ベートーヴェン/交響曲第7番

概観

 日本のクラシック・ファンの間では特に人気の高いこの曲、いつかのアンケートでは、好きな曲ランキングの1位か2位に入ったとの事。第1楽章がテレビドラマ『のだめカンタービレ』のテーマ曲に使われた事で、さらに知名度を上げた。有名な指揮者にもこの曲が好きだと公言する人は多いが、実は私、この曲がそんなに好きではない。

 いや勿論、素晴らしい曲だとは思うが、ベートーヴェンの交響曲なら他の8つの方が遥かに好きである。理由はただ一つ、第4楽章の、あの単純なリズムに乗った妙に元気な主題。音楽ファンには怒られそうだが、あれはちょっと、バカっぽい。言い方を変えれば、“かっこいい/ダサい”の美意識で言って、私は“ダサい”と感じるメロディである。ベートーヴェンとチャイコフスキーの音楽には、時々こういう瞬間があって辟易してしまう。あくまで個人的な偏見である。

*紹介ディスク一覧

58年 クリュイタンス/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

61年 モントゥー/ロンドン交響楽団   5/4 追加!

62年 サヴァリッシュ/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 

63年 ドラティ/ロンドン交響楽団 

71年 ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

71年 ジュリーニ/シカゴ交響楽団  

74年 クーベリック/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

74年 メータ/ロスアンジェルス・フィルハーモニック  5/4 追加!

75年 ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン

76年 クライバー/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

77年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

78年 ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団   5/4 追加!

78年 マゼール/クリーヴランド管弦楽団   

82年 クライバー/バイエルン国立管弦楽団

82年 T・トーマス/イギリス室内管弦楽団

83年 クライバー/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団  

83年 カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団  

85年 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

87年 アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

87年 テイト/シュターツカペレ・ドレスデン

88年 ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団   5/4 追加!

88年 ヴェラー/バーミンガム市交響楽団   5/4 追加!

90年 アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団

91年 サヴァリッシュ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団  

91年 ジュリーニ/ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

94年 C・デイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデン

96年 ティーレマン/フィルハーモニア管弦楽団   

99年 バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリン

 → 後半リストへ続く

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指揮者のラテン的感性と軽妙なセンスがプラスに働いた好演

アンドレ・クリュイタンス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1958年  レーベル:EMIクラシックス

 全集録音から。9つのシンフォニーの中では、特に指揮者の資質がプラスに出た演奏の一つ。成功の一因は、ラテン的明晰さに支配された華やかなサウンド。幾分硬質ながら艶やかな光沢を放つ響きは、明朗で快活な作品の性格によく合っている。

 テンポは決して速くはないが、リズムに弾むような調子があり、両端楽章では特にそれが軽妙さを醸し出して、いかにもこの指揮者らしい洒落た音楽を聴かせる。元々ドイツ音楽のイメージは薄い人だが、様式感の把握にも危うげな所は全くない(プロの指揮者なら当たり前の事だろうけど)。第2楽章もチェロの旋律線をはじめ、艶やかな響きが魅力的。第3楽章トリオの、レガートで優美に繋いだ丁寧な音楽作りも独特。

 5/4 追加!

“精神性云々の前に、まず音そのものの充足感について考えさせられる”

ピエール・モントゥー指揮 ロンドン交響楽団

(録音:1961年  レーベル:デッカ)

 モントゥーはデッカへ同オケと第2、4、5、7、9番(ウェストミンスター)、ウィーン・フィルと第1、3、6、8番を録音している。当盤もウィーン・フィルならさらに良かったと思う人は多いだろうが、なかなかみずみずしく爽快なサウンドで、残響も適度に取込んで聴きやすい音質。

 第1楽章序奏部はストレートにフォルテを打ち込んできて剛毅。落ち着いたテンポだが、スタッカートを一音ずつ律儀に切っていて、非常に明快でさっぱりした語調。スフォルツァンドも鋭敏。主部は主題提示の目の覚めるような明晰さに驚かされるが、トゥッティで輪郭がややぼやけるのは残念。しかしリズム処理の鮮やかさは際立っていて、すこぶるモダンな造形センス。弦や木管の艶々と磨かれた音色も、純ドイツ風とは一線を画す。

 第2楽章もすっきりした響きで見通しが良く、艶やかな音色でみずみずしく歌う。構築性より感覚美が勝るのはフランス流か。フーガ風の書法も、対向配置の効果をうまく生かして立体的。第3楽章も歯切れが良く、レスポンスが鋭敏。やや乱れもあるとはいえ合奏の統率が見事で、ストラヴィンスキーを驚嘆させたというモントゥーのバトン・テクニックの冴えが窺える。軽快な主部とのんびりしたトリオと、楽想の描き分けも巧み。

 第4楽章も実にシャープで、精度の高い表現。オケの発色が良さもあるが、やはり指揮の技巧が卓越している事は間違いなさそう。ベートーヴェンなんて最も精神性が重要視される音楽のように思えるが、音自体が無類に鮮やかである事がこれほどの充足感をもたらすとなると、内面一辺倒では音楽の秘密などとても解明できそうにない。コーダに向かって加速し、ライヴのような熱い高揚感があるのも凄い。

“オペラ指揮者らしい美質もある一方、オケの個性は出ず、録音も今ひとつ”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1962年  レーベル:フィリップス)

 カップリングはどうだったのか不明だが、当コンビはこの2年前に《シュテファン王》《フィデリオ》序曲と第6番を録音、さらに後年、EMIへ全集録音を行っている。鮮明でみずみずしい録音だが、ティンパニを伴うトゥッティでは少し混濁感がある。

