ストラヴィンスキー/バレエ《春の祭典》(続き)

*紹介ディスク一覧

90年 ナガノ/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 

91年 マータ/ダラス交響楽団

91年 ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団

91年 ショルティ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 

92年 レヴァイン/メトロポリタン歌劇場管弦楽団  

92年 飯森範親/モスクワ放送交響楽団

92年 ヤンソンス/オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

94年 N・ヤルヴィ/スイス・ロマンド管弦楽団    

94年 アシュケナージ/ベルリン・ドイツ交響楽団   

95年 ビシュコフ/パリ管弦楽団   

95年 ハイティンク/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 

96年 T・トーマス/サンフランシスコ交響楽団

96年 ゲルギエフ/ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団  

99年 ゲルギエフ/キーロフ歌劇場管弦楽団 

04年 P・ヤルヴィ/シンシナティ交響楽団 

06年 サロネン/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

07年 ミュンフン/フランス放送フィルハーモニー管弦楽団 

11年 ガッティ/フランス国立管弦楽団

12年 ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 

12年 P・ジョルダン/パリ国立歌劇場管弦楽団  

13年 ロト/レ・シエクル 

13年 ジンマン/チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団  

13年 クルレンツィス/ムジカエテルナ  

19年 エラス=カサド/パリ管弦楽団  

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“敢えてバランスを崩し、随所に不穏な響きを配置。スコア解釈も極めて特異”

ケント・ナガノ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1990年  レーベル:ヴァージン・クラシックス)

 当コンビは《ペルセフォーヌ》を録音している他、ナガノのストラヴィンスキーにはロンドン響との《火の鳥》《ペトルーシュカ》《管楽器のシンフォニー》《兵士の物語》、リヨン歌劇場管との歌劇《放蕩者の道行き》があります。

 演奏はナガノの才気が迸る鮮烈なもの。《春のきざし》からホルンのアクセントを強調して不調和な響きを現出させるのをはじめ、あちこちでバランスを崩して不穏な音を立てる表現ですが、それがこの作品に相応しいものである事は言うまでもありません。ナガノのスマートなイメージからすると少々意外ですが、例えば打楽器の腰の強さも相当で、ティンパニと大太鼓の最初の強打など、テンポを落として激烈に打ち込んできます。

 いわゆる洗練された造形ではなく、それでいて土俗的でもなくというスタイルは、彼の《ペトルーシュカ》とも共通する行き方。表現の軸には、まずドラマ性とそれに基づく語り口があるように思います。全体にある種の重厚さを感じさせますが、リズムは鋭敏で音色もカラフル。現代音楽とオペラを得意とするナガノの美質がよく出ています。オケにはより一層の精度を求めたいですが、随所にテンシュテットを想起させるデフォルメや艶かしさがあるのは、恐らく偶然ではないのでしょう。

 和声やソノリティのバランスも個性的な箇所があちこちにあり、通常はフォルテのまま進む箇所も弱音に落としたりします。アーティキュレーションの描写も独特。第2部の前半は粘性が強く、ルバートの使い方が歌謡的で、後半はやはり、重量感のあるパンチを繰り出してくる合奏が迫力満点です。

“遅いテンポでフレーズを磨き上げ、一歩一歩クライマックスへ向かうユニークな解釈”

エドゥアルド・マータ指揮 ダラス交響楽団

(録音:1991年  レーベル:ドリアン・レコーディングス)

 マータ2度目のハルサイで、プロコフィエフのスキタイ組曲とカップリング。手兵のダラス響とは初録音。鋭く力強い旧盤とは対照的にゆったりとしたテンポをキープし、余裕を持って全てのフレーズを磨き上げた、ひたすらユニークな演奏。慌てず騒がず着実にパワーを蓄積させながら、一歩一歩踏みしめるようにラストに向かう様は壮観ですらある。

 同コンビの《火の鳥》全曲版もそうだが、ブラスの不協和音をなべて短く切り上げるので、バーバリズムや前衛性が後退している反面、からっと乾いたカルロス・チャベス的なお祭り感が独特。又、あまり一般的ではない1967年版を使用しているせいか、聴き慣れないフレージングもあちこちで耳に入ってくる。オケも、明るく豊麗なサウンドで健闘。エキサイティングな刺激を求める人にはお勧めできないが、かなり面白い演奏ではないか。

“ブーレーズ、悟りの境地か。夾雑物を排した完璧な演奏、聴いて面白いかどうかは疑問”

ピエール・ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ドイツ・グラモフォンに移籍したブーレーズの再録盤。オケも旧盤と同一で、《ペトルーシュカ》とのカップリング。分離の良い冴え冴えとクールな響きと、怜悧で分析的なアプローチが特徴だった旧盤と較べると、今回はより耳馴染みの良い自然なサウンドを志向し、分析の終わったスコアを、今度は完璧に構築しなおす事に重点が置かれた演奏だと言えるだろうか。

 唖然とするほど隙がなく、夾雑物を徹底的に排した、悟りの境地みたいな解釈だが、必ずしも聴いて面白い演奏とは言えない。面白い演奏が散々出尽くした後、ブーレーズが今やるべき仕事がこれだった、という事か。特に第1部は無愛想なほど淡々と流れてゆくが、確かにそれだけでも凄い事である。

 少し安心したのは第2部の《いけにえの賛美》以降、急に落ち着きを失い、切迫した調子と攻撃性が加わってくる所。ここは少しエキサイティングだが、私はこういう演奏、ビギナーの方にはお薦めしない。全てを削ぎ落として究極のシンプルさに至った表現というものは、他の色々な可能性を知った後でこそ意味があるものだ。この作品の魅力は、元来もっと過激で、ラディカルなものだと思う。

