バルトーク/中国の不思議な役人

概観

 「一幕もののパントマイム」と題された本作、合唱が入るせいか、生演奏では短い組曲版の方がよく演奏されます。全体が一つに繋がっているので、組曲といっても短縮版の体裁ですが、全曲の長さが30分強、組曲版が20分弱で、割愛された部分は全体の3分の1程度。バルトークはおいしい部分をほぼ全て組曲に投入しており、全曲版と違って派手なエンディングをくっつけているので、組曲版の方が受けがいいのも分かります。ストラヴィンスキーの《火の鳥》と共に、私としても珍しく組曲版を支持したい作品。

 ディスクは名演が多く、組曲だとドラティ/シカゴ響、小澤/ボストン響、メータ/ベルリン・フィル、レヴァイン/ミュンヘン・フィル、全曲だとブーレーズ/ニューヨーク・フィル、ドホナーニ/ウィーン・フィル、ドラティ/デトロイト響、N・ヤルヴィ/フィルハーモニア管、シャイー/コンセルトヘボウ管、サロネン/フィルハーモニア管辺りが、下記リストでは超の付く物凄い演奏。

*紹介ディスク一覧

[組曲版]

54年 ドラティ/シカゴ響   

67年 マルティノン/シカゴ交響楽団   

75年 小澤征爾/ボストン交響楽団  

89年 A・フィッシャー指揮 ハンガリー国立交響楽団  

89年 メータ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

92年 マリナー/シュトゥットガルト放送交響楽団 

97年 ゲルギエフ/ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団  

03年 レヴァイン/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団   

06年 サロネン/ロスアンジェルス・フィルハーモニっク

07年 ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団

18年 マルッキ/ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 

[全曲版]

64年 ドラティ/BBC交響楽団   

71年 ブーレーズ/ニューヨーク・フィルハーモニック

77年 ドホナーニ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 

90年 N・ヤルヴィ/フィルハーモニア管弦楽団 

93年 ラトル/バーミンガム市交響楽団    

83年 ドラティ/デトロイト交響楽団

94年 ブーレーズ/シカゴ交響楽団

94年 小澤征爾/ボストン交響楽団  

96年 I・フィッシャー指揮 ブダペスト祝祭管弦楽団  

97年 ナガノ/ロンドン交響楽団   

97年 シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団  

11年 サロネン/フィルハーモニア管弦楽団   

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*注 文中の「オケコン」とは「管弦楽のための協奏曲」、「弦チェレ」は「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」の略です。念のため。

[組曲版]

“指揮者の才気とオケの技術が冴え渡る、超ド級の鮮烈な演奏・録音”

アンタル・ドラティ指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1954年  レーベル:マーキュリー) *モノラル録音

 当コンビの録音は非常に珍しく、当盤以外には残されていないかもしれません。カップリングは、コダーイのハンガリー民謡《孔雀》による変奏曲。残念ながらモノラルですが、この時期のマーキュリーの録音技術は驚異的。直接音が目の覚めるように鮮烈なのは勿論、音域が広く、爽やかな高音域から力強いバスドラムの重低音までカバーしていて、ステレオの広がり感がない事を忘れさせてしまうほど、クリアで迫力のあるサウンドです。

 演奏は冒頭から凄まじく、空気を切り裂くような切れ味鋭いブラスが咆哮し、弦から管、打楽器に至るまでエッジの効いたリズムと共に、超ド級の生々しいアンサンブルを繰り広げます。これを聴くと、シカゴ響の技術力とキャラクターはこの時期にもう、最高峰のレヴェルに達していた事を痛感させられますね。ドラティの棒もアゴーギク、デュナーミクの操作が誠に巧妙で、緩急自在の並外れた描写力を発揮します。マジャール的な情緒も濃厚に打ち出し、弱音部のミステリアスなムードの掴み方も秀逸。

“都会的洗練を示す指揮者、超絶技巧で応えるオーケストラ”

ジャン・マルティノン指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1967年  レーベル:RCA)

 当コンビの数少ない録音の一枚。オリジナルは恐らく、ヒンデミットの《世界の調和》とのカップリングと思われます。私が聴いたのは24ビットでリマスターされたシリーズ物の一枚ですが、録音が非常に鮮明で、直接音が生々しい上に奥行き感もあり、左右の広がりも大きい上、バスドラムの重低音もきっちり捉えています。