 第1楽章は、序奏部も主部も落ち着いたテンポで推移し、堂々たる正攻法。木管による主題提示の後、トゥッティの前のロングトーンを長く伸ばすのは、この指揮者には珍しい恣意的な解釈だが、全体に造形が端正で、すっきりとした響きで明快に仕上げている。リズム感が良いので腰が重くなる事はないが、アインザッツにはやや精度の低さが露呈する箇所もある。金管のエッジを効かせたシャープな響きも、オケの美質とは少し別の方向性を感じさせる。

 第2楽章は淡々としていて、トゥッティに張りがあるが、深々とした味わいには欠ける。音色的にもこのオケらしい豊麗さや柔らかさが欲しい所だが、整然とした見通しの良い響きは美質とも言えるだろう。第3楽章は速めのテンポで、歯切れ良く造形。感興の豊かさや愉悦感は今一歩だが、生き生きとした動感はよく出ている。トリオも適切な表情が付与され、雄渾な力感も十分。

 第4楽章は、細かい音符やリズムを律儀に処理する一方、推進力を犠牲にした印象は否めないが、パワーの蓄積を高揚感に結びつける手腕と息の長さは、さすがオペラ指揮者。歪みと混濁の目立つ音質が残念。

“シャープなリズム感、鮮烈な音色で、生き生きとした感興に富む”

アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 

(録音:1963年  レーベル:マーキュリー)

 当コンビのベートーヴェンは他に第5、6番等もあり。マーキュリー録音としては音響条件が大幅に良くなってきた時期の収録で、爽快な弦の響きにくっきりと鮮やかな木管の彩りが美しいです。

 ヴァイオリン群を筆頭に、みずみずしくフレッシュな音色が魅力的ですが、ティンパニを抑えて弦の音圧で合奏を構築するサウンド作りは独特です。リズムが実によく弾み、スタッカートも無類に切れ味が良いので、特に第1楽章(リピート実行)は生気に満ちあふれます。イン・テンポで押さず、弱音部で速度を落とす呼吸感は自然。第2楽章もドイツ的な味わいや奥行きこそないものの、感興がホットで聴き応えがあります。

 すこぶる敏感でスピーディな第3楽章もユニーク。トリオはあまり減速しませんが、フレージングに自在感があってタッチが優美です。沸き立つように楽しげなテンションも、作品の本質を衝く表現。第4楽章は中庸のテンポながら、切っ先の鋭い棒さばきでシャープに造形。コーダに向けての白熱感もあります。

みずみずしい歌心と豊かな音楽性を示すケンペ。終楽章の激烈な盛り上がりは圧巻

ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1971年  レーベル:EMIクラシックス

 全集中の一枚。みずみずしいカンタービレと深い響き、敏感なリズムに彩られた滋味豊かな名演です。第1楽章序奏部は超スロー・テンポで、たっぷりとした間合いと穏やかなアタックが音楽性満点。弦が伴奏リズムを刻み始める箇所からは、さらにテンポが落ちる印象です。主部はテンポこそ中庸ですが、生き生きとしたリズムに乗せて躍動的な演奏を展開。伴奏のオスティナートを控えめに刻む事で、旋律のリズムに弾力性を持たせ、音楽全体の愉悦感を高めているのもさすが。

 ミュンヘン・フィルの響きは艶やかで充実、トランペットの高域がブレンドされると明るさも加わり、大変魅力的です。中間2楽章は渋い表現ですが、落ち着いた佇まいと堂々たる力感で聴かせる好演。第3楽章トリオでは、ティンパニの峻烈なアクセントとソノリティの艶やかな輝きが強い印象を残します。

 フィナーレはテンポが速く、すこぶる機敏な演奏。リピートを省略していて、全体の尺も若干短くなっています。そしてボリュームを抑えてゴリ押ししないさりげなさ、趣味の良さ。弦のリズムが鋭敏で、金管も随所に鋭いアクセントを刺してくるので、演奏全体にスリルと緊張感が漲ります。中抜きの3連符が連続する箇所でテンポを徐々に加えてゆくのも、巧妙なアゴーギク。豊かな歌心はケンペらしく、コーダでテンポを上げて音楽を煽り、ティンパニの激烈な打撃で迫力満点のクライマックスを形成します。

“後年の重厚さはないものの、流麗な歌を重視する姿勢はすでに顕著”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

(録音:1971年  レーベル:EMIクラシックス)

 ジュリーニの同曲は、後にスカラ座フィルとの録音もあり。テンポが遅すぎる傾向もある新録音とは違い、ある種の緊密さが感じられる一方、明るく艶っぽい響きが曲想とうまく呼応している点や、流麗さを感じさせる造形感覚は、両盤に共通する特徴です。

 第1楽章は提示部リピートを実行。序奏部は、ティンパニを抑えて上品な表現。一方でスタッカートの切れが良く、弦のアタックも強靭です。主部は中庸のテンポながら、リズムやエネルギー感を強調しすぎる事なく、まろやかな語り口。旋律線の表情も実に優美です。モティーフとなるリズム・パターンは、弾ませるというよりも、ソステヌートで歌わせる方向。展開部は、適度な力感と引き締まったアンサンブルで聴き応えがあり、コーダまで力を温存しておく設計も効果的です。

 第2楽章は、冒頭の柔らかいハーモニーからしてジュリーニの世界。遅めのテンポとたっぷりした筆致で曲を運びながら、ロマン的な情緒過多を自身に戒める禁欲性もあります。色彩の変化も丹念に描写。強音部へ向かうクレッシェンドでの、ティンパニの煽りも鮮烈です。

 第3楽章は落ち着いたテンポ。ちょっとした節回しにも豊かなニュアンスが込められ、あらゆる音符が歌に変換されるようなベートーヴェン像は新鮮です。オケが巧く、パート間の連携は見事。やや硬質なティンパニのアクセントも効果的です。第4楽章は遅めのテンポながらリズムの切れもあり、後年のジュリーニのように鈍重にはなりません。丁寧な仕上げで、細部まで克明に描写するのはジュリーニ流。感興の昂りもありますが、コーダは白熱せずあっさり終了。

