ビゼー/歌劇《カルメン》

概観

 私は長い間、《カルメン》なんて所詮は「わがまま女がストーカー男に引っかかって破滅するお話」と認識していて、音楽は傑作だけれど、劇としては大したものじゃないと思っていた。優れたドラマだと感じるようになったのは、ごく最近である。それでも、あらゆる言動をことごとく間違えるホセには共感の余地がないが、殺されると知った上でも自分の生き方を貫徹するカルメンの意志力、最後までブレない筋金入りのポリシーは賞賛に値する。

 録音はなかなか満足のゆくものが少なく、下記リストの全曲盤CDでお薦めはプレートル盤とマゼール/フランス国立盤くらい。一方、オペラのセッション録音がほとんど出なくなったゼロ年代以降に、映像ソフトの方でスコア解釈の刷新が急速に進んだ感がある。

 クライバー盤、レヴァイン盤、P・ジョルダン盤、ガーディナー盤は文句無しのお薦め映像だし、音楽にカットがあるものの、リアリズムの美しい演出と映像、俊英指揮者の才気が爆発したカリーディス盤は圧巻の内容。同じロイヤル・オペラでは、旧スタイルの正当派ながら演出、演奏共に充実しているメータ盤もお薦め。

*紹介ディスク一覧  *配役は順にカルメン、ホセ、エスカミーリョ、ミカエラ

[管弦楽組曲CD]

56年 パレー/デトロイト交響楽団  

59年 マルケヴィッチ/コンセール・ラムルー管弦楽団  

59年 ドラティ/コンセール・ラムルー管弦楽団    

64年 クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団

67年 ミュンシュ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団  

70年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

76年 ストコフスキー/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団

78年 マリナー/ロンドン交響楽団    

81年 マルケヴィッチ/フランス国立管弦楽団   

83年 小澤征爾/フランス国立管弦楽団

84年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

86年 プレートル/バンベルク交響楽団   

86年 デュトワ/モントリオール交響楽団

87年 マリナー/シュトゥットガルト放送交響楽団   

91年 ミュンフン/パリ・バスティーユ管弦楽団

93年 ビシュコフ/パリ管弦楽団

94年 リッツィ/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団  

98年 佐渡裕/フランス放送フィルハーモニー管弦楽団

[オペラ全曲CD]

64年 プレートル/パリ・オペラ座管弦楽団   

      カラス、ゲッダ、マサール、ギオー

70年 マゼール/ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団

      モッフォ、コレッリ、カプチッリ、ドナート

82年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 

      バルツァ、カレーラス、ダム、リッチャレッリ

82年 マゼール/フランス国立管弦楽団

      ミゲネス、ドミンゴ、ライモンディ、エシャム

88年 小澤征爾/フランス国立管弦楽団

      ノーマン、ドミンゴ、エステス、フレーニ

95年 シノーポリ/バイエルン国立管弦楽団

      ラーモア、モーザー、レイミー、ゲオルギュー

12年 ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      コジェナー、カウフマン、スモリジナス、キューマイヤー

[DVD]

85年 C・クライバー/ウィーン国立歌劇場管弦楽団

      オブラスツォワ、ドミンゴ、マズロク、ブキャナン

87年 レヴァイン/メトロポリタン歌劇場管弦楽団   2/23 追加!

      バルツァ、ホセ・カレーラス、レイミー、ミッチェル

91年 メータ/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団  

      ユーイング、リマ、キリコ、ヴァドゥーヴァ

02年 P・ジョルダン/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団  2/23 追加!

      オッター、ハドック、ナウリ、ミルン

09年 ガーディナー/オルケストル・レボリューショネル・エ・ロマンティーク 2/23 追加!

      アントナッチ、リチャーズ、カヴァリエ、シレ

10年 カリーディス/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団  

      ライス、ヒメル、アルギリス、コヴァレフスカ

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[管弦楽組曲CD]

“柔らかく、ソフィスティケイトされた筆致ながら、鋭利なリズムと明瞭なメリハリで造形”

ポール・パレー指揮 デトロイト交響楽団

(録音:1956年  レーベル:マーキュリー)

 《アルルの女》組曲とカップリングで、《(第1幕への)前奏曲》《衛兵の交替》《アルカラの竜騎兵》《(第3幕への)前奏曲》《アラゴネーズ》《闘牛士》の6曲を収録。このレーベルらしい直接音の鮮明な録音だが、残響も適度に収録されて潤いの感じられるサウンド。

 パレーは明るく柔らかな筆致で軽妙に描写していて、刺々しさがないのが好印象。《(第3幕への)前奏曲》は速めのテンポでさらさらと流れるが、パステル調の美しい音色が魅力的で、物足りなさは全く感じない。《アラゴネーズ》もどぎつさがない一方、随所に鋭いアクセントを付けてメリハリが絶妙。《闘牛士》は落ち着いたテンポで、ソフィスティケイトされたタッチと歯切れの良いリズムが見事。

“シャープなエッジと艶美な歌い回しを両立させた、この曲に珍しいお薦めディスク”

イゴール・マルケヴィッチ指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団

(録音:1959年  レーベル:フィリップス)

 《アルルの女》組曲とカップリングで、第1組曲は《セギディーリャ》を除いて4曲(当盤の分け方では5曲)、第2組曲は《闘牛士の歌》を除いて5曲を収録。同じオケ、同じレーベル、同じ年に録音されたドラティ盤と同じ選曲。マルケヴィッチは、晩年にフランス国立管とも同曲を録音。鮮明で抜けが良く、聴きやすい音質。

 第1組曲は《闘牛士》から《前奏曲》に入る際の、ややデフォルメした溜め方がマルケヴィッチらしい所。テンポは落ち着いているものの、リズムはエッジが効いてシャープ。弦の音色、木管ソロの音彩なども非常に美しく、魅力的。《夜想曲》の艶っぽい歌い回しや香気も、今はなかなか聴けないもの。《アルカラの竜騎兵》《密輸入者の行進》も鮮やかという他ないパフォーマンス。組曲版には珍しく、名盤と呼べるディスク。

“速めのテンポ、シャープなエッジが目立つ、異色組み合わせによる注目盤”

アンタル・ドラティ指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団

(録音:1959年  レーベル:フィリップス

 ドラティとラムルー管弦楽団の珍しい組合わせで、《アルルの女》組曲とカップリング。長らく存在を知られていなかった録音だが、2014年にタワーレコードが復刻してくれた。ラムルー管は同じ年、同じレーベルにマルケヴィッチとも同じ曲をレコーディングしている。第1組曲からは《セギディーリャ》、第2組曲からは《闘牛士の歌》がカットされ、全10曲(9曲)の収録。

 どの曲もテンポが速く、フレーズに溜めがないのが特徴。音の立ち上がりのスピード感や、音色の鮮やかさは際立っているが、フランスの団体特有の明朗な色彩感が心地よい。しかもドラティの指揮だけあり、緊密なアンサンブルを展開。《アラゴネーズ》ではルバートをほぼ排除し、ストレートなイン・テンポを貫く一方、最後の《ジプシーの踊り》では、意外にリタルダンドで変化を付けて、巧妙に盛り上げる一面もある。活気に満ちたクライマックスは、オケの性質も相まってエキサイティング。

“短い前奏曲4曲だけの抜粋で、聴き応えに欠けるオマケ的なカップリング音源”

アンドレ・クリュイタンス指揮 パリ音楽院管弦楽団

(録音:1964年  レーベル:EMIクラシックス)

 各幕への前奏曲だけをピックアップした4曲だけの抜粋。全て2分前後の小品なので、まるで聴き応えがなく、いわばメインの《アルルの女》組曲のオマケという感じ。やや時代掛かった表現ながら、作品を掌中に収めた見事な演奏ではあるが、特にソロの魅力が十全に発揮される選曲でもないので、コメントも難しい所。《アルルの女》の方は掛け値なしの名演なのだが。クリュイタンスには、パリ・オペラ・コミーク管を振ったオペラ全曲盤があるので、モノラルだがそちらを聴くべきかも。

“鮮やかな造形と、明朗な音色、カンタービレが最高”

シャルル・ミュンシュ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1967年  レーベル:デッカ)

 《アルルの女》とカップリング。同コンビの数少ないデッカ録音の一枚で、他にレスピーギの《ローマの松》《ローマの噴水》、オッフェンバックの《パリの喜び》がある。第1組曲から《闘牛士》、続く《(第1幕への)前奏曲》《アラゴネーズ》《(第3幕への)間奏曲》、第2組曲から《アルカラの竜騎兵》《ハバネラ》《衛兵の交替》《ジプシーの踊り》の7曲を収録。

