マーラー/交響曲第6番《悲劇的》

概観

 マーラーの交響曲では少数派の4楽章構成ですが、内容は重量級。それでも最初の3楽章はまだ分かりやすいですが、何といっても第4楽章が晦渋です。30分を超える長尺で構成は複雑、何やらカタストロフを表すらしいハンマー(楽器ではなく、巨大な木槌が振り下ろされます)、グロテスクに異化されたファンファーレ、転調を繰り返す落ち着きの無い和声、捉え所が無くどんどん変わる曲想など、どこまでもリスナー泣かせのやっかいな音楽。

 しかも改稿で第2楽章と第3楽章が入れ替えられたり、ハンマー・ストロークの回数が違ったり、ビギナーに意地の悪いお膳立て。私など、第1番を除いてマーラーの最終楽章はみんな苦手で、うまく消化できている手応えが全然ありません。

 それでも各盤の個性は伝わるし、明晰な演奏は何かを掴んだ(ような)感覚を与えてくれもします。不思議と素晴らしい演奏が多く、下記リストは一部を除いて、ほぼ全てがお薦め盤。まったく現代の素晴らしい指揮者たち、オーケストラに対して、深いリスペクトを抱かずにはいられません。

*紹介ディスク一覧

63年 ドラティ/イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

68年 クーベリック/バイエルン放送交響楽団

77年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

77年 レヴァイン/ロンドン交響楽団

79年 アバド/シカゴ交響楽団

82年 マゼール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

85年 シノーポリ/シュトゥットガルト放送交響楽団

89年 ラトル/バーミンガム市交響楽団

89年 シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

91年 ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団

92年 小澤征爾/ボストン交響楽団

94年 デ・ワールト/オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

96年 ブーレーズ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

01年 ハイティンク/フランス国立管弦楽団

01年 T・トーマス/サンフランシスコ交響楽団

04年 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

05年 ヤンソンス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

09年 サロネン/フィルハーモニア管弦楽団

14年 ハーディング/バイエルン放送交響楽団

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“シャープで明快な造形、美しい響き。オケの熱演も感動的”

アンタル・ドラティ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1963年  レーベル:ヘリコン・クラシックス)  *モノラル

 ドラティのマーラー録音は非常に少ないですが、実演ではこの曲をよく取り上げていて、CDRではシカゴ響やクリーヴランド管とのライヴ音源も出回っています。この顔合わせは珍しく、メジャー・レーベルの正規盤にはないかも。モノラルながら音域の広い録音で、ブラスやグロッケンシュピールの高音域の抜けが良く、低音のヴォリューム感もあり。

 第1楽章はドラティらしいストレートな表現ですが、行進曲ではテンポを落とし、アルマの主題を遅めのテンポでたっぷり歌わせるなど、ルバートもよく使っています。オケがよく統率され、客演とは思えないほど一体感の強い合奏。アーティキュレーションやダイナミクスに曖昧さが一切なく、リズムの精確さも徹底して追求しています。展開部では、やはりマーチのリズムでブレーキがかかってテンポが重くなるのは独特の解釈。

 第2楽章スケルツォはティンパニや弦のアクセントなど、強弱のメリハリを強調した鋭利な造形。千変万化するテンポの変化を見事にコントロールし、スコアの読みを細部まで隈無く反映させています。作品を完全に掌中に収めたような、自信に満ちあふれた演奏。

 第3楽章アンダンテは、オケの艶やかで明朗な響き魅力的で、ヴァイオリン群のハイ・ポジションの美しさは、さすがシルキー・ストリングスと称えられる団体だけあります。管弦のバランスも良く、木管のソロも皆好演。アゴーギクの操作も堂に入っており、感興の高まりが熱っぽく演出されます。

 第4楽章は序奏部から高弦の光沢が美しく、速めのテンポで疾走する主部も、よく弾む付点音符のリズムとエッジの効いたアタックが生き生きとした躍動感を生んでいます。構成力に長けたドラティの譜読みは作品の核心を衝く印象で、スコアの構造が透けて見えるよう。全てが明快で鮮やか、一点の曇りもない表現と言えます。

 力で押す所がないのに豪放な力感には欠けておらず、気宇の大きさも充分。しなやかな歌心や、色彩感の豊かさもあります。わがままで扱いにくいと言われる団体ですが、ここでは指揮者の意志に敏感かつ完璧に応えていて、その献身的な姿は感動的です。

“古典的な交響曲の様式感を保持し、豊かな音楽性で聴かせる名演”

ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:1968年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ヨーロッパ勢でいち早く完成したモニュメンタルな全集録音から。感情面に耽溺してフォルムを崩す事がなく、バランスの良さを示しますが、それでいてロマンティックな情緒に欠けていないのが美点です。速めのテンポで見通し良くまとめた造形感覚は後の小澤盤、ブーレーズ盤を先導するスタイル。あくまで古典的交響曲の伝統にマーラーを位置づけた解釈は、ブーム以降の肥大しすぎたマーラー像に疲弊した耳に、殊更フレッシュに響きます。

 第1楽章はテンポが非常に速く、足取りも前のめり。ティンパニの打音がややこもり気味で鈍いですが、管楽器のユニゾンなど発色は鮮やかです。どのフレーズも歌謡性が強調され、ぐいぐいと牽引するパワフルな棒の下、熱っぽい歌が展開。リズムのエッジもシャープです。全体のまとまりが良く、様式をがっちりと掴む集中力の高さはクーベリックらしい所。無用な力みを省いた密度の高い合奏で、全編を一筆書きのようにデッサンしています。

 第2楽章スケルツォはその世界観を引き継ぎ、急速なテンポと切っ先の鋭いアインザッツ、切れの良いスタッカートで、すこぶる攻撃的。テンポが目まぐるしく変化する楽章ですが、弱音部で手綱を緩める呼吸など、アゴーギクもドラマティックです。あらゆる音符が峻烈に意味深く響き、尋常ならざる凝集度の高さを聴かせる合奏は圧巻。管楽器のグリッサンドやトリルなど、グロテスクな管弦楽法も見事に活写されています。