柔らかく、艶やかな表現で一貫。オケの個性を生かした優美なアプローチ

ラファエル・クーベリック指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1974年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 9つのオケを振り分けた全集録音より。クーベリックはバイエルン放送響ともこの4年前に同曲を録音している。ウィーン・フィルの同曲録音は数多く存在するが、ここで取り上げたディスクの中では特に同オケの個性が強く出た、優美な演奏。

 ティンパニを抑え、旋律線の流れを明瞭に浮かび上がらせる行き方がその印象の一因で、音圧もあまり高くない。もっとも両端楽章など、軽快と形容するにはかなりテンポの遅い、ゆったり構えた表現だが、全編を通じてリズム・センスの良さは際立っており、腰の重さはあまり感じられない。

 第2楽章は艶やかな響きが独自の明るさを醸し出し、暖かみのある表現にマッチ。第3楽章は明快かつ柔らかなフレージングが印象的で、角の取れた、素朴で優しいタッチが独特。ユーモラスなエンディングも軽妙そのもの。フィナーレも舞踏的熱狂には向かわない落ち着いたアプローチで、クリーヴランド管を振った8番の白熱と好対照を成している。

 5/4 追加!

“意外に穏やかで、ウィーン風のスタイルを志向するも、あくまで細部は鋭敏”

ズービン・メータ指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニック

(録音:1974年  レーベル:デッカ)

 メータ最初のベートーヴェン録音で、《エグモント》序曲とカップリング。当コンビはラローチャと《皇帝》も録音している他、メータは後にニューヨーク・フィルと第3、5、8、9番の録音をCBS、RCAに行っている。

 第1楽章は提示部リピート実行。冒頭は強めに来るかと思いきや、意外にも柔らかなタッチで優美に着地。序奏部も主部もゆったりしたテンポで、響きもまろやか。メータが音楽を学んだウィーンの流儀を感じさせ、少なくともニューヨーク・フィルとのベートーヴェン録音と較べると、遥かにウィーン・フィルに近いサウンドである。リズムは溌剌としていて合奏は緊密。造形もシャープで、幾分穏やかな性格ながら立て付けの緩い箇所はない。

 第2楽章もスロー・テンポで、落ち着いた大人の表現。筆遣いも丁寧で柔らかく、音の入りに典雅な味わいがあるので、まるで巨匠が演奏しているようにも聴こえる。感興も豊かで、なぜニューヨークでこういう演奏が出来なかったのか不思議なくらい。第3楽章もゆったりとした佇まいで、性急な所がない。合奏に余裕があり、音楽的愉悦感が横溢しているのがウィーン風に聴こえるのかもしれないが、合奏はよく引き締まり、漫然と流れてゆく緩い演奏でもないのはさすが。

 第4楽章はメータなら快速テンポかと思いきや、これも遅めのテンポで克明に合奏を彫琢。それでも鋭い切っ先や歯切れの良いスタッカート、張りがあって粒立ちの明瞭なティンパニなど、ディティールのシャープさが演奏を鈍重さから救っている。ふくよかな響きながら、明朗な色彩感も作品に相応しい。

古風なオケの性質をうまく生かしながらも、モダンなセンスを聴かせるブロムシュテット

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1975年  レーベル:ドイツ・シャルプラッテン

 全集録音から。ゆったりと構えたテンポで、あらゆる音符をたっぷりと響かせる余裕の演奏。そのために間合いが伸びがちな箇所もあるが、それが音楽性の豊かさや貫禄に繋がっているのはさすがドレスデンのオケ。指揮にはリズムやアーティキュレーションに対するフレッシュな感性が横溢し、古風な佇まいの中にも現代性を盛り込んでしたたか。定評あるオケの豊麗な響きも、適度にシェイプされて機動力もアップ。

 第1楽章はリズムのディティールをおろそかにしないため、どうしても推進力は犠牲になるが、その分リズムに弾みがあるので、鈍重には陥らない。むしろ、展開部の木管ソロに漂うしみじみとした情感は、スロー・テンポを採用した故の美点と言えるだろう。

 第2楽章は、この指揮者の構築的な音楽作りの一端が窺える好例。動機を積み上げてゆく手腕や遠近のバランス、コーダでの減速など、構成力が光る。艶やかな光沢を放つ弦や、まろやかにブレンドする管のソノリティも素敵。

 第3楽章は鋭敏なリズムを小気味良く刻む颯爽たる演奏。ここでも、トリオから主部に戻る所でかなり減速するので、これはブロムシュテットの癖なのかもしれない。オケの音楽性豊かなパフォーマンスも聴き所。フィナーレも細部を克明に処理しようという方向だが、やはりバネの効いたリズムと歯切れの良いアーティキュレーションで生き生きと聴かせる。固いバチを使用したティンパニも、鋭いアクセントでタイトな音作りに一役買っている。

“天才クライバーが世界の音楽ファンに遺した、音楽の喜びに満ち溢れる歴史的名盤”

カルロス・クライバー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1976年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 発売当初から絶大な人気を誇る名盤。当コンビのベートーヴェンは他に第5があるのみで、クライバーとしては他にバイエルンでの第4、6番と当曲のライヴ盤、コンセルトヘボウとの第4、7番のライヴ映像が出ている。クライバーには熱狂的に反応するファンがいる反動か、不自然に厳しい評価を下す人も多いが、この演奏を貶すのは幾ら何でも無茶で、そういうリスナーは逆に耳の感度が疑われると思う。

 第1楽章の序奏部など、ウィーン・フィルの素晴らしい響き、オーボエを始めとするソロの絶妙なニュアンスと相まって、これはほとんど完璧な演奏ではないかと思うのだが、主部に入るとクライバー特有の熱気と共に、幾分仕上げの雑な部分も耳に入ってくる。テンポが速すぎるせいもあるのだろう。

