プッチーニ/歌劇《ラ・ボエーム》

概観

 プッチーニのオペラの中でも異色の一曲。人気はありますが、《トスカ》や《蝶々夫人》、《トゥーランドット》と較べると、何かしら流れが違う、受け入れられ方が違う、という印象がなくもないです。一つには、これが貴族階級のドラマやおとぎ話ではなく、貧乏な庶民、それも若者達の青春を描いている点がオペラとしては異色という事でしょうか。

 構成としても、4つの幕がまるで交響曲の4つの楽章のように配置されていて、全体が二時間ほどと長さが適度なのも、親しみやすさの一因となっています。音楽的にも美しいメロディが満載ですが、個人的に惜しいと思うのがオープニング。あまりにもさりげなく、インパクトに欠ける調子で曲がスタートする(和声的にも曖昧)ので、オペラらしい格好よさが味わえない滑り出しという他ありません。その後の音楽が素晴らしいだけに、これは残念です。

 CDではカラヤン盤、映像ソフトはレヴァイン/メトのゼフィレッリ演出版あたりが名盤としてポピュラーですが、何といっても故カルロス・クライバーが得意中の得意とした数少ないレパートリーでもあり、彼の正規録音や映像が残されていないのは残念至極。

*紹介ディスク一覧  *配役は順にミミロドルフォムゼッタマルチェッロ

[CD]

72年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      フレーニ、パヴァロッティ、ハーウッド、パネライ

79年 C・デイヴィス/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団   

      リッチャレッリ、カレーラス、プットナム、ヴィクセル

87年 コンロン/フランス国立管弦楽団   

      ヘンドリックス、カレーラス、ブラシ、キリコ

98年 シャイー/ミラノ・スカラ座管弦楽団

      ゲオルギュー、アラーニャ、スカーノ、キーンリーサイド

99年 メータ/イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

      フリットリ、ボチェッリ、メイ、ガヴァネッリ

[DVD]

77年 レヴァイン/メトロポリタン歌劇場管弦楽団

      スコット、パヴァロッティ、ニスカ、ヴィクセル

82年 レヴァイン/メトロポリタン歌劇場管弦楽団 

      ストラータス、カレーラス、スコット、スティルウェル

07年 ビリー/バイエルン放送交響楽団   

      ネトレプコ、ヴィラゾン、キャベル、ダニエル

09年 ネルソンス/ロイヤル・オペラハウス管弦楽団

      ゲルズマーワ、イリンカイ、デュカク、ヴィヴィアーニ

12年 ガッティ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      ネトレプコ、ベチャワ、マチャイゼ、カヴァレッティ

12年 シャイー/ヴァレンシア歌劇場管弦楽団   

      ジェイムズ、マチャド、ロメウ、カヴァレッティ

●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●

[CD]

カラヤン節炸裂! 隅から隅まで豊麗な響きとけれん味が徹底した個性盤”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団、シェーンベルク少年合唱団

 ミレッラ・フレーニ、ルチアーノ・パヴァロッティ

 エリザベス・ハーウッド、ロランド・パネライ

(録音:1972年  レーベル:ロンドン・デッカ)

 カラヤンはこの数年前にゼフィレッリの演出、スカラ座の演奏で映画版の映像ソフトも製作しています。英デッカ・レーベルには珍しくベルリン・フィルを起用、グラモフォンも使用していたイエス・キリスト教会で収録された長い残響音は、イタリア・オペラの典型である乾ききったデッドな音と好対照。ただし直接音は生々しく、古さを感じさせない上、トライアングルなど金属打楽器やハープの音、ダビングされたと思しき各種効果音など、広い音域に渡って美しく録られているのはデッカらしい所です。

 とにもかくにも、カラヤン流の演出力が徹底した演奏。ゆったりと遅いテンポで旋律を耽美的に歌わせ、誇張気味に伸ばされたパヴァロッティのハイトーンの後に、劇的なティンパニの一撃が打ち込まれるなど、多分にショーアップされた瞬間の連続する表現です。オケの豊麗な響きに加え、ベノワ撃退場面での重厚でダイナミックなフォルティッシモや、第2幕の華美を極めた表現、終結部の嫋々たるカンタービレなど、作品自体がまるでカラヤンのために書かれたように響くほどの適性の高さ。

 テンポは総じて遅めで、アゴーギクも芝居がかって聴こえる箇所がたくさんありますが、同じ人工的と言っても、例えばマゼールのそれとはかなり性格が違う感じがするのは不思議な所です。第1幕の細かいリズム処理なども精緻で、オケの実力を発揮。遠近感や左右定位も、カラヤンの指示によるものか凝った録音演出がなされており、第2幕のエンディングで鼓笛隊が出て来る箇所など、モノラルの独立チャンネルで左からクレッシェンドで入ってきて、右へディミヌエンドで消えてゆくという演出が付けられています。