 マルティノンの演奏は、フランス音楽を振った時とロシア音楽などを振った時でタッチがかなり異なりますが、当盤は勿論、後者のスタイル。さすがにマルケヴィッチとまではいきませんが、縦の線をきっちり揃え、鋭利なリズムと明快な造形感覚を前面に押し出した演奏は、今の耳にも十分アピールするほど機能主義的です。旋律線もしなやかに歌われますが、東欧情緒やマジャール的なムードはほぼ皆無。マルティノンと知って聴くせいもあるのか、フレージングの処理や色彩感に、独特のシャレた都会的な感覚が漂い、全体に洗練された佇まいを感じさせます。

 シカゴ響の合奏力はやはりヴィルトオーゾ級で、特にブラスのソリッドな響きは、聴いてすぐにこのオケと分かるもの。その意味では、後年の彼らの録音とさほど変わらぬ音が鳴っていると言えるかもしれません。マルティノンは同オケと相性が悪く、5年で音楽監督を降板(それでもクーベリックの3年よりは長いですけど)した事はよく知られますが、この演奏を聴く限りでは指揮者とオケの間の齟齬はないようです。唯一、最後の山場はもう少し白熱した盛り上がりがあれば良かったかもしれません。

“鋭敏なリズムと鮮やかな色彩感で作品の魅力を見事に抽出”

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団

(録音:1975年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 弦チェレとカップリング。当コンビは、後にフィリップス・レーベルへ全曲版を再録音しています。やや温和すぎて、合奏にも問題がある全曲盤と較べると、こちらは遥かに緊密で覇気のある演奏。

 冒頭はエッジが効いてシャープで、暴力的ではないものの、充分な緊張感と迫力を確保。オケも活力に満ちたパフォーマンスを繰り広げます。刺々しさや民俗性は強調しませんが、鋭敏なリズムと鮮やかな色彩感で作品の魅力を見事に抽出。スコアの隅々まで明晰に照射した、緻密な表現です。打楽器のアクセントなどダイナミックな力感も充分で、緩急や語り口も生き生きとして雄弁。

 山場のマジャール舞曲の箇所は、遅めのテンポであらゆる音符を克明に彫琢し、逆に物量が増して聴こえる感じが凄絶です。透徹した音響の構築と、徐々に白熱してゆく感興の高め方も小澤らしい所。明朗で艶っぽい音色を用いてオーケストレーションの多彩さに焦点を当てた事で、ストラヴィンスキーの《火の鳥》辺りに通ずる華やかさが表出されているのは、ユニークな解釈と言えます。

“腰の強さには欠けるものの、異様なデフォルメで聴き手を震撼させる”

アダム・フィッシャー指揮 ハンガリー国立交響楽団

(録音:1989年  レーベル:ニンバス)

 同コンビによるバルトーク・シリーズから。ブリリアント・レーベルから5枚組のセットでも出ています。このシリーズは《木製の王子》もそうですが、網羅的な企画であるにも関わらず組曲版を採用しているのが残念です。残響を豊富に取り入れた録音で、そこに抜けの良いシャープなブラスが入るイメージは、シャンドス辺りと共通するサウンド傾向。

 全体に言える事ですが、彼らのバルトークは欧米諸国の一般的なそれと全く違う視座から解釈されています。ウィーン国立歌劇場をはじめ各地のオペラハウスで国際的に活躍しているフィッシャー兄も、ここでは平素の器用な指揮ぶりと異なる側面を見せる印象。要は西欧の典型的なスタイルと、スコアを読む観点が違うという事でしょうか。

 出だしは弱めのヴォリュームでそうっと開始する感じが独特。トロンボーンがへなへなと弱々しい態度を見せたりしますが、物量が増して凄絶に盛り上がった後、静まった所でティンパニの強打をお見舞い。やはり達人指揮者と本場のオケ、一筋縄ではいきません。聴き慣れないユニークな表現が頻出しますが、概してトロンボーンのグリッサンドでは大きくテンポを落とし、弱音部だろうが激しいトゥッティだろうが、その擬音性を思い切りデフォルメしています。

 チェロの民謡風の旋律を、艶っぽい音色とソステヌートで歌わせるのもその一例。随所に濃密な語り口を展開する割には、強音部と弱音部のコントラストが激烈さに欠ける面もあります。山場の民族舞曲では、まずドラを何度も派手に打ち鳴らした上、極端なスロー・テンポで弦の旋律をぶつ切りにするなど、正に異様な表現の連続で震撼させられます。