“大きなミスも含め、危うい合奏を何とか力技でねじ伏せたライヴ盤”

ゲオルグ・ショルティ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:デッカ)

 シカゴ響との旧盤から17年ぶりの再録音で、ライヴ収録。ショスタコーヴィチの交響曲第1番とカップリングした、当コンビの数少ない録音の一つ。必ずしもデッドというほどではないが、通常このオケの録音に聴かれる長い残響を伴ったサウンドからすると、直接音をかなり近接したイメージで捉えた録音。

 第1部は、序奏部のしなやかなタッチや情感の濃さに、旧盤との個性の相違を感じるが、《春のきざし》のエッジの鋭さは相変わらず。ザクザクと刻まれる弦のリズムやブラスの切り込みには、なかなか凄まじいものがある。一方テンポにはだいぶ余裕が出て、ティンパニや大太鼓も勢いにまかせるよりはきっちりと打ち込む傾向。

 当盤は、《誘拐の遊戯》でティンパニが数小節ズレて入ってくる信じられないような大ミスがあり、他の楽員も動揺したのか直後に合奏が大きく乱れるなど、本来であれば発売の基準を満たさないのではと思われるパフォーマンス。しかし旧盤ほどではないにしろ、快速テンポで疾走する《春のロンド》は迫力があり、失敗が逆に演奏者を燃え立たせたような様子も窺わせる。《賢者の行列》や《大地の踊り》の明晰な音響処理にも、指揮者の強靭なリーダーシップを発揮。

 第2部は、前半のしっとりと叙情的な表現に旧盤からの変化を実感。オケも、こういう表現には打ってつけだ。《いけにえの賛美》は旧盤もそうだったが、合奏の統率が危うく崩壊寸前で、《祖先の呼び出し》に突入するとほっとする。《いけにえの踊り》は遅めのテンポで、噛んで含めるような表現。特にトロンボーンのパッセージは、粘液質のテヌートとルバートで重みを加えたフレージングが面白い解釈。最後は力技でねじ伏せた感もあるが、ちゃんと会場からブラヴォーが来ている。

“打楽器の激烈なパンチがオケを駆り立てる、ヒリヒリするようなド迫力盤”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団

(録音:1992年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 レヴァイン唯一のハルサイ録音。できれば他のオケと録音して欲しかった感じもあるが、確かにメトのオケは巧い。録音も意外に残響豊かで、潤いのあるサウンド。

 第1部は序奏部から極めて鮮やかで、サクサクとスムーズに進行して痛快。どういう工夫をしているのか分からないが、無類に流れが良い。細部も緻密で、木管の合奏が絶妙。《春のきざし》は遅めのテンポが予想外ながら、音圧の高さが強烈で、聴いていて思わずのけぞる。ティンパニの強打もパンチが効いて鮮烈そのもの。大太鼓もまるで大砲のようである。《誘拐の遊戯》の鮮やかな棒さばきと合奏はいかにも機能主義的で、《春のロンド》や《大地の踊り》も迫り来るような凄味を帯びている。

 第2部は前半がやや淡白だが、精緻な合奏力とリリカルな歌心は十分。オケの音色も柔らかさと発色の良さを兼ね備えて魅力的。《いけにえの賛美》直前の11連音符は、間合いを取って鳴らされる大太鼓とティンパニが広大な空間に轟き渡り、「異常な儀式が開始されるぞ」という強い緊迫感を呼び起こす。こういった映画的な視覚センスとドラマ性のある語り口は、オペラ指揮者レヴァインの真骨頂。

 《いけにえの踊り》もティンパニの強打がオケ全体を駆り立て、極めてスリリング。空気を切り裂くようなティンパニの打音は、「叩く」というよりも(我々関西人の言葉で)「しばく」感じ。ヒリヒリするような、身体的な痛みを伴う響きである。最後に向かってのテンポ設定も、どことなく無意識に訴えかける微妙なアッチェレランドで煽り続けるようで、リスナーの心をざわつかせる。

“実直かつ剛胆ながら、仕上げが粗く、精妙さに欠ける飯森のモスクワ録音”

飯森範親指揮 モスクワ放送交響楽団

(録音:1992年  レーベル:キャニオン・クラシックス)

 客演時に楽員から好評をもって迎えられたという飯森による3大バレエ録音の一枚で、《ペトルーシュカ》とカップリング。モスクワ放送オケの起用とジャケットのイラストの雰囲気からして、恐らくこの指揮者はフェドセーエフ盤への憧れが強いのではないでしょうか。《春のきざし》で初めて登場するティンパニと大太鼓も、音色やリズムの解釈にフェドセーエフ盤を彷彿させる所があります。

 指揮者のアプローチは実直というか、正攻法で通している印象。ものすごくスクエアで楷書的な指揮を振る人なので、合奏にもやはり生硬さが感じられます。その一方で、《春のロンド》における金管のグリッサンドの強調や、《いけにえの賛美》直前11連符の極端に遅いテンポなど、取って付けたようにマゼール盤の特異な解釈をなぞった箇所が散見されるのは気になる所。《序奏》など、オケの特色はよく出ていますが、全体にコントロールが行き渡らず、アンサンブルの不揃いがかなり目立つ演奏です。

