チャイコフスキー/大序曲《1812年》

概観

 派手なギミック満載で昔から人気の高い管弦楽作品。仕掛けは派手だが、音楽自体は緊張感と旋律美のバランスが良く、楽想の美しさも出色。スラヴ行進曲のように大仰な身振りや馬鹿馬鹿しい大騒ぎがないので、個人的にも好きな曲。ドラティ盤辺りから本物の大砲や鐘の音をダビングしたディスクも増えたが、曲自体が傑作であるためか真摯に音楽の美しさを追求した演奏も多い。

 私としてはメータ盤、ドラティ/デトロイト盤、マゼール/ウィーン盤、サロネン盤、マータ盤、ドホナーニ盤辺りが、指揮者の個性と曲の魅力を両立させたお薦め盤。

*紹介ディスク一覧

58年 ドラティ/ミネアポリス交響楽団  

64年 マルケヴィッチ/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

66年 シルヴェストリ/ボーンマス交響楽団

69年 メータ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

69年 ストコフスキー/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

78年 ドラティ/デトロイト交響楽団

79年 C・デイヴィス/ボストン交響楽団

81年 ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団

81年 バレンボイム/シカゴ交響楽団

81年 マゼール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

84年 サロネン/バイエルン放送交響楽団

84年 小澤征爾/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

87年 A・フィッシャー/ハンガリー国立管弦楽団  

88年 マータ/ダラス交響楽団

88年 ドホナーニ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

89年 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団

89年 小澤征爾/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

90年 アバド/シカゴ交響楽団

94年 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

95年 バレンボイム/シカゴ交響楽団

95年 マゼール/バイエルン放送交響楽団

00年 西本智実/ロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”

06年 小泉和裕/九州交響楽団

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“効果音を満載したスペクタクル録音の走りながら、演奏もすこぶる充実”

アンタル・ドラティ指揮 ミネアポリス交響楽団

(録音:1958年  レーベル:マーキュリー)

 イタリア奇想曲、ロンドン響とのベートーヴェンの《ウェリントンの勝利》とカップリング。ドラティは後年デトロイト響とも再録音を行っている。ミネソタ大学のブラス・バンドが参加している他、1775年フランス製のブロンズ・キャノン砲、リヴァーサイド教会のロックフェラー記念カリヨンの音をダビング。この曲にスペクタキュラーな要素を見出した録音の走りかもしれない。

 直接音をメインにした生々しい録音で、バスドラムの重低音まできっちりキャッチ。ブラスなど高音域の抜けも爽快。ややドライにも感じられるが、ある程度のしなやかさを確保したサウンドは聴きやすい。ドラティの解釈は成熟していて、各部の描き分けも見事。アレグロ部はテンポが速く、引き締まった合奏できびきびと展開するのがこのコンビらしい。ティンパニのアクセントを軸とした、精悍な響きもダイナミック。

 一方、叙情的な旋律の歌わせ方も巧く、べとつかないカンタービレは爽快。情感も意外に豊か。クライマックスのキャノン砲は、「これぞ大砲」という王道のサウンド。ただ、鐘の音はたくさん鳴らしすぎて騒々しい。それでもドラティの手堅い指揮が有機的に充実したコーダを導き、演奏をお祭り騒ぎから救っているのはさすが。

“鋭利な棒さばきで全てを白日の下に晒す、徹頭徹尾シリアスな演奏”

イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1964年  レーベル:フィリップス)

 R・コルサコフの《ロシアの復活祭》、ボロディンの《ダッタン人の踊り》とカップリング。。オン気味の生々しい録音は60年代収録と思えぬほどの鮮明さで、ブラスを伴うトゥッティも歪みが少なく、しなやかさとスケール感を十二分に表出。

 まずは主部に入った所のテンポの速さに驚く。このテンポは途中で恣意的に伸縮するが、オケはマルケヴィッチの鋭利な棒にぴたりと付けて、ヴィルトオーゾ風のスリリングなアンサンブルを展開。逆に、持ち味の典雅な音色美はまるで出ない叙情的な部分はゆったりと演奏されるが、弱音のデリカシーとは無縁というか、常に音量を開放して朗々と旋律を歌い上げるアプローチ。全てを白日の下に晒すというか、陰影の機微を好まない演奏である。