“パワフルな指揮とオケの威力に脱帽。ユニークな解釈も聴き所”

ズービン・メータ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団      

(録音:1989年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 当コンビのソニー録音第2弾(第1弾はR・シュトラウスの家庭交響曲とブルレスケ)で、オケコンとカップリング。当コンビのバルトークは、五嶋みどりをソリストにした2つのヴァイオリン協奏曲も続いて発売されました。フィルハーモニーで収録されたオケコンはやや客観的な表現でしたが、2年を経てイエス・キリスト教会で録音された当曲は、非常な熱気に溢れた迫力満点の演奏。

 冒頭から凄まじい音響が炸裂し、ピアノの明確なアクセントが耳に付く矢先、暴力的なまでに刺々しい金管群のラウドな響きに圧倒されます。メータの棒は最後までパワフルな牽引力を保ち、遅めのテンポを基調に見事なアゴーギクでドラマを展開。リズムの打ち方や間の取り方、楽器間のバランスなどに、他とは違う解釈を示す箇所も多く、なかなか聴き所の多い演奏となっています。オケの威力にも脱帽。収録時間に余裕があるのですから、是非全曲版で録音して欲しかった所(合唱のコストが掛かるのでしょうけど)。

“清潔で折目正しい表現ながら、あらゆる音事象をくっきりと浮き彫りに”

ネヴィル・マリナー指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団

(録音:1992年  レーベル:カプリッチョ)

 《舞踏組曲》《弦チェレ》とカップリング。マリナーのバルトーク録音は珍しく感じますが、実はアカデミー室内管とのオケコンやディヴェルティメント、弦チェレのディスクもあります。豊富な残響とクリアな直接音のバランスが取れた録音ですが、大太鼓やオルガンなど低域はやや軽く、重低音の迫力はありません。

 冒頭からシャープなリズム感が生かされていますが、正確さが前面に出て、折目正しさを感じさせるのも面白い所。トロンボーンのグリッサンドもその効果をきっちり打ち出しながら、あくまで拍節のタイムライン上に位置付けようという意識が感じ取れます。後半の民族舞曲も、軽快なリズムにさっぱりとした合奏を乗せてゆく趣。どこまでも整然としたアンサンブルを繰り広げます。

 細部は非常に精緻だしカラフルな色彩感に溢れ、あらゆる音事象を浮き彫りにした鮮やかな表現ながら、暴力性や民族的要素とはほぼ無縁。ダイナミックな活力やパンチの効いたアタックが、そのままスポーティな運動性へと昇華される清潔感があります。ただ叙情性は豊かで、必ずしも徹底的に純音楽的な解釈という訳でもありません。あくまで指揮者の体質的な傾向なのかも。エンディングもさっぱりした語り口。

“濃密な棒さばきで、舞曲のムードと土俗的な拍動を打ち出すゲルギエフ”

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1997年  レーベル:ラジオ・ネザーランド・ミュージック)

 ゲルギエフ・フェスティヴァルの4枚組ライヴ録音セットに収録。放送録音ですが歪みは少なく、バスドラムの重低音まで音域を広くカヴァー。デ・ドーレンの残響を豊富に取り入れる一方、直接音も鮮明にキャッチしています。

 遅めのテンポで舞曲の拍節感と民俗情緒を全面に押し出した、濃厚な表現。導入部もリズムが明確で、エッジーなブラスのアクセントが効果的。オペラやバレエが得意な指揮者だけあってイマジネーションが豊か、語り口も巧みです。場面転換も見事で、どの箇所も彫りの深い造形で濃密な音楽を展開していて聴き逃せません。旋律はなべてねっとりと歌われますが、山場の民族舞曲は地を這うように迫り来る土俗的な拍動が迫力満点。

“ドラマティックかつエネルギッシュ! レヴァインの才気迸る、雄弁極まりない名演”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2003年  レーベル:オームス・クラシックス)

 同コンビのライヴ録音をまとめて発表したシリーズの一枚で、同じ作曲家の歌劇《青ひげ公の城》とピアノ協奏曲第3番をカップリングした2枚組の中の音源。レヴァインはシカゴ響とオケコン、弦チェレも録音しています。

