ドビュッシー/管弦楽のための映像

概観

 ドビュッシー作品の中では、意外に演奏されない隠れた名曲。生演奏でも聴いた事がありません。それでも録音には恵まれている方で、レヴァインやマータなど、なぜかドビュッシーでこの曲だけ録音している指揮者もいます。特に《イベリア》はスペイン情緒もあって人気。

 第1曲《ジーグ》、第2曲《イベリア》、第3曲《春のロンド》という3部構成ながら、《イベリア》はさらに《街道や小道を抜けて》《夜の香り》《祭りの日の朝》の3曲に分かれているので、全体としては5曲構成の組曲という体裁。LP時代は収録時間の関係もあってか、《イベリア》のみを取り上げて片面に収録する事も多かったですが、CD時代になって全曲盤のディスクが増えました。

*紹介ディスク一覧

[イベリアのみ]

55年 パレー/デトロイト交響楽団

57年 ストコフスキー/フランス国立放送管弦楽団

66年 ミュンシュ/フランス国立放送管弦楽団  

75年 ドラティ/ワシントン・ナショナル交響楽団

78年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団

81年 マータ/ダラス交響楽団

12年 ロト/レ・シエクル

[全曲盤]

58年 ミュンシュ/ボストン交響楽団  

63年 モントゥー/ロンドン交響楽団   

63年 クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団

67年 ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団

71年 T・トーマス/ボストン交響楽団

73年 マルティノン/フランス国立放送管弦楽団

78年 バレンボイム/パリ管弦楽団   

79年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 

87年 ドラティ/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

88年 デュトワ/モントリオール交響楽団

89年 ラトル/バーミンガム市交響楽団

91年 ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団

92年 レヴァイン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

96年 サロネン/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

11年 ガッティ/フランス国立管弦楽団

12年 ドゥネーヴ/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団 

14年 T・トーマス/サンフランシスコ交響楽団

●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●

[イベリアのみ]

“優しく親しみやすい語り口で、ドビュッシーの魅力を伝える

ポール・パレー指揮 デトロイト交響楽団

(録音:1955年  レーベル:マーキュリー)

 ドビュッシーの主要作品も手掛けた一連の録音から。生々しい直接音のイメージが強いレーベルですが、意外に残響も取り入れられて聴きやすい録音。全てが明晰に照射された鮮やかな演奏ながら、音色に潤いと暖かみもあって、タッチが滑らか。音彩がカラフルで美しく、合奏も緊密で技術的に優秀です。

 《街道や小道を抜けて》は、速いテンポできびきびと造形。活気に溢れながらも趣味が良く、仕上げの粗さはありません。シャープなリズム処理が見事ですが、角が立たないのは好印象。《夜の香り》も速めで流れが良く、細部まで明快。温度感のある音色が南国らしい熱気を孕んでいて、作品にふさわしいムードを醸成します。控えめなポルタメントにロマンティシズムが立ちこめるのが不思議。

 《祭りの日の朝》も速め。クラリネット・ソロなども妙にあっさりして粘りがないですが、全体のまとまりに優れ、洗練されたセンスを感じさせます。優しく親しみやすい語り口で、ドビュッシーが苦手な人はまずパレーの演奏を聴くといいかもしれません。コーダも実に淡白。

“カラフルで雄弁、作品を最大限に面白く聴かせる唯一無二の才能”

レオポルド・ストコフスキー指揮 フランス国立放送管弦楽団

(録音:1957年  レーベル:EMIクラシックス)

 ラヴェルの《道化師の朝の歌》、イベールの《寄港地》とカップリング。ストコフスキーとフランスのオケの組み合わせは非常に珍しく、当コンビの正規録音もこれ一枚だけのようです。細部まで鮮明で残響も豊富だし、左右によく分離するサウンド。強音部では混濁ノイズと若干の歪みがありますが、ディティールの動きもクリアに捉えていて、立体感のある響きです。この団体らしい、華やかで爽快な高音域も魅力。

 色彩感が豊かで多彩な表情を施し、実に生き生きとした演奏です。《街道や小道を抜けて》は速めのテンポで、活気に溢れたパフォーマンス。所々アンサンブルが破綻しそうになる様子もみられますが、前のめりの勢いと各パートの洒脱なセンスは聴きものです。アゴーギクの操作も効果的で語り口が冴えていて、聴き手を飽きさせません。

 《夜の香り》も変化に富むカラフルな演奏。ドビュッシーに対して曖昧模糊として淡彩という、マイナスのイメージを持つ人には是非お薦めしたいディスクです。ラヴェルやビゼーと較べると人気がない作曲家ですが、これほど面白く聴かせてくれる演奏は稀少かもしれません。ヴァイオリン群の厚みのあるこってりした響きと、濃密なカンタービレもお家芸。《祭りの日の朝》は刻々と変化してゆく曲想を、鮮やかな切り口で華麗に描写。コーダの大仰なルバートは正にストコフスキー印です。

“自在な中にも繊細な弱音が光る、ミュンシュ最晩年のレコーディング”

シャルル・ミュンシュ指揮 フランス国立放送管弦楽団

(録音:1966年  レーベル:コンサートホール)

 ミュンシュ最晩年の録音で、アルベニスの同名曲とカップリング。当コンビは続いて《海》《夜想曲》も録音しています。ミュンシュはボストン響と《映像》全曲を録音していますが、《イベリア》のみの録音はライヴも含めて数種類あり。音質は鮮明ですが、強音部でやや混濁するのと、片側のチャンネルに部分的な損傷があるのは残念です。

 《街道や小道を抜けて》は、緩急の自由度の高い指揮ぶりがミュンシュらしい所。内圧とエネルギー感の強いサウンドは相変わらずですが、弱音部のデリケートな表現にはリリカルな美しさがあります。色彩もベタ塗り一辺倒ではなく、多彩なグラデーションを展開。トロンボーンの弱音グリッッサンドなど、洒脱なセンスを聴かせる箇所もあります。アインザッツの緩い所もあるものの、オケも集中力の高い合奏を展開。