 一方、ロシア民謡風のひなびた旋律には、ロマンティックなルバートもある。リズムの正確さ、スタッカートの切れ味については言わずもがな。山場への長いクレッシェンドを始め、音価を短く刈り込んでいるため、斬新に聴こえる箇所も多い。大砲はバスドラムで控えめに鳴らされるが、トゥッティの有機的な響きは充実し、隅々まで力が漲って迫力満点。一種の凄味を帯びた、徹頭徹尾シリアスな演奏。

“シルヴェストリ節全開。個性的な表情付けでスリリングに盛り上げる快演”

コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 ボーンマス交響楽団

(録音:1966年  レーベル:EMIクラシックス)

 個性派シルヴェストリによる、ロシア小品集の一曲。王立海兵音楽学校バンドが参加している。大砲の音はあまりクローズアップされず、遠くの方で轟音として鳴っている感じ。

 序奏部のフレーズの切り方、主部に入った所のスロー・テンポのものものしさなど、随所にシルヴェストリ節を展開。弱音を基調に、敏感な強弱やアクセントを付け、煽り気味の加速でスリリングに盛り上げる熱っぽさも彼らしい。アレグロ部は逆に落ち着いたテンポで、細部を克明に処理。鮮やかなリズム感で手堅く造形している。叙情的な箇所は、表情豊かな歌い口と細やかなアゴーギク演出が見事。クライマックスからコーダにかけての、鮮やかな棒さばきも聴き逃せない。

“手に汗握る迫力。伸びやかなカンタービレと劇的な語り口”

ズービン・メータ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1969年  レーベル:デッカ)

 幻想序曲《ロミオとジュリエット》とカップリング。メータはイスラエル・フィルと同曲をテルデックに再録音しています。序奏部から艶やかで明るい響き。細かく抑揚を付けて表情も豊かです。主部に入る際のティンパニの一打は、ドラティ新旧盤と同様の趣向で劇的。続くオーボエ・ソロの即興的な歌い回しもユニークで、その後の山場に向けて大きくテンポを煽り、緊迫感溢れるアギーギクを聴かせるなど、ドラマティックな演出が満載。

 アレグロ部は速めのテンポでヴィルトオーゾ風。きびきびとしてシャープな造形が、血気盛んな若きメータの覇気を感じさせ、思わず身を乗り出して聴いてしまうほどの迫力を感じます。一方の、情緒豊かで伸びやかなカンタービレとの対比も見事。民謡風のエピソードも、フレージングがすこぶる丁寧です。クライマックスは、賛美歌をレガートで荘厳に歌わせ、合いの手の弦と木管の音型を生き生きと跳ね回らせるなど、対比の効果が目覚ましく、お祭り騒ぎに浮かれません。大砲はリアルで、合成と思われます。

“意外な格調高さを聴かせながらも、随所に改変を施すストコフスキー流”

レオポルド・ストコフスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団・合唱団

(録音:1969年  レーベル:デッカ)

 ボロディンの《だったん人の踊り》、ストラヴィンスキーの歌曲《パストラール》(ストコフスキー編曲)とカップリング。当コンビの録音は意外に少なく、デッカへは多分これが唯一です。グレナディア・ガーズ軍楽隊の名もクレジットされていますが、ただでさえ物量攻勢のスコアなので、特に顕著な効果は感じません。

 しなやかでリリカルな序奏部から、主部への突入は正攻法。ただ、弦のパッセージにフレーズ単位の強調があちこちみられ、山場に向かって熱っぽく加速します。アレグロ部は遅めのテンポながらリズムを画然と処理し、弦楽合奏の音圧が高いのはどことなくバロック風。勢いで流さず、細部を克明に刻み込むような表現は、意外にも格調の高さと悲愴美を感じさせます。

 抒情的な弦の民謡パートは、これまたスロー・テンポで表情豊か。細やかなダイナミクスの変化を付けて、艶やかに歌うカンタービレは非常に美しいです。続く木管の民俗舞曲も、遅いテンポで情感たっぷりに歌い上げていて見事。経過的な箇所でカットを施すのはストコフスキー流です。

