ヴェルディ/歌劇《リゴレット

概観

 ヴェルディ中期オペラの人気作。道化師リゴレットが色男マントヴァ公爵に娘を辱められ、復讐しようとして失敗する悲劇。いくらオペラでもご都合主義が過ぎる台本、破綻気味のキャラクター造形と、劇としては問題が多いですが、それでも人気が高いのは、ひとえに続々と繰り出される名旋律の目白押しゆえでしょうか。重唱が多いのも一因かも。

 初期のスタイルを引きずるバカっぽい能天気なメロディから、ジルダの臨終に際しての《ドン・カルロ》辺りを彷彿させる音楽まで幅が広いですが、次から次へとインパクトの強いキャッチーな旋律が溢れ出してくる点は、絶好調ヴェルディの才気が迸る快作と言えるでしょう。長調と短調を絶妙のバランスで配分し、底抜けに明るく流麗な歌と、悲劇を予兆させる暗い旋律が数小節単位で交錯する手法も効果的です。

 それにしても、道化師として生きる人間の悩みや内面を掘り下げるドラマは秀逸ながら、マントヴァ公爵以下ロクでもない人間ばかりが登場する物語です。周囲の人間達の罪を背負って死ぬジルダは、どことなくキリストの姿にだぶらないでもないですが、純真に見える彼女も実は、父親の言いつけにはことごとく逆らうし(何一つ守りません)、恋した相手の本性がいかに下劣でも、最後まで容姿の事しか言わないという筋金入りの面食いでもあります。結局、みんな自業自得ですかね。

 映像ソフトが意外に少なく、ポネル演出の映画が未だに代表的な映像作品。実際にマントヴァで撮影されているのも魅力ですが、2010年には《リゴレット・イン・マントヴァ》という、街頭ロケによる演奏を世界ライヴ中継するという革新的なプロジェクトがありました(メータ指揮、海外ではソフト化)。録音の方もカラヤンやアバドが取り上げなかったせいか、伝統あるグラモフォン・レーベルですら、レヴァイン盤が登場するまでクーベリック、ジュリーニの異色盤しかありませんでした。

*紹介ディスク一覧  *配役は順にリゴレット、ジルダ、マントヴァ公爵、マッダレーナ

[CD]

64年 クーベリック/ミラノ・スカラ座管弦楽団

      フィッシャー=ディースカウ、スコット、ベルゴンツィ、コッソット

79年 ジュリーニ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      カプチッリ、コトルバス、ドミンゴ、オブラスツォワ

84年 シノーポリ/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団

      ブルゾン、グルベローヴァ、シコフ、ファスベンダー

88年 シャイー/ボローニャ歌劇場管弦楽団

      ヌッチ、アンダーソン、パヴァロッティ、ヴァーレット

88年 ムーティ/ミラノ・スカラ座管弦楽団 

      ザンカナロ、デッシー、スコラ、セン

94年 ムーティ/ミラノ・スカラ座管弦楽団   

      ブルゾン、ロスト、アラーニャ、ベンチェーヴァ

[DVD]

77年 レヴァイン/メトロポリタン歌劇場管弦楽団

      マクニール、コトルバス、ドミンゴ、ジョーンズ

81年 シャイー/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      ヴィクセル、グルベローヴァ、パヴァロッティ、ヴェルガーラ 

08年 ルイージ/シュターツカペレ・ドレスデン   

      ルチッチ、ダムラウ、フローレス、マイヤー

10年 メータ/イタリア国立放送交響楽団   

      ドミンゴ、ノヴィコヴァ、グリゴーロ、スルグラーゼ

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[CD]

丁寧な指揮とフィッシャー=ディースカウの特異な人物造形で聴かせる個性盤”

ラファエル・クーベリック指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、レナータ・スコット

 カルロ・ベルゴンツィ、フィオレンツァ・コッソット

(録音:1964年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 クーベリックのイタリア・オペラは珍しく、スカラ座との録音も恐らくこれが唯一。やや硬質でデッドながら、近接した生々しい音で、ムーティとのEMI録音に較べればずっとドラマに集中しやすい音質です。年代相応の歪みを除けば、今も十分鑑賞に耐えるサウンド(スタジオではなく、スカラ座の劇場で収録)。