 《夜の香り》は精妙な響きのセンスが光り、耳を奪われる瞬間が連続します。やはり弱音の使い方が上手く、ひっそりとした語り口の中に官能的な高音域が煌めく表現は、ひたすら魅力的。《祭りの日の朝》はフレーズごとにテンポが切り替わる、ミュンシュ一流の自在な指揮ぶり。各パートが好演していて、明朗で艶っぽい音色と共に、その歌い回しの妙も耳を惹きます。微妙に加速してテンションを高めてゆく棒さばき、やや誇張したコーダのグリッサンドも効果満点。

“小細工を施さず、滲み出る味わいで作品そのものに語らせる、得難い演奏”

アンタル・ドラティ指揮 ワシントン・ナショナル交響楽団

(録音:1975年  レーベル:デッカ)

 《夜想曲》とカップリング。ドラティのフランス音楽は多くありませんが、同響とはメシアンを録音している他、デトロイト響とのラヴェル《スペイン狂詩曲》や、若い頃にビゼーの録音もあります。又、コンセルトヘボウ管自主レーベルのアンソロジー・セットには、《映像》全曲のライヴ録音も収録。当盤はオケの優秀さもあってなかなかの名演で、《海》が録音されなかったのは残念。

 《街道や小道を抜けて》はどぎついメリハリを付けず、ソフトで軽快な大人の表現。鮮やかな音響を描き出しつつ、色彩面では落ち着いた印象も受けます。フレージングは艶やかで香気があり、少々エキゾティックにも聴こえる歌い回し。オケも洒脱なセンスを聴かせ、まろやかなソノリティには暖かみがあって耳に心地良いです。コーダのさりげない情感も味わい豊か。

 《夜の香り》は小細工を施さず、スコアの美しさをストレートに表出。楽想の対比もあまり大袈裟に強調せず、自然な佇まいですが、それにも関わらず聴き手に新鮮な驚きを提供するのがドラティの凄さ。《祭りの日の朝》には、指揮者の卓越したリズム感と描写力がよく表れています。それでいて音色も含め、タッチは柔らか。巧まずして作品そのものに語らせる、得難い演奏です。

“曖昧模糊とした神秘性に背を向け、全てを鮮やかに描き出すマゼール”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:デッカ)

 当コンビはこの時期にフランス物に取り組んでいて、《夜想曲》《海》《遊戯》の他、ラヴェル、ビゼー、ベルリオーズも録音。彼らのドビュッシーは音がリアリスティックで生々しく、原色のカラー・パレットを用いた鮮度の高い表現が特色です。その意味ではフランス印象派風とも、ブーレーズの細部まで隈無く照射したレントゲン的表現とも一線を画す、独自の路線と言えるでしょう。デッカの録音もヴィヴィッドで、直接音と間接音のバランスが理想的。

 《街道や小道を抜けて》はパンチの効いたトゥッティと、弾力性抜群で切れの良いリズムが、早くも聴き手を魅了。カラフルながらどぎつくならず、活力を漲らせながらソフトな手触りもあります。デフォルメも目立たず、センス良し。

 《夜の香り》は必要以上にもやっとした神秘性を出そうとせず、オケの優秀な合奏力を聴かせる行き方。旋律線が流麗で、横のラインがブツ切りにならないのはマゼールの美点です。精密にコントロールされたダイナミクスによって、見事なバランスで明滅する管のハーモニーと艶めく弦が織りなす色彩美は圧巻。

 《祭りの日の朝》は意外に落ち着いた性格。クラリネット・ソロも、遅めのテンポで抑制が効いた表現です。解像度の高い弦の細かな動きなど、技巧的な凄さは常に耳に入ってきますが、木管ソロをはじめ、フレージングの表情の豊かさが、より印象に残ります。遠近法の描写も秀逸。鮮烈なコーダで見事に締めくくる好演です。

“マータらしさもあるものの、録音のせいか今一つパンチ不足”

エドゥアルド・マータ指揮 ダラス交響楽団

(録音:1981年  レーベル:テラーク)

 当コンビ唯一のドビュッシー録音で、テラークへのレコーディングも唯一。リムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲、トゥリーナの《オルジナ》をカップリングしています。

 《街道や小道を抜けて》はやや遠目のワンポイント録音によって、少しパンチに欠けるきらいはありますが、肩の力が抜けた余裕のパフォーマンスはマータらしい所。響きに潤いと柔らかさがあり、上品なタッチでしなやかに旋律線を歌わせているのが魅力的です。トランペットのファンファーレも、アーティキュレーションと流麗な音色が斬新です。細部まで緻密に仕上げられているのは、このコンビの美点。卓越したリズム感が、スコアに内在する律動をヴィヴィッドに伝えます。

 《夜の香り》はもう少しオンの録音だとディティールが分かりやすいのですが、響きを非常に繊細に構築した演奏。旋律線も、明朗な音色とソフトなタッチで優美に歌わせています。《祭りの日の朝》はゆったりと開始し、クラリネット・ソロでさらに遅くなるのが、マータ特有の様式感(ラヴェルでも顕著でした)。コーダでも独特の粘りを聴かせます。あと一歩リズムのエッジが立つと全体がパリっとするのですが、敢えてソフィスティケイトされたセンスを重視したのかもしれません。

“正攻法の解釈ながら、弾けるような音彩と卓越した合奏力で聴かせる”

フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮 レ・シエクル

(録音:2012年  レーベル:ハルモニア・ムンディ)

 フランスの作曲家が描いたスペインをテーマにしたライヴ・オムニバスから。カップリングはシャブリエの《スペイン》、マスネの歌劇《ル・シッド》バレエ組曲、ラヴェルの《道化師の朝の歌》ですが、収録年月も演奏会場もバラバラなのにまとめて記載してあり、各曲の録音データが特定できません。ここでは最も古い2012年ラ・シューズ・デューのデータを採用しておきます(他は2013年パリ、サル・プレイエル、2014年ペルミニャン、ラルシペル。複数音源のミックスかもしれません)。

 ロトの指揮は奇を衒ったものではなく、テンポもフレージングも正攻法。鋭敏なリズムと卓越した統率力でスコアを生き生きと甦らせ、ピリオド楽器の音色で新鮮に聴かせるのがコンセプトのようです。《街道や小道を抜けて》は眩い光に溢れ、シャープなエッジと思い切りのよい弾けるようなアタックが胸のすくよう。ブラスのさっぱりとした音色とアクセントも刺激的で、ガット弦によるストリングスは意外に明るい音色が魅力的です。

