マーラー/交響曲第5番

概観

 マーラーの交響曲では第1番の次に人気のある作品。声楽が入らない事、第4楽章アダージェットが映画『ヴェニスに死す』に使われて有名になった事、詠嘆調のメロディが多い事、フィナーレが派手に盛り上がる事がその要因と思われますが、来日オケも軒並みこの曲をプログラムに上げるので、私は「実演ではもう結構」と食傷気味です。

 又、マーラーの書法で特徴的なものにポリフォニーと遠近法がありますが、この曲では珍しく、それらをあまり使っていないように思います。第2、3、4番と声楽を取り入れて来たスタイルも一旦封印し、この後の6番、7番も器楽のみで構成。一方、第1楽章にお得意の葬送行進曲を持ってくる辺りは、マーラーらしいです。個人的には第5楽章の楽想把握がどうも難しくて、展開を追っている内によく集中力が切れてしまうのですが、これは私だけでしょうか。

 お薦めディスクは、圧倒的名演と感じるのがメータ盤、レヴァイン盤、シャイー盤、佐渡盤。次点ではマゼール盤、デ・ワールト盤、ラトル盤、西本盤、インバル/チェコ盤あたりも、それぞれに良さがあってお薦めです。

*紹介ディスク一覧

71年 クーベリック/バイエルン放送交響楽団   

73年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

76年 メータ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック  

77年 レヴァイン/フィラデルフィア管弦楽団

80年 アバド/シカゴ交響楽団

82年 マゼール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

88年 ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団

90年 小澤征爾/ボストン交響楽団

92年 デ・ワールト/オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

93年 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

96年 ブーレーズ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

97年 バレンボイム/シカゴ交響楽団

97年 シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

01年 佐渡裕/シュトゥットガルト放送交響楽団

02年 ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

05年 T・トーマス/サンフランシスコ交響楽団

08年 ヤンソンス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

07年 ジンマン/チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団

09年 西本智実/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

11年 インバル/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

16年 ハーディング/スウェーデン放送交響楽団   

18年 大野和士/バルセロナ交響楽団

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“演奏効果に走らず、作品の芯をがっちりと捉える音楽性の高さ”

ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:1971年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 全集録音より。クーベリックのマーラーは、端正な造形の中に豊かな音楽的ニュアンスを盛るのが彼らしい所。人工的な味付けや大仰な身振りがなく、古典音楽の延長として自然体でマーラーを捉えている辺りが、意外にも小澤やブーレーズの姿勢と重なります。ただ、この時期のバイエルン録音は響きがやや薄出で、低域も軽く感じられるのが難点。

 第1楽章は冒頭のトランペットから歌の要素が強く、独特の雰囲気。細部を分析的に処理して積み上げるより、勢いや情緒を重視している所が、ブーム以後のモダンなマーラー像と大きく違います。オケはややローカルな味わいですが、音楽への没入度が高く、嫋々と歌うのが魅力的。音色自体は美しいです。アーティキュレーションはかなり意識的に反映され、語調は非常に明瞭。

 第2楽章は、落ち着いたテンポで歯切れの良いスタッカートを駆使した個性的な造形。旋律線が総じてロマンティックに歌うのがこの全集の傾向ですが、アクセントはむしろ鋭利で、硬筆の峻烈なタッチも生かしています。第3楽章も冒頭のホルンが歌うような調子。どの箇所もすこぶる味わい深い表現で、各フレーズの多彩なニュアンスと音色に魅せられます。鮮烈なアクセントやアゴーギクの妙もさすが。演奏によっては冗長になりがちな楽章なので、指揮者の見識に脱帽せざるをえません。

 第4楽章は艶やかな音色で情緒豊か。濃いめの表情を付けますが、決して芳香が強すぎたり、大袈裟な歌い回しにはならない趣味の良さがあります。第5楽章も落ち着いた雰囲気で、各フレーズが持つ性格を的確に表出。演奏効果の追求やお祭り騒ぎには陥らない本物の手応えがあり、質実と情感を両立させるその手腕、音楽性の高さに頭が下がります。前楽章の主題が回帰する箇所も、音色、歌わせ方ともに絶品。

“指揮者の美学とスーパー・オケの能力を発揮しながら、意外に淡白な一面も”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1973年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビのマーラー録音は意外に少なく、他に4、6、9番と《大地の歌》、歌曲集があるだけです。第1楽章からソリッドな金管と、豊麗で高域寄りのマスの響きがカラヤン流。旋律を艶やかに歌わせながらも、テンポに粘り気がないせいか、情感的には淡白な印象です。展開部も速めのテンポでダイナミック。硬質なティンパニの打音がアクセントに効いており、ベルリン・フィルらしい豪胆な響きを聴かせます。楽章全体に独特のドラマティックな起伏があるのも、演出力を感じさせる所。後半の弱音部の表現には、得も言われぬ寂寥感が漂います。

 第2楽章はリズムの切れが良く、さほど重みのない響きが艶やかに磨き上げられて美麗。各フレーズが内包する情念にあまり耽溺しないのも特徴です。山場は壮麗に構築されますが、オケがとにかくうまく、ほぼ合奏力と音色だけで聴かせてしまう傾向もあり。第3楽章は遅めのテンポで彫りが深く、トリオはさらにテンポが落ちて、漂うように優雅な佇まい。弱音部の精妙な趣が印象的で、ホルンの豊麗な音色、ティンパニの峻烈なアタックも効いています。コーダに向けての追い上げも効果的。

 第4楽章は、息の長いフレージングと艶やかに磨かれた響きで紡ぎ上げる、カラヤン美学の極致。ただ、情感の濃さや粘性はあまりなく、むしろあっさりした演奏といえます。音量だけでなく、遠近法も巧妙に演出されていて、くぐもったヴァイオリン群の弱音が、遠くからエコーのように響いてくる様は幻想的。後半の感情的な高まりも、内的感興を伴います。

 第5楽章は、冒頭の管楽器群のソロからしてすこぶる鮮やか。結局の所、オケの技術力の凄さに尽きる演奏です。例えば、全体を支える強靭な弦楽合奏の威力だとか。もっとも、カラヤンの棒の細かなコントロールも、若い世代の指揮者と較べて遜色のないほど、精緻で神経の行き届いたものです。思い切り加速して熱っぽく駆け込むコーダも圧巻。

“健康的な性格ながら、強力な棒で聴き手の耳を惹き付け続ける凄絶な熱演”

ズービン・メータ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1976年  レーベル:デッカ)

 同コンビのマーラー録音は他に第3番と、フォレスター歌唱の歌曲集あり。メータは後に、ニューヨーク・フィルと同曲を再録音しています。その第3番もそうですが、徹底して平明な語り口ながら、凄いほどの勢いと明快さで聴き手を呪縛する熱っぽいパフォーマンスで、翌年に発表されるレヴァイン盤のスタイルを先取りしている印象もあります。

 第1楽章は速めのテンポで、冒頭のトランペットも同音連打のスピード感など前のめりの勢いがあります。あまり溜めを用いず、前へ前へ歩を進めるひたむきさは健康的でこそあれ、いわゆる客観的な淡白さとは全く違うものです。ダイナミックな力感をストレートに示す若々しさも胸のすくよう。とにかく目の覚めるように音抜けが良く、旋律線ものびやかに歌い上げますが、そこに厭世的なセンチメンタリズムが微塵もないのはメータらしいです。コーダも一切の溜めなし。

