コダーイ/組曲《ハーリ・ヤーノシュ》

概観

 コダーイはなかなか面白いハンガリーの作曲家で、郷土色、民族色の側面だけでは片付けられない独創性があります。私が敬愛している筋肉少女帯の元メンバーでピアニストの三柴理も、かつてコダーイを好きな作曲家に挙げていました。無伴奏チェロ・ソナタが名曲として知られますが、ガランタ舞曲やこの曲だってもっと人気が出ていい筈です。

 美しいメロディと独創的な曲想を満載した曲なのに、特殊な民族楽器(ツィンバロン)を使用するせいか、コンサートであまり演奏されないのが残念。特に注目したいのは、バカっぽいメロディを駆使して諧謔味を出している所で、最後の《皇帝と廷臣達の入城》で奏されるトランペットの間抜けなメロディは絶品です。クラシックの作曲家は真面目な人が多いので、こういう事はなかなかできません。

 短いナンバーが多い上にユーモアを指向しているため、持続的な高揚感を演出できる曲想ではないですが、作品の本質を掴んでいる指揮者、例えばケルテス盤やドラティの新旧両盤、I・フィッシャー盤には凄いほどの手応えがあり、物足りなさは微塵もありません。特に、《前奏曲》の盛り上げ方の凄さでは、ドラティ(特にオランダ盤)の右に出る者はいないでしょう。外国勢ではマータ盤、テンシュテット盤が聴き応えあり。

*紹介ディスク一覧

56年 ドラティ/ミネアポリス交響楽団

61年 ケンペ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

64年 ケルテス/ロンドン交響楽団

69年 セル/クリーヴランド管弦楽団

73年 ドラティ/オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

73年 ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカ

83年 テンシュテット/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

88年 マータ/ダラス交響楽団

90年 N・ヤルヴィ/シカゴ交響楽団

90年 A・フィッシャー/ハンガリー国立交響楽団  

94年 デュトワ/モントリオール交響楽団

98年 I・フィッシャー/ブダペスト祝祭管弦楽団  

●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●

“後年の再録音盤には及ばないものの、パンチの効いた精悍さが長所”

アンタル・ドラティ指揮 ミネアポリス交響楽団

(録音:1956年  レーベル:マーキュリー)

 同時に録音されているバルトークの《ハンガリアン・スケッチ》と《ルーマニア民謡舞曲》が、恐らくオリジナル・カップリング。ドラティは後にフィルハーモニア・フンガリカ、オランダ放送フィルとも同曲をレコーディングしています。録音も演奏も、細部まで鮮やかな音彩で活写していて、胸のすくように爽快。ドライになりすぎる事もなく、残響も適度に取り入れられて潤いのあるサウンドです。

 《前奏曲、おとぎ話は始まる》は鋭敏に開始し、鮮やかに色彩を変化させますが、後半の盛り上げ方は後年の録音と違ってあっさり。《ウィーンの音楽時計》は、パリっとしたシャープな演奏。カラフルな音世界が楽しいです。《歌》は再録盤ほどではないにしろ、情緒豊かで味わいあり。《戦争とナポレオンの敗北》も明晰な筆致で描いたリアリスティックな表現で、大袈裟な演出を用いず、小気味良い棒さばきでほのかにユーモアを表出した格好です。

 《間奏曲》は弦の響きにもう少し魅力が欲しいですが、勢いを付けて感興豊かに歌い上げている所は、後年の録音と共通。《皇帝と廷臣達の入城》もアゴーギクが手の内に入り、精悍な棒で鋭利に切り出されたフォルムが見事。パンチの効いたエンディングも痛快です。

“注目の顔合わせながら、ややぎこちなく、自然さを欠いた表現が残念”

ルドルフ・ケンペ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1961年  レーベル:テスタメント)

