ドヴォルザーク / 交響曲第8番《イギリス》

概観

 ドヴォルザークの交響曲で、個人的には一番好きな曲。私は、黒人霊歌の影響を受けた渡米後のドヴォルザークが苦手で、《新世界から》よりも本作に彼の作品の最良の面が出ているように思う。

 吉田秀和氏が「森や小川から拾ってきた素材だけで作ったような音楽」と言い表した、耳に優しい天然素材の音楽で、甘美なメロディも満載し、交響曲として簡潔に構成されてもいる。自然の声と静寂が支配する第2楽章は、「史上最も美しい緩徐楽章」と言われている(誰が言ったのかは知らない)。

 お薦めディスクはシルヴェストリ、クーベリック、セル、ケンペ、A・デイヴィス、マリナー、ドホナーニ、サヴァリッシュ、レヴァイン、デ・ワールト盤と、たくさんありすぎて困るほど。マゼール盤やメータ盤などほとんど忘れ去られようなディスクも入っているが、たまに聴くとこれも面白いなあと感じる。

*紹介ディスク一覧

57年 シルヴェストリ/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団  

59年 ドラティ/ロンドン交響楽団   

61年 ミュンシュ/ボストン交響楽団  

63年 ケルテス/ロンドン交響楽団   

66年 クーベリック/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 

70年 アンチェル/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団  10/27 追加!

70年 セル/クリーヴランド管弦楽団

72年 ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 

75年 メータ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

78年 ジュリーニ/シカゴ交響楽団

78年 C・デイヴィス/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 

79年 A・デイヴィス/フィルハーモニア管弦楽団

81年 マリナー/ミネソタ管弦楽団    

82年 マゼール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

84年 ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団   

85年 カラヤン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団   

89年 ミュンフン/エーテボリ交響楽団  

89年 サヴァリッシュ/フィラデルフィア管弦楽団   

89年 プレヴィン/ロスアンジェルス・フィルハーモニック

90年 ジュリーニ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

90年 レヴァイン/シュターツカペレ・ドレスデン  

92年 小澤征爾/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

93年 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団   

94年 ヴェラー/バーゼル交響楽団  

98年 アシュケナージ/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

98年 アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団  

99年 朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団

99年 ミュンフン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

05年 ブロムシュテット/イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団 

05年 マッケラス/プラハ交響楽団  

08年 ヤンソンス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団  

11年 デ・ワールト/ロイヤル・フランダース・フィルハーモニック 

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“個性的な解釈ながら、聴き所が満載の見事な演奏”

コンスタンティン・シルヴェストリ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1957年  レーベル:EMIクラシックス)

 序曲《謝肉祭》とカップリング。シルヴェストリのドヴォルザークはウィーン・フィルとの7番、フランス国立放送管との9番があります。彼とロンドン・フィルの共演は珍しく、他には録音がないかもしれません。古い録音ですが、残響をたっぷり収録しながらも直接音のバランスが良く、オケの音彩が美しく捉えられた、聴きやすい音質。

 第1楽章は、冒頭から普通と違う箇所に切れ目を入れる、独自のフレージング。主部はリズム感に優れ、前へ前へと僅かに音の入りを早めに突っ込んでゆくタイミングの妙で、スピード感と推進力を強く表出します。一方で強弱のニュアンスは豊か。よく歌う演奏でもあります。展開部ではさらにテンポを煽り、勢いのあるリズムで畳み掛ける所、緊迫感に溢れてスリリング。ブラスの鋭利なアクセントも、随所で強調されています。

 第2楽章は、これも他とはイントネーションが違う演奏。テンポの伸縮も大きく、音量が上がる箇所では大いに加速する傾向があります。常に意識が覚醒して緊張感が漂う所はユニークで、ティンパニの強打も効果的。ドラティなど、より即物的な表現を採る指揮者と違うのは、しなやかなラインを描いて、たっぷりと歌われるカンタービレでしょうか。コーダには、熱っぽさもあります。

 第3楽章は遅めのテンポで旋律線の表情が美しく、詩情も豊か。トリオはソステヌートで耽美的に歌う表現で、オケの音色もよく磨かれていて美麗です。第4楽章は、弦の変奏からよくオケが統率され、アクセント、スタッカートの切れ味や力感、覇気の漲り方が最高。テンポ・アップする箇所もリズム感が卓抜で、強弱のニュアンスが実に細やかです。フルート・ソロは弱音の使い方が巧妙で名演。リリカルな叙情性の豊かさ、弦の鋭い切っ先など、聴き所が満載です。

“峻厳な造形性と豊かな情感。熱いパッションが同居”

アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1959年  レーベル:マーキュリー)

 当コンビは第7番、シュタルケルとのチェロ協奏曲も録音。ドラティは《新世界より》を2度もステレオ録音していますが、当曲はこれが唯一のようです。生々しい直接音がこのレーベルらしい一方、みずみずしい音色美もよく捉えていて聴きやすい音質。

 艶やかな音色でよく歌う一方、快速テンポできびきびと造形した演奏。第1楽章はスタッカートを多用し、勢いの強いアタックを駆使して無類に切れ味の鋭い合奏を展開しています。それでも旋律線に豊かな情緒が漂うのはさすがドラティ。展開部では、熱っぽい唸り声もわずかに聴こえてきます。コーダのティンパニの強打、スリリングな加速も効果的。

 第2楽章も語調が明瞭で、清廉な性格ながら無味乾燥にならず深い味わい。第3楽章はタイトに引き締まった造形ながら、流麗なタッチも兼ね備えた演奏です。第4楽章は全編にシャープなエッジを効かせつつ、覇気の漲る熱っぽい高揚感も保持。こう聴くと、ドラティはかなりの高齢まで現役バリバリだったとはいえ、晩年に再録音して欲しかったレパートリーはたくさんあるな、という印象です。

“歯切れの良いシャープな語調に、たっぷりと熱い共感を乗せるミュンシュ”

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

(録音:1961年  レーベル:RCA)

 当コンビのドヴォルザーク録音は非常に珍しく、他にはピアティゴルスキーとのチェロ協奏曲があるだけです。当時は交響曲のナンバリングにレーベル内で混乱があったとされ、オリジナル・ジャケットには第4番と表示されています。このコンビの録音は響きがドライで荒れるものもありますが、当盤は残響が豊富で潤いのある方。

 第1楽章はテンポこそゆったりしていますが、スタッカートを多用して歯切れが良く、フットワークも軽いのが特色。イン・テンポの剛毅な棒ではなく、細かくアゴーギクを操作して各部をたっぷりと歌わせています。金管が入るトゥッティはもう少し音色が磨かれればと思いますが、弱音部の木管ソロなどにオケの美質を発揮。コーダに向けてのダイナミックな表現もミュンシュらしいです。

 第2楽章も淡々としているように聴こえて、トゥッティで盛り上がる箇所では流麗な弦の響きが光り、壮麗なソノリティを鋭利なスタッカートで区切る造形は魅力的。旋律線も共感を持って歌いますが、造形の切り出しが明快で、感傷的には聴こえません。第3楽章は冴え冴えとした筆致ながら、フレーズは優美に扱っていて旋律美は十分に表出。トリオも含めて、オケのまろやかな音色がプラスに働いています。

 第4楽章冒頭は、遅めのテンポで拍の頭にいちいち芝居がかった勢いを付ける、いかにもファンファーレというトランペットがユニーク。続く各変奏もそれぞれに雄弁な表情が付与されていて、弾みの強いリズム処理と共に、どれも新鮮な驚きがあります。コーダもあくまでシャープに描き切って痛快。