 パヴァロッティ、フレーニは、文句なしの絶唱。安定しすぎて個性に乏しく聴こえるほどですが、各アリアをはじめ、一つの理想型とでもいいたいミミ、ロドルフォと言えるでしょう。他のキャストもカラヤン好みの美声の持ち主が集められ、ハーウッド、パネライも声質、表現力共に申し分のない配役。

 

“デイヴィスの優れた音楽性と豪華歌唱陣のおかげで、オペラティックな興趣抜群の一枚”

コリン・デイヴィス指揮 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団・合唱団

 カティア・リッチャレッリ、ホセ・カレーラス

 アシュレイ・プットナム、イングヴァル・ヴィクセル

(録音:1979年  レーベル:フィリップス)

 剛毅な芸風からプッチーニとはイメージが結びつかないデイヴィスですが、実はコヴェント・ガーデンでは《トスカ》の録音もあります。イタリア・オペラも、他にヴェルディの《仮面舞踏会》《トロヴァトーレ》を録音しており、ファンなら聞き逃せないディスクと言えるでしょう。

 デイヴィスは主情を排したシンフォニックな造形を得意とする指揮者ではありますが、オペラもたくさん振った人だけあって、演出力はなかなかのもの。むしろ、いつもながら徹底して克明に描写されたディティールと、鋭利で切れ味の良いリズムは、オペラの伴奏に向いていると言えるでしょう。特に、弱音部の繊細な表情は素晴らしく、ヘッドフォンなどで聴くと圧倒されます。意外にルバートを盛り込んで、優美なカンタービレを聴かせたりするのも注目したい所。

 第2幕はデイヴィスの面目躍如たる所で、卓越したリズム処理と非の打ち所のない交通整理能力に、スケールの大きさを加えた音楽作りは秀逸。児童合唱も含め、コーラスが見事に統率されているのも聴き所です。第3幕冒頭の情景描写で、舞台裏などの遠近法を用いず、リアリスティックなサウンドで一貫しつつ合唱とソロの出入りを巧みに扱う描写力も非凡。第4幕の精緻な伴奏ぶりも圧倒的で、最後の物悲しい旋律をスロー・テンポで、はかなげに弱ってゆくように奏でている所、デイヴィスの演奏では滅多にない事ですが、実に切なく胸に迫ります。

 歌唱陣はやや大型ですが、カレーラスとリッチャレッリのパフォーマンスは申し分なく、オペラティックな興趣を十分味わえるディスクとなっています。又、コッリーネにロバート・ロイド、ショナールにホーカン・ハーゲゴードと脇に実力者やベテランを配していて、アンサンブルの安定感が他盤の比ではありません。特に凄いのがマルチェロを歌うヴィクセルで、主役を張れる人だけに表現力はピカ一。癖の強い声質とも相まって、時に主役を食ってしまいそうな存在感を示します。強いて言えば、ムゼッタ役のプットナムが一段弱いという感じですが、気になるほどではないかも。

“解像度の高いシャープな棒で、聴き慣れた曲を鮮烈に甦らせた名演。歌唱陣も充実”

ジェイムズ・コンロン指揮 フランス国立管弦楽団

 フランス放送合唱団

 バーバラ・ヘンドリックス、ホセ・カレーラス

 アンジェラ・マリア・ブラシ、ジーノ・キリコ

(録音:1987年  レーベル:エラート)

 ルイジ・コメンチーニ監督による映画版のサントラ。コンロンはパリ管と《蝶々夫人》も録音しています。フランス国立管との録音は、ベルリオーズの《幻想》とマルティヌーの作品集2枚あり。このオケ、このレーベルらしい柔らかくも爽快なサウンドで、高音域の抜けが良く、残響も豊富。プッチーニは情感が濃すぎると感じている人(私です)には、スコアを爽やかに洗い直してくれるような気持ち良さがあります。

 冒頭から若きコンロンの才気が炸裂。おそろしく解像度の高い棒で、合奏を緻密かつシャープに構築しているし、アーティキュレーションが徹底的に練られていて、すこぶる流れが良いです。描写力は一流ながらアクの強い表現をしない人なので、フレッシュな棒で作品の美しさをヴィヴィッドに伝えてくる印象。手垢の付いた作品を新鮮に聴かせて、素直に「良い曲だな」と思えます。第3幕の導入部とエンディングなど、冗長になりがちな箇所もタイトに造形していて、さすが優秀なオペラ指揮者。

