チャイコフスキー/交響曲第4番

概観

 5番、6番に次いで人気のある曲。私はこの風潮に疑問で、第1楽章は立派だし、第2楽章もまあいいが、後半2楽章の出来は初期の3大交響曲より劣ると考える。構成の面から言っても、長大な第1楽章に後半2楽章が釣り合っていないし、魅力的な楽想にも恵まれていないように思う。派手に盛り上がればいいというものではなく、チャイコフスキーはむしろ大仰な楽想になるほど悪癖が出る作曲家なので…。

 しかし私の苦手な曲に限って、名盤が目白押しなのは不思議な傾向。日本人に合う曲なのか、小澤の新旧両盤、小泉盤、大野盤はどれもものすごい名演。他ではマルケヴィッチ盤、バレンボイム/ニューヨーク盤、アバド/ウィーン盤、ドラティ/ワシントン盤、カラヤンの76年盤、T・トーマス盤、パッパーノ盤、ノセダ盤、ビシュコフ盤、P・ヤルヴィ盤が、どれも希有な名演だと思う。

*紹介ディスク一覧

55年 ミュンシュ/ボストン交響楽団   

57年 シルヴェストリ/フィルハーモニア管弦楽団

59年 モントゥー/ボストン交響楽団

60年 ドラティ/ロンドン交響楽団

60年 マゼール/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

63年 マルケヴィッチ/ロンドン交響楽団

70年 小澤征爾/パリ管弦楽団

71年 バレンボイム/ニューヨーク・フィルハーモニック

72年 ドラティ/ワシントン・ナショナル交響楽団  

75年 アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

76年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

76年 メータ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

76年 コンドラシン/フランス国立管弦楽団

78年 マルケヴィッチ/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

78年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

79年 ムーティ/フィルハーモニア管弦楽団

80年 秋山和慶/ヴァンクーバー交響楽団

80年 プレヴィン/ピッツバーグ交響楽団

81年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団

84年 フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団

84年 カラヤン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

84年 ヤンソンス/オスロ・フィルハーモニー管弦楽団  

88年 ドホナーニ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

88年 小澤征爾/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

90年 小泉和裕/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

88年 アバド/シカゴ交響楽団

89年 ジンマン/ボルティモア交響楽団

90年 ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団

97年 バレンボイム/シカゴ交響楽団

98年 大野和士/バーデン・シュターツカペレ

 → 後半リストへ続く

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“意外にも西欧風の枠組みを作り、勢いより細部の克明さを重視”

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

(録音:1955年  レーベル:RCA)

 当コンビのチャイコフスキー録音は他に第6番、《ロメオとジュリエット》(2種)、《フランチェスカ・ダ・リミニ》、弦楽セレナード、ヴァイオリン協奏曲(ミルステイン、シェリングの2種)があります。ステレオ初期の録音で、残響が豊麗とはいかないのと、鮮やかな抜けの良さに乏しいのは残念。しかしこのコンビの録音の中ではあまり音が荒れず、混濁や歪みも少ない方で、必ずしも録音年代と音響条件が比例していないのが不思議な所です。

 第1楽章は意外に落ち着いて、ゆったりと開始。弦の主題提示も沈鬱な性格を打ち出していて、音量の増加と共に加速するものの、音圧の高さや興奮体質は影を潜めています。旋律をロマンティックに歌い上げる訳ではなく、展開部も劇性を強調する事はないので、むしろドイツ音楽的な枠組みで構成している雰囲気。西欧風の洗練を感じさせる点は、後のアバド、ハイティンクを先取りした表現かもしれません。コーダだけはかなりテンポを煽ります。

 第2楽章は衒いがなくストレート。無味乾燥ではなく、よく歌いますが、しみじみと叙情を盛り込むタイプではありません。アーティキュレーションはやや一本調子に感じられますが、配慮がないわけではなく、むしろ剛毅な性格の表れでしょう。第3楽章はスピードを追求せず、落ち着いた足取り。むしろこの方が細部の味が濃く、優美に聴こえ、中間部ともども内容的に充実した音楽に感じられるのは美質です。ただ、音色はもう少し練れていて欲しいかも。

 第4楽章も遅めのテンポで、細かい音符をきっちり弾き切る傾向。勢いより解像度を重視する姿勢は、典型的なミュンシュのイメージと逆かもしれません。スタッカートの切れ味は鋭いですが、リズム面の軽快な演奏ではなく重量があるのも、ある意味ロシア音楽にふさわしいスタイルです。チャイコフスキー特有の馬鹿馬鹿しい派手さが意外に鼻につかないのは美点。

“個性的なフレージングを全面展開しつつも、爆演的な粗雑さは皆無”

コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1957年  レーベル:EMIクラシックス)

 後期3大交響曲録音の一枚。シルヴェストリは同年、フランス国立放送管とマンフレッド交響曲も録音していますが、そちらはモノラル収録でした。この指揮者は、ことフレージングに関しては区切り魔というか、とにかく自分のタイミングで頻繁に区切らずにはいられない人ですが、当盤はそれが強く出た方の演奏。

 第1楽章は、冒頭のファンファーレからして実に奇妙。最初の白玉音符に続く3連音符を短く詰めてしまい、次の音の前に間を挟むため、あちこちで躓いて少しズッコケる感じになります。最初はミスかと思いますが、このモティーフには全てこれを適用。決して間違いではありません。スコアにない間やフェルマータ、音価の引き延ばしは常套手段ですが、作品が求める劇性とは相性が良く、さほど不自然には感じません。

 第2主題もアクセントの置き方や拍節感、フレーズの解釈や力点の置き方が通常とはかなり異なり、非常に新鮮に聴こえます。リズム感も良くシャープで、テンポを煽ってぐんぐん盛り上がる展開部もスリリング。オケもホルンや木管のソロなどすこぶる美しい歌いっぷりで、運動神経の高いアンサンブルと鋭利な切れ味もさすが。

 第2楽章は冒頭のオーボエ・ソロから妙な所に間を挟んだりして、独自のセンスでフレーズを構築。いちいち指摘するときりがないくらい、フレージングの感覚が普通とは違います。第2主題もどこかクセがある感じ。第3楽章は快速テンポでテンションが高くスピード感があり、中間部も発色が鮮やかで、曖昧さを残しません。

 第4楽章は落ち着いたテンポで、一音一音を克明に処理。軽快なフットワークと卓越したリズム感を武器に、鋭利かつ丹念な演奏を展開します。いわゆる爆演的な勢いまかせの荒っぽさは皆無で、強弱の演出も細かく、デリケートな感性を生かした表現。  

“かなり恣意的な棒さばきのモントゥー。オケの響きは問題あり”

ピエール・モントゥー指揮 ボストン交響楽団

(録音:1959年  レーベル:RCA)

 3大交響曲録音の一枚。ソロは美しい音色で好演していますが、合奏はアインザッツが揃わない箇所もあり、ソノリティもさらに洗練されていればと思わなくもありません。

 第1楽章はファンファーレの響きに雑味があって、ややハスキー。主部は速めのテンポで流れるような調子を採りながら、スコアにない強弱やルバートで表情を付けてゆく感じです。やや前のめりにテンポを煽るモントゥーの棒は巧妙で、第2主題も微妙にアゴーギクを操作して優美。速度の落差は大きく、峻厳な表情と引き締まったテンポで造形した展開部は迫力があります。スタッカートの切れも鋭利。

 第2楽章は、自由なアゴーギクで歌謡的な表現。オーボエ・ソロから自由な間合いで歌っていますが、弦が引き継ぐ所で少し加速し、続く展開でさらにテンポを上げるという、かなり恣意的な解釈です。中間部もぐんぐん煽って、熱っぽく高揚。第3楽章は推進力が強く軽快で、合奏の乱れはありますが、スピーディな疾走感が心地よいです。