“すっきり端麗、どこまでも気持ちの良いフレッシュな快演”

イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1963年  レーベル:デッカ)

 全集録音の一枚。当コンビのドヴォルザーク録音は他に管弦楽曲集、弦楽セレナード、レクイエムもあります。古い録音ですが鮮度は高く、ダイナミックな迫力も充分。適度に残響も取り入れられ、ステレオ初期の同オケのデッカ録音に顕著だった、肌理の粗さや刺々しさはかなり改善されています。

 第1楽章は、みずみずしく発色の良い響きで開始。全てが明快に示されるような屈託のなさは作品とも相性が良いですが、その中にも鋭利なリズム、しなやかなカンタービレ、鮮やかな色彩感と峻厳な造形センスが、見事なまでに示されています。特によく弾むシャープなリズムは、音楽に溌剌とした生気を与えていて痛快。オケも各パートが雄弁で、ニュアンス豊かな歌に溢れます。パンチの効いたアクセントもダイナミックで、展開部の白熱とスケール感もさすが。

 第2楽章は、導入部の弦の響きにロマンティックな情感が漂うのがケルテスらしい所。オケの音色が流麗なのも清新な印象を与えますが、端正な造形でフレッシュに音楽を展開する指揮者の才覚は図抜けています。起伏の作り方も巧く、強奏部の高揚感とスケールの大きさは見事。変転する曲想の性格も、余す所なく捉えています。

 第3楽章は、弾みを付けて軽妙洒脱に歌う旋律線が艶っぽく、オケもこの解釈によく同調しています。トリオはすっきりと癖のない歌い回しで、端麗な味わい。メロディの美しさをストレートに伝える魅力があります。ケルテスのドヴォルザーク全般に言える事ですが、彼の演奏の特質である明朗で率直な性格が、自然派の曲想にうまくマッチしています。

 第4楽章は雑味のない、麗しいトランペットの響きで開始。変奏曲主題は速めのテンポで、やや前のめりの負荷がかかっていて、これは次の変奏にスピード感を持たせる布石になっています。オケの統率も完璧で、覇気の漲る強靭な合奏を緊密に展開。歯切れの良いスタッカートを巧みに使って、すこぶる明快なイントネーションを聴かせます。人間で言えば、さっぱりとして優しく明るい若者みたいな、どこまでも気持ちの良い演奏。

“あらゆる音符にこだわりを徹底させながら、熱いパッションで聴き手を魅了”

ラファエル・クーベリック指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1966年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 全集録音から。他のナンバーが70年代に収録されているのに対し、当盤だけは数年先行して録音されているが、音質は生々しく鮮明で、時代を感じさせない。

 第1楽章は、力強くも熱気に溢れた表現。全編に活力と緊張感が漲り、密度の高い響きで生彩に富んだパフォーマンスを繰り広げる様は圧巻。アインザッツが鋭く、音に勢いがあるのはオケの優秀さだが、やや前のめりに頭を突っ込むテンポ感や、よく練られた表情付けは指揮者の才覚の表れ。輝かしくも雄渾な響きと一体感の強い合奏は、ベルリン・フィルならでは。細部の解釈云々より、ホットな感興と共感の強さで聴かせてしまうのはさすがで、聴き慣れた曲をフレッシュな感覚で甦らせている。

 第2楽章も冒頭の弦から歌い口が素晴らしく、たおやかな情感に魅了される。クーベリックという人は、ロマンティックな叙情を存分に生かしながら、きっちりと造形を打ち出せる所が不思議。テンポもよく動かす割に弛緩する箇所がなく、引き締まった印象を与える。フォルムへのこだわりが厳格に徹底されているにも関わらず、聴き手の耳に残るのはしみじみとした余情であったり、熱いパッションであったりする。自然な呼吸で作り上げられた起伏と、豊麗さと強靭さを併せ持つオケの響きも魅力的。

 第3楽章は、遅めのテンポで流麗に歌う。音色がとにかく美しく、合奏も優秀なので、そこに滋味豊かな棒さばきが加わるだけで希代の名演となってしまう。自然体と捉えられる傾向が強い指揮者だが、この箇所の表情はこうでなくてはならないという強い信念と矜持が感じられ、凡百の演奏とは一線を画す。トリオにおける感情の発露や、落ち着いたテンポに歯切れの良いリズムを盛り込む手腕も見事。伸びやかな歌心にも、並々ならぬ共感が窺われる。

 第4楽章冒頭のトランペットから威勢がよく、アタックに張りがある。続く弦の主題提示も速めのテンポでテンションが高く、艶やかな音色とアグレッシヴな語り口、今にも発火しそうな興奮体質の表情がユニーク。勢いで押す演奏ではなく、細部に至るまで主張を徹底。あらゆるフレーズに対して曖昧な表現を許さない、こだわりの強さを感じる。エッジが効いて音圧の高いアンサンブルは、圧倒的な迫力。

 10/27 追加!

“指揮者の解釈は徹底しているが、オケの響きと録音が粗いライヴ音源”

カレル・アンチェル指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1970年  レーベル:ターラ)

 アンチェルが同オケに客演した、数少ない演奏会の記録。この70年には8公演指揮したそうで、ターラからは2枚のライヴ音源が発売されている、当盤はヘルマン・クレバースがソロを弾いた、ベートーヴェンの協奏曲とカップリング。少しざらついた、粗い手触りの録音で、奥行き感と低域が浅く感じられるが、直接音が生々しく、ヴィヴィッドな迫力のある音。残響は適度だが、やや混濁する。アンチェルの同曲は、プラハ・レーベルからチェコ・フィルとの60年のライヴ音源が出ている。

 第1楽章は全く端正で誇張のない造型。リズムが鋭利で合奏が生き生きしているのと豊麗な響きが聴き所だが、アンチェルとしてはチェコ・フィルを振った時のような端麗な美しさや、滋味の豊かさが感じられないのは不思議。第2楽章もすっきりとストレートな音楽作りだが、オケの響きは拡散型と感じる。緩急を大きく付けすぎず、外側の演出より内的感興を重視しているのはこの指揮者らしい。合奏に乱れがあるとはいえ、コーダにおけるティンパニの強打と金管の強奏は鮮烈。

 第3楽章は音色もまろやかに練れてきて、伸びやかな歌に魅力が横溢。それでもオケはまだ粗いが、スコアの解釈は細部まで徹底している印象を受ける。第4楽章は堂々たるテンポのファンファーレで開始。何かドラマを感じさせる。主部は自然体の進行の中、烈しい感情の表出もあるし、時に大胆なルバートや波のようなうねりを盛り込んで気宇の大きさも示す。鋭いエッジが効いたコーダも凄絶で、フライング気味に拍手が入る。

“最晩年のセルが到達した精緻な美の世界”

ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1970年  レーベル:EMIクラシックス

 クリーヴランド管をアメリカ5大オケの一つにまで育てあげた、往年の名匠セル。当コンビがEMIに残した最晩年の録音群はどれも珠玉の名盤とされているが、これはその代表的な一枚。大理石造りの冷たい響きが不評のセヴェランス・ホールでの収録だが、この録音はややざらつきや混濁こそあるものの、硬さを感じさせず聴きやすい。スラヴ舞曲第3、10番をカップリング。

 第1楽章は豊麗な序奏部に続き、主部のフルートのフレーズが独特のイントネーション。付点音符の正確さを徹底させたトゥッティもほとんど室内楽のようで、高弦が織りなす複雑な模様を前面に押し出した響きの作り方もユニーク。客観性第一というイメージの強い指揮者だが、故郷ハンガリーやボヘミアの音楽には格別の共感を示し、当盤もよく聴くと細かくテンポを揺らし、表情豊かに歌い上げている。