 《夜の香り》も彩度が高く、各フレーズの輪郭と存在感が増して聴こえます。このコンビの演奏が面白いのは、作曲当時を再現した響きが新鮮に聴こえる一方、かつてのパリ音楽院管を思わせるローカルな音色も想起させて、どこか懐かしさを感じさせる点です。コンセプト主義に陥らず、ニュアンス豊かな歌い回しで生き生きと演奏するオケも見事。《祭りの日の朝》も華やかな音彩と鋭敏な棒さばきで、活気に満ち溢れます。せっかくの企画なので、全曲版を録音して欲しかった所。

[全曲盤]

“興奮体質でテンションの高いミュンシュ。ボストン・サウンドは既に魅力的”

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

(録音:1957/58年  レーベル:RCA)

 当コンビは、《牧神の午後》《春》《海》、《夜想曲》(2曲のみ)、《聖セバスティアンの殉教》、《選ばれた乙女》(ソロはロス・アンヘレス)も録音しています。ミュンシュの同曲録音は《イベリア》のみのものが数種類あるものの、全曲録音がこれが唯一。

 《ジーグ》はテンションが高く、少しでも音量やテンポが上がると熱気が増す興奮体質。加速の幅も大きく、舞曲の箇所は相当なスピードで駆け抜けます。音圧が高いので色彩が鮮やかに出るのと、金管などエッジがどぎついくらいに鋭いのもユニーク。弱音部は、現代の基準からするとデリカシー不足ですが、モノトーンの演奏とは違って面白く聴ける利点はあります。

 《街道や小道を抜けて》はパンチが効いてダイナミック。分析的な音作りではないので、緻密な音響が耳を奪うタイプではないですが、ボストン響らしい音は随所で楽しめます。旋律線にさらに艶っぽい官能性が欲しい所で、ルバートもやや無骨。《夜の香り》は曲調ゆえか合奏の緩さ、ピッチの甘さも露呈しますが、これはオケのレヴェルというより、この時代の限界なのかもしれません。ただ、ミュンシュの棒も細部の精確さを追求してはいない印象。

 《祭りの日の朝》は落ち着いて曲想の変転を追い、各部の性格を個性的に描き分けていて、新鮮な発見の多い表現。こういう、他と違う視点で聴かせてくれる演奏なら歓迎です。締めくくりは大袈裟にデフォルメ。《春のロンド》も速めのテンポで、常に加速の準備をしているような熱血系の性格。弱音部は丁寧に処理されていますが、時に全体の勢いで盛り上げようという姿勢も見え隠れします。ソフィスティケイトされたオケの音色はプラスに働いています。

“柔らかなタッチと潤いのある響きで、気品溢れる表現を展開”

ピエール・モントゥー指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1963年  レーベル:フィリップス)

 交響的断章《聖セバスティアンの殉教》とカップリング。当コンビはデッカに《牧神の午後》、《夜想曲》から《雲》《祭り》も録音しています。この時期のフィリップスによるロンドン録音は幾分ドライなものもありますが、ウェンブリー・タウンホール収録の当盤は残響が豊かで、潤いがあって柔らかいサウンド。それでいて直接音も鮮明です。

 《ジーグ》は、このコンビらしく典雅でしなやかな演奏。録音のせいもあって独特の柔らかな筆遣いが目立ち、みずみずしい音色でしっとりと歌い上げる旋律線は魅力的です。ミュンシュやクリュイタンスの録音と較べると、気品や艶美さでは図抜けている印象。テンポは遅めですが、クライマックスの前後は大きく加速し、押し出しの強い語り口も聴かせます。

 《街道や小道を抜けて》はゆったりとした佇まいで、細部を丁寧に造形。実に優美なタッチで、ほとんどバレエ音楽のように聴こえるのもモントゥーらしいです。エキゾティックなエコーが抜群に効いて、妖しいムードをまとう中間部の旋律もすこぶる美麗。《夜の香り》はパステル調にソフィスティケイトされた色彩感と、各フレーズの粘性を帯びた艶っぽい歌が聴きもの。リスナーの耳を虜にしてしまう蠱惑の時間が連続する、もの凄いパフォーマンスです。

 《祭りの日の朝》もソフトながら明快な語り口。もしかすると、ドビュッシーが苦手な人にも受け入れられる親しみやすさがあるかもしれません。感覚美で聴かせる一面もあり、それでいてシャープな切れ味も十分。《春のロンド》もカラフルで雄弁なニュアンスが盛られた表現で、旋律線もリズムも生き生きと躍動しています。

“目覚ましい色彩と透徹した音響で、ブーレーズ盤以上の情報量を誇る一枚”

アンドレ・クリュイタンス指揮 パリ音楽院管弦楽団

(録音:1963年  レーベル:EMIクラシックス)

 ラヴェルやビゼーの名演で知られるクリュイタンスですが、ドビュッシー作品の録音は意外に少なく、当盤は稀少。録音もディティールまで克明に捉えていて、印象派風にぼやかさない演奏、録音です。《ジーグ》はくっきりと鮮やかな音像で、アンサンブルが精緻。それでいて香り高いエスプリがあり、棒のコントロール、オケの表現力共に、見事という他ありません。

 《街道や小道を抜けて》はゆったりとしたテンポで、フレーズにゆとりあり。色彩が鮮やかで、リズムも冴えています。中間部のエキゾティックな旋律は絶妙の歌わせ方でセンス満点。独特の香気を漂わせながら、シャープなエッジも効かせています。トランペット・ソロは柔らかな音色、フレージングで、エンディングの木管群もすこぶる魅力的。

 《夜の香り》もデリカシー満点で緻密。全ての音符を丹念に拾うような趣で、その精妙な響きと遠近法に耳を惹かれます。遅めのテンポで豊かな情感を湛え、粘り気のある弦のカンタービレに官能性が漂います。《祭りの日の朝》は、多彩な音が次々に耳に飛び込んでくる演奏。ディティールの照射に関しては、むしろブーレーズ盤以上という明晰さです。カラフルな音色、活気あるリズム、くっきりと明快なフレージング、的確なアゴーギクと、どこを取っても一級。

