ドヴォルザーク / 交響曲第9番《新世界より》

概観

 世界中で人気のマスター・ピース。旋律美に惹かれがちな日本人だけが好きな曲かと思ったら、案外そうでもなく、次から次に新譜が出る所を見ると、トップクラスの売れ線シンフォニーのようです。実は私、アメリカで黒人霊歌の影響を受けた後のドヴォルザークは苦手で、この曲も本当はあまり好きではないのですが、内外オケの演奏会でもちょっと偏り過ぎなほど頻繁に演奏されているので、世間一般では好きな人が多いんでしょうね。

 発売点数は膨大ですが、名盤も多い気がします。好きじゃない曲をこんなに聴いているのもおかしな話ですが、私のコメントはなぜか好意的なものがほとんど。世間で評価されていなくても「もの凄い名演だ」と感じる、隠れた名盤は少なくありません。

 ドラティの新旧両盤、ケルテス/ウィーン盤、アンチェル/チェコ盤、クーベリック/ベルリン盤、A・デイヴィス盤、コンドラシン盤、マリナー盤、ドホナーニ盤、シャイー盤、マッケラス盤、佐渡裕盤、ネルソンス盤などは、どれも素晴らしいお薦めディスクです。

*紹介ディスク一覧

56年 クーベリック/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 

57年 ケンペ/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

58年 アンチェル/ウィーン交響楽団   

59年 ドラティ/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

59年 シルヴェストリ/フランス国立放送管弦楽団  

60年 パレー/デトロイト交響楽団   

60年 ケルテス/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

61年 アンチェル/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団  

66年 ケルテス/ロンドン交響楽団  

66年 ドラティ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

70年 プレートル/パリ管弦楽団  

72年 クーベリック/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 

75年 小澤征爾/サンフランシスコ交響楽団

71年 ケンペ/チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団

73年 ストコフスキー/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

75年 メータ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

76年 ムーティ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団  

77年 C・デイヴィス/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

77年 ジュリーニ/シカゴ交響楽団

79年 A・デイヴィス/フィルハーモニア管弦楽団

79年 コンドラシン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

82年 朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団

82年 マゼール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

84年 テンシュテット/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 

84年 マリナー/ミネソタ管弦楽団

84年 ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団

85年 カラヤン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 

86年 サイモン/ロンドン交響楽団   

87年 シャイー/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

88年 サヴァリッシュ/フィラデルフィア管弦楽団   

88年 ヤンソンス/オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

90年 プレヴィン/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

91年 小澤征爾/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

92年 ジュリーニ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

94年 レヴァイン/シュターツカペレ・ドレスデン

  → 後半リストへ続く

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“既にして確固たる自分の解釈を貫徹する、壮年期のクーベリック”

ラファエル・クーベリック指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1956年  レーベル:デッカ)

 何度もこの曲をレコーディングしている、クーベリック初のステレオ録音。晩年のリハーサル映像でチェコ・フィルを相手に、「私は何度もこの曲を録音した。シカゴ、ウィーン、ベルリン、バイエルン」と録音相手のオケを挙げ、「チェコらしさを出すのに苦労したよ」と自慢げに述懐していたのが微笑ましかったです。ステレオ最初期の録音だけあって、弦楽合奏が少しこもったり、ティンパニの音がドライで軽いなど、技術的に過渡期の印象もありますが、金管の強奏を伴うトゥッティにはエネルギー感があり、歪みも目立たないしスケールが大きいです。

 第1楽章は、序奏部で録音の古さが気になりますが、主部は覇気があり、ソノリティもみずみずしい光沢を放ちます。アーティキュレーションや強弱など、細部のニュアンスを徹底的に描写していて、この時期のクーベリックが既に確固たる自分の解釈を用意していた事がよく分かります。鋭いアタックや歯切れの良いスタッカートがシャープな印象を与えますが、控えめにポルタメントも用いた艶やかな歌は印象的。表情も雄弁で、生彩に富んだパフォーマンスを繰り広げます。

 第2楽章も、弦の響きやイングリッシュ・ホルンのバランスなど、後のステレオ録音であればもう少し自然なサウンドになるのでしょうが、世代によってはこれをノスタルジックに感じる人もいるかもしれません。演奏自体は飾り気のない素朴な表現ですが、旋律線に深い共感が表され、オケも細やかな表現力で応えています。ウィーン・フィルらしい弦のカンタービレもさすが。クライマックスは力感が漲り、壮麗なブラスの強奏が印象的です。

 第3楽章は、切れ味の鋭いリズムを克明に刻み付け、峻厳な造形と合奏の統率が見事ですが、ティンパニというより太鼓に聴こえるポコポコとした打音がどうにも気になります。むしろトリオなど、弱音部の生き生きとした表情の方が、気持ちよく聴ける感じ。

 第4楽章も、渾身の力が込められたアインザッツの鋭さと音圧に、強靭な意志を感じます。近年はこういう、気迫で聴き手を圧倒するような演奏はあまり聴かれなくなりました。第2主題とその展開も、「こう演奏したい」という明確な意識が徹底していて、漫然と流れてゆくような曖昧な所が全くありません。正にこれ以上ないほど説得力の強いスコア解釈で、ブラスの咆哮を伴う凄絶なトゥッティも、エネルギーと熱量が尋常ではありません。

“優れた合奏と解釈ながら、第4楽章のクオリティだけが突出する印象”

ルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1957年  レーベル:テスタメント)

 ケンペ最初の《新世界》録音と思われますが、グリューネヴァルト教会でのステレオ収録です。やや音にこもりもあって、当コンビとしてはイエス・キリスト教会におけるモノラル録音(シューマンなど)の方が遥かに鮮明と感じますが、それでも時代を考えると良好な音質と言えるかもしれません。

 第1楽章は、序奏からホルンもティンパニもややくぐもった音。主部は落ち着いたテンポで丁寧に進め、スタッカートの切れが良いので、おっとりした感じにはならず明敏。弦の音色が瑞々しく、合奏も生気に溢れます。コーダは金管の鋭利なリズムと潤いのある響きが素晴らしく、少しテンポを煽るのも効果的。

 第2楽章は知情意のバランスが取れ、感情過多には陥りません。スロー・テンポで荘厳なイントロも印象的。起伏は大きく、中間部など、前のめりのアゴーギクで熱い感興を内に秘める箇所もあります。第3楽章は遅めのテンポで、克明な表現。アクセントはさほどきつくないですが、音圧が高いのはベルリン・フィルらしい所。トリオをはじめ、旋律線は情感豊かです。

 第4楽章はスピーディなテンポで爽快。前進力が強く、凛々しい性格で、響きも重くなりすぎません。オケの優秀さがよく出て、合奏が緊密そのもの。音色も鮮烈で、リズムの切れも抜群です。アゴーギクのコントロールが見事で、唖然とするほど巧妙な棒さばき。ここぞというタイミングで、素晴らしくテンポが引き締まります。精悍な表現に圧倒される思いですが、前3楽章がこのレヴェルに達していないのは残念。コーダは一気にアッチェレランド。

“ステレオながら劣悪な音質で、まともに評価できないアンチェル旧盤”

カレル・アンチェル指揮 ウィーン交響楽団

(録音:1958年  レーベル:フィリップス)

 当コンビの数少ないフィリップス録音で、スラヴ舞曲集(作品46)も録音していますが、同年の収録なのにそちらはモノラルです。アンチェルの当曲は、後にチェコ・フィルとの録音もあり。こちらはかなりこもった音質で、細部の解像度ももどかしく、細かく音切れもあり。すっきりと清澄爽快なチェコ盤とは印象がかなり異なります。オケの柔らかな響きが出ていると言えなくもないですが、アンチェルの持ち味にはそぐわないサウンド。

 第1楽章は速めのイン・テンポでタイトに造形していますが、抜けの悪い録音のせいで、まともな録音として聴く気が失せます。ホルンのアクセントなど鋭いアクセントが効いていて、各パートにも豊かな歌心はある様子。演奏自体は悪くないようです。第2楽章は冒頭の管のピッチが甘く、和音が混濁。かなり速めのテンポで流れるように進行しますが、肝心のディティールが曖昧模糊としていて、素直に耳に入ってきません。