 《闘牛士》は遅めのテンポながら、一音一音を明瞭に区切った、整然として歯切れの良い造形。オケの音色が鮮やかなため、あらゆる音符が鮮明に隈取りされる爽快さがある。行進曲に続く不穏な部分は、ぐっとテンポを落とした上に、ティンパニの合いの手にも重しを付けて、地を這うように粘っこい表現。《アラゴネーズ》も落ち着いたテンポ、切れの良いスタッカートとカラフルな発色で、生き生きと造形。《(第3幕への)間奏曲》は、明朗なラテン的音色センスと溢れんばかりの叙情が素晴らしい。

 《アルカラの竜騎兵》《衛兵の交替》も、とにかく音色とフレージングの表現が素敵。フランス音楽を得意にしている指揮者ならではの、卓抜なセンスが横溢する。《ジプシーの踊り》はゆったりと開始。くっきりした音色でリアルに音を組み立て、着実に地盤を固めながら、ミュンシュらしい熱っぽいクライマックスへ導く。

“聴かせ上手ながら、たった4曲の抜粋でオマケ的性格の録音”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1970年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《アルルの女》組曲とカップリング。《闘牛士》《アルカラの竜騎兵》《(第3幕への)前奏曲》《ジプシーの踊り》と、クリュイタンス盤同様、各幕への前奏曲のみ4曲きりの収録で、やはり《アルルの女》のオマケという感じ。曲の性格もあって、あまり聴き応えがない。

 音質がやや高音偏重の印象もあるが、このコンビらしい華やかさはよく出ている。小品を巧みに聞かせるのが上手いカラヤンの棒と、オケの最高峰ベルリン・フィルのパフォーマンスで申し分ないが、この4曲だけではさすがにお腹一杯とはいかないかも。

“エネルギッシュで若々しい活力に溢れる最晩年のストコフスキーに驚嘆!”

レオポルド・ストコフスキー指揮 ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1976年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ストコフスキー最晩年の一枚で、《アルルの女》とカップリング。第1組曲は全曲収録しながら、本来は最終曲である《闘牛士》をオペラと同様に冒頭に配置しています。第2組曲は《ミカエラのアリア》と《闘牛士の歌》を割愛して4曲をチョイス。ただし、《ハバネラ》など元々歌手が歌う曲では主旋律をトランペットで派手に歌わせるなど、独自のアレンジも聴かれる。全体的には極端なスコア改変のない、正攻法の表現。

 極めてエネルギッシュで生気に溢れた演奏で、残響をたっぷり収録しつつも、細部が鮮明でみずみずしい録音。90歳を過ぎた老人の指揮とは到底思えないほどコントロールが行き届き、若々しく躍動感のある演奏を展開する。旋律線に豊かな表情が付与されている他、《第3幕への間奏曲》では超スロー・テンポで嫋々とソロを歌わせるなど、耽美的表現も健在。地を這うように遅い《密輸入者の行進》も独特のムード。

“鋭敏なリズムを盛り込みながらも、ソフトでリリカルな表現を展開”

ネヴィル・マリナー指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1978年  レーベル:フィリップス)

 《アルルの女》組曲とカップリングで、第1、第2組曲の11曲全て収録。当コンビのディスクは他に、プロコフィエフの管弦楽曲集やショパンの両ピアノ協奏曲(ベラ・ダヴィドヴィッチ)、EMIにグリーグ&シューマンのピアノ協奏曲(セシル・ウーセ)の伴奏がある。マリナーのフル・オケ演奏はどれも仕上げが丁寧で、粗雑な箇所がないのは美点。アーティキュレーションの描き分けも細かい。残響をたっぷり収録した録音はまろやかで美しいが、やや重厚で、トゥッティで飽和気味になるのは残念。

 《闘牛士》は遅めのテンポながら、敏感で切れ味の鋭いリズムを小気味良く刻んで爽快。しかしタッチは柔らかく、角の立たない響きを作っている。《アルカラの竜騎兵》はスロー・テンポで情感豊か。そんな中にも卓抜なリズム感が盛り込まれるのは、マリナーらしい所。《間奏曲》は抑制された色彩とゆったりしたテンポで、リリカルな表現。のびやかな弦のカンタービレも魅力的。

 もう少し音色に明るさや華やかさがあればとも思うが、典雅な趣はフランス音楽の一面と相性が良く、《セギディーリャ》《ハバネラ》《闘牛士の歌》といった、本来はアリアであるアレンジ曲がとても上品に聴こえるのは美点。特に管楽器のソロはフレージングがすこぶる美しく、詩情豊か。《密輸入者の行進》は、遅いテンポが忍び足のよう。《衛兵の交代》はマリナーらしい鋭敏さが出た、モダンな造形。《ジプシーの踊り》も、必要な高揚感は十分に演出しながらも、あくまでソフトな仕上がり。

“透徹した感性で聴かせる指揮者と、ひたすら上手いオケの相性が抜群”

イゴール・マルケヴィッチ指揮 フランス国立管弦楽団

(録音:1981年  レーベル:ピックウィック)

 英国のピックウィック(これがレーベル名かどうかも判然としないが)によるThe Orchid Seriesシリーズの一枚。ポピュラーな名曲が並んでいるのでビギナー向けの企画かもしれないが、どれも80年代のデジタル録音で、指揮者陣がコンドラシンやヨッフムなどの巨匠達だから、音楽ファンが注目するのも頷ける。

 マルケヴィッチの録音は得意のフランス物から意外なグリーグまで数点ラインナップされていて嬉しい所。《アルルの女》組曲とのカップリングで、《カルメン》は当盤の分け方で12曲(組曲全て)を収録しているのも充実感がある。晩年の録音とはいえ、マルケヴィッチ一流の厳しい造形美と透徹した響き、鋭いリズム感を駆使し、オーソドックスな中にも格調の高い表現を繰り広げて聴き応えあり。歌手のパートを楽器に置き換えたナンバーでさえ、ここでは通俗に堕ちていない。

 オケが又、とにかく上手い。特にソロ楽器のセンスは満点で、《闘牛士の歌》で全編ソロを受け持つトランペットなど、憎らしいほど艶っぽく洒落た歌い回しで聴き所をかっさらう。リズムやアンサンブルの統率にはラテン系指揮者とは違う精密さがあり、《ジプシーの踊り》も熱狂的に盛り上げたりせず、造形感覚を重視している所はさすが。一方で、ミカエラのアリアにおける情緒てんめんたる叙情の表出などは、鋭利一辺倒といった感じだった昔のマルケヴィッチにはなかった性質かもしれない。

“リズムの鋭さ、流れの良さとまろやかな響き。小澤の美質が随所に冴え渡る”

小澤征爾指揮 フランス国立管弦楽団

(録音:1983年  レーベル:EMIクラシックス)

 組曲《アルルの女》とカップリング。第1組曲から《闘牛士》、続く《(第1幕への)前奏曲》《アラゴネーズ》《(第3幕への)間奏曲》、第2組曲から《ハバネラ》《ジプシーの踊り》の6曲を収録。当コンビのビゼーは交響曲他の管弦楽アルバムがある他、5年後にフィリップス・レーベルでオペラの全曲盤も録音。録音が残響過多で、細部の鮮やかさがやや落ちる傾向。

 冒頭の《闘牛士》は、きびきびとしたテンポ運びと切れ味の鋭いブラスのアクセントが心地よく、マイルドなソノリティと流れのスムーズさは正にこの指揮者のもの。コーダのアゴーギクも見事。《アラゴネーズ》はゆったりとしたテンポで美しく仕上げる一方、スペイン情緒やリズムの激しさには見向きもしない。《間奏曲》のフルート・ソロはクラリネットと共に明朗な音色で、全曲中出色。《ジプシーの踊り》も、歯切れの良いリズムで盛り上げ、曲芸的なクライマックスへ持ってゆくスリリングなテンポ設計もさすが。

“雄弁な演奏ながら、又もやたった4曲のカラヤン再録音盤”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《アルルの女》組曲とカップリング。旧盤同様、各幕への前奏曲のみ4曲きりの収録。《闘牛士》は遅めのテンポながら、歯切れ良く造形。当コンビらしい華やかなサウンドは、曲調にマッチしている。《アルカラの竜騎兵》もさりげない調子の中に、ニュアンスを込めたパフォーマンス。《(第3幕への)前奏曲》のフルート、クラリネットは案外控えめな表現ながら、清澄なピアニッシモの美しさで聴かせる。《ジプシーの踊り》も強弱の変化を大きく取り、雄弁な語り口。