 しかし、生き物のように弾むリズムや優美を極めたフレージング、内から無限に湧いてくるような豊かな感興は、音楽の喜びに満ちあふれたもの。HIP云々という議論のまだない時代に、これほど機動的で俊敏な演奏を、それもフル編成のオケで行っている事は、率直に評価されるべきだろう。私はクライバーの熱心なファンではないが、これは恐るべき名演だと思う。

“華やかなサウンド、流麗なフォルム、熱っぽい興奮、これぞカラヤン、ベートーヴェン”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1975〜77年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 70年代の全集録音から。冒頭から充実した響きが鳴り響くこの演奏、クライバー盤の後に聴いても決して引けを取らない名演と感じる。カラヤンの資質も、この曲に合っているようだ。惜しいのは、ディティールをあまり拾わない録音。木管ソロなど音像が遠目で、細かいニュアンスが伝わらないのが残念。

 第1楽章から既に、何かに突き動かされるような熱っぽさと躍動感に溢れるが、艶やかながらずっしりと手応えのある響きと、唖然としてしまうほど見事なアンサンブルは、オケの底力を見せつけられるよう。トランペットの高音を強調した華やかなサウンドとも相まって、これぞカラヤン、ベルリン・フィル、ベートーヴェンという演奏になっている。

 第2楽章はオスティナートの処理において音をあまり切らず、ソステヌートで表現。敏感によく弾む第3楽章も、トリオでは音価を長めにとって流麗なスタイルを貫く。凄いのは第4楽章で、これまたすこぶる速いテンポを採り、前へ前へと興奮気味に音楽を煽ってゆくエキサイティングな演奏。正に作品の核心を衝いた表現と言えるだろう。

 5/4 追加!

“厳しい造形性を貫きつつ、強靭な合奏で凄まじい高揚を聴かせる超名演”

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:EMIクラシックス)

 第6番と同時録音だが、ムーティは後に、同じオケと全集録音も行っている。このコンビがオールド・メトで収録していた時期は残響がデッドな録音も多いが、当盤は適度に潤いがあって聴き易い。

 第1楽章序奏部は、トゥッティの直截で雄渾な鳴らし方と、繋ぎの部分の歌謡的なルバート、弦の刻みに徹底したアーティキュレーションが非常に印象的。主部も厳しい造形性に貫かれ、それを強靭な合奏が支える構図。強弱やフレージングもすこぶる精緻に描写され、指示が行き渡っている。ただ、随所に溜めや間が挟まれるのは、ムーティの古典演奏には珍しい傾向。

 それにしても実に表情の豊かな表現で、展開部のオーボエ・ソロなど、ルバートもアーティキュレーションもあまり聴いた事のないような雰囲気。まるで歌手がアリアを歌うような雄弁さと柔らかなデリカシーがあって、何ともユニークである。エッジの効いたリズムも効果的。提示部リピートを実行。

 第2楽章も、動機の積み上げとして表現されやすい弦のテーマを、これほど艶美に磨き上げ、メロディとしてしなやかに歌っている演奏は珍しい。第3楽章はHIPばりの快速テンポで、詳細にニュアンスを付けながらきびきびと進行して敏感。この解釈を実現するオケの技術力にも圧倒される。ストロング・スタイル一辺倒ではなく、トリオが絶妙に柔らかいのも良い。

 第4楽章も筆圧が高く、峻厳な造形感覚を貫くが、響きが硬直せず、しなやかな弾力があるので、格調の高さが感じられる。全篇に駆使される無類に切れ味の鋭いスタッカートが、演奏全体にアグレッシヴな性格と精悍なシェイプ、熱っぽい勢いを与えていて迫力満点。後半の追い込みも凄まじい。あまり知られていないのが不思議な超名演。

“オケの驚異的な技術力を背景に、軽量級の機敏で優美な表現を展開”

ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

(録音:1978年  レーベル:ソニー・クラシカル

 全集録音から。録音がデッドな全集だが、当盤はやや潤いもあって聴きやすいように思う。第1楽章は冒頭の和音の鳴らし方と、続くカンタービレが実に優美。伴奏の上昇音階を短く切る事で、小気味良い推進力を生んでいる。主部は中庸のテンポで、提示部をリピート。響きが明晰で、内声が明瞭に聴き取れるのは当全集に共通の特徴。オスティナート・リズムを強調せず、横の流れを重視したアプローチだが、展開部辺りからリズムの角が立ち、マゼールらしい鋭さが出てくる。

 第2楽章は速めのテンポで淡々と進行し、すっきりとした響きが古典的な造形感覚を示す。ただし山場に入る所で大きく減速するなど、必ずしも感情的表現を排除している訳ではなく、旋律線のニュアンスも美麗。第3楽章は軽量級の響きできびきびと展開。オケのレスポンスが機敏で、スケルツォ的性格がよく表されている。弱音部の表情もデリケート。トリオもあまりテンポを落とさない。

 フィナーレも、機能美を追求した造形。響きに重みや厚みがあまりなく、ティンパニを抑えているのも軽く聴こえる要因。通常は短く切る音符を逆にテヌートで、例えば弦の“タッタタッタ”という中抜き3連符のフレーズを、“ダーダダーダ”と演奏しているのは独特。全体を支えるのは驚異的な合奏能力で、同オケの技術力あってこそのアプローチと言える。後半はそこそこ白熱するものの、締めくくりは冷静。

“あらゆる点においてウィーン・フィルとの旧盤に劣る、バイエルンでの未発表ライヴ録音”

カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:オルフェオ)

