マーラー/交響曲第4番

概観

 マーラーの交響曲では1番の次に短い曲。より長大な5番ほどコンサートで演奏されないのは、短いにも関わらず独唱が入る上、静かに終るからでしょうか。哀感を帯びた旋律もないし、ティンパニや大太鼓など低音打楽器がほんの一部にしか使用されないのも、叙情派の印象を強めています。個人的には好きな作品で、第1楽章の提示部の後、フルートが牧童の笛のような東洋的な旋律を吹き始める所など、心がふわりと飛翔するようなトリップ感が秀逸です。

 私は元々、交響曲全体を一つの有機的な構造物として聴くのが苦手で、途中で様式感を見失って印象がバラバラになる事も多いですが、マーラー作品、分けてもこの4番はその最たる例。主な原因は最後の楽章で、まとまった一つの世界とは思われず、いつも独立した別の曲として聴いてしまいます。ディスクのラインナップは下の通りで、やはりモダンなタイプが中心。情念たっぷりは苦手なもので。

*紹介ディスク一覧

68年 クーベリック/バイエルン放送交響楽団  

74年 レヴァイン/シカゴ交響楽団

77年 アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

79年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

83年 マゼール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

87年 小澤征爾/ボストン交響楽団   

90年 マリナー/シュトゥットガルト放送交響楽団 

92年 サロネン/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

92年 ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団

93年 デ・ワールト/オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

93年 C・デイヴィス/バイエルン放送交響楽団  

96年 ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団

97年 ラトル/バーミンガム市交響楽団

99年 シノーポリ/シュターツカペレ・ドレスデン  

99年 ガッティ/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

99年 シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

01年 T・トーマス/サンフランシスコ交響楽団

05年 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

10年 ホーネック/ピッツバーグ交響楽団  

15年 ヤンソンス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団  

17年 ゲルギエフ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 

17年 ガッティ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 

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“端正で気取らない性格ながら、スコア解釈の強度と熱っぽい語り口も示す”

ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団

 エルジー・モリソン(S)

(録音:1968年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 全集録音より。クーベリックのマーラーは総じてテンポが速く、淡々とした調子でまとめられているのが特色で、端正な造形の中に豊かな音楽的ニュアンスを盛るのが彼らしい所。人工的な味付けや大仰な身振りがなく、古典音楽の延長として自然体でマーラーを捉えている辺りが、小澤やブーレーズの先駆けとなっています。ただ、この時期のバイエルン録音は響きがやや薄出で、低域も軽く感じられるのが難点。

 第1楽章は健全な性格で流麗、颯爽と歌う演奏です。第2主題の提示で伴奏の木管の動機を強調するなど、全体にイントネーションには独自のこだわりあり。アゴーギクは柔軟で、展開部から再現部にかけての濃密で熱っぽい語り口は聴きものです。第2楽章も、オケの緻密で室内楽的な合奏力がよく生かされた表現。クーベリックの棒は音色や楽想の転換に極端な対比を付けないですが、各部の表情付けと構成の解釈に首尾一貫した強度があります。

 第3楽章は快速テンポでタイトに引き締めた、片時も弛緩しない演奏設計。弦を中心にオケの音色が魅力的で、冒頭の和音の暖かい響きが一瞬にして耳を捉えます。長丁場を一気に聴かせてしまうテンションの高さはさすが。第4楽章もスピーディな展開で生き生きと躍動。ソプラノはよく知らない人ですが、柔らかい声質で癖がなく、好印象。どの楽章もそうですが、テンポやフレーズの連関に強い説得力があり、非の打ち所のない仕上がりです。

“緻密でエネルギッシュ、ゆったりとして爽快。相反する要素を高次元で両立させた名演”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 シカゴ交響楽団

 ジュディス・ブレゲン(S)

(録音:1974年  レーベル:RCA)

 レヴァインは同オケやフィラデルフィア管、ロンドン響と未完のマーラー・シリーズを残しており、シカゴ響とは他に3番、7番を録音。豊かな色彩で緻密に描かれた、総天然色のマーラー。音圧が高く、各音に漲るエネルギーと活力ゆえ高カロリーの演奏に聴こえるのと、リズム感がよく、モダンな造形ながら、みずみずしい歌に溢れるのはレヴァインらしいです。全篇を通じて抜けの良いホルンのソリッドな音が際立っているのも特徴。

 第1楽章は落ち着いたテンポ運びで、各部を丹念に描写。一つの場面から次の情景へ移行する際の句読点の打ち方が明快で、非常に親しみやすい語り口です。音響も明晰で、明るい音色が曲想にマッチ。発売当時はすこぶる鮮烈に聴こえたであろうと察せられます。オケの技術力は驚異的で、テクニカルな問題は難なくクリア。表情豊かなソロも聴きものです。

 フレージングは確信に満ちて迷いがなく、濃厚なうねりのある弦のカンタービレもマーラーに合ったもの。展開部は全てが冴え冴えと鳴り渡る圧倒的な音世界で、その音響の新鮮さ、解像度の高さには目を見張ります。分離の良い録音も演奏のコンセプトに合致。コーダも、爽やかな抒情の表出が素晴らしいです。

 第2楽章も発色が良く、隅々まで一点の曖昧さも残さぬ明確そのもののデッサン。アゴーギク、デュナーミクもミリ単位まで精確にコントロールされ、場面転換も鮮やか。技術一辺倒ではなくスポーティな動感もあり、フィジカルな健康性が理詰めになるのを防ぐのもはレヴァインの美点です(これをもって彼を能天気呼ばわりするのは致命的な間違い)。

 第3楽章はやや速めのテンポに聴こえますが、実際の演奏時間は22分。振幅の大きなアゴーギクは、オペラ指揮者らしい設計と言えます。粘らないフレージングも美質。ただし横のラインは淀みなく流れ、息の長いフレーズを高い集中力で入念に作ってゆく所は凡百の指揮者と一線を画します。オケも好演で、弦のハイ・ポジションなど、繊細かつ華やかな高音域が魅力的。コーダの精妙な音彩も聴き所の一つです。

