ヴェルディ/歌劇《椿姫》

概観

 ヴェルディ作品といわず、古今のオペラの中でも特に人気の高い演目。中期の作品だけあって、書法の単純さが目立つ面もなくはないが、なにせ美しいメロディが散りばめられているので、歌手を聴きに劇場へ行く人には宝石箱みたいなオペラといえる。アルフレードの見せ所が意外に少ないので、あくまでディーヴァのオペラといった感じ。録音はたくさん出ているが、映像ソフトは案外少ない印象。

 個人的には、ヴェルディのオペラなら他にたくさんある傑作を薦めたい所。アバドやシャイー、シノーポリといったイタリア人指揮者達や、スカラ座で辛酸をなめたカラヤンもこの曲は録音していない。原題の《ラ・トラヴィアータ》は「道を踏み外した女」という意味で、邦題の《椿姫》はいくらなんでも古すぎるように思うが、これだけ定着してはもう変更も無理か。

*紹介ディスク一覧  *配役は順にヴィオレッタ、アルフレード、ジェルモン

[CD]

67年 プレートル/RCAイタリア・オペラ管弦楽団

      カバリエ、ベルゴンツィ、ミルンズ

77年 クライバー/バイエルン国立歌劇場管弦楽団

      コトルバス、ドミンゴ、ミルンズ

80年 ムーティ/フィルハーモニア管弦楽団

      スコット、クラウス、ブルゾン

84年 クライバー/フィレンツェ五月祭管弦楽団

      ガスディア、ドヴォルスキー、ザンカナロ

92年 ムーティ/ミラノ・スカラ座管弦楽団

      ファブリッチーニ、アラーニャ、コーニ

93年 メータ/フィレンツェ五月祭管弦楽団

      カナワ、クラウス、ホロストフスキー

05年 リッツィ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      ネトレプコ、ヴィラゾン、ハンプソン

[DVD]

00年 メータ/イタリア国立放送交響楽団   

      グヴァザーヴァ、クーラ、パネライ

03年 佐渡裕/パリ管弦楽団

      ドランシュ、ポレンザーニ、ルチッチ

06年 コンロン/ロスアンジェルス・オペラ管弦楽団  

      フレミング、ヴィラゾン、ブルゾン

07年 マゼール/ミラノ・スカラ座管弦楽団

      ゲオルギュー、ヴァルガス、フロンターリ

15年 エラス=カサド/バルタザール=ノイマン・アンサンブル 

      ペレチャトコ、アヤン、ピアッツォーラ

●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●

[CD]

 

“指揮者も歌手も音楽性豊か。美しい表現に聴き所満載の一枚”

ジョルジュ・プレートル指揮 RCAイタリア・オペラ管弦楽団・合唱団

 モンセラ・カバリエ(ヴィオレッタ)、カルロ・ベルゴンツィ(アルフレード)

 シェリル・ミルンズ(ジェルモン)

(録音:1967年  レーベル:RCA)

 プレートルの指揮が実に見事で、前奏曲からしなやかで艶っぽいカンタービレが印象的。ヴァイオリンもチェロも優しい風合いで、清涼感のある爽やかな音色。幕開き以後も木管のトリルなどアクセントが鋭く、歯切れの良い表現。合奏は精緻に整える感じではないが、リズム感が良く、要所要所できっちり引き締められている。ただし歌手とのタイミングの乖離は目立つ箇所あり。

 強弱や節回しに独特の粋で洒落たフィーリングがあり、表現全体としては歌手によく付けている。幕切れでテンポを煽って盛り上げる手腕もオペラティック。第2幕のジプシーの踊りは、ゆったりした間合いで丁寧。アルフレードと合唱のやり取りで、後者をピアニッシモで歌わせるのも独特の解釈。その後のコンチェルタートでは歌手陣と合唱を、デリケートなバランス感覚で扱っている。

 ベルゴンツィは柔らかく流麗な歌い口。メロディ・ライン、横の線を重視したスタイルで、無闇に声を張り上げず、余裕をもって優美かつ音程の明確な歌唱を展開するのが、すこぶる音楽的。どの音域も豊かな声質で、よく響く。ミルンズは、役によっては地味に感じられる事もある歌手だが、ここでは美声と真面目な表現が好印象。声には若々しい張りもある。

 カバリエのヴィオレッタも同傾向。前半はヴィブラートが強い箇所もあるが、基本的にソフトな美声で聴きやすい。オケと呼吸を合わせて大きく間合いを採ったり、長いフェルマータを盛り込む場面もあり。第3幕のアリアは比類のない美しさ。すこぶる音楽的なフレージング処理で、ピアニッシモの効果も見事。

“全てにおいて意識的で敏感。天才的なドラマ・センスを発揮するカルロスの独壇場”

カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団・合唱団

 イレアナ・コトルバス(ヴィオレッタ)、プラシド・ドミンゴ(アルフレード)

 シェリル・ミルンズ(ジェルモン)

(録音:1977年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 クライバーの数少ない正規録音、それもオペラとあって存在自体が稀少な上、演奏面でも名盤として知られるディスク。火花の飛び散るようなエネルギーと、徹底した叙情表現に溢れた指揮の一方、配役にケチを付ける批評家もあるが、私には歌唱陣も大変充実しているように思える。

 前奏曲からあらゆるフレーズが意識的に処理され、伴奏のピツィカート、主旋律、対旋律の表情付けまで、意味ありげなアーティキュレーションが頻発するのはクライバーならでは。幕が開いた後も、ティンパニや木管の鋭いアクセント、敏感できびきびとしたリズムはさすが。二度のパーティの場面、特にジプシーやマタドールの舞曲の扱いは殊のほか見事。合唱やソロにも、精度の高さを徹底させている。

 無駄のないテンポで、音楽をタイトに引き締めるのもこの指揮者らしく、部分的にかなり急速なテンポを採るなど、一瞬たりとも音楽をダレさせない。全般にテンポのコントロールがすこぶる劇的で、ドラマ・メイキングに天性のセンスを発揮。緩急のメリハリが強く、はっとするような弱音で歌わせてみたり、ジェルモンとヴィオレッタの場面では、たたみかけるような調子で緊迫感を煽る。

 コトルバスは、指揮者の決めたテンポの枠組みの中で、美しく、精度の高い歌唱を展開。リズム感が良く、音程も正確で音楽的。旋律のアウトラインをきちんと出せる人という印象だが、ジェルモンと会った後のアルフレードとのやり取りなど、感情的な激しさもきちんと打ち出し、役のグランド・デザインの描き方も確かなようである。

 ドミンゴは艶やかで華のある歌唱が見事。彼は、聴かせ所の少ない役にあまり興味がないのか、周りがそうさせないのか、CDでも映像でもこの役を聴ける機会があまりなく、当盤は貴重な記録。プレートル盤でも歌っていたミルンズは、表情豊かな美声を披露。確かなスキルに裏打ちされた表現を聴かせる。

“原典主義と柔軟な姿勢を使い分けるムーティの円熟味。歌唱陣もゴージャス”

リッカルド・ムーティ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

 アンブロジアン・オペラ合唱団

 レナータ・スコット(ヴィオレッタ)、アルフレード・クラウス(アルフレード)

 レナート・ブルゾン(ジェルモン)

(録音:1980年  レーベル:EMIクラシックス)

 ムーティのヴェルディというとスカラ座のイメージが強いが、初期の録音は出世作の《アイーダ》を皮切りに、《仮面舞踏会》《マクベス》《ナブッコ》と、いずれも当時関係が深かったフィルハーモニア管を起用。同曲は後にスカラ座とのライヴ盤もあり、そちらはソニーが製作。やや沈んだ暗めの音色と残響の長い録音は、明るい音色でカラっと乾いたスカラ座録音と対照的なサウンド。

 オケがスカラ座ではない事もあってか、ムーティのヴェルディと聴いてイメージする、イン・テンポで猛進する熱血パフォーマンスではない。むしろ、第2幕のエンディングやジェルモンとヴィオレッタの二重唱ではホルンを強調し、英国のオケらしい壮麗さが前に出るなど、意外にシンフォニックな音作りが目立つ。このオケの持ち味である、みずみずしい弦楽セクションの音色もうまく生かしている印象。

 もっとも、スコアの解釈にはムーティらしさが全開。慣習的なヴァリアンテを禁じるのを手始めに、第2幕でアルフレードがパーティに現れる箇所など、猛スピードで減速せずに突き進む辺りは「おお、やってるな」という感じ。第1幕の開巻早々、オケと合唱のきびきびと歯切れの良いアンサンブルに隅々までコントロールが行き届き、聴き手もピンと背筋が伸びる。

 歌唱陣では、何といってもスコットの多彩な表現力が圧倒的。あれやこれやと表現の引き出しが多い上、声も美しく、音程が正確。ベテランの至芸という感じがする。ムーティもテンポに関しては比較的柔軟で、感情的に揺れるスコットのルバートにぴたりと付ける印象。恐らく成り行きではなく、徹底したピアノ・リハーサルを行ったのであろう。

 クラウスは、これを当たり役とする名歌手だが、表現はむしろスタイリッシュでモダン。大時代的な過剰な表現はなく、細身のクールな声質とよく練られたフレージングで、知的なアプローチを繰り広げる。ブルゾンもこの傾向で抑制が効き、朗々たる美声で歌い上げるタイプではないので、役柄上もこの二人、父子という感じがよく出ている。スコットも豊麗な声質ではないせいか、重唱もそれぞれマッチングが良い。

