R・シュトラウス/歌劇《サロメ》

概観

 R・シュトラウスの歌劇では、《ばらの騎士》《ナクソス島のアリアドネ》と並ぶ人気作。オーケストラ・パートが精緻かつダイナミックに作曲されていて、管弦楽作品に匹敵する聴き応えがあるが、主役に人を得るのが難しく、上演はなかなか成功しない印象。歌唱力、容姿、役柄にふさわしい演技力と妖しい魅力など、サロメを歌える歌手というのはなかなか出ないもので、ソプラノでこの役に挑戦していない人も多い。

 とかく狂気や性的倒錯、退廃的なムードが表面に出がちな作品だが、実は徹底して「交渉の劇」というのが面白い所。ヨカナーンの姿を見たいというサロメによるナラボートとの交渉に始まり、サロメとヨカナーン、ユダヤ人達とヘロデ王、サロメとヘロデ王(こちらは踊りの要求と、その褒美の要求という双方向の交渉)と、どの場面でも行われているのが全て「交渉」という、かなり特殊なオペラでもある。

 全曲盤では、圧倒的にパワフルで雄弁なメータ盤がお薦め。音質を気にしないなら軽妙なヴァルヴィーゾ盤と音楽性豊かなケンペ盤が、作品の本質を衝く名演。個性的なシノーポリ盤もお薦め。映像ソフトに良い物が少ないのが残念だが、徹底して精緻なドホナーニ盤、主役と指揮が充実しているハーディング盤、演出はともかく演奏が素晴らしいガッティ盤、日本語字幕なしでOKならジョルダン盤が圧倒的な名演。

紹介ディスク一覧  *配役は順にサロメ、ヨカナーン、ヘロデ、ヘロディアス

[7つのヴェールの踊り]

58年 パレー/デトロイト交響楽団  

59年 ストコフスキー/ニューヨーク・スタジアム管弦楽団

63年 ストコフスキー/フィラデルフィア管弦楽団  

70年 ケンペ/シュターツカペレ・ドレスデン

72年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

81年 秋山和慶/ヴァンクーバー交響楽団  

81年 マータ/ダラス交響楽団

92年 プレヴィン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

05年 マゼール/ニューヨーク・フィルハーモニック

10年 ネルソンス/バーミンガム市交響楽団

13年 山田和樹/スイス・ロマンド管弦楽団

17年 シャイー/ルツェルン祝祭管弦楽団 

21年 ネルソンス/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 5/4 追加!

[最後の場面]

97年 メータ/イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、イーグレン

[7つのヴェールの踊りと最後の場面]

54年 ライナー/シカゴ交響楽団、ボルク

86年 A・デイヴィス/トロント交響楽団、マルトン

[全曲CD]

58年 ヴァルヴィーゾ/バーゼル歌劇場管弦楽団  

       カバリエ、ヴェリッシュ、ヴォズニアク、ジマー

74年 ケンペ/フランス国立管弦楽団

      リザネク、スチュワート、ヴィッカーズ、ヘッセ

77年 カラヤン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      ベーレンス、ダム、ベーム、バルツァ

90年 小澤征爾/シュターツカペレ・ドレスデン

      ノーマン、モリス、ラフェイナー、ウィット

90年 シノーポリ/ベルリン・ドイツオペラ管弦楽団

      スチューダー、ターフェル、ヒースターマン、リザネク

90年 ナガノ/リヨン歌劇場管弦楽団

      ハフストッド、ダム、デュポイ、ジョソー

90年 メータ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      マルトン、ヴァイクル、ツェドニク、ファスベンダー

94年 ドホナーニ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      マルフィターノ、ターフェル、リーゲル、シュヴァルツ

[DVD]

74年 ベーム/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      ストラータス、ヴァイクル、バイラー、ヴァルナイ

90年 シノーポリ/ベルリン・ドイツオペラ管弦楽団

      マルフィターノ、エステス、・ヒースターマン、リザネク

97年 ドホナーニ/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団

      マルフィターノ、ターフェル、リーゲル、シリヤ

07年 ハーディング/ミラノ・スカラ座管弦楽団

      ミヒャエル、シュトルックマン、ブロンダー、フェルミリオン

08年 P・ジョルダン/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団 

      ミヒャエル、フォレ、モーザー、シュスター

17年 ガッティ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団   

      ビストレム、ニキーチン、ライアン、ゾッフェル

18年 ヴェルザー=メスト/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  

      マルフィターノ、ターフェル、リーゲル、シュヴァルツ

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[7つのヴェールの踊り]

“まろやかな音色でさらりと描く、異色のアプローチ”

ポール・パレー指揮 デトロイト交響楽団

(録音:1958年  レーベル:マーキュリー)

 フローラン・シュミットの《サロメの悲劇》が同時録音されているので、そちらがオリジナル・カップリグと思われる。鮮明な音質だが、アメリカのオケらしい派手さはなく、むしろソフトでマイルドなサウンド。

 テンポは速めで、タイトに引き締まった造形。導入部にアンサンブルの乱れもあるものの、オケは優秀で、柔らかく暖かみのある音色で、しなやかなカンタービレも艶美。いたずらにどぎつさや情緒を強調せず、美しい響きでさらっと描写する辺りは、フランス音楽にも通ずるアプローチ。旋律の歌わせ方にも、卓越したセンスを感じさせる。音圧はさほど高くなく、耳に優しいが、必要な豊麗さ、色彩感は充分に表出。細部も非常に精緻。コーダは歯切れ良く終了。

“ストコフスキー唯一のステレオ録音によるシュトラウス。驚異的な高音質に注目”

レオポルド・ストコフスキー指揮 ニューヨーク・スタジアム管弦楽団

(録音:1959年  レーベル:エヴェレスト)

 《ティル》《ドン・ファン》とカップリング。オケは契約の関係で別名になっているが、実体はニューヨーク・フィルとの事。ストコフスキーは広大なレパートリーを誇りながら、R・シュトラウスにはほとんど食指を動かさなかった人で、ステレオのセッション録音は当盤が唯一。SP時代にも、この曲と《死と変容》の録音が数種類あるのみ。ライヴでは、同曲を含むフィラ管とのガラ・コンサートが後に発売された。

 エヴェレストの音質が鮮烈そのもの。これを聴いたマーキュリー・レーベルも取り入れた35ミリ・マグネティック・テープに記録された音は、生々しいまでの鮮度の高さ、抜けの良い高域から豊麗な中音域、パンチの効いたティンパニまで、音域とダイナミック・レンジの広さが驚異的。左右の定位と分離も見事で、みずみずしい弦の響きも爽快。

 冒頭から遅めのテンポを採択しながらも、アンサンブルはドタバタとして崩壊寸前の佇まい(わざと?)。大きくブレーキを掛けて序奏を終えるものの、主部もところどころにルバートを挿入する。曲自体のアクが強いせいか、後半に向けてはストコ節もさほど目立たないが、山場の盛り上げ方と壮絶な音響構築は、さすが音楽の魔術師。

“黄金コンビの貴重なステレオ・ライヴ。オケにメリットがあるものの、音質に難あり”

レオポルド・ストコフスキー指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1963年  レーベル:テスタメント)

 ステレオ録音の、ガラ・コンサート・ライヴ盤から。他の収録曲は、ヴェルディの《運命の力》序曲、ジョルダーノの《アンドレア・シェニエ》とプッチーニ《トスカ》のアリア(ソロはフランコ・コレッリ)、ドニゼッティの《ランメモールのルチア》のアリア(ソロはジョーン・サザーランド)、ラフマニノフの《パガニーニの主題による狂詩曲》(ソロはスーザン・スター)、エネスコのルーマニア狂詩曲。高音域がややこもっていて細部がぼやけがちだが、低域は豊かで力強く、聴きやすい音質。

 解釈はニューヨークのセッション録音とほぼ同じで、序奏部の締めくくりで大きくテンポを落とすのも同じ。録音にもう少し奥行き感があればいいのだが、柔らかさもある豊かな響きはフィラ管のメリット。一気に加速する部分も、ヴィルトオーゾ風の合奏がさすが。後半部には、腰の強い力感も聴かれる。オケで採るなら当盤、音質の生々しさではニューヨーク盤といった所。

