14世紀に実際に行われた、フランス最後の決闘裁判とその発端を描いたドラマ。歴史劇ではありますが、スコット作品としては『ゲティ家の身代金』と『ハウス・オブ・グッチ』をつなぐ実録事件物の流れに位置づけられ、ほぼ同じ製作チームで撮影しています。 原作はノンフィクションだそうですが、映画版は同じ出来事を当事者3人の視点から別々に描くという、黒澤明監督の『羅生門』(及び芥川龍之介の原作『藪の中』)と同じ形式。ナレーションを用いず、ごく簡潔に「第○章 〜による真実」という字幕だけで、淡々と出来事を提示する本編はスコットらしい映像主義。その前後を、決闘場面で挟む分かり易い構成になっています。 この場合、3人それぞれの言い分が全く食い違って、「誰が本当の事を証言しているのか」が見どころになりがちですが、本作では各自の立場や思い込みから来る解釈の違いに留め、3度繰り返される各章の違いはディティールの差異だけで表現されています。それでもマルグリットの章だけ「真実(The Truth)」の文字が数秒残される点にも見て取れるように、映画全体の視点としては彼女の立場に同情を寄せている印象。 デイモンとアフレックのコンビに加わった女性のライターが執筆したと思われるマルグリットの告白パートでは、夫の無神経な言動に彼女が日々失望を味わってゆく様子が緻密に描写されています。順番から言えば彼女の告白は最後に置かれていますが、そのため男性二人の告白と巧みに対比されていて効果的。ル・グリの見解が相当に身勝手であるのと同じくらい、ジャンの行動論理もまた別のベクトルに向かって実に身勝手です。 この時代は女性の立場なんてまるで無いくらいに弱かったと言ってしまえばそれまでですが、彼女が命がけで罪を申し立てたのは実際にあった事です(未だに真相は闇の中と言われていますが)。実際、マルグリットの義母や女友達は、自らも同じような経験があるにも関わらず、それを騒ぎ立てたマルグリットに冷たく当たります。何よりも夫であるジャンが彼女に真の理解を示さない以上、彼女はほとんど孤立無援の状態に追い込まれてしまう。 当然ながら暗に映画の作り手は、そこから現代に至ってどれだけ社会が進歩したのかという問題を、観客に突きつけます。スコットの過去作『テルマ&ルイーズ』も、主人公たちの末路を考えると、この疑念に対しては悪い方の回答だと言わざるを得ません。本作の決闘裁判は、誰もが知る有名な史実ではないがゆえ、最後までドキドキハラハラは持続しますが、ほの暗く、ほとんど空虚にさえ感じられる結末に、やはり製作側の問題意識が示されていると言えます。 映像はいちぶの隙もない見事な設計で、その迫真力と美しさ、徹底したリアリズムは健在。スコット84歳の公開作品ですが、そのセンスと気力にはいささかの衰えもみられません。コロナ禍での撮影で、マスクをして演出していますが、相変わらず現場で発想した指示を矢継ぎ早に繰り出しています。俳優陣の密度の高い演技もさすがで、どんな俳優が画面に入ってきても、世界観が崩れないのは驚異的。お得意の雪が舞う決闘シーンをはじめ、構図といい色彩といい、その美しさと斬新さには思わずため息が漏れます。 唯一、少し問題があるなと思うのは、対立する立場であるジャンとピエール伯をマット・デイモンとベン・アフレックが演じていて、いかに憎々しげに睨み合っていても、「二人で協力してこの脚本を書いたんだしな」と現実的な裏事情が透けて見えてしまう所。『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』はそれがさほど障壁にならない脚本内容でしたが、本作のような映画では、敢えて本人達は出演しなかった方が良かったかもしれません。 もっとも演技自体は素晴らしく、事情を知らなければ(知っていても)思わず引き込まれるような迫力。名だたる名監督達に起用されているドライヴァーの演技も要となっています。また、状況をどんどん悪くするジョンの母親やマルグリットの友達マリー、いかにも軽薄で頼りない王など、スコットらしい配役にも注目。映画をより面白くするスパイスであると同時に、人間味のあるディティールが妙にリアルでもあります。 本作は日本で公開こそされたものの、パンフレットが製作されなかったようで、映像ソフトにもインタビューやコメンタリーがなく、製作の経緯や監督・俳優の見解などはあまり分からないままです。まあ、全ては作品を見て解釈すべきなのでしょうが、私は裏話が好きな方なのでこういうのは残念。俳優やスタッフの経歴を、いちいち個別に調べなくてはならないのも不便です。 |