 クライバーの死後に発売された未発表ライヴ録音。名盤として人気の高い4番と同日の演奏という事で大いに期待しましたが、クライバー本人が発表を許可しなかっただけあって、粗雑なパフォーマンス。特にティンパニを含むトゥッティは、最後までアインザッツが揃わない印象を受けます。マスの響きも骨張って痩せ気味ですが、音質そのものは生々しく、迫力のあるエッジーなサウンドに録られています。

 演奏の基本方針は旧盤とほぼ同じで、冒頭からコントラストを明瞭に対比させたダイナミクス、歌うような木管ソロ、鋭いアクセントと推進力に溢れたリズム処理、白熱する内的感興など、クライバーらしい表現ですが、オケの音色と技術レヴェル、録音状態においてウィーン盤の比ではありません。

 しかし各音に込められたエネルギーは相当なもので、強い集中力と合奏に漂う異様な緊迫感は、他の指揮者ではなかなか味わえないもの。とはいえ、クライバーの熱狂的ファンならともかく、旧盤に満足している人であれば、わざわざ購入する必要はないように思います。

透明度が高く、管楽器のウェイトが高い響き。スコアの骨格を見せる斬新な表現

マイケル・ティルソン・トーマス指揮 イギリス室内管弦楽団

(録音:1982年  レーベル:ソニー・クラシカル

 全集録音中の一枚で、8番とのカップリング。T・トーマスは後にサンフランシスコ響と同曲を再録音しています。スコアの骨格が浮き彫りにされた、興味深い演奏。弦の響きに厚みがないため、管楽器のウェイトが重くなり、内声部やリズムの刻みも明瞭に耳に入ってきます。通常編成のオケだと、時に指揮者のコントロールが隅々まで行き渡らないもどかしさを感じる事もありますが、この演奏では解釈の意図が明確に伝わってくるのが美点。

 テンポは総じて遅めか中庸で、細部まで徹底してアーティキュレーションが意識された表現。全体に肩の力が抜けていて、どこか鷹揚とも言える落ち着いた雰囲気。小編成と聞いて一般にイメージされる、せかせかとした攻撃的な演奏とは一線を画します。会場の響きがデッドなのが難点で、もう少し残響を取り入れても効果は達成できたのではないかと思いました。

 リピートは全て実行。第1楽章は、見通しの良い透明な響きと、バネの効いたリズムの良さが印象に残ります。主部のテンポもかなり遅く、フレーズの間合いがゆったりしているのが特徴。第2楽章はオーソドックスにすぎるきらいもありますが、室内楽的な音の扱いにセンスを発揮。第3楽章は、余裕のあるテンポで一貫していて、トリオにおけるティンパニの強打も鮮烈な効果を生んでいます。

 第4楽章は勢い良く開始し、そのままのテンポで駆け抜けるかと思いきや、5小節目からブレーキが掛かってゆったりテンポ。これはどういう解釈かと思っていると、提示部のリピートに入った所で分かりました。T・トーマスは提示部のラスト数小節でテンポを煽っていて、冒頭の4小節もこの延長線上に捉えているため、テンポの落差があるわけです。アタックにも無用な力みがありませんが、リズム感の良さは際立っています。両翼配置のため、ヴァイオリン群の掛け合いもステレオ効果抜群。

“オケの巧さも手伝い、依然として勢いと熱気に溢れる、カラヤン最後の同曲録音”

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1983年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 カラヤン最後の全集録音から。第1楽章は序奏部からテンポが速く、前のめりに熱っぽく音楽を煽る表現は旧盤を踏襲。主部はやはり推進力が強く、高い音圧を維持したエネルギッシュなパフォーマンスですが、運動神経の良さでは旧盤に軍配が上がるかもしれません。しかしカラヤンにしてはリズムに溌剌とした弾みがあり、依然として作品との相性の良さを示します。

 第2楽章も停滞しないテンポで流動性が強く、作品全体の流れを止めません。それでいて薄味にならず、豊かな情感が盛り込まれるのはオケの上手さもあってでしょうか。第3楽章も意外に軽快な演奏で、アタックの強靭さと内圧の高さを維持しながら、フットワークの軽さも獲得しています。トリオでテンポを落としすぎないのも、作品全体の設計からして理にかなった解釈。

 第4楽章は旧盤同様に急速なテンポを採り、勢いと熱気に溢れた表現を展開します。オケも鉄壁の合奏力と凄絶な響きで応えていて迫力満点。造形がごつごつせず、どこか流線型の滑らかさも感じさせる辺りは、壮年期の頃のカラヤンを思い出させます。コーダに向かってライヴ的に烈しく白熱するのも見事。

“ウィーン盤よりもさらに速いテンポで、超絶技巧の合奏が圧巻なライヴ音源”

カルロス・クライバー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1983年  レーベル:RCO)

 楽団自主レーベルによる、曲ごとに指揮者の違う全集ライヴ・セットから。ちなみに他の曲は、第1番がジンマン、第2番がバーンスタイン、第3番がアーノンクール、第4番がブロムシュテット、第5番がヤンソンス、第6番がノリントン、第8番がヘレヴェッヘ、第9番がドラティとなっており、独自に全集録音のあるハイティンクは入っていません。

 この音源は、第4番とのカップリングで繰り返し再発売されてきた人気映像ソフトから採られたものですが、音だけ取り出して発売されたのは初めてかもしれません。クライバーの同曲正規音源は、ウィーン・フィルとのDG盤、バイエルン国立管とのライヴ盤もあり(収録は当盤が一番最後)。バイエルン盤と較べるとオケの響きも美麗だし、合奏も整っていて聴きやすいですが、ウィーン盤との比較では、いずれに軍配を上げる人がいてもおかしくありません。

 第1楽章はウィーン盤よりずっと速いテンポですが、細部の彫琢に定評のあるオケだけあって、カルロスの快速調にもぴたりと付けています。最初はアインザッツが少し緩い感じもしますが、尻上がりに調子が出てきて、リズムの切れやエネルギッシュな勢いが増してきます。コーダに向けて、この指揮者らしい熱気に達する様は圧巻。