 歌唱陣がまた素晴らしく、何ともいえない華のあるカレーラスの存在感と圧倒的パフォーマンスは言わずもがな。これに負けていないのはヘンドリックスで、可憐で元気一杯、役にふさわしいかどうかはともかく、美声で輪郭の明快な歌が良いです。脇役陣それぞれの歌唱とアンサンブルが見事で、コンロンによる歌手へのディレクションが徹底していて、端正なまとまりが見事。合唱もよく揃っていて、リズム感にも優れます。 

“スピーディなテンポと精緻な描写力で、若者達の青春を一気呵成に描き切るシャイー”

リッカルド・シャイー指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

 アンジェラ・ゲオルギュー、ロベルト・アラーニャ

 エリザベッタ・スカーノ、サイモン・キーンリーサイド

(録音:1998年  レーベル:ロンドン・デッカ

 シャイーのプッチーニは、ボローニャ歌劇場との《マノン・レスコー》やメジャー・デビュー前(77年)のサンフランシスコ歌劇場との《トゥーランドット》の他、ベルリン放送響との管弦楽曲集、コンセルトヘボウ管との《トスカ》の映像ソフトも出ていますが、ボエームはこれが初。

 速めのテンポで一気呵成に駆け抜ける造形が見事で、この勢いと活気がそのまま、若者達の青春ドラマのスピード感に直結しています。もっとも、速すぎるとか落ち着きがないと感じるほどではなく、これを聴くとむしろ他の演奏が遅すぎるのではないかという気さえします。各アリアも一筆書きのように、さっと描き上げるような印象。

 一方、ディティールの描き込み方は凄いの一言で、精緻を極めた細部の描写力がスコアのクオリティを一段階引き上げたようにすら感じられるくらい。プッチーニ特有の俗っぽさや情感過多な所はきれいに削ぎ落され、純粋な旋律美とオーケストレーションの妙が洗練された佇まいですっきりと浮かび上がってきます。オケもソロ、アンサンブル共にすこぶる達者で、残響と直接音のバランスが良いデッカのクリアな録音もさすが。

 ゲオルギューとアラーニャがカップル揃って意欲的に録音していた頃の一枚ですが、ゲオルギューが好調なのに対して、アラーニャの歌唱にはやや違和感あり。全ての音に短い波長のヴィブラートが付いて音程が揺れる上に、第1幕ではおどけた感じを出したせいか、リズムも犠牲になる面があります。高音は艶やかな美声ですが、中低音はやや癖もあり、アラーニャってこんな歌い方だったっけ?と首を傾げてしまいました。終幕ではやや改善されますが、ラストは幾分大袈裟な芝居で、好みを分つかも。

 ムゼッタを歌うスカーノは、ボーイソプラノみたいに透き通るような美声が個性的。一聴した感じではこの役に向かないタイプにも思えますが、ユーモアのセンスもあり、この可憐なムゼッタ像にはそれなりの説得力があるように思います。ボヘミアン仲間達も、マルチェッロ役のキーンリーサイドをはじめ、みな若々しく清新なパフォーマンスで好演。

“メータ以下の素晴らしい演奏とボチェッリのきわどい歌唱、あなたはどちらを採る?”

ズービン・メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

 フィレンツェ五月音楽祭合唱団、フィエーゾレ音楽院少年合唱団

 バルバラ・フリットリ、アンドレア・ボチェッリ

 エヴァ・メイ、パオロ・ガヴァネッリ

(録音:1999年  レーベル:ロンドン・デッカ

 人気歌手ボチェッリをオペラに起用した事で話題を呼んだディスク。デッカは前年に王道のシャイー盤を製作したおかげで、この異色盤を企画できたのかもしれません。発売当初からボチェッリの歌唱に批判が集中。私はそれほどひどいと思わないものの、普通のオペラ・ファンにはやはりお薦めしにくい内容ではあります。メータの指揮以下、オケやコーラス、他の歌手が水準以上の素晴らしい演奏を展開しているだけに、余計に残念。

 まず、メータの棒が秀逸。全編に渡って遅いテンポで濃厚な表情付けを行い、ルバートやゆったりした間合いも随所に挟んで、生き生きとドラマを盛り上げます。オペラでは抑えた表現で脇役に回る事が多い彼が、これほど雄弁で生気溢れる演奏を行っているのは、ボチェッリをフォローするためもあるのでしょうか。ディティールの処理も実に繊細で、隅々まで血の通った音楽を展開。イスラエル・フィルがオペラの伴奏を務めるのは珍しいですが、管弦の美しく、豊麗な響きは魅力的で、歌手との息の合わせ方やソロのパフォーマンスも見事です。