 ムーティの自伝によると、第2幕のフローラ家の場面で「夕食の用意ができました」というわずか2小節を歌っているのは、名歌手ジュゼッペ・ディ・ステファノ。レーベルが用意した7人の歌手が全て気に入らなかったムーティは、自分の主義に反する別録りダビングを承諾し、プロデューサーのジョン・モードラーに最適な歌手を見つけるよう指示。数か月後、たまたまロンドンに居たステファノをつかまえ、シャンパン1本の報酬でこのフレーズを歌ってもらったそう。

“酷い音質のため、通常の鑑賞にはあまり適さない楽団自主レーベル盤”

カルロス・クライバー指揮 フィレンツェ五月祭管弦楽団・合唱団

 チェチーリア・ガスディア(ヴィオレッタ)、ペーター・ドヴォルスキー(アルフレード)

 ジョルジオ・ザンカナロ(ジェルモン)

(録音:1984年  レーベル:Maggio Live)

 フィレンツェ五月祭の自主レーベルから出た、ステレオ録音によるクライバーの《椿姫》正規盤。音質は貧弱で、客席のノイズを近接した距離感で拾っている所を聴くと、客席で録音した海賊版としか思えない。音自体は生々しいが、左右いずれかのチャンネルで音が霞んだり、テープ起因と思しき不備も聴かれる。いくら楽団自主レーベルの正規盤とはいえ、安心して聴ける内容ではなく、クライバーの同曲はバイエルン盤で十分。

 演奏も、オケや合唱の反応にクライバーらしさがなく、覇気に乏しい印象。オケの能力ゆえか、指揮との相性に問題があるのか、いずれにしろ、彼が珍しくキャンセルせずに登壇したにしては、鋭敏さが徹底していない合奏。ガスディアは声、表現ともにやや硬直。ドヴォルスキーは悪くないが、当盤で聴く限り、熱っぽいパッションや艶やかな美声はあまり堪能できない。ベテランのザンカナロが最も安定した歌唱か。

“スカラ座で27年振りに上演されたラ・トラヴィアータの、歴史的ライヴ録音”

リッカルド・ムーティ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

 ティツィアーナ・ファブリッチーニ(ヴィオレッタ)、ロベルト・アラーニャ(アルフレード)

 パオロ・コーニ(ジェルモン)

(録音:1992年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 有名な話だが、スカラ座では64年にゼッフィレッリ演出、カラヤン指揮、ミレッラ・フレーニ主役によるプロダクションが大失敗したのを機に、27年間このオペラは上演されなかった。フレーニは第1幕最後のアリアを半音下げて歌った上に高音を失敗。悪名高いミラノの聴衆から激しく攻撃された上、カラヤンも2日目には堪え兼ねて演奏を放棄。フレーニは、「二度とスカラ座でこのオペラを歌わない」と宣言した。

 失敗の最大の原因は、56年のヴィスコンティ演出、ジュリーニ指揮、マリア・カラスが歌った圧倒的な公演の記憶ゆえと言われているが、ムーティは持ち前の果敢な精神とヴェルディへの敬意から、遂にスカラ座で本作の上演を試み、大成功(その経緯は彼の自伝に詳しく書かれている)。この歴史的公演は映像収録され、我が国でも放映されたが、映像ソフトは出ずにこのライヴ音源のみ発売。

 映画監督リリアーナ・カヴァーニによるプロダクションは、ダンテ・フェレッティの美術、ガブリエラ・ペスクッチの衣装など格調が高く、後年マゼールが指揮をした再演の映像ソフトでも観る事ができる。残響を豊富に取り込んだソニーの録音も美しく、スカラ座と聞いて想像する乾いた響きとは印象が異なる。当コンビのソニーへのヴェルディ録音は続き、《リゴレット》《トロヴァトーレ》《ファルスタッフ》の他、序曲・前奏曲集も出た。

 ムーティは80年にフィルハーモニア管とこの曲を録音しているが、当盤は格段に円熟味を増した、素晴らしい演奏で、同曲決定盤の一つに挙げたい出来映え。全編に漲る集中力の高さと熱っぽい感興もさる事ながら、たっぷりとした間合いや呼吸の深さを自在に盛り込み、このオペラとしては破格のスケールと起伏の大きさで巨匠風に聴かせる点、かつてのムーティの態度を考えると意外ですらある。 