“速めのテンポで熱っぽい演奏を展開。オケの音色も魅力”

ルドルフ・ケンペ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1970年  レーベル:EMIクラシックス)

 管弦楽曲全集から。オペラの全曲録音を行っていないのが残念だが、ケンペにはフランス国立管とのオランジェ音楽祭ライヴ盤が残っていてよかった。かなり速めのテンポで、勢い良く開始。主部も快速調で推進力が強く、フレージングに粘りがないので、健康的な性格という印象も受ける。ソロは色彩が鮮やかでくっきりと浮かび上がり、鉄琴などの効果も鮮烈。全体に、オケの美しい音色がよく出ている。

 退廃的なムードよりも、沸き立つような熱っぽい躍動感があるのは独特だが、舞曲である事を考えると適切な解釈かもしれない。コーダもきびきびとして明快で、ラストが鮮やかに決まって痛快。まさに名人芸という感じである。古い録音の割にはクリアで聴きやすい音だが、低音域がやや浅く、強音部は歪みもあり。

“ケレン味たっぷり。華麗な表現が際立つ、徹底してカラヤン流のパフォーマンス”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1972、73年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《ドン・ファン》《ティル》とカップリング。カラヤンの同曲はウィーン・フィルとの旧盤及び、後に全曲録音もある。華麗なサウンドと身振りの大きさが目立つ、カラヤンらしい聴かせ上手な演奏で、オケの表現力も全開。後半部の雄大なスケール感も、どこかアルプス交響曲や《英雄の生涯》を彷彿させ、改めてシュトラウスらしさを実感させる説得力がある。

 ティンパニや打楽器のアクセントも豪快。細部を緻密に描写してゆく行き方ではないが、その辺りはオケの方がカバーしている感じで、弱音部のアンサンブルも思わず耳を惹く、見事なもの。やっぱりというか予想通りというか、コーダに向かう加速とエンディングがケレン味たっぷりで、笑ってしまうほどにカラヤン流。できれば全曲盤もベルリン・フィルと録音して欲しかった所。

“突出した表現力はないものの、安定したハイ・クオリティな仕上がり”

秋山和慶指揮 ヴァンクーバー交響楽団

(録音:1981年  レーベル:オルフェウム・マスターズ)

 カナダ、ヴァンクーヴァーで絶大な人気を誇った秋山和慶の録音を集めた4枚組セットに収録の音源。オリジナルは、《ティル》《死と変容》とのカップリング。録音もホールの音響も悪くはないが、このコンビのディスクはアナログ収録の方が豊麗で、デジタル盤はやや音が薄い。

 オケにはより雄弁なニュアンスと彫りの深い表現力が欲しいものの、内声のバランスが崩れるような箇所は聴かれない。ただ多くのフレーズが消化不良のまま流れてしまう印象があり、ソロ楽器など明らかに走ってしまったりする。それがオケの力量不足のせいなのか、指揮者のディレクションが徹底していないせいなのかは判別しがたい。

 指揮は堅実で、濃密な語り口や情緒的な突出も欲しくなるが、スター級の人気指揮者にもそういう演奏は多くはない。健全な性格ながら旋律はみずみずしい音色でよく歌い、落ち着いたテンポで全体を手堅くまとめている。

“冴え渡るリズム、耳を惹くフレージングと雄弁な旋律線。鬼才マータのセンスが炸裂!”

エドゥアルド・マータ指揮 ダラス交響楽団

(録音:1981年  レーベル:RCA)

 《ドン・ファン》《死と変容》とカップリング。同コンビのシュトラウス録音は他に、プロ・アルテ・レーベルの《ティル》がある。リズム・センスの卓抜さが全編に冴え渡り、テンポを細かく動かしてドラマティックに造形した、才気溢れる演奏。

 イントロから、オーボエ・ソロや金管のシグナルなど、どこか人を惹き付ける魅力的なフレージングを展開するが、艶っぽい光沢を放つ雄弁な旋律線は、R・シュトラウスの作風と非常に親和性が高い。打楽器の微細な効果をあます所なく生かしているのも、作曲を学んだマータらしい視点。コーダ直前の、極端なテンポ・ダウンも効果的。

“ティンパニの強打で始まり、巧妙なクライマックスまで巧みな語り口を展開”

アンドレ・プレヴィン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1992年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《ばらの騎士》組曲、《インテルメッツォ》間奏曲、《カプリッチョ》からの2曲と、オペラの管弦楽曲を集めたアルバムに収録。当コンビはテラークに4枚のシュトラウス・アルバムを録音しているが、当盤はその後グラモフォンから補完的に発売されたもの。当コンビのシュトラウスは他にも《家庭交響曲》とホルン協奏曲他が同レーベルから出た他、フィリップスに《変容》と管楽器のためのソナチネ、EMIに《ティル》《ドン・ファン》《死と変容》の80年録音も存在する。

 冒頭からティンパニの強打が激烈で、この指揮者にしては珍しく、男性的な猛々しさが出た表現。続く主部も、各パートの魅力的なパフォーマンスを生かしつつ、巧みな語り口でじっくりと描写。味の濃い音楽を艶っぽく展開する。妖しい光沢を放つ弦楽セクションも耽美的。色彩感が豊かで、オーケストレーションの妙も見事に表出。全体の構成もうまく、ドラマを感じさせる雄弁な棒さばきに、プレヴィンの美点がうまく生かされた印象。

“曲想の変わり目を強調し、こってりと濃厚な演奏を繰り広げる晩年のマゼール”

ロリン・マゼール指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

(録音:2005年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ネット配信のDGコンサート・シリーズから珍しくパッケージ発売されたライヴ音源で、《ドン・ファン》《死と変容》、《ばらの騎士》組曲とカップリング。他の曲は再録音になるが、《サロメ》はマゼールがあまり取り上げてこなかった曲目で、歌劇全曲を含めて正規録音は他に存在しない。もっとも、晩年はナレーション入りで最後の場面をよく演奏していて、トスカニーニ響との来日公演でもプログラムに入れていた。

 遅めのテンポで落ち着いた開始。細部の処理が緻密で解像度が高く、カラフルな色彩感でリアリスティックに造形した印象。ちょっとした弦のグリッサンドやバス・トロンボーンのクレッシェンド等を除けば、デフォルメはあまり聴かれないが、表情付けがやや大袈裟というか、芝居掛かっているのはマゼールらしい。特に曲想の変わり目やフレーズの移り変わりを、ルバートで強調する傾向がある。オケの響きはしなやかで艶やっぽさもあるが、さらに奥行き感とコクがあればと思う。

“若々しく健全ながら、ドラマティックな演出力は今一歩”

アンドリス・ネルソンス指揮 バーミンガム市交響楽団

(録音:2010年  レーベル:オルフェオ)

 アルプス交響曲とカップリングされたライヴ録音。当コンビのシュトラウスは他に、《英雄の生涯》《ばらの騎士》組曲と、《ツァラ》《ドン・ファン》《ティル》を組み合わせたアルバムあり。ネルソンスは同曲を、後にゲヴァントハウス管と再録音している。

 速めのテンポで勢い良く演奏した若々しいアプローチだが、幾分シンフォニックな解釈で、性格的に健全過ぎる感じ。ネルソンスの棒もオーソドックスな造形に傾きがちで、全体に端正。このような異常心理を描いた作品ではなおさら、ドラマに肉迫するような迫力や雄弁な語り口を求めたい所。豊麗で艶やかなオケのソノリティは魅力的で、響きの透明度も高く、しなやかなカンタービレも魅力的。

“スタイリッシュに造形した、モダンな表現。雄弁さや面白味は不足気味”

山田和樹指揮 スイス・ロマンド管弦楽団

(録音:2013年  レーベル:ペンタトーン・クラシックス)

 当コンビのレコーディング第1弾は、フランスのバレエ、舞踊、劇場のための音楽集だったが、続編となる当アルバムではドイツの作品を収録。《ばらの騎士》のワルツ、リストのメフィスト・ワルツ第1番に、コルンゴルト、ブゾーニ、シュレーカーの作品を集めた、その冒頭に置かれているのが当音源。