 第2楽章も切迫感溢れる快速テンポで、冒頭から嵐のような勢いで疾走。こういう時のメータとロス・フィルは、何ともいえない凄みを発揮します。哀愁を帯びた第2主題も、木管群の伴奏リズムが切れ味抜群のスタッカートで彩るので、推進力が落ちません。合奏が錯綜する難所もすこぶる鮮やかな棒さばきで、終始緊張度の高い合奏を維持するオケと、指揮者のパワフルな牽引力に驚かされる熱演です。

 第3楽章は、メータの音楽的素養を成したウィーン流に独自の個性をプラス。フレーズの末尾をディミヌエンドで締める際の軽妙なタッチ、レントラーの揺れる拍節感とルバート、歌の呼吸などはウィーンの音楽的スタイルですが、振幅の大きな間合いや低音部の動きを明瞭に切り出すレイヤーの好みは完全にメータ節です。様式の把握力、音楽全体の設計センスも確かで、コーダの追い込みも凄絶そのもの。

 第4楽章は耽美性や官能性はなく、ごく健全な性格ですが、明るく艶っぽい音色でよく歌う演奏。退廃美みたいなものは無いとしても(そんなのほとんどの演奏にありませんが)、合奏の精度と集中力は高く、漫然と無為に音が流れてゆく緩さはありません。第5楽章も細部まで意志の力が漲り、緻密さと大胆さを兼ね備えたすこぶる密度の高い表現。印象が散漫になりがちなこの楽章を、これほど求心力高く、聴き手の意識を強力に惹き付け続ける演奏は希有と言えるでしょう。

“構成を明快に提示し、スコアの細部を隈無く照射した驚異的なマーラー解釈”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1977年  レーベル:RCA)

 レヴァインは同オケやシカゴ響、ロンドン響と未完のマーラー・シリーズを残しており、フィラ管とは他に9番、10番を録音。当コンビのディスクは他に、シューマンの交響曲全集もあります。このシリーズはいずれ劣らぬ名演揃いで、純音楽的アプローチの雄として一つの規範となったディスクと言えるのではないでしょうか。録音もクリアで生々しいもの。

 第1楽章から、音色が概して明朗で開放的。冒頭のトランペットはいくら何でも明るすぎるんじゃないかと感じますが、弦のハイ・ポジションなども派手といっていい程の華やかさです。ためらいなく飛び込んでくるブラスやティンパニの思い切りの良さは随一。アクセントが鋭く明確で、音の立ち上がりにスピード感があるため、遅めのテンポにも関わらず非常に勢いの良い、精力的な演奏に聴こえます。展開部に突入する呼吸も見事で、錯綜するスコアを明晰に腑分けし、鮮やかに聴かせる手腕は圧倒的。一方で、旋律線の表情は繊細に描写されます。

 第2楽章は速めのテンポでテンションが高く、弦も金管もナイフのように鋭く切り込んできます。嵐のような感情の激しさもあり、ティンパニの強打も鮮烈そのもの。艶っぽく歌われる旋律線は雄弁で、フレーズの隈取りが明瞭です。メリハリがくっきりと付けられ、音楽の輪郭が常に分かりやすく提示されるのも利点。音圧が高いので、元気一杯でエネルギッシュに聴こえますが、デュナーミクとアゴーギクの精度は高く、きめの粗い大味な表現に陥る事はありません。

 第3楽章は冒頭のホルンに奥行き感があり、ニュアンスも豊か。各パートの発色が良く、カラフルに色分けされたスコアを眺めるような趣です。全てが白日の下にさらされ、曲想の対比や変転が鮮やかに決まる一方、弱音部のオーボエなど、慎ましやかな叙情の表出も素敵。レヴァインは、特にオペラの群衆場面で顕著ですが、様々な要素が絡み合う複雑な音楽を、整理して立体的に配置するのが本当にうまいです。オケの合奏力も強力で、コーダなど凄絶なパフォーマンス。三部構成の中央で独立しているこの楽章を、アッチェレランドで小気味よく切り上げて次の楽章に繋ぐ様式感も見事です。

 第4楽章は、強靭な張りのあるラインを重ねて、解像度の高い響きのレイヤーを作る行き方。そのため、線的にどぎつい表現に聴こえるかもしれませんが、スコアを隅々まで照射する怜悧な感覚に強い説得力があります。フィラ管の弦楽セクションは艶やかに磨かれた音色が魅力ですが、ウィーン・フィルのように、統一されたイメージを皆で共有する音色美とは様相が異なります(シカゴ響も同様です)。ヴァイオリンの高音域など、フォルテの押し出しとエネルギー感がいかにもアメリカ風。

 第5楽章は落ち着いたテンポを採りながらも、明快かつ鮮烈な表現。デュナーミクとアーティキュレーションを精細に描写し、鮮やかな音色と多彩なニュアンスで各場面を描き分けてゆく辺り、楽譜の読みの深さを窺わせます。マーラー・ブーム以後の耳で聴いても、驚異的なスコア再現能力という他ありません。スケールも大きいですが、構成が的確に把握されていて、大曲という構えなしに聴けるのは快感。オーケストラ・ドライヴの腕も一級で、高出力のオケをパワフルな手綱さばきで牽引するレヴァインの指揮は圧巻です。コーダの軽快な造形も見事。

“どこまでも客観性を貫き、自由を呼吸を封じ込めたハードなマーラー”

クラウディオ・アバド指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1980年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 複数オケによるマーラー・ツィクルスの一枚。アバドは後にベルリン・フィルと同曲を再録音しています。当コンビのマーラーに共通するスタイルで、音の動きにすごくハードな感触があって、遊びや余裕のあまりない、A地点からB地点へ最短距離で行くような演奏です。まるで、曲線を使わずに描いた絵みたい。

 恐らくは扇情的なルバートを排し、テンポの振幅を大きく取らない造形がその印象をもたらしているのではないかと思いますが、旋律線もニュアンスこそ豊かなものの、あくまで客観的というか、感情的に没入して歌い込むタイプではありません。響きは驚くほど整理されていて、あらゆるパートの動きが耳に入ってくるよう。ほぼ完璧とも思えるシカゴ響のアンサンブルには、唖然とするしかありません。

 最初の二つの楽章は、感情の嵐が押し寄せるような曲調からすれば、いかにも一歩引いて冷静に構築したような演奏。サウンドは精緻で美しく、こういうのを純音楽的でシンフォニックな表現と言えるのかもしれません。比較的親しみやすく感じられるのは、元々感情過多の音楽ではない第3楽章からでしょうか。こちらはオケと指揮者の性格が良い方に出た印象です。

 アダージェットも情感こそ淡白ですが、清潔なフレージングと音色の美しさは際立っており、なかなかの聴きもの。スコアのディティールまで余す所なく再現したフィナーレは、シカゴ響の合奏力がなし得た驚異的パフォーマンスの一例です。ただ、あまりに堅苦しく、窮屈なこのマーラー演奏には賛否あって然るべきもの。どうしてもアバドでというなら、後年のベルリン盤をお薦めします。

“スロー・テンポでオケの魅力を生かしつつ、徹底して精確さを追求”

ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音の第1弾として発売され、極めて鮮烈な印象を残したディスク。過去このレーベルにはあまり縁がなかったウィーン・フィルでしたが、他レーベルの録り方と違い、遠目の距離感で残響をたっぷり取り入れながらも、補助マイクで直接音を明瞭に拾い、魅力的なサウンドに仕上がっています。皮の質感も生々しいティンパニの打音も劇的。全編を通じて際立っているのが、ゆったりと遅いテンポと、噛んで含めるように克明に施されてゆく細部の造型です。