“オペラ全曲盤の名演を彷彿させる棒さばき。意外にもオケの音色美が充溢”

ジョルジュ・プレートル指揮 バンベルク交響楽団

(録音:1986年  レーベル:RCA)

 当コンビの2枚のビゼー・アルバムから。86年録音の当盤は交響曲とカップリング、85年録音は、序曲《祖国》、《アルルの女》組曲、《子供の遊び》というラインナップ。元は独オイロディスクの原盤で、当初から2枚組のアルバムとして製作されたものとの事。チェコ国境に近いドイツのオケ(結成当初からチェコの楽員も多い)だが、柔らかさとみずみずしい潤い、明朗な色彩感に清澄な響きと、意外にも音色的魅力が充溢する録音。

 選曲は第1組曲全曲と、第2組曲から《密輸入者の行進》《衛兵の交代》《ジプシーの踊り》をチョイスして全8曲。《闘牛士》と《前奏曲》はプレートルらしいきびきびとした調子で、速めのテンポでぐいぐい牽引する熱っぽい表現。エッジの効いたアタックも緊張感に溢れる。一方、《間奏曲》は自在な呼吸感が顕著で、艶っぽい音色で情感たっぷりに歌い込んでゆく辺りは絶美。

 又、《密輸入者の行進》の多彩な語り口と濃密な描写力に、カラスとの全曲盤で名演を遺したプレートルの非凡な才気を窺わせる。《アラゴネーズ》の沸き立つような情熱と語気の激しさ、はっとさせられるような抒情の表出も聴き所。

“極度の洗練と洒脱な語り口は申し分がない反面、ドラマの暗さ、激しさは一掃”

シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団

(録音:1986年  レーベル:デッカ)

 ホフマン編曲で第1組曲、第2組曲として知られる管弦楽組曲全11曲を全て収録。意外に全曲収録のディスクは少ないので貴重だが、アリアはオケ版だと違和感があり、オーケストラ曲だけを収録する他盤のスタンスにも一理ある。演奏は予想される通り全く申し分のないもので、これ以上ないほど洗練された美しい音色と卓越したリズム感、洒脱な音楽的描写力で一貫。語り口も巧妙そのもの。

 ビギナーにも安心してお薦めできるスタンダードである反面、文句なしの名演と言いたい《アルルの女》と違って、オペラ本編を彷彿させる暗い感情や熱気、情緒的な激しさが一掃されている事に不満を覚えるリスナーもいるかもしれない。《セギディーリャ》や《ハバネラ》、《ミカエラのアリア》など、歌手のパートを楽器に置き換えた安っぽい編曲もそれなりに上品に聴かせる点は、デュトワの美質と言えるだろう。

“小品集の中で7曲もチョイス。充実した演奏を生き生きと聴かせるマリナー”

ネヴィル・マリナー指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団

(録音:1987年  レーベル:EMIクラシックス)

 邦題で「オーケストラ・ファンタジー2」、オリジナル・タイトルをFavourite Orchestra Piecesという小品集の中の音源で、第1組曲から《前奏曲》《アラゴネーゼ》《間奏曲》《アルカラの竜騎兵》《闘牛士》、第2組曲から《夜想曲》《ジプシーの踊り》と、7曲もチョイスして結構なヴォリューム。小品集としての体裁は崩れているが、マリナーにはロンドン響との旧録音もあり、この曲が好きなのかも。

 演奏も大変に優れ、《前奏曲》は速めのテンポと切迫した調子がドラマティックな興趣を煽るし、《アラゴネーゼ》はオーボエのリズム感とフレージングが卓抜。《間奏曲》もフルートがニュアンスたっぷりに好演していて、潤いに満ちた情感豊かな伴奏共々、実に聴き応えがある。《アルカラの竜騎兵》はテンポの設定、合奏の構築に繊細なセンスを聴かせ、《闘牛士》は落ち着いたテンポで羽目こそ外さないが、鋭利なリズムが生き生きと躍動。《夜想曲》は各パート共、熱のこもった嫋々たるカンタービレが感動的。

“フレッシュかつモダン。鋭利なリズムできびきびと音楽を運んだ名演”

チョン・ミュンフン指揮 パリ・バスティーユ管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《アルルの女》組曲、《子供の遊び》とカップリング。ミュンフンは後年、フランス放送フィルとオペラ全曲を録音している。組曲と銘打たれているが、自由に8曲をチョイスした抜粋盤で、冒頭の《闘牛士》、続く《(第1幕への)前奏曲》、《アラゴネーズ》《衛兵の交代》《(第3幕への)間奏曲》《セギディーリャ》《アルカラの竜騎兵》《ジプシーの踊り》の順。

 ミュンフンらしい鋭利なリズム感と音色の冴えが際立つ名演。音の立ち上がりにスピード感があり、スタッカートの切れ味も無類で、実にフレッシュな感覚に溢れる。どの曲もきびきびとしたテンポ運びで、モダンな造形が印象的。冒頭の《闘牛士》などはクライバーの演奏を彷彿させる熱気が充満するし、《衛兵の交代》の生き生きとした描写力もさすが。《ジプシーの踊り》は、ゆっくりと始めて加速のスリルで聴かせる演奏が多い中、当盤は最初から疾走するのがユニーク。

 当時のバスティーユ・オケは組織されてまだ2年という頃だが、ディスクで聴く限りはこの時点でパリでもトップの実力という雰囲気。ミュンフンが辞任に追い込まれてから新譜が出なくなって残念。

“重い棒さばきで生彩を欠くビシュコフ。厚塗りのような色彩感は独特”

セミヨン・ビシュコフ指揮 パリ管弦楽団

(録音:1993年  レーベル:フィリップス)

 《アルルの女》組曲とカップリングで、第1組曲は《セギディーリャ》を除いて4曲(当盤の分け方では5曲)、第2組曲は《闘牛士の歌》を除いて5曲を収録。テンポ設定や響きのバランスなど、造形的にはごくオーソドックスだが、どことなく色彩が濃厚で、リズムも骨太な印象を与えるのは、このコンビのフランス音楽演奏に共通する特性。華やかで軽妙なタッチより、油絵のようにごってりと塗られた厚ぼったいサウンドが目立つのは、指揮者のロシア的特質か。

 演奏も今一つ強い主張を欠き、ビシュコフの才能に異論はないが、パリ管との録音は概してこういう調子で、面白くないように思う。彼自身が、フランス音楽にさほどシンパシーを感じていないのか、単に向いていないのかもしれない。ただ、そもそもこの演奏会用組曲自体、音楽として構成の緊密さに欠けており、印象が散漫。演奏者の個性を打ち出せるポイントがあまりないし、いわゆる名演名盤が生まれにくい曲。

“曲数が少ない上、優美かつ流麗ながら熱っぽさを欠く表現が残念”

カルロ・リッツィ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1994年  レーベル:テルデック)

 《アルルの女》全曲とカップリング。《前奏曲》《アラゴネーズ》《(第3幕)間奏曲》《アルカラの竜騎兵》《闘牛士の歌》と第1組曲のみ収録。同コンビの録音は他に、レスピーギのローマ三部作もあり。リッツィは優秀なオペラ指揮者なので、せめて第2組曲も聴きたかったが、《アルルの女》の全曲録音は稀少なので、仕方がない面もある(ただしトータル・タイムは57分半なので、収録は可能だったはず)。

 演奏は手堅く、シャープかつ流麗な棒さばきでまとめているが、いかんせん組曲だけだとどうにも印象が薄い。またリッツィは安全運転に徹する傾向もあり、《アラゴネーズ》や《闘牛士の歌》などはもっと前のめりの熱っぽさも欲しい所。いずれも遅めのテンポで、着実に合奏を構築してゆくような冷静さが物足りない。その分、仕上げは非常に丁寧で、磨き上げられた音色で美しく歌い上げるのが美点。

“アンサンブルの正確さと明るい色彩感を両立。若き佐渡裕の才能が冴え渡る快演”

佐渡裕指揮 フランス放送フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1998年  レーベル:エラート)

 佐渡裕とは相性の良いフランス放送フィルとの一枚。デュカスの《魔法使いの弟子》、オッフェンバックの《パリの喜び》抜粋、《アルルの女》組曲抜粋を収録した、フランス名曲アルバムからの音源。曲を詰め込みすぎたせいか、第1組曲から《闘牛士》《前奏曲》《アラゴネーズ》《第3幕への間奏曲》、第2組曲から《ハバネラ》《ジプシーの踊り》とたった6曲の抜粋なのが悔やまれる(《アルルの女》も5曲しか収録していない)。