 演奏は速めのテンポで、淡白な性格。オケの響きがすっきりしていて、遠目のバランスで収録されている事もあり、洗練された音色でスタイリッシュに造形した印象。端正でスマートな表現ではあるが、低体温でモダンなセンスといった感じで、肉感的な面白味はあまりない。リズムは歯切れ良く、オケの統率力も一級。緊張感も維持している。

“しなやかでパンチが効くも、臨時編成オケ特有の物足りなさあり”

リッカルド・シャイー指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

(録音:2017年  レーベル:デッカ)

 《ティル》《死と変容》《ツァラ》とカップリング。私は常設ではない団体にどうも関心が湧かないので、せっかくのシャイー初のR・シュトラウス録音がこのオケなのは残念だが、ヴィオラのヴォルフラム・クリスト、チェロのクレメンス・ハーゲン、フルートのジャック・ズーン、クラリネットのアレッサンドロ・カルボナーレなどメンバー表にそうそうたる面子が並んでいて、確かに壮観。

 温かみを保持しつつも透徹した響き、しなやかに歌うフレージングもシャイーの美点。ティンパニを効かせた剛胆な導入部は好印象だが、以降はどこか踏み込みが弱い。優秀な合奏力や表現力の割に一定以上の迫力や熱気を欠くのは、やはり臨時編成の団体だからかと思わずにはいられない。艶っぽく豊麗な響きは魅力的だが、伝統を背景にした一体感や密度がないせいか、終始物足りなさが付きまとう。

 5/4 追加!

“旧盤同様、真面目さが前に出るが、緻密な描写力と骨太な音楽性あり”

アンドリス・ネルソンス指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

(録音:2021年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ゲヴァントハウス管とボストン響を振り分けた管弦楽団作品7枚組ボックスから。ネルソンスの同曲は、バーミンガム市響との旧盤からわずか11年での再録音。

 R・シュトラウス作品ではかなりの好演を残しているコンビだが、この曲にはある種の過剰さやハッタリが求められるのか、旧盤同様、アプローチが真面目すぎる感じ。ただ、造型は端正でも表情付けは濃密で、粘性を帯びた旋律線は魅力的。遅めのテンポで多彩なニュアンスを施していて、後半の、シロフォンを強調した響きのバランスもユニーク。緻密な描写力に長けていながら、一種の骨太な音楽性を貫くのも美点。

[最後の場面]

“イーグレンの個性的なソロと、ダイナミックなメータの指揮が圧巻”

ズービン・メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

 ジェーン・イーグレン(S)

(録音:1997年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 R・シュトラウスとモーツァルトのアリアを集めたアルバムから。イスラエル・フィルのシュトラウス録音は珍しいが、楽団自主レーベルからは当コンビの《ツァラ》も出ている。メータの同曲は、ベルリン・フィルとの全曲録音もあり。

 この音源は冒頭に置かれていて、アルバムの開始からいきなりリスナーを圧倒するような凄い演奏。シャープなエッジと豊穣な響きを兼ね備え、雄弁にソロを支えるメータの伴奏ぶりも迫力満点だが、イーグレンの歌唱が実に個性的。ほの暗いけれどジェシー・ノーマンのような重さがなく、ビロードのようにソフトでまろやかな手触りの声質。この声が実にしなやかにうねり、ぐうんと痛快なまでに伸びてゆく様は、一聴しただけで虜になってしまうほど。

 ヴィブラートも控えめにしか用いないので、どこか器楽的というか、まるで楽器がソロのパートを担っているよう。かつてなかった程に和声感がはっきりして、メロディ最優先の《サロメ》が誕生したような衝撃がある。もっともっと表舞台で活躍していいアーティストではあるが、映像ソフトで観ると相当に立派な体格を持つ歌手なので、時代遅れのルッキズムゆえに活動が制限を受けているなら残念至極。演劇的な表現力も充分。

[7つのヴェールの踊りと最後の場面]

“明晰に覚醒したライナーの棒の元、オケが見事な合奏を展開。ソロも美しい歌唱”

フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団、インゲ・ボルク(S)

(録音:1954、55年  レーベル:RCA)

 最後の場面は歌劇《エレクトラ》抜粋と組み合わされたアルバム。CDでは55年収録の《7つのヴェールの踊り》が一緒に入っている。彼らの録音は音質が良いのが特徴で、生々しい直接音とすっきりと見通しが良い音場は魅力的。さすがに打楽器の強打などは歪みもあり、低音域も浅いが、この時代の録音としては鮮明な方。

 とにかくオケが上手い。トランペットのトップ(ハーセス?)なんて、小粋な節回しで惚れ惚れするような歌いっぷり。《踊り》の後半部分など、速いパッセージのメカニカルな精巧さ、一糸乱れぬアンサンブルもさすがだし、みずみずしい弦の響きを中心に、流麗なカンタービレも魅力的。明るく、華やかな音色も好印象。ライナーが作り出す響きは透明度が高く、ディティールの解像度に優れているのも現代の感覚に通じる。

 常にパリっと覚醒しているライナーの表現は、濃厚な感情表現や陶酔の気配を一切寄せ付けないが、オーケストレーションはクリアに再現される。アゴーギクも堂に入っているので、音楽が硬直したり、一本調子に陥ったりする事もない。ぞっとするような迫力はなく、健全な性格だが、ある種の厳しい気迫があり、聴いていて背筋がピンと延びる。ソロは美しく明るい声質で、音程も正確。声を荒げたりする演技派的な側面はない一方、旋律線がよく分かるので聴きやすい。こういう歌手による全曲盤が欲しい。

“ひたすら真面目で端正なソロと指揮者。演劇的表現より音楽性重視の印象”

アンドルー・デイヴィス指揮 トロント交響楽団、エヴァ・マルトン(S)

(録音:1985年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 《ダナエの愛》の交響的断章に、マルトンのソロで《4つの最後の歌》、指揮者自身のピアノ伴奏で2つの歌曲《献呈》《葵》をカップリングした、ライヴ録音アルバムより。マルトンは後にメータ/ベルリン・フィルと全曲録音もしている。

 A・デイヴィスはR・シュトラウス録音に積極的で、同オケとの《英雄の生涯》、ロンドン・フィルとのアルプス交響曲、ロンドン響&テ・カナワとの歌曲集、メルボルン響とのシュトラウス・シリーズ、コヴェント・ガーデン王立歌劇場との《ばらの騎士》、映像ソフトでメトロポリタン歌劇場での《カプリッチョ》がある。

 指揮者もソリストもすこぶる丁寧な表現で、且つ真面目な性格なので、双方のベクトルは一致しているのだが、演劇的身振りや退廃的なムードを求めるリスナーには、あまりに清潔な演奏に聴こえるかもしれない。特に指揮者の方は、表現が慎重にまとまる傾向があり、さらなるスケールの大きさと豪放な力感が欲しくなる感は否めない。その分、細部の彫琢は緻密。

 マルトンも、ひたすら端正な歌いっぷり。持ち前のパワフルな声量と正確な音程感は、大編成の伴奏を従えるシュトラウス作品では確かにプラスに働きますが、いかんせん音楽的完成を重視といった所でしょうか。演技面の熱っぽい表現も皆無ではないものの、マルフィターノのぞっとするような妖しさや、ストラータスのコケティッシュなサロメ像とはかなり距離を置いた、良くも悪くも立派な歌唱。

[オペラ全曲CD]

“軽快なタッチと流麗な筆致、等身大の語り口で、時代の一歩先をゆくセンス”

シルヴィオ・ヴァルヴィーゾ指揮 バーゼル歌劇場管弦楽団

 モンセラ・カバリエ(サロメ)、アレクサンダー・ヴェリッシュ(ヨカナーン)

 ズビスラフ・ヴォズニアク(ヘロデ王)、ザビーネ・ジマー(ヘロディアス)

(録音:1958年  レーベル:メンブラン)  *モノラル

 軽妙洒脱な芸風で知られるスイスの指揮者、ヴァルヴィーゾの珍しいライヴ盤。実はバイロイトでワーグナーもよく振っていて、《マイスタージンガー》のライヴ盤が出ている他、シュターツカペレ・ドレスデンとワーグナーの管弦楽曲集も録音しているなど、意外に芸風の広い人。R・シュトラウスでは、ウィーン・フィルとの《ばらの騎士》抜粋盤(デッカ)も有名。