 クライマックスはテンポこそ自在ですが、やはり格調が高く、むしろ立派な演奏という印象です。国歌の所で急に合唱だけを前面にフィチャーするのは、人工的なミックス手法。大砲も効果音的にダビングされています。最後の数小節はやはりストコフスキー的なスコア改変があり、オケのフェルマータが消えた後、鐘の音だけが残るのもレコード向けの効果という感じで、賛否が分かれる所でしょうか。

“ドラティ快調。語り口の巧みさで一頭群を抜く、練達の名盤”

アンタル・ドラティ指揮 デトロイト交響楽団

(録音:1978年  レーベル:デッカ)

 イタリア奇想曲、スラヴ行進曲とカップリング。クライマックスで本物の大砲の音をダビングする流行の走りとなった盤と記憶します。当盤では、アメリカ南北戦争のキャノン砲に、フィラデルフィアの自由の鐘、ワシントン・ナショナル・カテドラルの鐘の音を使用しています。ドラティ&デトロイト響のコンビ最初期の録音で、数少ないアナログ収録のアルバム。ドラティは、過去にミネアポリス響とも同曲を録音しています。

 演奏は、遅めのテンポで各部をじっくりと掘り下げた、晩年のドラティの良さを今に伝えるもの。デッカの録音が優秀な事もありますが、過去にドラティがビルドアップしてきたどのオーケストラよりも、デトロイト響のソノリティは柔らかく、深みがあって、音色的にも満足できるディスクと言えます。時にアインザッツが揃わない箇所があるのは残念ですが、ドラティの棒は大層聴かせ上手で、数ある同曲録音の中でも、語り口の上手さでは群を抜く印象。

 序奏部から主部に突入した所で轟くティンパニの一撃はインパクト大で、これ自体が大砲の音に聴こえるくらいですが、ドラティはミネアポリス響との旧盤でもこれをやっています。特に変わった事をしていない感じなのに、老練で味わい深く聴こえるのはこのコンビの演奏の特徴。民族舞曲の所で、ぐっとテンポを落としてロシア情緒を打ち出しているのは見事な演出です。山場では、パンチの効いた大砲のアクセントが迫力満点。

“大砲、鐘、合唱を総動員しながらも、あくまで真摯な表現を貫くデイヴィス”

コリン・デイヴィス指揮 ボストン交響楽団・合唱団

(録音:1979年  レーベル:フィリップス)

 カップリングは《ロミオとジュリエット》。当コンビのディスクは意外に少なく、協奏曲の伴奏を除けば他にシベリウスの交響曲全集と管弦楽曲集、ドビュッシーの《海》《夜想曲》、メンデルスゾーンの《イタリア》《真夏の夜の夢》、シューベルトの《未完成》《グレイト》《ロザムンデ》があるのみ。

 大砲、鐘、合唱をフル動員したケレン味たっぷりの録音で、当時は鳴り物入りの宣伝で発売されたディスクだが、デイヴィスのアプローチ自体はアーティキュレーションの克明な処理を積み上げてゆく正攻法のもの。彼はもともとチャイコフスキーに積極性がなく、交響曲の録音など一枚もない。この演奏を聴くと、彼がこの作曲家の情緒的な側面には同調しない人である事がよく分かる。

 序奏部分はコーラスで演奏。管楽器が入ってくる箇所もオルガンで代用していて、男声女声のバランス共々、宗教曲を思わせる厳粛な雰囲気がデイヴィスらしい。主部に入るときびきびとした合奏で緊張感を維持し、シャープな棒さばきで有機的な迫力を表出。鋭利なリズムと切れの良いスタッカートも、音楽をきりりと引き締める。テンポは意外によく動かしていて、同コンビのシベリウスほどストレートな表現ではない。旋律線もニュアンスが豊かで、しっとりと歌い上げる。