 第2幕が特に素晴らしく、歌手や合唱が複雑に入り組むアンサンブルを手際良く統率し、細かなテンポ変化を巧みにコントロールしてゆくメータの棒さばきは圧巻。母親達のグループが入ってくる所など絶妙のアゴーギクで、子供達も含めて合唱もすこぶる上手いです。幕切れは、定評のあるイスラエル・フィルの弦を力なく消えてゆくように歌わせているのが切なくて胸に沁みますが、最後のブラスの和音はピッチがやや不安定で残念。

 ボチェッリは一音一音、拍節通りに音符に当てはめてゆくような、良く言えば丁寧な歌い口ですが、身体的ドラマ性と緩急が欠如していて、まるでコンサートで棒立ちのまま歌っているような表現。とにかく抑揚が全然ないので、ドラマのある歌には適しません。艶のある伸びやかな美声は健在で、まあリサイタルだと思えばアリアなどこれで良いのかもしれませんが、普通にオペラの歌唱を展開する他の歌手達とのバランスは、当然良くないです。

 要するに、多少なりともドラマ性を加味して起伏を形成するオペラ歌手の表現とは根本的に別物ですので、それがダメな人には勧められません。ただし意外にも、ラストのセリフと泣き声はうまいです。この感じで歌も表現すれば良かったのに。ハイトーンの伸ばしなど、聴かせ所は意識されていて、ボチェッリのファン向けとしてはありという事でしょうか。アンサンブルじゃない他の作品にすれば良かったのにとも思いますが、彼はこの後《トスカ》や《カルメン》も録音しているので、商業的には成果を挙げているようです。

 フリットリも一音一音丹念に表現する人ですが、感情の諧調はずっと豊かで、役に血が通っています。スター性の強い派手な歌唱ではありませんが、彼女のパフォーマンスの合間にただ一言“Si”というボチェッリの声が入るだけで浮いてしまうので、やはり生粋のオペラ歌手は違うんだなあとしみじみ感じます。キャストが若いイタリア語のネイティヴ・スピーカーで構成されているのは、メータの意向との事。みんな美声で生き生きとした歌唱で、結局、言いたくはないですが、ボチェッリありきの企画にも関わらず、主役が彼でなければ世紀の名盤になったかもしれないという無念さあり。

[DVD]

“豪華キャストながら演出も映像もやや古めかしい、レヴァイン最初の映像ソフト”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団

 レナータ・スコット、ルチアーノ・パヴァロッティ

 マラリン・ニスカ、イングヴァル・ヴィクセル

演出:ファブリツィオ・メラーノ   (収録:1977年)

 レヴァインとメトのボエームは二種類の映像が出ているので要注意。私のように、間違ってストラータス&カレーラスの方だと思いこんで購入しないよう、前もって確認しましょう(苦笑)。こちらはメトが初めて公演をテレビ中継した際の映像で、最初にキャスターの解説が入る他、映像も古くて不明瞭、音もマルチ的なミックスに不自然な点があったりします。

 若々しい姿のレヴァインは、芸術監督就任後まだ5年経ったばかりの頃ですが、仕上げがやや粗く、ドライすぎる録音のせいもあってあまり感心しません。それでも当時の感覚では豊麗でみずみずしい印象だったのか、会場からは絶賛されていますが、私は迷わず82年収録の方を採ります。

 スコットのミミは、視覚的にあまりにもミミのイメージとほど遠くて面食らいますが、表現力の豊かさに引き込まれて、すぐにルックスの事は気にならなくなるのが凄い所。この役は歌唱力のみならず、演技も上手い人じゃないとダメかもしれません。パヴァロッティもこの役は得意にしているようだし、全盛期だけあってさすがの歌唱。

 男性陣4人組は年齢が高すぎるし(コッリーネはポール・プリシュカです)、マルチェッロ役のヴィクセルも《トスカ》のスカルピアやリゴレットなど、重厚なイメージがあったので、青春ムードを表出するにはどうかなと思いましたが、歌唱も身のこなしも意外に軽快なパフォーマンスです。ムゼッタのニスカも、私は全く知らない人ですが、若々しい見た目でミミと配役が逆の感じなのは新鮮。

 まあ私も今の感覚であれこれ書いていますが、当時の新聞にこれ以上望めないくらいの理想的なキャスティングと絶賛されたそうですからこれで良かったのでしょう。演出もゼッフィレッリの亜流のような、あまり個性を感じさせないものですが、画像が古い上に照明が暗く、歌手のアップも多いので、どういう舞台なのかいまいち分かりにくいのも事実です。

“ボエームの決定版というべきゼフィレッリ演出。芸達者なスター歌手達も見応え充分”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団