 第3楽章アンダンテはなんとも美しい演奏で、指揮者が作品の魂を完璧に掴み取っている事がよく分かります。クーベリックは旋律の扱いが天才的に上手い人ですが、それが作品の本質から来る解釈である点が肝要。オケがまた優秀で、驚異的なまでに精緻な音響を構築しつつ、実に艶かしく魅力的な音色を紡いでいます。アゴーギクも理想的。

 第4楽章序奏部は、冒頭のヴァイオリン・セクションに意志の力が漲り、点在する各フレーズが有機的に関連しあって、音が漫然と流れる事がありません(そういう演奏は多いです)。楽章を貫く付点音符のグロテスクなフレーズも、楽器ごとに全てテンポを変えているのが見事。

 主部は引き締まったテンポできびきびと進行。デュナーミクが適切かつ詳細なため、合奏の精度が高まり、(多くの演奏で拡散消失している)生き生きとした一体感が生まれています。全てをフォルティッシモ寄りに叫び続ける失敗は犯さず、敏感な機動性を確保した合奏が古典的交響曲の系譜にちゃんと則って聴こえる心地よさ。クーベリックの態度は、どこまでも真っ当なものと言えるでしょう。ここに聴くのは、肥大しすぎたまとまりのない音楽ではなく、あくまでシンフォニーです。

“意外に淡白な語り口ながら、このコンビらしい濃密な迫力は十分”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1975/77年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 当コンビのマーラー録音は意外に少なく、他に4、5、9番と大地の歌、歌曲集があるだけです。第1楽章は速めのテンポでスタッカートを駆使し、さらに若干のアッチェレランドが掛かる前傾姿勢。響きとリズムは、意外に軽めの印象です。

 第2主題も、カラヤンならもっと粘って流麗に歌わせるかと思いきや、案外フレーズを細かく切る印象。テンポ・キープに関しては、弱音部の遅い箇所でも前に走る傾向があります。展開部は、鋭利な付点リズムと金管、特にホルンの壮麗な響きが魅力的。構成はタイトにまとまっていて、分かりやすいです。コーダも打楽器の迫力こそあれ、意外にあっさりしたアゴーギク。

 第2楽章スケルツォはきびきびとした進行で、トリオもデフォルメが無く、淡白な表情。オケの表現の振幅が大きく、ニュアンスも多彩ですが、特殊奏法などは自然にさりげなくやってしまう方向です。第3楽章アンダンテは、管弦の見事なバランスとソロの鮮やかな音彩が聴き所。弦のみずみずしい響きも魅力的です。耽美的な歌に走る様子はなく、さほど濃厚な表情は聴かれませんが、のびやかなカンタービレと壮麗なフォルテはいかにもカラヤン。透徹した、清澄な響きも聴きものです。

 第4楽章は、豊麗なソノリティが時にR・シュトラウスのよう。ハンマーは打楽器を補強する程度の効果で、あくまで音楽的に処理されています。色彩感が鮮やかで、曲想やテンポの移ろいも巧みに描写。場面転換が非常に自然なのは好印象です。アンサンブルは常に強靭で生気に溢れ、複雑なテクスチュアを明快に聴かせる透明度の高さもあり。最後の山場はスケール大きく力感を解放していて、その有機的な迫力には思わず息を飲みます。

“図抜けた腑分けの能力が、リスナーと作品の距離を一気に縮めてくれる”

ジェイムズ・レヴァイン指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1977年  レーベル:RCA)

 レヴァインは同オケやシカゴ響、フィラデルフィア管と未完のマーラー・シリーズを残しており、ロンドン響とは他に1番を録音。音色的にはアメリカのメジャー・オケに一歩引けを取りますが、奥行き感の深い録音で少しほの暗さも出て、また別の魅力を感じさせるサウンドです。技術的には一級で、ゼロ年代以降のこの団体の評価急上昇を予見させる出来映え。

 第1楽章は速めのテンポ、きびきびと軽快なリズムで開始。運動性が強く、アタックの張りが若々しい一方、構成はよく練られ、大局的な視点でスコアを俯瞰する能力に長けています。管弦楽はよくドライヴされ、アインザッツが乱れたり腰が重くなる箇所は皆無。細部まで曖昧な点が一切なく、明快極まる造形感覚が、リスナーと作品の距離を縮めてくれます。

 フレージングは優美で、みずみずしい音色でしなやかにうねるヴァイオリン群のカンタービレは爽快。豪快に力感を開放しながら、風通しが良く、聴き手を威圧するような所がないのはレヴァインの美点。粘性のないさっぱりとした歌い口で、全体に健康な表現と言えます。響きも荒れる事がなく、洗練されていて壮麗。アクセントはシャープで力強く、ティンパニにバスドラムを加えた打撃など、尋常ではない迫力があります。

 第2楽章スケルツォも峻烈にアクセントを打ち込み、切れ味の鋭いスタッカートを多用。躍動的でテンションの高い表現です。弦のアインザッツも垂直的でエネルギッシュ。リズムがよく弾み、フットワークが軽いのも美点です。トリオにおける力の抜き方、緊張の解き方も絶妙。強弱とアゴーギクの演出が細かく、大小様々なメリハリが随所に配置されている所、読譜能力とバトン・テクニックの確かさを窺わせます。鮮やかな発色と、千変万化する響きの多様性も聴き所。

 第3楽章アンダンテは、冴え冴えとした音彩で透徹したソノリティを維持しながら、ヒューマンな温もりも感じさせる佳演。遅めのテンポですが、集中力が高く、音楽の流れが弛緩する事はありません。情緒面にも潤いがあり、リリカルで清澄な歌心が横溢するのが爽やか。合奏は精緻に構築され、微細なダイナミクスの変化も巧みにコントロール。強奏部の高揚感も凄いほどで、気宇の大きさを示す一方、カウベルなどの効果も明瞭に打ち出されています。

 第4楽章冒頭は、やや強調されたバスドラムの一打が効果的。レヴァインの演奏は、こういう一つ一つの表現が、音楽の隈取りを明瞭に打ち出す効果を担っています。複雑で分かりにくい楽章ですが、持ち前の図抜けた腑分け能力で、構成を明快に提示。音響が錯綜する場面でも、明晰さが失われないのはさすがです。