 第4楽章は、やはり情景の変わり目の処理が巧妙。リズミカルな箇所が重くならないなど、リズムと音色のセンスも光ります。ブレゲンの独唱も身のこなしが軽く、リズム感抜群。美しい声でニュアンスも豊かですが、オペラティックな身振りを入れすぎない所は絶妙のバランス感覚だと言えます。彼女は、T・トーマス盤の《カルミナ・ブラーナ》を聴いた時から、センスの良い歌手だと思っていました。

若きアバドの鋭敏な性質とウィーン・フィルのキャラクターの幸せな融合”

クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 フレデリカ・フォン・シュターデ(Ms)

(録音:1977年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 複数オケによるマーラー・ツィクルスの一枚で、シカゴ響との《復活》に続く第2弾でした。ウィーン・フィルとは他に第3、9、10番アダージョを録音。同曲は後にベルリン・フィル、ルツェルン祝祭管と再録音しています。同シリーズでもガチガチに即物的なシカゴ録音と比べると、当盤はオケの自発性が際立つ印象。低音域がやや浅めながら録音も鮮明です。

 第1楽章は、リズムやデュナーミクに対する感度の良さがすぐに感じ取れます。ある種の鋭さもあるタッチですが、ウィーン・フィル特有の艶やかなソノリティは常に支配的で、各パートの水のしたたるような音色に魅了されます。オケの魅力を前面に出しながら、アバドらしい明晰さを保持した、絶妙なバランス感覚の勝利。テンポは速めで、各部の表情も引き締まっていますが、変化に富むアゴーギクの曲線美はとりわけ見事。豊かな歌心もアバドの美点です。

 第2楽章もタイトなテンポで、ソフトなタッチと鋭利さを兼ね備えた表現。透徹したリアリスティックな響きながら、艶っぽくしなやかなカンタービレが香気を放ちます。アバドの棒も、ルバートで効果的にブレーキをかける自在な呼吸が印象的で、シカゴ響が相手だとどうして音楽が硬直するのか不思議なくらいです。高音域のアクセントも鋭く、魅力的。ウィーン情緒たっぷりの合奏は、最高の聴きものです(ヴァイオリン・ソロはゲルハルト・ヘッツェル)。

 第3楽章だけは比較的遅いテンポで、弦を中心にこれぞウィーン・フィルというパフォーマンスを展開。フレーズ連結の滑らかさ、楽器間の受け渡しの間合いも特筆ものです。第4楽章は引き締まったテンポで、オケのキャラクターを生かす一方、ファジーにダレる所は微塵もありません。テンポが上がる箇所は、歌が入るタイミングで速度を一段落としています。シュターデは歌曲も得意

“オケのパワーとマティスの超絶的歌唱に舌を巻く、カラヤン一流のマーラー”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 エディット・マティス(S)

(録音:1979年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビのマーラー録音は少なく、他に5、6、9番と大地の歌、歌曲集があるだけです。第1楽章は遅めのテンポで、細かくアゴーギクを操作。フレージングのセンスが卓抜で、管も弦も、ポルタメントやグリッサンドを多用した歌い口に魅力があります。千変万化する情景の描写力にも演出巧者ぶりを発揮し、音色も多彩で単調には陥りませんが、後にマーラーを得意とする指揮者達がこぞって斬新なディスクを出しているので、今の耳で聴くとオーソドックスな演奏に聴こえてしまうかもしれません。

 第2楽章はゆったりとした佇まいで、各部を深く掘り下げた表現。グロッケンシュピール、トライアングルなど、金属打楽器の効果をよく生かしていて鮮烈。

 第3楽章は全曲中のピークと言える、圧倒的な演奏。カラヤン流に耽美的にはしすぎず、流れも悪くないですが、オーボエが短調の旋律を歌いはじめる所でぐっとテンポを落とし、独特の風情。弦の弱音も音圧が高く、オケのパワーを伝える一方、ポルタメントはやや過剰な印象です。緩急の設計が巧みで、最後の山場は、その後の壮麗なトゥッティを先導するヴァイオリン群のアウフタクトの圧力が尋常ではありません。

 第4楽章は、マティスの歌唱が思わず舌を巻くほど美しく雄弁で、全く見事なパフォーマンス。こういうキャスティング力においても、カラヤンは卓越した才能のある人でした。伴奏もアゴーギクが巧みで、強い存在感あり。多彩な響きが耳を惹く上、各パートのちょっとしたフレージングの妙にいちいち唸らされます。

淡々としたリズムと濃厚な旋律線の対比が生む、極度に人工的な音楽世界”

ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 キャスリーン・バトル(S)

(録音:1983年  レーベル:ソニー・クラシカル

 全集録音の一枚。マゼールは60年代末にベルリン放送響と同曲を録音しています。ウィーン・フィルとは相性抜群の曲に思えますが、録音は意外に少なく、当盤の他にはアバドとワルターしかないかもしれません。

 マゼールの全集の特徴として、テンポと拍節感がすこぶる正確で淡々としているのに対し、その枠組みの中で旋律線に濃厚な表情を付けているため、そのアンバランスが殊更に人工的に聴こえるという点が挙げられます。オケは素晴らしく、ウィーン・フィルでなければこれほど極端な対比は生まれなかったかもしれません。

 第1楽章は、ゆったりとした(かつ正確無比な)テンポの中、弦を中心に極度に濃密なニュアンスを付与した表現。オケの艶やかな響きが全編に渡って魅力を振りまきますが、アーティキュレーションの描き分けとリズムの精度は徹底的に管理されている印象。部分的なルバート(コーダなどはかなり落ちます)をのぞき、ほとんどイン・テンポに聴こえるほどです。残響豊かな録音と暖色系のサウンドが、マゼール特有の表現と相まった、かなり好みを分つ演奏です。

 第2楽章も、音色美と覚醒した意識が同居する不思議な表現。リズムの厳格な刻み方もマゼールらしいです。フレージングの艶っぽさは特筆ものですが、やはりスコアの指示が微に入り細を穿って徹底されており、自己陶酔になど近付きたくもないといった調子。音響の立体的な構築や音色のセンスも鋭敏そのもので、テンポ、デュナーミク共にマーラーらしい極端な増減は避けています。対旋律の効果、特に随所で美しいパフォーマンスを聴かせるホルンの好演は特筆もの。