 オケも密度の高い合奏で好演していて、一糸乱れぬ弦のアインザッツなどスリル満点。それでいて、叙情的な部分ではしなやかなカンタービレを聴かせるなど、自在な呼吸でデイヴィスの棒に応えている。クライマックスもエッジの効いた鮮烈な表現だが、聖歌でぐっとテンポを落とし、合唱と鐘を迎える所は圧巻。正に、曲のクオリティが一段上がったような格調高さ。大砲の音は遠くで鳴っているイメージなのか、爆音の後に少し遅れて残響が入り、全体がややくぐもって聴こえるなど不自然。

“唖然とするほどの速さとパワー。オケの合奏も凄絶”

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1981年  レーベル:EMIクラシックス)

 弦楽セレナードとのカップリング。当コンビのチャイコフスキー録音は他に、《白鳥の湖》《眠れる森の美女》抜粋盤、《フランチェスカ・ダ・リミニ》《ロミオとジュリエット》と後期三大交響曲。艶やかに歌う冒頭はなかなか聴かせるが、主部に入るとこの時期のムーティ特有の豪胆な表現が展開。ストレートな力感を解放する金管群の凄まじいパワーには、感心を通り越してやや聴き疲れするのも事実。大太鼓の強打も、聴き手にボディーブローを食らわせる。

 叙情的な部分はニュアンスが豊かで、木管ソロなども好演。一方アレグロ部のテンポは相当に速く、ほとんどプレストという感じで、音楽の調子もすこぶる切迫。アゴーギク、ディナーミク共に緩急の変化は細かく設計されているが、全体的にはテンションの高い、熱に浮かれたような演奏。このテンポについてゆくオケも凄いが、この時期のムーティの録音は大体どれもこういう傾向で、ディスクとしては特殊なカテゴリーに分類したくなる。

“ダイナミック・レンジが狭く、淡々とした調子に聴こえる演奏”

ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1981年  レーベル:グラモフォン)

 イタリア奇想曲、スラヴ行進曲とカップリングしたチャイコフスキー・アルバムより。当コンビは後にテルデック・レーベルで後期三大交響曲を録音しており、その際に同曲を再録音している。残響は長めに収録され、聴きやすい音質。

 バレンボイムの表現はダイナミック・レンジが狭く、テンポの急激な落差や煽りもないので、どことなく覇気に乏しく、淡々とした演奏に聴こえる。ブリッジ的なフレーズでは、速度を落としてねっとりと歌わせる箇所もあり。テンポは全体に遅めで音価が長く、あくまでソステヌートの造形。必要以上に激する事がなく、純音楽的な表現。サウンドも骨太でシンフォニックなアプローチという印象。シカゴ響らしく、ブラスの音圧は高いが、残響が中和して耳当たりは悪くない。大砲の響きは、銃声に近いような軽めの音。

“機動力を極限まで追求し、ヴィルトオーゾ・オケに変貌する名門ウィーン・フィル”

ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ウィーン国立歌劇場合唱団

(録音:1981年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 スラヴ行進曲、ベートーヴェンの《ウェリントンの勝利》を組み合わせたスペクタキュラー・アルバムから。マゼールは後年バイエルン放送響とも似たようなアルバムを企画しています。冒頭部分が丸々合唱のア・カペラで演奏されている上、大砲の音もダビングされていますが、こちらはやや人工的な音でシンセサイザーのようにも聴こえます。

 演奏は、この時期のマゼールがクリーヴランド管と展開していたスタイルの延長線上で、とにかく機動力に優れたもの。単にテンポが速く、リズムが鋭利できびきびとしているというだけでなく、オケ自体も速弾きの一糸乱れぬ合奏に挑戦しているような雰囲気で、超絶技巧の誇示も表現自体に含まれているようなパフォーマンスです。

 それでも、ウィーン・フィルのような情緒的な面で一級の団体として認められてきたオケが、ここまで技巧的になれるのを聴くのは圧巻。勿論、音色面では個性を発揮しており、ロシア民謡的な箇所のカンタービレでも、弦の艶やかな歌が聴き手を魅了します。マゼールの棒も設計が巧みで、トランペットによるフランス国歌など、クレッシェンドとディミヌエンドをデフォルメして遠近感を演出していますし、終盤の壮麗な盛り上げ方も真骨頂。

“主張の強い個性的な表現を貫徹。鬼才サロネンの本格デビュー盤”

エサ=ペッカ・サロネン指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:1984年  レーベル:フィリップス)