 当コンビの数少ない録音の一つで、鮮明なステレオ音声で記録されたのは幸運でした。ヘンデルの《王宮の花火の音楽》、グルックの《バレエ組曲》という異色のカップリング。ただし演奏は真面目な性格で、アゴーギクが自然さを欠くなど、名指揮者ケンペの表現としては少しこなれていない感じも受けるのが残念。

 《前奏曲》はややローカルな音色とイントネーションで、トランペットは弱音器を付けて演奏している様子。遅めのテンポで、重厚に音楽を運びます。《ウィーンの音楽時計》はくぐもった地味な音色の打楽器のせいか、ぱりっとした刺激よりも、語り口の味わいで聴かせるタイプという印象です。ディティールの処理は丁寧かつ緻密で、リズムも鋭敏。

 《歌》は細部までクリアな録音が効果を発揮し、叙情性も豊か。オーボエのソロが絶品で、とびきり魅力的な歌いっぷりです。《戦争とナポレオンの敗北》も、冒頭の打楽器の響きが独特。音楽進行が実直で、まるで誇張がなく、ブラスのファンファーレもすこぶるあっさりしています。

 《間奏曲》は、フレーズがぶつ切りで息が短いのが特徴。途中でテンポ・アップする箇所も幾分唐突で、ケンペほどの熟練指揮者としては、アゴーギクの柔軟性に乏しい印象も受けます。あまり振り慣れていない作品だったのでしょうか。《皇帝と延臣の入城》もハメを外さず、手堅く構成。テンポの伸縮や強弱のメリハリなど、コントラストがあまり強くないのと、オケの個性がもっと出ると良かったかもしれません。

“あらゆるパッセージに強い説得力があり、込められた共感の重さを感じさせる”

イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1964年  レーベル:デッカ)

 《ガランタ舞曲》とカップリング。当コンビは後に《ハンガリー民謡「孔雀」による変奏曲》も録音しています。英デッカはこの曲のレコーディングに殊のほか熱心で、ケルテス、ドラティ(2種)、ショルティと、一貫してハンガリー人指揮者を起用し、同曲のリファレンスを確保しています。古い録音ですが、直接音が鮮やかで強音部も硬直せず、聴きやすい音。同じロンドン響でもモントゥーのディスクのように、音が荒れる事はありません。

 《前奏曲、おとぎ話は始まる》は冒頭こそややハスキーなサウンドですが、低弦をはじめ旋律線の動きが表情豊かで、よくこなれた表現。情報量が多く、平素は隠れているようなパッセージにも全て生命が与えられる印象を受けます。明朗で艶やかな音色を駆使した、眩い色彩感も圧倒的。

 《ウィーンの音楽時計》はリズム処理が正確で、強弱のメリハリをくっきりと付けたフレージングがモダン。それでいて即物的な表現には傾かず、情感が豊かに発露されている所が凄いです。《歌》も濃密な表現で、スコアが孕む情緒と精神を見事に演奏へ昇華させた、素晴らしいパフォーマンス。あらゆるパッセージに強い説得力があり、込められた共感の重さを感じさせます。

 《戦争とナポレオンの敗北》は必ずしもユーモアを強調する行き方ではないですが、演奏自体が生き生きと躍動しているので、楽しく聴けます。オケが達者なのも何より。《間奏曲》は肩の力が抜けていながら、アーティキュレーションに独自のこだわりを聴かせ、歌心が横溢する感動的な表現。この指揮者が振るとコダーイもモーツァルトも作品の垣根を越えて、ひたすら「音楽する事」の愉悦に満ち溢れます。

 《皇帝と廷臣達の入城》は、速めのテンポで実に軽快。リズミカルな躍動感が楽しく、辛辣なユーモアも暖かい音楽性で包み込むような趣です。ロンドン響はあまり好きなオケではないのですが、ケルテスが振った録音だけは特別。かなりシャープなサウンドなのに、柔らかさを失わない点は見事です。コーダの表現も秀逸。ケルテスの録音を聴くといつもそうですが、あまりに非凡で素晴らしいので、若くして亡くなった事が心から悲しくなります。