 第3楽章は、オケの絶妙なパフォーマンスが聴き応え満点で、特に弦のハイ・ポジションの繊細な魅力は格別。マゼールも、この楽章に力点を持ってきたようです。内声がクリアで、響きが透徹して厚ぼったくならないのも長所。表情は濃厚そのもので、スケールも大きく、クライマックスの壮麗さは圧倒的。

 第4楽章も、全編スローなテンポで速い箇所とのコントラストを抑えた、緩やかな設計。しっとりした情感と明朗な色彩感、ディティールを掘り起こしてゆくような緻密な表現です。バトルの歌唱は、清澄な美声を生かしつつも抑制の効いていて、作品のイメージにぴったり。マゼールのテンポにもよく合わせていて、落ち着いた語り口です。

 

“インティメントな合奏を指向しながらも、高い集中力と緊張度を示す独自路線”

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団

 キリ・テ・カナワ(S)

(録音:1987年  レーベル:フィリップス)

 全集録音の一枚。第1楽章は暖かみのある豊麗なトーンと快適なテンポで、リリカルに歌わせた表現。ニュアンスの細やかさは徹底しているものの、タッチが柔らかく、マーラー特有の神経質な側面はほとんど出ません。明朗で艶やかなオケの音色も、息の長いフレーズを得意とする小澤の音楽作りも作品との相性が良く、強弱やアーティキュレーションも精度が高いです。展開部を過剰に盛り上げないのは構成上バランスが良い反面、曲調が変わる局面で場面転換の効果が出ない憾みはあります。

 第2楽章は緻密なディティール処理を行いながらも、各パートの音色の対比よりはマスの響きのブレンドを重視した印象。テンポの変化も、際立たせるよりは自然な呼吸で推移させる感覚が強いです。ヴァイオリン・ソロや管楽器に現れる発作的なアクセントの鋭さは、きっちり描写。旋律線は美しく連結されて流麗で、他の演奏によくある、リズム的要素(付点音符のモティーフ)の強調がない点は注目されます。

 第3楽章は、潤いに満ちた歌とデリケート極まる弱音の効果が圧巻。特に弦の高音域の、ちょっと手を触れただけで壊れてしまいそうな微細なタッチは凄いです。集中力が高いのも小澤の長所で、緊張感の持続が尋常ではありません。元来がインティメイトな合奏を指向する指揮者で、拡散型の雄大なスケールを求めるマーラー演奏とは理想像が違うように思います。会場も派手に鳴り渡るホールではなく、ウィーンの楽友協会のように、小じんまりとまとまった木質の響き。

 第4楽章は、速めのテンポで快活な性格。楽想の対比は明確ですが、刺々しくはならないのが当コンビらしい所。カナワの歌唱は、一つ一つのフレーズをドラマティックに歌っているように見えて、全体のラインの描き方は意外に率直で、声の美しさと相まって、どこか民謡風にも聴こえます。

“速めのテンポ、雄弁なディティール。明朗でデリカシー溢れる爽快なマーラー演奏”

ネヴィル・マリナー指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団

 白井光子(S)

(録音:1989/90年  レーベル:カプリッチョ)

 豊富な残響とクリアな直接音のバランスが取れた録音ですが、低音域はやや軽い印象。オケの音色が明るい上に響きの透明度も高いので、非常に爽快で明晰なマーラーとなっています。しかも旋律線が流れるようにしなやかで、鮮やかな音彩でよく歌うので、他の作品ならともかく、この曲に関しては意外にマリナーとマーラーの相性の良さを感じさせます。フレーズが粘らないのと、スピーディな足取りで大仰な表現を排している点で、クーベリックや小澤の系譜といった所。

 第1楽章は速めのテンポと弾みのあるリズムで颯爽と開始。再現部、展開部も、導入の鈴のリズムと主題提示が推進力に溢れ、作品の新たな魅力に気付かされる思いです。細部は緻密で、アーティキュレーションの指示にも敏感に反応。情報量過多に陥らず、常に軽快で風通しの良い表現を貫きます。第2楽章は柔らかなタッチで描写が丹念。歯切れの良いスタッカートを多用し、音楽を生き生きと躍動させています。細部がすこぶるクリアで、デリカシー溢れる音響世界は魅力的。

 第3楽章も推進力のあるテンポでよく流れますが、ディティールが雄弁なため、味が淡白になりすぎる事はありません。むしろ、精妙な表情に耳が惹き付けられる感じ。ダイナミクスは大きく取らないですが、室内楽的で実に親しみやすい演奏です。色彩感も豊か。第4楽章も潤いのある滑らかな響きで開始、養分の行き渡った豊麗な音世界です。ソロは美声で、適度な距離感を取って収録。発音も明瞭で、リートが得意な歌手らしく、丁寧な歌唱を聴かせます。

音色やアゴーギク、ポリフォニックな音処理に非凡な才を発揮するサロネン”

エサペッカ・サロネン指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

 バーバラ・ヘンドリックス(S)

(録音:1992年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 サロネンのロス・フィル音楽監督就任直前に録音されたディスク。当コンビは第3番と《大地の歌》も録音し、サロネンはスウェーデン放送響と第10番アダージョ他(映画のサントラ盤)、フィルハーモニア管と第6、9番のライヴ盤も出しています。

 第1楽章はゆったりとした足取りを基調に、展開部でテンポを速める設計。暖かみのある音色としなやかなフレージングは際立っていて、当コンビの長年に渡る蜜月を予感させるパフォーマンスです。色彩は冴え渡り、ジュリーニ時代に飛躍的に洗練度を増したロス・フィルのサウンドを、さらに磨き上げた印象。

 第2主題でテンポ・ルバートを強調するホルンのアクセントも効いていて、再現部で同じ旋律が出て来る箇所では、弦とホルンが絶妙にブレンドしたまろやかなソノリティが聴きものです。強弱のコントラストが大きいのもサロネンらしく、コーダにおける最弱音など、唖然とするような精妙さ。

 第2楽章は、各パートがあちこちから発する、等価に独立したフレーズがポリフォニックに飛び交うモダンな造形。こういうのは、いかにも作曲家らしい視点だと思います。アンサンブルも緻密そのもので、音色もカラフル。トリオではぐっとテンポを落とし、大胆なルバートを盛り込んで自由な間合いで旋律を歌わせています。