 旧盤の英国風にシンフォニックな響きと比較すると、当盤のオケは艶っぽく豊麗で、全く別の方向性。第2幕第2場の急速なテンポなど、旧盤を継承する解釈もあちこちにあるが、目立つのはむしろ、ぐっと腰を落として、長い間を挟みながら情感たっぷりに進行する音楽運び。速めのイン・テンポ主体だったかつてのムーティとは、随分と変わった印象を受ける。旧盤も彼にしてはテンポの自由度が高く感じられたが、ここではよりロマンティックな叙情性に傾き、ぐんぐんとドラマに引き込まれる。

 鋭利なアクセントは避けられ、フレーズの末尾をテヌートで延ばす箇所も少なくない。アーティキュレーションの描写は歌手にまで徹底していて、スコアを研究し尽くした熱意が伝わる。ちょっとした伴奏型や管楽器の合いの手にまで新しい発見が溢れ、聴き慣れたこの曲からこれほど新鮮な表情を引き出した演奏も稀かもしれない。唯一、オケと合唱の合奏にさらなる緊密さを求めたい瞬間が時折あるのと、気の早い拍手が随所に入ってくるのは好みを分つ所。

 歌手も万全。主役の二人は当時新進の若手で、アラーニャもまだゲオルギューとのコンビでオペラハウスを席巻する前の時期だが、ムーティが求める容姿と、スコア解釈を緻密に具現化する技巧を備えた二人で、声の美しさとスター性にも欠けていない。かつてフレーニが失敗した第1幕最後のアリアでは、見事な歌唱を披露するファブリッチーニに、会場が大きく湧いている。コーニも精悍な声と手堅い表現が好印象で、指揮者の意志を反映してか独特のフレージングを聴かせる箇所も多々あり。

“メータもカナワも共に雄弁さが際立つ好演。キャスティングもユニーク”

ズービン・メータ指揮 フィレンツェ五月祭管弦楽団

 キリ・テ・カナワ(ヴィオレッタ)、アルフレード・クラウス(アルフレード)

 ドミトリー・ホロストフスキー(ジェルモン)

(録音:1993年  レーベル:フィリップス)

 カナワ初の《椿姫》録音という事で、話題を呼んだディスク。アルフレードを当たり役としてきたベテラン歌手クラウスを起用している他、当時若手だったホロストフスキーが、主役二人の息子ほどの年齢なのにジェルモンを歌っているのも、録音ならではのユニークな逆転。同じくフィリップス専属でキーロフ歌劇場出身のオリガ・ボロディナがアンニーナを歌っているのも豪華。

 メータと同オケのヴェルディ録音は、同時期にデッカへの《トロヴァトーレ》がある他、後年《アイーダ》の映像ソフトも出ている。メータの同曲は、イタリア国立放送響&グヴァザーヴァ盤(映像ソフトもあり)、バイエルン国立歌劇場管&ハルテロスの再録音盤あり。

 メータの指揮が雄弁。細部への配慮が満載で、神経が行き届いている。前奏曲から自然な佇まいで歌わせつつも、弦の艶やかで美しい音色を生かして魅力的。幕開け以降も活力と覇気が漲り、リズムもエッジが効いてシャープ。ちょっとした強弱のニュアンスが豊かで、殊にフレーズの膨らませ方は見事。歌手へのレスポンスも敏感で、メータが好調な時特有の、全身を耳にしているような集中力の高さが感じられる。

 カナワはドラマティックな表現力と強靭な芯を確保しつつ、弱音の使い方にも長けて、ベテランならではの幅広い感情表現。メータの指揮と同様、フレージングがすこぶる雄弁で、強弱のニュアンスも細かく多彩。テンポを大きく揺らす箇所もあるが、それでいてフレーズの形を崩さない客観性もある。

 現代オペラ界の至宝とも称えられるクラウスは、ムーティ盤でも同じ役を歌っているが、相変わらずの美声と、知性を感じさせる的確な解釈が見事。声質やフレージングはやや細身で、クールというか硬質な印象。その点ではカナワ、ホロストフスキーとも相性の良さを示す。アンニーナ役のボロディナが柔らかく豊麗な声で入ってくるのは、いかにも好対照。ホロストフスキーは持ち前の精悍で辛口の声と表現を展開するが、イタリア物は異色というか、人によって好みが分れる歌唱かも。

“対照的な声質ながら相性の良さも示すネトレプコとヴィラゾン。オケも魅力全開”

カルロ・リッツィ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン国立歌劇場合唱団

 アンナ・ネトレプコ(ヴィオレッタ)、ロランド・ヴィラゾン(アルフレード)

 トーマス・ハンプソン(ジェルモン)

(録音:2005年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ザルツブルグ音楽祭ライヴのボックス・セットにも入っている音源で、映像ソフトも発売。あまりにシンプルな舞台セットは賛否が分かれそうだが、演奏は豪華歌唱陣と共に、なかなかの内容。音だけ聴く方がいいかもしれない。リッツィの同曲録音はロンドン響、グルベローヴァとの旧盤もあり。ウィーン・フィルによる同曲ディスクは珍しく、他にないのではないか。

