ドビュッシー/夜想曲

概観

 ラヴェルに較べればなかなか人気がないドビュッシーだが、この曲は《海》とカップリング収録される事が多いので、比較的聴かれている方かも。ただ、合唱が入るためか実演でプログラムに載る事はほとんどない。私も生演奏で聴いた事はない。色彩の移ろいで聴かせる音楽だが、精妙な音の芸術は聴けば聴くほど魅力的。《祭り》の活気や壮大さも、静謐で美しい両端楽章と好対照を成す。

 お薦めは、圧倒的な名演と感じるのがアバド/ボストン盤で、ハイティンク盤、ドゥネーヴ盤も素晴らしい。不思議と良い演奏が生まれやすい曲で、他にもパレー盤、モントゥー盤、インバル盤、ドラティ盤、ブーレーズの新旧両盤、バルビローリ盤、マゼールの新旧両盤、T・トーマス盤、サイモン盤、デュトワ盤、サロネン盤、ロト盤など、どれも十分にお薦め。

*紹介ディスク一覧

57年 ストコフスキー/ロンドン交響楽団

58年 シルヴェストリ/パリ音楽院管弦楽団

61年 パレー/デトロイト交響楽団

61年 モントゥー/ロンドン交響楽団  

62年 ミュンシュ/ボストン交響楽団 

68年 ミュンシュ/フランス国立放送管弦楽団  

68年 ブーレーズ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

68年 バルビローリ/パリ管弦楽団

69年 インバル/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

70年 アバド/ボストン交響楽団

73年 マルティノン/フランス国立放送管弦楽団

75年 ドラティ/ワシントン・ナショナル交響楽団

78年 バレンボイム/パリ管弦楽団  

78年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団 

79年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

82年 C・デイヴィス/ボストン交響楽団

82年 T・トーマス/フィルハーモニア管弦楽団

88年 デュトワ/ントリオール交響楽団

90年 サイモン/フィルハーモニア管弦楽団

93年 ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団

93年 サロネン/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

99年 マゼール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

99年 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

04年 P・ヤルヴィ/シンシナティ交響楽団

04年 プレートル/フィレンツェ五月祭管弦楽団

07年 プレートル/ベルリン・ドイツ交響楽団  

12年 ドゥネーヴ/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団 

18年 ロト/レ・シエクル   

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“濃密な表情を付け、音量やテンポも大きく演出するストコフスキー”

レオポルド・ストコフスキー指揮 ロンドン交響楽団

 BBCコラール・ソサエティ女声合唱

(録音:1957年  レーベル:EMIクラシックス)

 ラヴェルのスペイン狂詩曲とカップリング。当コンビはデッカへ《海》と《牧神の午後への前奏曲》も録音している他、ストコフスキーは同時期にフランス国立放送管と《イベリア》の録音も行っています。残響は豊富ですが、高音域が妙にこもる音質。これはロンドン響のEMI録音に共通する特徴で、後のプレヴィンとのレコーディングにも同じ傾向が聴かれます。古い録音のせいか、強音部では歪みや混濁もあり。

 《雲》は非常に遅いテンポで、細部を拡大鏡でクローズアップする趣。強弱を大きく付けていて、色合いや陰影も濃く、弦楽合奏も厚みがあって音圧が高いです。表情豊かで聴き手を飽きさせないものの、ドビュッシー演奏としては異色のアプローチ。ステレオ録音の効果を生かして左右チャンネルの分離を強調したミックスも、デッカのフェイズ4と同様、やや人工的な印象を受けます。

 《祭り》は始まってすぐのファンファーレは、異様にテンポを落としてストコフスキー節。ドビュッシーではあまり派手な事をやらない彼ですが、ここは大見栄の切り所だったのでしょうか。中間部は快速調で、打楽器のリズムを抑制しながら、山場の直前だけスネアドラムを激しく強打させるなど独自の演出あり。リズムは鋭敏で、躍動感も充分です。

 《シレーヌ》はまた遅めに戻りますが、アゴーギクの緩急は大きく、かなり速いテンポで推移する箇所もあります。3曲の中では最もストコフスキー色が抑えられており、音色やアンサンブルの作り方など、ドビュッシーらしさが明瞭に打ち出された印象。遥か遠くから響いてくるようなコーラスも、幻想的でムード満点です。

“フレージングや伴奏型のリズムに独自の解釈を適用した個性盤”

コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 パリ音楽院管弦楽団

 エリザベート・ブラッスール合唱団

(録音:1958年  レーベル:EMIクラシックス) *モノラル録音

 オリジナル・カップリングは不明ですが、同時に《海》《牧神の午後への前奏曲》も録音。私が購入したICONシリーズのブックレットにはなぜか記載がありませんが、これら全てモノラル収録です。オン気味のマイク・セッティングで、鮮明な聴きやすい音質。

 《雲》はスロー・テンポで、ねっとりと絡みつくようなフレージング。オケは音色の配合と響きの作り方に精通していて、見事にドビュッシーの音を作り上げています。弱音もデリケートで、ダイナミクスや遠近法、色彩のセンスも絶妙。《祭り》は、冒頭の弦のリズムに弾力あり。ブラスの合いの手やファンファーレは、スタッカートで歯切れの良い語調がユニークです。伴奏型のリズムのヴァリエーションも独特で、中間部もシャープなリズム処理が個性的。

 《シレーヌ》は、反復リズムの採り方に特有のグルーヴがあり、響きに対するセンスも鋭敏という他ありません。起伏も大きく、雄弁でリアリスティックな表現。合唱やハープは、バランス的にやや前に出過ぎる印象もあるものの、全体として音色的な統一は図られています。

“速めのテンポでリズムを打ち出しながら、柔らかなタッチと音色美で魅了”

ポール・パレー指揮 デトロイト交響楽団

 ウェイン州立大学女声グリークラブ

(録音:1961年  レーベル:マーキュリー)

 ドビュッシーの主要作品を含む当コンビ一連の録音から。同時録音の《ダフニスとクロエ》第2組曲がオリジナル・カップリングと思われます。生々しい直接音のイメージが強いレーベルですが、意外に残響も取り入れられて聴きやすい録音。全てが明晰に照射された鮮やかな演奏ながら、音色に潤いと暖かみもあって、タッチも滑らか。オケの音彩がカラフルで美しく、合奏も緊密で技術的に優秀です。