 第3楽章もスピーディなテンポでシャープに造形。ただし物量が増すほど響きが飽和し、何をやっているのか分からなくなります。弱音部も茫洋として聴き取りにくいし、オケの技術力も一級とは言えない様子。第4楽章はオケと指揮者、双方の良さが少し出てくるようですが、音質の問題は付いて回ります。アンチェルの同曲なら、チェコ盤があれば十分でしょう。

“壮年と晩年のドラティ双方が垣間見える、モダンで味わい深い驚異的名演”

アンタル・ドラティ指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1959年  レーベル:フィリップス)

 ドラティは、最晩年の80年代前半に至るまで、長期間に渡ってコンセルトヘボウ管とレコーディングを行っていますが、当盤はその最初期のもの。音質は非常に鮮明で、古さをあまり感じさせない一方、デッカのフェイズ4を思わせるようなマルチ・チャンネル的な分離の良さがあり、それにフィリップスらしい豊かな残響を融合させたようなサウンドです。

 第1楽章は、序奏部の慎ましやかなホルン、弦とティンパニの異様に粒立ちがくっきりした造形など、表情が独特。主部は速いテンポで開始し、強い推進力を示しながらも、僅かにアゴーギクを操作しつつ各部の表情を掘り下げる等、堂に入った棒さばき。音の立ち上がりのスピードや切っ先の鋭さ、整然と揃えられたアインザッツなど、当時のドラティを彷彿させる辛口で硬派な演奏ですが、その一方で旋律線や間合いの取り方に、晩年の彼に繋がる滋味豊かな情感が見え隠れするのは、作品が東欧物だからでしょうか。

 第2楽章も、一点の曇りもない清澄な響きが印象的。中間部は、前のめりのテンポによる熱を帯びた哀感が独特。第3楽章は、急速なテンポとすこぶる鋭利なエッジ、切迫した調子と冴え渡るリズム感で、手に汗握るスリリングなパフォーマンスを展開。これほどまでに緊張感の強い音楽だったかと、思わず驚きます。オケも鉄壁のアンサンブルで、まるでセルの造形表現にブーレーズの音響解析術を適用したような演奏。強弱のコントロールも精緻そのものです。

 フィナーレは比較的ゆったりとしたテンポに感じられますが、明晰な響きと合奏の密度は維持。アーティキュレーションは徹底的に描き込まれ、アゴーギクと、それに結びつくデュナーミクの増減は細部まで計算され尽くしています。コーダにおける猛烈なアッチェレランドも迫力満点。アンチ「新世界より」の私でさえ、こんなにモダンで革新的な曲だったのかと驚かずにはいられない演奏です。ドラティという指揮者の凄さをいやが上にも満喫できる、同曲屈指の名演。

“明るく華やかな音色のオケ、鋭利な造形と緊張感でぴりりと引き締めるシルヴェストリ”

コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 フランス国立放送管弦楽団

(録音:1959年  レーベル:EMIクラシックス)

 シルヴェストリのドヴォルザークはウィーン・フィルとの7番、ロンドン・フィルとの8番と《謝肉祭》があります。残響が多く、クリアな音響空間ながら、歪みと混濁がある録音は残念。第1楽章はスロー・テンポで開始し、フレーズを短い単位で区切るのがシルヴェストリ流です。低弦とティンパニの掛け合いも、悠々たるテンポでものものしい雰囲気。主部はシャープなリズムで推進力が強く、速めのイン・テンポで各主題を歌わせる印象。オケは艶やかな光沢を放つ弦が美しく、明朗で爽快な音色が際立つ一方、ブラスの切り込みなどは鋭利です。

 第2楽章は、遠めの音像で細部がややもどかしいですが、弱音を丁寧に扱って非常にリリカル。中間部もゆったりしたテンポで、気宇の大きさを感じさせます。各パートも艶っぽく明るい音色で好演。第3楽章はテンポこそ中庸ながら切っ先が鋭く、歯切れの良いリズムでシャープに造形。第2トリオにおけるスロー・テンポと、木管の粘っこいフレージングは独特です。

 第4楽章は速めのテンポとスタッカートを多用した軽妙なフレージングで、勢いよく開始。高音域の華やかな、拡散型のサウンドが爽快です。カンタービレは艶やかに磨かれ、弱音部の叙情性も豊かですが、全体に引き締まったプロポーションで、常にぴりっとした緊張感が漂う感じ。厳格で緊密なアンサンブルが構築される様は、壮絶でもあります。

“史上最速と思しきテンポの中に、鮮烈でユニークな表現を盛り込む”

ポール・パレー指揮 デトロイト交響楽団

(録音:1960年  レーベル:マーキュリー)

 このレーベルらしい直接音の鮮明な録音で、抜けの良いブラスのエッジも痛快。一方で潤いと柔らかさもあって強奏部も硬直せず、この時代としては非常に聴きやすい音質です。

 速めのテンポで明快無比に仕上げた演奏。ただし無愛想だったり無機的だったりはせず、ニュアンスは豊かで、各パートも明朗な音色で歌っています。フレージングも音彩も鮮やかでくっきりしているものの、厳格でエッジーなタイプとは一線を画する感じ。ソノリティにも適度な柔軟性があり、ドライに痩せる事はありません。ただ造形に無駄がないのは事実で、引き締まったサウンドでルバートを排してサクサクと進むので、後味が爽快です。

 どの楽章も史上最速と思しきテンポが採択されている一方、古典的な造形に豊かな内実を備えた第1楽章、正確な和声処理と楷書体の旋律線が清新な第2楽章、トリオまでイン・テンポで、シャープに隈無くピントを合せた第3楽章、スピード感と鋭敏さを保ちながらも仕上げが丁寧な第4楽章と、いずれも鮮烈でユニークな表現。

“聴けば聴くほど凄い! 計算され尽くし、それでも自然に聴こえるケルテスの棒”

イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1960年  レーベル:デッカ)

 ケルテスは後にロンドン響と、ドヴォルザークの交響曲全集を完成させていますが、こちらも名盤として知られる音源。当コンビはモーツァルトのシンフォニー数曲とレクイエム、歌劇《皇帝ティトゥスの慈悲》の他、シューベルト、ブラームスの交響曲全集も録音していますが、当盤はその口火を切った、最初期の録音に当たります。

 第1楽章は、遅いテンポの序奏部が非常に丁寧な表現。ホルンのエコーも、一音ずつ切って吹かせています。主部は卓越したリズム感とフレージングのセンスが、群を抜いて非凡。落ち着いた佇まいの中にも、彫りの深い造形を聴かせます。テンポを細かく動かしながら、実に自然に次の主題、次の局面へと誘導してゆく手腕は、並の才能ではありません。オケも艶のある美しい響きと雄弁なニュアンスで、滋味豊かな演奏を展開します。コーダの熱っぽくダイナミックな高揚も見事。

 第2楽章は淡々とした中にも、味わい深い語り口。オケがウィーン・フィルである事は大きいですが、強奏部も豊麗なソノリティで耳に心地良いです。中間部もテンポこそ速いものの、共感に満ちた歌い回しが情感たっぷり。山場を築いて主部に戻るまでのテンポとダイナミクスの設計も、すこぶる自然です。第3楽章は、切っ先鋭く歯切れの良いリズムを駆使した主部と、情緒豊かでのんびりしたトリオの対比が鮮明。合奏に一部乱れもありますが、楽器間のフレーズの受け渡しや、旋律の歌いっぷりなど、総じて美しいパフォーマンスです。

 第4楽章は合奏がよく統率され、ケルテスの鋭敏な棒にオケがスピード感をもって対応している様は圧巻です。主部では力強く、画然とした演奏を展開する一方、弱音部は柔らかなタッチでニュアンス豊か。瑞々しく、しなやかな弦のカンタービレも印象的です。コーダに至るまで、楽章全体の設計も舌を巻くほど見事。聴けば聴くほど、早世したのが心から悔やまれる指揮者です。

“随所に新鮮な発見を盛り込み、同曲解釈の一つの理想を示す奇跡的名演”

カレル・アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1961年  レーベル:スプラフォン)

 アンチェルの当曲は、ウィーン響との録音もあり。彼のドヴォルザーク録音は意外に少なく、チェコ・フィルとは他に第6番、序曲集、ヴァイオリン協奏曲複数種、チェロ協奏曲、レクイエム、スターバト・マーテル、ベルリン放送響とのスラヴ舞曲集全曲、レクイエム、コンセルトヘボウ管との第8番くらいしかカタログに見当たりません。ウィーン盤はひどい音質でしたが、こちらはすっきりと端麗なスプラフォンらしい好録音。細部は鮮明だし、美しいホールトーンも適度に取り入れています。