 第4楽章はゆったりしていますが、細部は克明。部分部分で違うテンポを設定していてかなり変化に富みますが、常に覇気と緊張感が漲り、音楽が一切弛緩しないのはさすがモントゥー。オケも一体感の強い合奏を勢い良く繰り広げ、熱気と迫力を感じさせます。

“弦中心のアンサンブルで、意外にロマンティックな表情も”

アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1960年  レーベル:マーキュリー)

 全集録音の1枚。ドラティは後年、ワシントン・ナショナル響と同曲を再録音しています。音質も鮮明で、適度に残響も取り入れられて聴きやすいもの。特にホルンをはじめ金管の壮麗な響きは、同時代の他のメジャー・レーベルでは聴けない音です。ドラティらしく切れ味の鋭いシャープな造形ですが、決して無機質だったり窮屈な印象はなく、旋律も伸びやかに歌わせています。ティンパニを抑えているせいか、弦を主役に据えた音作りに聴こえるのも特徴。

 第1楽章は落ち着いたテンポながら、スタッカートで歯切れ良く語尾を切り上げたファンファーレで開始。主部は速めのテンポできびきびとしていながら、その中にみずみずしい歌を盛り込んで情緒も豊か。各部は明快に造形され、緩急も明快ですが、展開部のスピーディで切迫した調子には独特の緊張感があります。

 第2楽章は第1主題の提示が独特で、フレーズの合間に歌謡的な間合いを挟んで、ロマンティックな表情付けが意外。推進力の強いテンポと微妙な加速で流れを引き締めているのはさすがです。第3楽章もタイトなテンポで緊密な合奏を構築しながら、色彩感や表情の変化もきっちり打ち出した演奏。

 第4楽章もアンサンブルの一体感が強く、鋭敏なリズムを駆使して明瞭な輪郭を描き上げています。オケもヴィルトオーゾ風のパフォーマンスで好演していますが、音色面ではさらに魅力が欲しい所。コーダにかけても、効果的な加速で熱っぽく盛り上げています。

“前のめりのテンポで意欲的な表現を繰り広げる若きマゼール”

ロリン・マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1960年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビの初期レコーディングの1枚。マゼールは後年ウィーン・フィルと全集録音、クリーヴランド管と後期3大交響曲を録音している他、同曲は後者とテラークへも録音していて、4番だけは4種類もの録音が存在する事になります。

 第1楽章は、くぐもった響きなのに鋭利なアクセントを付けた不思議な造形(残響が長いので、そう聴こえるだけなのかも)。意外に遅いテンポですが、徹底したリズムの正確さがいかにもマゼールです。主部は前のめりのテンポで音楽を煽りますが、合奏はがちゃがちゃと落ち着きがない感じ。無類によく弾むリズムは特徴的で、時にテヌートを強調するなど意欲的な表現も随所に聴かれます。強音部も切れ味の良いスタッカートを多用し、シャープに造形。猛烈に追い上げるコーダもスリリングです。

 第2楽章はかなりの駆け足テンポで流麗に造形。速すぎる感じはなく、アンダンティーノならこれくらいでいいのかもしれません。歌い回しは生き生きと雄弁で、陰鬱さがなく明朗な性格。第3楽章は平均的なテンポ。さりげない佇まいですが、オケが巧いので手応えがあります。第4楽章はエッジの効いた鋭利な造形。テンポは少し速めくらいですが、緻密を極めたアンサンブルがヴィルトオーゾ風で迫力満点です。

“個性的なアーティキュレーションやルバートを盛り込んだ彫りの深い演奏”

イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1963年  レーベル:フィリップス)

 マンフレッドも含む全集録音から。フィリップスのロンドン収録にしては直接音が明瞭で、長めの残響も取り入れて珍しく音響的快感のある録音。作曲家らしいユニークな視点も光る演奏も特筆もので、60年代のディスクの中では筆頭に指を折れる名演です。

 第1楽章冒頭は金管の響きが豊麗で、歯切れの良いトゥッティのアクセントと共に卓抜な造形。主部は気力が漲り、個性的なアーティキュレーション解釈を盛り込んで、彫りの深い表現を展開します。表情が濃く、味わいに富むのは意外ですが、シャープな切り口や鮮やかな音感はマルケヴィッチらしい所。よく弾む歯切れの良いリズムも、音楽を生き生きと躍動させています。

 第2主題と続く経過部は、自在なアゴーギクと鋭敏なリズム感が聴き物。展開部は雄渾な力感を示し、激しい盛り上りが実にエネルギッシュです。ダイナミクスやフェルマータをやや誇張したコーダも凄絶そのもの。

 第2楽章は表情が濃厚で、自由にルバートを挟んで情緒たっぷりに歌います。中間部は逆にスタッカートを強調し、付点リズムで隈取ったシャープな造形。ティンパニが逞しいアクセントを打ち込むのも、気宇の大きさを感じさせます。第3楽章は克明に描写されていますが、中間部にそのままのテンポで突入するので、そこはスローに感じられます。主部に戻る直前、第1主題の頭4音の下降音型をルバートで強調するのは面白い演出。

 第4楽章もエッジの効いた緊密な合奏がスリリングで、縦横無尽に鋭利な棒さばきを駆使。随所に間合いやルバートを挟み、テンポが恣意的に変動するのは全楽章共通のスタイルです。民謡主題もスタッカートのセンスが独特で、背後で忙しく動き回る弦楽セクションを、際立って明瞭に彫琢しているのも耳を惹きます。どのパートも筆圧が高く、アタックに鋭いアクセントが付いているのは面白い効果。

“大家の風格と若々しい勢いが同居する、驚くべき名演”

小澤征爾指揮 パリ管弦楽団

(録音:1970年  レーベル:EMIクラシックス)

 当コンビのチャイコフスキーはフィリップス・レーベルに《悲愴》と、《くるみ割り人形》《眠れる森の美女》組曲あり。小澤は後にベルリン・フィルと同曲を再録音しています。長い残響を伴う豊麗なサウンドの一方、低音域が浅いですが、高域寄りで音像を華やかに捉えた録音はオケのキャラクターをよく伝えます。この時期の小澤に共通する、大家の風格と若々しい勢いが同居した非常な名演。

 第1楽章は、豊かなホールトーンに包まれたブラスのファンファーレが魅力的。たっぷりと間を採って詠嘆調で開始される第1主題には、若手指揮者らしからぬ音楽への深い耽溺感があり、彼が楽壇において異例の出世コースを歩んだ理由の一端が窺われます。スタッカートを排除し、引きずるようなソステヌートで音楽を進めるのも師のカラヤン譲り。

 木管の第2主題は末尾の下降音型の入りを早め、後にルバートを掛けるフレーズ解釈がユニーク。リズム感の良さや、有機的な迫力の表出も卓抜です。提示部後半の巨匠風に充実したシンフォニックな造形、展開部の緊張感、コーダにおける胸のすくようにスピーディでシャープな表現など、いずれも様式と演奏効果を知り尽くした見事な表現。

 第2楽章は速めのテンポで感傷性を注意深く排しながら、純粋に音楽的な美しさを抽出した希有な表現。オケの明朗な音色もプラスに働いて、木管ソロの鮮やかさと弦楽セクションの雄弁を極めたカンタービレは聴きもの。何よりもこの指揮者が、チャイコフスキーのイディオムを完璧に把握している点に驚かされます。