 《雲》は速めのテンポで流動性が強く、ラインが滑らか。茫漠としたミステリアスな雰囲気はどこにもなく、全てが白日の下に晒される趣ですが、それでいてどぎつさはなく、優美な筆致で一気呵成に描き切っています。《祭り》は速めのテンポでリズミカル。中間部も小気味の良いリズムと効果的なスタッカートで、軽快に描写しています。必要以上にエッジを研ぎ澄まさず、耳に優しいですが、コーダ前の細かい3連音符は音の立ち上がりのスピード感、アタックの峻烈さと切れ味がさすが、

 《シレーヌ》は猛烈に速いテンポながら、流れるように優美な棒さばき。コーラスの色彩感が素晴らしく、ラテン的で明朗なハーモニーに魅了されます。3拍子の箇所ではさらにテンポ・アップしてほとんど舞曲になっていますが、それが作品の本質なのかも。あまりに速いので、細部の動きより主旋律が際立ってくるのも面白い効果です。しなやかに歌う弦のカンタービレも魅力的。

“潤いのある柔かな響きで。気品たっぷりに表現”

ピエール・モントゥー指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1961年  レーベル:デッカ)  *2曲のみ

 カップリングは《牧神の午後》と、ラヴェルの《亡き王女のためのパヴァーヌ》《スペイン狂詩曲》。当コンビはフィリップスに《映像》、交響的断章《聖セバスティアンの殉教》も録音しています。この時期にはよくあるパターンだったのか、ミュンシュ盤と同様に《シレーヌ》を割愛。

 《雲》はゆったりとしたテンポで、独特の気品がある演奏。格別に精緻さを追求するタイプではないですが、指揮者とオケのスキルが高いせいか、常に響きの透明度が保たれています。しかも、音色はしっとりと水分を含んで魅力的。各フレーズがしなやかにうねる様も素晴らしいです。ハープとフルートが点描のように模様を描いてゆく箇所も、思わずはっとさせられる美しさあり。

 《祭り》もレガート気味のフレージング、柔らかく潤いのある響きで、上品に開始。各パートを明晰に鳴らしているのもモントゥーらしいです。中間部の前に加速するのは独自のアイデアで、その中間部はかなり速いテンポで疾走。その分、金管の主旋律を一筆書きのように流麗に歌わせています。合奏がよく統率され、常に引き締まったフォルムを維持しているのも見事。

“原色の熱っぽい良さはあるものの、精緻なデリカシーに欠ける演奏”

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

(録音:1962年  レーベル:RCA)  *2曲のみ

 《牧神の午後》《春》とカップリング。当コンビは、《海》《映像》《聖セバスティアンの殉教》、《選ばれた乙女》(ソロはロス・アンヘレス)も録音しています。直接音は鮮明で生々しいものの、強音部はやや混濁。残響は適度に収録され、トゥッティでは奥行きも感じられます。《シレーヌ》が割愛された抜粋盤ですが、6年後にフランス国立放送管と再録音した際には全曲を収録しています。

 《雲》は、現代の基準からするとデリカシーの点でやや劣る合奏。冒頭の木管など、精緻さを求める人にはあまりにストレートな切り口と感じられるかもしれません。美しく、艶っぽい音色が聴こえてくる瞬間もありますが、イングリッシュ・ホルンなどあまりに堂々と入ってきて面食らいます。響きを作ってゆくというより、原色のまま各パートに発色させるような趣。

 《祭り》はこのオケらしいマイルドさを備えたサウンドが心地よいですが、音圧が高く、線的にどぎついフォルテはミュンシュらしい所。テンポは意外に遅く、このアプローチならさらに鮮やかさがあってもいいのかもしれません。リズムがよく弾み、勇ましい語調と前傾姿勢が戦争映画のサントラのような中間部はユニーク。

“ミュンシュらしい熱っぽさと、フランス・オケのメリットが同居”

シャルル・ミュンシュ指揮 フランス国立放送管弦楽団

(録音:1968年  レーベル:コンサートホール)

 ミュンシュ最晩年の録音で、《海》とカップリング。当コンビは《イベリア》も録音しています。女性合唱団の団体名は不詳。ミュンシュの同曲はボストン盤をはじめ過去にも録音がありますが、3つの楽章を全て収録しているのは当盤のみです。音質は鮮明ですが、強音部にやや混濁あり。

 《雲》は、スタティックな沈静とは距離を置くものの、緩やかな運動の中に精妙な響きの紗幕を作り上げている所は、《海》を振っている時のミュンシュと印象を異にします。ただ、推進力が強く、フォルテのカロリーが高い点はこの人らしい所。弱音のデリカシーと色彩感の表出はさすがで、音色面や歌い回しのセンスにも、フランスのオケを起用したメリットもよく出ています。

 《祭り》は、冒頭の数秒間がなぜかモノラルなのが残念。演奏は意外に丁寧で、テンポも落ち着いていて前のめりにはなりません。むしろ合奏もリズムも克明に処理されています。中間部は、間を挟まずそのまま突入。ゆったりとしたテンポで、着実に盛り上げて行きます。

 《シレーヌ》はコーラスもオケも、アーティキュレーションやリズムを明瞭に描写していて、語調を幻想的にぼかしません。合唱が比較的少人数で、オン気味に録られているせいもありますが、弦楽セクションを始め各パートも艶やかな音色で朗々と歌い上げていて、全体にリアリスティックな表現と言えます。和声感が鮮やかに表出されているのも特徴で、淡彩のドビュッシーではなく、かなりカラフルな印象。

“目に見えないものについては語らず、徹底して明晰な音響を構築”

ピエール・ブーレーズ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

 ジョン・オールディス合唱団

(録音:1968年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 2枚ある当コンビのドビュッシー・アルバムの1枚で、《春》《狂詩曲第1番》とカップリング。ブーレーズは同時期にもう一枚クリーヴランド管ともドビュッシーを録音している他、90年代に全ての曲を同オケと再録音しています。あらゆる音が聴き取れるような、徹底してクリアな演奏・録音が強力なコンセプトになっていて、発売当時は「スコアをレントゲン解析したような演奏」と言われました。