 端正かつ明快に造型した第2楽章、節度を保った歌い回しが上品な第3楽章も、儚げな美しさが秀逸。後者は唐突なコーダで終る曲だが、セルの締めくくり方は見事に決まっている。終楽章は、弱音部と強音部の交替の妙がまるでコンチェルトを思わせ、フルートが繊細極まる名人芸を披露。合奏は緻密でリズムは精確だが、刺々しいアクセントがほとんどないのもセルの演奏の特色。各部の味わい深い表情に、やはり彼も欧州の伝統を背負った芸術家なのだと得心する。

“デリカシー溢れるケンペ流カンタービレが隅々にまで行き渡った名演”

ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1972年  レーベル:BASF)

 デュッセルドルフでのライヴ録音で、ワーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》序曲、グルダをソロに迎えたモーツァルトのピアノ協奏曲K595と共に、コンサート全体が一枚のディスクに収められている。演奏は、弱音の効果を生かした冒頭旋律の繊細な歌わせ方から実に素晴らしく、フィナーレの変奏曲主題に至るまで、巧みなアゴーギク、デュナーミクを駆使したケンペ流の歌心を隅々にまで徹底させている。リズム感も良く、アレグロ部の推進力も抜群。

 こういう味わい深いドヴォルザーク、あまり聴かれなくなってしまった。というより、ケンペみたいな指揮者がめっきり減ってしまったというか、流行らないというか…。録音状態があまり良くないのが唯一難点で、全体にこもりがちなサウンドだが、トゥッティの響きも混濁が目立つ。このコンビには、メジャー・レーベルのスタジオ録音で同曲のディスクを残して欲しかった。

“筋肉質の響きで明快に造形した純音楽的な演奏”

ズービン・メータ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1975年  レーベル:デッカ)

 当コンビは同時期に第9番、《野ばと》《謝肉祭》も録音している他、メータはイスラエル・フィルと第7番も録音している。艶やかに磨かれながら、豊かな中にも固い芯があり、引き締まった筋肉質のサウンド。ウィーンで音楽の素養を身につけたメータは、古典的で明快な造形感覚を持っていて、実はロマン的な叙情性や郷愁を感じさせる演奏はあまりやらない人である。

 当盤も様式感が勝り、第1楽章の展開部など無類に歯切れのよい反面、表情が淡泊でドラマ性に欠ける面もある。コーダでは加速気味に音楽を煽り、剛毅で直情的な力感を見せるが、これもコン・ブリオの指示を強調したものと捉えられる。弦にポルタメントを織り交ぜるのはウィーン風。アタックの強さが音に勢いをもたらし、予想のつく事とはいえ、ボヘミア的な味わいはほとんどない。旋律線をくっきりと浮かび上がらせる鮮やかな演奏・録音で、その意味で最も成功しているのが第3楽章かも。

“スケールの雄大さと歌謡的なフレージング”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1978年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ジュリーニはこの時期、シカゴ響とまとまった録音を行っています。当コンビは同時期に《新世界より》も録音している他、ジュリーニは後にコンセルトヘボウ管と後期三大交響曲も録音しています。

 悠々たるテンポと自信に満ちあふれた表情は、すでにして巨匠の佇まい。一音一音を慈しむような指揮者の態度によって、平素あまり聴かれないようなセンシティヴな面が、作品から立ち現れてきます。弦が艶やかに響き渡るのはジュリーニらしいですが、ブラスが入ってくると幾分刺々しい、硬質なサウンド傾向になって、シカゴ響を起用したメリットとデメリットの両方を感じさせます。木管の好演にも注目。

 第2楽章でも、あらゆるフレーズを美しく響かせ、そこに意味深いニュアンスを付け加えるジュリーニの特質は顕著ですが、スケールを拡大しすぎてバランスを失いかねない場面でも、彼の気品が音楽を別の方向へ導いてゆきます。粘りの強いコーダや、冒頭近くの木管群のフレーズをレガートで優しく奏するのも独特。

 第3楽章も単にテンポが遅いだけでなく、息の長い柔和なフレーズを作っていて、旋律の歌謡的な表情付けに、ほとんどオペラ歌手のような間の取り方すら聴かれます。慈愛に満ちた音楽作りの一方で厳しい造形感覚も持ち合わせ、ボヘミア風のノスタルジアは皆無。フィナーレはシカゴ響の合奏力に圧倒されますが、変奏曲主題の歌い出しなどはイタリア風というか、一種独特の歌い回し。全体的に、オーケストレーションのディティールが浮き彫りにされているのも特色です。

“シンフォニックで硬派な表現ながら、香り高いフレージングで優美さも抽出”

コリン・デイヴィス指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 

(録音:1978年  レーベル:フィリップス)

 当コンビのドヴォルザーク録音は三大シンフォニーの他、チェロ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲あり。録音データを見ると、《火の鳥》と同じセッションで収録されたようです。テンポは遅め、アクセントは鋭く、スタッカートは短く、扇情的なルバートやポルタメントは極力排除という、いかにもデイヴィスらしい硬派な演奏。それでも、さほど強い辛口に感じさせないのは、響きがきめ細やかでフレージングに気品があるからでしょう。要は仕上げが美しいという事です。

 造形的には非の打ち所がなく、完璧な演奏と言っていいかもしれません。緊密を極めたアンサンブルを構築する一方、たっぷりと鳴り響くソノリティは豊麗そのもの。緩徐楽章においても、鋭利なスタッカートを駆使したフレージングや、張りのあるティンパニのアクセントなど、デイヴィスらしい表現が満載です。ゆったりとしたテンポの第3楽章も決してムードに流れず、常に覚醒した意識でアーティキュレーションの描き分けを徹底。

 ボヘミアの郷愁を感じさせる要素はほとんどないものの、アクセント・強弱の交替を細かく設定し、作品のあちこちに仕掛けられた対位法的な動機の交錯を立体的に聴かせるなど、シンフォニックな資質を随所に発揮。オケも精緻かつ優美なパフォーマンスでお見事です。豊富な残響を取り込んで奥行き感の深い録音も長所で、ホールいっぱいに充溢するコンセルトヘボウ・サウンドは魅力。

“しなやかな感性で作曲者への適性を如実に示すA・デイヴィス”

アンドルー・デイヴィス指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1979年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集録音から。当コンビはスラヴ舞曲集も録音している。ソニーとBMGが合併して全集の形でCD化されるまでは、後期作品ですら長らく入手困難なディスクで、国内盤で発売された事は一度もなかった。A・デイヴィスはヤナーチェクなどボヘミア音楽を得意にしていて、90年代にBBC響と来日した時もこの曲を取り上げたが、それも実に素晴らしい演奏だった。

 このオケは音色がニュートラルであまり魅力的とは思わないが、A・デイヴィスとは相性が良く、どのディスクでもたっぷりと水分を含んだ潤いのあるサウンドが聴かれる。この指揮者の美点である抜群のリズム感と瑞々しい表情、常に最適のバランスを崩さない響きは当盤でも全開。旋律線の明朗な流れやスケールの雄大さ、豪放な力感に欠ける事もなく、作品へのシンパシーも十分である。強い個性こそないものの、相当に魅力的なディスク。

“フル・オケ指揮者マリナーの優れた才覚を示す、隠れた名盤”

ネヴィル・マリナー指揮 ミネソタ管弦楽団

(録音:1981年  レーベル:フィリップス)