 《春のロンド》もあらゆる音、あらゆるパートをクリアに際立たせていて、色彩変化の目覚ましさに圧倒される思いです。終始、リスナーの耳を惹かずにはおかない情報量の多さですが、ここまで来ると他盤とは違う曲に聴こえる瞬間も多々あり、この音楽の行く先にデュティユーやメシアンの背中も見えてくるのは一興。

“あらゆる音を明晰に照射する、驚異的なパフォーマンス”

ピエール・ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1967年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ブーレーズのCBS録音は最初期にドビュッシーがありますが、3枚のアルバムの内、2枚がニュー・フィルハーモニア管、この1枚だけがクリーヴランド録音でした。彼は90年代にこれら全てを再録音していますが、その際には全てクリーヴランド管を起用しています。カップリングは《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》で、LP発売時は《イベリア》のみを片面に集め、《ジーグ》《春のロンド》、カップリング曲を裏面に収録という構成でした。

 《ジーグ》は冒頭から絶妙の色彩感。くっきりと浮かび上がるオーボエ・ソロの鮮やかさも、目の覚めるようです。クリアで見通しの良い響きによって、各パートの動きが手に取るように分かるブーレーズ一流の演奏、録音。続く舞曲のリズムも、その処理の見事さに舌を巻きます。

 《街道や小道を抜けて》は落ち着いたテンポで、全ての音符を精確に処理。この指揮者はこういう、急がず慌てず着実に地を踏みしめてくる時が、一番凄味があるように思います。シャープなリズムはしばしば耳に入りますが、旋律線は艶っぽく、決してビジネスライク一辺倒の演奏とも言えません。オケもうまく、精妙な音色センスに魅了されます。

 《夜の香り》も全く無駄のない、虚飾を排したスタイルながら、スコア自体に率直に語らせて作品の本質を衝く行き方で、この方向性では他の追随を許しません。一方、しなやかなカンタービレと精緻に描き込まれたディティールも卓抜。《祭りの日の朝》には色彩とリズムに対する鋭敏なセンスが十二分に発揮され、あらゆる音が耳に飛び込んでくる、驚異的なパフォーマンス。

 《春のロンド》は解像度が高く、明晰な音作りながらも、発色が良くてカラフル。弦の艶やかな音色としなを作るようなフレージングも耳を惹き、さらに潤いと叙情性もあって、ドライにはなりすぎません。オケが実に雄弁でニュアンス多彩。合奏も緻密そのもので、較べて聴くとやはりニュー・フィルハーモニア管より数段上のオケという印象を禁じ得ません。

“カラフルで溌剌とした痛快な演奏。正に全編が聴き所”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 ボストン交響楽団

(録音:1971年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビの稀少な録音の一枚で、《牧神の午後》をカップリング。T・トーマスは後にサンフランシスコ響と同曲を再録音しています。彼らのレコーディングに共通する、シャープなエッジと柔らかな弾力を両立させたサウンドで、残響は多め。《春の祭典》や《冬の日の幻想》ほどは知られてはいないようですが、個人的には同曲屈指の名盤として推したい一枚です。

 《ジーグ》は冒頭のフルートからして、ふるいつきたくなるような音色。続くオーボエもたっぷりと潤って夢見心地で、フランス音楽を得意とするこのオケの本領を発揮。リズム的要素が導入され、ブラスが入ってくるとT・トーマスらしいエッジが立ってきて、生き生きとした運動性も心地よいです。音響は精妙に構築され、弦の艶っぽいカンタービレも魅力的。音色や響きのバランス、デュナーミクとアゴーギクは完璧にコントロールされる一方、金管を中心に音色が少し派手で刺々しいのは好みを分つ所。

 《街道や小道を抜けて》はこの指揮者の面目躍如。フレッシュな感覚できびきびと音楽を造形していますが、その中に鮮やかな色彩感や鋭敏なリズム、爽やかな叙情が横溢するのが魅力です。トロンボーンのフレージングにジャズっぽいフィーリングを漂わせるのもT・トーマスらしい所。スタッカートの切れ味も抜群です。

 《夜の香り》もいわゆる「ぼかし」を用いず、明晰なサウンドでスコアを隈無く照射。それでいてムードがあり、情緒的には豊かに感じられるのが不思議です。弦の艶やかなラインの重なりと歌い回しは、どこかガーシュウィンに繋がる雰囲気。明朗なカラー・パレットは、ラテン音楽にふさわしいものです。

 《祭りの日の朝》もぱりっとした表現。ユニークなオーケストレーションや音色の変転を巧みに掴んでいる所に、指揮者の非凡な才気を感じます。スタティックに凝集する方向ではなく、溌剌として生彩に富み、テンションが高いのは当盤の特色。

 《春のロンド》も高解像度のカラー写真を見る趣で、繊細かつ鮮明。アンサンブルの集中力が高く、各パートが指揮者の棒に鋭敏に反応しているのが痛快です。ヴァイオリンの高音域によるピアニッシモの合奏やコーダ近くのグロッケンシュピールの効果なども、はっとさせるような精妙さ。正に全編が聴き所といった調子です。

“オケの魅力的な音彩と卓越した棒さばきが光る名盤”

ジャン・マルティノン指揮 フランス国立放送管弦楽団

(録音:1973年  レーベル:EMIクラシックス)

 同コンビのドビュッシー管弦楽曲集成から。ラヴェルの場合と違い、フランスの指揮者・オケによるドビュッシー録音は案外少ないので、これは貴重な企画でした。演奏も録音もいかにもフランス・オケという音で、残響が豊富なため潤いも充分。ソロはくっきりとクローズ・アップされます。《ジーグ》は色彩の配合が素晴らしく、リズミカルな箇所も生き生きとしてカラフル。華麗なトランペットやしなやかな弦のカンタービレは胸のすくようで、木管やグロッケンシュピールの効果も目覚ましいもの。

 《街道や小道を抜けて》は落ち着いたテンポで余裕があり、細部まで表情豊か。柔らかくも艶っぽい旋律線が耳に残ります。リズムや色彩より旋律と和声に重きを置いたバランスは新鮮に感じられますが、オケの音色は官能的な魅力を放っています。朗々と歌うトランペットのソロも印象的。