 前奏曲から艶っぽい弦が魅力的。主部は停滞しないテンポで、あっさりと造形。クレッシェンドをディミヌエンドで処理する箇所もあり、リズムや響きも軽く、粘らない。第2幕の舞踏会の場面などは急速なテンポで駆け抜ける一方、ネトレプコのスタイルに合わせたのか、即興的な間合いでテンポを揺らして、ぐっと歌い込む箇所も多い。その後のコンチェルタートもスロー・テンポでたっぷりと間を取り、緩急を大きく付けた印象。幾分腰が弱く、さらに鋭いアクセントやパンチの強さがあればと思う。

 ネトレプコは暗めながら美しい声質だが、時にピッチも低く感じられる印象。正確なリズム処理よりも独自のフレージングを優先し、大胆なルバートを盛り込んで感情の起伏を大きく描き出す。伴奏と共に、即興的にテンポを揺らす箇所も多々あり。随所に聴かれる、ピアニッシモのデリケートな表現も心に残る。

 逆にヴィラゾンは、声といい歌唱表現といい、いかにもラテン系の熱血漢。《乾杯の歌》は独特のフレージングで、声やヴィブラートもエッジが効いて癖が強い。感情的な役柄には合うスタイルだが、対照的な声質のネトレプコとも、意外に綺麗なハーモニーを生み出していて相性は悪くない。ハンプソンも好調のようで、充実した性格表現と艶やかな美声を聴かせる。

[DVD]

“革新的ロケーション・オペラ・ライヴ、衛星同時中継3部作の第2弾”

ズービン・メータ指揮 イタリア国立放送交響楽団

 イ・ソリスティ・カントーリ

 エテーリ・グヴァザーヴァ(ヴィオレッタ)、ホセ・クーラ(アルフレード)

 ローランド・パネライ(ジェルモン)

演出:ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ  (収録:2000年)

 プロデューサーのアンドレア・アンダーマンと名撮影監督ヴィットリオ・ストラーロ、メータ/イタリア国立放送響による、革新的ロケーション・オペラ・ライヴ衛星同時中継3部作の第2弾。最初は92年の『トスカ』で、最後が2010年の『リゴレット』だった。とても正気とは思えない企画だが、アンダーマンは「私のボキャブラリーに不可能という文字はない」とナポレオン気取り。ちなみに彼は、フランコ・ゼフィレッリのアシスタントとして幾つかの撮影に参加してきた人。

 本作はパリとその郊外でロケを行い、世界140ヶ国に生中継。『トスカ』の時と同様、日本では放映されなかったが、サントラは発売。2016年、ナクソスから3作を収めたDVD、ブルーレイのボックス・セットが出て、豪華なブックレットと、各作品1時間ほどのメイキング映像を収録した充実の内容になっている(日本語解説、字幕なし)。

 メイキングを見ると、オケはフランス録音によく使われるサル・ワグラムで演奏し、歌手は各ロケ地で指揮者の映像を見ながらパフォーマンス。茂みの中にモニターを設置したりしている。こんなので本当に合うのかと不思議だが、演奏はちゃんとしているし、歌手もあちこち動き回って演技しながら、オケと絶妙に息を合わせていて驚き。メータも、「始まったら誰も止まるわけにいかないのはメトでもスカラ座でも同じだ」と言っている。

 人工的なエコーを足した歌手の声はやや不自然で、オケと合唱にもまた過剰な残響が(恐らく人工的に)加えられていて、そのマッチングにはやや違和感がある。そもそも、残響が全く無いはずの野原で歌っていたりするから、企画自体に無理があると言うべきか。

 演奏は充実していて、メータの強力なリーダーシップに感嘆(ちなみに彼は楽員とも監督、スタッフとも、イタリア語でやり取りをしている)。企画の趣旨からすると、オペラでは特に安全運転が目立つメータなら無難な表現になってもおかしくないが、大型イベント目白押しの経歴が自信に繋がっているのか、微塵も迷いを感じさせない堂々たる指揮ぶり。テンポも大きく揺らしているし、大編成のオケを激しく鳴らすグラマラスな表現も彼らしい所。

 一方で、歌手に慣例のハイトーンを禁じる、原典主義的な一面もある。意図的なのかどうか、癖のない声で過剰なヴィブラートを使わない人選。期待の新星として起用されたグヴァザーヴァは、場面によって性格を描き分ける演技派の面もあり、ほの暗く、柔らかい声質も魅力的。音程も良く、非常に聴きやすい。メイキングでは、エンディングの後もまだ涙を流している没入ぶりが印象的で、共演者やプロデューサーも思わずもらい泣きしている。