 第1楽章は、引きずるように重々しいテンポが葬送行進曲の性格を顕著に表し、それに追い打ちをかけるルバートが音楽にさらなるブレーキを掛けるのを聴くと、正にマゼール劇場の幕が開いたという感を禁じ得ません。しかし意識的なフレージングこそマゼール流ながらも、詠嘆調の憂いを帯びた音楽作りは当時、現代人の心を如実に反映したマーラー解釈と聴こえた事を今でも覚えています。オケの艶っぽい音色は十分生かされ、テンポの変幻もごく自然。強奏部の盛り上げ方には、気宇の大きさも示します。

 第2楽章もかなり遅いテンポで、一音ずつスタッカートで切り揃えてゆくイントネーションはマゼールならでは。扇情的な表現には傾きませんが、オケのソノリティがうっすらと悲哀の色に染まるのが、聴き手の胸を打ちます。アーティキュレーションに敏感に反応するのも、マゼールの棒に特有の感覚。音響は明晰かつ立体的に構築されますが、これだけ細密な描写力を徹底しても流麗さが際立つのは、さすがウィーン・フィルですね。マーラーの神経質な強弱指定に従いながら、それを音楽の起伏として見事に昇華している辺り、スコアを完全に掌握しきっている印象です。

 第3楽章もゆったりとしたテンポ感ながら、鋭利なリズムで緻密に描写。どの楽章もそうですが、決して慌てない悠々とした歩みが、逆に凄味を感じさせます。響きのコクと深い奥行き感も魅力的。アゴーギクに無理がなく、ごく自然に場面転換がなされるのは、マーラーを演奏する上で得難い能力と言わねばなりません。優美な音色を用いながらも、くっきりとした筆使いで個々のラインが冴え冴えと描き出されるのが、マゼールのマーラーの特色です。

 第4楽章は意外に粘性がなく、さっぱりとしてみずみずしい歌い口。しかし、オケの音色美をいささかも犠牲にする事なく、覚醒した怜悧な意識で楽想の変転をコントロールする手腕は、非凡という他ありません。響きをねっとりと混合してしまわず、レイヤーを精細に分離させているのが特徴。

 第5楽章も落ち着いたテンポをキープしながら、鮮やかな色彩とシャープな輪郭を描き出す名演。大編成のオケを自在にドライヴするマゼールの棒さばきは卓抜で、リズムやアーティキュレーションにことごとく正確さを追求しています。きびきびとして角の立った語り口もマゼールらしいですが、しなやかなカンタービレとまろやかな響きで対抗するウィーン・フィルのキャラクターは、それを補って余りあるメリット。全強奏でも柔らかさと弾力を保持したサウンドが素晴らしいです。

“精密さと肉体的運動性を兼ね備える、妙にマッチョなドホナーニのマーラー録音第1弾”

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:デッカ)

 マーラー録音シリーズの一枚。最初に録音されたもので、後のシリーズ録音とは少し演奏の性格が違います。特徴的なのはアタックに張りのある筆圧の強いデッサンと、フォルテピアノを盛り込んだ癖のあるフレージングの多用、そして横の流れを断ち切るような息の短いフレーズによる構成。ティンパニの豪快な打撃を中核に据えた筋肉質のソノリティも、マッチョな性格に感じられます。

 第1楽章は、鋭いアクセントを強調したトランペット・ソロが独特のイントネーション。続くトゥッティも思い切りの良いティンパニの強打が、豪放な力感とスポーティな躍動感を生み出します。テンポが速く、前へ前へと煽り立てるような強い推進力がありますが、展開部は逆に遅めのテンポを採択し、速度的な落差を減少させています。響きがクリアで明るく、構造が透けて見えるような感覚は爽快。角が立ったフレーズは、マゼール時代の当オケに顕著だった、句読点を明瞭に打ち出す語調を彷彿させます。

 第2楽章はすこぶる精密ながら、ある種の熱気を孕んだスリリングな表現。冒頭はスタッカートを強調し、威圧感を取り除いた軽いタッチですが、ドホナーニの棒は、速めのテンポでぐいぐいと引っ張ってゆく牽引力が強いです。正確に演奏するのは至難と思われる、金管や打楽器の急速な同音連符もアクセントを付けてきっちり処理。情感面は淡白と言えるかもしれませんが、概して旋律線は朗々と開放的に歌われています。

 第3楽章はやや機能的に感じられるものの、構造を把握する指揮者の能力がよく出た表現。レントラー風のトリオを、速めのテンポでさらりと仕上げる所は彼の様式感の真骨頂ですが、当楽章がシンメトリー配置の中央に置かれている事を考えると、そこから逆算して割り出した妥当なテンポなのかもしれません。機動力抜群の弦や、ホルンの驚異的パフォーマンスが耳を惹く一方、ここでもパンチの効いたティンパニが知的な態度を吹き飛ばし、肉体的運動性を前面に押し出す効果を担っています。

 アダージェットは粘性がなく健康的で、世紀末ウィーンの退廃とは無縁のカラフルな音楽世界を形成。ダイナミクスは精緻にコントロールされており、室内楽の感覚を想起させるクリーヴランド管の合奏力をうまく生かした表現と言えます。フィナーレも、オケを完全に掌握したドホナーニの棒が圧巻。整然たるアンサンブルを繰り広げるオケの高い技術力に耳を奪われます。明朗な音色は作品と相性良し。唯一気になったのは、コーダにおけるティンパニの連打が、バランス的に強すぎる事でしょうか。

“全体をコンパクトにまとめ、マーラーを古典音楽の伝統の中に捉えた異色の演奏”

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団

(録音:1990年  レーベル:フィリップス)

 全集録音の一枚でライヴ収録。第1楽章は、まろやかなトランペットの響きと克明なリズム処理、整然と統率された合奏がいかにも当コンビらしい所。続く弦の主題提示が全く粘らず、さらりとした情感を感じさせるのも小澤らしいです。強奏部は大言壮語せず、まとまりの良い造形になっていて、楽章全体の設計をコンパクトに感じさせる親密さがあります。感情的な爆発や嫋々たるエレジーを求める人には、全くお門違いのディスク。展開部も、ドラマが急変する印象は全く与えません。そもそも音量も控えめで、七割くらいのパワーにセーヴする一方、弱音部は室内楽のように合奏を構築しています。

 第2楽章も、合奏の整理がビジネスライクで、いわゆる凄味や迫力は極力排除する方向。親しみやすい性格だし、てきぱきとした小気味よさもありますが、スケール感を求めるより全体を小じんまりとまとめる傾向があります。音がとっ散らからないので、スコアを明晰に把握できるのはメリット。各要素をポリフォニックに鳴らすのではなく、幾つかのグループに収束させて純音楽的に組み立てる手法は、あくまでもマーラーを古典音楽の正統な流れで捉えるスタイルのように思えます。弦のポルタメントさえ素っ気なく聴こえるのは、むしろ凄いような気も。

 第3楽章も大仰な所がなく、自然体の指揮に全楽章中で最も合う曲調。テンポや楽想の変化が自然で、いかにもスムーズに連結されるのですが、対比を強調しないやり方が果たしてマーラーにふさわしいかどうかは賛否のある所でしょう。演奏のスキルは抜群に高く、テンポやダイナミクスのコントロールも見事な一方、さらに自在な呼吸感があってもいいかもしれません。木管やホルンなど、弱音部でのインティメイトなアンサンブルも素敵です。

 第4楽章は、カラヤン譲りの滑らかで息の長いフレージングを作りながらも、情感面では淡々としているのがやはり師匠譲り。旋律線があまり粘らないのと、強弱の幅を大きく採らないのも淡白に聴こえる一因です。細かいダイナミクスの描写はきっちり付けているし、弦の艶やかな音色も生かされています。