 先行してLPで発売された音源だが、3年後に7、9番も録音され、CDではセットで発売された。当コンビの録音は意外に少なく、他にはテラークからワーグナーの序曲集、EMIからブリテンの管弦楽曲集が出ているだけではないかと思う。フィリップスの録音はヨーロッパ調で大変美しく、奥行き感もある。

 第1楽章は、遅めのテンポでゆったりと開始。主部も落ち着いたテンポながら、リズムが生き生きとして、アクセントも鋭利。旋律も伴奏型も、デュナーミクやアーティキュレーション描写が実に細かくデリケート。弱音部の表情も豊かで、よく工夫されている。各パートとも誠にまろやかな音色で、弦のみずみずしいカンタービレや、展開部トランペットの流麗なフレージングとヴィブラートなど、耳に残る瞬間が多い。

 第2楽章は情緒に耽溺しない、清潔で淡々とした表現。細部は配慮が行き届き、丁寧そのもの。ソノリティはアメリカのオケとは思えないほど柔らかで、コーダなど思わず聴き惚れてしまうほど豊麗。個人的にはボストン響よりも上と感じるくらいである。

 第3楽章も、清々しいカンタービレで爽やかに歌う表現。トリオがまた木管、弦ともにいじらしく、美しい歌いっぷり。主部に戻った所でテンポを落とし、はかない弱音で第1主題を再現する呼吸も心憎い。コーダも実に小気味良い。

 第4楽章は各パートが共感をもって歌い、感興豊か。ゆったりしたテンポながらリズム感が良く、スタッカートの切れ味が抜群。立体的でシンフォニックな響きの構築も見事で、スケールも雄大。コーダにおけるテンポのコントロールと合奏も鮮やかである。フルオケ指揮者としてのマリナーの評価はあまり高くないようにも感じるが、同レーベル、同時期に華々しく活躍したプレヴィンよりも遥かに音楽的な演奏だし、オケのレヴェルもピッツバーグ響の比ではない。

“指揮者の癖が作品の特質と衝突。刺激と活力に満ちたユニークな表現”

ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 マゼールはこの時期(ウィーン国立歌劇場の総監督に就任した頃)にウィーン・フィルとグラモフォンへ多くのレコーディングを残しているが、当盤はその最初期に当たるもので、第7、9番、序曲《謝肉祭》も録音している。オケの特質をよく捉えた録音で、特に輪郭の明瞭なティンパニの打音は全楽章を通じて鮮烈な効果を発揮している。

 第1楽章冒頭のチェロやフルートは情緒たっぷりに歌っていて、ルバートでぐっと腰を落としてなかなか風格があるが、主部は引き締まったマッシヴな響きを基に、付点音符に鋭いアクセントをつけてリズムを強調。テンポが速く、常に変化する表情は、作品が求める自然な佇まいと相容れないが、こういう駆動力の強いマゼールのスタイルは短い時期に集中していて、後年の彼はスケール拡大路線に走るので貴重な音源と言える。コーダの最後をデフォルメして明確な句読点を打つのもマゼール流。

 第2楽章は、冒頭の深々とした静寂と叙情に妙な凄みがある。弦や木管が主体となる弱音部はオケの美質が前に出て優美だが、金管が介入してくる強音部では、逐一刺激的なアクセントが付けられる傾向。ルバートで大きく間合いを取るコーダにもマゼール特有の強調管があるが、アーティキュレーションが隅々まで明快で、語調に曖昧さを一切残さないのはさすが。

 第3楽章は冒頭のアウフタクトに恣意的な溜めがあり、ポルタメントを用いて艶美な歌い回し。トリオも含め、速めのテンポで軽快なタッチを維持し、鋭敏な棒が随所で効果を挙げる。フィナーレは音彩こそ美しいが、フレーズの処理は徹底して精確かつ鋭角的で、冴え冴えとした筆致で輪郭を切り出している。活力の漲る弾みの強いリズムや透徹した音響の組み立ては見事だし、加速で煽った後にぐっと腰を落とすコーダは正に名人芸。

“鋭いリズム、しなやかなカンタービレ、目の覚めるようにフレッシュな素晴らしいドボ8”

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団   

(録音:1984年  レーベル:デッカ)

 新世界交響曲とカップリング。発売当初、あまり話題に上った覚えがないのですが、同曲ディスク中でも屈指の素晴らしい演奏だと思います。まずは、デッカらしいダイナミックでグラマラスな録音と相まって、精緻かつ豊麗なオケの響きがたいそう魅力的。弦の驚異的な合奏力と共に、ニュアンス豊かなパフォーマンスを繰り広げる同オケの機能性には改めて頭が下がります。

 ドホナーニはアーティキュレーションに徹底的にこだわり、各音の切れ味とリズムの正確さを追求。あらゆるフレーズに小気味良い勢いを感じさせます。正に、スコアの隅々に命を吹き込んだような、目の覚めるようにフレッシュな演奏。室内楽的なアプローチは同じオケを振ったセルの演奏とも共通しますが、ドホナーニの棒はさらに演出巧者で、色彩感が豊か。若々しい活力にも溢れます。

 第3楽章をはじめ、しなやかなカンタービレも美しく、思わず聴き惚れてしまうほど。終楽章だけは若干テンポが速すぎる印象も受けますが、この指揮者のきりりと締まったタイトな構成感においては、これが適正なテンポなのでしょう。

“意外に躍動的で、きびきびと音楽を進める晩年のカラヤン”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1985年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤン最後のドボ8録音。当コンビは60年代にデッカへ同曲を録音している他、当盤と同時期に9番の録音もあります。

 第1楽章は、弱々しい音量と軽いタッチで開始。主部も意外にフットワークが軽く、速めのテンポできびきび進めます。アタックに張りがあり、トゥッティにエネルギー感が漲るのはカラヤンらしいですが、叙情性やスケールの拡大に傾く事なく、躍動的に造形している所は好感が持てます。リズムの詰めの甘さや、響きが練れていない感触は当コンビのチャイコフスキーにも共通する印象ですが、テンポ変化の少ない曲調の分、ストレートな力感で聴かせます。展開部に向かってテンポと表情を引き締め、緊迫感を高めて盛り上げる手腕もさすが。

 第2楽章は、冒頭すぐの木管のやり取りから、スロー・テンポでたっぷりと間合いを取って濃厚な表情。振幅の大きな表現ながら、この楽章ではオケの音色美がよく出て、作品とのマッチングもうまく行っているようです。弱音の繊細なタッチも魅力的。

 第3楽章は非常に速いテンポで流麗に造形しますが、それがどこか、チャイコフスキーのバレエ音楽のように聴こえるのが面白いです。しなやかにうねる弦のカンタービレには、控えめながらポルタメントを挿入。トリオではややテンポが落ちますが、それでも速めと言えます。

 第4楽章も推進力のあるテンポで、颯爽と進行。金管が入る変奏では、鋭利なリズムも顔を覗かせます。音圧の高いアインザッツはベルリン・フィルを想起させますが、ウィーン・フィル特有のまろやかな響きが刺激を緩和。しみじみと叙情的な歌も味わいがあります。熱っぽい高揚感や勢いの強さはさすがで、気力が充実して音に覇気が漲ります。コーダもダイナミックな表現。

“ストレートな語り口をベースに、強い意志、流麗な歌、繊細な弱音を盛り込む”

チョン・ミュンフン指揮 エーテボリ交響楽団

(録音:1989年  レーベル:BIS)

 第7番とカップリング。ミュンフンはこの10年後にウィーン・フィルと同曲を再録音している他、3、6、7番、管楽&弦楽セレナードも録音。エーテボリ響とは、さらにBISレーベルにニールセンの第1、2、3、5番と管弦楽曲、協奏曲も録音しています。