“カラフルで明快な音彩の中にも、郷土への共感を滲ませるセル”

ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1969年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 プロコフィエフの《キージェ中尉》とカップリング。メジャー・オケによる録音の少ない曲なので、当盤は貴重です。《前奏曲、おとぎ話は始まる》は開始こそさりげないですが、旋律線の表情が雄弁で情感豊か。オケの響きも発色が良く、輪郭がくっきりとしているので、明快な語り口に聴こえます。

 《ウィーンの音楽時計》も実にカラフルで、にぎやかな演奏。細部をクローズアップした録音も、セルのアプローチにマッチしています。《歌》は冒頭のソロから情緒が濃く、さすがハンガリーの指揮者と痛感。伴奏の精緻なハーモニーも含め、音の気配と佇まいが他の国のアーティストとは全く違います。ツィンバロンや各パートのソロも濃密なニュアンス。

 《戦争とナポレオンの敗北》は、金管の主題提示がユーモラスな表情。村の楽隊みたいな垢抜けない音作りも、作品の本質を衝いています。《間奏曲》は感興が豊かで熱っぽく、《皇帝と廷臣達の入城》も明晰な音響でヴィヴィッドに描写していて、いずれも素晴らしいパフォーマンス。パワフルで精度の高い合奏も圧倒的です。

“ただただ固唾を飲んで聴き入るしかない、あまりに凄すぎる演奏”

アンタル・ドラティ指揮 オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1973年  レーベル:デッカ)

 プロコフィエフの《キージェ中尉》とカップリング。73年の6月に録音されていますが、ドラティは同じ年の9月と12月にフィルハーモニア・フンガリカとコダーイの管弦楽曲全集を録音しており、この曲に関してはたった数か月で同じレーベルに再録音を行った事になります。当盤はまた、当時デッカが大々的に展開していたフェイズ4方式で録音されています。

 演奏は実に素晴らしく、名盤とされるフンガリカ盤を凌駕する内容と感じます。《前奏曲》は導入部から鋭敏なアクセントと音感が耳を惹き、主部も艶やかな粘性を帯びた木管と弦の濃密な歌が魅力的。色彩の移ろいが見事に描写され、巧妙なアゴーギクで熱っぽく、スリリングに盛り上がる様は圧巻です。《ウィーンの音楽時計》は遅めのテンポでユーモラス。スタッカートの切れが抜群で、丹念に練られたフレージングもセンス満点です。アンサンブルが緻密で、弱音主体のデュナーミク設計にデリカシーが溢れます。

 《歌》は見事なオーボエ・ソロの後、幾分ローカルなホルンのイントネーションが、何とも言えぬ郷土色に結び付く不思議。後半部の情緒も出色です。ツィンバロンが加わる音色の混合も、スコアを掌中に収めた感あり。《戦争とナポレオンの敗北》は、淡々として律儀な進行が逆に笑いを誘う感じです。音色とフレージングに独特の味があり、行進曲もバス・トロンボーンのデフォルメがユニーク。緩急巧みな語り口はさすがで、壮烈を極めた山場の形成も、場違いなほどの迫力が圧倒的です。

 《間奏曲》は旋律の表情がこれ以上ないほどにこなれ、歌わせ方のツボを得た表現。作品の核心を突くアプローチに新鮮な驚きがあります。テンポのコントロール一つ取っても、スコアを知り尽くした上の解釈という印象。《皇帝と廷臣の入城》は遅めも開始から終結部への加速と、アゴーギクが巧妙そのもの。合奏は完璧に統率され、エッジの効いたサウンドで激しく盛り上がるコーダまで、聴き手はただただ固唾を飲んで成り行きを見守る他ありません。これは凄すぎます。

“オランダ盤には一歩譲るものの、共感の深さと味わいで抜きん出た名盤”

アンタル・ドラティ指揮 フィルハーモニア・フンガリカ

(録音:1973年  レーベル:デッカ)