 強奏時のパワフルなパフォーマンスは指揮者の実力を証明するものかもしれませんが、仕上げが粗い感は否めず、ストラヴィンスキーの演奏にはやはり精緻さを求めたい気がします。《春のきざし》の弦の刻みなど、リズムは鋭利で歯切れが良く、強弱の交替も細かく追求されている一方、《いけにえの踊り》のオフビートなリズムは、メリハリや対比がならされてしまってやや平板。

“しなやかなフレージングと卓越した構成力。オケも透明感を保って好演”

マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1992年  レーベル:EMIクラシックス)

 《ペトルーシュカ》とカップリング。ヤンソンスは、後にコンセルトヘボウ管とも同曲を再録音しています。彼らしい、しなやかなフレージングと卓越したドラマ性が秀逸な演奏で、オケも見事なパフォーマンスを繰り広げますが、常に透明度の高さを保つ清澄なサウンドは聴きもの。残響はややドライで、ティンパニやバスドラムが民族音楽の太鼓みたいに聴こえるのと、無類に切れ味の鋭いスタッカート奏法を徹底しているせいか、この曲では珍しいほど軽快なフットワークが前面に出ています。

 《春のきざし》の、遅いテンポによる軍隊の行進を思わせる表現は、ショスタコーヴィチみたいな雰囲気で独特。逆に《誘拐の遊戯》はスケルツォ的にふわりと軽く、これも大変に斬新なタッチです。ヤンソンスらしい手の込んだアーティキュレーション処理が随所に見られ、例によって楽譜に手を入れていると思しき箇所もありますが、基本的な音楽性の高さに唸らされるのはヤンソンスの凄い所。彼の得意技である、短いクレッシェンドを繰り返す《いけにえの踊り》に至るまで、緊張の糸を切らせません。

“恐怖を煽るスリリングなクライマックス。ハルサイ・ファンなら外せない隠れた名盤”

ネーメ・ヤルヴィ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団

(録音:1994年  レーベル:シャンドス)

 当コンビのストラヴィンスキー・ボックスから。ヤルヴィは他にも、ロンドン響やスコティッシュ・ナショナル管、コンセルトヘボウ管とストラヴィンスキー作品を録音していて、ほぼオーケストラ作品の全集完遂と捉えて良いでしょう。

 前半部は《序奏》の速いテンポと、《春のきざし》のゆったりとした足取りのコントラストなど、場面転換がすこぶる鮮やか。ヤルヴィの棒は実に演出巧者で、各フレーズを表情豊かに歌わせるのも、ロシア民謡を素材に用いた作品の本質を衝くアプローチと言えます。オケも緊密なアンサンブルと艶やかな響きが素晴らしく、抜けの良いブラスのアクセントなど爽快感溢れるサウンド。

 その後も異様な熱気とテンションで、ただ事ではない表現が連続しますが、わけても後半の盛り上がりは凄まじく、聴いていて思わずたじろぐ瞬間もあり。特に《いけにえの賛美》直前、タガが外れたかのように破裂するティンパニと大太鼓の猛打11連発がショッキング。何が恐ろしいといって、途中から火が点いたように加速して猛スピードで《いけにえの賛美》へと突っ込む、その無謀さと獰猛な性格です。

 《祖先の儀式》以降も前のめりのテンポで焦燥感を煽り、そのままのテンションで《いけにえの踊り》を開始。時折、とち狂ったように雄叫びをあげるブラスやティンパニがリスナーをおびやかしつつ、快速テンポで最後のカタストロフまで疾走し続けます。いくら現代ではもう難曲じゃないと言っても、このテンポで殺傷能力をキープするバトン・テクニックは、並々ならぬレヴェル。あまりにテンポが速いため、ブンチャッチャという舞曲のリズムが浮かび上がって聴こえるのも新鮮。

“繊細な最弱音と苛烈な轟音の波状攻撃。再生環境も考慮すべき凄まじいディスク”

ウラディーミル・アシュケナージ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団

(録音:1994年  レーベル:デッカ)

 バレエ《結婚》とカップリング。当コンビのストラヴィンスキー録音は交響曲集、《オルフェウス》《アゴン》《カルタ遊び》、ピアノ協奏曲集(ソロはムストネン)がある他、アシュケナージにはサンクト・ペテルブルグ・フィルとの《火の鳥》他、アイスランド響との同曲再録音と《火の鳥》《プルチネルラ》、室内楽曲集、そしてガヴリーロフとのピアノ版《春の祭典》他ピアノ作品集があります。

 第1部は、たっぷりと即興的な間合いを取った《序奏》が独特。最弱音を維持するのもユニークですが、どのパートもソステヌートの語調が目立ち、ねっとりと歌わせる傾向が強いです。《春のきざし》は歯切れが良く、シャープな造形。各フレーズは音価が長めで粘性が付与されている印象もありますが、大太鼓やティンパニの強打など腰の強さは十分。オケの音色にしっとりとした潤いがあるので、特に和声感と旋律線の情感が濃く聴こえるのかもしれません。

 クリーヴランド時代は合奏の統率力を疑問視する声もありましたが、《誘拐の遊戯》辺りを聴いていると、彼のバトン・テクニックに対する不安は杞憂と思われます。《春のロンド》も遅めのテンポで情感が豊かですが、中途からの打楽器の強打は激烈。金管のグリッサンドと相まって、ものすごい迫力です。地を揺るがすがごとくにパワフルで骨太な、《大地の踊り》の凄味を帯びた表現は圧巻。