 第3楽章は意外にもかなり遅めのテンポで、細部をじっくりと描写。無味乾燥に陥りがちな楽章ですが、このテンポのおかげで情感が保持され、むしろメロディアスにさえ聴こえるのは新鮮です。第4楽章は落ち着いたテンポで浮ついた所がなく、爽快な音響と内的感興の高まりで押してゆく名演。オケも信じ難いほど巧く、ソリッドな金管の吹奏などシカゴ響にも引けを取りません。劇的表出力に優れ、若干の加速で白熱するコーダもライヴ風でスリリング。

“ピアニスト的な発想を武器に、アグレッシヴなアイデアを続々投入する異色盤”

ダニエル・バレンボイム指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

(録音:1971年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 当コンビの稀少な録音の一つ。他にはスターンとのベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲があるだけです。廉価版のシリーズ物で一度CD化されたきりの音源ですが、バレンボイムのソニー録音を集成したボックス(稀少音源多数収録!)に、めでたくオリジナル・ジャケットで収められました。バレンボイムは後年、シカゴ響と同曲を再録音しています。

 第1楽章は冒頭の金管がややハスキーで、もう少し抜けの良さが欲しい所ですが、力強いアクセントややや粘りのあるテンポ共々、指揮者に転向して間もない頃のバレンボイムの、音楽的早熟さを感じさせます。主部のテンポ運びも個性的。ルバートを使ってスロー・テンポで始め、音量の増加と共にテンポを煽って感情的な山場を作る辺りは、後年の彼を彷彿させます。チェロを筆頭に、弦のカンタービレに艶っぽいうねりがあり、勢いのあるアタックや歯切れの良いスタッカートにも若々しい情熱が溢れます。

 第2主題も旋律線のみに固執せず、弱音器を付けた弦のトレモロ、跳ね上がるようなピツィカートなど、音色的な効果も生かして立体的な響きを作ります。木管群の美しい音彩や自発性も魅力的。展開部も前のめりで熱っぽく、対位法的な進行を支える弦の動きに強靭な推進力を付与しているのもピアニストらしい発想です。強弱の演出も巧妙(特に弱音の挿入)。コーダのテンポ構成も見事という他ありません。唯一、再現部のワルツで、ティンパニの低い方の音のピッチがずっとずれているのは不備。

 第2楽章も集中力が高く、常に意識的な表現を加えて、通俗化した曲に新たな光を当てています。曲調からすればやや変化が多すぎる設計ですが、その前傾姿勢とテンションの高さには聴くべきものも多いです。中間部もリズムも弾ませ、舞曲のような躍動感あり。弦を中心に押し出しが強く、音圧も高いです。色彩も鮮やかそのもの。

 主部へ戻る際に、ディミヌエンドを印象付けながら極端にテンポを落とす感じはバレンボイム節。コーダのファゴットへ繋ぐ経過部も極度のスロー・テンポで推移し、まるで各フレーズを誇大化させてデフォルメする趣があります。

 第3楽章は遅いテンポで、細部まで克明に照射。スピードと軽快さを追求する演奏が多い中、ユニークな姿勢を貫きます。中間部は逆に速めのテンポで、バレエ音楽風の躍動的な雰囲気ですが、行進曲のエピソードはやはり重々しい歩み。

 第4楽章は平均的なスピードで開始しながら、部分的に突然テンポを落とすなど恣意的なスコア解釈。ロシア民謡を歌う主旋律の背後で、弦の副次的な動きに豊かな表情を付与するなど、やはりピアニストらしい立体的な構築性が随所に聴かれます。オケも華やかで瑞々しい音彩で、パワフルなパフォーマンスを展開。弦のカンタービレは、分厚いサウンドとこってりした情感がロシア音楽に最適。コーダはテンポを煽り、熱狂的な大団円を迎えます。

“巧みな棒でシンフォニックな造形を切り出し、作品の悪趣味な面を抑えて見事”

アンタル・ドラティ指揮 ワシントン・ナショナル交響楽団

(録音:1972年  レーベル:デッカ)

 当コンビはチャイコフスキーの序曲、交響詩集も録音している他、ドラティの同曲にはロンドン響とのマーキュリー録音もあります。デッカらしい生々しく、充実した音質で、オケも指揮者に鍛えられて優秀。ただ、きっかり1年後に録音された管弦楽曲集と較べると、響きがまだ練れておらず、抜けの良さや柔軟性に差があるのは不思議。たった1年で飛躍的に変わるほど、ドラティのトレーニングは見事だったという事でしょうか。

 第1楽章は冒頭こそオケの出力不足を感じさせますが、歯切れの良いアクセントがドラティ節。主部は推進力が強く、引き締まったテンポと峻厳な造形で颯爽と進行する一方、旋律線にわずかな粘りを加えて艶っぽく歌うなど、すこぶる魅力的な表現です。第2主題やそれに続く弦によるイタリア風ワルツのアーティキュレーションを、短くぶつ切りにして歌わせるのもユニーク。随所でテンポを煽り、厳しい緊張感を保つ棒さばきにはスリリングな迫力があります。

 第2楽章はテンポこそ速いですが、フレーズの表情が雄弁と言えるほど濃厚で、よく弾むリズムと音圧の高さも併せ、熱っぽくテンションの高い演奏。情緒的なぼかしを入れず、全てを鮮やかに照射しているのもドラティらしいです。第3楽章は、駆け足テンポでスケルツォの性格を打ち出しながら、デリケートなささやきにはせず、発色の良い筆致で明快なフォルムを切り出しています。

 第4楽章は端正な造形で、大袈裟に騒ぎ立てないのが好印象。緊密な合奏を構築しつつも、前のめりの勢いを削ぐ事はなく、精度と推進力を両立させているのはさすがです。演奏によってはチャイコフスキーの悪趣味な面が出やすい楽章でもありますが、当盤はシンフォニックな様式感が前に出て、空虚なお祭り騒ぎとは一線を画します。

“名門オケを相手に、天才的な指揮ぶりで聴き手を圧倒するアバド”

クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1975年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビは同時期に6番を録音している他、アバドにはロンドン響との5番もあります。アバドは後にシカゴ響と全集録音も敢行。若きアバドと名門オケの魅力が相乗効果となった名演で、覇気に乏しいシカゴ盤とは内容に雲泥の差があります。アバドには首を傾げたくなるようなディスクも多いですが、うまくハマった時は本当に天才的な指揮者だと感じます。

 第1楽章冒頭は金管の豊麗なトーンが素晴らしく、リズム感の良さ、ティンパニのアクセントの小気味よなど、全てが痛快。弦の主題提示は艶やかな音色と流麗なフレージングが爽快で、その後の展開もみずみずしい感覚と流れの良さが際立っています。全体に溌剌とした若々しさがあるのも好感が持てる所。第2主題はテンポを落として豊富なニュアンスで柔らかく歌い上げ、美しい音色と共に耳に残ります。

 展開部にかけてはダイナミックな活力に溢れる一方、設計に工夫を凝らし、歯切れの良いリズムで軽快なフットワークも聴かせます。表現自体が非常に成熟していて、壮麗さや熱っぽさを十二分に表出しているにも関わらず、落ち着き払った足取りが印象的。彫りの深い造形性や語り口、スケール感にも欠けていません。コーダもデュナーミクとフレージングに工夫があり、後年のアバドを彷彿させる優美な棒さばきが見事。

 第2楽章も潤いのある艶っぽい響きで、リリカルに歌い上げて魅力的。弱音を基調にしたデリケートな音楽作りはアバドの得意とする所ですが、ニュアンスが細やかで一本調子には陥りません。開放的に歌う弦のカンタービレは伸びやかで感動的。一見自然な感情の発露にも聴こえますが、実はデュナーミク、アゴーギクが徹底的に練り上げられているのが凄い所です。