 《雲》はテンポが速く、さらさらと流れる表現。目に見えないものについては語らないというか、デリカシーや洒脱なセンスは全く無視して、ひたすら目の前の音符をリアルに構築してゆく行き方です。《祭り》は、今の耳にはさほど鋭利という訳でもないですが、アーティキュレーションもダイナミクスも正確さを執念深く追求。テンポは遅めで、むしろ余裕と落ち着きもあります。古い録音だけに強奏部は音が飽和気味で、歪みや混濁もありますが、色彩は鮮やか。

 《シレーヌ》の合唱は適度な距離感で、オケの直接音も明瞭にキャッチした録音。旋律線は必ずしも無愛想ではなく、むしろ艶っぽく歌っているのは同時期のラヴェル、ストラヴィンスキーの録音と共通です。高弦のトレモロも解像度が高く、独特の色彩感と精緻な合奏で魅了する木管群も好演。詩情や幻想味には見向きもしないですが、ドビュッシーの場合はこういう表現にも強い説得力があります。

“濃厚な響きと密度の濃い表現で、言語に尽くし難い不思議な世界へと誘う”

ジョン・バルビローリ指揮 パリ管弦楽団

 フランス国立放送局女声合唱団

(録音:1968年  レーベル:EMIクラシックス)

 《海》とカップリング。バルビローリが創設まもないパリ管弦楽団を指揮した唯一の録音です。遅めのテンポでねっとりと粘液質のフレージングを駆使。細部を彫琢して緻密な色彩を聴かせるよりも、油絵のように濃厚なマスの響きで押してくるユニークなスタイルです。まるで厚みのある音のタペストリーですが、ストコフスキーのようにおどろおどろしくはなく、ある種のまろやかさと、ビロードのように柔らかな肌触りがあるのが魅力。

 《雲》はスロー・テンポで、ひっそりと交わされる囁きのような弦のニュアンスに思わず引き込まれます。イングリッシュ・ホルンをはじめ、木管ソロの味わいもさすが。曲想の微細な変化にも細やかに対応していて、多彩で密度の濃い音楽を構築。どこか人肌の温もりを備えたドビュッシーと言えます。

 《祭り》も遅めで、噛んで含めるような表現。トゥッティは力強く雄渾で、オーボエ・ソロも実に音楽的です。中間部は克明な処理で明快そのもの。《シレーヌ》は、合唱もオケの各パートも全てがクリアで、曖昧な所が一切ないですが、音色に潤いがあって温度感が高いため、ブーレーズのようなクールな方向には行きません。最後はゆっくりとした足取りで言語に尽くし難い不思議な世界へと入ってゆく、独特の魅力を湛えた演奏。

“生き生きとしたリズム、精緻に作り込まれた響き”

エリアフ・インバル指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

 オランダ放送合唱団女声

(録音:1969年  レーベル:フィリップス)

 インバル最初期の録音で、《海》とカップリング。ホールトーンを豊かに取入れた奥行き感の深い録音はこの時期のフィリップス、コンセルトヘボウ・サウンドを体現していますが、ディティールは非常に鮮明です。

 《雲》は音色の作り込みが秀逸で、オケの音彩の映えと、繊細な音響バランスの構築が見事。《祭り》は相当なスピードで熱っぽい表現。生き生きと弾むリズムが躍動感を生み、中間部のアーティキュレーションも適切そのものです。フレージングがすこぶる優美で、コーダにおける弱音部のリズムの刻みもデリカシー満点。

 《シレーヌ》は、弦の思い切りの良いカンタービレが爽快。明晰さを失わず、くっきりとカラフルな色彩とソノリティの魅力で聴かせます。コーラスもこの傾向が徹底していて、適切な遠近法を保持。幻想味こそありませんが、明朗で美しいパフォーマンスです。指揮者のフレッシュな感性が吉と出た印象ですが、後年のインバルなら又違うアプローチをしそう。

“オケ、指揮者、録音と3拍子揃った、稀少な名盤”

クラウディオ・アバド指揮 ボストン交響楽団

 ニュー・イングランド音楽院合唱団

(録音:1970年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビの数少ないレコーディングの一つで、ラヴェルの《亡き王女のためのパヴァーヌ》と《ダフニスとクロエ》第2組曲をカップリング。当コンビの録音は他に、チャイコフスキーの《ロミオとジュリエット》とスクリャービンの《法悦の詩》をカップリングしたアルバムがあるだけです。アバドのドビュッシーは、同曲をベルリン・フィルと再録音している他、歌劇《ペレアスとメリザンド》も組曲、全曲(ウィーン・フィル)共に録音。ロンドン響とのアルバムやルツェルン音楽祭における《海》のライヴもあります。

 残響をたっぷり収録した潤いのある録音が美しく、奥行きの深さとスケール感に事欠かない上、合唱による音場の広がりもうまく捉えています。オケは音色、リズム感、フレージング共にフランス音楽への適性を如実に示していて、さすがはミュンシュ、モントゥーの薫陶を受けた団体だと感じさせます。

 《雲》はスロー・テンポでディティールをじっくり掘り下げた表現。精妙な音色に魅了されますが、アバドの棒も響きの変化にぴったりと寄り添い、クールな肌触りに柔らかさと深みを加えた美しいソノリティを作り出しています。フルート・ソロの箇所は幻想味豊かで、いわく言い難い魅力あり。フルートが入って色彩がさっと変化する様子も、繊細に表現されています。

 《祭り》は速めのテンポと歯切れの良いリズムが痛快ですが、やや過剰で押し出しの強いブラスの吹奏にアバドの若さが表れています。弱音部での音色のブレンドは見事で、ムード豊かな録音も手伝って精妙な空気感を醸成。中間部の遠近感もさすがです。山場における金管セクションのフレージングは、スラーとスタッカートの位置が独特。

 《シレーヌ》は遅めのゆったりとしたテンポ。他の2曲のテンポ設定と合わせ、緩急緩の構成的コントラストをより強く打ち出しています。コーラスの距離感、オケとの色彩の混合も大変に美しいもの。フランス物を得意とするオケと、雰囲気豊かなグラモフォンの録音、若々しく冴え渡ったアバドの棒が相乗効果を生んだ稀少な名盤だと思います。

“潤いのあるサウンドで、たっぷりと叙情性を表出”

ジャン・マルティノン指揮 フランス国立放送管弦楽団・合唱団

(録音:1973年  レーベル:EMIクラシックス)