 第1楽章は、引き締まったイン・テンポと造形で緊張感あり。華美な誇張はありませんが、高音域がみずみずしく、抜けの良いシャープな響きが爽快です。合奏は一体感が強く、共感に溢れたもの。アクの強い表現はなくとも、自然な味わいに聴き応えは十分です。アタックには覇気が溢れ、歯切れの良いリズム処理も痛快。有機的に充実した響きには、本物の迫力があります。

 第2楽章は、ウィーン盤と比べて唯一テンポがぐっと遅くなった楽章。それでも推進力は強く、停滞しないテンポ感はキープしています。端正なフォルムを志向しながら、各パートの歌に込められた真情は深く、心が洗われる思い。

 第3楽章は、アクセントを強調した導入部が独特のイントネーション。提示部の管楽器の掛け合いにも、他では聴けない不思議な風合いがあります。弦もそうですが、強靭で鋭利なアタックは印象的。語気が強く、曖昧なフレージングを許しません。ぐっとテンポを落とした第2トリオでは細部が克明に処理され、木管のタンギングが羊の鳴き声を想起させる辺りは新鮮。その後では、コーダで木管が繰り返す第1主題の動機も鳥の声に聴こえてきます。

 第4楽章は俗っぽさのかけらもなく、流麗な美音を駆使して冴え冴えと描写。澄み切った見通しの良い響きながら、音の密度は限りなく高い、このコンビらしい奇跡のような音楽が紡がれます。合奏が軽妙かつ鋭敏で、大仰な所が全くないのが魅力。この曲がどういう風に演奏されるべきか、一つの理想がここに聴けます。オケも超優秀。

“オケの魅力は一歩劣るものの、鋭利なエッジと端麗な味わい増した再録音盤”

イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1966年  レーベル:デッカ)

 交響曲全集の一枚。当コンビはドヴォルザークの管弦楽作品集、レクイエムも録音。ケルテスは、この6年前にウィーン・フィルと同曲を録音しています。

 第1楽章は、旧盤同様に序奏部がすこぶる丹念。ホルンもティンパニも一音ずつ明確に区切り、遅めのテンポで全ての音符を克明に刻み付けます。主部は旧盤と異なり、提示部をリピート。落ち着いた足取りながら、オケの性格を反映してシャープなエッジが際立ち、全てを鮮やかに隈取るような、独特のリアリスティックな感触があります。みずみずしい音色ではありますが、旧盤の柔らかな味わいは減退。ケルテスらしいリリカルな歌としなやかなフレージング、熱気と歯切れ良さは随所に聴かれます。

 第2楽章は発色の良いくっきりとした主旋律からして、竹を割ったように明快な性格。すっきりと端麗な味わいは、好みと感じる人も多いかもしれません。テンポの設計は旧盤を踏襲していますが、オケの音彩は爽快な高音域と鮮明な輪郭が特徴的で、印象が随分異なって聴こえます。

 第3楽章は、速めのテンポでアグレッシヴ。ロンドン響らしいシャープなブラスが効果を発揮し、鋭利なリズムが強い緊張感を打ち出しています。それだけに、ふっと肩の力が抜けるトリオは、さほどテンポを落とさないにも関わらず緊張と緩和の対照が見事。音色美では一歩劣るオケも、テクニックと合奏力で不足をカバーしています。

 第4楽章は、スコアを完全に掌中に収めた表現。ダイナミクスもアゴーギクも設計が素晴らしく、作品を知り尽くした棒さばきという印象を受けます。それでいてマンネリズムとは無縁で、常に若手指揮者のようなフレッシュな感覚が横溢するのがケルテスの美質。ソリッドな金管を中心にした壮麗なサウンドも。曲調と合っています。よく弾むリズムや雄渾なアタックも効果的で、旋律線の情緒も豊か。感興の高まりに熱いパッションを感じさせます。

“既にして円熟味を感じさせるドラティ。シンプルながら奥深い表現に唸らされる”

アンタル・ドラティ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1966年  レーベル:デッカ)

 コンセルトヘボウ管との旧盤からわずか7年後の再録音。当コンビの録音は意外に少なく、他にはチャイコフスキーの組曲全集と初期交響曲集(?)くらいしかないかもしれません。デッカ・レーベルで全盛だったフェイズ4方式で録音されていますが、タワー・レコード復刻のヴァージョンを聴く限り、それほど人工的なステレオ・プレゼンスではなく、歪みや混濁も目立たない鮮烈な音質。オケの響きも抜けが良く、ヴァイオリン群の高音域などみずみずしく爽快。全編を通して、弦の美しさは際立っています。

 第1楽章は提示部リピート実行。序奏部は、スロー・テンポでじっくりと掘り下げた表現で、フレーズの間合いをたっぷり取って、巨匠の風格あり。主部も旧盤とは違って、急がず慌てず、余裕をもって各パッセージを歌わせていて、無駄のない造形の中に豊かな情感を漂わす辺り、後年のドラティを彷彿させます。リズムは正確かつ鋭利に研ぎすまされ、磨き上げられた音色でヴィヴィッドなサウンドを展開。

 第2楽章も、ケレン味やはったりは何もないのに、艶やかに歌う旋律線に得も言われぬ叙情性が滲み出るのがドラティの不思議さ。そういうのはアゴーギクの動かし方や、ちょっとした歌い回しの工夫、伴奏の和声の処置から来るのかもしれません。第3楽章は、遅めのテンポで克明そのもの。響きは整然としているにも関わらず、物足りなさはなく、充実した音楽。対位法に隠された主題の動機や内声など、わずかな強調もスコアの構造を露にします。トリオの歌い回しには、独特のリリカルな情感あり。

 第4楽章は、造形が明快でテンポもきびきびとしていますが、弱音部では腰を落としてじっくりと歌い込みます。弦も金管も音圧が高く、強靭なアンサンブルを展開。対位法の立体的な効果もよく生かしています。最後の山場は速度を上げて熱っぽく盛り上げる一方、コーダの見事な締めくくりも名人芸と呼ぶにふさわしいもの。これを聴くとドラティは、60年代後半で既に円熟の域に達していたと言わざるを得ませんね。

“オケの華麗な音色を生かしながら、随所に個性的なアイデアを挿入”

ジョルジュ・プレートル指揮 パリ管弦楽団

(録音:1970年  レーベル:EMIクラシックス)

 プレートルの珍しいドヴォルザーク録音。フランスのオケによるドヴォルザークも珍しく、他にはシルヴェストリ/フランス国立放送管くらいしか、めぼしいディスクが見当たりません(いずれもEMIレーベルというのが面白い所です)。

 第1楽章序奏部は、毅然とした調子ながらものものしい表現を回避。ただブラスのアクセントが鋭く、マスの響きから浮き上がって聴こえます。主部も、ホルンの音色は壮麗で美しいですが、トロンボーンは音を割って響きを突き破ってくる感じ。ソノリティ全体としては豊麗で、艶やかな光沢が魅力的です。テンポはあまり動かさず、プレートルにしては恣意的なアゴーギクを用いない、オーソドクスな解釈という印象。それでも、コーダに向かって熱っぽく突き進んでゆく剛毅な気性はこの人らしいと感じます。

 第2楽章は柔らかなタッチを徹底し、金管のハーモニーやティンパニのトレモロも、そうっと優美に入ってきます。オケの音彩が美しく、パリ管独自の魅力でドヴォルザークの旋律美を彩る感じ。木管による黒人霊歌は、デリカシー溢れる強弱の演出が素敵です。展開部もソフトで、あまり大きく盛り上げません。

 第3楽章は、音圧の高さや濃厚な色彩感がパリ管らしい一方、プレートルは多少の乱れを気にせずアインザッツを鋭く切りそろえて、緊張感のある合奏を構築しています。全強奏の連打では、即興的な間を挿入しているのが個性的。コーダ最後の一打が、なかなか決まっています。