 第5楽章は落ち着いたテンポで、まるで刺激のない、おだやかな演奏。響きの透明度が保たれている上、音量で威圧しないので耳に優しいのと、オケの機能性を軸にきびきびとした合奏を展開しているのは美点です。フィリップスのボストン録音(特にライヴ盤)は残響がややデッドなものも多いですが、角が立たず、まろやかなソノリティは魅力。構成力が優れているので最後はそれなりに盛り上がり、会場も沸いています。

“鋭敏かつ克明な描写を徹底しながらも、甘美な情感でホロリとさせられる名演”

エド・デ・ワールト指揮 オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1992年  レーベル:RCA)

 ライヴによる全集録音中の一枚。アムステルダムの名ホール、コンセルトヘボウでの公演で、深々と広がる残響を豊富に取り込んだ素晴らしい録音です。艶美なオーケストラ・サウンドの魅力を見事に捉え、会場ノイズも目立たず直接音の距離感も適度。ライヴ収録の制約はほとんど感じさせません。

 第1楽章は非常に遅いテンポを採択し、詳細に表情を施してゆく彫りの深い表現。冒頭のトランペットからその傾向は顕著で、アウフタクトから入るオケのユニゾンも、クレッシェンドがこれほど強調されている例は稀だと思います。主題提示も、オランダ人の特性とも言われる、噛んで含めるような克明さが支配的。スコアの指示が極端に細かいマーラーの音楽で、それがプラスに働く事は言うまでもありません。

 コンセルトヘボウ管のそれと較べても決して遜色のない、滋味豊かな響きの美しさは特筆したい所。デ・ワールトの指揮は、大袈裟に叫ぶような所はありませんが、ダイナミックな活力や起伏に欠ける事もなく、鮮やかな色彩感と典雅な音色センスで聴かせます。濃密なニュアンスで歌われる、みずみずしい旋律線も魅力的。

 第2楽章も遅めのテンポで、あらゆる音符を丹念に描写するような趣。リズムの切り口はシャープで、ザクザクと刻まれる各フレーズに独特の迫力があります。一方、艶っぽくも切々と歌われるカンタービレには、何とも形容し難い甘美な情感が漂い、聴き手をホロリとさせるような、情緒に訴える哀調があります。それでいて情に溺れてしまう所がないのは、あらゆる音符が徹底して明快に彫琢されているからでしょうか。コーダ前後の気宇の大きさ、尖鋭を極めたリズム描写も鮮烈そのもの。

 第3楽章は、ホルンの柔らかく素朴な音色が独特。落ち着いたテンポながら、鋭いアタックと歯切れの良いスタッカートが支配的で、柔和で明朗なソノリティと好対照を成しています。旋律の歌わせ方がとにかく巧く、レントラー風のエピソードにおける艶美な表情など、思わずうっとりさせられます。場面転換や設計の手腕も卓抜で、アゴーギクの操作も巧妙だし、何より音楽が一本調子に陥りません。

 第4楽章は艶やかな光沢と暖かみのあるオケの音彩が、作品にうまくマッチ。ねっとりとした情念こそありませんが、柔らかなタッチで感興豊かに歌われる旋律線が聴き手を魅了します。第5楽章も潤いたっぷりで、末端まで養分が行き渡った響きが耳のごちそう。優美な歌心と朗らかな性格、くっきりと隈取られたフォルムが際立ち、興奮体質の大音響で聴き手を圧倒する演奏とはベクトルを異にします。低音部や内声にまで徹底させた、鋭敏なリズム処理も絶大な効果を発揮。

“自在な呼吸感を増しながらも、ドラマ性を拒絶する演奏の在り方に疑問が残る再録音盤”

クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1993年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 シカゴ響との旧盤から13年ぶりの、ライヴによる再録音。第1楽章は、淡々とした調子で開始。情に溺れない所はアバドらしいですが、音楽の呼吸は旧盤よりずっと自然になっています。抑制された音量や、大仰な身振りを排した音楽作り、緻密な音響構築など、奇しくも同じレーベルのブーレーズ盤と共通点が多いのは興味深い点。ライヴ収録のせいか、贅肉を削ぎ落したような細身の響きもその印象を強めます。楽章全体の起伏を大きく作らないため、コーダに至っても収束感や脱力、虚無の表出がほとんど感じられないのは好みを分つ所でしょう。

 第2楽章は冒頭から峻烈さと烈しさを示し、前の楽章と様相が対比されています。もっとも、感情的に耽溺するような所はなく、あくまで客観性を保つのが当盤の特質。ベルリン・フィルも、アバドが振ると不思議と名技性が前に出ません。ティンパニを筆頭に、打楽器の効果も極限まで抑えられています。マーラーらしい振幅の大きさがほとんど表現されない点は議論の余地がありますが、テンポの伸縮やダイナミクスの変転は細やかに表現されています。

 第3楽章も中庸のテンポで、精細な表現。細部までフォーカスが明瞭で、表情も豊かに付けられているのに、常に冷静な佇まいに感じられるのは、サウンドの感触だけでなく、情緒的な側面への共感が薄いせいかもしれません。アゴーギクの幅も、微妙なさじ加減で狭められているように感じられます。全体のスケール感もやや小じんまりしているような。

 第4楽章は、新ウィーン学派の作品も得意とするアバドの面目躍如たる所。ダイナミクスやアーティキュレーションの精度の高さもさる事ながら、アゴーギクの見事さ(特に息の長さと中間部のテンポ・コントロール)、旋律線の粘性と音色の作り方に聴くべきものが多いです。弦の響きも、ここで潤いと熱気を増すように聴こえます。

 第5楽章は、全曲中で最も見事な出来映え。開始直後の弦の合奏からくさび型の鋭いアクセントを細かく打ち込み、その後の展開でも峻厳な彫琢を徹底。弦がアダージェットの旋律を回想する箇所でも、濃密な表情を付けて、艶やかな音色で耳を惹きます。後半の盛り上げ方にも凄味があり、細部が語りかけてくるような雄弁さと敏感なレスポンスで、全編生彩に富むパフォーマンスを展開。

“精緻な描写と徹底する一方、時にかつての烈しさと凄味を感じさせるブーレーズ”

ピエール・ブーレーズ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1996年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 様々なオケを使った全集録音中の一枚。ウィーン・フィルとは第2、3、6番、大地の歌、嘆きの歌、歌曲集を録音しています。このレーベルのウィーン録音としては残響が豊富で、奥行きの深い音場感と、しっとりと潤うオケの音色美を見事に捉えた好録音。

 第1楽章はトランペット・ソロがほの暗く、深々とした音色。トゥッティの響きも柔らかいですが透明度が高く、粘りを排した旋律線が常に淡々としているのはこの指揮者の特徴です。マーラーとして異色なのは、デュナーミク、アゴーギクの変化に徹底して冷静に対処し、極端な変化や対比を注意深く避けている点。しかしリズム、アーティキュレーションと併せ、その精度の高さは特筆に値します。

 展開部もテンポがゆったりしている一方、裏拍のリズムをきっちり感じているので、独特の凄味を帯びたグルーヴが生まれています。そのため、提示部との速度的コントラストが他の演奏と少し違いますが、アクセントを明瞭に打つために、音楽の輪郭がくっきりと示されます。音響的にも全てが鮮やかに隈取られ、曖昧さを残さない印象。それが無味乾燥に陥らないのは、オケの音色美ゆえでしょうか。

 第2楽章はテンポこそ落ち着いていますが、内面がざわつくような切迫した調子があり、若い頃のブーレーズを彷彿させる、内に秘めた烈しさが感じられるのが嬉しい所です。しかし強弱の表現やリズムのタイミングは精確そのもので、艶やかな旋律線にも扇情的な所がありません。エッジの効いたリズムが刺々しくならないのは、ウィーン・フィルの美点。中間以降のクライマックスも、引き締まった造形と峻烈な音響が強い緊張感を帯びていて、思わず引き込まれます。大きくテンポを落として緊張を解放する山場は気宇壮大で、ブーレーズとしては意外にも感じられる演出。