 第3楽章は、落ち着いたテンポで明快に造形。オケの色彩も生かしています。第4楽章は細部に至るまで驚異的に明晰な合奏を、きびきびと展開。ディティールを隈無く照射しつつ優美なタッチは維持し、民謡主題でも徹底して柔らかさとしなやかさを表出します。テンポはさほど速くないですが、アインザッツの切り口が驚くほどに整然と揃っており、リズムの精度と合奏の緊密さが音楽全体の緊張感を高めています。それでいて、コーダに向かって激しく高揚するのもさすが。

“劇的で派手な語り口が作品とうまくマッチした、ゴージャスな名演”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1976年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 70年代の全集録音より。カラヤンの劇的な性格はこの曲と体質的に合っていると思います。特に第1楽章のドラマティックな造形はお見事。冒頭のファンファーレこそ、短めの音処理で軽いタッチを聴かせますが、ブラスが咆哮するトゥッティには他であまり聴けない華やかなゴージャス感が炸裂します。楽章全体の構成も、起承転結が素晴らしくドラマティックで感心しきり。第2楽章も一本調子にならず、豊かなニュアンスで聴かせるのはさすがです。

 スケルツォ楽章を足早に疾走するのはカラヤンの演奏に共通する特徴で、アンサンブルも好調です。フィナーレはさすがにデラックスなムードで、すこぶる速いテンポを採って超絶技巧をこれでもかとばかり派手に強調。凄まじい音圧には耳が疲れないでもないですが、これは作品の方にも問題があるでしょう。競合盤の中でも屈指の名演。

“鮮やかな棒さばきで雄弁に仕上げた、マイナーながら魅力的な一枚”

ズービン・メータ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1976年  レーベル:デッカ)

 メータ唯一の全集録音から。チャイコフスキーのシンフォニーは滅多に取り上げないメータですが、意外や意外、隠れた名盤と言える全集です。シンフォニックな様式感で明快な造形を打ち出している点では、ジュリーニやアバドを遥かに越える成功を収めているのではないでしょうか。録音も鮮烈。

 第1楽章のファンファーレは、ややこもった音。主部は速めのテンポで推進力が強く、ダイナミックで熱っぽい表現です。ティンパニやブラスのアクセントも小気味よく、雄弁な語り口ながら音が粘らないのは爽快。弱音部は木管を中心に、各パートの息の合った連携が見事で、音色も美しく鮮やかです。展開部はスピードと勢い、合奏の迫力が圧倒的。コーダもものすごい速さで駆け抜けます。

 第2楽章は、冒頭のオーボエ・ソロから思わず聴き惚れてしまう名演。この楽章に限りませんが、フレージングのセンスが秀逸で、緩急巧みな構成力は非凡。中間部でリズムを弾ませて、快適な運動性を表出する様式感もユニークです。第3楽章は発色が良く、鮮烈なアンサンブルを展開。終始生気に溢れ、テンポもよくコントロールされています。スタッカートの切れも抜群で、オン気味の録音も効果的。

 第4楽章はそのままのテンポで突入。若々しい活力と勢いに溢れる一方、肩の力が抜けていて、妙な威圧感がないのは何よりです。ホルン、トロンボーンの民謡主題は、ソステヌートの歌い方がカラヤン・チルドレンらしい所。ヴィルトオーゾ風の合奏が随所でスリリングな効果を発揮します。

“卓越した音楽性と圧倒的なパワーで聴かせる熱演ライヴ”

キリル・コンドラシン指揮 フランス国立管弦楽団

(録音:1976年  レーベル:アルトゥス)

 シャンゼリゼ劇場ライヴ・シリーズの1枚で、プロコフィエフの組曲《キージェ中尉》とカップリング。コンドラシンによるチャイコフスキーの交響曲は珍しく、世に出た録音では当盤が初です。会場の響きはややデッドですが、直接音は鮮明で歪みや混濁も目立たず、聴きやすい録音。

 第1楽章冒頭は深々とした響きではないものの、シャープで爽快なサウンドできりりと造形。主部は速めのテンポで、流れるような調子です。歯切れの良いスタッカートや、思い切りの良い伸びやかなカンタービレも魅力。アインザッツに多少乱れがあり、さらなる緊密さを求めたいですが、オケも概ね集中力が高く、熱演しています。

 剛毅で雄渾なアクセントはダイナミックで、展開部での豪放なブラスの強奏は派手な音色と相まって迫力満点。細部のニュアンスも豊かですが、全体の構成は取り分け見事で、特にテンポの配分に関しては理想的な設計と感じます。熱っぽくテンポを煽るコーダも、実に凄絶な表現。

 第2楽章も速めのテンポで流麗。オーボエやホルンなど一部ソロにミスが目立ちますが、オケも共感豊かに歌っていて、みずみずしい弦のカンタービレも素敵です。合奏の構築は精緻で、コンドラシンのモダンなセンスと図抜けた才気を窺わせます。第3楽章は中庸のテンポながら、鮮やかな色彩感で明晰に描写。軽やかさや優美さも、巧まずして自然体で抽出しています。

 第4楽章は、圧倒的なパワーで壮烈に音楽を描き出す熱演。フランス国立管にこれほどの底力があったのかと意外に感じたほどで、ソリッドな金管の強奏、軽妙な機動性や瞬発力など、あまりこのオケで聴いた事のないような表現が頻出します。決して一本調子ではなく、むしろ変化に富んだ棒さばきですが、大団円に向かってゆく直線的な盛り上げ方には、突進する重戦車のような迫力と凄味があります。パリの聴衆も熱狂的に反応。

“意外に自在な語り口を聴かせるマルケヴィッチ。オケも優秀”

イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:ターラ)

 マルケヴィッチはロンドン響とマンフレッドを含む全集録音を行っています。ゲヴァントハウスのライヴ・シリーズの1枚で、シューベルトの3番とカップリング。同時にマーラーの《巨人》も発売されました。当コンビのメジャー録音は、ドイツ・シャルプラッテンへの《展覧会の絵》《はげ山の一夜》しかないので貴重です。残響は豊かで直接音も鮮明、音域も広くて古さを感じさせない音ですが、大太鼓の強打だけは少し歪みます。

 第1楽章は、遅めのテンポで見事にデザインされた冒頭部分が出色。主部は意外にも大胆なルバートを盛り込んで、ドラマティックな語り口。自由な呼吸でたっぷりと旋律を歌わせているにも関わらず、感傷性が全く漂わないのは、マルケヴィッチらしい所です。第2主題も表情豊かに歌わせていますが、全体の印象が辛口なのは、エッジの効いた鋭いアクセントが随所に挿入されるからでしょうか。デュナーミク、アゴーギクも自在で、恣意的なルバートで大きくテンポを揺らしています。

 オケはみずみずしく爽快な響きで、胸のすくように生彩溢れるパフォーマンス。マズア時代の録音なのに、あの地味で冴えない音色のオケとは信じられないほどです。少々ミスはありますが、音が完全に鳴り切っている感じ。展開部も低音の声部に至るまで徹底的に彫琢され、クリアな音響を維持すると共に、あの手この手を駆使した演出巧者な語り口で熱っぽく盛り上げていて壮観。コーダの濃密な表現も迫力満点です。

 第2楽章も遅めのテンポで情感たっぷり。アゴーギクも巧妙に操作しています。こういうのを聴くと、バリバリのモダニストというイメージのマルケヴィッチも、やはりロシア人なんだとほっとしますね。もっとも、常にフォルムと音響が明晰なのは彼ならでは。弦の爽やかな音色も素晴らしいです。第3楽章は適度に推進力のあるテンポでデリケートに描写。オケも緻密なアンサンブル、ソロで好演しています。