 第1楽章は冒頭から弦の音色が艶やか。主部は中庸のテンポながら語調が明確で、ちょっとしたルバートにもきっぱりと強い意志の力が感じられます。エッジの効いたリズムと流麗な歌が対比される点や、弱音部でぐっとテンポを落として深い叙情を漂わせるのもミュンフンらしい表現。第2楽章はやや淡々としていて薄味ですが、弱音の繊細さに耳を傾けるべき瞬間が幾つかあります。ただ、彼はウィーンでの再録音盤でも、あまりメリハリは付けていません。

 第3楽章もあっさりしていて、あまり濃密に歌い込まない傾向。ただ、ストレートな語り口ながら、主部もトリオも優しい風合いが印象的なのは指揮者とオケの個性かもしれません。第4楽章は冒頭のトランペットにルバートを掛けて自由な間合い。チェロの主題提示も、柔らかなタッチで優美です。独自のクレッシェンドを入れたり、低音部のリズムに重みを加えて強調したり、ユニークな表現もあり。ダイナミックな力感も充分です。

“オケの美音を生かしつつ、随所に名人芸を盛り込むベテランの味わい”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:EMIクラシックス)

 前年録音の第9番とカップリング。第1楽章序奏部は、表情付けが濃厚で歌謡的。艶やかな弦の音色がフィラ管らしいです。主部も明朗な響きで、覇気に溢れたみずみずしい表現。旋律線の浮き立たせ方や優美なニュアンスが見事で、曲の美しさをストレートに伝えます。展開部は鋭敏極まるリズムが効果を発揮。深々と響き渡るホルンが、壮大なスケール感を演出します。旋律の歌わせ方の巧さは、正に至芸。それでいてオヤジ臭い所は一つもなく、フレッシュで若々しい活力に溢れる名演と言えるでしょう。

 第2楽章は、冒頭の弦を導入する呼吸が名人芸。続く木管のアンサンブルも、自然体でスコアの美しさを最大限に抽出した、素晴らしい表現です。強奏部のスケール感や力強さも申し分なく、曲調の変転を的確に描写する棒さばきもさすがの一言。雄弁で伸びやかなカンタービレや、潤いに満ちた音色美も魅力的です。

 第3楽章は、冒頭から艶やかな弦の音色にノックアウト。流麗なスタイルを貫くサヴァリッシュの棒は速めのイン・テンポで、トリオでも速度を落としません。しかし即物的にはならず、中身が存分に盛り込まれているのがベテランらしい所。優美な歌に溢れ、対位法の立体感にも周到に留意しています。誇張や虚飾を一切排しながら、終始聴き手の耳をそば立てるもの凄いパフォーマンス。

 第4楽章も、磨き抜かれた美音で細部を彫琢した、彫りの深い表現。適度な推進力を維持した弦の主題提示は、続く変奏部分との整合性が強固で、音楽を白熱させてゆく布石を既に打っていると言えます。叙情的な箇所でもテンポを落としすぎず、表情に微妙な切迫感を加えているのもテンションの維持にひと役買っています。唯一、余裕たっぷりにさらりと締めくくるコーダが、好みを分つ所でしょうか。

“美しくまろやかな響きながら、感情面にほとんどのめり込まない演奏”

アンドレ・プレヴィン指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1989年  レーベル:テラーク)

 後期三大交響曲録音の一枚。フィリップス・レーベルと同様にUCLAのロイス・ホールで収録していますが、テラークの録音は少し肌理が粗く、響きが浅くてやや濁るような感触が残るように思います。

 プレヴィンは、楽想の移り変わりを遅めのテンポで分かりやすく強調、ロス・フィルもまろやかなサウンドで優美な演奏を展開しますが、両端楽章では腰の重さがマイナスとなっています。スコアの感情的な側面にのめり込まないのは、一つのスタイルとして認めるのにやぶさかではありませんが、作品が表現しようとするものへの最低限の共感も見つからないとしたら、その演奏に感動する事はちょっと難しいです。

 第2楽章、第3楽章と聴き進むにつれ、その感覚はより明瞭に表面化してきますが、要は、私のようなリスナーにとって最も切実な問題は、これだけ美しい音と高い技術で演奏されながら、温かなノスタルジアや心に染み入る詩情が感じられないのはなぜなのか、という疑問に集約されます。第3楽章のトリオでは、忘れていた何かを取り戻しかけるようにも思えるのですが、主部はやはりよそよそしく、外側から作り上げられた印象を払拭できません。

 推測で書くのは良くないですが、それはプレヴィンの音楽家としての姿勢と、その態度が楽員達に与える影響という、大きな意味での精神論が前提だと思いますし、より実践的な側面では、スコアに書かれた細かな指示がしばしば御座なりになってしまう事や、リズム感やテンポの動かし方が時に大味で楷書的にすぎるせいもあるでしょう。フィナーレでは、フルート・ソロの背後でトランペットが楽章冒頭のファンファーレの断片を吹奏しているのですが、当盤ではそれが目立って強調されていてびっくりしました。

“円熟の極地に達したジュリーニとコンセルトヘボウの幸せな顔合わせ”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1990年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 ジュリーニ晩年の録音の一つ、後期三大交響曲録音から。彼は過去にシカゴ響と同曲及び第9番を録音していますが、ここではさらに深化したジュリーニ美学と、オケの典雅な響きが水際立っています。

 例によって、彼のテンポは非常に遅いですが、弛緩した印象は全くなく、むしろ、細部がひっきりなしに語りかけてくるような、情報量の多い演奏とも言えます。他の、もっとテンポの速い演奏と較べても、はるかに生気に満ちた表情を感じさせるのは、驚くべき偉業と言わざるを得ません。又、一音たりとも疎かにすまいというジュリーニの姿勢、そして気品漂う穏やかな佇まいも、オケの特質と見事なまでに合致しています。

 第3楽章も俗な甘美さにはほど遠い、清らかな抒情を含んだ音楽になっていて、どこか一級の美術品を眺めるような、凛とした造形美も感じさせます。とは言っても音楽は実によく歌い、ジュリーニのイタリア人としての特質も十分に発揮。第4楽章で、テンポが限りなく遅くなっていってコーダに突入する所などは、ちょっと独特のムードがあって、こういう芸当はジュリーニ以外には難しいのではないでしょうか。

“オケの魅力を生かしつつ、ドラマティックな棒さばきで音楽に生気を吹き込むレヴァイン”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン  

(録音:1990年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビの録音は非常に少なく、他にはチャイコフスキーの歌劇《エフゲニー・オネーギン》があるだけです。カップリングの《新世界》から遡ること4年前の録音で、こちらだけ4Dオーディオ・レコーディングではないですが、残響が過剰で飽和状態になる《新世界》より、当曲の方が音の印象は良いです。こちらも長いエコーを伴う録音ではありますが、細部を明瞭に拾っているのが美点。

 第1楽章は、艶やかに磨かれた冒頭の響きが魅力的。主部はアゴーギク、デュナーミク共に表情たっぷりで、フレーズの間合いも独特です。木管の対位法的な動きもくっきりと彫琢して、響きの立体感も確保。展開部は押し出しが強く、リズムの切れ味も良好です。コーダに至るまで活力に溢れ、細かいクレッシェンドを盛り込んで雄弁。弦の副次的な動きに変化に富んだ処理が施され、音楽が平板になるのも防いでいます。潤いのある優美なタッチとモダンな感覚を両立させた演奏。