 《夜の香り》は音色のセンスが見事で、弦のグリッサンドなど特殊な奏法も最大限に生かしています。しっとりとした粘性の強いフレージングは独特。みずみずしい高音域が妖艶な香気を放ちます。《祭りの日の朝》はかなり速めのテンポ。各部の表情が多彩で変化に富み、リズムにも活力が漲ります。千変万化するアゴーギクは堂に入ったもので、ルバートで粘るコーダも個性的。タンバリンやスネアドラムなど打楽器の効果も鮮烈です。

 《春のロンド》は、繊細に構築された音響に立体感がありますが、ブーレーズのような分析型的には傾かず、あくまでメロディとハーモニーを重視。アゴーギク、デュナーミクを完璧にコントロールし、ドラマティックな起伏を作り出すマルティノンの卓越した棒さばきは、ある意味、旧世代の良さと言えるのかもしれません。部分的なテンポ・チェンジも、これ以上ないほど適切に処理。蠱惑的なオケの音色にも耳を惹き付けられる名盤です。

“カラフルで情感豊か、テンション高く個性的な解釈を貫くパリ時代のバレンボイム”

ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《牧神の午後》とカップリング。当コンビのドビュッシー録音は他に《海》《夜想曲》、《春》《聖セバスチャンの殉教》、《選ばれた乙女》他の歌曲集があり、さらにバレンボイムはシカゴ響と《海》を再録音しています。とにかく艶っぽく、色の濃いサウンドで、音圧が高い上に線が太いので、独特の音世界が拡がります。細部が鮮やかに発色するこの演奏は時にポップだったり、メルヘンチックだったり、むしろドビュッシーはちょっと苦手という人にアピールするのではないでしょうか。

 《ジーグ》は、水彩の淡い音作りを聴き慣れた人なら違和感すら覚えるであろう、油絵のごとく鮮烈な筆遣い。個々の音が熱っぽく、内圧の高い響きを作り出すので、実際以上にテンションの高い演奏に聴こえます。金管のフォルテなどはややどぎつく聴こえるかもしれませんが、ポルタメントも盛り込んで艶っぽく歌うカンタービレは魅力的。

 《街道や小道を抜けて》もそのままのムードを継承し、エキゾチックで官能的な歌い回しを縦横無尽に盛り込んで情感豊かな表現を繰り広げます。動感溢れるリズム処理もエキサイティング。《夜の香り》もカラフルで、弱音の中にも多彩な音色のグラデーションを展開しています。フランス的かどうかはともかく、万華鏡的な趣向で飽きさせない点では個性的な演奏。それにしてもパリ管の艶やかな弦楽セクションは魅力的です。

 《祭りの日の朝》は、遅めのテンポで細部をクローズアップする趣。普段は意識しないようなフレーズにも強調感があり、妙な角度から耳に飛び込んできます。時にファリャの曲に聴こえたりもしますが、これが王道の解釈でも良いんじゃないかと思うほど、強い説得力もあり。ここぞとばかりに粘るコーダもユニークです。

 《春のロンド》も情報量が多く、色鮮やかなサウンド。とにかくディティールが雄弁に語りかけてきて、印象派風の淡彩で描かれたドビュッシーとは全く別物という感じです。カラヤンの歌劇《ペレアスとメリザンド》全曲盤を支持する人にはフィットする方向性かも。

“オケも指揮者も、フランス音楽との意外な親和性を示す好演”

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1979年  レーベル:フィリップス)

 かねてからフランス音楽好きを公言しているハイティンク。当コンビはドビュッシーの管弦楽作品をかなり録音していて、「意外に良い」と高く評価する人もいます。柔らかくふくよかなコンセルトヘボウの響きは、近代フランス音楽に典型的なサウンドとは違いますが、そのギャップを補って余りあるほどに魅力的。各パートが何ともインティメイトに微笑ましく調和している感じは、このオケならではです。潤いのある、残響豊富な録音も魅力。

 《ジーグ》は、オーボエ・ソロが強拍にアクセントを付けていて、遅いテンポの中にも明瞭にリズム感を醸成。続くファゴットのリズムにも同様のグルーヴ感があります。奥行き感が深く、やや内にこもるコンセルトヘボウのサウンドは、ドビュッシーとしては異色ですが、紗がかかったように柔らかくて淡い雰囲気や、ソロがみな達者なので、フランス音楽とは意外に相性が良く感じられます。

 《街道や小道を抜けて》はオケの特質を前面に出しつつも、必要な鋭敏さとデリカシーを備えた演奏。マスの響きとクローズアップされたソロのパースペクティヴはこのオケらしいですが、印象派的な淡い色彩作りにはプラスに働く印象です。チェロの艶っぽい歌い回しも下品にならず優雅。抑制を効かせたブラスのファンファーレも、リッチな響きが魅力的です。

 《夜の香り》は、響きに埋もれがちながらもきちんと耳に入るディティールが、印象派らしい色彩の混合に聴こえて不思議。旋律線は艶やかな光沢を放ちながらも、柔らかなタッチにある種の気品が漂います。《祭りの日の朝》は精緻な遠近法と音響の構築が見事。クラリネットの鮮烈な音色も、ふるいつきたくなるような美しさです。クライマックスは、広大な空間に音が拡散するような壮大なソノリティがやはり異色。

 《春のロンド》も艶やかながら陰影が濃く、ほの暗い音色。アンサンブルは室内楽のようにまとまりが良く、緊密であると同時に温かな親密さも感じさすパフォーマンス。お互いの音をよく聴き合っている団体だという事がよく分かります。それでいて、各パートが自発的な演奏を展開。アーティキュレーションにも敏感に反応していて、リズムも溌剌と躍動します。

“オケの特性を活かした、まろやかでソフィスティケイトされた演奏”

アンタル・ドラティ指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1987年  レーベル:RCO LIVE)

 楽団自主レーベルによるアンソロジー・セットに収録のライヴ音源。ドラティはワシントン・ナショナル響と、過去に《イベリア》を録音しています。ライヴ録音にしては細部が緻密に照射されたクリアな響きで、このオケとホールらしい音色の美しさも味わえます。《ジーグ》は美音で精妙に描写。シンバルなどの打楽器や管楽器のアクセントなど、瞬発力はやや抑えられた印象。輪郭の明瞭さはドラティらしく、民族的なリズムもきっちり表出。