 遅めのテンポと歯切れの良いスタッカートで律儀に刻まれるリズムが特色で、強弱やアーティキュレーションに配慮が行き届いた実に丁寧な指揮。典型的なイタリア流とは行きませんが、アリアの伴奏でも即興的なルバートは入るし、第1幕のモンテローネの呪いの言葉以降、クライマックスに向けてのテンポ加速など、アゴーギクも効果的。各幕の山場など、もう少し激情的に音楽を煽って欲しいと感じる箇所もないではありませんが、そもそもクーベリックの演奏ならば、そういうタイプではない事を了解した上で聴くべきものなのでしょう。

 ディースカウのリゴレットは、俳優で言えば演技派のような、知的に練られた異色の歌唱。クーベリックの指揮同様、朗々たるイタリア式スタイルではないものの、表現力豊かで陰影が濃く、声色の多彩さが圧倒的です。ドラマに重きをおいたアプローチと言えるでしょうか、特に、柔らかな歌い口で何かを表現する時の、聴き手を惹き付けるような雰囲気は独特。最後の場面など、ディースカウの卓越した表現力が生かされている部分が大きいように思います。

 ジルダを歌うスコットも、美しい声とプリマドンナらしい華やかさ、歌唱力など、どれをとっても一級。むしろマントヴァ公爵を担当するベルゴンツィの、ベルカントながらこの役としては真面目に過ぎる端正な歌唱が気になります。マッダレーナ役にこの時代の代表的メゾ歌手、コッソットをキャスティングしたのは大正解。充実したパフォーマンスで、第3幕(特に重唱)全体を支えている印象です。合唱や脇役の統率が取れ、生き生きとしているのもスカラ座らしい所。

“遅めのテンポ、律儀なリズム処理。イタリア人ながら独自の道を行くジュリーニ”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン国立歌劇場合唱団

 ピエロ・カップチッリ、イレアナ・コトルバス

 プラシド・ドミンゴ、エレナ・オブラスツォワ

(録音:1979年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 指揮、歌唱陣共に重量級キャスティングによる、異色の《リゴレット》。脇のキャストもすこぶる豪華で、女中ジョヴァンナにハンナ・シュヴァルツ、殺し屋スパラフチーレにニコライ・ギャウロフ、モンテローネ伯爵にクルト・モルという、レコードならではのユニークな人選がなされています。ジュリーニによる当レーベルへのヴェルディ録音は他に、ローマ聖チェチーリア管との《トロヴァトーレ》、ロスアンジェルス・フィルとの《ファルスタッフ》があります。

 まず、ジュリーニの指揮が独特。遅いテンポでリズムを克明に刻むスタイルは、勢いや熱っぽさが重視されるイタリア歌劇演奏の既成概念を覆すもので、開巻早々のマントヴァ公爵のアリアなど、ベートーヴェンの《フィデリオ》でも聴いているような気分になります。もっとも、第2幕冒頭など速めのテンポを採択している箇所も随所にあり、娘を奪われたリゴレットによる嘆き節のアリアもあっさりした造形で趣味が良いです。

 アーティキュレーションにおいても、オケ、独唱共にスタッカートをレガート気味に弾いたり、アタックをソフトに演奏しているフレーズが多々あり、場面によっては切迫感を犠牲にする傾向もなくはありません。一方で、モンテローネを嘲笑するリゴレットのソロに対するオケの合いの手など、伴奏部分のニュアンスはすこぶる雄弁。柔らかな音色とシンフォニックに鳴り響くトゥッティもウィーン・フィルならではで、スカラ座やメトのオケとは一線を画します。

 カップチッリのリゴレットは威厳があって立派ですが、歌唱としては端正なスタイルで、真面目すぎて全然道化師とは思えません。まあジュリーニのコンセプトとは一致しているという事でしょうか。コトルバス、ドミンゴはレヴァイン指揮のメト公演映像と同じキャストで、ここでも達者な歌唱を聴かせる一方、前者はやや線が細く感じられ、それがコンディションの問題でないとすれば、役作りのコンセプトが少し違うのかもしれません。

 オブラスツォワのマッダレーナは正に重量級のキャスティングでユニークですが、予期したほど存在感が突出しないのは意図的というか、当人のバランス感覚、或いはジュリーニのディレクションゆえでしょうか。脇役は前述のごとくベテラン揃いで、安定感の点では類を見ないアンサンブルと言えます。唯一、コーラスがなぜか遠めの距離感で収録されていて、どことなく元気がない印象なのは残念。

“陰影が濃く、個性的なシノーポリの指揮。オケも艶やかだが、歌手には注文あり”