 演奏はレヴァインらしく、情景が目に浮かぶようなドラマティックなもの。リズムのエッジを強調するパーカッシヴな音作りは作品の性格に合ったもので、冒頭から信じられないほどエネルギッシュなパフォーマンスを展開。音圧が高くソリッドなブラスのサウンドなど、シカゴ響を思わせます。リアリスティックでヴィヴィッドな色彩感は鮮烈で、配慮の行き届いたディティールによって、あらゆるフレーズが雄弁に語りかけてくるような演奏に仕上がりました。拍の置き方など独特なイントネーションも聴かれますが、東洋的な旋律の歌わせ方も実に巧く、ルバートの使い方とアゴーギクの演出も絶妙。才気の迸る名演です。

“徹底して音色を磨き上げるミニマルなアプローチ。腰の弱い録音は不備”

エサ=ペッカ・サロネン指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:2006年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《春の祭典》とオリジナル版《はげ山の一夜》をカップリングしたライヴ盤。当コンビのバルトーク録音は他に、オケコンと弦チェレ、ピアノ協奏曲全曲(ブロンフマン)、ヴァイオリン協奏曲第2番(ムローヴァ)があります。サロネンはN響の定期公演でこの曲を振った事がありますが、その際の、テレビ中継で観ても凄まじい熱気が伝わって来るほどの圧倒的パフォーマンスと較べると、当盤はどうも不完全燃焼という感じ。一つには録音が不備で、バスドラムの重低音が全体をマスクするほど誇張されているのに対し、オケ全体の腰が弱く、アタックの強度やエネルギー感に乏しく聴こえる事があります。

 演奏は、速めのテンポで全体のボリュームを抑え、突出してくる音型をミニマルにぶつけ合う、サロネンらしいアプローチ。生々しく鮮やかな音彩は印象的で、音の組み合わせの妙とカラフルな色彩感で聴かせる、バルトークとしては異色の表現です。ただ、磨き上げた美音で精緻に造形してゆくこのスタイルは、極度の洗練と垢抜けたセンスを感じさす一方、ある種の野生味やリズム的興奮も欲しくなってきます。見事といえば見事なのですが、サロネンは同じ曲でも演奏の度にコンセプトを変えたりする指揮者なので、この日の演奏が記録されてしまったのは、ファンとして残念な気がしないでもありません。ここはぜひ、全曲版による再録音を望みたい所。

“オケの能力を生かし、ソフィスティケートされた美しさに向かうヤンソンス”

マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:2007年  レーベル:ソニー・クラシカル

 ライヴ録音で、2004年収録のオケコンとラヴェルの《ダフニスとクロエ》第2組曲をカップリング。落ち着いたテンポを基調にソフトなタッチが目立つ、ヤンソンスらしいソフィスティケートされた演奏です。バスドラムやオルガンのバランスが控えめで、暴力的なアタックも排除しているせいか、いかにも端正な造形に聴こえます。ドラマティックな抑揚より、純音楽的な美しさを追求した感じでしょうか。

 オケは好演していて、アンサンブルが見事。トゥッティの響きも豊麗かつ有機的で、ブラスを伴う強奏でも表面的に鳴らないのはさすがです。ディティールの処理は入念で、リズムや色彩も鮮やか、オケを精密にコントロールするヤンソンスの手腕に疑いはないですが、演奏表現としてはカップリングのオケコンの方が遥かに凄い演奏という印象です。

“精緻さやパワフルな力感など聴き所多いが、熱気や凄みは不足がち”

スザンナ・マルッキ指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2018年  レーベル:BIS)

 《かかし王子》とカップリング。同コンビのバルトーク録音は、オケコンと弦チェレ、ピアノ協奏曲第3番(ソロはアンドレアス・ヘフリガー)、歌劇《青ひげ公の城》もあります。

 磨き上げられた音色で精緻に描写していて、さすが現代音楽で頭角を現したマルッキらしい鮮やかな演奏。エッジの鋭さや荒々しさも無くはないですが、土俗性よりは洗練された都会的センスが勝る印象です。冒頭部分や最後の山場など、音響が見事に整理されている点に指揮者の才覚と耳の良さが出ている一方、全篇を貫く熱気や勢いはさらに求めたい所。

 底力はあってトゥッティもパワフルですが、より怪物的な凄みがあればという感じでしょうか。発色が良く、色彩の変化で飽きさせず聴かせるセンスは卓抜。オケが非常に優秀で、合奏もよく統率されています。コーダへ向けての巧みな加速、打楽器を抑えて和声感と低音部のリズムで民族舞曲を形成してゆくユニークな解釈など、聴き所の多い演奏。