 当盤は歪みが多少あるし、時折音が揺れたりはするが、年代を考えると奇跡的と言えるほど鮮明で聴きやすい音質。木管の細かい動きや弦の繊細なトレモロも、鮮明に耳に入ってくる。ただ、《7つのヴェールの踊り》だけは疑似ステレオみたいになって高音域がこもり、混濁や歪みが増すなど、急に音が劣化するのが不可解。良かれというつもりで、他から取ってきた音源を繋げたのかもしれない。

 演奏はハイセンスで、軽快なタッチと流麗な筆致が実にユニーク。迫力や大音響よりも細部まで明晰な響きを求め、等身大の語り口で聴かせる。テンポは基本的に速めで、ルバートや溜めは最小限。ごく自然にオペラ指揮者としてピットいる風情で、上段に構えた所がない。しかし色彩感は豊かで、サロメが褒美を要求するくだりや最後の場面では、鋭い音感とモダンな音響センスが圧巻。気宇の大きさも備えている。

 オケがまた上手く、トゥッティもソロも一級オケに匹敵するパフォーマンス。室内楽的な合奏は見事だし、各パートの鋭敏なセンスなど、時代の一足先を行く表現ではないかと思える。ソノリティも豊麗で、弦のみずみずしいカンタービレも魅力的。トランペットの最高音域も、ノーミスでクリアしている。ウィーン・フィルのセッション録音でも後年と較べて遜色が感じられる50年代に、このクオリティでライヴ音源を残すとは、相当に優秀な団体なのではないか。

 歌手はカバリエを筆頭に端正なスタイルで、音程も良く、美しい歌唱。唯一、ヴォズニアクだけは芝居っ気もあるが、基本的にこの時代のオペラ演奏は、過剰に演劇的な身振りは持ち込まない感じがある。あくまで演技より音楽を重視という事か。近現代の作品では、バリトンやバスは音程が聴き取りにくいとセリフみたいに聴こえがちだが、当盤でははっきり旋律線が聴き取れるのがメリット。

 カバリエは無用にエキセントリックな所がなく、美声で一音一音を丁寧に歌ってゆくが、ヨカナーンの首を要求する辺りからは、持ち前のパワフルな表現力を発揮。最後の場面に至って、ドラマティックな歌唱で聴き手を圧倒するセンスは非凡という他ない。

“スコアを知り尽くした指揮者と、オケの緻密な合奏。ライヴによる隠れた名盤”

ルドルフ・ケンペ指揮 フランス国立管弦楽団

 レオニー・リザネク(サロメ)、トーマス・スチュワート(ヨカナーン)

 ジョン・ヴィッカーズ(ヘロデ王)、ルース・ヘッセ(ヘロディアス)

(録音:1974年  レーベル:Golden Melodram)

 オランジェ音楽祭のライヴ録音。ケンペのファンの間では、名盤として知られる音源のようである。フランス国立管との顔合わせは大変珍しい。非常に鮮明なステレオ録音だが、歪みが多少ある他、冒頭など左右のチャンネル定位に少し不安定な箇所がある。また、歌手が舞台上を動き回るのに合わせて声が遠くなったり、メジャー・レーベルのライヴ盤と較べると、さすがにクオリティには遜色がある。

 特筆したいのが、ケンペの指揮。まず、速めのテンポで引き締まった造形を維持しながら、緻密なオーケストレーションの綾を徹底的にクリアに彫琢した、その手腕に驚く。オケもケンペの棒にぴたりと付けているし、細密画のようなスコアを、腕利き揃いの各パートが完璧に再現しており、作品を知り尽くした指揮者との相乗効果は計り知れない。

 さらにケンペは、フレーズを表情豊かに歌わせ、しなやかなラインを紡いで、異様なオブセッションと迫力で押されがちなこのオペラから、精緻でリリカルな側面を描き出してもいる。オケを大音量で鳴らす事を注意深く避け、基本ヴォリュームを八割程度に設定する事で、ダイナミクスのニュアンスが増大。通常はトゥッティの全強奏で圧倒してくるような箇所も、ヴィブラートの効いたトランペットが朗々と響き渡ったり、ああ、シュトラウスが意図したのはこういう音響だったのかと、感心する事しきり。

 指揮者が力で押さないアプローチを採っているせいか、歌唱陣もオケと張り合って無理に叫ぶような歌い方はせず、音程が乱れないのでとても聴きやすい。みな芝居っ気を出さない、端正かつ真面目な歌唱だが、後年ヘロディアスも歌っているリザネク以下、カラヤンお気に入りのスチュワートやヴィッカーズが男性陣を固めるなど、配役も声の美しさと音楽性を重視した感じ。オケも会場もフランスながら、脇役陣のキャスト表もほとんどが独墺系歌手の配役も本気度高し。

“意外に楷書的なカラヤンの指揮。ソロもオーソドックスな表現に終始”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ヒルデガルド・ベーレンス(サロメ)、ホセ・ヴァン・ダム(ヨカナーン)

 カール=ウォルター・ベーム(ヘロデ王)、アグネス・バルツァ(ヘロディアス)

(録音:1977、78年  レーベル:EMIクラシックス)

 カラヤン唯一のサロメ録音は、ウィーン・フィルを起用。EMIレーベルには珍しく、デッカが使っていたゾフィエンザールでの収録だが、強音部で歪みがあり、歌手の声が埋もれがちな箇所も散見される。細部はクリアにキャッチされていて、オケも意外に透明。木管ソロやチェレスタの動きなど、ディティールをよく拾っている録音。

 ベーレンスもカラヤンもやや楷書的な表現だが、サロメとヨカナーンのやり取りがエスカレートする所など、テンポの上げ方も含め、双方共になかなかの演出力。最後の場面に至ってはオケも俄然雄弁さを増し、それに伴ってサロメも自由度を増す。ただし退廃や狂気性はあまりなく、あくまで真面目な歌唱。カラヤンの棒も、曲が元々芝居掛かっているせいか、個性派揃いのディスクの中では大人しく聴こえる。

 カラヤンはいつも、突出して癖の強い歌手は使わない傾向があるように思うが、ベーレンスもダムも、音楽的な表現と声の美しさを優先させた、手堅いキャスティングという印象。その代わりというか、多彩な声色を駆使して芸達者なベーム、凄味のある笑い声にゾっとさせられるバルツァが迫力を発揮。ちなみに、第一のユダヤ人はハインツ・ツェドニク、第二の兵士はクルト・リドルが歌っている。

“ノーマンによる異色のサロメ像と、陰影が濃く、体温を感じさせるオケの響きがユニーク”

小澤征爾指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

 ジェシー・ノーマン(サロメ)、ジェイムズ・モリス(ヨカナーン)

 ワルター・ラフェイナー(ヘロデ王)、カースティン・ウィット(ヘロディアス)

(録音:1990年  レーベル:フィリップス)

 小澤は《エレクトラ》をボストン響と演奏会形式でライヴ録音しているが、こちらはスタジオ収録。長い録音歴を持つこの指揮者の、ドレスデン国立管との唯一の録音でもある。ノーマンと組んだ小澤のオペラ録音は、フランス国立管との《カルメン》もあるが、当盤も負けず劣らずノーマンのイメージとは程遠い役柄。伝統あるフィリップス・レーベルにしては、いずれもきわどい企画である。

 小澤の表現は余裕たっぷりで、遅めのテンポであらゆるフレーズを伸び伸びと歌わせる。ただし厳しい緊張感や異様なオブセッションは聴かれず、健康的な表現。あくまで純音楽的にスコアと対峙する彼の姿勢は、このような演奏に結びついても当然と言えそうである。細部の緻密な処理もさすがで、音響的なクリアネスも見事。

 全体に陰影が濃く、造形の彫りが深い印象を与えるのは、オケの特質もあるのかも。艶やかで暖かみのある音色は、このオペラには異例とも言える体温を演奏に与えている。《7つのヴェールの踊り》では、部分的にかなりテンポを落として、木管ソロの妙技をじっくり聴かせる場面もある。全強奏も角が立たず、全体にマイルドでリリカルな《サロメ》という感じ。

 歌唱陣では、ノーマンとモリスがやっぱり独特。ノーマンは意外にも自在なフットワークで多彩な表現を聴かせるが、役にふさわしいかどうかで言えば、やはりブラインドで聴かされたら違和感があるだろう。モリスは金属的な声質に特色があり、こういう声のヨカナーンは異色のキャスティング。むしろヘロデ王のイメージでは?