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団・合唱団

 レナート・ブルゾン、エディタ・グルベローヴァ

 ニール・シコフ、ブリギッテ・ファスベンダー

(録音:1984年  レーベル:フィリップス

 シノーポリは83年から87年まで同オケの音楽監督を務めましたが、録音はこれ一枚しか残しませんでした。彼のヴェルディ録音としては、《ナブッコ》《マクベス》に続く3作目。フィリップスらしい艶やかで豊麗なサウンドは魅力で、このコンビの録音が他になされなかった事は返す返すも惜しまれます。シノーポリはムーティと同様、歌手に慣習的なカデンツァを禁じており、主要キャストのアリアにおいてもスコアにないハイトーンの聴かせ所などは排除されています。

 序奏からして、遅いテンポで陰影が濃く、ただならぬ雰囲気。たっぷりとした間を挟んで彫りの深い造形に圧倒されますが、遅いと言えば、夜道でスパラフチーレと出会う場面はイントロからして超スロー・テンポで、思わずゾクっとさせられます。一方、第1幕冒頭は速めのテンポで歯切れが良く、スコアの微細な変化に敏感に対応。ジルダの登場場面も響きとリズムに妙な軽快さがあり、強弱の交替が細かい上、エンディングも羽毛のように軽く、必ずしも重厚に傾いた演奏とは言えないのがシノーポリのユニークな所です。

 要するに、他の演奏が叶わないくらい濃密な所、逆に軽妙な所がある訳ですが、ルバート・コンダクターとの異名をとっていた時期のシノーポリとしては、さほど極端なテンポ変化が頻発する表現ともいえません。これはさすがと思ったのは嵐の場面で、オケのみのクライマックスに突入した所でテンポを上げるのは効果的。ここで間延びする演奏も多いので、私もこうして欲しいと思っていた所でした。伴奏部の細かい音符の刻みやトレモロの精度の高さも凄いです。

 キャストで抜きん出ているのはグルベローヴァ。柔らかく美しい声と、弱音部のデリカシー溢れる表現は素晴らしいです。タイトルロールを歌うブルゾンは、立派な歌唱ながらやや真面目な性格で、ヌッチやカプチッリと同様、道化師らしさを抑えた端正なスタイルです。これほどのパフォーマンスを前にして物足りないというと罰が当たりそうですが、ヴィクセルやマクニール、フィッシャー=ディースカウの個性的なリゴレット像というのもあるわけで…。

 シコフはこの時期のフィリップスが重宝していたテノールで、この人も常に端正。実力は十分だけどあまり面白くはないというアーティストですが、ここではスロー・テンポの四重唱の場面における頑張り(失礼!)が光り、強者揃いのアンサンブルの中でなかなか聴かせます。なにせロバート・ロイド(スパラフチーレ)、ファスベンダー(凄い配役です)という、癖のある声で特異な存在感を放つ個性派コンビに挟まれて、シコフは少し分が悪いですね。

“歌手も合唱も優秀だが、オケの響きが冴えない録音に不満”

リッカルド・シャイー指揮 ボローニャ歌劇場管弦楽団、合唱団

 レオ・ヌッチ、ジューン・アンダーソン

 ルチアーノ・パヴァロッティ、シャーリー・ヴァーレット

(録音:1988年  レーベル:デッカ)

 シャイーのヴェルディ録音は意外に少なく、他には同コンビの《マクベス》(映画のサントラ)があるくらいですが、その変わりに映像ソフトは数種類あり、同曲もポネル監督の映画(オケはウィーン・フィル)があります。他にもボローニャの映像で《ジョヴァンナ・ダルコ》《シチリア島の夕べの祈り》、スカラ座での《アイーダ》、ゲヴァントハウス管との《仮面舞踏会》、コンセルトヘボウ管との《ドン・カルロ》がソフト化されています。ちなみに当盤のアシスタント・コンダクターは、近年メトなどでも活躍しているマウリツィオ・ベニーニ。

 残念なのは録音で、デッカ録音チームの技量をもってしてもボローニャのオペラハウスは音響的に難しいのか、オケの響きが今いち冴えません。距離感が遠く、細部の解像度がもどかしい印象で、どこか生気に乏しい音質。トゥッティでは歪みや混濁もありますが、歌手の声は鮮明に録音されているので、録音機器の不備等ではなさそうです。残響音は、イタリアの歌劇場にしては多め。