 同コンビのドビュッシー管弦楽曲集成から。ラヴェルの場合と違い、フランスの指揮者・オケによるドビュッシー録音は案外少ないので、これは貴重な企画でした。《雲》は遅めで情感豊か。しっとりとして粘性のある歌い口は、歌謡的とも感じられます。和声感も独特で、耳に絡み付いてくるような音色。極端な精緻さには走らず、ムードを重視して親しみやすい性格です。

 《祭り》も落ち着いたテンポ感で、深々とした音場にたっぷり水気を含んだ潤いのある響きを展開。十分にシャープですが、必要以上に研ぎすまさず、一音一音を余裕をもって鳴らしています。中間部は、舞台裏と思しきトランペットの遠近法が効果的。ホールの響きがもう少し良ければと思いますが、残響自体は豊富に取り入れられた録音です。

 《シレーヌ》は逆にかなり速めのテンポを採り、流動感の強い熱っぽい表現。輪郭や構成の妙はよく出ています。特に和声の移ろいや構築感を明瞭に表出し、オーケストレーションもいつになく多彩で躍動的に聴こえます。旋律線も雄弁。コーラスは長い残響のおかげでよくブレンドしますが、さらに奥行き感も欲しい所。

“他に類をみないユニークな着眼点が光る、清新なドビュッシー解釈”

アンタル・ドラティ指揮 ワシントン・ナショナル交響楽団

 ワシントン・オラトリオ教会女声合唱団

(録音:1975年  レーベル:デッカ)

 《イベリア》とカップリング。ドラティのフランス音楽録音はあまり多くありませんが、同響とはメシアンを録音している他、デトロイト響とのラヴェル《スペイン狂詩曲》や、若い頃にビゼーの録音もあります。コンセルトヘボウ管自主レーベルのボックス・セットには、《映像》のライヴ録音も収録。当盤はオケの優秀さもあってなかなかの名演で、同じコンビで《海》が録音されなかったのは残念。

 《雲》は、流れの良いテンポと曖昧さを嫌った明晰な音響でさらりと演奏。それでいて無味乾燥には陥らず、木管のハーモニーやソロなど、溜めはないものの発音にそこはかとない香気が漂います。シンプルだけど、味わい深い演奏。

 《祭り》はソフトな感触で、弱音の使い方もデリケート。リズム感は鋭敏ですが、角が取れて柔らかな発音が基調です。中間部のテンポは速すぎる感じもしますが、特有の軽快さがあり、抑制を効かせて盛り上げすぎません。力点の置き方が他の演奏とことごとく異なるので、不思議な上品さがあります。

 《シレーヌ》も速めのテンポ。遠近法や強弱、アゴーギクなど、ドビュッシー演奏としては着眼点が類を見ないほどユニークで、オケのソノリティにもまろやかなコクがあります。響きは透徹して軽く、神秘性こそ払拭されていますが、スコア本来の美しさはストレートに表出。オケが洒脱な表現を生き生きと繰り広げる様は、ちょっとした驚きです。合唱もドラティの個性的な棒によく付けていて、オケとの一体感強し。

“幻惑的で粘っこい、ひたすら個性的な解釈を貫くパリ時代のバレンボイム”

ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団・合唱団

(録音:1978年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《海》とカップリング。当コンビのドビュッシー録音は他に《牧神の午後》《映像》、《春》《聖セバスチャンの殉教》、《選ばれた乙女》他の歌曲集があり、バレンボイムはシカゴ響と《海》を再録音しています。

 《雲》はテンポが遅く、フレーズにねっとりとした粘り気があって独特のタッチ。まるで別の曲に聴こえる瞬間もあったりしますが、これをワーグナー風のアプローチと考えればユニークな視点でもあります。色彩は豊かで他の演奏にはない湿り気があり、斬新な手法でスコアに内在するポテンシャルを掘り起こしている辺り、バレンボイムは大した才人と言えます。近しい存在であるブーレーズのスタイルとも、伝統的なフランス流とも、全く異なる表現。

 《祭り》も色合いが濃く、リズム感は悪くないにも関わらず、フレーズに妙な粘性があります。金管のフォルテも厚みと潤いが独特で、内側からやや強引に押すようなイントネーション。合奏は丁寧に構築されていて、動感もあります。中間部は驚きのスロー・テンポ。ところが、これも祭りの行列がゆっくりと近付いて来るように聴こえるからさすがです。トゥッティも、ソステヌートのブラス群とスネアドラムのリズムが奇妙にズレていて、何ともいびつな異化効果を展開。

 《シレーヌ》はテンポこそ速めですが、冒頭から木管群のアルペジオが艶かしく、肌にまとわりつくような幻惑的なコーラスとオケが、聴き手を海底へ引きずり込む趣。面白い表現ですが、パリ管はバルビローリ盤でもこれと共通する感覚を聴かせていて、案外これはオケの体質が出たものなのかもしれません。豊麗な音色で音を割るホルンのクレッシェンドも個性的。ダイナミクスの振幅も大きく、これで和声や旋法がゲルマン風に傾けば、やはりワーグナーになるのかもしれません。

“ヴィヴィッドな筆致で鮮やかに描いた、ヴィルトオーゾ系のドビュッシー”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団・合唱団

(録音:1978年  レーベル:デッカ)

 当コンビはこの時期にフランス物に取り組んでいて、《イベリア》《海》《遊戯》の他、ラヴェル、ビゼー、ベルリオーズも録音。彼らのドビュッシーは音がリアリスティックで生々しく、原色のカラー・パレットを用いた鮮度の高い表現が特色です。その意味ではフランス印象派風とも、ブーレーズの細部まで隈無く照射したレントゲン的表現とも一線を画す、独自の路線と言えるでしょう。デッカの録音もヴィヴィッドで、直接音と間接音のバランスが理想的。

 《雲》は大きな強弱を付けず、ボカシの効果も避けながらカラフルに描写。ディティールが綿密に描き込まれた細密画を見る趣で、全てを明快に音にしながらも、驚く程の精妙なタッチを聴かせます。《祭り》は急速なテンポで、あらゆる音符を完璧に発音。シャープな隈取り、正確無比なリズム、精度の高いダイナミクスなど、唖然とするような超絶技巧パフォーマンスです。コーダの最弱音も繊細でありながら雄弁。