 第2楽章もウィーン盤より速いテンポで、さくさくと進行。発色が良く、どのパートも胸のすくような抜け感がある上、音色が艶やかで美しいです。第3楽章も主部、トリオ共にものすごい速度。しかもアタックにザクザクと切り込んでゆくような鋭いエッジがあって、迫力満点です。合奏の精度も一級で、まるで往年のヴィルトオーゾ・オケを聴く思い。第4楽章も2種類の旧盤より速いテンポ。しかも、途中から少しずつ加速してゆきます。オケの合奏力とライヴの高揚も相まって、ウィーン盤に迫るもの凄い熱演。

オケの響きは美しいものの、正攻法に過ぎて後半の盛り上がりに欠ける真面目な演奏

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1985年  レーベル:フィリップス)

 全集中の一枚。リピートは全て実行しています。コンセルトヘボウの響きはいつも透明で立体感があり、ヨーロッパ的な滑らかなタッチを持つオケの中でも、明朗さと柔らかさで抜きん出ています。ハイティンクは落ち着いたテンポで一貫していて、アゴーギクの変化はあまり聴かれません。

 フレージングも自然で、どこを取っても誇張のない表現は、筋金入りの正攻法ではありますが、真面目すぎて面白味に欠ける傾向がある事は否めません。前半はまだヒューマンな温もりとオケの響きの典雅な美しさで聴かせますが、第3楽章にはより軽妙な味わいや剛毅な力感が欲しいですし、フィナーレはリズムを画然と処理しすぎた結果、推進力にブレーキが掛かってしまいました。コーダもあまり盛り上がらない感じで残念。

“興奮への欲望を厳に慎み、ひたすら克明にリズムを打ち込む、まるで苦行僧のようなアバド”

クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1987年  レーベル:ドイツ・グラモフォン

 全集録音中の一枚。当コンビはかつてデッカにも同曲を録音している他、後にベルリン・フィルと二度も全集録音を行っています。当盤のアバドはかなり慎重というか、熱狂や流麗さへ走る事を意図的に戒めたような表現で、重々しく克明にリズムを打ち込んでゆく反面、全体に武骨で、ゴツゴツとした手応えを感じさせるのが特徴です。

 特に第1楽章はリズムの流れが悪く、響きも冴えない印象を受けますが、第2楽章以降はウィーン・フィルらしい艶やかな響きも復活。もっとも、フィナーレではやはり、厳格に刻まれるリズムの強調が明らかにブレーキとなっていて、この曲の特性であるリズムの興奮に身を置く事を許しません。ベルリン・フィルとのモーツァルトで軽快な表現を聴かせるアバドとしては意外な気もしますが、ベートーヴェンらしい威厳を感じさせる演奏ではあります。第1楽章提示部のリピートを実行。

ひたすら遅いテンポ、弾まぬリズム、濃い陰影。舞踏的躍動感を払拭した重厚な演奏

ジェフリー・テイト指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1987年  レーベル:EMIクラシックス)

 テイトによるベートーヴェンの交響曲録音は恐らくこれが唯一で、同オケとの録音も他にシューベルトの《ザ・グレイト》とオッフェンバックの歌劇《ホフマン物語》があるくらい。一聴、その重厚な佇まいに驚かされる。テイトというと、室内オケのモーツァルトやハイドンのイメージが強いので、余計意外に感じるのかもしれない。作品から舞踏的躍動感を一切取り払った、ひらすら重々しく、威厳を感じさせる演奏。第1楽章提示部のリピートを実行。

 テンポは全楽章を通じて誠に遅く、終楽章などは殊更その印象を強くする。リズムのエッジが鋭いにも関わらず、前へ前へという推進力は完全に欠如。音楽が全く弾まない。強弱の陰影も濃く、オペラが得意なテイトの事だから、きっと何か戦略があるに違いないとは思うのだが、どうにも私は付いてゆけなかった。最も大きな効果を上げているのは第2楽章。ほとんどロマン派に接近した表現だが、独特の風格が漂う、古色蒼然たる巨匠風の音楽が圧巻。オケも美しい響きで好演。

 5/4 追加!

“剛柔の対比を格調しながらも、より丸みを帯びて歌に傾倒した再録音盤”

リッカルド・ムーティ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(録音:1988年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音から。ムーティは78年に同曲と第6番を同じオケと録音している。録音会場も変わって残響が豊かだし、概してこの全集では、どの曲でも力みのなさと柔和なフォルムが目立つ。

 第1楽章は序章部を優美なタッチで流した後、HIPばりの高速で主部を開始。トゥッティ直前のフェルマータを大きく誇張するなど、旧盤からもアップデート。ただ、テンポが速すぎて合奏の解像度が甘くなる辺りはフル編成オケの限界か。クレッシェンドや全休止など、随所に独自のデフォルメがあるのは旧盤同様。提示部リピートを実行。

 第2楽章は旧盤のスコア解釈を踏襲し、しなやかなラインを紡ぐ、歌に傾倒したアプローチ。第3楽章は急速なテンポで機敏。このスピードでも手綱を緩めず確信をもって猛進する姿勢はムーティらしい。トリオはゆったりしているが、やはり間合いに誇張がある。暖かみのある、明るく柔らかな響きは作品との相性も良い。

 第4楽章は歯切れが良く、きびきびとした合奏の構築がこのコンビらしいが、かつての音圧やエッジの刺々しさは消失した。ただし音楽の輪郭は明瞭だし、響きの密度と緊張度は高い。流れを弛緩させず、シャープなリズムと朗らかな歌が同居するパフォーマンスは、ムーティの真骨頂。コーダも鮮烈。

 5/4 追加!