 演奏は充実の好演。音色が明るい上に、残響の多い録音と相まって響きに潤いがあるのも好印象だが、佐渡の棒はきびきびとしてフットワークが軽く、細部までアンサンブルの統率を徹底している。ニュアンスも豊富で、ソリストを始め各パートが生き生きと演奏を展開。弱音部の爽やかな叙情性も、この指揮者の好ましい特質の一つ。《ジプシーの踊り》は彼らしい熱っぽい高揚が印象的だが、ラストのフェルマータはティンパニのトレモロがバランス的に大きすぎ、他をマスキングしてしまって残念。

[オペラ全曲CD]

“カラスの名唱のみならず、プレートルの天才ぶりにも着目したい永遠の名盤”

ジョルジュ・プレートル指揮 パリ・オペラ座管弦楽団

 ルネ・デュクロ合唱団、ジョン・ペノー児童合唱団

 マリア・カラス(カルメン)、ニコライ・ゲッダ(ホセ)

 ロベール・マサール(エスカミーリョ)、アンドレア・ギオー(ミカエラ)

(録音:1964年  レーベル:EMIクラシックス)

 言わずと知れたカラスの名盤。この後、70年に1シーズンだけパリ・オペラ座の総監督を務めたプレートル、舞台では1度も歌わなかったものの、少女時代からカルメンに傾倒してきたカラス。2人の良さが存分に出た、両者の代表盤である。ギローがセリフをレチタティーヴォに書き換えたグランド・オペラ・スタイル版も、今は懐かしい。私が聴いたartのリマスター盤は、強音部の歪みと混濁こそあれ、直接音の鮮明さ(特に歌手)は最新録音にも匹敵する。

 プレートルの指揮が全く素晴らしく、錚々たる名指揮者達が多くの録音を残した後でも、全く色褪せない。剛毅で熱っぽい音楽作りのイメージがある人だが、ここでは柔らかなタッチも駆使し、遅めのテンポを基調に、色彩的で香り高い表現を展開。歌手との息の合わせ方が上手いのは勿論、テンポの扱いが殊のほか見事で、ホセとミカエラの二重唱を一切弛緩させず、流れるように音楽を繋いでゆく手腕などは、改めて聴いて欲しいポイント。

 オケの聴き所は随所に散りばめられているが、何度もこのディスクを聴いたという人は、ぜひプレートルの卓越した構成力にも注目して欲しい所。オケを巧みにドライヴしてその美質を最大限に生かした上で、各場面をドラマティックに造形し、適切極まりないアゴーギクで求心力を切らさず物語を描き出してゆくのを聴けば、彼こそ理想的なオペラ指揮者で、若くしてカラスから絶大な信頼を得たのも納得の天才と分かる。

 カラスの歌唱は、今さら語るまでもない凄さ。これぞカルメンという、一つの理想型である。キャラクターや表現力は勿論、声の美しさや輝き、そして基本的な技術レヴェルの高さにも、今聴くとまだまだ驚かされる。又、ゲッダに独特の力強さと華やかさがあり、決してカラスに負けない存在感を放っているのも凄い所。

 ギオーの清新で芯の強い表現や、ホセとの声質の違いを大きく打ち出し、豊かな音程感をキープしつつ熱っぽい歌唱を聴かせるマサールは、いずれもテクニック、音楽性共に最高レヴェル。主役・脇役を問わず歌手の没入ぶりはこのディスクの美点の一つで、スピーディに進行するギロー版のスタイルも、全体を一気呵成に聴かせるプレートルのコンセプトに合致している。

“エッジーで神経質、アクの強いマゼールの指揮。名花モッフォのカルメンが聴きもの”

ロリン・マゼール指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団・合唱団

 シェーンベルク少年合唱団

 アンナ・モッフォ(カルメン)、フランコ・コレッリ(ホセ)

 ピエロ・カプチッリ(エスカミーリョ)、ヘレン・ドナート(ミカエラ)

(録音:1970年  レーベル:オイロディスク)

 マゼールは後年、フランス国立管と同曲を再録音している。アルコア版を使用して話題になったレコードで、当盤を皮切りに録音ではこのエディションが定着した。セリフは刈り込まれていて、デンオンのCDでは全曲を2枚組に収録。エディションの問題は私にも分からない点が多いが、決闘の場面や第3幕のラストなど、カットがあるのか他盤より短くなっていたりする。音質はやや硬質ながら、残響を豊かに収録。

 この時期のマゼールらしいエッジが効いた演奏で、勢いの良い強拍や刺々しく角の立ったブラスの粗い響きが随所に聴かれ、音楽が盛り上がって急停止するような箇所では必ずアッチェレランドを掛けるスタイル。テンポの増減も、極端と感じられる部分があちこちにある。

 序曲は強弱の濃淡が濃く、急激な弱音の挿入やクレッシェンドが神経質。不吉な導入部も、極端に加速して音楽を煽る。歯切れの良いファンファーレに続くピッコロの行進曲は快速テンポで、少年合唱もシャープでエッジーな表現。女工達のワルツなど、スタッカートを多用した独特のアーティキュレーションで、合唱にもマゼール流を徹底。喧嘩の場面でも女声コーラスが無類に歯切れよく、メリハリが明瞭。合唱はよく統率されている印象。

 第4幕への間奏曲は、アクの強いルバートと金管の強奏がほとんどストコフスキー的。闘牛士の行進曲も、ホルンのトリルをデフォルメするなど、マゼール節が全開。もっとも、鋭利一辺倒という訳ではなく、叙情的な場面では落ち着いたテンポとしなやかなフレージングで、ゆったりと旋律を歌わせる。

 モッフォはこの役にふさわしい歌手かどうかは別として、音楽的に立派な歌唱。《セギディーリャ》などもすこぶるリズム感が良く、音程が聴き取りやすい発声に好感が持てる。《ジプシーの歌》の歌い出しにおける、粘液質のフレージングは妖艶。後半部も、マゼールの猛烈なアッチェレランドにぴったりと付けている。感情表現、ドラマ性の点でも迫力充分のパフォーマンス。

 《トスカ》でもマゼールと組んだコレッリは、血気盛んで華やか。いかにもイタリアの歌手という感じで、真面目な性格ではない。ドナートも清楚というよりは活発に朗々と歌うスタイルで、ややミュージカル的な声質にも聴こえる。カプチッリは圧倒的。ヴェルディ作品やこのエスカミーリョの歌唱においては、他の追随を許さぬ名歌手である。フラスキータにアーリン・オージェ、スニーガにホセ・ヴァン・ダムというのも豪華配役。

“カラヤン流を終始徹底。スロー・テンポでディティールを掘り起こす、濃厚《カルメン》”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 パリ・オペラ座合唱団、シェーンベルク少年合唱団

 アグネス・バルツァ(カルメン)、ホセ・カレーラス(ホセ)

 ホセ・ヴァン・ダム(エスカミーリョ)、カティア・リッチャレッリ(ミカエラ)

(録音:1982年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ウィーン・フィルとの63年盤以来、約20年振りとなる再録音。旧盤ではギロー版を使用したカラヤンだが、こちらは翌64年に出版されたアルコア版を採用、セリフ部分は別の役者達によって83年に別録りされている。

 演奏は独特。前奏曲からして、遅めのテンポで一音一音噛んで含めるように音符を刻む表現で、表情付けには老練とも言える語り口の妙がある。それでいて印象は華やかで格好が良く、自分流のスタイルを自信たっぷりに開陳。C・クライバーを筆頭に勢いで押す演奏が主流の中、こんな風に演奏する人はカラヤン以外にいないかもしれない。幕が開いてもテンポは悠々と落ち着いていて、ディティールを丁寧に掘り起こしてゆく趣。

 闘牛士の歌など、アーティキュレーションを克明に処理し、弦のポルタメントで濃厚な味付けを施した伴奏にヴァン・ダムの恰幅の良い歌唱が乗ると、ワルキューレでも登場したような雰囲気。密輸入者達の行進も、遅いテンポで地を這うような表現。オケの反応は機敏で、ちょっとしたフルートのアクセントもすこぶる生き生きしていてさすが。カラヤンの棒も決して鈍重ではなく、カルメンとダンカイロ達の五重唱など、軽妙なタッチできびきびと音楽を進める。