 テレサ・ストラータス、ホセ・カレーラス

 レナータ・スコット、リチャード・スティルウェル

演出:フランコ・ゼフィレッリ   (収録:1982年)

 レヴァインとメトのボエーム二度目の収録。実力派のキャスティングと、伝説的なゼッフィレッリの舞台をたっぷり観られる点でお薦めの映像ディスクです。古い映像ではありますが、77年盤に較べれば音もだいぶ聴きやすくなっています。レヴァインの棒は、メリハリが効いてしなやかな歌心もあり、スコアの起伏の大きさをうまく描写した巧みなもの。オケのアンサンブルも旧盤よりずっと整っています。

 テレサ・ストラータスは演技派として名高い人で、ここでも表情の作り方や所作など、全く見事という他ないパフォーマンス。カーテンコールでも病弱そうな佇まいのまま登場するなど、エンターティメントの国アメリカの人らしく、役になりきる一面も見せます。ただ、映像ではアップが多いので視覚的に年齢の高さが気になり、若々しいカレーラスと向かい合うとほとんど親子に見えてしまうのが残念。

 カレーラスは群を抜く歌唱力で客席を魅了。同じくハンサムで俳優っぽいスティルウェルと並ぶと、映像的にも見応えがあります。コッリーネのジェイムズ・モリス、ショナールのアラン・モンク(旧盤に続く登板)も好演で、特に後者のユーモア・センスや軽やかな身のこなしは、悲劇との対照としてうまく機能しています。旧盤でミミを演じていたスコットが歌うムゼッタも、いかにも華やかな雰囲気で、ゼフィレッリの派手なセット美術に負けていません。ベノワ役も、旧盤と同じイタロ・ターヨが歌っていて、芝居がかった歌唱で楽しめます。

 演出は、絵画的な描写力とリアリズムで名高いゼフィレッリのプロダクション。あまりに有名になってしまって、この演出の映像ばかりが発売され過ぎる傾向もありますが(映画仕様のカラヤン盤やビデオで出回ったクライバー盤2種類もこのプロダクション)、第2幕の、パリの喧噪がそのまま舞台に再現されたようなスケール感や、第3幕の美しくも物悲しい雪景色など、確かにこれ以上は望めないくらいの名演出と言えるでしょう。

“優秀なオケと歌手で緻密に構築した演奏。音楽を邪魔しない演出も好印象”

ベルトラン・ド・ビリー指揮 バイエルン放送交響楽団・合唱団

 アンナ・ネトレプコ、ロランド・ヴィラゾン

 ニコール・キャベル、ボアズ・ダニエル(声のみ)

監督:ロベルト・ドルンヘルム   (撮影:2007年)

 撮影はウィーンのスタジオ、音源はオケの本拠地ガスタイク・ホールで収録された映画版。別途コラムに記述の通り、私はオペラ映画は嫌いなのですが、最初と最後のクレジットに作曲家と台本作家の名前が大写しに出る事で分かる通り、本作はオリジナルを尊重していて、曲順の入れ替えは勿論、カットもほぼないし、効果音で音楽をかき消したり、映像に合わせて遠近法を施したり、映画用の追加場面を音楽なしで延々と展開したりもしません。フィルムではないので、音質も良好。

 一流オケの演奏だけあって、細部が緻密かつ鮮やか。特に合奏やリズムを几帳面なほど克明に処理する事で、スコアからユニークな表情を引き出しています。プッチーニでは異例なほど縦の線がよく揃った演奏ですが、流麗なカンタービレももちろんあり。ただビリーの指揮は、クオリティこそ高いものの、このオケやウィーン国立歌劇場のような世界最高のオケを振ってさえ、ドラマティックな求心力に欠ける点がいつも物足りなく感じます。

 主演の二人は、ウィーンでの《椿姫》のコンビ。ヴィラゾンはどちらかと言えば舞台向きで、濃すぎるルックスと、大口を開けて目を剥く雄弁すぎる歌い方が、キャメラでアップになるとうるさすぎて好みを分つ所。ラテン気質丸出しの歌唱スタイルも、冬のパリを寒々と表現するリアリスティックな映像スタイルには異質です。

 それに較べるとネトレプコは、クラシカルなハリウッド女優のようなエレガンスがあって、映画にもぴったり。彼女はガッティ盤でもこの役を歌っていて、手堅いながら華のある歌唱・演技がさすがです。アンサンブルは、マルチェロとショナールが声だけの出演で映像は俳優が演じていますが、みんな若い世代らしく正確な音程と美しい声で好演していて、舞台で時々ある実力やコンディションの凹凸がないのは映画版のメリット。子役やベノワなど脇役も好演しています。