 第2部は再び繊細な弱音の世界に戻りますが、《いけにえの賛美》《祖先の呼び出し》は遅めのテンポで、これまた轟音のような大太鼓の強打が連続。再生装置や階下への影響も考慮しなければならないほど、重低音の波状攻撃が繰り返されます。デッカの録音もしっとりとした潤いを保つ一方で、ダイナミック・レンジが極限まで広く、演奏云々以前の問題で再生にかなり気を遣うディスク。

 《いけにえの踊り》は妙に間合いの多いオフビートな表現が個性的ですが、やはり鮮烈なティンパニがくさびのようなアクセントを打ち込んで苛烈なパフォーマンス。ラストに向かっての大太鼓もあまりに凄まじく、何となくですが、アシュケナージがオーケストラに魅せられて指揮者に転向した理由を聴く思いもします。

“小気味好いテンポと短い音価を多用した、新古典主義的ハルサイ”

セミヨン・ビシュコフ指揮 パリ管弦楽団 

(録音:1995年  レーベル:フィリップス)

 録音はされたもののお蔵入りになっていて、デッカから出た初演100周年アニヴァーサリー・ボックスで初めて陽の目を見た音源。当コンビのストラヴィンスキーは、《ペトルーシュカ》《妖精の口づけ》を組み合わせたアルバムもあります。お蔵入りの理由は不明ですが、フィリップスは同年にハイティンク盤を録音しているので、そちらを優先させたのかもしれません。

 第1部《序奏》は、快速テンポでスタッカートを多用した表現が斬新。粘液質に演奏する向きが多い中、ロシアの指揮者が逆を行くのが面白いです。《春のきざし》《誘拐の遊戯》もやや小ぶりながら歯切れが良く、モダンな造形。響きを拡散させず、小さくまとめた中に鋭敏な音色センスを展開してゆくスタイルはなかなか個性的です。

 《春のロンド》も速めのテンポで、フレーズの息が短いのが特徴。打楽器が入ってきた後の展開も、衝撃が散発的に配置され、ひどくあっさりしているのがユニークです。新古典主義のスタイルで演奏してみたハルサイ、という感じでしょうか。《大地の踊り》のダイナミックな迫力はさすが。

 第2部の前半は、オケの色彩感が吉と出て聴き応えがありますが、ビシュコフの棒はここでも妙に淡白。細部に耽溺せず、流れの良さを重視しているようにも聴こえます。《いけにえの賛美》《祖先の儀式》も速めのテンポで小回りが効いて、どことなく肩の力が抜けているのが特色。《いけにえの踊り》は遅めのテンポで開始しますが、音像がシャープで力みがない点は共通です。音響のセンスが鋭く、トゥッティの轟音の中からトランペットの高音やホルンが悲鳴のように突出する解釈は独特。

“強いアクセントや衝撃音を緩和し、あくまで西欧的感性で作品と向き合うハイティンク”

ベルナルト・ハイティンク指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 

(録音:1995年  レーベル:フィリップス)

 当コンビの三大バレエ録音の一枚で、《プルチネルラ》をカップリング。ハイティンクは、全く何を振っても西欧的洗練を感じさせる指揮者ですが、当盤はその最たるものと言えるでしょうか。烈しいアクセントや不協和音が抑制され、打楽器が強打される場面でも、重ねられた弦の和音を等価に聴かせるために、刺激や衝撃を感じさせません。要は、弦を主体にして音楽を作るために西欧的に聴こえるという事でしょうか。その分、第1部の終曲や《いけにえの踊り》など、まるで重戦車が突進してくるような迫力があります

 中庸を行くテンポも安定感抜群で、どのフレーズも音を詰めず、正確にゆったりと演奏されるので、この曲としては異例と言えるほど横の線が表に出た印象です。第1部の序奏からして、丁寧に処理されたフレージングは聴きもの。ファゴット・ソロが回帰する前にパウゼを挟むのも効果的です。又、《誘拐の遊戯》辺りの見事に整理されたアンサンブルと、緊迫感を保持した強靭な牽引力は、指揮者のスキルの高さを物語る一例

 骨太なダイナミズムや鋭敏なリズム感、曲想の変化に柔軟に対応できる潜在能力も十分で、複雑なスコアの各声部を浮き彫りにする照射力も非凡なレヴェルにあります。力強さには欠けていないけれど、スリルや面白味を求める向きには物足りない感じでしょうか。ベルリン・フィルの合奏力はさすがで、やはりこういう曲では、オケの質が演奏の印象を大きく左右しますね。スコアの読みの深さと、優秀なアンサンブルの一体感で聴かせる、大人の演奏と言えるかもしれません。

“自在な呼吸で展開する、鋭い感覚と第一人者たる矜持に満ちた演奏”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団

(録音:1996年  レーベル:RCA)

 手兵サンフランシスコ響を振った、4半世紀ぶりの再録音。《火の鳥》《ペルセフォーヌ》をそれぞれ1枚のディスクに収録し、3枚組セットとして発売されました。ストラヴィンスキーを得意にしているイメージがある指揮者ですが、その割に録音は少なく、他にボストン響との同曲旧盤とカンタータ《星の王》、フィルハーモニア管との《ペトルーシュカ》《ロシア風スケルツォ》、ロンドン響との交響曲集、ストラヴィンスキー・イン・アメリカという小品集があるくらいです。

 やはり相当シャープな感覚の演奏で、《いけにえの踊り》などにその効果が十全に発揮されていますが、オケの響きが暖色系で、冷たい演奏にはなっていません。刺々しさも緩和されている印象。ティンパニや大太鼓の音も皮の質感生々しく、力強いアクセントを打ち込んでくるので、スポーティな身体感覚も横溢します。