 歌唱陣はバルツァやカレーラスなど、カラヤン好みの配役が壮観。正に美声の饗宴だが、難を言えば、軽快さを欠くヴァン・ダムが好みを分つ所か。脇役も、ダン・カイロ役のジーノ・キリコ、レメンダード役のハインツ・ツェドニク辺りは贅沢なキャスティング。前記五重唱は一糸乱れぬアンサンブルで聴き応え満点、ライヴなら大歓声が沸き起こりそうなパフォーマンスである。

“旧盤とはガラリと趣向を変え、軽妙洒脱で軽快なマゼールの棒で聴く、映画版サントラ”

ロリン・マゼール指揮 フランス国立管弦楽団・合唱団

 ジュリア・ミゲネス(カルメン)、プラシド・ドミンゴ(ホセ)

 ルッジェーロ・ライモンディ(エスカミーリョ)、フェイス・エシャム(ミカエラ)

(録音:1982年  レーベル:エラート)

 フランチェスコ・ロージ監督の映画版《カルメン》サウンドトラックで、2枚組収録。フィルムに音が記録される映画の場合、オペラ鑑賞向けの音質としてはかなり劣悪で、音楽もちゃんと聴きたい人はCDも購入せざるを得ないのが実情。ただ、芸達者を極めたミゲネスのカルメンは映像的にもこれ以上ないほどの適役なので、映画本編もぜひ観て頂きたい所。

 鋭利でアグレッシヴなベルリン・ドイツ.オペラの旧盤とは、全く異なるアプローチ。明るい音色と、8割くらいの音量で演奏しているような力の抜けた棒で、軽妙洒脱な造形感覚が持ち味。軽快なテンポできびきびと音楽を進めつつ、随所に歯切れの良いブラスのアクセントを打ち込む爽快さも、この時代のマゼールらしい。《アラゴネーズ》を始め、時折聴かせる誇張気味のルバートや特徴的なアーティキュレーションも、この指揮者ならでは。

 反面、常に一歩引いた態度でドラマに肉迫してこない憾みはあるが、軽妙一辺倒という訳ではなく、終幕のカルメンとホセの対決など、集中力の高い機敏な伴奏ぶりが緊迫感を煽る。アンサンブルの統率は必ずしも徹底しておらず、合唱も含めてアインザッツの揃わない箇所も散見。セリフの他、音楽にも一部カットが認められる。

 ミゲネスはヴァイル作品や、これもマゼールとの《ルル》くらいしか聴いた事がないが、軽い声質で務まる作品においてなら、すこぶる器用で魅力的な歌手。コケティッシュで表情豊か、軽快さが身の上の歌唱は、マゼールのコンセプトにも合致している。おまけに映像付きだとほとんど当たり役だから、言う事がない。言う事がないという点ではドミンゴも同様。歌唱、演技、ルックス共に最高のホセと言える。

 ライモンディも、重厚だったり歌い過ぎになったりしがちなこの役において、軽量級のアプローチで好感度大。リズム感も良いが、唯一、テンポが時折走りがちで前のめりになるのは残念。問題はエシャムで、全ての音に丁寧にヴィブラートを付けて歌う生真面目なスタイルは良いが、そのせいで音程が不明瞭なのと、几帳面すぎて自在さがなく、まるでロボットが歌っているみたい。

 合唱は生気に溢れ、子供達のコーラスなどアクセントが強く元気一杯。モラレスにフランソワ・ルルー、フラスキータにリリアン・ワトソンなど、脇役にも実力派が配されている。収録はソニーも同オケのレコーディングに使っているラジオ・フランスのスタジオ104だが、乾燥気味で残響に癖のあるソニーと違い、エラートの録音は自然なプレゼンスで聴きやすい。

 セリフはある程度収録されており、街角のざわめきや虫の鳴き声など環境音も入る他、状況にあわせて声の反響も変わるなど、映画用の音声から抜粋されているものと思われる。特筆すべきは演技力で、映画監督が演出を付けているせいか、他盤のセリフ部分と比べても遥かに表情が豊かで変化に富む。ホセとカルメンの逢引き場面など、秘めやかなセリフの応酬に何とも言えない風情あり。

“ジェシー・ノーマンによる異色のカルメン”

小澤征爾指揮 フランス国立管弦楽団・合唱団

 ジェシー・ノーマン(カルメン)、ニール・シコフ(ホセ)

 サイモン・エステス(エスカミーリョ)、ミレッラ・フレーニ(ミカエラ)

(録音:1988年  レーベル:フィリップス)

 小澤初の本格的オペラ録音(これ以前にはメシアンがあるだけ)で、フィリップスとしても初の《カルメン》全曲盤。それにしては主要キャストをアメリカの歌手3人とイタリア人歌手1人(フランスの歌手なし)が占め、タイトル・ロールはノーマンという異色のキャスティング。フランス国立管がフィリップスに登場するのも珍しい(当コンビはこの5年前に組曲版も録音している)。セリフは適度に刈り込んであるが、歌手自身が担当している(なかなか上手い)。

 良くも悪くも安全運転というか、非常に落ち着いた、安定感のある棒さばきで、いかにもソフィスティケイトされたスタイル。ただテンポの振幅は大きく、《ハバネラ》や《セギディーリャ》などカルメンのアリアはスロー・テンポでねっとりと表現されている。第1幕の幕開けも、カラヤン盤を彷彿させるゆったりとした足取りで開始されるが、子供達の合唱や乱闘のくだりは、速めのテンポと切れの良いリズムできびきびと表現。

 オケがいかにもフィリップスらしい音で収録されているのも魅力。生々しいティンパニの打音を核にした滑らかで豊麗なソノリティは、他のレーベルで聴く同団体のイメージを一変させるかもしれない。フランスのオケらしい色彩感や艶やかさは充分な一方、ファジーな所がなく、ディティールまで丁寧に処理されているのは、指揮者の美点。合唱もアインザッツまでよく統率されている。

 聖女のような役柄が多かったノーマンがカルメンを歌うと聞いた時は、「さすがにそれは」と思ったものだが、そこは彼女ほどの歌手になると、自信に満ちたドラマティックな歌唱を聴かせて、さほど違和感はない。ただ発声が独特で、癖の強い地声とファルセットの対比が明瞭に出すぎるのは好みを分つ所かも。シコフも端正な歌い口ながら、後半部ではなかなかの熱唱を披露。

 フレーニは、昔からミカエラを得意にしてきたというだけあってさすがの安定感。本来ならもう少し若い歌手が歌う役かもしれないが、こういうキャスティングでも純粋に音楽として鑑賞できるのが録音の強み。エステスも過去に聴いた印象から、私には大型歌手というイメージがあったのだが、ここではリズム感の良さが生きていて、表現が重々しくなるのを防いでいる。

“意外に正攻法ながら、シノーポリらしい小技が満載。芸達者な歌唱陣も聴き応えあり”

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団・合唱団・児童合唱団

 ネーデルランド・オペラ合唱団

 ジェニファー・ラーモア(カルメン)、トーマス・モーザー(ホセ)

 サミュエル・レイミー(エスカミーリョ)、アンジェラ・ゲオルギュー(ミカエラ)

(録音:1995年  レーベル:テルデック)

 シノーポリの珍しいビゼー録音で、バイエルン国立歌劇場とのセッション録音もこれが唯一。シノーポリと聴いて想像する極端なテンポ設定や神経質な表現はあまりなく、ゆったりとしたテンポで落ち着いた雰囲気。オケの響きも豊麗で充実している。ただ、《ジプシーの踊り》はテンポの落差が大きく、この指揮者らしい熱狂があるし、ハバネラのリズムの取り方、ブラスのエッジが効いた《闘牛士の歌》も独特。後者は、最後の数音を急加速で巻くのがライヴっぽい演出。

 又、ホセとエスカミーリョの決闘場面での切れ味鋭いスタッカートや、闘牛士達の入場における沸き立つような活気と華やいだハレの空気感、終幕のクライマックスで短いクレッシェンドや弱音の効果を使って不穏なムードを煽る手法などは、特筆しておきたい所。当盤はまた芸達者な歌手を集めているのも特色で、各々のドラマティックな表現力は見事。

 ラーモアはレパートリーの広い歌手でファリャなども歌っており、当盤でも器用そのもの。声自体はカルメンっぽくないのかもしれないが、パワフルな発声だし、声色の使い分けも多彩。特定のフレーズにアクセントを付けたり、スタッカートを多用するなど語気が強く、挑発的性格を前面に出している。カスタネットを叩きながら踊る場面では、歌いにくい舞曲風のヴォカリーズを絶妙なリズム感で表現。唯一、指輪を投げる所は、捨て台詞として淡白すぎるのが残念。