 定評のあるコダーイの管弦楽曲全集から。当盤だけ聴けば文句の付けようのない名盤ですが、前述の通りドラティには同年オランダ放送フィルとの録音もあり、比較してしまうと、圧倒的感銘を与えてくれるオランダ盤に軍配が上がります。

 《前奏曲、おとぎ話は始まる》は実に雄弁で、導入部から切れ味抜群。鮮やかな色彩、特にカラフルな管楽器と艶っぽい弦楽セクションが魅力的です。凄まじいスケールで盛り上げる抑揚の付け方も見事。《ウィーンの音楽時計》も色彩の表出が素晴らしく、あらゆるフレーズが味わい深い驚異のパフォーマンス。《歌》もオランダ盤と同様の解釈ながら、本場の音楽家達が奏でる響きに得も言われぬ叙情と郷愁の深さがあり、(そんな曲ではないのに)思わず胸が熱くなります。

 《戦争とナポレオンの敗北》はオランダ盤より端正な造形ながら、山場を壮大に高揚させる所は共通。《間奏曲》は潤いのある美しい弦の響きと、共感たっぷりのカンタービレが秀逸。熱い感興も感じられます。《皇帝と廷臣達の入城》もオランダ盤と同様に巧みなアゴーギクで設計し、細部を楽しく聴かせながらダイナミックにクライマックスへと持ち込みます。

“意外な選曲ながら、味の濃さと全力のパフォーマンスが圧巻”

クラウス・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1983年  レーベル:EMIクラシックス)

 プロコフィエフの組曲《キージェ中尉》とカップリング。いずれも驚くほどの好演で、マーラーやブルックナーなど大曲のイメージが強いテンシュテットの、意外な一面を窺い知る事のできるディスクです。《前奏曲》は遅めのテンポで陰影が濃く、彫りの深い造形。やや粘り気のある旋律線も濃密で、デュナーミク、アゴーギクの表出も巧妙そのものです。

 《ウィーンの音楽時計》は絶妙に弾むリズムが、すこぶる軽快。音色センスが鮮やかで、オケも生き生きとしたパフォーマンスを展開します。《歌》は木管をはじめ、情感豊かなソロが見事。真情のこもった味の濃い音楽で、ポエジーと幻想味にも欠けていません。《戦争とナポレオンの敗北》は逆に、速めのテンポでさらっと描いた印象。軽妙なリズム感が、洒脱なユーモアを感じさせます。

 《間奏曲》は勢いが強く、熱っぽく歌い込む調子が独特。中間部は即興的なアゴーギクによる優雅な歌い回しが目立ち、主部との対比が明瞭。これも、類いまれなリズム感に裏付けられた表現と言えます。《皇帝と延臣の入城》は、スピーディなテンポで切れ味鋭く造形。壮麗なブラスをはじめ、力感の解放も豪快で、一切手抜きなしの真に迫ったクライマックスを迎える様は圧巻です。

“卓越したリズム感の勝利。すこぶる感度の良いマータの棒”

エドゥアルド・マータ指揮 ダラス交響楽団

(録音:1988年  レーベル:プロ・アルテ)

 プロコフィエフの《キージェ中尉》、R・シュトラウスの《ティル》をカップリングしたユーモア・アルバムから。やや遠目の距離感で収録されていますが、リッチで豊麗な残響に包まれ、耳に心地良いサウンド。

 《前奏曲、おとぎ話は始まる》は、柔らかく艶やかなソノリティが早くも聴き手の耳を捉えますが、マータの棒はすこぶる感度が良く、弦のしなやかなカンタービレにトランペットを配合する音色のバランスも絶妙。起伏の作り方も実にうまく、最後のフォルティッシモの前に一旦音量を落とす演出も効果的です。