 第2楽章は強弱のニュアンスが豊かで、よく歌う表現。弱音部とトゥッティの間はテンポのコントラストが強く、メリハリの効いた構成感があります。第3楽章はゆったりとしたテンポ。起伏の大きなフレージングと、ひたすら美しい管弦の響きが魅力です。コーダの溌剌とした動感もこの指揮者らしいもの。第4楽章は細部の入念な処理が生きた、ドラマティックな表現。ピッコロの強調を始め、色彩も鮮やかです。アタックの強さ、スタッカートの鋭さは全編に漲る生気に直結していますが、叙情的なカンタービレにも深い味わいあり。

“正攻法ながら、音楽が熱く息づく感動的ライヴ”

小澤征爾指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1992年  レーベル:フィリップス)

 長らく実現しなかった当コンビのレコーディング、フィリップスが発表した数点のライヴ録音は、どれも好評をもって迎えられました。響きが痩せ気味でザラついたり、金管の音割れが耳に付くなど、必ずしも音質的に満足のゆくものではありませんが、徐々に熱を帯びてゆく感情的起伏はライヴ収録ならでは。楽章間には聴衆の咳払いも入っていて、編集なしにそのまま収録している様子です。当コンビはカップリングの《真昼の魔女》、第9番と《自然の中で》も録音。

 演奏はディティールの緻密な処理が徹底した、小澤スタイルの典型的なものですが、アゴーギクに柔軟性があり、響きのバランスにおいてもユニークな解釈を見せる瞬間が多々あります。細かいフレーズに至るまでアーティキュレーションにこだわり抜いているのも、音楽が新鮮にきこえる一因でしょう。

 第2楽章における弱音のデリカシーを最大限に生かした表現や、第3楽章の声楽的な歌い回しも印象的。管楽器がリズム伴奏をする場面では、なべて強調気味にはっきりと音を刻むのが特徴で、フィナーレなどリズムの歯切れが大変に良く、細部に生命を吹き込む手法が溌剌たる若々しさに繋がっています。正攻法の手順を踏んだ結果でしょうが、この演奏は、それが高らかな感動に到達するための最も有用な手段である事を痛感させます。

“しなやかでデリケートな歌、峻厳で強靭なアンサンブル”

クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1993年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 《真昼の魔女》をカップリングしたライヴ録音。生涯を通じてドヴォルザークには積極的でなかったアバドですが、当コンビは《新世界より》の映像ソフトも出しています。

 第1楽章は、艶やかな序奏、力強いアクセントを打ち込みながらも横の流れに留意した主部ともに、実にアバドらしい造形。テンポの変化と音楽の表情が密接にリンクしているのも、その感を強くします。オケの美しいソノリティは生かされ、みずみずしいカンタービレの良さはちゃんと出そうとしている様子。展開部やコーダの有機的な迫力とリズムの鋭さはさすがで、すこぶる聴き応えがあります。

 第2楽章は、さりげない棒さばきながら、豊かなニュアンスが込められた好演。オケの巧さも手伝って、木管やヴァイオリン・ソロの歌など、素晴らしい聴きものになっています。山場の盛り上げ方も、豪放な力感が心地よく、それでいてフレーズの扱いは丁寧で繊細。何といっても豊麗なオケの響きは魅力的で、コーダのデリケート極まりない歌などは優美の極致。

 第3楽章は情緒に溺れず、旋律美こそ艶っぽく生かしながらも、あくまで舞曲として構築した印象。躍動感がきちんと打ち出されているのが特徴的です。トリオの弦のポルタメントも控えめで趣味が良く、デリカシー満点。ワルツ主題再現の際の、はかなげな弱音も効果的です。

 第4楽章は、冒頭のトランペットが潤いのある美音で、思わず聴き惚れてしまいます。巧みな構成力に基づいた設計で、非常に立派なシンフォニーを聴いたという、確かな手応えと充実感が残る演奏。アンサンブルもメリハリと精度の高さが効いて、切っ先の鋭い強靭な弦楽合奏など迫力があります。コーダのソリッドな表現も、峻厳そのもの。

“高いスキルで造形されたフォルムに、躊躇無く熱っぽい情動を盛り込む”

ヴァルター・ヴェラー指揮 バーゼル交響楽団

(録音:1994年  レーベル:カメラータ・トウキョウ)

 第7番とカップリング。ヴェラーは祖母がチェコの人だそうで、東欧の作品に特別な共感がある旨の発言をしています。当コンビの録音は、カメラータへのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、二重協奏曲(ソロはドリーン&ドリス・アダム姉妹)、海外レーベルにバルトークのオケコン、ヤナーチェクのラシュスコ舞曲集もあり。鮮明な直接音をメインに適度に残響を取込んだ録音で、ティンパニなど響きの輪郭も明快です。

 第1楽章は、冒頭から思い入れたっぷりでロマンティックな歌い回し。主部は速めのテンポできびきびと進めますが、テンポの変転は細かく、ほとんどフレーズごとにギア・チェンジする印象すらあります。それだけオケを自在に統率しているという事でもありますが、アゴーギクが曲想の求める動きと一致していて説得力は十分。一体感のあるタイトな合奏も、緊張度を上げています。前のめりの熱っぽい棒と、感情を巧みに乗せる構成の妙はヴェラーらしく見事。

 第2楽章も、繊細な筆致で冴え冴えと描写しつつ、共感に溢れたしなやかな歌を横溢させた好演。トゥッティでは大胆に加速して音楽を引き締める一方、柔らかなタッチや伸びやかなスケール感もあり、よく練られた解釈と感じられます。第3楽章は、速めのテンポで流れるように進行。ヴェラーの場合はこういうテンポ感がH.I.P.の様式や編成との関連ではなく、(主にコンマスとしての)経験から来る造形感覚や情動から発想しているようで、リスナー側も自然に感情移入を誘われます。

 第4楽章も非常に速いテンポで、変奏曲には異例のストロング・スタイル。常に腰を浮かせて臨戦態勢を取っている感じですが、その興奮体質が作品の持つ民族情緒の熱さと見事に結びついています。アゴーギクの振幅は大きく、弱音部でぐっとテンポを落とした後、コーダに向かってまたテンションを上げるライヴ感溢れる指揮ぶりが好印象。

“自発的に歌い、自然に白熱する、チェコ・フィルの本領発揮盤”

ウラディーミル・アシュケナージ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1998年  レーベル:キャニオン・クラシックス)

 チェコ・フィルによるドヴォルザークはもはや特産品といった趣で、ノイマン盤を筆頭に数々のディスクがしのぎを削っていますが、私のディスク棚を見るとこのアシュケナージ盤一枚しかありませんでした。指揮者がチェコ人でない以上、これもコアなファンからすれば邪道かもしれません。レーベルも我が国のキャニオンですが、れっきとしたプラハ、ドヴォルザーク・ホールでの収録。

 まず、トゥッティを中心にトランペットのバランスが大きすぎ、和声の中で突出しているのが気になります。付点音符を短く刈り込む傾向があるのは独特ですが、各声部が自発的に歌い、第1楽章の展開部で音楽が自然に白熱してゆくのはさすが。第2楽章もコクのある音色で自然に高揚。第3楽章の、流麗ながらポルタメントを使わない、気品のある歌い回しも素晴らしいです。弦と木管の鄙びた美しさは、さすがチェコ・フィル。

 第4楽章は一転、かなり遅めのテンポを採り、ディティールを克明に彫琢するアプローチ。幾分腰が重い箇所があり、叙情的な部分でも目立って強奏するホルンとトランペットのバランスには問題がありますが、どの楽章にも共通して、あっさりした造形と端正な様式感にアシュケナージらしさが出ています。