 モーザーも、最初はカウンター・テナーのようなほわっとした声質が気になるが、演劇的表現力で声の癖を越えた迫力を表出。歌に感情を乗せるのが上手い人で、終幕のクライマックスでも、同じく芸達者なラーモアとシノーポリが煽る伴奏との相乗効果で、息を呑む緊迫感を醸す。“お前が投げたこの花を”も、山場で僅かに加速するアゴーギクなど、指揮者との呼吸もぴったり。

 レイミーも声といい、ニュアンス豊かな表現力といい、リズム感の良さといい、一級と呼びたい圧巻のパフォーマンス。ただ、唯一の聴かせ所である“闘牛士の歌”に細かいカットがあるのは残念(3枚組のCDならカットする必要はないと思うのだが)。最も弱いのは人気歌手のゲオルギュー。波長の短いヴィブラートがほぼ全ての音符に付いていて、音程が不安定に聴こえてしまう上、激しい性格の役作りもミカエラのイメージとは合わない。

“奇を衒わず、ひたすら音楽的クオリティの高さで勝負した、新時代の名盤”

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ベルリン国立歌劇場合唱団・少年少女合唱団

 マグダレーナ・コジェナー(カルメン)、ヨナス・カウフマン(ホセ)

 コスタス・スモリジナス(エスカミーリョ)、ゲニア・キューマイヤー(ミカエラ)

(録音:2012年  レーベル:EMIクラシックス)

 当コンビがレジデントとしてピットに入っていた、ザルツブルグ・イースター音楽祭に合わせて録音された話題盤。《指輪》や《ペレアスとメリザンド》など毎年話題作が上演されてきたが、この《カルメン》も含めて評判は芳しくなく、この年を最後にティーレマンとシュターツカペレ・ドレスデンに座を譲り渡した。カラヤン時代から続いた伝統行事に終止符が打たれた形である。

 日本盤はSACDのハイブリッド仕様で、特典として数曲分の演奏風景やインタビューを62分収録したDVDが付属。売り方に気合いが入っているというか、このコンビへの期待度の高さを窺わせる。ただしセリフや音楽には一部カットを施し、全曲を2枚組に収録。価格は抑えられたが、資料的価値は下がった。

 演奏は、不評の理由が理解できないくらいに充実しており、どうにも名盤が少ない同曲の録音リストに一石を投じる出来映え。解釈はオーソドックスで、テンポも遅めを基調に中庸。フレージングやアゴーギクにも誇張は一切なし。ただしオケが主導権を握っている印象は強く、スコアを精緻に再現するラトルの棒は冴え渡っている。工場での喧嘩やホセとエスカミーリョの決闘など、緊迫した場面での巧妙な棒さばき、音処理の手際良さは見事。一方、第1幕のファンファーレとマーチなど、付点リズムの精確さにあまりこだわらない箇所もある。

 細部までニュアンス豊かに表現を行う合奏は圧倒的で、響きの陰影も濃く、ダイナミクスの幅も大きく取られている。とにかくオケのパートが雄弁である点と、モラレスやメルセデス、フラスキータなど脇役に至るまで、徹底して艶やかな美声の歌手をキャスティングしている点は、カラヤンのディスクと共通する。一方で、ソフトなアタックや優しい手触り、鋭敏なリズム感に支えられた躍動的な身軽さは、ラトル盤特有の美質。

 コジェナーはよく練られた緻密なアプローチで、声も非常に美しいが、終始一貫して上品さを崩さないので、肉感的な官能性や野性味を求めると肩すかしをくらう(コジェナーにそんなものを求める人も稀だろうが)。ハバネラではオケと共に即興的なルバートを盛り込んで妖艶さを表現し、終幕の対決で声を荒げる箇所はあるが、音楽的には洗練されている(演劇的ではない)という事か。いずれにせよ、評価の分かれる歌唱ではある。

 逆にカウフマンは、ドイツ人ながら3大テノールのそれを想起させる、セクシーで情熱的な歌唱。全体の軸となる存在感というか、ホセはやっぱりこうでなくてはという強い説得力がある。キューマイヤーも、ひたすらリリカルで美しい二重唱をはじめ、確かな表現力と美声が耳に残る好演。

 感心しないのはスモリジナス。コジェナーに輪をかけて上品な歌唱で、あまりにスマートで端正なエスカミーリョ像に、物足りなさを覚えずにはいられない。別に、フェロモン過剰のマッチョな歌唱を求めている訳ではないが、これではいかにも取り澄ましすぎではないか。見方を変えれば、大企業のエグゼクティヴみたいで面白いのかも。

[DVD]

“指揮者のカリスマ性が全てを支配する、正に「クライバーのカルメン」”

カルロス・クライバー指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団・合唱団

 ウィーン少年合唱団

 エレナ・オブラスツォワ(カルメン)、プラシド・ドミンゴ(ホセ)

 ユーリ・マズロク(エスカミーリョ)、イゾベル・ブキャナン(ミカエラ)

演出:フランコ・ゼッフィレッリ   (収録:1978年)

 長らく海賊版で出回り、クライバーの死後にやっと正規盤が発売された伝説の映像。収録日の12月9日はプレミエだったとの事。何でも、オブラスツォワの病気やマズロクの諸事情に加え、ミカエラ役も直前まで決まっていなかったため、当時最も多忙だったドミンゴが終始リハーサルに付き合うはめになったそう。アルコア版を元にしているが、セリフ・音楽共に随所でカットが入る一方、レチタティーヴォはかなり使用。

 ビデオカメラが普及しはじめた時代の古い映像だが、鑑賞には特に差し支えのないレベル。音はそれなりに歪むが、音像自体は鮮明な方。ただ、クローズアップが多用される傾向があり、合唱の場面など団員のアップの切り替えが長時間連続し、全体の状況が分かりにくくなるのは賛否の分かれる所。

 豪華布陣ながら、恐らく誰が見ても「クライバーのカルメン」と感じる映像。歌の途中でさえしばしば指揮者の姿がインサートされる映像のせいもあるが、オケからコーラス、ソリストに至るまでクライバリズムが徹底されていて、その存在感が尋常ではない。テンポは大抵「やや速め」か「著しく速め」で、第3幕間奏曲や“花の歌”のような叙情的な曲ですら一筆書きで一気に演奏。“ジプシーの歌”もかなり早い段階で常識的なテンポを越えてしまい、最後はアクロバットのように終了する。

 勿論、クライバーの特徴はスピードだけではなく、独自のロジックに基づいたアーティキュレーションの徹底にある。特に、スタッカートの切れの良さとうねるようなカンタービレの対比は印象的で、弦の速いパッセージも一音一音明確に区切る上、上昇音型にアッチェレランドやクレッシェンドを掛けるので、いやが上にもスリリングなパフォーマンスに聴こえる。カルメンが花を投げつける際のオケの一撃も、まるで銃声みたい。

 又、ちょっとした弦の走句やピチカートなども、タイミングを操作したりアクセントで強調したりして、まるで語りかけてくるように意味深く聴かせる箇所もしばしば。今まで聞き流していたような場面で「おや?」と思う事も多い。彼こそ、アーノンクールに先駆けて音のドラマを徹底追求した人ではないか。

 オブラスツォワは声の力で圧倒するイメージが強く、声質も暗めで容姿も貴族的、あまりカルメン的な歌手ではない感じだが、この映像で観ると女優並みに演技力の優れた人で、特に目や表情の芝居が素晴らしい。歌唱も舞曲のリズムを掴むのが巧く、軽妙なリズム感を駆使して生き生きと歌っているのに驚く。唯一、カスタネット演奏は苦戦しており、リズムも崩れてもうボロボロだが、終幕での説得力溢れるパワフルな歌唱は持ち味全開。まるで王女のような異色のカルメン像だが、さすがという他ない。

 ドミンゴはこういう、ねちっこく思い悩む男を演じさせたら一級の演技力。さらに歌唱が圧倒的だから、最高のオペラ歌手と言わざるを得ない。こういう演劇性が求められるオペラでは、ドミンゴとオブラスツォワは最高の布陣と言えそうである。“花の歌”には客席から異常に熱狂的なリアクションが起き、数分間に渡る拍手で舞台が中断している。

 一方、マズロクの良否はちょっと留保したい感じもあるが、ブキャナンは清々しい歌唱と美しい声が強く印象に残る好演。脇役もズニーガにクルト・リドル、レメンダードにハインツ・ツェドニクなど、豪華な配役がなされている。クライバー流のスタッカートは歌手に対しても追求されており、第2幕の五重唱などは凄まじいテンポと相まって、正に曲芸のような掛け合い。

 ゼッフィレッリの演出は必要にして最小限というか、私には「これで充分」というもの。余計な自己表現の代わりに、作品に内在するイメージを尊重し、ディティールの品質とリアリティを徹底的にブラッシュアップさせているが、そもそもオペラの演出にそれ以外の物など、誰も求めてはいないであろう。曲やセリフのカットなど、彼のアイデアかどうかは分からないが、第4幕への間奏曲(アラゴネーズ)は幕の冒頭から2曲目に移され、ダンサーの見せ場になっている。

 2/23 追加!