 第4楽章はスピーディなテンポで勢い良く突入しながら、フレーズを大きく掴み、流麗に歌うように造形しているのがユニーク。同じテーマをヴァイオリン群が繰り返す所では、スタッカートを盛り込んでまた別の表情を付与しています。クラリネットの第2主題は、ぐっとテンポを落として繊細に歌わせながらも、弦の合いの手をマルカートとアッチェレランド、クレッシェンドで興奮気味に入らせる独特の解釈。アーティキュレーションやアゴーギクには、細かい所で色々と個性的な工夫があります。後半部も、艶っぽく豊麗なソノリティを維持しながら、熱っぽく展開。

“精悍な表情の中に、チェコ人ならではの感興を表現するクーベリックの名盤”

ラファエル・クーベリック指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1972年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 全集録音の一枚。第1楽章は、序奏部の低弦とティンパニ、応答する金管のアクセントが峻烈で、気迫に溢れます。主部も精悍な表情で、かなり硬派な演奏という印象。ベルリン・フィルらしい豊麗かつソリッドな響きと、残響の多いオフ気味の録音も、このコンセプトにマッチしています。旋律線はみずみずしく歌い、情感は豊か。テンポの変動も的確で説得力が強いです。展開部やコーダもシャープで語気が強く、実に激しい表現。

 第2楽章は速めのテンポで風通しが良く、細部に耽溺せず淡々と歌っているようで、ごく自然に内側から深い共感と真情が表される所は至芸という他ありません。クライマックスの有機的な迫力と気宇の大きさもさすが。第3楽章も硬質なタッチで、和声の捉え方ゆえか、凛々しい情感が立ち上ってくる所も素晴らしいです。演奏全体が、フレッシュな生命力と躍動感に満ち溢れているのも魅力。トリオの性格の掴み方やリズム感などは、他国の指揮者になかなか真似のできないものです。

 第4楽章は決然とした調子ながら、大袈裟な構えのない開始。力強く、ダイナミックな棒さばきの一方で、しなやかな歌心が横溢する所が非凡です。ちょっとしたフレーズの強調など、細部までアーティキュレーションの描写が徹底し、スコアを研究し尽くした跡の垣間見える、克明極まる表現。終盤は、オケのパワフルな出力と高機能の合奏も手伝って、凄絶なパフォーマンスとなっています。

“小澤サウンドの先駆けも聴かれるものの、表現としてやや未完成な印象も”

小澤征爾指揮 サンフランシスコ交響楽団

(録音:1975年  レーベル:フィリップス)

 ボストン時代に先駆け、ドイツ・グラモフォンとフィリップスに残した当コンビのレコーディングの一つで、カップリングは序曲《謝肉祭》。小澤は後にウィーン・フィルと同曲を再録音しています。フィリップスが収録した同響のサウンドは、ボストン響のそれと驚くほど近似していて、聴いてすぐに「小澤の音だ」と感じられるのが不思議。ホールの音響特性が似ているのかもしれませんが、強奏でもトランペットにヴィブラートがかかった、暖かみのある木質の響きは、他のアメリカの団体と一線を画すものです。

 指揮者の棒は極めて安定しており、ゆったりとしたテンポ設定で自信に満ちあふれたもの。アゴーギクは自然ながら、歌謡的といえるほど豊かなニュアンスが付与され、ルバートも巧みに使用されています。一方で、リズム的の刻み方は幾分無骨な印象で、この指揮者には時折みられる、杓子定規でやや融通の利かない足取りが、音楽のスムーズな流れを妨げる傾向もないではありません。

 逆に、第4楽章の冒頭などは決然とした調子が欲しい所ですが、流麗な造形を目指したのか、金管群がひ弱で押し出しの強さを欠きます。さすがと思わせる感興豊かな場面もあるにはあるのですが、全体としてはまだまだ未完成の演奏という感じでしょうか。最後のフェルマータはかなり長めに伸ばしています。第1楽章は提示部リピートを実行。

“味わい深い表現の連続で耳を惹く名演。録音の悪さだけが難点”

ルドルフ・ケンペ指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団

(録音:1971年  レーベル:スイス・エクス・リブリス)

 元々スイスのレーベルから出ていた録音で、幾度かCD化されているらしく、私の手元にあるのはスクリベンダムというレーベルが、独バスフなどマイナーなレーベルから出ていたケンペのディスクをセットにしたもの。トーンハレの録音は他にブルックナーの8番も入っていますが、こちらはベートーヴェンの運命とカップリング。ケンペは新世界を得意にしていたと伝えられ、これ以前にベルリン・フィル、ロイヤル・フィルとの録音がある他、BBCプロムスに最後に登場したコンサートでの演奏は語り草となっています。

 正直な話、この曲だし、ケンペだし、とあまり期待してはいなかったのですが、聴いてみてびっくり。作品を代表する名演だと思います。まずは弦を中心に音に勢いがあって歯切れが良く、隅々にまで覇気が漲ってリズムが生き生きと弾むのが美点。感興も豊かで、指揮者が作品に注ぐ愛情がよく伝わってきます。フレージングが又、細やかなセンスの徹底した素晴らしいもので、第1楽章第2主題の、えも言われぬ懐かしさを漂わせた暖かな余情の表現や、第2楽章の展開部で木管が陽気な三連符を吹き始める箇所のユーモラスなイントネーションなど、随所に耳を惹く表現が聴かれます。

 溢れ出る情熱は最後まで途切れる事がなく、フィナーレのコーダで猛烈なアッチェレランドを掛けて一気にボルテージを頂点に持ってゆきます。唯一の不満は録音で、時折音がこもりがちになり、トゥッティでの歪みも目立ちますが、真の音楽が聴ける希有なディスクです。

“ストコフスキー流のアレンジが随所に聴かれる、真面目に聴くにはしんどいトンデモ盤”

レオポルド・ストコフスキー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1973年  レーベル:RCA)

 ストコフスキーは同曲を得意にしていて、フィラデルフィア盤など有名なディスクもありますが、ステレオ録音はこれが唯一。オケが重厚かつ美しい響きで好演していて、録音も鮮明です。演奏はやはりアクが強く、恣意的なアゴーギクにしばしば驚かされるし、楽譜の改変も聴かれます。特に鼻白むのが、第1楽章コーダの金管による派手なトリルと、フィナーレ後半で数カ所に追加されたシンバル。聴いた瞬間に、真面目に向き合う気持ちが失せること請け合いです。

 しかし、演奏全体に漲る若々しい躍動感は、90歳を越える指揮者とは思えぬもの。又、旋律美が見事に際立たせてられていて、叙情的な箇所ではぐっとテンポを落として甘美に歌い込んでいます。第2楽章などは、その意味でもっとも成功している感じ。スケルツォは、トリオで木管の旋律におかしな改変があります。ブラスを伴うトゥッティは、このオケらしい壮麗なサウンドが爽快。

“勢いと緊張感を漂わせる、若き日のエネルギッシュなメータ”

ズービン・メータ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1975年  レーベル:デッカ)

 序曲《謝肉祭》とカップリング。当コンビのドヴォルザークは他に第8番、交響詩《野ばと》があります。タイトな様式感、引き締まった筋肉質の響きで描写した、前傾姿勢のエネルギッシュな演奏で、ロス・フィル時代のメータ特有の若々しい勢いは、8番の演奏とも共通しています。

 第1楽章は序奏部の弦のユニゾンから音圧が高く、並々ならぬ緊張感を漂わせる他、主部もスピーディなテンポ運びで推進力が強く、きびきびとしたリズムでシンフォニックに造形。オケも集中力が高く、見事なアンサンブルを聴かせます。アゴーギクはあまり大きく取りませんが、要所において効果的にルバートを使用し、聴かせ上手な一面を見せます。コーダもアッチェレランドでテンポを煽り、スリリング。

 第2楽章も速めのテンポで流れが良く、音楽を弛緩させません。明るく、鮮やかな音色でくっきりと造形している上、デュナーミクも大きく付けられ、メリハリが明快で一本調子に陥りません。舞曲のエピソードが入ってくる箇所の雰囲気の掴み方も巧妙で、その後に続く山場の雄大なスケール感、鮮烈なサウンドも魅力的。コーダ前の家路のメロディでは、末尾にフェルマータ気味のたっぷりした間合いを取っています。