 シャイーの棒は、旧盤(映画)よりテンポも表情もやや落ち着いた趣ですが、それでも他盤と較べるとスタッカートの切れ味が良く、テンポもスピーディ。ジルダの登場を導く弦のイントロの歯切れ良さ、溌剌たる推進力は相変わらずだし、マントヴァ公爵がジルダに愛をささやくアリアや誘拐場面の合唱、第2幕冒頭など、速いテンポで音楽をぐいぐいと牽引する箇所も少なくありません。

 又、第2幕のリゴレットの嘆願場面や、第3幕の最終場面など、よく練られたアゴーギクを巧妙なドラマ・メイキングに結びつけるスキルもさすが。アーティキュレーションやダイナミクスなど、細部の処理も徹底しています。ただ、前述のごとく冴えない録音のせいか、鋭いアクセントや強いアタックが避けられているように聴こえ、強力なパンチを欠く事で、ここ一番の盛り上がりに欠けるのは残念。

 パヴァロッティは、声の衰え云々はさほどありませんが、第1幕最初のアリアでどうもリズム感が定まらず、細かい音符が走り気味になったり、伴奏のオケとズレてしまう箇所が散見されるのは気になります。しかし後の展開はテンションが高く、明るい声質とパワフルな歌唱力は圧倒的。女心の歌も、弾むようなリズムと漲る活力に聴き手が引き込まれる格好で、ニール・シコフなどと較べるとやはり役者の格が違う感じはします。

 ヌッチのリゴレットは実にドラマティックでニュアンスに富み、十分すぎる聴き応えですが、性格的には真面目で、道化師らしくない感じ。この役柄は、彼のような実力派のベテランがキャスティングされるケースも多く、それも仕方がない事なのでしょう。リスナーは、無理に道化師の裏の顔の話だと思わない方が良いのかもしれません。これほど申し分のない歌唱に文句を付けるのも、何だかおかしな話ですし。

 アンダーソンはアメリカ出身ながら、翌年に同じ役でメトにデビューしており、キャリア的にもイタリア・オペラを得意にしている歌手。なぜか強い存在感やスター性には欠けるのですが、声が美しく技術的にも安定しているし、第1幕のアリアなど実に素晴らしく、美しいラインを描くエンディングなど絶品です。ジュリーニ盤でも歌っている名歌手ギャウロフのスパラフチーレは人間味があって雄弁で、ヴァーレットのマッダレーナもうまいので四重唱は聴きものですが、それだけにオケの伴奏にさらなる迫力があればと悔やまれます。合唱も優秀で、細かな強弱の表現に鋭敏に対応。

“スコアに忠誠を尽くした「オリジナル版」を謳う、ムーティ肝入りのセッション録音”

リッカルド・ムーティ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

 ジョルジオ・ザンカナロ、ダニエラ・デッシー

 ヴィンチェンゾ・ラ・スコラ、マルタ・セン

(録音:1988年  レーベル:EMIクラシックス)

 ムーティ最初のリゴレット録音。スカラ座でのリゴレット上演は6年後のライヴまで、実に23年間行われておらず、その際にムーティは、慣習的なヴァリアンテを禁じた、ヴェルディのスコア通りの「オリジナル版」を上演すると宣言しています。その解釈の先駆けが当盤と言えるでしょう。セッション録音のため、この歌劇場のデッドな音響はさほど気にならず、むしろ鮮明な直接音がスコアの輪郭をクリアにしています。

 オケは前奏曲からラストまで、シャープな緊張感を維持。高い集中力を示して好演です。ムーティの棒は時にかなり速めのテンポを採択しますが、スコアの深い読みゆえか強い説得力があり、ドラマティックな感情の起伏にも欠けていません。急速なテンポで烈しく煽った後にトゥッティが爆発するような局面では、ヴェルディ作品の醍醐味とも言えるパッションの炸裂が痛快です。

 全体として、音の立ち上がりが速い上にアクセントもパンチが効いていて、鋭敏に聴こえる演奏。しかし決してハード一辺倒ではなく、《乾杯の歌》前奏の弦楽群など、柔らかな歌心がリリカルです。コーラスも雄弁で、後のライヴ盤ではアンザッツの乱れが気になりましたが、当盤ではムーティの解釈が隅々まで徹底している印象を受けます。