 逆にヘロデ王とヘロディアス、ナラボート以下の脇を受け持つ歌手達はまろやかな美声で、聴きやすい歌唱。王と王妃はアクの強い歌手が受け持つ事も多いので、好みを分つ配役とも言えるが、指揮者の穏健なスタイルには合っているし、主役陣の異色性を際立たせる意味で成功している。第4のユダヤ人と奴隷を、アンドレアス・シュミットが担当しているのも豪華。

“ドラマに即して音響的取捨選択を行うシノーポリ。スチューダーの軽妙なソロも個性的”

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 ベルリン・ドイツオペラ管弦楽団

 チェリル・スチューダー(サロメ)、ブリン・ターフェル(ヨカナーン)

 ホルスト・ヒースターマン(ヘロデ王)、レオニー・リザネク(ヘロディアス)

(録音:1990年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 シノーポリの同曲には同じオケを振ったライヴ映像もあるが、キャストが違うのと、イエス・キリスト教会のセッション収録で残響が豊富。それでいて細かい音は明瞭にキャッチされており、冒頭のクラリネットの上昇音型からして、思わず引き込まれるような音世界。

 シノーポリの棒は、錯綜したスコアから、自身が構築したドラマにふさわしい要素を取捨選択して聴かせる特異なスタイル。全てを明晰に聴かせる方向とは全く違う。例えば、開巻早々のナラボートの歌詞に「月がダンスをしているよう」という比喩があるが、その背後で打楽器が刻むリズムをこれほど強調して聴かせる演奏は稀である。この調子で、普段聴こえないパートや音の動きがあちこちで耳に入ってくるので、あれ、こんな曲だったっけ?と思わされる事もしばしば。

 全体にテンションが高く、熱気に満ちているのも独特で、テンポ・ルバートも芝居がかって聴こえる箇所がある。サロメがヨカナーンを見たいと言い出す辺りから、すでに不穏な空気が漂い始めるのはシノーポリならではのドラマ・メイキング。後半もゾッとするような迫力があり、《7つのヴェールの踊り》も冒頭から異様な重厚さ。シンバル、グロッケンシュピールやタンバリンなど、打楽器の効果は随所で鮮烈に生かされる。オケのソノリティも豊麗で、艶っぽくしなやかな響きが魅力的。

 歌手の声が埋もれがちな録音で、地下から響くヨカナーンの声などは残響過多。ターフェルを起用しながら、今ひとつその魅力を生かしきれない憾みも残る。逆に好印象なのは、スチューダーの軽めの美声。作曲者が「モーツァルトのように」と指示したと伝えられる曲だが、彼女のよく変化する声色やフットワークの軽さ、高域の伸び具合は、正にモーツァルトのオペラにふさわしい表現。

 レオニー・リザネクの起用も聴き所だが、ここではヘロデ王の、演劇的で芸達者な歌唱が圧倒的。やや金属的な声質も、役のキャラクターと合致している。シノーポリのディレクションか、まるで熱に浮かされたかのように歌うナラボート役のクレメンス・ビーバーも、特有のムードを表出。

“珍しいフランス語版。ユニーク極まりないナガノの指揮の一方、歌唱陣は非力で残念”

ケント・ナガノ指揮 リヨン歌劇場管弦楽団

 カレン・ハフストッド(サロメ)、ホセ・ヴァン・ダム(ヨカナーン)

 ジーン・デュポイ(ヘロデ王)、エレーヌ・ジョソー(ヘロディアス)

(録音:1990年  レーベル:ヴァージン・クラシックス)

 作曲家自身が関わったフランス語版による、珍しい録音。当コンビのR・シュトラウス録音は、他に《ナクソス島のアリアドネ》オリジナル版と《町人貴族》の組み合わせもあり。

 歌手のパートは苦心してアレンジされたようで、冒頭のナラボートの歌い出しなど、ドイツ語版とは旋律的に印象が異なる。オーケストレーションにも多少手を加えているようだが、私には判別できなかった。このエディションの経緯はライナーノートに詳しく、作曲家の手紙も幾つか掲載されているが、国内盤は出た事がないようで、英語かフランス語が読めないと厳しい。

 ナガノの指揮が全く独特で、スコアの細部まで解像度高く照射しているのはこの指揮者らしいが、フレーズの息が短く、タッチが軽いのは実にユニークなデッサン。短い音型の繰り返しなど、小さな単位で敏感に反応する傾向があり、《7つのヴェールの踊り》も、イントロから音圧の低さとリズムの軽さに驚かされる。

 物語へ寄り添う能力も高く、サロメとヨカナーンのやり取りなど、独特の不穏なムードと熱気、ドラマティックな起伏の作り方に、ナガノらしい語り口の妙がよく出ている。ソノリティも豊麗で艶やか。響きが透明で厚みがなく、大音響で迫り来るような箇所はないものの、フランスのオケは案外R・シュトラウスと相性が良いようである。

 歌手陣はやや非力。ベテランのダム以外は新進かローカルな歌手なのか、サロメをはじめみんな表情豊かに熱演しているものの、どこか真に迫らず、肝心なネジが緩い印象を与える。ダムが若者っぽくないとか、ヘロディアスの小性のアルト感が強く、あまり小性らしくないとか、キャスティング面の難もあり。

“熱血漢を地でゆく、迫力満点のメータ&ベルリン・フィルとパワフルな歌唱陣”

ズービン・メータ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 エヴァ・マルトン(サロメ)、ベルント・ヴァイクル(ヨカナーン)

 ハインツ・ツェドニク(ヘロデ王)、ブリギッテ・ファスベンダー(ヘロディアス)

(録音:1990年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 当コンビのR・シュトラウス録音は他に、《家庭交響曲》《ブルレスケ》、《アルプス交響曲》、ホルン協奏曲、《英雄の生涯》、オペラ管弦楽曲集と数多いが、オペラはこれが唯一。90年はなぜか同曲録音の当たり年で、他にも小澤盤、シノーポリ盤、ナガノ盤が録音された他、シノーポリにはライヴ映像の収録もある。マルトンのサロメは、86年にA・デイヴィス/トロント響とライヴ収録した《最後の場面》も出ている。

 メータの指揮がとにかく強力。かつてのグラマラスな彼が帰ってきたかのように豊麗かつパワフルな響きで、全編に渡って高い集中力と緊張感で一気に聴かせてしまう。オケのサウンドも凄絶で、切れば血の吹き出るような、有機的な迫力に溢れた音響が鳴り響くさまは圧巻。ティンパニの鮮烈な強打を効果的に盛り込み、登場人物を挑発するようにドラマを煽る手腕も一級。

 特に終盤の、サロメ狂乱の後にヘロデ王の歌唱が入る箇所は、エッジの効いたオケの激昂が印象的だし、ヨカナーンの首が上がってくる箇所や最後の山場など、思わず後ずさりしてしまうほどの圧倒的な音響が鳴り渡る。その一方、細部の緻密な処理においても一頭抜きん出ており、オケの優秀さも手伝って、スコアの完璧な再現を達成。弦のハイ・ポジションによる最弱音のトレモロなど、息を飲むほどに繊細で美しい。

 メータは複雑なテクスチュアに隠された、軽妙なリズム動機やオスティナートのフレーズも丹念に拾っていて、そういった細かい音の動きを、これほど巧みに浮き彫りにした演奏は希有と言えるかもしれない。とりわけ、よく弾む軽快なリズムと切れ味の鋭いスタッカートは、横の線が重視されがちなR・シュトラウス作品に別の光を当てた印象もある。