[全曲版]

 

“独特の解釈が頻出。晩年の貫禄すらすでに感じさせる、ドラティのステレオ初期盤”

アンタル・ドラティ指揮 BBC交響楽団・合唱団

(録音:1964年  レーベル:マーキュリー) 

 カップリングは、《ディヴェルティメント》。ドラティはこの10年前にシカゴ響と組曲版をモノラル録音している他、後に全曲版もデトロイト響と再録音しています。マーキュリーの録音はいつもながら鮮明。

 演奏は実に落ちついたもので、すでに後年の再録音を彷彿させる貫禄すら感じさせます。冒頭は意外にも遅めのテンポで、細部を克明に彫琢。それでいてエッジの鋭さは際立ち、低音の旋律も明晰に聴かせます。弦による民謡風の旋律をはじめ、マジャール的な情緒も濃厚に表出。バレエ指揮者らしい、起伏に富んだ語り口と生気溢れる表情も見事です。トロンボーンのグリッサンドなどはソフトに処理する傾向もありますが、拍子の取り方やオーケストレーションの解釈など、独特の解釈が頻出する名演。

“透徹した視点でスコアを再現しつつも、烈しいエネルギーを放出するスリリングな演奏”

ピエール・ブーレーズ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

 スコラ・カントルム

(録音:1971年  レーベル:ソニー・クラシカル

 当コンビのバルトーク・シリーズの一枚で、舞踏組曲とカップリング。この時期のブーレーズの魅力は、分析的でクリアな音響と視点を維持しながらも、実際に飛び出してくる音の鋭利さ、エネルギーの烈しさが聴き手を挑発するかのような攻撃性にありました。録音もクリアで、この年代のものとは思えないほど生々しいサウンド。豊富な残響のおかげで、音場感の深さも充分です。

 それにしても、凄まじい演奏です。冒頭からアグレッシヴに飛び交う音の数々は、それでいて緻密にコントロールされているのが驚異的。リズムにも溌剌とした覇気があり、ヴィヴィッドな色彩感と共に、鮮やかという他ない指揮です。弦のフレージングの艶っぽさなどは、この指揮者としては意外にも聴こえますが、この時期のブーレーズの演奏は、案外とフィジカルな興奮に満ちているのが特徴です。正にスコアの細部にまで息を吹き込んだ、目の覚めるようにフレッシュな演奏。後年の彼は表現の精度こそ増しましたが、この激しいエネルギーとエッジの鋭さは失いました(失ったのではなく、捨てたのかもしれませんが)。

“鬼才ドホナーニの並外れた演出力が織りなす幻想絵巻。オケの艶めいたサウンドも魅力”

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン国立歌劇場合唱団

(録音:1977年  レーベル:デッカ)

 《2つの肖像》とカップリング。同じデッカ・レーベルの録音でも、6年後のドラティ盤とは好対照の録音・演奏です。こちらはディティールをクローズアップせず、マスの響きを全体的に捉えた録音で、演奏もリズムのアタックを強調せず、フレーズをなめらかに繋いで流麗に歌わせる傾向。オケの特質を生かしたとも言えますが、なまめかしいほど官能的に歌われる旋律線は、厚みのある響きの作り方と相まって、どこか新ウィーン学派の響きを連想させる瞬間も多々あります。

 ドホナーニの指揮は、ディナーミクとアゴーギクの濃淡を細かく付けてゆく、極めて演出巧者なもの。各フレーズがいかにも意味ありげに語りかけてきて、音楽全体の雄弁な事といったらありません。冒頭部分は速めのテンポと力みのない軽妙なアンサンブルで開始されますが、楽器を加えてゆくに従って響きが重みを増し、テンポももたれるように遅くなっていくのがユニーク。各場面の中でもテンポは極端なほど揺れますが、映像が目に浮かぶようなドラマティックな描写力はドホナーニの面目躍如といった所。

 マジャール的な舞曲のリズムに乗ったクライマックスの乱闘場面は、相当なスピードで突進してゆくテンポ設計で、その前の部分との対比が明確。いかにも何か突発的に事件が起った、という印象を聴き手に与える所、さすがの演出力です。又、不気味に強調されたオルガンや、逆に抑制された合唱など、幻想的なサウンド作りも作品のムード醸成にひと役買っています。ドホナーニのただならぬ才気を感じさせる、隠れた名盤。

“作品を知り尽くしたドラティの至芸。同曲ディスクの最右翼に置くべき圧倒的な名演”