 歌手はタイトル・ロールのザンカナロ、ムーティのお気に入りデッシーをはじめ、強い個性や遊び心こそないものの、ムーティの原典主義と性急なテンポに従って、充実した歌唱を聴かせます。声質や音程など、技術的にも表現的にも不足はありません。特にデッシーは、強音部から弱音部までニュアンスが豊かで、声も美しく出色の仕上がり。スコラも、やや精悍で若々しい声のテノールで好演しています。パータ・ブルチュラーゼが歌うスパラフチーレも安定の歌唱ですが、四重唱ではマルタ・センが一段落ちる印象。又、マルッロをルチオ・ガッロが歌っているのも、今の観点で聴くと贅沢。

“スカラ座で23年振りに上演されたリゴレットを記録した、伝説的ライヴ音源”

リッカルド・ムーティ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

 レナート・ブルゾン、アンドレア・ロスト

 ロベルト・アラーニャ、マリアーナ・ベンチェーヴァ

(録音:1994年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ライヴ収録による、ムーティ再録音。同じオペラを同じオケで、たった6年で再録音するとは凄いですが、レーベルは代わり、キャストも一新。ライヴながら残響が適度に収録され、思ったほどデッドな響きではありません。

 スカラ座でリゴレットが上演されるのはゆうに23年ぶりという事で大いに話題を呼びましたが、ムーティは慣習的な高音ヴァリアンテを禁じた《オリジナル版》を上演すると宣言。歌手の妙技を楽しむ傾向があるミラノの聴衆に真っ向から対決しましたが、結果は大成功となりました(第1幕が終った時点で、フライングの大喝采が贈られています)。 

 序曲は、ソステヌートで流麗に歌う冒頭の金管からして特有の造形感覚。しかし、最初のトゥッティの爆発を聴いて明らかなように、崇高な悲劇性が眼前に立ち現れるような表現は、すこぶる格調の高いものです。ややオフ気味の録音のため、細部の解像度はややもどかしいですが、かなり速いテンポを設定しているナンバーが多く、緊密なドラマ造形。アーティキュレーションや強弱も細かく描写していて、管理が徹底している所はムーティらしいです。

 一方で、《リゴレットのやつかわいそうに》のように自由な間合いを挟んでテンポを揺らしているアリアもあり、必ずしもイン・テンポで押してはいません。唯一、合唱はライヴのせいもあってか終始アインザッツが揃わず残念。天下のスカラ座コーラスですから、もう少し機動力が欲しい所です。

 大御所ブルゾンは、この日スカラ座デビューが予定されていたカルロス・アルヴァレスに代わっての出演。シノーポリ盤でも同じ役を歌っていますが、品格を保持した真面目な表現で、はったりのない真摯な歌唱はムーティの実直なスタイルと相性も良いようです。《椿姫》でムーティに登用された直後のアラーニャは、その後に人気歌手となる資質を窺わせるスター性と存在感があって、聴き応えのある歌唱。声質にも歌い回しにも華がある、キャッチーな表現が魅力です。

 ロストはリリコの声を持つハンガリーの歌手で、レッジェーロやコロラトゥーラが起用されるジルダ役には珍しいとの事(ジュリーニ盤のコトルバスが例外的にリリコです)。私はオペラ通ではないので、声質の違いをそこまで聞き分ける耳は持っていないのですが、この可憐で、高音域の爽やかなジルダには、誰もが魅了されるのではないでしょうか。ヴィブラートはもう少し控えてもいいように感じますが、それを上回る美質があるのも事実。

[DVD]

“芸達者な歌手、指揮者による明快なパフォーマンス。映像の古さが残念”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団

 コーネル・マクニール、イレアナ・コトルバス

 プラシド・ドミンゴ、イソラ・ジョーンズ

演出:ジョン・デクスター   (収録:1977年)

 数多いメトの映像シリーズの一つ。画質は時代を感じさせるものの、音質は鮮明です。レヴァインは同オケと93年、ドイツ・グラモフォンにこのオペラをレコーディングしています。演出はジョン・デクスターで、ゼフィレッリ流の伝統的スタイルをワンランク落とした感じの体裁。映像が古いせいか、演出のせいか、舞台上の照明がかなり暗く感じられます。

 レヴァインの指揮は、当時の若さに似合わず早熟かつ闊達で、溌剌としたリズムや鋭いアクセント、卓越したアゴーギク操作で見事なドラマ・メイキングを展開。聴かせ所のツボを得た明快な棒さばきには舌を巻くばかりで、第1幕のラストや第3幕のクライマックスなど、スピーディに引き締まったテンポで緊迫感を煽る手腕は卓抜そのもの。基本的には、粘らない速めのテンポ設定ですが、第2幕でリゴレットが延臣達に泣きつく場面など、感情面と密着したアゴーギクにも非常な説得力があります。