 クーラは役に相応しい容姿の反面、声はさほど華やかではない感じ。むしろ渋めで骨太の歌唱だが、技術は確かで演技力もあり。この仕事をオファーされた時は、アンダーマンに「あなたはクレイジーだ」と言い放ったとの事。ベテランのパネライも特殊な状況に屈しず、手堅いパフォーマンスがさすが。アンニーナをはじめ、脇役や合唱も好演。

 監督は《トスカ》に引き続き、映画『スキャンダル/愛の罠』『さらば美しき人』のジュゼッペ・パトローネ・グリッフィ。撮影も、ベルトルッチやコッポラの作品で知られる名匠ヴィットリオ・ストラーロが続投。ただ、生中継の性質上、撮影もフィルムではなくビデオで、“光と影の魔術師”と称されるストラーロならではの映像美はあまり望めない。

 妙な読み替えはなく、リアルな背景をうまく利用したオーソドックスで抒情的な演出。場面ごとに色彩も変化させ、アルフレードを鏡に映った像で登場させたり、テーブルクロスごしに2人のシルエットを捉えたり、ライヴでも果敢にリスキーな技法を試みている。マタドールのステップは、音楽を止めてまでたっぷりと見せる凝りよう。

 ただし第3幕は、前半のほとんどがアンニーナとヴィオレッタの手元のクローズアップで進行するという、必然性の感じられない演出。全体としてこの企画は、指揮者と歌手がコミュニケーションを取り合って細やかな表現を作り上げてゆく歌劇場の舞台公演とは、基本的に全く別物。作曲家も、ここまでリアルな背景など意図していなかったであろう。

“生彩に満ちた指揮と手堅い歌唱は評価できるものの、いちいち面倒臭い演出が最悪”

佐渡裕指揮 パリ管弦楽団

 ヨーロッパ・コーラス・アカデミー

 ミレイユ・ドランシュ(ヴィオレッタ)、マシュー・ポレンザーニ(アルフレード)

 ジェリコ・ルチッチ(ジェルモン)

演出:ペーター・ムスバッハ  (収録:2003年)

 エクス・アン・プロヴァンス音楽祭のライヴ映像。パリ管客演での成功が本公演の起用に繋がったと、佐渡氏も語っている。しかしこの年の音楽祭は技術スタッフのストライキにより、ブーレーズ指揮のオープニング・コンサートと、同夜の《椿姫》初日がクラクションの音で妨害され、数日後には音楽祭自体が中断。この映像は別撮りの収録も行い、テレビ、ラジオで放送されたものとの事(客席に観客は入っているし、カーテンコールの様子も収められている)。やや歪みのある録音。

 前奏曲から弦の艶っぽい音色が魅力的。強弱の細やかなニュアンス、ダイナミックな力感もあるが、アウフタクトの溜めやルバートなど、オペラティックな興趣は随所で不足する印象。合唱を伴うアンサンブルにも乱れあり。一方、リズミカルで熱っぽい盛り上げ方、生き生きとして軽快な舞曲の扱いなどは美点。舞踏会の場面では、大きなテンポ・チェンジや、細かく音楽を煽る場面も多々ある。

 歌唱陣は、《リゴレット》などで注目されたルチッチ以外、個人的にあまり知らない人達だが、基本スキルが高く、真面目なパフォーマンス。演出のせいもあってか、強いインパクトを欠くのは致し方ない所か。ドランシュはマルク・ミンコフスキのお気に入りで、同音楽祭ではラトル指揮の《指環》にもフライアで出演。ヴィオレッタ役も、ハーディング指揮で翌年の再演に挑んでいる。シカゴ出身のポレンザーニは、あまり印象に残らず。

 演出は、欧州にありがちな面倒臭い感じの舞台。ヴィオレッタは髪型も衣装もマリリン・モンローに重ね合わせられ、背景には夜の道路のプロジェクション、手前には映像演出なのか、舞台にも何らかの方法で投影されていたのか、ガラス窓のように巨大な雨粒が付着して、流れ落ちる。さらに、歌手の顔を白塗りに見せたり、蛍光の衣装だけを暗闇に浮かび上がらせたり、巨大な時計の振り子を出したり、いちいち鬱陶しい事この上なし。

“とにかくコンロンの才気溢れる指揮が見事。フレミングの独特な歌唱は一長一短”

ジェイムズ・コンロン指揮 ロスアンジェルス・オペラ管弦楽団・合唱団

 ルネ・フレミング(ヴィオレッタ)、ロランド・ヴィラゾン(アルフレード)

 レナート・ブルゾン(ジェルモン)

演出:マルタ・ドミンゴ  (収録:2006年)