 ブーレーズみたいに分析型に傾きすぎないのは、作曲家直伝の歌うようなフレージングゆえでしょうか。第2部の後半は、ラストに至るまで相当速いテンポが採られています。オケも技術的に余裕があり、音に潤いがあってたっぷりしているのはこの団体の特色。強い緊張感はないですが、堂々たる矜持と自在な呼吸で聴かせる演奏です。

“ライヴらしいミスはあるものの、キーロフ盤を凌駕するパワフルな演奏内容は圧巻”

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団  

(録音:1996年  レーベル:ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団)

 オケ自主制作による、当コンビのライヴ録音を集めた4枚組アルバムの中の音源。ゲルギエフはこの3年後にキーロフのオケと同曲をフィリップスに録音していますが、音質、演奏共に、私は当盤の方が遥かに優れた内容だと思います。ただしライヴならではというか、ミスが散見されるのは諸刃の剣。

 第1部は、ファゴット・ソロから表情豊かで、渾然とした合奏の中にもリズムが明瞭に打ち出されます。音色や響きのバランスには、聴き手をぐっと惹き付けるような魅力があり、《春のきざし》以降はシャープな切れ味も冴えて、活力に溢れます。打楽器もパンチが効いて迫力満点。アーティキュレーションは独特で、レガート気味の粘っこいフレージングを随所に適用。概して旋律線はニュアンスが多彩です。リズムもエッジが効いて鮮烈そのものといった感じ。急速なテンポを維持する《誘拐の遊び》や、重戦車が突進してくるような《大地の踊り》には、思わず後ずさりしてしまいます。

 第2部前半は、神秘的な静寂に向かわず、速めのテンポで熱っぽさを保持。内にポテンシャルの高さを秘めたまま、後半へ推移する設計です。弱音部も発色が良く、鮮やかな音彩を放つのはこのコンビらしい所。音色のセンスは、全編に渡って冴え渡る印象です。後半部もダイナミックな力感が漲り、パワフルな牽引力でぐいぐいと音楽を引っ張ってゆく様は圧巻。極端に長い間をとったエンディングも、ライヴらしいユニークな演出です。

“野性味と生命力に溢れながらも、意外に端正な造形感覚で聴かせるゲルギエフ”

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 キーロフ歌劇場管弦楽団

(録音:1999年  レーベル:フィリップス)

 スクリャービンの《法悦の詩》とカップリング。ドイツのバーデン・バーデンで収録されていますが、ライヴ収録の表示はありません。私は、この指揮者に関してはまだ分からない部分が多く、手放しで絶賛する気にはなれないのですが、当盤の野性味と生命力に溢れた表現は聴き応えがあります。

 といっても、ちょっとしたイントネーションや粘っこいフレージングにロシア臭が漂う他は、意外に端正な造形ですが、演奏自体に熱気が溢れ、強靭な集中力を持ってある一つの表現へ向かってゆく所はこのコンビならではと言えるでしょう。一方でオケがやや非力というか、細かい音符や速いパッセージなど、音が途中でかすれてしまって最後まできっちり演奏されない点は、どこか50年代のパリ音楽院管辺りを想起させます。

 オペラ指揮者らしく、各場面は有機的かつドラマティックに構成されています。打楽器などは案外控えめに使用されていますが、トロンボーンのグリッサンドをはじめ、金管楽器の特殊奏法はかなり強調された印象。ラストで異様なほど落ちるテンポと引き延ばされたフェルマータは、ゲルギエフ・ファンならニヤリとさせられるのでは?

“軽妙で淡々とした表現を続けながら、《いけにえの踊り》でやっと力感を解放する長期戦略”

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 シンシナティ交響楽団 

(録音:2004年  レーベル:テラーク)

 ニールセンの5番をカップリング。この指揮者らしいユニークな視点が光るアルバム作りです。演奏は、最初はおやっ?と思いました。あまりにも大人しく、音色も冴えない感じがしたからです。P・ヤルヴィは各部をさらりと、淡白に描写していきます。アクセントは弱く、響きは渋くこもっていて、音量も抑え込まれてしまう。一方、各フレーズは長めの音価でたっぷりと歌われ、リズムの刻みやアクセントなども、アタックのインパクトよりは和声感を強調したようなアプローチです。

 軽妙で淡々としていて、これはこれで個性的ですが、個人的にはあまり好みじゃないなあと思って聴いていると、《いけにえの踊り》に至って、厚い雲のごときマスの響きを破って金管の咆哮がうなり始め、太鼓の地響きがボディブローのように効いてきました。どうも最初から終曲に力点を置いていたみたいですね。解釈の是非はともかくとして、面白い事をやる指揮者だと思います。

“まろやかで精妙を極めた驚異的演奏。ハルサイの演奏史も新たな段階へ突入か?”