 グリンカの《ルスランとリュドミラ》序曲、ボロディンの《ダッタン人の踊り》《中央アジアの草原にて》、バラキレフの《イスラメイ》を収録したロシア管弦楽曲集より。サロネンの本格デビュー盤でしたが、実演で度々共演しているバイエルン放送響との録音は非常に少なく、他には協奏曲の伴奏盤(バティアシュヴィリとのショスタコーヴィチ、アリス=紗良・オットとのグリーグ)があるのみ。サロネンのフィリップス・レーベルへの登場もこの一枚で途切れ、後年に契約アーティストであるムローヴァの伴奏(ストラヴィンスキーとバルトーク)で一度登場しただけです。

 序奏部は響きが透徹し、各声部を分離させて聴かせる趣。主部は遅めのテンポで、着実に音を積み上げてゆく様子に独特の迫力があります。トゥッティも響きが充実。軍楽のパートやアレグロ部も非常にテンポが遅く、ディティールを拡大して白日の下に晒すようなアプローチがユニークです。金管を中心に、ヴィブラートを抑制して真っすぐなロングトーンを徹底し、透明でフラットな響きを作るやり方は、この時期のサロネンに特徴的なスタイル。強弱の描写も細かく、スコアにないアクセントの強調も顔を覗かせます。

 叙情的なパートも、スロー・テンポで情感豊かに歌う表現。時にマーラーを思わせるほどのスケール感で、粘りのあるカンタービレを聴かせます。民族舞曲でも遅いテンポを貫徹し、ロシア情緒を濃厚に出す辺り、スタイリッシュ一辺倒と思われがちなこの指揮者の本分を見る思い。クライマックスはクレッシェンドと共に加速して突入。彫りの深い造形センスと、演出巧者な語り口を聴かせます。スケールも大きいですが、長く尾を引く不明瞭な大砲の音は背後に追いやった印象。デビュー盤で名門オケを相手にこれだけ主張の強い演奏を繰り広げる辺り、ただ者ではありません。

“優秀なオケと真剣そのものの指揮者。まるで交響曲を聴くような緊迫感”

小澤征爾指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:EMIクラシックス)

 《フランチェスカ・ダ・リミニ》、スラヴ行進曲、歌劇《エウゲニー・オネーギン》〜《ポロネーズ》をカップリングした管弦楽曲集より。当コンビの録音はこの前年にガーシュウィンの作品集がありますが、EMIにはこの2枚しかレコーディングを行っていないようです。彼らは同曲を5年後にグラモフォンで再録音しています。カラヤンとの仕事でノウハウが出来上がっているのか、ベルリン・フィルらしい壮麗で密度の濃いサウンドをよく捉えた録音ですが、大太鼓の重低音や、長い尾を引く大砲の効果音はやや過剰。

 演奏は、オケの優秀な能力と峻烈な響きを生かして、シンフォニックな迫力と造形美を展開したもの。歯切れの良いスタッカートと鋭利なリズムも、随所で効果を生んでいます。奇を衒ったり、派手な演出は狙いませんが、オケが上手く、指揮者が真剣そのものなので、まるで交響曲を聴くような真に迫った緊迫感があります。クライマックスの聖歌のパートも、音圧の高い、ソリッドなブラスの吹奏に圧倒されます。各部のテンポ設定や表情のニュアンスも自然で、さりげない芸風というか、いわば、熟練した大人達による一流のパフォーマンスという感じ。叙情性な旋律も、伸びやかな歌心に溢れます。

“アグレッシヴな前傾姿勢と味の濃さで聴かせる、隠れた名盤”

アダム・フィッシャー指揮 ハンガリー国立管弦楽団

(録音:1987年  レーベル:レーザーライト)

 スラヴ行進曲、ハチャトゥリアンの《剣の舞》、ベルリオーズの《ファウストの劫罰》〜《ハンガリー行進曲》《妖精の踊り》、サン=サーンスの《死の舞踏》、ラヴェルの《ボレロ》をカップリングしたフランス&ロシア管弦楽曲集より。よく分からないマイナー・レーベルから出ていますが、日本ではコロムビアの廉価盤プロミネント1000シリーズで94年に発売されました。このコンビの録音は、残響が長過ぎて細部がもどかしいものもありますが、当盤は腰が強く、直接音も鮮明。