 演出は、時代設定は変更していないようですが、ロケーションではなくスタジオ・セットをメインにしている(控えめながら歴史写真のショット挿入あり)のが、逆にムード満点で効果的。音楽を尊重していて、演技パートで中断もせず、時間経過がある第2幕と第3幕もほぼ続けて編集しています。白と赤のコントラストを強調した美しいモノクロ映像とパートカラーをあちこちに挿入する以外、監督の自意識がさほど前に出てこないのは好印象。唯一、ラストのショットだけは「何これ?」という妙なアイデアです。

 ただ、物語の内容と作品の魅力を分かり易く伝えようとする姿勢は演出家として理想的で、舞台収録、映画版とを問わず、映像ソフトとしては太鼓判を押したい作品です。映画独自の美しさも追求しながら、決して音楽の邪魔をしない所が好印象。また、曲を改変しなくても映画的なカット割にぴったり合っている所に、プッチーニの音楽の現代性とスペクタクルな視点を改めて感じます。

“涙が止まらない…。人情の機微を生き生きと描き出す俊英ネルソンスのタクト”

アンドリス・ネルソンス指揮 ロイヤル・オペラハウス管弦楽団・合唱団

 ヒブラ・ゲルズマーワ、テオドール・イリンカイ

 インナ・デュカク、ガブリエーレ・ヴィヴィアーニ

演出:ジョン・コープリー   (収録:2009年)

 当時急速に知名度を上げつつあったネルソンスが、英国ロイヤル・オペラに初登場した際の映像。ネルソンスのプッチーニは、メトでの《トゥーランドット》も映像化されている他、バーミンガム市響を振った《修道女アンジェリカ》のCDも出ています。

 指揮は大変に丁寧で芸が細かく、細部までクリアな録音も追い風になって、スコアの微細なニュアンスをこれほど生き生きと再現した演奏は稀ではないかと思います。第1幕冒頭など、細かい音符が多い上に楽器間の受け渡しが続くので、アンサンブルとしては合わせにくい曲だと思うのですが、ネルソンスは音を割ったトロンボーンのアクセントを軸にする事でリズム面の帳尻を調整し、勢いでグルーヴに乗せてゆくアプローチ。

 鋭いアタックは随所に効いており、デュナーミクにも敏感に対応しているので、細部が常に生気に満ちて躍動します。叙情に流れがちなプッチーニの音楽には、こういうメリハリも有効ですが、さらに特筆大書したいのはロマンティックな旋律の歌わせ方。ミミが登場する直前の音楽やムゼッタのアリア前のクラリネットなど、しみじみと暖かい情感の表出は秀逸。思わずホロリとさせられます。終幕も、もう最初から最後まで涙を誘う感じで、ポルタメントを盛り込んだラストの弦のカンタービレなど、下品と絶品の境界線ギリギリ。

 歌手陣はほとんど名前も聞いた事のない人達ですが、イリンカイは新人に近い若手(風邪で途中降板したピョートル・ベチャワの代役だそうです)、ボヘミアンの二人はロイヤル・オペラの研修生、ヴィヴィアーニとゲルズマーワも経験があるとはいえまだ若手と、清新さを前面に出したキャスティングです。作品自体が若者達の物語ですし、指揮がネルソンスなので違和感もなく、敢えてフレッシュな顔ぶれで勝負した体裁でしょうか。イタリア人はヴィヴィアーニだけで、他はほぼ東欧、ロシア系歌手というのもユニーク。

 スター歌手勢揃いの舞台とは違って、名人芸やけれん味はありませんが、みんななかなかの好演です。ゲルズマーワは美人ながら地味な感じですが、声も美しく、演技力もあってさすがの主役。彼女は02年のソフィア国立歌劇場来日公演でもミミを歌っています。イリンカイも風貌は素朴ですが、手堅い歌唱で会場から良い反応を得ています。ヴィヴィアーニはプッチーニと同郷のルッカ出身、既に05年のサントリー・ホール・オペラと10年のトリノ王立歌劇場来日公演でマルチェロを歌っているので、日本ではお馴染みの人らしいです。

 ムゼッタを歌うデュカクだけは、全ての音に短い波長のヴィブラートがかかる感じで、個人的には感心しませんが、ピアニッシモの使い方にはっとするような所があって、容姿にも華やかな雰囲気があります。彼女はこれがロイヤル・オペラへのデビューとの事。コッリーネのアリアも、速めのテンポで颯爽とした歌い口が新鮮。

 コープリーの演出はロイヤル・オペラで数十年に渡って上演されてきたもので、セフィレッリ版ほど豪華ではないにしろ、伝統的なスタイルで親しみやすいもの。暖色と寒色を対比させたライティングも映画のようで美しいですが、ムゼッタが犬を抱いて登場し、アリアの前にビリヤードをひと突きしてから歌い始めるなど、細かい演出がそこここに施されています。感情表現も繊細で、彼が歌手達に付けた細やかな芝居が終幕の感動に繋がっているように思います。