“一体感の強い合奏で機敏に聴かせつつ、軽妙な遊び心も盛り込む”

ヴァルター・ヴェラー指揮 バーミンガム市交響楽団

(録音:1988年  レーベル:シャンドス)

 交響曲第10番の断章という珍品も収録した全集録音から。当コンビはジョン・リルとピアノ協奏曲の全集も録音している。このレーベルらしく残響たっぷりだが、直接音も比較的明瞭で、音像が遠くぼやけすぎない。旧スタイルではあるものの統率力に優れ、一体感のある合奏で鋭敏に聴かせる演奏。経験値ゆえか音楽性もすこぶる豊か。ほとんど世間に知られていないセットだが、相当な名演と感じる。

 第1楽章は序奏部から全く気負いがなく、ものものしさを感じさせないナチュラルな佇まい。主部も適度なテンポ感で自然に推移するが、音圧で押さない爽やかなフォルテと鋭敏なリズムが、作品の軽妙な性格を巧みに抽出。むしろ遊び心の愉悦感すら漂う。ルバートや溜めをやや強調するのもその一環。各部の音響バランスに配慮して色彩感を変化させてゆく音作りも斬新だが、時にトランペットが強すぎると感じる箇所がある。

 第2楽章は、横の線に留意した歌い口で息が長く、極めて優美。名門オケのコンマス出身だけあって弦楽合奏を知り尽くし、壮大さに傾かず、しなやかな歌が際立つ。第3楽章は中庸のテンポだが、弱音主体の音量設計で、弱音部での小気味好いリズム処理が効果的。第4楽章は勢いで流さず、リズムのエッジを研ぎ澄まし、一音ずつ歯切れ良く切ってゆくスタイル。それでいてライヴばりに白熱してゆく辺りはさすが。

強いコントラストと斬新なアーティキュレーションで聴き手を挑発

ニコラウス・アーノンクール指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

(録音:1990年  レーベル:テルデック)

 全集ライヴ録音から。リピートを全て実行し、小編成でノン・ヴィブラート奏法を徹底させたアプローチ。これ以前にも古楽系の演奏家によるベートーヴェンがなかったわけではないが、これは特に個性の強さで話題を呼んだ全集だった。

 第1楽章はレガートとスタッカートのコントラストが際立って強く、刺すような金管とティンパニのアクセントによって激しい表現が繰り広げられるが、リズムは予想以上に軽妙で、全編が舞曲を思わせるほど楽しげに弾む。

 第2楽章も優しいアタックが印象的で、トゥッティにも柔らかいタッチがあって意外だが、思い切りの良い金管の強奏が壮麗な響きを構築。一方、時折挟み込まれる句読点、特にホルンの低音域による少々下品なアクセントは好みをわかつ所。第3楽章もアクセントが強く、いささか乱暴に聴こえる箇所もなくはないが、曲想に合っているのか、ここでは吉と出ているように思う。

 フィナーレは大きな裏拍、小さな裏拍と、交互にアクセントを持ってきた上、手回しオルガンのごとき軽妙な弾みを加えて独特のグルーヴ感を獲得。もっとも、特異なニュアンスを強調しているのは最初の内だけで、曲が進んでゆくに連れて癖のないアーティキュレーションに戻ってゆく傾向もないではない。

“ゆったりとリラックスした趣で、エキサイティングな躍動感は一切なし”

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:EMIクラシックス)

 全集録音中の一枚。ライヴとセッションが混在した全集で、当盤は後者。当コンビは、60年代初頭にフィリップスにも同曲を録音しています。残響をたっぷり取り込んだ、このオケ、このホールらしさをよく捉えた録音。

 第1楽章は序奏部から肩の力が抜け、どこまでも柔和な性格。たっぷりとした響きにのびやかな歌を乗せ、平穏な音楽世界が展開します。提示部リピートを行わないセッション録音は、90年代では珍しいですが、サヴァリッシュらしい端正な造形にはふさわしいかも。ただ、小気味好いリズムを盛り込みつつもエネルギッシュな駆動力は全くないので、エキサイティングな高揚を求める聴き手には推せません。合奏は緻密で、どこまでも丹念に彫琢されています。

 第2楽章は隅々までスコアを照射し、ふっくらとしたオケのサウンドも魅力的。透徹した響きの中に各レイヤーが明瞭に聴き取れるし、ティンパニのパンチも効いて押し出しの良さも加わっています。第3楽章は緊密なアンサンブルで細部を繊細に描写しつつ、ゆったりしたリラックス感は維持。剛毅な力感こそないですが、典雅な趣で聴かせます。

 第4楽章は落ち着き払って、一音一音を着実に刻んでゆく表現。この楽章に限らず、62年盤の骨格にふくよかな肉体を与えた再録音です。逆に考えればむしろ、感情的な煽りを一切排し、終始抑制の効いた実務的な指揮を30年前に徹底していた事が凄いのかも。我を失わないとはいえ、内的高揚感は十分にあるし、各パートの艶やかな響きが随所に聴こえてくるのは美点。

“明るい響きと歌うようなフレージング、スローテンポで一貫した異色のベートーヴェン”

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

(録音:1991年  レーベル:ソニー・クラシカル)

 交響曲選集の1枚で、1番とカップリング。ジュリーニがなぜベートーヴェンにこのオケを起用しようと考えたのかは分かりませんが、非常にユニークな結果を生んでいると思います。スカラ座のオケは響きこそ明るいですが、大編成でずっしりとした重量感と手応えがあり、なおかつ、あらゆるフレーズが歌うように表現されるのに驚かされます。音響がデッドなスカラ座の劇場で収録されていますが、ソニーのスタッフは残響音を確保して聴きやすい音質に仕上げています。左右の広がりや分離は良く、直接音も明瞭。