 タイトル・ロールのマクニールは、メトのお抱えといっていいほどの出演回数を誇る歌手。シノーポリ指揮の《トスカ》映像で歌ったスカルピアの素晴らしさが記憶に残っていますが、アメリカ人らしく演技派で、歌唱よりも役としての存在感が強く印象に残る人。ここでは、公爵邸内でのリゴレットがちゃんと道化師として演出されている事もあり、この人物の光と影、特にモンテローネ(この歌手も異様な存在感あり)の呪詛の言葉が本当に呪いとして機能している事を、マクニールの演技は如実に示しています。

 ジルダを歌うコトルバスも、容姿、歌唱共に適役。音程のブレない美しい歌唱は、ジルダの純粋さをよく表現しているし、重唱においても和声感を構築するのに有利です。視覚的にも、演技力充分。常に芸達者で完璧な歌唱力を披露するドミンゴと並んでも、舞台上の魅力がきちんと拮抗する歌手です。やや弱いのはマッダレーナ役のジョーンズ。特有のクセのある声で、それは個性としてまあいいのですが、このメンバーで舞台上の四重唱となると、やっぱり見劣り、聴き劣りがしてしまいます。

“熱っぽく勢いに溢れた演奏と、才人ポネルの演出が効いた映画版リゴレット”

リッカルド・シャイー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン国立歌劇場合唱団

 イングヴァール・ヴィクセル、エディタ・グルベローヴァ

 ルチアーノ・パヴァロッティ、ヴィクトリア・ヴェルガーラ

演出:ジャン=ピエール・ポネル  (撮影:1982年、録音:1981年)

 天才ポネルによる有名な映像ソフト。彼の映像作品に多い、フィルム撮影による映画の体裁です。シャイーは同曲を後にボローニャ歌劇場でレコーディング。ウィーン・フィルとはチャイコフスキーの5番でデッカにメジャー・デビューを飾った直後の録音ですが、当コンビの録音は意外に少なく、他にヤナーチェクの《グラゴル・ミサ》と、ロッシーニの歌劇《シンデレラ》のライヴ映像があるだけではないかと思います。

 演奏は沸き立つような活気と勢いに溢れ、同じウィーン・フィルでも2年前に録音されたジュリーニ盤とはまるきり対照的なパフォーマンス。テンポが速く、アタックが強い上、これもジュリーニと逆にスタッカートを多用している事もありますが、オケも独唱も熱に浮かされたようにエネルギッシュで雄弁なのは、胸のすくように痛快。よく弾むリズムと細部まで配慮が行き届いたアーティキュレーションも、スコアを生き生きと躍動させます。

 ヴィクセルのタイトル・ロールは朗々たる美声が素晴らしい上、視覚的にも役に合致しているし、身体表現や顔の表情が群を抜いて多彩で、正に芸達者のひと言。適役がそうそういる訳ではないこの役としては、得難い人物という感じです。非常にパワフルでアグレッシヴなリゴレット像ですが、テンションの高いポネルの演出とも方向性を同じくしており、モンテローネ伯爵を一人二役で担当しているのも映画ならではのユニークなアイデア。

 パヴァロッティも、視覚面と歌唱の両面で有無をいわさぬ圧巻のパフォーマンスを披露。この人の凄さをきちんと捉えた録音、映像という感じがします。チェブラーノ夫人に歌うアリアやキャメラ目線の《女心の歌》など、ほとんど顔で、というか目力で歌っているような迫力があり、観ているこちらまで圧倒されそう。グルベローヴァがジルダを歌っているのも安心で、彼女はポネル監督の他の作品にも起用されているように、歌唱のみならず演技力もある人です。

 女中ジョヴァンナは、公爵からもマルッロ達からも金で買収されてたやすくジルダを裏切る打算的な人物に造形されていますが、歌っているフェドラ・バルビエーリという人は声も演技も癖が強烈。リゴレットとの掛け合いも、リズムが鋭利で軽妙すぎてコミカルの域に達しています。マッダレーナのヴェルガーラは、私は全然知らない歌手ですが、容姿は役に合っているし、歌唱も立派。ただ、特に強い個性で存在感を放つタイプではない感じ。