エサ=ペッカ・サロネン指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:2006年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 落成から間もないウォルト・ディズニー・コンサートホールでライヴ収録された再録音盤で、カップリングは《はげ山の一夜》と《中国の不思議な役人》組曲。ただ、このコンビのディスクに多いのですが、大太鼓の重低音が強調されすぎで、バランスが過剰。日本の住宅事情では、あまり大音量では再生できないのではないでしょうか。

 サロネンは客演している世界中のオケでこの曲を振っていて、その多くがライヴ音源として流出しています。なにせ、同じ曲でも振るたびに違った解釈を試す指揮者ですから、どれもが聴き応えのある演奏で、バイエルン放送響とのライヴのように名演として知られるものもあります。しかしサロネンが不思議なのは、メジャー・レーベルの正規盤では妙に大人しくなってしまう事で、当盤も、彼がライヴでよく聴かせる。骨太な迫力を全面に出したアプローチとは真逆。

 勿論そうは言っても当盤は、磨き抜かれた音で綴る、精妙を極めたハルサイで、この曲の演奏史も次の段階へ入ったかという新たな感慨が湧いてきます。刺々しさや狂気じみた迫力はありませんが、瑞々しくまろやかな音彩で繰り広げられる鮮やかなパフォーマンスには見事。ただ、カップリングのバルトークも含め、ライヴ盤の魅力と言える、ある種の熱気はほとんど感じられません。

 不協和音の雑音性が取り除かれ、和声の構造を明瞭に聴かせるアプローチで、それでいて、作品の持つ躍動感が失われないのはさすがです。《いけにえの踊り》など、ここまで余裕たっぷりに多彩なニュアンスで演奏されると、一世代前の演奏とはほとんど別の曲にすら聴こえてきます。第1部の最後、管楽器の和音を悲鳴のように引き延ばすのは面白い解釈。

“メシアンの弟子が贈る、土臭さを取り除いた、軽妙洒脱なハルサイ”

チョン・ミュンフン指揮 フランス放送フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2007年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ムソルグスキーの《展覧会の絵》とカップリング。バスティーユ時代のミュンフンは政争の具にされてしまってどうなる事かと思いましたが、フランス放送フィルとは《ダフニスとクロエ》、歌劇《カルメン》全曲、メシアン作品など、かつてのレパートリーを補完するようなレコーディングが続いて安心しました。

 冒頭のファゴットは最初のフェルマータを長く引き延ばした上、香気漂うこぶしを効かせて独特。木管群もクリアかつ艶やかな音響で、さすがはメシアンの薫陶を受けた指揮者だけあります。《春のきざし》はやや前のめりのテンポながら、かつての鋭利さが影を潜め、肩の力が抜けた印象。むしろ軽妙なタッチといえます。《誘拐の遊び》も音量を開放しすぎず、コンパクトにまとめる傾向。《春のロンド》前半部は弦のハーモニーと音色が芳醇に香ってリリカルで、《賢者の行列》も強弱の表情や音響バランスの交替が雄弁。

 色彩感が物を云う第2部前半は、このコンビの独壇場。精細な色彩センスが見事に効果を挙げて和声感も豊かです。ミュンフンの棒は集中力が高く、引き締まったテンポにも緊張感あり。《いけにえの賛美》へはあまり音量の落差を付けず、地を這うような11連符で大きく雪崩れ込みます。スポーティで軽快な《祖先の呼び出し》もユニーク。《祖先の儀式》もどことなしにモダンで、跳ね上げるようなスタッカートが洒落ています。《いけにえの踊り》も土臭さとは無縁の軽妙洒脱な表現ですが、打楽器は鮮烈。

“スコアを洗い直し、有機的な音のドラマを構成する、地味ながら非凡な演奏”

ダニエレ・ガッティ指揮 フランス国立管弦楽団

(録音:2011年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 録音の少ない幻の指揮者ガッティが、新たな手兵と開始したレコーディング第2弾。高い評価を得たドビュッシー・アルバムに続く録音で、《ペトルーシュカ》、日本盤のみボーナス・トラックとして《サーカス.ポルカ》をカップリング。フランス国立管の3大バレエ録音も珍しく、ブーレーズとの《春の祭典》、マゼールとの《火の鳥》全曲くらいかもしれません。バスティーユ・オペラ、サル・リーバーマン収録の響きはややデッドですが、音域は広く、鮮明なサウンド。

 演奏は基本的に正攻法で、細部を丹念に吟味し、緻密を極めたアンサンブルを構築して、凝集度の高い名演に仕上げています。それぞれの旋律やパッセージが孕んでいる情緒や、スコアに内在する斬新な音響の効果を大切にしていて、リズムを尖鋭に磨き上げたり、不協和音や打楽器の衝撃で土俗的な迫力を出す事には興味がない様子。オケの音色も艶やかで暖かみがあり、タッチもソフト。各フレーズは表情豊かに歌われ、いちぶの隙もない有機的な音のドラマが立ち現れる様は圧巻です。非凡な演奏。

“スコア再現能力は一級ながら、聴いて面白いかと問われると、さて???”

サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2012年  レーベル:EMIクラシックス)

 ラトルはこの曲を得意にしているようで、若手の頃にもユース・オケの録音がある他、ベルリン・フィルとも過去にドキュメンタリー映画のサントラやイベントの映像ソフトが出ていますが、純粋なCD用レコーディングとしては、88年のバーミンガム盤以来24年ぶりの再録音となります。カップリングは《ミューズの神を率いるアポロ》と、2007年録音で交響曲集の日本向けボーナス・ディスクとして付属していた《管楽器のシンフォニーズ》。

 演奏は、オケがパワーアップしている他は旧盤の解釈をほぼなぞるような印象で、残念ながらやっぱり、聴いて面白い演奏という事にはなりません。どことなく硬派というか、音響的、色彩的な魅力には目を向けないアプローチで、不協和音を強調したり、リズムを鋭利に磨き上げたりもしません。打楽器奏者出身であるにも関わらず(むしろそれゆえか)、打楽器を控えめに扱っているのも旧盤同様で、バスドラムなど輪郭をぼやかして衝撃音を緩和した印象(それだけに《いけにえの踊り》の連続強打は効果的ですが)。