 第3楽章はオケの面目躍如たる曲想ですが、全てを鮮やかに描写する発色の良さと解像度の高さに、指揮者の才覚を発揮。各フレーズは遅いテンポで歌い切られ、控えめながらルバートも使用して、スコアが内包する情緒も十分表出しています。ダイナミクスと遠近法の効果も精妙という他ありませんが、オケの美しい音彩が常に聴き手の耳を魅了するのが凄い所。それも大局を見失わず、堅固に構成をまとめあげる棒さばきあっての事です。フォルティッシモの全強奏とホルンの対比も、大仰さが全くないのに鮮烈そのもの。

 第4楽章はぐっと抑制を効かせ、弱音を基調に設計。大方予想される事ではありますが、『ヴェニスに死す』的な濃厚さを求める人には全く向きません(そんな人はブーレーズ盤を聴かないでしょうけど)。しかしアウフタクトに力点を置かないブーレーズ特有のストレートな棒は、スコアからより清澄で、密やかな音を引き出しています。オケが極上の音色で弾いている以上、スコアを正確に再現すれば十分な成果なのだ、というスタンスかもしれません。強弱の表現も微細を極めています。

 第5楽章も落ち着いたテンポ。淡々とした調子の中、正確無比に構築されるスコアの再現が圧巻です。やはり裏拍のビートを生かした独特のノリがある点は注目。合奏、特にリズム処理は非常に精密で、ディティールの表現に圧倒されていると、大胆なアクセントが打ち込まれて思わずのけぞったり、ダイナミズムの幅も大きいです。オケも音色美一辺倒ではなく、技巧面での優秀さも一級。コーダで全く白熱しないのはいかにもブーレーズです。

“独自のユニークな解釈で表情を施した、初演地ケルンでのライヴ盤”

ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1997年  レーベル:テルデック)

 作品の初演地でもあるケルン、フィルハーモニーでのライヴ録音。作曲者と同じユダヤ系ながらバレンボイムのマーラー録音は珍しく、当コンビの《大地の歌》がある他は、ベルリン・フィル、パリ管との歌曲集があるくらいです。ただ、音楽の表情付けやスポットライトの当て方が、他盤とは違っていて個性的。ライヴとはいえ完成度は高く、見事な仕上がりです。

 第1楽章は、きびきびとしたリズムとスラーを交替させる軽妙なファンファーレに続き、前傾気味のトゥッティも肩の力が抜けている印象。主題提示は落ち着いていて、強弱のニュアンスが豊か。アクセントの強調などメリハリが効いている所は、表現主義的にも感じられます。アゴーギクが変化に富み、前のめりに急なルバートをかける瞬間が多々あるのも特徴。全てが明快でダイナミックですが、力で押す傾向はありません。各パート共、アーティキュレーションの描写が徹底していて、気持ちが良い演奏。

 第2楽章は、ものものしさや威圧感がないのにドラマティックな迫力が強く、語るべきことはちゃんと伝えるという、不思議なスタイルです。ラインの描き方はしなやかで優美。考え抜かれた解釈に、現場での直感をうまくプラスしたようなパフォーマンスです。構成とテンポ設定が見事で、緊張感が常に維持されている感じ。強音部においても、中身の詰まった充実した響きを聴かせます。

 第3楽章はソフトなタッチながら、発色が良く鮮やか。響きの透明度も高いです。アーティキュレーションやダイナミクスなど表現の精度が高く、指揮者の意志が隈無く徹底されている感じが凄いです。潤いに満ちた柔らかな音彩も美しく、ホルンやオーボエなどソロも素晴らしいパフォーマンス。リズム感も卓抜です。第4楽章は、あまり粘らないカンタービレが爽やか。弦の音圧が高いですが、響きに光沢があって明るいムード。デュナーミク、アゴーギクは、中間部辺りからかなり感情的に付けられています。

 第5楽章は、ゆったりしたテンポで明朗な性格。オケの緻密な合奏力と音色の鮮やかさを生かし、恰幅の良い造形で聴かせます。リズムのエッジが効いている一方、豊かな叙情性と艶っぽい歌心が好対照。トゥッティの充実したソノリティは圧巻ですが、決して音量で威圧せず、有機的な響きを維持してうるさくなりません。

“典雅な音色、緻密を極めた描写力。現代音楽のような斬新な解釈に脱帽”

リッカルド・シャイー指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1997年  レーベル:デッカ)

 全集録音中の一枚。コンセルトヘボウのホールトーンを見事に捉えた録音共々、見事という他ないディスクです。かつてこのオケの録音を一手に引き受けていたフィリップス・レーベルの音質が、デジタル時代に入ってやや薄手になってきたのに反し、デジタル時代からコンセルトヘボウ管を起用しはじめたデッカの録音は、帯域バランス、パースペクティヴの深さと音響の立体感、特有の音色など、フィリップス時代の美質を損なわず、より現代的優秀録音の要素も加味していて、文句の付けようがありません。

 演奏も驚異的な出来映え。マーラーの曲では、主旋律がロングトーンの途中で急激にクレッシェンドしたり、低音の刻みで特定の音符だけに強いアクセントが付いたりしますが、シャイーは、そういったスコアの表情を、聴いてはっきりそれと分かるよう強調しながら、全体の造形を決して崩さないという、ほとんど離れ業に近いバランス感覚で音楽を展開。スコアの再現に関しては、恐らくブーレーズやT・トーマスでさえ、ここまで徹底してはいなかったのではというほどの精度に達しています。

 音響は全てがクリアで、テューバやバス・トロンボーンの動きまで極めてシャープに浮き上がらせながら、マスの響きの典雅な美しさはびくともしません。テンポは全体的に遅めで、ゆったりとした佇まいの中にモダンなサウンドと鋭敏なリズムが飛び交う印象です。流麗かつ落ち着いたフレージングで旋律を歌わせながら、作品が持つ多彩な情感と共に先鋭性も余さず捉え、現代音楽を聴くような斬新さ、新鮮さを感じさせるのはシャイーらしい所。バーンスタインの情念型ともブーレーズの分析型とも違う、全く新しい方向性を示した驚くべき名演。

“「僕らの佐渡さん」が時々繰り出す、超絶的な名演の一つ”

佐渡裕指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団

(録音:2001年  レーベル:エイベックス・クラシックス)

 エイベックスから出た佐渡裕ライヴ・シリーズの一枚で、オケの運営元である現地の放送局SWRによって録音された音源。残響は豊富という感じではなく、サウンド自体も細身ですが、奥行き感は深く、硬直したりドライになったりしない好録音。私は西宮に住んでいたので、感覚的には「僕らの佐渡さん」という親しみが強い指揮者ですが、時折とんでもない名演が飛び出すので、そういう時は「マエストロ!」という感じになります。ベルリン・ドイツ響との《新世界より》やチャイ5、そして当盤がそう。

 第1楽章は、冒頭のトランペットがリズム、音色共になかなかの好演。続くトゥッティも腰が強く、シャープながら艶と深みのある響きが素晴らしいです。バーンスタインの愛弟子ですから相当に感情が迸る演奏かと思いきや、意外にもスリムで透明な音像を維持し、緻密な合奏を展開。ティンパニも打音が明確で、リズムの正確さが際立っています。金管群は総じてソリッドで力強く、それでいて豊麗な音色を維持。淡々と落ち着いたテンポは葬送行進曲らしく、その佇まいに独特の凄味も感じさせます。