 それでいて分析型のクールな姿勢に収まらず、ヴィヴィッドな情動を感じさせるのは美点。ダイナミックな力感と躍動感、緻密なアンサンブル、鋭敏なリズムなど、雄弁な語り口は見事という他ありません。オケも好演で、とりわけティンパニの音色と意味深い打ち込み方は出色。

“あくまでシンフォニックに構築する姿勢ながら、抜きん出たクオリティには届かず”

クラウディオ・アバド指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1979年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 複数オケによるマーラー・ツィクルスの一枚。アバドは後にベルリン・フィルと同曲を再録音しています。当全集には個人的に相容れない録音も少なくないのですが、当盤はうまく行っている方の演奏だと思います。これより前の、例えば第5番の録音と比べると、テンポや歌い回しの柔軟性、伸縮性が増し、闊達さが少し出て来た印象。

 第1楽章は、それでも硬派というか、シンフォニックとしか言いようのない骨張った響きでガチガチに固めた造形で、付点リズムの処理の甘さなども相変わらずですが、純粋に音そのものの迫力を追求しようという姿勢には説得力があります。弱音部のデリカシーも美しく、ホルン、クラリネットのソロも好演。

 第2楽章スケルツォは、主部を速めのテンポに設定。自然な呼吸でテンポの変転を描く辺り、かつてのアバドに顕著だった、取って付けたような不器用なアゴーギクは影を潜めています。第3楽章アンダンテも決して感情的にならず、磨き上げた音の美しさで聴かせる清潔な表現。オケの技術力の高さも、アバドのコンセプトには不可欠な要素と言えます。

 フィナーレも、音楽の有機的構築に主眼を置いたアプローチ。饒舌さやドラマ性が希薄な一方、オケの能力を生かしてスコアを淡々と音にしてゆく様には凄味すら感じられます。みずみずしい弦と強固なブラスの対比も聴き応えあり。ハンマー・ストロークにも無用な誇張がなく、あくまで打楽器による音響的効果と捉えられています。見事な演奏ではありますが、この系統のアプローチには後にもっと凄いディスクがたくさん出ているので、当盤は不利と言わざるを得ません。

“オケの美質を生かしつつ、マゼール一流の覚醒した意識が冴え渡る個性盤”

ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 全集の第1弾として5番と同時に録音されていますが、こちらの発売が少し後になりました。5番とはミックスの仕方が少し違うのか、(特に前半2つの楽章で)やや残響が飽和して中央に収束する傾向もあり、モノラル的なサウンドに聴こえなくもありません。CBSのウィーン録音は他のレーベルと違い、ステージから距離を取って残響音を多めに取り入れているのが特徴です。

 第1楽章は、スロー・テンポのコンセプトを採るこの全集の中では珍しく平均的な速さですが、やはりスケールが大きく、悠々と音楽を展開する趣。ただしリズムは鋭利でアクセントも角が立ち、輪郭がシャープなのはマゼールらしい所です。オケの流麗な響きと指揮者の個性のぶつかり合いは、マーラーにおいては大きなメリット。ダイナミクスはあまり拡大しませんが、強弱やテンポの緩急は巧みな棒さばきで精緻にコントロールされています。旋律線の表情も細かく描写。

 第2楽章スケルツォは落ち着いたテンポながら、スタッカートを多用して歯切れよく造形。多彩な音響事象の配置はこの指揮者の得意とする所で、変転する曲想を鋭敏な棒さばきで生き生きと描写していて見事です。ただし、無用なデフォルメやユダヤ情緒の表出はなく、客観性が勝った表現。潤いとコク、深々とした奥行きのあるオケの響きが魅力的です。

 第3楽章アンダンテは旋律線があまり粘らず、さっぱりとしたみずみずしい歌が横溢する清潔な表現。マゼールの演奏は緩徐楽章でも意識が冴え冴えと覚醒し、響きの各レイヤーが磨き抜かれた精妙な音で隈取りされるのが美点。それでいて線的にどぎつくならず、柔らかな叙情と豊かな和声感が出る所は、オケの美質と言えます。特に艶やかな弦の音色は、随所で魅力を発揮。

 第4楽章も、一歩引いた客観的な視点を感じさせるものの、決して綺麗ごとでは終らせず、真摯な態度とひたむきな姿勢で臨んでいます。序奏部における、スロー・テンポで細部を拡大するような視点は、この全集に共通するユニークな特徴。

 主部では大局を見失わず、尖鋭なリズムを駆使して強靭な造形感覚を維持しているのはさすがです。ハンマーはティンパニとバスドラムのパンチが効いて迫力満点。ウィーン・フィルは指揮者によってデッサンが野暮ったくなったり、田舎っぽいフォルムが表面化する事もあるオケですが、マゼールやブーレーズが作る響きは研ぎすまされていて、細身に引き締まって聴こえるのが面白い所です。

“アクの強いデフォルメの頻発も、全てスコアに立脚。手に汗握る熱血ライヴ”

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団

(録音:1985年  レーベル:ヴァイトブリック)

 フィルハーモニア管と別に全集録音を行っているシノーポリのライヴ盤で、第10番のアダージョとカップリング。同じ顔合わせで3番も発売された他、シノーポリにはシュターツカペレ・ドレスデンとの4番、9番のライヴ盤もあります。ロンドンでのセッションが両翼配置だったのに対し、当盤は実演でいつも実施していたと言われる、一般的な配置で演奏。細身のサウンドで奥行き感がやや浅いですが、残響は適度に取り込んでいて、細部も鮮明です。

 第1楽章は、シノーポリにしては平均的なテンポながら、ルバートはかなり大胆でやや誇張気味。特にアルマの主題はぐっと腰を落とし、自由な呼吸で濃厚に歌い込む趣です。行進曲も、急ブレーキを踏む箇所があって一筋縄ではいかない表現。表情付けは濃密なのに、どこか醒めた視点も意識させるのは、鋭いアタックとクールに透徹した響きのせいでしょうか。

 オケは優秀で、ソロもユニゾンも随所に艶美な歌を聴かせます。ティンパニのパンチが効いて腰が強い上、ソリッドな金管もエネルギー感が強力。一体感の強い合奏は聴き所で、テンポや強弱の落差が大きいシノーポリの棒に、敏感なレスポンスでぴたりと付けていてさすがです。