アンタル・ドラティ指揮 デトロイト交響楽団

 ケネス・ジュウェル合唱団

(録音:1983年  レーベル:デッカ)

 弦チェレとカップリング。ドラティは64年にBBC響と同曲を録音しています。当コンビのバルトーク録音は他に組曲第1番と《2つの映像》を収めたディスクがありますが、オケコンは近い時期にコンセルトヘボウ管とフィリップスに録音。ドラティが振るバルトークは格別の味わいを持つ名演ばかりですが、当盤も一聴、唖然としてしまうほどの素晴らしさで、同曲ディスクの最右翼に置くべき録音だと思います。

 冒頭部分からして、悠々たるスロー・テンポと確信に満ちたアーティキュレーション、バネのごとく弾みの強いリズム、烈しいアクセント、みなぎる緊張感、有機的迫力を増してゆく骨太な響きと、驚くべき音が次々に耳に入ってくるのに、ただただ圧倒されるばかり。作品を知り尽くしたドラティの棒は自信と共感に溢れ、ほとんど凄味すら漂うほど。音楽の流れは、片時も弛緩する事がありません。

 テンポは常に遅めで、細部を掘り起こして朗々と歌い上げてゆくような表現は新鮮そのもの。殊に民謡風の旋律などは、他では聴けないような独特の節回しで歌わせています。リズムも鋭利そのものですが、やはり他とは違うフィーリングを感じさせるなど、随所に新たな発見がある演奏。やはりバレエ団での経験がある指揮者は、リズムやテンポに独特の身体的センスがあるのが強みです。オケも優秀で、デッカの生々しい録音と相まって、手に汗握るスリリングなパフォーマンスを展開。

“絶妙な語り口と凄まじい音響感覚。戦闘態勢に入ったヤルヴィ父の迫力を聴く”

ネーメ・ヤルヴィ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

 ロンドン・ヴォイセズ

(録音:1990年  レーベル:シャンドス)

 レオ・ウェイナーという作曲家の、ハンガリアン・フォークダンス組曲をカップリング。スイス・ロマンド管との《春の祭典》など、こういうバーバリスティックなリズムを持つ作品を振る時のヤルヴィ父は戦闘態勢に入るというか、その迫力に凄まじいものがあります。オケも又、シャンドスの教会録音では、長い残響を伴ってすこぶる壮麗な響きを放つ団体なので、相乗効果で鮮烈そのものの演奏を展開。逆に、直接音のヴィヴィッドなきらめきは無いのですが、さりとて遠目の音像でぼんやり収録している訳でもなく、ソロなどは明瞭に聴き取れる、バランスの良い録音です。

 ヤルヴィの棒はリズム感が良く、語り口も雄弁。細部までよく練られた表現で、名盤の多いこの曲のディスク中においても、相当な存在感を放つ名演と言えるでしょう。特に、クレッシェンド気味に処理されるグリッサンドと、鋭いアクセントを打ち込むティンパニが効果的で、弦や木管のうねるようなフレージングも濃密。合唱が入ってくる所ではぐっとテンポを落として粘液質の表現を展開しており、正に亡霊が立ち現れるかのような不気味さ。

“モダンで都会的な性格ながら、明晰な音響と豊かな想像力を繰り広げるラトル”

サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

(録音:1993年  レーベル:EMIクラシックス)

 前年録音のオケコンとカップリング。ラトルのバルトークは他にピアノ、ヴァイオリン協奏曲の録音もあり、まとめてボックス化されています。冒頭から速めのテンポで大変にシャープな造形。特にブラス群のアグレッシヴなアクセントが、シャープでモダンな雰囲気を演出しています。ラトルが作るクリアなサウンドはすこぶる分離がよく、木管の副次的な動きなどが明瞭に聴き取れるため、非常にポリフォニックで立体的な音響が鳴り渡る印象。オケの技術も一級で、細部まで生き生きと雄弁な、素晴らしいアンサンブルを聴かせます。

 トロンボーンなどのグリッサンドをスマートに処理し、乱闘場面のオスティナートでは打楽器も抑制するなど、民俗的な要素は洗い流され、スコアをクリーンに整理整頓した感もありますが、旋律線はしなやかで、弦をはじめフレージングに独特のなまめかしい艶があるのもユニーク。自在なアゴーギクが生む淀みのない流れが各部を繋ぎ、一つの優美で大きなラインに収束されてゆく設計は周到かつ非凡という他ありません。組曲版以後の場面も、実にドラマティックでイマジネーション豊か。エンディングも独特のイントネーションです。