 第4楽章は、落ち着いたテンポで豪放な力感を示すパワフルな演奏。がむしゃらに汗をかかない所が、逆に凄味を感じさせます。音の立ち上がりにスピード感があり、金管を筆頭に切り口がすこぶるシャープなので、それだけで凄絶な響きに聴こえる側面もあります。時折間合いを挟む手法は、ここでも貫徹。中間部ではぐっとテンポを落とし、旋律線をどんどん引き延ばしていって、最後には音楽が止まりそうになります。後半も、鋭敏を極めたリズム処理が炸裂。

“あらゆる音符が意志の力で整えられた、丹念そのものの美演”

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:フィリップス)

 マンフレッドも含めた全集録音の一枚。ハイティンクはチャイコフスキーにあまり執着がなく、同曲と6番に旧盤があるのを除けば、管弦楽作品も含めて一度きりしか録音していません。

 第1楽章はたっぷりとした豊麗なファンファーレで開始。主部は落ち着いたテンポを採りますが、フレーズの端々にスタッカートを多用し、リズムに弾むような調子を加えているため、かなり軽快なタッチになっています。サウンドも必要以上に重くならず、それが西欧的な洗練に繋がっている感じ。第2主題のワルツ風の展開などに、その雰囲気がよく表れています。

 展開部などトゥッティのパワフルな力感や、鋭利なリズム処理は痛快。タイトに引き締まった緊密な合奏は、有機的な迫力と快い緊張感を伴います。よく歌うしなやかな旋律線も魅力で、各パートが美しい音色で好演。常にニュアンスが豊かで、音が漫然と垂れ流されるような瞬間は一秒たりともありません。

 第2楽章は、細部に至るまで信じられないほど丹念に仕上げられ、その真摯な姿勢に心を打たれます。ちょっとしたダイナミクスの変化もはっとさせられるほど効果的で、さりげない調子の中に多様なニュアンスが込められています。強音部の盛り上げ方も気宇壮大。第3楽章は、柔らかなタッチでテンポも落ち着いていますが、中間部の機敏なアンサンブルは見事です。

 第4楽章も遅めのテンポで、細かい音符を律儀に刻み付けてゆく演奏。それでいて音楽の勢いがそがれる事はなく、パワフルな動感や豪放なエネルギーの表出は決して犠牲になっていません。ハイティンクの棒は終始響きをシェイプさせていて、お祭り騒ぎを許さない強靭さがあります。僅かな加速で高揚感を生んだコーダも、熱っぽさ十分。

“熱っぽい焦燥感と共に開始し、その勢いで最後まで疾走”

リッカルド・ムーティ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1979年  レーベル:EMIクラシックス)

 マンフレッドを含む全集録音から。ムーティは後年、フィラデルフィア管と同曲を再録音している。全編快速調というか、前へ前へとひたむきに疾走してゆく演奏。冒頭のファンファーレからして熱っぽい焦燥感があり、そのままの勢いで最後まで聴かせてしまう感じである。迷いも容赦もない激烈なフォルティッシモを直截に叩き付けるスタイルは、正にムーティ流。両端楽章のコーダは、ティンパニを猛打させて尋常ならざる迫力の内に曲を閉じる。

 デッドとまでは言わないが、残響をあまり取り入れないオン気味の録音で、弦楽セクションをはじめ、合奏のアクロバティックな動きが逐一耳に入ってくるのもスリリング。スケルツォ中間部の木管や、フィナーレのヴィルトオーゾ風アンサンブルなども、一糸乱れぬ速弾きの嵐で聴き手を圧倒する。よく歌うカンタービレも魅力だが、5番や6番の時ほど優れた演奏と感じられないのは不思議。この曲は、うまくまとめるのが難しいのかも。

“正攻法のアプローチながら、パンチが効いてパワフルなパフォーマンス”

秋山和慶指揮 ヴァンクーバー交響楽団

(録音:1980年  レーベル:オルフェウム・マスターズ)

 カナダ、ヴァンクーヴァーで絶大な人気を誇った秋山和慶の録音を集めた4枚組セットに収録。このコンビの録音はアナログ収録の方が豊麗で、デジタル盤はやや音が薄いが、当盤はぎりぎりアナログ録音で良かった。

 第1楽章は、冒頭から豊かな響き。主部はより厳しい造形性が欲しいが、それは音価を長めに取るスタイルに起因している。合奏は整然と統率され、筋肉質に引き締まったフォルテも迫力あり。艶やかな音色でみずみずしく歌う旋律線も魅力的で、展開部もスケールが大きく壮麗。落ち着いたテンポで悠々たる趣だが、ソリッドなブラスはエッジが効いている。細部の仕上げも丹念。ただ、感情面はやや冷静に感じられる。

 第2楽章も遅めのテンポ。フレーズの造形が実に優美で、オーボエのソロから思わず聴き惚れる。情感が濃い訳ではないが、旋律を伸びやかに歌わせるのが巧い。ぐっと腰を落として歌われるファゴットも独特。第3楽章も余裕のある表現で、色彩感が鮮やか。無理のない棒で、細かい音符まできっちり音化。第4楽章はパンチの効いた打楽器が鮮烈。あくまで正攻法だが、よくまとまったパワフルな演奏。

“珍しくも熱っぽい白熱を聴かせる、演出巧者なプレヴィン”

アンドレ・プレヴィン指揮 ピッツバーグ交響楽団

(録音:1980年  レーベル:フィリップス)

 当コンビ唯一のチャイコフスキー録音。プレヴィンはロイヤル・フィルと5番も録音しているが、交響曲はそれだけ。チャイコフスキー全体でもバレエ音楽と管弦楽曲集、協奏曲の伴奏が少しあるくらい。しかし当盤、どうにも感心しないものが多いプレヴィンのディスクの中では、珍しく(失礼!)名演と呼べる一枚。

 第1楽章はスロー・テンポでゆったり開始。このオケとしては豊麗な響きが鳴っていて、歯切れが良いアクセントと共に魅力的な開始。主部も悠々たる足取りながら、細やかな表情を付けてシンフォニックに造形。旋律の歌わせ方も巧く、特に弦楽セクションはすこぶる爽快なカンタービレを繰り広げる。

 ほぼイン・テンポで、感情的な抑揚はあまり付けないが、力感は十分。展開部も緊張感があり、うまく盛り上げた印象。コーダ前の金管のファンファーレが戻って来る箇所も、アーティキュレーションが実に優美で強い説得力あり。超スロー・テンポのコーダもユニーク。

 第2楽章は、抑制の効いた上品な表現。情感の濃さはないが、柔らかいタッチで美しく仕上げられていて、控えめながらアゴーギクの操作も効果的。第3楽章は異例と言えるほど遅いテンポだが、各音の粒立ちと独特のノリには妙に納得させられ、スピーディな演奏とはまた違う魅力が新鮮。中間部も実に丹念。

 第4楽章は一転して引き締まったテンポで、アタックにも勢いあり。オケも小気味好いアンサンブルで、パワフルなパフォーマンスを展開。前の楽章をスロー・テンポで演奏した事で、楽章の性格に見事な対比が生まれている所、構成力の確かさも窺わせる。後半はさらに加速してスピード感を増し、最後はプレヴィンとは思えないほど(失礼!)凄絶に白熱。

“徹底した機能美、余裕を持たせた幅広い表現のニュアンス”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1981年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 3大交響曲録音の一枚。マゼールはウィーン・フィルと全集録音をしている他、同曲はデビュー当時にベルリン・フィル、当盤の2年前にもクリーヴランド管とテラークへ録音しており、マゼールとしては当盤が4度目のレコーディングです。同時期の5、6番はデジタル収録なのに、なぜか最後にセッションが組まれた当盤だけアナログ。ただ、自然なプレゼンスと豊かな響きは魅力的で、アナログ収録が逆にメリットになっている印象です。