 第2楽章スケルツォは、やはりティンパニのアクセントが効いて雄渾。勢いと推進力があって、トリオへの減速を自然かつ効果的に演出しています。トリオはアゴーギクの振幅が大きく、アクの強いニュアンス付け。強弱やアーティキュレーションもややデフォルメされています。

 第3楽章は、スロー・テンポで情感たっぷりに歌い込む表現。それでもバーンスタインのような主情的エゴを感じさせないのは、解釈がスコアに立脚している所と客観視点の存在、響きの清澄さと感覚美の追求があるせいでしょうか。色彩の変化に敏感で、時にこの世のものとも思われないような光景が現出。デリケートなポエジーと幻想味、優しく温かな叙情の発露に、思わず落涙させられる瞬間があるのもシノーポリ芸術の真骨頂です。

 第4楽章も遅めのテンポですが、感情が先走ってフォルムが崩れたりしないのは、イタリア人としての造形感覚と持ち前の傑出した分析力ゆえでしょうか。リズムは俊敏で、切っ先の鋭いアタックも効果的。推進力が強靭で、何かに立ち向かってゆくような凛々しさも感じます。

 ハンマーストロークは見事に決まり、前後の複雑に錯綜した音楽も、見事にコントロールされて混乱の気配が全くありません。アインザッツは尖鋭で垂直的、楔のように激しく打ち込まれるティンパニが、音楽のアウトラインを峻烈に隈取ります。混沌として現況が把握しづらいこの楽章を、これほどドラマティックな説得力をもって聴かせる演奏は稀でしょう。最後の山場は、異様に拡大されたスケールといい、迫り来るような音塊の凄みといい、手に汗握る圧倒的な音楽体験。

“一体感の強い合奏で、鮮烈かつ濃密な表現を全面展開”

サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

(録音:1989年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集中の一枚。ラトルの同曲ディスクは、後年ベルリン・フィルの自主レーベルから2種類のライヴ盤が出ています。当コンビのマーラーはユニークな名演ばかりで、当盤も素晴らしい内容。オケが緊密なアンサンブルで好演している上、録音も良好で、バス・トロンボーンやテューバの抜けの良さ、カウベルの効果など、オーケストレーションの妙を余す所なく捉えています。

 第1楽章は、冒頭から音圧を抑えたボリューム設定と弦のレガート奏法が個性的。楽章全体の構成もよく練られていて、アルマの主題など最初は淡々とした風情に聴こえますが、提示部の繰り返しで同じ主題が登場する時には、ルバートを駆使した濃密な表情で歌われています。颯爽と駆け抜けるコーダの造形も絶妙。

 第2、3楽章はアンダンテ、スケルツォの順に配置。ダイナミクスとアゴーギクを完璧にコントロールした棒さばきは特筆もので、感情爆発型ではないものの、のびやかなカンタービレと鮮烈な音感、鋭敏なリズムを駆使した、実に情報量の多い、内容の豊かな演奏になっています。スケルツォは、テンポが頻繁に変わってドライヴが難しい曲だと思うのですが、ラトルのテンポ・シフトは唖然とするほど見事。

 同じ事はフィナーレにも言え、千変万化する速度やデュナーミクの設計、スタミナと集中力の持続など、驚嘆に値する鮮やかな指揮ぶりです。オケも、高音域のソロや速弾きのパッセージなど難所をクリアした上で、しなやかなフレージングと音色美も維持し、ラトルの棒にぴたりと付けて一体感抜群。胸のすくような鮮烈、若々しさと、淡白に陥らない濃密な表現を両立させた名盤。

“精緻を極めたコントロールと音色美。作品を前衛的に聴かせる斬新な視点”

リッカルド・シャイー指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1989年  レーベル:デッカ)

 全集録音の一枚。当全集に共通する、スコアのあらゆる音符を鮮やかに再現した、解像度の高い精緻な演奏です。それでいて、独特の深い奥行き感と陰影を帯びたコンセルトヘボウ・サウンドが存分に生かされているのは、作曲者ゆかりの伝統も踏まえたシャイーの確信犯的演出でしょう。

 第1楽章は超スロー・テンポで開始。通常は、テンポを遅くすると合奏も鈍重になりがちですが、シャイーは逆に、各音の鋭さとスピード感を追求し、音量を絞って響きを軽くする事で、全く斬新なフォルムに仕上げています。

 構成の把握力と安定感は同コンビならではで、旋律線が流麗に歌うにも関わらず、べとついた甘さや濃厚なエグみが全くないのが爽快。ディティールの処理が緻密そのものである一方、響きが外に抜けてゆくような開放感とスケールの大きさがあるのも、ブーレーズ辺りの演奏とは性格を異にします。

 第2楽章スケルツォはデュナーミク、アゴーギク共、驚異的なまでに細かい単位でドライヴする棒さばきが圧巻。ラトル盤やドホナーニ盤もそうですが、これ以上完璧な演奏なんて存在するのかという疑問すら脳裏に浮かんできます。加えて当盤は、オケが常に典雅な音色を保持しているのが魅力で、ソロもマスの響きも美麗のひと言に尽きます。アンダンテ楽章も、ため息が出るほど美しい演奏。極上の柔らかな響きで歌う弦を、潤いたっぷりのホールトーンでふわりと包んだデッカの録音も見事です。

 第4楽章も遅めのテンポ。冒頭のヴァイオリン群、それを引き継ぐ低弦は、明確なアーティキュレーションが特徴的。静寂に浮かび上がる各パートの断片的なフレーズも、遠近法と音色、音量が見事に考え抜かれ、ほとんど前衛的と言えるほどにモダンな音楽に洗い直された印象です。主部は、弾みの強いリズムと鋭利なアタック、フレッシュな躍動感が耳を惹き、ハンマー・ストロークも重厚で迫力満点。エンディングの一撃はかなり衝撃が強いので、再生音量に要注意です。

“図抜けた解析力に基づき、スコアが内包するドラマに肉薄する圧倒的音楽体験”

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:デッカ)

 マーラー・シリーズの一枚で、シェーンベルクの《5つの管弦楽曲》とカップリング。93年度のレコード・アカデミー賞を受賞しています。ドホナーニのスコアの読みの深さと解析力は余人の追随を許さぬものがあり、ブーレーズのような感情表現の排除、徹底的禁欲には走らず、思い切りの良い開放的なカンタービレ、みずみずしく明朗な音彩、生気に満ちた躍動感が横溢している所が魅力。表現自体も決して純音楽的ではなく、ドラマを語るようなスタイルとも言えます。