“ノン・ヴィブラートの弦、千変万化する表情。アーノンクール節全開”

ニコラウス・アーノンクール指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1998年  レーベル:テルデック)

 同コンビによる後期三大シンフォニー録音の一枚で、交響詩《真昼の魔女》をカップリングしたライヴ盤。当コンビはエマールのソロでピアノ協奏曲、交響詩《金の紡ぎ車》《野鳩》《水の精》を録音している他、アーノンクールのドヴォルザーク録音は他に、ヨーロッパ室内管とのスラヴ舞曲集、バイエルン放送響とのスターバト・マーテルもあります。

 第1楽章はひどく繊細で弱々しい、スロー・テンポの開始。主部の輝かしさがより強調される印象ですが、続くチェロの主題も表情が濃密で、デリケートに減衰してゆきます。この調子でテンポも強弱も細かく交替し、多彩に表情を変化させる個性的な演奏。鋭利な切り口を見せるリズム感と、対位法の効果を生かしているのはアーノンクールらしい所です。オケが美しい音彩で応えていて、斬新一辺倒にならないのは美点。刺々しいアクセントも豊かな残響で包み込まれ、旋律線の魅力がきちんと出ている所もいいと思います。

 第2楽章も、フルートとクラリネットが呼応しあう序奏部分で、前者を速いテンポで一気に吹かせ、後者をゆったりと応じさせるなど、フレーズごとにテンポを変えている箇所が随所にあり。基本的に音量が増す山場では、テンポも前のめりで煽る傾向です。アーティキュレーションが常に意識的に描写されますが、オケの音色美と音楽性のおかげで、神経質には感じさせません。

 第3楽章は主部、トリオ共に弦のノン・ヴィブラート奏法が大きな効果を上げ、清澄かつデリケートなカンタービレを展開。すうっと伸びるヴァイオリン群のハイ・ポジションには、独特の魅力があります。第4楽章は、きびきびと軽快なファンファーレで開始。やはり高弦のハーモニーが重なり合う箇所で、ノン・ヴィブラートゆえの美しさが出る感じです。固いバチのティンパニやブラスを中心に、リズムには鋭利なエッジと弾力があり、アーノンクール節も健在。

“若々しくロマンティックな表情と見事な演奏設計に脱帽”

朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団

(録音:1999年  レーベル:エクストン)

 意外にも初録音だった朝比奈隆のドボ8。ちなみに、彼の最も演奏回数の多い曲の一つだった《新世界》交響曲も、録音は二度だけでした。難を言えば、CD一枚に一曲だけ、演奏時間38分強というのは物足りない感じがあるのと、唯一の朝比奈“ドボ8”が愛知県芸術劇場での録音という事で、地元関西のファンにはどことなく惜しい感じがしないでもない所でしょうか。音質そのものは決して悪くありませんが。

 武骨な演奏をイメージしがちですが、冒頭からかなりロマンティックな表情。主部もコン・ブリオの指示通り、溌剌と若々しい表情を保ち、トランペットを強調した明るいサウンドと、驚くほどよく弾むリズムが、重厚な老巨匠のイメージを払拭してゆきます。ただ、決して前のめりにならぬ、どっしりした足取りは安定感抜群。展開部でトランペットに再び現れる悲歌の歌謡的な調子も素晴らしく、チャイコフスキーよりもドヴォルザークの方が彼の資質に合っている印象を受けます。旋律線も艶やかで流麗。

 第2楽章の入りも実に音楽的で、巨匠の音楽経験の豊かさを垣間見る思い。テンポがスローダウンしすぎてほとんど違う曲にきこえる箇所もありますが、第3楽章にもロマンティックな歌心が横溢します。フィナーレでは、変奏曲のテーマをこれも非常なスローテンポで、かつ決然たる表情で提示しているのが面白い表現です。その後のトゥッティでは逆に速めのテンポが採られますが、その移行がとても自然で、コーダに向かって白熱する設計も、ライヴで本領を発揮する朝比奈隆らしいもの。

“優しく柔和な表情だが、深い瞑想と周到な計算も光る佳演”

チョン・ミュンフン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1999年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 なぜかウィーン・フィルによるディスクが多いこの曲、こちらはミュンフンとの異色盤で6番とカップリング。当コンビは他にも3&7番、管楽&弦楽セレナードとドヴォルザークを録音している他、ロッシーニの《スターバト・マーテル》も録音。ミュンフンの同曲はエーテボリ響とのディスクもあり、再録音に当たります(そちらは7番とのカップリング)。彼は欧州各地のオケに客演する時もよくドヴォルザークを取り上げているので、きっとシンパシーを感じている作曲家なのでしょう。

 テンポを自在に動した個性的な解釈ながら、アーティキュレーションや音響上の小細工がなく、あくまでデュナーミク、アゴーギクの増減が中心。全体として自然で、むしろ柔和な感じにすら聴こえます。一方、大胆にテンポを落とした抒情的な部分での深い瞑想性は、やはりミュンフンならでは。第2楽章のような起伏に富んだ音楽でも、各部の対比を強調しすぎず、ナチュラルに楽想を転換させてゆきます。殊にコーダの美しさは絶品。

 第3楽章は、抑制された美しさが印象的。ポルタメントもあまり使わず、旋律をこれみよがしに甘く歌わせる事がありません。それでも中間部のひなびたメロディは、懐かしさがそっと胸に沁みてくるよう。フィナーレは、内声部や細かい刻みの音符を細部に至るまで丹念に処理し、湧き立つような躍動感を獲得。この辺りは師匠のジュリーニ譲りといった所です。弱音の効果もよく生かされ、テンポの変動も周到に計算されている印象。全体としてはふうわりと柔らかく、耳に快い演奏です。

“旺盛な表現意欲と、若々しくアグレッシヴな活力に脱帽”

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2005年  レーベル:ヘリコン・クラシックス)

 楽団自主レーベルから出ているライヴ盤で、同日収録のモーツァルト/ハフナー交響曲をカップリング。ブロムシュテットの同曲録音は、シュターツカペレ・ドレスデンとの旧盤もあり。録音がややデッドで奥行き感も浅いですが、直接音は生々しく、響きも艶やかでブレンド感も十分です。

 第1楽章はきびきびとしたテンポで牽引する、ブロムシュテットの若々しく精力的な棒さばきが圧巻。鋭いアクセントや切れの良いスタッカートがモダンな造形に結びつきますが、ブラスには流麗さもあり、ソノリティに美感を確保。展開部では僅かにテンポを煽って切迫感を強め、緊張感を保ちながら音楽をぐいぐいと引っ張ってゆく辺り、サンフランシスコ時代の演奏を彷彿させます。短いクレッシェンドを随所に盛り込んでいるのも特徴。

 第2楽章も推進力の強い速めのテンポで、音楽を停滞させません。自然な流れで気宇の大きな起伏を作り出す様に指揮者の年輪を感じさせますが、オケも共感を込めて表情豊かに歌っています。イスラエル・フィルの弦の美しさも、よく生かされた印象。後半、ホルンの強奏から音楽に翳りが出てくる箇所では、ルバートによる溜めをあちこちに作り、間合いの多い巨匠風の表現を展開。コーダの語り口も堂に入っています。

 第3楽章は定評あるシルキー・ストリングスの魅力を存分に活用。テンポはやや速めで、あくまで古典的な均整をはみ出さず、情に溺れる傾向は皆無です。最後の部分はゆっくりめのテンポで、舞曲の雰囲気を打ち出した感じ。第4楽章はリズム処理が克明そのものでアクセントが強く、造形的にも堅固。弦の切っ先の鋭さや歯切れの良さは、この指揮者らしいです。叙情的な表現も美しいですが、減速や溜めなしに一気に突っ込むコーダなど、モダンな性格。