 第1楽章主部や展開部の木管ソロなど、惚れ惚れとしてしまうほど見事なカンタービレ。テンポは相当遅く、何とも言えないのんびりした雰囲気ですが、終始流麗な歌に溢れているので、いつしかテンポの速い遅いなど意識から消えてしまいます。提示部リピートを実行。第2楽章も格調高い表現で、改めてこの作品が本来持っている風格の前に頭が下がる印象。第2主題の柔和な表情にも、慈しむようなニュアンスが漂います。

 第3楽章もゆったりしたテンポで温和な性格。その分だけ余裕があるのか、強弱の段差を非常に細かく付けています。トリオのソフトなタッチも独特ですが、響きは骨太でスケール雄大。唯一、フィナーレだけはフットワークの重さがさすがに気になる所。テヌートでリズムを引きずる箇所もありますが、トゥッティの打ち込みは力強く、弦のアインザッツなど切っ先も鋭利です。コーダに至ってもマイペースを維持して白熱しないのはジュリーニ流。

気品漂う落ち着いた表現と共に、シャープなリズム・センスを垣間見せるデイヴィス

コリン・デイヴィス指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(録音:1994年  レーベル:フィリップス)

 全集録音中の一枚。デイヴィスはロンドン響とも70年代に同曲を録音しています。このコンビらしい、非常に落ち着いた仕上がりで、テンポも遅く、ゆったりとした安定感がありますが、リズムの歯切れが良く、わずかに弾みも加えているので、腰の重さは気になりません。むしろ快調な音楽進行といえます。

 提示部リピートを実行した第1楽章は、間接音の多い録音のせいでやや意図が伝わりにくいものの、全編ノンストップで続く付点リズムのみならず、細かい弦の刻みなどもシャープかつ正確に処理していて、重厚な中にもモダンな感性を感じさせるのがデイヴィスらしい所。一方、時折盛り込まれる大きなルバートが、演奏に自在な呼吸と大家の風格を与えています。

 中間2楽章も、柄が大きい堂々たる表現に、どこか気品が漂うのが好印象。オケの響き、特に弦とホルンがブレンドした時のトーンは素晴らしく豊麗です。フィナーレも、遅めのテンポで折り目正しく展開しますが、リズム感と音の切れが抜群に良いので、扇情的ではない代わりに、ある種の爽快感があって充実しています。もっとも、カラヤンやクライバーの信仰者にはちょっと物足りないスタイルかも。

“自信に満ち溢れた剛胆な指揮とフレッシュな感覚。明らかに非凡なDGデビュー盤”

クリスティアン・ティーレマン指揮 フィルハーモニア管弦楽団

(録音:1996年  レーベル:ドイツ・グラモフォン)

 ティーレマンのデビュー盤で第5番とカップリング。彼は後にウィーン・フィルと、ライヴによる全集録音を行っています。DGはドイツ音楽の正当的な継承者として彼を売り出した記憶がありますが、その後の活動ぶりを見ると、本人も嬉々としてその路線を邁進しています。当盤の2曲も、ウィーンでの再録音に繋がるスコア解釈を既に打ち立てていて、堂々たる演奏ぶりが圧巻。

 第1楽章は、序奏部から大胆な間合いやルバートが目立ち、臆面もなくロマンティックなスタイルを貫徹。主部も遅めのテンポで、濃密なニュアンスで主題を歌わせているのがユニークです。響きは有機的で密度が高く、ディティールに生気が漲る点は聴き逃せません。リズムは時に引きずるような調子で腰が重いですが、それも表現の一貫というか、鈍重というのとはまた少し違う感じ。どこを取っても、生きた音楽が聴けるのが美点です。展開部も、テンポの動きや表情に独特のものものしさあり。

 第2楽章は、弦の主題が極端なテヌートで、指揮者がこの音型をオスティナート・リズムではなく、あくまで旋律と捉えている事が示されます。音色は英国のオケとは思えないほど艶やかに磨かれ、響きのコクと柔らかさを追求。起伏の描き方、感興の高め方も尋常ではありません。

 第3楽章はスタッカートの歯切れが良く、決してリズム感が悪い訳ではない事は分かりますが、音の置き方に特有の溜めと重みがあるのは確か。トリオの気宇壮大な表現にも、ちょっと聴いた事のない深遠な奥行きがあります。響きは明るくて風通しが良く、フレージングも流麗。第4楽章は克明な指揮ぶりながら、みずみずしさや開放感、鮮烈さもあり、一概に巨匠風とも言い切れないモダンな感性も垣間見えます。コーダへ流れ込んでゆく推進力と白熱も見事で、妙なブレーキを踏む事はありません。

指揮者、オケ共に絶好調。バレンボイムが満を持して発表した、燃焼度100%の熱演

ダニエル・バレンボイム指揮 シュターツカペレ・ベルリン

(録音:1999年  レーベル:テルデック)

 全集録音中の一枚。近年稀にみる、燃焼度の高い名演です。満を持して取り組んだ全集録音だけあって、揺るぎない信念に裏打ちされた円熟のパフォーマンスに圧倒される思い。オケの艶やかで充実しきった響きも素晴らしい聴きものです。

 第1楽章は提示部のリピートを実行。冒頭からダイナミックで気宇が大きく、一転して速めのテンポで駆け抜ける主部はリズムこそ前面に出さないものの、エネルギッシュな牽引力に溢れます。アタッカ気味に突入する第2楽章も、ゆったりと構えたスケールの大きな表情で、シンフォニックな響きが魅力的。

 後半2楽章もテンポが速く、第3楽章はスケルツォ的性格を強調しながら豊かなニュアンスを備え、中間部ではベートーヴェンらしい雄渾さを存分に表現。フィナーレはメリハリが強く、随所に打ち込まれるティンパニとブラスの激烈なアクセントが、次第に加熱してゆくスリリングな音楽展開に拍車をかけるなど、作品の本質を衝くアプローチを聴かせます。

 → 後半リストへ続く

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