 第1楽章はクリアな音響と鮮やかな色彩感で、すこぶる見通しの良いスコア再現。楽器間のパースペクティヴも見事です。各パートが発する有機的な響きも凄いと言う他ないものですが、アンサンブルはむしろ室内楽的に組み立てられた印象があり、どの箇所においても求心力の強さを感じさせます。強音部では刺々しさや威圧感を排除する傾向がありますが、決して冷徹に醒めた演奏ではなく、ダイナミックな活力には事欠きません。

 第2楽章スケルツォは、旋律線の微細なニュアンスなど、おそろしく感度が高いドホナーニの棒がその変化を最大限に生かしきり、弱音のデリカシーも絶美。デッカの録音がまた目の覚めるように鮮やかで生々しく、細部までクリアに描写される一方、潤いが不足する事もありません。第3楽章アンダンテの緻密を極めた音世界も素晴らしく、完璧にコントロールされたテンポとダイナミクスの妙に驚かされます。

 第4楽章はレガート奏法を積極的に盛り込み、横のラインにフォーカスしたアプローチが独特。ハンマー・ストロークも、クレッシェンドの延長としてダダっとなだれ込むように鳴らされていて、衝撃音として扱われる多くの演奏とは印象を異にします。それにしてもクリーヴランドのオケはまったく凄いパフォーマンス。楽譜上のあらゆる音符が眼前で音になり、そのままマーラーが描いたドラマに直結してゆくという、圧倒的な音楽体験です。

“室内楽のようにまとめ、極端なメリハリやスケールの拡大を禁じる小澤”

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団

(録音:1992年  レーベル:フィリップス)

 全集録音の一枚でライヴ収録。とにかく音楽的な対比を大きく付けないのが演奏全体のコンセプトで、大仰な身振りがないため、すこぶる端正でさっぱりした表現に聴こえます。丸みを帯びた豊麗なソノリティは独特で、この素朴な美しさは、田舎出身者マーラーの本質を意外に衝いているのかもしれません。元々こういう曲なのだという視点に立てば、適切な解釈とも言えます。クーベリックやノイマンのスタイルに立ち返った表現という感じでしょうか。

 第1楽章冒頭から全く気負いがなく、さりげない開始で、これを聴いただけで拒否反応を示すマーラー・ファンもいそうなくらいです。リズム感は優れていますが、角が立たないのでシャープな輪郭は強調されない格好。むしろ指揮者の興味は、響きのバランスと構成の論理性に置かれているようです。行進曲としては軽快さがよく出ているのもメリットで、オケの音色も非常に美麗。

 カンタービレにも詠嘆調の陶酔感がなく、あくまで純音楽的な態度に徹しますが、それがマーラーの音楽にふさわしいかどうかは異論があるかもしれません。音場の捉え方もコンパクトで、スケールの大きさや拡散より親密なまとまりを目指すような雰囲気があります。

 第2楽章スケルツォは、速めのテンポで軽妙。響きに重厚さや威圧感がないので、テンポ以上にフットワークが軽く感じられます。反射神経の敏感さやテンポのコントロール能力もよく生かされ、両端楽章よりは指揮者の資質に合っている印象。アゴーギクは自在で表情も豊かですが、感情面が淡白で、ユダヤ的情感には目もくれません。

 第3楽章アンダンテは、ゆったりしたテンポで雄弁。オケの自発性がよく引き出され、細やかなニュアンスで旋律が生き生きと歌われます。艶やかで明朗な音色も好印象で、みずみずしい潤いに満ちた響きが、スコアに内在するヒューマンな温もりを余す所なく表現しています。室内楽的な一体感のあるアンサンブル構築は、小澤の得意とする所。

 第4楽章序奏部はものものしさがなく、自然体の風情。細部を丹念に処理するのはこの指揮者の優れた資質で、仕上げの粗さがないのはさすがです。主部も力みがなく、大曲を前に萎縮する事もありませんが、すっきりとした響きで見通しが良い一方、大胆な力感や凄味には欠ける印象。生で聴くとこれでも迫力はあるのでしょうが、録音では物足りない人が多いかもしれません。ボストンの会場からは盛大なブラヴォーが来ています。

“感情に耽溺しない一方、美しい響きと明快な構築力で聴かせる芳醇なマーラー”

エド・デ・ワールト指揮 オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1994年  レーベル:RCA)

 ライヴ収録による全集録音から。名ホール、コンセルトヘボウの響きを豊富に取り込んだ全集で、明朗で柔らかく、滋味豊かなオケのサウンドに魅せられます。デ・ワールトは自ら言っている通り、感情に身を任せる事を嫌う指揮者ですが、彼らのマーラーはどれも、みずみずしい響きと鮮烈な表現に聴き応えがあって見事。

 第1楽章は大きく構えた所が微塵もないものの、無類に鋭敏なリズム感と流麗なカンタービレが素敵。アルマ主題の歌いだしなど独特の情感があり、展開部も弦の艶っぽい歌い回しに耳を奪われます。ブラスや打楽器は力強いですが、管弦のバランスが常に考慮されていて、特定のパートをデフォルメするような表現は採りません。弱音部の豊かなイマジネーション、遠近法や色彩感も素晴らしいです。

 第2楽章スケルツォも物々しさのないシンフォニックな造形で、足取りも安定。精緻な描写力に優れ、細部まで精彩に富んで、集中力の途切れる瞬間が皆無です。アゴーギクも巧妙かつ自然。第3楽章アンダンテも気力が漲り、典雅な音彩とデリカシー溢れる筆致で描き切った名演。感覚美に内実が伴っているのはさすがで、各パートの傑出したパフォーマンスに耳を奪われます。

 第4楽章は、現代音楽やオペラを得意とするデ・ワールトの独壇場。複雑で巨大なスコアを掌中に収め、明快に聴かせます。そこに爽やかな歌心や溌剌と弾むリズムを盛り込み、推進力の強い強靭な棒でタイトかつシャープに造形。強音部が有機的に響き、うるさくならないのも好感が持てます。ハンマー・ストロークやラストの一撃はあくまで音楽的で、適切なバランス感。音楽の規模が拡大する局面でも、決して大局を見失わない安定感抜群の指揮に、まったく惚れ惚れとさせられます。