 《シレーヌ》は透明感を保ちつつ明るい音色。弦のカンタービレも思い切りが良く爽快です。硬直せず柔らかさも感じさせる響きは見通しも良く、フランス風かどうかはともかくとして、独自の魅力があります。マゼール流の誇張はほとんどなく、はっきりとした線でポップに描いたイラストみたい。遠目の距離感で収録されたコーラスも効果的です。

“オケの典雅な音色美を生かし、スコアの魅力を余す所なく再現”

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

 コレギウム・ムジクム・アムステルダム

(録音:1979年  レーベル:フィリップス

 かねてからフランス音楽好きを公言しているハイティンク。当コンビはドビュッシーの管弦楽作品をかなり録音していて、「意外に良い」と高く評価する人もいます。柔らかくふくよかなコンセルトヘボウの響きは、近代フランス音楽に典型的なサウンドとは違いますが、そのギャップを補って余りあるほどに魅力的。

 全体に速めのテンポ設定ですが、《雲》はゆったりした雰囲気。響きの透明度が高い上、音色の作り方が柔らかくて繊細。典雅なソノリティと相まって、ほの暗くも諧調豊かな絵画的色彩(印象派ではなくフランドル辺りでしょうか)を展開します。起伏のラインもなめらかで美麗。弦がオリエンタルな旋律を弾く辺りの何とも優美なタッチや、イングリッシュ・ホルンの味わい深いソロも秀逸です。ドビュッシーのオーケストレーションの妙を余す所なく再現した名演。

 《祭り》は速めのテンポで開始しますが、性急な印象はなく、克明なリズム処理が腰の据わった安定感に繋がる所がいかにもハイティンク。中間部も演出過剰にならず、終始自然体です。こういう長いクレッシェンドを形成する時のコンセルトヘボウ管は、オランダ人気質に合致するのか、いつも独特の有機的な迫力を生み出しますね。

 《シレーヌ》も、豊麗な響きの海にハープや木管の滑らかなパッセージが浮上する蠱惑的な音世界。やはり速めながら、佇まいが落ち着いているのは適切なテンポ設定という事でしょうか。奥に遠目の距離感で定位するコーラスも、マスの響きによくブレンドして幻想的なムード満点。弦の艶っぽいカンタービレや弱音のポエジーも十分で、ハイティンクは真面目ではあっても、決して無器用な指揮者ではない事がよく分かります。

“細密画のようなデリカシーとほの暗い色彩で、イギリス音楽の趣も”

コリン・デイヴィス指揮 ボストン交響楽団

 タングルウッド音楽祭合唱団

(録音:1982年  レーベル:フィリップス)

 デイヴィスによるドビュッシーは珍しく、恐らくこれが唯一の録音。《海》とカップリングされています。当コンビのディスクは意外に少なく、協奏曲の伴奏を除けばシベリウスの交響曲全集と管弦楽曲集、チャイコフスキーの《1812年》《ロメオとジュリエット》、メンデルスゾーンの《イタリア》《真夏の夜の夢》、シューベルトの《未完成》《グレイト》《ロザムンデ》があるのみ。

 《雲》は遅めのテンポで、細密画のようにデリケートな演奏。特に高音域の精妙な響きには、瞬時に耳を奪われます。デイヴィスの音色センスが良く出た演奏ですが、オケもミュンシュ、モントゥーの時代を通じてフランス音楽の語法を十分咀嚼。潤いを帯びた、柔らかな旋律も魅力的で、管弦のバランスと色彩の配合が絶妙。デイヴィスの棒も非常に集中力が高いです。

 《祭り》では豊麗な響きを鳴らしますが、思ったほどエッジは立たせず、フランス音楽(ベルリオーズ以外の)は柔らかく演奏するのがデイヴィスの流儀のようです。中間部に入る際に間を置かないのは、独特の解釈。リズム感は優秀で、正確な上に弾力があるのが好印象。フレージングに曖昧な所がないのもデイヴィスらしいです。

 《シレーヌ》は合唱の距離感が異常に遠い上、ほの暗い混濁感もあり、何ともミステリアスな雰囲気。作品の解釈からすれば、これも一つの見解かもしれません。テンポもゆったりと遅く、管弦楽の響きや色彩もどこかイギリス音楽のような趣。途中、ホルストの《惑星》(の《海王星》)でも聴いているのかと錯覚してしまいました。

“やや演出過剰ながら、楽しい語り口でアンチ・ドビュッシー派にもアピール”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 フィルハーモニア管弦楽団

 アンブロジアン・シンガーズ

(録音:1982年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ボストン響、ロンドン響ともドビュッシー・アルバムを録音しているT・トーマスですが、こちらは《海》との王道カップリング。当コンビの録音は意外に少なく、他に《ペトルーシュカ》とチャイコフスキーの組曲集、《くるみ割り人形》、メンデルスゾーンとサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲(リン)があるくらいです。

 《雲》はスロー・テンポで叙情性豊か。音色の配合と神秘的なムードの醸成が非常にうまく、イマジネーションに富む表現ですが、そういう所は劇場気質のT・トーマスらしく、ドビュッシーの本来の意図とはやや乖離したアプローチかもしれません。それにしても精妙でグラデーション豊かな響きの美しいこと。オケのややクールな音色も、作品にマッチしています。他の演奏では目立たないリズムの変化も明瞭に打ち出していて、親しみやすい語り口がドビュッシーの苦手な人に最適かも。

 《祭り》は鋭敏で歯切れの良いリズム感を駆使した、明晰極まるアプローチ。ファンファーレの凄絶なブラスとティンパニはやや過剰ですが、どうにも人気のない作曲家なので、これくらい刺激のある方が楽しいかもしれません。中間部も弾むような調子で活気と躍動感に溢れますが、山場は派手に盛り上げ過ぎた感もあり。

 《シレーヌ》もかなり遅めで、ディティールを克明に描写。こういった幽幻の世界を漂うような音楽においても、T・トーマスはリズムの拍動を打ち出し、音楽のアウトラインを明確に隈取ります。コーラスの強弱など、メリハリはかなり強調していて、良くも悪くも意識的な演奏には感じられるかもしれません。ラテン的な音色の作り方も見事ですが、印象派風のぼかしやフランス的香気はなく、どこまでも鮮明でリアルなタッチ。ただ演出が巧いので、雰囲気は豊かです。