 歌唱陣は、マルトンもヴァイクルも艶やかな声で表情豊かに歌っているが、性格的には真面目な表現。正攻法の迫力と音楽性重視で、妙な芝居っ気はちらつかせない。後者はベーム指揮の映画版でも歌っている。

 面白いのはヘロデとヘロディアスに、ツェドニク、ファスベンダーという実にアクの強い歌手を並べている所で、主役二人の端正さとは好対照。構成的には第2幕の開始ともいえるヘロデ王登場の瞬間において、ツェドニクの金属的な声と神経質な歌い口が入ってくると、それだけでさっと空気が変わって場面転換がなされるのはユニーク。芝居がかったデフォルメの効いたファスベンダーの歌唱も強烈。

“録音のせいか、持ち前の妙味が出ないドホナーニ。サロメとヘロデ王の歌唱が圧巻”

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 キャスリン・マルフィターノ(サロメ)、ブリン・ターフェル(ヨカナーン)

 ケネス・リーゲル(ヘロデ王)、ハンナ・シュヴァルツ(ヘロディアス)

(録音:1994年  レーベル:デッカ)

 ドホナーニの同曲はロイヤル・オペラのライヴ映像も出ており、メイン・キャストもシュヴァルツ以外共通。こちらはコンツェルトハウスでの収録で、デッカ特有のサウンドにならなかったのは少々残念。

 演奏は非常に充実したものだが、ややストレートな表現で、当コンビの他のディスクと較べると、突き抜けた面白さはあまり出ていない印象。さほどディティールをフィーチャーしない録音の傾向もある。シノーポリのような熱っぽい迫力で押す指揮者ではないので、細部に宿るドラマ性が録音でうまく再現されないと、本領が伝わらないのかも。ロイヤル・オペラの映像は凄い演奏なので、オケのパートに関してはそちらを推す。

 マルフィターノは幅広い音域に渡る表現力が図抜けている上、シノーポリ指揮の映像でも分かる通り身体表現や演技力も卓越していて、視覚面を別にすれば正に適役。特に高音域の伸びと、ゾっとするような声色の変化、それと逆の低音域の迫力は特筆大書したい所。ターフェルは、持ち前の芸達者さはあまり出ていないが、シノーポリ盤のように過剰な残響に包まれていないので、力強い声で存在感がある。

 うまいのがリーゲル。ヘロデは癖と芝居っ気のある芸達者な歌手が歌う事が多く、当盤もその系列。中盤以降は彼の独壇場という印象すら与えるが、対照的にシュヴァルツが淡白で、音楽的にはともかく、役にはあまり合っていない感じ。彼女はワーグナーやベルクなど近代オペラによく起用される実力派だし、ベーム指揮の映像では小性の役を歌っているが、ヘロディアスにはやはり、何かしら不気味な迫力が欲しい。

[DVD]

“コケティッシュで子供っぽいサロメ像を独創的に展開した映画版”

カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 テレサ・ストラータス(サロメ)、ベルント・ヴァイクル(ヨカナーン)

 ハンス・バイラー(ヘロデ王)、アストリッド・ヴァルナイ(ヘロディアス)

演出:ゲッツ・フリードリヒ  (収録:1974年)

 ユニテル制作の映画版。後にベルリン・ドイツ・オペラの総監督となる、ゲッツ・フリードリヒが演出を担当しいる。後年ヘロディアスも歌っているハンナ・シュヴァルツが小性にキャスティングされているのも見所。ベームはこの7年後、同じフリードリヒ演出で《エレクトラ》の映画も制作しているが、それが彼の最後の録音となった。

 ベームの棒は意外に推進力が強く、ドラマをぐいぐい牽引。差し迫ったやり取りの多いこのオペラでは、こういうテンポの良い掛け合いが有効で、さすがは作曲者と親交があった人の解釈だけある。オケも艶やかな音色だが、音質がやや古く、細部がもどかしいのは残念。歌手の声がクリアに収録されているのに、オケの距離感が遠い。ただ、ベームはディティールも克明に処理していて、演奏自体の聴き応えも充分。スコアに一家言あるような味わい深い演奏は、他盤と一線を画する。

 ユニークなのが、ストラータス。最初は生意気な小娘のようなキャラクター造形で、コケティッシュではあっても妖艶さや狂気は感じられない。ヨカナーンの拒絶を受けた後も、しくしくと泣いている様が子供のようだが、ヴェールの踊りの後、髪を下ろして雰囲気が一変。ドラマに相応しい異常な挙動を見せはじめる所は、さすが演技派ストラータス、と舌を巻く。

 歌唱も独特で、早口でコロコロと歌い口を変えるサロメ像はすこぶるユニーク。井戸を開けさせようとナラボートを誘惑する箇所にはそれが強く出ていて、宙を舞うように軽やかなフレージングは、他の歌手では聴けないものだ。ナラボートへの呼びかけを、「ナ〜ッラボウッ」と浮き立つような節回しで歌っている上、フレーズを早口で畳み掛ける調子は実に個性的。

 ヴァイクルは、後にメータ盤のCDで同じ役を歌っているが、ここでは野人のような風貌で登場。異様な雰囲気を身にまとって、存在感の強さを示す。ワーグナー歌手として一世風靡したバイラーとヴァルナイも、これまた強烈な存在感で好演。特に後者は、ルックス面でのグロテスクなムードが世界観の醸成にひと役買っている。この二人は、前述の《エレクトラ》にも続いて出演。

 フリードリヒの演出は、すり鉢状、半円形の古代舞台みたいな場所にドラマを固定し、映画であるにも関わらず、その外にキャメラを出さない。中央にあるのは蓋で封印された井戸で、これは視覚的にも、ヨカナーンの存在が常に登場人物達の心理に影響している事を強調する効果がある。

 映像監督は別にクレジットされているので、キャメラワークや編集に彼がどれくらいタッチしているのか不明だが、ベルイマンの映画のように人物を横に並べて重なり合わせたり、映像演出も凝っている。ただ、時にカットが短すぎるのと、フィルム収録で画質が古いのが難点。

“良くも悪くも、マルフィターノ体当たりの熱演に全てが集約される話題盤”

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 ベルリン・ドイツオペラ管弦楽団

 キャスリン・マルフィターノ(サロメ)、サイモン・エステス(ヨカナーン)

 ホルスト・ヒースターマン(ヘロデ王)、レオニー・リザネク(ヘロディアス)

演出:ピョートル・ヴェイグル  (収録:1990年)

 シノーポリの同曲には、同年収録で同じオケを振ったセッション録音のCDもあるが、会場とキャストは違っている。芸術監督だったゲッツ・フリードリヒ(ベーム指揮の映画版の監督でもある)とシノーポリの不仲が囁かれていた時期で、ヨカナーンの首の写真に「フリードリヒの首?」とキャプションが付けられて新聞記事にされた事もあるらしい。DVDは、音声がリニアPCMではなくドルビー・デジタルで残念。

 裏事情とは関係なく舞台は大成功の様子で、カーテン・コールでのシノーポリも満足げだが、本作の映像でよくあるように、ピットの様子や指揮者の姿が全く映されない。しかもオケの響きがヴェールを被せたようにこもっていて、明瞭な歌手の声に較べて細部がもどかしいのは問題。又、オケの間奏部分になると音量レヴェルが一段階下がる印象もあり、録音調整やミックスにも問題がありそう。ピットは熱演しているようだが、CD盤のクリアな音質と素晴らしい演奏とは印象が大きく違って残念。

 マルフィターノは、視覚的にサロメらしいかどうかはともかく歌唱力が抜群で、美しい声とパワフルな底力に圧倒される。演技面も十全で、妖艶な美より狂気に焦点を当てた役作り。特にヨカナーンに拒絶された後の放心状態は異様な雰囲気で、そこに王の「踊ってくれ」という懇願が来ると、サロメの要求に強い説得力が生まれる。さらに全裸も厭わずバレリーナ並みの身体能力を披露するダンス、最後の狂乱の場における、ぞっとするような憑依型熱唱は、サロメ歌いの鏡とも言える。