“ひたすら客観的なアプローチながら、新たな発見がたくさんある意義深い一枚”

ピエール・ブーレーズ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1996年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 様々なオケを使った全集録音の一枚。ウィーン・フィルとは第2、3、5番と《大地の歌》も録音しています。ブーレーズの資質からはかなり遠い音楽に思えますが、聴いてみると様々な新鮮な発見のある演奏。彼の方にも勝算のあった録音に違いなく、やはり自分が振る意義がない曲は振らない指揮者だと思います。

 第1楽章は意外に遅めのテンポで、柔らかなタッチも意表を衝くもの。特にスネアドラムの音色は独特ですが、フォルムを崩さない抑制されたアゴーギクや、画然たるリズム処理、感情的な揺れを盛り込まない歌い回しなど、ブーレーズ流の基本スタイルは遵守。しかし、あくまでオケの個性を損ねる事なくこの姿勢を貫いている所は凄いです。常に軽快で、スケールや音量も適度なので、聴いていて構成やフォルムが把握しやすいのも彼の美点。

 第2楽章スケルツォは、第1楽章の延長戦みたいに烈しく演奏する指揮者も多いですが、こうやって整然と表現されると、スケルツォの性格が強く出ます。ダイナミクスやアゴーギクは正確に描写されているので、これが作品本来の姿という事でしょう。第3楽章アンダンテは、感傷的な思い入れのない清潔な表現ながら、ポルタメントは用いているし、音色も潤いたっぷり。特に弱音部の、室内楽的で精妙なアンサンブルは絶美です。

 第4楽章は、ブーレーズのアプローチが最大の効力を発揮する例。何をやっているのか分からない序奏部に、どこを走っているのか分からなくなる主部と、私には聴くのが苦手な楽章ですが、拡大された表情や威圧的な大音響に惑わされず、落ち着いて音に集中できる当盤は稀少。明晰に腑分けされた演奏は、聴き手をぐっと作品に近づけてくれます。しかも腰は強く、力強さや躍動感、艶っぽい美しさは十分表出。

“マーラー指揮者の本領を発揮したシャンゼリゼ・ライヴ。オケも優秀”

ベルナルト・ハイティンク指揮 フランス国立管弦楽団

(録音:2001年  レーベル:naive)

 ラジオ・フランスが収録している、シャンゼリゼ劇場でのライヴ・シリーズから。ハイティンクの同曲ディスクはコンセルトヘボウとの全集の他、ライヴも含めて数種類出ていますが、このオケのマーラー録音は珍しいです。この顔合わせでは他に、ドビュッシーの歌劇《ペレアスとメリザンド》全曲盤もあり。

 オケのさっぱりと明るい音色は捉えられていて、適度な残響やある程度の奥行き感もある録音。細部は明瞭で、カウベルやグロッケンシュピールなどもはっきり聴き取れるし、ティンパニや大太鼓の低音部も張りがあります。ハイティンクはオケによってスコアの解釈を変える指揮者ではないですが、彼にしてはやや速めのテンポを採択。オケの個性もきっちり打ち出しています。

 第1楽章は、落ち着いた物腰で淡々と開始。威圧感がないのはこの指揮者らしいですが、旋律は粘性を帯びてたっぷりと歌い、弦の艶美な音色が彩りを加えます。様式感は堅固で、リズムはやや自在さを欠いて聴こえる箇所あり。しかしオケは技術的にも万全で、客演とは思えないほど細部までニュアンスが徹底されています。起伏や対比の呼吸も自然で、スケールの大きな音楽を構築。暖かな情感の表出もさすがです。

 第2楽章スケルツォは、ティンパニを強めに出して明快に造形。スフォルツァンドもエッジが効いて、ハイティンクとしてはかなりメリハリや尖鋭さが強調された表現です。トリオへの減速の度合いも大きく、悠々たる佇まいと主部の対比にスケールの大きさが表れます。各部の表情も雄弁で、生彩に富むのが何より。随所に有機的な迫力を感じさせますが、ハイティンクほどのマーラー指揮者でなければ、ここまでの凄みは出なかったかもしれません。

 第3楽章は意外に推進力があり、弛緩しない流れの中にしなやかな歌が充溢。色彩の変転はデリケートに描写され、しっとりと潤いを帯びた木管の音色もすこぶる美しいです。和声感に関しては鮮やかに出しやすいオケかもしれません。集中力も高く、各パートが凝集された緻密な表現を展開。

 第4楽章は、序奏部のヴァイオリン群の音色がみずみずしい一方、続くトゥッティは重量感満点。オケの良さと作品にふさわしい表現を両立させた、見事な演奏です。ハイティンクの表現はスコアの複雑さを意識させず、自然体で音楽の流れを追うという親しみやすいもの。聴き手も大局を見失わず聴ける利点があり、実際には様々な工夫があるのでしょうが、その痕を感じさせない職人的な誠実さに脱帽です。尋常ならざる迫力で聴き手を惹き付ける一方、朗々と歌われる流麗なカンタービレも痛快。

“同時多発テロ直後のライヴながら、精緻な描写力と堅固な構成で聴かせる”

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団

(録音:2001年  レーベル:サンフランシスコ交響楽団)

 楽団自主レーベル、ライヴによる全集録音から最初に発表されたもの。アメリカ同時多発テロの翌日12日から15日までの演奏という事も話題になりました。西海岸と東海岸の距離こそあれ、アメリカ人にとっては(もちろん外国人もですが)当事者としての出来事であり、しかも衝撃さめやらぬ翌日からの公演ですから、演奏者も聴衆も特別な精神状態にあった事は想像に難くありません。

 しかし演奏は、気負いや感情の乱れによって造形性が崩れる事もなく、T・トーマスらしい端正な表現を貫いている所、兄貴分だったバーンスタインとは性質を異にします。オケのソノリティは、豊麗で暖かみが感じられるデッカの録音と違い、細身のシェイプでクールな肌触り。隅々まで明晰ですが、弦のみずみずしいカンタービレや弾力性のあるトゥッティなど、必ずしも硬質な響きではありません。