 第1楽章は、冒頭のファンファーレから随所にスタッカートを盛り込み、イントネーションが実に明瞭。前のめりのテンポで開始される主部は焦燥感が漂う一方、感情的に激した所はなく、機能美優先といった風情です。リズムがよく弾み、トゥッティのフットワークも軽快そのもの。音量を開放しすぎないせいか、ダイナミクスに幅広いレイヤーがあるのも美点です。展開部は合奏力が圧倒的で、リスナーは固唾を飲んで成り行きを見守る格好。

 第2楽章も速め。ムードよりもクリアな音響と明晰なフレージングを追求していて、ゆったりとしたメロディも優れたリズム感に裏付けされているのはマゼールらしい所。感情過多にはなりませんが、フルートやオーボエなどソロのカンタービレは味わい深く、中間部のスケール感もなかなかのものです。

 第3楽章はスピーディなテンポ運びで、これ又鮮やかなパフォーマンス。ここでもオケの機能が物を言って、舌を巻くより他にありません。色彩感も豊かで、この楽章をここまで見事に聴かせる演奏は稀少とも言えるでしょう。

 フィナーレは超絶アンサンブル。卓越したリズム・センスと緊密を極めた合奏力で、唖然とするような演奏を展開します。客観性が勝り、メカニックな側面に透徹した眼差しが注がれるマゼール一流の機能的演奏には、これも全く見事なカラヤン&ベルリン・フィルのスーパー・パフォーマンスとまた違う意味で、現代管弦楽の一つの極に達したような迫力があります。チャイコフスキー特有の大仰さが不思議と鼻につかないのは、機能美偏重の利点といえるでしょう。

“ソステヌートを徹底し、メロディを主役に据えたロマンティックなスタイル”

ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団

(録音:1984年  レーベル:メロディア)

 全集録音の一枚。ビクターとメロディアの共同製作シリーズに含まれていた5、6番と違い、1から4番まではメロディア単独の制作。エンジニアもロシア人で、同じモスクワ放送局のホールで収録されているにも関わらず、随分と残響音の長いウェットな音に仕上がっています。

 第1楽章は速めのテンポで開始。ブラスのファンファーレは、豊麗で美しいトーンです。主部も推進力が強く、弦の美麗な響きが耳を惹きますが、あらゆるパッセージをソステヌートで叙情的に歌わせ、経過的なフレーズも流麗に歌うのが独特。第2主題は、木管ソロがみな軽快に弾んだ調子で歌うのがユニークで、旋律に対する感覚が、根本的に西洋のそれと異なっている感じがします。トゥッティもテヌートを徹底し、そっと置くようなソフトなアタックで一貫。

 展開部も柔らかなタッチが支配的で、全ての音符を慈しむかのように、優しく丁寧に奏でてゆくアプローチ。シンフォニックな造形性は脇に置いて、あくまでも旋律が主役という感じでしょうか。コーダも丹念ですが、最後のフェルマータは剛毅な力感を示し、短めに切り上げます。同じロシア人指揮者でも、ムラヴィンスキーやコンドラシン辺りとは、全く対照的な性質を示すロマンティックな演奏です。

 第2楽章は速めのテンポで流れが良く、やはりスタッカートを排除した歌い回し。残響の豊かな録音と相まって、マスの響きが溶け合うまろやかなソノリティです。その分、精細な解像度や音彩の変化には乏しいですが、一体感の強さと響きのヴォリューム感で押す印象。アタックも音色も柔らかいので、音圧の高さはさほど感じません。カンタービレはしなやかで、弦も木管も艶っぽく歌います。

 第3楽章も速めですが、中間部へもイン・テンポで突入するので正に快速調。木管群はこのテンポに食らいつき、軽妙なアンサンブルが素晴らしいです。奏者がみな緊張するというピッコロ・ソロも見事で、ほとんど曲芸。第4楽章は落ち着いたテンポながら恰幅が良く、独特の凄味を感じさせます。語尾をあまり短く切らないので、常にだらっとした口調に聴こえますが、後半はさすがに切れ味も見せて痛快。地の底から涌き上がるようなエネルギー感に、ロシアの管弦楽らしさが感じられます。

“合奏があちこちで乱れ、音程の悪ささえ露見するカラヤン晩年の録音”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤン最後の後期3大交響曲録音から。何というか、ギクシャクした所のある演奏で、リズムが目詰まりする感覚があって、音楽がスムーズに流れない箇所が多々存在します。

 それは冒頭のファンファーレを始め第1楽章に顕著ですが、要するにリズムの正確さを欠くために合奏がドタドタとしてしまう感じ。レガート奏法が徹底された結果、独特の粘っこいイントネーションに聴こえる一方、ヴィオラやチェロ、管楽器にはピッチのズレも散見されます。コーダでテンポを上げて一気に締めるなど、名人芸的な棒さばきは健在。

 勿論艶やかなカンタービレはウィーン・フィルそのものですが、カラヤンの棒はそれほどにコントロールの衰えを感じさせるものになっています。ただ、聴かせ所のツボは心得ていて、起承転結の語り口はさすが。敢えてオケの性格を生かし、アインザッツの精度より耽美的・主情的な表現を優先したのかもしれません。テンポやダイナミクスなどの解釈はあまり変わっていないとも言えます。アンサンブルの調子は第2楽章以降改善され、旧盤同様にスピーディなテンポで突っ走るフィナーレの活力はお見事。

“随所に工夫を凝らし、個性的なスコア解釈を示すヤンソンス”

マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1984年  レーベル:シャンドス)

 マンフレッド交響曲を含む全集録音より。ヤンソンスの同曲はバイエルン放送響、ピッツバーグ響とのライヴ盤も出ています。

 第1楽章ファンファーレは遅めのテンポ。長い音符の後に微妙な間を挟んだり、同じ音型でもスタッカートの場合とテヌートの場合があったり、細部まで意識的なアーティキュレーション。主部は逆に速めのテンポでサクサク進み、軽妙で歯切れの良いリズムを駆使して、純音楽的なアプローチを展開します。どの箇所も決して重くならず、フットワークが軽いのはヤンソンスの美点ですが、旋律をよく歌わせているものの、ドラマティックな悲劇性や深刻さに乏しいのは好みをわかつ所。

 展開部もダイナミックですが、凄味は感じられず、爽快な推進力が優先されます。クライマックスの第1主題再現に向けて、直前にティンパニのトレモロを加えてクレッシェンドさせるのは楽譜にない解釈。ここはストコフスキーがティンパニの連打を追加する箇所でもありますが、個人的にはスコア通り、弦楽合奏のユニゾンが剥き出しになる方が遥かに劇的効果が高いと感じます。

 第2楽章は旋律の扱いが素晴らしく、隅々まで神経が行き届いて美麗。タッチが優美な上に、突然のピアニッシモなど強弱の演出も多彩です。メランコリックな感傷性はなく、健全な性格ながら、叙情の美しさも十全に表出。中間部もダイナミクスの段差を大きく付けて、工夫に富みます。弦のみずみずしいカンタービレや、伴奏型の3連音符も実に音楽的。特筆したいのはラスト近く、ファゴット・ソロに伴う弦の和声の何という気だるさ、何というはかなげな佇まい。