 第2楽章冒頭の弦は、テヌート気味に尾を引くせいか少しアインザッツがズレるようですが、金管の鋭利なアクセントが鮮烈で、随所でしなやかに粘る長めの音価が不思議な効果を挙げています。たっぷりと間合いを取った弱音部の表情も、何やら迫力があって独特。ねっとりとうねるカンタービレは、日本人らしい情念の表出とも取れます。アゴーギクは見事に操作されていて、オケもパワフルに統率。打楽器の強打など、ダイナミックな力感もあちこちで聴かれます。

 第3楽章も描写力が卓越し、鮮やかなパフォーマンスを展開。曲想の変化を際立たせるティンパニの強打や色彩感など、並外れた指揮ぶりと言う他ありません。レントラーの自在な呼吸感や、艶っぽい歌、そこに対比される鋭利なリズムも見事。豪快な力感の開放も素晴らしいです。弱音部で大きくテンポを落とすのも、この演奏全体の特徴。

 第4楽章は、バーンスタイン譲りの超スロー・テンポ。表情は雄弁ですが、さほど濃厚な味わいではなく、繊細な音色や、みずみずしい歌い回しが耳に残ります。テンポも振幅が大きく、推進力が強く感じられる箇所もあったりと、彫りの深い表現。集中力が高く、ロングトーンの緊張度を維持しているのと、旋律線と和声に豊かな情感を盛っている所に、指揮者の非凡な才覚が示されています。

 第5楽章も色彩的で明晰な表現。オケも好演していて、鮮やかなソロ・パートや金管の急激なフォルティッシモなど、鋭敏なレスポンスが痛快。何よりも、客演でこれほどの気宇の大きさとスケール感を打ち出せる事が凄いです。テンポの設計やアーティキュレーションの描写も申し分なく、圧巻のクライマックスを形成。会場も熱狂しています。

“ポストへの意気込みとマーラー演奏の矜持を強く示す、音楽監督就任披露ライヴ”

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2002年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音中の一枚で、ベルリン・フィルの起用は初。ラトルの音楽監督就任披露ライヴを収録したもので、バーミンガム響のフェアウェル・コンサートと同じプログラムを組んだ事でも話題を呼びました。当コンビは第2、9、10番も再録音している他、楽団自主レーベルから第6番のライヴ音源もあり。条件の厳しいライヴとしては音質の良い録音ですが、残響はややデッドで、平素のこのオケより響きが痩せて聴こえる傾向もあります。

 第1楽章はトランペットのソロが雄弁で素晴らしく、確信に満ちたラトルの棒も堂々たるもの。自由な間合いも挟んで大胆に音楽を進める一方、細部を緻密に彫琢しています。この辺りには、オケの優秀な技術力と自発性で補う姿勢も見られて、楽員の才能をうまく利用する一面も垣間見せます。バーミンガム響で特徴的だった、オケが一体となって動く即興的なルバートはここでも展開されており、名門オケ相手に一歩も引かない主張の強さが頼もしい限り。パーカッシヴなアクセントの打ち込みと、しなやかにうねるカンタービレも健在です。

 第2楽章も音楽が生き物のように拍動する趣があり、自在な呼吸感が見事。リズムの精度が高く、精密な合奏を構築する一方で、大きなラインで起伏を描く見通しの良さもあります。ただし情感は淡白で、嫋々と心情を吐露するような所はありません。濃密な表情付けにも関わらず楽天的な性格が強く、感情面に耽溺する事がないのは新世代のマーラーの特徴でしょうか。大胆なアゴーギクに驚かされる箇所は多く、オケの強靭なパワーと表現力も圧倒的。

 第3楽章も彫りの深い表現で、聴き所多し。名手揃いのオケによる小気味好いアンサンブルも凄いですが、明快なイントネーションでシャープに造形した主部や、粘性を帯びてねっとりと歌うレントラーのエピソードなど、表情の引き出しが多彩。それを鮮やかな場面転換で切り替えてゆきます。テンポの変動は恣意的で、ここでも大きなルバートを多用。第4楽章は速めのテンポでフォルムを誇大させず、集中力の高い棒でテンションを維持。磨き抜かれた音色も美しいです。微細な強弱表現とデリケートなニュアンスもさすが。

 第5楽章は精緻を極め、あらゆる強弱やアーティキュレーションが、微に入り細を穿って再現し尽くされているのは驚き。アダージェットのテーマが回帰する箇所など、弦の艶めいた音色がおそろしく魅力的です。弱音を基調に設計しながらも、振幅を大きく採ったダイナミズムは強烈という他なく、正にこのポストにかけるラトルの意気込みと、マーラー演奏の実績に対する矜持を示した、高らかな勝利宣言という感じ。

“細身のサウンドとシャープな造形、音圧を抑えた軽快なタッチが持ち味”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団

(録音:2005年  レーベル:サンフランシスコ交響楽団)

 楽団自主レーベル、ライヴによる全集録音中の一枚。細身のサウンドでシャープに仕上げられた全集です。第1楽章は、トランペットが静かに開始され、続くトゥッティはスタッカートを挟み込んで、切れの良さと軽快さを打ち出した解釈。弦の主題提示にも、個性的なアーティキュレーションを聴かせる箇所があります。常に鋭利で意識的、情に溺れる所がほとんどないですが、それでいてひたすらフォルム形成に徹した、一切感情を乗せない演奏とも違います。感情は入っていますが、情感の質が乾いていてさらっとしている感じでしょうか。

 テンポを上げて展開部に突入する呼吸はお見事。テンポとダイナミクスのコントロールに卓越した手腕を発揮する他、しなやかな弦のカンタービレも印象的です。後半の弱音部で、打楽器と管楽器に現れる葬送行進曲のパッセージには、いかにも楽隊風というか、独特のリアルな質感があって個性的。テンポをもたれさせず、あっさり終了して次の楽章へアタッカで突入します。

 第2楽章は風通しの良いすっきりした響きと、みずみずしくさらりとした旋律線、モダンな色彩とリズムが特徴的。威圧的な音響で圧倒する事がなく、ティンパニなど打楽器のアタックも抑え気味。T・トーマスのカンタービレは、チャイコフスキーなどでもそうですがほとんど感傷性を帯びる事がなく、それでいてメロディの美しさはしっかり伝えてくるのが不思議です。クライマックスも速めのテンポで、スケール感より軽快さを強調したアプローチ。

 第3楽章は、サクサクと無類に歯切れの良いリズムで、爽快に造形。線が明瞭で、カラフルでもあるけれど、色合い自体はさほど濃くないという感じ。レントラー風の箇所も、ちゃんとポルタメントを掛けて艶やかに歌っています。響きが重たい圧迫感を与えないのは美点で、フットワークの軽さとスポーティな躍動感を常に維持。

 アダージェットはテンポこそ粘らないものの、細かく表情を付けてニュアンス豊かに演奏。ピアニッシモの使い方も効果的です。弦のハイ・ポジションが実に美しく、絶妙な音色で素晴らしい合奏を展開。フィナーレも端正な造形。句読点のはっきりした表現で、エッジが鋭く、曖昧さを排除した印象です。第2楽章と同じ楽想が現れるクライマックスは、今度は雄大に演奏し、構成面での違いを強調。溜めのあるコーダで見事に締めくくります。

“細部にユニークな解釈を施し、大胆なアゴーギクを駆使するヤンソンス”

マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:2008年  レーベル:RCO LIVE)