“しっかりと色付けされたポップな音彩で、心地よく聴かせる親しみやすい解釈”

シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団・女声合唱団

(録音:1988年  レーベル:デッカ)

 《映像》とカップリング。当コンビは歌劇《ペレアスとメリザンド》も含め、ドビュッシーの主要管弦楽作品を全て録音しています。

 《雲》は発色が良く精緻な音作りの一方で、柔らかな筆使いを用いた親しみやすい表現。適度に潤いと温度感のある音色は、ドビュッシーの音楽を「淡彩だし近寄り難い」と感じている人にも心地よくアピールしそうです。特定の要素やパッセージの強調がない素直なスコア解釈ですが、音響のポップさで新鮮に聴かせてしまう所が素敵。

 《祭り》も必要以上に刺々しくしたり、過剰に盛り上げたりせず、抑制を効かせながら全てを鮮やかに聴かせる絶妙のさじ加減。速めのテンポで駆け抜ける中間部も、メリハリの強調感を避けながら、ダイナミックな迫力も十分表出しています。

 《シレーヌ》は、遅めのテンポでフレーズをたっぷりと聴かせるスタイル。歌謡性が前に出た表現とも言えますが、それと関連してか、コーラスも近接したバランスでクローズアップされています。神秘的なムードはないものの、明朗でポップな印象を与える所は当コンビのドビュッシーに共通する傾向。旋律線も情感が濃く、しっかり色付けされた響きと共に、淡彩の薄味とは一線を画す演奏。

“鋭いセンスと明快な語り口で、スコアから新鮮な魅力を抽出”

ジェフリー・サイモン指揮 フィルハーモニア管弦楽団・女声合唱団

(録音:1990年  レーベル:CALA)

 サイモン自身のレーベルから出ている2枚のドビュッシー・アルバムから。オリジナル作品は当曲と《海》、第1ラプソディのみで、後はラヴェルやストコフスキー、グレインジャーらが管弦楽に編曲したピアノ曲ばかりという、サイモンらしい企画。

 《雲》は遅めのテンポで、粘りの強い個性的なフレージング。オケのクールな響きは作品にマッチしているが、残響がかなり多く、細部が埋もれる傾向もある。良く言えば、しっとりと潤いを帯びたサウンド。音色の表出は精妙で、サイモンのセンスの鋭さが窺われる。

 《祭り》は速めのテンポで、やや前のめりに疾走。ブラスのハーモニーが力強く鮮烈で、歯切れの良い鋭敏なリズムが音楽を生き生きと躍動させている。中間部も動感が強いが、トゥッティは長い残響音が壮麗にすぎる。淡彩にはならず、発色が鮮やか。

 《シレーヌ》は推進力のあるテンポで流動性が強く、漂い流されるような趣。コーラスはオフ・ステージのようで距離感が遠く、茫漠とした音像。特に3拍子の箇所はテンポが速く、コントラストが明瞭。色彩の移ろいをはっきりと打ち出し、合唱のユニゾンに抑揚を付けて浮かび上がらせるなど、なかなか演出巧者な指揮ぶり。

“急速なテンポでコンパクトにまとめつつ、多彩なニュアンスを付与する再録音盤”

ピエール・ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団・合唱団

(録音:1993年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 旧盤から27年ぶりの再録音。オケがクリーヴランド管弦楽団に交替しているのも嬉しい所。カップリングは《海》《遊戯》と第1ラプソディ。彼らのドビュッシー・アルバムは、《映像》《牧神の午後》《春》が先に出ている。旧盤同様、相当に速いテンポを採択しているため、全体がぎゅっとコンパクトにまとまった印象。

 《雲》はオケの優秀な技術が生きて、流れるようなテンポの中にも精妙なニュアンスを表出。ソノリティに潤いと温度感があるのも好感触で、怜悧に突き放したような冷たさは後退している。柔らかなタッチで、ほのかな光彩を放つ色彩感も素敵。終始耳を惹き付けて放さない、集中力の高いパフォーマンス。

 《祭り》は落ち着いたテンポで、レガート奏法が目立って角の取れた印象。過剰な表現が全くなく、肩の力が抜けたさりげなさの一方、合奏は精緻そのもので、室内楽のように緊密に組み立てられているのが驚異的。強奏でも硬直しない、しなやかなソノリティも素晴らしい。色彩も豊かで、強弱やアーティキュレーションの描写が多彩。

 《シレーヌ》は速めのテンポでタイトにまとまり、ひそやかな語り口で上品。リズミカルな箇所も、躍動感がきちんと出るのはこのテンポのメリット。合唱のバランスも良好。勿体ぶった所が全くなく、常に自然体なのはブーレーズの良さと言えるだろう。

“くっきりとした色彩、豊麗でソフィスティケイトされた音世界”

エサ=ペッカ・サロネン指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

 ロスアンジェルス・マスターコラール女声合唱

(録音:1993年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 《選ばれた乙女》《聖セバスチャンの殉教》をカップリング。当コンビは後に《海》《映像》《牧神の午後》も録音している。デッカやグラモフォンも使ってきたUCLAロイス・ホールの響きはややデッドで、潤いや芳醇さには不足するが、映画音楽のスタジオで収録された《海》他に較べるとずっと洗練されたサウンド。直接音の輪郭も明瞭。

 《雲》は明朗でくっきりとした音彩が魅力的。必要以上に鋭敏にはならないが解像度は高く、それでいて柔らかな筆遣いを徹底している。旋律線も実に優美。特定の要素をクローズアップせず、全体の音響バランスも含めて端正に造形したハイセンスな演奏。

 《祭り》は豊麗なソノリティが素晴らしく、よくブレンドされた美しいフォルテが鳴り響く。鋭敏さを強調しないので角が立たず、口当たりの良い表現に感じられる。中間部は、ソステヌートで歌うようなフレージング。カラフルながらどぎつくならない、ソフィスティケイトされた色彩感も上品。

 《シレーヌ》は落ち着いたテンポで細部を掘り下げ、分析的な音響よりもストーリーテリングで聴かせるアプローチ。マスの響きに絶妙なタッチでふんわりと配合された、幻想味溢れるコーラスも素敵。艶っぽい音色でしなやかにうねる弦楽セクションも魅力的で、管のオブリガートやハーモニーも柔らかく、そっと彩りを添える。