 エステスも、強靭な声でパワフルそのもの。他の歌手と違って、引き締まった声質で辛口のヨカナーンという感じだが、視覚的にも音楽的にも強い存在感がある。ヘロデとヘロディアスはCDと同じ配役で、見た目にもグロテスクなムードがあるし、歌も芸達者。身体の使い方など、演技力も抜群だ。このオペラ、後半部分はこの二人が雰囲気を作っている部分もあるので、こういうドンピシャの配役は成功の鍵と言っても過言ではなさそうだ。

 ヴェイグルの演出は、階段や円柱、曲線をグラフィカルに組み合わせ、大理石を思わせる白いセットが時代設定とモダンな感性を兼ね備える。劇として新味はないが、実力派歌手達のパフォーマンスを邪魔しない点で、演出家の無駄な自意識過剰よりはずっといい。

“全く衰えを見せないマルフィターノの熱唱、才気迸るドホナーニの見事な指揮”

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団

 キャスリン・マルフィターノ(サロメ)、ブリン・ターフェル(ヨカナーン)

 ケネス・リーゲル(ヘロデ王)、アーニャ・シリヤ(ヘロディアス)

演出:リュック・ボンディ  (収録:1997年)

 92年にザルツブルグ音楽祭で初登場したリュック・ボンディのプロダクションを、ロイヤル・オペラで上演したものの映像化。オリジナルが祝祭小劇場で上演されている事からも分かるように、閉鎖的で小さな空間を意図した演出で、10年後にもハーディング指揮で映像ソフト化されている。ドホナーニはこの3年前、ウィーン・フィルと同曲をスタジオ録音しているが、キャストはリーゲル以外、全て異なっている。

 ドホナーニの指揮が何といっても素晴らしく、明瞭で抜けの良い録音のおかげもあって、聴き応え抜群。ディティールを隅々までクリアに聴かせた上、ドラマティックな起伏を構築する手腕は健在で、アゴーギク、デュナーミクの操作が全く見事。特にテンポは、ドラマに寄り添って細かく動かしていて、各場面が山場を迎える局面では、絶妙な加速で熱っぽくスリリングに盛り上げる。弱音部の緊張度も保たれ、録音に難があるウィーン・フィルとのCD盤と較べ、ドホナーニの才気が遥かによく出た演奏。

 マルフィターノのパフォーマンスは7年前のシノーポリ盤から全く衰える事がなく、歌唱、演技共に万全の完成度。ターフェルもパワフルで、歌唱、容姿も役柄にぴったり。ヘロデ王を当たり役とするリーゲルと、かつてはサロメ歌いとして絶賛を博したシリヤも、視覚面、歌唱面共に文句なしのキャスティング。シリヤはベルクの《ルル》《ヴォツェック》の録音を通じて、ドホナーニとは関係の深い歌手でもある。

 演出は、廃墟のようなセット美術など見栄えこそ地味ですが、演劇的表現が緻密で、劇の構築に強い説得力がある。例えば、褒美をめぐるヘロデとサロメのやり取りにテーブルを使い、サロメが逆上してテーブルをひっくり返す所。交渉が決裂した事を視覚的にも明確に示している。これによって、(文字通り)交渉のテーブルにしがみつこうとするヘロデ王との対比が、分かりやすく図式化される。

“逸材ミヒャエルによる注目の公演ながら、ハーディングの見事な指揮ぶりが最大の収穫”

ダニエル・ハーディング指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団

 ナディア・ミヒャエル(サロメ)、ファルク・シュトルックマン(ヨカナーン)

 ピーター・ブロンダー(ヘロデ王)、イリス・フェルミリオン(ヘロディアス)

演出:リュック・ボンディ   (収録:2007年)

 逸材ミヒャエルが注目された話題の公演(他の指揮者、演出家との別映像もあり)。優れたサロメ歌手が見つかるのは音楽ファンにとって喜ばしい事だが、私としてはむしろ、ハーディングの素晴らしい指揮を最大の聴き所として喧伝したい。録音も細部まで鮮明だが、映像に関しては時折、物陰から手持ちキャメラでこっそり撮影したような主観ショットが入るのが意味不明で、全体のトーンにも合っておらず鬱陶しい。

 ハーディングは、冒頭からラストまで細部を隈無く掘り起こし、その上でドラマティックな緩急を見事な曲線で描いてみせる。正に細部と全体の両立を、高い次元で実現したものだ。ライヴとは信じられぬほどの精度でスコアを隅々まで照射してみせるハーディングの棒が、有機的な迫力に満ちた壮絶なクライマックスを形成する様は圧巻。ドラマと、それに関連したスコアの効果を熟知した表現と言っても過言ではない。

 歌手との呼吸の合わせ方も堂に入っていて、《7つのヴェールの踊り》など、舞台上のミヒャエルに触発され、まるで一緒にダンスを踊るように艶っぽいしなを作りながら旋律線をうねらせる手腕には舌を巻く。スカラ座のオケもすこぶるうまく、驚くほど精緻なアンサンブルを繰り広げる。

 ミヒャエルは美しい声質や確かな歌唱力もさる事ながら、顔の表情や身体の使い方など、演技力が抜群。ダンスの素養があるのか、立ち方や身のこなしがバレリーナのように優美で、役柄の感情面と密接に結びついた表情によって、長丁場の場面も飽きさせない。又、メゾから出発した歌手だけに低音域もしっかりしていて、迫力も充分。クール・ビューティながらどこかコケティッシュな雰囲気もある点では、テレサ・ストラータスの衣鉢を継ぐサロメ歌いと言えるかもしれない。

 ワーグナー・バリトンとして定評のあるシュトルックマンも力強く、役柄の解釈にも説得力があるが、この役は誰が歌っても突出した個性を発揮しにくい傾向があるように思う。ユニークなのはむしろヘロデ夫妻。ブロンダーが演じるのは、小柄でちょこちょこと動く小心者の男で、短い金髪にバンダナを巻くなど容姿も独特。后の方も細身で長身、富裕層のマダムのような雰囲気は、今まであまりなかったヘロディアス像。

 ボンディのプロダクションは、10年前のドホナーニ盤からほぼ変わらず。より強調されたように感じる箇所としては、ヘロディアスの小性が、ナラボートへの接触の仕方や仕草で恋人のように読み換えられている(女声歌手による男性役だが、そのまま女性のルックスで登場)のと、サロメとヨカナーンのやり取りで、二人がどこか恋人同士に見えたり、ヨカナーンがサロメに惹かれてゆくような素振りを垣間見せる。

“あらゆる点で最上級。日本語字幕さえ付いていればトップに推したい映像ソフト”

フィリップ・ジョルダン指揮 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団

 ナディア・ミヒャエル(サロメ)、ミヒャエル・フォレ(ヨカナーン)

 トーマス・モーザー(ヘロデ王)、ミヒャエラ・シュスター(ヘロディアス)

演出:デヴィッド・マクヴィッカー   (収録:2008年)

 ミヒャエルが歌うサロメとしては、1年前のハーディング/スカラ座盤に続く映像だが、こちらも彼女のみならず、ジョルダンの指揮に圧倒される公演。演出はこちらに軍配が上がるので、このオペラの映像ソフトとしてはトップに推したいが、残念ながら日本語字幕が入っていない。広々とした空間に豊かな残響と生々しい直接音を両立させた録音も超優秀で、ぜひ国内盤を出して欲しい内容。

 ジョルダンの指揮が圧巻。ハーディングのさらに上をゆく高解像度のサウンドで、あらゆる音が鮮明に彫琢されているだけでなく、それら個別の音が艶っぽく、鮮やかな色彩感を放つ。また、繊細一辺倒ではなく、腰の強い力感に溢れ、随所でテンポを煽るアゴーギクがすこぶる雄弁でドラマティック。1幕物の本作を、凄まじいテンションと集中力で一気呵成に聴かせてしまう。

 この曲に限らずR・シュトラウス作品は、流麗さに足を取られると水平方向にダラダラと流れがちだが、ジョルダンはチェレスタや打楽器の音色、金管のエッジやオブリガートなど、オーケストレーションの効果を逃さずキャッチしていて、音楽の輪郭が非常に分かりやすい。普段埋もれている音も耳に入ってくるので、全く新鮮に聴こえる事しきり。こんな演奏を聴けば、パリ・オペラ座であれウィーン国立歌劇場であれ、総裁がこの指揮者を欲しいと思うのは当然であろう。