“若手歌手達の好演とガッティの巧みな指揮で聴き所多いも、演出は一長一短”

ダニエレ・ガッティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン国立歌劇場合唱団、楽友協会合唱団、ザルツブルグ音楽祭児童合唱団

 アンナ・ネトレプコ、ピョートル・ベチャワ

 ニーノ・マチャイゼ、マッシモ・カヴァレッティ

演出:ダミアーノ・ミケレット   (収録:2012年)

 ザルツブルグ音楽祭のライヴ映像。相変わらずアップを多用するブライアン・ラージが映像ディレクターを務めていますが、この人も随分キャリアが長く、賛否両論ありつつも常に起用されている所をみると、やはり支持されているのでしょう。指揮者とビデオ・ディレクターがベテランである反面、歌手と演出陣は若手で占められているのが当盤の特徴。ガッティは、ウィーン・フィルの演奏会にも歌劇場にもよく登場している指揮者ですが、スタジオ録音での共演はまだないと思います。

 海外盤なので日本語字幕なしですが、これくらいメジャーな作品で、ストーリーもシンプルだと何とか見られます。中国語や韓国語まで入っているのに日本語が省かれているのは、NHKがスポンサーに名を連ねているせいでしょう。最近は海外ソフトでも日本語字幕入りが増えてきましたが、NHKの権利が絡むとこうなるのは困ったものです(テレビ放映されるのは有り難いですが、放送用圧縮音声では話になりません)。

 冒頭はアインザッツが揃わず、あれっ?と思わせますが、ムゼッタのアリアや終幕など、ドラマの盛り上げ方は一級で、細やかな配慮の行き届いた指揮。オケも多彩な音色で美しく、弦の艶やかさはさすがウィーン・フィル。ただ、カラヤン盤のような詠嘆調ではないので、その意味ではモダンなプッチーニ演奏と言えるかもしれません。造形的にも奇を衒わず、テンポも標準的で、オーソドックスな仕上がり。

 歌手は豊かな声量で朗々と歌う人ばかりですが、みなほの暗くまろやかな声質でうるさくはならないし、ウィーン・フィルの音色ともマッチしています。ただ、ピアニッシモがあまりなく、高カロリーに感じる傾向はあり。ネトレプコのミミは注目される所でしょうが、大陸的でスケールの大きな歌唱はヴェルディかロシア・オペラ向きで、作品に合っているかどうかは評価が分かれるかもしれません。ベチャワは健闘していますが、やや性急で前のめり、特に高音に上がるのが常に早すぎる印象。二人とも、音程は完璧とは行きません。

 ただ、ネトレプコの演技力は凄く、女優としてもやっていけそうなほど。現代社会にアレンジした演出ですが、濃いメイクと黒を多用したファッションで登場する彼女は、今までのミミのイメージを覆すに十分なキャラクター造形。最初の表情からして思わず引き込まれますが。ロドルフォのアリアの間も、三角座りで部屋に置かれたビデオテープを手に取ってみたり、現代人らしい強い警戒心から心が打ち解けてゆくのに時間がかかる様子を、表情の変化で見事に表現しています。第3幕の取り乱した様子や、苦しそうな喘ぎ方など、何かと咳き込むくらいしかしなかった過去の歌手達と較べると、いかにも現代のミミ。

 演出は、映画のように身近なリアリティを感じられる部分と、頭でっかちなアイデアの先行が鼻につく部分が同居する、一長一短のあるもの。歌手達への演技の付け方は素晴らしく、それぞれのキャラクターが持つ感情の表れとして、あらゆる所作に共感が持てるのは長所。特にうまく行っているのは第3幕で、雪の積もった道路脇に屋台があり、道路が上り坂の向こうに伸びる寒々としてリアルな背景と、そこを横切ってゆく酔っぱらった人々の群れは、正に映画を思わせる情景。ロドルフォとマルチェッロのさりげない挨拶(というより合図)の交わし方一つ取っても、いかにも現代の若者らしいです。

 ただ、彼らが若者らしくはあっても、“貧乏な若者”らしくはないのは、作品の本質をつかみ損ねた印象。ヴィヴィッドでカラフルな色使いは、それでも下品にならない所がヨーロッパのスーパーやユニヴァーサル・デザインの配色センスを彷彿させます。正にそのスーパーマーケットを舞台に展開する第2幕はユニークなアイデアが非凡ですが、例えば胸にPのマークを付けたヒーローのようなコスチュームで宙吊りになるパルピニョールなど、一体何の事かという感じ。