 第3楽章はテンポもかなり速いですが、冒頭部分に象徴的なように、スタッカートを駆使して音価を短く取り、音量を抑えて軽やかなタッチを追求していて、なかなか個性的な造形です。一方でトリオの木管の歌わせ方は妙に平たく、田舎風で、日本人には演歌っぽく聴こえるのもユニーク。第4楽章は意外に肩の力が抜けていて、思ったほど熱演という感じではありませんが、相変わらず鋭利なスタッカートと音圧の高さは維持。それでも、コーダは少しあっさりしすぎているかも。

“響きとディティールを徹底して磨き上げ、彫りの深いフォルムを切り出す”

リッカルド・ムーティ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1976年  レーベル:EMIクラシックス)

 ムーティの数少ないドヴォルザーク録音。セッションでは他に、チョン&フィラ管とのヴァイオリン協奏曲、ロマンスしかないかもしれません。

 第1楽章序奏部は響きが美しく磨かれ、彫りの深いフォルムを峻厳に切り出すのが正にムーティ流。主部は、この時代に提示部をリピートしているのも原典主義の彼らしいですが、遅めのテンポ、トロンボーンのエッジを効かせた合奏で、各部を明快に彫琢してゆく造形センスがいかにもムーティ的。その意味で彼の演奏は、若い頃の方がより個性的だったかもしれません。感覚美は徹底して貫かれ、音楽が精悍そのもの。

 第2楽章は終始引き締まったテンポで、端正な表現。抑制の効いた棒ですが、旋律線は流麗に歌われています。音響が最後の音符まで完璧にコントロールされているのは見事。第3楽章も筋肉質の響きで雄渾。切っ先の鋭いアタックで、若々しい熱情と勢い溢れる合奏を展開します。

 第4楽章は意外に落ち着いていて力みませんが、イン・テンポ気味のストレートな表現。ホルンの壮麗さが前に出た英国調のサウンドも、案外曲調と相性が良いです。細部をおろそかにしない、完全主義的な厳しさは常にあって、集中力と緊張感は途切れない印象。剛毅な力感は後半で効果を発揮しますが、コーダはさほど白熱しません。

“辛口でシンフォニックな表現ながら、聴くほどに味わい深い表現”

コリン・デイヴィス指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1977年  レーベル:フィリップス)

 当コンビのドヴォルザーク録音は後期三大交響曲の他、ハインリフ・シフとのチェロ協奏曲、サルヴァトーレ・アッカルドとのヴァイオリン協奏曲もあります。アナログ最盛期のフィリップスによるアムステルダム録音の良さが最大限に発揮された、実に美しい音質。特に、奥の方に定位するティンパニの打音は独特の効果を挙げています。

 第1楽章は序奏部、主部共に、筋肉質に引き締まったシャープな響きとリズム、よく吟味されたフレージングで辛口の性格。スタッカートの切れ味が鋭く、情に溺れるようなアゴーギクやこれみよがしなルバートが一切ないのも、その印象を強くします。シンフォニックな性格ですが、それでいて味わいは深く、仕上げの美しい演奏。第2楽章も情感の点ではうまく抑制されながら、緻密に磨き上げられた美音と、見通しの良いクリアな響きで清澄さを表出。

 第3楽章はアンサンブルの緊密さが前面に出た表現。弦楽群の切っ先鋭いアインザッツ、管楽器が絶妙な彩りを添える立体的なサウンド、滋味豊かなソロのパフォーマンス、安定感抜群のリズムと、デイヴィスらしさが随所に聴かれます。第4楽章は極めて尖鋭で、研ぎすまされた演奏。アタックの骨太な力感や旺盛な活力に、デイヴィスの激しい指揮ぶりが目に見えるようです。もっとも剛毅な表情に隠れがちなみずみずしいカンタービレ、コーダの急加速による熱っぽさなども聴き逃したくない所。

“造形美を追求する一方、感情への訴えかけを厳しく排除するジュリーニ” 

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1977年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビは同じ作曲家の8番も録音している他、チェロ協奏曲(ロストロポーヴィチ)も出ています。ジュリーニの同曲は、コンセルトヘボウ管との再録音もあり。ゆったりとしたテンポで風格のある演奏を展開しますが、恰幅の大きいタイプではなく、むしろプロポーションを厳しく引き締めた印象。緊張感を保った音運びと鋭敏で切れの良いリズムがそういう印象を与えるのかもしれませんが、ジュリーニの棒自体が常に節度を感じさせ、決して情感過多に陥らないのも一因と思われます。

 第1楽章は、大仰になる一歩手前でただならぬ凄味を醸し出した序奏部が独特。この先どうなるかと興味をそそられますが、主部はむしろ端正な造形で、この指揮者としては特に超スロー・テンポという訳でもありません。むしろ、オケのパワフルなパフォーマンスが前面に出た印象です。ディティールが入念に処理され、旋律線が流麗に歌われるのはジュリーニならでは。提示部はリピートを実行しています。第2楽章以降も極端に遅いテンポが採られる事はなく、フィナーレなどはむしろ速めのテンポで推進力があります。スタッカートの切れ味も鋭利そのもの。

 とにかく、旋律を美しいフレージングで歌わせつつも感情に耽溺する事がなく、ロス・フィルを振った《悲愴》と同様、聴き手の情動に訴えて感動させるタイプの演奏ではありません。見事に造形された彫刻を眺めるような趣でしょうか。その意味でシカゴ響は最適なオケと言えますが、この団体の常として、ブラス群の激しい強奏が突出する傾向があり、ジュリーニほどの指揮者であればこそ、もう少し響きのバランスを整えて欲しかった気はします。

“清新な歌、生き生き躍動するリズム。純音楽的にスコアの魅力を打ち出す名演”

アンドルー・デイヴィス指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1979年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集中の一枚。当初、5番から9番までが単発で出ていましたが、近年RCAから全集の形で発売され、初めて全集録音がなされていた事が判明しました。このコンビはどのディスクを聴いても相性が良い印象で、管弦のみずみずしく豊麗な響きが魅力的です。

 特に第1楽章の造型は秀逸で、重心を低く設定し、凄みを帯びた導入部から、推進力溢れる提示部、ノスタルジックな叙情に満ちた第2主題など、タイトに締まったプロポーションと共に聴き所が満載。第2楽章以降はよりオーソドックスな表現ですが、清新なカンタービレとダイナミックに躍動するリズムで生き生きと音楽を展開していて、私は大変気に入りました。いわゆるローカル色を強く打ち出さない、純音楽的でシンフォニックな演奏としては、ここで取り上げたディスクの中でもドホナーニ盤と並んで屈指の名演かと思います。

“豪胆さと柔軟さを高次元で融合。コンドラシンの破格の指揮が圧巻”

キリル・コンドラシン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1979年  レーベル:デッカ)

 当コンビの録音は他にチョン・キョンファとのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲があるだけで、非常に稀少。演奏自体も破格の内容で、返す返すもこの指揮者、もう少し早く西側に亡命してくれていたら、といつも無念に思います。

 第1楽章は、序奏部から速めのテンポで緊迫感があり、ホルンは一音ずつ切って、くぐもった音色で吹奏。続く弦楽セクションの音圧と、リズムの引き締まったティンパニの打ち込みが峻烈そのもの。主部も鋭利なスタッカートとリズムで、きびきびと進行。アクセントも強く、毅然として豪胆な性格ですが、完全にイン・テンポでもなく、フレーズの合間に若干の間を挟む事も忘れません。潤いのあるオケの美しい音色も、コンドラシンの辛口の表現をうまく中和しています。

 第2楽章は、情緒過多にこそなりませんが、ニュアンス豊かにたっぷりと歌っています。中間部ではテンポを煽って熱っぽく歌い上げる一面もあり。山場のソノリティも、ソリッドなブラスの音色など峻厳そのもの。第3楽章はややデフォルメされたイントロで開始。トリオに移る際の粘っこいルバートなど、表情の付与も濃厚です。トリオ主題は、ぐっと腰を落とした、情感豊かなカンタービレが聴きもの。

 第4楽章は格調高くもダイナミックな表現で、ヴィヴィッドな迫力が圧巻。堅固な構成力を基礎としながら、テンポの動かし方にはロマンティックなセンスもあり、しなやかで艶っぽい旋律線が魅力的です。壮絶に鳴り響くトゥッティとの対比も鮮烈で、正に、真に迫るスコア解釈という感じ。牽引力の強いパワフルな棒と熱いパッションのコンビネーションに、改めてコンドラシン晩年の気力の充実を聴く思いです。