 さらに、フェルッチョ・フルラネットがスパラフチーレ、ベルント・ヴァイクルがマルッロ(歌唱のみ、演技は別人)という豪華脇役陣。前者は、クールで寡黙な役作りがなされる事が多いですが、ここでは薄汚れたメイクがなされた上、ニヤついた小悪党に演出されていて、本当にフルラネットなのか疑ってしまうくらいです。

 ポネルの演出は気の利いた細かいアイデアが盛りだくさんで、妙な読み替えもなく説得力の強いもの。実際にマントヴァで撮影されていて、邸宅の中は勿論、野外のロケーション、例えば夜の街頭や終幕の川の映像など、舞台では味わえないリアルな雰囲気やスケールが素晴らしいです。嵐の中で繰り返されるジルダのノック音も、音楽のテンポにシンクロせず、効果音としてのノックでリアリズムに傾いた表現。

 人の動きや配置、感情表現など、ドラマの構築センスには天才的な閃きを見せる一方、芝居がかった身振りやカット割り、ズームやクローズアップの多用など、映画として見るとやや古めかしい部分もないとは言えません。モンテローネの言葉に群衆が逃げ惑う所などは、この言葉が単なる罵倒ではない事を見事に示した演出ですが、リゴレットとジルダを残して廷臣達がガニ股踊りで部屋を出てゆく所は、漫画チックなデフォルメが過ぎます。

“ルイージの濃厚な指揮ぶりと豪華歌唱陣が圧巻。演出は興ざめ”

ファビオ・ルイージ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

 ドレスデン国立歌劇場合唱団

 ジェリコ・ルチッチ、ディアナ・ダムラウ

 ファン・ディエゴ・フローレス、クリスタ・マイヤー

演出:ニコラウス・レーンホフ  (収録:2008年)

 ルイージ時代のゼンパーオーパーの数少ない映像ソフト(日本語字幕入りはなし)。スパラフチーレを歌うツェッペンフェルトも含め、目のくらむような豪華キャストですが、演出がレーンホフなので好みを分つ仕上がりです。演奏自体は素晴らしいもの。

 何といってもルイージの指揮が見事。この人はコンディションにむらがあるのか、単なるスコア解釈の問題か、妙にメリハリのない大人しい演奏をする事もありますが、当盤は濃い方のルイージで雄弁そのもの。まず前奏曲が素晴らしく、速めのテンポでぐいぐいと牽引してゆき、クライマックスの爆発以降、弦のすすり泣きのような旋律を思い切りスロー・テンポで歌わせるという、すこぶるドラマティックな設計です。

 全体にかなり恣意的なアゴーギクを用いていて、熱っぽい感興が充溢。オケの響きに深みと柔らかさがあるのはさすがドレスデンですが、そこにイタリア的な輝きが加わるのも相乗効果の妙です。娘を奪われたリゴレットが館に現れる場面は、低弦のアクセントを強調したり、長めの間合いを挟んだり、実に多彩な指揮ぶり。ムーティが聴いたら激昂しそうなデフォルメが随所に盛り込まれています。誘拐シーンの合唱も、速めのテンポで軽快。

 ルチッチは、私が観た事のある映像ではどれも見事な歌唱をしている人ですが、このリゴレットも指折りのパフォーマンス。名歌手が歌っても地味になってしまう事がある役柄ながら、ここでは出力に余裕を感じるほどのパワフルな歌唱を聴かせます。さらに圧巻なのがダムラウ。派手なヴァリアンテをたっぷり盛り込むスタイルは、ムーティ流の原典主義には合いませんが、オペラティックな華やかさは十二分に味わえます。

 フローレスはやや金属的な声で、声も容姿も若めのマントヴァ公という感じ。第2幕のアリアでは、少し柔らかさも出てきます。スパラフチーレをツェッペンフェルトが歌っているのも贅沢で、最低音まで鮮やかに発声される安定感は格別。一方、最初の場面でマルッロ役の音程が全く合わないのは、奇怪な鳥の被り物をして歌っているからでしょうか。

 そうやって歌手に悪影響を及ぼすほど、余計な虚飾を施すレーンホフの演出。強引な読み替えなどはあまりないのですが、貴族の館の退廃を強調していて、みんなに奇妙なコスプレを強いているのが鬱陶しいです。第3幕の四重唱は時空を超えた幻想のつもりか、マントヴァ公が外に出てきてジルダに抱きついたりします。最後の場面に、第1幕で悪魔のコスプレをしていた男(本物の悪魔という解釈かも)が登場するのも、安易な象徴主義で興ざめ。