 第3楽章は、やや速めのテンポで淡白に進める一方、弱音の表出、特に高弦のハーモニーなどは精緻の極みで、思わず驚嘆させられます。トランペットとホルンが加わるトゥッティの抜けの良い響きも胸のすくよう。サロネンは巧みなアゴーギクと自在な呼吸でドラマティックな起伏を作り出し、艶やかな歌にも欠けていません。最後のクライマックスは、スタッカートを効果的に使ったトランペットが歯切れ良く、大太鼓のトレモロ、ティンパニの打撃も鮮烈な効果を上げています。

 第4楽章は、ヘンドリックスが抑制の効いた柔らかな歌唱を展開するのに対し、オケは緻密を極めたアンサンブルを展開。イントロからして、各パート間のバランスとよく練られた優美なアーティキュレーションが見事です。どことなく可憐で、上品な華のあるヘンドリックスの声は、ロス・フィルの音色によく合っていて、サロネンの棒も場面転換の鮮やかさに才を発揮しています。

恐るべし! 驚異的精度で聴き手の度肝を抜く、超絶アンサンブル集団の離れ業”

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団

 ドーン・アップショウ(S)

(録音:199年  レーベル:デッカ)

 未完のマーラー・シリーズの一枚。情報量がすこぶる多く、驚くべき精度でスコアが音化された仰天の演奏です。このコンビのマーラーは後年の録音ほどそうですが、スコアの解釈どうこう以前に、オケのアンサンブル技術が尋常ならざる精密さに達していて、もう驚嘆の連続です。デッカの録音も、目の覚めるように鮮やか。

 第1楽章は、速めのテンポで牽引力の強い棒。フレージングはしなやかですが、強靭さもあります。ドホナーニが面白いのは、常人離れしたスコア解析能力が必ずしも冷徹な客観性に結びつかず、雄弁なドラマを生む所。ここでも、思わず引き込まれるような音楽世界を構築しています。室内楽的に高度な演奏技術を誇る各パートの中、特に目覚ましい活躍で耳を惹くのがホルンで、展開部のソロなど、そのテクニックとタッチの軽さは圧巻。

 第2楽章も精緻を極めた合奏によって、明朗かつカラフルな音の饗宴を展開。テンポとダイナミクスも完璧にコントロールされています。第3楽章は、艶っぽく潤いのある響きで開放的に歌う演奏。感度の良いドホナーニの棒が、微細なテンポ変化も余す所なく描写し尽くします。ディティールの処理にこだわり過ぎて音楽が箱庭のようになる事もなく、最後のクライマックスでは気宇の大きなスケール感も表現。

 第4楽章では、再び快速調のテンポを採択。各パートのニュアンスが多彩で、管楽器の特殊奏法もその効果が最大限に生かされています。アップショウはオペラティックというか、やや歌い過ぎなほど表情豊か。発音も声のトーンも芸達者ですが、人間的というか、現世的というか、変化に富みすぎて妙なる天上の音楽という雰囲気ではありません。

極上の響きでゆったりと歌い上げた、香り高く典雅なマーラー演奏”

エド・デ・ワールト指揮 オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

 シャルロッテ・マルジョーノ(S)

(録音:1993年  レーベル:RCA

 ライヴ収録による全集録音中の一枚。デ・ワールトは当曲をサンフランシスコ響とも録音しています。この全集は会場コンセルトヘボウのホール・トーンが素晴らしく、同ホールの名前を冠した名門オケに勝るとも劣らぬ滋味豊かな響きが聴きものです。

 第1楽章は、ゆったりとしたテンポでのびのびと歌う、実に美しい演奏。柔らかく、潤いに満ちたソノリティは曲想にもふさわしく、末端まで養分が行き渡った極上の音世界が展開します。ワールトの棒は奇を衒う事こそありませんが、アゴーギク、デュナーミク共に的確そのもので、丁寧に紡がれる艶やかなカンタービレが魅力。リズム感も鋭敏で、音楽が躍動的な生気に溢れます。展開部は盛り上げすぎず、落ち着いた趣。

 第2楽章も耽美的なパフォーマンスで、強弱の対比が実によく考えられています。音色の配合も繊細で、リズム処理が鋭利なため、常に意識が覚醒している印象を与える上、音楽が漫然と一本調子に流れてゆく事がありません。テンポもごく自然な調子で移ろい、各パッセージの性格も過不足なく、明瞭に描き分けています。

 第3楽章ではその美点がより生かされ、ゆったりとした余裕のある棒さばきながら、高い集中力で緊張の糸も持続させます。オケも水のしたたるような美音で、大変な好演。香り高く気品に溢れた、正に天上の音楽が鳴り響きます。終盤のクライマックスはティンパニの強打を始め、豪快な力感の解放が有機的な迫力を表出。

 アタッカ気味に突入する第4楽章は、ユニークな造形。細かくテンポを動かしていて、ドラマ性を感じさせる語り口が独特です。各部の表情は変化に富み、生き生きとした動感が溢れます。ソロも美しい声で、ニュアンス豊か。過剰な表現に傾いてもおかしくない歌唱ですが、指揮者のコンセプト自体が千変万化を求めているので、歌だけが突出する事もありません。

 

“響きといい、造形といい、異色のマーラー解釈を堂々と提示する鬼才デイヴィス”

コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団

 アンジェラ・マリア・ブラシ(S)

(録音:1993年  レーベル:RCA)

 デイヴィスのマーラー録音は非常に少なく、交響曲に関しては同コンビの1番、8番が他にあるだけです。詠嘆調の曲を選んでいない所はいかにもデイヴィスらしいですが、当盤もオケの響きからして、いわゆるマーラーらしい演奏になっていない点がユニーク。

 第1楽章は速めのテンポで造形性が全面に出て、ルバートは盛り込むものの、決して粘っこくは歌いません。アゴーギク、デュナーミクは優美にコントロールされ、フレージングにも気品が漂う感じ。旋律のラインはくっきりと浮き彫りにされています。オケも上手いですが、ホルンにミスあり。