“無骨なイメージとは裏腹に、ロマンティックでユニークな表現が満載の個性盤”

朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団

(録音:1982年  レーベル:キング・レコード)

 ドイツ古典音楽のイメージが強かった当コンビが、ファイヤーバードというキング・レコードのレーベルから、ロシア、東欧物やマーラー等のレパートリーを録音しはじめたシリーズの一枚。ドヴォルザークでは他に、コントラバスの名手ゲリー・カーをソロに迎えたチェロ協奏曲という変わったアルバムも出ました。当コンビは後に、キャニオンへ8番も録音しています。音響のデッドな大阪フェスティバル・ホールでのライヴ収録ですが、人工的に増幅させたのか、細部が埋もれがちなほど残響の多い録音になっています。

 第1楽章は、冒頭からたっぷり間をとったホルンのエコーと粘る弦、ティンパニの強打が朝比奈節。主部に入る直前のティンパニも、まるで雷鳴のごとき激烈さです。主部は実に雄弁で、無骨な表現はなく、むしろルバートも駆使してロマンティックに歌う感じ。テンポは遅めでスケールが大きいですが、リズムは溌剌としていて全体が生気に溢れます。オケの響きは爽快で、ソリッドなブラスも好印象。

 第2楽章は、べとつかない清新な表現。中間部は速めのテンポで熱っぽい歌い口が新鮮。山場で盛り上げすぎず、凝集力のある響きに惹き付けられるような魅力があります。第3楽章は遅めのテンポで、やはりティンパニを強打。各部の表情が豊かで集中力が高く、全体の設計に独特のドママティックなセンスを感じさせます。彫りの深い造形という感じ。

 第4楽章は気力が漲り、情熱的。切れ味の鋭さや躍動感の強さもあり、特に弦楽セクションの音圧の高さとアインザッツの緊密さ、エッジのシャープさは印象的。金管を伴うトゥッティの、リッチかつ壮麗な響きも素晴らしいです。コーダは気宇が大きく、壮大な解釈。唯一、コーダ前の弱音部に、管楽器のハーモニーにピッチの悪さが聴かれるのは残念至極です。

“神経質なほど細かいマゼールの芸風を、ウィーン・フィルの魅力が緩和”

ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 序曲《謝肉祭》とカップリング。当コンビは同時期に7、8番も録音しています。第1楽章は提示部をリピート。序奏部では、鋭く音を割ったホルンが、正確でスピード感のあるリズムと共に鮮烈。その後の経過部や主部に入ってからも、表情がすこぶる細かく付与され、ともすれば神経質にも感じられる所、ウィーン・フィルのまろやかな音色と音楽的なニュアンスに救われている印象。旋律線も情緒たっぷりに歌われますが、リズムは角が立って鋭利です。

 響きは透徹していて立体的で、内声の動きや伴奏の音型なども明瞭に聴こえるため、スコアの対位法的な効果が露にされています。テンポもかなり細かく変動しますが、全体の印象は意外にあっさりしていて、人によってはそれがビジネスライクに聴こえるのかもしれません。マゼールはニューヨーク・フィルとの海外公演など、晩年もこの曲をよく取り上げましたが、後の彼に較べれば、この時期の演奏はまだあっさりしている方です。

 第2楽章は響きの層というか、各音域とパートが見事に分離していて、構造が透けて見えるようなサウンドが独特。フレーズに濃密な表情を与えながらも、暖かみよりクールさが勝って聴こえるのはマゼールの演奏の特徴です。テンポは、ほとんどフレーズ単位で細かく動かす感じ。第3楽章は、弦の合奏の切っ先の鋭さ、歯切れの良さとリズムの正確さが尋常ではありません。ティンパニと金管も、切り口が実にシャープ。トリオに至るまで、音量やアーティキュレーションがデジタル的な精度で追求され、ディティールまでとにかく精緻で鮮明。

 第4楽章は、第1主題がややぎくしゃく。マゼールの指示なのか、ブラスも弦もリズムの正確さに捉われすぎて、逆に所々詰まったり、妙な間が空いて微妙な停滞が生まれたりしています。弱音部も、弦のトレモロまで細かく解析されて聴こえる瞬間があり、まさかとは思いますが、一拍当たりの弓の往復回数まで指定されていたりするのかも。響きは目の覚めるようにクリアで、普通は聴こえない音型もしばしば耳に入ってきます。最後の山場からコーダにかけては、ダイナミックな表現で聴き応えあり。

“正攻法の解釈ながら、細かな表現や熱っぽい盛り上げ方に職人芸を披露”

クラウス・テンシュテット指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:EMIクラシックス)

 テンシュテット唯一のドヴォルザーク録音。第1楽章序奏部は、ホルンをゆっくりと丁寧に鳴らした後、ティンパニのリズムを鋭利かつ緊密に処理。主部は、金管の骨張った内声がソリッドに響くなど、ロンドン・フィルとはまた違った音作りです。各主題はスロー・テンポで情感豊かに歌い、ソロも音量のバランス、フレージング共に見事。音楽の力学を熟知したような自然なアゴーギク操作に、経験の豊富さを感じます。

 第2楽章は、イングリッシュ・ホルンのソロがバランス的にかなり弱く気になりますが、ロングトーンの和声をはじめ、管楽器の巧さはさすがベルリン・フィル。淡々としたカンタービレながら、山場の形成も無理がなく、肩の力が抜けています。第3楽章は、アタックの鋭さを際立たせる事なく自然体。中庸のテンポで力強さも十分あり、旋律もたっぷり歌わせています。

 第4楽章は威圧感こそないですが、決然とした調子は保たれます。アゴーギクを巧妙に動かし、各部に適切な表情を与える一方、オケの優秀さも生かし、ディティールの描写を徹底。音楽が生気に溢れます。奇を衒った所はなく、正攻法のアプローチですが、コーダへ向けての感興の高め方にライヴ風の熱さもあるのがテンシュテット印。

“マリナーの非凡な才能を伝える、隠れた名盤。オケも美しい響きで、予想外の好演”

ネヴィル・マリナー指揮 ミネソタ管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:フィリップス)

 当コンビのドヴォルザークは、先行して81年録音の8番がレコードで出て、3年後に7、9番が録音されてから、CDでセット発売されました。当コンビの録音は意外に少なく、他にはテラークからワーグナーの序曲集、EMIからブリテンの管弦楽曲集が出ているだけではないかと思います。フィリップスの録音はヨーロッパ調で大変美しく、オケも好演。ドラティの下で黄金時代を謳歌した、ミネアポリス響時代のメンバーが多く残っているのかもしれません。

 第1楽章は、提示部をリピート。序奏部は正確なリズムと手応えのある効果的なアクセントで、格調の高い表現。主部は付点リズムの処理がものの見事で、ディティールまで配慮が行き届いて、雑な所が全くありません。第2主題のテンポの落とし方、ルバートの盛り込み方も情感豊かで、慈愛に満ちた歌いっぷり。コーダの洗練された響きと緊張感のあるアゴーギク、引き締まった鋭いリズムも素晴らしいものです。

 第2楽章は、速めのテンポでぐんぐん進みますが、緩急の設計が巧みで山場の作り方がうまく、壮大。オケの音彩が美しく、強音部の響きも充実して力強いです。第3楽章は肩の力が抜けて、ゆったりした性格。テンポも落ち着いていますが、リズムが精緻かつ鋭利で、デュナーミクの操作とアーティキュレーションの描写がすこぶる繊細なのに驚きます。

 第4楽章はブラスの壮麗なファンファーレと、極めて歯切れの良いリズムが鮮烈。弱音部も集中力が高く、神経が行き届いた表現です。鋭敏なリズム処理も功を奏して、全体が生気に溢れます。各声部のバランスも常に最良の状態に整えられ、各パートが艶やかに歌うカンタービレが魅力的。重厚になりがちな第1主題再現のトゥッティも、軽快なタッチで個性的です。フル・オケ指揮者としてのマリナーの凄さを伝える、隠れた名盤。

“聴き慣れた曲を見違えるほど新鮮にブラッシュ・アップする、ドホナーニ・マジック”

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:デッカ)