 第1楽章は、冒頭の弦の刻みからエッジが鋭く、躍動的で鮮やかなリズム処理が胸のすくよう。アルマ主題も振幅の大きなアゴーギクで歌謡性が強く、随所に即興的で大胆な溜めを作って歌います。テンポのコントロールは殊の外見事で、千変万化する曲想を的確に描き分けて痛快。展開部などオケの表現力も凄絶で、集中度の高いアンサンブルを展開します。想像されるような重苦しい雰囲気はなく、覇気と活力が漲ったエネルギッシュなパフォーマンス。

 第2楽章スケルツォは、パンチが効いたティンパニのアクセントからして、熱っぽい勢いと音圧の高さが支配的。テンポ変化への機敏な対応は随所に効果を発揮し、ホルンのユニゾンにおける減速の呼吸や、それに続く木管の旋律に施された若干のデフォルメなど、各部の性格の描き分けが確信に満ちています。トリオの巧妙なアゴーギクと敏感な表情付けも印象的。

 第3楽章アンダンテは、かなり遅めのテンポ。研ぎすまされた感覚とクールな肌合いで描写され、透徹した響きを貫きます。旋律線はしなやかに歌っており、高弦や木管ソロの音色も繊細で艶やか。べとつかない爽やかな叙情性が美しいです。

 フィナーレは、錯綜したスコアを明瞭に腑分けして再構成する手腕に優れたT・トーマスの面目躍如たる演奏。バネの効いた弾みの強いリズム感も彼の美質で、まるで水を得た魚のようです。朗々たるトランペットの歌と弦の鋭利なスタッカートなど、常に対比が明瞭で、強靭かつ風通しの良い演奏を展開。緻密を極めた弱音部と気宇の大きな強奏部の落差も大きなダイナミズムを生み、各楽想、とりわけ光と影のイメージ的対比に、構成力の妙を聴かせます。

“高出力のオケを得て、余裕の中に独特の凄みを感じさせるアバド再録音盤”

クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:2004年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ライヴ収録によマーラー再録音シリーズから。第1楽章は落ち着いたテンポで肩の力が抜け、さりげない調子で進めますが、腰の強さや逞しい力感は十分表出。鋭利なリズムと流麗な曲線の対比も、アバドらしい造形です。最弱音のデリカシーは見事で、スコアを掌中に収めたデュナーミク、アゴーギクはさすが。ただ、派手な演奏効果を狙うような所はなく、幾分ストイックで禁欲的に聴こえるのは好悪が分かれる所かもしれません。

 第2楽章はアンダンテを配置。抑制された美しさを極めているのはアバドらしい表現で、情緒に耽溺するような所が全くありません。第3楽章スケルツォは速めのテンポで、タイトに締まった造形。音響の構築が見事で、指揮者もオケも、正に一流の仕事という手応えがあります。誇張感がないので変化には乏しいですが、精妙な響きに耳を奪われる瞬間は多々あり。磨き抜かれた音色と、卓越した合奏力にも驚かされます。

 第4楽章は序奏部の語り口が雄弁で、説得力の強い表現。峻厳なリズムを打ち込んでくるティンパニも鮮烈です。そもそも、一切の力みを加えずにこれだけ緊密なアンサンブルを構築できる事が凄いです。劇的な起伏を強調する傾向こそないですが、ハンマー・ストロークの打撃はボディー・ブローが効いて衝撃的。オケの出力に余裕があるので、演奏全体に独特の凄味と安定感があります。

“さりげない態度と優美な仕上げで一貫。さすがに鮮烈さには不足か”

マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:2005年  レーベル:RCO LIVE)

 ライヴによる全集録音の一枚。肩の力の抜けたさりげないパフォーマンスで、細かく表情を付けている一方、打楽器の力感など、腰の強さには欠けます。古典的シンフォニーの延長線上に捉えるスタイルは、クーベリック、小澤、ブーレーズの流れと言えるでしょうか。

 第1楽章は大きく構えないものの、きびきびとした俊敏な良さあり。力みのない合奏には豊富なニュアンスが与えられ、ダイナミクスも細かく段階を付けています。しなやかに歌う旋律線はオケの美音と相まって耳を惹き、自然体のアゴーギクも優美。しかし曲想が求める凄味に到達しない感は否めず、少なくとも鮮烈さやシャープな輪郭はもっと必要な気がします。ティンパニのリズムはフォーカスが甘く、カウベルの場面も音色のコントラストが致命的に不足。

 第2楽章アンダンテはスロー・テンポで柔らかな筆を用い、茫漠としたムードを漂わせたロマンティックな表現。明晰な筆致で細部を照射する時代の傾向には逆行していますが、バーンスタイン時代からのマーラー・ファンには共感を呼ぶかもしれません。ただし当盤はずっと客観性が強く、情感も淡白。響きが透明で音色の美感を大切にしているのも、現代の演奏らしいです。特に、絹のような肌触りと強靭な張りを持ち合わせた弦の響きは聴き物。

 第3楽章スケルツォは、小気味の良いリズムとよくまとまった合奏でタイトに造形。第1楽章よりはパンチが効いた表現ですが、曲調からすればさらに押し出しの強さが欲しい所です。トリオへ移行する際のデュナーミク、アゴーギクの扱いはすこぶる優美。歯切れの良いスタッカートが随所で効果を発揮し、主部回帰の加速にも緊張感があります。

 第4楽章は冒頭からものものしさがなく、小型ながら聴きやすい表現。グロテスクなデフォルメも一切なく、スマートなフォルムを維持した主部へ突入。音量を抑えているのと、卓越したリズム感で機敏な合奏を軸に据えている点に、古典的な交響曲の枠組みで作品を捉えようという意識が見えます。こういう複雑な音楽においてさえ、あくまで美しく丁寧な仕上がりを追求する姿勢はあっぱれ。峻烈なアクセントもやっと目立ってくるものの、感情的に激する事はなく、明快な見通しは最後まで維持されます。

“かつての颯爽とした趣に、重厚さやスケール感も加えたサロネンのマーラー”

エサ=ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:2009年  レーベル:シグナム・クラシックス)