 《街道や小道を抜けて》は落ち着いたテンポでじっくりと掘り下げた異色の表現。必ずしも音色の対比を際立たせてはいないし、フランス的とは言い難い性格ですが、独特の魅力があります。《夜の香り》も柔らかなタッチで雰囲気豊か。オケが巧いので、色彩と歌い回しのニュアンスだけで十分聴かせてしまいます。弦の官能的なメロディも音量をぐっと抑え、すこぶる優美なタッチで歌われます。

 《祭りの日の朝》も角が取れ、ソフィスティケイトされた表現。トランペットをはじめ各パートが朗々と歌うのが面白いですが、バランス的に突出する事はありません。《春のロンド》は表情が豊かで、生彩に富んだパフォーマンス。ディティールは明晰ですが、基本的にはブレンドする傾向の響きです。精緻なアンサンブルもさすがで、弱音を基調にコントロールが行き届いた演奏。ライヴとは思えないクオリティもさすが。

“音色美に溢れながらも、ポップな色彩と熱っぽく明快な語り口が魅力”

シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団

(録音:1988年  レーベル:デッカ)

 《夜想曲》とカップリング。当コンビは歌劇《ペレアスとメリザンド》も含め、ドビュッシーの主要管弦楽作品を全て録音しています。ラヴェルのレコーディングで世間を一世風靡したコンビですが、個人的な好みから言えば、ドビュッシーの方が遥かに成功している印象。

 《ジーグ》は冒頭から、潤いたっぷりのしっとりした精妙な響きに耳を奪われます(フルートの音色といったら!)。当コンビの表現は時に薄味すぎるのが気になる事もありますが、ここでは濃密で鮮やかな色彩とダイナミックな語り口が好印象です。リズムにも活気があり、強音部の熱っぽさも作品の本質を衝く表現。

 《街道や小道を抜けて》も冒頭からパンチが効いて活力が漲ります。細部の描写の緻密さは驚くほどで、これらの要素を両立させる当コンビの良さがよく出た演奏。アゴーギクやデュナーミクの演出も完璧。ほとんど理想的なスコア解釈と感じます。

 《夜の香り》は筆使いこそ柔らかいですが、やはり解像度が高く発色が鮮やか。デリケートな感性や詩情の豊かさを生かしつつも、基本的には怜悧さが勝った演奏ではないでしょうか。弦が官能的な旋律を歌う辺りも、他の演奏に較べるとずっと抑制が効いているのに、その音色や歌い回しの魅力は頭一つ飛び抜けています。《祭りの日の朝》も色彩はどぎつくないし、リズムの角も立ってはいないのですが、それでいて全てがぱりっと明晰で腰も強いという、絶妙のさじ加減。

 《春のロンド》も生彩に富んで美麗。フランスのオケが演奏するドビュッシーは時に淡彩に傾きがちですが、当盤は適度な温度感や湿り気がある所がいいです。ややポップな色彩にも感じられるのは、デッカの録音ポリシーも関係しているのでしょうか。演出巧者のおかげで単調に陥らない点も含めて、ドビュッシーが苦手なリスナーにも面白く聴ける演奏。

“凝集された緻密さを表しながらも、熱量やメリハリが不足しがち”

サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

(録音:1989年  レーベル:EMIクラシックス)

 《リア王》《遊戯》をカップリングした、当コンビ唯一のドビュッシー録音。ラトルのドビュッシー録音は他に《海》《牧神の午後への前奏曲》他を収録したベルリン・フィルとのアルバムと、ロンドン響の自主レーベルから出ている歌劇《ペレアスとメリザンド》全曲盤があります。

 《ジーグ》は、ソフトでしなやかなサウンドが意外。音色にも暖かみがあって、クールな手触りを追求する方向には行きません。ホールの響きにもう少し奥行きがあれば言う事ないのですが、直接音は美しく、合奏の一体感とうねるようなカンタービレが随所に聴かれます。ソロも好演。分析的ではないですが、後にベルリン・フィルと録音した《海》に通じる、凝集された緻密な音作りが特色です。

 《街道や小道を抜けて》は落ち着いたテンポと柔らかなアタックで、肩の力が抜けた表現。やや血の気が薄く、テンションも低く感じられますが、ディティールは生き生きとして克明。色彩もマイルドにブレンドする傾向にあり、強弱やテンポのコントラストは弱められた印象です。トランペットなども艶消ししたような音色とバランスで、意図的に鮮やかさを消失させたようなアプローチ。打楽器のリズム的な要素も、いたずらに強調される事がありません。

 《夜の香り》は控えめながら艶っぽい音色で、精妙な表現を展開。ブーレーズのような徹底した明晰さの追求とは距離を置き、異国情緒やフランス的芳香を打ち出す演奏でもないので、シビアに聴けば主張に乏しい演奏と感じられるかもしれません。旋律線の表情は雄弁ですし、清新ながら情感は豊か。熱量に不足するのだけが気になる所です。

 《祭りの日の朝》は、様々な音要素を立体的に構築する手腕に本領を発揮。テンポの運びも堂に入っています。各パートは生気に溢れたパフォーマンスを聴かせ、フレージングのセンスも抜群。コーダに向かって盛り上げすぎず、華やかな色彩の拡散に向かわないのは英国流といった所でしょうか。

 《春のロンド》も大仰な所がなく、色彩の配合の具合や強弱の波の付け方など、いかにも抑制の効いた表現。大抵の演奏で聴かせ所として強調するようなフレーズも、淡々とした流れの中にさりげなく配置する趣です。聴いていて「もったいない!」と叫びたくなる箇所が多々ありますが、そうじゃない演奏が多数派である以上、これも一つの見識でしょう。弦のカンタービレには、控えめながら色気も感じられます。

“あらゆる音符にきちんと座標が与えられた、作品の本質を衝く表現”

ピエール・ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 24年ぶりの再録音で、カップリングは《牧神の午後》《春》。旧盤と同じオケを起用していますが、さらに肩の力が抜け、自然体のさりげなさが前面に出ているのが特徴です。レーベルと録音会場が変わり、サウンドにしなやかな弾力と暖かみが増したのも美点。彼らは続けて、《海》《夜想曲》《遊戯》《第1ラプソディ》も録音しています。