“ドラマ性や舞曲的躍動感、民族的要素などを全て徹底排除したブーレーズ再録音盤”

ピエール・ブーレーズ指揮 シカゴ交響楽団、合唱団

(録音:1994年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビによるバルトーク・シリーズの一枚で、弦チェレとカップリング。ニューヨーク・フィルとの旧盤以来23年振りの再録音ですが、この曲の場合、さほど大きくアプローチが変わっていないように感じます。録音技術は進歩しているし、オケもシカゴ響の方が技術的に優位かもしれませんが、リズムの鋭利さや音そのものの激しさは旧盤に軍配が上がる印象。

 速めのテンポで快調に進める開巻から最後の場面まで、実に淡々とした表現で一貫。終始客観性を保ったままで、バレエ音楽としての舞曲的性格や間合いは勿論の事、音楽自体が孕むドラマ性や、マジャール的なムードなど、全て徹底的に洗い流されています。こういうのもまあ、純音楽的表現というのでしょうかね。平素のシカゴ響は、音響バランスに難があるというか、突出するブラスが正確で軽快なリズム進行の妨げになる事も多い感じですが、さすがにブーレーズの指揮はうまく制御しているようです。ただ、フレージングには今一歩豊かなニュアンスを求めたい所(指揮者が許さないのでしょうが)。

“温和で事なかれ主義的な小澤征爾。オケの垢抜けないパフォーマンスも問題”

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団

 タングルウッド祝祭合唱団

(録音:1994年  レーベル:フィリップス)

 当コンビは75年にグラモフォンで同曲を録音しており、再録音となります。バルトークを得意にしている小澤ですが、個人的にはあまりピンと来ない解釈です。角が取れた温和なサウンドは、ともすれば洗練されたタッチを志向しているようにも聴こえるものの、作品には余り似つかわしくないかもしれません。各部の表情も、ドラティやドホナーニの演出巧者を極めた濃密な表現を聴いた後では、いかにも淡白で薄味に感じられてしまいます。

 一方、弦を中心にアンサンブルはよく揃えられて小気味の良さもありますが、どういう訳かリズム面が、押し出しが弱い訳ではないのにフィジカルな興奮を欠き、いわゆる“ノリが悪い”演奏になってしまっているのが残念。加えて問題なのが、ボストン響のディスクでは時々ある事なのですが、響きが浅く、立体感を欠く上、ブラス・セクションを中心にドタバタと垢抜けないパフォーマンスが目立ち、このオケは本当は上手いのか下手なのか、思わず首をかしげたくなってしまいます。

“一見オーソドックスながら、本物の凄みと濃密な味わいを備えた名演”

イヴァン・フィッシャー指揮 ブダペスト祝祭管弦楽団

 ハンガリー放送合唱団

(録音:1996年  レーベル:フィリップス)

 フィリップスに3枚残された、同顔合わせのバルトーク管弦楽作品集から。他に、協奏曲の録音もあります。このレーベルらしい好録音で、鮮明に直接音を捉えながら、適度な残響で潤いと柔らかさを加えた、魅力的なサウンドになっています。

 演奏も大変充実していて、このコンビらしい凝集された濃密な表現を貫きながらも、刺々しさや極端にシャープなエッジは抑えて、スタンダードな範囲に収めた造形。しかし彼らのバルトーク、コダーイ演奏には、独特の迫真力があり、有無を言わせない凄みを感じさせる点では共通しています。一方、各場面の描写やフレーズのイントネーションは洗練されていて、モダンなタッチもあり。特に、緊張感を保った巧みなアゴーギクは素晴らしく、現代の管弦楽作品として堂々と聴かせます。

 金管群のフォルティッシモは、力感が漲って輝きに満ちながら、外面的な効果よりも内実を取るような有機的な迫力が圧巻。弦の艶っぽい歌も、本場のミュージシャンらしい歌い回しと直結していて、皮相な方向に流れる事がありません。過激な語り口でこそないですが、常に覇気に溢れ、味の濃さが印象に残るのはさすが。リズム的要素が終始軽快なのも好印象です。速めのテンポで畳み掛ける後半部はスリリング。

“アクセントを抑え、メロディ・ラインを中心に構成したユニークなアプローチ。語り口も巧妙”