 第2楽章は、逆に遅めのテンポでじっくりと歌い込む演奏。精妙ながら暖かみのある、まろやかな響きが、マーラーとしては異色です。必要なカラー・パレットは揃えていますが、楽器間のバランスや色彩の点で他の演奏と様相が異なる感じ。

 第3楽章もたっぷりしたフレージングで存分に歌いますが、決して甘美な陶酔には傾きません。強奏の響きもシンフォニックで骨太です。舞曲風のエピソードでは、田舎舞曲のような独特のリズム感がユニーク。第4楽章は、やや加熱気味のドラマティックなスタイル。ソロも、作品の内容にふさわしいかどうかはともかく、歌唱自体は見事。指揮と併せ、強弱やテンポの緩急がすこぶる音楽的で、聴き応えがあります。

速めのテンポできりりと造形した、ストイックで辛口のマーラー像”

ピエール・ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団

 ユリアーネ・バンゼ(S)

(録音:199年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 様々なオケを使った全集録音中の一枚。同オケとは他に7番、10番アダージョと《子供の不思議な角笛》を録音していますが、マーラーに限らず、この指揮者はクリーヴランド管と特別に相性の良さを示すように思います。当盤も、私見では全集中最も成功した演奏の一つで、ブーレーズらしい抑制されたストイックな美がプラスに働いた印象。

 第1楽章は速めのテンポできびきびと開始。低弦など、動的なパッセージが強く耳に入ってくる表現です。第2主題もほぼ減速せずに突入。ルバートもない訳ではありませんが、感情的表現としてではなく、フォルムに整合性を持たせるため必要な局面に限るというスタンス。研ぎ澄まされた音世界を構築する一方、オケのソノリティやソロの音色は艶っぽく、音彩の美しさには事欠きません。

 遠近法やダイナミクスの適用が繊細で、色彩センスはいささかも衰えていない様子。展開部の錯綜するリズム処理、その鋭さ、正確さはさすがで、再現部に入って弦が朗々と第2主題を歌い上げる箇所も、アウフタクトの溜めが全くなくストレート。テンポも速いです。これはこれで爽快ですけど。

 第2楽章は落ち着いたテンポ。ブーレーズにしてはやや尖鋭さに欠け、口当たりがまろやか過ぎる印象を受けます。リズムに対する反応は敏感ながら、やや腰が重く感じられる箇所もあり。反面、艶やかなカンタービレは魅力的です。

 第3楽章は、粘らないフレージングと淡々としたテンポ感で優美に造形。音色は明るく鮮やかで、すっきりと爽やかな歌い口です。精妙なアンサンブルも素晴らしく、特に弦楽セクションは魅力的。緊張度を保った弱音部のデリカシーも見事です。トゥッティの響きも透明度が高く、威圧的な物量攻勢には陥りません。ラスト前の山場もテンポが速く、大仰に盛り上げないのがブーレーズ流。

 第4楽章は、主部が非常に速いテンポ。逆に間奏部ではさほど速くせず、対比をあまり付けていません。バンゼはブーレーズ好みの、緻密で正確、リズム感の良い歌手で、声質も清澄で美しく、抑制の効いた知的な歌唱。思わずもっと聴きたくなる歌で、似たタイプのルート・ツィーザクと共に、注目してゆきたい歌手です。

“艶っぽいカンタービレが優美な歌を紡いでゆく、繊細で耽美的な名演”

サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

 アマンダ・ルークロフト(S)

(録音:1997年  レーベル:EMIクラシックス

 全集中の一枚。優美なフレージングが際立つ、素晴らしい演奏です。第1楽章はイントロ部分を弦だけリタルダンドさせ、リズムを刻む鈴はイン・テンポというポリフォニックな解釈(スコア通りだとそうなります)が話題になりましたが、これはシャイーなど多くの演奏が実行しており、ラトルの専売特許という訳ではありません。

 比較的ゆったりしたイントロから、主部を速めの足取りで颯爽と始め、速度のコントラストを大きく付けているのも独特です。テンポがよく動く構成ですが、特筆したいのがフレージング。弦も木管も、官能的とさえいえる粘性や艶めいた湿り気を加えながら、決して下品にならず、優美な歌を紡いでゆく様はため息が出るほどの美しさ。

 第2楽章も美麗な響きを構築しますが、より技術レヴェルの高いオケと較べると、音響の精妙さでやや劣る面は否めません。ラトルの演奏は、響きが精緻だとか、分析的だとか、そういう部分で他盤より抜きん出る事が案外少なくて、どちらかというと、テンポやフレージングの解釈で勝負するタイプかもしれません。

 第3楽章は、うねるようなカンタービレで旋律線を織りなす、ラトルらしいアプローチ。オケも、効果的なポルタメントを盛り込んだ弦のしなやかなパフォーマンスを中心に好演しています。もちろん響きに無頓着な訳ではなく、響きのクリアネスや立体感、音色の変化には非凡な注意力を発揮します。音楽を山場に持ってゆく呼吸も抜群で、アゴーギクもデュナーミクも完全に手の内に入った印象。トゥッティの豪放な力感の表出も迫力満点です。

 第4楽章は、伴奏が緩急巧みにフォローしつつも、ルークロフトの歌唱が中庸を行くスタイル。オペラティックな表現でもなく、さりとて浮世離れした美しさもなく、淡々とした歌い口です。オペラ映像等で観てもそうですが、彼女の声はヴィブラートによる音程の揺れが不快で、私にはあまりピンと来ない歌手です。

 

“大きなメリハリは付けない一方、ディティールに濃密な表情を付与”

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

 ユリアーネ・バンゼ(S)

(録音:1999年  レーベル:プロフィル)

 第9番に続いて発売された、当コンビのライヴ盤。シノーポリはフィルハーモニア管と既に全集録音を行っていますが、《大地の歌》だけはドレスデンのオケを起用していました。日頃は残響がデッドに感じられるゼンパー・オーパーでの収録ですが、当盤はホール・トーンが豊富でソプラノも遠近感あり。人工的にエコーを加えているのではと思ったりもします。