 ミヒャエルはやはり身体能力が高く、表情や身体表現が実に多彩で雄弁。彼女の美点は、低い音域からハイトーンまで安定して力強い声が出せる事で、しかも美しく、しなやかなフレージングで一貫している。演技力と容姿、歌唱の全てに恵まれた逸材と言えるだろう。このプロダクションは配役も素晴らしく、フォレ、モーザー、シュスターと、視覚的にも歌唱自体も非常に充実した、満足のゆく出来映え。

 演出もなかなか良くて、時代を現代寄りにしている他は妙な読み替えもほとんどないし、不快な暴力的演出もみられない。このマクヴィカー(《魔笛》で組んだC・デイヴィスも絶賛していた演出家だ)には美術の素養があるのか、セットや衣装の迫真性のみならず、歌手や俳優も、ルックスがコンセプトに合致するかどうかを考慮してキャスティングされているように見える。

 特に、ヘロディアスやヘロデの小性、兵士や召使いなど、待ちの演技をしている脇役陣の緊迫した表情や、彼らの立ち位置がまるで絵画を思わせる構図に配置されている点に注目したい。役の大小に関わらず全員の徹底した集中力が舞台全体の緊張感維持に貢献している所、故・蜷川幸雄の演出法を彷彿させもする。歌手にも役者にも細かい動作や演技が付けられているが、奇を衒ったものではなく、それがリアリティや説得力を持つ方向に働くのも美点。

“オケも歌唱も明晰かつ個性的な名演。演出は今一つ”

ダニエレ・ガッティ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

 マリン・ビストレム(サロメ)、エフゲニー・ニキーチン(ヨカナーン)

 ランス・ライアン(ヘロデ王)、ドリス・ゾッフェル(ヘロディアス)

演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ   (収録:2017年)

 オランダ国立歌劇場でのライヴ映像。現代演劇で注目を集めるオランダの演出家ホーヴェによる新プロダクションで、スウェーデンのソプラノ歌手ビストレム、セクハラ疑惑で短期解任されたガッティとコンセルトヘボウ管の唯一のオペラ映像として、稀少な1枚。2枚組のSACD/CDハイブリッド盤も別途発売。ガッティのR・シュトラウスはウィーン国立歌劇場の《エレクトラ》、フィレンツェ五月祭の《ナクソス》の映像もある。

 オケも歌手も音程が正確で、和声感が明瞭に出ていて、曲そのものが非常によく分かる演奏。こういう不協和音と半音階進行の多い曲は歌手が正確に歌う事が重要で、《エレクトラ》や《ルル》、《ヴォツェック》、《青ひげ公の城》などもこういう演奏で聴きたい。ガッティの音楽作りは緻密そのもので、一流のシンフォニー・オケによる精度の高い表現と相まって、スコアに埋もれていた信じられないほどの情報量に気付かされる。

 力感にも欠ける事なく、ヨカナーン退場後のオケの間奏部を、速めのテンポでぐいぐい煽ってゆく辺りもスリリング。又、バスの声部を、トロンボーンを際立たせてエッジーに切り出す事で、ソノリティ全体を明晰に聴かせる手法は見事。ヨカナーンの首が地下から上がってくる場面は、その前後も含めて凄まじい緊迫感があり、聴き手を震撼させる。 

 ビストレムはハリウッド女優のような金髪美女で、色白の容姿に白の衣装で登場。視覚的にも、月のイメージそのものになっている。歌唱も正確で美しく、迫真の演技力も含め、なかなかの逸材。身体能力も高いようだ。ニキーチンはマリインスキー劇場の常連で、巨躯を生かした熊のようにワイルドな存在感が独特。歌唱もパワフルで、技術的にも確か。

 メータやバレンボイム/スカラ座の《リング》映像でジークフリートを歌っているライアンは、性格俳優の演技を思わせてユニーク。バスやバリトンの役柄は、特に近現代作品では音程が聴き取りにくくなりがちだが、彼は喋り口調を交える方向には行かず、正確な音程で歌いつつ、ちゃんとメロディに聴こえるのが新鮮。ゾッフェルも過剰な芝居をせず、抑制を効かせた上で役柄に合った歌唱。

 演出は感心しない。シンプルな舞台セットを用い、無駄な読み替えもしていない所は好感が持てるが、《7つのヴェールの踊り》でサロメとヨカナーンが踊る映像を背景に映すのは陳腐なアイデア。狂乱の場も血のりを使い、首ではなく全身を出すなど、グロテスクな上に説明的すぎる演出。ヴェールの踊りの途中から群衆も一緒に踊り出すのは、視覚的にもシュールで悪くない。

“細部より流れ重視の管弦楽。グリゴリアンの凄さに圧倒されるも、演出は最悪”

フランツ・ヴェルザー=メスト指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 アスミク・グリゴリアン(サロメ)、ガボール・ブレッツ(ヨカナーン)

 ジョン・ダスザック(ヘロデ王)、アンナ・マリア・キウーリ(ヘロディアス)

演出:ロメオ・カステルッチ   (収録:2018年)

 ザツツブルグ音楽祭ライヴ。同コンビには他に、《ばらの騎士》《ダナエの愛》《エレクトラ》の映像ソフトもあり。注目は当時話題のソプラノ歌手グリゴリアンだが、古楽系のユリアン・プレガルディエンがナラボートを歌っているのも面白い配役。

 大劇場ではなくフェルゼンライトシューレでの収録で、残響が多いもののやや遠目の距離感。そのせいで細部が聴き取りにくい感じはあるが、演奏自体もディティールを立たせるより、音楽の流れを勢いで聴かせる方向。ジョルダンやハーディングとは対照的、シノーポリに近い流儀である。遅めのテンポで粘性が強く、吸い付くようなフレージングを聴かせる管弦楽は、その重さと不穏さがユニークだが、音の録り方のせいでどうも印象が薄いのが残念。

 歌唱陣は、演劇性を保持しながらもフレーズを美しく歌う方向で、旋律として聴き易いのは美点。ヨカナーンやヘロデ王の印象が薄いのは、歌手よりむしろ演出のせいかもしれない。王は企業のエグゼクティヴみたいで変態性も退廃性もまるで無いし、ヨカナーンはそもそも姿がほとんど見えない。

 逆に女性2人はインパクトが強く、チウリが異様な存在感を放つ他、やはりグリゴリアンの容姿、演技、歌唱が圧倒的。王への執拗な要求を全て違う声色で歌い分けている他、オケの大音響にも負けないパワフルな声を、あくまでも美しく伸ばし切るのが凄い。それも、まるで独り言でもつぶやくみたいに、斜め上辺りを見ながら眉毛一つ動かさず発声するから驚く。何かに怯えるように、息せき切って登場するのも独特。

 演出は、私の知る限り最悪のセンス。動作も事象も小道具・大道具も、何かにつけて直接描かず、全てをメタファーにしてしまう韜晦趣味は、どこまでも人工的で面倒くさい。時代は近現代に移され、男性たちはスーツにネクタイ姿で顔の下半分を赤く塗られ、女性はヘロディアスが緑色、サロメは顔の色なしで純白の衣装。

 ヨカナーンは全身真っ黒のカラスみたいな風体で、背後の影にまみれて何が何だかよく分からない仕掛け。その影もゆっくり拡大してゆくのは、サロメと併せて月の満ち欠けか、月食の隠喩か。その穴からは黒馬(本物)が顔を出し、狂乱の場では馬の生首がヨカナーンのそれに表象される。サロメは踊らず、舞曲が終わるまでジュエリー・ショップの陳列台みたいなものに黒のリボンで固定されて微動だにしない。 

 演出家に言わせればそれぞれに御託はあるのだろうが、識者たちの口論の背後でボクシングの静止画撮影をさせるくらいだから、隠喩の深さもたかが知れている様子。ヘロデ王を中心に、いちいち奇妙な所作を振付けるのもとにかく邪魔。それでも欧米の人はこういう象徴主義が好きなのか、演出チームにも盛大なブラヴォーを浴びせる。ちなみにこの会場で特徴的な、舞台の岩壁に並ぶ開口部は全てふさがれている。

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