“卓抜なフレージングで造形を引き締めつつ、随所に美しい情感を表出”

チャールズ・マッケラス指揮 プラハ交響楽団

(録音:2005年  レーベル:スプラフォン)

 第9番、《自然の王国で》も同時収録されたライヴ盤。マッケラスのドヴォルザーク録音は、同レーベルにチェコ・フィルとの交響曲第6番や管弦楽曲各種、デッカにパメラ・フランクとのヴァイオリン協奏曲とロマンス、歌劇《ルサルカ》全曲もあります。スメタナ・ホールでの録音ですが、残響が豊富でオケの音色も美しく、滋味豊かで有機的な響きはチェコ・フィルとも共通する資質。

 第1楽章は、速めのテンポでコンパクトな造形。冒頭から均質性の高い弦楽合奏で、溜めを排してすっきりと歌わせます。主部はリズムがよく弾み、溌剌とした趣。旋律はみずみずしく歌わせますが、軽量級の響きで推進力が強く、室内楽的な合奏と感じられます。勢いこそあれ、フレーズを次へ次へと連結するように処理するのは独特で、むしろ息の長いフレーズを作る傾向もあり。随所でテンポを引き締めるアゴーギク操作も巧妙で、コーダにおける緊張感の高まりも見事です。

 第2楽章も、卓抜なリズム感とフレージングのマジックが功を奏して、流れるように歌われてゆく演奏。テンポが弛緩せず、緩急が自然に表されるのも、構成面での優れた見通しを示しています。合奏の集中力が高く、緊張の糸が途切れないのはさすが。オケを自発的に歌わせながら、時に切迫した調子で煽るマッケラスの棒は、楽章全体のフォルムをきりりと引き締めています。

 第3楽章は、潤いを帯びた弦の美麗な音色にポルタメントを多用しつつも、下品にならず自然体で聴かせる印象。トリオも情にこそ溺れませんが、懐かしい歌が溢れてほろりとさせられます。第4楽章はすっきり端麗に切り込んでくる冒頭のトランペットが爽快ですが、各部の表情は味わい深く、素晴らしいパフォーマンス。トロンボーンのファンファーレ回想など、大きくテンポを落とす箇所もあり、弦の合奏をはじめ、内から湧き上がるような叙情性に胸を打たれます。

“独自の視点でスコアの可能性を大きく押し広げる、希代の才人ヤンソンス”

マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:2008年  レーベル:RCO LIVE)

 レクイエムとカップリングした2枚組ライヴ盤。当コンビは9番も録音している他、ヤンソンスはオスロ・フィル、バイエルン放送響とも同曲のディスクあり。後者とはスターバト・マーテルも録音しています。

 冒頭から弱音を基調にして、実に繊細な表現。デュナーミクの変化も細かく、表情が優美な一方、鋭敏なリズムとスタッカートが随所に溌剌とした動感を加えてゆきます。旋律線がとにかく雄弁で、同オケ特有の典雅な音色とカンタービレに、また独自のアーティキュレーションやダイナミクスを適用してゆくので、どこまでも聴き手の注意を逸らせません。強奏部の響きはまろやかに作り上げられ、オケの個性もきちんと生かされています。コーダの急激な加速もユニークな解釈。

 第2楽章も、冒頭から意識的なアーティキュレーション。フレーズを再構築する趣もあって、聴き慣れない新鮮な情感が滲み出てくるのは注目です。木管がユニゾンで牧歌的な主題を歌う箇所で、弦の伴奏型のオスティナートを少し遅れて入らせて、駆け足で追いつくパターンを繰り返すのは、来日公演でも披露したヤンソンス独自の解釈。トランペットの剥き出しの2音にティンパニを足すのも、毎度お馴染みです。物量が増す局面でテンポを熱っぽく煽るのは、効果的な表現。コーダの表情の作り方も、個性的ながら全くお見事。

 第3楽章はスロー・テンポで、濃厚な味付けを施した主題提示が聴きもの。これだけ表情付けに凝っていると、マゼール盤のようにアクの強さや人工臭が出てきたり、自意識が勝って聴こえたりもするものですが、ヤンソンスはそれをごく自然に、内的感興の高まりの中で表出できる所が非凡と言えます。トリオにおける開放的な感情の発露、潤いと共感に満ちた伸びやかなカンタービレも素晴らしい聴きもの。後半部の主題再現を、はかないほどに弱々しく歌わせているのにも、思わずはっとさせられます。

 第4楽章は大風呂敷を広げず、きびきびと歯切れの良いリズム、軽妙なフットワークと尖鋭な音感でシャープにまとめた好演。曲想に併せてテンポを細かく変動させながらも、全体のシェイプはタイトに引き締まっているのはヤンソンス特有の様式感です。表情付けは例によって工夫に富み、スコアの可能性を極限まで押し広げるような趣。それでいて理が勝る事なく、情感が豊かなのも美点です。さりげなく名技性を披露するコーダも痛快。

“みずみずしく芳醇な響き、香り高く歌うフレーズ”

エド・デ・ワールト指揮 ロイヤル・フランダース・フィルハーモニック

(録音:2011年  レーベル:A-List)

 楽団自主レーベルから出ているライヴ盤で、弦楽四重奏曲《アメリカ》の管楽五重奏版をカップリング。当コンビのディスクは、演奏こそ見事なものですが、マーラーの第1番やアルプス交響曲など、過去にデ・ワールトが録音してきたレパートリーばかりで残念。その点、当盤は初のドヴォルザーク録音で歓迎されます。豊富な残響を伴った、清新かつ豊麗なサウンドは、RCAやエクストンに録音したオランダ放送フィルとのディスクとも共通する音傾向です。

 第1楽章はみずみずしく芳醇な響きがワールトらしく、豊かな歌心に溢れる表現。溌剌としたアクセントが随所に生き生きとした表情を付与していて、強弱のニュアンスも多彩。旋律線の描写が素晴らしく、あらゆるフレーズが香り高く歌う上に、鋭利でよく弾むリズムが音楽をフレッシュに息づかせています。時にエッジが効きすぎて刺々しくなりそうな局面もありますが、柔らかなホール・トーンがそれを緩和。暖かな感興も沸き起ります。テンポは中庸ですが、いささかも弛緩しない、活力に満ちた演奏。

 第2楽章も、アーティキュレーションの描き分けに明確な主張があり、音楽の隈取りが鮮やか。思わぬ所でスタッカートの効果を発揮して、さりげないフレーズを際立たせるなど、新鮮な解釈も随所に聴かれます。典雅なカンタービレも美しく、清澄で柔らかな叙情が充溢。オケも若々しい息吹を感じさせ、シャープなリズムと、それを包み込む潤いたっぷりのソノリティが魅力的です。弦楽セクションをはじめ音圧が高く、張りのあるアタックが意志と自発性の強さを表出。

 第3楽章も美麗な音色で、艶やかなパフォーマンス。やはり旋律線の微細な表情が美しく、フレージング・センスの良さを窺わせます。熱い感興が内側からこんこんと涌き出てくるように、心からの歌が横溢する様は感動的。画然としたリズムとの対比も見事です。第4楽章もたおやかな情感と歌心に溢れ、優美な旋律線にひたすら聴き惚れてしまいます。管弦のバランスも良好で、各パートが室内楽のように自発的なパフォーマンスを行うのが好印象。動感も強く、非常に活気のある、テンションの高い演奏です。

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