“世界同時中継された、マントヴァでの奇跡的ロケーション・パフォーマンス”

ズービン・メータ指揮 イタリア国立放送交響楽団

 イ・ソリスティ・カントーリ

 プラシド・ドミンゴ、ジュリア・ノヴィコヴァ

 ヴィットリオ・グリゴーロ、ニーノ・スルグラーゼ

演出:マルコ・ベロッキオ  (収録:2010年)

 プロデューサーのアンドレア・アンダーマンと名撮影監督ヴィットリオ・ストラーロ、メータ/イタリア国立放送響による、革新的ロケーション・オペラ・ライヴ衛星同時中継3部作の第2弾。最初は92年の『トスカ』で、次は00年の『椿姫』でした。とても正気とは思えない企画ですが、アンダーマンは「私のボキャブラリーに不可能という文字はない」とナポレオン気取り(ゼフィレッリのアシスタントとして幾つかの撮影に参加してきた人です)。

 本作は実際にマントヴァでロケを行い、シリーズ初のインターネット・ストリーミング中継。その後、148ヶ国でテレビ放映もされました。ハイヴィジョン撮影されたのは本作が初で、監督もカンヌ国際映画祭の常連マルコ・ベロッキオに交替していますが、撮影のストラーロは続投。2016年、ナクソスが3作を収めたDVD、ブルーレイのボックス・セットを発売。豪華なブックレットと、各作品1時間ほどのメイキング映像を収録した充実の内容になっています(字幕付き日本盤は発売なし)。

 メイキングを見ると、オケはビエナ劇場という、モーツァルトが父レオポルトに連れられて演奏をした事もある美しい劇場で演奏し、歌手は各ロケ地で指揮者のモニター映像を見ながら歌唱。こんなので本当に合うのかと思いますが、演奏はちゃんとしているし、歌手もあちこち動き回りながら、オケと絶妙に息を合わせていて驚き。メータも、「パフォーマンスが始まったら誰も止まるわけにいかないのは、メトでもスカラ座でも同じだ」と言っています。

 ただ、たまにインサートされるメータと楽員の姿は、ヘッドフォンをして指揮、演奏しているメイキング映像の様子とは違っていて、別録りである事が明白です。《椿姫》にあった、歌手の声の不自然な反響や、残響過多なオケの音とのミスマッチはなくなり、野外撮影ライヴである事を忘れさせる《トスカ》のクオリティに戻っているのは何より。映像も、フィルム撮影のようなルックに仕上がっています。

 メータの指揮が非常に充実していて、過去にこの曲を録音していないのが不思議なくらい。エネルギッシュで有機的な響き、果敢に攻める意欲的な棒さばきは、企画のリスクを補って余りありますが、概してリズミカルなナンバーでテンポが遅く、腰が重く感じられるのは好みを分つ所です。ただ、イン・テンポではなくアゴーギクが自在だし、歌手もたっぷりと歌わせていて恰幅の良い表現。

 ドミンゴは、いわゆる深々としたバリトン・ヴォイスではなく、華麗なハイ・トーンもないので、かつてのファンが求めるものとは隔たりがあるかもしれませんが、表現力と演技力で圧倒する感じはさすが。ジルダを歌うノヴィコヴァは、容姿こそ素朴ですが歌唱は素晴らしく、ドミンゴが絶賛するだけの事はあります。特にピアニッシモの高音域はよくコントロールされ、精妙な表現に聴き応えあり。

 グリゴーロが歌うマントヴァは、若々しい活力や気まぐれさをよく表現している上、南国の男っぽい野性味とチャラい風情もあって適役。声もパワフルで美しく、スター性があります。《カルメン》などで人気のスルグラーゼは、これも役に合ったキャスティングですが、音域によって発声の違いが目立つのが少し気になる所。マルッロを筆頭に公爵の取り巻きも、歌唱はともかく、視覚面で妙に不気味な存在感があるのは、作品の本質を衝いた演出、配役です。

 監督は前述のようにベロッキオに交替しましたが、特に大きくコンセプトが変わった感じはなし。企画の趣旨からして、奇抜な読み替えなどもありません。室内場面の多い作品なので、第3幕の川を除いて野外のロケーションはあまり生かしていませんが、その分、ストラーロの芸術的な照明センスが発揮された印象。唯一、歌手のクローズアップが長く続くシーンが多いのは映像的に単調です。

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