 第3楽章は中庸のテンポで、まろやかなタッチ。殊に中間部、舞曲の性格を強く打ち出したリズム処理は秀逸です。続くマーチの、デリケートな敏感さも見事。第4楽章はアグレッシヴな派手さはないものの、堅固で有機的なアンサンブルを展開。アーティキュレーションやデュナーミクに細かいアイデアが盛り込まれ、生き生きと雄弁に聴かせます。集中力の高い合奏にも目を見張るものあり。音量を抑制して軽快なフットワークを確保しているのも好印象。コーダの僅かな加速と、ラストのクレッシェンドも凄味があります。

“オケの柔らかさを生かしながらも、マッチョで豪胆な造形を志向”

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:デッカ)

 《1812年》をカップリング。ドホナーニのチャイコフスキー録音は珍しく、他にクリーヴランド管との《悲愴》があるくらいです。ウィーン、コンツェルトハウスでの収録。

 第1楽章冒頭は、自由な間合いやスタッカートを盛り込んだ意識的な表情付け。雄渾に打ち込まれるティンパニも、クリーヴランド管のサウンド指向を彷彿させます。主部は遅めで進行しますが、フレーズの末尾を峻烈なアクセントで強調するなど、句読点を明確に打つ独特の語調。強音部は特に、角の立ったリズムを激しく叩き付けるようなデフォルメ感が目立ちます。

 オケの美質は十分に感じられ、木管群や弦など旋律線はしなやかで音色も美しいですが、全体としては豊麗なソノリティの中にエッジを効かせた、マッチョで豪胆な演奏です。リズムが精確で、響きと表情が徹底して明晰なのもドホナーニらしい所。凄味を帯びたコーダはちょっと独特で、迫り来るような迫力に圧倒されます。

 第2楽章は、速めのテンポで密度の高い表現。流れを弛緩させず、緩急を大きく付けて起伏に富んだ造形を施しています。旋律を開放的に歌わせていて、スケールの大きさも十分。強音部ではテンポを煽りますが、それが熱っぽい感興を表すのも適切な表現と感じます。合奏の構築は精緻で、音色も多彩。

 第3楽章も快適なテンポで明快ですが、タッチの柔らかさが音楽に丸みを与えてもいます。第4楽章は、ザクザクと歯切れ良く鋭利なリズムを刻む表現。ティンパニや大太鼓の強靭なアクセントが打ち込まれ、何ともダイナミックなパフォーマンスです。細部まで鮮やかに照射されますが、オケのせいか、ここでも柔らかな手触りが刺激を緩和する傾向。

“旧盤の要素を継承しつつも、オケの個性が前面に出て迫力あり”

小澤征爾指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 パリ管との旧盤以来の再録音で、イタリア奇想曲とカップリング。当コンビは近い時期に第5番も録音している他、後に第6番の映像ソフトも出しています。イエス・キリスト教会での収録で、残響の豊かなサウンド・イメージ。

 第1楽章は金管の威力がいかにもベルリン。続く主題提示は粘り気を帯び、旧盤同様に嫋々と歌いますが、感覚美に傾いて感情面に耽溺しないのはこの指揮者らしいです。内的感興で「良い音楽を聴いた」という手応えを聴き手に与える所は小澤の美点で、清潔なスコア解釈ながら、白熱した音楽作りが圧倒的。展開部やコーダの精悍な表情と有機的な迫力も、旧盤を継承しながらさらにスケール感を増して見事です。

 第2楽章は旧盤よりぐっとテンポが落ち、彫りの深さと叙情性を増した印象。階調の豊かなオケの響きにも魅せられます。第3楽章は明快な語調と楷書の風味が立つ、丹念な指揮ぶりが小澤流。アタックが強く、音圧の高い合奏もベルリン・フィルならではです。

 第4楽章は冒頭からパンチが効いて、ソリッドかつ凄絶なサウンド。テンポこそ中庸で落ち着いた風情ですが、細部が完璧に統率されていてヴィルトオーゾ風。やはり音圧というか風圧というか、フォルテの威力が凄いですが、残響の多い録音ゆえかカラヤン盤ほどうるさくは感じません。弦楽セクションのしなやかなカンタービレは優しい風合いもあって素敵です。

“ウェットな情感を残しつつ、鋭敏な棒さばきでシャープに仕上げる小泉”

小泉和裕指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1990年  レーベル:RPOレコーズ)

 小泉は同オケと後期3大シンフォニー及びマンフレッドを録音しています。録音会場が全て違っているのは面白い所で、当盤はトゥーティング、オール・セインツ教会での収録。

 第1楽章は、残響豊かな空間で壮麗に響くブラスが魅力的。フレーズ作りに長けたこの指揮者らしく、巧みにスタッカートを盛り込んで説得力の強い表情を作り出しています。主部は遅めのテンポで悠々たる足取り。小泉らしいロマンティックな歌心と歯切れの良いリズムが抜群のバランスで配合され、見事なチャイコフスキー像を示しています。

 オケも爽やかな響きで好演。木管の第2主題やチェロの優美なカンタービレが素晴らしく、ホルンの雄大な旋律にほんの僅かなルバートを加え、気宇壮大に演出するセンスも卓抜です。色彩感も豊か。急がず慌てず、ドラマティックな語り口でスケール大きく盛り上げる展開部も、有機的な迫力を感じさせます。コーダ前後もニュアンスの付与が秀逸で、フレーズの造形の美しさに唸らされます。

 第2楽章は、遅めのテンポで切々と歌う第1主題がリリカル。日本人らしいウェットな感覚を随所に盛り込みながら、俊敏なリズムでシャープに引き締める絶妙の造形感覚こそ、彼がヨーロッパで好評を得ている秘訣なのでしょう。第3楽章は落ち着いたテンポで克明ですが、中間部では小泉一流の無類に切れが良いスタッカートを駆使していて鮮やか。

 第4楽章もあまり速いテンポで突っ走らず、細かい音符を丹念に処理して解像度が高いです。オケも精緻で鋭敏な合奏をパワフルに展開。唯一、金管のテーマに裏拍で打楽器がアクセントを打つ箇所が、ほぼ全て前のめりなのは気になります。ファンファーレが回帰する箇所は、堂々たる威容を提示。微妙に加速し、エッジの効いたリズムで引き締めたコーダも見事です。

“扇情的な表現を排し、シンフォニックな様式感を追求するも、あまりに無愛想”

クラウディオ・アバド指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1988年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音の一枚で、幻想序曲《ロミオとジュリエット》をカップリング。アバドは過去にウィーン・フィルと当曲を録音しています。冒頭のファンファーレからシカゴ響の機能美を堪能できるディスクですが、この楽団のトレードマークである金管群の咆哮は抑え気味で、アクセントも弱く、全体に流麗な性格の演奏。

 旋律はよく歌っているものの、極端なクレッシェンド、ディミヌエンドや扇情的なルバートが排除されているため、どことなく無愛想なエグゼクティヴの雰囲気です。感傷に流されず、シンフォニックな様式感を貫徹したかったのでしょうが、どうもチャイコフスキーはそれだけでは物足りないです。

 両端楽章のゆったりとしたテンポと落ち着き払った表情、オケの技術力、磨き上げられた音色、確かに見事と言えば見事なのですが、個人的にはあまり乗れない演奏です。レガート気味のフレージングは全編に渡って駆使され、力まずして造形美を追求せんとするアバドのスタイルは、この時期辺りから顕著になってきたのかもしれません。空間性の豊かな録音は優秀。

“フレージングの達人ジンマンの面目躍如。極度に洗練されたチャイコフスキー”

デヴィッド・ジンマン指揮 ボルティモア交響楽団

(録音:1989年  レーベル:テラーク)