 第1楽章は速めのテンポで開始し、常に速度が変転してゆく自由な表現。特に第2主題は、ぐっと腰を落として嫋々と歌い始めるのは予想通りとして、どんどん音量も足取りも緩み、全てが甘くとろけてゆく個性的な解釈です。展開部は逆に遅めのイン・テンポですが、濃厚な表情でオーケストレーションのあらゆる効果を生かすような趣。深いコクと柔らかな手触りがあるオケの音色が素晴らしく、各パートの艶っぽいカンタービレに思わず聴き惚れてしまいます。

 第2楽章は遅めのテンポで、細部を拡大してたっぷりと聴かせるアプローチ。どのパッセージにも豊かなニュアンスが付与され、オケの美しい響きを堪能できるのはメリットです。リズムやアクセントはあまり強調されず、メリハリは抑えられた感じを受けますが、音量が減衰する局面で極限までテンポを落とすのがシノーポリらしい所。全編に濃密な歌が溢れるのも彼ならではです。

 第3楽章もテンポが遅く、あらゆるラインを艶やかに歌わせてゆく行き方。やはりオケの音色美が生かされ、内声や対旋律に至るまで精妙なニュアンスで隈取りされるのはさすがです。強奏部も熱っぽく盛り上げますが、さほど極端なメリハリは付けていません。

 第4楽章も相当なスロー・テンポ。ブーレーズ盤でも歌っているバンゼは、指揮者のディレクションもあるのかここではヴィブラートがやや強いですが、声が美しい上にたっぷりとした残響音に包まれ、作品のイメージにうまくマッチ。シノーポリは曲想の対比を大きく付けず、全体の起伏を滑らかに造形しています。

豊かな歌心を横溢させ、耽美的アプローチを貫くガッティ”

ダニエレ・ガッティ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

 ルート・ツィーザク(S)

(録音:1999年  レーベル:RCA

 オーケストラ版《若き日の歌》から4曲をカップリング。当コンビのマーラーは5番のディスクもあり、ガッティにはコンセルトヘボウ管を振った同じく5番の映像ソフトも存在します。デュナーミクもアゴーギクも細かく動く表現で、非常に精緻に組み立てられている印象を受けますが、それでいて解釈の発想は感覚的な所から出発している感触もあり、その意味ではシャイーやムーティなど同郷の先輩の系譜に連なる人と言えるかもしれません。

 第1楽章は、ゆったりとしたテンポの中に豊かな歌心を盛り込んだ、流麗な表現。フレーズにたっぷりとした間合いを挟んでいる事もありますが、旋律を丁寧に歌わせてゆく姿勢が印象的です。リズムは適度に弾み、躍動感にも不足しませんが、若手指揮者としては珍しく耽美的な傾向を持つ演奏と言えます。テンポが細かく変動し、展開部に入ってフルートが牧歌的なメロディを歌い始める箇所は、かなり駆け足のテンポを採択。

 第2楽章も立体的な音響や鮮やかな色彩感を確保しつつ、豊麗なカンタービレを聴かせるアプローチ。当初は弦の響きがややざらつく感じですが、すぐに改善され、まろやかなサウンドでまとまりの良いアンサンブルを展開します。第3楽章は、最弱音による冒頭の弦楽合奏が独特の世界観。旋律美に傾く当盤の傾向からして、最もその効果が発揮される楽章ですが、音色や和声の変化に対する耳も鋭く、単一色に塗りつぶされてしまう事がありません。

 アタッカで続けて演奏される終楽章は、ツィーザクによる抑制のきいた美しい歌唱が素晴らしい聴きもの。極上の柔らかなタッチと、ヴィブラートを抑えてストレートな音程をキープするアプローチは作品にふさわしく、卓越したリズム感も生き生きと表情豊かなフレーズを作り出します。この人の声は、どのディスクで聴いても魅力的です。ガッティも、オペラ指揮者らしく見事な伴奏ぶり。

ふくよかさと精細さを両立させた驚異的パフォーマンス。ボニーの独唱も存在感あり”

リッカルド・シャイー指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 バーバラ・ボニー(S)

(録音:1999年  レーベル:デッカ

 全集録音中の一枚で、ボニーが歌うベルクの《初期の7つの歌》をカップリング。オケの典雅な響きを見事に捉えた録音で、シャイーの指揮も、養分の行き渡ったふくよかなサウンドを維持しながら、ディティールの精細さと引き締まったシェイプを達成するという、まるで離れ業のような音作り。特に細部へのフォーカスの当て方はモダンで、隈無くピントが合った高解像度の写真を見るような趣があります。

 第1楽章はテンポをかなり遅めに設定しながら、アゴーギクを自在に動かした彫りの深い造形。アーティキュレーションとダイナミクスのコントロールは驚異的と言えるほど緻密で、ドホナーニ盤と並んで、指揮者とオケの力量にひたすら圧倒されるディスクです。シャイー盤はさらに、タッチの柔らかさと明朗爽快な雰囲気に分があり、旋律はよく歌うし、木管ソロのフレージングなども、この世代の指揮者としては異例なほど堂に入った味わいがあります。

 第2楽章は一転して速めのテンポを採り、実にデリケートで鋭敏な表現。スタッカートの切れ味も最高級の鋭さですが、ふっくらとした響きに包まれているため、刺々しい感じが全くありません。美麗を極めたソロ楽器の組み合わせも聴き所で、特にホルン・セクションは音色、技巧共に絶品の域。

 第3楽章も息の長いフレーズで大きなラインを描きながら、適度な推進力によって弛緩を防ぎ、終始程よい緊張感を保った好演。とにかくオケの響きが美しいです。終楽章は、ボニーの知的でニュアンス豊かな歌唱が抜きん出た印象ですが、曲全体から考えると、確かにこれくらい独唱の存在感がないとバランスが取れないように思います。

“あらゆる音が冴え冴えと覚醒した怜悧なマーラー”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団

 ローラ・クレイコム(S)

(録音:2003年  レーベル:サンフランシスコ交響楽団)

 ライヴによる全集録音中の一枚。全ての音符、全てのラインが明瞭に浮き彫りにされた、いかにもクリアでさっぱりした演奏です。第1楽章はリズムの刻み方が画然としており、落ち着いた佇まいと正確なリズムが全曲を貫徹。常に意識が覚醒していて、情に溺れる事がないのは好みを分つ所かもしれません。音色や旋律線の美しさにあまり耽溺しない行き方ですが、フレージングは流麗で爽やかです。