 《ウィーンの音楽時計》は卓越したリズム感で軽妙に描写。音色のセンスも鋭敏という他ありません。オケもマータのDNAを完全に受け継いでいて、ジャズ・バンド並みに軽いタッチとよく弾むリズムが痛快。《歌》は、こういう録音だと弱音部が生彩を欠いて聴こえがちですが、温度感のあるダラス響の音色がそういったデメリットも補っています。

 《戦争とナポレオンの敗北》は管楽器が素晴らしい跳ね具合で、やはりリズム感が抜群。描写力に優れ、金管のファンファーレは和声感といいゴージャスな響きといい、カルロス・チャベスを彷彿させるメキシコ感がさすが。《間奏曲》は速めのテンポで勢いがあり、スタッカートの効いたトランペットの歯切れ良いアクセントも、主旋律に生き生きとした興趣を加えます。《皇帝と廷臣達の入城》もリズミカルで闊達。

“オケの個性がよく出て、パワフルかつ鮮やか。指揮も明快”

ネーメ・ヤルヴィ指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1990年  レーベル:シャンドス)

 《ガランタ舞曲》《ハンガリー民謡「孔雀」による変奏曲》とカップリング。当コンビの録音は他にムソルグスキーの《展覧会の絵》、スクリャービンの《法悦の詩》、シュミットの交響曲第2、3番、ヒンデミットの《管弦楽のための協奏曲》もあります。

 《前奏曲、おとぎ話は始まる》は、艶やかで発色の良い響きが魅力的。パワフルなオケなので、フォルティッシモに迫力があります。ヤルヴィの表現は一筆書きのように大掴みですが、タイトに締まった造形感覚は見事。《ウィーンの音楽時計》はエッジの効いた鋭敏なリズム処理と、多彩な音色の変化が巧み。鮮やかなアンサンブルも聴き応えがあります。

 《歌》はニュアンスが豊かで、繊細なピアニッシモにもコクと味わいあり。《戦争とナポレオンの敗北》も演出力に優れ、語り口が巧みです。やはりオケがうまいので、テクニックの面でも音色の面でも、聴いていて楽しいのがメリット。ソリッドな金管の吹奏も力感が漲って充実する一方、磨かれた響きが美麗です。

 《間奏曲》はみずみずしく、情感豊かに歌う表現。殊更に民族色を強調する事はありませんが、薄味ではなく、イントネーションが明快で内面も充実しています。《皇帝と廷臣達の入城》は輪郭が明瞭で、ぱりっとした筆致で描かれたリアリスティックな演奏。オケの個性が全面に出て、色彩がぱっと弾けるような、刺激的で華やかなパフォーマンスがです。

“熟練のオペラ指揮者らしい卓抜な演出力を聴かせるも、残響過多の録音は問題”

アダム・フィッシャー指揮 ハンガリー国立交響楽団

(録音:1990年  レーベル:ニンバス・レコーズ)

 《ハンガリー民謡「孔雀」による変奏曲》とカップリング。フィッシャー兄のコダーイ録音は、無伴奏の合唱曲集というマニアックなアルバムも出ています。このコンビの録音は残響が多いのはいいのですが、距離感が遠目で、細部の鮮やかに欠けるのが残念。

 《前奏曲、おとぎ話は始まる》は、開始こそあっさりしていて淡白ですが、続く弦の響きは和声感が豊かで味が濃く、スケール雄大で後半部の演出も見事。さらに腰の強さがあれば言う事ありません。《ウィーンの音楽時計》は精緻で小気味の良い合奏が素晴らしく、色彩感も鮮やかですが、物量が増してくると長い残響にマスキングされて、ディティールの解像度が奪われます。

 《歌》は柔らかな手触りで、情感も豊か。こういう叙情的な曲想の方に、指揮者とオケの特性がよく出るようです。各ソロはもう少しクローズアップしてくれるといいのですが。《戦争とナポレオンの敗北》も強弱の付け方や、ユーモラスにデフォルメされた不協和音やグリッサンド、落差の大きなテンポと引き延ばされた全休止など、熟練のオペラ指揮者らしいさすがの演出力。