“旧盤の解釈を踏襲しながら、全く別方向の仕上がりを目指す再録音ライヴ”

ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 アーノルト・シェーンベルク合唱団

(録音:1999年  レーベル:RCA)

 マゼール22年ぶりの再録音で、《海》《遊戯》をカップリングしたライヴ盤。ウィーン・フィルによる同曲録音は大変に珍しいです。《雲》はゆったりとしたテンポで、オケのまろやかなソノリティを生かした表現。色彩的にはモノトーンというか、カラー・パレットをあまり広げない印象があり、その点ではヴィヴィッドな総天然色のクリーヴランド盤と対照的です。ライヴのせいか直接音の輪郭がややぼやける感じもありますが、それもドビュッシーには合っているかもしれません。

 《祭り》は相当に速いテンポ。スコア解釈の点では旧盤を踏襲していますが、あらゆる音をクリアに聴かせる旧盤と違って音色がブレンドする傾向の当盤は、全く異なるタッチに仕上げられています。《シレーヌ》はコーラスが柔らかで美しく、音色、録音、オケとの融合の具合など、どれをとっても絶妙。合唱のフォルテの入りをいちいちオケからワン・テンポずらしているのは、意図的ならばユニークな表現です。

“テンポがずっと速くなり、一筆書きの精細なタッチで仕上げた再録音盤”

クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ベルリン放送合唱団

(録音:1999年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 《牧神の午後への前奏曲》、ライヴ収録の《ペレアスとメリザンド》組曲(ラインスドルフ編曲)をカップリング。セッション録音の《牧神》と同曲は、イエス・キリスト教会での収録です。アバドは同曲をボストン響とも録音。当コンビらしい、デリケートな弱音と精妙な響きが味わえる名演ですが、両端楽章のテンポが旧盤よりずっと速くなり、《シレーヌ》は演奏時間が10分を切っています。

 《雲》は思わずじっと耳を傾けてしまう、緻密な描写力と色彩感が見事。細部の動きやソロをあまりクローズアップせず、流れの中で点描的に明滅させる表現は、いかにもアバドらしく自然体です。弦のフォルテも実に柔らかいタッチ。どぎつさは意図的に排除されているようです。終結部の、息を飲むばかりの最弱音の表現は高機能のオケならでは。

 《祭り》はアンサンブルと音色にさすがの魅力を発揮し、最初のトゥッティなど見事な音響バランスで鳴り響いて快感。ただ、やや骨張ったシンフォニックなソノリティや、中間部におけるソステヌートで旋律線をだらだら流してゆく造形は、そこに妙な格調高さが漂う点も含め、いかにもアバドらしいです。

 《シレーヌ》のコーラスは、やや遠目のバランスでマスの響きに溶け込み、距離感が近接しない幻想的な雰囲気が作品にぴったり。音程も良く、実力のある合唱団という印象。アバドの棒も、起伏を大きく作りすぎず、抑制の効いた造形で一貫。弦のフォルティッシモは音圧が高く、官能的な音色で聴き手を魅了します。速めのテンポを採っている事もありますが、一筆書きのように全体を一気に仕上げたようなタッチ。

“意図的なのかどうか、ゆったりと柔らかなタッチで一貫。オケは非力”

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 シンシナティ交響楽団

 メイ・フェスティヴァル女性合唱団

(録音:2004年  レーベル:テラーク)

 《海》《牧神の午後》《英雄的な子守唄》をカップリング。《雲》はテンポは遅めで、ゆったりした佇まい。オケの能力ゆえか響きが微温的で、さらなる凝集力と精妙さが欲しい所です。必要なデリカシーと色彩感は確保され、フレージングに僅かな粘性と、音色には潤いと温度感もあります。

 《祭り》も落ち着いたテンポで、リズムを画然と刻んでいて律儀。シャープなエッジは出ませんが、柔らかなタッチでふわりと着地させる感じです。中間部も音があまり分離せず、アタックがソフトで角が立たないので、色彩がややくすんで聴こえる印象。響きもまろやかにブレンドし、パーヴォの棒も意図的なのかどうか、メリハリを強調しないスタイルに聴こえます。

 《シレーヌ》も遅めのテンポで、のんびりしたパフォーマンス。遠目の距離感で広がるコーラスは舞台裏で歌っているのか、音がこもって幻想的なムードを醸し出しますが、オケにはもう少し解像度の高さが欲しいです。動感を抑制したスタティックな表現は、波間を漂うような浮遊感もあって面白いですが、本来はもう少し緩急のある音楽ではないかと思います。

“抑制された味わいより、濃厚な発色と艶っぽさで聴かせる異色盤”

ジョルジュ・プレートル指揮 フィレンツェ五月祭管弦楽団・合唱団

(録音:2004年  レーベル:Maggio Live)

 楽団自主レーベルから出たライヴ盤で、《ボレロ》と92録音の《海》をカップリングしています。直接音が鮮明でヴァイオリンなど高音域もみずみずしいですが、奥行き感がやや浅いのは残念。テアトロ・ヴェルディで収録の《海》は会場の残響がかなりデッドですが、こちらはテアトロ・コムナーレでの収録で、適度にホールトーンも入って聴きやすいです。

 《雲》は強弱を細かく付けた濃淡の大きい表現で、弦の官能的な響きなど、どことなくシェーンベルクを想起させます。抑制された味わいよりも、発色の良さと艶っぽさで聴かせる辺りはイタリアのオケらしさ。カンタービレに粘性があり、肌にまとわりつくような響きと節回しは独特。音色も多彩で華麗です。

 《祭り》は軽快さこそないですが、エッジの効いたブラスがシャープで、濃密なニュアンスが付与されたプレートルらしい表現。冒頭の弦にもきらめく光彩が溢れ、木管群のフレーズも生気に溢れます。落ち着いたテンポでじっくり盛り上げる中間部は、華麗な音色で朗々と吹奏されるブラス・セクションがユニーク。この楽章に限らず、ライヴなのにミスやアインザッツの乱れがほぼ聴かれません。