 《ジーグ》はテンポが速く、舞曲の躍動感が表出されているのが作品の本質を衝く表現。強弱をはじめ、表現に過剰な所がなく、常に余裕をもって全てが描写されるのは凄いですが、一部の隙もない、精妙なパフォーマンスを繰り広げるオケも驚異的。ダイナミクスと音色のニュアンスだけ取っても、ほとんど無限と形容したいほどの多彩さが聴かれます。

 《街道や小道を抜けて》は鮮やかな色彩と鋭敏さを示しながらもどぎつさがなく、上品な抑制が効いている印象を与えるのは、この時期のブーレーズならでは。響きに温度感があり、70年代の彼にはなかったしなやかな柔軟性も感じさせます。ほのかな潤いを帯びた旋律線も麗しく、分離拡散よりも凝集、ブレンドする傾向がある響きに指揮者の変化を窺わせます。小気味好いスタッカートも痛快。

 《夜の香り》も艶やかな音に溢れ、パッセージがほのかな燐光を放って明滅するような、不思議な魅力に満ちた演奏。旋律線がラテン的な香りや妖しい色気を感じさせるのも、ブーレーズの演奏としては意外です。明朗な色彩センスや和声感も魅力的で、各パート共とにかく素晴らしい演奏。《祭りの日の朝》も最小限の事だけをやっているようで、必要な音は全て鳴らしている感じ。派手さのない、慎ましやかな音世界ですが、ポップな色合いでさらっと仕上げたようなタッチが素敵です。

 《春のロンド》は控えめな動きの中で全てを描写した、誠に凝集度の高い表現。オケも、こういうアプローチに最適な資質を持つ団体と言えるでしょう。音がぱっと弾けるようなパッセージも殊更に強調される事なく、淡々と通過。それでいて、あらゆる音符にきちんと座標が与えられている感じは、作曲家ならではの視点と言えます。演奏効果に足をすくわれる事のない、本質を見据えた表現。

“目の覚めるように鮮烈で躍動的。過去盤を軽く凌駕する、圧倒的な新しさ”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1992年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 エルガーの《エニグマ変奏曲》とカップリングされた、定期演奏会のライヴ盤。オケにとっても、指揮者にとっても唯一の録音という珍しいレパートリーながら、わざわざCDで発売するとはよほどクオリティに自信があったのでしょうが、その予想をも超えてくるもの凄い名演です。78年から指揮台に立っているレヴァインとベルリン・フィルの結びつきも強固。

 《ジーグ》は輪郭が極めて明瞭で、とにもかくにもリズム感が卓抜。冒頭の弱音部からすでに舞曲のリズムがくっきりと浮き彫りにされ、躍動感を保持しつつ、デジタル映像のように鮮やかな色彩と解像度でスコアを照射してゆきます。こんな《ジーグ》は後にも先にも聴いた事がなく、ブーレーズ盤でさえ軽く凌駕してしまった印象。

 《街道や小道を抜けて》もダイナミックな語り口でパンチが効いて、ドビュッシーと聞いて誰もが連想する印象派的な既成概念には全く囚われません。艶やかでカラフルなオケの響きは鮮烈そのもので、あらゆる音に覇気が漲る高カロリーの指揮も圧巻。洒脱な歌い回しも楽しく、ミスや合奏の乱れもありません。

 《夜の香り》もライヴとは思えないほど高精細の表現。あらゆる音を冴え冴えと磨き上げ、楽曲と音響の構造をクリアに示す明晰さは、レヴァインの演奏に共通のものです。それでいて爽やかな叙情にも欠けておらず、高弦の官能的なきらめきも魅力的。《祭りの日の朝》はリズムの律動が強力に示され、音楽の枠組みが明快。カデンツァ風の部分も雄弁で、説得力の強い語り口です。各部のテンポと表情も、これ以外に考えられないほど見事。

 《春のロンド》も音の粒立ちを明瞭に分離させながら、響きは水分を含んで潤いたっぷり。木管をはじめ音彩にデリカシーと詩情が溢れ、目の覚めるような思いです。なんだか、今まで自分が聴いてきたのと同じ曲とは思えないくらい。弦のカンタービレにも、しっとりとした艶と粘り気があって魅了されます。ここでも驚嘆すべき明晰さが発揮され、ドビュッシーのスコアを分かりやすく腑分けして聴かせます。

“しっとりと潤いのある響きで描く、上品でラグジュアリーなドビュッシー”

エサ=ペッカ・サロネン指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1996年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 《海》《牧神の午後》をカップリング。当コンビは他に、《夜想曲》《聖セバスティアンの殉教》《選ばれた乙女》も録音しています。映画音楽に使用されるカリフォルニアのトッドAOスコアリング・スタジオで収録。残響は十分ですが、強音部はやや飽和して美しい響きとは言えず、奥行き感も浅いです。

 《ジーグ》は発色が鮮やかで、音の粒立ちも明瞭な一方、全体がしっとりと潤っているのが魅力的。必要以上に刺々しくはならず、丸みを帯びた筆致でポップな感覚を立てているのがサロネンらしいです。フォルテも硬直しませんが、内声は明瞭。リズミカルな躍動感と、ねっとりうねる流線型のラインも、巧く対比されています。

 《街道や小道を抜けて》は遅めのテンポで、冒頭から音価を長めに採っていて独特のニュアンス。意図的に鋭利なエッジを取り除き、上品なタッチを目指した感じもしますが、歯切れの良さは十分確保しています。ふっくらした響きは透明度も高く、カラフルな色彩感も表出。

 《夜の香り》も抑制の効いた語り口で、弦の官能的な旋律も、音量と表情を抑えて細やかな味わいを生かしています。録音のコンセプトもそうですが、徹底してディティールを照射する方向ではなく、色彩の配合やその移り変わり、旋律線の優美な表情、そこから醸成されるムードを重視する行き方。

 《祭りの日の朝》は磨き上げられた響きで緻密に描写しながら、まろやかなブレンド感が支配的。分けてもアゴーギクの設計が見事で、テンポの変遷と共に各場面が鮮やかに切り替わる様子は、ロス録音だからという訳ではありませんが、どこか映画のカットバックを思わせます。小気味良いパンチが効いたコーダも好印象。