 この歌劇場の総監督を務めるプラシド・ドミンゴの妻、マルタ演出によるプロダクション。指揮のコンロンも音楽監督で、他にも《マクベス》の映像ソフトや、コリリアーノの《ヴェルサイユの幽霊》の音源が出ている。アカデミー賞の授賞式も行われるドロシー・チャンドラー・パヴィリオンを本拠地にしているとの事だが、この公演もそうなのかどうかは明記されていない。

 コンロンの指揮は、まったく見事。テンポが引き締まっていて全篇に覇気が溢れるのは美点だが、その中にも、アーティキュレーションを徹底してシャープに描写していて、オケの存在感が非常に強い。テンポの緩急も、単に練達のオペラ指揮者の棒というだけでなく、果敢にアグレッシヴな表現意欲を示す所が好ましい。ドラマティックな語り口と構成力もさすが。

 まだ新しい劇場で、1シーズンに70公演という事なので、オケが常設なのかどうかも不明。ただ、腰の強いパンチと艶っぽさのある響き、しなやかな弾力と暖色系の音色は、ロスアンジェルス・フィル、サンフランシスコ響のサウンドとよく似ていて、常設オケじゃないならそれら近隣のオケから臨時メンバーが参加している可能性もあるかもしれない。

 歌唱陣では、癖の強いフレミングの歌唱が、何といっても好みを分つ所。日本では評価の大きく分かれている歌手でもあるが、口をあまり開けず、子音をソフトに押さえ込む特有の歌唱法は、言葉がよく聴き取れないという問題がある。また、高度なテクニックを駆使する一方、どことなくだが見せ物的な雰囲気もあり、時折レヴューかショーに見えたりもする。

 もちろん、元々オペラというジャンル自体が歌手の技巧を聴かせるための音楽でもあり、それで間違ってはいないのかもしれない。実際、フレミングの歌唱は華麗で、相当に聴き応えがあるし、欧米では大変な人気を得ている。発音こそ不明瞭とはいえ、ロシア語やチェコ語など難しい言語のオペラにもよく挑戦している。

 ヴィラゾンの同役は、ネトレプコと共演したザルツブルグのプロダクションが有名だが、指揮者のディレクションゆえか、ここでは比較的抑制が効き、落ち着いた佇まいで慣習的なハイトーンもなし。ブルゾンは相変わらず渋い声と表現だが、ロスの聴衆には嬉しいキャスティングだろう。

 ドミンゴ妻の演出は、アメリカの歌劇場らしくオーソドックスなものだが、緻密さやリアリティ、ゴージャスさにおいて、およそ理想的。ゼフィレッリの系統とも言えるし、ミュージカル的とも言えるが、オペラの演出にそれ以上の表現なんてあるだろうか。

“癖の強いマゼールの指揮と実力派歌手の競演。格調高く、美しい演出もマル”

ロリン・マゼール指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

 アンジェラ・ゲオルギュー(ヴィオレッタ)、ラモン・ヴァルガス(アルフレード)

 ロベルト・フロンターリ(ジェルモン)

演出:リリアーナ・カヴァーニ  (収録:2007年

 映画監督でもあるカヴァーニのプロダクションは、ムーティがスカラ座でこの演目を復活させた際のもので、映像ソフトが出ていなかったので、当盤で初めて目にする人も多いかも。スカラ座と関係も深いマゼールの指揮、この役に縁のあるゲオルギューのヴィオレッタなど見どころも多く、配役もヴァルガス、フロンターリと豪華。日本語字幕も入った輸入盤ソフトも出ているのでお薦め。マゼールの同曲は、68年のローレンガー&ベルリン・ドイツ・オペラ盤もあり。

 前奏曲から、アーティキュレーションもデュナーミクも非常に細かく適用。幕が開くと、メリハリはあまり付けず、全体を大きな流れの中に置くような滑らかな造形。意図的にアタックを丸めたような語調で、アリアの入りも淡々として気負いがない。《乾杯の歌》も速めのテンポで流麗。ニュアンスが多彩で変化に富み、緻密で色彩の鮮やかな指揮。ジプシーや闘牛士達の踊りも安っぽくならず、旋律線の出し方にも円熟味を感じさせる。

 第1幕ラストは、鋭利で弾力のあるリズムと長く引き延ばされたフェルマータがマゼール流。第2幕以降もダイナミックな響きでドラマを煽り、オペラティックな興奮を露にする所は誠にエキサイティング。特に、ものすごい気力の充実をみせる第3幕のラストは圧倒的。黒光りするような艶と光沢を放つ、ほの暗くも美しいオケの響きは魅力的。切々と奏でられる甘美なカンタービレも、正にオペラの醍醐味。