 楽団自主レーベルによる、マーラー・ライヴ録音シリーズの一枚。ヤンソンスの同曲録音は、後にバイエルン放送響とのライヴ盤も出ています。

 第1楽章はトランペット・ソロの音色が素晴らしく、続くトゥッティもコンセルトヘボウ・サウンド全開。しかし造形はよく引き締まってリズムがシャープで、豊麗な音色に酔わせるだけの演奏には陥りません。各フレーズには微妙なアッチェレランドがかかっていて、次のフレーズへ前のめり気味に突入する箇所も目立ちます。感情面は中庸というか、激情が先走るような箇所は皆無ですが、展開部で途中から大きくブレーキを掛けるなど、大胆なアゴーギクも用いています。

 第2楽章は遅めのテンポで細部が克明ですが、ここでもぐっと速度を落とす箇所があり、旋律線をさほど濃密に描写しない代わり、アゴーギクの振幅を大きく取る傾向があります。深々とした音響に包まれるこのオケとホールのサウンドは実に魅力的で、ハイティンク時代のマーラーを彷彿させる手触りもあり。細部はすこぶる明晰で、旋律線(特に句読点)をくどいほどはっきりとしたアクセントで隈取る箇所があるのもユニークです。ルバートを強調した最後の山場も独特の表情。

 第3楽章は、冒頭のホルンがくぐもった音色でソフトなタッチ。テンポは遅めで、弱音やディミヌエンドを効果的に駆使して、随所にチャーミングな表情を作り出しています。エッジの鋭さや鮮烈な色彩感はきっちりと確保。弦のレントラー主題も艶っぽく、雄弁なニュアンスで歌っています。緩急の付け方はさすがヤンソンスで、スケールの大きさやライヴらしい高揚感もあり、オケも典雅な音色で好演。

 第4楽章も濃厚な情緒に耽溺すぎず、爽やかな歌い口。テンポに停滞感がなく、流麗に歌われてゆく印象を受けます。それでいて、強弱やアーティキュレーションの描写は細やかに演出されているし、繊細な弱音も駆使。コンセルトヘボウ管の弦楽セクションの巧さが光り、音圧の高さがなく、ふわりとした透明感のある彼らの音の特質がプラスに働いてます。

 第5楽章はゆったりとしたテンポと表情を貫きながら、アーティキュレーションの描写を詳細に渡って掘り下げる事で、独特の味わいを表出。先を急ぐ所がなく、アダージェット主題の再現ものんびりしたムードです。しかし弦を中心に語り口は雄弁そのもので、細部まで指揮者の意志が徹底している感じはヤンソンスならでは。合奏が克明で、アインザッツの切っ先が研ぎすまされているのも緊張感があります。随所に置かれた鋭敏なアクセントも効果的。スロー・テンポが功を奏し、コーダ前の山場は壮大ですが、最後の駆け込みの前に自由なフェルマータを挟むのは独自の解釈。

“対向配置で立体的な音響を構築。温厚で冷静な感情表現には賛否も”

デヴィッド・ジンマン指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団

(録音:2007年  レーベル:RCA)

 全集録音の一枚。ベートーヴェンやシューマンでは斬新なアプローチを聴かせるジンマンですが、ここではハイティンクやデ・ワールトの衣鉢を継ぐような、安定した落ち着きと中庸の解釈を軸にしています。ただ、背景にはリズムに対する鋭い感性もみられ、表現全体が卓越した運動神経に裏打ちされているのは新鮮。それと同全集ではヴァイオリンを対向配置にしていて、対旋律や副次的な動きも明瞭に聴こえてくる上、見通しの良いクリアな響きを達成しています。

 第1楽章は、冒頭のトランペットが暗めの音色、リズム感共に素晴らしく、続く全強奏の豊かなソノリティにも魅了されます。アゴーギクに極端な対比がなく、ゆったりとしたテンポ感を基調にしているのも温厚に聴こえる一因ですが、概してアタックがソフトで、どのパートも音の入りがふんわりと優しいのが特徴です。

 第2楽章も、かなり遅めのテンポ。オケは柔らかくリッチな響きで応えていて、深い奥行き感と豊かな残響を収録した録音も見事。そもそもジンマンは感情的に没入するタイプの指揮者ではなく、旋律線に感情の綾を盛り込まないので、悲劇的な色彩の濃い箇所でも詠嘆調になりません。

 第3楽章もゆったりとしたテンポ。新版の指示に従い、ホルン奏者を指揮台の横に立たせ、ソロのように扱っています(2012年の来日公演でもこのスタイルで演奏していました)。オケ内のホルン・パートと遠近感の対比を産んだりもして、音響的にもマーラーらしいユニークさが面白い感覚。オケの音色ゆえか、さほど分析的な印象は与えませんが、各パートの分離が良く、すこぶる立体的に構築されたサウンドです。私は通常のステレオ装置ですが、SACD層のマルチ・チャンネルだとさらに効果的かもしれません。

 アダージェットは淡々としたテンポ。感情的な耽溺はありませんが、長いフレーズを高い集中力でコントロールしていて、形式感が明瞭に打ち出されている所はジンマンの見識をよく表しています。丁寧に練られた旋律線は優美で暖かみがあり、濃厚な情念こそなくても素敵なフレージング。

 フィナーレも決して熱くならず、着実に音楽を構築。コーダも大曲の締めくくりとは思えないほどあっさりしていますが、力感・スケール感は充分で、響きにも潤いがあるし、アンサンブルも緊密。白熱やスリルを求めなければ、十分聴き応えのあるディスクと言えるでしょう。

“細部まで指揮者の非凡な解釈を行き渡らせた、来日公演ライヴ盤”

西本智実指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2009年  レーベル:キング・レコード)

 ロイヤル・フィル来日公演のサントリーホール・ライヴで、別プログラムのベートーベンの7番とモーツァルトの《後宮からの逃走》序曲も同時発売。ディティールまで非常にクリアに収録されたディスクで、内声など細かい動きも明瞭に聴き取れ、ライヴ録音の制約を感じさせません。大阪公演を生で聴いた時は、ものすごくラウドでヴォリュームが一律に大きく、弱音の味わいに乏しい印象を受けましたが、録音では調整されているのか、それとも東京では本当にこういう演奏だったのか、よく整理された繊細なサウンドに聴こえます。

 第1楽章は、じっくり腰を落として細部を描き込んだ表現。リズムの切れが良くスタッカートもシャープですが、レガート気味の滑らかなフレージングを盛り込んだ箇所も多く、表情は変化に富んでいます。管楽器の音彩も磨かれた美しさを感じさせる一方、弦の柔らかな手触りと暖色系の響きは印象的で、ケンペ時代のオケの伝統と、指揮者のロシアでの経験が生かされている印象。録音のせいもあって、第1ヴァイオリンの対旋律などは鮮明に耳に飛び込んできます。

 第2楽章は、冒頭の低弦のアンサンブルがやや不揃いですが、全体的には鮮やかに統率された演奏。西本の棒は、平均的な表現よりほんの少し大袈裟で芝居掛かっている、そのさじ加減が絶妙で、アゴーギクや間合いに卓越した造形感覚を発揮しています。この辺りは持ち前のドラマティックなセンスと言えそうですが、音がよく整理されていて響きの見通しが良いのも美点。輝きを帯びたトゥッティの響きも、凄味を感じさせます。

 第3楽章も冒頭のホルンの抜けが悪く、アインザッツの合わない箇所もあるものの、音圧を抑えて軽妙なタッチを指向しているのは、様式上バランスの良い構成(この楽章が重くなると曲全体の重量が増すように思います)。ロシアでのこの指揮者の演奏はやや腰が重い印象もありましたが、当オケやブダペスト・フィルとのディスクでは、オーケストラを自在にドライヴしている感じがします。