 楽団自主レーベルのライヴ盤。当コンビのマーラー録音は他に9番がある他、サロネンはロス・フィルと3、4番、《大地の歌》、スウェーデン放送響と10番アダージェット及び4、5番の抜粋を録音しています。もう少し音場の奥行き感が深ければとも思いますが、残響は適度で低音部も豊か。デッドなLSO LIVEに較べれば聴きやすい音質ですが、当盤と同じホールを使っているロンドン・フィルの自主制作盤には劣ります。

 第1楽章は遅めのテンポで開始し、リズムに少し重みを加えて峻厳に刻んでゆく趣。雄渾な力感とスケール感が印象的で、ロス・フィル時代のタイトなマーラー像とは方向性が違います。トロンボーンの下降音型など、あらゆる音符が鮮やかに発音される明晰さはさすが。ライヴ収録ながら細部がよく照射され、カウベルの距離感もうまく表現されています。やや粘性を帯びたしなやかな歌い回しと、軽妙で歯切れの良いリズム感も健在。

 大局的な見通しの良さもサロネンらしく、造形への確固たる意志が常に存在。引き締まったフォルムを維持しつつ、みずみずしい感興を盛り込んでゆくスタイルは、現代マーラー演奏の一つの理想です。オケの自発性と強靭な合奏力もそのコンセプトをがっちりと支え、大きなルバートにもぴたりと付けて一体感抜群。響きが無機的に陥らず、透明感と柔軟さを備えているのも魅力的です。コーダも実にダイナミックで鮮烈な表現。

 第2楽章スケルツォも落ち着いたテンポで、アクセントに重しを置くような雰囲気。鋭利なアインザッツが音楽を明瞭に隈取りますが、デュナーミクは周到に設計され、フォルティッシモの連続で聴き手を疲労させません。テンポや表情の変化を大きく付ける一方、さっぱりした後味が残るのもサロネン流。

 第3楽章アンダンテは、会場のアコースティックのせいで音色の魅力は減少気味ですが、繊細に構築された美しいパフォーマンスです。フレーズの中に耳慣れないスタッカートを挿入したり、管弦のバランスにも随所に工夫がありますが、弱音部が痩せて聴こえる録音は残念。

 第4楽章は、サロネンの知的な解釈と様式感がよく生かされた好演。こういう複雑な音楽では、やはり構成力が物を言います。序奏部も語り口が明快で、手際良くまとめていて感心しますが、主部への移行も巧みな棒さばき。優美な曲線を描く旋律線と、鋭利を極めたリズム、鮮烈なアクセントを使い分け、変転する楽想に説得力を持たせてゆく音楽作りは非凡そのものです。スリリングな疾走感を維持しながらテンポの振幅は大きく、豪快なルバートも使用。

 後半部は凄絶そのもので、火花が飛び散るようなオケの熱演を引き出しながら、強靭な意志とミリ単位の精密な手綱さばきでそれをドライヴする指揮は驚異的という他ありません。ハンマー・ストロークには特段の配慮こそ行われていないものの、演奏表現として、2度目のストロークの地を揺るがすような迫力は圧巻。

“新世代マーラー解釈の最高峰を示す、ひたすら素晴らしい一枚”

ダニエル・ハーディング指揮 バイエルン放送交響楽団

(録音:2014年  レーベル:BRクラシック)

 楽団自主レーベルによるライヴ盤。ハーディングのマーラーは、ウィーン・フィルとの10番全曲、スウェーデン放送響との5、9番がある他、複数の指揮者が参加したコンセルトヘボウ管の全集映像に1番、ベルリン・フィルとの音源・映像に が入っています。当盤には、ラトルやサロネンの衣鉢を継ぎつつ新たな展望を指し示す新鮮さがあり、録音こそ少ないものの、彼の世代では最高のマーラー指揮者の一人と感じます。

 第1楽章は速めのテンポできびきびと進行し、ティンパニのアクセントが効いて剛毅な性格。旋律線はしなやかで、アルマの主題はテンポを落として流麗に歌わせますが、全体の印象としては押し出しの強い筋肉質のフォルムと言えます。響きは明晰ながら刺々しくならず、柔らかさと暖かみが美点。豊麗で有機的なオケの音色を生かしつつ、情緒と造形のバランスを巧みに取っています。

 ルバートを随所に盛り込んでいるのに、常にさっぱりと爽やかな歌い口に感じられるのは美質。気宇も大きいですが、中間部の精妙な音感やと遠近法、テンポの加減や管弦のバランス、フレージングもすこぶる美しいです。

 第2楽章アンダンテは、オケの音色美と表現力が生かされた素晴らしい演奏。色彩は明るく、旋律線がくっきりと隈取られますが、音量を開放する拡散型タイプとは違い、凝集力の強い、精緻なアンサンブルを構築しています。粘りの強い棒ながら、一瞬たりとも音楽が弛緩しないのは実力の表れ。

 第3楽章スケルツォも、きびきびとして健康的な演奏。アタックが強靭で、スポーティな躍動感が際立っていますが、それだけではなく、テンポのコントロールや全体の設計にも才気を感じさせます。緩急の演出も見事で、トリオへ移行する呼吸など、合奏の統率力も確か。オケが一体となって動いたり、ある特定のモティーフを強調する様は、ラトルのマーラーも彷彿させるパフォーマンスです。

 第4楽章序奏部は、劇的で緊張度の強い表現。まとめにくく、整理して聴かせにくい音楽に強い説得力を与えている所に、スコアの読みの深さを感じます。主部は旋律の歌わせ方がすこぶるうまく、非常によく練られた解釈。管楽器による伴奏の刻みなど、スタッカートに微妙なテヌートが加わり、柔らかくディミヌエンドさせたりと、その精細な描写力には感心させられます。

 特筆すべきは大方の演奏と違い、リズムの推進力や音響の迫力ではなく、巧緻なアゴーギクと流麗なカンタービレを主軸に音楽を作っている事で、難解なこの楽章も当盤では実に明快に聴けます。それでいて細部が雄弁で、千変万化する楽想の変転も、鋭い棒で鮮やかに表出。ハンマー・ストロークは衝撃音よりドラを生かし、速めのテンポで自然な流れに位置づけていて卓抜。逆にその後の展開で力感を開放し、豪快なアクセントを打ち込むのも聡明な見識です。もっと話題になって然るべき名演。

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