 8番とカップリング。当コンビは6、7番とスラヴ舞曲集も録音しています。デッカ特有のダイナミックで生々しい録音も素晴らしいディスク。ドホナーニはスコアにデフォルメを加える事なく、正攻法を使って聴き慣れた名曲を見違えるほど新鮮に蘇らせる天才ですが、ここでもその手腕に驚かされっぱなし。

 きびきびと歯切れの良いリズム、生気に溢れたフレージング、鋭敏なアクセント、豊かなニュアンスの付与など、彼がやっている事は、演奏家なら心がけて当然と言えるくらい基本的な仕事ばかりですが、それが最高のレヴェルで実現するとこれだけフレッシュな演奏になるという、正にお手本のようなディスクだと言えるでしょう。

 アゴーギクの変化はそれほどないのですが、潤いに満ちた美麗な響きと躍動感溢れるアンサンブルによって、最後まで飽きさせません。それにしてもクリーヴランド管、どこまでも凄いオケです。特に弦楽セクションの合奏力、機動力は驚異的で、ほとんど室内楽みたい。平素は同曲にそれほどシンパシーを感じない私でさえ、思わず引き込まれてしまう魅力的な演奏。

“旋律美を全面に押し出し、芝居がかった身振りでサービス精神全開”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1985年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤン最後、デジタル録音唯一の《新世界より》はウィーン・フィルと敢行。当コンビは8番も録音し、チャイコフスキーの後期3大シンフォニーと同じパターンになりました。ベルリン・フィルと色々あった時期なので仕方ないですが、結局この後もベルリンでのレコーディングは行われました。

 第1楽章序奏部は、ホルンも含めて柔らかなタッチ。ティンパニはやや芝居がかった身振りで、随所に溜めを作ってカラヤン節全開です。主部も表情にものものしい所があり、このオケとしては音色がやや派手に感じられます。旋律線にはたっぷりとニュアンスが付与され、艶っぽくまろやかな音色と相まって、メロディ・メーカーとしてのドヴォルザークを前面にフィーチャー。和声感が豊かで、構成も起伏に富んでいるので、全体に親しみ易い性格に感じられるのはこの指揮者らしい所です。ソロや各パートのアンサンブルも見事。コーダにも随所にポーズがあります。

 第2楽章は意外に速めのテンポで、さっぱりとした歌い口。いわゆる「カラヤン・アダージョ」という感じではありません。ただ、黒人霊歌の嫋々たるカンタービレ辺りには、聴かせ上手な一面を覗かせます。トゥッティの響きもパワフルですが、ベルリン・フィルと違って柔らかさがあるのが魅力。

 第3楽章は、遅めのテンポで表情が濃厚。特にトリオはテンポが落ちるだけでなく、恣意的なルバートであちこちに間合いを挟み、フォルムよりも旋律重視の姿勢。弦と木管に頻発するトリルの表現が見事なのは、さすがウィーン・フィルといった所でしょうか。コーダの味付けも、くどいほどに濃密。

 第4楽章は、大きく弾みを付けて威勢良く開始。同時期のチャイコフスキー録音と比べると合奏がずっと緊密で、アインザッツの弛みが目立たないのはカラヤンの様式感ゆえでしょうか。リズムも克明に処理されています。再現部の第2主題は歌わせ方が見事で、優美を極めたカンタービレに思わず聴き惚れます。こういう所は、正に名人芸という感じですね。

“教会録音でオケの壮麗なサウンドを生かす。鮮烈な表現も満載”

ジェフリー・サイモン指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1986年  レーベル:CALA)

 サイモン自身のレーベルから出た、オーケストラル・マスターワークスという6枚組の名曲ボックスに収録。全てオリジナル録音で、シャンドス・レーベルのスタッフを引き連れてロンドン各地の教会で録音しています。そのためシャンドスと同様、長い残響音を伴った壮大なサウンド・イメージが特徴的。ロンドン響らしいサウンドがよく生かされた録音とも言えます。

 第1楽章は序奏の表現が格調高く、オケの個性が生かされた印象。主部は速めのテンポながらタッチが流麗で、意外に筋骨隆々の造形には走りません。各主題も適切なテンポ感で情感豊かに歌われますが、残響が多すぎて細部が埋没してしまうのは少々問題。オケはよく統率され、一体感の強い合奏と壮麗な響きで作品をフレッシュに聴かせます。アタックが刺々しくならず上品で、アクセントの前のわずかな溜めも音楽的。

 第2楽章も細部の解像度がもどかしいですが、よくブレンドされたソノリティで、柔らかく歌っている様子。テンポに適度な推進力があるのも好感が持てます。緩急は巧みに演出されていますが、トゥッティ部を雄大に盛り上げすぎず、抑制を効かせて優美に響かせているのはセンス抜群。

 第3楽章は、長過ぎる残響が演奏のシャープさを阻害しているものの、鋭敏なリズムと雄渾なティンパニ、壮麗なブラスが個性的。最後の一撃もパンチが効いています。第4楽章は、録音のせいでほとんどエルガーみたいに聴こえるのがユニーク。スコアの解釈は正攻法ながら気力が充実し、聴き応えのあるパフォーマンスを展開します。

“滋味豊かでユニークな表現を展開し、図抜けた才気を感じさせるシャイー”

リッカルド・シャイー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1987年  レーベル:デッカ)

 序曲《謝肉祭》をカップリング。目下、シャイー唯一のドヴォルザーク録音だと思います。大家の風格とフレッシュな若々しさ、鋭敏な感性と豊かなリリシズムを兼ね備えた、実に不思議な演奏で、シャイーという指揮者の才能はこの時点で既にして図抜けたものがあるように感じます。

 第1楽章は、弦の導入に続くホルンのエコーが、とびきり柔らかいタッチなのにびっくり。提示部リピートを実行した主部は、ゆったりと落ち着いた佇まいで、とにかく旋律の歌わせ方が巧み。第2主題の懐かしい情感など惚れ惚れとするようなカンタービレで、オケが上手いのかシャイーの棒が卓越しているのか、フレージングにベテランの円熟を思わせる滋味と間合いがあります。一方で、リズムの切れや響きに対するセンスはモダンそのもの。第2楽章のしみじみとした叙情やコントラストの明快さも印象的です。

 第3楽章は、やはりゆったりしたテンポで克明に造形。民族性は希薄ですが、美しいソノリティと正確なリズム処理で見事な音楽を構築する一方、しなやかな歌心にも欠けていません。フィナーレはまた個性的な表現で、冒頭の金管のテーマがこれ又ソフトに、優しいタッチで吹奏されるのに驚かされます。オケの深みを帯びたコクのあるサウンドに魅了されますが、アンサンブルは緊密そのもので、音楽が生き生きと躍動するのは何より。

“ゴージャスなサウンドの中に、ベテランの至芸を細かく披露”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:EMIクラシックス)

 翌年録音の第8番とカップリング。第1楽章序奏部は恰幅の良い造形で、木管のフレーズに一部テヌートの癖があるのがユニーク。提示部をリピートした主部は、遅めのテンポで安定感がありますが、やはり第1主題のソステヌートが独特のイントネーション。推移部の旋律でも、時に聴き慣れないフレージングが飛び出します。特に木管による短調のテーマと続く第2主題は、音価の取り方といい、密やかな弱音の効果といい、何とも言えないデリケートな佇まい。

 オケの音色が明るく、みずみずしいのは好印象。リズムの切れも良いですが、アインザッツの揃わない箇所が幾つかあります。各パートは生き生きと雄弁に歌っていて、金管を伴う豊麗でブリリアントな強奏部も、往年のフィラデルフィア・アウンドを彷彿させます。

 第2楽章は、遅めのテンポで雄大。冒頭の和音進行(特に再現の時)は、たっぷりと間合いを挟んで鳴らす所からして、いかにも気宇が大きいです。逆に黒人霊歌のコラールではテンポを上げ、推進力を加えて展開。クライマックスのソフトなタッチと、リッチな響きも魅力的です。

 第3楽章も落ち着いたテンポで、細部を克明に処理。峻厳なリズム処理が、音楽をきりりと引き締めています。アーティキュレーションへの細やかな配慮はさすがベテランですが、トリオでは独自のフレーズ解釈も聴かれ、決して正攻法のアプローチには終りません。