 《間奏曲》は淡々と開始しながらも、ダイナミクスやアゴーギクの呼吸がユニークで、結局は濃密な演奏になってゆきます。《皇帝と廷臣達の入城》は非常に速いテンポで、駆け足の風情がなんとも滑稽。テンポの緩急や盛り上げ方も上手く、不明瞭な録音が悔やまれます。

“丁寧でシャープな仕上がりながら、味わいや面白さに欠ける演奏”

シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団

(録音:1994年  レーベル:デッカ)

 《ガランタ舞曲》《マロシュセーク舞曲》《ハンガリー民謡「孔雀」による変奏曲》とカップリング。《前奏曲、おとぎ話は始まる》は語り口こそあっさりしていますが、細部の処理が丁寧で、平素はあまり目立たない管楽器の副次的な動きも耳に入ってきます。《ウィーンの音楽時計》もさりげない調子で、手際良くまとめたビジネスライクな造形。《歌》もやや薄味ですが、演奏としては高いクオリティで一貫しています。

 《戦争とナポレオンの敗北》はダイナミックな表現で、聴き応えあり。近代管弦楽曲としての魅力にスポットを当てていますが、ドラティやケルテスとはそもそも解釈の本質が全く異なります。《間奏曲》も洗練されていて仕上げは美しいものの、ルバートの用い方も含めていかにもよそ行き。ツィンバロンも目立ちません。《皇帝と廷臣達の入城》は鋭敏なリズム処理でシャープ。どこにも不備はないとはいえ、ユーモアや共感が感じられず、全体にあまり面白くない演奏です。

“もはやこれ以外の解釈など考えられなくなる、本場の凄み溢れる名演”

イヴァン・フィッシャー指揮 ブダペスト祝祭管弦楽団

(録音:1998年  レーベル:フィリップス)

 《ガランタ舞曲》《マロシュセーク舞曲》、民謡の《踊り歌》《聖セルゲイの祝日の巡礼》《ジプシーはカッテージチーズを食べる》をカップリング。歌劇からも管弦楽部分を抜粋して収録し、充実したコダーイ・アルバムになっています。当コンビのコダーイ録音は、フンガトロンに《ガランタ舞曲》《マロシュセーク舞曲》《ハンガリー詩編》の90年録音もあります。

 《前奏曲、おとぎ話は始まる》は凝集された表現が素晴らしく、緊張度を保ったまま濃密なクライマックスに持ってゆく手腕は卓抜。オケも色艶と密度を兼ね備えたサウンドが魅力的です。《ウィーンの音楽時計》はタイトなテンポできりりと引き締まった造形。発色の良さや、ディティールの雄弁さも聴き所で、伴奏の木管アンサンブル一つとっても、随所に新鮮な発見があります。

 《歌》は冒頭のソロから、何か異世界へと誘われるようなエキゾチックな趣があり、その有無を言わせぬ迫真力は圧巻。続く歌の情緒の深さ、味の濃さも印象的です。《戦争とナポレオンの敗北》も金管のファンファーレに底光りするような不思議な艶があり、続く行進曲の部分も、グロテスクな力感を秘めたトロンボーン、テューバの表現に息を呑む思い。単に戯画化されたユーモラスな音楽という形容では片付けられない、有機的な迫力があります。

 《間奏曲》は弦の決然とした調子、語気の強さ、きびきびとした口調に引き込まれる名演。テンポの採り方やポルタメントの加減など、本場のミュージシャンだけが持ちうる凄みと説得力(たとえ伝統的な解釈を継承しているのではないとしても)が聴き手を圧倒します。《皇帝と廷臣達の入城》もかなり速めのテンポで突き進みますが、トランペットの間抜けな旋律とふざけたスネアドラムのリズムが入ってきた所で、もはやこれ以外のテンポなど考えられなくなります。

Home  Top