 冒頭の弦楽合奏から陰影が濃く、非常に雄弁な演奏。強弱もニュアンスも細かいですが、主部に入ってもオーボエの即興的なソロや、伸縮に富んだアゴーギクでアグレッシヴに攻めるトゥッティなど常に前傾姿勢です。アレグロ部を凄まじいテンポで疾走し、弱音部はたっぷりと表情を付けてリリカルに歌うなど、振幅の大きさも相当なもの。大砲の音はこもり気味ですが、パンチが効いて迫力があります。クライマックスは端正に造形するも、全体としてはこの指揮者らしい味の濃い演奏。

“豊麗な響きに鋭敏なリズム。スポーティで軽快な個性派ディスク”

エドゥアルド・マータ指揮 ダラス交響楽団

(録音:1988年  レーベル:プロ・アルテ)

 歌劇《マゼッパ》から《コサック・ダンス》、《戴冠行進曲》《ロメオとジュリエット》《スラヴ行進曲》をカップリングしたチャイコフスキー・アルバムより。当コンビのチャイコフスキー録音は他に、《イタリア奇想曲》もあります。大砲の音はダビングされた本物のようで、パンチの効いた明瞭な衝撃音。オケから浮き上がって聴こえる、独立したサウンド・イメージです。

 序奏部は弦のしなやかなサウンドが優しい風合いで素敵。主部はアゴーギクが巧妙で、最初の山場へ向かって加速するタイプです(他にもやっている指揮者がいます)。豊麗な響きの中にすこぶる歯切れの良いリズムを盛り込んでくる造形は爽快で、スケールの大きさと両立させているのも非凡。アレグロ部はかなりテンポが速く、無類に軽快で鋭敏なリズムがスポーティな性格を際立たせます。

 叙情的な箇所も強弱の表情付けが非常に細かく、雄弁な語り口。柔らかく、暖かみのあるオケの音色も魅力的。ロシア舞曲の箇所では、テヌートを盛り込んで通常とは違うフレージングも聴かせます。クライマックスもスタイリッシュなまとまりを重視しているのがマータらしく、祝祭的というよりは陽気。音量をやや抑制して、軽快なタッチで小気味好く進行するのが実にユニークです。リズムの間合いを詰めて、極端に鋭敏にさばくような表現も作曲家出身ならではの、常人には考えつかないようなアイデア。

“オケの音色を生かしつつも、峻厳な造形感覚を示すドホナーニ”

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:デッカ)

 交響曲第4番とカップリング。ドホナーニのチャイコフスキー録音は珍しく、他にクリーヴランド管との《悲愴》があるくらいではないかと思います。ウィーン、コンツェルトハウスでの収録。

 序奏部はオケの音色美を生かした柔らかなタッチですが、主部に入る所でドーンとティンパニを強打。同じレーベルのメータ盤、ドラティ盤の伝統を受け継いだような表現です。遅めのテンポで低空飛行から悠々と盛り上げる表現にも凄味あり。アレグロ部は落ち着いたテンポながら、細かく強弱やアクセントを付けてシャープな造形。アインザッツも切り口が鋭利で、音の立ち上がりに勢いがあります。

 叙情的なパートは、弦楽セクションの艶やかなカンタービレが魅力的。フレーズに膨らみがあり、しなやかな歌い回しは素晴らしいです。クライマックスも落ち着いたテンポで、強弱やアーティキュレーションに細かい演出を加えているのがドホナーニらしい所。打楽器のアクセントも鮮烈です。大砲はパンチの効いた音でバランスも良好ですが、鐘は鳴らし過ぎでちょっとうるさいです。

“独自の道をゆく音色とフレージング。ロシア管弦楽の個性と底力を聴く”

ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団

(録音:1989年  レーベル:メロディア)