“隅々まで生命力に溢れたレヴァインの指揮、圧倒的な歌唱陣”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団

 アグネス・バルツァ(カルメン)、ホセ・カレーラス(ホセ)

 サミュエル・レイミー(エスカミーリョ)、レオーナ・ミッチェル(ミカエラ)

演出:記載なし   (収録:1987年)

 音源、映像を通じてレヴァイン唯一のビゼー録音。彼の資質によく合った作曲家だと思うのだが、録音が他にないのは残念である。バルツァ、カレーラスはカラヤンのセッション録音のキャストだが、映像では他に観られない様子。これは86年にピーター・ホールの演出で登場したプロダクションであるが、翌年収録のこのソフトには何か事情があったのか、演出家の名前だけが未記載になっている(セット美術等はそのまま使用)。

 細部にまで徹底的に生命を吹き込み、スコアを隈無く照射したレヴァインの指揮が素晴らしい。オケの聴かせ所だけでなく、アリアや情景においても各パートのちょっとした動きやフレーズを際立たせ、あらゆる音符に生彩を施してゆく行き方は、オペラに限らずオーケストラ表現の鑑と言えるものである。このスタイルはまた、後のP・ジョルダンやカリーディスの表現に先駆けてもいる。

 又、アゴーギクが絶妙で、歌手が歌い終わった後のアウトロなど、音楽的にどうしても間延びしがちな箇所というのはあるものだが、レヴァインはそういう時、ぐっと加速してスリリングに煽る。そうすると演奏の熱っぽさと緊張感も高まるし、ドラマの流れも弛緩しない。正に、熟練のオペラ指揮者の至芸である。

 バルツァの歌唱は技術的にも感情表現も圧倒的だが、容姿のせいか鬼気迫る感じもあり、内面が虚ろに見えたりして時にちょっと恐い。カレーラスは逆に、歌唱の確かさ、華やかさとは別に、ルックスや佇まいが端正でこざっぱりしすぎて、ドミンゴのような陰湿さがない。最後までずっとビジネスマンのようだ。役にぴったえいなのはレイミーか。ミッチェルはこの年メトで《トゥーランドット》のリューも歌っていて、健気な役が板についている。

 演出家のクレジット不在だが、ジョン・バリーの装置と衣裳は豪華。メトの舞台がリアルなのは、垂直方向の空間をうまく使って、舞台上の高さを生かしたセットを組むからかもしれない。背景の建物にバルコニーや窓があり、そこに人を配置すると途端に立体感が出る。

“王道を行くダイナミックな演奏に、徹底してリアリズムを追求した演出”

ズービン・メータ指揮 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団・合唱団

 マリア・ユーイング(カルメン)、ルイス・リマ(ホセ)

 ジーノ・キリコ(エスカミーリョ)、レオンティーナ・ヴァドゥーヴァ(ミカエラ)

演出:ヌーリア・エスペルト   (収録:1991年)

 意外に知られていない、メータと英国ロイヤル・オペラの《カルメン》。演出はスペイン演劇界の女王と讃えられるエスペルトで、エキストラにまで細かく付けられた自然な演技を、クローズアップの多用で繋いだ映像も効果的。郷土色を徹底的に追及した舞台セットと衣装に、「やり過ぎだ」とケチを付けた批評家もいたそうだが、まるで意味不明の批判である。

 メータの棒は、オペラの場合よくそうであるように徹底して王道を行くスタイル。ダイナミックで雄弁で、明快なメリハリが効いている。特にドラマが緊迫する局面では、タイトに引き締まったテンポで強靭な合奏を構築。高い集中力と覇気に満ちた指揮ぶりに圧倒される。極端なアゴーギクは用いませんが、オケも歌手も安心して身を任せられる懐の深い指揮と言えるだろう。

 これが当たり役のユーイングはレヴァインに見出され、ベームの指揮でケルビーノの他、メリザンドやドラベッラ、ロジーナ、ツェルリーナ、サロメまで歌う、実に幅の広い人。グラインドボーン音楽祭の芸術監督、ピーター・ホールの妻でもある。芸達者だが、粘っこい歌い崩しが気になり、リズムが明確に出ない歌唱は少々問題あり。良く言えば自在なフィーリングが様になっていて、セリフ部分の演技も上手い。テクニックも確か。

 ホセ役のリマも注目されたが、その後の活躍を聞かない。登場した時は公務員みたいなルックスで、第2幕から身を持ち崩してチンピラ然としてくる感じ。陰湿で根暗なホセだが、甘い声で歌唱はなかなかである。ただ、彼のせいでドラマ全体がじめっとした重さを帯びるのは、賛否が分かれる所。逆にキリコは上品な雰囲気で、銀行の重役みたい。これも独特のキャスティングと言える。純朴なおかみさんみたいなミカエラも、共感できるかどうかはともかく、歌唱としては立派。

 演出は郷土色をたっぷりと出した自然主義的なスタイル。オーソドックスで安心して観られる上に、合唱団の一人一人にものすごく丹念に演技を付けていて、それが全体のリアルなムードに繋がっています。エキストラを丁寧に追うキャメラも、演出の意図に沿ったもの。カルメンがカスタネットで踊る場面は、ホセが木皿を打ち合わせる設定になっていて、やはりリズムが狂う。ホセは、なぜか壁に吊られた鎌を凶器に使うが、烈しく叫びながら刺すのはさすがのリアリズム。

 2/23 追加!

“目覚ましい才能を示すP・ジョルダン、才能と演技力で見せるオッター”

フィリップ・ジョルダン指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

 グラインドボーン合唱団

 アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(カルメン)、マーカス・ハドック(ホセ)

 ローラン・ナウリ(エスカミーリョ)、リサ・ミルン(ミカエラ)

演出:デヴィッドマクヴィカー  (収録:2002年)

 P・ジョルダンのグラインドボーン音楽祭デビューで、かつオッターがタイトルロールを歌った話題の公演。さすがにオッターのカルメンと聞いて「大丈夫か?」と思ったが、意外にハマっていて好感触。カリタ・マッティラのサロメみたいに、とても見ていられない感じはない。また、カリーディス盤でカルメンを歌っているクリスティーネ・ライスが、ここでメルセデス役を担当。

 ジョルダンの指揮ぶりが目覚ましい。冒頭から闘牛士を思わせるやたらとスタイリッシュな棒さばきで、さすがにこれだと余程の才能がないとオケからも聴衆からも反感を持たれてもおかしくない格好良さだが、ここでの大喝采とその後のキャリアを見れば、彼にその「余程の才能」があった事は証明されている。きびきびとシャープな行進曲に、ぐっと腰を落としてねっとりと悲劇の予兆を忍ばせるなど、ドラマティックな対比も見事。

 特に合唱に顕著だが、全般にスタッカートをテヌートで歌わせる箇所が多く、そうかと思えば逆の箇所もある。とにかく解像度の高い、研ぎ澄まされた意識が冴え渡った精妙な指揮。弱音の効果を随所に生かす一方、鋭いブラスやティンパニの強打で輪郭を鮮烈に隈取り、分かりやすく聴かせる術も満載。スコアからこれほど多彩な表情を引き出した例は稀で、終盤の手に汗握る劇的な語り口も、オペラ指揮者としての類い稀なセンスを感じさせる。フランス的エスプリも十分。

 オッターは、歌唱が完璧にコントロールされているのがさすがだが、驚くのは性格描写の巧みさ。やや誇張気味の感はあるものの、感情の起伏が激しく、小粋なユーモアにも富んだ歌唱が卓抜。たばこをくわえて歌がモゴモゴするなど、聴衆から笑いも取っている。また、フランス語なのに演技部分が舞台俳優並みにうまく、オクタヴィアンやヘンゼルなどズボン役を得意にしてきたせいか、身体表現のセンスも良い(ただ、ルックスはジプシーに見えない)。

 ハドックは彼女よりも小柄で、小熊みたいなテノール。純朴で真面目そうなルックスなので、役柄には合っている。歌唱も華やかではないが堅実。ナウリが見もので、妙に重々しく歌い崩される事が多いこの役で、多彩なニュアンスを込めつつも軽妙に歌っているのが好印象。ルックスも身のこなしもスマートだし、終幕で闘牛士の衣装を着ると結構リアリティもある。

 演出はオーソドックス。マクヴィカーは本作を「ヒットナンバーが連続する、世界最初のミュージカル」と形容しているが、会場の規模も込みでオペラ・コミックの雰囲気やサイズ感がある所は、作品の本質を衝いている。シンプルながら、暗めの照明やセット、衣装の色彩感覚など、アート面も美しい仕上がり。元々、前衛的な読み替えなどがしにくい台本なので、正攻法で十分成功しているのではないか。

 2/23 追加!