 ベルリン・フィルの技術力は一級で、音色の美しさ、フレーズの多彩なニュアンス、アンサンブルの有機的迫力など、感心する瞬間は枚挙に暇がありません。第2部なども、ディティールの描写や各パートの表現力、合奏に聴き所は多く、こうなると、ハイティンク盤やカラヤン盤も考えるに付け、《春の祭典》に関しては指揮者に恵まれないオケという感じがしないでもないですね。

 例えばサロネンなどは、様々なオケを振ったこの曲のライヴCDRが流通していますが、演奏の度に違う解釈を試している上、そのどれもが瞠目すべき名演となっており、ラトルの場合はそれと真逆のタイプと言わざるを得ません。唯一、ティンパニや大太鼓の音色に様々な変化を付け、弱音も盛り込んで設計した《いけにえの踊り》はユニークな表現。オーソドックスな造形で技術的に完璧な演奏としてリファレンス的には有用かもしれませんが、個人的にはあまり惹かれないディスクです。

“胸のすくように鮮やかな指揮で、多彩な音のドラマを演出”

フィリップ・ジョルダン指揮 パリ国立歌劇場管弦楽団

(録音:2012年  レーベル:ナイーヴ)

 ドビュッシーの《牧神の午後》、ラヴェルのボレロとカップリングした、バレエ・リュスの時代のパリを再現したようなプログラム。オペラ座管の同曲録音は恐らく初。フランス団体の同曲はバレンボイム盤やガッティ盤、エラス=カサド盤など、なぜかハスキーでデッドな響きの録音も多いが、当盤はバスティーユ歌劇場での収録で残響豊か。パリらしい、艶っぽく華やかなサウンドが魅力的。

 P・ジョルダンの指揮はオペラの映像ソフト各種を観ても感じる、胸のすくような鮮やかさが持ち味。スタッカートを多用しているせいか語調が明瞭そのものという事もあるが、響きのレイヤーが透けて見えるように明晰で、トロンボーンやテューバの低音にさえ抜けの良いシャープな音像を追求している。響きが軽量級なのはパリのオケらしく、かつてのパリ音楽院管を彷彿させたりもするが、機能性は高く、音色も研ぎ澄まされている。

 強奏部でも弾力性があり、硬直しない有機的なソノリティは魅力的。金管のアタックも刺々しくならない。ただ各部の響きはバランスにひと工夫あり、通常は打楽器の衝撃音がメインになる曲想でも、管や弦の歌うようなフレーズや和声の色彩感が耳に飛び込んできたりする。第2部後半も、不協和音の連続に終始せず、独自の演出を施して多彩な音のドラマを構築している辺り、さすが才気溢れるオペラ指揮者とピットのオケ。

“にぎやかなサウンドと軽妙洒脱なタッチで仕上げた、都会的ハルサイ

フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮 レ・シエクル

(録音:2013年  レーベル:Musicale Actes Sud)

 ハルサイ初のピリオド演奏として、話題を呼んだディスク。初演からちょうど100年目(しかも同じ5月)に録音されているのも意図的と思われるが、録音はメス・アルナセルとグルノーブルの他、フランクフルトのアルテ・オーパーでの公演もミックスされたライヴ盤(《ペトルーシュカ》とカップリング)。冒頭の1900年ビュッフェ・クランボン製バソンや、小型フレンチ・テューバ、小トロンボーン、ピストン・ホルンが8本など、今の耳には新鮮な楽器を多数使用。

 スコアも、パウル・ザッハー財団所有の初演時自筆譜の他、1922年ロシア音楽出版社の初版スコア、モントゥー所蔵の1920年代初頭の楽譜を比較検討し、記譜のミスと作曲者の改訂も対照して、初演時の音の再現を試みている。

 第1部冒頭のバソンは、ウェットで柔らかい音色。木管のアンサンブルは鮮やかに発色して見事だが、トランペットがあまり前に出ないなど、独特のバランスも聴かれる。《春のきざし》では、通常フォルテとピアノが交替する弦の刻みを、弱音で通す箇所があってユニーク。そのせいかどこかモダン・アートっぽい音楽に聴こえるのも不思議。鋭敏なリズムと精密を極めたアンサンブルは、このコンビに共通の特色。室内楽的で、機動力の高い合奏が随所で効果を挙げている。

 《誘拐の遊戯》もピッコロや小クラリネットなど、ちょっとしたフレーズが小粋に弾み、なんとも洒落て聴こえるのが面白い所。モントゥーはこんなに華やかで浮き浮きした演奏はしなかっただろうから、これなら初演の暴動も起きなかっただろう。短めの音価を多用した《春のロンド》も、スコアのポテンシャルを再確認させる新鮮な表現。ロシア民謡に回帰する前、トゥッティに聴き慣れない全休止を挿入するのは研究の結果か。《賢者の行列》のクライマックスも、実に奇抜でにぎやかなサウンドが鳴り響く。

 第2部前半も音色の魅力が横溢し、ヴァイオリン・ソロの最高音などすこぶる精妙でミステリアス。木管の効果も絶大だが、ロシアの抒情や大地の息吹というより、パリの都会的な洒脱さを感じるのは、先入観ゆえか。通常なら《いけにえの賛美》は打楽器の強打が連続する所、弦を中心にしてピツィカート等でリズムを構築しているのがユニーク。リズムも刺々しさや重みより、軽快な動感を表に出しているように聴こえる。《いけにえの踊り》も華麗に舞い、ラストの一撃にシンバルが弾ける。

“初稿と決定稿を両方演奏した記念ライヴ。演奏はゆったりとして穏健”