 第4楽章は、しなやかで厚みのある弦の暖かい音色が印象的。情感の濃いアプローチではないものの、旋律線のニュアンスは豊かで、息の長いフレーズ作りもうまく行っています。フィナーレは冒頭の管楽器ソロが若干の即興性も感じさせる、雄弁なパフォーマンス。続く主部も、ダイナミクスの変化を細かく付けた多彩な表情付けが見事です。楽章全体の設計も冗長に陥らず、有機的なソノリティでパワフルに山場を形成。コーダでの鋭いリズム感など、作品を掌中に収めた印象もあります。生演奏でも名演と感じましたが、細部に至るまで強固な意志を行き渡らせた非凡な演奏だと思います。

“弱音を基調に設計し、美しくも凝集度の高い響きで描写した個性的な名演”

エリアフ・インバル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2011年  レーベル:エクストン)

 東京都響とマーラーを録音してきたインバルが、ここでチェコ・フィルを起用。この後、7番と1番も録音しています。エクストン・レーベルではお馴染みのオケなので、収録もこなれたもの。あまりラウドな音を出す団体ではないですが、それを生かした弱音主体のアプローチで、ややほの暗く、芳醇なコクと奥行き感の深い響きを禁欲的に展開。リッチな音を鳴らしまくる肥満体の演奏とは一線を画します。インバルの図抜けた才気とオケの個性が幸せなマッチングを聴かせる、希代の名演ではないでしょうか。

 第1楽章は、トランペット・ソロを弱めの音量でスタート。速めのテンポ設定も意外ですが、特徴的なのがルバート、わけてもその速度変化のカーブの描き方で、大胆かつしなやかにうねるテンポの増減を音楽の感情表現と密接に結びつけていて非凡です。強弱の微細な変化も、徹底的に反映。インバルに磨き上げられたチェコ・フィルのソノリティは精緻な美しさを放ち、聴いていて全く疲れません。

 アタッカで突入する第2楽章も相当に速いテンポで、タイトな造形感覚が支配的。ひたむきで強い推進力を示す棒が、オケをぐいぐいと牽引するようなイメージです。冒頭部分は鋭さより粘り気が勝るような独特の表情ですが、各フレーズがしばしば歌うように演奏されるのは当盤の特徴の一つ。トロンボーン・ソロもヴィブラートを掛けて歌謡的に表現されています。ティンパニは大活躍で、迫力満点のクレッシェンドや烈しい連打、鋭い打ち込みなど全てが効果的。息も付かせぬスリリングな演奏展開にひと役買っています。終盤、山場を形成する際のアゴーギクも、全く見事という他ありません。

 第3楽章は、全曲中で唯一遅めのテンポが採られていて、冒頭のホルンもたっぷりと間合いを取った、自由な呼吸。テンポの増減やデュナーミクも巧妙そのものです。オケの生気溢れるアンサンブルは素晴らしく、尖鋭なリズム感と音感、鋭敏そのもののアーティキュレーション、ホルンの豊麗な音色の美しさなどは最高の聴きもの。ルバートを多用したレントラーの艶っぽい情感も特筆ものです。

 第4楽章は再び速めのテンポ。特に中間部の熱っぽい推進力、強弱の急速な変化を恐るべき精度で演奏へ反映させるインバルの棒に、思わず舌を巻きます。フィナーレも引き締まったテンポで、やはり弱音を基調に音楽を構築。派手な音響で賑々しく盛り立てる事がありません。終盤のクライマックスも、透明でありながら、有機的に充実しきった響きが壮麗に鳴り響くさまは圧巻。

“さりげない調子ながら細部が濃密で、大胆なルバート、熱っぽい高揚もあり”

ダニエル・ハーディング指揮 スウェーデン放送交響楽団

(録音:2016年  レーベル:ハルモニア・ムンディ)

 9番に続くマーラー・シリーズで、録音データが同じ9月となっているので、同時にセッション収録されたものかもしれません。ハーディングのマーラーは、ウィーン・フィルとの10番全曲、バイエルン放送響との6番、コンセルトヘボウ管との1番(映像)もあります。

 第1楽章は落ち着いたテンポを採択しながら、パンチを効かせたダイナミックな表現。そこにしなやかなカンタービレが対比されるのはこの指揮者らしい造形です。響きは洗練され、モダンに磨き上げられた印象。アゴーギクが巧妙で、合奏を見事に牽引している辺りは、一級のマーラー指揮者と感じます。特にオケが一体となった大胆なテンポ・ルバートは、ラトル譲りという感じ。

 第2楽章も安定した足取りで、感情的になる箇所はありませんが、弦をはじめ音色が美麗で、ポルタメントも駆使した雄弁な旋律線に魅せられます。リズムが鋭利でティンパニや金管も峻烈ですが、佇まいのさりげなさゆえ、凄味を欠くのは評価の分かれる所。第3楽章も、ゆったりと構えた冒頭から曲の性格をよく掴んで、本物の手応えあり。レントラーのテンポの揺らし方も堂に入っています。コーダの猛烈な加速も効果的。

 第4楽章は清廉な性格で、非常に抑制が効いていますが、極度なまでにデリケートで静謐な美の世界は素晴らしい聴き物。第5楽章も堂々として気宇が大きく、骨太な音楽作りも聴かせて、指揮者の著しい進境を示します。感性がフレッシュで、細部が生彩に富んでいるのも好ましい所。透明度の高い響きで爽快に盛り上げつつ、コーダは加速して熱っぽく終了。

“緻密かつ堂々たる風格ながら、かなり厳しくソリッドなサウンド”

大野和士指揮 バルセロナ交響楽団

(録音:2018年  レーベル:アルトゥス)

 大野和士のマーラー録音は都響との第1番、ベルギー王立歌劇場管との第2番があります。このオケの他、エラス=カサドの各録音なども行われているラウディトリという会場でのライヴですが、音響の良いホールのようで、適度な残響と明瞭な直接音のバランスが良好。広いスケール感もあります。オケの響きはさっぱりとして明るめですが、ソリッドに骨張ってもいて、金管を伴うトゥッティはエッジが効いて凄絶な印象。

 第1楽章は豊かな音色でトランペットを吹かせ、ユニゾンの最初の音符を明確にクレッシェンド。透徹した響きを基調に、冴え冴えとした音楽世界を展開します。扇情的なマーラー演奏とは違い、落ち着いたテンポでアーティキュレーションの緻密な描写に意識が行く感じ。第2楽章も遅めのテンポで、音符一つ一つを克明に刻み付けてゆくような表現。勢いで流さない一方、厳しくも鋭利な迫力があります。情緒過多にはならないものの、非常な緊張感と烈しさを伴うパフォーマンス。

 第3楽章は、冒頭のホルンがかなり硬質な張りの強い音なので、この曲としては相当ハードな手触りに感じられます。レントラー部の弦など、艶っぽいしなを作る場面もあるにはあるのですが、ホルンが出てくる度にソリッドな状態へリセットされる感じ。ティンパニやトランペットもそちらへ引っ張られる傾向です。細部まで徹底してクリアな音響は見事。知名度の低いオケを振りながら、ここまで自然に堂々と、気宇の大きな演奏を繰り広げるとは驚きです。

 第4楽章は響きに粘性や混濁がなく、どこまでも見通しの良い表現。意識が覚醒し、精度の高い緻密な筆遣いで描写されますが、歌い回しはデリケートでしなやかです。第5楽章も丹念な棒が好ましく、勢い重視で大味になりがちなこの楽章としては、異例と言えるほど生彩に富んだ精緻な表現。抑制を効かせつつもアゴーギク、デュナーミクを巧みに操作し、集中力の高い合奏を維持しています。個人的に、この楽章で聴き疲れしないのは珍しい感じ。ライヴらしい高揚感も十分で、会場も熱狂的に反応。

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