 第2楽章はヴァイオリン・ソロの艶っぽいフィーリングが魅力的。指揮者の鋭角的なリズム感に対抗を試みた図式ですが、ソロの場合は対比として効果的で、スタイルが違っても特に違和感はありません。アゴーギクは自然で、怜悧な音響感覚、緻密な遠近法など、ティルソン・トーマスの才覚が発揮されやすい音楽でもあります。弱音部の表現もデリケート。

 第3楽章は、リアリスティックなタッチと冴え冴えしたトーンでスコアを精細に描写。テンポは究極といっていいほど遅く、楽章全体で25分を越えています。第2主題ではさらにテンポが落ちますが、それでも音楽に陶酔しない点は、情感的に兄貴分バーンスタインの逆を行く表現と言えるでしょう。第4楽章はメリハリが鮮やかで、輪郭のはっきりした造形。サンフランシススコ響特有の明るい音色とライトな特質もプラスに働いた好演で、クレイコムのソロもフットワークの軽い歌唱。

テンポの伸縮が大きくなり、間合いの自在さを増したアバド再録音盤”

クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ルネ・フレミング(S)

(録音:2005年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ベルクの《7つの初期の歌》をカップリングしたライヴ盤で、ウィーン・フィルとの旧盤以来28年ぶりの再録音。さらにルツェルン祝祭管との録音もあります。演奏時間を見るとどの楽章も速めのテンポに見えるものの、実際に聴いた印象はゆったりと落ち着いた感じで、それだけテンポの伸縮が大きいのかもしれません。アバドの表現はアゴーギク、フレージング共にしなやかさと自由度を増し、非常に流麗な演奏に仕上がっています。

 第1、2楽章は、オケの艶やかな響きと精緻なアンサンブルに魅了される演奏。テンポのコントロールも自然で、自在な呼吸感に溢れます。全編に流れるみずみずしい歌が素晴らしく、ソロ・パートも惚れ惚れするようなパフォーマンス。特に木管は名人芸的な間合いで、味わいが豊かです。躍動的な場面でのリズム処理や音色の多彩さも、一時期のアバドと比べると遥かに鮮やかさを増した印象。

 第3楽章は、アバドには珍しく暖かな情感に溢れ、旋律線に多彩なニュアンスを付与。かつての彼が指向していた客観性の強いアプローチとは、かなり方向性が変わったように感じます。ベルリン・フィルの合奏力も卓抜。ほとんど間をおかず演奏される第4楽章は、フレミングが雄弁な歌唱を展開。オペラで活躍する彼女らしく歌い過ぎの感も否めませんが、録音がオフ気味で間接音が多いため、それほど生々しい表現にならずに済みました。何といっても声が美しいです。

“ウィーン風のユニークなスタイルを提示するも、オケの響きは今一歩”

マンフレート・ホーネック指揮 ピッツバーグ交響楽団

 スンハエ・イム(S)

(録音:2010年  レーベル:エクストン)

 当コンビのマーラー・ツィクルス第2弾。第1楽章は、速めのテンポで軽快な滑り出し。旋律線がウィーン風に艶っぽく、独特の洒落た歌い回し。リタルダンドよりアッチェレランドを効果的に使うアゴーギクは、シンフォニーの第1楽章にふさわしい様式感とも言えます。展開部もテンポを煽りますが、ホルン・ソロの汚い音は残念。カラフルな音色がアメリカのオケらしい一方、響きにさらなる洗練を望みたい箇所が多々あります。

 第2楽章も軽妙な足取り。やはりフレージングにウィーン風の癖があり、フレーズの最後を艶っぽく切り上げるのが特徴的。オケもニュアンスが豊かで、健闘しています。第3楽章は、唯一遅めのテンポ設定。ホーネックの確信に満ちた棒さばきが生きてきて、温かみのあるサウンドと弦の艶やかなカンタービレ、音色作りに才を発揮します。テンポが急変する箇所も巧妙な棒さばき。見通しの良い明朗な響きで、色彩の変化もよく捉えています。

 第4楽章へはアタッカで突入。タイトなテンポで、ディティールを緻密に処理。オケも雄弁で、機能性も充分です。ここでもホーネックの棒は、テンポの変化を見事にコントロール。韓国の歌手イムのソロはやや距離感のある収録で、オケの中に溶け込むイメージ。素直な歌唱で聴きやすい一方、さらに踏み込んだ表現力があればとも思います。

“明朗でふくよかな響きの中、非凡な解釈を果敢に打ち出すヤンソンス”

マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 ドロテア・レシュマン(S)

(録音:2015年  レーベル:RCO LIVE)

 楽団自主レーベルのマーラー・シリーズの一枚。当コンビの集成ボックスにはこの前年録音の映像ソフトも収録されていて、そちらではアンナ・プロハスカが歌っています。

 第1楽章はふくよかな響きで、繊細に描写。ゆったりしたテンポですが、アゴーギクは細かく操作し、強弱やアーティキュレーションの処理も細かいです。明朗で柔らかく、たっぷりと水気を含んだソノリティの中、艶やかなカンタービレが横溢するのはコンセルトヘボウ管ならでは。ホルン・ソロの辺りなど、軽妙なタッチで颯爽と音楽を進めてゆく所は、ヤンソンスらしいと感じます。展開部における鮮やかな色彩と、きびきびしたリズム処理も見事。ポップなほどにカラフルな音世界は、作品との相性も抜群です。

 第2楽章は速めのテンポで動感を維持。リズムも鋭角的で、アクセントの置き方と共にてきぱきとした印象を与える表現です。管楽器のフレーズをデフォルメしたり、弦に急な短いクレッシェンドをかけたり、穏便な性格の演奏も多い中、マーラーらしい神経質な音楽的痙攣やギクシャクした調子もうまく表出。色彩も鮮烈でテンポも巧妙に転換、第1楽章との楽想の相違を非常に明瞭に打ち出した非凡な解釈です。

 第3楽章は、快適なテンポで流れを停滞させず、歌の感覚を優先させたアプローチ。オケの明朗な音色もプラスに働き、潤いに満ちた美麗なカンタービレがリリカルに紡がれます。詩情が豊かで、響きの見通しも良く、対位法の立体感も巧緻に描写。特にホルンの吹奏を含む管弦のバランスは素晴らしく、その豊麗さにしばしば耳を奪われます。