 舞台上や背景に散りばめられた地図や街のジオラマも、何かしら象徴的な意味があるのでしょうが、特に知りたいという気も起りません。不自然に傾斜した舞台も然り。この演出の一長一短が端的に表されているのがラストシーンで、皆が取り乱したロドルフォを取り押さえ、悲しみを湛えた彼の表情にドラマを集約する所(クローズ・アップ撮影が効果を発揮)までは秀逸ですが、その後、背後のスクリーンが水滴に煙る窓ガラスと化し、後ろの巨大な指が「MIMI」と書いた後、手の平でかき消す幕切れは蛇足。カーテンコールに登場した演出家は、いかにも知的で自意識の強そうなメガネ青年で、ああ、なるほどねと、妙に納得。

“速めのテンポでモダンな管弦楽が見事。中堅中心の歌手とポップな演出も概ね好印象”

リッカルド・シャイー指揮 ヴァレンシア歌劇場管弦楽団・合唱団

 ガル・ジェイムズ、アキレス・マチャド

 カルメン・ロメウ、マッシモ・カヴァレッティ

演出:ダヴィデ・リヴァーモア  (収録:2012年)

 メータやマゼールが関わってきたヴァレンシアのソフィア王妃芸術宮殿に、珍しくシャイーが登場。彼の《ボエーム》は過去にスカラ座とのレコーディングがありますが、映像ソフトはこれが初めてです。開幕前の客席には、プラシド・ドミンゴの姿もあり。

 シャイーの指揮は、スカラ座とのセッション録音と較べるとやや落ち着いた感じですが、それでも速めのテンポで全体をタイトに引き締めています。特に第3幕は、長い序奏部や最後の二重奏など間延びしてしまう演奏も多い中、シャイーは歯切れの良いリズムできりりとまとめ、いさかかの弛緩もありません。又、テンポが速いために、音楽を前に進める原動力となるリズムの律動が意識されるのもメリット。耽美的なメロディがだらだら流れるだけではなく、全ての音事象がきちんとリズムに乗せて配置されている事が、この演奏を聴くとよく分かります。

 驚異的なまでに緻密なディティール描写も健在で、木管の合いの手やオブリガートなど、全てがクリアに耳に入るのは快感。音色もカラフルで、ポップな色調を使った舞台美術とうまくマッチしています。流麗なカンタービレも横溢し、情感面でも決してドライな演奏ではありません。ただ、肩の力を抜いて軽快に進行し、鋭利なアクセントを際立たせながら、オーケストレーションの綾を鮮やかに聴かせる手法は、清新なプッチーニ像として歓迎されます。カーテン・コールの喝采も大方は指揮者へ向けられ、スタンディング・オベーションも起っています。

 中堅中心の歌唱陣は好演で、特に素晴らしいのがロドルフォを歌うマチャド。声が美しくて音程も正確だし、よく伸びるハイ・トーンにはスター性も感じさせ、小柄で純朴なルックスをカバーしています。ヴェネズエラ出身で、この役でメトにもデビューしたとの事。ミミ役のジェイムズはイスラエル出身、グラーツで大人気という人。最初のアリアはやや非力ですが、後半は持ち直す感じです。豊かな声ながら、ヴィブラートの揺れが気になる傾向。

 存在感があるのはムゼッタ。歌うロメウは地元ヴァレンシア出身で、弱音から強音、低音域からハイ・トーンまでよくコントロールされた歌唱。演技も堂々としていて見応えがあります。他のキャストでは、コッリーネを歌うジャンルカ・ブラットが好演。外套に別れを告げる第4幕のアリアは、舞台でよく拍手が来る箇所で、私はそれほどの聴かせ所とも思わないのですが、ここでは艶やかな声質で表情豊かに歌われていて好印象です(拍手はまばら)。

 演出は奇を衒わず分かりやすく、モダンな感性も生かされたもの。背後のスクリーンにゴッホ、ルノワール、モネ等の絵画が投影されますが、これが意外に作品のムードをうまく掴んでいる上、マルチェッロが使うキャンヴァスと連動しているのも効果的です。又、静止だけではなく動かしてみたり、雪を降らせて背景に利用したり、実用性も抜群。

 第2幕では、鼓笛隊や合唱の他、バレエや大道芸のパフォーマンスも取り入れて賑やか。彼らのために、この幕だけのカーテン・コールも行っています。衣装や舞台美術にはポップな色彩を施しながら、ブルーやアンバーの照明でシックに見せている所、映画っぽいセンスも感じさせるのが現代的。歌手への芝居の付け方も自然で、妙な心理描写をうるさく挟んだりしないのがいいです。

Home  Top