 ゲオルギューはこの役に定評のある人だけあって、強い存在感。演劇的で感情の起伏の大きな表現を目指しながら、音程の良さと声の美しさを両立させている所が凄い。手紙なども口走りながら書いていて、俳優指向の強いパフォーマンス。正確で鋭敏なリズム感にも図抜けたセンスを発揮し、見事に個性的なヴィオレッタ像を構築。ヴァルガスは安定感抜群の実力派で、舞台人らしいオーラもあるし、中堅のフロンターリも声、演技共に巧緻。

 演出はゼッフィレッリほど派手ではないものの正統派の系譜で、本物の質感と手触りを追求した、格調の高いもの。同じく映画畑で活躍するダンテ・フェレッティの美術装置、ガブリエラ・ペスクッチの衣装と、チームワークも抜群。パーティの場面も映画的なルックで、ディティールに至るまで美しく、品の良い造形。空間の使い方もスケールが大きく、見応えがある。

“新鋭エラス=カサドとピリオド楽器アンサンブルによる、革新的公演”

パブロ・エラス=カサド指揮 バルタザール=ノイマン・アンサンブル、合唱団

 オルガ・ペレチャトコ(ヴィオレッタ)、アターリャ・アヤン(アルフレード)

 シモーネ・ピアッツォーラ(ジェルモン)

演出:ロランド・ヴィラゾン  (収録:2015年)

 バーデン=バーデン祝祭劇場で行われた話題の公演映像。2度の休業を経て、今は演出も手掛けている歌手ヴィラゾンの演出、ピリオド楽器のオケ、ロシアの新星ペレチャトコ、気鋭の若手エラス=カサドの指揮と、みどころ聴き所には事欠かない。日本語字幕付きのDVD、ブルーレイ・ソフトが出ているのも有り難いが、たまに妙な訳文があったり、「行こう」が「以降」など単純な変換ミスもあり。

 オケが非常に身軽で、前奏曲からノン・ヴィブラートの清澄な弦に魅せられる。幕開き後も強弱の明瞭な交替や短く減衰する音価など、スタイルは完全にHIP。特に、短いフレーズで歌手の合いの手を入れてくる局面では、ピットからのアグレッシヴなレスポンスが絶大な効果を挙げる。響きは必ずしもハスキー一辺倒ではなく、弦のカンタービレをはじめ、艶やかな音色も随所に聴けるのが美点。幕切れのティンパニの強打も、パンチが効いている。

 テンポは極端に速くせず、ムーティやクライバーと較べてもむしろ平均的と感じるが、恣意的な溜めがなく、テンポが交替する箇所で大きな落差を付けないので、性格的には淡白。ただ、音の立ち上がりにスピード感があり、リズムやフレーズの輪郭がくっきりと出るので、合奏はかなり機敏に聴こえる。又、ピリオド楽器のせいか、あちこちで楽隊風の響きがするのもユニーク。

 歌手は意図的なキャスティングなのかどうか、音程が良くて過剰なヴィブラートを掛けない人ばかり。個性的な美貌のペレチャトコは、タトゥーと付けまつげを施して衣装、メイクともに派手なデザイン。ソフトで癖のない美声で、細部まで丁寧なフレージングが素晴らしく、テクニックも抜群。身体の使い方も上手く、豊かな感情表現など演技力もあり。

 それに較べるとアヤンは、容姿も表現もヴィラゾンのような華やかさには欠けるが、柔らかでよく伸びる声質で、気持ちの良い歌唱。ピアッツォーラも存在感があり、聴きやすい音程と恰幅の良い歌唱で会場から喝采を受けている。オケはHIPだが、歌手にはリゴリズムを求めず、慣習的なハイトーンも入れて歌っている。

 ヴィラゾンは、歌手として多くのクズ演出に接して幻滅してきたはずだと思うが、彼も又、前奏曲から咳き込むヴィオレッタを登場させ、全体を回想形式にした上、ドゥーブルとしてブランコ乗りの女性を全編に出すなど、ありふれたダメ演出の轍を踏んでしまった。全体をサーカスの舞台にしたコンセプトで、視覚的にはポップで楽しいが、メタファーとしての有効性は怪しい所。まさか、「人生はサーカスだ」とでも言うつもりか。

 そのせいで、可哀想にフローラやガストーネ、デュフォールまでアクの強いメイクと衣装で、サーカス団員に変身させられてしまっている。カーテンコールにはヴィラゾンも登壇するが、アヤンの奥ゆかしい態度とは対照的なハイ・テンションで、歌手や指揮者を激しく抱きしめたり、両手を挙げてアピールしたり、受け取った花束を客席に放り投げたり、ラテン男ぶりを発揮。客席もスタンディング・オベーションで湧いているので、公演としては大成功の様子。

Home  Top