 第4楽章もイントロからテンポが速く、木管のフレーズもリズムの軽快さが際立っています。レシュマンのソロは管弦楽と呼吸がよく合い、緩急巧みに雄弁な語り口。若干ヴィブラートが強いようにも感じますが、よくコントロールされた美しい声で、語尾を跳ね上げるような軽妙なリズム感も加えて闊達。録音も自然なバランスで、オケに溶け込みながらも、言葉の発音がある程度きちんと聴き取れる距離感でキャッチされています。

“柔らかなタッチで濃密な表情を付与。キューマイアーの歌唱に注目”

ワレリー・ゲルギエフ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

 ゲニア・キューマイアー(S)

(録音:2017年  レーベル:ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団)

 楽団自主レーベルのライヴ音源シリーズの一枚。ゲルギエフは既にロンドン響の自主レーベルでも、マーラーをシリーズ録音しています。仕事量が多すぎて仕上げの粗さも指摘される指揮者ですが、ミュンヘン・フィルとの録音はどれも丹念に製作されている印象。

 第1楽章は遅めのテンポで艶っぽい演奏。音色がまろやかで暖かく、旋律線にねっとりとしたとろみがあるのはマリインスキー劇場オケと共通する音作りです。マーラーとは相性の良いサウンドで、極端なアゴーギクを避けながらも、淡白な印象は与えません。十分に綿密な表現ながら、細部に拘泥するより全体を大きく掴む様式感も、ゲルギエフの演奏に共通する性質。音彩がすこぶる美しく、ソロもアンサンブルも滑らかな美音で聴き手を魅了します。アーティキュレーションの描写は非常にデリケート。

 第2楽章もこの指揮者らしく、色彩の変化や対比にあまりこだわらず、表情や語り口で聴かせる傾向が強いです。音色面では、美しい音を作る事自体が目標になっていて、モノトーンというのでは全然ありませんが、ドホナーニやT・トーマスらのように色彩で音楽を語る雰囲気があまり感じられません。フレージングやディティールの彫琢は誠に精細で、情感豊かな歌に溢れます。テンポはゆったりとしていますが、鋭敏さは十分。

 第3楽章は指揮者とオケの美質が相まって、実に濃密で耽美的。繊細な高音域をはじめ、デリカシーとロマン性に溢れた弦楽セクションの歌いっぷりは聴き物です。ポルタメントを盛り込んで艶っぽくうねるカンタービレと、持ち前の集中力を生かした息の長いフレージングはとりわけ見事。音響のバランスは良好で、対位法にも周到に留意し、旋律線の濃厚さだけが前に出る事はありません。レントラー舞曲のエピソードや最後の山場も自然なアゴーギクで推移し、神経質な動きがなく大らか。

 第4楽章はイントロからルバートも使い、たっぷりと表情付け。キューマイアーの歌唱は声が非常に美しくてチャーミングで、ゲルギエフ好みという感じがします。発声も丁寧で、声質もアタックも柔らかいし、優美なフレージングや機敏なリズム感も魅力的。ヴィブラートを抑制しているので、ピッチも安定しています。ピアニッシモの使い方もデリカシー満点。最後の箇所は、遅めのテンポにルバートも加えて、情緒てんめんたる表現です。

“時流に反して劇性と感覚美の優先型ながら、楽曲への適性を如実に示すガッティ”

ダニエレ・ガッティ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 ユリア・クライター(S)

(録音:2017年  レーベル:RCO LIVE)

 #MeToo運動によるセクハラ疑惑で短期解任されたガッティとコンセルトヘボウ管の、稀少となってしまったライヴ記録。第1番とカップリングされ、当コンビには前年の第2番のライヴもあっていずれも映像ソフトが発売されている他、複数指揮者による全集映像ボックスにもガッティは第5番で登場しています。ガッティのマーラー録音には、ロイヤル・フィルとの第4、5番もあり。

 ちなみに当盤は映像ソフトと同日の公演からソースが取られています(編集も同じかどうかは不明)。当コンビのマーラーの特色は、近年主流となっている客観性が勝った分析型の真逆を行く、柔らかな感覚美とドラマティックなストーリー性を追求するもの。そのため、細部の雄弁さは図抜けています。この曲はガッティの性質と合うのか、旧盤も素晴らしい仕上がりでしたが、当盤もお薦めとして太鼓判を押したい名演。

 第1楽章はフレーズの自然な呼吸と、優美な筆致が特筆もの。合の手に入る低弦のリズミカルなパッセージもすこぶる軽快です。第2主題も艶美という他なく、ロマンティックな歌心溢れるスタイル。千変万化する各ファクターの描写は実に鮮やかで、雄弁極まる濃密な語り口に魅了されます。牧童の笛のエピソードをスピーディに流すのは旧盤と同じ解釈で、見事な様式感。木管のリズムも鋭く、舞曲の躍動感が打ち出されます。コーダは極端にテンポを落としてから加速し、最後の2音も少し溜める感じ。

 第2楽章は音感が鋭敏で、粘りの強いしなやかなフレージングに鮮烈なアクセントを対比させています。前衛音楽にも繋がる響きが聴こえますが、ルバートの用い方は極度に主情的で、クラリネット・ソロのパッセージもデフォルメに近いほど強調されます。

 第3楽章はこの解釈なら相当スローに始めるかと思いましたが、意外にも流麗でスムーズ。推進力が強く、停滞しない棒が心地よいです。様式感が適切というか、「そこまで巨大な作品じゃないんだよ」という事なのでしょう。音色の美しさは天国的で、テンポの振幅も大きくて情感たっぷり。コーダの精妙さも、驚異的と言えるほどです。

 第4楽章へはアタッカで突入。オケの前奏が短めの音価を強調していて独特のアーティキュレーションですが、オケの間奏を猛烈なスピードと激した表情で疾走するのもユニークな解釈。ソロは美しい声質でオケのサウンドにうまく溶け込む一方、ガッティが描く劇的な起伏にもきっちり対応していて、多少オペラティックな歌唱でも浮いていません。

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