 《ロミオとジュリエット》とカップリング。ジンマンの数少ないチャイコフスキー録音の一つで、当コンビには《フランチェスカ・ダ・リミニ》の録音もある。交響曲は他に、バーデン・バーデン南西ドイツ放送響との第2番のみ。全体に、スコアにない強弱の演出を多用し、ふっと音量が落ちる瞬間が多々あるのと、天性のフレージング・センスが随所に心地よい時間を生んでいるのが特色。

 第1楽章は速めのテンポで、肩を怒らせず軽快。アーティキュレーションがよく統一され、合奏に非常な一体感がある。実に美しく洗練された演奏で、細部まで丁寧で緻密。第2主題も儚げなクラリネットのピアニッシモが効果的。スコアにない独自のクレッシェンドや突然の音量ダウンはあちこちに仕掛けられている一方、シンフォニックな様式感もあって純音楽的なスタンスを取っている。

 第2楽章は抑制された表現ながら、表情豊か。感情過多にはならないが、よく歌う演奏。強弱の演出にデリカシーと叙情性が溢れ、敢えていったん弱音を強調してから、クレッシェンドしたりする。第3楽章は遅めのテンポで落ち着いた表現。一音一音、克明に処理していて、中間部のピツィカートには独自のアクセントの強調もあり。

 第4楽章はものすごいスピードでヴィルトオーゾ風。ただし音量を開放せず、フットワークの軽さを確保している。無類に切れ味の鋭いリズムも痛快で、やはり弱音の入れ方が巧く、メリハリが効いている。ジンマンはよく普通と違う音価の採り方をするが、フレーズの意味合いを大きなコンテクストの中でで捉えていて、後年の活躍を待つまでもなく、この時点でフレージングの達人と呼んでいい指揮者だと思う。

“旧盤より格段に円熟味を加えた一方、峻厳さが後退したデメリットも”

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1990年  レーベル:EMIクラシックス)

 後期3大交響曲録音の一枚で、カップリングはスクリャービンの《プロメテウス》。ムーティはフィルハーモニア管とマンフレッドを含む全集録音も行っている。

 第1楽章冒頭は流線型の造形で、響きも豊麗。旧盤と較べると随分角が取れて、テンポや表情も落ち着いた印象。細部のニュアンスがぐっと豊かになり、柔軟性も増している一方、適度な推進力と力感はきっちり確保。リズムも正確だが、ムーティらしい峻厳さも欲しい所。息の長い発想で余裕を持って盛り上げる展開部は表情がすこぶる多彩で、有機的な迫力もある。間合いを長く取ったコーダも彫りが深い。

 第2楽章は、自在な呼吸で旋律をたっぷりと歌わせて恰幅が良い。明るく柔らかい音色も魅力的だが、山場でぐっとテンポを落とし、雄大なスケールで音楽を展開する辺りは、指揮者の成熟を感じさせる。第3楽章は残響の多い録音のせいか、ややフォーカスが甘い。木管の巧さが耳を惹くし、合奏は申し分ないが、筆致には鮮やかさも欲しい。

 第4楽章は打楽器などパンチが効いているが、テンポは中庸でタッチもソフト。スタッカートの歯切れは良く、リズムの鋭敏さを保持する一方、優美なフレージングが目立ち、敢えてソステヌートを全面に出す場面もある。宿命動機のファンファーレが回帰する箇所の自在な呼吸は気宇が大きいが、後半はやはり峻烈さが欲しくなってくるので、ムーティのディスクとしては旧盤の方が面白いかも。

“濃密なニュアンスを付与しながら、ロマン性よりも純音楽的な美しさに接近”

ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1997年  レーベル:テルデック)

 3大交響曲録音の一枚で、ニューヨーク盤から26年ぶりのライヴによる再録音。カップリングは幻想序曲《ロミオとジュリエット》。会場の響きがデッドで奥行き感も浅いせいか、アンサンブルが整然と繰り広げられる印象があり、バレンボイムにしては感情面の濃密さがあまり強く出ていない演奏。ただしテンポはよく動き、各部の表情も豊かで、同じシカゴ響でもアバドの鉄仮面スタイルとは別路線。

 第1楽章はソリッドなファンファーレに続き、超スロー・テンポで第1主題を開始。ただし物量に合わせて加速するので、提示部の最後には平均かそれより速めになる寸法である。随所にルバートを挟んでよく歌うが、必ずしもロマンティックな性格ではなく、むしろアバドが目指したと思しき交響曲としての純音楽的な美しさに、当盤の方がより接近しているように感じる。コーダでリピート時に加速するのも効果的。

 第2楽章もクールに冴え渡った音響の一方で、ニュアンス豊かなフレーズを作る対比がユニーク。中間部を速めのテンポで描写し、生き生きとした動感を与えているのも独自の様式感。第3楽章は中庸のテンポを採り、木管の装飾音符をゆったりと処理して、スピード感よりフレーズとしての美しさを強調しているのが秀逸。

 フィナーレはパワフルだが、音色を抑えていて華やかさがなく、テンポがさほど速くないせいもあってか、名技性の発露もほぼ無い。木管からブラス、弦へ引き継がれる民謡旋律も、レガート奏法で引きずるように重く演奏。コーダにかけては如実に内圧の高さを増し、地の底から突き上げるような力によって白熱する辺りは、独特の迫力。

“描写に一点の曖昧さも残さず、感情の激しさをスコアと結びつける大野”

大野和士指揮 バーデン・シュターツカペレ

(録音:1998年  レーベル:ヒュープナー・クラシックス)

 カールスルーエ、バーデン州立歌劇場のライヴ録音シリーズの1枚で、ダヴィッド・ゲリンガスとのグバイドゥリーナ/《Und:Das Fest ist in vollem Gang》をカップリング。大野のチャイコフスキー録音は、ザグレブ・フィルとの《悲愴》もあります。会場の響きが良く、深々と響く金管も壮麗だし、残響音がたっぷりしている割に直接音も鮮明。

 第1楽章は冒頭から音圧が高く、凄味あり。トゥッティのアクセントの前に、ブラスの同音反復のヴォリュームを一旦下げ、クレッシェンドさせるのも個性的です。主部は遅めで表情が濃く、全てが鮮やかに描き切られる趣。感情の激しさと強靭な集中力も、全編に緊張感を与えています。造形をくっきりと表出し、歯切れの良いアクセントをザクザクと打ち込む一方で、旋律線はみずみずしく、流麗な音色で伸びやかに歌っていて魅力的。

 展開部も克明を極めた描写。激した調子をスコアの感情面に結びつけるのが巧い指揮者です。リズム感も優れていて、スタッカートを駆使した明快な歌い回しも秀逸。オケも共感が強く、自発性豊かに熱っぽいパフォーマンスを展開しています。コーダでは、弦のユニゾンの前にひと呼吸間挟むのがドラマティック。

 第2楽章も淡白に流さず、濃密なニュアンスで情報量多し。筆圧が高く、曖昧さの一切ない鮮明な音でフレーズを隈取っています。艶っぽく優美に歌う弦楽群も聴き所。第3楽章は精細な描写力を生かし、軽快に造形。オケは、あと一歩洗練されていればと思わないでもありませんが、緊密なアンサンブルで好演しています。

 第4楽章は、卓越したリズム感でシャープに描写。中庸のテンポで開始しつつも、音量の増減に合わせて僅かに加速するアゴーギクが効果的です。大野の棒は精悍に引き締まり、流れを弛緩させない緊張力あり。特に細かい音符やディティールの表情に、曖昧さを残さない厳しさを感じさせます。強弱の演出にも細かい工夫があり、非常によく練られたスコア解釈。剛毅な力感も充溢し、スケールの大きさと相まって迫力があります。テンポを煽るコーダも、ライヴらしく凄絶に高揚。

 → 後半リストへ続く

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