 《春のロンド》冒頭は、ファゴットのリズムで運動性を巧妙に表出。先鋭的に尖った性格ではなく、柔和で細やかな描写力で聴かせるタイプなので、親しみやすい印象です。音色の明るさも作品にマッチ。個人的にはもう少し鋭利に切り込む合奏が好みですが、そういう演奏は他にもありますし、これはこれで一つの見識と言えるでしょう。口当たりの良い、ラグジュアリーなドビュッシーという感じ。

“ガッティの卓越した才気が発揮されながらも、会場の音響には不満”

ダニエレ・ガッティ指揮 フランス国立管弦楽団

(録音:2011年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 《海》《牧神の午後》をカップリング。当コンビの録音は《春の祭典》《ペトルーシュカ》も出ましたが、後が続かなかったのは残念です。録音会場の響きが浅く、もう少しサウンドに魅力が欲しい所。《ジーグ》は緩急の演出がおそろしく巧みで、表情の濃密さに圧倒される演奏。エッジの効いたリズムも効果を挙げています。色彩感の豊かさと旋律線の雄弁さは出色。

 《街道や小道を抜けて》は活力と熱っぽさがあり、繊細さや艶やかさと骨太な力感を兼ね備えます。自然に感じられるアゴーギクも、非常によく考え抜かれたもの。グリッサンドを効果的に使ったトロンボーンの重奏も絶妙の歌い回しです。《夜の香り》も色が濃く、淡彩の印象派風アプローチとは対極の表現。旋律線にもロマンティシズムが漂い、弱音のデリカシーも見事です。

 《祭りの日の朝》は鮮やかで、解像度の高いパフォーマンス。音色の美しさやフレーズの流麗さも、きっちり表出していますが、ヴァイオリン・ソロのエピソードに感じられる野趣などは清新な表現と言えます。すこぶるあっさりと切り上げるコーダもユニーク。《春のロンド》は細部まで解釈がよく練られ、旋律線の描き方にも思わず唸らされる新鮮な発見があります。敏感さを強調したアクセントなど、聴いていてはっとさせられるような表現も頻出。

“スコアを斬新な視点で洗い直した、現代における理想的なドビュッシー解釈”

ステファヌ・ドゥネーヴ指揮 ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

(録音:2011/12年  レーベル:シャンドス)

 2枚組の管弦楽曲集から。豊富な残響がトレードマークのレーベルですが、当盤は直接音も鮮明でバランスは良好です。音色センスに才気を発揮するドゥネーヴらしく、録音・演奏ともサウンド面での魅力には事欠きません。常に柔かな潤いを帯びた響きも、彼らの美点。

 《ジーグ》は、冒頭のオーボエ・ダモーレ(ソリスト名もちゃんとクレジットされています)からリズム、フレージングのセンスが卓抜。軽妙洒脱なタッチに、一気に耳を奪われます。指揮ぶりも正に才気煥発で、繊細な響きを軸にしながら、舞曲の躍動感や金管のシャープなエッジ、ダイナミックな力感できっちりメリハリを付けています。

 《街道や小道を抜けて》は、ティンパニを伴う冒頭のアタックにパンチを効かせ、押し出しの強さもあり。フレージングは全編に渡ってしなやかを極め、それを艶美な音色が彩るので、こうなるともう理想的なドビュッシー演奏と言う他ありません。色彩が鮮やかで、薄味にならない所もポイント。トランペットのファンファーレも実に意味深く有機的で、やや誇張を効かせたトロンボーンの歌も、奇矯にならず説得力が強固です。

 《夜の香り》もムード満点。ドゥネーヴは優れたオペラ指揮者でもあり、全てをドラマティックに解釈し尽くす姿勢は見事。スコアを消化しきれずに、漫然と音を垂れ流してゆく場面が全くありません。ただ、弦がロマンティックに歌う箇所はデュナーミクもアゴーギクも控えめで、次の曲への加速も抑制が利いて趣味が良いです。《祭りの日の朝》は小気味が良く、軽快な表現。ここが聴かせ所とばかり派手な音を振りまく演奏も多い中、周到な設計に知的な一面を垣間見せます。

 《春のロンド》も弱音部の精緻な音響が印象的で、スコアから新たな魅力を引き出した印象。こういう演奏で聴くと、ドビュッシーの音楽にはまだまだ発見があり、むしろデュティユーを聴くくらいの新鮮さを感じます。オケも精妙な響きと合奏で好演していて、ルーセルの全集録音の頃と比べて飛躍的に技術的レヴェルが上がった印象。

“旧盤の活力も残しながら、肩の力が抜けて恰幅の良い再録音盤”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団

(録音:2014年  レーベル:サンフランシスコ交響楽団)

 《遊戯》《レントより遅く》とカップリング。ボストン響との旧盤からゆうに半世紀、43年を経ての再録音です。そう考えると、かつては若手指揮者だったT・トーマスも老齢の域に入っいて、感慨深いものがあります。演奏はしかし、実に若々しくフレッシュな仕上がり。

 《ジーグ》は引き締まったテンポで動感が強く、リズムの鋭さと高い運動性を示しながら、しっとりと潤いのある、なめらかな響きを確保。弦のしなやかなカンタービレも魅力的です。分析的な音響傾向ではないものの、細部まで明晰で鮮やかな演奏はこの指揮者らしいです。

 《街道や小道を抜けて》は余裕のある棒さばきで、緩急巧みに造形。情感や和声感も豊かで、旋律線の魅力をよく捉えています。絶妙に肩の力が抜けた指揮ぶりで、ソノリティに温度感があるのも好印象。《夜の香り》も湿り気を帯びた響きとたっぷりしたフレージングで、恰幅の良い音楽作り。アトモスフェアの醸造がうまく、情緒的なイマジネーションの喚起力に優れます。ディティールのニュアンスや情報量は、旧盤を遥かに凌駕。

 《祭りの日の朝》はテンポの設定が巧妙で、遅めを基調にした微細な変化の加減に舌を巻きます。民族音楽的な要素を逃さずキャッチするセンスも、T・トーマスらしい所。一方、旧盤にあったジャズ的なフィーリングの強調や、アクセントの刺々しさは後退しています。《春のロンド》も柔らかな筆遣い。色彩は鮮やかですが、どぎつい発色ではなく、繊細で滑らかなタッチが目立ちます。リズム感が鋭敏で、全体が生彩に溢れているのは美点。

Home  Top