など、奏法やアーティキュレーションの変化を如実に描き分ける描写力も並の力量ではありません。ディティールの処理は丹念で、各パートの艶やかな響きも魅力的。《主顕祭》のクライマックスで、サルタネロのリズムを極限まで抑え、埋もれがちな弦の旋律線に重きを置いた表現も秀逸です。

“意欲的なオケの表現にブラヴォーの嵐、広島ライヴ”

秋山和慶指揮 広島交響楽団

(録音:2000年  レーベル:ブレイン・ミュージック)

 3部作アルバムから。《松》と共に、秋山としては再録音に当たります。広島響の第200回記念定期演奏会のライヴ録音で、当日は《リュートのための古風な舞曲とアリア》も演奏されたとの事。この演奏会が成功裡の内に幕を閉じた事は、諸石幸生氏が興奮気味のライナーを寄稿している事からも窺えます。

 会場は広島厚生年金会館ですが、私が知っている大阪の厚生年金会館をイメージしていた所、予想に反して潤いと柔らかさのあるサウンドでびっくりしました。私は行った事がありませんが、音響効果の良いホールなのかもしれません。秋山の表現は健全そのものですが、スケールが大きく堂々とした安定感があり、彼の美点は明確に出ているように思います。

 金管には技術的に危なっかしい場面もあるものの、オケの姿勢が意欲的で、熱っぽさを感じさせる点は好感が持てます。《五十年祭》クライマックスの引き締まった響きや、弱音部の繊細な詩情も聴きもの。《主顕祭》の打楽器の扱いには一部聴き慣れないバランスもみられますが、基本的には奇を衒わない、正攻法のアプローチと言えるでしょう。ラストの盛り上がりはエキサイティングで、客席からブラヴォーの嵐が起こっています。

“いつ沸点に達してもおかしくない、スリル満点のポテンシャルを秘めるルイージ”

ファビオ・ルイージ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団

(録音:2000年  レーベル:RSR)

 《ローマの噴水》、リストの《死の舞踏》とカップリング。スイス・ロマンド放送の音源を商品化したもので、恐らく楽団自主レーベルかと思うのですが、どのロゴがレーベル名かいまいちはっきりしません(多分上記で合っていると思うのですが)。他には当コンビでオネゲルの交響曲全集、ニーノ・ロータの作品集も出ていますが、どれも入手しにくいのが難点。

 録音によっては血の気が薄く感じられるオケですが、ここではルイージの極端な強弱の起伏を反映し、《チルチェンセス》から実にダイナミックで熱っぽい演奏。急激にムクムクっと盛り上がる短いクレッシェンドを多用し、随所に打楽器の激烈なアクセントを打ち込む造形がその印象を強めています。弦の歌やブラスのパフォーマンスも雄弁でテンションが高く、終始お尻が浮いたままの殺気立った緊張状態を維持するのがスリリング。スタッカートの切れ味も抜群です。

 《五十年祭》は、遠目の距離感で捉えた録音ゆえか弱音部の表情がやや失われがちですが、山場へ持ってゆく加速の仕方など、アゴーギクに短気な性格が感じられ、いつ火が点いてもおかしくないポテンシャルを秘めて推移します。最後のクライマックスもテンポが速く、熱っぽいですが、艶やかで豊麗なオケのソノリティは聴き応えあり。

 語り口は上手く、《十月祭》への以降も自然。ホルンやトランペットの壮麗で美しい吹奏とティンパニの鮮烈なアクセント、自由な間合いで伸びやかに歌うカンタービレ、ヒステリックに突き刺さる伴奏形のアクセント、即興的に間延びさせるホルンの角笛ソロ、巧みな遠近法を駆使したマンドリンの場面と、個性的な解釈でとにかく聴き手の意識を引き付けて飽きさせません。

 《主顕祭》も速めのテンポと華麗な音彩で情熱的。それでも音を垂れ流しにせず、ポリフォニックに錯綜する各フレーズが見事に整理されている点は、冷静に構築された印象も受けます。長めの間をデフォルメ気味に挟んだカンツォーネは気宇が大きく、オケとの一体感も緊密。明朗な色彩ながら透明感を維持した細身のサウンドも好印象で、コーダへの高揚もさすが。隠れた名演として大いに推したいディスクです。

“フレッシュな感性とドラマティックな構成力。イタリアの指揮者&オケによる堂々たる名演”

アントニオ・パッパーノ指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団

(録音:2007年  レーベル:EMIクラシックス)

 3部作にクリスティーヌ・ライス歌唱の《夕暮れ》をカップリングした2枚組から。評価の高いガッティ盤に続く当オケのレスピーギですが、当盤は注目度も高く、より高い評価を受けました。パッパーノの棒はフレッシュな感性とドラマティックな構成力に秀でた非凡なもので、オケ共々、終始素晴らしいパフォーマンスを展開。本場のアーティストを代表する名盤として、長く世に残したいディスクです。

 《チルチェンセス》はトランペットのファンファーレに歌うような調子があり、いかにも音楽的なフレージング。旋律線は艶やかで歌謡的ですが、ブラスや打楽器は力強く、トゥッティの迫力や凄味も充分です。《五十年祭》は、オペラで鍛えた設計力が光る演出巧者な表現。高弦のオスティナートも、みずみずしさと煌めきを放つラテン的色彩が魅力です。《十月祭》の艶っぽくしなやかな弦の歌、《主顕祭》のユーモアと活気に溢れた、加えた沸き立つような感興も卓抜。

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