デヴィッド・ジンマン指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団

(録音:2013年  レーベル:RCA)

 パウル・ザッハー財団所蔵の自筆譜による1913年初稿(世界初録音)と、原稿版の1967年決定稿を同時収録した、初演100周年記念ライヴ録音。事前に行われた、ジンマンらのデモ演奏付きプレ・トークショーも収録され、初稿にある、斜線で抹消された《春のきざし》の18小節、第2部《序奏》に5小節のエンディングが付いたヴァージョンも聴ける。

 ロト盤が様々なエディションを折衷して初演を再現しようとしているのに対し、ジンマンは実演では訂正されたであろうミスや指示も含め、とにかく初稿をそのまま音にしようという趣向。譜面の改訂は、演奏上の都合に基づくオーケストレーションの変更と小節線の移動が主なので、聴感上は《いけにえの踊り》など一部を除いて、抜本的な差異はほぼ無い。オケもモダン楽器で、当時の楽器を再現したロト盤ほど斬新な発見のあるディスクとは言えないかもしれない。

 耳につく初稿版の差異は、《序奏》のファゴット・ソロ(2度目)の明らかな記譜ミス(当盤ではそのまま演奏)。《春のきざし》での、下げ弓の指示がないソフトな弦の刻み(強弱が交替する部分も、弱音のまま推移する箇所あり)。《春のロンド》の木管の装飾音符、《敵対する町の人々の戯れ》冒頭のリズム動機の管弦楽法、第2部《序奏》のトランペット二重奏の音程、《いけにえの賛美》で中間部から主部へのブリッジに加わるバスドラム、《いけにえの踊り》の音数が少ないティンパニとギクシャクするリズムなど。

 演奏は、このオケとホール特有の柔らかく、暖かみのある響きを生かしながらも、シャープなエッジや歯切れの良いリズムを駆使したもの。《序奏》の遅めのテンポ、粘性のあるフレージングも好印象。全体にテンポも間合いもゆったりしているが、打楽器のアクセントなど腰は強いし音感も鮮烈。ただ、深々とした空間に余裕を持って展開するパフォーマンスで、切迫感や緊張感はあまりない。ハイティンク盤をもう少し精悍にした感じか。

 ちなみに、《春のロンド》の後半部は、ドラよりシンバルが目立つバランスになっているが、そこは両ヴァージョンで共通しているので、楽譜の違いではなくジンマン独自の解釈のようである。

“終始得体のしれないオーラを発する、強烈な異文化感に溢れた演奏”

テオドール・クルレンツィス指揮 ムジカエテルナ

(録音:2013年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 この1曲だけを収録した贅沢なディスク。当コンビは《結婚》も録音している。ライナーノートによれば、かつてオケの本体だった、ペルミ国立歌劇場のメンバーも助っ人で参加しているとの事。ドイツ、ケルンでの収録で、適度に残響と奥行き感があるが、それ以上に空気感と量感のパワーに圧倒される録音。

 第1部《序奏》から、何とも怪しげなムードが漂う。単音であってさえ、そこに付きまとう和声感というか、音そのものが喚起する情感が、普通の演奏とは決定的に違うのである。猛スピードで疾走する《春のきざし》は、不穏なまでの土臭さを纏いながら、暴力的な打楽器とブラスに分断される。強弱やアーティキュレーションも、聴き慣れたものとしばしば異なる。合奏は驚異的なまでに完璧に統率され、一切の乱れがない。打楽器も含め、どんなに速いパッセージになっても、徹底的に精度を追求している。

 第2部も旋律と和声、音色が纏う異文化感、異世界感がすこぶる濃い。それが何に起因するのかは、私にもよく分からない。指揮者自身がライナーに寄稿した、自意識過剰な文学的コメントに惑わされたのではないと思いたい。後半も合奏の緊密かつ軽快な一体感が凄いが、それ以上に、放たれる異様なオーラは何なのか。得体のしれない魔術にかけられたかのような、不思議な演奏(クルレンツィスの演奏が常にそうという訳ではないのだが)。

“正攻法ながら、緻密な描写力と鋭い感性でダイナミックに聴かせる”

パブロ・エラス=カサド指揮 パリ管弦楽団

(録音:2019年  レーベル:ハルモニア・ムンディ)

 エトヴィシュのヴァイオリン協奏曲第3番《アルハンブラ》(ソロはファウスト)とカップリング。オケもエラス=カサドとは初顔合わせ。フィルハーモニー・ド・パリでの収録だが、鮮明ながらややデッドな響きと感じる。

 第1部《序奏》は遅めのテンポながら、スタッカートを多用して各フレーズを明快に切り出す。《春のきざし》も落ち着いたテンポで、短いパッセージをくっきりと造形してモザイク状にサウンドを構成する趣。歯切れの良さや腰の強い力感はさすが若手だが、全体に正攻法で、斬新な解釈を世に問う演奏ではない。ただ、《春のロンド》前半のふっくらとしたフレーズの掴み方は非凡だし、《敵対する町の人々の戯れ》のスポーティなリズム感も見事。

 第2部もオーソドックスな表現だが、合奏を巧みに統率し、精度の高い描写を徹底してゆく様は素晴らしい。《乙女たちの神秘的な集い》でスローテンポで歌い込むフルートに漂う絶妙な情緒、《いけにえの賛美》のダイナミックな躍動感、悠々たる足取りで画然と音楽を構築してゆく《いけにえの踊り》の剛毅さ。録音のせいかややくすんだ響きで、華やかな色彩感はさほど出ていないが、オケも機能的に優秀。

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