《シレーヌ》も遅めのテンポで、最初の2曲と較べるとデュナーミクの表現が雄弁。柔らかくデリケートな弱音を、うまく表現に盛り込んでいます。ただ、プレートルは他のフランス人指揮者と違って筆圧が高く、パステル・カラーよりも原色を主に使う傾向。生粋のフランス人ではないシャルル・ミュンシュと近い感性を垣間見せます。合唱はうまく距離を取っていて(舞台裏?)、艶っぽい旋律線を打ち出す管弦楽とのバランスも絶妙。

“フィレンツェ盤の艶美さを継承しつつも、より劇的で多彩な性格を帯びる”

ジョルジュ・プレートル指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団

 ベルリン放送合唱団

(録音:2007年  レーベル:ヴァイトブリック)

 ベルリン、フィルハーモニーザールでのライヴで、フォーレのレクイエムとカップリング。ドビュッシーにはあまり積極性を示さない指揮者でしたが、この3年前にはフィレンツェでのライヴ録音もあります。すこぶる清澄で、細部までクリアながら柔らかな手触りも感じられる音質。残響は十分ですが、直接音をクリアに捉えたサウンド・イメージです。

 《雲》は速めのテンポで開始し、響きを曖昧模糊とさせず鮮やかで明晰な筆致。しかしヴァイオリン郡の艶やかな音色は耳を惹き、各パートの音圧も高い傾向で、いわゆる印象派的な表現とは一線を画します。ドイツのオケに変わりましたが、フィレンツェ盤の艶美な表現を継承した印象。

 《祭り》も導入部の金管から華やかで、オケの国籍を忘れるほどラテン的な音作り。テンポは遅めですが、低域が浅く、透徹して明るいサウンドはプレートルらしいです。筆圧は高く、シャープなタッチを駆使。中間部も音が眩しくスパークするような、拡散型の表現を採っています。弱音部の発色が良いのも、心地よさの一因。

 《シレーヌ》はオペラ指揮者らしくドラマティックな緩急が目立ち、デュナーミクとテンポの変化も細かく演出されています。しなやかにうねる弦楽群や木管も魅力的ですが、コーラスの効果がとにかく見事。近接して迫り来るように聴こえたかと思うと、遠くに消えてゆく大気中のエコーみたく響いたり、驚くほどに幻想的です。オケのディティールが非常にクリアなのも、神秘的な合唱と素晴らしい対比を成しています。

“考えすぎず、自然な愉悦感をもって臨む指揮が素晴らしい成果に結実”

ステファヌ・ドゥネーヴ指揮 ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団・合唱団女声

(録音:2011/12年  レーベル:シャンドス)

 2枚組の管弦楽曲集から。豊富な残響がトレードマークのレーベルですが、当盤は直接音も鮮明で、バランスは良好です。音色センスに才気を発揮するドゥネーヴらしく、録音・演奏ともサウンド面での魅力には事欠きません。常に柔かな潤いを帯びた精妙な響きも彼らの美点で、このコンビもルーセルの全集録音の頃と比べて、飛躍的に技術的レヴェルが上がった印象です。

 《雲》は、感覚美に長けたこの指揮者の独壇場と言える表現ですが、響きこそクリアであっても分析的に聴かせず、雰囲気や空気感を大事にしている点は好ましいです。ダイナミクスの誇張もなく、抑制された語り口の中に多彩な音響を盛り込んでゆく辺りは、ポストモダン的な姿勢。

 《祭り》も自然体のさりげない滑り出しで、そこに精緻に磨き抜かれた音響を構築している所が見事です。フレーズに歌うような調子があり、合奏全体が生き生きと躍動しているのも魅力。これを聴くと、多くのドビュッシー演奏はむしろ考えすぎて失敗している感じで、当盤のように自然な愉悦感を持って臨めば、誰もが納得する十分に「良い演奏」になるのではないかという気がします。

 《シレーヌ》は合唱の音像が遠目で、幻想的な趣。元々が残響を豊富に取り入れた録音なので、コーラスがマスの響きにうまく溶け合っています。ドゥネーヴも合唱を表に出さず、ムーディーに扱っている印象。弦のカンタービレもたっぷりと歌いながら、柔らかな手触りが優美そのものです。これも過剰に起伏を付ける演奏が多い中、抑制の加減に卓越した手腕を発揮。弱音部のデリカシーに、思わずため息が漏れます。

“ノン・ヴィブラートによる斬新なサウンド、精度の高いリズムと合奏”

フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮 レ・シエクル、レ・クリ・ド・パリ

(録音:2018年  レーベル:ハルモニア・ムンディ)

 新ホール、フィルハーモニー・ド・パリでのライヴ盤で、《牧神の午後》《遊戯》とカップリング。このコンビのドビュッシー録音は、草稿が発見されて話題になった管弦楽組曲第1番の世界初録音と《海》、スペイン・テーマのオムニバス収録《イベリア》、歌劇《ペレアスとメリザンド》全曲盤がある他、ロトはこれらの管弦楽作品の幾つかをロンドン響とも録音しています。

 当盤には同年にスペインのアルハンブラ・カール五世宮殿で行われた、グラナダ国際音楽と舞踏祭のライヴ映像がDVDで付属(曲目は《牧神の午後》の代わりに、《民謡の主題によるスコットランド行進曲》を収録)。どんなステージマナーの人なのか興味津々でしたが、指揮台に足を揃えてぴょんと飛び乗り、時に片足でジャンプしたりと、いかにも軽妙洒脱なフランス人。半分野外の会場なのか鳥が侵入し、《雲》のラストで体を静止させたロトが、鳥の方にさっと顔だけ上げて、客席から笑いが起こったりもしています。

 《雲》は、カップリングの《牧神の午後》ほど斬新では出ていませんが、ノン・ヴィブラートの弦楽群が何とも不思議なムードを醸し出していて独創的。管楽セクションのモード的な和声の動きやヴァイオリン・ソロのポルタメントも色っぽいです。《祭り》は遅めのテンポで、アーティキュレーションや強弱を克明に描写。合奏とリズム処理の精度の高さが驚異的です。

 《シレーヌ》はスペインでのライヴ映像を観ると、コーラスを弦楽セクションの合間に数グループに分けて座らせているのがユニーク。オケと合唱を混ぜ合わせたいのかもしれませんが、パリでも同じように配置したのかどうかは不明です。それはともかく、両者の音響的バランスと和声感は見事で、指揮者の耳の良さがよく出ていて秀逸。幽玄的なムードよりも、リズム要素の変化を際立たせているのもロトらしい所です。

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