“野趣に富んだオリジナル楽器のオケによる、本場パリ・コミック座での上演”

ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 オルケストル・レボリューショネル・エ・ロマンティーク

 モンテヴェルディ合唱団、オー=ド=セーヌ県少年少女合唱団

 アンナ・カテリーナ・アントナッチ(カルメン)、アンドリュー・リチャーズ(ホセ)

 ニコラス・カヴァリエ(エスカミーリョ)、アンヌ=カトリーヌ・シレ(ミカエラ)

演出:エイドリアン・ノーブル  (収録:2009年)

 オリジナル楽器のオケ、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの元・芸術監督ノーブルの演出、初演が行われたパリ・コミック座での上演と、話題の多い映像ソフト。ただ、劇場側がイニシアティヴを取って掲げる「ビゼーが構想したオペラ・コミックの原型に迫る試み」というアプローチは眉唾で、今やギローのレチタティーヴォ付きグランド・オペラ・スタイルで上演される事などほとんど無いので、セリフで繋ぐこの舞台は、ほとんどの観客にとって「通常のスタイル」という事になる。

 とはいえ、ピットの演奏は清新。古典派ほど時代を遡らないので、意外に艶やかな響きで雑音性は高くないが、レ・シエクルの演奏と同様、色彩豊かで軽快なタッチが心地良い。同じ指揮者がリヨンで録音した交響曲や《アルルの女》もそうだったが、野趣というか土の匂いがする感じが独特。緻密かつ俊敏、機動力に優れ、テンポのギア・チェンジを音楽の緩急や歌手の呼吸、動作に優美に結びつけてゆくアゴーギクは、全く見事。

 また、ガーディナー肝入りの合唱団のクオリティが圧倒的で、ニュアンス豊かな表現力はもちろん、ピットのオケとの緊密な一体感がさすが。こういう素晴らしいコーラスで聴くと、本作がいかに合唱が大活躍するオペラだったか改めて思い知らされる。また、私はこの劇場での公演を観るのが初めてなのだが、客席もピットも小規模なようで、恐らくビゼーが構想したであろうピットと舞台上のインティメイトな連携が、ここでは実現されている印象。

 そのせいかどうか、ガーディナーはラフな黒シャツの胸元をはだけ、袖をまくって指揮。腕時計もしている(カーテンコールではちゃんとボタンを止めているが)。しかし、歌手へのディレクションも徹底していて、さすがは声楽も統率できる古楽系指揮者。クラシックらしく重厚に歌ってしまう人も多いオペラだが、ここではルバートで歌い崩す歌手がいても、スコアの本質を衝くフットワークの軽妙さが失われないのが凄い。

 カルメンを当たり役とするアントナッチは演技力もあるが、声色が多彩で、それが役柄の移り気な性格と結びついている。リチャーズは主役級の華やかさには欠け、後ろで結んだロン毛とヒゲ面のせいで、どちらかというと悪党に見えるが、顔はハンサムだし歌唱も安定している。カヴァリエやシレも小粒ながら実力者という感じで、演劇面よりもガーディナーの統率が行き渡った感じ。

 演出はまるでミュージカルのように明快で写実的。合唱のフォーメーションもよく考えられているし、群衆が《レ・ミゼラブル》のように正面を向いて歌う場面が多く、随所でエキサイティングな高揚感を醸す。それこそレ・ミゼ流、あるいは蜷川幸雄流のスローモーションも飛び出すが、演者が慣れていないのか、あまり上手く行っていない。カルメンがホセに花を投げる場面は、投げる前に二人のやり取りが数ラリーあり、オケがフェルマータで繋ぐ。

“演出・撮影の良さもさることながら、俊英カリーディスの天才的な指揮ぶりが圧巻”

コンスタンティノス・カリーディス指揮 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団・合唱団

 クリスティーネ・ライス(カルメン)、ブライアン・ヒメル(ホセ)

 アリス・アルギリス(エスカミーリョ)、マイヤ・コヴァレフスカ(ミカエラ)

演出:フランチェスカ・ザンベッロ   (収録:2010年)

 3Dソフトも発売された、ハイヴィジョン作品。まずは劇場の外観、客席が埋まってゆく様子の早回し、開演前の楽屋裏で歌手がウォーミング・アップやメイク、指揮者の登場と前奏曲の演奏、幕裏でスタンバイする歌手と、とにかく臨場感に焦点を絞った映像演出が嬉しい。不満もない訳ではなく、音楽にあちこちカットがあるし、カーテンコールを編集処理しているのは減点だが、舞台公演のソフトとしては、個人的には理想的な仕上がりと感じる。

 鬼才カリーディスの指揮が圧倒的。ネーデルラント・オペラの《後宮からの誘拐》の時は、頭からアゴまで髪と髭で真っ黒に覆われた童顔のファンタジー・キャラという印象だったが、ここでは頭も髭もさっぱり切ってイメチェン。指揮棒を使わず、クネクネと手首を振り回すスタイルは健在だが、演奏は完全にHIP。スコアを洗い直し、隠れたフレーズにメリハリを付けてフレッシュかつ立体的に音楽を聴かせる指揮は、音楽者としてごく真っ当な態度と感じる。

 むやみに速いテンポを採らず、遅めを基調に自由な呼吸でたっぷりと歌わせるアゴーギクも好印象。その分、緊迫した場面で一気にテンポを上げる煽り方は鮮烈で、ホセとエスカミーリョの決闘など、歌が終った所で一段階加速する辺りは、もう惚れ惚れするような棒さばき。こういう場面は、センスのない指揮者が振ると大抵モタつくものだ。セリフを刈り込んでいて流れは良いが、《アルカラの竜騎兵》など音楽にあちこちカットがあるのは残念。

 カリーディスがオペラ指揮者として有能だと思うのは、歌手へのディレクションも徹底している点で、合唱の細かなアーティキュレーションとダイナミクスも詳細に描写。名旋律が散りばめられ、とかく歌い崩しやすいこの作品だが、ルバートを多用しながらも、元のリズムが明瞭に保持されるよう歌手をコントロールしているのは秀逸。“カルタの歌”をスロー・テンポ、ソステヌートで歌わせているのは異彩を放つ解釈だが、それが死のカードを引く箇所の峻烈なアクセントを際立たせる伏線になっている。

 ライスは歌唱も演技も肉感的で、役の繊細な側面にはあまり目を向けない感じ。身体の使い方が上手で、ナイフ・アクションもスピーディで迫力があるし、何度かある群舞シーンも、ダンサー達の中央で踊っていて違和感がない。ヒメルはドミンゴ系の、母音を開放した拡散型の発声ながら細身の声質。本人の持つ明るさが生かされた陽のホセという感じで、(失礼ながら)これくらい単細胞に見えた方が、ホセの短絡的な行動に説得力が出る気もする。

 アルギリスがまた容姿、表現ともに独特のケレン味があってユニーク。芝居っ気たっぷりのチャラい所作が面白く、酒場のカウンターの上で歌う“闘牛士の歌”など、よくこんな動きを思いつくなという大袈裟な動作で歌っている。よく考えれば、彼が闘牛を披露するシーンは劇中に無いわけで、こういう派手な演出はキャラクターに必要なのかもしれない。

 コヴァレフスカは、インタビュー映像の濃いメイクはどちらかというとカルメン寄りの雰囲気だが、舞台ではナチュラル・メイクで見事に純真なミカエラ。往年のハリウッド映画の清純派女優を思わせる雰囲気もある。声の張り過ぎが気になるものの、オペラティックで華やかな歌唱。ザンベッロの演出は、ロイヤル・オペラのプロダクションを担当したメータ盤のエスペルトに、さらに輪を掛けてリアル志向で郷土色の強いもの。安心して楽しく観られる、理想的な演出。

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