 弦楽セレナード、ハチャトゥリアンの《剣の舞》、ボロディンの《だったん人の踊り》をカップリングしたロシア名曲集より。序奏部から弦の響きに雑味があり、まろやかにブレンドしない野趣が独特。主部は落ち着いたテンポで進めていますが、ソステヌートの発音で地を這うように盛り上げて行く姿勢には妙な迫力があります。軍楽隊の主題提示は、途中で音量やアクセントの強調があって個性的な造形。

 アレグロ部も中庸のテンポで着実にアンサンブルを構築する一方、サウンドは少し粗削りで、ブラスを中心に特有の音色とイントネーションが聴かれます。特にヴィブラートの効いたトランペットとホルンは、ロシア風という他ない色彩。音圧の高さと凄絶な力感を感じさせるのもこのオケらしい所。ロシア民謡のパートは急速なイン・テンポで押し通しています。大砲の発射音は明確で、大太鼓を誇張したような感じの音。聖歌のパートで又もやテヌートを多用し、強弱の抑揚を付けて歌うのもロシア風です。遅めのテンポで克明に表現されたコーダはパワフルな熱演ですが、格調の高さも感じさせます。

“真面目なアプローチで整然とアンサンブルを展開”

小澤征爾指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 第5交響曲のカップリング。当コンビはこの5年前、EMIに同曲を録音しており、かなり短いインターバルでの再録音に当たります。かなりストレートな表現で、序奏部はルバートを用いず、淡々とイン・テンポで進行。主部に入った所でも、個々のパッセージのメリハリよりも、横繫げていって一つの長いフレーズを作るような、いわば“歌”の意識が強い滑らかな造形で、その意味では師匠カラヤンの衣鉢を継ぐ指揮と言えそうです。

 アレグロ部はオケの優秀な機能が生かされ、整然たるアンサンブルを展開しますが、奇を衒った所は全くなく、終始真面目なアプローチを貫徹。叙情的な箇所も、一応テンポに段階を持たせてはいますが、大きくアゴーギクを動かしたり、情に溺れたりする事がありません。クライマックスは、華やかさよりも機能に傾いたような、実務的な演奏。常にきびきびとしていて、お祭り騒ぎとは無縁です。大砲の音は、旧盤と較べると自然で、バランスも前に出しゃばらないので聴きやすいですが、音色などオケの個性は旧盤の方がよく出ているようにも感じます。

“小細工やハッタリなしに、あくまで純音楽的な表現を指向”

クラウディオ・アバド指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1990年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 交響曲第3番とカップリングで、アバド唯一の録音。アバド的な資質からは遠く隔たった所に位置する曲にも思えますが、やはりというか、当然というか、小細工やハッタリは施さず、純音楽的なアプローチで作品本来の美しさを抽出した演奏。

 テンポは全体に速めで、主部もイン・テンポで進行。あっさりとして肩の力が抜け、構えた所がありません。もっとも、リズムは歯切れが良いし、叙情的な旋律は艶やかに歌っています。派手ではありませんが、緊密な合奏は底力を感じさせる一方、音量を抑えて、軽快に音楽を運ぶ場面も目立ちます。大砲は本物と思われ、結構パンチの効いた音。減速せずに突っ走るコーダは、名技集団シカゴ響の腕の見せ所といった感じでしょうか。

“旧盤から僅か4年後の再録音ながら、オケの表現力が各段に深まる”

クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1994年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《テンペスト》《ロメオとジュリエット》《スラヴ行進曲》とカップリング。シカゴ響との旧盤からわずかに4年後の録音です。カップリング曲も全てシカゴ盤からの再録音。スコアの解釈はあまり変わらず、速めのテンポで引き締まった精悍な造形ですが、オケの表現力と響きの奥行き感は格段に深まった印象。

 序奏部から加速気味の熱っぽい表情を採り、最初のクライマックスへ持ってゆく呼吸も見事という他ありません。サウンドに柔らかさと陰影があり、アレグロ部の緊密な弦楽合奏も純音楽的な緊張感が漂います。内から沸き起こるようなホットな感興も、旧盤にはないもの。どんどんテンポを引き締めてゆくクライマックスもスリリングで、オケの卓抜な合奏力に圧倒されます。大砲の音は力強いものの、やや高音偏重で空虚。

“とにかく巧いオケ。非凡な譜読みでドラマティックに聴かせるバレンボイム再録音盤”

ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1995年  レーベル:テルデック)

 オケは同じながらレーベルを変えての再録音盤。第4交響曲とカップリングされています。シカゴ響がとにかく上手く、表情が雄弁。それでいて指揮者の統率力に感嘆させられる、両者がっぷり四つという体裁です。場面から場面へと移る呼吸や、盛り上がった音楽を収束させてゆく力学的操作、全体の構成力など、譜面の読みが常に非凡。基本的に、遅い部分を速く、激しい部分を落ち着いたテンポで描写していますが、それでいてテンポがならされて一本調子になる事はなく、ドラマティックに聴かせる手腕はさすが。終盤もお祭り騒ぎにならず、有機的な響きで音楽としての美しさを抽出。

“旧盤のスピード感を継承しつつも、各部に自然なニュアンスを加えた再録音”

ロリン・マゼール指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:1995年  レーベル:RCA)

 イタリア奇想曲、ベートーヴェンの《ウェリントンの勝利》、リストの交響詩《フン族の》をカップリングした、スペクタキュラーというアルバムより。マゼールは過去にウィーン・フィルと、似た内容のアルバムを録音しています。

 旧盤に較べると、各部のニュアンスは自然体に近くなり、冒頭部分も合唱のア・カペラから弦楽合奏に変わっています。主部は遅めのテンポで開始しますが、アレグロ部はきびきびとスピーディに処理していて、マゼールの棒も衰えを感じさせません。オケも機能的なアンサンブルで応えますが、マゼール的なクセや溜め、デフォルメはほとんどなく、むしろ純音楽的な美しさを感じさせる辺り、意外ともいえます。

“指揮者の才覚を如実に示しながらも、非力なオケと録音の不備が残念”

西本智実指揮 ロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”

 ユルロフ記念国立アカデミー合唱団

(録音:2000年  レーベル:キングレコード)

 ショスタコーヴィチの第5交響曲とカップリング。録音にやや難があり、ブラスの強奏は抜けが良いのに、それ以外の細部が残響にマスキングされて解像度がもどかしいのは残念です。

 冒頭部分はコーラスで演奏。語調のせいか音色のせいか、いかにもロシアの合唱という印象を受けるのが不思議です。木管が入って以降は弦楽器に戻しているのは、独特の切り替え方。主部はアーティキュレーションの描き分けが非常に明確で、アゴーギクの付け方もドラマティック。アレグロ部も、緊密な合奏と切れ味の鋭いリズムできびきびと造形しています。造形はオーソドックスですが、スキルが高い印象でしょうか。各部のテンポや表情も適切に感じられます。オケはやや非力で、さらなる機能性と音色美が欲しい所。

 クライマックスへ向かうクレッシェンドは、スネアドラムのリズムの個性的なデフォルメあり。合唱が入る山場もアゴーギクが堂に入っていて、強弱の演出も効いています。大砲は打楽器で代用している様子。コーダ締めくくり方も見事です。非凡な才能のある指揮者なので、優秀なオーケストラを振れば本領が発揮されると思うのですが、どういう訳か内外問わず三流、四流の団体ばかり相手にしているのは、楽壇が男性社会である証左でしょうか。

“速めのテンポできりりと引き締める一方、飾り気がなく清潔な印象も”

小泉和裕指揮 九州交響楽団

(録音:2006年  レーベル:フォンテック)

 グラズノフやリャードフなどマイナーな作品も含めて、小品を多数集めたロシア管弦楽曲集に収録の音源。ライヴではなくセッション録音ですが、ホールの音響特性ゆえか響きが浅く、軽い感じに聴こえます。オケのサウンド自体も薄手の印象。

 全体にかなり速めのテンポできりりと引き締めた演奏。指揮者の純音楽的資質が端的に表れた格好で、良く言えば極めて清潔な表現です。作品の仕掛けが派手なので、こういう飾り気のない演奏の方が聴き易いのかもしれませんが、もう少しコクというか、叙情的な部分などでさらに彫りの深い表現を望みたい気もします。大砲はシンセサイザーかと思われますが、かなり人工的な音で、演奏自体の方向性とはあまり合っていないかもしれません。

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