 第4楽章は余裕のある開始で、旋律の背後にリズムの弾力を感じさせるのがユニーク。続く弦の三連音符の動機も、よく弾むリズミカルな調子が独特です。第2主題や経過部で音楽を弛緩させず、動感と緊張感を維持し続ける辺りに、集中力の高さとバトン・テクニックの卓越を開陳。クラリネットの第2主題を引き継ぐ、弦楽セクションの伸びやかなカンタービレも秀逸です。オケのゴージャスな響きを、スコアが内包する有機的な迫力に結びつけるセンスも見事という他ありません。コーダの急加速も効果的。

“シャープかつスポーティ。勢いの中に内面の充実も聴かせる、優れた演奏”

マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:EMIクラシックス)

 当コンビは5番以降のドヴォルザークの交響曲を録音している他、当曲にはコンセルトヘボウ管とのライヴ盤もあります。カップリングは、スメタナの交響詩《モルダウ》。第1楽章は序奏部、主部共にリズムがすこぶるシャープで切れ味が良く、タイトでスポーティな造形。音に張りと勢いがあり、気力の充実した、迫力の強いアンサンブルを展開します。大なり小なりフレーズの頭をアクセントで強調する箇所が多く、峻厳な性格に感じられるのが特徴。コンセルトヘボウ盤に聴かれる第2主題のルバートは、まだありません。

 第2楽章は速めのテンポで、さらりと流した表現。中間部は即興的にテンポを動かして、エモーショナルに歌います。流麗で美しいパフォーマンスですが、オケの音色がややざらつき、さらに洗練されていれば言う事がありません。コーダ前の弦のモノローグには、装飾音を付けて演奏。

 第3楽章は速めのテンポで、切っ先の鋭いアインザッツに非常な勢いとスピード感があって鮮烈。特に弦楽セクションの気合いの入った合奏は迫力満点で、リズム感も卓抜です。緊張と緩和の妙というか、トリオと主部の対比もメリハリが効いて明瞭。

 第4楽章は、冒頭の弦から力が漲り、ブラスも壮麗に鳴り響いてダイナミック。内面が充実して感興豊かで、各フレーズへの表情の付与がまったくもって見事です。ピアニッシモの効果は実にデリケートだし、強靭なバネでよく弾むリズムも痛快。クラリネット・ソロの雄弁さも心に残ります。

“おっとりとして覇気に乏しいプレヴィン。優しい風合いは独特の美しさ”

アンドレ・プレヴィン指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1990年  レーベル:テラーク)

 当コンビによる後期3大交響曲録音の一枚で、《謝肉祭》序曲とカップリング。プレヴィン美学全開の演奏ですが、やや遠目の距離感で収録されていて、こもり気味の印象もあるサウンド。個人的に言えば当コンビの録音は全て、テラークではなくフィリップス・レーベルで行って欲しかった気がします。

 第1楽章は序奏から遅めのテンポで、じっくりと描写。弦もティンパニも、正確にしっかりとアクセントを刻みます。主部はおっとりとして覇気に乏しい一方、ソフトで優しいタッチは独特。各主題も濃厚に歌い込む訳ではありませんが、音色が優美でしっとりとしてリリカル。リズムの処理も克明そのものです。第2楽章は、郷愁より慈愛を感じさせるような、やわらかな語り口。中間部の余情の深さ、その優しい風情は比類がなく、音色もデリケートです。クライマックスも抑制が効いていて上品。

 第3楽章は、適度に引き締まったリズムで、部分的にテンポを煽るのが効果的。アタックはあくまでマイルドですが、ティンパニの打ち込みなど、最低限の力強さは確保されています。響きが磨き抜かれ、豊麗で耳に心地よいのも美点。第4楽章は、全く刺々しさがなく、音響的な威圧感より和声感と旋律美を重視した印象。弦や木管の優美なカンタービレは秀逸です。

“やや荒れる音ながら、気迫に満ちた小澤の再録音ライヴ”

小澤征爾指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:フィリップス)

 ライヴ収録による、16年振りの再録音。カップリングは序曲《自然の中で》で、当コンビは8番と《真昼の魔女》も録音しています。ライヴのせいか音はやや荒れますが、気迫の凄さは伝わってきます。

 第1楽章は提示部をリピート。遅めのテンポで各部をじっくりと掘り下げながら、画然としたリズムが律儀な感触。第2主題も腰を落として、じっくりと歌い上げます。オケも熱演。第2楽章はテンポの変化が多く、旋律を共感豊かに歌わせた表現。中間部の旋律も、アッチェレランドで加速して情動的に盛り上げています。オケの艶やかな響きもよく生かされた印象。

 第3楽章は、速めのテンポでスポーティ。鋭利で切れの良いリズムは若い頃の小澤を彷彿させ、ティンパニのアクセントも効いています。第4楽章へは、アタッカで突入。響きもこなれてきて、冒頭も素晴らしい豊麗さです。力強さにも欠ける事なく、熱っぽい盛り上がりは聴き応えがありますが、仕上げは丁寧で、カンタービレも流麗。ソロの歌い口もまろやかです。

“スロー・テンポで徹底的に美麗さを追求した個性的表現”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1992年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 当コンビは他に7、8番も録音している他、ジュリーニには70年代にシカゴ響との8、9番もあり、当盤は再録音に当たります。第1楽章はスローで重厚な序奏部で開始。主部は画然たるリズムで進行し、遅いテンポの中にも緊密な構成力を聴かせます。又、フレーズの末尾をぐーんと伸ばし、そのためにルバートを挟む傾向もあります。オケが素晴らしく、弦や木管の光沢で聴き手を魅了する上、アンサンブルも見事。シカゴ響と違って、柔らかさと透明感の両立するソノリティが魅力です。

 第2楽章は演奏時間が15分以上も掛かっていますが、その割に、音楽が停滞する感じは受けません。ソロから全強奏まで、とにかく響きが艶やか。慈しむようなフレージングが印象的で、トランペットのトップノートなども、朗々と歌っています。

 第3楽章はテンポを落とし、強弱やアーティキュレーションの微細な変化を付与して、情報量の多い演奏に仕上げているのがジュリーニ節。速いテンポでは、こうは行きません。トリオも、テヌートの多用によってフレーズの表情を通常と変えています。木管群のカンタービレも気品と雅致に溢れ、正に極美。

 第4楽章は、旧盤の威圧感が緩和され、美麗。奥行き感が深く、気宇が大きいし、力強いけれども適度に肩の力が抜けています。やはりオケの合奏に耳を奪われる瞬間が多く、強奏の中でもヴァイオリン郡は艶やかな音色でたっぷりと歌っているし、クラリネット・ソロの合いの手に入るチェロ郡もすこぶる雄弁。ひと呼吸置いてから突入するコーダのテンポ感も独特で、最後は超スロー・テンポで終了。

“ユニークな演奏を展開しながらも、過剰な残響音が細部をマスキング”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1994年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビの録音は非常に少なく、他にはチャイコフスキーの歌劇《エフゲニー・オネーギン》があるだけです。カップリングの8番から実に4年後の録音で、こちらだけ当時のグラモフォンが新技術として掲げていた4Dオーディオ・レコーディングですが、音の印象は8番の方が良いように思います。こちらは残響がやや過剰で飽和状態になる傾向があり、同オケ特有の音色も奥に引っ込んだ感じ。一方で、響きの柔らかさは増したように聴こえます。

 第1楽章は、序奏部の管のハーモニーが、高音部よりも内声が目立つ不思議なバランス。主部はテンポが速く、リズム処理にモダンな感覚を垣間見せます。音楽の表情が変化に富み、しなやかなカンタービレと音色の美しさにはオケの本領を発揮。第2楽章は淡白な性格ながら、管弦の魅力的な響きが聴きもの。速いテンポで盛り上がる箇所も抑制された表現で、弱音部との対比をあまり出さない音楽設計。スケールの大きさもあまり出そうとしていません。

 第3楽章は速いテンポで、切れ味の鋭いエッジの効いた造形がユニーク。都会的に洗練された性格ですが、多めの残響はそのシャープさを邪魔する感も否めません。フィナーレは古典的な造形で、入念なディティール処理が音楽から新鮮な魅力を引き出す一方、細部をマスキングしがちなホールトーンがマイナスに働く面もあり。特にリズムの効果が前に出て来ないのはもどかしい感じがします。暖かみのあるソノリティは、作品に合致していて好印象。

 → 後半リストへ続く

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