ケント・ナガノ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1997年  レーベル:エラート)

 ストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》とカップリング。通常のアプローチとは違い、横の線の流れに留意したメロディアスな演奏。冒頭からかなり速めのテンポで疾走しますが、リズム的要素のアクセントを抑制する一方、レガート気味に処理した旋律線を艶やかに磨き上げていて、ヴァイオレンスと民族色で知られる同曲に別の角度から光を当てた印象を受けます。オケのソリスト達が芸達者なせいもありますが、弱音部の木管ソロなども、何かドラマを語りかけてくるような趣があり、ナガノの感性の豊かさと語り口の上手さを窺わせます。

 リズム・センスは抜群で、切れ味も鋭いしグルーヴ感も十分。演奏全体としても緩急の設計が見事で、流麗な性格ながら、腰の弱さや物足りなさは感じさせません。ただ、作品が持つ暴力性や刺激は遠景に追いやられた感が残ります。クライマックスの乱闘も、打楽器のリズムを徹底的に抑えているせいで、ほとんど違う曲に聴こえるほど。舞曲というよりも、メロディ・ラインを中心に音楽を再構築した感じでしょうか。同曲ディスコグラフィーの中では、実にユニークなポジションを占める一枚。(合唱団の表記なし)

“斬新な感覚でスコアを甦らせた、美しくも鮮やかな名演”

リッカルド・シャイー指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 ローレンスキャントリー合唱団

(録音:1997年  レーベル:デッカ)

 95年録音のオケコンとカップリング。シャイーの尋常ならざる才気が迸る、図抜けた名演です。彼のスコア解釈、音楽の捉え方、腑分けが、他の指揮者とは根本的に違っているようで、音の構築やフレージング、テンポの設定など、まるで新しい曲に生まれ変わったかのように新鮮に聴こえる箇所がたくさんあります。リズム感や響きのバランスにも聴き馴れぬ表現が多々あり。

 落ち着いたテンポで、音符を正確に再現してゆくような表現ながら、アゴーギクは巧妙で個性的。例えば民謡的な旋律で妙なしなを作って、ユニークな情感を打ち出したり、山場の乱闘シーンも、途中で裏拍を強調してリズムの取り方を変えてみたり、他では聴かない表現が続出。又、組曲版には入っていない後半からエンディングまでの部分を、これほど面白く、エキサイティングに演出した演奏は稀でしょう。

 正確でシャープなリズムは刺激的ながら、全体が柔らかなホールトーンに包まれて、衝撃が緩和された印象。艶やかな光沢を放つ弦や、しっとりした木管ソロなど、音色の美しさは魅力的。徹底して磨き上げられた音で構成されたこの演奏は、あらゆる部品が鮮やかにブラッシュアップされた新製品のようなフレッシュさを放っています。

“得意な曲目ながら、ユニークなアイデアで解釈を刷新してゆくサロネン”

エサ=ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団

 フィルハーモニア・ヴォイセズ

(録音:2011年  レーベル:シグナム・クラシックス)

 舞踏組曲と、ブロンフマンら三重奏の《コントラスツ》をカップリングしたライヴ盤。サロネンは同曲を得意にしていて、ライヴではあちこちで演奏していますが、録音はロス・フィルとの組曲盤があっただけでした。

 冒頭はやや抑制の効いた開始ながら、楽器が加わって喧噪が増すに連れてテンポに重みを加えてゆき、木管群を悲鳴のように引き延ばしてデフォルメしたりと、ユニークな解釈。主部も実に演出巧者で、急激なクレッシェンドやディミヌエンド、グリッサンド、鋭敏なマルカート、スタッカート、舞踏リズムの烈しい強調など、演奏効果を知り尽くした雄弁な語り口。サロネンは、同じ曲でも振るたびに解釈を刷新してくるのが面白い指揮者です。

 強奏部も雄渾でダイナミック、スケールの大きさにも事欠きません。テンポの変動や場面転換は堂に入っていて、スコアを完全に掌中に収めた印象もあります。過去に何度も演奏してきているので、細部まで完全に把握しているのでしょう。オケもアグレッシヴな合奏で、色彩も鮮やか。組曲版に入っていない後半部も、テンションの高い表現で聴き手の耳を惹き付けて放しません。特に金管群の尖鋭なエッジは、全編に渡ってシャープな効果を挙げています。民俗的要素はクローズアップされませんが、旋律線の表情は多彩。

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